徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

関西フィルもザ・シンフォニーで厳戒下の定期演奏会再開

 やや早めに就寝したためか翌日は朝の6時過ぎに自動的に目覚めてしまった。今日は特に急いでいないのでチェックアウト前まで寝ておくつもりだったのだが、残念ながら老化に伴う睡眠力の低下で、昔のように眠り続けるということが出来なくなっている。これが肉体的に疲れ切っている時でもだからツラい。

 朝食を摂りに出ることも考えたが、外出するとなると着替える必要があるし、この最中に新今宮界隈の狭い喫茶店にモーニングを食べに行くのも危険がありそうだし、かといってコンビニ朝食も気が進まないしということで、朝食を食べないまままずは朝風呂で目を覚まし、結局はテレビを見たり持参した番組をファーウェイで確認したり、原稿を書いたりなどで時間をつぶす。

 結局はチェックアウトの10時までグダグダと過ごす。体の調子が良くないが、これは非常に覚えのある肉体的疲労によるものだ。ここ3ヶ月ほど週末の外出が皆無だったせいで、久しぶりに疲労が溜まっている。しかも今回は大阪までのドライブ付きだし。

 ホテルをチェックアウトするとまずは大阪市立美術館を目指すことにする。ここの催しはコロナ休館中に会期になり、急遽終了時期を延ばしたようだ。

 新今宮から天王寺は歩いてもいける距離なのだが、ここを車で行こうとすると一通地獄と右折禁止トラップのせいでカーナビがあるにも関わらず道に迷って大回りすることに。予定よりもかなり時間とガソリンを浪費して天王寺公園の駐車場に到着、車を置くと天王寺公園に出る。さすがに閑散としているというわけではないが、人通りは今までの週末より少ないようだ。

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天王寺公園はやや人が少なめ

 

「フランス絵画の精華-大様式の形成と変容」大阪市立美術館で8/16まで

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久しぶりの大阪市立美術館

 フランス絵画の歴史を17世紀の「大様式」と言われた時代から18世紀のロココを経て、19世紀の新古典、ロマン主義から印象派前夜に至るまでを紹介するとの展覧会。作品はヴェルサイユ宮殿美術館やオルセー美術館、大英博物館、スコットランド・ナショナル・ギャラリーから集結・・・とのことだったが、実際には一番多かったのは東京富士美術館の所蔵品。コロナ騒ぎでの急遽の会期変更なんかがあって、展示内容の変更なども多々あったようである。

 さて作品自体はいずれも一言で言えば「古くさい作品」。しかしながらいずれも美麗な作品である。確かに細かく見ればロココやロマン主義とかで絵画的な変遷はあるのであるが、その次にやって来る印象派が強烈すぎるので、私のような絵画の素人からすると、全部ひっくるめてアカデミズム的な伝統的絵画という範疇で括られてしまうのが本音。一番最後にマネの作品が一点だけ展示されているが、ここまでの流れを見た上でこの作品を見ると、いかにこのような絵画が当時の画壇にとって衝撃的であったろうかが想像でき、「未完成の絵画である」という批判もさもありなんと納得できてしまったりする。

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本展の表題作であるポリニャック公爵夫人

 いずれも上品で美しい絵画であるので、芸術的な強烈なメッセージは感じられないのだが、それだけに万人受けする絵画でもある。例えばブーシェの絵画などは、誰が見ても美しいと好ましく感じるだろう。そういう点でこの時代の絵画は、絵画の依頼主である貴族や金持ちを満足させるための作品であったことが頷けるのである。

 

遅めの朝食にラーメンを摂ってからホールへ移動する

 展覧会を終えた頃には空腹で目が回り始めた。とりあえず移動の前にかなり遅めの朝食を摂っておくことにする。立ち寄ったのは地下にある「古潭」「古潭ラーメン」の醤油味を注文。

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古潭

 オーソドックスなラーメンで味は良い。スープはコク系なので、もしかして味噌ラーメンが本道かという気がする。固めでぱさつき目の焼き豚を超薄切りスライスしてあるのが具の特徴。焼き豚の弱点を補うと共にコスト削減できる両得の方法だ。

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古潭ラーメン

 朝食を終えるとザ・シンフォニーホールまで移動する。それにしても大阪の町は走りにくい。カーナビに従っていても道路の構造がサッパリ分からない。何しろ緑地帯があるので中央分離帯かと思えば側道と本道の境という始末。一通地獄は幹線道路でもだし、うねってる道を走っていたら方向感覚を失う。これが運転に慣れていない初心者のしかもカーナビがなかった頃なら、心細さで泣きたくなるところだろう。

 駐車場はここもタイムズ予約で事前確保してある。ホールから徒歩10分程度の駐車場に車を置くと昼食を摂る店を物色。ついさっき何かを食べた気もするが、あれはあくまで朝食(笑)。やはり昼食は摂っておかないと終演まで体力が持たない。

 

ホール入場前に昼食を摂る

 立ち寄ったのは前から気になっていた「フレンチ洋食YOKOO」。気になってはいたが、日曜が休みの上に土曜は私が来る頃には大抵はランチタイムが終了していたので、今まで入店できなかった店である。店内がコロナ対応で席を減らしているのだろうか、しばし待たされた後に入店。日替わりランチ(980円)を注文しようかと思っていたのだが、本日はハンバーグにエビフライとのことで昨日の夕食と完全に一致してしまうので、「ビフカツランチ(1380円)」を注文することにした。

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YOKOO

 いわゆる最近流行のレアカツ系。あっさりした赤身の肉はオージーだろうか。揚げ方が上手いので柔らかくてなかなかに美味。ランチメニューがなかなかの人気と聞いたが、それも頷けるところではある。

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ビフカツランチ

 

厳戒態勢のホールへ

 昼食を終えるとホールに移動。ホール前はかなり厳戒態勢といったところ。一人一人検温をした上で、チケットは自分でもいで入場、プログラムも手渡しは避けて自分で取る形式。昨日のフェスティバルホールよりもさらに厳戒態勢の印象。中も喫茶は閉鎖しているし、トイレも要警戒体制となっていた。マスクにフェイスマスクで完全防備の係員にもこころなしか緊張感が溢れている。

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ホール前は厳戒態勢

 ステージには椅子が配置してあるが、コロナ対策の閑散配置。今回の関西フィルは編成を大幅縮小しての6編成の模様。関西チェンバーフィルである。曲目もそれに合わせてモーツァルトとシューベルトに変更。さすがにチェンバーでブラームスはしんどいだろう。ただステージの広さを見れば10編成ぐらいまでは載せられる様にも感じるのだが、これ以上拡大すると指揮者の統制が効かなくて音がばらける危険があるというところだろうか。まあ指揮者の鈴木優人氏は古楽なんかも振る人だから、この規模のオケには慣れてるだろう。

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コロナ対策の閑散配置

 館内はお約束通り一席おきの配置。大阪フィルは先着順で席を割り振ったが、関西フィルは事前に会員に連絡を取り、来場希望者と連絡がつかなっかった者に対して問答無用で新しい座席券を送付している。ということは、座席を取ってはいるものの来場しない客も一定数いるだろう。

 

関西フィルハーモニー管弦楽団第311回定期演奏会

[指揮]鈴木優人
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 序曲 K.527
モーツァルト:交響曲第 29番 イ長調 K.201
シューベルト:交響曲第 5番 変ロ長調 D485

 最初のドン・ジョヴァンニは6編成の弦に2管を組み合わせたせいか、バランス的に管が強すぎて、全体的にガチャガチャと喧しい演奏になった印象がある。普段は12編成に3管というところなので、この編成では管が多すぎるだろう。弦がかき消されてしまって聞こえてこなかった感が強い。

 2曲目は管をオーボエとホルンだけに減量しての交響曲。10代のモーツァルトが作曲した非常に清々しい曲であるが、その曲を鈴木はかなり明快で快活に演奏する。関西フィルの演奏にもやや力を感じる。

