徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

東京フィル第891回オーチャード定期&「オルセーのナビ派展」「これぞ暁斎」

 翌朝もグッタリしたままだった。寝たような寝ていないような。7時頃に目が覚めてしまうが、朝食に買い込んでいたパンを食べると再びそのまま10時頃まで二度寝。

 今まで疲労でヘロヘロだったが、不覚にも明らかに風邪をひいてしまったようで体調はいよいよ最悪の状態になってきた。今日はなるべく無理は避けて、昼からのコンサート以外は残った美術館に立ち寄るだけにしておく。

 向かったのは東京駅の三菱一号館美術館。もう昼前なので美術館に入る前に地下で昼食をと思うが食欲が今ひとつ。結局は見つけたラーメン屋「一風堂」とんこつラーメンをいただく。まあ特別に可もなく不可もなしの普通のラーメン。

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地下の一風堂

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とんこつラーメン

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しっかりした細麺

 昼食を終えると美術館に入館する。

 

「オルセーのナビ派展」三菱一号館美術館で5/21まで

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 19世紀末にゴーガンの影響を受けて出現した新しい芸術の潮流がナビ派と呼ばれ、ボナール、ドニらが独自の絵画を制作した。そのナビ派の作品を紹介。

 絵画では印象派だの何だのと、とかく「○○派」と呼ばれるグループがあるが、未だに私がどうにも正体をつかみかねているのがナビ派である。と言うのも、例えば印象派ならその独自の外光表現に共通項があるというように、何か共通の極めて特徴的な流儀のようなものがあるのに対し、ナビ派については新しい芸術潮流というだけで、各人が全くバラバラに思えるからである。あえて共通項を探し出そうとすれば、簡略化して装飾化されている画面構成か。ただこれも画家によっては大分印象が違う。

 ナビ派は身近な人物や題材を絵にすることが多いが、同じように人物を描いてもボナールとヴァロットンでは全く異なる。ボナールはモデルとの親密さ身近さを感じさせるのに対し、ヴァロットンは全く逆に心理的距離や孤独感のようなものを強烈に感じさせる。

 しかもナビ派がさらに進化すると、どんどんと超現実世界に入っていって、後のシュルレアリスムを連想させるような境地や、一種のオカルト趣味的な世界が現れたりととにかく方向性が不明。

 本展でナビ派の作品を概観したが、結局は私のナビ派に対するイメージは散漫なまま全く固まることはなかったのである。

 

 美術館を一回りすると次の目的地へ。次の目的地は今日のコンサート会場と同じ建物内にある。巡回路としては効率的。なおこの美術館が本遠征の美術館面での第2主目的。

 

「これぞ暁斎 世界が認めたその画力」BUNKAMURAで4/16まで

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 浮世絵から狩野派まで、あらゆり流派の絵画の技術を使いこなし、その作品も戯画から仏画、果ては春画まで描いてしまうという脈絡のなさ。とにかくとんでもない技術を有しているのだが、全く正体をつかみがたいというのが暁斎である。

 本展では暁斎の様々な作品をジャンルごとに展示しているが、とにかくその画力には圧倒される。動物から美人画、さらには魑魅魍魎まで何を書いても見事。またユーモア溢れる作品があるかと思えば、達磨図のような極めて真面目な作品までサラッとこなしてしまう。

 私的には面白かったのは「百鬼夜行図」と「地獄太夫と一休」。化け物を描かせると天下一品の暁斎によるユーモラスな付喪神の姿はどことなく笑いを誘うし、あでやかな美人図に極めてリアルな骸骨を組み合わせたという独特の作品の描き込みの凄まじさは彼の底知れぬ画力を示す好例である。

 本展の展示作は、画商のゴールドマン氏が商売のためではなくて個人的なコレクションとして蒐集した作品であるらしい。暁斎の作品にすっかり魅入られてしまったとのことなのだが、これらの作品を見ているとさもありなんと思わせられるのである。

 久々に暁斎の作品に圧倒された。暁斎は永らく日本では忘れられた存在だったが、海外での高評価などから最近になってようやく日本でも再注目されるようになって何よりである。私もまだ世間が暁斎に注目していなかった数年前、初めて暁斎の作品を作品を目にした時には、いろいろな意味で度肝を抜かれたことを鮮明に覚えている。もし私がそれなりの財力とコネクションを持っていたら、やはりゴールドマン氏のように作品を蒐集しただろうと思う。最近は暁斎だけでなく、伊藤若冲、長沢芦雪など私が注目してきた画家がかなり世間的に評判になってきたようだ。私には目利きの才能がある?(笑)

