昨晩はやけに喧しい奴(夜中にワケの分からんことを喚いて廊下に飛び出した奴がいた)が同じフロアにいたために夜中に起こされる羽目になった。そこでグダグダと9時前まで布団の中でつぶす。
起き出すと朝食は外に食べに行くことに。喫茶店「寿」で「モーニングセット(500円)」を注文。何やらテレビが大音量でかかっていて店内の落ち着きはないが、卵焼きのサンドイッチはなかなかに美味い。
さて今日の予定だが、メインはザ・シンフォニーホールで17時開演の大阪交響楽団のコンサート。ただそれまではかなり時間がある。とは言うものの現在は大阪地区ではこれという展覧会もなし。かといって安ホテルの部屋に籠もっていてもすることはない。と言うわけで思いついたのは「世界遺産記念 古市古墳群散策ツアー」。今回の世界遺産対象地域は仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥地域と応神天皇陵を中心とする古市地域の2カ所に分かれており、百舌鳥地域の方は行ったことがあるが、古市地域の方は行ったことがないのでこの際訪問してやろうという考え。
古市までは近鉄で移動するとして、現地の移動をどうするかだが、どうやら観光用レンタサイクルがある模様なのでそれを利用することにする。当初は歩いて回ることも考えていたが、それだと健脚Google先生でも2時間以上はかかるという仰せ。それだととても私の体力は持ちそうにない。
天王寺に移動するとここから阿部野橋に移動して近鉄に乗車する。近鉄のホームを見ると吉野行きの観光特急らしき車両が停車している。いずれはこれも乗ってみたい気がするが、それはまた後日の機会に。私は吉野行き急行に乗車する。
古市古墳群散策ツアー
急行だとダイレクトで古市である。意外に近いという印象。古市の駅前に降り立つと観光用のレンタサイクルを借りることにする。レンタル料金は普通の自転車が250円、電動アシスト付きが500円である。体力の衰えを考えて無理せずに電動アシスト付きの方を借りる。電動アシスト自転車を運転するのは初めてだが、こぎ出しが非常に軽いのが驚いた。やはりこぎ出しは通常の自転車だと一番力が必要で大変なところだが、そこが軽いというのはかなり運転が楽になる。
ただ私が自転車を運転するのは10年以上ぶり。そのせいか昔のイメージのようには運転できないことに気がついた。明らかに昔よりもバランス感覚などの運動能力が低下している。そのせいと、いわゆるママチャリ型という自転車の構造のせいで車体を傾け鋭くカーブを曲がるということが出来ず(私が昔乗っていたのはMTB)、どうしてもフラフラとした大回りになってしまう。しかもこうして走ってみると、日本の町というのはとかく自転車には走りにくいことが分かる。自転車は車道を走るのが原則であるが、実際には車がビュンビュン走る車道の端を走行するのは危険な上に邪魔になることが多い。かといって歩道を走れば段差の多さで戸惑う。結局はよくあるフラフラした危なっかしいジジイのチャリンコ運転になっているのを感じずにはいられない。今、車目線から見ればかなりウザい運転をしているだろうなと感じながらも、そういう運転しか出来ないという情けなさ。脚力の衰えはモーターアシストで補えても、平衡感覚の衰えは機械では補えない。特に低速走行時にどうしてもフラフラしてしまい、昔のように運転しながら首を回して後ろを確認するということがスムーズに出来ない(首を回すとどうしてもふらついてしまう)。自転車にバックミラーが欲しいとつくづく感じた。
観光案内所でもらった案内地図を見ながら古墳巡りをすることにするが、どうしても地図だけだと方向や現在地が分かりにくいので、結局はスマホのGoogleMapも併用することに。ただGoogle先生は時々とんでもない道を指定してくる。住宅の裏手の幅1メートルもない路地とさえ言い難いような道を指定してきたり、ひどい時には企業の駐車場を突っ切るルートを提案してきたり(なぜかGoogleMapではそこが道になってしまっている)。とにかくこの辺りの地域はやたらに路地が多い上に、大抵の古墳は路地の奥(住宅の裏だったり)にあるので、今回は路地をひたすらウネウネと走り回ることになる。
最初に立ち寄ったのは一番近くにある古墳
安閑天皇陵古墳
全長122mの前方後円墳で、高さは13mあるという。天皇陵と言うことで現在は宮内庁によって完全に封鎖されてしまっているが、宮内庁など存在しない戦国時代においては、堀に囲まれた小山を有効利用しないで放置する手はないわけで、高屋城という城郭が置かれていたという。その際に墳丘や濠の形が一部変更されたとのことだが、入って確認できないので状況は不明。実際に現地に行くと柵の向こうに小山が見えるのみ。せめて木を払ってくれたらもっと見やすいのに・・・。
