連日、体温を超えるかというような猛暑。出来ればこんな時に出かけたくはないのだが、今日は既にザ・シンフォニーホールでの日本センチュリーのチケットを確保済み。やむなくこの灼熱地獄の中を外出することにする。
ヨーロッパなども異常熱波とのことで、冷房設置率の低いあちら(ヨーロッパはそもそも寒冷地なので、本来は冷房の必要などない地域だ)ではかなりの死者も出ているとのこと。それどころかこの手の灼熱には本来慣れているはずの日本でも熱中症の死者はしゃれにならない状態になっているとか。これは明らかに気候変動である。かつて私が子供の頃は、暑いといってもお昼時に30度を超える程度のもので、体温以上なんていう馬鹿げた気温は聞いたことがない。そもそも「熱帯夜」とは最低気温が25度を超える場合で、最高気温が30度を超えるのが「真夏日」である。しかし最近は、最低気温が30度以上で、最高気温は40度近くなんて日が普通にある。これが気象異常でなくてなんであろう。今や夏の冷房は贅沢品ではなくて必需品になっているのだが、アベノミクスによる庶民貧困化のせいで冷房費用に事欠くケースもあって、それが死者につながることもあるようである。
またこの地球温暖化には世界で足並みを揃えた取り組みが必要なのであるが、利権に目の眩んだトランプは全力で現実逃避中である。彼の貧弱な頭脳では地球という単位で物事を考えることは出来ず、たとえ地球が滅んでも自分が儲かればそれで良いのだろう。同様の視野狭窄は日本の安倍にも起こっている。結局は国家の指導者が無能だと庶民が犠牲になり、ひいては亡国につながるのである。今の世界は狭い救命ボートの上でどつき合いをしているに等しい。そのうちにボートが転覆して全員死亡だが、誰もが目の前のケンカの勝敗しか考えていない状態。つくづく「愚かな人間共よ」という台詞が出てきそうになる。こんな馬鹿共に地球を支配させているのなら、いっそのこと私が世界征服してしまった方が人類にとって幸福なんていうやばい考えさえ浮かぶ。いよいよショッカーでも結成するか。駄目だ、私の頭も大分暑さでやられているようだ(笑)。
それにしても暑い。表を少し歩くだけで目眩がするレベル。電車の中も冷房が全く効いてなくて蒸し暑い。そしてその蒸し暑い列車はそのまま灼熱地獄の大阪に到着する。
駅ナカの「利久」でタンシチューを昼食に
こんな時はなるべく表を歩かずに移動は最短距離で済ませたい。昼食は駅ナカで済ませることにする。しかし考えていた店はすべて昼時の大行列。そこで思いつく店の中で、恐らくこのシーズンに最も行列が出来にくいであろう店を覗く。立ち寄ったのは「牛たん利休」。夏に備えて「冷しゃぶ定食」のような夏メニューも用意しているようだが、やはり夏は牛タン焼きにはツラいか。店の前には行列は全くない。
入店した私が注文したのは「タンシチュー定食」(なんで?) さすがに暑苦しいかなという気もしたのだが、実のところ今日はこれしか食べる気がしなかった。幸いにして店内は冷房が良く効いているので汗ダラダラということにはならず美味しくいただけた。
ただやはりこれだけだと今ひとつの感がある。まだ開場まで時間もかなりあることだし、やはりお茶をしていきたい。と言うわけで「つる家茶房」に立ち寄る。気分としては宇治金時をガッツリいただきたいところなのだが、先程タンシチューを腹に入れた直後に大量の氷では、ほぼ間違いなく腹を壊すことが予測されるため、ここは「わらび餅」にしておく。最近はこんな風に自分の胃腸と相談しないと行けないことが増えてきた。これも老化であろう。
心地よい冷たさと上質のきな粉の風味が最上である。甘みと苦みがほどよく溶け合っている感じ。この灼熱地獄の中でも実に体に優しい。極上デザートを堪能するのであった。
デザートを頂きながら開場時刻近くの13時前まで時間をつぶすと、JRで福島に移動(さすがに今日は大阪駅から歩く気がおきない)、灼熱地獄の中をホールに向かう。
ホール内は涼しくてホッとするところ。通常ガラガラが多いセンチュリーの公演にしては、今日は8割方の席が埋まっていて結構入っている方。やっぱりこの時期はコンサートが極端に減るため、禁断症状の現れたクラ中の連中が集まってきたのだろう。
日本センチュリー交響楽団×ザ・シンフォニーホール Vol.5
1830 -3つの1830年、激動の時代を生き抜いた名曲たち-
[指揮]飯森範親
[ピアノ]清水和音
[管弦楽]日本センチュリー交響楽団
メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」 op.26
ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11
ベルリオーズ:幻想交響曲 op.14
飯森の演奏は、その外観ほどにはクセもアクもないオーソドックスなものである。一曲目のフィンガルはサラッとおわったという印象。
ピアノ協奏曲については、この曲はピアノとオケの絡みが少ないせいか、ピアニストの清水がまさに我が道を行く自由な演奏。彼特有の弾き崩しのようなものが随所に現れ、細かいテンポ変動がやたらに多い。これがもっとソロとバックが絡み合うような曲ならバックが大変なところであるが、曲想のおかげで問題なく流れていく。なかなかに濃厚かつアクの強い表現である。
最後の幻想交響曲はかなり派手な明るい演奏という印象。ただこの曲の場合はもっと屈折した情念のようなものが求められるところ。本来はやはりもっとおどろおどろしい曲であると考える。あまりに素直な演奏過ぎてやや拍子抜けという感がある。
コンサートを終えると帰途につく。それにしてもやはり尋常でなく暑い。いささかグッタリとして自宅に帰り着くのである。