徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

ピエタリ・インキネン指揮 プラハ交響楽団&「サラ・ベルナールの世界」「島成園」in 堺

 翌朝は7時半に目が覚める。昨日買い込んでいたパンを朝食にとって準備。

 今日は西宮で開催されるプラハ交響楽団の演奏会が予定のメインだが、その前に堺まで足を伸ばそうと考えている。堺のアルフォンス・ミュシャ館でサラ・ベルナールの展覧会が行われているのでそれに立ち寄るつもり。しかし昨日、利晶の杜なる施設で島成園の展覧会が開催されといるとの情報を得たので、それも併せて立ち寄ろうと計画変更。ただそうなると時間的に結構余裕がないので、昨晩はそのルートを一人戦略会議で策定していたのである。

 アルフォンス・ミュシャ館の開館が9時半なのでそれに併せて9時頃にホテルをチェックアウト。とりあえず重たいキャリーはホテルに預けての出発。新今宮から紀州路快速で堺市駅を目指すのだが、天王寺での乗り換えで案内看板の表示が不親切なせいで間違い、天王寺駅を南から北まで一往復する羽目になって目的の列車を逃してしまう。さすがに大阪ダンジョン、一筋縄ではいかない。初っ端から前途多難である。

 とりあえず列車は予定より1本遅れたが、何とか堺市駅にたどり着く。目的とするミュシャ館はここから陸橋でつながった商業施設ビルの奥のマンションビルの4階にある。昔は与謝野晶子館と併設されていた記憶があるのだが、与謝野晶子館が移動してミュシャだけの施設になったようだ。おかげで以前よりも展示スペースが広がっている。

 

「サラ・ベルナールの世界展」堺アルフォンス・ミュシャ館で3/3まで

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堺アルフォンス・ミュシャ館

 アール・ヌーヴォー時代のパリを代表する大女優で、ミュシャやロートレックなど様々な芸術家との関わりもあるサラ・ベルナールについて紹介。

 サラ・ベルナールの写真なども展示されているが、芸能人には不可欠の強い目力を持つ女性であることが印象に残る。意外だったのは、ミュシャのポスターが話題になった頃は彼女は50を超えていて、既にベテラン女優になっていたこと。ミュシャが描いた彼女の姿があまりに若々しいので彼女がそこまで年配だとは思っていなかった。まあこの辺りは「女性を最も美しく描く」と言われたミュシャならではなのだろう。

 さて彼女であるが、彼女自身も芸術の素養を有しており、彫刻や小説の執筆まで行っていたという(もっともそれらは悪趣味であると揶揄する者も少なくなかったようだが)。演劇舞台は役者や演出、衣装にセットなどあらゆる分野が融合した総合芸術であるが、それらに対して彼女自身がかなり深く関与していたらしい。そういう点で彼女はアール・ヌーヴォーの潮流に直接的に影響を与えたことになるようだ。

 華やかにして伝説に満ちた彼女の生涯は、いかにもあの時代のパリに最もマッチしたと言えるものであったろう。そのような時代の空気まで感じられる展覧会だった。

 

利晶の杜に向かう

 展覧会の見学を終えるとここから南海堺駅行きのバスで利晶の杜を目指すことにする。ところで利晶って何だろうと思っていたのだが、どうやら利休と晶子の略らしい。与謝野晶子館はそちらに移動して、同じく堺ゆかりの千利休と合体した模様。

 バスは20分おきぐらいに出るのだが、生憎と私が美術館を出たのはバスが出た直後だったらしい。しかも次のバスは5分ほど遅れて到着。地味に時間を浪費。それにしても堺市はJR阪和線沿線、南海高野線沿線、南海本線沿線と市街の中心が分割されており、東西の連絡はバスに頼るという町の構造になっている。そういう点では意外と難儀な構造の町である。

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利晶の杜

 利晶の杜には利休絡みの展示スペースと与謝野晶子絡みの展示スペース、さらにギャラリーかあってそこで今回は島成園が展示されている。利休絡みの展示スペースには利休ゆかりの茶器などの展示もあるが、一方でリーフデ号の模型など、一部は歴史博物館を兼ねている部分がある。

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リーフデ号模型

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当時の世界地図

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黒織部茶碗

 与謝野晶子の方は、かつての晶子館から大幅拡張。彼女の執筆スペースや彼女の生家である老舗和菓子屋「駿河屋」の復元など大型展示があるが、果たしてそれがどれだけ意味があるのかは若干疑問。

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与謝野晶子の執筆スペース

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駿河屋の復元

 

「堺に生まれた女性日本画家 島成園」利晶の杜で1/27まで

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 島成園については小スペースに数十点を展示。初期のオーソドックスな日本画から、大正デカダンスの影響が濃厚に出た「無題」「伽羅の薫」などを経て、結婚後を経ての昭和時代のシンプルな作品まで一応全年台を網羅している。

