徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

東響第102回オペラシティシリーズ&流鉄沿線城郭巡り(花輪城、小金城)

 翌朝は7時前に目が覚めたが、とにかく体全体がだるい。連日1万歩越えだが、昨日は1万7千歩、一昨日が1万5千歩というのがとにかく効いている。明らかに限界越えの状態。理性的判断ではこのまま極力寝ている方が良いのだが、今回は完全に変なスイッチが入ってしまっている私は、実は今日も結構ハードな予定を考えている。

 8時過ぎ頃にホテルを出ると一旦上野駅にキャリーを置いてから、常磐線で馬橋を目指す。今回は流鉄沿線の城跡を回ろうという計画。以前からこの辺りに城跡があることは知っていたのだが、なかなか訪問する時間を割けなかった次第。そこで今日のコンサート前の午前中にそれを済ませてしまおうと考えたわけである。

 

流鉄に乗って城跡散策

 流鉄は二両編成の車両だが、そこそこ乗客はいる。また1時間に3~4本の多頻度運転が行われているのは田舎のローカル線とは違うところ。

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流鉄車両

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流鉄車両は二両編成ロングシート

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流鉄車両

 この沿線にはもろに「小金城趾」という駅もあるが、そちらに立ち寄るのは後と言うことでまずは終点の流山へ。こちらにはその小金城を本拠にしていた高城氏の有する城の一つであった花輪城跡がある。

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流山駅に到着

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車庫内の車両

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流鉄車両

 流山駅を降りると萌え看板とさらに何やらイケメン看板が立っている。どうやら沿線が「薄桜鬼」なるアニメ作品(私もタイトルぐらいは聞いたことがある)とタイアップ企画を実行中とか。歴女目当てか腐女子目当てか知らんが、最近はこんな企画も増えてきた。

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流山駅には謎のイケメン看板

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さらに謎の萌え看板

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そして謎のイケメン幟

 

花輪城 公園化して今はほとんど遺構は残らず

 花輪城へは流山駅を北上すること徒歩20分弱。正直なところほとんど死んでいる私の足にはかなりキツい。ただ救いは昨日までひどかった花粉症が幾分マシになったこと。花粉に関しては東北よりもまだ東京の方がマシのようだ。これは多分単純に花粉だけでなく、PM2.5なんかの影響もあるのだろう。ヘロヘロの体調でフラフラしながら住宅街の中をしばし歩く。

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花輪城はこの山上

 現地は今は公園になっている模様。東側には小さな水路があるが、ここはかつては川か? となると川沿いの丘陵ということで確かに城郭には向いている地形である。現地はもうかなり削られてしまっているようだが、今でも空堀の一部が丘陵上に残っている。これが城郭遺跡としては唯一のものか。

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何やら建物の跡と

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堀跡?

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東側は公園整備されていて

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何もない

 

小金城 住宅地に埋もれた北条配下の城

 花輪城跡を見学した後は再び流山駅に戻ってきて、次は小金城跡を見学。こちらも住宅街の中に完全に埋もれてしまっていて、今ではかつての城郭のごくごく一部のみが歴史公園として保存されているらしい。

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小金城趾駅は看板さえない

 小金城は千葉氏の一族であった高城氏が本拠にしていた城郭だという。高城氏は北条配下として秀吉の小田原攻めで戦うも北条氏と運命を共にしたらしい。小金城はこの辺りの複数の丘陵上に展開した大規模な城郭だったらしいが、確かに今日完全に宅地化している状況でもこの辺りは結構起伏が激しい。恐らくかつては曲輪の一つだったと思われる場所には今では高層マンションが建設されている。

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かつての城域は今はほぼ住宅化している

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現地のこの手の高台はかつての曲輪跡だろう

 小金城跡だが、丘陵の一つの斜面に堀跡などが残っている。なおこの公園の入口は丘陵の下側にある。最初は上側から回り込もうとしたのだが、こちらはフェンスに阻まれて侵入不可。

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正面に見えるのが歴史公園

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下側に回り込んでようやく入口を見つけた

 残っている堀は北条氏お得意の畝堀であるが、現在は埋められているのか畝はあまり分からない。この畝堀は山中城などで典型的なものを見ることが出来るが、関東ロームの地層には実に効果的であったと思われる。堀内で動きを阻まれた敵兵は城からの矢弾にさらされることになるという仕掛けである。

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城跡碑

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障子堀

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畝堀・・・なんだが、ほとんど分からない

 いずれも大した遺構は残っていなかったが、東京周辺の城郭だと仕方ないところだろう。しかしそれにしても疲れた。何だかんだで今日も既に一万歩以上歩いてしまった。もう限界だし既に昼になっているし、今日のコンサートのあるオペラシティまで移動することにする。

 

 昼食はオペラシティ近くの「築地食堂源ちゃん」でランチメニューの「牡蠣フライと刺身の定食」を。特筆すべきことは何もないが、これで1000円強なら東京なら上々なんだろう。なおまだ時間が少し余裕があることから、ついでにデザートも注文。

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牡蠣フライと刺身の定食

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これがデザート

 昼食を終えるとコンサートホールへ。今日は東京交響楽団のコンサートだが、どうも指揮者のジュゼップ・ポンスが急病のため、急遽飯森範親に変更になったらしいということを、ついさっきHPにアクセスして初めて知った。なお帰宅後に東京交響楽団から指揮者交代の旨を連絡する封書が届いていたことを知ったのであるが、どっちしても払い戻し等はなしなのならわざわざ封書で知らせる意味もないような気がするのだが。しかし、よりによって飯森か・・・。それだとわざわざ東京まで聴きに来るまでもなかった。それにしてもそもそもポンスもマーク・ウィグルスワースがスケジュール的に出演不可になったための代演だったはずなので、代演の代演である。どうにもバタバタした話である。

 

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第102回

指揮:飯森範親
ピアノ:マーティン・ジェームズ・バートレット

ワーグナー:歌劇「恋愛禁制」序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 一曲目はワーグナーらしくない軽妙な曲。しかも決してメジャーな曲とは言い難いだけに、急遽指揮をすることになった飯森もどことなく手探りで指揮をしている感じがある。もしかしたら飯森もこの曲はよく知らないのではないだろうかと思われた。この曲想だともっとノリノリで持ってきても良かったような。

 二曲目のプロコはバートレットの華麗な音色もあって、プロコらしい泥臭さをあまり感じなかったように思われる。これはこれで面白くはあるのであるが。

 最後は飯森にとっても馴染みのある曲だろうだけに、飯森も落ち着いた演奏となった。ただしどことなく無難な演奏であり、特別な面白味はなかったのが事実。

 結局のところ、飯森らしく可もなく不可もなしといったところ。残念ながら取り立てての魅力も感じなかったのが本音である。やっぱり最初から飯森だと分かっていたらわざわざ東京までは来ていない。もっとも今回はこれのために東京に来たのではなく、ついでであるから別に良いけど。

 

 これでようやく本遠征も全予定を終了となった。後は新幹線で帰宅するのみである。なかなかに充実した遠征であったが、その分、財布と体に結構キツかったのが事実。当初はゆったりと温泉巡りのはずだったのだが、遠出するとどうしてもそうはならないのが相変わらずの私の性分。今回も結果としてはリハビリを越えて無理をしすぎてしまった。実際にこの後は数日は足腰のだるさに苦しめられるのである。

 

福島山城巡り(三春城、大越城、下大越城)&鍾乳洞探検(あぶくま洞、入水鍾乳洞)を経て磐梯熱海温泉へ

 昨晩は早くに寝すぎたせいで夜中に一度目が覚めたが、結局はそのまま二度寝。起き出してきたのは7時。とりあえず朝風呂に行ってから朝食は8時から。

 朝食はオーソドックスな和定食。しかしこういうオーソドックスなメニューは何となく落ち着く。

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朝からガッツリとある

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うどん付きです

 ホテルを9時頃にチェックアウトすると、ここから福島駅まで車で走る。福島交通飯坂線の線路に沿って走ることになるが、途中で何度も二両編成の車両を見かけたことから、運行本数は結構多いようである。確かに終点の飯坂温泉以外も沿線は住宅地が続いており、需要はそれなりにあると思われる。もっともこの路線でさえも地方のローカル線のご多分に漏れず、昨今は利用客がじり貧状況にあるらしい。これから日本が人口減少社会を迎えるに当たって、いずれは公共交通機関は民間で支えることは不可能になってくるかもしれない。そういう時に税の配分をどうするかである。また都会と地方との綱引きが起こりそうで難しい。ただ言えるのは、東京という大都市はそれを維持するために地方に多大の負担を強いているのであるから、東京に居住する住民がそれに対して何らかの負担をするべきなのは当然であると考える。

 日産レンタカーに車を返却すると、駅までキャリーを引きながら移動。ここのレンタカーは事務所が駅から若干遠いのが難点。まあそれでたびらいで若干安かったのだろう。

 福島駅に到着するとすぐにやまびこで郡山に移動する。昨日から東北新幹線で小刻みな移動を繰り返している。福島から郡山は10分ちょっと。郡山に到着するとすぐに駅前の駅レンタカー事務所に飛び込んで予約していた車を調達。今度は勝手知ったるノートである。やはり運転感覚はこちらの方がマーチより良い。

 今日は山城を含めて目的地が目白押しの状態。とにかく体力の続く限り攻略を進めるという予定。まずは本遠征の最大目的であった三春城に向かう。

 

三春城 続100名城に選定された山城

 三春城は1504年に田村義顕が築城したと伝えられており、以後田村氏、松下氏等の居城となった。1645年には秋田俊季が五万五千石で入城して、明治維新を迎えて廃城となっている。かつては本丸には三階櫓なども置かれていたという。そしてこの度、続100名城に指定されている。

 三春城は三春町の市街を見下ろす山上にある。三春の中心街の近くから山上に続く道が延びており、それが「本当にノートでここを登れるの?」と不安になるような急坂。それを登っていくと二之門跡と表示が出ているところに駐車場があるが、そこからさらに登っていくと本丸下駐車場なる場所に行き着くのでそこに車を置く。ちなみに私の車のカーナビはそこからさらに登るように指示しているのだが、その道は階段である・・・。

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二之門跡を通過する

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ここに車を置く

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私のカーナビはこの道を車で登れとの仰せ(笑)

 本丸はここから階段の道を登っていった先。その内に明らかな虎口構造が見えてきて、そこを抜けると本丸。山上は公園化されていてトイレまで設置されているが、上がってみるとそのトイレの整備用と思われる軽トラがここまで登ってきていてビックリする。「その軽量さによる登坂力、車高の高さから来る走破性、そして小さな車体による小回りの良さ。軽トラこそが山城では最強のマシンだ。」という高橋涼介による解説が聞こえてくる。

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本丸虎口に到着

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なんと軽トラが登ってきている。さすが山城最強マシン。

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本丸跡

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本丸風景

 本丸は二段の二つの曲輪からなっているが、その下段の曲輪には二の丸跡との表示がある。しかし二の丸の表示は駐車場の下にあって現在は遊具が置かれている曲輪の方にもあり、どちらが二の丸かが紛らわしい。ただどうも下が二の丸であるのが正解の模様。

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本丸なのか二の丸なのか紛らわしい下の段

 

 本丸には天守台のような石組みがあり、現在は秋田氏の墓碑?らしきものが置かれている。なんにせよ、下の曲輪と併せると山上にかなりのスペースがあるのが特徴である。下の曲輪には搦め手門の跡もあり、ここから下の二之門跡のところの駐車場まで降りられるようだ。

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本丸にある神社の基壇のような石組み

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下の段から上の段を見てみる

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かなり切り立ってます

 山上を見学すると下まで降りてきて二の丸跡の方を見学。ここは現在遊具が置かれている曲輪を中心として、数段の曲輪が構えられているようである。本丸との間に深い堀切が切られているだけでなく、標高差もかなりある。ここが二の丸ということは、下の小学校の辺りが三の丸というところか。ここにかつて屋敷があったらしい。

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先ほどの軽トラはここから登ってきた模様

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二の丸跡方面に回り込む

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通路沿いに数段の曲輪がある

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先端の曲輪はかなり広い

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その先は下の方まで続いている模様

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振り返ると数段の曲輪がある

 なかなかに見所のある城郭であった。ただ続100名城に選定された何か決定打というものが今ひとつ見えてこない。単純に城郭の規模などなら先の桑折西山城も遜色がない。そもそも100名城選定にはかなり観光振興の思惑が存在していることから、やはりこの選定は「がんばろう福島」のニュアンスが多分に含まれているような気もする。同様の趣旨なら、私なら相馬中村城、棚倉城なんかも候補だが。

 

あぶくま洞を探検

 山城見学の次は鍾乳洞に潜ることにする。ここからかなり南に走った先にあぶくま洞という観光鍾乳洞があるという。

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歓迎ゲート

 この地域の山は石灰岩を産出するため古くから切り出しが行われていたらしい。その際に発見されたのがあぶくま洞とのこと。全長3キロ以上にもなるという長大な鍾乳洞らしいが、その手前の一部600メートルほどが観光用に公開されているという。

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現地はかなりの断崖

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阿武隈神社

 現地は長年の採掘跡かかなり大きな剥き出し岩盤となっている。周囲には土産物屋なんかも建っていて完全に観光地。そう言えば今日はまだ昼食を摂っていなかったので、入洞前にレストランに立ち寄って天ぷらそばを食べておく。

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現地のレストラン

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天ぷら蕎麦を頂く

 

 入洞券だが、通常コースに200円プラスで探検コースなるものがある。聞いたところによると「ずぶ濡れになるようなコースではない」とのことなので探検コースにチャレンジすることにする。

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洞窟の入口はかなり下

 内部は観光洞として完全に整備されているので足下に不安を感じるようなところはない。ところどころに鍾乳石が見られる。

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 しばらく進むといきなり洞窟の中に係のおっちゃんが座っていて、ここでチケットを見せてから探検コースに進む模様。異世界から急に現実世界に引き戻される感覚である。

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おっちゃんにチケットを見せて探検コースへ

 探検コースは水の中を進むようなところはないが、狭いので身をよじらせたりかがんだりして進まないと行けないところが多数。また私の体が分厚すぎるせいで、一カ所だけかがんで片膝をつかないと進めない箇所があった。なお遠回りする分、いろいろな鍾乳石を見ることが出来るので、特に体に問題がない人にはお勧めである。

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探検コースはかなり多彩

 

 狭いところを抜けていくといきなり大広間に出て、ここで一般コースと合流になる。ここが洞窟のクライマックスでもある滝根御殿。かなり広くて天井の高いスペースに諸々の鍾乳石が見える。

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大広間はかなり壮観

 竜宮殿を抜けて先に進むとなぜかベンチが置いてある。その向かいにはクリスマスツリーなる鍾乳石が、ここでカップルでロマンチックに愛でも語れってか? どちらにしても私には関係ない。とにかくクリスマス関係は私にはすべて鬼門である。なお私と一緒にクリスマスを祝ってくれる女性については引き続き募集中である。

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ベンチの前にはクリスマスツリーが

 最後は月の世界なる荒涼とした洞窟に出るが、ここは照明による演出を行っている。とにかく観光洞としていろいろ仕掛けをしている洞窟である。なおこの辺りにはワインなども貯蔵されており、これらのはワインは帰りの土産物店で購入可能というわけであるが、アルコールが天敵の私には無関係。

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月の世界はライトによる演出もあり

 結構長い洞窟(だが、これでも公開されているのは全体の1/5程度らしい)であり、途中で探検コースなども抜けたために結構圧迫感があった。さすがに閉所恐怖症の気は全くない私でも表に出るとホッとする。

 

入水鍾乳洞の見学

 あぶくま洞の見学を終えると、続けてこの近くにあるという入水鍾乳洞を訪れることにする。こちらの鍾乳洞は知名度ではあぶくま洞に劣るものの、洞窟探検としての本格的さはあぶくま洞以上というマニア向けの洞窟である。とは言うものの、私は今回は何も本格的洞窟探検なんてするつもりはない。

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歓迎ゲート

 コースはABCの3つに分かれており、Bコースからは水中をザブザブと進むコースになり、Cコースはガイド同伴になるらしい。私は今回は当然のように観光Aコース。

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山間をしばし歩く

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Bコース以降は水に浸かる覚悟が必要

 ただそれでも入洞前に「足下は険しいですよ」と警告を受ける(私が杖をついていたからだが、これは登山杖で別に足が悪いわけではないですと答えた)。実際に入ってみると、確かに先ほどのあぶくま洞と違って足下は石がゴロゴロしていたりなかなかにワイルドである。日頃から山道を歩き慣れているものにはなんてことないが、それでも気をつけないと濡れた石の上で転倒する危険はある。

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鍾乳洞入口

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初っ端から濡れた石がゴツゴツしている

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とにかく水が多い洞窟である

 また先ほどのあぶくま洞と比べると顕著な違いはとにかく水が多いこと。洞窟中に滝や川があるし、あちこちで水が流れていること。それにとにかく狭い箇所が多い。先ほどのあぶくま洞の探検コースなんかよりもこちらの方がよほどハードである。

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 そんな中をしばし進むとAコース終点と書いたゲートにたどり着く。ここから先はBコースらしいが、いきなり足下が水中につながっているのには驚く。確かに水中を歩く覚悟がないとBコースにはいけないようだ。その上にBコースは照明も持参する必要がある。

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Aコース終点、この後は道は水の中へ

 ここまでで10分ちょっとぐらい、またここまであまり鍾乳石は見られないので、洞窟マニアとしてはこれだと消化不良な感が残るだろう。本格的洞窟探検を行いたい方ならお勧めだが、私はそもそも洞窟マニアというわけではないし、この寒空の下で水浴びをする趣味はない。今日は最初から本格的探検なんてする気もないのでさっさと引き返す。そもそもこの先に進むには体力と体型に問題がありそうだ。挑戦するつもりならもう少し体をコンパクトにする必要がある。

 

 これで洞窟探検は終了、ここからは山城探検第二弾ということにする。ただもう3時近くになっているので、本日の宿泊地に向かいつつ沿線の山城を拾っていくということにしたい。

 

大越城 三春田村氏の重臣・大越氏の居城

 最初に立ち寄ることにしたのは大越城。戦国の末頃に三春田村氏の重臣である大越顕光が居城としており、1566年に築城されたとか。

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現地案内看板

 県道19号を磐越線に沿って北上、大越駅の手前にある見渡神社の裏手の山が大越城。見渡神社の裏手に車で回っていくと、案内看板があって杖まで用意してある親切さ。ちなみに私は杖は持参。駐車場はないが、道路脇に車を置ける余裕があるのでここに車を置いて進む。

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ここが登城口

 山道を登っていくといきなり堀切の表示と共に、こちらを見下ろしてくる高い曲輪がそそり立つが、これが東の舘。まさに大手口の関所という構えである。

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正面左が東の館

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上から見下ろすこの高さ

 ここを抜けると右手に押上という表示があり、鳥居が建っている。本丸に行くにはこちらを登っていくことになる。看板は整備されているし、下草もキチンと刈ってあって非常に整備されているので実に歩きやすい。

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押上

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通路脇にいくつか曲輪らしきものがある

 左右に細かい削平地をいくつも見ながらしばし登っていくと虎口に突き当たる。ここを抜けて進んだ先が本丸である。本丸はそれなりのスペースがあり、今は祠が置いてある。本丸が神社になっているというお約束のパターンのようだ。

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本丸虎口に到着

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本丸はそこそこ広い

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城跡碑

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大越神社

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意外に標高がある

 

 二の郭は本丸の西に降りたところにある。そこそこの広さはあるが、巡回コースから外れるせいか下草が刈られていなくて鬱蒼としていて先に進むのはやめる。

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本丸の一段下に二の郭があるが

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かなり鬱蒼としてしまっている

 二の郭から続きで南に回り込んだところが馬場との表記のある小スペース。ここには駒石と呼ばれる巨石がある。この上に馬爪大の痕跡があるとのことだが、岩の上に登る気力も体力もなし。

