徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

セントラル愛知第158回定期演奏会&重伝建地区・有松~桶狭間古戦場

 翌朝は8時に起床。かなり長時間寝たが、それでも体に怠さが残っているのは最近毎度のこと。どうも睡眠力が落ちているようでよろしくない。それにのどに違和感がある。やはり数日前から風邪気味である。

 朝食はパンとスープの簡易朝食。これがこのホテルの最大の難点。これで朝食がもっとしっかりしていたら満点なんだが。

 

重伝建地区・有松の町並みを見学

 さて今日の予定だが、6時45分からのセントラル愛知交響楽団のコンサートを聴きに行くのが最も大きなもので、後はこれといった特別な予定はない。ただ頭の中にある一つは、最近に重伝建に指定された有松を見学に行こうというものがある。特に予定がキツくないので、10時頃まで部屋でゆったりと過ごすとバスで名古屋駅まで送迎してもらう。

 名鉄に乗るのは久しぶりである。それにしても名鉄の名古屋駅は手狭だ。本来ならターミナルになるべき駅なのに、スペースの関係で線路が2本だけの通過駅仕様。ここを全路線の列車が通過するので、数分おきにひっきりなしに列車が来ることになる。

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有松駅

 有松まではそう遠くない。有松駅を降りると駅前には重伝建関係の案内板が立っている。どうも重伝建指定を積極的に観光に利用しようとしている模様だ。実際に町並みを歩くと商売をしている家も結構多く、こういう場合は概して重伝建の運営がうまくいく場合が多い。

 有松は東海道の沿いの茶屋町であるが、尾張藩によって鳴海宿と池鯉鮒宿の間に設置されたとのこと。そもそもこの辺りは松林が生い茂った非常に寂しい地であり、盗賊の類いが出没することがあると言うことで、治安の意味でもこの地に集落を設ける必要があったのだという。諸役免除などの特典で移住者を募集したところ、それに応じる者が8名現れてそれが最初の集落になったという。しかしこの地は農業を行うには狭すぎる土地(明らかに斜面が多すぎる)だったため、副業として絞り染めが発展したという。当初の町は1784年の大火で全焼したが、その後に藩による保護策などによって新たな街並みが復興、瓦屋根のうだつの上がった町並みがその時に整備され、その多くが現在も残存しているとのこと。

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有松の町並

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蔵造りの建物が多い
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町外れの一里塚

 

 町並みは川沿いの低地に伸びている。歩いて一回りして見るが、それにしても町並みの完成度はかなり高い。他の重伝建でもここよりも町並みとして揃っていないところは多い。ここが今まで重伝建に指定されていなかったのがやや不思議なぐらい。全国にはまだまだ隠れた重伝建クラスはありそうだ。

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駅東側の町並み
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裏手の川筋に回り込む

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 町並みを西から東まで一渡り見学したところで、町並みの中にある日本料理店「やまと」に立ち寄る。古民家をレストランとして使用しているようで、二階の和室が客席になっている。注文したのはランチメニューの「一期一会(2160円)」

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古民家を利用したやまと

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趣ある座敷

 いわゆる典型的な会席料理。普通にうまいんだが、やはり和食の常でボリュームはやや不足。私にはいささか上品すぎるか。

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いわゆる懐石膳

 

桶狭間古戦場公園を訪ねる

 昼食を終えるとこの近くにあるという桶狭間古戦場公園に立ち寄ることにする。バス停に行くが、生憎とバスは出た直後で次の便は20分以上先。Google先生にお伺いを立てたところ、目的地までは歩いて20分とのこと。Google先生は結構健脚だから大丈夫かなという不安はあったが、次のバスを待つ気もしないので歩き始める。

 有松からはかなり上り坂を進むことになる。左手に小高い丘をみながら回り込む形。私ならここに城郭を構えるがと考えていたのだが、後の調査によるとここは高根山と呼ばれるこの辺りでの最高地で、やはり桶狭間の合戦時には今川方が陣をしいていたらしい。この先にはそのものズバリの幕山と呼ばれる地域があり、こちらもやはり今川方が陣をしいていた場所らしい。

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桶狭間古戦場公園

 桶狭間古戦場公園はその奥。公園内には今川義元と織田信長の像が建てられているが、街道一の弓取りとの二つ名の通り、義元は弓を持ったなかなかにりりしい像になっている。どうも一般的には義元と言えばゴジャルゴジャルのお公家さんイメージで描かれることが多いが、実際はこちらの方が正しいのでは。もっともこの義元の隣で槍を持って立っている信長がいささか貧相。まあ駆け出しの戦国大名だから、これも実際に近いか。

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今川義元と織田信長の像

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「海道一の弓取り」らしく堂々たる今川義元

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それに比していささか貧相な織田信長

 この公園の構造自体が桶狭間合戦のジオラマになっているといういささか凝ったものである。公園を一回りしたら、合戦での布陣や辺りの地形などが理解できるという趣向。

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公園自体が桶狭間の合戦のジオラマになっている

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石碑などが部隊の場所を示す

 帰りは歩く気力がないので幕山からバスに乗って帰ることにする。ちょうどこの辺りの巡回バスが数分後に到着する。バスで有松に戻ってくると名鉄で名古屋に戻る。

 

