徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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白鷺館アニメ棟

最終日は大阪フィルの定期演奏会でティエン・チョウの日本初演曲

暑さのせいでコンサートまでは怠惰に過ごすことに

 その晩は爆睡していたようである。翌朝は気がつくと既に8時半を回っていた。慌てて入浴で体を温めると、ホテルをチェックアウトする。

 さて今日の予定だが、午後3時からフェスティバルホールで開催される大阪フィルの定期演奏会がメイン。後はその前にホール向かいの中之島香雪美術館でも見学しようかというところ。なのでこれから4時間以上完全にスケジュールが空白である。こういう時に大阪市内で車ごと追い出されてしまうと正直なところ非常に困る。何かあてがあればどこかに繰り出すことも可能だが、奈良にしても京都にしてもわざわざ出向くべき目的が現在はないし、何よりも今はそのための体力もない・・・と言うところ。もっとも正直なところそうなるのは事前に大体予想がついていたので手配はしてある。。

 そのために今日は丸一日、車はホール近くに置いておけるようにアキッパで駐車場を確保してある。車を置くと後は周辺で適当に時間をつぶすところだが、正直なところ何をする気も起こらず、横になって一休みしたいのが本音。と言うわけで一番だらけたプランを実行することにする。近くの快活クラブに直行である。入口に「本日満室」の表示が出ていたが、ちょうど泊まり客が行動を開始する頃で客の入れ替わり時なので、空きがあるだろうと見込んで入店すると正解。フラットブースを確保するとゴロゴロしながら、気が向いたらこの原稿を入力したりなどでダラダラと過ごす。やはり若い頃と違ってこの年になってくると、こういうダラダラで体力を回復しないと活動が持続できない。これが30代ぐらいの若い頃なら、ダラダラする時間がひたすら勿体なくて無理矢理にもスケジュールを詰め込んだところであるが。

 結局は3時間ほどフラットブースでゴロゴロとして怠惰に過ごす。横になれるフラットブースは有り難いのだが、たまたま私のブースが空調の直下だったせいで、いくら暑さに弱いという私でもさすがにいささか肌寒い。ひざかけを羽織って凌いだが、これではうたた寝したら風邪をひきそう。タケルケットの一枚でもあれば有り難いところだったのだが・・・。グダグダと過ごして1時半ぐらいになったところでチェックアウト。3時間で1480円という価格はやや微妙ではある(恐らくネカフェの相場としては高めか)。中で漫画を読み倒して、ジュースやソフトを食いまくったら十分にペイするかもしれないが、私のようにゴロゴロしながら持参したpomeraに向かい合っていただけだと、コスト感覚がかなり厳しい。まあ今日の場合は冷房代と思うしかあるまい。

 

 

昼食を摂ると中之島へ

 チェックアウトして表に出ると、急にもわっとした空気が顔に吹き付けると共に、小雨がパラパラと降っている。とりあえず慌てて堂島地下街に避難。

 ホールに行く前に昼食を摂る必要があるが、吟味するのも面倒なので「杵屋」に入店してカツ丼とうどんのセットを注文する。

やや微妙な昼食

 チェーン店でも店によって当たり外れはあるものだが、正直なところここはハズレに近い。麺が腰があると言うよりも単純に硬い。最近は丸亀製麺によく行くので、余計にそういうことが気に掛かるのかもしれない。やはり単純にうどんの味だけだと丸亀製麺の方が上である。

 昼食を終えると小雨がぱらつく中をフェスティバルホールへ。堂島地下街がそのまま中之島までつながっていると良いのだが、残念ながら川の手前で地下街は終わっているので、雨の中を地上を歩く必要がある。やや小走りにフェスティバルゲートビルに到着。この後は地下伝いにホールなのだが、その前にホール向かいのビルに入る。

雨のフェスティバルホール

 

 

