徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

関西フィルの定期演奏会で宮田大のチェロを聴く

思いがけずにコロナとニアミスの恐怖

 今日はザ・シンフォニーホールで関西フィルの定期演奏会があるのでそれを聞きに行った。と言うものの、現在の大阪は完全にアラートが出ている状態。知事と市長がコロナ対策を全く打たずに利権のための都構想にかまけていたツケが出て、人口比での感染者数では東京をも上回るという滅茶苦茶な状態。日本のコロナ蔓延は明らかに天災でなく、政府による人災だが、それが端的に現れている状態である。

 さてこのような大阪に乗り込むわけであるから、当然ながら厳重警戒で移動はすべて車である。どう考えても満員列車が感染源にならないなんてことはあり得ないから、今回の事態が一段落付くまで鉄道はまず使えないと考えている。駐車場は例のごとくにアキッパで確保している。

 今日は仕事を午前中で終えると昼から銀行に出向く。ちょっと所用で銀行に行かないといけなくなったので今日は午後休である。銀行で諸々の手続きを済ませたところで大阪に向かうことにするが、さすがに昼食を摂ってから銀行で手続きを行っても、このまま大阪に直行したのでは数時間は時間が余る。そこで立ち寄り先を考えるが、美術館関係は大阪・兵庫共に何もなし。唯一目玉となり得る「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」は先日見学している上に、中之島香雪美術館にまで立ち寄っている。美術館関係は皆無となると、スパ銭にでも立ち寄って時間をつぶしていくことにする。で、スパ銭に立ち寄ったのだが、何やら時短営業とかになったとかでドタバタしていたと思ったら、従業員からコロナ感染者が出たとかで・・・オイ、勘弁してくれよ・・・。発熱が今日で検査で判明したのがさっきで、そもそも18日以降は出勤していないとのことだが、いつどこで感染したのかが不明だから危険度が判定できない。日本のコロナ感染者って、いつもこの調子で「追跡不能」になってるんだろうな。今回はたまたま発覚したわけだが、この調子で「気がつけば隣にコロナが」って状況が各地で起こってるんだろう。もっと検査を広げないとそもそも感染対策自体を行いようがない。

 結局はなんやかんやのドタバタでスパ銭を5時に出たので駐車場に到着したのは5時半頃。やむなく開場の6時まではそこらで時間をつぶす羽目になる。相変わらずホールの警戒は厳重である。

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ホールはイルミネーションで飾られているが

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相変わらずの厳戒態勢

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第315回定期演奏会

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ザ・シンフォニーホールも通常体制に戻っている

[指揮・ヴァイオリン]山下一史
[チェロ]宮田 大

サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33
シューベルト:交響曲第8(9)番 ハ長調 D.944 「ザ・グレイト」

 宮田のチェロは流石というか音色が綺麗である。その上にオケをバックにしてもチェロの音色が前に出てくるだけの力強さがある。山下が指揮する関西フィルはかなりメリハリの効いた演奏。宮田の華麗さのあるチェロの音色と、さすがにフランス系の曲想が相まっていわゆるゴージャスさを感じさせる演奏となった。

 後半はシューベルトのグレイトであるが、山下の指揮は前半でも聴かせたようなメリハリが強くてかなり躍動感のあるもの。動きも大きくてなかなかの熱演であることを感じさせる。もっともオケの音色はかなりブンチャカと鳴るのであるが、関西フィルの持ち味としてはブンチャカと派手に鳴らすよりは、もう少しシットリと鳴らした方が味が出るというところがある。山下の指揮は前進力が強くて、リズムを刻むようなところが前に出るので、抒情部をゆったりシットリ鳴らすという雰囲気には今ひとつならない。トータルとして明らかに悪い演奏ではなかったのであるが、その辺りが若干の寂しさを感じたというのも事実。

 

 コンサートはそれなりに満足度は高いものであった。ただやはりコロナが本格化してきたことが気になってか、聴衆の数は今ひとつで、会員席に空席が多かった。関西フィルの会員にも高齢者が多いので警戒しているのだろう。かく言う私も危険性が高い層に属するので、これ以上コロナが蔓延してくるようだと考え直す必要がある。知らない間にコロナとニアミスする危険性が増しているのを痛感している。

 正直なところ今日はかなり疲れた。帰りの運転が朦朧運転になってはいけないので、こういう時は気付けの水木のアニキのCDをガンガンかけることに。ハンドル握りながら「ゼーッット!!」と絶叫している危ない車が夜の阪神高速を突っ走る。何とか無事に帰り着いたが、今回は何かとドッカリ疲れたのである。

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麒麟がくる第32話「鶴太郎キモすぎ」・・・でなくて「反撃の二百挺」

中二病炸裂の信長に全能すぎる主人公

 なんかかなり目まぐるしく動き始めています。「帝が褒めてくれるんだ」と中二病丸出しの碇シンジ・・・でなくて織田信長はナマ倉義景を攻めますが、ここでまさかの地味な義弟の浅井長政の裏切り。なおこの情報は信長はお市からの連絡で知ったとされるのが一般的ですが、なんとこのドラマでは明智光秀が第一報を察知している。一体いつの間に光秀はそんな情報網を整備してたんだ? まあ主人公アゲは大河の常道と言っても、これはあまりに無理がある展開のような気はする。

 で光秀の「逃げろ」との説得に対し「だけど帝が褒めてくれたんだ」と抵抗する中二病信長、それを「織田信長は死んではいかんのです」と迫力で説得する光秀。なんか台詞が強烈すぎて別の作品になってしまっている印象を受けたな。そして一人お籠もりした信長はひとしきりの発狂吠えをしてから「逃げる」。うーん、本当に分かりにくい男だな。マザコンで承認欲求の塊の中二病ということはよく分かるが。

 

 後の秀吉こと木下藤吉郎はなんかわけの分からんことを言って金ケ崎の殿に立候補しましたが(実際に秀吉を演じている役者の滑舌が悪すぎて、いつも台詞の2/3は実際に何を言っているかが聞き取れない)、早い話は自分の売り込みをしたいから功績を挙げるチャンスをくれって話でしたね。挙げ句は何かとまるでお付きのように光秀につきまとうようになりましたが、相変わらず何を考えているかが分からないところがある曲者。

 そしていつも一番の権力者の横に常に寄り添う小池百合子お駒は、知らない間に将軍をたらし込んでいるし。しかも最初はこの薬ではお金は取らないなんて言っていたくせに、今やバリバリの女性経営者。既に東庵先生なんてあごで使われる使用人状態。その内にプロフェッショナル辺りに登場しそうな女性カリスマ経営者路線をまっしぐら。そりゃ久しぶりに対面した光秀も驚くわ。

 

各人の思惑が怪しくなってきたが、すべてを食っているのはあの人の怪演

 そして馬鹿殿臭が半端なくなってきた将軍様は、段々と信長に対しての不信感を募らせつつある。そろそろ義昭の叛逆のフラグが立ち初めて来た。にしてもこの馬鹿殿が何かやったところで世の中がどうこうなるような気は全くしないのだが・・・。

 さらにそろそろ比叡山焼き討ちの段階に来そうですが、この作品は「比叡山は焼き討ちされても当然のトンデモ集団だった」という路線で来るような雰囲気。この状況だと、光秀は何の抵抗もなく躊躇わずに焼き討ちを主導しそうだな。これもこれで斬新な解釈ではあるな。要は主人公様に刃向かう奴は全て滅ぼされて当然の極悪人集団なのだという論理である。