名古屋の四間道を散策

 名古屋に戻ってきたところで次の立ち寄り先だが、四間道を訪ねてみることにする。聞くところによると趣のある町並みがあるとのこと。Google先生によれば、名古屋から徒歩で15分程度とのこと。

 四間道は幅の狭い道に面して、古びた町並みが並ぶところ。ただし古いといっても江戸時代と言うよりは昭和レトロの風情。かなり古い家もあるがそれは数軒。全体としては震災で完全に失われたかつての古き良き長田の町並みに近いか。

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四間道の入口
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 ただ飲食店が多いと聞いていたのでお茶でもしたいと思っていたのだが、店の大半はいわゆる飲み屋系のようで、3時現在ではすべての店が閉店中。一軒だけ見つけた喫茶店は待ち客がいる状態。結局はこれといった立ち寄り先もなく、何をするでもなく一回りして帰ってくるだけになってしまう。

 もう何もすることがなくなってしまったので、ホテルまで歩いて帰ると入浴。後はマッサージチェアで体をほぐしたりなどしてマッタリと時間をつぶす。

 

ホテル近くの店でひつまぶしを頂く

 再びホテルを出たのは5時過ぎ。ホールに行く前に夕食を摂ることにする。味噌煮込みうどんはもう食べたので、後はひつまぶしか。遠くにまで行く時間はないので、ホテル近くの「澤正」に入店。ひつまぶし(3500円+税)を注文。

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澤正

 パリッとしたうなぎはうまいのだが、やはりいささかボリューム不足は否めない。ここはうなぎと日本料理の店とのことだが、実際は高級日本料理店というのが正しい位置づけか。

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高級感はあるがボリュームはない

 夕食を終えると歩いてホールへ。このホールに来るのは二回目で、前回もセントラル愛知のコンサートだった。ただその時は曲目が山田耕筰の交響曲というかなりの変化球だったせいで、オケの実力を測りかねていた。そこで今回というわけである。なお今回のコンサートを選んだのは、指揮者のスワロフスキーに興味があるから。

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夜の名古屋の町を散策

 

セントラル愛知交響楽団第158回定期演奏会 ~モノラル・ステレオが交差する素朴な旋律~

指揮/レオシュ・スワロフスキー
ヴァイオリン/アンドレイ・バラノフ

グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」Op.5 序曲
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調Op.63
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調Op.64

 一曲目のルスランとリュドミラだが、この曲は弦が下手だといきなり演奏が崩壊してしまうという危ない曲。しかしセントラル愛知はこの曲を全く問題なく室内楽的アンサンブルで演奏する。やや金管が吠えすぎの感はあるが、ノリも良くまずまずの演奏。

 二曲目はソリストのバラノフのテクニックがかなり前面に出る。なかなかに堂々たる弾きっぷりでオケを引っ張っていく。

 三曲目はスワロフスキーの技が光る。セントラル愛知は10編成の小規模オケだが、その規模の小ささを感じさせないぐらいのパワーを炸裂させる。これはしらかわホールの小ささも幸いしているようだが、この曲をやる時に懸念した音量不足は感じさせない。またスワロフスキーはただ大音量でぶっ飛ばすだけでなく、突然に音量を最小まで絞ったりなど、かなりメリハリの強い演奏。その指揮に弦楽陣はなかなか見事に追随していた(金管に関してはそもそもダイナミックレンジがやや狭めで、特に小音量には対応し切れていなかった部分があるが)。結果として熱演と言って良い演奏になっていた。

 感想としては「意外とやるなセントラル愛知」というところ。またやはりスワロフスキーはうまい。今後注目したい指揮者の一人である。

 

コンサート帰りに焼き鳥屋に立ち寄る

 夕食のひつまぶしがややボリューム不足の感があったため、ホテルへの帰りに「地鶏屋本店」に立ち寄り、名古屋コーチンを始めとする焼き鳥を10本ほどつまんで帰る。

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地鶏屋本店に立ち寄る

 焼きが絶妙でうまい焼き鳥だ。特に締めで注文した焼きおにぎりが、表面はパリパリで中はもっちりという絶品。ただとにかく注文してからの時間がかかるのが難点。焼きおにぎりなどは焼くのに10分以上かかっていた。

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 腹を膨らませてホテルに戻ると、もう一度入浴する。今日は有松で歩き、名古屋で歩き、さらにホールまで往復しで1万8千歩以上歩いている。体をほぐしておかないと明日の行動に響く。

 入浴を済ませると一息ついてから就寝。明日は今日よりも早めに行動する必要がある。

 

都響 第842回 定期演奏会&品川台場見学&「シャガール」「ロートレック」「古代アンデス展」

 翌朝は目覚ましをかけずに寝ていたのだが、夜中に一度目が覚め、次に目が覚めると8時だった。

 今日の予定は夜の7時から上野の東京文化会館での都響のコンサート。シベリウスのクレルヴォ交響曲というレア曲が演奏されるというので、ついで今日も東京に残留することにした次第。つまり今日は夜までフリーであるので、美術館巡りの第二段。残存美術館の掃討戦になる。

品川台場(続100名城)を見学

 とりあえず9時過ぎにホテルをチェックアウト。美術館巡りの予定の前に、別件で一カ所立ち寄ることにしている。目的地はお台場。実はここも続100名城の中で私がノーチェックだった場所である・・・って言うか、ここが城か? これに関しては「異議あり、裁判長!」である。

