とりあえず朝食だ
翌朝は例によって7時過ぎに自動的に起床する。長年のサラリーマン生活の習性と老化に伴う睡眠力低下のせいである。目が覚めるとまずは活動に必要な体温を稼ぐためにシャワーで体を温めると朝食に外出する。
朝食を摂ったのは例によっての「喫茶 京」。ミックスサンドとアイスコーヒーで1050円と朝食にはやや高めだが、内容の充実ぶりから外せないところ。今朝は煙草プカプカの常連が来ていなかったおかげで快適。


さて今日の予定だが、METライブビューイングの「セヴィリャの理髪師」が大阪ステーションシティシネマで11時5分から。なお今日は美術館も2カ所ほど立ち寄る予定。しかし上映終了が14時半だから中途半端な時間である。10時から上映だと後の時間が十分にあるし、13時頃から上映だったら、午前中に回り終えることが出来るのだが・・・。とりあえず美術館は上映終了後にかけずり回る予定で、ホテルは10時過ぎにチェックアウトすれば間に合うので、それまでは執筆作業。昨日の原稿をアップする。
ホテルをチェックアウトすると劇場に直行。それにしても今日も暑い。到着した劇場は何やら馬鹿込み。なんか話題の映画ってあったっけ。さらに驚いたことに今日のMET上映は座席が8割方埋まっている。以前の「フィガロ」の時も多かったが、それ以上である。ロッシーニってここまで人気だったっけ?

METライブビューイング ロッシーニ「セヴィリャの理髪師」

指揮:ジャコモ・サグリパンティ
演出:バートレット・シャー
出演:ジャック・スワンソン、アイグル・アクメトチナ、アンドレイ・ジリカウスキ、ピーター・カルマン、アレクサンダー・ヴィノグラドフ
今期は先に「フィガロの結婚」の上映があったが、今回の作品はそのプレストーリーであり、三部作の第一作ということになる。そもそも軽妙洒脱な喜歌劇であり、シャーの演出はそのことをかなり意識したもの。ステージにオケピを取り巻くように廊下が設置してあり、時には出演者がそこに出てきて観客席の近くで演技をするという立体的構成となっている。
指揮のサグリパンティもそういったノリを重視しているのは明らかで、序曲の時点でその雰囲気が伝わってくる。軽快で愉快な演奏に徹していて擊を盛り上げることに留意しているのは間違いない。
本作品のトリックスターであるフィガロを演じるジリカウスキはなかなかのコメディアンぶりを発揮している。またロジーナのアクメチナはその豊かな表現力で、単なる囚われの令嬢ではない「自分に害をなす相手なら復讐をする」という一癖のある女性を演じている。これらの存在感の強い人物に比べると、伯爵のスワンソンは若干線の細さと存在感の薄さを感じさせないではないが、軽妙な劇自体にはマッチしており、また恋する誠実な若者という雰囲気を漂わせている。もっともこの若者の成れの果てが「フィガロの結婚」で浮気にうつつを抜かすドスケベ伯爵だと思うと、人間って一体・・・という気にならないでもないが。
全編を通じて笑いどころを散りばめた実に軽妙な活劇となっている。ただその一方でロッシーニの音楽自体は実に技巧的で精密である。コメディを演じながらこの技巧的な曲を歌いこなす必要のある歌手陣はさぞかし大変であろうと思うが。もっとも観客の方はそんなことは関係ない。私にしてもやはりヤンヤン歌いまくるイタリアオペラは見ていて楽しいということを再確認させられたのである。
ライブビューイングを終えると天王寺に移動する。今日の美術館は2カ所とも天王寺。大阪市立美術館の「ゴッホ展」とハルカス美術館の「深堀隆介展」をハシゴする。とりあえずゴッホ展は15時半からの時間指定入場券を手配しているので、その間に遅めの昼食を摂りたい。階下のレストラン街は完全に昼食時を外しているにも関わらず長蛇の列でお話にならず、さっさと天王寺に移動してから飲食店を探すことにする。しかし天王寺の地下の飲食店もどこも行列。どうなってるんだ一体。なお「KYK」だけ行列がなかったが、あそこは以前にひどい目に遭ってるので問題外。
それは数年前、今は亡き母を連れて大阪市立美術館での展覧会に来た時だ。昼食を摂ろうとこの店に入ったのだが、出てきたトンカツが一度揚げて放置したものを再加熱したとしか思えないカスカスの不味くて食えたものでなかったことがある。あれには私は頭にきたが、母もかなり呆れたらしく、その後も何かの度に「あそこはひどかった」と繰り返していた。もう大分前のことになるが、この状況でも行列が出来てないのを見たらそれが改善していない可能性が高い。一見の客が多いので、かなりひどい店でも生き残ってしまうという恐怖の観光地あるあるである。
ラーメンでもと思って「古潭」を覗くが、ここも待ち客が。向かいにはそばと丼の店「丼丼亭」があるが、そばは昨日も食べたしな・・・と思ったところで、昨日は「やまがそば」によろうとしたが、待ち客がいたのでスルーしたことを思い出した。じゃあこれで良いかと入店しようとしたら生憎の満席。待ってくださいとのことだが、私の「待たされるのなら他を当たろうか」という空気を感じたのか、先に注文を聞いてくる有能なバイト。仕方ないので待つことにするが、そもそも回転の速い店なので、5分と待たずに席が空く。

