雨の中を大阪に出向く
この週末は大フィルの定期演奏会とPACの定期演奏会のハシゴの予定。例によってついでに諸々立ち寄る予定もあるので土曜日の午前中に家を出る。
生憎と外はかなりの雨。今日は三ノ宮のカプセルホテルで宿泊する予定(先週とは違うところ)なので、途中でそこに立ち寄ってキャリーを預けておくことにする。先週は宿泊がカプセルホテルと言うことで、荷物を最小にしてすべてリュックに詰め込んだんだが、その結果として最小構成と言いつつも結構な重量になったリュックのせいで、極端に体力を消耗してしまったという失敗からの教訓。最悪は荷物を預けっぱなしに近い状態になっても仕方ないから、キャリーを持っていこうという結論である。
目的のカプセルホテルは三ノ宮駅の近く。とは言うものの、これだけの雨が降っていたら数分の移動も鬱陶しい。ホテルにたどり着いた時にはずぶ濡れ。とりあえずホテルにキャリーを預けてから大阪に移動することにする。
大阪へは阪急で30分かからない。梅田駅からは地下鉄を乗り継いで北浜へ。最初の目的地はここから少し北に歩いたところにある。
「中国陶磁・至宝の競艶ー上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館」東洋陶磁美術館で'25/3/30まで
大阪市と上海市の友好都市提携50周年を記念して、上海博物館からの収蔵品を当館のコレクションと合わせて展示するという展覧会。上海博物館からの50点には海外初公開作品を19点も含む日本初公開作品が22点、しかも中国の国宝クラスが10点という。
中でも景徳鎮官窯でつくられた「蘋果緑釉印盒」は国宝クラスで海外初出品とか。これはそもそもこれも貴重な鮮やかな紅色をした「豇豆紅」が窯変によって淡いアップルグリーンの「蘋果緑釉」となったという超レアものであるという。何とも言えない深い色が実に美麗である。
面白かったのは、上海博物館の収蔵品と、類似した東洋陶磁美術館の収蔵品を対比展示していたこと。明らかに同じ絵柄の色違いのものとか、宮廷用の食器などは全く同じ絵柄のものがあったことなどから、それなりに量産された高級品だったということが伺えたりする。
以上、正直なところ展示スペース及び点数が限られているので、入館料1800円はいささか高いのではという気もしないでもないが、いつものコレクション展も併せて楽しめばそれなりに堪能できる。なおやはり私は織部が好み。
東洋陶磁美術館の見学を終えると、喫茶で一息と思ったのだが、かなり混雑している模様なので先を急ぐことにする。とりあえずは今日のコンサートのあるフェスティバルホール方面まで中之島を散策。ただ雨が結構降っているのがいやらしい。
フェスティバルホールに到着すると、もう既にお昼を回っていることだしとりあえずは昼食にすることにする。とは言うものの例によってめぼしい店はなし。結局は「麒麟のまち」に入店して鳥取名物盛り合わせの「きりん御膳(1000円)」をいただくことにする。
よくよく考えると、結構これを食っている気がする。贅沢な感じはないが、不思議に体に馴染む内容。やっぱり私もジジイになってくると和食が一番しっくりくるようになってきている。なお概ね美味いが、以前から鳥のうま煮が胸肉のせいかいささかパサつくのと、水ダコが少々硬い(噛み切れないので飲み込むような形になる)のは気にはなっている。
昼食を終えるとまだ開場までに時間があるのでもう一カ所立ち寄る。ここだと雨にぬれずに行けるのが良いところ。
「法華経絵巻と千年の祈り」中之島香雪美術館で11/24まで
法華経は釈迦が誰もが仏になれることを説いた日本で最も信仰を集めている経典である。その祈りの物語である「法華経絵巻」の修復が終えたことを記念して、法華経に纏わる文化財を展示するとのこと。
正直なところ、展示物は色褪せて何を描いてあるのかがしかと判別しがたいような曼荼羅絵や、金泥で写経したものとかの類いであり、個人的にはあまり興味を持てないものが多く、あまり面白くないというのが私の正直な感想である。
しかし今回初めて、今まで漠と感じていた疑問の数々、例えば私の認識では哲学である儒学がなぜ中国最大の宗教として仏教などと同列で論じられるのか、また仏教を東洋を代表する哲学として扱う事例があることなど、さらにはキリスト教などの聖書は、その中身は昔話的なものばかりであることなど、今までどうにもしっくりこずにいたことがすべてつながった。
