徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

カンブルラン×京都市響&「円山応挙から近代京都画壇へ」@京都国立近代美術館

 翌朝は目覚ましで7時に起床する。体に疲れが残っているのは否定できないところ。立ち上がるとややフラフラする。

 さて今日の予定であるが、これから京都までトンボ返りして京響の定期公演を鑑賞する予定。とりあえず荷物をさっさとまとめると東京駅まで移動。この日の朝食は東京駅で買い求めた「深川飯」。

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深川飯

 疲労が溜まっているのか、京都までの新幹線車中はほぼ寝て過ごす。ここのところ体力の低下が著しい。

 京都に到着したのは昼前。秋の京都というわけかとにかく大混雑している。荷物をロッカーに入れたいところだが、案の定ロッカーに空きはない。仕方ないので移動の途中で荷物を置くことにする。

 今日の予定は14時半からの京都市交響楽団のコンサートだが、その前に京都国立近代美術館に立ち寄りたい。荷物は乗り換え駅の烏丸御池の構内ロッカーに入れておく。帰りも通り道ではあるが、途中で一旦下車する必要があるが仕方ない。

 東山周辺も人でごった返している。途中で昼食を先に摂ろうかとそば屋を覗いたが30分待ちとの話。仕方ないので美術館に先に行く。

 

「円山応挙から近代京都画壇へ」京都国立近代美術館で12/15まで

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 京都では円山応挙を祖とする円山派を中心として諸派が競い合う形で京都画壇を形成、それが江戸とは別の形で発展して近代にまで至るのであるが、その京都画壇を代表するような画家の作品を集めて展示。円山応挙や長沢芦雪といったところから、竹内栖鳳や上村松園などといった辺りまで総出演である。

 いきなり冒頭に登場するのは円山応挙が手がけた兵庫・大乗寺の襖絵であるが、墨一色で描いた「松に孔雀図」で驚かされた。黒一色のはずなのに松葉は緑に幹は茶色に見えるのである。何かを混ぜているのかと思ったらさにあらず、あくまで混ぜているのは墨だけであるとのことで、これは墨の扱いに長けて金箔の特性を熟知している応挙だからこそなせる技とか。これには心底驚かされた。

 この図以外でも襖絵の角を利用してダイナミックな風景を描いていたり、かなり大胆な技法にさすがに応挙は精密描写だけの画家ではなく、あの奇想の画家・長沢芦雪の師匠であるということを改めて思い知らされたのである。

 応挙が取った写実の姿勢はその後継者達にも明らかに継承されている。そこに各人の個性が加わる。竹内栖鳳のダイナミックな作品や、上村松園の上品な作品、川合玉堂の静かな作品など様々だが、根底には共通のものが流れていることは分かる。

 狩野派一色になっていた江戸絵画に比べてバリエーションが多い印象があるが、ただしそれでもパターン化しているように見られる作品もなかったわけではないか。やはり伝統を踏まえた上で、そこにどれだけ己の個性を表現できるかという辺りが、いわゆる一流となる画家とそれ以外の違いなのかなどいうことに思いを致したりした次第。


 展覧会の見学を終えると駅に戻ってくる。途中でそば屋を覗いたが、待ち客はさらに増えている模様。周辺も似たり寄ったりのようなので、とりあえず北山まで移動してしまうことにする。

 

 北山に到着したところで昼食を取る店を探す。確か裏通りにとんかつ屋があったはずなのでそれを探して入店。「かつ善」はかなり奥まったところにある小さな店。「ヘレカツ定食」を頂く。

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奥まったところにある「かつ善」

 カツはサクッとしていて美味い。全体的に上品な味付けであり、この辺りは京都らしいところか。野菜が刻みキャベツだけでなくレタスもあるのは個人的にうれしいところ。場所柄か客層は結構常連っぽい面々が多かったような印象。

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ヒレカツ定食

 昼食を終えるとホールに向かう。場内はそこそこの入りで、相変わらず京都市響は人気が高いようである。また今回はカンブルランの指揮ということで、それが目当ての者もいるだろう。

 

京都市交響楽団 第640回定期演奏会

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[指揮]シルヴァン・カンブルラン

武満徹:夢の時~オーケストラのための
ハイドン:交響曲104番ニ長調「ロンドン」Hob.I:104
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

 武満は私にはやはりよく分からない曲。とにかくキラキラしたイメージだけが印象に残る曲である。

 2曲目のハイドンは、最近は古楽器を使ったオリジナルに近い演奏なんていうアプローチがある中で、カンブルランはそれとは対極的なアプローチ。その響きは極めて現代的であり、古典派の交響曲ではなくてロマン派の交響曲として響く。プレトークでカンブルランは「ハイドンは音楽の改革者である」という旨を述べていたが、それをまさに表現しているような演奏。劇的でありロマンティックな響きは、ベートーベン以降の作曲家の影もちらつくような印象。ハイドンのこういう演奏を聞くと、私の中のハイドンに対する固定観念自体が崩されるような気がする。

 メインは音楽の破壊ことストラヴィンスキーの問題作だが、このような荒々しい曲は当時はかなりセンセーショナルであったということは想像に難くない。カンブルランの演奏は極めて色彩的であり、まさに極彩色の音楽絵巻をぶちまけるという印象。それに対して京都市響の演奏も実に華々しくかつ安定してキレのあるものであり、カンブルランを意図を十二分に表現していたと感じられる。流石と言おうかかなりレベルの高い演奏であったと感じられた。

 やはりカンブルランはなかなかやるという印象。また京都市響だからこそその意図に答えることも出来たのではと言う気もする。これが下手なオケなら、汚い金管の音をブカブカ鳴らす聞くに堪えない演奏になった危険もある。


 これで今回の遠征は完全終了。帰りは烏丸御池で途中下車してキャリーを回収してから家路につく。帰りのJRは異常な混雑でヘトヘトになって自宅へ帰り着くこととなった。

 ベルリンフィルから始まって、東京とんぼ返りという滅茶苦茶なことまでやった今回の週末遠征だが、どの公演もかなり印象に残るものであった。さすがにベルリンフィルの高い技倆には圧倒されたし、東京の2公演も交通費の元を取ったと感じさせる非常に満足度の高いものであった(特にインバルのショスタコはもう神がかっていた)。そして最後の京都市響もカンブルランが期待以上のパフォーマンスを発揮してくれた。

 もっともその代償も大きく、体力的にも金銭的にほぼ払底状態となってしまったのである。正直なところ現在の私は瀕死といったところ。