翌朝は朝寝するつもりだったのに、7時過ぎに勝手に目が覚めてしまう。私もサラリーマンとしての習性が身に染み付いているようだ。仕方ないのでそのまま起床すると、昨日成城石井で買い込んでいたパスタを朝食にする。
今日は残った美術館を回ってから2時から東京文化会館でオペラである。どれだけの美術館を回れるかはスピード勝負。とりあえず一番遠くにある美術館は三井記念美術館なのでその開館時間に合わせてホテルを出る。
上野駅のコインロッカーにトランクを置くと地下鉄で三越前まで。
「地獄絵ワンダーランド」三井記念美術館で9/3まで
今まで様々な地獄絵というものが描かれてきたが、そのような地獄絵を展示。冒頭部は水木しげるによる地獄を説明したイラストも展示されている。
まさにイマジネーションの限りを尽くしたような、おどろおどろしい表現が多いのであるが、その一方で江戸期などになってくるとかなりユーモラスとも言えるような表現のものも登場している。道徳を説くための材料としての地獄よりも、所謂怖いもの見たさ的な地獄の表現が後になるほど多くなるのは人間の性というものであろうか。
展示のラストには地獄だけでなく極楽の表現も登場するのだが、なぜか地獄に比べるとありがたくはあっても表現が平凡で画一的になってくるというのが不思議な感じてある。
どうも極楽図はありがたくもパターンが決まっているのに対し、地獄図の方はあらゆるイマジネーションを刺激するような作品が多い。やはりこれは怖いもの見たさのようなものなんだろうか。それに人の行動を律する場合、善行を行うとこんな良いところに行けますよよりも、悪行を行うとこんな怖いところに送られるぞの方が効果があるのだろう。人間の危機回避本能の応用とも言える。つまりはアメとムチの場合、まずは恐ろしいムチを散々見せつけておいてから、アメを出した方が効果があると言うことか。何か嫌らしいマキャベリズムである。「政治とはそういうもの。それが嫌なら、権力など目指さぬ方がよろしかろう。」というオーベルシュタインの声が聞こえてきた。「キルヒアイス、俺はここまでの男なのか・・・」。ダメだ、最近ファミリー劇場で放送中の銀河英雄伝説をチラホラ見ているせいで変な幻聴が聞こえてくる。
それにしても知らない間に天国と地獄にやけに詳しくなってしまったものである。等活地獄や黒縄地獄なんて「専門用語」がスラスラと分かるばかりか、あれが浄玻璃鏡かなどと説明がないものまで分かってしまう。マンガの学習能力侮りがたし。
三井記念美術館を後にすると三菱一号館美術館までプラプラと歩く。グーグル先生にお伺いを立てたところでは所要時間は20分のはずだったのだが、途中で道に迷ったこともあって30分以上かかる。相変わらずグーグル先生はかなり健脚のようだ。
「レオナルド×ミケランジェロ」三菱一号館美術館で9/24まで
ダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を中心に展示。
絵心のある者なら素描を見ればその画家の技量がハッキリと分かるのだろうが、残念ながら私は絵心は皆無なのでそこまでは分からない。ただそれでも彼らの描く線の卓越した表現力は感じることができる。筋肉フェチのミケランジェロと超絶技巧のクセ絵のダ・ヴィンチ(彼が描くとなぜか人物がすべてモナリザになる)の特徴が現れていてなかなか楽しめた。
展示の目玉の一つと言えそうなのが、ミケランジェロの「ジュスティニアーのキリスト」。十字架を担いだキリストの巨大石像であるが、肉体の表現がいかにもミケランジェロらしくて圧巻。もっともキリストはこんな筋肉隆々のイメージはないのだが。
グーグルで「レオナルド×ミケランジェロ」と検索すると「混雑」といったキーワードが出てきていたぐらいなので、会場の混雑を懸念していたのだが思っていたよりも館内の客は少なく、特に問題なく見て回ることができた。
ところでどうでも良いことだが、この展覧会のタイトル、これでいいのかな? やはり「×」と言えば腐女子用語でボーイズラブのこと。思わずレオナルドとミケランジェロのボーイズラブ漫画を想像してしまった。なおこれは後日談になるが、「ふじょし」と入力すると「婦女子」の次に「腐女子」が変換候補に出てくるATOKには驚かされる。さすがに賢い変換というか現代語に強い。
さてそろそろ昼時だが、昼食を摂る前にもう一館ぐらいは回っておきたい。と言うわけで上野に移動。国立科学博物館で開催中の「深海」展を見学・・・と思っていたのだが、博物館前には大行列。現在13時半入館からの整理券を配布中との案内が。やはり夏休み時期のこの手の企画は鬼門か。13時半に入館していたら14時開演の公演に間に合わない。諦めて東京都美術館に向かう。「深海」展、大阪自然史博物館辺りに巡回してくれないかな。