 お台場はペリー来航によって風雲急を告げた幕末、江戸防衛のために幕府によって整備された海上砲台である。台場は最終的には8つ作られたが、今日ではその大部分が埋め立て地に埋もれ、現存しているのは陸続きとなって公園となっている第3台場と、その沖に孤立して立ち入り禁止の第6台場のみである。

 お台場へはJRで新橋まで移動して、そこからゆりかもめでお台場海浜公園に行くことになる。その前に上野駅でコインロッカーにキャリーなどの大きな荷物を押し込んでおく。ちなみにここのロッカーも昨日までは馬鹿トランプのせいで使用禁止になっていたところ。あの迷惑男がさっさと韓国に渡ってくれたおかげで助かった。もし一日ずれていたら目も当てられないところだった。

 新橋駅のうどん屋で朝食にカツ丼とうどんのセットを頂く。この店は讃岐うどんを名乗っているだけに麺は悪くはないのだが、所詮は出汁の味付けが関東風。関西人に言わせると「塩っぱくて食えたもんじゃねぇ」という話になってしまう。

 とりあえずの朝食を終えるとゆりかもめに乗車。東京の湾岸地域をユラユラとお台場に向かう。第3台場も今では地続きになって突堤のようになってしまっているが、元々は江戸の防衛のために急遽整備した人工島の砲台である。ただ砲台を整備したところで所詮は異国船打ち払いなどこの時期には国力的に不可能で、幕府はズルズルと開国を強いられることになって無用の長物と化して今日に至っている。

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ゆりかもめから見た第6台場

 第3台場は海の向こうに見えているが、駅からは歩くと意外に距離がある。この辺りの海岸通りは運動不足の東京人にとっての格好の散歩orジョギングコースになっているとか。

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第3台場は海の向こう

 近づいてみると意外としっかりした石垣で周りを囲っていることが分かる。それを乗り越えると周囲が幅広い土塁となっていて、これがいわゆる砲台になるのだろう。そこから内部は下がっていて、そこには恐らく弾薬庫などがあったのであると思われる。結構な面積があり、戦国期のちょっとした城郭並みの広さがある。

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陸続きになっている

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内部は結構広い

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土塁上にある砲台跡

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第3台場風景

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内部の建物跡

 土塁上を一回りしてみると、桟橋があってそこから出入りしていたのが分かる。なお桟橋の先は虎口のような構造になっており防御がとられている。確かに小舟で乗り付けられて接近戦になったら呆気なく落ちるようでも困るから、一応城郭的な防御もあるのだろう。

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出入口らしき桟橋

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桟橋の手前には虎口構造も

 土塁の上からは隣に浮かぶ第6台場も見える。あちらも半分朽ちた桟橋があるようだ。構造としては多分こちらとほぼ同じと思われるが、鬱蒼としていて詳細は分からない。今では東京湾では数少ない野鳥の楽園となっているとの噂。となれば、野鳥の糞なんかもかなり凄いんだろう。後100年もすればリン鉱石が取れるようになるかも。

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第6台場が隣に見える

 お台場を一周したが、結局は城郭といえば城郭なのかもしれないが、やっぱりお城ではなかろうというのが私の正直な感想。これが城なら第二次大戦の陣地跡も城になってしまう。やはり私の感覚では城と言えるのはギリギリ五稜郭まで。まあ東京近辺では珍しい「雰囲気のある場所」なので、東京人ならここを入れたいという気持ちは分からなくはないが。ただ今回の続100名城には東京からは滝山城も入っている(こちらは押しも押されぬ文句なしの続100名城だと思う)ので、あえてお台場を入れる必要があったかは疑問。

 お台場を後にすると東京駅まで戻ってくる。これから美術館巡りパート2になる。まず最初の美術館はこの東京駅の中。

 

「シャガール 三次元の世界」東京ステーションギャラリーで12/3まで

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 画家として有名であるシャガールだが、晩年には多数の彫刻作品も残している。それらの作品を中心に展示。

 技術的には決して巧みとは言いがたい作品であるのだが、そこに流れているのは絵画と同じイメージである。だから作品自体はどこから見てもシャガールのものとしか言い様がない物ばかり。ただシャガールの絵画の最大の魅力の一つがあの煌びやかな色彩と考えると、色彩を帯びない彫刻作品はどうしても魅力が劣るように私の目には感じられてしまう。どちらかと言えば色彩がつけられる陶器の方が面白く感じられたのだが、こっちはこっちで単にキャンバスを陶器に代えただけの作品にも思われ、何となく中途半端な印象を受けたのも事実。

 

 駅から外に出ると雨がぱらついている。そこで地下に潜って次の美術館は地下伝いで歩く。

 

「パリ♡グラフィック ロートレックとアートになった版画・ポスター展」三菱一号館美術館で1/8まで

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 19世紀末の芸術渦巻くパリ。そこで発達したのが版画。ロートレックなどの芸術家の登場によってポスターなどが美術として評価され始めた。この時代のポスターなどの版画類を展示。

