さて無事に2017年を迎えることとなった。今年は良い年であって欲しいところだが、新年早々これから世界最大の問題となるであろうと思われるアメリカの馬鹿大統領がトヨタを恫喝するなんていうろくでもないニュースが飛び込んできている。それにしても予想以上にトランプは無能なようだ。アメリカのアホな有権者に媚びを売る方法と、大統領としての政策の区別がついていない。やはり財界出身とは言ってもまともな手法で商売をしてきていないというのが現れている。以前よりアメリカの根本原理はジャイアニズムだと言われているが、これからはより露骨にジャイアニズムをむき出しにしてくることが予想される。しかしこの難局に日本の指導者がアメポチしか知らない無能の安倍とは・・・。
何やら波乱含みの2017年開始だが、世界情勢はともかくとして、私としては淡々と日常を送っていくしか目下のところは仕方ない。と言うわけで本年最初の遠征としたい。
今年最初の遠征先は鳥取。かなり唐突な目的地選定であるが、ここで鳥取が浮上した最大の理由は、鳥取地震復興絡みで三朝温泉の宿泊補助券が発行されることになったから。三朝温泉は去年訪問しているが、なかなかに名湯であることは確認している。そこで新年開始の骨休めとして三朝温泉の訪問を計画した次第。
特急いなばで鳥取入り
鳥取への移動は土曜の朝。新快速から上郡で特急いなばに乗り継ぐ。いなばの車両は気動車のキハ187だが、スーパーはくとに比べると車両にはくたびれ感が漂う。私の席なんか前のテーブルが歪んでいる。走りはスーパーはくとに比べると鈍重感がある上に車両の細かい揺れが多い。
智頭急行線のトンネルの連続を抜けると30分強で智頭に到着。ここで乗員の交替があるようだ。数分の停車後再び走り出すが、それにしてもよく揺れる車両だ。トイレに行くだけでも一苦労。車内で原稿書きをしていたら酔いそうになる。
毎年、冬の山陰は雪を警戒して鉄道で来るのだが、今年も見事に沿線には雪の気配さえ全くない。これは車でも来れたな・・・。次回は車を考えるか。
1時間強でようやく鳥取駅に到着。山陰は寒かろうとやや厚着で来たのだが、案に反してあまり寒くない。降り立った鳥取駅ではしゃんしゃん傘踊りの歓迎。
鳥取での移動はレンタカーを借りることにしている。送迎車が来るはずだったのだが空港方面に出払っているようで、タクシーでオリックスレンタカーまで移動。今回貸し出されたのはマーチ。私にとってはあまり好きな車ではない。実際に走ってみるとパワー不足が際だつ車である。
漁港で昼食に海鮮丼を頂く
さてこれからどうするかだが、もう昼前だし何はともあれ昼食を摂る必要がある。とりあえず鳥取漁港を目指し、市場の中の「賀露幸」で海鮮丼を頂くことにする。
うーん、漁港飯と言うよりは明らかに観光地飯。具のボリュームが不足である。これだと鳥取砂丘の「鯛喜」にでも行った方が良かった。
ミニ水族館を覗く
昼食を終えたところで近くのかにっこ館を覗く。ミニ水族館と名乗っているが、内部には水槽をいくつか並べて地元の魚を展示。まあ無料の施設にしては楽しめる方か。
太閤ヶ平 鳥取城攻略のために秀吉が建てた陣城
漁港を後にすると山城巡りの方に繰り出すことにする。今回の目的地は太閤ヶ平。秀吉による鳥取城の兵糧攻めは有名だが、この時に秀吉は鳥取城を見渡せる山上に陣を置いている。この陣の跡が太閤ヶ平である。今でも往時の跡が残っているというので一度見学したいと前々から思っていたのだがなかなかその機会がなかったのである。
太閤ヶ平は本陣山と呼ばれる山上にあり、そこへは樗谿神社から遊歩道が通っていると聞いている。そこで樗谿神社に向かうと手前の駐車場に車を置く。
やまびこ館に立ち寄る
さて登山かと思えばその前にやまびこ館なる建物があり、そこがいわゆる郷土歴史博物館のようである。そこで予習の意味も兼ねて見学していくことにする。
特別展は伊勢型紙の展示。伊勢型紙とは着物の生地を柄染めする際の型紙のこと。和紙を貼り合わせたものを彫刻で彫っている。驚くほどの細工の細かさに圧倒される。
常設展の方は歴史展示。予想通り、秀吉の鳥取城攻めの件に結構スペースを割いている。これ以外では古代関係の展示など。そもそも鳥取も出雲などと共に古代神話の類いは多い土地であり、太古から人が住んでいることが確認されている。
