徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

浜名湖周辺山城巡り&「チェコデザイン」at 岡崎市美術博物館

 翌朝は7時まで爆睡していた。数日前から風邪をひいたようなのだが、やはり体調の悪さが尾を引いていて体がまだダルい。目を覚まそうとテレビをつけると、今日が平成最後の日とのことでそれ関係の番組ばかり。しかし私は平成だろうが令和だろうが関係ない。予定通りに日々を粛々と送るのみである。

 とりあえずシャワーで体に気合いを入れると、朝食を摂りにレストランへ。オーソドックスな和定食だが、こういう時にはこういうものが実は一番美味い。総合評価で行くとCP的に悪くないホテルだった。なお宿泊客に現場関係者が多いのか、朝の行動開始が早くて私が目覚めて朝食に行った頃にはほとんどの客が出払っていた模様。

f:id:ksagi:20190505210946j:plain

オーソドックスな和定食

 さて今年のGWの予定だが、東海地域を中心に山城ツアーのつもり。久しぶりに本格的な山城遠征である。ところで今日の予定だが、浜松地区の井伊家関連の山城を回るつもり。実はこの計画自体は昨年の7月に静響のコンサートを聴きに来たついでに実行したものだが、この時には7月の予想を超える灼熱地獄のために熱中症で死にかけた上、ミカン畑に迷い込んでレンタカーを傷だらけにしてしまって完全に戦意喪失、予定の半分も消化できずにスゴスゴと撤退という体たらくになってしまっており、今回はリターンマッチ。

 ただ気になるのは天候。関西では昨晩から雨だが、この雨は東海地域にも及んでいる模様。もしかなりの雨が降るようなら足下の怪しい中での単独登山は危険。場合によっては撤退も考慮しないといけない。もうここは出たとこ勝負で運を天に任せるしかない。

 ホテルをチェックアウトするとまずは岡崎を目指して走る。浜松に行く前に行きがけの駄賃で岡崎市美術博物館に立ち寄ろうと考えている。この美術館、岡崎ICの近くだが、市街からは外れた山の中という便利なのか不便なのか分からないところに立地している。途中はGWの渋滞が心配だったが、一宮辺りで若干の混雑に出くわしたが、特に大きな問題もなく予定通りに岡崎に到着する。

f:id:ksagi:20190505211033j:plain

湖岸の斜面に建つ岡崎市美術博物館

f:id:ksagi:20190505211224j:plain

展示室はエスカレーターで降りた下

 

 

「チェコ・デザイン100年の旅」岡崎市美術博物館で5/19まで

f:id:ksagi:20190505211305j:plain

 チェコは元々手工芸の発達していた地域であるが、本格的に芸術運動が花開いたのがアール・ヌーヴォーの頃。言わずと知れたアルフォンス・ミュシャ(チェコではムハ)の影響による。

 しかしその後の変遷が目まぐるしい。ヨーロッパがアール・ヌーヴォーからアール・デコに時代変化するのに呼応するように、チェコではチェコ・キュビズムと呼ばれる幾何学的なモチーフが全盛となり、これが工芸を中心にあらゆる分野に広がっていく。

 その後も結構目まぐるしくデザインの流行が変わるのだが、この時のチェコ・キュビズムの影響はかなり長い間底流として流れ続けているのが感じられる。チェコデザインの特徴としては、デザインのみに走るのではなく実用性を忘れないというところにもあるように思われる。洒落た手工芸品という位置づけを常に感じるのである。

 それが戦争を経て社会主義時代に突入すると急に暗黒時代となる。この頃に優秀なデザイナーの亡命なども相次いだようで、デザインの世界もかなり低迷するのであるが、その社会主義政権が倒れるとまさにビッグバンのように世界が変化し、西側の流行も取り入れつつ一気に前衛的なデザインが溢れるようになってくる。

 それにしても変化が目まぐるしいという印象であった。生物的曲線のアール・ヌーヴォーから直線の多い結晶的なキュビズムに大体10年でドラマチックに流行が変化するのだから驚きである。ミュシャが晩年にスラブ叙事詩を手がけていた頃には、既に彼自身が過去の人と見なされていて世間的にあまり注目されなかったということを聞いていたが、これだけ怒濤のように流行が変化していたらそれもさりなんと思われた。

 

 

