徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

国立博物館と国立近代美術館を鑑賞してから、アクセルロッド指揮の京響のコンサート

京都の美術館巡りから始める

 疲労が溜まっていたので昨夜はやや早めに就寝、老化のせいで何度か途中覚醒はあったが目覚ましをかけていた7時半まで概ね爆睡である。ただそれでも朝からスッキリとはならないのはこれまた老化の悲しみ。

 目が覚めるととりあえず朝食に繰り出す。馬鹿混みのレストランでバイキング朝食。内容的には品数の少なさは否定できないが、まあこんなものというところか。

バイキング朝食

 とにかく体がダルいのでチェックアウトの10時頃までブラブラと過ごす。まあ早朝からドタバタしたくないが故の前泊なのでこれは正解だろう。さて今日の予定であるが、メインは京響のコンサート。それまでに京都国立博物館と近代美術館を訪問する予定。

 ホテルをチェックアウトすると九条駅のバス停から国立博物館へ移動する。当初は地下鉄とバスを乗り継ぐつもりだったが、どうやらバス1本で東山七条まで行けるようなのでそれを利用する。乗車10分ちょっとぐらいで東山七条に到着。キャリーをゴロゴロ転がしながらバス停から国立博物館まで移動する。会場の混雑を警戒していたが館内の観客はまあ正常。

国立博物館の観客の入りはまあ普通

 

 

「日本、美のるつぼ-異文化交流の軌跡-」京都国立博物館で6/15まで

やはり一番目を惹くのはこの2つか

 世界にも通用した日本の美というものは様々あるが、それら自体も単純に日本だけで発祥したわけではなく、日本古来の文化に海外からの文化の影響が入り交じって昇華された形で発展していった物が少なくない。そのような日本美術における異文化交流の軌跡を辿るとした展覧会。

 まず展覧会冒頭部分では、明治期の万国博覧会に日本政府が日本文化の粋として送り込んだ作品群が登場する。それらは圧倒的な技術を誇る工芸品など、まさに日本美術を代表するような銘品たちである。中にはジャポニズムブームの中でヨーロッパの芸術家たちにも大きな影響を与えた「Big Wave」こと北斎の「神奈川沖浪裏」、琳派の祖といわれるようになった俵屋宗達の「風神雷神図屏風」なども含まれている。

 ここまでがいわゆる前座であって、ここからが異文化交流となる。まず日本は古来より中国など東アジアとの交流が盛んであり、中国伝来の銅鏡なども多数出土している。そのような逸品やまた当時の中国の銘品・唐三彩なども展示されている。

 また中国から伝来した仏教も日本の文化に大きな影響を与えた。そのような仏教に纏わる品々。さらに当時の日本人にとって憧れであったいわゆる唐物の茶器や書画などの銘品も展示されていて、当時の雰囲気を伝えている。

福建省出身の仏師・笵道生の「羅怙羅尊者像」
羅怙羅が「自分の中に仏がいる」と胸を開いて見せたところだとか

 さらに時代が下ると日本は西洋文化と遭遇する。そこでも貪欲に海外文化を吸収する。南蛮屏風などの憧れの西洋を描いた作品、さらには西洋の品々をコピーしてアレンジした作品が登場するのがいかにも日本的。そしてそれらは最初は模倣から始まって、やがては日本流のオリジナルへと昇華していく。そして江戸時代になってくると、西洋技術の導入なども行われていくことになる。

 このように「世界の中での日本」の発展の歴史が垣間見える展示で、日本が決して単独で進化したわけではなく、それは諸外国との相互作用によるものであったことを痛感させられるのである。日本の手業などにも感心させられた展覧会であるが、日本人の異文化吸収への柔軟性も感じさせる物であった。しかし昨今のやたらに意味もなく日本の優位性を主張して海外文化を蔑視する連中や、職人などの技を軽視して「勉強しないとあんな仕事をしないといけなくなる」と子を躾ける馬鹿親などを見ていると、日本文化もこれから先は衰退していくのではと懸念せざるを得なくなるところでもある。

ちなみに次の出し物はこれ

 国立博物館の見学を終えると、次の近代美術館への移動もバスを使用する。86系のバスが1時間に2本出ているのでそれを利用。ただやや遅れて到着したバスは馬鹿混み。キャリーを持っての乗車が憚られるが、そんなこと言っていたら今日のインバウンド全盛の京都では全く移動が出来ない。結局はやや強引に乗り込むことになり、バスはそのまま清水寺最寄りの五条坂までは大混雑。そこからは車内が空くのでようやくゆったりと座席に座れる。目的の美術館前に到着する頃には車内はガラガラ。