 というようにかなり各人物がドタバタと動き始めたんだが、そのすべてをくってしまいそうなのが片岡鶴太郎の怪演。いやー、無駄に気持ち悪すぎでしょ。よく公家なんかだったらやや誇張して気持ち悪く演じる場合があるけど、摂津は一応幕臣で武家だし。何か怪しすぎる存在になってます。あそこまでコテコテに演じる必要あるんですかね? あまりに気色悪すぎて他の何も頭に入ってこないわ。

 

「聖徳太子展」を見てから、大フィル定期演奏会でコロナ後初のマーラーを聴く

「聖徳太子-時空をつなぐものがたり-」中之島香雪美術館で12/13まで

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 この度、香雪美術館が所蔵する聖徳太子像と聖徳太子絵伝の修理が完成したことを記念して、これらのお披露目をしようという展覧会のようである。

 入場すると最初に迎えてくれるのは子ども時代の聖徳太子の像である。聖徳太子はとにかく嘘か本当か怪しい伝説が多数ある人物だが、その伝説の一つが2才で合掌して「南無仏」と唱えたというものである(幼児がゴモゴモ言ったことを回りが勝手にそう聞き取ったんじゃないかと思うが)。その時の太子の姿をかたどったという像である。ふっくらした顔つきだが、険しい表情はとても幼児のものではない。

 またこの時代の観音像も展示されているが、白鳳時代のものらしく全体的にフックラとしたシルエットの像となっている。この柔らかさに時代を感じる。

 次に展示されているのが今回修理が完了した聖徳太子像である。柄香炉を持って立つ少年太子は、父である用明天皇が病で倒れた時に、それを心配して見舞う姿であるという。背景まで細密に描かれているのが異色であり、その中には極めて不鮮明であるが水墨山水画まで描かれている。なお本作は鎌倉時代に描かれた重要文化財であるが、後の南北朝時代に模写されたのではと思われる作品も併せて展示してある。細部の表現などを変えてあるのが面白い。

 修理作業の詳細について紹介するコーナーなどもあったのであるが、短気でイラチの私にはとても不可能な作業である。まさに絹糸の一本一本までチェックするような極めて精緻な修復作業を施し、しかも後の世に今回の修復部分を容易に判別できるような配慮までしているようである。こういうところは修復作業に携わる匠の技術とこだわりが感じられるところである。

 メインが聖徳太子絵伝の展示。香雪美術館が所蔵しているのは全9幅中の3幅で残りのうちの5幅をボストン美術館が所蔵し(海外流出したんだろうな)、1幅は所在不明とのこと。なおほとんど同じ構成の作品が愛知の本澄寺が所蔵しており、これと併せて展示されていた。内容は太子の生涯を描いたものであるが、これがまさに伝説満載である。

 結局は聖徳太子とはいかなる人物であるかというのは、絵巻の類いでは分からないようだ。それにしてもここまで伝説となる理由はどこにあるのかという辺りも興味深いところではある。

 

 展覧会を一回りしたところで14時半頃になっていたので、向かいのフェスティバルホールへと急ぐ。厳重なゲートを抜けると館内は通常配置で7割の入りというところか。ステージ上も完全に通常配置に戻されていて、マーラー用の大編成オケがステージに並べるようにセットされている。そう言えばコロナ以降、マーラーを聴くのは初めてではなかろうか。

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16編成のオケを配置できるようにしてある

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第543回定期演奏会

指揮/尾高忠明
曲目/G. ウィリアムズ:海のスケッチ
   マーラー:交響曲 第5番 嬰ハ短調

 一曲目はイギリスのウェールズスの女性作曲家グレース・ウィリアムズの弦楽合奏曲。イギリスものを得意とする尾高らしい選曲である。20世紀の作曲家ではあるが、あまり現代音楽臭い曲ではなく、普通に美しい曲である。ただしあまり旋律的ではないので、ボンヤリと聞いていると眠気を誘うところがある。3曲目の「セイレーン海峡」など、まさにセイレーンに魅了されたかのごとく私もウツラウツラしかけたのであったが、ハッと気づいて周りを見渡せば、前方ではカップルが互いに寄りかかって熟睡中で、私の周辺も大半が完全に落ちてしまっていた。あまりに心地よすぎるのもいかなものかというところ。大フィルの弦楽陣はなかなかに良い音を聞かせていた。

 休憩後の後半はマーラーの交響曲第5番。冒頭のトランペットから安定感があって大フィルの演奏はなかなかに冴えている。尾高の指揮はドッシリとしたやや遅めの安定したテンポで進めていくが、さざ波が立つような独特のリズムを感じさせる。

 第1楽章は葬送行進曲とも言われているが、悲愴な曲と言うよりはズッシリと安定感のある重い曲という印象。第2楽章は少々気分が変わるがそれでも低重心の重さは相変わらずである。

 第3楽章のスケルツォもゆったりと謳わせていた。有名な第4楽章は徹底的に美しい曲。結構なメロドラマだった印象である。最終楽章は乱痴気騒ぎにはしないで落ち着いて節度の効いた演奏で終了というところであった。ゆったりとスケールの大きな演奏というのが全体を通してのイメージである。ただ私としては、最後はもう少し馬鹿騒ぎしても良かったのではという気はする。

 総じて大フィルの演奏には安定感があり、大フィルも上手くなったもんだなと感心した次第。尾高自身の演奏には私は今まであまり面白いものを感じたことはないが、オケビルダーとしての能力は間違いないようである。


 場内はなかなかの盛り上がりだったように感じられた。やはりマーラーは観客に対してもアピールするものはあるだろう。私も久しぶりに堪能したというところである。

 この後は車を回収すると帰宅と相成った。狭いエリアを動いただけなんだが、美術館巡りは意外と歩くので、これでも7000歩程度は歩いていたようだ。帰りになって疲労が出てきて正気を保つのに苦労したが、何とか無事に帰り着いたのである。十分に注意はして行動したつもりではあるが、後は2~3日後に突然に発熱したりしないのを祈るのみ。もしそうなれば持病のある若くない身では命も危ない。

 

大フィルの定期演奏会前に立ち寄ったロンドン・ナショナル・ギャラリー展は三密状態

国立国際美術館は大混雑だった

 今日は大阪フィルの定期演奏会に出向くことにしたのだが、そのついでに国立国際美術館に立ち寄ることにした。ここで開催されているロンドン・ナショナル・ギャラリー展を見学するため。しかし実は恥ずかしいことに私はこの展覧会のことは全く失念していた。先日、会社の後輩に「大阪で何か大きな展覧会が開催されるらしくてすごく宣伝してますが行くんですか?」と聞かれて初めて知った次第。しかもご丁寧に入場券が時間指定の前売りになっていることまで教えてくれた。そこで私は大阪フィル定期演奏会で大阪に出向くタイミングに合わせて急遽入場券の手配を行ったのだが、既に朝一番と昼時以外は完売している状況。そこで慌てて昼時のチケットを手配した。

 当日は午前中に家を出るとアキッパで手配した駐車場に車を置く。大阪では知事の無能(コロナを放り出して利権のための都構想にうつつを抜かしていた)が祟って既に感染爆発状態なので厳戒状態で臨むことにする。というわけで当然ながら車での移動私は「電車の中でのコロナ感染はない」などという政府のご都合主義の「設定」は全く信じていない。幸いにしてフェスティバルホールと国立国際美術館は同一エリアにあるので、駐車場を一箇所借りたらそれで間に合うのは助かる。

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国立国際美術館に到着したが

 

大行列に三密の館内がやや心配

 国立国際美術館に到着したのは入場時刻の15分前ぐらいだったが、この時点で屋外に長蛇の行列が出来ていた。ここで入場待ちの模様。行列のところにやって来て、会場での当日券の販売はないという話を聞いてガックリして帰る人も数人。中にはやけくそで向かいの科学博物館の方に向かった者も。