 最後もやはりシューベルト10代の曲。構えすぎない非常にエレガントでユーモアも感じられるような曲想である。鈴木の演奏は基本的には非常に軽快である。今日の関西フィルの弦は、いつものしっとりした雰囲気ではなく軽やかさが感じられ、それがこの曲の雰囲気とマッチしている。配置の関係か、ややアンサンブルが甘めに感じられる曲面がないわけでもなかったが、概ね問題のないなかなか気持ちの良い演奏であった。

 特殊な環境での演奏となったが、そのような逆境にめげない元気な演奏であった。ホール内に定員の半分ほどの観客(ほとんどすべてが定期会員と思われる)も大きな拍手で応えていた。昨日の大フィルと同じく、演奏する側も聞く側も音楽を出来るうれしさを一身に感じているようであった。

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場内には結構な観客が

 なお来月に関して事務局から連絡があったが、編成に関しては今回よりは大きくするという(確かにザ・シンフォニーホールのステージもまだ余裕があった)が、今年の目玉の一つだった「仏陀」は残念ながら断念とのこと。曲はシベリウスのヴァイオリン協奏曲と「オー人事」ことチャイコの弦楽セレナーデになる模様。ところでここのところ、オケの編成が小さくなったためか「オー人事」がいきなり多演曲に踊り出している。各オケがこぞってこの曲を演奏しているようだ。

 

最後にドライブの友を紹介します

 コンサートを終えると家路につくのだが、さすがに久々の遠征で疲労が溜まっている。高速を突っ走っていても気をつけないと意識が飛びそうになる。こういう時には音楽で気合いを入れるに限る。選曲は・・・兄貴の燃えるアニソン集でも良いんだが、今回は少し変化を付けてAngelaのアルバム「宝箱-TREASURE BOX」を。

 

 このアルバムの中でも私が特に好きなのは名作アニメ「宇宙のステルヴィア」のテーマソングだった「明日へのbrilliant road」。かなり古い作品になりますが、あの作品はさりげに私的には評価の高い作品で、宇宙が舞台では有るものの、その中身は一途で前向きなヒロインが純粋な少年と一途に愛を育んでいく前向きストーリーで、非常に安心してみていられる内容だった(一話だけ暗黒変した回があるが)のが記憶に残っている。ヒロインのけなげさを象徴しているようなこの曲は未だに私の人生の応援歌でもある。

 後は「Shangri-La」伝説の鬱アニメ「蒼穹のファフナー」のテーマである。作品と全くリンクしないただのポップスがアニソンになることが多かった中で、この作品は内容を聞いていると、まさにこの作品の登場人物たちのことを語っているのだと言うことが分かるという、今時(と言うにはもうかなり古いが)珍しいぐらいド直球のアニソンでもある。もの悲しさを秘めたこの曲の曲調を聞いていると、あの鬱アニメを思い出して首を吊りたくなる(笑)のだが、やはり好きな曲である。今まで様々な横槍でことごとくつぶされてきた自分の人生の可能性を振り返ってしまって、今の人生が空しくなった時のやはり人生の応援歌。

 最後は「gravitation」。超鬱アニメ「蒼穹のファフナー」の製作で製作スタッフまで病みそうになってしまって、その精神の平衡を取り戻すために製作したとも言われている作品「ヒロイックエイジ」のテーマ曲。とにかく主人公がひたすら無双。時空から因果律まで根性でねじ曲げてしまうぐらいの次元を越えた無双。しかも野生児と言うことから「宇宙版未来少年コナン」と私は個人的に呼んでいる(笑)。結局最後まで誰も死なないという豪快なまでに爽快な話で、上の噂も信憑性があると思える作品。で、この主題歌の方もコーラスまで加わった豪快にして派手派手の曲。そのシッチャカメッチャカさが気に入っていて、私自身「Shangri-La」に同調しすぎて首吊りたくなった時の生き返り曲として愛聴している(笑)。

 これらの曲を高速道路を良いことにガンガン鳴らしながら突っ走って帰宅してきたのである(外部には低音だけが漏れてるだろうから、かなりガラの悪い車に見えただろうな)。ちなみに防音壁が両側にそそり立ち道幅も非常に狭い阪神高速は、いつも走る度にスターウォーズ第一作クライマックスの、デススター破壊のために溝の中をXウィングで攻撃をかけるシーンを連想する。おかげで後からダースベイダーに迫られている気がしてならない。とにかく疲れる行程ではあったが無事に帰り着いたのである。

 

再開された大フィルのコンサートのために万全の態勢で大阪へ

コロナに厳戒の上で大阪に出向くことに

 コロナの流行が一段落した(ということになって)、不安全開のままとりあえず経済活動が動き出した。となったところでいよいよオーケストラの活動もおっかなびっくりで再開の模様である。とりあえずこの週末、大フィルと関西フィルから規模縮小の上で定期公演を開催するとの連絡が入ってきた。さてどうするかが問題だが、再開されるとならやはり行ってみたいというのが人情である。この週末に大阪に繰り出すこととした。

 とは言うものの、まだまだ大阪は危険地域である。やはり万全の対策を取っておくべきだろう。危険ファクターは何かを考えた時に、やはり圧倒的に危険度が高いのは移動の列車である(にもかかわらず、なぜか政府は通勤電車では感染しないという謎設定を死守しているが)。そこで大阪訪問では極めて異例であるが、全行程を車で移動することにした。またマスクを装着するのは当然として、消毒液のスプレーおよび殺菌用ウェットティッシュも用意している。

 さて車で移動となると費用のことを置いておいても、駐車場の確保が問題となる。そこで私はフェスティバルホール友の会特典を利用して、ホール近くの駐車場を予約することにした。会員特典で3時間1000円で近隣の契約駐車場が利用可能。この特典を使用するのは初めてである。まさかフェスティバルホールに車で行く事態などないと思っていたから、こんな特典なんてまず使うことはないと考えていたのだが・・・。まあとにかく会費の元が少しでも取れたと考えよう。

 金曜日の仕事を終えると高速を大阪まで突っ走る。電車通勤を自動車通勤に切り替えた者が多くいるというが、そのせいか夕方の阪神高速は渋滞でとにかく走りにくい。こうなるのを想定して今日は早めに仕事を切り上げていて正解だった。とりあえず駐車場は6時から借りているのだが、現地に予定よりやや早めに到着したので、途中の道路脇に車を止めてこの原稿を車中で入力している(笑)。車窓の外にはオフィスから帰宅するらしきビジネスマンがゾロゾロ歩ているのが見える。総理は「国会やってたらいろいろと突かれたくないところを突かれるから嫌」とさっさと国会を閉じて逃げ出したが、この状況下でもビジネス戦士は命がけで使命を果たしているわけである。その内に時間が来たので駐車場に車を入れる。

 車を置くととりあえずホールへ向かう。座席は早い者順で指定の座席に切り替えだという。だからやや早めに出てきた次第。私が当たったのは番号から見るとホールのやや端の方だが、まずまずの席である。早めに来たのが正解。

 

夕食を摂ってから厳戒態勢のホールへ

 座席を確保するととりあえず夕食を摂っておくことにする。立ち寄ったのは数ヶ月ぶりの「キッチンジロー」ハンバーグとエビフライのランチで1000円。特別に美味いというほどのものではないが、CPは良い。私の場合はここにフェスティバルホール友の会特典でコーラがつく。ソーシャルディスタンスを保った席でとりあえず夕食。

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地下のキッチンジロー

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ハンバーグとエビフライのランチ

 夕食を終えるとホールへ入場。ホール係員は全員マスクにフェイスガードに手袋という重装備。入場ゲート奥ではサーモグライフィらしき装置が控えて観客を監視している。発熱している観客がいれば、ここで捕獲退場となるのだろう。時間ギリギリに汗かきながら走ってきたらアウトになりそうである。

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公演にあたっての注意事項

 ステージは拡張用ステージも用いて、そこにオケを閑散配置している。さすがにフェスティバルホールのステージは広いのが幸いして、弦五部はほぼフル編成が乗っている。ただし管楽器は少なめ。曲目をベートーヴェンに切り替えたのは、管楽陣を縮小するためだろうか。確かに一番飛沫が飛ぶのは管楽器だろうし。ちなみに弦楽奏者及びティンパニはマスク着用。

