徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

NHK交響楽団演奏会大阪公演

 翌朝は6時半頃に目が覚める。昨日はかなり早めに就寝したのでかなり寝たという感覚がある。そのせいか体自体は若干軽くなった。とは言うものの、足腰など随所にガタが来ている。

 8時頃に朝食のために一旦外出する。立ち寄ったのは喫茶「ドレミ」。通天閣の足下にある喫茶店だ。「モーニングのB(450円)」を注文する。

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横に見えているのが通天閣の足

 ボリュームはやや少なめに感じる。またやや酸味の強い珈琲は残念ながら私の好みとはズレる。

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モーニングBセット

 

 

 朝食を終えて戻ってくるとテレビを見ながら荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトしたのは10時前。さて今日の予定だが、16時からNHK大阪ホールで開催されるN響大阪公演を聴きに行くのだが、それまでの予定が全くない。

 と言ってもここのところの毎週のような大阪通いで既に大阪周辺に立ち寄るべき場所はないし、キャリーに長崎土産まで増えた荷物は重いし、あちこち歩き回る気はしない。そこで梅田近辺のネカフェに籠もってしまうことにする。結局はネカフェに4時間ほどお籠もりして原稿作成。何かこういうことをやっていると、本当に遊んでるんだか仕事だか分からなくなってくる。それでなくても私は「遊ぶように仕事をし、仕事のように遊ぶ」と言われている人間である。旅行でどこかに向かう時も無意識のうちに「さて、お仕事、お仕事」という言葉が出てしまうぐらい。

 ネカフェで執筆に励むとコンサート会場に向かう途中で「蕎麦居酒屋弦」に立ち寄って軽く昼食。まあ可もなく不可もなく。

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人通りがかなり多い

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ヘレカツ丼と蕎麦のセット

 昼食を終えるとNHK大阪ホールへ移動。ところで今日のプログラムはチャイコフスキーの交響曲第1番。つい先日(というかこの遠征の最初だ)にポリャンスキー指揮の九州交響楽団で同曲を聴いたばかり。かなりマイナー曲にもかかわらずこんなこともあるとは驚き。楽団にも指揮者にも何の関連もないことから、偶然とは恐ろしい。

 今回はチケットの確保が遅れたせいもあって、S席にもかかわらず1階の一番奥の屋根被り席というひどい席。それにしても毎度N響の地方公演は全く情報が入ってこないのだが、やはり何かの会員とかの内輪ルートでないと情報が来ないのだろうか? とにかくNHKとは採用から何からすべてが「コネ」で動く会社である

 

 

NHK交響楽団演奏会大阪公演

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【指揮】パブロ・エラス・カサド
【ピアノ】ダニエル・ハリトーノフ

◆リムスキー・コルサコフ/スペイン奇想曲 作品34
◆リスト/ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調
◆チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」

 一曲目のスペイン奇想曲はいきなり派手派手ギラギラの演奏である。この曲自体はあくまでロシア人がスペインをモチーフにして作曲した曲なのであるが、そのロシアの要素はどこかにすっ飛んで、あくまでスペイン人によるスペインの曲という印象。ラテン色が全開となっている。

 二曲目のリストは若きイケメンピアニスト・ハリトーノフが、その甘いマスクに似合わぬ色気のないガツンガツンとした極めて硬質な演奏。これとガンガン鳴らすバックのカサドが相まって、第一楽章からかなりけたたましい演奏となった。この曲はピアノの色男・リストらしくところどころに口説きのモチーフがあるのだが、ハリトーノフはそういう部分も肩を怒らしてガンガンと演奏してしまうので、これでは女は落ちない(笑)。もう少しマスク通りの甘さが欲しいところ。第三楽章なんかも茶目っ気がないので、やたらに忙しいだけの演奏。

 全体的に「若いな」という印象を強烈に受けた。アンコールで露骨に出たが、彼はタッチが硬質なだけでなく、早弾きの傾向もあるようである。もう少しキャリアを重ねての円熟味が欲しいところだ。

 最後のチャィコフスキーの交響曲第1番は、スペイン奇想曲で予測できたとおりの明朗快活で明るい演奏。カサドはN響からかなり明るくて力強い音色を引き出している。また彼の演奏は音量が上がるとテンポも上がるという大時代的な傾向がある。印象としてはかなり派手で堂々たる演奏である。終わってみると曲の粗が感じられない見事な大交響曲となっていた。これはこれで面白いし、N響からこのような音色を引き出したカサドはただ者ではないと感じる。だが、これがチャイコかと言えば少々疑問。「冬の日の幻想」というよりも「夏の日の喧噪」という感じを受ける。

 さてどうしても先週の九響の演奏との比較を行わないわけにも行かないのだが、演奏技術では残念ながら勝負にならない。アンサンブルの精度、ソロ楽器の技倆、すべての点で残念ながら九響はN響には遠く及ばない。ただ演奏から受けた感銘という観点から考えると、曲の粗も含めてチャイコフスキーの人間像をまざまざと描き出したポリャンスキーと、その意図に答える精一杯の演奏を行った九響に軍配が上がる。N響の演奏は「綺麗な、上手いな」で終わってしまった感がある。


 コンサートを終えると帰宅の途につく。帰りの新快速が大混雑で困ったが、神戸でルミナリエがあるせいとのこと。そう言えばそんなイベントもあったっけ。個人的に全く興味がないものだから知らなかった。