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はるかに下に見えるのが馬場

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駒石

 ここを回り込んで降りていくことにするが、ここからは斜面が結構急である上に道の状態が良くない。神社の表参道筋は整備しているが、こちらまで手が回っていないというところか。それどころかようやく下の休石の手前まで来たところで巨大な倒木に道を塞がれていて、これを通り抜けるのに一苦労させられる。

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巨大な倒木に道を塞がれる

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ようやく通り抜けて休石に到着

 休石からは帯曲輪や西の舘を左右に見ながら進むことになる。先ほどから時々細かい水滴が顔に当たるのが気になるところ。雨が若干ぱらつき始めているようなので先を急ぐ。

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西の館には巨石がゴロゴロ

 本丸下の谷状の斜面の中腹に井戸跡もある。籠城に非常に大切な水はここで確保していたようだ。なお今日でも水が湧いているらしい。なお近くにある朝霧城は井戸がなかったため1キロ先の水源から堀で水を引いていたところ、そこに毒を放たれてしまったためにこちらに移ってきたとのこと。

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本丸下の谷間には井戸がある

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井戸

 

下大越城(朝霧城) 水源に毒を入れられてしまった城

 大越城の見学を終えるとその朝霧城こと下大越城に向かう。住宅街背後にある山がそれっぽいのだが、どこから登れば良いのかが分からずに回りを車でウロウロしている内に、「朝霧城東入口」なる看板を見つけたのでその近くに車を停めて徒歩で登る。

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ようやく入口を見つけた

 登るとすぐに北舘跡との間の堀切に到達するので、北舘は後にしてまずは本郭の方に登ってみる。

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ここを進んでいくと

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右手に北館への登り口

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左手に本丸への登り道が

 本郭に登ると視界が開け、下まで数段の削平地がある場所に到達する。どうやら城跡を桜公園にするべく整備して植林している模様。一応、本郭跡、二の郭跡、御殿跡などの看板が立っているが、公園整備のせいかなだらかな緩斜面になっている雰囲気で、城郭としての険しさは全く感じられない。かすかに土塁跡などがあるのが城跡としての主張はしているが。

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急に視界が開ける

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ここが本郭跡とか

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数段の曲輪らしき構造はあるが、公園整備がされすぎていて原型が不明

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辛うじて土塁跡が城跡を主張

 裏手に回ると北舘の方を登ってみるが、こちらは本郭の方と対称的で道なども整備されておらず、曲輪内も木が茂っている。二段の曲輪になっていてかなり回りは急である。本郭と連携して守っていたことが分かる。

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北館は二段構造になっている

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奥に上ってのぞき込むとかなり周囲は切り立っている

 ここの城が水源に毒を入れられてしまった城であり、確かに城内に水の手は見当たらない。また地形的には平時の館を構えるには良さそうだが、戦時の城郭としては堅固さで大越城に劣る。水源が駄目にされたことがなくても、戦が激化してくればあちらに移転するのは必然だったのではと感じられるところである。

 

磐梯熱海温泉で宿泊

 これで今日の予定は大体終了である。もう体に大分ガタが来ているし、夕方になってきているし、宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのは磐梯熱海温泉の金蘭荘花山。船引三春ICから磐越道に乗ると、そのまま西進、順調に磐梯熱海温泉に到着する。

 磐梯熱海温泉は山間の街道沿いの温泉街という印象。道路沿いに大手ホテルが並んでいる。金蘭荘花山はそのホテル街の真ん中付近。

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なかなか綺麗で広い部屋である

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少し変形部屋

 なかなか綺麗なホテルで、私が通された部屋も広いゆったりとしたもの。部屋で一服してから大浴場に向かう。大浴場は内風呂に露天風呂が隣接した造りで、露天風呂は川に浮かぶ船をイメージした浴槽。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、ややネットリ感のある湯である。ここでとにかく今日の疲れを抜いておく。今日はかなり無理をしたが、既に太ももに張りなどが出ており、これは明日以降が思いやられるところ。

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内風呂

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その先には露天風呂が

 

 風呂からあがると間もなく夕食の時間。夕食はレストランで会席料理。ビュッフェでガッツリ食うのも悪くはないが、私はどちらかと言えばこちらの方が合っている。

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 品数も多いしなかなかにうまい。一番印象に残ったのは豚の温しゃぶ。豚肉がひじょうにうまかった。

 夕食を終えるとしばし部屋で過ごすが、疲れが出てきていて頭がボンヤリとして何も出来ない。この原稿を入力しようにも頭がまるっきり回らない状態。仕方ないのでとりあえずもう一度入浴へ。冷たい空気の中での露天風呂がなかなかに快適。

 風呂からあがるとしんどいのとすることがないのとで早めに就寝する。

 

福島山城巡り(桑折西山城、梁川城、大鳥城)&飯坂温泉で宿泊

 翌朝は7時に起床。かなりグッスリ寝たのだが、体にまだ怠さがいろいろ残っている。今日は福島への移動だが、仙台駅までの送迎バスが11時に出るのでそれまでは時間がある。

 7時半頃にはバイキング形式の朝食がある。それを食べに昨日と同じレストランへ。朝食は和洋両対応でガッツリと食える。おにぎりがあるのがありがたい。その場で握ってくれるというのはなかなかのサービス。

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朝食バイキング

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和洋両対応でガッツリ頂く

 

 

 朝食を終えるとやはり入浴。露天風呂は夜の内に男女入れ替えがあって、今朝は広瀬川源流露天風呂。ここは川がそこに見える浴槽や、立ち湯など諸々あるのだが、生憎と今朝は昨日の雪が雨に変わって冷たい雨が降っている状態。雨が体に当たるといささか冷たいし、雨のせいで湯温が下がり気味で、高温湯と書いてある浴槽がぬる湯の状態。川沿いの断崖の絶景を眺めながらここで長湯。なお蓬蒸し風呂(蒸しパンみたいだ)なんてのもあったが、私は基本的にサウナは苦手。

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川がそこに見える露天風呂

 入浴を終えて支払い手続きを早めに済ませてしまうと、後はすることもないので部屋で時間までテレビを見ながらゴロゴロ。やはりいささか疲れが体に残っている。残念ながら昔のように前日の疲れは一晩寝るとスッキリとはいかないようだ。それにいささか湯疲れもあるかも。

 ようやく11時になったのでバスで仙台駅まで送ってもらう。送迎バスは満員。行きよりも客が多いようなので、帰りだけ乗った客もいるのだろう。昨日は途中で渋滞などもあったのだが、今日はスムーズに道路が流れており(平日の昼間だからだろう)、仙台駅には予定よりも早めに到着、私はすぐにやまびこの自由席に飛び乗って福島を目指す。

 福島に到着したらレンタカーで移動することにする。日産レンタカーでマーチ。あまり好きな車ではないが仕方ない。

桑折西山城 鎌倉時代の伊達氏の居城、幕末には奥羽越列藩同盟の陣地

 レンタカーを調達すると最初に向かったのは桑折西山城。今日はここに行くのにレンタカーを借りたようなものである。桑折西山城はJR桑折駅の西側の山上にある。現地に近づくと明らかに山頂を削平してある一目でそれと分かる山が見えてくる。線路をくぐる手前ぐらいから案内表示が出ているのでそれに従って進む。最後は狭い山道になるが「ええい、行っちまえ」とマーチでそのまま乗り込む。しかし道路は狭いし轍はえぐれているしとあまり良い道とは言えない。しかも昨日来の雨で路面がぬかるんでいてズルズル。あまり端によると路盤が崩れないとも限らない。失敗だったかな・・・といささか後悔したが後悔先に立たず、そのまま転回スペースのある大手門まで乗り込むが、この辺りも地面がズブズブで、これ以上登ろうとするとマーチのタイヤが空滑りするような状態。仕方ないのでここで車を無理矢理に転回させてから駐車する。

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桑折西山城遠景

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大手門の手前に車を置く

 いざ現地に到着すると思ったよりも大規模な城郭である。山を丸々城にしたという印象。規模が大きい郭がいくつもある上に、国の史跡に指定されているらしく木を切って整備されているので、かなり広大であるのが一目で分かる。これだけの規模を感じる城郭は秋田の脇本城以来。東北地区には広大な城郭がいくつかあるが、ここもそのうちに入るだろう。

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案内看板

 桑折西山城は伊達氏が居城とした城郭であるという。鎌倉時代からあり、伊達政宗(独眼竜でなく、伊達家9代当主で南北朝時代の人物)が鎌倉公方に背いて立て籠もった城だという。伊達稙宗が1532年に居城を梁川城からここに移しており、この時に現在の規模に拡張したのだとか。稙宗と晴宗の伊達家内部での騒乱時にこの城も戦乱の舞台となったという。乱後に伊達氏は米沢城に移ったことで廃城になったとか。

 一番手前にある曲輪部分は砲台との表記がある。これは中世の遺構ではなくて、幕末に砲台が置かれた場所らしい。奥羽越列藩同盟がここに陣地を置いたのだとか。街道を見下ろす要地なので、ここに砲台を設置するのは極めてリーズナブル。

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一番手前の曲輪

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砲台跡との表記あり

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砲台を置くには最適

 本丸はここからかなり上にある。上に上がってみるとやたらに奥に広いのであるが、あまりにメリハリがないので元々の本丸の地形がどれだけ残っているのかは不明。この本丸の西側にある数段の曲輪が二の丸といったところらしい。

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砲台から本丸方向を見上げる

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広い本丸

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本丸から下を見下ろす

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手前が二の丸で奥が中館

 

 

 ここからかなり深い堀を隔てて中館と西館という館部がある。この中館は土塁に囲われている上に明確な虎口を持っており、城郭としての構造を持っている。

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二の丸の先の堀切

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奥が中館

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中館に登る

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中館内部は広い上に周囲に土塁もある

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中館の南には虎口の構造が

 ここから堀を隔てた西側にさらに西館があるようだが、いささか藪化しいるようだし、足下はズブズブで何度もこけかかっているしということで、今回はこれで撤退ということに。

 見学を終えるとかなり神経をつかいながら車で降りてくる。この道もこんな天候でなければそう問題のない道のはずだが。まあ軽トラだったら余裕だろう。

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お城近くの万正寺の大カヤ

 

 

梁川城 今は学校になってしまった伊達氏の城

 桑折西山城の次は梁川城に行くことにする。梁川城は川を外郭の防御にした小高い丘の上にあり、現地に来てみると城郭に格好の地形であることがよく分かる。もっとも現在は城跡は小学校、中学校、高校などの学校の敷地になってしまっていて遺構は完全に消滅。町中の江戸期の城跡は学校か役所になるパターンが多いが、ここは前者の方だったらしい。現在残るは震災で移転した旧梁川小学校の敷地の一角に庭園跡があるのみ。いずれ何らかの整備がされるのかもしれないが、今はかなり寒々とした状況である。

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川向こうの台地上が梁川城

 梁川城はかつて伊達氏の本拠だったことがあり、本拠移転後も要地として伊達氏が抑えてきたという。奥州仕置きで伊達氏が立ち退いた後は蒲生氏郷が、氏郷の死後には上杉景勝が領地とした。この頃に大増築が行われたとのこと。江戸時代には上杉領であったが、上杉家が家督騒動で30万石から15万石に領土を減らされた時に天領となり、その後は梁川藩となったり、会津藩の飛び地になったりなどと所属は転々として明治を迎えたらしい。街道を扼する要地の城だけにそれなりに重視はされていたのだろう。

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小学校跡の一角に浅間神社が残る

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浅間神社

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庭園跡

 

 

大鳥城 飯坂温泉を見下ろす平安時代の城館

 梁川城を訪問した頃にはそろそろ時間が気になる頃になる。今日の宿泊地である飯坂温泉に向かって走ることにする。ただホテルに入る前に飯坂温泉にある大鳥城には立ち寄っておきたい。

 飯坂温泉は郊外の小都市に温泉街が混在しているという雰囲気。また路地の入り組んだ古いタイプの町で全体的に風情溢れている。大鳥城はその飯坂温泉の西方の舘山山上に位置する城郭。平安時代末にこの丘陵上に信夫庄司佐藤氏によって城館が築かれたのだという。佐藤氏はその後、源義経と共に戦い、義経追討の鎌倉勢の迎撃も行ったものの、衆寡敵せず城主は戦死して大鳥城も落城したとのこと。

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手前の山上が大鳥城

 山頂までは車で登ることが出来る。丘の麓に大手門跡があり、そこから一の砦などを経由して山上に上る登山ルートもあるようだが、今回は時間も体力も余裕がないので山頂まで車で一気に登った。

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山頂まで車で登れる

 山頂はそれなりのスペースがあり、現在は公園として整備されている。ここからは遠く福島市街まで見渡すことが出来、城郭を構えるには格好の位置である。

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山頂はかなり広い

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城跡碑

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かなり高度がある

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案内看板

 この城郭の北東南の三方はかなり切り立っており、弱点となるのは西側に続く尾根筋であるが、そちら側は堀切で分断した上で独立した曲輪を構えており、そこには矢庫の跡との石碑も建っている。背後の尾根筋からの攻撃はこの曲輪で迎え撃つ構造になっていたことが分かる。

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西の尾根筋にある独立曲輪矢庫

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矢庫と本丸の間には堀切

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矢庫の先にはさらに深い堀切

 現在は公園化してしまっているので遺構としてはあまり残っていないが、それでも中世城郭の雰囲気を感じることが出来た。

 

 

飯坂温泉街を散策

 大鳥城の見学を終えた後は、飯坂温泉街に降りてきて観光用無料駐車場に車を置いてしばし町並み散策。通りすがりの肉屋でコロッケを購入して食べたのが、よく考えるとこの日の昼食。あちこち走り回っていたせいで昼食を取る暇がなかった。

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結局これがこの日の昼食

堀切邸の見学

 付近には地元の名士だった堀切氏の館が現在公開されているのでそれを見学。ここは足湯などもあってそれが目当ての観光客も訪れているようだ。

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堀切邸の立派な門構え

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かなり立派な屋敷

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外蔵がある

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屋敷内部

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なんと内蔵もある

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庭には足湯が

 

 

共同浴場鯖湖湯

 この堀切邸の隣にあるのが共同浴場の鯖湖湯。ここが飯坂温泉発祥の地となるようである。この辺りには温泉旅館なども数軒あり、またお湯かけ薬師如来があったりなど、なかなかに風情のある一角となっている。

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共同浴場の鯖湖湯

 

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お湯かけ薬師如来
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町並にも風情があります

 

 

飯坂温泉で宿泊

 疲れもかなり出てきたし日も西に傾いてきているのでそろそろホテルに向かうことにする。もう既に飯坂温泉街までやってきているのでホテルはすぐそこ。今日の宿泊ホテルはホテル天竜閣。川の向こうのホテル街に位置するホテル。建物はやや古びた印象があるが、内部は綺麗にしている。高校のコーラス部や長寿会などの団体も宿泊しているようだ。

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ホテル天竜閣

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部屋はまずまず

 部屋に入るとまずは入浴。風呂は川の側の一番下の階にある。内風呂と露天風呂からなっているが、開放感のある露天風呂がなかなか快適である。泉質は単純泉とのことだが、ネットリとした肌触りの湯である。以前に飯坂温泉を訪問した時、ここの温泉はとにかく湯が熱いという印象が残っていたが、ここの風呂は観光客を意識してかそう熱湯にはしていないようである。私にはその方がありがたい。

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川縁の露天風呂

 

 

 ゆったりとくつろいで部屋に戻ってくると、まもなく夕食である。私のはカニとアワビ付きのプラン。全体的に結構ガッツリと量がある。品数も多くて豪華。満腹になってしまって釜飯は半分ほどしか食べられなかった。

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懐石膳はボリューム有
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 夕食後にもう一度入浴に行くが、今回はほとんど貸し切り状態だった先程とは違って高校生の団体が先客。元気が良いのは良いがいささかうるさくてまいった。萩と岡山の高校だと聞いていたから、コンクールの全国大会のために遠出してきてテンションが上がっているんだろう。私も高校時代にはコーラス部に所属したことがあり、全国大会などを目指していた時期もある。ほろ苦くも懐かしい青春時代の思い出でがこみ上げてくる。この年になるとしみじみ思うが、若さとは一つの大きな力であり、それ自体が可能性ということでもある。老いるということは単に体力などが衰えていくだけでなく、可能性がなくなっていくということでもある。

 風呂から上がって部屋に戻ると、疲れが出てきてグッタリ。もう何をする気力もないので布団に横になってゴロゴロ、そのうちに寝てしまう。

 

東北旅行 仙台~青葉城~作並温泉 &「岸田劉生と椿貞雄」at 宮城県美術館

 3月の年度末で仕事の方もバタバタと追い込みだったのがようやく一段落。と言うわけでそろそろ春休みを取りたいところ。そこで木金の2日間を有給休暇を取って福島方面に出向くことにした。まず第一の目的は続100名城にリストアップされた三春城を訪問すること。さらにこの地域の温泉でも回ってゆっくりしたいとの考えである。で、温泉を回るとなれば週末だと宿泊料は高いし、そもそもお一人様はお断りになる事例が多いので、あえて平日に休暇を取ることにした次第。温泉を回ってから最後の週末は東京に立ち寄って久しぶりに東京のオケと美術展を楽しんでこようというプランである。

 20日は大阪で仕事があったので、その続きで出かけることにする。大阪での仕事を終えると三ノ宮に移動する。明日は神戸空港から朝の便で飛ぶので、今日はポートアイランドのホテルパールシティ神戸に宿泊する予定。

 

 

 三ノ宮に到着するとホテルに入る前に夕食を摂っておく(何しろポートアイランドにはろくに飲食店がない)。ミント神戸の飲食店に行き「Pasta de Pasta」に入店、「ワタリガニのクリームスパ(1380円)」を注文する。SMLで価格が変わらないというのでLサイズを頂く。

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ミント神戸のPasta de Pasta

 麺などが特に良いというわけでもないが、パスタ自体はなかなかにうまい。とりあえず夕食としては不満なし。まあ場所柄CPは今ひとつだが。

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ワタリガニのクリームスパ

 夕食を終えると地下のスーパーで買い物をしてから、三ノ宮駅からホテルの送迎バスでホテルに向かう。それにしても今日は寒い。ホテルにチェックインすると大浴場で入浴して体を温めることにする。

 体が温まると眠気がやって来る。明日は神戸空港から8時台のスカイマーク便で飛ぶので早朝出発だし、早めに就寝することにする。

 

 

 翌朝は6時頃に起床すると7時前にはホテルをチェックアウトして空港へ移動する。朝食は昨日三ノ宮で購入しておいたおにぎりで済ませる。もう少し後の便だったら、ホテルで朝食ぐらいは摂れたのだが・・・。考えてみるとこのホテルには何度か泊まったことがあるが、いつも出発が早朝便なので朝食を摂ったことがない・・・。て言うか、そもそも早朝便でなければここに前泊する必要もないか。

 今日は生憎の雨である。しかも風があるので、ポートライナーの駅に到着するまでにずぶ濡れである。早朝にも関わらずポートライナーにはそこそこの乗客が乗っているが、医療センター前でほとんど降りたところを見ると病院関係者か。

 

 

仙台へ飛ぶ

 空港に到着するとさっさと搭乗ゲートをくぐってしまうことにする。が、ここでベルトのバックルが反応したとかで止められる羽目に。いちいちベルトをはずさないと行けないとは不便なことである。まあアメリカなんかはその内にパンツまで脱がされることになりそうだが。

 1時間後に予定通りにスカイマーク仙台便は神戸空港を離陸する。気流が荒れているとかで、スカイマークの飛行機はフラフラと何度も気持ち悪い飛行をしながらも定刻通りに仙台空港に到着する。空港から仙台までは鉄道で直接つながっており、非常にアクセスの良い空港である。ただ乗客は多いのになぜか到着した車両は二両編成なので車内はすし詰め。しかもこの駅、それでなくても今日の仙台はひんやりしているのに、シートの屋根があるだけで吹きっさらしの寒々とした構造になっている。

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仙台空港に到着

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鉄道の駅は吹きっさらしで寒々としている

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駅では美女がお出迎え

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なんだかな・・・

 この空港周辺も先の震災では津波に派手にやられたはずである。しかし今見る限りではそんな跡はほとんどない。やはり大都会近郊だけに復興も早いのだろうか。

 

 

 仙台にはすぐに到着する。かなり久しぶりの仙台だが、駅前の雰囲気は何となく覚えている。とりあえずホテルの送迎バスは14時半に仙台駅東口から出ることになっているので、まだ3時間以上の余裕がある。その間に久しぶりの仙台観光でもしたい。ただその前に身軽になることと昼食を摂る必要がある。

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久しぶりの仙台駅

 とりあえずキャリーはコインロッカーに放り込むと、昼食を摂る店を探すことにする。面倒くさいので駅ビルをフラフラしたところ、「SENDAI STATION OYSTER BAR」なる牡蠣料理の店があったのでそこで「牡蠣フライランチ」を頂くことにする。

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駅内の店

 大粒の牡蠣フライがなかなかにして美味。意外だったのは付け合わせの生野菜スティックがなかなか美味かったこと。野菜がそんなに得意ではない私は、こういう手はほぼ駄目なのが通常なのであるのだが・・・。最近は本当にキチンとした野菜なら美味いんだということが分かってきた私。私も大人になったもんだ(笑)。

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大粒の牡蠣フライが良いが、意外に野菜スティックが美味かった

 

 

 さて昼食を摂ったところでこれからどうするかだが、とりあえず久しぶりに青葉城を訪問して、それから宮城県美術館の展覧会を鑑賞したいと思っている。となると移動は巡回バスが便利。と言うわけでループルの一日乗車券を購入する。

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ループル1日乗車券

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るーぷる車両

 

 

青葉城 東北の雄・伊達政宗の居城

 仙台自体が広瀬川の河岸段丘の町であるが、青葉城はその河岸段丘の上にそびえる断崖の城である。ここを訪れるのは久しぶりだが、石垣の立派さと断崖の険しさはなかなか壮観。もっともここの石垣も先の震災で被害を受け、一部はその後に積み直したようである。その積み直しの過程でかつての石垣の構造なども判明したのだとか。

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青葉城の高石垣

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城内の構造

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本丸屋敷の跡

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石垣の構造模型、意外に奥に長い

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高石垣から下を見下ろす

 また以前には見学しなかった裏手の方も見て回るが、こちらも巨大な土塁(と言うよりも削平時に削り残した地形だろう)で築いた搦め手虎口がかなり堅固。表だけでなく裏の守備も鉄壁のようである。

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裏手の搦め手虎口

 さすがに東北の雄、伊達氏の居城である。しかしこの青葉城はいわば伊達政宗にとっては天下を諦めることを余儀なくされた城でもある。その想いや如何に。

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彼の胸中はどうだったんだろうか?