東京都美術館に入館すると、美術展の前にレストランで軽い昼食としてカレーを食べておく。価格は880円と本格的だが、出てきたカレーは「どこのレトルトですか?」という趣の代物。まあこういうところのレストランではよくあるパターンである。
とりあえずの昼食を終えてから美術展の方へ。
「ボストン美術館の至宝展」東京都美術館で10/9まで
ボストン美術館の名品を、古代エジプト美術、日本・中国美術、フランス絵画、アメリカ絵画、現代アートなどのジャンルに分けて展示。
展示の目玉はゴッホのルーラン夫妻の併せての展示だが、これ以外にもフランス絵画の名品が複数展示されている。ただもっともボストン美術館らしいと言えるのが、日本美術の名品だろうか。170年ぶりの修理を経ての里帰りを果たした英一蝶の巨大な涅槃図から、曽我蕭白の風仙図屏風など、日本にあったなら国宝級の作品が展示されており、そのレベルの高さには圧倒される。
なかなか面白い作品も見ることができたが、どうもこの美術館はじっくりと見るというコンディションでない(広すぎるせいでやたらに歩かされて疲れるし、とにかくいつも人は多いし)ので、もう少しじっくりと鑑賞したいところ。なお名古屋ボストン美術館にも巡回するようだが、これがこの美術館の最終展示になるのか? それにしても名古屋ボストン美術館も、このレベルの展覧会をしょっちゅう開催していたら入館者数が伸びずに閉館なんて事にならずに済んだと思うのだが・・・。
それにしても毎度のことながら思うのは、なぜこんな国宝級の名品が海外に流出しているの?ということ。この国の文化行政のお粗末さの現れでもある。ただ海外に流出していたからこそ、明治期の神道原理主義キ○○イによる廃仏毀釈テロや先の大馬鹿戦争などによる消失を免れたという面もあり、つくづくのこの国の近代史の愚かな一面に暗澹たる想いにもかられるのであるが。
美術館から出てきた時には13時前になっていた。腹がまだ軽すぎるのでどこかで何かを食べたい気持ちはあるが、レストランはどこも大混雑。諦めて文化会館に入館してしまう。
私の席は4階。やはりここのホールは天井が高い。目眩のしそうな高さだが、その割にはなぜかこのホールは初めて来た時からあまり恐怖は感じない。それが謎。フェスティバルホールの3階席なんか死ぬほど怖いし、ロームシアターもびわ湖ホールもダメだったのに。
東京二期会オペラ劇場『ばらの騎士』
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:リチャード・ジョーンズ
元帥夫人:森谷真理
オックス男爵:大塚博章
オクタヴィアン:澤村翔子
ファーニナル:清水勇磨
ゾフィー:山口清子
マリアンネ:岩下晶子
ヴァルツァッキ:升島唯博
アンニーナ:増田弥生
警部:清水那由太
元帥夫人家執事:土師雅人
公証人:松井永太郎
料理屋の主人:加茂下稔
テノール歌手:前川健生
3人の孤児:田崎美香、舟橋千尋、金澤桃子
帽子屋:斉藤園子
動物売り:加藤太朗
ファーニナル家執事:新津耕平
合唱:二期会合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団
「薔薇の騎士」はR.シュトラウスが、モーツァルトの「フィガロの結婚」などのタイプの軽めのオペラを目指して作った作品であるという。確かに軽快なメロディだけでなく、遊び人の男爵が散々馬鹿にされる展開は、フィガロでのエロ伯爵が翻弄される展開と相通じる。
内容的には単独でのアリアがなく、常に複数人での掛け合いが続くのが特徴。イタリアオペラなどのような歌手がアリアを熱唱して、そこで拍手が起こって芝居が一端途切れるという展開にならないのは、どうも作曲者のこだわりのように思われ、この辺りはワーグナーとも共通する。
音楽はR.シュトラウスにしては平易な親しみやすいものであるが、それでもモーツァルトほどの馴染みやすさとはいかない。また第一部のラストの元帥夫人が自分の将来を憂えるシーンなどはやや冗長に感じられ、実際にこのシーンで寝落ちしてしまっている観客も少なくなかったようである。
とは言うものの、終盤にかけての掛け合いなどはなかなか美しく、聞かせどころも多い内容。最近になってよく上演されるのも頷けはする。
ソリストを中心に諸々の弱点も見えたが、まあ内容としてはこんなものだろう。オペラを堪能したのである。
これで本遠征の予定は終了。上野駅のトランクを回収すると、新幹線に飛び乗って帰宅と相成ったのである。