いよいよ山登り
やまびこ館の見学を終えるとプラプラと樗谿神社へ。太閤ヶ平へはここから舗装された遊歩道を登っていくだけ。山上には放送アンテナなどの施設があるようなので、明らかに車で登れるように通した道だが、一般車は立ち入り禁止になっている。山上に駐車場がないからだろう。
遊歩道は全長4キロほど。険しくはないがやたらに長い道。なかなか退屈な行程だが、格好の散歩コースとなっているのか歩いている人が多い。もっとも大半が私よりも年輩の方々で、かなり年期の入った山ガールなど。残念ながら妙齢の女性とのロマンチックでドラマチックな出会いなどは期待できそうにない。なおこんなゆるやかな道を登ったのでは城攻めの感覚がないという上級者の方や、自分の体を極限まで痛めつけないと快感が得られないというM気質の方のためには、より短いがかなり険しい山道などもあるようである。
歩き始めてから5分で早くも息が上がってしまうという相変わらずの情けない体力だが、それでも山上までは40分強。結構ハイペースで登ってしまった。
太閤ヶ平は予想以上に本格的な城郭
所詮は合戦のための陣地だし、どうせ山上にも大した遺構はなかろうと考えていたのだが、いざ現地に着くと想像以上に本格的な築城をしているのに驚かされる。大規模な土塁で周囲を囲い空堀も巡らせてある。土橋を通って土塁内に入ると結構広いスペースがある。陣地と言うよりは難攻不落の山城に感じられる。実際にここよりも規模の小さい山城はいくつでもある。後に北条攻めでは小田原城を見下ろす山上に石垣山城という本格的な城郭を築いてしまう秀吉だが、どうもこの頃からその片鱗は現れていたようだ。秀吉は長期戦にも備えると共に、これだけの城を構えることで城兵に対して与えるプレッシャーも考えていたのだろう。これだけの備えをされた上に城内に兵糧がないとなれば、さすがに最後まで家臣から脱落者を出さなかったというカリスマ・吉川経家と言えども降伏しか道はなかったか。なお彼の器量に惚れ込んでいた人たらしの秀吉は、彼の切腹を惜しんだとのこと。譜代の家臣を持たない成り上がりの秀吉としては、臣下に欲しかった人材だろう。確かに吉川経家は、今日でもどこかの支店長を任せることが出来るタイプの人材である。
立ち木のせいで見通しが悪いが、その向こうには鳥取城がまともに見えている。また鳥取城がある久松山までは尾根筋伝いで移動できそうなことも分かる。そのためか鳥取城側はさらに強固に防御を固めているように思える。
とにかく秀吉は万全の構えで鳥取城を囲んだということのようである。序盤の経済戦、諜報戦で大勢を決め、あくまで武力行使は最後の詰めの段階という、戦強者ではなくて戦巧者である秀吉らしい戦い方である。
太閤ヶ平の見学を終えると再び4キロの道のりを下山。同じ遊歩道を歩くのも芸がないから途中から山道の方を歩いてみたりもしたが、結果としてこれは間違い。確かに距離は短いがその分険しいので、下りでも足を踏みしめる必要があって足へのダメージが大きい。無理はせずに遊歩道を歩いてくれば良かった。
天神山城 鳥取城移転の前の山名氏の居城
久々のハイキングになってしまいかなり疲れたが、まだ若干の時間があるので、もう一カ所ぐらいは山城を回っておきたい。調べたところ湖山池の東岸に天神山城なる城郭があるとのことなのでそこに立ち寄ることにする。
天神山城は室町時代に因幡守護だった山名氏の居城だった城郭である。1573年に山名豊国が鳥取城に本拠を移すまでの100年間、山名氏の居城として繁栄したという。往時には内堀・外堀なども築かれ、城下町を抱き込んだ大規模なものだったとか。
現在の天神山は県立緑風高校の敷地の一角となっている。見学のための遊歩道はついているが、車の立ち入りは禁止されているので車は向かいの湖岸公園の駐車場に置いての見学となる。
天神山自体は高さも大してない小規模な山。その山上を削平して複数の曲輪を設けてある。もっとも大きな曲輪には現在でも井戸の跡が残っている。ただ曲輪の周辺は確かに険しくなっているが、これだけで防御できるというほどではない。恐らくは湖山池とつないだ水路などが防御の主体だったのだろうと思われる。なおこの地は太古から水運を利用した勢力が繁栄していたようで、古墳の類いも多数見つかっているらしい。