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表に回ったらこの状態だった

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向かいは科学博物館

 入場時刻の12時が来ても前から一定人数ずつ入れていくので入場までに10分ほど待たされる。そしてようやく入場できたが、館内も結構「密」な状態。果たしてこれは本当に大丈夫だろうか? 一応消毒とマスク着用義務付けとサーモグラフによる体温チェックは行っているようだが。無症状の感染者がいたら一発でクラスター発生の状況のような気がする。私は一応抗菌手袋着用で臨むことにするが、もし隣に感染者がいたら多分アウト。

 

「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」国立国際美術館で1/31まで

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 ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する名画を展示。最初はイタリア・ルネサンス絵画から始まる。ティントレットの躍動感のある絵画が流石だが、個人的にはサヴォルドのマグダラのマリアのローブの妙な光沢感に目を惹かれた。

 次の中世オランダ絵画のコーナーでまず目を惹くのはレンブラント。その独特の光の表現は流石と感じさせるところ。なお同コーナーにフェルメールも一点展示されていたが、これについては私の感想としてはフェルメールとしては凡作。あまりに表現が平面的すぎて、特に手前に置いてあるチェロなどもう少しどうにかならないのかという印象である。フェルメールの作品も今まで数点見たが、青いターバンの少女とミルクさん辺りは桁違いのオーラを感じるが、それ以外の作品は結構今ひとつのものも多い。特に同時代のオランダ絵画はとんでもなくレベルが高いので、その中でひときわ輝くというほどでもない。

 イギリス肖像画、イタリア風景画を経て、次はスペイン絵画のコーナー。ここではまずゴヤの作品が目を惹くが、次に目を惹かれるのは強烈なエル・グレコの絵画である。独特の細長い人物像と強烈な赤青の色彩で描かれたキリスト像は圧倒的な存在感を放っている。遠目に見ても「エル・グレコ」と分かるオリジナリティの強さは異色である。そして表現力が傑出しているという点ではムリーリョが至高。子供の生き生きした肌の質感まで伝わってくるような圧巻の表現力には感動させられる。ムリーリョの作品はいつも目にする度に「良いものを見せてもらった」という感覚を抱くが、今回もこれだけでお腹いっぱいといったところ。

 次は風景画。イギリスで風景画と言えばターナーであるが、独特の霧のかかったかのように見える色彩の風景画が展示されている。こうして見るとボンヤリした中に光の煌めきも感じられ、ターナーの中に印象派へのつながりを見る向きもあるのも納得は行く。このコーナーではコンスタブルのミッチリと精緻に描き込んだ林の風景に圧倒された。

 最後はフランス近代絵画のコーナーだが、元々はロンドン・ナショナルギャラリーはアカデミズム系絵画が中心で近代絵画部門は弱かったそうだ。それを充実させたのはコートールドコレクションで知られるコートールドによる基金の設立や、多くのコレクターの寄贈によるという。このコーナーではドガの踊り子やモネの蓮池といった定番に加えて、ゴーガンの色彩鮮やかな絵画とルノワールのいかにもの美しい絵が展示されている。恐らく日本人としては一番馴染みやすい定番絵画とも言えるコーナーになるだろう。私もルノワールの絵画は堪能した。

 会場最後の一角がゴッホのひまわりの展示。ゴッホのひまわりは7作が製作され、6作が現存している(1作は先の戦争で焼失)。その内の3作目と4作目がゴッホがゴーガンの部屋を飾るのに選んだ作品で、ここまで製作した時点でひまわりのシーズンは終了、後の3作は先の3,4作を元に製作したものだという。SOMPO美術館が所有するひまわりが5作目に当たり、それは4作目を元にした作品。その4作目が本展展示作である。そういういきさつがあるので、パッと見ただけでSOMPO美術館所蔵品にかなり類似していることを感じる。だが色合いに若干の違いがある印象で、SOMPOのものの方が色彩が鮮やかで濃く、これに対して本作の方は色合いは薄いが光の煌めきがより強烈な印象を受けた。絵の具の凸凹までが光を反射してキラキラと輝き、背景の鮮やかな黄色がまるで金箔のように見えたのが印象的。

 

 なかなかに濃い展覧会であったことから、図録や絵はがきを購入しようかとも思ったのだが、グッズ売り場は入場に長蛇の列、さらにはそこから会計にも長蛇の列ということで、これだけで一体どんだけ待たされるやら分からない状況だったので、諦めることにした。コンサートに飢えたクラシックマニアが大挙してウィーンフィルに押しかけているのを先日目撃したが、美術展マニアの方も飢えていたのだろうかと感じるところ。日本全体がイベント欠乏症にかかっている印象だが、果たしてコロナの感染爆発の可能性が出て来た中で大丈夫だろうかということにはかなり不安がある。そもそも美術館がホール並みの換気能力を持っているとも思いにくいし。


 美術館から出てくると、会場外には次の入場の長蛇の行列が出来ていた。なお美術マニアとしては、コロナの感染爆発の危機が増してきたからこそ、規制が強化されて中止になる前の今のうちにという気も逆に働いているかも知れない。特に関西の美術ファンには兵庫県立美術館で開催された「ゴッホ展」が会期途中でコロナ騒動で打ち切られてしまって、痛恨の思いをした者も少なくないと思われる(私は昨年に東京展の方に行ったので被害は免れたが)。それが余計に駆り立てている可能性もある。

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美術館から出た時はこの状態

 

美術館のレストランで昼食を済ませる

 展覧会の見学を終えると昼食を摂っておきたい。しかしこの近所で良い店を知らないし、面倒くさいこともあって、美術館のレストランで昼食を摂ることにする。しかしなぜか館内からは直接そちらに行くことは出来ず(通路が封鎖されている)、わざわざ外から回らされることに。恐らくレストラン経由で入口でのコロナチェックを逃れて入館する不届き者を防ぐためだろう。しかしレストラン内も結構密で、本当に大丈夫かは若干の心配がある。私は「ビーフシチューのランチ(1550円)」を注文。

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サラダとスープ

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メインとライス

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デザートとコーヒー

 正直なところ期待はしていなかったので、大体想像していたレベルというところ。まあ普通にそれなりには美味しいですが、驚くものでもないしCPは良くはない。デザートは一口大のチョコレートのケーキ。これが意外に美味かった。

 昼食を終えたところで14時前だが、ホールの開演の前にもう一箇所立ち寄ることにする。

 

来日したウィーンフィルは流石に極上のサウンドを聴かせてくれた

まさかの「実施」に急遽大阪に駆けつける

 以前にチケットを入手はしていたものの、このご時世下では絶対中止だと確信していたウィーンフィルのコンサートが実施されるとの情報が飛びこんできたのは一週間前。さすがにこれは私も驚いた。一体どういうマジックを駆使したのか。円の力か、主催者が菅政権周辺と特別なパイプでも持っていたか。理由は不明であるが、これは私も想定外(笑)。大分から帰ってくると直前になって慌ててアキッパで駐車場を手配するドタバタに。

 金曜日は早めに仕事を終えるとフェスティバルホールへと車で向かう。現在の大阪はGoToなども祟ってコロナが再爆発の気配が出ている状況。さすがにまだ鉄道を利用する気にはなれない。例によってのお約束の夕方の渋滞に出くわしながらも何とか大阪には予定通りに到着する。アキッパで押さえておいた三井ガーデンホテルの駐車場に車を入れるが、その時に「9時50分には駐車場を閉めるので、それを過ぎたら翌日の8時にならないと車を出せない」と念を押される。まさか9時50分を越えることはないと思うが、結構嫌な時間指定である。