次はこの近くの古墳
白鳥陵古墳
墳丘長190mの前方後円墳で「日本武尊」の陵墓とされているとのことだが、例によって宮内庁に封印されているので詳細は不明。現地は柵の向こうに濠越しに見えるただの小山。分かるのは先ほどの安閑天皇陵古墳よりは大きいということ。
次の目的地は古墳公園になっている。
峯ヶ塚古墳
全長96mの前方後円墳。二重の濠に囲まれているとのこと。なお天皇陵ではないので入ることが出来たらしいのだが、私が訪問した時には柵で完全に覆われていて近づけなかった。
その隣にある小山が小口山古墳らしいのだが、こちらは天皇とは全く関係ないのか遊歩道まで出来ていて登り放題である。この上から峯ヶ塚古墳を見ることも出来る。なおここも明らかに後世に加工された跡があるが、城にでもされていたのか、最近の公園整備のせいなのかは私には不明。何となく城郭らしさを感じるのだが・・・。
ここの南にあるのもまた天皇陵
清寧天皇陵
もろに住宅地の裏にあるのでなかなか構造が見えにくい。GoogleMapによるとここも前方後円墳のようで大きさも結構大きい。なおここはかつて西之浦城という城郭を置かれていたらしい。
逆に北側にもよく似た古墳がある
仁賢天皇埴生坂本陵
濠に囲まれた前方後円墳。大きさ的にも先ほどの清寧天皇陵と同程度。こちらも住宅街の奥なので全体が見えにくい。
ここの北にさらに大きな古墳が。
仲哀天皇陵
全長245mの前方後円墳。
一回りしている内に感じたのは、古墳というのはとにかく写真の被写体としては最悪だということ。でかすぎる古墳は単なる川の向こうの山にしか見えない上に全体像はファインダーに入りきらない。その挙げ句に天皇関係の古墳はことごとく宮内庁によって高い柵で封鎖されているので、まともに写真を撮ることさえ出来ない。これは今後観光資源として活用するためには問題点は多々である。とにかく「インスタ映え」は全くしない。
それと宮内庁というのは全力で考古学の妨げをしようとしているなということを感じずにはいられない。。宮内庁とはそもそも天皇を守るためにある省庁のはずだが、実際には自分たちの権益を守るために天皇を利用しているのが真実。もし考古学の進展で天皇の権威を揺るがすような事実でも判明しては問題だから考古学を全力で阻止したいのだろう。天皇が自ら人間宣言までした時代には極めてナンセンスである。正直なところ、現在天皇陵とされている古墳も実際には誰が埋葬されているかは極めて怪しいものなんだが(ぶっちゃけ記録が残っている方が希なので、大きい古墳に天皇の名前を適当に割り振ったといっても良い場合が多い)、事実の判明は宮内庁がまさに全力で阻止している。
次の古墳は古市古墳郡内で最大にして全国でNo2の古墳となる
応神天皇陵
墳丘の長さ425mにしてその高さは36m。仁徳天皇陵に次いで第2位の規模であり、盛土の量で行くと全国No1らしい。とにかく規模が大きすぎて、現地に行ってみると川の向こうの自然の山のようにしか見えない。正直なところ観光を考えるのなら木を伐採した上で手前に五稜郭タワーのようなタワーでも建てるしかないが、そんなことは先の宮内庁が全力で反対するのは言うまでもない。
この近くには登ることが可能な大鳥塚古墳、小室山古墳などもあり、小室山古墳には実際に登ってみた。正直なところ古墳なんて登ってなんぼの気がする。頂上から辺りを眺めて見るとなかなか気持ちよい。
小室山古墳から降りてくると、その先にまた結構大きな古墳がある。
仲津山古墳
これは全長290mの古墳。かなり大きいが、立地的には完全に住宅街の裏山といった趣。とは言うものの、例によってここも封印されているので全体像は不明。
この近くには鍋塚古墳という小規模の方墳がある。元々は現在よりも一回り大きかったらしいが、とりあえずここは頂上に登ることが出来る。格好の展望台で、先ほどの仲津山古墳も見えるし、反対側には土師ノ里駅越しに允恭天皇陵を見ることが出来る。
允恭天皇陵
全長230mの前方後円墳。だがここも封印されているので例によって全貌は全く分からない。ここは周辺に陪塚が多いのが特徴で、衣縫塚古墳、宮の南塚古墳なんかがあるが、いずれも住宅街の中の公園の裏手の小山。言われなければ「なぜこんなところにこんなものがあるの?」というような存在。
気がつけば古市駅からあちこちを回りながら、2駅先の土師ノ里駅までやって来ていた。領域のほぼ一番端まで来たので後は南下しながら残りを掃討。