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 19世紀末のパリの猥雑であるが活気ある雰囲気を伝える展示物が多数。ただ類似した趣旨の展覧会は今まで各地で多数開催されているので、それらの一種という雰囲気で本展独自の特徴のようなものは今ひとつ感じられない。展示品はかなり貴重なものなのであろうが、その割には展覧会自体の印象は薄い。版画という量産品故の宿命もあろうが。

 

 

上野の黒船亭で遅めのランチ

 さてこれからどうするかだが、後の予定は上野での宿題。昨日に行き残したというのは上野の国立科学博物館。そこで開催中の「アンデス展」を見学しようとの考えである。ただ上野に行くのだから、ついでにまずは昼食を摂っておくことにする。

 どこの店に行くかに少々悩んだのだが、結局は「黒船亭」に行くことにする。もう昼食時は過ぎていたのだが、昼食時間帯の余波か数人の待ち客がいる模様。結局は入店までに30分弱待たされる羽目に。東京ではまともなものを食べようと思うと行列は必至らしい。

 ようやく入店したところで注文したのはここの看板メニューでもあるハヤシライス。実は以前にここに行った時に悩んだのだが、やはり私はハヤシライスに対してもっているネガティブなイメージを払拭できなかったためパスしてビーフシチューにした次第。しかし昨日図らずもハヤシライスに対する私の考えが変わったのと、以前にここでビーフシチューを食べた時のことを考えると、あのデミグラスソースでまずいはずはないと考えた次第。

 しばらく待った後にスープから登場。やや苦みのあるスープだがまずまず。メインのハヤシライスは私の予想通りというか、私の予想以上にうまかった。最初にこういうハヤシライスに遭遇していたら私のハヤシライスに対するネガティブなイメージなど形成されなかったのに。そういう意味では下手な料理というのは罪作りである。

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スープに

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サラダ

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メインのハヤシライス

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デザート

 夕食を堪能すると国立科学博物館へ向かう。

 

「古代アンデス文明展」国立科学博物館で2/18まで

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 南アメリカの地では歴史において多数の文明が勃興している。それらの文明について系統的に紹介。

 南アメリカと言えばインカやマヤぐらいしかイメージがなかったのだが、それ以外にも多数の文明が、互いに影響を与えたりしつつも独立して発展してきたという認識は、恥ずかしながら私にはあまりなかった。今回それらの文明の遺産などを一望したことで、この地域に対する認識というのがかなり変わったように感じられる。

 ただこの地域に関する展覧会を見ると、結局常に最後はスペインによる蛮行にたどり着かざるを得なくなるのであるが、本展でもつくづく中世ヨーロッパの侵略性と野蛮性というのがチラホラと見えてしまうのである。本展でも出土品のほとんどが石器の類いで、金製の製品がほとんどないのも彼らによる略奪の結果。歴史的に見ると、ヨーロッパ人の海外進出というのはつくづく地球規模の災厄だったとしか言いようがない。

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 何だかんだでここで1時間以上滞在していた。想定以上に見応えのある内容で堪能した。気がつけばもう閉館時刻も間近。閉館前に博物館を出ると文化会館に移動する。会館内はもう既に観客が結構来ている。こんなところで1時間以上ボンヤリ待つのも性に合わないので2階のレストランに行ってケーキを頂きながらしばし時間をつぶす。

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東京文化会館に入場

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喫茶でくつろぐ

 開場10分前にはゲートの前で長蛇の列。全席指定だから待つ必要もないのにわざわざ行列を作って文句も言わずに待っている日本人。毎度のことながら奇妙な風景ではある。

 ようやく入場時刻。私はこのホールには今まで2回来ているが、いずれも3階や4階の高層席ばかり(つまり安チケットということ)。1階席に座るのは今回が初めてである。

都響 第842回 定期演奏会Aシリーズ

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指揮/ハンヌ・リントゥ
メゾソプラノ/ニーナ・ケイテル
バリトン/トゥオマス・プルシオ
男声合唱/フィンランド ・ポリテク男声合唱団

━フィンランド独立100周年━
シベリウス:クレルヴォ交響曲 op.7

 リントゥの指揮は躍動的で非常に激しいもの。メリハリの強い演奏である。それに応えて都響の演奏もなかなかにしっかりしていた。また男声コーラスが非常に素晴らしく聴き応えがあった。ソリストはメゾソプラノのケイテルがやや線が細くてバックに埋もれがちに聞こえたことが少々気になったところ。

 クレルヴォ交響曲自身はかなり異端な曲で、交響曲とオペラを組み合わせたかのような印象の曲。器楽部分に関してはいかにもシベリウスらしい北欧の自然を思わせる音楽があるのだが、残念ながら曲自体はやや冗長に過ぎる感がある。そのためかリントゥは曲にメリハリをつけることで退屈になることを避けたように感じられる。

 アンコールが合唱付きのフィンランディアだったのだが、これが合唱団の熱演もあって、実に感動的な名演となっていた。どちらかと言えばこちらの方が強烈に印象に残るコンサートとなってしまった。

 場内は結構の盛り上がりで、最後は退場する合唱団を場内が拍手で送り出したのである。

 

 これで予定は終了。当初はこの後にサンライズ出雲で帰ることも考えていたのだが、やはりそれもしんどいので、今日は新横浜で宿泊して明日朝一番の新幹線で帰宅して仕事場に直行することにしている。