 車を置いたところでまずはフェスティバルホールへ行ってチケットを引き取る。今回のコンサートのチケットはフェスティバルホールの予約で確保していたが、十中八九中止だと思っていたのでチケットは引き取らないでいた(その方が払い戻しの時にチケットを郵送する手間がなくなる)。まさかの開催でチケットは当日引き取りになった次第。

 

夕食にいつものラーメンをかき込むとホールへ

 無事にチケットを引き取ると夕食だが、今回はやや時間に余裕があるので店を探そうと思ったが、どうやらキッチンジローは待ち客がいたし、他にはめぼしい店がないしで、結局は今回も「而今」「特製煮干し醤油ラーメンの大盛り(1100円)」を食べることに。何か最近は新しいチョイスをするのが面倒臭くなって、今までの行動を繰り返すことになりがちである。これが老化というものだろうか。若さというのは新しいことにチャレンジする行動力と意欲も意味している。めっきり自分から若さが消えつつあることを感じる今日この頃。ラーメンは例によってCPは良くないが美味い。

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而今の特製煮干し醤油ラーメン

 夕食を終えると会場入りする。今回のコンサートは、一旦チケットを発売したもののその後のコロナのドタバタで発売中止(私はこの時に購入していたのだが)、最近になって中止の可能性もありの条件付きで再発売になったという経緯を辿っている。このためにチケットの売れ残りがかなり出るのではと思っていたが、いざ会場に到着すると結構な観客が来ており、3階席からザッと見渡した印象では7割以上は入っているというところ。ちなみに私が購入した安席は完売の模様で、3階席の後半分だけは異様に人口密度が高いという構成になっている。外来オケの来日は半年以上ぶりぐらいになるので、飢えていた音楽ファンも多いのだろう。大フィルの定期とも読響の大阪公演とも違うタイプの客層(いわゆるやけにハイソ感のある)の姿も見受けられる。

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ステージ上には14編成の配席がなされている

 開演時刻になるとウィーンフィルメンバーが続々と入場。このご時世下なので人数を最少に絞ったウィーン室内フィルハーモニーで来るのではと思っていたのだが、どうやら14編成の人員を連れてきている。ウィーンフィル、結構本気のようだ。

 

第58回大阪国際フェスティバル2020 ワレリー・ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮/ワレリー・ゲルギエフ
チェロ/堤 剛
ピアノ/デニス・マツ―エフ
管弦楽/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
曲目/チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33(チェロ/堤 剛)
   プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16(ピアノ/デニス・マツーエフ)
   チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

 一曲目は老巨匠堤剛によるチャイコのロココ風。堤のチェロの音色は深みのようなものはあるのだが、全体的に弱さが感じられ、オケの音色に埋もれてしまうところも多々。またやや安定性にも欠けるように感じられ、残念ながら老巨匠の「巨匠」の部分よりも「老」の部分の方が強く感じられてしまったという印象。

 二曲目はマツーエフのピアノに尽きる。なんて素晴らしい音色を出すんだろうというのには驚いた。マツーエフの縦横無尽でかつ煌びやかな色彩を帯びた音色と、それをバックで支えるウィーンフィルのシットリとした音色の相乗効果によって、プロコのややがさつで私には正直なところ面白いとは感じられないこの曲が「なかなかの名曲」として聞こえてきたのには驚いた。演奏のレベルが曲の評価自体をも左右することはよくあるが、まさに今回がその端的な例である。場内も明らかにマツーエフマジックにうっとりしている空気が感じられ、マツーエフの演奏終了後には溜息のようなものが周辺からも漏れて聞こえてきていた。そのままマツーエフのアンコール(シベリウス:エチュード Op.76-2)が始まったが、そこで繰り広げられたキラキラとして軽やかでかつ美麗な音色にはもう圧倒されるのみ。演奏終了後に会場のどこかから「どうやったらあんな音色が出るんだ」という声が聞こえてきたのだが、これについては私も全く同感。

 20分の休憩後に「悲愴」が始まったのだが、正直なところこれが私には今回の一番の懸案事項だった。というのは、以前にゲルギエフの指揮でかなりヌルい悲愴を聞かされたことが記憶にあるからである。そもそもゲルギエフはあまりオケに統制を欠けずに自由に鳴らさせるところがあるので、ややヌルい演奏になりがちである。悲愴については超テンション型のポリャンスキーの演奏が「至高」として頭に焼き付いている私にとっては、ゲルギエフのヌルい悲愴は違和感が強くて、その時の評価はかなり低かったのである。だから正直なところ今回も曲目が「悲愴」と聞いてチケット購入を一旦は躊躇ったのだが、ゲルギエフとウィーンフィルの相乗効果で何か化学反応が起こるかもと考えて今回購入したのが事実。

 さて今回の演奏であるが、ゲルギエフとウィーンフィルの化学反応に、さらにこの異常な情勢下という環境まで加わったのか、私の予想を覆す演奏が繰り広げられた。

 相変わらずゲルギエフの演奏はいわゆるテンション系ではなくて、オケを鳴らさせてくるタイプの演奏ではあるが、今回はそれがヌルさではなく、とてつもない美しさと不思議な暖かさに満たされていた。第一楽章は迫り来る不安の中に穏やかな心情が吹き飛ばされてしまうような曲調なのだが、それが中盤にはまるで楽園の風景のように感じられる美しい演奏が繰り広げられたので、その後に迫り来る運命の直撃がより鮮烈に迫ってくる。これを決して雑にはならず、激しい中にも美しさを秘めた音楽で展開した。またゲルギエフが随所で細かい演出を加えてきており、それに的確に答えるウィーンフィルの演奏とも相まって、非常に効果を増していた。

 第二楽章はややアップ目のテンポでこれまた非常に美しいワルツを奏でる。このワルツは演奏者によって背後に潜む悲しさが前面に出る場合や、やや皮肉の効いたシニカルな印象になる場合があるのだが、ゲルギエフについては心底美しいワルツである。そして第三楽章の怒濤の盛り上がりもやけになった空騒ぎのようなものではなく、節度の効いた美しさを失わない音楽であった。

 そして最終楽章。圧倒的な憂うつさに押しつぶされて息絶えるような演奏が多いこの楽章だが、ゲルギエフとウィーンフィルが繰り広げた世界は、確かに深い悲しみはあるもののそこにシットリとした美しい風景が流れる音楽。単に憂うつの中で息絶えるのではなく、様々な風雪はありその中で最期を迎えることになったが、それでも今までに成したことはあると人生を振り返るような情緒が漂っていた。つまりは圧倒的な悲しみに押しつぶされるだけでなく、そこから一筋の光明が見えているような美しさである。「我が人生に一片の悔いなし」と言い切る力強さではないが、「まあ、いろいろあったが悪いだけの人生でもなかったよな」というような印象である。その情感が心を揺さぶる。

 何かと「手抜き」がとやかく言われるゲルギエフとウィーンフィルであるが、少なくとも今回繰り広げられたサウンドには「手抜き」は感じられなかった。シットリとしたウィーンフィルサウンドに、これがゲルギエフの真価かと感心させられるスケールの大きな演奏が繰り広げられ、場内もいささか陶然とした雰囲気に包まれたのである。

 この後にアンコールがあった。私の知らない曲だったのだが、曲調からチャイコの「眠れる森の美女」辺りかな推測したんだが、それは正解だったようだ。「眠れる森の美女」からパノラマとのこと。これが悲愴でも見せたあのシットリとした美しさを極限まで展開したもうウットリするしかない極上のサウンドだった。これについては流石の一言しか最早出なかった。

 