注文したのはカツ丼にレギュラーサイズのざるそばをつけたもの。味は美味くもないが不味くもないというところか。良くも悪くもチェーン店の味という感がある。まあ間に合わせの昼食のつもりだったから、ボッタクリでないということで可とする。

昼食を終えるとちょうど予約の15時半前なので大阪市立美術館へ。美術館前には待ち客用のテントまで設置してあるが、幸いにしてそこにまで行列が伸びている状況ではない。入館すると会場の混雑整理のために若干待たされるが、基本的に日時指定予約が優先であるのでそう長時間待たされることなく入場出来る。


「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」大阪市立美術館で8/31まで

天才的で時代を作った画家と今日では世界中で認識されているフィンセント・ファン・ゴッホであるが、その名声を獲得する上で大きな役割を果たしたのが彼の家族である。彼自身は独身のままで生涯を終えたが、弟であるテオの家族がゴッホが世に出るのを全力でサポートした。テオは彼が生前に画業に打ち込めるように主に金銭面から尽力し、テオの妻であるヨーは彼とテオの死後にゴッホが世に知られるように彼の作品を展覧会に貸し出すなどを戦略的に行い、テオとヨーの息子でフィンセントの名をもらったフィンセント・ウィレムはコレクションの散逸を防ぐべく財団を設立して美術館を開設した。このような家族の尽力によってゴッホは今日の名声を獲得したのである。本展はゴッホの生涯を通しての画業をファン・ゴッホ美術館のコレクションで紹介すると共に、彼を支えた家族達との絆についても紹介していく。

展示はまずテオやフィンセントが所有していたコレクション(現在はファン・ゴッホ美術館の所蔵品となっている)から紹介。ゴッホがどのような作品から影響を受けたかが覗われる内容となっているが、日本の浮き世が多数含まれているののが特徴的なところである。
そしてゴッホの画業はオランダ時代から始まる。聖職者を目指していたがその道を断念して画家を志すのが27才とかなり遅咲きである。この頃のゴッホは画家としての立場を確立するべく素描の技術を上げることに邁進しており、その頃のスケッチなども展示されているが、正直なところあまり技巧的ではない。またこの頃の彼の画題は農民達の姿であり、それをかなり暗めの色彩で描いており、後のゴッホの画風とは大きく異なる。