経文の中身が「釈迦はこうおっしゃった」で始まる説話なら、それはまさに儒教の「子曰く」と全く同じである。さらには経文の中身が釈迦の思想を説明するための物語も交えての説話なら、それは昔話ばかりが並ぶ聖書と同じである。恥ずかしながらここで初めて私の頭の中でこれらが同一次元のものとしてつながった次第。どうしても経文は日本人にとっては無意味な漢字の羅列に見えてしまうため、それの意味を考えたことが今までなかったことに改めて気付いた。正直なところ、本展を見学しての個人的な一番の収穫はこれだった。
要するに私がもし鷺教の教祖になったとしたら、私の言行録が死後に弟子たちによって執筆され、それが聖書となり、私の語ったとされる言葉や物語などが教えとして残るということか。なら鷺教の人生のあり方は「みんなで幸せになろうよ」で、「人間、楽をするための手間を惜しんではいけない」とか「遊ぶ時は真剣に、仕事の時は遊ぶように」なんてのがありがたい教えということになるのか(笑)。うん、このブログなどまさにありがたい聖典になりそうだ(笑)。
美術館の見学を終えた時には既に開場時刻となっていた。とりあえず向かいのホールに向かう。
ホールに到着したら何やら張り紙が出ている。ピアニストのクーパーが転倒で負傷したとのことで、急遽ピアニストが田部京子に変更とのこと。今年の大フィルはどうなってるんだ? これで直前での演者変更は何度目だ? その上に今年は演者変更になった公演は残念ながら大抵ハズレである。何やら嫌な予感がする。
開演までしばしあることから久しぶりにアイスコーヒーで一服。ここのアイスコーヒーは意外に口に合う。ということは本格的なものではないということだろう(笑)。
開演時刻が近づいたところで入場。入りは7~8割というところか。メインがドボルザークのマイナー交響曲である上にこの天候なので、会員で来なかった客が結構いそう。
大阪フィルハーモニー交響楽団 第582回定期演奏会
指揮/バーティ・ベイジェント
ピアノ/田部京子
L.ブーランジェ:交響詩「哀しみの夜に」
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
ドヴォルザーク:交響曲 第7番 二短調 作品70
ペイジェントはイギリスの新進気鋭の若手指揮者のようである。その若手の一曲目は24才で亡くなったという女性作曲家ブーランジェの曲。生まれつきクローン病を患っていた彼女は、若い頃から作曲の才能を示したが、この曲を作曲した頃には既にかなり体調が悪化し、病床で書いた曲らしい。そのせいか、かなり重苦しい曲調から始まる。
時代的にドビュッシー辺りと被るとか。だから現代音楽までは行かなくて近代音楽といったところ。曲は重苦しくゴチャゴチャと始まったところから、激しく盛り上がって最後は静かな中に最後の光明を見いだすかのような美しい音楽で終了するという、作曲家自身の心情を反映していると推測できる内容。
曲自体はいささかゴチャゴチャしたところがあって分かりにくい。決して難解な曲ではなさそうなんだが何とはなくしっくりこなかったところがある。
その後は12型に一旦編成を縮小してのモーツァルト。ペイジェントの演奏はピリオドで結構粛々と進める。それに対して田部のピアノであるが、かなり揺らしもある演奏。その揺らしも溜よりも入りのつっかかりが強いような印象で、聴いていると時々つんのめりそうになる私の苦手なタイプの演奏。またバックのオケが結構淡々と進めるのでそれとのマッチも決してしっくりいっているとは言い難いところが。
田部のアンコールはかなり現音的な曲だと思ったが、後で曲名見たらグリーグだったらしい。グリーグには聞こえなかったんだが・・・。どうもそういうタイプの演奏家のようである。
さて後半は16型に戻してのドボ7。先ほどの演奏から、ペイジェントは淡々とした演奏で来るのかと思っていたら、案に反して結構振幅をつけた無機質ではない演奏である。
とは言うものの、いちいち揺らしや振幅などの演出が、演出のための演出になってしまっている感があり、「なんでここにアクセントを?」というような頭の中が疑問符で一杯になってしまうような奇妙な演奏。第一楽章は緊迫感皆無の緩い演奏だし、第二楽章はテンポを落とすのはともかくとして美しいというよりも眠い演奏。そして第三楽章は無駄にせかせかと急ぎ、舞踏のリズムにしては途中で変なアクセントのせいで蹴躓く。そして最終楽章は空騒ぎからの緊張感のないフィナーレへと。全体的に表情付がギクシャクした演奏になっている印象。