極上の演奏の後はなぜか「全力ランニング」

 もう圧倒される内容だったのだが、正直なところこれからが大変だった。と言うのもこの時点で9時30分をとっくに回っていて駐車場の締め切り時刻が迫っていたからである。アンコール終了後に慌てて拍手をする間もなく会場を飛び出す。どうも私と同じ状況の人間が少なくないのか(なぜかフェスティバルホール周辺の駐車場は22時までのところが多い)、走っている者が数人。「エスカレーターは立ち止まって使用してください」の係員の声に誰も応じる余裕もなくドタドタとエスカレーターを駆け下りて会場外へ。

 私は何とか駐車場に間に合ったが、もし遅れたらどこかに急遽宿を探して大阪で一泊する羽目になっていたところだった。なにせ前半終了時で8時10分を回っており、そこから20分の休憩なので、何だかんだで後半開始は8時40分頃。この時点でどんな超特急演奏をしても9時過ぎ程度で終了するわけはないのは確定していたので、悲愴にウットリしながらも私の頭の中では「今から宿泊できるホテルはどこだろうか?」という考えが渦巻いていたのが事実。もう少し音楽だけに集中できる環境が欲しかったところである(笑)。

 ここから夜の阪神高速を突っ走って帰宅。心はかなり満たされていたが身体の方は限界までクタクタで、家に帰り着くとすぐにベッドで意識を失ってしまったのだった。

 

ロトとT・ツィンマーマンによるヒンデミットのヴィオラ協奏曲

 最近になってアーカイブにアップされたロトとT・ツィンマーマンの共演したコンサートをデジタル試聴する。今回はあまり聞き馴染みのない曲ばかりである・・・と言うか、私が今まで聴いたことのある曲が一曲もない。果たして大丈夫だろうかとのいささかの不安はある。

www.digitalconcerthall.com

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.10.10)

指揮:フランソワ=グザヴィエ・ロト
ヴィオラ:タベア・ツィンマーマン

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 交響曲ニ長調
ヒンデミット ヴィオラ協奏曲《白鳥を焼く男》
J・S・バッハ ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタニ長調よりアンダンテ
バルトーク 弦楽のためのディヴェルティメント

 一曲目のカール・フィリップとは有名なヨハン・セバスチャン・バッハの次男坊らしい。古典派の走りのような位置づけの音楽家で、ハイドンなどにも影響を与えており、生前はむしろ親父さんよりも音楽家として名声が高く、父を尊敬する彼は常に「父の薫陶のおかげ」と言い続けていたとか。その後に段々と忘れ去られ、シューマンなどは「父親とは比較にもならん」と酷評だったらしいが、ブラームスは高く評価していたとのことだから、その辺りでもどういう位置づけの作曲家が見えてくる。

 で、演奏の方なのだが、ロトの指揮の下で整然と演奏するベルリン室内フィル(と呼ぶべきレベルの小編成)のオケは非常にシャープな演奏を繰り広げる。そのためか音色の燦めきなどがもっと後の時代の曲のように聞こえてくる。元の曲をよく知らないのでこれがカール・フィリップのそもそもの持ち味か、ロトが引き出したものなのかが定かではないのだが、なかなかに奇妙な印象である。

 二曲目は現代につながる時代の音楽という感じで、いきなり不協和音が炸裂するのだが、曲自体は意外に旋律的である。タベア・ツィンマーマンの演奏は軽快で縦横無尽、ベルリンフィルの名手達と丁々発止の掛け合いを繰り広げる。そのままアクロバチックな印象を残して曲は終了である。ヴァイオリンでなくてヴィオラなので基本的には音色は渋いのであるが、そこに煌びやかさを感じさせるのが彼女のすごいところ。

 会場の賞賛に応えてのアンコールはハープとの合奏によるJ・S・バッハ。相変わらず軽快さを感じさせる音色ではあるが、今度はしっとりと味わい深く聞かせてくる。実に情感深いバッハ。この辺りは流石と言うべきか。

 ラストはバルトーク晩年の新古典主義時代の曲らしい。クセはあるが、なかなか明快で躍動的な曲である。しかしこうして通して聞くと、ロトはカール・フィリップにヒンデミットにバルトークと明らかに時代背景が違う作曲家の曲を同じアプローチで演奏しているのではないかと思わせる。私がこの曲に詳しくないために他と比較しようがないのだが、今回聴いた限りでは明確で華やかな音色を前面に出したような演奏である。おかげで今回のベルリンフィルは全体を通して非常に色彩的な印象を受けた。


 あまり馴染みのない上に、不協和音が鳴り響いたりもする曲だったが、不思議なほどに抵抗を感じなかった。この辺りはロトの演奏が非常に明快だったことが影響しているように思われる。これがグチャグチャな演奏だったら、とても聞けたものではなかったろう。やっぱり現代に近い曲ほど、指揮者による楽曲の理解というものが覿面に影響するようである。さらに言えば楽団員の技倆も。

 

麒麟がクルクル 第27話「宗久の約束」

微妙な空気が満ち満ちていた今回

 信長の命を受けて京の状況を調べるために潜入する光秀。それにしても彼って毎回こんな任務ばかりなんだが、侍と言うよりも隠密だな。

 そこでは木下藤吉郎と再会。藤吉郎は相変わらずの調子良さだが、どうもその裏に油断できない抜け目のなさが漂う曲者。初めて会った時から、光秀の方は藤吉郎に胡散臭さを感じて完全には心を許していない微妙な空気がこの二人の間には流れている。そもそも光秀は最初から武士の出である程度の教養があるが、これに対して藤吉郎は完全な成り上がりなので肌が合わないということもあるが、後の微妙な関係を反映させているんだろう。

 そして数年ぶりに再会したお駒との間にも微妙な空気が漂う。それは完全に庶民目線で「戦はいかなる理由があろうとも嫌」というお駒に対して、「大義のためなら少々の犠牲も仕方ない」と支配者目線で考え始めている光秀との考えの違い。最初はかなり庶民に近い目線で見ていた光秀が段々変わりつつあることも匂わせている。この辺りも後の伏線になりそうな気配がある。

 そしてとにかく大者と縁がありすぎるお駒は、堺のフィクサー・今井宗久とも縁が。そして光秀を仲介することに。宗久の言っていることは「ぶっちゃけ、商売の保証がされるなら三好でも織田でもどっちでも良い。ついでに京で戦はしないでね。」って話。バーサーカー勝家辺りはともかく、光秀としてもいくさはしなくて良いならしないに越したことがないと考えてはいる。

 で、将軍の意見も聞くといった信長だが、ろくに状況も考えずに「そりゃ良い考え」とホイホイ無防備な上洛に賛成する将軍に、本音で「やっぱりこいつは使えねぇ」と考えている信長との間に漂う微妙な空気。脳天気な義昭はそれには全く気づいていないようだが。この次に光秀に信長が「将軍に仕えるのか自分に仕えるのか今決めろ」と迫ったのは「お前、いつまであんなアホに従うつもりなんだ」という意味なんだろう。ここでも微妙な空気が漂っていたが、少なくともこの時点で信長は光秀を使えると考えているので、切る気は毛頭ない。

 まあ何だかんだ言いながらも信長は非武装で上洛したようですが、これについては将軍の意向を汲んだという形にしながら、その実は三好が逃げたから戦う必要がなくなったってだけ。もし三好が京で徹底抗戦するつもりだったら、信長は躊躇わずに京を焼きはらったでしょうね。光秀はひとまず安堵ってところだが、既に両者の思惑の微妙なズレのようなものは現れつつあるな。

 と言うわけで、今回のキーワードは「微妙な空気」。そういう細かい各人の思惑のズレのようなものがなかなか上手く現されていたと感じた今回。今後、この微妙な空気がドンドンと拡大し、まずは将軍義昭と信長の対立、さらには最終的には本能寺の変にまでつながっていくんだろう。