 ここからさらにバスで美術館に移動する。バスは途中で東北大学のキャンパス内を通過していくが、さすがに旧帝大だけあってとてつもない規模である。仙台は東北大学だけでなく学生が非常に多い学生の街なのだとか。なお植物園という名の原生林などは北海道大学などを連想するところ。ちなみにこの中に熊も出たことがあり、植物園がサファリパーク状態になってしまったことも・・・なんて話がバスの運転手さんから。

 美術館では岸田劉生展を開催中。この美術館に来るのも数年ぶりである。

 

 

「求道の画家 岸田劉生と椿貞雄」宮城県美術館で3/25まで

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 椿貞雄は岸田劉生に心酔し、かなりその影響を受けた画家であるらしい。実際に初期の作品は劉生の影響が濃厚であり、当時は岸田劉生の模倣と見なされることに苦しんだとのこと。

 ただその後の展開は劉生とは若干違った方向に向かっていく。ひたすら求道的にストイックな強烈な絵画を描く劉生に対し、椿の作品にはもう少し温かみのようなものが通っている。端的なのが劉生が自らの娘を描いた「麗子像」と同様に椿が娘を描いた作品。色彩やタッチなどは似ているのだが、劉生の作品がグロテスクささえ感じさせるのに対し、椿の作品はそこに対象に対する愛おしさが滲む。椿は良き家庭人であったという話もあるようだし、そのことが創作姿勢に反映したのだろうか。

 劉生亡き後の椿の作品はさらにその方向に向かって進んでいったようだ。初期の厳しさが和らいだ温かい絵画になっており、これが彼らしい世界だったのだろう。

 

 

作並温泉で一泊

 美術館の鑑賞を終えるとそろそろ時間である。バスで仙台駅に到着するとキャリーを回収してから東口に移動。東口には送迎バス用のターミナルがあり、今日泊まるホテルのバスもここに来るらしい。

 しばらくするとバスが到着、予約客がゾロゾロと乗り込む。大型の観光バスがほぼ一杯になっていたから結構な人数。

 メンツを確認した上で時間通りにバスは発車、そのまま西に向かって走って行く。沿線の風景が都会から郊外、さらには山間となってきたところで先ほどまでぱらついていた雨が雪に変わる。さすがに北国、この3月に雪が降るとは・・・。

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途中で雨が雪に変わる

 作並温泉は山間の作並街道沿いに大型温泉ホテルが並んでいるという温泉地。私は夕食付きプランで予約を取ったのだが、どうやらそれは正解だったようである。恐らく夕食なしにしていたら、食べる場所に困っただろう。

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作並温泉ゆづくしSalon-一の坊

 私が予約したホテルは作並温泉ゆづくしSalon-一の坊。作並温泉でも一番奥手に位置する巨大ホテルである。ゾロゾロとバスを降りた連中が一斉にチェックインなので、しばし手続きを待たされることになり、その間はロビーでマッタリ。このホテルの特徴としては、ロビーの隣にくつろぎSalonなるスペースがあり、そこでフリードリンクやお茶菓子などが置いてあること。湯上がりのくつろぎスペースといったサービスのようだ。日帰り入浴なども受け付けている模様。

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ロビーでまったり

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外は完全に雪景色

 しばらく待った後に部屋に案内される。部屋はシングルを予約してたのだが、ツインの部屋に振り替えてくれたようだ。綺麗だし広い部屋でなかなか。

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これは良い部屋だ

 

 

 部屋で着替えると早速入浴に。まずは大浴場に向かったが、ここは内湯だけで露天風呂は別。露天風呂の一つの鹿のぞきの寝湯というのは、昔この辺りの源泉によく動物が現れたことからネーミングされたとか。ただ私には寝湯は体が浮きすぎるせいでうまく入れない上に、私の体型では腹が水面から出てしまうので雪が降る中では少々寒い。

 もう一つの露天風呂の自然風呂は屋根がある露天風呂。雪の風景を眺めながら温めの湯にゆったりと浸かるというタイプの風呂である。温めの湯のためか子供が結構やって来るのでいささか喧しい。。

 露天風呂を一渡り回ったら、再び大浴場を訪れてここでゆったりと体を温める。作並温泉の湯は単純アルカリ泉のようだ。ヌルヌルとした感じがあって肌にしっとりとくるいわゆる美肌泉。加水・塩素消毒などはあるようだが、循環をやっていないからか泉質はなかなか良い。わざわざ山の中までやって来た意味を感じさせる湯である。

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大浴場

 風呂上がりにはSalonでくつろぐ。フリーのコーヒーなどを頂いてマッタリと至福のひとときを送る。こういうゆったりした時間が最近は全くなかったな・・・。

 結局は夕食の時間までは部屋でボンヤリとテレビでも見て過ごすが、それにしても最近はろくでもない番組ばかりなのが嫌になる。かといってニュースをつければ、ろくでもない総理がしどろもどろの言い訳で開き直っているのばかり見せられてさらに嫌になる。財務省が改竄前の文書でも自分や婦人の関与がないのは明らかなどと安倍は言い訳しているが、あれはどう読んでも昭恵夫人の関与は明らかではないか。「李下に冠を正さず」と言うが、安倍の場合は冠の中から桃が出てきたのが見つかっても、「桃が勝手に落ちてきて冠がその上に乗っただけだ」とか言い訳や開き直りをするのだろう。今時の政治家に最も必要な素養は厚顔無恥ということらしい。まさにそれを体現している大統領がアメリカにいるし。

 

 

 夕食はビュッフェ形式だが、これがなかなか豪華。こういうタイプのビュッフェは以前に大江戸温泉系列のホテルで体験しているがそれに近い。同じビュッフェでも伊東園ホテルのビュッフェなんかは悲しくなるが、こういう豪華なビュッフェだと盛り上がる。アルコール類なんかも飲み放題のようなので、酒好きはそっちに入り浸っているようだ。私はいろいろな料理を少しずつ一渡り頂く。

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ビュッフェで食いまくる
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 夕食を終えてしばし部屋でテレビを見ながらマッタリしてから、再び大浴場に入浴に行く。今はまだ夕食の時間中なので大浴場は貸し切り状態。ゆったりと体を温める。このタイプの湯は不思議なことに入っている内に体に疎水性の皮膜が出来たようになり、水をはじくような感じになってくる。実際に風呂上がりに体があまり濡れず、体を拭いたバスタオルがほとんど湿らないということになる。

 風呂から上がると疲れが一気に押し寄せる。この日は結局は普段よりかなり早く就寝したのである。

 

 

宇喜多直家関連城郭巡り(新庄山城、明禅寺城)

 先月に宇喜多直家ゆかりの城郭を回ったが、時間と体力の不足で回り残した城郭があるので、今日はそれを回ることにした。

 まず最初に向かうは前回にその高さにビビって撤退してしまった新庄山城。山陽道を山陽ICで降りて南進。途中で昼食のために丸亀製麺に立ち寄って「鴨ネギうどん」を頂く。鴨肉が柔らかくてなかなかにうまい。

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鴨ネギうどん

 

新庄山城 宇喜多直家の高山上の城

 しばらく走ると前方に高い山が見えてくるが、そこが新庄山城。手前の運動公園の駐車場に車を置くと登り口を目指す。

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この山上が新庄山城

 川の向こうに鳥居があってそこから山道が続いているが、これがかなり険しい山道。岩がゴロゴロという状態なので、それなりの装備は必要。整備はされているが、散歩のレベルではなくハイキングのレベル。私の現状の体力では情けないことにすぐに息が上がって、心臓の音がドクドクと聞こえてくる状態。

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川向こうの鳥居が登城口

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鳥居の先の山道を登る

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かなり険しい山道

 半分死にかけた頃に平地に出るが、これは山頂ではなくてちょうど中間点ぐらい。関所とでもいうところか。ここからさらに登りがある。

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この平地は関所か?

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この時点でも結構高い

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まだまだ登りは続く

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途中には岩場もある

 

 ヘロヘロになって足が攣りかけた頃にようやく山頂に到着する。山頂はお約束通りに神社になっている。ここが本丸だろうが、そう広いというわけではない。ここから南方に登山道が延びていて、それに沿って数段の曲輪の痕跡のようなものがないでもないが、完全に地形改変されてしまっているようで明瞭ではない。曲輪群の先に堀切があるはずなのだが、それも確認できなかった。

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ようやく山頂に到着

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案内看板と城跡碑

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この奥はこんな感じ

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標高はかなり高い

 とにかくやたらに高い山上の上にそう広くもないので、この城を与えられた宇喜多直家も、本拠はすぐに亀山城に移したようである。堅固ではあるが不便に過ぎるというところであるか。

 

明禅寺城 宇喜多直家の覇権を決定づけた決戦の地

 新庄山城の見学の後はさらにもう一つの宇喜多直家関連の城郭を訪ねることにする。それは明禅寺城。備中から備前の支配を目論んで進出してきた三村氏と、この地で頭角を現していた宇喜多直家の間で行われた明禅寺合戦の舞台となった城で、ここで圧勝したことで宇喜多直家の勢力が決定的になったという重要な歴史の舞台である。

 明禅寺城は宇喜多直家の西の守りの城であるが、先に当主・三村家親を直家配下の狙撃によって暗殺され復讐の念に駆られている三村元親が、1567年ここに夜襲をかけて落城させる。これに対して宇喜多直家は三村氏に下っていた岡山城主の金光宗高らを寝返らせたことで明禅寺城に籠もる三村勢は孤立、本国に救援要請を行う。しかし直家はこの救援に来た三村勢を自国領内に引き込んでから殲滅する計画を立て、電撃作戦で明禅寺城を落城させる。明禅寺城の勢力と本体とで宇喜多軍を挟撃するという三村氏の戦略はこの時点で崩壊、その後は連携のまずさなどもあって「明禅寺崩れ」とも言われる大敗を喫することになったのである。と、このような経緯を聞くとどうも防御の弱い城というイメージがしてしまうのだが、これは実際に現地を見てみないと分からない。

 明禅寺城は岡山城の東方、恩徳寺の東側の尾根筋上にある。とりあえず恩徳寺を目指して車を走らせるが、なぜかこの日はやけに車が多くて路上に多数の駐車車両がある。何事かと思ったら、どうやら今日は遺跡の現地見学会が開催されるとか。この辺りはやはり古墳などにも事欠かない地域のようだ。

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この奥の山上が明禅寺城

 私は今回は古墳目当てではないので、古墳に来ている連中の手前に車を置いて住宅地を抜けると背後の山に向かう。

 明禅寺城への登り口は住宅背後の梅林の中にある。ここから一旦北に登ってから登山道に合流して再び南に戻ってくるコース。この辺りはなだらかな山道だが、ちょうど恩徳寺の裏手についた辺りで急な山道を登ることになる。

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まずはここを入る

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この道を進んでいくと

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登山道に合流する

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途中から九十九折りを登ることになる

 

 急な山道と言っても先ほどの新庄山城に比べるとなんてことない普通の九十九折りの山道である。ただ先ほどの新庄山城でダメージを蒙った足が全く前に出ない。10分もかからずに曲輪らしい削平地に出るが、この頃には足がつりそうな状態。

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平地に出る

 本丸はここからさらに上がった位置にあるようである。ここには休憩スペースもあるが、見晴らしはあまり良くない。東部に巨石が剥き出しになった虎口のような構造が見られるのが特徴的。ただ虎口とするには城全体の構造から考えるとどうもおかしいところもある。しかしこの巨石の上に櫓でも建てたら防御においては効果的であるのは間違いない。

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数段の削平地の横を登っていく

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本丸に到着

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本丸虎口らしき構造もある

 北側には数段の曲輪が見られるが、南側は急激に下っているようである。戦に備えて急遽整備された陣地というイメージで、大兵を置ける城ではないが殊更に防御の甘い城という印象はない。恐らく最初の落城は夜襲による奇襲攻撃であったし、二回目の落城は大軍で一気に攻めかかったからというところか。なお宇喜多直家大躍進の舞台となったこの城も、後に直家が本拠を岡山城に移す頃にはその役目は終えたと考えられるだろう。

 

桃太郎温泉で入浴してから帰宅

 久しぶりに本格的山城を二カ所も回ってもう足腰はガタガタである。まだ日は高いがこれ以上の無理はやめてそろそろ撤退することにする。ただその前に汗は流していきたいということで、久しぶりにこの近くにある「桃太郎温泉」に立ち寄る。

 カランまで温泉という贅沢な源泉の使い方は相変わらずで、昼から大勢が押しかけている人気も相変わらずのようである。ここでゆったりと汗を流すと帰途についたのである。疲れはしたが、体を動かしたことで久々に爽快さを感じることも出来たのである。やはり心身不調の時は様子を見ながら体を動かすことがよろしいようで。

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帰りの龍野西SAでアーモンドバターソフトを頂く

 

岡山宇喜多直家関連城郭巡り(茶臼山城、備前乙子城、沼城)

 この週末は特に予定もなくボンヤリと過ごしていたのだが、どうもこのままではボケそうだ。それに体力の低下を感じていたし、久しぶりにリハビリを兼ねて近場の城郭を回ってみることにする。

 目をつけたのは岡山南部。この辺りには宇喜多直家ゆかりの城郭がいくつかある。それを中心に回ってみようと考えた次第。昼前に家を出ると山陽自動車道を西進する。

 しかしここで計算違いが生じたのは岡山の手前から急に激しい雪が降り出したこと。まさか山陽自動車道が通行止めになるようなことはないだろうと思うが、それでもどうなるやら分からない。既に岡山自動車道は冬用タイヤ規制になったようだし。

茶臼山城 宇喜多直家に奪われた浦上氏の山城

 まず最初に立ち寄ったところだが、備前の茶臼山城。なお備前の茶臼山城と言えば、赤磐市周匝にも同名の茶臼山城があり、ここにはなんちゃって天守が建っている(以前に訪問したことがある)のだが、紛らわしいので赤磐市のものを周匝茶臼山城、こちらは富田茶臼山城と区別している例がある。

 富田茶臼宇山城は、以前に訪問したことがある富田松山城の出城として築かれた城とのことだ。富田松山城は浦上氏の城であるが、後に台頭してきた宇喜多直家に追われている。当然のように富田茶臼山城も同じ運命をたどっているだろう。

 富田茶臼山城へは国道2号から急角度に折れて山道に入ることになる。この道は広くはないが狭くもない道で、険しいが舗装されていてド下手な対向車でも来ない限りは運転に全く不安のない道である。山頂は公園になっていて駐車場も完備されている。

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鹿除けのためのフェンスがある

 鹿を防ぐためのフェンスが張ってあるのでそれを開けて見学することになる。山上はかなり広いスペースがあるが、これは多分公園化の際に削平したんだろう。元々のスペースがこれだけ広かったとは考えにくい。これだと本城の富田松山城よりも多くの兵を置くことになってしまう。恐らくは城のスペースはもっと狭く、何段構えかの防御の構造もあったはずだが、その辺りはすべて平にならしてしまったんだろう。西側の駐車場の奥も真っ平らな公園になっているようだが、この辺りは本来は堀切で尾根筋をぶった切るなどの防御をしていたはずである。

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山上は公園化されている

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帯曲輪なのか後世の改変なのかは不明

 ちょうど向かいに富田松山城が見え、両城でこの地を押さえるのには最適の構えとなっている。お互いに狼煙や旗などを使って緊密に連絡を取れたはずである。この出城の役割は西からの谷筋を経由しての攻撃や南の海からの攻撃などを牽制する事だったのだろう。

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富田松山城が向こうに見える

 ザクッと見て回ったものの特に見るべきところはなかったという印象。しかもちょうどこの頃から雪が洒落にならないレベルで激しくなってくるので早々に撤退することにする。さすがに少しでも積雪もしくは凍結が起こればあの道を車で降りるのが命取りになりかねない。

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降雪が洒落にならない量になってきた

日生のカキオコを断念して残念な昼食に・・・

 雪はさらに激しくなってきているので、場合によっては撤退も考慮に入れつつ、とりあえず昼食のためにこの近くの日生に立ち寄る。頭にあったのはカキオコなのだが、ちょうど昼食時だったこともあって店には行列、駐車場は満杯という状況。馬鹿らしくなったので諦めることする。ちょうどこの頃になると雪が先ほどよりもマシになってきたので、初志貫徹することにしてブルーハイウェーに乗る。

 結局昼食はブルーハイウェーの道の駅で「カツ丼」を食べることに。不味いと言うこともないが決して美味くもない。面白くない昼食になってしまった。

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道の駅で昼食

 

備前乙子城 宇喜多直家の最初の城

 不本意な昼食で思い切り盛下がってしまったが、目的地を目指すことにする。次の目的地は備前乙子城。浦上宗景の配下だった宇喜多直家が武功によって最初に与えられた城である。宇喜多直家はこの後にメキメキと力をつけ、ついには主家であった浦上家を追い払って備前一帯を支配することになる。その第一歩の城であり、謂わば出世城とも言える。もっとも宇喜多直家の台頭は、陰謀を巡らして周辺の人物を暗殺しまくりなので、斎藤道三や松永久秀と並ぶ三悪人と言われるなどあまり良いイメージを持たれていないとか。大したヒールぶりである。ただ同じく謀略に長けて表裏比興の者と言われた真田昌幸とどうも評価が違う。やっぱり昌幸は徳川家康という大物にあくまで徹底的に戦ったのに対し、直家は結局は信長に臣従したからだろうか。