 展覧会の見学を終えると浜松に移動することにする。まず最初に立ち寄るのは宇津山城だが、その前に昼食を摂ることにする。宇津山城に向かう途中で見かけた「めん処三河屋」に入店する。

f:id:ksagi:20190505211412j:plain

めん処三河屋

 注文したのは「うな重とざるそばのセット」。めん処を名乗っている店がウナギを出すのもおかしな話だが、まあ場所柄なんだろう。ウナギ自体は江戸前のかなり柔らかいウナギ。正直全く期待していなかったのであるが、存外まともではあった。なお本領であるはずのそばの方だが、これがあまり特徴なし。まあそんなに高い店でもないのでそれで良しなんだろう。

 

 

宇津山城 今川氏による対徳川の要塞

 昼食を終えると宇津山城を目指す。ここは前回の遠征では山の下まで行ったものの時間不足で断念した城郭。浜名湖にせり出した山上にある城郭で、最初は今川氏が三河への侵攻を図るための拠点として築城し、桶狭間の合戦以降は独立を図る徳川氏の侵攻を食い止めるための拠点として整備されたという。徳川氏の手に落ちた後はしばしは戦略的に重視されなかったが、そのうちに武田氏の侵攻に対しての防御線としての価値から再整備され、その際に西部の城郭が整備されたという。

f:id:ksagi:20190505211521j:plain

宇津山城縄張図

 私は途中の駐車場に車を置いて歩いたが、山上の墓地まで車で登ることは可能で駐車場もある。そういう意味では訪問しやすい城郭。ただ問題は見学ルートに入ってから。一応見学路はあるのだが、整備がイマイチで足下が藪っている上にところどころ深い水たまりで寸断されている状態。しかも郭内は草ボウボウで全体の状況が把握しにくいということで、一回りはしたものの城の構造はよく分からなかった。

f:id:ksagi:20190505211555j:plain

この奥が宇津山城になるのだが・・・

f:id:ksagi:20190505211622j:plain

藪が深すぎて何のことやら

 

 

千頭峯城 南北朝騒乱の中での南朝方拠点

 宇津山城の次はここから北上した先にある千頭峯城。南北朝時代に南朝方についた井伊家が後醍醐天皇の皇子・宗良親王を擁して北朝方と戦った際、遠江の西を守る拠点として築いた城である。しかし北朝方の高師兼が率いる大軍の前で三ヶ月の激戦の末に落城、さらに本拠の三岳城、最後の拠点の大平城も相次いで落城して、南朝方の遠江での抵抗は終了となったとのこと。

 ただ正直なところ、現地の確認までは行くが登城は見送りかなという気もしていた。と言うのはやはり体調が悪い(少し歩いただけで吐き気はするし、正直心臓が止まるのではと思ったこともある始末)し、天候が悪い(先程からまた雨が強くなりだした)しとコンディションが悪いから。

 トンネルを抜けたすぐのところに千頭峯城の登山口の駐車場がある。向こうに見えている山頂が目的とする千頭峯城の模様。いざ現地に着いたところで進むべきか退くべきか悩む。距離、そんなに遠くない。高さ、まあ登ることは可能な高さ。天候・・・先程までの雨がやんで空が明るくなってきた。それを見た時に「えいっ、これも天啓!」と進むことを決意する。私のように日頃の行いの良い者は、こういう時に天が味方するのだろう(笑)。

f:id:ksagi:20190505211713j:plain

駐車場から望む千頭峯城

 いざ登り始めると足下はかなり整備されていて全く不安はない。これは進んで正解だったなと感じる。ヘロヘロの私でも10分程度で東曲輪に到着。それなりの広さのある曲輪群であり、これだけでこの城郭の規模の大きさを感じさせる。

f:id:ksagi:20190505211807j:plain

東曲輪

 ここから本曲輪へ登るのがなかなかに大変。とは言うものの、私も体調が万全ならそんなに難儀を感じないかもしれない。息を切らせつつ急斜面を登ると二曲輪、そこからさらに登った先がようやく本郭である。最高所の本郭はそれなりの面積もあり、この城の拠点らしき構えとなっている。

f:id:ksagi:20190505211833j:plain

二曲輪を経て

f:id:ksagi:20190505211901j:plain

本丸に到達

f:id:ksagi:20190505211935j:plain

本丸主要部

 この後は西曲輪を見に行ったが、二の曲輪は西曲輪の間の堀切は分かったものの、西曲輪自体は鬱蒼としていてイマイチ構造が不明だった。

f:id:ksagi:20190505212009j:plain

西曲輪の深い堀切

f:id:ksagi:20190505212039j:plain

しかし曲輪内部は何のこっちゃら

 これで前回からの宿題をもう一つ解決。もう時間も限られてきたし、何よりも体力の限界が見えてきた。今日の山城巡りはもう一カ所で終了とすることにする。となるとやはり重要宿題の一つ、三岳城を訪問することにする。

