朝風呂と美味い朝食で極楽
翌朝は7時に目覚めた。昨日はあまり激しく歩き回ってたつもりはないが、やはり長距離運転が堪えて腰を中心に怠さと鈍い痛みがある。まあ足腰が立たない状態出ないので良しとするところである。
まずは目覚ましに大浴場へ。本当に朝風呂ってクセになりそう。毎度毎度私はこう言っているような気がするが、改めて「小原庄助さん万歳」。
朝風呂で目が覚めると身なりを整えてレストランへ(風呂は室内着で良いが、レストランは室内着お断りである)。朝食は本来はバイキングらしいのだが、今は時節柄定食形式になっている。ご飯と味噌汁は自由で、コーヒーに抹茶ラテなどのドリンクとパンなんかもあるという内容。だから私がよくやる和洋両様もOKである。なかなかしっかりした内容で、朝からガッツリと燃料補給。
今日の予定だが、メインは14時半から京都コンサートホールで開催される京都市交響楽団の定期演奏会。その前に午前中は嵐山の福田美術館に立ち寄る予定。そのために福田美術館の11時からのチケットをネットで購入してあり、駐車場もAkippaで確保済みである。と言うわけでチェックアウト時刻の10時ギリギリまで部屋で作業。
昨晩書きかけていた「英雄たちの選択」の記事を仕上げるとネットにアップ。さらにパッドを使ってリモート接続で昨晩の「魔王学院の不適合者」をチェックするとその感想を書き上げてこれもアップ。さらに今回の遠征の原稿に取りかかった辺りで10時近くになるので、とりあえず荷物をまとめてチェックアウトする。
嵐山まで40分程度。相変わらず京都の町は車で走りやすくはない。車を置くと嵐山をプラプラと美術館に向かうが、前回訪問時よりは観光客は増えてはいるが、やはりインバウンドが壊滅している状態では嵐山全体はガラガラといって良いお寒い状態である。この辺りの商店はかなり打撃を受けているだろう。
美術館には11時よりも少々早めに到着するが、内部が空いているとのことで入場させてもらえる。
「大観と春草-東京画壇上洛-」福田美術館で10/11まで
親友であった横山大観と菱田春草を中心に、当時の東京画壇の画家たちの作品などを紹介する。
二階には横山大観と菱田春草を中心とした交友図のようなものが記されているのだが、これを見ていると大観は同じグループとして活躍していた画家に対してさえ「嫌い」とか「対立」なんて矢印が多数出ている。どうも芸術家にはよくあるのだが、人格的に難しい人であったのを匂わせる。まあ人格と芸術は別物だが(作者の人格が云々なんて言っていたら、モーツァルトの音楽なんて聞けない)。ちなみに私は横山大観の作品よりは、実は菱田春草の作品の方が性に合う。
福田美術館の見学を終えたところで、さらに奥にある嵯峨嵐山文華館にも立ち寄ることにする。ここと福田美術館はセットのような扱いで、実際にセット券も販売されている。なお次回展の「悲運の画家たち(10/24~1/11)は両館を会場にして開催されるようである。
「いきものがたり」嵯峨嵐山文華館で10/11まで
十二支になった動物たちの絵を中心に、さらには十二支から漏れた動物も加えて動物を描いた絵画を展示。
まず登場するのは大橋翠石の迫力満点の虎の絵。伊達に虎の翠石と言われていない見事な虎である。応挙のネコなどとはまるで違う(笑)。
で、その応挙による竜に、森寛斎が応挙を模写したという大蛇の絵。
さらには橋下関雪による定番の猿と森祖仙によるモフモフ猿に芦雪の犬。
なおこの美術館は普段は百人一首関連の展示をしているとかで、面白いの100人の読み手達のフィギュア展示。
2階は広い畳の部屋に絵画を展示してある(もしかしてここで百人一首の大会をするのか?)。山内信一による「十二ヶ月花鳥図屏風」の大作が印象深い。
近くのスパセン「天山の湯」に立ち寄る
展覧会を満喫したところで駐車場までプラプラと帰ってくる。少し歩きすぎたか疲れ気味である。今はちょうど12時ぐらい、コンサートの開演は14時半だから、少し昼食がてら時間をつぶしたい。今日は思いの外蒸し暑くて汗もかいたしということで、前回に立ち寄ったスパセンの「天山の湯」にまた出向くことにする。
温湯で汗を流すと体温風呂でゆっくりとくつろぐ。地下1200メートルより汲み上げたというナトリウム・カルシウム塩化物泉はそう特徴があるというものではないが、それでもやはりこうやって入浴すると快適である。
風呂上がりにはサッパリとサイダーを頂く。やっぱりこういうのが極楽である。
昼食は館内のレストランで済ませることにする。13日に50食限定という「テンザンセット」を頂く。多くの料理を少量ずつ盛った会席風のランチでなかなかに美味い。
ランチを食べ終わった頃には13時半頃になってきたのでホールの方へ移動することにする。こっちの駐車場もAkippaで予約済みである。ホールへは14時過ぎぐらいに到着する。
コンサートホールのステージ上には京都市交響楽団が12編成でスタンバイできるようになっているので、これでほぼフル編成である。また客席の方は前回は3席おきにしていたのを、今回は2席おきにして以前よりはやや詰めている。今後の規制緩和を睨んでいるのだろう。
京都市交響楽団 第649回定期演奏会
[指揮]広上淳一
スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
ヤナーチェク:シンフォニエッタ
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調Op.95「新世界より」
アクセルロッドの来日が不可となったことから、指揮者が広上に変わってのオールチェコプログラムとなった。
一曲目の「売られた花嫁」から非常に引き締まった演奏。アンサンブルがバッチリでさすがに京都市交響楽団は上手いなと感心させられる。アンサンブルに乱れがないので斉奏が喧しくならずに綺麗に響く。また今日はホール内に吸音材(人体)が少ないせいか、日頃はデッド気味の京都コンサートホールがいつになくよく響く。おかげでキレキレの上に響きの美しい名演となった。相変わらず広上のタコ踊りも絶好調である。
二曲目はバンダを加えた華々しい曲。この曲はとかくのその華やかさの方にだけ気が向きがちになるのだが、広上はこの曲の本質を分かりやすく明示してきたという印象。よくよく考えてみると、私はこの曲を今までに何度か聞いたことがあるが、今回初めて「ああ、こんな曲だったんだ」と感じた。式典的にガチャガチャした曲というイメージを持っていたのだが、こうやって改めて聞くといかにもチェコらしい独特の節回しが散りばめてあり、意外に良い曲だったんだと再認識。
最後は最早通俗名曲になった感のある「新世界より」。この超有名曲に対して今更特別なアプローチなどあるんだろうかと疑問を感じながら臨んだのだが、広上はこの曲を極めてゆっくりしたテンポでじっくりと描いてきた。そしてメロディを徹底的に謳わせる。今までこの曲はやたらに快速に勢いよく行く演奏か、民族舞踊的な側面を表に出したご当地色豊かな演奏などのタイプが多かったのだが、そのどちらでもないアプローチである。殊更に民族性を強調はしないが、一流のメロディメーカーであったドヴォルザークの特長をハッキリと現す演奏。これだけテンポを落としても弛緩したり崩壊しないのは、広上と京都市響の信頼関係があっての代物だろう。この曲のこういう表現もあったのかと驚いた。
正直なところかなり独特という印象を受けたが、これはこれでありだろう。通俗名曲の通俗でない演奏に遭遇した次第。
これでこの週末の予定は終了。車をすっ飛ばして帰宅することになったのである。
前の記事