 

 ゆっくりと展覧会を見て回った頃にはコンサートの開場時間となっていた。同じ建物の上階にあるホールへと移動する。

東京フィルハーモニー交響楽団 第891回オーチャード定期演奏会

指揮:アンドレア・バッティストーニ
ピアノ:松田華音

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』

 松田のピアノは軽妙で華麗なタイプの演奏。ただ残念ながらこのオーチャードホールの音響の悪さに邪魔されて、オケがかぶるとその音が前に出てこない。演奏自体は悪くないのだが、ホールにかなり邪魔された印象だ。

 さてメインのチャイ6であるが、悲壮感の欠片もない「悲愴」である。と書いてしまえばとんでもない駄演と聞こえるかもしれないが、それとは少し違う。メロディは魅力的に謳い、なかなかに聴かせどころが多数ある。しかしながら演奏が基本的に陽性に過ぎ、この曲を覆い尽くす陰鬱さや緊張感と無縁なのである。第一楽章中盤からの怒濤の展開も運命に翻弄される姿というよりも、迫り来る敵をバッタバッタと快刀乱麻でやっつける冒険活劇のように聞こえるし、第二楽章は軽快なワルツ、第三楽章は何かのカーニバルというように響く。例によって第三楽章終了後には拍手が起こったのだが、第三楽章があまりに大団円で終了していただけに、今回に関してはむしろこの方が正解にさえ思えた。第四楽章が第三楽章までと全く連続性が感じられず、図らずしも先日の新日フィルで6番終了後にアンコールで5番のアダージョが演奏されたように、交響曲終了後にアンコールピースが演奏されたようにさえ聞こえてしまったのである。

 バッティストーニの演奏は、ある特定の分野ではとてつもない魅力を醸し出すだろうと予測できる(多分イタリアオペラなどだろう)。ただ今回の曲目に関しては戸惑うところが多かったと言うことである。「悲愴」という名称に必要以上にこだわる必要がないとも言えなくもないが、やはりあまりに異色に過ぎたというのが正直な感想である。

 

 それにしてもオーチャードは二回目だが、ここは本当に音響が悪いホールだ。東京で音響が悪いホールと言えば最右翼はNHKホール、また昨日行った芸術劇場もかなり音響は悪い。これらのホールの音響の悪さは響きがほとんどないというもの。これに対してオーチャードホールは、天井の高さとステージの奥行きの広さが災いして妙な時間差を持って反響が被ってくるので、音がゴチャゴチャになって全く抜けてこないというもの。ある意味では音楽ホールとしては最悪の音響特性である。どういう設計コンセプトでこんなホールを造ったのかは謎だ。まあこれらのホールに共通しているのは、いずれもとにかく器だけは大きいということであるが。

 

夕食のために浅草へ

 コンサートを終えると夕食を摂りたいと考える。どこで夕食を摂るかを考えたが、うまい物を食べたいと考えたらやっぱり浅草か。浅草まではちょうど地下鉄銀座線で一本である。

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雷門

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仲見世をウロウロ

 久しぶりに仲見世をウロウロ。途中で買った揚げ饅頭を頬張りながら散策。やはり同じ人混みでも渋谷よりもこちらの方が落ち着く。夕食の店は実はイメージしている店が既にある。仲見世のを途中で出ると裏手の「大黒屋」に入店、「海老天丼」を注文する。

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大黒屋

 海老天が4本も入った超ボリューム天丼。真っ黒な色は関西人としてはギョッとするが、意外にしつこくも辛くもない。ごま油を使用していると思われる天ぷらは、天ぷら単品で食べるには疑問だが天丼ならOKのバランスである。

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真っ黒な見た目に反して意外にしつこくない天丼

 久しぶりの浅草夕食を堪能すると、仲見世の舟和で夜のおやつの桜餅を購入して帰る。関西では桜餅は普通は道明寺粉を使用した粒々のものであり、こういう餅タイプの桜餅は食べるのは初めてだ。

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この日のおやつは舟和の桜餅

 この日はホテルに戻って入浴すると、先のおやつを頂いてから早めに就寝したのだった。とにかくしんどい。