 彼女は「無題」などを発表して画家として生きていくことを決めた矢先に、父と兄から強く勧められた見合いで電撃結婚をしている。彼女の結婚相手は幸いにして画業を続けることには理解があったとのことだが、やはり家庭を抱えて多忙になったのか、そこから彼女の製作ペースは落ちると共に作品もオーソドックスかつ軽快なものに戻ってきている。彼女は結婚自体は本意ではなかったとのことなのだが、この時点で彼女に結婚を勧めた父兄の気持ちはよく分かる。あの当時に女性が画業で身を立てるなどは極めて困難であったし、時代の潮流に乗ってデカダンスにはまった(あの時期には北野恒富などまで柄にもないおどろおどろしい絵を描いていたりする)状態で突っ走れば、かなり感情的な部分があったという彼女の場合いずれ破綻するのが見えていた。身内としてはストップをかけたのだろう。私が身内でも多分同じことをすると思う。彼女自身が後に「濃厚な色彩で描くよりも、淡い色彩で描く方が自分に合っている」という趣旨のことを語っているらしいが、やはり彼女自身にも若気の至りのようなところもあったのだろう。「伽羅の薫」などはギョッとするようなインパクトはあるのだが、彼女の他の作品を見ているとやはり彼女の本領ではなかったような気がする。

 それにしても、芸術を突き詰めればどうしても人間的には破綻の方向に向かうような気がしてしまう。やはり天才となんとかは紙一重で、狂気の果てに独創的芸術は登場するのか。実際にゴッホの作品なんかも、精神に変調を来してからの作品の方が面白いし。

 

梅の花で豆腐料理を頂く

 利晶の杜の見学を終えると隣にある「梅の花」で昼食を摂ることにする。入店してみると思いの外に高級店イメージ。今日は仕事のついでなのでフォーマルスタイルで着ているが、これはいつものみすぼらしい格好なら気後れしたかも。

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落ち着いた風情の店内

 落ち着いた部屋に通されると、ランチセットである雪ランチを注文。これに生麩の田楽と牡蠣フライを追加する。

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前菜

 最初に前菜的なものが運ばれてくるが、さすがに美味い。また豆腐料理店だけに野菜が豆腐に和えてありなど、随所に豆腐が入っている。しかしそれぞれ表情が違って多彩である。続いて運ばれてきた牡蠣フライも非常にに美味。

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牡蠣フライ

 なかなかに美味であるのだが、一つ重要なことを忘れていることに気がついた。それは料理が運ばれてくるペースが非常にゆったりしていること。高級料理店の懐石形式の場合、料理は一気には運んでこない。しかし私が乗る予定のバスの時刻までとっくに1時間を切っており、そんなにゆっくりと食事をしている余裕はないのである。どっと出された料理を10分程度でかき込むという下品な生活をしている私にはこの時間感覚がなかった。仕方ないので店員に「申し訳ないが時間に余裕がないので、料理を持ってくるピッチを上げるように」と依頼する。

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茶碗蒸しとエビのシューマイ
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牡蠣と豆乳餅の揚げ出しに豆腐けんちん豚巻き揚げ

 この後は、海老のシュウマイ、広島県産牡蠣と豆乳もちの揚げ出し、豆腐けんちん豚巻き揚げなどが次々と運ばれてくる。豆腐が随所に使われていて実に美味。特に揚げ出しなどは実に良い味をしている。

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生麩田楽とご飯にデザート

 最後は生麩田楽とご飯類に湯葉の吸い物があってデザート。いずれも美味。特にやっぱり生麩は美味い。


 昼食を終えるとバス停に急ぐ。幸いにして予定のバスには間に合う。南海堺駅に移動すると、ここから新今宮へ移動、ホテルでキャリーを回収してからJRと阪急を乗り継いで西宮のホールへ到着した時には開演の10分前ぐらいだった。

 

プラハ交響楽団

指揮:ピエタリ・インキネン

ヴァイオリン:樫本大進

管弦楽:プラハ交響楽団

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ドヴォルザーク:交響曲第9番<新世界より>

 一曲目のブラームスはプラハ交響楽団の音色がやけに硬質に感じられた上に、樫本のヴァイオリンも上手いが色気や茶目っ気に欠けるもの。やや仰々しい曲調も相まっていささか面白みに欠ける演奏になったように感じる。むしろ面白かったのは、インキネンがヴァイオリンを手にとって、二人で弾いたアンコールのバッハ。特にインキネンが叙情性たっぷりに弾いており、思いの外に心に染みる。

 これで何となくインキネンの方向性が見えた気がしたが、次の新世界でそれがさらにハッキリする。この曲をチェコのオケでチェコの指揮者が演奏するとボヘミアの舞踏の旋律が正面に出てくることが多いのだが、インキネンは極めて対照的。とにかく全く踊らないのである。踊らずに謳わせて、この曲に秘められた舞踏の要素でなくて情景の方を赤裸々に描きあげている。彼の指揮にかかるとこの曲が持つ自然を描いた要素が在り在りと浮かび上がってくるのである。

