永平寺に参拝することにする
翌朝になると声はガラガラだが何とか喋れるようにはなっていた。しかし体が異様にだるい。朝風呂で体に活を入れるが、だるさは根本的には解決しない。
朝食はオーソドックスな和定食。干物に温泉玉子にノリや漬け物といったところだ。シンプルだがご飯はうまい。
旅館を出たのは9時。今日は永平寺にでも立ち寄ってから帰るつもりである。福井市街を横断して山際の永平寺までは40分程度。
門前は土産物屋で賑わっているが、その呼び込みが鬱陶しい。土産物を購入するなら土産物屋の駐車場に車を置けば良いが、土産物を買うかどうかは分からないのでこれらをパスして門正面の有料駐車場に車を置く。
門から先は鬱蒼とした雰囲気である。永平寺は禅宗の修行の寺で、今でも多くの修行僧がいるという。ただその一方でかなり観光客慣れしているのも明らか。自動券売機で拝観券を購入すると、後は広間で内部の案内や注意事項の説明などがあり、その後は順路にしたがって見学というようにかなりシステマチックに観光客を動かすようになっている。そういう点では修行の場という割にはかなり俗世的でもある。観光客も修行をしたいと思ったら体験できるそうな。
手前の傘松閣には天井一面に花の絵が描かれている。これは貴重なのでストロボを炊かないでくれとの注意が事前にあったが、部屋が薄暗いので外国人の団体は当然のようにそんな注意は無視してストロボを炊きまくり。また日本人でもストロボの切り方を知らない輩がいる。
永平寺の伽藍を見学
永平寺の本体は日の字型に配されており、中心に仏殿があり、奥に法堂がある。これらが斜面に配されているので結構階段の上り下りがある。
表の山門はかなり大きな門で、門番のように左右に多聞天、持国天、増長天、広目天のいわゆる四天王が守っている。比較的新しいのか色彩も豊かで造形も面白い。海洋堂辺りのフィギュアで出しても人気が出そう。
寂光苑と玲瓏の滝を見学する
永平寺の見学後は寂光苑へ。ここは所謂公園のようになっている。ここには自由に撞いてよい鐘があるので思い切り鳴らす。なかなかの重低音。しかも唸りが1分以上経っても消えない。低周波の共振というのはエネルギーが大きいのでなかなか衰退しないということを身をもって体験できる。なるほど、地震の長周期震動が大変なわけである。
寂光苑の手前には玲瓏の滝がある。そう大きな滝ではないが、水の流れ方に風情があって実に絵になる。
永平寺の見学を終えたところで帰宅することにする。ただもう昼時なので途中の店でそばを頂く。三色のそばにごま豆腐と生麩を付けた典型的な観光客向けのランチだが、味は悪くない。もっとも1500円は観光地価格。
ちょっとしたアクシデントから丸岡城に立ち寄ることに
昼食も終えたし、後は福井北ICから北陸道に乗って帰宅・・・のつもりだったのだが、高速の入口を過ぎたところで米原方面行きの入口を塞ぐように工事車両が連なっていたせいで入り損ねて金沢方向に進んでしまうことに。仕方ないので次の丸岡ICで高速を一旦降りるが、このまま引き返すのも癪なので数年ぶりに丸岡城に立ち寄っていくことにする。
丸岡城は現存天守の一つであるが、残念なのは天守は現存しているもののそれ以外の遺構がほとんど残っていないこと。さらに言えば現在の天守も福井地震で一度倒壊したものを、なるべく元の材料をそのまま使って復元したものである。天守は非常に急な階段(というかほとんど梯子に近い)が特徴で、観光客のためにロープがつるしてある。ここを登る時は足腰がしっかりしていることが前提。今の私は若干目眩があるのでかなり怖かった。なお階段のところにはしっかりと「なお、君もしくは君の仲間が階段から転落し、あるいは大怪我を負っても当局は一切関知しないからそのつもりで」という主旨の警告が貼ってある。ミッションインポシブルな天守なので、登る時にはあくまで自己責任で。
丸岡城の最大の特徴は石瓦にある。寒冷地にある城なので、焼き物の瓦だと寒さで割れてしまうことから地元で産する笏谷石を瓦にしている。
天守からは辺りを一望できる。かつては周囲を水堀で囲われていたらしいが、それらは今では完全に埋められている。現在資料館があるのは当時の堀の中、現在高校があるところがかつての二の丸だという。なお丸岡城は現存十二天守の中ではやはり一番残念な状態にあることから、堀を復元するという計画もあるらしい。ただ公園になっている部分は良いとして、住宅になってしまっている部分もあるので完全復元は難しかろう。さらにやはり門なんかも復元した方が格好はつく。
丸岡城から降りてくると、麓の土産物屋でよもぎソフトで一服。ソフトにきな粉が振りかけてあって小豆も添えてあるという和風ソフトである。結構私好み。
これで完全に全予定終了。後は北陸道から名神へと乗り継いでの帰宅と相成ったのだが、これがかなり長い行程の上に相当体にダメージが来ていることから思いの外辛かったのである。アクセルを踏んでいる右足は山登りのダメージで攣りそうになるし、気を張っていないとすぐに意識は飛びそうになるし。結局はSAごとに休憩を取りながらフラフラになって帰宅したのであった。
福井が思っていたよりも遠かったのと、私の体力が思っていた以上に低下していたのが計算違いだった。なおメイン目的のライブはどっちもそれなりで、その分を山城遠征や美術館で埋めたという印象の遠征であった。それにしても落ちた体力とその分増えた体重を何とかしないと・・・。