徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

「肉筆浮世絵の世界」at 京都文博「河合寛次郎」at 京都近美&京都市交響楽団定期演奏会

 疲れがあったのと耳栓の効果かは定かではないが、昨晩はかなり爆睡できたようだ。久しぶりに体を動かした爽やかさと、あちこちに痛みやだるさというプラマイ両方の効果が体に残っている。

 今日の予定だが、京都の美術館に立ち寄ってから京都コンサートホールでの京都市交響楽団のコンサートを聴きに行く予定。9時頃にホテルをチェックアウトすると京都に向かう。今日は珍しくロッカーに空きが多く、京都駅近くですんなりとコインロッカーが見つかったので、そこにキャリーを放り込んで身軽になると、まずは烏丸御池まで移動、ここで博物館に入館と思ったのだが、その前に向かいのパン屋「PAUL」でお洒落な朝食(いかにも私に不似合い)を摂る。クロワッサンとダージリン紅茶のモーニングセットに抹茶のエスカルゴを追加。朝はやや甘めのパンの方がやはり体に馴染む。

f:id:ksagi:20190520185720j:plain

お洒落な店構え

f:id:ksagi:20190520185735j:plain

クロワッサンが結構大きい

 とりあえず朝食を終えたところで博物館に入場。

「美を競う 肉筆浮世絵の世界」京都文化博物館で6/9まで

f:id:ksagi:20190520185842j:plain

 宗教系美術館である光美術館が所蔵している肉筆浮世絵を一堂に展示。肉筆画は浮世絵版画と違い、画家の細かい描線や繊細な色彩表現などを楽しめる。そのために画家の作風の違いなどもより明瞭になるのが面白い。例えば葛飾北斎の弟子の作品なども展示されていたが、洋画の表現などにも刺激を受けた師匠の色彩表現の影響が作品から垣間見えたりしたのが興味深い。また喜多川広重の作品が明らかに彼の師匠の作品よりも上手いことなんかも・・・。

 時代的には幕末にさしかかった辺りの作品もあるので、この辺りになると洋画の影響もチラホラ見えたり、また浮き世が本業ではない画家の作品の場合は、明らかに表現が浮世絵画家と異なる部分があったりなど、なかなかに面白かった。

 なおここでは常設展示コーナーの一角で「太田喜二郎と藤井厚二」も開催中。太田喜二郎はベルギーに留学してエミール・クラウスに師事、彼から学んだ点描画法で日本の農村風景などを描いた。彼は印象派の基本である光の表現に拘ったようだが、その結果として最終的には点描画法を捨てている。この辺りが興味深いところで、私の経験でもなぜか点描画法を用いると日本の風景ではなくて欧米の風景になってしまうのである。結局は彼も点描画法は日本のネットリとした風景を描くのには向かないという結論になったのではというように感じられる。

 藤井厚二は彼と交流のあった建築家で、彼の住宅やアトリエを設計している。元々は竹中工務店で近代建築を手がけていたようだが、環境と調和した住宅の建築がやりたくて同社を退職したようである。彼の建築は和風をベースにしながら、一方で大胆な部分もあり、周囲の環境を建築の一部として取り込んでいることが覗える。実用性がありながら洒落ており、実際に「住んでみたい」と思わせるような建築である。実用性皆無の建築しか作れない安藤忠雄に爪の垢を煎じて飲ませたい。


 この後は東山に移動して近代美術館に立ち寄るつもりだが、その前に昼食を摂りたい。駅に向かっていた時に「五けんしも」なる店を見つけたので「五けんしもランチ」を頂く。

f:id:ksagi:20190520185904j:plain

町屋を使用した店舗

f:id:ksagi:20190520185920j:plain

和食系のランチ

 京の町家を使った落ち着きのある店内で、ホッとするような食事である。野菜中心でヘルシーで美味。これは良い店を見つけたと思っていたら、後で調べたら何とランチ営業は今日が最終日だとか・・・。今後はちりめん山椒や牛肉しぐれ煮等の小売り販売を始めるとのこと。小鉢に入っていた牛肉しぐれ煮は確かにかなり美味かったのでこれはありだが、なんか寂しい。

 昼食を終えると東山に移動する。

「川勝コレクション 鐘溪窯 陶工・河井寬次郎」京都国立近代美術館で6/2まで

f:id:ksagi:20190520185953j:plain


 河合寛次郎の陶芸作品のコレクションを展示。河合寛次郎と言えば民藝派で有名であるが、実際に民藝運動に力を入れていく過程で作風にも変化が現れていることがよく分かる。陶芸界の新星として注目を浴びた初期の作品は技巧的で鮮やかかつ軽やかであるが、やや浅さも感じさせるもの。民藝運動に入った頃から重厚で奥深さを感じるものに変化していっている。そのような河合寛次郎の製作の変遷を実感することが出来る。

f:id:ksagi:20190520190006j:plain

晩年の作品にはアバンギャルドな趣も

 美術館を一回りした辺りでまるで電池が切れたかのような急激な疲労が出てしばしベンチにダウンしてしまう。昨日の疲れがきっかり24時間後に出たか? それとも今日の暑さで軽い脱水状態に陥ったか? とにかくどうにもならないのでそこでしばし休憩。ようやく動けるようになってからホールを目指すことに。

京都市交響楽団 第634回定期演奏会

[指揮]カーチュン・ウォン
[ヴァイオリン]ラグンヒル・ヘムジング

吉松隆:鳥は静かに... op.72
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 op.47
フランク:交響曲ニ短調

 ウォンは吉松隆とシベリウスを続けて演奏するという形式を取った。シベリウスが始まった途端にステージ脇からソリストのヘムジングがヴァイオリンを演奏しながら入場してくるという変わった趣向。しかし全く異なる曲にも関わらず、難の違和感もなくスムーズに音楽がつながったのには驚き。

 なおヘムジングの演奏はかなり力強いという印象。かなり前方に出てくる音である。シベリウスの協奏曲は曲想的にどうしても独奏がオケに埋もれがちになるのだが、彼女の演奏はそうならずに常に前面に出てきていた。これは彼女の演奏が力強いということもあるが、ウォンが意識してオケのバランスをコントロールしていたのも明らかだった。初めて協奏曲らしいシベリウスの協奏曲を聴いたという印象。

 フランクの交響曲は、プレトークでウォンがこの曲が最近あまり演奏されないのはおかしいという主旨と、この曲はブルックナー同様にオルガン的であるということを説明していたが、第一楽章などはまさに彼が言っていた通りにオルガン的でブルックナー的な響きで聞こえてくる。またコントラバスをセンターの最後列に配置したウォン式対抗配置がかなり効果を上げている。正面奥から低減と金管がガンガン出てくるので、余計にブルックナー的な響きになる。

 一転して第二楽章は実に甘美でメランコリックな演奏をする。こういうのを聞くと、ああ、フランスの音楽なんだなという気がする。この美しい第二楽章の次にまとめの第三楽章が来て、こちらは曲の進行と共に音色がコロコロと変わるという目まぐるしい演奏。最後まで呆気にとられている内に曲が終わってしまった。

 若き俊英カーチュン・ウォンが、その意図を十分に再現できる京都市交響楽団というオケを得て、見事な演奏を展開したというのが今回の内容だった。


 幸いにしてホールで音楽を聴いているうちに体調は回復した。カーチュン・ウォンのまさにヒーリングミュージックである(笑)。元気が出たところで帰宅するのである。