徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

静岡山城巡り(社山城、久野城)

岡崎城を見ながら洋朝食

 翌朝は7時に起床、シャワーで目を覚ますと岡崎城が見える最上階のレストランで朝食。和食系おかずの品数はあまり多くなく、洋食中心のバイキングである。とりあえず燃料補給。

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洋朝食

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レストランからは岡崎城が見える

 今日はかなり動き回る予定になっているので、8時過ぎにはチェックアウトする。しかし岡崎ICから高速に乗った途端にいきなり渋滞。シルバーウィークのトラップに早速はまってしまったようだ。ここでかなり時間を浪費する。

 

 

社山城を攻略する

 今日の最初の目的地は社山城。県道44号線を新名神の手前まで北上し、右手の山の手前にある諏訪神社を抜けてさらに進んでいくと案内表示がある。山道の手前に車一台分ぐらいのスペースがあるので、そこに車を置いて山に登ることにする。何だかんだでここに到着した時には既に10時を回っていた。

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周辺マップ

 社山城は築城年代は不明であるが、1501年頃の斯波氏氏と今川氏の抗争で今川氏の支配下となるが、その後の今川氏の没落で徳川氏の支配下に移行、武田氏の上洛の際には抗争の場となったという。しかし武田氏の滅亡で存在価値がなくなり、その後の徳川氏の関東移封で廃城となったとのことである。

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本体縄張図

 山道を10分も上がれば一の郭に到着する。山道もしっかりと整備されているし、ハッキリ言って楽勝と言っても良いような道なのだが、それでも息が上がってしまうのが現在の私の体力の情けなさ。

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ここが入口

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山道を進む

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土橋で堀切を越える

 一の郭は神社になっている。それなりの広さはある曲輪であり、奥には土塁も見られる。

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一の郭に到着

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一の郭は神社になっている

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奥には土塁もある

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一の郭奥の帯曲輪

 隣の二の郭との間には幅広い堀切で分かたれており、二の郭の手前には櫓があったと思われる小高い部分があり、ここには現在は稲荷社が置かれている。

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一の郭から二の郭を見る

 二の郭はかなり奥に深いようであるが、その奥は鬱蒼としており進む気にはなれない。基本的にはこの二つの郭からなる単純な構造の城郭だが、回りの地形が切り立っているので防御力は高い。

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二の郭上はかなり鬱蒼としている

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手前の小高い部分に稲荷社が

 社山城見学後は久野城へ移動することにするが、その前に一仕事。実は来年のPACのチケットの販売日が今日の10時から。先ほど登山の前にHPに接続してみたのだが、毎度のように非力なPACのサーバーは落ちてしまっていて接続不能だった。あれから30分ほど経ったので再び接続してみる。最初はつながらないが何度かトライした後にようやく接続でき、何とか目的のチケットを確保。どうも最近は山の頂上でチケットを手配したりとかこんなことが多い。

 

 

久野城を攻略する

 久野城は再び東名高速近くまで南下して、袋井ICのやや東の田んぼの中の小さな小山の上にある。近くまで来ると案内看板も整備されており、駐車場も完備。私の到着時はちょうど地元の保存会の方々による下草の伐採作業が終了した直後であったらしい。地元の方々の愛着のほどが覗える。

Googleマップの表示はいささか見当違いな場所を示している

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久野城縄張図

 久野城は今川氏麾下の久野宗隆が築いた城だが、孫の宗能の時代には徳川氏の麾下となり、小牧長久手の戦いなどで戦功を上げたという。徳川氏の関東移封後には丹波より移った松下之綱が城主となり、その後何人かの城主を経て1644年に廃城となったという。四方に堀を巡らせた堅城であり「当国第一の要害」との記録も文書に残るとのこと。

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駐車場脇に整備された登城口が

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ここで分岐して

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手前が北の丸

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北の丸から主税屋敷方面を仰ぐ

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これは三の丸

 城の規模自体はそう大きくはないのだが、多数の曲輪が連携して防御できる形になっており守備力は高い。また井戸も本丸下にあるので水の手も確保されている。かつてはこの周囲に堀を巡らせてあったらしいから、確かにかなり難攻不落要塞であったと思われる。

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本丸方向に登ると

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途中にあるのが二の丸

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手前に井戸がある

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井戸には今も水が

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本丸方向を見あげると巨大看板が

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奥に長い二の丸の先端が高見

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城の南方向を監視できる

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振り返るとこの距離

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二の丸から大手方向を見下ろす

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ここが最上段の本丸

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本丸も結構広い

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このようなところはすべて堀だったんだろう

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東の丸

 比較的小規模なのが幸いして全体の構造が非常に把握しやすい。また地元の方々の努力による整備が行き届いているので見学がしやすい。これはなかなかに初心者にもお勧めしやすい城郭である。こういう見学しやすくて分かりやすい城郭というのは意外と少ない。これは余裕で続100名城Bクラス相当だと考える。

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