今日は京都訪問
翌朝は7時に起床する。正直昨日はキツすぎたようで、体のあちこちが痛む上にズッシリと重い。目は覚めたもののすぐには動けずしばし布団の上でゴロゴロ。
結局は8時を過ぎてから活動を開始、さっさと着替えると外出する。今日は京都まで遠征する予定だが、まずは朝食。「カフェ・ド・イズミ」を訪ねたらちょうどオープン直後だったので入店。既に店内には常連らしい面々が多数。チキンサンドとアイスコーヒーのセットを注文する。
相変わらずチキンサンドもコーヒーも美味い。ただかなり混雑するのでゆっくりとくつろげる雰囲気ではない。次々と待ち客が押しかけてきたので、朝食を腹に入れるとさっさと店を出る。最近はガイド本片手のインバウンドが多くて面倒。
朝食を終えたところで京都までJRで移動。ただし京都行の新快速は大混雑で京都まで立ち続けなのはいささかしんどい。京都で活動をする前に疲れてしまう。
京都につくと最初の立ち寄り先は駅のド下品で使い勝手最悪のビルの中。
「手塚治虫 ブラック・ジャック展」美術館「えき」KYOTOで10/6まで
医療漫画でありながら、作者の様々な哲学を込めた深いストーリーにより、作者没後の今日でも高い人気を誇るのが「ブラック・ジャック」。本展ではそれらのテーマを読み解きながら生原稿等を展示して手塚治虫の世界に迫る。
というわけで展示は各代表的なエピソードの大雑把な内容紹介及び、その一部の原稿の展示である。そういうわけで漫画家を志す者や手塚のコアなファンとしては興味の持てるところであろう。
しかしながら手塚に対して極端に深い思い入れはなく、さらに漫画家を志す気もその才能もない私(漫画原作者ならギリ可能性0ではないが)としては、そう深い興味を感じるものでもないと言うのが正直な感想。
とは言うものの、そんな私にももう一度本作を読んでみたいという気を起こさせるには十分な内容ではあった。手塚にリアルタイムで触れたことのない今時の若者の場合、どういう感想を抱くだろうかということに興味を感じたりする。
なお実は私は本作については以前に出版された豪華本で全巻を所有していたのだが、それは阪神大震災で喪失しており、もう一度文庫でも買ってみるか・・・という気も起こったのである。改めて手塚の作品の深さを感じた次第ではある。ちなみに改めて眺めると、やはり時代の流れというのは随所に現れていて、一番驚いたのは無免許医師ブラック・ジャックの手術代の相場が大体1000万円前後ということ。現代の感覚では「意外と安い」と感じてしまう。
ブラック・ジャック展の次は地下鉄で烏丸御池まで移動する。展覧会の方の主目的は今回はこちらになる。なお本展のチケットは少しでも経費を節約するために事前にwebで前売り券を購入済みである。
「生誕140年記念 石崎光瑤」京都文化博物館で11/10まで
鮮やかな色彩の花鳥画で近代京都日本画壇を代表する画家で、上村松篁にも強い影響を与えたとされる石崎光瑤の大回顧展である。
1884年生まれ、富山出身の石崎光瑤は12才の時に琳派の絵師である山本光一に師事、その頃から写生に明け暮れていたようである。
19才になると上京して竹内栖鳳の画塾に入門し、写生や古画の模写などでさらに技術を上げていった。
その後、父の死で富山に戻ると立山など登山に没頭し、明治42年には民間パーティー初の剱岳登頂に成功する(この経歴だと完全に登山家である)。そこでも光瑤は草花や山の写生や写真を多数残し、さらには植物標本の採集なども行ったとか。
その後、京都に戻ると栖鳳の元での修行を続け、1912年には文展で初入選、その後も第8回文展で褒状を受賞などの実績を重ねる。
そして1916年、インドに渡ると熱帯のジャングルからヒマラヤの寒冷地までを散策、多くの動植物などの写生を残した。さらに日本人登山家として初めてヒマラヤのマハデュム峰登頂も果たしたという。
その頃、友人の土田麦僊が国画創作協会を創立するが、光瑤はそれには参加せず(特に方針に反対とかではなく、単に踏ん切りがつかなかったという類いの事を本人が後に語っている)、文展にインドでの経験を踏まえた「熱国妍春」を発表して特選、翌年には「燦雨」で2年連続の特選を受賞する。
さらにはヨーロッパ絵画の研究に日本の古画、特に若冲に関心を持って研究を行ったという(当時は現在のようには若冲が注目されていなかった時期)。
昭和になるとたっぷりと余白を取った静謐な世界の追究を行い、この頃の作品は琳派的な装飾性が強くなっていく、そして戦後間もなく62才でこの世を去った。