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広いステージに閑散配置

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第539回定期演奏会

指揮/大植英次

曲目/ベートーヴェン/交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
   ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」

 バーンスタインプログラムからベートーヴェンのオーソドックスな交響曲に変更。4番は12編成で、5番は拡大して14編成で演奏した。

 ベートーヴェンのこれらの交響曲については、ピリオドアプローチなども最近は流行であるが、大植のアプローチは当然のように現代アプローチ。かなり派手気味の演奏となった。

 大フィル自身が元々精緻なアンサンブルを誇るというタイプのオケではないが、今回はアンサンブルを取りにくい閑散配置もあってか、そっちの方はやや雑とも取れるような部分もあった。しかしその代わりにとんでもないパワーでノリノリの演奏。大植が抑制をかけずに勢いで突っ走るタイプなので、それにオケが乗っかった雰囲気が濃厚。

 第4番はいかにも楽しげな印象。オケも大植も演奏をできる嬉しさに満ちたかのような生き生きとした演奏である。少々雑になろうが、お構いなしでとにかく元気元気である。生命感に満ち満ちている。

 第5番は最初からかなり気合の入った演奏だったが、一番凄まじかったのが最終楽章。一切の抑制をかけずに暴走寸前の演奏。音が割れようなアンサンブルが怪しくなろうがそんな些事には構わないと言わんばかりの怒涛の音楽である。とにかく演奏の巧拙などという次元を超えた感情がさく裂した演奏であった。

 久々のフルオーケストラの熱演を堪能した観客は、爆発的な盛り上がりを見せた。感染予防の観点でブラボーなどの声出しは禁止されていたが、場内に観客が半数も入っていないと思えないほどに熱烈な拍手が。最後には引き上げようとした大植を引き留めるかのように大勢が立ち上がっての熱烈な拍手に、大植も感極まったらしい様子を見せる一場面も。


 まだまだとても今後を楽観視できる状況ではないが、これから正常化に向かって進んでいけばありがたいところである(・・・が多分無理だろうという予感はしている)。今後も紆余曲折はあるだろうが音楽の力を信じたい。

 なおプログラムに来月の公演のことが載っているが、やはりスダーンは来日不可で、飯守泰次郎が代演の模様である。プログラムはそのままらしいので、どうやらブルックナーをするつもりのようだ。ということは、次回はここからさらに金管を大幅増員するということか。まあフェスティバルホールのステージはかなり広いので、まだ増員できるスペースはあったように思うが。

 

宿泊した新今宮はいつにもなく閑散としていた

 コンサートを終えると駐車場に車を取りに行く。明日は関西フィルのコンサートがあるので、今日は大阪で一泊するつもり。宿泊は例によって新今宮であるが、さすがに時世柄風呂トイレ共用には抵抗があるので、今回は風呂トイレが個別にあるというこの界隈では最高級クラスになるホテル中央オアシス(と言っても宿泊料は4~5000円程度なのだが)に宿泊することにしている。ちなみに駐車場も併せて確保済み。

 中之島から新今宮までは20分程度御堂筋線を南下。時間が遅いせいか車はそう多いというほどではない。久しぶりの新今宮は今まで見たことがないほど閑散としている。まずはこの界隈を大勢うろついていた海外からのバックパッカーが壊滅状況だが、それだけでなく日本人も極端に少ない。いつもは外国人宿泊客でにぎわっているオアシスも、客の姿をほとんど見ない。部屋に荷物を置いてから買い物に出たが、向こうに見えるジャンジャン横丁は今まで見たことがないぐらい閑散としている。この界隈に多いカラオケスナックは三密対策で戸を開けているせいか、街路にカラオケの音がかなりうるさく漏れている。

 ホテルに戻ると長距離運転のせいもあってかなり疲れが出てきたので、早めに就寝することにする。

 

山響ライブ第2弾は絶品の田園

 本来はこの週末は山響は大阪と東京で遠征公演だったはずなのだが、それが今回の騒ぎで飛んでしまったことから、カーテンコールで無観客公演を生ライブ配信することになったとのこと。私はそれを視聴した。

curtaincall.media

山響ライブ第2弾(20.6.21やまぎん県民ホールより無観客ライブ配信)

[指揮]阪 哲朗・村川千秋
[ピアノ]三輪 郁
・村川千秋編:山形県民謡「最上川舟唄」 
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調「田園」Op.68

 広めのステージにソーシャルディスタンスを意識してやや広めの間隔を開けての楽団員配置。もっとも今までの他のオケの配置に比べるとやや間隔は狭め。編成の小さい山響ということもあって全員が問題なくステージ上に乗っている。

 最初は村川千秋氏による情緒タップリの最上川舟唄。和風のメロディが思いの外オケの音色とマッチする。実に情感に溢れる演奏である。

 ベートーベンのピアノ協奏曲第1番は三輪のピアノは非常に粒立つの良いエレガントな演奏。過剰な表現はない流麗で美しいものであるが、それにも関わらず何やら心の琴線に触れるようなところがある。それに合わせて山響もなかなかに端正な演奏をする。そもそもベートーヴェンでも初期の曲であるから、過度な表現はないはずの曲なのだが、第二楽章などはややメランコリックに聞こえるところがある。この美しさは絶品。そして最終楽章はモーツァルト的(ただしのモーツァルトよりは感情が深い)な軽妙で動きの速い曲想。三輪のピアノはここを軽快に弾きこなすが、バックの山響については所々ややゴチャゴチャして聞こえる部分もあり。ただし情緒はタップリありの演奏。

 休憩後は田園。阪氏らしい抑制が効いているが爽やかな演奏。山響の音色もあって第一楽章、第二楽章などは眼前に田園風景が広がるような感がある。第三楽章についてはいささか品の良い村祭りという印象か。その後は怒濤の嵐だが、表現自体には過剰なものはない。そこから晴れ間の見える最終楽章への盛り上がりが見事。山響は金管に古楽器を用いているので、その出しゃばらない音色がバランス良い抑えめの表現につながっている。本来のベートーヴェンってこうだったんだよなと思わせるところがある。私にとっては退屈に聞こえがちのこの曲を、これだけ魅力的に表現できたのは見事。


 今回は新装なったやまぎん県民ホールからの中継だったようであるが、実に見事なホールで響きもなかなか良いようである。今後、山響がここを本拠として活動するとなると、これからに大いに期待したいところ。私としてもいずれはこのホールで是非とも山響のライブを聴いてみたいところである。

 

ノット、スイスロマンド管による超斬新配置による第九

 ちょうどさっき、佐渡がPACのテスト公演で「大規模な曲は当分普通のようには出来ない」と言っていて、その中で兵庫芸文のオペラ用の反響板を取っ払ってサブ舞台も使用しての大編成オケの演奏という奇策を掲げていた。しかし年末の第九なんかもまず不可能と思われる中で、スイスロマンド管が超斬新な配置によって奏者のソーシャルディスタンスを解決して第九の演奏を実行するということを行ったようである。無観客ライブの模様を収録している。

www.rts.ch

 なんとシューボックス型のホール(ジュネーブのビクトリアホールらしい)の真ん中に設置した特設ステージ(ステージがLPのデザインになっているのが洒落ている)上に指揮者のノットが立って、ここで360度に向かって指揮、奏者はステージだけでなくホール中に散らばっての演奏という極めて大胆な配置。これは度肝を抜かれた。ただ指揮者からの距離は先ほどのPAC公演の比ではないので、ノットも奏者から見えやすいようにかなり大きな身振りの指揮をしており、これは体力の消耗は通常の倍以上ありそう。どう考えても若くてパワー溢れる指揮者でないと不可能だろう(日本の秋山御大なんかが真似したら演奏中に死にそう)。それにいくら身振りが大きくても、下野のような小柄の指揮者だったらやっぱり見えなそう。

 

 それにしてもこんな一見滅茶苦茶な配置でもしっかりとした演奏になっているのはさすが。元々パワフルなノットの指揮が通常の3倍ぐらいのパワフルさになっているから、それが楽団員にも乗り移っているのか、荒々しいまでにパワー溢れる演奏である。そう言えばノットがスイスロマンドを引き連れて来日した時も荒々しいぐらいにパワフルな演奏だったのが記憶に残っている。あの演奏については「雑すぎる」という批判もあったが、私はノットのノリノリぶりと漲るパワーに魅了されて、2019年度のベスト3位にその演奏を挙げている。