 

ハーディング指揮のベルリンフィルのベルクと田園

 ベルリンフィルデジタルコンサートホールで今日視聴したのはハーディング指揮による2曲。ハーディングについてはパリ管のライブは聴いたことがあるが、ベルリンフィルを振っているのは初めて見た。果たしてハーディングがベルリンフィルを相手にどのような演奏をするかが興味深いところ。

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.13)

指揮:ダニエル・ハーディング

アルバン・ベルク 弦楽オーケストラのための《抒情組曲》から3つの楽章
ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調《田園》

 一曲目のベルクはやはり私には分かりにくい曲。「抒情組曲」と銘打っている割にはなかなかに激しいところもある曲。ハーディングの指揮はキレがあり、ベルリンフィルの演奏にも締まりがある。もっともそれでもやはり私にはベルクの曲はあまり面白くない。

 さて後半の田園であるが、やや速めのテンポでグイグイと進んでいく演奏である。音色自体は煌びやかで色彩的であり、ハーディング自身が細かいところで随所に渡って色づけをしていっていることも分かる。

 ただ全体的にあまりに駆け足過ぎるような気がしてならない。もっとゆったりと鳴らしても良いと思われるところでも、演奏はどうも前へ前へとせっつかれている感じがあり、今ひとつ落ち着かない。

 このテンポの速さは全楽章を通じての一貫したものであり、色彩鮮やかではあるのだが、どうにもいささかせわしない田園風景という印象を受けずにはいられなかったのである。


 うーん、やっぱり田園については全体的にもう少しゆったりと歌うタイプの演奏の方が好きである。田園風景の中での癒やしという雰囲気がやや薄い演奏だったように思われる。ハーディングがパイロットでもあるからというわけでもないだろうが、田園風景の上空をジェット機で飛び去っていったような感覚を受ける。

 

ツィンマーマンとペトレンコの競演をベルリンフィルデジタルコンサートで聞く

 さて「加入したものの全く元を取れていなかったベルリンフィルデジタルコンサートホールの元を取るための視聴」も2回目である。前回はどうも若手の意欲が空回った感じのコンサートであったが、今回聴いたのはその前に行われたもっと円熟した2人の競演となる。正直なところベルクは私としてはあまり得意なところではないし、ドヴォルザークの交響曲も5番となれば「どないやねん?」とやや微妙なところ。そういう辺りに不安はあるものの、さて公演の内容はいかなるものか。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団デジタルコンサート(2020.9.19)

指揮:キリル・ペトレンコ
ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン

ベルク ヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》
J・S・バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調よりラルゴ
ドヴォルザーク 交響曲第5番ヘ長調

 ベルクについては正直なところ曲はあまりよく分からないし、あまり私の好みとも言えない。しかしさすがにツィンマーマンの演奏は実に雄弁である。殊更に技術を誇示したりこれ見よがしに自らの解釈をアピールするようなところはないのだが、それでもこの難解な音楽が流暢にスッと入ってくる。しかもよく聞いていると実に味わい深い。正直なところ「これがあの退屈な(私にとって)ベルクなのか?」と驚いたところ。またペトレンコのツボを押さえた指揮がツィンマーマンの演奏の後押しをしたことも忘れてはいけない。

 アンコールピースとしてバッハの無伴奏ソナタが登場するが、無伴奏になることでツィンマーマンの音色の深さが非常に良く分かる。この辺りは流石である。誇示しなくても全てが伝わってくるのである。

 ドヴォルザークの5番は非常に牧歌的で溌剌とした曲である。構成的にはやや冗長さも感じないではないが、それでもドヴォルザークらしい魅力的な旋律は登場するし、また後期交響曲につながる特徴も見られる(特に8番につながっているのがよく感じられる)。

 さてペトレンコの指揮であるが、溌剌としたところは明るく元気に、謳わせるところは美しくと曲の局面に応じて巧みにメリハリを付けてくる。これが曲の構成の弱点を補うことになる。躍動感があり生気に満ちたその演奏は実に魅力的である。結果としてドヴォルザークのこのマイナー曲に光を当てることに成功している。


 さすがにペトレンコである。抜群の安定性と冴えを感じさせる演奏だった。このような演奏に接するとドヴォルザークの5番も結構名曲に聞こえてくるから驚き。クラシックにおいて演奏がいかに重要であるかが痛感されるところ。実際に今日では名曲とされる曲の中にも初演での失敗でしばらくお蔵入りになった曲も少なくない。優れた演奏は曲に対する評価さえ一変させるのである。

 

麒麟がくる? 第26話「三淵の奸計」

ムカイリ将軍散る

 光秀を口説きまくっていたムカイリ将軍はついに華々しく散ってしまい、「あのお方にこそ仕えたかった」と熱愛宣言をしていた光秀はすぐに義昭に転ぶというかなりめざましい展開がここ数話でしております。

 ムカイリ将軍の最後は、一応は剣豪将軍らしい見せ場を作っておりました。最期は障子に囲まれて刺し殺されるという意味不明のオチになってましたが、実はあれは本来は畳なんですよね。障子だと刀を防ぐことが出来ないので無意味です。名刀ぶん回して大奮戦する剣豪将軍に手を焼いた三好勢が、畳を押し立てて盾にして将軍を取り囲み、一斉に刺殺したってのが、言われている剣豪将軍の最期なんです。しかしこの作品、将軍の住居が畳敷きでなくて板張りになっていたからそれが出来なかった(笑)。それで窮余の策が障子ってオチでしょう。

 ムカイリ将軍は頑張ってましたが、歴史的に見ると彼は三好の言いなりにならなかったせいで殺されるんです。完全に言いなりになる馬鹿殿だったら殺されなかったんですけど、中途半端にやる気と能力があったから殺されざるを得なくなったと。もっと能力があったら、逆に三好を押さえたんだろうけど所詮はボンボンなんでそこまでの能力はなかった。まあ昔から、完全な馬鹿殿よりもむしろ半端に能力のある殿の方が暴君になったりして結局は倒されます。典型的なのが殷の紂王。希代の暴君のように言われているのは、多分に代わって天下を取った周による脚色としても、そもそも紂王って若い頃は頭の冴えを見せており、これは名君が登場したと周囲に期待された人物なんです。

 

一介の浪人の光秀に振り回されるナマ倉義景

 で、ムカイリ将軍を失った光秀は義昭の器量を見定めることをナマ倉義景から命じられるが、「自分は将軍なんて無理」って逃げようとしている義昭の姿を見て「こりゃ駄目だ」と義景に報告、それを聞いて義景は「やっぱ上洛は無理か」と判断するが、次に「自分が将軍になったら弱い者を助けることが出来るかもしれない」と語った義昭にグッときた光秀が「回りが支えたら結構良い将軍になりますよ」と言ったら、今度は義景は突然に「よっしゃ、上洛だ」・・・えっ? あのバカ倉義景の優柔不断は光秀が黒幕だったってこと? それがこのドラマの筋ですか。まあ主人公の活躍ぶりを無理矢理に拡大するのは大河ドラマの常ですが(「篤姫」なんて幕末のゴタゴタはすべて篤姫が裏で関与していたことになっていた)、さすがに光秀が大者過ぎる。そもそも朝倉に居候しているだけの一介の浪人がどこまで影響力持ってるねん。

 そして一旦「よっしゃ上洛だ」と舞い上がってしまったら、完全に暴走するバカ倉義景。本当にこの作品での義景の描き方ってひどいな・・・。まあ歴史的に見たら実際に無能っぷりが際立ってるからな・・・。