 乙子城の北西に「宇喜多直家国とりはじまりの地」と刻まれた石碑が建てられており、宇喜多直家に纏わる説明版がはめ込まれている。それによると今では平地の中の独立丘のような乙子城の地形であるが、当時は海岸線がもっと内陸まで入り込んでおり、乙子城は瀬戸内海に注ぐ吉井川河口に位置する城郭だったとのことである。

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石碑の背後の山が乙子城

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ザクッとした縄張図

 北西端に神社のようなものがあり、そこから石段で本丸まで一気に登れるようになっている。大して高い山ではないので、本丸までは3分程度・・・なんだが、これだけで息が完全に上がってしまい、本丸到着時にはゲーゲー言ってしまうというのが現在の私の情けなすぎる体力の現状。これには自分でも呆れた。年末に腰を痛めて年末年始は寝続けだったが、まさかここまで体が鈍りまくっていたとは・・・。

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北西角の登り口

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すぐ上に神社がある

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本丸はさして広くない

 

 本丸は大して広いスペースではない。南西北の三方は切り立った崖で、東に向かっては数段の曲輪を構えていたようであるが、ここは現在は墓地になっていてかなり改変されているので往時の遺構は大して残っていなさそうだ。東端の一段高くなっていて現在は神社になっているところが二の郭、もしくは出丸的なものか。両郭の間の谷間部分には居館でも設けていたかもしれない。

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東斜面は墓地になっていて地形改変されている

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東端の神社は三段構成になっている

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いちばん奥の段

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結構高い位置にある

 なお話がそれるが、墓地といえば不吉だとか不気味だとかで嫌う者もいるが、私は個人的にはそういう意識は全くない。だから納骨堂が迷惑施設として近隣住民の反対にあったとのニュースを聞くと「?」である。そもそも日本の信仰では亡くなった者は仏様であり、墓に埋葬されている者は明らかに成仏しているはずである。私自身、どこかの誰かに呪われるような心当たりはないし、ご先祖様などはそもそもは守護霊である。大体、人間誰でも最後は行き着く先を不気味と言っていても仕方ない。

 この墓地の辺りに屋敷でも置いて、ここを中心にして東西にお籠もりのための曲輪を用意したという構成の城だろうか。規模は小さいが機能的に出来た城である。

 

新庄城・・・は今回はパス

 乙子城を見学した後は西に向かって走る。川筋を登っていくと運動公園のようなものがあり、その背後の山上にあるのが、宇喜多直家が次に与えられた山城である新庄山城。しかしその高さを見たところで、私の現在の体力ではとても登るのは無理だと諦めて今回はパスすることにする。

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新庄城はこの山上

沼城(亀山城) 宇喜多直家が乙子から移った居城

 この新庄山城の北西の新幹線の線路の手前辺りにあるのが沼城である。ここは宇喜多直家が乙子城の次に居城に定めた城郭だという。主郭の部分は神社になっていて石段で直登できる。ここもあまり大きな城ではないが、周りから切り立っていてそれなりの守備力はある。東側が低くなっていて、その向こうに小高い丘があると言うことで、地形的には先ほどの乙子城と非常に類似している。

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この山上が沼城

 

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本丸の神社

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先ほどの乙子城よりは明らかに広い

 ただ谷の部分は完全に畑化されているので、往時の地形はよく分からないし、その向こうの丘は完全に藪になっているようなので見学できるような雰囲気ではなかった。なお私は手前に車を置いて石段から本丸に上がったが、裏側の北側から回り込む舗装道路もあるようである。ただ道幅が狭くて急なので、私のノートでもあまり入りたいと思う道ではない(軽トラなら余裕なんだろうが)。山というほどの高さもないので石段から登る方が無難である。

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畑化された谷の奥に見える二の丸は鬱蒼としている

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裏手に車道らしきものもあったが、ノートでも入りたくない

 

岡山に立ち寄りがてら喫茶で一服

 これで今回予定していた城は回り終えたので、用事のために岡山に立ち寄ることにする。それにしても岡山周辺は車で走りにくいし、駐車場は少ない上に高いとなかなか難儀な都市である。

 とりあえず見つけた駐車場に車を置いてから用を済ませると、疲れたので一休み。見つけた喫茶「樹林」でアイスコーヒーとケーキのセットを頂く。

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喫茶樹林

 ケーキはあまり工夫のあるものではないし、コーヒーは全く本格的でない代物。しかし最近になってコーヒーを飲めるようになった「全く違いの分からない男」である私には、むしろこういうコーヒーの方が飲みやすい。

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ケーキセット

 ちなみに件の「違いの分かる男」シリーズには安藤忠雄も登場していたが、彼はコーヒーの違いは分かっても建築の善し悪しは分からないのか? 渋谷駅を初めてとして、各地に彼が建てた「使い物にならない建物」群は将来は負の遺産にでも認定されるのか。

 

湯迫温泉健康村で汗を流す

 一息ついたところで、最後は汗を流してから帰ることにする。ここの近くに湯迫温泉なる温泉があり、湯迫温泉健康村という日帰り入浴施設があるとのことなので立ち寄ることにする。

 湯迫温泉健康村は白雲閣という宿泊施設と隣接している。駐車場は車で一杯で結構人気のようだ。どうやら大衆演劇の上演なんかもしているようなのは、岡山地域の温泉で良くあるパターンか。

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湯迫温泉健康村

 内風呂と露天風呂にサウナの構成で、別途岩盤浴などもあるようだ。ただ露天風呂はややぬるく、内風呂は逆に熱いという極端な湯温。さらになぜか内風呂に普通の大浴場がなく、ジャグジーとかばかり。仕方ないので五右衛門風呂で湯を浴びる。後で調べたところによると、どうやら白雲閣の方が大きな岩風呂を持っているようなので、こちらには大浴場を作らなかったのではないかと思われる。

 湯に関しては特徴がなく、無味無色でわずかに塩素臭というところで新湯とあまり変わらない印象。で、後で調べてみたらやはりこちらは新湯のようで、温泉は台湾風呂の方に行かないといけないらしい。そちらは弱放射能泉らしい。ただ私の調査では、どうも日帰り入浴できる時間帯は台湾風呂はずっと女湯のような・・・。

 とりあえず汗を流したし、帰宅することにする。久しぶりに少しだけ体を動かしたのだが、しかし情けないことにたったこれだけの運動が後で体に疲労として現れてしまうのである・・・。

 

北畠氏館~霧山城~赤目四十八滝~赤目温泉で宿泊

ビスタカーで名張に移動する

 翌朝は6時半に起床すると直ちに朝食、7時50分発のバスの予約を入れてから素早くチェックアウト準備を行う。今日は名古屋発8時半の近鉄特急で名張を目指す予定。名古屋に8時頃に到着すると、飲み物を買い込んだりの乗車準備。

 今回事前に特急券を手配したのはビスタカーの2階。眺望の良い座席なのだが、残念ながら朝日がまぶしいせいでほとんどカーテンを引きっぱなし。

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ビスタカーに乗り込む

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ビスタカー内部

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客室

 名古屋を出た時点では3割程度の乗車率だが、四日市に到着した時点でかなり大量に乗り込んできてほぼ満員。地形的に考えて、四日市から大阪方面にアクセスすることを考えた場合、この近鉄特急が最速達ということになるのだろう。三重エリアでは近鉄が圧倒的な強さを誇るという所以でもある。ちなみにこの三重地域でのJRの惨敗ぶりを反映してか、なぜか三重県内にはJRの駅レンタカーがない(JRが通っているはずのない佐渡島でさえ駅レンタカーがあるのに)。ちなみに全県でJRの駅レンタカーがないのは三重以外では沖縄だけである。実はこのせいで、今日は津で宿泊してレール&レンタカー切符を使うという最初のイメージプランが破綻して、予定変更になった次第。

 

名張からはレンタカーで移動

 1時間以上かけて名張に到着すると、バジェットレンタカーの営業所へ。これが10分ぐらいかかる。キャリーをゴロゴロ引いての移動は面倒くさい。

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名張駅

 貸し出されたのはパッソ。トップヘビーの運転しにくい車だ。これでこれから山道を走ることになる。

 最初に目指したのは北畠氏館。続100名城に指定された施設である。

 名張から国道368号を南下する。最初は対面2車線の綺麗な道路だったのだが、あるところから突然300番台国道が牙をむく。急に道幅が狭くなり、いわゆる1.2車線道路に。しかしそれにも関わらず車は意外に多いので、大きな車が来た場合にはすれ違いに大騒動。

 難所を抜けてようやく道が良くなった頃に国道369号との分岐に到達、ここには道の駅みつえがあるので休憩に立ち寄る。ここはいわゆる産直売り場に入浴施設があり、飲食店も併設している。そこで若干早めだがここの飲食店「お食事処山桜」で昼食を摂ることにする。

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お食事処山桜

 注文したのは「ぼたん鍋膳(1400円)」。やはりこの時期に山の中でといえばメニューはこれだろう。味はまずまず。ただやはり名古屋寄りのぼたん鍋かなという気がする。個人的には丹波篠山のぼたん鍋の方が好みに合う。

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ぼたん鍋膳

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美味そうな鍋である

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締めのうどんも絶品

 

北畠氏館の見学

 昼食を終えると北畠氏館(北畠神社)に向かう。ここからはすぐに到着する。

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北畠神社鳥居

 入口の前に車を置くと、まずは神社の見学。要はこの神社のある場所がかつて北畠氏の館があった場所だという。15世紀末~16世紀初頭ぐらいに大規模な造成が行われ、中世城館では日本最古となる南北2列の石垣が設けられたとのと。

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この辺りの地下から建物の礎石が出たとか

 神社内には北畠顕家の像が立っている。北畠顕家は南朝方の将として足利尊氏と激戦を繰り広げた武将で、激戦の末に何度か尊氏軍を打ち破っているが、最後は阿倍野で露と消えたという。その時、弱冠21歳。美少年だったとの話もあり、何かと創作の主人公になるべき要素の揃っている人物でもある。ちなみにNHKの大河ドラマ「太平記」では後藤久美子が顕家を演じたとか。ここの像にも北畠顕家公という名の脇に「花将軍」という名が添えられている。誰か少女漫画家が彼を主人公にした作品を描けば、聖地巡礼の歴女がわんさか訪れそうだ。ちなみに調べたところによると、「花将軍 北畠顕家」という小説は既にあるようだから、後は誰かが漫画にするだけである。ちなみにこれが戦国時代の人物だったら、当の昔にアニメ化されているだろう。そういう意味では南北朝騒乱というのはこの手の作品の新たな舞台設定として狙い目かも。楠木正成とか美形にしたらうけそうなキャラにも事欠かないし。

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「花将軍」北畠頼家像

 ここの神社ではいろいろと発掘されて出土品もあったようだが、現地自体は特に建物等が残っているというわけでもなく、どちらかと言えば遺跡に近い。ザクッと一回りすると山上の詰城や霧山城の見学に向かうことにする。北畠神社の脇から北畠詰城を経由して霧山城に到達する登山道が出ているので、これを進むことにする。

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北畠神社と霧山城の位置関係

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山道を登ることになる

 

詰城を経由して霧山城へ登る

 詰城までは10分程度で登れる。北畠神社を眼下に望む場所にあり、一段高い郭とその周辺の郭からなるシンプルな構成。いざという時のためのお籠もりの城だから、まあこんなものだろう。背後には尾根筋が続いており、これが霧山城につながる。なおこの尾根筋は堀切で断ち切ってある。

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10分ほどで詰城に到着

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結構高度がある

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背後に一段高い曲輪がある

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その後は切り立っている

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背後の尾根は堀切で断ち切られている

 霧山城に向けて登山道をさらに進むが、ここからがかなりキツい道のり。最近の運動不足が祟って足が前に出ない。それにも関わらず断続的にかなり急な傾斜もあるというなかなかにキツい道になっている。実際には詰城と霧山城は一体となった城郭であるという。そう考えると詰城は霧山城の出城と言えるか。

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尾根筋を登っていくことになる

 霧山城は山の尾根筋に曲輪を連ねていたようだ。登山道は谷筋を上っていく形になるが、ここを登っていたら両側の尾根筋から狙い撃ちである。矢の雨の中で敵兵はバタバタと倒れということになるんだろう。

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途中から登城路は谷筋に変わる

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標識にたどり着く

 途中で鐘突堂跡との分岐がある。ここが霧山の山頂になるらしいが、山頂にはスペースは大してなく、ここは本丸手前の出丸及び見張り台というようなところだろうか。向こうの山上に見えている本丸へはここの脇を抜けて進むことになる。

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鐘突堂跡との分岐

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山上は狭い

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鐘突堂跡の石碑

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ここはかなり高い

 

 最高所に本丸があり、脇に米蔵と記された小曲輪がある。向かいには堀切を隔てて櫓との表示のある土塁に囲まれた曲輪があるが、これは二の丸と考えて良いだろう。これらを合わせるとそれなりの面積があり、ここだけでも結構多数の兵が籠もることが出来る。この曲輪だけでなく山上全体が要塞であると考えると、数千人単位の兵力が立て籠もることも可能であると思われる。まさに中世の大要塞である。

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鐘突堂跡から回り込む

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右手が櫓(二の丸)で左手が本丸

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櫓(二の丸)

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なかなかの風景

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堀切の向こうに本丸

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本丸

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本丸

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本丸の風景

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本丸の一段下に米蔵がある

 霧山城の見学を終えて山を下りてきた時には1時間半が経過していた。かなり疲れたのだが、その割には心地よさもある。やはり山で汗を流すのは良い。クタクタになった体とは逆に、久々に精神的には充実感を得ていた。

 

ふるさと資料館見学後、道の駅美杉で鹿マンを頂く

 近くにあるふるさと資料館なるところに立ち寄るが、ほとんど開店休業状態。どうやら元々は入場料300円だったようだが、それが無料になった模様。多分300円払って入場する者がほとんどいなかったのだろう。ただ無料になっても入館者はほとんどいなそう。展示品はどこにでもよくある考古博物館と民俗史料館を併せたようなもの。ザクッと一回りして後にする。

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ふるさと資料館

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北畠館復元模型

 帰る前にここの近くにある道の駅美杉に立ち寄る。夜食に饅頭とか買い求めると共に、駐車場に車で出店していた「森のキッチンシカヤマ」の鹿肉料理という表示に惹かれる。ただ鹿カレーや鹿カツレツを腹に入れるには少し重いので、鹿の肉まんを買い求める。意外にジューシーでなかなかにうまい。これだと誰でも鹿だと意識せずに普通に食べられるのでは。日本人よ、もっと鹿肉を食え。

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車での出店

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鹿の肉まん

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なかなか美味い

 鹿肉を食った後は再び山道を突っ走って名張まで戻ってくる。時間に余裕があれば道の駅みつえで入浴することも考えていたのだが、霧山城は私が思っていた以上の堅城(と言うよりも、私が思っていた以上に体力の低下が著しいという方が正しいか)だったため、その時間的余裕はなかった。

 

赤目四十八滝の見学

 さてこれからだが、今日は赤目山水園で宿泊の予定。旅館の名前は最寄りの赤目四十八滝から来ている。ここに宿泊する以上、宿にチェックインする前に赤目四十八滝の見学をしないと嘘だろう。実際は明日のチェックアウト後に立ち寄るのが正解なのだが、明日は京都でのコンサートのために、早朝から京都に直行しないといけないので、滝見学をするには今日しかない。西に傾き始める夕日と競争するように赤目四十八滝へ急ぐ。

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赤目四十八滝に到着

 滝の手前の土産物屋街の駐車場に車を置いて滝の入口にやって来た頃にはもう4時前になっていた。券売所の話では、もう4時半頃には日没で急激に暗くなってくるから、それまでに夜間ライトアップのある手前の不動滝のところまで帰ってくる必要があるとのこと。となるとかなり駆け足で見学する必要があるが、走って行ったところでも一番奥までは到底たどり着くのは不可能。とりあえず捲土重来を誓って、今回は行けるところまで行くだけにする。

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案内地図

 赤目四十八滝は滝見学というか、渓谷トレッキングと言うのが正しいところ。山歩き直後の体にはかなりキツい。しばらく進むと一番手前の滝らしい滝は不動滝。ここから先に進むには険しい登り階段を少し登る必要があるのだが、この時点で私は先ほどの霧山城で完全に足が終わってしまっていることを痛感する。これはどうも私の想定よりもさらに手前で見学を終える必要がありそう。

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渓谷トレッキングという趣

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最初に出くわすのが不動滝

 そこからさらに進むと千手滝に到着する。水の流れが複雑でなかなかに絵になる滝。

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千手滝に到着

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低速シャッターでの撮影

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高速シャッター、滝は撮影の仕方で表情を変える

 さらにこの先に布引滝があるとのことだが、この時点でもう4時半が近づいていて辺りが薄暗くなり始めているのと、布引滝に進むのにまた登り階段を進む必要があるのを見て、時間よりもまずこれを登り切る体力と精神力が尽きてしまっていることを痛感し、ここで引き返すことにする。

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ここをさらに登っていく気力も体力も既になし

 不動滝のところまで戻ってくると、ライトアップを見るために完全に日没するまでしばしここで待つ。同じ目的の観光客がゾロゾロいて、辺りは大混雑である。

 30分ほどでようやく辺りが真っ暗になるとライトアップの滝を撮影。しかしスローシャッターのせいでほとんどぶれた写真ばかり。最初からこれが目的で三脚を持参している気合いの入った観光客もいたが、私のような行き当たりばったりではそんな用意は当然ない。

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辺りがライトアップされる

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ライトアップされた不動滝

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観光客が多数

 

赤目温泉山水園で宿泊

 ライトアップ会場を一回して戻ってくると、真っ暗な中を宿まで車で走る。それにしても辺りは真っ暗、しかもAU携帯は圏外である。なかなかに凄い秘境。

 山水園は本当に山の中の宿という印象だが、宿自体は綺麗な建物。ただ斜面に増築増築で建物を増やしたらしく、敷地内に建物が散在しており、屋外の通路で移動する必要がある。私のシングルルームは一番上の方で、今日は天気が良いから良いが、これが雨や雪だったらかなり嫌だなと思える場所。

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オーソドックスなシングルルーム

 部屋に荷物を置くと何はともあれ入浴。丹前を着込んで大浴場へ向かう。泉質は弱放射能単純泉とあるが、浴感としてはアルカリ泉としての印象が強い。肌にしっとりと来るお湯でなかなかに良好。内風呂に泡風呂、それに屋根付きの露天風呂がある。露天風呂は今の季節はまだ良いが、もっと冬になるとかなり寒そう。とにかく今日は相当に体にダメージがあるのでそれを良質の湯で癒やしておくことにする。

 入浴を終えて部屋に戻って少し休憩すると、すぐに夕食。夕食は本館のレストランまで行く必要がある。この移動が不便なのがこの宿の難点か。

 夕食はオーソドックな会席料理。なかなか美味いが、文句を言うならもう少しご当地色が欲しい。山の中でマグロの刺身というのは「?」。川魚やキノコ、山菜などを出す方が正解では。まあそういう料理は結構客の好みも出てしまうが。ただ鍋物などはまさに猪鍋でも良いように思う。

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夕食の会席料理
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 夕食を終えると原稿の入力・・・をしようと思ったが、体の極度の疲労のせいでとにかく頭がまるで回らない。頭から日本語の文章が出てこない。これはダメだと諦めて再び入浴することにする。

 何だかんだで結局今日は1万8千歩越え。山道を含んでのこの歩数なので、これは相当体にダメージが来ている。実際、夜になって風呂上がりにマッタリしていたら、両足は段々とだるくなるし、体はどんよりと重いしで、明日がかなり不安になってくる。

 とにかく疲れが激しいのでテレビを見ていても意識が遠のきかける。この日はかなり早く就寝する。

 

セントラル愛知第158回定期演奏会&重伝建地区・有松~桶狭間古戦場

 翌朝は8時に起床。かなり長時間寝たが、それでも体に怠さが残っているのは最近毎度のこと。どうも睡眠力が落ちているようでよろしくない。それにのどに違和感がある。やはり数日前から風邪気味である。