 正直なところその時の熱演を彷彿とさせるようなパワー溢れる熱演である。相変わらず演奏のキレはなかなかであり、一言で言えばキレキレのノリノリ。もっともさすがにこの状況ではノットもオケを完璧にコントロールするのは困難であろうから、細かいテンポ設定なんかは結構勢いで行っているような雰囲気も覗えたが(細かいところを挙げたらかなり危ない場面もあった)、ノットとオケのツーカーの関係があってこそ成立するものだろう。なお第4楽章になったらどこかから急に湧いて出てきた合唱団が二階席に出現していることから、第3楽章と第4楽章の間は編集があったと思われる(もしかしたらノットも給水ぐらいはしたかも)。

 ところでマイクはどこにセッティングしたんだろう? 当然ながらステレオ感は滅茶苦茶のはずなんだが、PCシステムで聞いていて意外にその不自然さは感じなかった。定位が不明であちこちから聞こえてくるコーラスは、図らずして天上の音楽めいて聞こえてくる効果があった。さすがにホールの各所にこれだけ分散したら、音速による微妙な時差(音速はたかだか秒速340メートルに過ぎないので、34メートルで0.1秒も時差が生じてしまうので音色が濁る)も無視できなくなりそうな気もするんだが。

 それにしても絢爛豪華なビクトリアホールのグルリに展開したオケとコーラスによる大スペクタクルは、映像的な見世物としてもなかなかの出来だった。この試みは映像あってこそ価値を持ちそうである。

 小規模のオケとツーカーの関係の指揮者と考えると、パーヴォとドイツカンマーの組み合わせで公演なんかしたら配置の無理も最小限に出来て、まずまずの演奏が出来るような気がする。検討してくれないかな? どうせこの秋の来日は無理だろうし。

 

PACの実験的ライブ配信を聞いてみた

 PACがコンサートの再開に向けて実験としてソーシャルディスタンスを保っての編成で行った演奏の模様をYouTubeで生配信したとのこと。ただし配信は6/19の15:00からだったのでその時間は私は仕事中。と言うわけで幸いにしてライブ終了後もまだしばらくYouTubeで見られるようなので、今日になってそれを見てみた。

 前半は佐渡裕と下野竜也によるディスカッション。その後にベートーヴェンの小曲3曲をテスト的演奏になる。


オーケストラ公演の再開に向けて~ディスカッションとデモ演奏~

オーケストラ公演の再開に向けて~ディスカッションとデモ演奏~(PAC)

指揮:佐渡 裕 下野竜也
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

ベートーヴェン:バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲 op.43(指揮:下野竜也)
ベートーヴェン:ロマンス 第2番 ヘ長調 op.50 (指揮:下野竜也、ヴァイオリン独奏:豊嶋泰嗣)
ベートーヴェン:「コリオラン」序曲 op.62 (指揮:佐渡 裕)

 演奏終了後に佐渡が各奏者に感想を聞いていたが、そこでやはり「回りの奏者の音が聞こえない」とか「近くの奏者の息づかいが分からない」というようなコメントが出ていたが、やはりそれが一番の問題のようである。実際にどうしてもアンサンブルが一枚甘くなっているのは明らかであった。PACのように奏者が歴戦の強者ではないオケではその影響は特に甚大だろう。さらに佐渡、下野の両者ともに気にしていたのはやはりプログラムが限定されてしまうこと。この調子でいけばマーラー、ブルックナーなどは当分の間は到底演奏不可能であろうし(どころかブラームスでさえ演奏不可能として関西フィルではプログラム変更がなされた)。しばし曲目はモーツァルトやベートーヴェン辺りが中心とならざるを得ないだろう(ただそれさえも第九は不可)。そういう厳しい状況をひしひしと感じさせられるものであった。

 さらには指揮者からの距離も遠くなることから、下野、佐渡の両者ともに、なるべく身振りの大きくて明快な「分かりやすい」指揮を心がけていたように思われた。しかしこうなるとどうしても細かなニュアンスを指揮で伝えるというのが難しくなる。結果として一本調子の演奏になる危険性も強い。

 つまりはどうやっても「万全な」コンサートを開催できるのはまだまだ遠いということである。その中での奏者達の最大限の格闘ぶりが伝わってきたのである。

 

 なおさらにベルリンフィルデジタルコンサートホールでのペトレンコ・ライブも試聴した。こちらもソーシャルディスタンスを確保するための小編成コンサートで、さらには木管奏者と弦楽奏者がバラバラにコンサートを実行した以前の「山響方式」。

ベルリンフィル ペトレンコ・ライブ(20.6.13)

指揮:キリル・ペトレンコ

モーツァルト セレナード第10番変ロ長調《グラン・パルティータ》
ドヴォルザーク 弦楽のためのセレナード ホ長調

 前半はモーツァルトの管楽器のための大曲。さすがにモーツァルトらしい響きを持っているが、管楽器用の曲と言うことで一ひねりある。さすがにベルリンフィルは名奏者揃いなので、それを味のある演奏で聴かせてくれる。

 後半は弦楽陣が困難な閑散配置の中で見事なアンサンブルを聴かせる。この辺りは先ほどのPACよりも奏者間隔がやや近いというのもあるが、やはり名人揃いのベルリンフィルならではである。そして演奏側に揺らぎがないので、ペトレンコも遺憾なく自分の解釈を発揮することが出来る。おかげで音楽に深みがあり、絶品の弦楽セレナードである。弦の音色の美しさにしばしうっとりと言うところ。こういうようなのを月並みな表現であるが「極上シルクのような肌触り」とでも言うんだろうか。

 まあさすがにベルリンフィルである。個々の奏者の技倆は世界でもトップレベルである。悪条件をものともしない演奏には感心するのみ。


 それにしてもいつになれば「本来の形」のコンサートが開催可能になるのだろうか。佐渡が「ワクチンが開発されたら」というようなことを言っていたが、そうなってしまう可能性は実際に高いような気がする。そうなると今年いっぱいどころか来年度もまともな形でのコンサートは難しいだろう。つくづく忍耐の時である。

 なお10月に開催予定であったロンドン交響楽団のコンサートが中止との旨が京都コンサートホールから連絡されてきた。併せて佐渡によるバーンスタイン企画も中止のようである。合唱も含んだ大規模曲を予定していたので、現状から見てとても実行不可能と判断されたのだろう。これで京都コンサートホールが企画していたBIG3は全滅と言うことになる。おかげでまた郵便局に特定記録郵便を出しに行く羽目になってしまった。悲しい次第。それにしてもいよいよこの秋の来日オケ公演も壊滅状況が見えてきた。軒並みチケット発売が延期になっているが、今後劇的な状況の改善でもない限り、延期のまま中止の公算が大きいだろう。その中でパリ管やウィーンフィルなどはもうチケットを販売しているのだが、これは払い戻しも織り込み済みでか? しかしこれだけ厳しい状況が続けば、興行元が倒産してチケットが不良債権にという最悪の状況の可能性も出てきている。

 

ロンドン交響楽団のメンデルスゾーンをYouTubeで楽しむ

 今回はロンドン交響楽団がYouTubeで定期的に配信している過去の演奏でガーディナー指揮のメンデルスゾーンの交響曲第1番(比較的演奏機会は少ない)と「真夏の夜の夢」(寸劇付き)を鑑賞した。

lso.co.uk

ロンドン交響楽団演奏会(2016.2.16)

指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー

メンデルスゾーン 交響曲第1番
         劇音楽「真夏の夜の夢」

 まずは交響曲第1番であるが、この曲はメンデルスゾーンの初期作品(15歳の時の作品と言うから、恐るべき早熟ぶりだ)で、曲想的には古典色がかなり強い曲である。しかしガーディナーはこれを目一杯ロマンティックに演奏してきた。こういう演奏をすると、今まであまり感じなかった後期交響曲やこの後の「真夏の夜の夢」などにつながるメンデルスゾーン特有のメンデルスゾーン節とでも言うべき節回しが浮上してくる。今までは「所詮若書きの作品」というような見方をしていたこの作品が、どうしてどうしてなかなかに面白いことが分かってくる。

