徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

尾高忠明指揮の大阪フィルでブルックナーの交響曲第9番を聴きに行く

またも大阪まで厳戒態勢で車で出向くことに

 この週末はフェスティバルホールで大阪フィルの定期演奏会である。今回は尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲第9番。前半はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番だが、ピアニストが予定していたアンヌ・ケフェレックが来日不可となり、北村朋幹に変更になったようである。最近は海外からの渡航禁止処置のせいで、この手の日本の演奏家への急遽の振替が相次いでいる。既に来月の定期演奏会も齋藤一郎と菊池洋子という日本人ペアに振替になった模様。

 さて大阪に出向くことになるが、まだまだコロナが収束とはほど遠い現状を考えるとやはり最大警戒態勢を取らざるを得ない。例によって最大リスク要因である鉄道を避けて車で行くことにする。駐車場は例によってフェスティバルホール会員予約で事前確保済みである。

 昼前に家を出ると昼食は一旦高速を摩耶ICで降りてから、近くのトマト&オニオンで。店内を子供が大声を上げながら走り回っていてうるさい。子供というのはとにかくどこでも大声で騒ぐし、あちこちを触りまくる。その上にマスクしろ、静かにしろと言ったところで今時の子供は親の言うことを全く聞かない。新型コロナ変異株は子供に対する感染力が高いと聞いているが、確かにコロナの生存戦略を考えると、子供に対する感染力を高めた方が効果的だろう。高齢者中心で直ちに重症化する状態だと、ウイルスが広く拡散する前に宿主が動けなくなって死んでしまうが、子供に軽症の状態で感染したら、勝手にあちこちにばらまいてくれることになる。重症化の危険因子を持っている私としては、あの子供が感染者でないことを祈るのみ。

 昼食を終えると大阪に直行。しかし予定時間よりもかなり早く到着してしまったので、駐車場近くの路上で停車して、車内でビデオを見ながら時間をつぶすことに。目下のところ大阪に他に予定はないし、どこに行くにしてもその度に法外な駐車料金がかかることになるから、やはり大阪というところは本来は車で来るべき場所ではない。

 とりあえず時間をつぶしてから駐車場に車を置くとホールへ。さすがにゲートでは厳戒態勢を取っているが、来場者は結構多く、一階だけを見る限りでは6~7割というところだろうか。ステージ上はモーツァルトに合わせて10型配置になっている。

 

大阪フィル第545回定期演奏会

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10型の小編成

指揮:尾高忠明
ピアノ:北村朋幹

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー/交響曲 第9番 ニ短調(コールス校訂版)

 北村のピアノはとにかく軽妙で繊細な印象。若手の音楽家らしくテンポや溜に表現意欲が見られるのであるが、タッチが全体的に軽いので、演奏のダイナミックレンジがあまり広くなく、強弱の面での表情付けがあまり出来ていない。その辺りが全体的にサラッとした印象につながってしまう。そういう意味ではモーツァルトという曲目は彼には合っているとは感じる。もう少し濃厚な味付けが必要な曲の場合は表現不足になる可能性が高い。もっともこの曲の場合は、モーツァルトのピアノ協奏曲の中では結構陰影がある方なので、それを強調した演奏もありなのであるが。

 後半のブルックナーはコールス校訂版という最近流行の「一番原典に近い」とされている版。もっとも私はどの辺りが版によって違うのかが分かるほどブルックナーには詳しくない。

 尾高と大フィルの演奏であるが、冒頭のホルンのセッションからしっかりと格好良く決めてきたので、なかなかやるなという印象を受けた。実際に全体を通して特に金管の鮮やかな活躍は実に目立った。

 ブルックナーの交響曲の中では珍しいほど「悪魔的」と言われる本曲だけに、第一楽章などはもう少し緊迫感を漲らせても良いのではと私などは感じるのだが、尾高の演奏は緊迫感を盛り上げよりは、中間部分などの天国的な美しさの方を前面に出してきた。まあそういう演奏はそれはそれでありである。

 第二楽章以降もやはり基本的に尾高の指揮はテンション系ではないので、若干のぬるさを秘めてはいるものの決めるべきところはキチンと決めてきているツボを押さえた演奏にはなっていた。トータルとして見た場合、なかなかの演奏であったと判断する。