 上野の駅ナカで今半のすき焼き弁当を夜食に買い込むと、東京駅からのぞみの自由席で新横浜へ。東京から新横浜まで新幹線に乗る客なんているんだろうかと思っていたが、意外に大勢がゾロゾロと降りる。

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今半のすきやき弁当

 宿泊したのは新横浜駅前のコートホーテル新横浜。どうせ寝るだけなので宿泊料金を最優先にしつつ、カプセル以外で探したホテル。駅からは歩いて5分程度というところか。ホテルにチェックインすると、まずは風呂で汗を流してから夜食をかき込み、すぐに就寝と相成ったのである。

 


 翌朝は5時に起床すると身支度をして直ちにチェックアウト。朝一番のひかりで戻ることになったのである。やや睡眠が足りていないので、帰りの新幹線の中はひたすら爆睡で過ごすこととなったのである。

戸隠神社を見学後、北野美術館を経て善光寺と横山城

 翌朝は6時半頃になると周囲がドタバタし始めるので目が覚める。かなり爆睡していたが、体はあちこちに痛みがある。特に昨日ぶつけた尻が痛むのと、両太ももに力が入らない。情けないほどに連日の山城攻めがダメージを与えているようである。両足が脱力状態で歩くのがギクシャクしてしまう。やはり根本的に鍛え直す必要がありそうだ。

 朝食は7時半から。オーソドックスな和食。とりあえずしっかりと腹にたたき込む。

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この日の朝食


 朝食後は軽く散歩に出る。夏だというのに空気がひんやりとしている。気持ちの良い空気だが、足が全く前に出ないので早々に戻ってくる。

 

戸隠神社を見学

 チェックアウトしたのは9時頃。とりあえず戸隠神社の宝物庫の入場券をもらっているので戸隠神社を訪問。なかなか由緒正しい神社のようであるが、神社の参道の石段が現在の私の体調ではほとんど拷問。杖をつきながらヨタヨタと登る情けなさ。

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戸隠神社はいきなりこの石段

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三本杉

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三本杉はかなり巨木

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戸隠神社社殿

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そしてこれが御神木

 戸隠神社の見学を終えると次は北野美術館に立ち寄ることにする。美術館は別荘街のようなところの奥の鬱蒼とした森の中にある。

 

「夏の日本画展 あさがおコレクションを中心に」北野美術館戸隠館で9/10まで

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 朝顔を題材にした日本画の大家たちの作品を展示。上村松園、酒井抱一、鏑木清方、速水御舟など蒼々たる顔ぶれの作品を展示。

 その中で私の印象に残ったのは中島千波の装飾的な朝顔の作品。金地に色鮮やかな作品で非常に華やかな印象を受ける。なかなかに爽やかな絵である。

 北野美術館がこの地に新館をオープンしたのは2年前とのことだが、新館をオープンするに至った理由の一つは、本館のある若穂地区が鉄道の廃線によって公共交通機関のないアクセスが劣悪な地になった上、周囲が中途半端に宅地化して風情もなくなってきた(以前は周囲は田園風景だったらしい)ことがあるとのこと。ここならリゾート地なので、ついでに立ち寄る客が期待できるということらしい。確かに周辺を散策している者も少なくないが、ただ最近はこの周辺でも熊の目撃情報があり警戒をしているらしい。散策に適した広い庭園があるのだが、今は残念ながら積極的には勧められないとのこと。

 

 北野美術館を後にすると長野に向けて突っ走る。11時に車を返却する必要があるので少々急ぎのドライブ。戸隠バードラインなる高原道路を走るが、驚くのは対向車の多さ。さらにその中でもバイクの比率が高い。どうやら長野から格好のツーリングコースとなってるようである。高原の高速コースを抜けると、今度は急カーブの連続の下り坂。なかなかにハードなコースだ。確かにツーリングに向いてそうなコースだ。

 ようやく長野市外に降りてきてガソリンを補給、レンタカーを返却した時には11時ちょうどだった。さてこれからどうするか。帰りの列車は3時のしなのを予約してあるので、それまで4時間弱をつぶす必要がある。とりあえずキャリーは駅のロッカーに入れて身軽になると、まずは善光寺までバスで移動することにする。

 

善光寺周辺で喫茶と昼食

 昼食は善光寺周辺でそばでも食べるかと思っているが、まずはその前に一息つきたい。竹風堂「くりあんみつ」で一服することにする。相変わらず栗かのこが絶品である。

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またも竹風堂で今度はくりあんみつ

 甘物でホッとしたところで善光寺の参道筋をしばしフラフラする。善光寺の近くで「尾張屋」なるそば屋を見つけたので入店、なめこおろしそばを注文する。

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善光寺前の尾張屋

 おろしとなめこがサッパリした風情でなかなかに美味。観光地としては上々のそばである。

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サッパリしたなめこおろしそば

 昼食を終えると善光寺の参拝。善光寺はいわゆるポックリ寺であり、高齢になってくれば来るほど切実に御利益が気になってくる寺(笑)。キーワードは「ピンピンコロリ」とのこと。胎内巡りなども受け付けているが、観光客が殺到している模様。私はこれは一度体験しているのでパスする。とりあえず最後はポックリと迎えたいが、現段階ではまだお迎えには来てもらいたくない。