 これが最も端的にあられたのがアンコールのスラブ舞曲。これが見事に全く踊らない舞曲。これがチェコの指揮者、例えばアルトリヒテルなんかだったら、それこそ指揮そっちのけで自分自身が踊ってしまうのだが、インキネンは一貫して踊らず徹底的に謳わせる。そうするとまるでこの曲が自然をテーマにした交響詩に聞こえてくるから不思議。さらに徹底したことに、スラブ舞曲8番のようなアップテンポで誰でも踊るような曲でもこのアプローチ。するとこの曲が一瞬、シベリウスの交響詩のようにさえ聞こえたのには驚いた。これはやはりヴァイオリン出身という彼の経歴と、彼の中の北欧の血が大きく影響しているように思われる。

 なかなかに異色な演奏であった。ただ問題点を挙げるなら、果たしてこの演奏が面白いかどうかである。この演奏には芸術性の高さは感じるのであるが、実のところ徹底的に踊る演奏の方が聴いている分には楽しさを感じたりする。この辺りにジレンマがある。

 これがインキネンのアプローチか。好き嫌いが結構分かれそうである。

 

 コンサートを終えると阪急で京都に移動する。今日はいつものチェックインホテル四条烏丸で宿泊する。チェックイン手続きを済ませるといつもの超狭い和室へ。とりあえずシャワーで汗を流して一息つく。

 

京都の裏通りでかなり塩っぱいラーメンを

 しばしの休憩の後に夕食のために町に繰り出す。コートだと重装備なのでコートを脱いで出かけたのだが、さすがにこれだと京都の夜は寒い。と言うわけであまり遠くへはいかないことに。昼に高級で健康的な食事をしたので、夕食は安くて不健康なものにしようと考える。頭に浮かんだのはラーメン。しかし一風堂はいつも以上の大行列。そこで町中をウロウロしたところ、路地の奥に「京都北山元町らーめん」なる店を見つけたので入店する。

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路地の奥に店がある

 どうやら醤油ラーメンの店で、元は屋台だったらしい。京都のたまり醤油使用などと書いてある。要するに地産地消か。チャーシュー麺(900円)に高菜ご飯(+250円)を付ける。

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かなり濃厚で塩っぱいラーメン

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高菜ご飯もやや塩っぱいめ

 真っ黒なラーメンである。かなり塩っぱい。もっとも関東の食事のように無意味にダダ辛いのでなく旨味もあるのであるが、残念ながらその旨味を乗り越えてしまうだけの塩っぱさ。インパクト勝負の屋台ラーメンならこれもありなのかもしれないが、店で出すラーメンとしてはどうだろう。幸いにして私は高血圧はないので良いが、高血圧のある者なら命取りだろう。これ以外に白醤油ラーメンなるものもあるらしいから、もしかしたらこちらの方が良いか?

 

口直しに甘物を頂く

 かなり口の中が辛くなったので、帰りにコンビニスイーツでも買っていこうかと思っていたら、同じ路地の中に「京都シャデレール」なるクレープ屋を見つける。路地の中にかすかに甘い匂いが漂ってくる。すると私はそれに誘われてフラフラと入店してしまう。

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塩っぱいラーメン屋の手前にある甘味トラップ

 京の町家を改造したらしき和洋折衷なお洒落な店内。いかにも女性が喜びそうな店でいかにも私には不似合いだが、幸いにして店内に客が多くなかったので白い目で見られることはなかった。

 ここのクレープはそば粉を使っておりガレットと言うようだ。そばのアレルギーがないかを事前に聞かれるが(これは極めて重要なことだ)、当然ながら私には問題ない。なおガレットはデザートだけでなく、食事メニューもある模様。私はカフェということで、シュゼットシトラスなるフルーツとクリームをトッピングしたガレットにダージリンティーをセットで注文する(1296円)。

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フルーツのガレット

 紅茶は金属製のポットに入ってきて、砂時計が落ちるのをしばしお待ちくださいというスタイル。その後に出てきたガレットは見た目も華やかだし、味も良いしということでなかなかに堪能。こうして考えてみると、路地奥の塩っぱいラーメン屋とこのクレープ屋は京都特有のトラップであろうか。恐るべし京都人。さすがに公家の町は謀略に長けている。

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ダージリンティー

 塩っぱくなっていた口は見事に中和されたが、問題はカロリーは単純に加算されたであろうこと。私にはこちらの方がむしろ命取りだ。当然のことではあるが、店を出た後はコンビニに立ち寄ることなくホテルに直帰する。

 この後は部屋で特にすることもなくブラブラすることになる。夜も更けてから突然にipadにアクチベーションロックがかかって文鎮化してしまうというトラブルが発生。AppleIDとパスワードを突然に求められ、てんやわんやすることに。しかもなぜか正しいはずのパスワードを受け付けない。結局はiPhoneの方からパスワードを変更して、それを入力することで何とか再起動に成功する。appleの方で何かトラブルがあったのではという気もするのだが真実はベールの向こうである。