天神山城は中世の防御力をもった館というレベルには十二分であるが、本格的な戦国時代を生き抜くにはやや心許なく感じられる。山名豊国が難攻不落の鳥取城に本拠を移したのも当然というところだろう。
吉岡温泉で汗を流す
天神山城の見学を終えたところでいよいよ本格的に足が終わってしまった。日も西に傾いてきたし、山城見学はここまでとしてこの後は温泉にでも立ち寄ることにする。まずはこの近くにあり古湯として知られる吉岡温泉を訪ねることにする。
吉岡温泉はひっそりとした温泉街で、温泉を示すゲートがなかったら普通の住宅街と勘違いして通り過ぎてしまいそうである。そんな中に地元の共同浴場である吉岡温泉館があるのでそこに立ち寄ることにする。
小さな内風呂が一つだけだが、入浴料が200円というのはさすがに共同浴場。浴室内は地元客らしき年配者で一杯。そのためかどことなく余所者は立ち入りにくい空気がある。湯は単純泉のようだが、鳥取らしくかなりの熱湯。ここまで熱いと泉質云々なんて話ではない。徐々に体を慣らさないととてもではないが入ることが出来ないが、それでも一分も浸かってはいられないし、足を低温やけどしそう。
少々からだがヒリヒリする状態で早々に浴場を後にする。シャッキリと目を覚ますには良いが、ゆったりとくつろげる湯ではない。今まで各地の温泉を回っているが、鳥取や温泉津温泉などなぜか山陰の温泉はやたらに熱湯のところが多い。
鹿野温泉に立ち寄る
今ひとつ温泉でくつろぐという雰囲気でもなかったので、もう一カ所別の温泉を訪ねることにする。ここからさらに西に走った鹿野にも温泉があったはずである。夕闇が迫りつつある中を鹿野まで車を走らせる。
鹿野の町から少し離れたところに鹿野温泉館ホットピア鹿野がある。すぐに入浴と行きたいところだが、その前に腹がかなり減っているので敷地内のそば屋で地鶏そばを頂く。これがなかなかうまい。
腹が膨れたところで入浴することにする。鹿野温泉は弱アルカリ性の単純泉とのこと。こちらは観光客を意識しているのか吉岡温泉と違って適温である。施設自体は内風呂と小さな露天風呂にサウナも完備というオーソドックなスパ泉タイプ。ただ露天風呂は浅い上に湯温もぬるかったために冬場には明らかに寒い。内風呂でゆっくりとくつろぐことにする。湯自体はあまり特徴はないがやさしい湯。既に両足には軽いだるさが現れている。
風呂からあがるとフルーツ牛乳を頂いて一服。ようやく生き返った気分である。
ホッとしたところだが、そろそろ車の返却時間も気になってきた。いつまでもゆっくりしているわけにもいかない。鹿野温泉を後にすると夜の暗闇の中を突っ走って鳥取駅前まで戻ってくる。どこかの店で夕食でも摂ろうとの考え。しかしいざ駅前まで戻ってくると車を置く場所がない。駅前商店街というのは往々にして車は邪魔になることの方が多いが、この地方都市・鳥取でも状況は同じようだ。そこでさっさと車を返却してしまうことにする。
鳥取駅前のホテルモーリスで宿泊
車を返却するとホテルまで送ってもらう。今回の宿泊ホテルはグリーンホテルモーリス鳥取。私が山陰地区でよく使うホテルチェーンである。とりあえず部屋に荷物を置くとまずは夕食に繰り出す。
しかし鳥取の駅前は8時を回るとほとんどの店が閉まっていて人通りもない状態。田舎によくある「やたらに閉店時刻が早い商店街」のようである。プラプラしているうちにうなぎ屋を見つけたのでそこに入店。
しかしこの選択はハズレだった。入店した途端に「ハズレだな」という空気を感じたのだが、出てきたウナギはその予想通りであった。見ていたらそもそもウナギを一から焼かずに、下焼きしていたウナギをあぶって温めているだけ。おかげで香ばしいというのではなく妙にコゲっぽい味。これに「本当に肝吸いか?」というような謎の澄まし汁がついて3000円。これはまいった。地方で時々ある典型的な失敗パターンを踏んでしまった。
夕食を失敗してテンションが下がった状態でホテルに戻ってくる。しかも困ったことに鳥取駅周辺にはコンビニがない。何とも不便な町である。仕方ないので鳥取駅内の売店で茶などを仕入れてからホテルに入ると、大浴場で入浴して早めに就寝する。