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ポックリ寺として知られる善光寺

 

横山城 善光寺隣の南北朝時代の城郭

 久々に善光寺をサクッと参拝すると、この近くにあった横山城跡を見学する。横山城は善光寺と共に存続しており、南北朝時代以来、川中島合戦に至るまで軍事拠点として重要視された城であるとのこと。上杉謙信が川中島に出陣する際にはここを拠点にして武田軍に挑んだという。

 とは言っても今では市街に埋もれて城の遺構はほとんど残っていない。かつての本丸跡が現在の健御名方富命彦神別神社とのことで、そこのところは一段高くなっており、社殿の裏にはかすかに土塁の跡が残っている。城のあった土地は善光寺を西に望む台地であり、東側は比較的切り立っていることから確かに城郭向きの土地であることは分かるが、今となっては城跡と言われて「ああ、確かにそうかもね」と感じるという程度。

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この頂上辺りが横山城

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奥の本殿が本丸跡になるらしい

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東側は一応急傾斜になっている

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社殿の裏にかすかに土塁の跡がある

 

善光寺周辺でスイーツで暑さをしのぐ

 それにしても今日の長野はとにかく暑い。昨日までの戸隠とは全く気候が違う。フラフラになりながら再び善光寺の参道筋に戻ってくると、「つち茂」びんずるソフトを頂く。これは「おいり」の入ったカラフルなソフトで、黒いのは竹炭にいろだそうな。かなりしっかりとしたコクのあるソフトで、おいりの香ばしさがソフトになかなかマッチしている。黒蜜もかけてあるのだが、甘さは既に十分なので個人的にはこれは余計に感じた。

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参道筋のつち茂

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びんずるソフト

 バスで長野駅まで戻ってきたが、まだしなのの発車時刻まで1時間以上ある。もう一本早い便に振り替えることも考えたが、みどりの窓口を覗くとしなのは予約が一杯の状況。仕方ないので駅ビルをウロウロして、「長寿日本一 長野県長寿食堂」なる店に入店。宇治金時ドーピングで時間をつぶす。地場ものを売り込むことを目的としている店のようで、地産地消系のランチなんかもあるようなので、ランチを摂るのに良さそうな店。ちなみに宇治金時は氷に粉茶をかけてあるかなり本格派。

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なかなか本格的な宇治金時

 ようやくしなのの発車時刻が近づいてくると、キャリーを回収してから乗車。ここからは名古屋まで3時間近くの列車の旅となるが、暑さや諸々による疲労が一気に出て、ほとんど爆睡したまま過ごすことに。

 

名古屋で夕食を摂って帰宅

 名古屋に到着したのは夕方。新幹線で帰る前に夕食を摂っておきたい。と言うわけで高島屋のレストラン街を訪れると「竹葉亭」に入店。名古屋風ひつまぶしの1.5人前を注文。久しぶりにうなぎを堪能したが、支払いは5000円近くというかなり無茶な夕食を摂ってから帰宅したのである。今回の遠征では食事がやや抑えめだったから、最後でぶち切れてしまった・・・。

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名古屋駅高島屋の竹葉亭

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名古屋風ひつまぶし1.5人前

 と言うわけで少し遅めの夏休みと相成ったのだが、帰宅後は久々に体を動かした事による体調の好転と、少し無理をしたことによる疲労の両方が重なって複雑怪奇な体の調子になってしまった(体は比較的動くのだが、とにかく眠くて仕方ないという状態)。どうも体調を維持するのが困難となりつつある。

 ところで2年連続で松本のオザワ祭に参加したのであるが、果たして来年はどうするべきか。いよいよオザワも指揮をする体力がなくなってきているようなので、来年はもしオザワが健在でも最早ステージに立つのは無理になるかもしれない。しかしオザワが前面に出てこなくなると、この音楽祭自体の存続がかなりしんどくなってくる可能性は大。明らかにここ数年はチケットの売れ行きも落ちてきているようだし、オザワに代われるようなカリスマは他にはいないだろうし。そろそろ判断の難しい時期にさしかかっているようである。地元としてはどんな形であれ、音楽祭の存続の方が観光的にはありがたいのであるだろうが。

続日本100名城・鮫ヶ尾城を見学して、重伝建の戸隠で宿泊

 翌朝は6時過ぎには外光で部屋がうっすらと明るくなるので自然に目が覚める。目が覚めたところでまずは朝風呂。極楽、極楽。

 8時に食堂で朝食。オーソドックスな和食。しかし旅館で食べるこういうご飯は実においしい。朝から非常に飯が進む(昨晩の夕食が早めの上にやや不足だったせいもあるようだが)。体のあちこちに疲労は残っているが、体の調子は悪くはないようだ。

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ホッとする和食

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卵焼きに

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出来たての豆腐

 朝食後はロビーで新聞を読みながらコーヒーでしばしマッタリと過ごす。皆既日食にちなんでまたトランプが、オバマの顔を自らの顔が隠していくという品のない画像を公開しているようだ。しかしこれは、オバマ=太陽をトランプという黒い影が覆い隠すという意味か。つまりオバマの功績を次々と無にしている馬鹿トランプを現していると考えると納得がいく。ちなみに所詮は太陽を覆い隠した黒い影も数分で空から追い払われることになるわけだから、世界を覆い隠す黒い影もほどなく追放されることになろう。