 さて後半は寸劇を交えての真夏の夜の夢。こういう場合には軽く面白楽しく演奏するのがお約束というものだが、それにしてはややガーディナーの演奏はお堅く聞こえる。交響曲第1番の時のようにタップリロマンティックではあるのだが、やや愛嬌にかける生真面目な音楽に聞こえる。通常の音楽コンサートならこれで良いのだが、こういう型式ではもう少し茶目っ気があっても良いような印象。

 

 それにしても各オケとも、まともにコンサートが開催できない状態の中で模索中である。たっぷり休演するだけの余裕のあるリッチなオケは大丈夫だが、財政的に苦しいオケはそろそろ限界に来つつあるようである。既に関西では日本センチュリーが今週末、関西フィルと大フィルが来週末に編成を大幅に縮小した型式でコンサートを実施する予定のようである(日本センチュリーはハイドンシリーズなので最初から小編成)。今後、徐々に通常通りのコンサート開催に向けての模索が始まるのだろうが、コロナが消滅したわけでもなく、ワクチンもまだ開発されていない状況ではそれも難しかろう。まして東京のようにコロナ沈静化どころか明らかに第一波が終息していないうちにシームレスで第二波につながりそうな地域は余計に難しいと思われる。また普通にコンサートを聴きに行ける日が来るのを祈るばかりである。

 

カーテンコールで聞く朝比奈/大フィルのブルックナーはなかなかの名演

 先々週から土曜日ごとに公開されている朝比奈隆指揮大フィルの過去の名演集の今回は第3弾。以前より「朝比奈と言えばブルックナー」と言われる定評のあるブルックナーの交響曲第8番である。

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朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調(ハース版)(2001.7.7収録)

 朝比奈のブルックナーについては定評があるという話は聞いていたが、実際にこうして演奏を聞いてみて納得した。朝比奈/大フィルの演奏はゴリゴリとして泥臭いところがあるのであるが、それがブルックナーの音楽自体が持つ泥臭さと見事にマッチしている。

 ゴリゴリした演奏は、ブルックナーの交響曲の場合にはかえって絶妙な味付けになっている。実のところブルックナーはあまりに流麗に演奏しすぎるといささか眠くなるようなところがあるのだが、それが適度な「眠気覚まし」になるのである。特にブルックナーの一番の魅力とも言われながらも実は一番観客を眠りに誘ってしまう「落としどころ」でもあるアダージョなんかで効果絶大である。

 またやや荒っぽい感じがあるこの時期の大フィルの金管も、そもそも金管バリバリのブルックナーになると、これが荒っぽさでなくてパワーにつながるというところがある。とにかく万事に渡って相性の良さを感じる。

 重厚という感じではないが、躍動感があって生命感のある演奏である。そのために私のようなブルックナーファンではない(と言うか、本音を言うとブルックナーはむしろ苦手)という者にとって非常に聞きやすく、聞いていて楽しめるという演奏である。


 なるほど、評判というのは単なる伊達ではなかったんだなということを認識した今回。もっともこの手の演奏は好みが分かれるが、やはり頭から酷評する者がいたとしても不思議ではない。結局は趣味の世界とは究極的には好き嫌いという話に尽きるのだから。

 なお6/21にカーテンコールで山響ライブ配信の第2弾があるとのことなので、コンサートに行きたくても行けない状況にウズウズしている方にお勧めする。

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カーテンコールで山形交響楽団ライブ配信を聴く

 本日の7時からカーテンコールで山形交響楽団のライブ配信があったのでそれを聞いた。ちなみにカーテンコールは今まで音量が極端に小さすぎたり、マイクのセッティングに難があったり、映像がぎこちなかったり、配信自体が不安定だったりなどの問題があったのだが、今回はカメラの台数も増やして質も向上させたようであり、カメラワークについては大幅な改善が見られた。またマイクのセッティングなども検討したのか音質面にも向上が見られている。今回を見る限りでは例えばNHKクラシック音楽館や読響シンフォニックライブなどと比較した時に違和感や見劣りがあると言うものではなかった。

 ただ未解決の問題は配信の不安定さ。時々細かく音声が途切れることがあったが、さすがにオリンピックファンファーレのクライマックスで中継が途切れて矢印がクルクルと数分間回りっぱなしになったのには、もう見るのをやめようかと感じたぐらい。放送が再開されたのは次の曲が始まってからだった。

 なお前回山形交響楽団がライブ配信した時も指揮者は阪哲朗氏だった。これで阪氏はライブ配信の達人になったか?(笑) なお今回は未だにソーシャルディスタンスが言われている時期であり、小編成の山形交響楽団といえどもフル編成でステージに乗るのは厳しいのか、それを逆手にとって金管と木管と弦楽陣をそれぞれ分けて演奏するという奇策に出た。いつものオケとは違った趣向で、いつもは取り上げないような曲を演奏するという試みである。

 ちなみに今回の配信は6/13に山形テルサで行われるはずだった第286回定期演奏会の変形。阪氏の指揮でシェエラザードが演奏されるはずだった。なおこれと同じプログラムで大阪及び東京でも公演がある予定だったが、それはかなり早い時点で中止となっている(私も大阪公演に行く予定だったんだが・・・)

 

山形交響楽団ライブ配信

指揮:阪 哲朗・村川千秋

〈金管&打楽器ステージ〉
・J.ウィリアムズ:オリンピック・ファンファーレ 
・ブルックナー:正しき者の唇は知恵を語る WAB 30
・H.リンドバーガー編:セルからモースへの結婚行進曲
・H.リンドバーガー編:悪魔のギャロップ

〈木管ステージ〉
・R.シュトラウス:セレナード 変ホ長調 Op. 7

〈弦楽ステージ〉
・チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調 Op. 48  
・シベリウス:アンダンテ・フェスティーヴォ JS 34b 

 

 金管ステージ(山形交響楽団ブラスバンド)の演奏は華々しいオリンピック・ファンファーレで始まる。全体的に元気があり力強い演奏である。ややしっとりとしたブルックナーの珍しい曲を間に挟んで、最後は再び華々しい曲で締めている。

 木管ステージはR.シュトラウスの実にチャーミングな小品。それを山響の木管陣がしっとりしたアンサンブルで聞かせた。

 弦楽ステージ一曲目はチャイコの有名な「オー人事」こと弦楽セレナード。この曲の冒頭は今までは悲しげな曲に感じていたのだが、本公演ではメンバーの心情を反映してか、美しくて明るい曲となっていた。最後までしっとりと美しく聞かせる。最終楽章などはその軽快さも良し。

 二曲目は山形交響楽団の創立名誉指揮者で御年87才の村川千秋氏が指揮棒を握ってのアンダンテ・フェスティーヴォ。しかしこれが度肝を抜かれた。山響の弦楽陣の音色が一変してさらに深く染み渡るものになったからだ。これはやはりオケと指揮者の特別な関係を反映してのものなのだろうか。久しぶりに魂を揺さぶられる演奏であった。

 

 コロナの異常事態を受けてのライブ禁断症状が出ている観客を癒やすかのような見事な演奏。今後もこのような試みは行って欲しいところだが、実のところはそれよりも早く普通にホールで音楽が聴ける事態が訪れることの方を強く祈るところである。

 

6/14追加 山響ライブ第2弾が配信

 6/21PM3時から山響ライブの第2弾配信がカーテンコールであるもようです。

[指揮]阪 哲朗・村川千秋
[ピアノ]三輪 郁
・村川千秋編:山形県民謡「最上川舟唄」 
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 Op.15
・ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調「田園」Op.68

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朝比奈隆指揮大フィルの「英雄」をカーテンコールで

 今日はカーテンコールで公開されている朝比奈指揮大フィルのアーカイブの第二弾である。前回はシューベルトとチャイコフスキーだったが、今回はワーグナーとベートーヴェン。

