今日も大忙しである
翌朝は目覚ましで8時に起床。目が覚めるとまずは朝食に繰り出す。「カフェ・ド・イズミ」を第一候補に考えていたが、微妙に出遅れたのが災いして目の前で満席。仕方ないので「ラ・ミア・カーサ」に出向いて玉子サンドのモーニング(450円)を頂く。例によってのこの界隈のワンコイン最強モーニングである。


さて今日の予定であるが、当初はかなり無茶な予定を組み込んでいた(9時から始まって22時半までというもの)のだが、流石に若い頃とは違って今の私ではそれでは体力が続かないと判断し、昨晩の一人作戦会議で一か月単位でスケジュールを見直し、予定をかなり刈りこむことにした。やはり何事も計画的に実行するのが重要。私は趣味に関しては全力投入で綿密なスケジュールを立てる。この綿密さが仕事に反映されていたら今頃は・・・とこれはやめておこう。
まずは大阪ステーションシティシネマで上映されているMETライブビューイングの「トスカ」を見に行くのが最初の予定。上映開始が10時半からなので、出かけるまでのしばしの時間はホテルに戻って原稿執筆を行う。
10時前に出かけると劇場に直行、予約していた席を確保して入場してから驚いた。113席の劇場が8割方埋まっている。70~80人ぐらいは来ているようだ。確かに大阪ステーションシティシネマは常にキノシネマ神戸国際などよりも観客は多めだが、それでもMETのライブビューイングでここまで入るのは初めて見た。「トスカ」というプログラムの人気と言うことだろうか。
METライブビューイング プッチーニ「トスカ」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:リーゼ・ダーヴィドセン、フレディ・デ・トマーゾ、クイン・ケルシー、パトリック・カルフィッツィ
劇的ストーリーにそれを盛り上げる音楽が一体化した、プッチーニの人気作。それをさすがにMETらしく、豪華キャストと豪華セットで披露する。
歌手陣についてはヒロインのダーヴィドセンの安定した実力は今更言うまでもないが、やはり舞台を引き締めているのはスカルピアのケルシーだろうか。ドッシリと安定感があって力強いバリトンボイスは、この卑劣漢たるスカルピアを単なる軽薄な犯罪者でなく、社会に仇なす悪の象徴的に堂々と表現している。ケルシー自身が「役を把握することが重要」と言っていたが、自分が非モテであることを痛感しているから権力によって女を支配することに快感を見出したという異常者であり卑劣漢たるスカルピアの心情をよく表現している。それにしてもこういう観点で見ると、意外と今日的テーマでもある。
今回がMET初出演であるというトマーゾは、バリトンからテノールへ転向したという異色な経歴を持つが、元バリトンとは思えない華麗なる声で、このやや理想家である若い画家を好演している。
なお私の印象に強烈に残ったのは、脇役である堂守を演じたカルフィッツィ。軽妙で喜劇的な存在感が作品を盛り上げている。非常に安定感があるので感心していたら、この役は今まで数えきれないほど経験しているベテランとのこと。道理でと納得した次第。
映像的にはトスカのダーヴィドセンがキャストの中で一番の長身で大柄(儚げにさえ見える顔貌とのギャップがすごい)であるためいかにも逞しく、スカルピアを刺殺しないでも軽く絞め殺せそうに見えてしまうという、例によってのオペラ特有の難点はなきにしもあらずだったが、歌唱面の安定性は鉄壁のものがあった。プッチーニの巧みな音楽と共に思わず引き込まれるようなドラマになったのである。
既に展開は周知の作品で、3時間超の上映時間はややしんどいなという気もあったのだが、いざ始まると結構引き込まれてあっという間であった。この辺りは作品の巧みさだろう。民放の腑抜けた二時間サスペンスなんかよりは余程見応えがある。プッチーニはこういう辺りが非常に上手い。
上映時間は3時間半ぐらいなので終了は14時頃である。これから美術館を回るつもりだが、その間にどこかで昼食を摂る必要がある。とは言うものの、食べたいものは浮かばないし、予定が押しているのであまり時間を取れないしということで、通りすがりの「ミンガス」でカツカレーを腹に入れることにする。


とりあえずの時間優先の昼食を10分程度で終えると地下鉄で肥後橋に移動する。最初に立ち寄るのは中之島美術館。つい先週に「歌川国芳展」の鑑賞に来たところであるが、今週は展示品をほとんど入れ替えての後期が開催されている(先週が前期の最終日だった)ので、それを見学しようという考えである。
現地に到着すると、ある程度覚悟はしていたがやはり行列ができている。まあそれは織り込み済みでのスケジュール設定をしている。50分とかいう声が聞こえてきたから1時間近く待たされることを覚悟したが、意外なことに30分程度の待ちで入場できる。