それが一変するのがパリに出てからである。そこで多くの前衛芸術などと触れることで、一気に色彩を爆発させて後のゴッホの画風の基礎が出来上がってくる。この頃は色彩の効果を追究しながら画風を模索していたようで、後にもつながる点描的な表現から、面塗りの表現など技法が必ずしも一貫していないことを感じさせられる。
アルルに移った頃から彼の画風は確立してくる。しかしこの頃からゴッホの精神に不調が現れてくる。ゴーギャンとの共同生活の破綻などからいよいよ本格的に精神病を発症して療養所に入ることになる。この頃、療養生活の傍らで麦畑の絵などを描いていく。このような時期の作品が最もゴッホらしい秀品のオンパレードなのだが、結局は不安定な精神の中で37才で自殺、そこで彼の画業は終わりを遂げてしまうのである。
このゴッホの生涯に合わせてそれぞれの時期を代表するような作品が展示されているので、ゴッホが天才と狂人の紙一重のラインを彷徨いながら才能を爆発させて燃え尽きてしまうまでを体感出来るような展示となっている。

しかしながら展覧会として見た場合、実はゴッホの作品展数自体は思っていたよりも少ないと言うのが本音。第一部と最終部はゴッホの作品ではない美術館のコレクションであり、ゴッホの展示自体もかなりの部分を映像展示でスペースを埋めているというのが現実。さらにはそこで上映されていた内容はNHKがゴッホの生涯を紹介するのに作った番組の抜粋で、その完全版は翌日に地上波で放送されている・・・という状況を考えると「なんだかな」と感じるのが本音。身も蓋もない言い方をしてしまうと、CPとしてはあまり良くはない展覧会というのが本音だったりするのである。
ゴッホ展の鑑賞を終えるとハルカス美術館に移動する。本当は灼熱地獄でかなり衰弱しているので、途中で喫茶でも立ち寄ってクーリングしたかったのだが、既に17時近くになっていて時間的に余裕がない(ハルカス美術館は土曜日は入館は17時半まで)。疲れているが直行することにする。
「金魚絵師 深堀隆介 水面のゆらぎの中へ」あべのハルカス美術館で9/7まで

マスの中を泳ぐ金魚を描いた立体的作品「金魚酒」のシリーズで有名となった深堀隆介の展覧会。
芸術家としての自身に限界を感じてその道の断念さえ考えた深堀が出会った素材が金魚であり、この時に彼は救われたと感じたという。彼の作品の特徴はエポキシ樹脂で固めた水面の中を立体的な金魚が浮かんでいるのだが、これをヨーロッパの展覧会で展示した時には金魚を樹脂埋めしたと思われて「虐待だ」と猛烈に怒った観客までいたとか。


私も金魚そのものの樹脂埋めとは思わなかったが、金魚の模型を樹脂に埋めたのだと思っていたがさにあらず。実はこれは絵画なのであるということに驚かされた。エポキシ樹脂を何層にも分けてマスに注入し、その層ごとに金魚を部分的に描いていくことで立体的に見せているのだとか。確かにマスを使わずに立体になっている作品を横から見たら、複数の層に描いているのが分かるようになっていた。ある意味でマスやらオケやらを使ったのは、いきなりのネタバレを防止する効果もあるように感じられる。


なお非常にリアルなその金魚の表現には写実的という言葉を使いたくなるのだが、深掘りによると実は写実表現ではないという。実際の金魚を見て描いたものではなく、頭の中にあるイメージを元にした空想的な金魚であり、そういう点では種類のようなものは極めて適当だとか。なお作品制作において重要なのはネーミングと言い切っているところなどはある意味で非常に今日的ではある。


アーティストを名乗って単にメチャクチャをやっているだけの者ではなく、金魚の精緻な絵をしっかり描けているので、マジメに基礎のデッサンとかを学んだ作家であることは良く分かる。初期の作品はいかにもという調子でオリジナリティの低い普通の現代アートだったが、そこから自分の独自性を出せて、なおかつ一般ウケするネタにたどり着いたというところで確かにラッキーだった作家とも言える。現代アートは一発ネタの大道芸的なところが強いが、良い持ちネタに出会えたことによって成功していると言える。

これで今回の予定は全終了。疲れ切ったのでとにかく直行で帰宅することにする。
この遠征の前日の記事