 んで、舞い上がって暴走している義景を押さえるための陰謀が、息子殺害・・・ってダークすぎるな。まあ実行したのは家老やら景鏡らってことになってますが、三淵も暗にそう仕向けてますからね。どうせ景鏡って最終的に義景を裏切って自刃に追い込むんだから、このぐらいのことしても良いかもしれないけど・・・。まあ家中でこんなゴタゴタが起こるようなところが上洛どころじゃないわな。実際の歴史でも朝倉家の中って無茶苦茶だったし。それにしても溺愛していた息子を失って完全にナマ倉化した義景の駄目っぷりがこれまた際立つ。

 それで慌てて光秀は信長の元に。ようやく光秀が歴史の表舞台に登場するということになるようです。今後は歴史のある世界に入っていくので、ストーリー的にはあまり無茶は出来なくなります(笑)。しかしこの展開を見ていたら、無理矢理に年内に話を収めるつもりなんだろうか? もしそうならかなりドタバタした展開になってしまうが。それとも来年の春前ぐらいまで引っ張るんかな? その辺りは公式発表はなかったんでしょうか? 最期はまさかの信長ナレ死なんて大技になりかねない。

 

業務連絡:アニメ関係の記事を独立させて新ブログを立ち上げました

 本ブログにおきまして、この秋頃からアニメ関係の内容を扱うようになっていましたが、その結果として本ブログはアニメとクラシックと山城などが錯綜して主旨がよく分からないブログになってしまいましたことから、この度、アニメ関係の記事を独立させて新ブログを立ち上げることとしました。

 

 新ブログは「白鷺館アニメ棟」です。この名については若い方は何とも感じないでしょうが、私と同じ年代ぐらいのアニメファンの方なら、もしかしたら何か記憶に引っかかるものがあるかもしれません。

 「白鷺館」は実は私が20年以上前に運営していたHPで、私の原点となるHPです。アニメ関係ページと言えばイラスト中心ページがほとんどだった時代にほとんどテキストオンリーという「異様な」ページで、当時はその後に興隆したアニメ評論の先駆けなどと自負しておりました。しかし私の本業の方が多忙になったこと、並びに私の嗜好の変化(世の中が萌えアニメ一色になったのに辟易してアニメ界から距離を置いてしまった)ことから放置状態となってしまい、現在はごく一部のコンテンツがアーカイブとして残してあるだけです。

 しかし昨今、この年になって再び最近のアニメを複数視聴したところ、往年のアニメ熱が復活傾向になってきたことから、再起動することと致します。

anime.ksagi.work

 と言うわけで、今後はアニメ関係の記事はそちらに掲載していくこととしますのでよろしくお願いします。

 

カーテンコールでの山響ライブでベートーベンの4番を聴く

 以前からライブ配信に熱心な山形交響楽団であるが、今日の19時からやまぎんホールで開催されるベートーベン交響曲スペシャルがカーテンコールでライブ配信されるとの情報が開演2時間前に飛びこんできた。慌ててPCの作業を終えて放送開始を待ち受けることに。事前に知っていたら夕食を先に摂るのだが、直前まで知らなかったので空腹を抱えての視聴になる。

 今回はベートーベンの交響曲第4番に序曲集である。ベートーベンの交響曲第4番と言えば、カルロス・クライバーによる超快速超熱演なんかが伝説に残っていたりするが、阪氏はどういう解釈で来るか。またラストのエグモントは村川千秋氏が登板とのことで山響と村川氏の組み合わせがどういうミラクルを起こしてくれるかにも注目したいところ。

 

 やまぎん県民ホール×山響 ベートーヴェン交響曲スペシャル(第3回)

指揮:阪 哲朗
   村川 千秋
管弦楽:山形交響楽団

ベートーヴェン/交響曲第4番 変ロ長調 作品60
       歌劇「フィデリオ」作品72 序曲
       「コリオラン」序曲 ハ短調 作品62
       劇音楽「エグモント」作品84 序曲(指揮:村川千秋)

 ベートーベンの交響曲第4番は快速テンポでとにかく明るい演奏である。細かいアンサンブル云々よりも全編をノリでグイグイ押していったという印象。元々古楽器も用いた室内オケなので、そもそもの音色が軽めなのであるが、かなり軽やかにして爽やかな演奏である。

 後半のフィデリオも基本的に同じアプローチ。古楽器を用いた金管の音色が柔らかくて非常に爽快。軽やかに駆け抜けるような演奏となった。

 次のコリオランはもっと深刻で重苦しい曲なのであるが、阪の指揮は重さに沈んでしまうことがなく、つねに躍動的である。演奏全体が常に前進力に満ちたものになっている。ただ深刻になりすぎるのはどうかとも思うが、この曲の場合はもう少し感情の襞があっても良いような気はした。

 そして最後は指揮者が村川千秋氏に代わってのエグモント。以前の時も村川氏が指揮台に経った途端に山響の音色が全く変わったのだが、同じ現象が今回も。急にドッシリと低重心なサウンドになった。演奏に一気に深みが増す。決して阪氏の演奏が悪いというわけではないのだが、やはり村川氏の演奏は味わい深い。実にしっとりとしたエグモントを聞かせてくれた。


 なかなかの演奏であった。ちなみに今回のライブ配信を聞き逃した方も、カーテンコールでは山形交響楽団の過去の演奏のアーカイブも配信されているのでベートーベンの交響曲第5番や6番を楽しむことが出来る。地方オケの雄・山形交響楽団の熱演をこの際に一聴されることをお勧めする。

curtaincall.media

 

麒麟がくる第22話「今日よりの再開」・・・でなくて「京よりの使者」

久しぶり登場の将軍はいじけて荒んでいた

 放送は約3ヶ月ぶりぐらいだが、番組上は4年が経過。光秀は馬を盗んだことを咎められた様子もなく(貧乏浪人がいきなり馬で桶狭間に駆けつけるなんて、盗んだとしか思えん)、相変わらずの貧乏生活をしている。そこに突然現れる細川藤孝。藤孝は京で実権がなくて完全にいじけてしまっている将軍様のお守りをお願いしに来た・・・というところ。

 ここで熙子が藤孝に魚を出すのを見て光秀が「一体こんな金どこから?」という反応を示すところが貧乏人としてはリアルなところである。で、この場で赤ん坊のお玉(後の細川ガラシャ)が細川藤孝とご対面。この辺りは後にお玉が藤孝の息子と結婚することの伏線のつもりだろう。ちなみにこの夫婦は元々は夫婦仲は悪くなかったんだが、お玉の親父のせいで暗転することになります。

 そして大者食いのお駒は今度は大和で次期将軍様と面会ですか。あり得ないほどに大者に絡む女性である。この義昭、一般的に言われている義昭のイメージと違って、かなり立派な志を持っているような描かれたか。なんですか。この人も将軍になって麒麟が来る世を目指そうとするが、信長の傀儡で何も出来なくてグレちゃんでしょうか。この調子だと、麒麟は大平の象徴でなくてまるっきり呪いの魔物だ。

 その大和では曲者松永久秀が伊呂波大夫を口説こうとして見事に撃沈しているというのがお笑い展開。こういう展開も松永久秀の今ひとつ読めないところを現そうとしているようですが、それ以上に良く分からんのが伊呂波大夫。いくらなんでもあまりに存在がスーパー過ぎる。関白がパシリとは全く以て何者だ。

 