 

 

三岳城 井伊氏最後の籠城専用の堅城

 三岳城は井伊氏のいざという時の戦闘用城郭で、南北朝の争乱の際には本拠として用いた城郭である。その後の時代でも、井伊谷城では堅固さに不安のある際にはこの城郭に籠もっていたようである。

f:id:ksagi:20190505212359j:plain

三岳城縄張図

 千頭峯城から三岳城は車で30分以上の距離がある。三岳城は麓の三岳神社まで車で登ることが出来、そこから少し歩くだけ・・・と聞いていたのだが、これがいざ現地に到着すると本格的なハイキング路だった。これは想定外。もうヘロヘロになっている体にむち打ちながら山道を登るが、途中で右足が攣りそうになったりなどと惨憺たる有様。

f:id:ksagi:20190505212450j:plain

道はなかなかな険しい

 それでも10分以上をかけてようやく東曲輪との分岐点まで登ってくる。ここまで来ると本丸まではもう一登りである。とは言うものの、実はここがかなりの急斜面。気を抜いたらけがをしかねない。足がかなりがたついているだけに濡れ落ち葉で滑った時にふんばりが効かない。

f:id:ksagi:20190505212512j:plain

本丸と東曲輪との分岐点

 ようやく視界が開けるとそこが本丸。山上からは浜名湖まで一望である。かなりの高度があるので、最後のお籠もりに使ったのはよく分かる。

f:id:ksagi:20190505212550j:plain

本丸へ到着

f:id:ksagi:20190505212610j:plain

浜名湖まで見渡せる

 帰りに東曲輪の方にも立ち寄るが、こちらの内部は鬱蒼としていて構造がよく分からない。かなり奥に深そうだったが疲れていることもあって途中で引き返してくる。

f:id:ksagi:20190505212630j:plain

東曲輪の方は鬱蒼としすぎていて

 

 

 これで今日の山城予定は終了。正直なところ思っていた以上に自分の体がガタガタなのに呆れたが、それでも最低限の予定は達成できたということで良しとしよう。後は今日宿泊する予定のホテル玄まで車を走らせる。

 ホテル玄は浜松の市街から離れ、浜松ICの近くにある。二食付きの安価なプランがあったのと、今回は車なので浜松市街地に宿泊する必要はないと判断したことから選んだホテル。いざ現地に到着すると、部屋は広いし、大浴場もあり、ランドリーが無料で使用できるというかなりありがたいホテルである。とりあえずチェックインを済ませるとまずは今日の山城巡りでドロドロになった服をまとめて洗濯することにする。

f:id:ksagi:20190505212722j:plain

一般的なビジネスホテルスタイルの部屋

 洗濯をしている間に風呂。生憎とここは温泉ではないが(金でもあれば舘山寺温泉辺りで豪遊するところだが)、それでも手足を伸ばせる浴場は最高である。天竜川水系掛け流しと名乗っているが、要は井戸水を沸かしたのだということでは・・・。三岳城登城中に攣りかけた右足が、風呂に入った途端にこむら返りを起こしたのでよくほぐしておく。

 入浴してサッパリしたところでレストランへ夕食へ。夕食のメニューは天丼と刺身とのことだが、実際には小鉢も多数付いておりこれがなかなか美味い。また刺身に私の好きなホッキ貝が入っているのが泣ける。

f:id:ksagi:20190505212752j:plain

夕食は結構豪華

 宿泊料金のことを考えるとなかなか良い夕食だった。ホテル玄は東海地域のホテルチェーンらしいが、この地域にはくれたけインのチェーンもあるし、なかなかにホテル激戦地区のようだ。

 後はテレビをつけても平成云々ばかりなのでBDプレイヤーをつないで世界遺産でも見つつ時間をつぶす。そのうちに眠気が押し寄せるので、今日もかなり早めに就寝