近代美術館に到着

 

 

「若きポーランド-色彩と魂の詩1890-1918」京都国立近代美術館で6/29まで

 1795年にポーランドは、国土をロシア、プロイセン、オーストリアなどの周辺の大国にに分割占領され地図上から消滅、再び国家として成立するのは1918年の第一次大戦の終結を待つことになる。この間、ポーランド人のアイデンティティとして文化や音楽、絵画などの芸術が古都クラクフを中心に発展したという。そのようなポーランド独自の文化を絵画を中心に紹介している。

 19世紀後半にポーランドの歴史などを描いて名声を博したのがヤン・マティコである。いかにも伝統的な歴史絵画という雰囲気の堂々とした作品が多い。

ヤン・マティコ「ポナ王妃の毒殺」

ヤン・マティコ「盲目のファイト・シュトスとその孫娘」

ヤン・マティコ「1683年、ウィーンでの対トルコ軍勝利伝達の教皇宛書簡を使者デンホフに渡すヤン3世ソビェスキ」

 彼の次の世代に当たるのがヤチェク・マルチェフスキで、彼は歴史的事実と同世代人の心情をリンクさせ「若きポーランド」を代表する画家となった。彼の作品は色彩的であるのも特徴で、神話の伝承とポーランドの風景を組み合わせた連作「ルサウキ(ルサールカたち)」が展示されている。

マルチェフスキ「ルサウキより《憑依》」

モウズイカの妖精

死を面白がって

 

 

 さらに「若きポーランド」では象徴主義的傾向が顕著な自然表現が現れるようになる。感情などの精神状態が反映された作品が登場することになる。

フェルディナント・ルシュチツ「冬のお伽噺」

コンラッド・クシジャノフスキ「フィンランドの雲」

スタニスワム・カモツキ「チェルナの僧院の眺め」

スタニスワフ・ヴィスピャンスキ「夜明けのプランティ公園」

ヤツェク・マルチェフスキ「春」

ヴォイチェフ・ヴァイス「ケシの花」

 

 

 なお「若きポーランド」にもジャポニズムの影響があったという。次のコーナーには日本美術コレクターで美術批評家であったフェリクス・ヤシェンスキに関しての展示がある。彼は北斎に心酔し自ら「マンガ」と名乗ったという(北斎漫画のことだろうか?)。彼のコレクションに触れることで「若きポーランド」の作家達が日本美術を知ることが出来たのだという。

ヤチェク・マルチェフスキ「フェリクス・ヤシェンスキの肖像」

レオン・ヴィチュウコフスキ「オルガンに向かうフェリクス・ヤシェンスキの肖像」

 そして日本からインスピレーションを得た作品が登場する。

ユゼフ・パンキェーヴィチ「日本女性」

レオン・ヴィチュウコフスキ「日本女性」

オルガ・ボスナンスカ「散歩より《白いドレスを着た夫人》」

ボズナンスカ「菊を抱く少女」

 

 

 さらには田舎暮らしへの憧れを示す風景、伝統を取り入れた家具やテキスタイルなども登場することになる。

ヴウォジミェシュ・テトマイエル「芸術家の家族」

キリム

ショールにナプキン

家具

カジミェシュ・シフルスキ「フツルの人々の結婚行列」

カジュミェシュ・シフルスキ「春」(ステンドグラスのための習作)

 最後はいよいよ近代でポーランドの独立を願うメッセージを込めた作品などになる。

レオン・ヴィチュウコフスキ「スタンチク」

ヤツェク・マルチェフスキ「義勇軍のニケ」

 以上、どうもポーランドと言えば分かりにくい映画などのイメージがあったので、奇っ怪なものが登場するのではという警戒もあったのだが、年代的に近代以前ということとヨーロッパ周辺地域と言うことで、あまり先端的な尖った変な作品がなかったのでむしろ共感しやすかったという印象である。

 

 

 そろそろ時間が気になりだしたので、今まで何度も見学している常設展はすっ飛ばしてホールへ移動することにする。東山から地下鉄で北山に。開演までに昼食を摂っておく必要があるが、時間の余裕はそうはない。「東洋亭」はどうせ絶望的だから諦めるとして、恐らくトンカツの店はもう昼営業終了、「進々堂」を覗くが待ち客が十人以上いるのをみて諦める。結局は工夫もないが「よしむら北山楼」に立ち寄ることに。13組目とのことだが、そば屋は回転が速いし、ちょうど昼時を過ぎたタイミングもあって客の入れ替わりが激しく、10分ちょっとぐらいで入店できる。

今回も昼食は「よしむら」

 注文したのは季節膳という「春和」。よもぎのそばはともかくとして桜の出汁は賛否両論ありそうなところ。私は若干否定的。天ぷらは美味い。またニシンのご飯が若干生臭さをかんじるもののまずまず美味い。ただこの店にいつも感じることだが、どうも二八がパサッとしてるんだよな。

季節前の「春和」(2300円)

 昼食を終えるとホールに向かう。今日が新シーズンの開始となるが大入りである。当日券販売なしとの表示が出ていたが、もしかして完売か? 