 朝食はパンとスープの簡易朝食。これがこのホテルの最大の難点。これで朝食がもっとしっかりしていたら満点なんだが。

 

重伝建地区・有松の町並みを見学

 さて今日の予定だが、6時45分からのセントラル愛知交響楽団のコンサートを聴きに行くのが最も大きなもので、後はこれといった特別な予定はない。ただ頭の中にある一つは、最近に重伝建に指定された有松を見学に行こうというものがある。特に予定がキツくないので、10時頃まで部屋でゆったりと過ごすとバスで名古屋駅まで送迎してもらう。

 名鉄に乗るのは久しぶりである。それにしても名鉄の名古屋駅は手狭だ。本来ならターミナルになるべき駅なのに、スペースの関係で線路が2本だけの通過駅仕様。ここを全路線の列車が通過するので、数分おきにひっきりなしに列車が来ることになる。

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有松駅

 有松まではそう遠くない。有松駅を降りると駅前には重伝建関係の案内板が立っている。どうも重伝建指定を積極的に観光に利用しようとしている模様だ。実際に町並みを歩くと商売をしている家も結構多く、こういう場合は概して重伝建の運営がうまくいく場合が多い。

 有松は東海道の沿いの茶屋町であるが、尾張藩によって鳴海宿と池鯉鮒宿の間に設置されたとのこと。そもそもこの辺りは松林が生い茂った非常に寂しい地であり、盗賊の類いが出没することがあると言うことで、治安の意味でもこの地に集落を設ける必要があったのだという。諸役免除などの特典で移住者を募集したところ、それに応じる者が8名現れてそれが最初の集落になったという。しかしこの地は農業を行うには狭すぎる土地(明らかに斜面が多すぎる)だったため、副業として絞り染めが発展したという。当初の町は1784年の大火で全焼したが、その後に藩による保護策などによって新たな街並みが復興、瓦屋根のうだつの上がった町並みがその時に整備され、その多くが現在も残存しているとのこと。

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有松の町並

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蔵造りの建物が多い
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町外れの一里塚

 

 町並みは川沿いの低地に伸びている。歩いて一回りして見るが、それにしても町並みの完成度はかなり高い。他の重伝建でもここよりも町並みとして揃っていないところは多い。ここが今まで重伝建に指定されていなかったのがやや不思議なぐらい。全国にはまだまだ隠れた重伝建クラスはありそうだ。

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駅東側の町並み
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裏手の川筋に回り込む

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 町並みを西から東まで一渡り見学したところで、町並みの中にある日本料理店「やまと」に立ち寄る。古民家をレストランとして使用しているようで、二階の和室が客席になっている。注文したのはランチメニューの「一期一会(2160円)」

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古民家を利用したやまと

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趣ある座敷

 いわゆる典型的な会席料理。普通にうまいんだが、やはり和食の常でボリュームはやや不足。私にはいささか上品すぎるか。

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いわゆる懐石膳

 

桶狭間古戦場公園を訪ねる

 昼食を終えるとこの近くにあるという桶狭間古戦場公園に立ち寄ることにする。バス停に行くが、生憎とバスは出た直後で次の便は20分以上先。Google先生にお伺いを立てたところ、目的地までは歩いて20分とのこと。Google先生は結構健脚だから大丈夫かなという不安はあったが、次のバスを待つ気もしないので歩き始める。

 有松からはかなり上り坂を進むことになる。左手に小高い丘をみながら回り込む形。私ならここに城郭を構えるがと考えていたのだが、後の調査によるとここは高根山と呼ばれるこの辺りでの最高地で、やはり桶狭間の合戦時には今川方が陣をしいていたらしい。この先にはそのものズバリの幕山と呼ばれる地域があり、こちらもやはり今川方が陣をしいていた場所らしい。

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桶狭間古戦場公園

 桶狭間古戦場公園はその奥。公園内には今川義元と織田信長の像が建てられているが、街道一の弓取りとの二つ名の通り、義元は弓を持ったなかなかにりりしい像になっている。どうも一般的には義元と言えばゴジャルゴジャルのお公家さんイメージで描かれることが多いが、実際はこちらの方が正しいのでは。もっともこの義元の隣で槍を持って立っている信長がいささか貧相。まあ駆け出しの戦国大名だから、これも実際に近いか。

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今川義元と織田信長の像

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「海道一の弓取り」らしく堂々たる今川義元

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それに比していささか貧相な織田信長

 この公園の構造自体が桶狭間合戦のジオラマになっているといういささか凝ったものである。公園を一回りしたら、合戦での布陣や辺りの地形などが理解できるという趣向。

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公園自体が桶狭間の合戦のジオラマになっている

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石碑などが部隊の場所を示す

 帰りは歩く気力がないので幕山からバスに乗って帰ることにする。ちょうどこの辺りの巡回バスが数分後に到着する。バスで有松に戻ってくると名鉄で名古屋に戻る。

 

名古屋の四間道を散策

 名古屋に戻ってきたところで次の立ち寄り先だが、四間道を訪ねてみることにする。聞くところによると趣のある町並みがあるとのこと。Google先生によれば、名古屋から徒歩で15分程度とのこと。

 四間道は幅の狭い道に面して、古びた町並みが並ぶところ。ただし古いといっても江戸時代と言うよりは昭和レトロの風情。かなり古い家もあるがそれは数軒。全体としては震災で完全に失われたかつての古き良き長田の町並みに近いか。

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四間道の入口
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 ただ飲食店が多いと聞いていたのでお茶でもしたいと思っていたのだが、店の大半はいわゆる飲み屋系のようで、3時現在ではすべての店が閉店中。一軒だけ見つけた喫茶店は待ち客がいる状態。結局はこれといった立ち寄り先もなく、何をするでもなく一回りして帰ってくるだけになってしまう。

 もう何もすることがなくなってしまったので、ホテルまで歩いて帰ると入浴。後はマッサージチェアで体をほぐしたりなどしてマッタリと時間をつぶす。

 

ホテル近くの店でひつまぶしを頂く

 再びホテルを出たのは5時過ぎ。ホールに行く前に夕食を摂ることにする。味噌煮込みうどんはもう食べたので、後はひつまぶしか。遠くにまで行く時間はないので、ホテル近くの「澤正」に入店。ひつまぶし(3500円+税)を注文。

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澤正

 パリッとしたうなぎはうまいのだが、やはりいささかボリューム不足は否めない。ここはうなぎと日本料理の店とのことだが、実際は高級日本料理店というのが正しい位置づけか。

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高級感はあるがボリュームはない

 夕食を終えると歩いてホールへ。このホールに来るのは二回目で、前回もセントラル愛知のコンサートだった。ただその時は曲目が山田耕筰の交響曲というかなりの変化球だったせいで、オケの実力を測りかねていた。そこで今回というわけである。なお今回のコンサートを選んだのは、指揮者のスワロフスキーに興味があるから。

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夜の名古屋の町を散策

 

セントラル愛知交響楽団第158回定期演奏会 ~モノラル・ステレオが交差する素朴な旋律~

指揮/レオシュ・スワロフスキー
ヴァイオリン/アンドレイ・バラノフ

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」Op.5 序曲
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調Op.63
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op.64

 一曲目のルスランとリュドミラだが、この曲は弦が下手だといきなり演奏が崩壊してしまうという危ない曲。しかしセントラル愛知はこの曲を全く問題なく室内楽的アンサンブルで演奏する。やや金管が吠えすぎの感はあるが、ノリも良くまずまずの演奏。

 二曲目はソリストのバラノフのテクニックがかなり前面に出る。なかなかに堂々たる弾きっぷりでオケを引っ張っていく。

 三曲目はスワロフスキーの技が光る。セントラル愛知は10編成の小規模オケだが、その規模の小ささを感じさせないぐらいのパワーを炸裂させる。これはしらかわホールの小ささも幸いしているようだが、この曲をやる時に懸念した音量不足は感じさせない。またスワロフスキーはただ大音量でぶっ飛ばすだけでなく、突然に音量を最小まで絞ったりなど、かなりメリハリの強い演奏。その指揮に弦楽陣はなかなか見事に追随していた(金管に関してはそもそもダイナミックレンジがやや狭めで、特に小音量には対応し切れていなかった部分があるが)。結果として熱演と言って良い演奏になっていた。

 感想としては「意外とやるなセントラル愛知」というところ。またやはりスワロフスキーはうまい。今後注目したい指揮者の一人である。

 

コンサート帰りに焼き鳥屋に立ち寄る

 夕食のひつまぶしがややボリューム不足の感があったため、ホテルへの帰りに「地鶏屋本店」に立ち寄り、名古屋コーチンを始めとする焼き鳥を10本ほどつまんで帰る。

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地鶏屋本店に立ち寄る

 焼きが絶妙でうまい焼き鳥だ。特に締めで注文した焼きおにぎりが、表面はパリパリで中はもっちりという絶品。ただとにかく注文してからの時間がかかるのが難点。焼きおにぎりなどは焼くのに10分以上かかっていた。

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 腹を膨らませてホテルに戻ると、もう一度入浴する。今日は有松で歩き、名古屋で歩き、さらにホールまで往復しで1万8千歩以上歩いている。体をほぐしておかないと明日の行動に響く。

 入浴を済ませると一息ついてから就寝。明日は今日よりも早めに行動する必要がある。

 

都響 第842回 定期演奏会&品川台場見学&「シャガール」「ロートレック」「古代アンデス展」

 翌朝は目覚ましをかけずに寝ていたのだが、夜中に一度目が覚め、次に目が覚めると8時だった。

 今日の予定は夜の7時から上野の東京文化会館での都響のコンサート。シベリウスのクレルヴォ交響曲というレア曲が演奏されるというので、ついで今日も東京に残留することにした次第。つまり今日は夜までフリーであるので、美術館巡りの第二段。残存美術館の掃討戦になる。

品川台場(続100名城)を見学

 とりあえず9時過ぎにホテルをチェックアウト。美術館巡りの予定の前に、別件で一カ所立ち寄ることにしている。目的地はお台場。実はここも続100名城の中で私がノーチェックだった場所である・・・って言うか、ここが城か? これに関しては「異議あり、裁判長!」である。

 お台場はペリー来航によって風雲急を告げた幕末、江戸防衛のために幕府によって整備された海上砲台である。台場は最終的には8つ作られたが、今日ではその大部分が埋め立て地に埋もれ、現存しているのは陸続きとなって公園となっている第3台場と、その沖に孤立して立ち入り禁止の第6台場のみである。

 お台場へはJRで新橋まで移動して、そこからゆりかもめでお台場海浜公園に行くことになる。その前に上野駅でコインロッカーにキャリーなどの大きな荷物を押し込んでおく。ちなみにここのロッカーも昨日までは馬鹿トランプのせいで使用禁止になっていたところ。あの迷惑男がさっさと韓国に渡ってくれたおかげで助かった。もし一日ずれていたら目も当てられないところだった。

 新橋駅のうどん屋で朝食にカツ丼とうどんのセットを頂く。この店は讃岐うどんを名乗っているだけに麺は悪くはないのだが、所詮は出汁の味付けが関東風。関西人に言わせると「塩っぱくて食えたもんじゃねぇ」という話になってしまう。

 とりあえずの朝食を終えるとゆりかもめに乗車。東京の湾岸地域をユラユラとお台場に向かう。第3台場も今では地続きになって突堤のようになってしまっているが、元々は江戸の防衛のために急遽整備した人工島の砲台である。ただ砲台を整備したところで所詮は異国船打ち払いなどこの時期には国力的に不可能で、幕府はズルズルと開国を強いられることになって無用の長物と化して今日に至っている。

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ゆりかもめから見た第6台場

 第3台場は海の向こうに見えているが、駅からは歩くと意外に距離がある。この辺りの海岸通りは運動不足の東京人にとっての格好の散歩orジョギングコースになっているとか。

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第3台場は海の向こう

 近づいてみると意外としっかりした石垣で周りを囲っていることが分かる。それを乗り越えると周囲が幅広い土塁となっていて、これがいわゆる砲台になるのだろう。そこから内部は下がっていて、そこには恐らく弾薬庫などがあったのであると思われる。結構な面積があり、戦国期のちょっとした城郭並みの広さがある。

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陸続きになっている

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内部は結構広い

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土塁上にある砲台跡

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第3台場風景

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内部の建物跡

 土塁上を一回りしてみると、桟橋があってそこから出入りしていたのが分かる。なお桟橋の先は虎口のような構造になっており防御がとられている。確かに小舟で乗り付けられて接近戦になったら呆気なく落ちるようでも困るから、一応城郭的な防御もあるのだろう。

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出入口らしき桟橋

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桟橋の手前には虎口構造も

 土塁の上からは隣に浮かぶ第6台場も見える。あちらも半分朽ちた桟橋があるようだ。構造としては多分こちらとほぼ同じと思われるが、鬱蒼としていて詳細は分からない。今では東京湾では数少ない野鳥の楽園となっているとの噂。となれば、野鳥の糞なんかもかなり凄いんだろう。後100年もすればリン鉱石が取れるようになるかも。

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第6台場が隣に見える

 お台場を一周したが、結局は城郭といえば城郭なのかもしれないが、やっぱりお城ではなかろうというのが私の正直な感想。これが城なら第二次大戦の陣地跡も城になってしまう。やはり私の感覚では城と言えるのはギリギリ五稜郭まで。まあ東京近辺では珍しい「雰囲気のある場所」なので、東京人ならここを入れたいという気持ちは分からなくはないが。ただ今回の続100名城には東京からは滝山城も入っている(こちらは押しも押されぬ文句なしの続100名城だと思う)ので、あえてお台場を入れる必要があったかは疑問。

 お台場を後にすると東京駅まで戻ってくる。これから美術館巡りパート2になる。まず最初の美術館はこの東京駅の中。

 

「シャガール 三次元の世界」東京ステーションギャラリーで12/3まで

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 画家として有名であるシャガールだが、晩年には多数の彫刻作品も残している。それらの作品を中心に展示。

 技術的には決して巧みとは言いがたい作品であるのだが、そこに流れているのは絵画と同じイメージである。だから作品自体はどこから見てもシャガールのものとしか言い様がない物ばかり。ただシャガールの絵画の最大の魅力の一つがあの煌びやかな色彩と考えると、色彩を帯びない彫刻作品はどうしても魅力が劣るように私の目には感じられてしまう。どちらかと言えば色彩がつけられる陶器の方が面白く感じられたのだが、こっちはこっちで単にキャンバスを陶器に代えただけの作品にも思われ、何となく中途半端な印象を受けたのも事実。

 

 駅から外に出ると雨がぱらついている。そこで地下に潜って次の美術館は地下伝いで歩く。

 

「パリ♡グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」三菱一号館美術館で1/8まで

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 19世紀末の芸術渦巻くパリ。そこで発達したのが版画。ロートレックなどの芸術家の登場によってポスターなどが美術として評価され始めた。この時代のポスターなどの版画類を展示。

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 19世紀末のパリの猥雑であるが活気ある雰囲気を伝える展示物が多数。ただ類似した趣旨の展覧会は今まで各地で多数開催されているので、それらの一種という雰囲気で本展独自の特徴のようなものは今ひとつ感じられない。展示品はかなり貴重なものなのであろうが、その割には展覧会自体の印象は薄い。版画という量産品故の宿命もあろうが。

 

 

上野の黒船亭で遅めのランチ

 さてこれからどうするかだが、後の予定は上野での宿題。昨日に行き残したというのは上野の国立科学博物館。そこで開催中の「アンデス展」を見学しようとの考えである。ただ上野に行くのだから、ついでにまずは昼食を摂っておくことにする。

 どこの店に行くかに少々悩んだのだが、結局は「黒船亭」に行くことにする。もう昼食時は過ぎていたのだが、昼食時間帯の余波か数人の待ち客がいる模様。結局は入店までに30分弱待たされる羽目に。東京ではまともなものを食べようと思うと行列は必至らしい。

 ようやく入店したところで注文したのはここの看板メニューでもあるハヤシライス。実は以前にここに行った時に悩んだのだが、やはり私はハヤシライスに対してもっているネガティブなイメージを払拭できなかったためパスしてビーフシチューにした次第。しかし昨日図らずもハヤシライスに対する私の考えが変わったのと、以前にここでビーフシチューを食べた時のことを考えると、あのデミグラスソースでまずいはずはないと考えた次第。

 しばらく待った後にスープから登場。やや苦みのあるスープだがまずまず。メインのハヤシライスは私の予想通りというか、私の予想以上にうまかった。最初にこういうハヤシライスに遭遇していたら私のハヤシライスに対するネガティブなイメージなど形成されなかったのに。そういう意味では下手な料理というのは罪作りである。

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スープに

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サラダ

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メインのハヤシライス

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デザート

 夕食を堪能すると国立科学博物館へ向かう。

 

「古代アンデス文明展」国立科学博物館で2/18まで

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 南アメリカの地では歴史において多数の文明が勃興している。それらの文明について系統的に紹介。

 南アメリカと言えばインカやマヤぐらいしかイメージがなかったのだが、それ以外にも多数の文明が、互いに影響を与えたりしつつも独立して発展してきたという認識は、恥ずかしながら私にはあまりなかった。今回それらの文明の遺産などを一望したことで、この地域に対する認識というのがかなり変わったように感じられる。

 ただこの地域に関する展覧会を見ると、結局常に最後はスペインによる蛮行にたどり着かざるを得なくなるのであるが、本展でもつくづく中世ヨーロッパの侵略性と野蛮性というのがチラホラと見えてしまうのである。本展でも出土品のほとんどが石器の類いで、金製の製品がほとんどないのも彼らによる略奪の結果。歴史的に見ると、ヨーロッパ人の海外進出というのはつくづく地球規模の災厄だったとしか言いようがない。

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 何だかんだでここで1時間以上滞在していた。想定以上に見応えのある内容で堪能した。気がつけばもう閉館時刻も間近。閉館前に博物館を出ると文化会館に移動する。会館内はもう既に観客が結構来ている。こんなところで1時間以上ボンヤリ待つのも性に合わないので2階のレストランに行ってケーキを頂きながらしばし時間をつぶす。

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東京文化会館に入場

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喫茶でくつろぐ

 開場10分前にはゲートの前で長蛇の列。全席指定だから待つ必要もないのにわざわざ行列を作って文句も言わずに待っている日本人。毎度のことながら奇妙な風景ではある。

 ようやく入場時刻。私はこのホールには今まで2回来ているが、いずれも3階や4階の高層席ばかり(つまり安チケットということ)。1階席に座るのは今回が初めてである。

都響 第842回 定期演奏会Aシリーズ

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指揮/ハンヌ・リントゥ
メゾソプラノ/ニーナ・ケイテル
バリトン/トゥオマス・プルシオ
男声合唱/フィンランド ・ポリテク男声合唱団

━フィンランド独立100周年━
シベリウス:クレルヴォ交響曲 op.7

 リントゥの指揮は躍動的で非常に激しいもの。メリハリの強い演奏である。それに応えて都響の演奏もなかなかにしっかりしていた。また男声コーラスが非常に素晴らしく聴き応えがあった。ソリストはメゾソプラノのケイテルがやや線が細くてバックに埋もれがちに聞こえたことが少々気になったところ。

 クレルヴォ交響曲自身はかなり異端な曲で、交響曲とオペラを組み合わせたかのような印象の曲。器楽部分に関してはいかにもシベリウスらしい北欧の自然を思わせる音楽があるのだが、残念ながら曲自体はやや冗長に過ぎる感がある。そのためかリントゥは曲にメリハリをつけることで退屈になることを避けたように感じられる。

 アンコールが合唱付きのフィンランディアだったのだが、これが合唱団の熱演もあって、実に感動的な名演となっていた。どちらかと言えばこちらの方が強烈に印象に残るコンサートとなってしまった。

 場内は結構の盛り上がりで、最後は退場する合唱団を場内が拍手で送り出したのである。

 