「歌川国芳展ー奇才絵師の魔力(後期)」中之島美術館で2/24まで

展示の構成は前期の時と同様にテーマ別の構成で、まずは武者絵から。やはり国芳の作品の真髄はここにあると私などは思うのであるが、後期は私の好きなタイプの斜線が画面をビカビカと横切るタイプの漫画的な作品が多かったのが楽しいところ。やはり国芳先生が現代にご健在なら、絶対に少年ジャンプ辺りで連載を持っただろうなと考えてしまう。

後期は源頼光やら金太郎辺りが大活躍、また前期では画面中矢が飛び交っている四条畷の戦いの作品があったが、今回も同様の描写の作品も。画面に躍動感があって動きが感じられるのが国芳のすごいところ。

役者絵、美人画などはまあ前期と似たようなもの。その中で面白いと感じたのは、人気花魁3人を描いた作品で、花吹雪ならぬ小判が舞い散っていたもの。彼女たちは1日で1000両を稼ぐと言われていたようで、それを表現したものらしい。今日の表現だと人気アイドルのステージの様子の絵に万札をばらまくところか。美人画でも風刺が効いているのはさすがに国芳。源頼光と土蜘蛛を描いた作品など、水野忠邦の天保の改革による物価高騰を皮肉っているとして評判になったぐらい風刺精神の強いのが国芳。もっともそのせいで幕府に目をつけられて処罰を食らうのだが。

風景画は望遠レンズで眺めたように遠近感を圧縮することで高低差を強調した坂や橋の絵が印象に残る。カメラなどなかった時代にどうやってこういう発想に至ったのかには疑問を感じるところでもある。
国芳のもう一つの真髄と言えるのが、動物画や戯画。後期は国芳の大好きな猫の絵がやや増量と言うところか。また金魚シリーズなどが楽しい。また影絵などの一ひねりのある作品が面白いが、感心したのは一頭多体図というやつで、一つの頭を描いて三方向に三つの体を描いている作品。一瞬奇怪に見えるんだが、一つ一つを見ていくと体と頭が自然につながっていて、3人を重ねて描いているように見えるという代物。これを生かして「十四人のからだにて三十五人にミゆる」なんて作品まで。

やはり例によって場内劇混みで鑑賞条件は最悪だが、それでもなかなかに堪能できた。とにかく後期も奇想の画家の奇想っぷりに圧倒されたわけである。腹いっぱいに国芳を堪能できたってところで、国芳の作品をこれだけまとめて鑑賞できる機会と言うのも意外にないのでこれはかなり貴重な機会だった。
次の目的地に移動だが、次の目的地は駅の近くにある美術館。
「20世紀美術の巨匠たち ウォーホル、ロスコ、リキテンスタイン」中之島香雪美術館で4/6まで

20世紀になるとアメリカを中心に新たなアートの潮流が勃興してくる。そこでは様々な表現手法が開花し百花繚乱の様子ともなった。それらはキュビズムの流れから抽象表現に到達し、さらには表現主義、そしていわゆるポップアートなどへの流れがあるが、それは戦争に対する批判から、大量生産・大量消費の時代に対する皮肉など、様々な時代背景を含んだものでもある。そのような20世紀のアートについて大原美術館の所蔵品によって展示する。
正直なところネタ的にはあまり期待していなかったのが本音なので、まあそれなりというのが正直な印象。それになにより、大原美術館所蔵作品なので、以前に一度見たことがある作品と言うのが結構あったようである。まあウォーホルのモンローやリキテンシュタインのアメコミなんてどれも同じようなものだが。
そんな中で異色に感じたのがリキテンシュタインによるティーセット。ティーセットにリキテンシュタインらしいドットが仕込んであるのだが、それが草間彌生の斑点のような気持ち悪さはなく、普通に洒落たデザインとなっていて「これなら使えるし使ってみたい」と感じた。リキテンシュタインなる画家については私は実はよく知らないのだが、工業デザインとかに向いていた人物なんだろうか。
茶室のところにクラインの「青いヴィーナス」が据えてあったのが、和洋折衷のようで何とも言い難い空気感を漂わせていた。ところでこの作品、こうやって実物を見ればこの青色にまるで光を吸い込まれるような感覚を受けるのだが、何とも独特なこの質感はいかにして実現してるんだろうか。素材は樹脂などと説明されているようだったが。


次は地下鉄で天王寺まで移動。ここが今日の美術展の予定は最後になる。
「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界」あべのハルカス美術館で3/16まで