京都コンサートホールへ

 

 

京都市交響楽団 第699回定期演奏会

今回も3階正面席

[指揮]ジョン・アクセルロッド
[ソプラノ]森 麻季★
 
チャイコフスキー:幻想序曲「ハムレット」op.67a
R.シュトラウス:4つの最後の歌★
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」

 一曲目はチャィコのハムレット。ちょうど幻想序曲「ロメオとジュリエット」に曲想が似ている。内容的にはかなりドラマチックで起伏の激しい曲。アクセルロッドの演奏もかなりメリハリを強調したもので、なかなかに華々しい印象。

 二曲目はR.シュトラウスの歌曲。とは言うものの、やはりR.シュトラウスだけあってバックのオケの効果が結構華々しい。こういうキラキラとした演奏には森の声質はマッチはしているのだが、ややか細さを感じるところがあった。私のいる3階正面席だとやや距離を感じた。声量を抑えると音が通らなくなるのはやや不満。

 休憩を挟んでの後半は悲愴。悲愴の演奏には様々なタイプがあり、張り詰めた緊張感の中で切々と奏でるポリャンスキーや、一転して迫り来る運命を快刀乱麻して生命感漲るバッティストーニなどあらゆるタイプに出くわしてきた。その経験から行けばアクセルロッドの解釈は比較的オーソドックスに感じられる。

 冒頭からやや落とし気味のテンポで悲しげな音楽を切々と訴える。時折激情が爆発するそのメリハリが強いのがアクセルロッドの特徴。かなり振れ幅のある指揮になるのであるが、京響もよくそれに追随していると感じる。

 シニカルな第二楽章、大爆発の第三楽章を経て、クライマックスの身を切られるまで切なさ。京響には例によっての冴えとキレがあり、まずまずの演奏。場内もかなり盛り上がっていた。

 流石に京都コンサートホールの客は慣れていると感じたのは、第三楽章終了後に誰一人拍手しなかったこと。これがソリストに辻井を迎えての公演とかだと、ここで大拍手が起こるのが常。そうでなくても数人パラパラとやってしまう例が多いが、ここで全員が息を呑んで最終楽章を待っていた。そして演奏終了後も場内が静まりかえり、アクセルロッドの硬直が解けてから爆発的な拍手。うん、やはりクラシックの観客はかくあるべき。ブラボーの声も沸き起こったが下品な汚声はなし。

 

 

 コンサートを終えると大阪まで移動する。明日はフェスティバルホールでの都響の公演なので大阪で宿泊する予定(そもそも京都のホテルでの週末宿泊は価格が高すぎる)。宿泊はいつもの定宿ホテルサンプラザ2ANNEX。何か最近はここに戻ってくると家に帰ってきた気がするようになってきた。

いつもの定宿に到着

 部屋はいつもの三畳和室。布団を敷くとゴロンと横になりたくなるが、それをしたら最後、そのまま動けなくなる予感がしたので、勢いのまま夕食に繰り出す。と言っても新世界まで繰り出す気力も体力も無いので、ホテル向かいの「天龍ラーメン」に行くことにする。

夕食は近くの「天龍ラーメン」で済ませる

 注文したのは天龍ラーメンと焼き飯のセット。ここのは体調によっては塩っぱく感じることもあるのだが、今日は無性に美味い。やはりかなり疲れている。

セットの焼き飯

そして天龍ラーメン

 夕食を終えて部屋に戻り、布団に横になるといよいよ何も出来なくなってしまった。仕事環境は何とか構築したものの、PCに向かう気力が皆無で頭の方も考えがまとまらない。結局はそのままボンヤリとタブレットでコミックに目を通していたら23時。体がやや汗ばんでいるので流石に風呂には入らないとと体にむち打って大浴場へ。

ようやく組んだ仕事環境は完全に無駄に

 汗を流して戻ってくるといよいよ動けなくなる。今日は1万歩も歩いていないはずなんだが・・・。どうも単純な体力消耗だけでなく、いささか暑さが入ってしまった気がする。とにかく今日の京都はやけに暑かった(そのせいで全身汗ばんでいるんだが)。軽い熱中症にかかったのではとの気もする。これはどうにもならないのでさっさと就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work