久方ぶりにMETライブビューイングに
コロナで大混乱だった日常が、やや強引に通常モードに引き戻されつつあるが(本当に大丈夫かにはいささか疑問もある)、コロナのせいでしばし休止状態だったメトロポリタン歌劇場も興行を再開したという。そういうわけでしばし中止されていたMETのライブビューイングも本年から開始されている。今年冒頭からの再開だったのだが、第1回の「ボリス・ゴドゥノフ」は演目には興味があったのだが、上映日が1月下旬とまだコロナ全開の頃で出かけることに抵抗があったためにパス、その後は興味の薄い現代物だったのでパス、マスネの「シンデレラ」やヴェルディの「リゴレット」は一度見ている演目(「リゴレット」は今回新演出とのことだが)なのでパス、次の「ナクソス島のアリアドネ」は体調不良でパスした結果、今回の「ドン・カルロス」が本年最初となった次第。
なお次回は「トゥーランドット」であるが、これは同演目同演出のを見ているので、他に予定があることもあってパスする予定。なおそもそもそのようなトゥーランドットが今回ライブビューイングの演目に上がっていたのは、ネトレプコがトゥーランドットを演じるというのが目玉になっていたのであるが、ネトレプコがウクライナ戦争絡みで例の「プーチン政権忠実度テスト」で引っかかって降板になった模様。急遽リュドミラ・モナスティルスカ(ウクライナ出身らしい)が代演になったようだが、残念ながら知名度では大幅に落ちるため、これは観客動員にも痛手となるのは必至だろう。
なお私のここ数年のオペラ視聴経験から、どうやら私はひねくれて難解なワーグナーのドイツオペラよりは、歌手がヤンヤン歌いまくるヴェルディのイタリアオペラの方が相性が良いようだということも何となく分かってきた。ちなみに私はそもそもは歌付きはあまり得意ではなかった(元コーラス部員にも関わらず)ので、オペラや歌付きの交響曲に興味を持ちだしたのはここ数年である。そういう経緯があるからヴェルディの「ドン・カルロス」はライブビューイング再開には格好のタイトルではある。
予定よりも早く神戸に到着してカフェで時間を潰す
そういうわけで今週末は「ドン・カルロス」を見るために神戸の国際会館の映画館を訪問することにした次第。なおここの劇場、かつては松竹だったのだが、この春からキノシネマに移行したらしい。以前の松竹の時に会員になるかどうかを迷っていたのだが、結局は入会手続きをしないうちに劇場が消えてしまった。
土曜の午前中に家を出ると神戸まで車を飛ばす。いつもは休日も大渋滞になることの多い阪神高速なので、用心をして早めに家を出ている。しかしこういうときに限って予想が狂うことが多いのもこの道路。今朝は渋滞皆無でいたってスムーズに走行。私が予想していたよりもかなり早く三ノ宮に到着する。そこで予約していた駐車場に車を入れると、とりあえず時間つぶしも兼ねてやや遅めの朝食を摂ることにする。立ち寄った「CAFE英國屋」でモーニングを注文。
玉子とハムのホットサンドは美味い。しかし残念ながら苦味の立った本格的なコーヒーは、ようやくコーヒーが飲めるようになったのがつい最近というお子様舌の私にはややツラい。
一服するとpomeraを取りだしてきて、店内が混雑を始めるまでの間しばし時間をつぶす。
話題変わって、ちょっとお金の話を
この原稿を書きながら、昨年からなけなしの貯金を投入して始めた投資信託などの状況を確認。昨年に私は行動目標の一つに「金の亡者になる」ということを掲げたが、その際に貯蓄等を全面的に見直した一環である(それまでの財形貯蓄を停止して投資信託、積み立てNISA、iDeCoなどに切り替えた)。これまではコロナ回復後の上昇相場で順当に利益を生んでいたが、この1ヶ月ほどの大暴落で今までに確保していた儲けがぶっ飛びつつある状況。国内株式は既に壊滅的だが、私が投資していた外国株もアメリカのインフレ懸念から明らかに調整局面に入っている。その流れは予測しながら、撤退時をしくじって逃げ損なった己の未熟さを恥じるのみ。この行動するべき時に出来ない優柔不断な決断の甘さ(石橋を叩きまくって渡らない)は、万事私の人生の足を引っ張っている。「あの時に決断して行動できいれば」という人生の悔いは枚挙にいとまない。
ちなみに岸田総理は急に投資をするように国民に言い出したが、これはアベノミクス成果偽装のために公的資金でつり上げていた株式相場が限界に来たので、今度は国民の貯蓄を動員して無理矢理支えようという意図が明白。コロナからの回復局面の比較的相場が下がっていた時に投資を開始した私でこのざまなのだから、ホイホイと勧めにのって何も知らずに今頃から投資に乗り出した素人は、下降相場で貯蓄をすってしまうことになるのはほぼ確実。「とにかく物価さえ上がれば好景気」などという珍説を堂々と掲げる経済ズブシロ(一応経済学部出身のはずなんだが)の安倍と違い、岸田はそんな結果は十分了解した上で国民をミスリードしようとしているのだから極めて悪質である。こういう「国民に犠牲を強いてでも安倍の体面を重視する」というのはいかにも現政権らしい姿勢。
昼食は劇場向かいのレレストランで