 これで予定は終了。当初はこの後にサンライズ出雲で帰ることも考えていたのだが、やはりそれもしんどいので、今日は新横浜で宿泊して明日朝一番の新幹線で帰宅して仕事場に直行することにしている。

 上野の駅ナカで今半のすき焼き弁当を夜食に買い込むと、東京駅からのぞみの自由席で新横浜へ。東京から新横浜まで新幹線に乗る客なんているんだろうかと思っていたが、意外に大勢がゾロゾロと降りる。

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今半のすきやき弁当

 宿泊したのは新横浜駅前のコートホーテル新横浜。どうせ寝るだけなので宿泊料金を最優先にしつつ、カプセル以外で探したホテル。駅からは歩いて5分程度というところか。ホテルにチェックインすると、まずは風呂で汗を流してから夜食をかき込み、すぐに就寝と相成ったのである。

 


 翌朝は5時に起床すると身支度をして直ちにチェックアウト。朝一番のひかりで戻ることになったのである。やや睡眠が足りていないので、帰りの新幹線の中はひたすら爆睡で過ごすこととなったのである。

戸隠神社を見学後、北野美術館を経て善光寺と横山城

 翌朝は6時半頃になると周囲がドタバタし始めるので目が覚める。かなり爆睡していたが、体はあちこちに痛みがある。特に昨日ぶつけた尻が痛むのと、両太ももに力が入らない。情けないほどに連日の山城攻めがダメージを与えているようである。両足が脱力状態で歩くのがギクシャクしてしまう。やはり根本的に鍛え直す必要がありそうだ。

 朝食は7時半から。オーソドックスな和食。とりあえずしっかりと腹にたたき込む。

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この日の朝食


 朝食後は軽く散歩に出る。夏だというのに空気がひんやりとしている。気持ちの良い空気だが、足が全く前に出ないので早々に戻ってくる。

 

戸隠神社を見学

 チェックアウトしたのは9時頃。とりあえず戸隠神社の宝物庫の入場券をもらっているので戸隠神社を訪問。なかなか由緒正しい神社のようであるが、神社の参道の石段が現在の私の体調ではほとんど拷問。杖をつきながらヨタヨタと登る情けなさ。

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戸隠神社はいきなりこの石段

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三本杉

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三本杉はかなり巨木

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戸隠神社社殿

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そしてこれが御神木

 戸隠神社の見学を終えると次は北野美術館に立ち寄ることにする。美術館は別荘街のようなところの奥の鬱蒼とした森の中にある。

 

「夏の日本画展 あさがおコレクションを中心に」北野美術館戸隠館で9/10まで

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 朝顔を題材にした日本画の大家たちの作品を展示。上村松園、酒井抱一、鏑木清方、速水御舟など蒼々たる顔ぶれの作品を展示。

 その中で私の印象に残ったのは中島千波の装飾的な朝顔の作品。金地に色鮮やかな作品で非常に華やかな印象を受ける。なかなかに爽やかな絵である。

 北野美術館がこの地に新館をオープンしたのは2年前とのことだが、新館をオープンするに至った理由の一つは、本館のある若穂地区が鉄道の廃線によって公共交通機関のないアクセスが劣悪な地になった上、周囲が中途半端に宅地化して風情もなくなってきた(以前は周囲は田園風景だったらしい)ことがあるとのこと。ここならリゾート地なので、ついでに立ち寄る客が期待できるということらしい。確かに周辺を散策している者も少なくないが、ただ最近はこの周辺でも熊の目撃情報があり警戒をしているらしい。散策に適した広い庭園があるのだが、今は残念ながら積極的には勧められないとのこと。

 

 北野美術館を後にすると長野に向けて突っ走る。11時に車を返却する必要があるので少々急ぎのドライブ。戸隠バードラインなる高原道路を走るが、驚くのは対向車の多さ。さらにその中でもバイクの比率が高い。どうやら長野から格好のツーリングコースとなってるようである。高原の高速コースを抜けると、今度は急カーブの連続の下り坂。なかなかにハードなコースだ。確かにツーリングに向いてそうなコースだ。

 ようやく長野市外に降りてきてガソリンを補給、レンタカーを返却した時には11時ちょうどだった。さてこれからどうするか。帰りの列車は3時のしなのを予約してあるので、それまで4時間弱をつぶす必要がある。とりあえずキャリーは駅のロッカーに入れて身軽になると、まずは善光寺までバスで移動することにする。

 

善光寺周辺で喫茶と昼食

 昼食は善光寺周辺でそばでも食べるかと思っているが、まずはその前に一息つきたい。竹風堂「くりあんみつ」で一服することにする。相変わらず栗かのこが絶品である。

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またも竹風堂で今度はくりあんみつ

 甘物でホッとしたところで善光寺の参道筋をしばしフラフラする。善光寺の近くで「尾張屋」なるそば屋を見つけたので入店、なめこおろしそばを注文する。

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善光寺前の尾張屋

 おろしとなめこがサッパリした風情でなかなかに美味。観光地としては上々のそばである。

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サッパリしたなめこおろしそば

 昼食を終えると善光寺の参拝。善光寺はいわゆるポックリ寺であり、高齢になってくれば来るほど切実に御利益が気になってくる寺(笑)。キーワードは「ピンピンコロリ」とのこと。胎内巡りなども受け付けているが、観光客が殺到している模様。私はこれは一度体験しているのでパスする。とりあえず最後はポックリと迎えたいが、現段階ではまだお迎えには来てもらいたくない。

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ポックリ寺として知られる善光寺

 

横山城 善光寺隣の南北朝時代の城郭

 久々に善光寺をサクッと参拝すると、この近くにあった横山城跡を見学する。横山城は善光寺と共に存続しており、南北朝時代以来、川中島合戦に至るまで軍事拠点として重要視された城であるとのこと。上杉謙信が川中島に出陣する際にはここを拠点にして武田軍に挑んだという。

 とは言っても今では市街に埋もれて城の遺構はほとんど残っていない。かつての本丸跡が現在の健御名方富命彦神別神社とのことで、そこのところは一段高くなっており、社殿の裏にはかすかに土塁の跡が残っている。城のあった土地は善光寺を西に望む台地であり、東側は比較的切り立っていることから確かに城郭向きの土地であることは分かるが、今となっては城跡と言われて「ああ、確かにそうかもね」と感じるという程度。

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この頂上辺りが横山城

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奥の本殿が本丸跡になるらしい

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東側は一応急傾斜になっている

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社殿の裏にかすかに土塁の跡がある

 

善光寺周辺でスイーツで暑さをしのぐ

 それにしても今日の長野はとにかく暑い。昨日までの戸隠とは全く気候が違う。フラフラになりながら再び善光寺の参道筋に戻ってくると、「つち茂」びんずるソフトを頂く。これは「おいり」の入ったカラフルなソフトで、黒いのは竹炭にいろだそうな。かなりしっかりとしたコクのあるソフトで、おいりの香ばしさがソフトになかなかマッチしている。黒蜜もかけてあるのだが、甘さは既に十分なので個人的にはこれは余計に感じた。

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参道筋のつち茂

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びんずるソフト

 バスで長野駅まで戻ってきたが、まだしなのの発車時刻まで1時間以上ある。もう一本早い便に振り替えることも考えたが、みどりの窓口を覗くとしなのは予約が一杯の状況。仕方ないので駅ビルをウロウロして、「長寿日本一 長野県長寿食堂」なる店に入店。宇治金時ドーピングで時間をつぶす。地場ものを売り込むことを目的としている店のようで、地産地消系のランチなんかもあるようなので、ランチを摂るのに良さそうな店。ちなみに宇治金時は氷に粉茶をかけてあるかなり本格派。

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なかなか本格的な宇治金時

 ようやくしなのの発車時刻が近づいてくると、キャリーを回収してから乗車。ここからは名古屋まで3時間近くの列車の旅となるが、暑さや諸々による疲労が一気に出て、ほとんど爆睡したまま過ごすことに。

 

名古屋で夕食を摂って帰宅

 名古屋に到着したのは夕方。新幹線で帰る前に夕食を摂っておきたい。と言うわけで高島屋のレストラン街を訪れると「竹葉亭」に入店。名古屋風ひつまぶしの1.5人前を注文。久しぶりにうなぎを堪能したが、支払いは5000円近くというかなり無茶な夕食を摂ってから帰宅したのである。今回の遠征では食事がやや抑えめだったから、最後でぶち切れてしまった・・・。

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名古屋駅高島屋の竹葉亭

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名古屋風ひつまぶし1.5人前

 と言うわけで少し遅めの夏休みと相成ったのだが、帰宅後は久々に体を動かした事による体調の好転と、少し無理をしたことによる疲労の両方が重なって複雑怪奇な体の調子になってしまった(体は比較的動くのだが、とにかく眠くて仕方ないという状態)。どうも体調を維持するのが困難となりつつある。

 ところで2年連続で松本のオザワ祭に参加したのであるが、果たして来年はどうするべきか。いよいよオザワも指揮をする体力がなくなってきているようなので、来年はもしオザワが健在でも最早ステージに立つのは無理になるかもしれない。しかしオザワが前面に出てこなくなると、この音楽祭自体の存続がかなりしんどくなってくる可能性は大。明らかにここ数年はチケットの売れ行きも落ちてきているようだし、オザワに代われるようなカリスマは他にはいないだろうし。そろそろ判断の難しい時期にさしかかっているようである。地元としてはどんな形であれ、音楽祭の存続の方が観光的にはありがたいのであるだろうが。

続日本100名城・鮫ヶ尾城を見学して、重伝建の戸隠で宿泊

 翌朝は6時過ぎには外光で部屋がうっすらと明るくなるので自然に目が覚める。目が覚めたところでまずは朝風呂。極楽、極楽。

 8時に食堂で朝食。オーソドックスな和食。しかし旅館で食べるこういうご飯は実においしい。朝から非常に飯が進む(昨晩の夕食が早めの上にやや不足だったせいもあるようだが)。体のあちこちに疲労は残っているが、体の調子は悪くはないようだ。

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ホッとする和食

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卵焼きに

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出来たての豆腐

 朝食後はロビーで新聞を読みながらコーヒーでしばしマッタリと過ごす。皆既日食にちなんでまたトランプが、オバマの顔を自らの顔が隠していくという品のない画像を公開しているようだ。しかしこれは、オバマ=太陽をトランプという黒い影が覆い隠すという意味か。つまりオバマの功績を次々と無にしている馬鹿トランプを現していると考えると納得がいく。ちなみに所詮は太陽を覆い隠した黒い影も数分で空から追い払われることになるわけだから、世界を覆い隠す黒い影もほどなく追放されることになろう。

 部屋に戻ってテレビをつけると、今度は北朝鮮が例によってのロケット花火をまた日本海に打ち込んだらしい。ここの国の馬鹿ボンも相変わらずアホなことを繰り返しているようだ。しかしこういうハッタリを続けないともう国を保てない状況なんだろう。ちなみに日本の馬鹿ボンも北朝鮮の脅威を煽ることを自らのライフラインにしている模様。もっとも北朝鮮が本気で攻撃してきたとしたら、日本の馬鹿ボンは日本を守るどころか自分だけさっさと逃げ出すだろうが。

 

長野へと向かう

 ホテルをチェックアウトしたのは9時。ガソリンスタンドに立ち寄ってからレンタカーを返却に行く。昨日は50キロほど走ったはずだが、それでもガソリンがほとんど減っていないのはさすがにハイブリッド効果。なるほどこれはハイブリッド車が増えるとガソリンスタンドの廃業が増えるはずだ。

 駅まで送迎してもらうと特急しなので長野に向かう。今朝は雨が降った様子があったが、もう既に天候は回復している。やがて昨日にも乗車した特急しなの3号が到着、大量の乗客が降車する。やはり今は長野新幹線の開通で長野までしなのに乗車する乗客は減少しているのだろうか? ただ未だにしなのは松本ー長野間の輸送には重要な役割を果たしているはずである。

 しなのの中ではこの原稿を打ちながら時間をつぶす。列車が長いトンネルを抜け、日本三大車窓の一つが見えるようになれば長野はもうすぐである。東京経由で新幹線で長野入りしたら早いのだろうが、この車窓が無いのは非常に寂しい。

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日本三大車窓の一つ、善光寺平の風景

レンタカーを借りて鮫ヶ尾城へ

 長野駅に到着すると駅レンタカーの事務所へ。ここでノートを借りることになっている。今日の予定はここから妙高まで走って鮫ヶ尾城を訪問することになっている。実は当初のプランではこれは予定に入っていなかったことから、土曜日は鹿教湯温泉ででもマッタリしようと考えていたのだが、その後に状況の変化があって急遽予定を組み替えた次第。

 状況の変化とは日本城郭協会が続100名城を発表したこと。続100名城と言えば、そもそも私がその名で100名城に準ずる城郭を発表していたのだが、本家が同じ名前で発表してしまったので極めてややこしいことになってしまった。とりあえず私のリストは私撰準100名城に名前を変更することにしたが、それはともかくとして問題は内容。続100名城の城郭のほとんどは私の続100名城とかぶっているのだが、一部私の未チェックの城郭を含んでおり、その一つが鮫ヶ尾城だった次第。そこで、松本まで来るついでに、さらに少し足を伸ばして訪問してやろうと予定を変更したのである。

 須坂から上越自動車道を北上するルートを取る。高速に乗るまでに昼食を摂りたかったのだが、どうも沿道にこれという店がない。結局はケンタで昼食を済ませるという緊急事態に。これはあまりに悲しすぎる。

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あまりに悲しすぎるこの日の昼食

 悲しすぎる昼食の後、高速をひたすら突っ走る。上越道はまだ部分的には対面二車線の箇所が残っており、現在工事中のようである。上越道を降りたのは上越高田ICで。

 

鮫ヶ尾城 続日本100名城に指定された上杉景虎ゆかりの城

 高速出口から山沿いを南下、小集落の中に入っていったところで鮫ヶ尾城の表示を見つける。鮫ヶ尾城の一帯は古墳公園になっており、管理事務所で地図ももらえる。ただ管理事務所に向かおうとすると「熊が目撃されているので注意」の看板が。最近はあちこちで熊が増えているがここでもか。しかし恐れてばかりではどこにもいけない。管理事務所で聞くと、とりあえず公園内で子熊が目撃されているが山の方での目撃証言はないとのこと。

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ゾッとする看板

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まるで入るなと言わんばかり

 鮫ヶ尾城は上杉景勝と上杉家の後継争いをして敗れた上杉景虎が最期を迎えた城郭である。某漫画の影響でオタ人気の高い景虎ゆかりの城と言うことで、その手の女性の聖地巡礼も結構あるとか。地元にしたら上杉景勝や直江兼続は敵になるらしい。現地も景虎をメインに据えた村おこしのようなものもしているようだ。

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案内図

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鮫ヶ尾城説明図

 本来はここから北側登城路を通るところなのだが、現在上越道の四車線化の工事のために北側登城路は通行不可とのことで、東側登城路から回り込むことを余儀なくされる。若干の遠回りになるようだが、そう険しい道でもないようだ。

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ここを降りていく

 池の横を回り込んで九十九折りの山道を少し進むと滑らかで広い斜面に出る。ここが鮫ヶ尾城の麓になるようだが、そもそもは遺跡のようである。城郭としては平時の屋敷でも構えるところか。かなりの面積があるので大勢が居住可能である。

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池の横を回り込む

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案内に従って山道を登る

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平地に出る

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この平地も遺跡のようだ

 

 滑らかな道をしばらく進むと、堀切などがあってからかなり険しい構造が現れるようになる。その険しさは本丸に近づくほど極端になり、本丸手前では上り階段にロープを張ってある状態。意地のように本丸を守ろうとしている構造になっている。麓を見た時には「どうも険しさのない城だな」と感じたのだが、その印象はこの辺りで一変する。

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堀切の現れるこの辺りから城っぽくなる

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堀切のある道を進む

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広大な東一の丸に出る

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そこからさらに堀切のある山道を進む

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北登城路はここに合流する

 山頂の本丸に登るとなかなかの見晴らしである。本丸を取り巻くように周囲に郭が配されており、本丸を徹底的に守る構えとなっている。各曲輪もそれなりの面積があるので、大兵が立て籠もることが出来る城で、そうなった場合にはかなり堅固である。さすがに上杉領の最前線を守るための要塞である。そこで御館が落城した後の景虎は逃亡の途中でこの城に立ち寄ったのであるが、城主の堀江宗親が寝返ったことによって自刃に追い込まれている。この時点での景虎は恐らく大した軍勢も既に持っておらず、そうなるとさすがにこの堅城でも守りようもなかったであろう。

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本丸に到着

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城跡碑がある

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見晴らしも良い

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向こうに見える曲輪が米蔵とか

 本丸周辺はかなり整備がされてあるが、残念ながら二の丸などは下草が刈られていないので入りにくい。現地の保存会が頑張って草刈りをしてくれているようだが、さすがにすべてには手が回らないようだ。

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本丸下の二の丸

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残念ながら下草で鬱蒼としている

 現地の整備もかなり気合いが入っているし、城の構造自体も見るべきところが多い。さらには上杉景虎が最期を迎えた城というドラマ性。確かに続100名城に選定するのに文句のない城郭である。難点はその割には全国的知名度が低いことか。というわけで、私もこの場で「鮫ヶ尾城は是非とも見学するべき城郭である」とアピールしておく。

 昨晩の雨で足下がややぬかるんでおり、注意はしていたのだが帰り道で転倒、派手に尻餅をついてしまった。幸いにして尻の肉の厚いところだったのでけがはないが、それでも痛いものは痛い。もっとも腰でもぶつけていたら大変なところだった。こんな不覚を取るのも昨今の運動不足のせいだろうか。

 

近くの温泉施設で入浴

 久々に本格的山城を探索した。かなり疲れたが心は満たされた気分だ。後はどこかの温泉で汗を流したいと思っていたところ、管理棟で近くの温泉入浴施設・神の宮温泉かわら亭の割引券をもらったので立ち寄ることにする。かわら亭はここから5分とかからない。

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神の宮温泉かわら亭

 かわら亭は宿泊も出来る温泉施設で、レストランなども完備している。どうやら地元が観光開発のために気合いを入れて建てた施設のように思われる。まだ新しいようで施設は綺麗。また日帰り入浴客も結構訪れている。景虎の湯と名付けられた大浴場は広い内風呂と露天風呂からなり、泉質はメタケイ酸を含むアルカリ泉とのこと。これがなかなかにして良い湯。肌にヌルヌルとする美肌系の湯である。非常に快適で、山登りの疲労をここでゆったりと癒やす。実は昼食がお粗末だったのでレストランで軽く食事も考えていたのだが、残念ながらレストランは昼休憩の時間の模様。仕方ないので風呂上がりにフルーツ牛乳だけを頂いておく。山城攻略で汗をかき、その汗を温泉で流す。ああ、男の休日とはかくありたいものである。久々に充実した気分である。

 

重伝建の戸隠で宿泊

 温泉でサッパリしたところで、今夜の宿を目指すことにする。今夜は戸隠で宿泊することにしている。宿泊先に戸隠を選んだのも、この度戸隠が重伝建に指定されたから。今回の遠征の今日の予定は続100名城と重伝建の合わせ技になっている。

 再び上越道を信濃町ICまで南下すると、そこから戸隠目指して県道36号をひた走る。ところどころ道幅の狭い箇所はあるが、道自体はそう悪い道ではない。ただ起伏が結構激しいので、ノートのパワーではいささかしんどい運転になる。キャンプ場などの横を通り抜けながら、戸隠に到着したのは5時過ぎになる。

 今回の宿泊旅館は国民宿舎横倉。この地域に多い宿坊の一つである。建物はかなり年季が入っているようで床などはギシギシ言ったりする木造建物。趣があると言うよりも、端的に言うとボロい。ただ幸いにして不潔な感じはない。

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国民宿舎横倉

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趣があるというべきかボロいと言うべきか

 それにしてもさすがに戸隠は高原と言うべきか、この夏の最中でもひんやりとしている。部屋は暖房はあるが冷房はない。こんな気候なら確かに冷房は不要だろう。逆に冬にどうなるかを考えると空恐ろしい。