正直なところ一般の知名度は決して高くなく、私も名前を少し聞いたことがある程度で全く知らない画家であったのだが、今回のこの大回顧展で改めて感心した次第。まだまだ隠れた巨星はいるのかもしれない。なかなかに意義深い展覧会であった。
昼食は京都のトンカツ
展覧会の方の見学を終えるとホールのある北山に移動。入場前に昼食を摂っておくことにする。何を食べるか少し迷ったが、裏手の方にあるかつ善を久しぶりに訪問する。
ここのところは訪問の時間が遅くて営業終了していたり、満席で入店出来なかったり(夫婦経営の小さな店である)で縁遠くなっていたのだが、今回はたまたま入店出来る。「ロースカツ膳(1500円)」を注文する。
いかにも京都的なやや上品なとんかつである。味はまずまず。価格も京都相場で考えると妥当なところだろう。
昼食を終えるとホールへ。大阪では大阪クラシックが本日で千秋楽とのことだが、それと入れ替わりに京都では今日から京都の秋音楽祭が開幕、今日の公演がその開幕コンサートとなる模様。
チケットが安めであることからか、チケットは完売とのことで大入りである。開演前に京都ジュニアオーケストラによるロビーコンサートが。彼らは京響の指導を受けているとのことで、近々能登に慰問するそうでそのためのクラウンファンディング実施中とか。
第28回 京都の秋 音楽祭 開会記念コンサート
[指揮]杉本 優
[ピアノ]高木竜馬
[管弦楽]京都市交響楽団
[曲目]
メンデルスゾーン:トランペット序曲 作品101
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 作品73
音楽祭の開幕に向けて、30代前半のフレッシュな演奏家を揃えてのコンサートとなったようである。
杉本は指揮とピアノで活躍、ヨーロッパでオペラを含むキャリアを重ねてきたという。かつてピアニストとして京響と共演経験があるらしい。
さてその杉本によるメンデルスゾーンだが、若々しさのある元気な演奏なのであるが、残念ながらややオケのまとまりを欠くような気がする。最初の音を聞いた時に「あれ?」と思ったのであるが、京響にしてはやや音楽がばらけ気味で冴えにかける。
ピアニストの高木はエドヴァルド・グリーグ国際ピアノコンクールにて優勝後、7つの国際コンクールで優勝。国内外のオケと共演の実績を重ねてきたという(関西4オケのすべて共演経験あり)。またメディアの出演も多数という辺りは、いかにも今時の若手演奏家である。
その高木でシューマンのウルトラセブンであるが、初っ端からやや落とし気味のテンポでたっぷりと謳わせるロマンティックな演奏である。ただ惜しむらくはロマンティックな割には音色がやや硬質であること。ここでもう少し甘い音色で囁くことが出来れば完全に女性を落とせるイケメンピアノなのであるが、語り口にやや硬さが感じられてそこが微妙に中途半端。決定的な難はないのであるが、どうも私的には最後までノリ切れなかったところがある。
演奏的には一番ノリが良かったのが、杉本も連弾で参加してのアンコールだろうか。どうやらこの2人、同年代であるが元々友人でもあったようである。道理で息は合っていた。
さて後半のブラームスであるが、やはり美しいんだがなぜか心に今ひとつ響かずに音楽が表層的なところがある。また今回最初から終始つきまとっていた「京響の音色ってこんなもんじゃないよな」という違和感。結局はそれが最後まで解消せずに終わった感がある。残念ながら杉本には広上や沖澤ほどには京響を掌握することは無理だったかというのが正直な感想。京響からのベストを引き出すには至っていなかったように感じられてしまって、やや不満が残る演奏だったというのが本音である。
昨日に続いて大分疲れたというのが本音。とりあえず大阪まで戻ったものの疲れからどこかに夕食に繰り出す気力がない。面倒臭くなってエキマルシェのがんこに入店して寿司を少しつまむ。
しかしこれが失敗。何となくネタが水っぽい。〆の処理が今ひとつなんだろうか、ネタの旨味が薄い印象で正直美味しくない。しかもこれで支払が1870円とは大失敗。少々無理してでも新今宮の大興寿司にでも行った方が良かったか。
疲労してホテルに戻ってくると、とりあえず入浴を済ませたがこの日もグッタリ。結局は思い描いていた作業はほとんど出来ずにこの日も布団に転がってボンヤリしたまま一日を終えてしまうのである。
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