徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

マケラ指揮のパリ管の圧倒的演奏に、ホール中が完全に魅了されてしまった

今日はパリ管だ

 昨晩は夜中に気分が悪くなって中途覚醒するトラブルはあったが、目覚ましで7時に起こされるまで死んだように眠っていた(本当に半ば死んでいたのかもしれない)。

 自然に目覚めたのでなく、目覚ましで叩き起こされたので目覚めはあまり良くない。だるい体を引きずるように起き上がると、まずはとりあえず体を温めるために風呂に湯を張ることにする。

 さて今日の予定だが、基本的には午後2時からフェスティバルホールで行われるパリ管のコンサートを聴きに行くのがメイン。後の予定は特になかったのだが、昨日時間の関係で中之島美術館からホールに直行していて中之島香雪美術館に立ち寄っていないので、そこには立ち寄ることにする。

 朝風呂で体温を上げると、昨日ほとんど手を出せなかった原稿執筆を少し進めて、10時ギリギリまでホテルでグダグダするとチェックアウトする。今日は時間に余裕があるので、高速を使わずに下道でフェスティバルホールのところまで。アキッパで確保していた駐車場に車を入れると身軽になる。まずは美術館から。

 

 

「伊勢物語 絵になる男の一代記」中之島香雪美術館で11/27まで

ホールの向かいがこの美術館

 在原業平を主人公にしたとされる「伊勢物語」については、古くより絵画化されて多くの絵巻などの作品が残されている。香雪美術館が所蔵する「伊勢物語図色紙」は着色絵巻では現存最古の「伊勢物語絵巻」(和泉市久保惣記念美術館)に続く良作とされており、内容にも珍しい特徴があることからかなり貴重な資料であるとか。そのような伊勢物語に関する作品を展示して、香雪本の作風や制作時期に注目すると共に、伊勢物語の世界を堪能するという主旨の展覧会である。

 本展では、伊勢物語の代表的なエピソードを紹介することで、私は初めてのこの作品の内容を知ることになったのだが、一言で言うなら色男の女性遍歴物語であり、内容的には源氏物語と大差は無いが、源氏物語の方がドラマ性は高いというものである。

 様々な豪華で雅な絵巻が展示されているので、その意味ではまあ見て楽しいものではあるが、所詮は平安版ハーレクインロマンスと感じてしまうと、急に下卑て見えてきてしまったりするのが困りものである。

 

 

堂島地下街をプラプラ

 美術館を出た時には11時頃。どうにも時間が中途半端なのが困ったところである。これが3時開演ならいっそのことネカフェに籠もってしまうんだが、そこまでの時間もない。とりあえず堂島地下街をプラプラして、休憩と時間つぶしを兼ねて少しお茶をすることにする。「千鳥屋」の喫茶に入ってぜんざいを注文する。

千鳥屋の隣に喫茶がある

 ぜんざいの甘ったるすぎない適度な甘味が心地よい。口の中が甘くなってきたら、添付されいる塩昆布でリセットしてから再び甘味を堪能。ああ、日本人で良かったと思う瞬間である。

ぜんざいの甘さが身体に染みる

 しばしぜんざいでマッタリしながら、pomeraを引っ張り出してきて原稿入力。昨日はとにかくさっぱり文章が頭に浮かばなかったが、今日は体にかなりの怠さはあるものの、頭のボケはいささか解消されているようである。ザクッと昨日分の原稿をあらあらでまとめると、昼前に店が混雑し始める前に退店する。

 

 

昼食は極めて安直に

 後は昼食を摂る店を探して堂島地下街をプラプラするが、呆れるほどに店がない。やっばりこの界隈はオフィス街だから平日の方がメインなんだろう。こうなればホールの地下にでも行くかと諦めて地上に出ると、フェスティバルホールの方に向けてブラブラと散策する。

 すると橋の手前で「PRONTO」を見かける。このままフェスティバルホールについてしまっても、「而今」は昨日行っているしいよいよ「PRONTO」ぐらいしかないぞと思っていたのでちょうど良いところだ。あっちは混雑する恐れがあるが、こっちの店の方はガラガラである。ミートスパを注文してしばし時間をつぶす。