 とりあえず部屋に荷物を置くと町の散策に出る。しかし戸隠は5時を過ぎるとどの店も完全に店じまいで、町自体がもう既に夜のお休みモード。なお戸隠の集落は、歴史ある建物があるというよりは、戸隠神社を中心とした往事の宿坊の並ぶ門前町の雰囲気が残っているというべきのようだ。もっとも今日ではこの宿坊もスキー宿としての役割が大きいようだが。何か特定の見所となる建物があるというわけでなく、集落全体に漂う空気が一番貴重というところ。

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戸隠の中心となる戸隠神社
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多くの宿坊が立ち並ぶ独特の戸隠の町並み

 

 夕食は6時から。宿坊とは言うが、別に料理が精進料理というわけではなくて普通の夕食。それにしてもメインがビーフシチューというのはどういう取り合わせ。とりあえず集落の中にはコンビニ等はないので夜に腹が空かないようにタップリと食べておく。

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ビーフシチューがメインの謎夕食

 食後に軽く入浴を済ませて部屋に戻ると、この原稿を入力・・・しようと思ったが、体がだるくて頭がボンヤリとしてとても執筆不可。そこでボンヤリとテレビを見て過ごす。何やら「昭和と平成のヒーロー・ヒロイン」なんて番組をしているが、放送局がフジテレビ系列のせいか、出てくるキャラがワンピース関連が多すぎて興ざめ。この番組の直後にワンピースのスペシャルが放送されるとやたらに宣伝が入ることからも、明らかに票操作もありそう。ちなみにランキング1位は、ヒーローが昭和・平成共に孫悟空、ヒロインは昭和が峰不二子、平成はワンピースの何とかいうヒロイン(私はワンピースは全く知らない)。ヒロインのベスト5に昭和も平成もセーラームーンが入っていたが、昭和は旧作、平成はリメイク版というのがいかにも。ただ昭和の私としてはリメイク版には全く面白さを感じなかった。ちなみに私が選んだら、仮面ライダー1号とメーテルかな。本郷猛は「男とはこうありたい」いう憧れだし、メーテルもやはり憧れの女性である。

 体がとことん疲れており、もう既に両足ががたついてきている。当然のようにかなり激しい眠けも襲ってきた。することもなし、起きていても腹が減るだけ、この日は早めに就寝する。

セイジ・オザワ松本フェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム&伊深城&霊泉寺温泉、鹿教湯温泉、美ヶ原温泉

 昨晩は集中空調の冷房の効きがイマイチのせいで蒸し暑く、なかなかに寝苦しかった。浅い眠りのままウトウトしていたら朝の6時に目覚ましで起こされる。

 眠い目をこすりながら身支度し朝食会場へ。クラウンホテル名物の名古屋飯バイキングを腹にしっかりとたたき込んでおく。

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名古屋クラウン名物、名古屋飯バイキング

 今日は8時の特急しなのに乗車予定なのでそれに合わせて準備。テレビをつけたら、またトランプが今度は与党の大物にかみついたとのニュース。自らが掲げている法案が滅茶苦茶すぎるせいで可決できないのに、それを彼らのせいだと喚いているらしい。ああいうタイプの人間は基本的にうまくいかないことはすべて他人のせいにせずにはいられないので、追い詰められれば追い詰められるほど周りにけんかを売りまくって孤立することになる。トランプ政権ももう既に末期状態になっているようだ。側近連中も既にもてあましていることがにじみ出ている。ああいう輩は本来はもっともトップに据えてはいけないタイプなのだが、概して本人は極めて権力志向が強いから困りものなのである。というのも、権力がないと責任を周りに押しつけることが出来ず、自らの無能が際立ってしまうから。つまりああいうタイプは自らの無能を偽るために権力を指向するのである。ただ概して言い逃れなどの弁は立つために、当初は無能が目立ちにくいのがたちが悪いところ。しかも本人が無能を自覚して周りに任せればまだマシだが、このタイプは己の無能を認めることが出来ないから自ら仕切ろうとする。だから大抵はトップに座られてから周りが大混乱させられるのである。ああいうタイプはどこにも存在し、日本でも橋下などがまさにそのタイプである。だから敵対国としてはそういうタイプがトップに立つように誘導すれば、勝手に相手国が自滅していくということになる。さすがにハッキングでトランプが選挙に勝利するように誘導したプーチンは策士である。

 

特急しなので松本へ

 7時過ぎにチェックアウトすると名古屋駅で特急しなのを待つ。しなのは車内販売がないとのことなので、売店で慌ててお茶を購入。最近は効率重視で車内販売が次々と廃止になっているが、これは明らかなサービス低下。長距離特急で車内販売がないというのは著しく不便である。しかし収益一辺倒の世の中では必然的にこの方向に向かうのだろう。既にほとんどの特急列車の車内販売は廃止されており、いずれは新幹線の車内販売もなくなりそうである。

 特急しなのの車内は結構な混雑。盆は過ぎたものの、まだ夏休みの最中と言うことだろうか。フラフラした感覚のしなのの車中で原稿を入力するのは例によって気持ちが悪い。また車内の冷房の効きが今ひとつなのも不快感の一因。エコを口実にした経費削減か、はたまた外が暑すぎるのか。

 名古屋はカンカン照りだったのに、中央線沿線はどんよりと曇っており天候が気になるところ。とりあえず2時間後に到着した松本はちょうど雨がぱらつき始めたところという悪コンディション。

 今日はオリックスレンタカーを予約している。貸し出されたのはマーチならぬアクア。明らかにクラスが上の車にチェンジされている。まあ今回は山道を走る予定はないから、ボディの小ささにこだわる必要はないのでこのチェンジはありがたいところ。

 

伊深城 由来の不明な室町時代の城

 最初に向かうのは伊深城。築城の経緯が定かではない城で、1180年に岡田冠者源親義が築城したという伝説があるらしいが、実際には室町時代に伊深氏が築城したと推測されているとのこと。

 伊深城の手前に若宮八幡があり駐車場もあるのだが、その道が「本当にこの道を車が登れるの?」と言いたくなるような急な坂。とりあえず怖々その坂を上ると駐車場に車を置いてから若宮八幡に登る。その脇に遊歩道が整備されており、伊深城に登ることが出来る。

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この鳥居の脇に駐車場がある

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若宮八幡の社殿

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登山道は整備されている

 遊歩道を歩き出すと共に雨が激しくなり始める。これは急ぐ必要がありそうだ。傘を差しての登山なので非常に進みにくいが、救いは道が整備されているので足下の不安が少ないこと。ただ遊歩道を塞ぐ形で倒木があったりして気持ちを削がれる。

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いきなり倒木に進路を塞がれる

 

 天候のコンディションが悪い上に私の体力もガタガタ。九十九折りの山道を少し進んでは一息つかないと駄目な状態。残念ながら山頂まで一気に登り切るだけの体力が全くない。

 途中の分岐を過ぎて少し進むと、番所でもあったのではないかと思われるような構造に行き当たり、そこから先は明らかに城内の雰囲気が漂い出す。こうなると死にかけていたところも元気が出てくる。何とか脱落せずに山頂まで登り切った。

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途中で石垣らしき構造が

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そこを越えると城内の雰囲気が漂い始める

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この石垣は往時のものだろうか?

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本丸下の曲輪に到着

 登り切るのに要した時間は大体20分ほど。私のいつものペースというか、これ以上の時間がかかると体力が続かない。私の山城攻めは大抵20分以内で登り切るパターンなので、私に内蔵されたクライミングコンピューターの城攻めプログラムは20分が限界となっており、これを過ぎると過負荷で体から白煙が上がる・・・ということはさすがにないが、体力が完全に尽きて動けなくなってしまう。今まででは坂戸城でそれを経験している。

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上の段の本丸に登る

 

 山頂の郭は二段になっているが、面積はそれほどではない。一段低いところにあった帯郭を加えて、この辺りがこの城の主要部になるのだろう。なお山頂の本丸の奥はかなり深く堀切を切ってあるようだ。なお案内看板には「比高200メートルで眺めが素晴らしい」と書いてあるのだが、木が多いせいで眺望はほとんどない。

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本丸

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本丸は二段になっている

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北側はかなり切り立っている

 なんとか頂上にたどり着いたが、雨はさらに激しさを増してきている。足下がぬかるんで滑らないうちにさっさと下山することにする。実際はこれが一番危ない行程。しかし幸いにして大過なく降りてくることが出来た。

雨のために予定を変更して松本周辺温泉巡り

 しかし車に到着した時には雨はかなり激しさを増しており、これから他の山城を攻略するのは賢明ではないことは明らか。ここに来て予定の変更を余儀なくされることになる。妥当なのは松本市内観光だが、実際のところは松本市内でもう見て回るべき場所は思いつかない。松本城周辺をウロウロして時間をつぶす手もあるが、その場合は車は完全に邪魔になってしまう。

 どうせ車があるのだから松本市外まで少し足を伸ばすかと考えた時、目的地として浮かんだのが鹿教湯温泉。実のところ、今回の遠征計画の初期案では宿泊地は鹿教湯温泉を想定していたのだが、その後の状況の変化でキャンセルになっている。そこでどうせなら鹿教湯温泉を訪問してやろうかと考えた次第。

 

霊泉寺温泉を訪問

 松本から鹿教湯温泉は山間の有料道路(通行料510円とやや高い)を使用して30分程度。数年ぶりの再訪となる。相変わらず鄙びた風情のある温泉街である。宿泊するつもりだった大江戸温泉で入浴しようと思っていたのだが、残念ながら入浴は2時からとのことでまだ1時間以上先。では他の旅館でと思ったのだが、車を置く場所がない。これはどうしたものかと思案した結果、とりあえず鹿教湯温泉を通過して霊泉寺温泉を訪問することにする。

 霊泉寺温泉は鹿教湯温泉から車で10分ほど。ここは霊泉寺の隣に温泉用駐車場があり、共同浴場もあることは確認済み。車を駐車場に置くと、鹿教湯温泉に輪をかけて鄙びた温泉街を共同浴場まで歩く。

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鄙びた霊泉寺温泉街

 共同浴場はかなり古い建物。入口に箱が置いてあって200円を入れて勝手に入浴するシステム。無人販売所みたいなものである。

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霊泉寺温泉共同浴場

 霊泉寺温泉はアルカリ単純泉だが、この施設ではその湯を非加水・非加熱・循環なしでかけ流している。湯自体は肌にしっとりとくる上質のもの。先ほど雨の中の山道で疲れて汚れている体を洗い清めると共にしっかりとほぐす。

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霊泉寺温泉は泉質抜群

 

鹿教湯温泉を訪問

 入浴を済ませると昼食のために鹿教湯温泉に戻ってくる。ただ飲食店と言ってもそば屋ぐらいしかない。「たつみや」に入店して十割そばの大盛りを注文。そばはマズマズなのだが、さすがにそばばかりこの量だといささか飽きる。主食だけをひたすら食べている気分である。しかも今は生憎と秋の新そば収穫前の一番そばが悪い時期でもある。

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昼食を摂ったたつみや

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十割蕎麦の大盛り

 昼食が終わった頃には2時になったので大江戸温泉藤館を訪問。日帰り入浴を申し込んだところ、今日は部屋が全部埋まっていて宿泊客が多いから駐車場に空きがなく、チェックイン時刻の3時までに入浴を終えて欲しいとのこと。元より私はそんなに長湯するつもりもない。

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大江戸温泉藤館

 鹿教湯温泉もアルカリ単純泉である。ただここの浴槽は加温・循環・消毒ありなので湯の鮮度が先ほどの霊泉寺温泉よりは劣る。悪い湯ではないがインパクトはあまりない。

 

塩川の温泉饅頭を土産に宿泊先の美ヶ原温泉へ

 大江戸温泉を後にすると、ホテル内で試食用に配られていた塩川の温泉まんじゅうがうまかったことから、店に立ち寄って購入。後はまた510円の有料道路を通って松本に移動、今日の宿泊ホテルにチェックインすることにする。

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塩川の温泉饅頭

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実に美味である

 宿泊先は前回に宿泊した浅間温泉を考えていたが、ホテルの料金が高めなのとあまりに芸がないと考えたことから、今回は美ヶ原温泉で宿泊先を探した。見つけたのは湯宿和泉屋善兵衛。美ヶ原温泉の温泉街自体が路地がウネウネしたところなので旅館を見つけるのにやや手間取る。見つけた旅館は白壁土蔵風の少し変わった建物。

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白壁土蔵風の湯宿和泉屋善兵衛

 旅館にチェックインすると早速露天風呂に入浴に行く。この旅館は奥に長い独特の構造をしており、露天風呂はその一番奥。野外で開放感のある浴場で、浴槽には湯がダバダバと注がれている。泉質はアルカリ単純泉とのことで、あまり特徴のあるお湯ではないが、肌にしっとりと馴染む優しい湯。その湯に体をゆだねるとまさに極楽。

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開放感抜群の露天風呂

 

松本市街で夕食を摂ってからホールへ

 一風呂浴びてしばしマッタリとしてから、5時過ぎに夕食を摂るために外出する。しかし困ったのは松本の飲食店は松本城周辺に集中しており、その界隈では車は邪魔になること。結局はウロウロしているうちに「竹風堂」の前を通りかかったので、そこの駐車場に車を入れて夕食を摂ることにする。注文したのはいつもの「山家定食(1890円)」。本来なら昼食にするところのものが夕食になってしまった。

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いつもの竹風堂でいつもの山家定食

 やや軽めの夕食を終えるとキッセイ文化ホールに向けて移動。ホールには6時過ぎに到着したが、既に駐車場はほぼ満杯の状況で車を止める場所を探してウロウロする羽目になる。誘導もほぼないに等しい状態だし、押しかけてくる人数に対して会場側が対応し切れていない様子。

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キッセイ文化センター

 会場周辺では記念写真を撮影する者が非常に多い。そのような光景は前回にも多数目撃したが、この辺りが通常のコンサートと違ってお祭り気分が強いところ。なお会場内はほぼ満席になっていたが、当日券の販売もあったようだ。前回は私の席は2階の奥だったが、今回はチケット購入のコツが分かったので1階の比較的良いポジションを確保している。

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ホール入り口は大混雑

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ホール内もこの賑わい

 

セイジ・オザワ松本フェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム

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指揮:小澤征爾(ベートーヴェン)
ナタリー・シュトゥッツマン(マーラー、ドヴォルザーク)
ソプラノ:リディア・トイシャー(マーラー)
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ

ベートーヴェン:レオノーレ序曲 第3番 Op.72b
マーラー:「少年の魔法の角笛」より
ドヴォルザーク:交響曲 第7番 ニ短調 Op.70, B.141

 小澤が振ったのは一曲目のレオノーレだけなのだが、やはり小澤が振るだけでサイトウキネンオケの音色がピリリと引き締まるのが感じられる。気持ちの入った演奏というか、オケの気合いのようなものが演奏を通して感じられる感動的な演奏。おかげでレオノーレが実際以上の大曲に聞こえてくる。小澤もここ一番では立ち上がって棒を振るなど、なかなかに気合いが乗っている。まだまだ小澤健在をアピールしている。

 指揮者が代わって「角笛」に関しては、トイシャーのソロが若干弱々しさがあり、終始オケの音色に埋もれてしまうような印象があったのがつらいところ。

 シュトゥッツマンの指揮に関しては、軽やかで躍動感に満ちているのが特徴。その中でメロディを浮き立たせる形になっている。また弱音に対して神経を使っているのを感じられるが、いささかサイトウキネンのパワーをもてあまし気味である印象も受けた。独特のリズムで躍動感のある交響曲第7番の第3楽章などは彼女の演奏の特徴が最も現れていたように思われたが、両端楽章についてはもう少し緊張感が欲しいようにも感じられた。

 小澤がステージに現れただけで空気が変わるというか、楽団員の小澤に対する敬意のようなものが滲んでいた。指揮者と楽団員の親密さが伝わってきており、小澤がいるだけでオケに影響を与えているのが分かる。これがいわゆる巨匠効果というものか。なおこの効果は楽団員だけでなく、観客にも及んでいたようだ。

 

 コンサートを終えると全員が早足で会場を後にする。ここで出遅れたら駐車場を出るだけでかなりの時間を要してしまう可能性がある。私は幸いにして出口が渋滞する前に会場外に出ることが出来た。前回でも感じたがこの会場は足の問題も抱えている。ただキッセイ文化ホールがベストな会場とは思えないが、松本には他に施設がないのだろう。

 旅館に戻って来た時には温泉街はひっそりと静まりかえっており、辺りは既に半分眠っている状態。この温泉街は歓楽街などを有していないので夜が早いようである。部屋に戻った私は、とりあえず内風呂でゆったりと体を温めてから就寝することにする。

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内風呂でゆったりと入浴する

「ユトリロ回顧展」at 姫路市立美術館&春日城(兵庫県福崎町)

 最近は疲労の蓄積で完全にグロッキー状態で週末もしばし寝込んでいるような状態だった。しかしこのままではどんどんと体が鈍る一方で、体調も芳しくない。そこで今日は意を決して出かけることにした。

 まずは姫路の美術館から。

「ユトリロ回顧展」姫路市立美術館で7/2まで

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 パリの街並みを描き続けた画家・ユトリロの初期の「白の時代」の作品から、後の「色彩の時代」に至るまでを展示。八木コレクションや個人蔵の作品が中心で、白の時代の作品が比較的多いのが特徴的である。

 そもそも彼は精神病院に入院していた際に治療の一環として絵を描き始めたと言うが、そういう頃の「白の時代」の作品の方が後の作品よりも明らかに精神的に深いものを感じさせる。一方、母親の贅沢な生活費を稼ぐために作品を量産していた時期の作品は、技術的には向上が見られるのだが、かつての作品に比べると精神性はかなり浅い。

 こういうようなことを作品を通じてあからさまに見せられると、やはり傑出した芸術とは狂気の中に宿るのではなどということを感じずにはいられないのである。彼の作品やゴッホの作品などは特に。

 

春日城 赤松氏配下の後藤基明の城

 さてこれで美術館の予定は終了。しかし今日は久しぶりに山城に登るつもりで出てきている。今回のターゲットに考えたのは姫路市の北、福崎町にある春日城。赤松氏配下の後藤基明が築城した城で、彼は赤松政則の配下として応仁の乱で山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとのこと。1578年、城主・後藤基信の時代に羽柴秀吉の播磨攻めで落城、基信は自刃したとのこと。

 播但道に沿って北上していくと、春日山(飯盛山)があるのでここが春日城の場所。麓にふれあい会館という施設があり、その近くに駐車場があるのでそこに車を置いて進んでいく。山道を進んでいくと、途中で春日城方面とキャンプ場との分岐があり、そこからが本格的な登り。

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ふれあい会館

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案内看板を見れば楽勝に思われる

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登り口

 足下が完全に整備された山道なので、登っていくのは極めて容易・・・なはずなのだが、登り始めて5分で息が上がり、吐き気まで起こってしまうのが現在の私の体力の状況。かつての調子の良い時ならこんな登りは一息で山上まで行ってしまったはずなのだが・・・。認めたくないものだな、加齢故の衰えとは。

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キャンプ場との分岐

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ここから本格的な登り

 九十九折りの道で急斜面を直登していくのだが、途中で何度も休憩して持参した麦茶を飲みながら少しずつ登らざるを得ない。結局は20分程度を要して、ほとんど倒れ込むように山頂に到着。山頂にあったベンチにへたり込んだまましばらくは立ち上がれなくなる。マジで心臓が止まるかと思った。

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山頂に到着した時には半分死んでいた

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このベンチにへたり込む羽目に

 

 山頂の削平地はそう大きな面積ではない。案内看板の後ろに食料貯蔵庫の表示があって大きな穴が空いている。ここが倉庫だったということか。ただ雰囲気的には溜め池のようにも思えるのだが。

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案内看板の後ろに

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食料貯蔵庫の穴

 基本的には単郭構造のシンプルな城郭である。ここから鍛冶屋熊野神社に下っていく道もあるのだが、多分そちらの方が大手だろう。その方向には帯曲輪のような構造もあるようだが、鬱蒼していて立ち入ることは不可能。