まさに大正ロマンを象徴するかのような「夢二式美人」と呼ばれる独自の美人画で一時代を築いた人気画家の展覧会である。本展ではいわゆる夢二式美人作品だけでなく、もっと幅広く彼の芸術を紹介している。
最初は夢二式美人を確立するまでの時代の作品なのだが、まあ普通の絵画であるが、この頃から線画志向は伺える。何となく人物像が華奢でそれが後の夢二式美人につながるのであるが、私としてはデッサンのバランスが奇妙であることが気になる。この辺りも私が竹久夢二の絵が苦手である理由につながるかもしれない。

夢二は絵画だけでなく、雑誌の挿絵からさらには日用品デザインまで幅広く手掛けている。本展でも夢二がデザインした千代紙が展示。夢二式美人が苦手な私には、むしろこちらの方が違和感がなく、普通に洒落ている。

本展展示の「秋のいこい」などはまさに夢二式美人の完成型の一つだろう。しかし夢二はそこにとどまらずさらに新展開を目指す。

実際に夢二は油絵なども手掛けていたようである。そんな作品が本展展示の「女」や「アマリリス」。線画志向の強かった夢二が、画風を変更して西洋の伝統的な油絵に挑戦していることを示す興味深い作品である。なお「アマリリス」に関しては永らく所在不明で失われたと思われていた作品だとか。


大正期には絶大な人気を誇った夢二であるが、時代が昭和となって世の中に暗雲が立ち込めようになってくると、かつての人気が陰ってくる。そんな時代に夢二は欧米に留学して新境地を求めた。その時期には油絵などを手掛けたようであるが、その希少な作品が「西海岸の裸婦」。夢二が珍しく金髪女性を描いた作品で、今までの印象とは異なり新境地を目指しているのが窺える。

だが夢二は完全に新境地に至る前に人生を終えてしまったようである。ほぼ最晩年の作品が「立田姫」であるが、そこには夢二が追い求めた日本女性の姿が滲んでいるとか。

なかなか興味深く、夢二が苦手な私でも思いのほかに楽しめた。とは言うものの、やはり私が夢二式美人画が苦手なのは相変わらず。これは私と夢二の芸術志向の差というよりも、女性観の違いも滲んているのかもなどと感じたりもする。
なお本展は例によって物販部門が非常に充実していたのも特徴。夢二は当時からもいわゆる物販に力を入れていたことから、いかにも夢二らしくもあるのか。なおその隅にさり気に東郷青児の作品も飾られていたのだが、違和感が全くなかったのはある意味で笑える。まあ大きな括りで見たら同ジャンルと言えなくもないか・・・。


今日最後の展覧会鑑賞を終えたところで、後はホテルに戻る前に夕食を摂る必要がある。天王寺まで来たのだからこの周辺でとっても良いのだが、実際にはこの辺りの店は高すぎるところがほとんど。新今宮まで戻って考えることにする。
じゃんじゃん横町まで戻ってくるが、まだ夕食時には若干早いにも関わらずインバウンドを中心とした観光客で大混雑である。私の目論見としては寿司が食いたかったのだが、頼みの「大興寿司」は二店ともアジア系と思われる客が行列。差別主義者ではない私も、流石にこの状況には「インバウンドうざっ」という声が出そうになる。店の側は商売繁盛なのかもしれないが、こちらとしては何かと不便が多い。
仕方ないので久しぶりに「串カツだるま」に入店することにする。とは言うものの、そもそも今日は串カツの気分だったわけではない。昨今の体調を考えると、串カツで腹いっぱいにしたら間違いなく胸が悪くなると思えたので、適当に10本ほど注文して、コーラを頂きながら腹に入れる。うーん、正直なところ別段の感動はないな。以前に比べて何かとCPが悪化したということだけが目立つ。


腹はまだ十分には満たされていないので、隣の「松屋」で230円のきつねうどんを頂く。相変わらずCPは最強である。ただ何となく以前に比べて美味くない気が・・・。私の体調のせいか、それとも味が落ちたのか。


とりあえずの夕食を終えるとホテルに戻ってくる。しかし部屋に入った途端に気が抜けたのか、疲れが一気に押し寄せてきてしばし布団の上で動けなくなる。無理を避けるために当初予定から大幅に刈り込んだはずなのだが、今の私にはそれでもきつすぎたか。まあ刈り込んだと言っても結局は1万4千歩も歩いている。これは当初予定通りに実行していたら、途中で死んでしまったかも。
結局はしばしそのままの状態でグッタリ。しばらく後にようやく起き上がると入浴は済ませたのである。しかしその後はまたグッタリ。結局は起き上がって原稿執筆作業ができるようになったのは、夜がかなり更けてからであった。
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