 部屋に戻ってテレビをつけると、今度は北朝鮮が例によってのロケット花火をまた日本海に打ち込んだらしい。ここの国の馬鹿ボンも相変わらずアホなことを繰り返しているようだ。しかしこういうハッタリを続けないともう国を保てない状況なんだろう。ちなみに日本の馬鹿ボンも北朝鮮の脅威を煽ることを自らのライフラインにしている模様。もっとも北朝鮮が本気で攻撃してきたとしたら、日本の馬鹿ボンは日本を守るどころか自分だけさっさと逃げ出すだろうが。

 

長野へと向かう

 ホテルをチェックアウトしたのは9時。ガソリンスタンドに立ち寄ってからレンタカーを返却に行く。昨日は50キロほど走ったはずだが、それでもガソリンがほとんど減っていないのはさすがにハイブリッド効果。なるほどこれはハイブリッド車が増えるとガソリンスタンドの廃業が増えるはずだ。

 駅まで送迎してもらうと特急しなので長野に向かう。今朝は雨が降った様子があったが、もう既に天候は回復している。やがて昨日にも乗車した特急しなの3号が到着、大量の乗客が降車する。やはり今は長野新幹線の開通で長野までしなのに乗車する乗客は減少しているのだろうか? ただ未だにしなのは松本ー長野間の輸送には重要な役割を果たしているはずである。

 しなのの中ではこの原稿を打ちながら時間をつぶす。列車が長いトンネルを抜け、日本三大車窓の一つが見えるようになれば長野はもうすぐである。東京経由で新幹線で長野入りしたら早いのだろうが、この車窓が無いのは非常に寂しい。

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日本三大車窓の一つ、善光寺平の風景

レンタカーを借りて鮫ヶ尾城へ

 長野駅に到着すると駅レンタカーの事務所へ。ここでノートを借りることになっている。今日の予定はここから妙高まで走って鮫ヶ尾城を訪問することになっている。実は当初のプランではこれは予定に入っていなかったことから、土曜日は鹿教湯温泉ででもマッタリしようと考えていたのだが、その後に状況の変化があって急遽予定を組み替えた次第。

 状況の変化とは日本城郭協会が続100名城を発表したこと。続100名城と言えば、そもそも私がその名で100名城に準ずる城郭を発表していたのだが、本家が同じ名前で発表してしまったので極めてややこしいことになってしまった。とりあえず私のリストは私撰準100名城に名前を変更することにしたが、それはともかくとして問題は内容。続100名城の城郭のほとんどは私の続100名城とかぶっているのだが、一部私の未チェックの城郭を含んでおり、その一つが鮫ヶ尾城だった次第。そこで、松本まで来るついでに、さらに少し足を伸ばして訪問してやろうと予定を変更したのである。

 須坂から上越自動車道を北上するルートを取る。高速に乗るまでに昼食を摂りたかったのだが、どうも沿道にこれという店がない。結局はケンタで昼食を済ませるという緊急事態に。これはあまりに悲しすぎる。

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あまりに悲しすぎるこの日の昼食

 悲しすぎる昼食の後、高速をひたすら突っ走る。上越道はまだ部分的には対面二車線の箇所が残っており、現在工事中のようである。上越道を降りたのは上越高田ICで。

 

鮫ヶ尾城 続日本100名城に指定された上杉景虎ゆかりの城

 高速出口から山沿いを南下、小集落の中に入っていったところで鮫ヶ尾城の表示を見つける。鮫ヶ尾城の一帯は古墳公園になっており、管理事務所で地図ももらえる。ただ管理事務所に向かおうとすると「熊が目撃されているので注意」の看板が。最近はあちこちで熊が増えているがここでもか。しかし恐れてばかりではどこにもいけない。管理事務所で聞くと、とりあえず公園内で子熊が目撃されているが山の方での目撃証言はないとのこと。

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ゾッとする看板

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まるで入るなと言わんばかり

 鮫ヶ尾城は上杉景勝と上杉家の後継争いをして敗れた上杉景虎が最期を迎えた城郭である。某漫画の影響でオタ人気の高い景虎ゆかりの城と言うことで、その手の女性の聖地巡礼も結構あるとか。地元にしたら上杉景勝や直江兼続は敵になるらしい。現地も景虎をメインに据えた村おこしのようなものもしているようだ。

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案内図

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鮫ヶ尾城説明図

 本来はここから北側登城路を通るところなのだが、現在上越道の四車線化の工事のために北側登城路は通行不可とのことで、東側登城路から回り込むことを余儀なくされる。若干の遠回りになるようだが、そう険しい道でもないようだ。

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ここを降りていく

 池の横を回り込んで九十九折りの山道を少し進むと滑らかで広い斜面に出る。ここが鮫ヶ尾城の麓になるようだが、そもそもは遺跡のようである。城郭としては平時の屋敷でも構えるところか。かなりの面積があるので大勢が居住可能である。

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池の横を回り込む

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案内に従って山道を登る

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平地に出る

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この平地も遺跡のようだ

 