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朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(1997.10.26収録)
ベートーヴェン/交響曲 第3番 変ホ長調「英雄」(2000.7.8収録)

 最初のワーグナーは全体的にやや音色が薄いのが気になるところ。弦楽器が錯綜していく重層感が今ひとつ感じられないし、ワーグナーにとって重要である金管楽器に今ひとつ冴えが感じられず、全体的に音色に厚みがない。

 二曲目の英雄は、前回にチャイコフスキー交響曲第5番で感じた、ゴリゴリとした印象がここでも現れている。これはやはり朝比奈隆の芸風と考えるべきなのだろうか。ゴリゴリとして淡々とした印象の演奏である。最近のこの曲の演奏はもっと滑らかにロマンティックに表現するタイプが多いように感じるが、朝比奈の比較的淡々とした表現は、この曲の持つ古典性の方をクローズアップしているようである。少々荒っぽいぐらい感じられるパワーはこの時期の大フィルの持ち味なんだろう。いわゆる洗練とは対極にあるかなり泥臭い演奏に感じられる。

 第二楽章の葬送行進曲にしても、演奏が終始かなり力強いために葬送という雰囲気とはやや異なる。重々しくはあるが、華々しくさえ聞こえる。やはり常に「溺れない」演奏である。結局はそのままドッシリ、ゴリゴリでラストまでという印象。最終楽章はいささかドッシリしすぎて私にはやや退屈。

 やはり今時の演奏とは雰囲気の違う、大時代的な巨匠演奏というところか。良くも悪くも個性のある演奏である。楽団員が総引き上げした後も観客の8割方が拍手をやめず、最終的には朝比奈の一般参賀まであったのは驚いた。


 なおカーテンコールでは6/13のPM7時より山形交響楽団の無観客ライブの配信が行われる模様。ソーシャルディスタンスのせいでステージ上にメンバー全員が並べないことから、金管セクションの演奏、木管セクションの演奏、弦楽セクションの演奏と分けてライブ配信する模様。

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来日中止になったフランス放送フィルの演奏をYouTubeで聴く

関西フィル及び大フィルが6月定期を開催する模様

 そろそろ国内オケが三密対策を行った上でコンサートを再開するところが出てくる模様。大阪フィルの6/26,27の定期、関西フィルの6/27の定期が開催されるとのアナウンスが入ってきた。関西で口火を切るのはセンチュリーの6/20のハイドンマラソンのようであるが、私はハイドンにはあまり興味がないのでこれはパスである。

 とは言うものの、観客席のみならずステージの方でも三密対策を行うために、12編成や14編成の大編成は不可能とのこと。ザ・シンフォニーホールで開催される関西フィルの定期については、ステージの広さから6編成が限界とのことで、当初予定のブラームスはとてもこの編成では不可能であることから、プログラムをモーツァルトの交響曲第29番とシューベルトの交響曲第5番に変更して開催とのことで、この変則開催に納得できない場合には返金するとの連絡があった。指揮者はそのまま鈴木優人とのこと。元々室内オケなんかも振る人のはずだから問題ないだろう。

 また座席の方も従来の詰め詰めでは不可のため、座席変更になるようだ(向こうが一方的に割り当てる)。ザ・シンフォニーホールで許されている定員は700名ほどとのことだから、半分しか入れられないことになる。恐らく定期会員でほぼ一杯になるだろう。そのためにチケット販売は現在一時停止されているようだ。

 

大フィルは大植のベートーヴェン

 一方の大フィルの方はフェスティバルホール開催なので、ザ・シンフォニーホールよりはステージは広いだろうが、それでも14編成は当然不可能。そう思っていたら、大フィルの方からもプログラム変更の案内が届いた。予定のバーンスタインシリーズでなく、ベートーヴェンの交響曲第4,5番に変更になる模様(やはりオケの編成が大分小さくなるんだろう)。こちらも指揮者は大植英次で変更無し。これはまた面白味のないプログラムになってしまったものだ。ベートーヴェンならわざわざ大植で聴く必要もない気もするが、まあこれは致し方ない。なおこちらも変更に不満だったり、コロナに不安のある方には払い戻しも可らしい。そして当然のように座席も変更させられるらしい。

 私は現在ところ、自分なりの感染対策を行った上で聴きに行くつもり。もっとも今後の状況次第でどうなるかは分からない。例えば来週辺りから大阪で感染爆発の兆候が現れたりしたら状況は一変するだろう。そうなればそもそも開催自体が怪しいしくなってくるが、そうなってもあの知事は自粛再要請はしないだろう。何しろ補償するのが嫌なために、解除前提の「大阪モデル」なるものを出して来たぐらいだから(何しろ「利権第一の維新」である)。やばい兆候が出ても、検査を抑制して数字を抑えようとするのと、基準を際限なく緩めるというのがオチ。そうなるとオケの自主判断に委ねられることになる。まあ開催するとなった場合にはこちらも自主的に対応するしかない。

 

来日オケや来日演奏家はまだまだ困難か

 さて国内のオケはそういうように活動再開の方向に向かって動き出したが、来日オケはそうも行かないだろう。また来日指揮者なども来日可能なのだろうか? 大フィルの7月定期はユベール・スダーンの予定だが、現状を見ると来日は絶望的なので、日本人指揮者(それも日本在住の)に振り替えられる可能性が大だろう。またプログラムもブルックナーは現状では不可能なので、これも変更必至である。関西フィルの方は指揮者は藤岡幸夫なのでよいが、プログラムの「仏陀」は演奏できるんだろうか? プログラム変更になりそうな気配が。なお京都市響は6月定期は中止、7月定期はアナウンスが出ていないが、指揮者のパスカル・ロフェが来日困難だろうから、指揮者変更は必至だろう。そうなるとプログラムも変更か。ただプログラムがモーツァルトやベートーヴェンの初期交響曲ばかりになったら嫌だな。

 来日オケの方は秋以降のオケのコンサートが開催できるかどうかが微妙なライン。今年秋に来日予定でもう既にチケット販売されたロンドン交響楽団なんかも、そもそも来日が出来るか、また来日できてもまともな形でのコンサートが出来るかといったところに問題がありそう。正直なところ、完全に問題が解決するにはコロナのワクチン接種が行われるのを待つことになるだろうが、それは早くても次の次の冬と言われている。そうなると来シーズンまで壊滅状況ということになる。これは由々しき事態だ。

 さてこの春に来日を予定していながら来日がキャンセルになったオケの一つにフランス放送フィルがある。私も堺に聴きに行く予定だったのだが、キャンセルになって払い戻しがあった。先日、そのフランス放送フィルが来日で演奏する予定だった幻想交響曲などのプログラムの過去の公演ビデオがYouTubeで期間限定で公開とのメールが回ってきたことから、それを視聴することにする。


ミッコ・フランク指揮フランス放送フィル 2020年来日公演(で演奏するはずだった)プログラム特別映像

 

フランス放送フィル公演特別映像

ミッコ・フランク指揮
ピアノ: エリーザベト・レオンスカヤ

ドビュッシー: 夜想曲集 (2017年9月15日収録)
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番 ト長調 op.58(2018年12月24日収録)
ベルリオーズ: 幻想交響曲 (2019年5月2日収録)
ラヴェル: ラ・ヴァルス (2018年12月21日収録)

 フランスのオケと言えばパリ管弦楽団のイメージが強烈であるために、色彩的なキラキラとした音色で来るのかと予想していたらその予想は見事に肩透かしされた。

 最初のドビュッシーについてはそもそもかなりキラキラとした曲であるのであるが、それをキラキラと言うよりはドッシリと言った印象で演奏している。ミッコ・フランクはテンポを煽ることなく、ドッシリ構えてオケをカッチリと鳴らしてくる。非常に着実で手堅い演奏という印象。一言で言えば地味な演奏である。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲はレオンスカヤのソロがとにかく軽やかでかつ叙情的。特にゆったりしたところでは叙情的を通り越してメロドラマ的な響きまで出す。結果として、非常に滑らかでややもの悲しげな表情も秘めたベートーヴェンとなった。