はざみ山古墳は103mの前方後円墳、発掘でもしているのかブルーシートが見えた。その南の野中宮山古墳は今は野中神社という神社になっている。その南の住宅街の中に野中古墳という小規模な古墳があり、そのさらに南にまた結構大きな古墳がある。
墓山古墳
全長225mという前方後円墳。応神天皇陵の陪塚という扱いらしいが、実際にはこれよりも小さい天皇陵もあるので、これも天皇陵なのではという気もするのだが、まあそこは宮内庁の恣意的解釈ではそうならないのだろう。
この後はこれの南西にある浄元寺山古墳と青山古墳を回って見学終了である。
かなり疲れたというところ。最後には電動アシスト自転車のバッテリー残量がやや心許なくなってきて焦った。電動アシスト自転車のバッテリーが切れたら、ただの重たい自転車である。
ようやく古市駅に戻ってきて自転車を返却すると、一旦ホテルに戻ることにする。古市古墳群を一回りした感想としては、サイクリングコースとしては悪くないが、古墳自体はどうしようもないなというところ。そもそもあまりインスタ映えしない対象なので、その手の輩はわざわざ来ないだろうし、来てもほとんどの古墳は封印されていて立ち入りが出来ない。そもそも埋葬者自体も宮内庁が勝手に言っているだけで根拠は薄弱なものなので何を見ているのか分からない。何しろまともに研究させないのだから何も分からない(わざと分からせない)。結局は「宮内庁、ウザっ!」という感想だけが強く残ったのだった。
天王寺に戻って遅めの昼食
ホテルに戻ってすぐに汗を流したいところだが、その前に天王寺まで帰ってきたところで遅めの昼食にする。立ち寄ったのは「グリルマルヨシ」。「ハンバーグとビフカツのセット」があったのでそれを注文する。
ハンバーグはかなり柔らかめ。私の好みとしてはもっと硬めの肉々しいタイプが好きなのでやや好みとズレる。ビフカツは以前にも食べたことがあるように美味い。たださすがにこの価格ではボリューム不足か。
看板メニューのロールキャベツにしておいた方が良かったかなと後で少々後悔した。それにここで揚げ物を食べてしまったことで夕食が少々悩ましくなった(さすがに夕食に串カツという気にはならない)。
昼食を終えてホテルに戻ってくるととりあえずコンサートの前に汗を流すことにする。両足に軽い怠さが残っており、これは明日以降にツケが来そうな気配。とりあえず今のところは歩けるが。
入浴してサッパリしたところでしばし休息を取ってからコンサートに出かけることにする。
大阪交響楽団 第106回名曲コンサート 夏の夜の夢
[指揮]佐藤俊太郎
[ピアノ]ジャン・チャクムル(第10回浜松国際ピアノコンクール優勝者)
[管弦楽]大阪交響楽団
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」op.61より
“序曲”、“スケルツォ”、“間奏曲”、“ノクターン”、“結婚行進曲”
チャクムルのピアノはとにかく軽いという印象。音色に重みがない。また変拍子的なリズムがたまに垣間見え、どうもモーツァルトを弾くのは窮屈そうに聞こえる。彼の本領はもっと当意即妙的にアレンジできるような曲にあるように思える。実際にアンコールで演奏した現代曲(だと思うのだが私の全く知らない曲だった)の演奏の方が明らかに切れと冴えが見られた。またバックの大阪交響楽団もイマイチ。斉奏がダーンとならずに、バシャーンとなってしまう傾向がある。
後半のメンデルスゾーンはモーツァルトよりはまとまった演奏であった。ただ不満を感じるのは弦に躍動感がないことと、金管が締まりなく鳴らしっぱなしという雰囲気の音色に鳴ってしまうこと。どうもピリッとしたところがないのである。
やはり大阪交響楽団はまだまだ技倆的には今一歩というのは否定できないようだ。今年は何度か大阪交響楽団のコンサートに出かけてみたが、どうも常に私的には評価が今ひとつになるというのは、私と相性も悪いのかもしれない。
新世界でそばを夕食に
コンサートを終えると新今宮まで戻ってくる。今日の夕食をどうするかだが、先にも言ったように串カツはない。寿司という気分でもないので、うどんでも食べようかとうどん屋を目指したが、残念ながら品切れで閉店とのこと。そこで二日続きで蕎麦になってしまうが「総本家更科」を訪問する。
注文したのは「かちんそば」。あっさりした蕎麦が美味い。また焼き餅もなかなかに良い。そして出汁がやけに美味い。
というわけで出汁がやけに美味かったので、追加で天ぷら出汁茶漬けを頂くことに。なかなかに美味いのだが、さすがにこれは食い過ぎた。
ホテルに戻るとグッタリ。やはり疲れが出てきた。今日は早めに就寝することにする。昨日のことがあるのでフロントでもらった耳栓を両耳に装備しておく。