橋の手前にあったPRONTO

 可もなく不可もなくのミートスパを昼食にして開場時間までをつぶすと、1時を回ったところで店を後にしてホールに向かう。

可もなく不可もなくのミートスパ

 最近は国内オケばかりだったので、久しぶりの3階貧民席である。なんせパリ管ともなると1階席で聞くなんてことは私には到底不可能。自ずと3階席、それも後ろの列となってしまうのが必然。ただこのホールの場合、ザ・シンフォニーホールと違って3階の後列でも見切れにならないのが有り難いところ。私個人としてはこれがこのホールの最大の価値と感じている。

フェスティバルホール

 3階席は貧民席である後ろ数列は満席、高い席になる前の方はガラガラというかなり明暗のハッキリした状況になっていた。3階席からは下の状況が分からないのだが、結構空席があるような気配がした。やはり料金が高すぎるのだろう。 

 

 

クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団

3階席はやや遠いが見切れではない

指揮/クラウス・マケラ
管弦楽/パリ管弦楽団

曲目/ドビュッシー:交響詩《海》
   ラヴェル:ボレロ
   ストラヴィンスキー:春の祭典

 一曲目はドビュッシーのキラキラした曲である。これがゴージャスサウンドのパリ管にかかればかなりキラキラした演奏に・・・と思うところだが、マケラは過度にキラキラしないように抑制したような印象を受ける。おかげでところどころで結構渋いサウンドも聞こえる。トータルとしては予想外に渋い「海」であった。

 一方の二曲目のボレロになると、さすがにパリ管のソリトスト達の名人芸が光る。いきなりフルートが良い音色を聞かせてくれるが、その後もいれかわり立ち替わりで管楽器陣の名人芸が光りながら徐々にクライマックスへ。マケラは名人揃いのパリ管に任せて自身はもっと大きな音楽の組み立てに留意しているような印象。段々と音楽は盛上がっていき、最後は一大クライマックスを迎えて曲は終わる。

 休憩後のハルサイは、もう初っ端からマケラがぶちかましまくりという印象である。激しく野性的なリズムで曲をガンガンと進めていくが、マケラ自身もかなり激しい指揮ぶりであり、あのヒョロイ印象の身体のどこにそれだけのパワーが潜んでいるんだろうと驚かされる。

 いくらマケラが派手にぶちかましても、演奏に一切の乱れがないのは流石にパリ管。ほとんど暴走寸前の爆音が出たりするのだが、それでもエレガントさを完全には失わない。最後まで強烈なエネルギーを秘めて曲はフィナーレに突入。圧倒されるような状況のまま演奏が終了する。

 猛烈なパワー漲る演奏に呆気にとられたというところ。今から思えば、一曲目の「海」がいささか抑え目に感じたのは、コンサートトータルで尻上がりにクライマックスが来るように計算してのものと感じられる。情熱的な指揮ぶりが印象に残ったが、どうしてどうしてマケラは若さに任せて突っ走るような指揮者ではなくて、なかなかに怜悧な計算の出来る指揮者のようである。

 場内の盛り上がりに答えてのアンコールは「悲しきワルツ」。しかしこれがまたパリ管の桁外れに美しい弦楽陣の音色に唖然とした。それが単に美しいだけでなくて、何とも言えない上品な色気を含んだ艶っぽいものであるのはいかにもパリ管。まさにウットリとする音楽を堪能したのである。ぶちかまし系が多かった今回のプログラムの中では、ある意味で一番パリ管のキャラクターが濃厚に出た曲でもある。

 場内はかなりの盛り上がりとなったが、驚いたのは楽団員が引き上げにかかっても観客の大部分が全く動かずにそのまま拍手を続けたこと。楽団員の引き上げがかなり長時間になったにもかかわらず拍手は全く途切れず、結局はマケラの一般参賀が2回。これは驚いた。今まで一般参賀のパターンでも、客の半数方は引き上げて熱心なファンのみが残ることが多いのだが、今回は恐らく8割方の観客はそのまま残っていたように思う。それだけ多くの観客が深い感銘を受けたと言うことで、それは私にも納得できるところである。

 と言うわけで、さすがにパリ管はすごいということと、マケラ侮り難しということを痛感したのである。今期はコロナの影響で外来オケの来日はまだ本格化していないが、それでもロンドン交響楽団にパリ管弦楽団という世界でもトップクラスのオケの素晴らしい演奏を堪能できたのは幸福と考えるべきか。

 

 

この遠征の前日の記事

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