辛うじて鉄砲玉にされるのは逃れたが・・・

 光秀は朝倉義景から京の状況を調べてくるように命じられ(お前、キチンと仕事せんかったら家族が危ないぞという脅しつき)、京に出向くが将軍の家臣連中から「恐らく三好長慶を討つことを頼まれる」と告げられる。この時の光秀の偽らざる本音は「うっわー、やべぇ、このままだと俺は鉄砲玉にされる」ってとこなんじゃないかと推察。幸いにして光秀の顔を見た将軍は、かつての志を思い出しでもしたか「三好長慶を討ったところで回りの心はさらに離れるだけ」なんて悟ったようなことを言い出して、光秀安堵というところ。だけど実際に三好長慶を討つことを命じられたら「いや、相手もう病気で寝込んでるので、放っといても長くないですから」ってサラッと言ってたりして(笑)。

 結局光秀は「信長の力を借りましょう」と尾張に行くことになったけど、確か信長は一回上洛した時に将軍なんて役にも立たんとぶち切れていたのでは? 何にせよ義輝の時には駆けつけてませんから説得は失敗は確定です。で、その間に将軍が暗殺されてしまうのかな。この前やっていた予告では、さすがに将軍はナレ死ではなくてそれなりに見せ場は作ってもらえるようだが。

 それにしても記録に何も残っていない時代だからいくらでも話を作り放題なんだが、光秀があまりにスーパー浪人過ぎるだろ。まあ大河にはよくあることだが。

 

腰痛発生

 実は私は元々から腰痛持ち(脊椎の腰の部分と首の部分の2箇所に椎間板ヘルニアがあり、首が発症すれば腕にしびれが、腰が発症したら激しい腰痛が出る)なんだが、昨日の午前の仕事中から段々と腰痛がひどくなり、午後になるとデスクに向かっているのもツラい状態。昨日は這々の体で帰ってきたのだが、今朝になるとやはり腰痛がひどくて、通勤して1日デスクに向かっているというのが到底不可能な状態なので、今日は急遽仕事を休む羽目に。

 幸か不幸か私は会社内でそれほど重要なポジションにいるわけではない(笑)ので、突然の休みも組織に大きな迷惑をかけることはないが、これが要職にいるようなエリートサラリーマンなら会社の不沈に関わるような事態だろう。個人事業主ならもろに収入に直結する非常事態だし。

 と言うわけで今日は主にゴロゴロしながら過ごしている状態。Huaweiのパッドのおかげでベッドの上でゴロゴロしながらでもネットが出来るのはありがたいのか単なるぐうたらなのかは微妙なところだが・・・。

 情けないことに、家の中で歩くのに本来は登山用に購入していた杖をついて歩いている状態。

     
私が使っているものは伸縮タイプ

 ところでこの登山杖。かつては伸縮タイプがほとんどで私が購入したのもそのタイプだったんだが、伸縮タイプはどうしても使っている内にネジ止め部が馬鹿になってしまうという弱点があるためか(私はそれで今までに何本も使い捨てにしている)、最近は下のような折りたたみタイプが主流になってきつつある模様。もっともこっちこっちで出来が良くないと接続部がガタガタするトラブルはあるらしい。

     
最近はこういう折りたたみタイプが増えている模様

 もっともいずれにしろ、杖は使っている内にどうしても曲がってきたりガタが出てくるものなので、よほどの高級品のしっかりしたものでない限りはある程度使ってガタが来たら買い換えるという形にならざるを得ないと思う。私は今までに3000円クラスの杖を5,6本ぐらい買い換えている

 

 それにしても今回のなさけない事態の原因は、やっぱりコロナの影響で圧倒的に運動不足になっており、あちこちの筋肉が覿面に落ちた(にもかかわらず体重は増えた)というのがもろに悪影響しているのだろう。表で運動しようにもこの暑さでは自殺行為だし、ジムなんかはコロナの影響で行きにくいし。よくよく考えると今使っている杖は2年以上前に買ったものがまだ健在であったということ自体、最近あまり山に行っていないことを物語っている。

 下手したら長引きそうだが、いつまでも休んでいるのは仕事の方は許しても、私の年有の残り日数の方が許してくれないので(笑)、明日辺りにはサポーターしてでも行かないと仕方ないだろうな。サポーターはアマゾンなんかでも売ってますし、私は以前に腰痛で病院に行った時に病院で買いました。

     


 ただこれをつけると確かに楽ではあるんですが、覿面に動きにくくなりますし、あまりこれに頼っているとかえって腰の筋肉が弱って腰痛が起こりやすくなるということもあるんですよね。こいつを使って誤魔化し誤魔化しで様子を見ながらしのいで、収まったところで何らかの運動を始めるしかないんだろうな。コロナの影響とかで最近は山城に行っていないのがもろに体力の低下として反映している。

 

魔王学院の不適合者~史上最強の魔王の始祖、転生して子孫たちの学校へ通う~ 第8話

相変わらずの主人公の無双っぷりが炸裂

 今回は魔剣大会を巡ってのアノスに対する陰謀がクライマックスを迎える回。陰謀の首謀者が七魔皇老の一人で、アノスの記憶を持っていて第6話では味方と思わせていたメルヘイスだったというオチ。ここで視聴者は「まさか」と意表を突かれないといけないのに、私はそもそもメルヘイスのことを忘れていたせいで「誰だったっけ?」になってしまって、制作者の意図を完全に外すことになってしまいました(笑)。毎週放送のアニメを一週間おきに見ていたらこういうことが往々にして起こる。だから放送終了後に全話を一気にまとめ見した方が話がよく分かったりするものである。

 今回は何重にも張り巡らせた罠の結果、アノス危機一髪かと思わせたのだが、やっぱり無双すぎる主人公のために、すべての罠を力技で破壊してしまい。ついでにレイの母のシーラまでも回復させてしまうというウルトラ技を駆使しています。全ての理を破壊できる魔王と言うだけあって、限界知らずの無双ぶりです。しかしこの無双っぷりがすごすぎて、すべての理どころかストーリー自体を破壊しかねないレベルであることはいささか気がかりなところです。ご都合主義の集大成みたいな主人公なので。

 それにしても七魔皇老ってピンキリなのか、ガイオスとイドルってアイヴィスやメルヘイスと比べると三下感が半端ないんですが・・・。結局は七魔皇老って言ってもアノスが自らの血で作り出した配下と言うだけで必ずしも幹部クラスという意味でなく、パシリレベルも含んでいるのかも・・・なんて気がしてきた。

 今回はここしばらくなりを潜めていた惣流・アスカ・・・でなくてミーシャが久しぶりに登場して、いかんなくそのツンデレキャラぶりを発揮していました。まあこういうところなんかがいわゆる「見所」なんでしょうか。それにしても見事なまでに教科書通りのツンデレキャラですな。アノスでなくてもちょっとからかいたくなるタイプのキャラだ。

 

アヴォス・ディルヘヴィアの影がちらつきだしたが・・・

 何か黒幕のアヴォス・ディルヘヴィアなる存在の影がちらつきだしましたが、この作品はラノベ原作で、そのラノベが現在も刊行中らしいという状況を考えると、アヴォス・ディルヘヴィアなる存在が何者で何を企んでいるなんてところまでは明らかにしないままアニメは途中で終了って可能性が非常に高いような気がします。最近はそういう結論が付かないで「後はコミックで、もしくは小説で」というようなアニメ作品が多くなってきた。アニメが結局はそれらを売るためのプロモーションビデオとしてしか制作されていない。さすがにそういう作りはあまりに視聴者を馬鹿にしてるんではと思い始めた今日この頃。

 で、アヴォス・ディルヘヴィアが何者かですが、普通に考えると、この作品に登場してくるべきにも関わらず未だに登場しておらずアノスに匹敵するような存在としたら、勇者カノンしかいないんですが・・・。彼が何らかの要因で暗黒変したとか(7つの根源を持っているとかいう特異体質が影響してそう)、統治上の問題とか何かでこうせざるを得なかったとかぐらいしか想像が付かん。

次話はこちら

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