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熊野神社方向に向かう道

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帯曲輪っぽい構造はあるが進入不可

 頂上は樹木を伐採してあるので非常に見晴らしが良い。眼下には豊かな田んぼが見える。地方領主としてはこの地を治めるには格好の場所だし、この豊かな土地は死守しないといけない場所であったろう。

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地方領主の眺めた風景

 帰りは鍛冶屋熊野神社方面に下っていく。ふれあい会館側からの登り道は斜面直登のイメージだったが、こちらは城の遺構に従っている雰囲気がある。また階段の整備があちら側ほどなされておらず、しばしば自然斜面のまま。それだけに気を緩めると転倒の危険があって大変。これはこちらから登ってあちらから降りるのが正解ルートのようだ。私は完全に逆をたどってしまった。

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自然斜面を降りてくると

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熊野神社側の登山口に到着する

 足下に気をつけながらしばし降りてくると熊野神社の横手に出てくる。かつてはこの辺りに領主館でもおいてあったのだろうか? 春日城は明らかに常駐する城ではなく、いざという時のお籠もりのための城である。ただそう凝った作りでもないので、秀吉の大軍に侵攻されるとひとたまりもなかったろう。

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熊野神社

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神輿が置いてあるようだ

 久しぶりの山城攻略でとにかく疲れた。途中で心臓が止まるんじゃないかと思うこともあったが、今となると意外に体が軽くなっている。やはり全く体を動かさずにゴロゴロしているのも良くないようである。これから調子を見ながら運動していかないといけないようだ。

 

笠方温泉で汗を流す

 とにかく汗をかいたのでこの汗を流すと共に遅めの昼食を摂りたい。そのための場所として思いつくのはこの辺りでは笠方温泉。10キロほどの道のりを車で走る。

 笠方温泉にやって来るのは久しぶりである。まずは「お食事処せせらぎ亭」で昼食を摂ることにする。注文したのは「辛味大根そば」の大盛り。

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せせらぎ亭

 ピリッとした大根がそばと絡んでうまい。ようやく生き返った気分。そばをタップリと腹に放り込むと続けて甘味。抹茶ラテとプリンのセットを追加注文して一息つく。

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さっぱりした辛味大根そば

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デザートを追加

 昼食を終えると入浴。上のみはらし館の方に行くことにする。ここは開放感のある露天風呂が特徴。泉質はアルカリ性単純泉とのことでいくらかぬめりはあるがそう強くはない。ただ自家源泉の湯を循環はさせているだろうが、ダバダバと流しているので塩素臭もあまりなく湯自体は良好。

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みはらし館

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手前にある源泉井戸

 ゆったりとくつろぐと、風呂上がりに地元飲料のゆず太くんを頂いて一息。生き返る気分。

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ゆず太くんで一服

 これで予定は終了で帰途についたのである。やはりたまにはこういう汗を流すこともしないといけないとつくづく感じた次第。やはりここのところインドア活動ばかりになりすぎていたか。そのせいで体が一気に老け込んだ気がする。

 

ワ・ラッセと弘前城に立ち寄って帰宅

 翌朝は7時頃に起床すると朝食。さて今日の予定だが、今日は遠征最終日で青森空港から夕方のANA便で帰宅するだけ。空港に行くまでの時間がフリータイムとなるが、例によって全く何の予定もない。

ワ・ラッセでねぶた見学

 とりあえずチェックアウト後にはホテルのすぐ近くにあるワ・ラッセを見学することにする。ここはねぶたの山車などが展示してあり、一年中ねぶたが体験できるという施設。ちょうど五所川原の立佞武多の館みたいなものである。

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ワ・ラッセ

 内部の展示はねぶた祭の歴史やら歴代ねぶた名人の紹介など。やはり名人ごとに作風の違いなどがあるようだ。実際のねぶたの山車はかなり凝った造りになっており、最早一種のアートである。また照明を使用するために大型の発電機なども搭載しているので、かなり大型で重量級。これを動かすのも相当大変だと思う。

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 ねぶたの山車を鑑賞しながらしばしボンヤリしていると、その内にねぶた祭のデモンストレーションが。やはり鉦と太鼓のシンプルなリズムは日本人としての魂に訴えかけてくるものがある。なぜか原始的な興奮が巻き起こされる。「ラッセーラ」のかけ声に合わせてステップを踏むのだが、これが単純な動きなのだがなかなかにハード。私などは数分で息が上がってしまう。

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ねぶたの実演

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太鼓の音は血が騒ぐ

 しばし祭の雰囲気を堪能してからワ・ラッセを出る。正直なところねぶた祭はいつか一度見に来たいと思っているのだが、この時期はこの周辺のホテルは料金が高騰する上に予約も一杯だからなかなか難しい。実現にはなかなかの困難がある。札幌の雪祭りは以前に何とか見学したが、こちらは無理かな・・・。ちなみに仙台の七夕は、以前にちょうどその時期に仙台に滞在していたにもかかわらず、全く興味が湧かずにスルーしたという前科がある。

 さて現在ちょうど昼前頃。飛行機が出るのは夕方なので、空港行きのバスは3時過ぎぐらいである。しかしもう青森ですることが全く浮かばない。散々悩んだ結果、仕方ないから弘前にでも行くかと考える。弘前城では現在は桜祭り開催中のはずである。

 

弘前城へ

 青森まではJRで1時間弱。弘前からも空港行きのバスはあるので、青森に戻ってくる必要はない。弘前に到着すると駅のロッカーにキャリーを放り込んでからバスでとりあえず弘前城を目指す。

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弘前駅

 弘前城の桜は生憎と数日前に完全に終わってしまったようだ。現在は葉桜の状態になっている。ただ一部の八重桜などは現在満開。

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弘前城

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 数年ぶりに弘前城の城内をプラプラと散策する。やはりこの城は良い。城全体の遺構の残存度合いが非常に高い。その点では玄人受けする城郭である。なお現在は天守下の石垣を修復するために天守を移動しており、天守台には何も乗っていない状態。だからわざわざ本丸に料金を払って入場する意味もあまりないので、外の無料区画からの見学で済ます。

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天守は移動済み

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石垣を修理中

 祭とあって城内には露店の類いがかなり出ている。中にはお化け屋敷などのレトロ感満載のものも。露天で貝焼きやらそばを頂きながらの散策を楽しむ。

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レトロ感満載の露店

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お化け屋敷

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貝焼きを頂く

 

 弘前城から戻ってくると駅前で昼食を摂ることにする。昼食を摂る店を探すのも面倒なので、駅前で適当にチェーンの居酒屋に入店、いかにもの海鮮丼を注文してこれが今日の昼食となる。

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駅前の居酒屋で昼食

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海鮮丼

 昼食を終えた頃にはバスの時刻が近づいてきたので弘前駅前から空港行きのバスに乗車、青森空港へ。青森空港に来たのは初めてだが、典型的な地方空港。長崎空港や新潟空港などと雰囲気が類似している。

 結局はこの日はボンバルディアで伊丹へと飛んだのである。ボンバルディアは相変わらずの気持ち悪い飛行であったが、無事に伊丹へと到着、そのまま帰宅したのである。

 ひ

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飛行機から見た岩木山

青森に渡って、温泉と山城を堪能

北海道新幹線視察

 翌朝は6時に起床すると朝食を摂ってから7時半頃にはチェックアウトする。今日は北海道新幹線で青森に移動する。これは新規に開通した北海道新幹線の視察も兼ねている。

 函館駅からはこだてライナーで新函館北斗駅まで移動。この列車はそもそも北海道新幹線との接続用快速なので、降車客の大半が新幹線改札へと移動する。新幹線改札はすぐ隣で、二階に待合室などがある構造。なお現在は北海道新幹線の終着駅だが、札幌まで延伸予定であるので、駅の構造がターミナルではなくて途中駅の構造になっている。新幹線の駅としてはかなり小さめ。

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函館ライナーに乗車

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新函館北斗駅に到着

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新幹線のホームに移動

 土産物を少々買い込んでから乗車。車両は緑色主体の北海道新幹線カラー。ただ内部は東北新幹線と変わらない。駅を出た新幹線は、田んぼの中を大きくカーブして進みながらやがては山に突入する。今時の新幹線のお約束のトンネル連続を抜けると木古内。木古内を過ぎると大小トンネルの連続を経てから青函トンネルに突入。今の青函トンネルと新幹線と貨物列車を同時に通すために三線軌条(三条軌)になっているとのこと。青函トンネルを抜けると本州到着。ここの部分はかつての津軽線は地上を走っていたのだが、新幹線はお約束のように山の中をトンネルで真っ直ぐ突き抜けていく。ようやく地上に出ると山際を新青森に向けて直線走行。

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車内はそこそこの混雑

 ようやく新青森に到着。これで北海道新幹線視察終了ということで、先の仙台地下鉄と合わせて新設路線の視察完了となる。

 新青森駅に降り立つが、相変わらずこの周辺はあまり何もない。もっともそれでも数年前に訪れた時よりはまだマシになっているか。とりあえずここからはレンタカーで移動である。駅前の日産レンタカーに立ち寄ると、貸し出されるのはまたマーチ。パワー不足があからさまであまり好きな車ではないのだが・・・。アイドリングストップなんて余計な機能が付いていないバージョンだったのがまだ救い。

 

八甲田の酸ヶ湯温泉へ

 さて今日の目的地だが、ここからこのまま八甲田まで突っ走る予定。目的は八甲田の山中にある酸ヶ湯温泉。山中の秘湯として知られている。アクセス道路の積雪が心配だったが、情報によると一ヶ月ほど前に除雪されて開通しているのでノーマルタイヤでも問題ないとのこと。

 青森の市街を抜けると国道103号を八甲田めがけてひたすら南下する。道は良いのだが、途中から段々と傾斜がきつくなってくるとマーチのパワー不足が露骨に現れてきていささかしんどい。それにしても山中の道にかかわらず通行車両がかなり多いのが気になるところ。

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八甲田目指してひた走る

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道路は良好

 途中の萱野高原で休憩。ここには茶店が二軒ほどあり、そばや団子を販売中。私は昼食を摂っていないのでここでそばを頂く。なおここでの名物は長生き茶らしい。このまま行けば先が長くないと思われる私はここで茶を頂いておく。

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八甲田がそこに見える萱野高原

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茶店は二軒あり

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もう一軒

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山菜蕎麦で一息

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よもぎ団子を頂く

 

 休憩後は再び八甲田に向かって進むが、この辺りから沿線の風景が一変する。道路の周辺に雪が積もっているのである。やがて八甲田のスキー場を通過すると目的の酸ヶ湯温泉に到着する。

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ここら辺りから道路脇に積雪が

 酸ヶ湯温泉は山中の温泉旅館。しかしGWのせいでここも大混雑。宿の前の駐車場は満杯で200メートル離れた上の駐車場に行かされる。

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駐車場

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背後には雪の壁

 酸ヶ湯温泉には混浴の有名な千人風呂と男女別の風呂の二つがあるが、どうせなら有名な千人風呂の方に入浴することにする。

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酸ヶ湯温泉

 千人風呂はかなり広い空間に二種類の浴槽がある。微妙に成分と温度が違う模様。なお両浴槽共に中間で男性領域と女性領域に区切ってある。女性用の湯浴み着なども販売されているらしいが、それでも雰囲気的には女性には入浴しにくそう。私の訪問時も男性ばかりだった。またここでもやはりマナーの悪い客が問題になっている模様。湯原温泉の砂湯などでは湯の中で女性を待ち受ける出歯亀オヤジ(俗にワニとよばれる)が問題となっていたが、こちらでも一見してそれと分かるような輩が見受けられる。それにしても不思議なのは、出歯亀オヤジは明らかに見ただけでそれと分かる卑しい顔つきをしていること。人間40を過ぎたら自分の顔に責任を持てという話があったが、確かに年齢を減るにつれて精神の中身が外観ににじみ出てくるということはあるようだ。中身の卑しいものは往々にして外観にもその卑しさがにじみ出てくる。政治家連中にいかにも浅ましい顔つきが多いのもそういうことだろう。安倍などもいかにも能なしのバカボンぶりが顔立ちに現れている。

 さて湯の方だが、若干の青みを感じる白濁湯であり、泉質は酸性硫黄泉ということになる。少しなめてみると非常に酸っぱいのに驚く。ここまで酸性のキツイ湯はここ以外では草津でしか体験したことがない。かなり強い湯だけに肌当たりもややキツいところがある。ただかなり効果のありそうな湯ではある。

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酸ヶ湯温泉千人風呂(参考画像 出典:酸ヶ湯温泉HP http://www.sukayu.jp/inside/bathing.html)

 湯治の方法があるようだが、私はそこまで本格的なことをする気もないので、両浴槽をザクッと入浴して体を温めたところであがってくる。サッパリとした実に良い湯である。

 酸ヶ湯温泉が秘湯として人気がある理由はよく分かった。確かにあれだけキャラクターの強い湯はあまりない。近くなら通っても良いと思わせるような湯だが、さすがにこの山中ではなかなか来れないだろう。

 風呂上がり後はソフトを頂いてくつろぐ。ここのそばも有名と聞いたが、先ほど萱野高原で山菜そばを食べた直後なのでこれはパス。

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ソフトを頂く

 さて体も温まってサッパリしたが、これからの予定が実はまだキチンと考えていない。とりあえず車に戻って一人作戦会議。やっぱり城郭でも回るしかないが、この近くでの心当たりがない。というか、そもそもこんな八甲田の奥深くに城なんて作っても仕方ないので、この周辺に城などないだろう。城というものは平地を見下ろす山上に築くものであって、こんな山深くに築いても治めるべき土地がない。

 

大仏ヶ鼻城 中世の館跡

 やっぱり弘前周辺にまで行くしかないか。弘前の手前に今は公園化されている大仏ヶ鼻城なる城郭があるとの情報があったのでそこを目指すことにする。

 今度は国道394号を下っていくが、これがなかなかの壮観。狭い日本にもこんなに雄大な光景があるんだなと呆れる次第。

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途中の風景

 大分疲れた頃に大仏公園近くまでやってくるが、そこにたどり着くまでが路地の迷路。ただようやく現地にたどり着くと、そこは駐車場までキチンと完備した普通の公園。

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大仏ヶ鼻城遠景

 大仏ヶ鼻城は、平川沿いの平地の狭隘部に迫り出した山上にある城郭。この地は南の大館からの街道を扼する要地なので、弘前を押さえるとしたら南方の守りに不可欠の立地となっている。そもそもは中世にこの地を治めていた石川氏の館群の一つだったらしい。後に津軽為信の津軽統一の過程で石川氏は滅ぼされたらしい。

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大仏ヶ鼻城

 残念ながら完全に公園整備されているので往時の遺構はほぼ何もないと言ってもよい。ただ地形的に見て、周りから切り立った地形は城郭に相応しいことはよく分かる。背後の山側にはかなり高所があるが、ここは主郭とするには狭いので見張り台というところか。もしかしたら最後のお籠もりのための祠ぐらいはあったかもしれない。恐らく城の主要部は現在公園となっている辺りだろう。辛うじて複数の曲輪があったらしき構造は読み取ることが出来る。

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手前はグランドになっている

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奥に高台がある

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しかし特別な構造はない

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見晴らしは良い

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右手の高台に登ってみる

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最高所には何やら石碑が

 

大鰐温泉に立ち寄る

 大仏ヶ鼻城の見学の後はここから南下して大鰐温泉に立ち寄ることにする。青森には何度か来ているが、今まで大鰐温泉には立ち寄ったことがない。

 大鰐温泉は昭和の温泉街といった風情の街並みである。ここまで来たならやはりどこかで入浴していきたい。大鰐温泉駅の駅前に地域交流センターcomeなる施設があり、これは道の駅と公民館と日帰り温泉を組み合わせたようなものである。ここの入浴施設「鰐の湯」に入浴していくことにする。

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鰐の湯

 大鰐温泉は弱アルカリ泉とのことだが、多分この手の施設だと循環ありだろう。なぜか温泉成分の表記が館内に全くないのが気になるところ。湯自体はきわめておとなしく、ぬるぬる感は特になく、味もかすかな塩味がするだけ。新湯よりは当たりは柔らかいが、これと言った特徴のない湯。やはり先ほど超強力な酸ヶ湯温泉を味わってきただけに、これはあまりに分が悪いと言うべきか。

 温泉で体をほぐすと併設のカフェでケーキセットで一服。それは良いのだが、アイスコーヒーを頼んだら目の前でパックのアイスコーヒーをコップにダバダバというのは・・・。どうも地方のこの手の施設は、こういういかにもやる気の見えない飲食店が少なくないのが困ったもの。

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喫茶で一息

 一服が終わったところで青森に帰ることにする。まだ時間に余裕はかなりあるのだが、もう行くべきところがなくなってしまった。この近くで他に温泉と言えば黒石温泉ぐらいだが、黒石温泉は以前に一度行っている(湯温温泉鶴の名湯)が特に印象に残っていないことからわざわざ再訪するまでもという気があるし、何よりもう温泉疲れをしてしまった。結局は青森に直帰して早々と車を返してしまう。

 

青森の行きつけの飲食店へ

 車を返したところでホテルに入ることにする。ただその前に夕食を先に済ませようかと「おさない」の前を通りかかるがなんと店の前に数人の行列ができている。今までこういう光景の記憶はない。とりあえずトランクを引きずっている状態だし、先にホテルに入ることにする。

 今日の宿泊ホテルはルートイン青森駅前。昨日に続いてルートインの連泊になってしまった。今回の遠征ではルートインの使用が多く、例によっての「困った時のルートイン」である。GWは全体的にホテルの価格相場が上がる上に(ドーミーインなんて軒並み常軌を逸した価格になってしまう)、そもそも宿泊予約を受け付けていないところも増える(団体客などで既に塞がっている)ので、どうしてもルートインの依存度が上がってしまうのである。

 とりあえずチェックインを済ませて部屋に荷物を置いて一息ついてから再び夕食のために町に繰り出す。「おさない」の行列は・・・さらに伸びていた。普段は食事のために行列に並ぶという行動原理のない私だが、今回の遠征では行くつもりだった店をことごとくはずされたということもあるので、「おさない」だけは死守するつもり。

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おさないには行列

 客の回転は比較的速い店なので10分程度で席が空く。私はウニ丼とホタテフライを単品で注文。ただここから料理が出てくるまでが結構長い。

 先にホタテフライの方が出てくる。相変わらずうまいフライだ。醤油を少しかけていただくのがポイント。噛みしめた途端に旨味がにじみ出てくる。

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ホタテフライ

 さらにしばらく待ってからようやくウニ丼が登場。さすがにウニ専門店のものよりは若干劣るが、それでもなかなかのもの。ウニの甘みを感じることが出来る。

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ウニ丼

 ようやく満足のいく夕食を取ったという感じ。満足して店から出てくると、行列はさらに伸びていた。どうなってるんだ? 今回は私が推していた店は悉くだ。みんな私のHPをチェックしている・・・なんてはずはないのは明らかだが、やはりネットなどでの情報なんだろう。よくテレビで芸能人が勧める行きつけの店とかスタッフ一推しの店なんて番組があるが、ああいう番組では絶対に本当の行きつけなどは出さないという。そうでないと野次馬に荒らされてしまうから。私もこれからは一推しはすき家とかロッテリアにでもしておくか(笑)。

 夕食を終えてホテルに戻るとしばしテレビなどを見てマッタリ。小腹がすいてきたところで今回の宿泊プランにおまけでついていたご当地カップラーメンを頂く。煮干し系の出汁がいかにも東北らしいが、それが関西人の私に合うかといえばまた話は別。

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ご当地カップ麺

 小腹を満たしたところで大浴場で入浴。残念ながらここの浴場は温泉ではないが、それでもゆったりとくつろげる風呂はよい。

 風呂からあがると猛烈な疲労が襲ってくる。どうも昨今は体力が低下していて、疲労が溜まりやすい。また昨日と今日の長距離ドライブがかなり効いている。早めに就寝することにする。