「陶技始末―河井寬次郎の陶芸」中之島香雪美術館で8/21まで

中之島香雪美術館

 民藝派として有名な河合寛次郎であるが、その作風は何度か変遷している模様。その河合寛次郎の陶芸作品を初期から展示してある。

 最初期にはいわゆる普通の陶芸を行っていたようであるが、その頃から過剰装飾のない比較的シンプルな作品が多いことから、後に民藝運動の方に傾倒していくのは何となく自然につながる。実用の日用品の中に美を見出した彼の作品は、よりシンプルな方向へと加速されていく。

 それよりも理解しにくいのは戦後に一転して芸術志向の作品を作り始めたことだ。この時期の作品は釉薬の発色などに対する研究などは明らかに初期作品からの流れを汲んでいるが、実用からかけ離れた過剰装飾気味の芸術作品は明らかにそれまでの民藝運動とは一線を画している。作品だけを見ている限りでは、ここの間の心境の変化がいささか理解できなかったところがある。戦争で陶芸が中断された時期があったらしいが、その辺りが何やら思うところがあったのではという気もするし、戦前の抑圧された社会が戦後になって突然に解放されたことも影響しているのか? これ以降の作品は色彩爆発でアリ、むしろ初期に感じた作風に輪廻してきているのではという気もした。

 正直なところ、陶芸に疎い私は「河合寛次郎=民藝派=実用に徹した地味陶器」という思い込みをかなり持っていた。今回本展を見学して、その自身の思い込みの浅はかさに気付いた次第。何事も偏見で単純化して思い込むと失敗するようである。なかなかまだまだ学ぶことは多々あるようだ。


 展覧会の見学を終えるとホールへ。ややマニアックな選曲に知名度イマイチの指揮者の組み合わせと言うことで客の入りは6割行くかどうかと言うところ。

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第559回定期演奏会

一曲目のためにかなりの大編成

指揮/ロバート・トレヴィーノ

ティエン・チョウ:管弦楽のための協奏曲(日本初演)
ブラームス:交響曲 第2番 ニ長調 作品73

 一曲目の作品は、現代音楽といってもよくある奇々怪々なものではなくて比較的分かりやすいもの。ただとにかく派手というかティンパニ大活躍という感があるので、オケはかなり忙しそうである。それでも音楽が崩壊しないのは大フィルの実力も上がったということか。なおメロディラインがハッキリしない曲調の中でもどことなくアジア的な節回しは感じられ、日本人としては比較的理解しやすい曲ではある。

 さて問題は二曲目のブラームスであるが、トレヴィーノはややゆったりめのテンポで謳わせてくる・・・と思ったのだが、正直なところそれが全く謳っていない。確かにテンポはゆったりとしているのだが、ただ遅いだけ。その音は極めてアッサリとしていて心に響いてこないという印象。ゆったりと流すのなら、そこでもう少し音色に色気が欲しいところなのだが、それが皆無。元々大フィルサウンドはアッサリしたところがあるが、それにしてもアッサリというよりは素っ気ないという印象。

 この曲は最初の弦の盛り上がりで心をつかめるかがすべてというところがあるのだが、そこのところで全く何も響いてこないのだから後はすべてが空滑りである。テンポをあげた最終楽章も何も響かずにゴチャゴチャした音の固まりが抜けていくだけ。最後まで音が単に流れただけという感じで、こちらには何も残らずかなり空疎な感覚のみがある。ハッキリ言って極めて物足りない印象の演奏であった。


 それにしても大阪フィルは指揮者によって音色が極端に変わるオケだが、先月にデュトワの元であれだけ濃厚で色っぽい音楽を聴かせた同じオケとは思えないほどの激変ぶりだった。こういうのを体験する度に、指揮者という存在の重要性が痛感されるのである。

 このコンサート三連荘は最終公演でやや残念な感じになってしまったが、昨日のセンチュリーと一昨日の山形響で一応補って余りあるところではあるので、総じて満足と言うところか。ただ計算違いは異常な暑さ。特に昨日は命の危険を感じる状態で、結果としてほとんど部屋にお籠もりに近くなってしまったのは計算外だった。しかも暑さへばりでホテルではほぼ寝ていたせいで、折角構築した仕事環境もほとんど活かせず。年のせいか暑さに対する適応力も低下してきているのを感じる今日この頃である。

 

 

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