なんだかんだで時間をつぶしていると、昼食時になってきたので場所を移すことにする。次は昼食を摂る必要がある。国際会館向かいの「ロイン」に入店すると「ビーフカツ定食(1000円)」を注文する。
肉は柔らかいのであるが、やはり価格のこともあってかなり薄いのと、ソースが単純なウスターソース(やや甘めの味付け)であることをどう評価するかである。正直なところ、私の好み的にはやや物足りなさがつきまとう。
昼食を終えるとまだ12時50分の開演までは時間があるので、また店内の混雑具合を見極めつつ、しばし時間つぶし。私が入店した時にはガラガラだった店内は昼食時にさしかかるにつれて急激に混雑し始めて来る。私の滞在が店の迷惑にならないようなタイミングを見計らって店を出ることにする。
劇場へ
劇場は向かいのビルだからすぐである。以前はムビチケで予約してQRコードが送られたら、それを使って発券する必要があったのだが、システム変更でその手間が不要になったようである。
劇場前には映画の宣伝が貼り出されているが、「ククルス・ドアンの島」が今頃映画化されるというのには驚いた。確かに当時からファーストの中では独立性の高い異色のエピソードだったので、膨らませると単編にできるのは分かるが。なおガンダムでも既にオリジナル声優が既に数人亡くなっていることを考えると、こういう往年の名作のリメイクはそろそろ限界時期にさしかかっていることを感じる。なおプロモ映像も上映されていたが、CGも巧みに取り入れたいかにも今時のリメイクであり、まあ良く出来ていそうだ。もっともガンダムに対してそう思い入れのない私(何しろガンダムシリーズで傑作はと聞かれると「Gガンダム」と答える異端である)としては、わざわざ劇場に見に行く気はないが。
なお同じくリメイクの「銀河英雄伝説ノイエテーゼ」の宣伝も貼り出されていたが、こちらは以前に私があまりの駄作ぶりに呆れた作品である。確かに画面はCGなんかも使って綺麗になったのだが、肝心の話の内容がスカスカの上に、「この監督、原作読んだのか?」と疑問を感じるぐらい原作の魅力をそぎ落としてしまった作品だった。こういうのを見ていると、リメイクの問題はオリジナル声優の死去よりも、実は作品を作るべきスタッフのレベル低下の問題の方が大きいような気もする。まあそもそもリメイクに頼るのは、魅力的な新作を作り出す能力や意欲が既にないことの反映でもあるのだが。
劇場で30分ほど時間を潰したところで入場となる。観客は10名ちょっとか。かなりガラガラである。
METライブビューイング ヴェルディ「ドン・カルロス」(フランス語版)
指揮:パトリック・フラー
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:マシュー・ポレンザーニ、ソニア・ヨンチェヴァ、ジェイミー・バートン、エリック・オーウェンズ、エティエンヌ・デュピュイ、ジョン・レリエ
ヴェルディの中期の傑作として知られるオペラ作品。一般的には標題は「ドン・カルロ」とされるのだが、それはイタリア語版の話で、そもそも元のオペラはフランス語で書かれており(ヴェルディはフランス語も堪能だったらしい)、今回はそれに基づいてフランス語上演するので「ドン・カルロス」ということらしい。
とにかく壮大な作品で上映時間は5時間ほど、本編は恐らく4時間ぐらいだろうか。その間、6人の主要キャラクターを中心にガンガン歌いまくるハードな作品なので、なかなか上演は大変で、メトロポリタンでさえかなり意欲的な取り組みだったという。
ドン・カルロスのマシュー・ポレンザーニは、全体的に低音歌手優勢のこの作品の中で、美して力強いテノールで若くて繊細なドン・カルロスの苦悩を表現していた。同じく悩めるエリザベートのソニア・ヨンチェヴァも表現力抜群である。
作品を締めるアクセントは、フィリップ2世のエリック・オーウェンズ。ズッシリと重量感のあるバスで、独裁者でありながら息子と妻のことで苦悩する王を迫力タップリに快演していた。
ストーリー全体を通して主役級に存在感があったのがドン・カルロスの親友ロドリーグを演じたエティエンヌ・デュピュイ。苦悩と覚悟を秘めたロドリーグの心情は観客の心も打つ。最後の場面などは最大の見せ場としての圧倒的な盛り上がりが見事。
大審問官のジョン・レリエはまるでショッカーの首領のような怪しさ全開。冷酷な権力者という側面を見事に表現していた。愛に暴走して結果として2人を不幸にしてしまったエボリ公女のジェイミー・バートンもある種の怪演と言ってもよい見事な存在感であった。
主役2人の実力も見事なのであるが、その回りのキャストの存在感が極めて強く、それが作品全体を見事に盛り上げていた。それがヴェルディのスケールの大きな音楽と相まって一大叙事詩として展開する舞台には知らず知らずのうちに引き込まれてしまい。5時間に及ぶ上映時間を決して長いとは感じさせなかった。
なおヤニック・ネゼ=セガンの体調不良で急遽の代演となったというパトリック・フラーのツボを押さえた見事な指揮にも触れておくべきだろう。とにかく音楽と声楽の絡み合った大パノラマ劇は観客を魅了するに十二分のものであった。
とにかくかなり見応えありで、久しぶりにオペラを堪能という心境になった次第。なかなかに充実した気持ちでこの日は帰途についたのである。