 幻想交響曲においてもミッコ・フランクのアプローチは一貫してドッシリ構えてカッチリと鳴らしてくる。曲全体を通じておどろおどろしさよりも繊細な美しさの方が正面に出る。遅めのテンポの演奏が、ここ一番ではまるで何かに引っかかったようにさらにテンポを落とすという極端な演奏。そしてサラッと弾き流させるような部分まで、生真面目に感じられるぐらいしっかりと鳴らさせるのが非常に特徴的。決して堅苦しい演奏というわけではないが、虚仮威しや空騒ぎは一切ない。すると驚いたことにベルリオーズの中に潜む古典的な部分までが浮上してきたりする。もっともそういったスタイルがこの曲に対して正解かどうかは好みが分かれるところだろう。

 まあ、ラトル指揮ロンドン交響楽団の幻想交響曲をお上品すぎて今ひとつ面白味を感じられないと言った私としては、やっぱりこの曲はもっとおどろおどろしい方が好みではあったりする。とは言うものの、不思議なことにこの演奏には退屈さは感じず、これはこれでありかもという感覚を抱いたりするのである。これも一種のご当地物の強みなのであろうか。

 ラ・ヴァルスになると曲想もあってやや柔らかめの演奏となるが、それでも基本はかなりしっかりカッチリであるのは相変わらず。色彩的にキラキラという演奏にはならない。しかしそれにも関わらず滑らかさは持っている。

 ミッコ・フランクの演奏は初めて聴いたのだが、とにかく個性的であるとしか言いようがない印象。

 

カーテンコールで朝比奈隆/大フィルの黄金時代の演奏を

 未だコンサート再開への道のりはかなり遠い状況であるが、大フィルがカーテンコールで過去の音源を公開するようである。

www.osaka-phil.com

 第一弾は1999年のシューベルトの「未完成」とチャイコの5番。これから4週に渡って順次1週間ほど公開になるとのこと。

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朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団

シューベルト/交響曲 第7番 ロ短調 D.759「未完成」(1999.7.11収録)
チャイコフスキー/交響曲 第5番 ホ短調 作品64(1990.11.5収録)

 まずはシューベルトであるが、いわゆる一般的な「美しい」演奏とは随分と異なる。低域を中心にドッシリと構えて、やや荒っぽいぐらいの力強さを感じる演奏。随分とゴリゴリとした印象の演奏である。所々それが行き過ぎていてカクカクとしたようにさえ聞こえるのは、朝比奈の解釈によるところがあるのだろうが、単純にオケの技倆の問題である場合もある。私は最近の大フィルの音しか知らないのだが、それに比べると迫力はあるが流れるような優美さはない。いわゆる「ヘタウマ」的な雰囲気が強い。非常にアクが強いのであるが、不思議とこの曲のように私としてはやや退屈に感じる曲の場合は、逆に面白かったりする。

 後半はさらに時代が10年ほど遡ってのチャイコフスキーの演奏。冒頭から木管の演奏がやや前のめりでいささか心配になる展開。ここに限らず、正直なところ随所に「オイオイ」と言いたくなる部分はある。端的に言えば、蹴躓いてドンガラガッシャンという雰囲気である。洗練とは対極のかなり無骨な音楽を展開している。どことなくカクカクした印象はこの曲でも。第二楽章などは流れるようにと行かず、所々突っかかる印象なので、個人的には「それは違うだろ」とツッコミ入れたくもなる。結局はそのカクカクぶりは最後まで。

 大フィル自体が現在の弦楽セクションがほとんど女性になっている大フィルとは全く違った音を出しているが、アプローチ自体が異質。明らかに近年のアンサンブル重視の演奏と違い、各パートの自己主張も強い。この時代の朝比奈/大フィルの演奏は賛否両論(それもかなり極端な)を耳にするが、それを頷けた次第。かなりアクの強いいわゆる「大時代的巨匠演奏」である。要は感性の合う者は絶賛するだろうし、そうでない者はボロクソだろう。私は比較的泥臭い演奏を好む者だが、さすがにここまでアクの強い演奏は「少し違うだろう」の感の方が強く出る。

 この時代はちょうど私の音楽鑑賞がブランクになっていた時代で、朝比奈隆の実演も私は聞いたことがない。だから私にとっては朝比奈は一種の伝説の人であったのであるが、今回こうして彼の演奏を聞くに及び、確かにある種のカリスマであることは実感したのである。

 

山形響大阪公演中止のお知らせ&ベルリンフィルでスークの交響曲を

山形交響楽団大阪公演も中止です

 今日になって6/22の山形交響楽団の大阪公演が中止と払い戻しを連絡するの案内葉書が到着した。政府は検査数を絞って無理矢理にコロナの終息宣言に持っていこうとしているのが明らかであるが、それに反して現実の状況は混沌としている。何しろ日本ではコロナの感染者数は非常に少ないことになっているのに対し、謎の肺炎死が例年の数倍に増加しているとか。これらの患者はすべて検査していると安倍は口から出任せを言っていたが、それがあからさまな嘘であることはすでにばれている(にも関わらず、この嘘を何度も繰り返しているようだ)。

www.symphonyhall.jp

 こういう状況ではコンサート再開もままならないだろう。またソーシャルディスタンスを守れなんて言われたら、ホール内はガラガラで採算は全く合わないことは確実。かといって入場料を5倍、10倍にしたら、ほとんどの客は(私を含め)チケットを買うことも不可能になる。結局は完全に回復するのにはかなりかかりそう。と言うか、下手すると永久に元のようには戻らない危険もある。

 さて先行きの不安に対するストレスで押しつぶされそうになるところだが、そこは気分転換でベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しむことにする。今回聞くのは比較的最近の演奏で、ペトレンコとバレンボイムの組み合わせである。

 

ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(2020.1.11)

指揮:キリル・ペトレンコ
ピアノ:ダニエル・バレンボイム

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番ハ短調
スーク 交響曲第2番ハ短調《アスラエル》

 ベテランピアニスト・バレンボイムによるベートーヴェンのピアノ協奏曲は、彼らしく大らかで豪放とも言えるような演奏。正直なところテクニック的には所々つかえて聞こえるような箇所もないではないが、そういう細かい技術的な問題を越えた「味」と言うべきものが現れている。バレンボイムの演奏はそもそもカッチリと精緻にと言うタイプではないが、晩年になってそれがさらに進化したかという印象。これに対してバックのペトレンコは極めて明快な伴奏で巨匠を盛り立てている。

 巨匠の名演に場内は総立ち状態で大盛り上がり。バレンボイムは何度も出たり入ったりした挙げ句に、最後はコンマスを引き連れて楽団員と退場したのだが、その後に再び楽団員勢揃いの前でシューベルトの即興曲第2番変イ長調を演奏しているということは、もしかして収まりがつかなくなってもう一度引っ張り出されたんだろうか? あの場内の盛り上がりだったらあり得る話である。この演奏もテクニック云々という細かい次元を越えた味のある演奏である。後の楽団員が恍惚とした表情で聞き入っているのが印象的。

 後半は日本では決して知名度が高いとは言い難い、チェコのヨゼフ・スークの交響曲。むしろ孫で同名の名ヴァイオリニストの方が日本では知名度が高いかもしれない。この曲は彼が敬愛するドヴォルザークの死に衝撃を受け、彼に捧げるために書いた交響曲であるという。そのためか第一楽章などは非常に沈痛なほどに重苦しい。彼の作品はブラームスとドヴォルザークの影響が見られるとのことだが、そもそもドヴォルザーク自身が濃厚にブラームスの影響を受けているので、要はドヴォルザークの影響と考えて良いだろう。もっとも一流のメロディメーカーであり、常にメロディラインを前面に出していたドヴォルザークとは時代の違いもあってか、スークの曲はもっと複雑な構造になっている。

 息絶えるかのように終わった第一楽章に続く第二楽章は静かを通り越して不気味にも聞こえるような曲。第三楽章はスケルッツオだが、重苦しく悲しげな曲で始まる。それが中盤には急に雰囲気が変わって楽園的な音楽が現れるのだが、それをかき消すように怒濤の第一楽章の主題が戻ってきてこの楽章を終える。第四楽章は静かな音楽で、怒濤のように始まる第五楽章はところどころ第一楽章と通じる雰囲気や共通の主題を持ちつつ、徐々に静かで穏やかな世界へと到達していく。そして最後には天界が垣間見えてついに昇天かというところ。