正直なところ、私の思うところのこの曲の演奏とことごとく反対をやってくると感じたのが本音。例えば私なら第一楽章はやや重苦しい緊張感が張り詰めた演奏にし、第二楽章は一転して美しさを前に出す。第三楽章は軽快な舞踏の音楽の中に、一抹の哀しさが垣間見えるような演奏にし、最終楽章は再び緊張感の中で勝利のクライマックスに向かっていくという演奏にするところである。
とにかく聴いていてドボルザークらしくないというか、私に言わせれば「ドボルザークの良いところをすべて削ぎ落としてしまって、指揮者が独りよがりな自分の音楽を展開した」という印象を受ける。私からしたら若手指揮者の若さゆえのしでかしとしか感じられなかった。
というわけでとにかく私とは極めて相性の悪い演奏だったということである。これは好みの域の問題であるので、斬新で面白い演奏だったと感じる観客がいてもそれには驚かない。まあ実際に終演後にはそれなりに拍手はあったし(私は今回に限っては拍手をする気にならなかった)。
三ノ宮のカプセルホテルで一泊
残念ながら今回の公演は大きな不満を抱いて撤退することになってしまった。さてこれからだが、これでもう今日の予定は終了である。明日に備えてホテルに向かうことにする。ホテルは三宮の神戸サウナ&スパ。先週のカプセルホテル三ノ宮が大浴場のあるカプセルホテルだとしたら、今回のはカプセルホテルもあるスパ銭というところ。どちらかと言えば万葉倶楽部などに近いか。
チェックインすると荷物はロッカーへだが、かなり細いロッカーなので、私の小型キャリーやリュックは押さえつけて何とか押し込む状態。なおここで館内着に着替えだが、これが本当に全裸になってすべて着替えるというパターン。最初は下着をつけたまま館内着を着て大浴場に行ったら、脱衣場がなくて驚いた。つまり裸の上から館内着をつけて、浴場ではそれを脱ぎ捨てて入浴し、入浴後は新しい館内着に着替えるということのようだ。これを最初は理解していなかったせいで、ロッカーのフロアと浴場のフロアを何度も往復することになった。
大体のシステムを把握したら、一応はカプセルルームの方もチェックしておく。カプセルルームのシステムはカプセルホテル三ノ宮のものと酷似したもので、こちらの方が大分新しいというだけ。一応はカプセル内にコンセントもあるようである。
ベッドを確認したところで入浴することにする。さすがに大浴場は充実している。最近人気のロウリュウもあるサウナに、内風呂と露天風呂。天然温泉との表記があるが、泉質表示はなく、まあ六甲の湧水を沸かしたというところだろうと推測する。
露天風呂で体をほぐすとしばしマッタリとする。何だかんだで今日も中之島ウォークが効いたのか、1万4千歩越え。結構体にダメージはある。それにしてもやっぱり大きな風呂は良い。足を特にしっかりとほぐしておく。なお実は私はあまり得意ではないのだが、一応はロウリュウサウナも体験しておくことにする。それでなくても熱いサウナの中が一気に熱気に満たされる感じでかなりキツイ。やっぱり私にはサウナは合わないか、あまり「整う」という感覚はなく、単に「疲れる」という感が強い。
入浴でくつろぐと、館内のレストランで夕食にする。今回は夕食付きのプランにしてある。周囲は三宮の繁華街なので外に夕食に出ても良かったのだが、私は「絶対に面倒くさくなる」という自信(笑)があったので、夕食付をチョイス。結果としてそれは正解。豚の生姜焼き定食を頂いたが、まあ普通にそこらの定食屋レベル。まあこれなら特に不満はない。
夕食を終えると仕事の時間。カプセル内でpomeraを出して来ての作業になると思っていたのだが、何とここにはビジネスルームなる設備があってコンセントにスタンド付きのデスクがある。今回キャリーを持参した関係で、十中八九無駄になると思っていた持参PCがここで役に立つことになる。しばし執筆作業を行うことにする。
しばし原稿作成作業の後には再びレストランに行って、就寝前の宇治金時ドーピング。これでサッパリしたところでカプセルルームに移動して就寝する。
この遠征の翌日の記事