 この難解な曲に対してペトレンコの表現はかなり明快。またこの曲はピアニッシモが非常に多いところから、そういう弱音部分での微妙な表現にかなり意識を割いているように感じられる。この手の曲は緊張感が切れてしまったらそこで終わってしまうのであるが、最後の瞬間までそれを保ち続けたのは流石というところか。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信でベテランピアニストのウルトラセブン

ロンドン交響楽団ライブ配信(2014.1.21収録)

指揮:サー・ジョン・エリオット・ガーディナー
ピアノ:マリア・ジョアン・ピレシュ

メンデルスゾーン 「フィンガルの洞窟」
シューマン ピアノ協奏曲
メンデルスゾーン 交響曲第3番

 ロンドン交響楽団の今回の配信は2014年とやや古めの収録。指揮はジョン・エリオット・ガーディナーでピアニストはマリア・ジョアン・ピレシュとベテランコンビである。曲はメンデルスゾーンと「ウルトラセブン」ことシューマンのピアノ協奏曲。

 まずジョン・エリオット・ガーディナーによるフィンガルはかなり癖のある演奏である。テンポ設定やバランス設定などが普段聞き慣れているこの曲とやや異なる。テンポ変動などはかなり激しく、強弱のニュアンスなども強調気味であるが、弦楽がところどころノンビブラートを多用するためかその響きはロマンティックと言うよりはむしろ古典的に聞こえる。

 マリア・ジョアン・ピレシュは2017年に現役引退したとのことであるので、かなり最晩年に近い録音になる。冒頭からとにかくロマンティックというか情感タップリである。ただタッチはやや弱めで、所々運指に引っかかったように感じられる部分があるのは否定できないところ。ただそういうテクニック的な面を越えて、ベテランピアニストならでは味わいがあるのは間違いない。そのロマンティックさで有名なこの曲(私の世代なら、この曲の冒頭を聞いただけでキラキラをバックにしたアンヌの姿が浮かぶ)を自在のテンポで弾く内容はかなりのメロメロドラマである。それに比べるとむしろ後半の方は淡々として聞こえるか。

 最後のスコッチはなぜか弦楽陣が全員起立しての演奏(ホールが狭いという以外の何か理由があるのかは不明)。ノンビブの淡泊な音色に強弱変化及びテンポ変動も多いかなりロマンティックな演奏。だから古典派の影響を引きながらロマン派につながっていっているメンデルスゾーンの「古くて新しい」というところを表現したような興味深い演奏である。古典的な端正な雰囲気は保ちつつも、その中身はかなり劇的で激しい。かなりドラマティックな第一楽章の次は快速なテンポで駆け抜ける第二楽章。そして謳わせる第三楽章だが、ここではビブラートも使用しているようである。そしてアタッカで最終楽章へ。最終楽章はややアップテンポ気味で比較的あっさり風味・・・と思っていたら、最終盤で唐突にかなりコッテリとした味付け。とにかく変化が激しく、古典派とロマン派が入り乱れるような目まぐるしい演奏である。またビブラートとノンビブラートを表情付けに細かく使い分けているようにも感じられ、それがさらにダイナミックな変化につながっていた。ところどころに矛盾を孕んでいるようにさえ感じられ、ある意味ではそれがメンデルスゾーンそのものなのかもしれないなどと思わせられたりする。

 

ロンドン交響楽団のライブ配信で、ユジャ・ワンとティルソン・トーマスの演奏を

 5/7に配信されたユジャ・ワンをソリストに迎え、マイケル・ティルソントーマス指揮によるコンサートをYouTubeで視聴。

ロンドン交響楽団コンサート

指揮:マイケル・ティルソン・トーマス
ピアノ:ユジャ・ワン
ロンドン交響楽団

コリン・マシューズ 隠し変数
ガーシュウィン ピアノ協奏曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

 コリン・マシューズは現代音楽家であり、ロンドン交響楽団の提携作曲家も務めていたという。だからロンドン交響楽団は彼の作品に通じており、ティルソン・トーマスも彼の曲を初演したことがあるらしい。そういう経緯があるからか、よく分からない音楽ながらも「気心知れた」という感があって、演奏に安定感があるのが感じられる。

 ガーシュウィンのピアノ協奏曲は、かなり伝統的な形式に則った曲という印象を受ける。ただクラシックの範疇にはあるものの、映画音楽的にジャズ的にも聞こえ、官能的な部分もある音楽である。それに対してユジャ・ワンの演奏であるが、例によってかなり技術が前面に出るところのある演奏。相変わらず本人の外観に反して演奏自体はやや色気に欠けるところがある。しかしバックのティルソン・トーマスがその学者的風貌に反してかなり色気のある演奏をしている。ロンドン交響楽団の弦などがしっとりと魅惑的に演奏し、トータルとしては非常にバランスの取れた名演となった。

 さてショスタコーヴィチだが、冒頭からやけに軽く始まるのには拍子抜けた。終始一貫言えるのは優美とさえ感じるような雰囲気。ショスタコのこの曲は冒頭から叩きつけるような悲しさ一杯の演奏をする者も多いのであるが、ティルソン・トーマスの演奏にはそのような影は微塵も感じられず、終始明るいといっても良いような普通に叙情的な演奏である。ゆったりとしたテンポでゆったりと謳わせるのは全体を通じての話であり、最終楽章もやけくそのような空騒ぎでも、華々しい勝利のファンファーレでもなく、普通に美しい音楽で一貫している。とにかく最後まで全く影が差さない。

 これもありなのかもしれないが、私としては冒頭の「拍子抜け」という感覚を最後まで引きずってしまったというのが本音。果たしてこれがショスタコなのかと言った時には、少々疑問は残る。

 

ロレンツォ・ヴィオッティ/ベルリンフィルでマーラーの交響曲第3番を聴く

 さて長いお籠もりGWも終わり、明日からまた仕事復帰(本業の方)である。とは言っても、緊急事態宣言が今月末まで延長された以上、私の職場も恐らく今月一杯は半休業状態を余儀なくされるだろう。

 とは言いつつも、すべて在宅勤務で終わらせられるわけでもなく、明日はとにかく職場に顔を出す必要がある。正直なところここのところのお籠もりで完全にニートスキルが開花してしまっており、果たして社会人に真っ当に復帰できるかがやや怪しげなところである。

 などと今後のことを懸念しつつ、GW最終日はまたベルリンフィルデジタルコンサートホールを楽しむことにする。今回はマーラーの交響曲第3番。本来はヤニック・ネゼ=セガン指揮の予定だったらしいが、キャンセルとのことで急遽の代演は新鋭ロレンツォ・ヴィオッティである。

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(2020.2.29)

ロレンツォ・ヴィオッティ
エリナ・ガランチャ(メゾソプラノ)
ベルリン放送合唱団女声団員
ベルリン国立大聖堂児童合唱団

マーラー 交響曲第3番ニ短調

ヴィオッティの指揮は昨年に東京交響楽団で聴いたことがあるが、その時の印象は若手らしく非常にロマンティックな演奏をするが、軽率にはならず将来の巨匠の雰囲気を感じるというものであった。

 本演奏でも若さに任せて突っ走ると言うことはせず、ドッシリと構えてゆったりとしたテンポで美しいアンサンブルを聴かせるという演奏となっている。マーラーが抱えている葛藤を正面に出すよりも、後期の交響曲で顕著になってくる天国的イメージを前面に出した印象の演奏である。徹底的に美しく荘厳さも感じさせる音楽となっている。

 このタイプの演奏は一つ間違うと退屈なものになる危険もはらんでいるのだが、そうならないのは流石にベルリンフィルの技術。またメゾソプラノと合唱が加わるとより音楽が妙味を増すのは、ヴィオッティが若いながらもオペラのキャリアを経験していることも関係あるのか。

 とにかく終わってみると「美しいマーラーだったな」という印象が残る演奏であった。マーラーの初期交響曲でこういう境地を感じたことはあまりない経験。