 滑らかな道をしばらく進むと、堀切などがあってからかなり険しい構造が現れるようになる。その険しさは本丸に近づくほど極端になり、本丸手前では上り階段にロープを張ってある状態。意地のように本丸を守ろうとしている構造になっている。麓を見た時には「どうも険しさのない城だな」と感じたのだが、その印象はこの辺りで一変する。

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堀切の現れるこの辺りから城っぽくなる

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堀切のある道を進む

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広大な東一の丸に出る

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そこからさらに堀切のある山道を進む

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北登城路はここに合流する

 山頂の本丸に登るとなかなかの見晴らしである。本丸を取り巻くように周囲に郭が配されており、本丸を徹底的に守る構えとなっている。各曲輪もそれなりの面積があるので、大兵が立て籠もることが出来る城で、そうなった場合にはかなり堅固である。さすがに上杉領の最前線を守るための要塞である。そこで御館が落城した後の景虎は逃亡の途中でこの城に立ち寄ったのであるが、城主の堀江宗親が寝返ったことによって自刃に追い込まれている。この時点での景虎は恐らく大した軍勢も既に持っておらず、そうなるとさすがにこの堅城でも守りようもなかったであろう。

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本丸に到着

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城跡碑がある

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見晴らしも良い

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向こうに見える曲輪が米蔵とか

 本丸周辺はかなり整備がされてあるが、残念ながら二の丸などは下草が刈られていないので入りにくい。現地の保存会が頑張って草刈りをしてくれているようだが、さすがにすべてには手が回らないようだ。

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本丸下の二の丸

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残念ながら下草で鬱蒼としている

 現地の整備もかなり気合いが入っているし、城の構造自体も見るべきところが多い。さらには上杉景虎が最期を迎えた城というドラマ性。確かに続100名城に選定するのに文句のない城郭である。難点はその割には全国的知名度が低いことか。というわけで、私もこの場で「鮫ヶ尾城は是非とも見学するべき城郭である」とアピールしておく。

 昨晩の雨で足下がややぬかるんでおり、注意はしていたのだが帰り道で転倒、派手に尻餅をついてしまった。幸いにして尻の肉の厚いところだったのでけがはないが、それでも痛いものは痛い。もっとも腰でもぶつけていたら大変なところだった。こんな不覚を取るのも昨今の運動不足のせいだろうか。

 

近くの温泉施設で入浴

 久々に本格的山城を探索した。かなり疲れたが心は満たされた気分だ。後はどこかの温泉で汗を流したいと思っていたところ、管理棟で近くの温泉入浴施設・神の宮温泉かわら亭の割引券をもらったので立ち寄ることにする。かわら亭はここから5分とかからない。

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神の宮温泉かわら亭

 かわら亭は宿泊も出来る温泉施設で、レストランなども完備している。どうやら地元が観光開発のために気合いを入れて建てた施設のように思われる。まだ新しいようで施設は綺麗。また日帰り入浴客も結構訪れている。景虎の湯と名付けられた大浴場は広い内風呂と露天風呂からなり、泉質はメタケイ酸を含むアルカリ泉とのこと。これがなかなかにして良い湯。肌にヌルヌルとする美肌系の湯である。非常に快適で、山登りの疲労をここでゆったりと癒やす。実は昼食がお粗末だったのでレストランで軽く食事も考えていたのだが、残念ながらレストランは昼休憩の時間の模様。仕方ないので風呂上がりにフルーツ牛乳だけを頂いておく。山城攻略で汗をかき、その汗を温泉で流す。ああ、男の休日とはかくありたいものである。久々に充実した気分である。

 

重伝建の戸隠で宿泊

 温泉でサッパリしたところで、今夜の宿を目指すことにする。今夜は戸隠で宿泊することにしている。宿泊先に戸隠を選んだのも、この度戸隠が重伝建に指定されたから。今回の遠征の今日の予定は続100名城と重伝建の合わせ技になっている。

 再び上越道を信濃町ICまで南下すると、そこから戸隠目指して県道36号をひた走る。ところどころ道幅の狭い箇所はあるが、道自体はそう悪い道ではない。ただ起伏が結構激しいので、ノートのパワーではいささかしんどい運転になる。キャンプ場などの横を通り抜けながら、戸隠に到着したのは5時過ぎになる。

 今回の宿泊旅館は国民宿舎横倉。この地域に多い宿坊の一つである。建物はかなり年季が入っているようで床などはギシギシ言ったりする木造建物。趣があると言うよりも、端的に言うとボロい。ただ幸いにして不潔な感じはない。

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国民宿舎横倉

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趣があるというべきかボロいと言うべきか

 それにしてもさすがに戸隠は高原と言うべきか、この夏の最中でもひんやりとしている。部屋は暖房はあるが冷房はない。こんな気候なら確かに冷房は不要だろう。逆に冬にどうなるかを考えると空恐ろしい。

 とりあえず部屋に荷物を置くと町の散策に出る。しかし戸隠は5時を過ぎるとどの店も完全に店じまいで、町自体がもう既に夜のお休みモード。なお戸隠の集落は、歴史ある建物があるというよりは、戸隠神社を中心とした往事の宿坊の並ぶ門前町の雰囲気が残っているというべきのようだ。もっとも今日ではこの宿坊もスキー宿としての役割が大きいようだが。何か特定の見所となる建物があるというわけでなく、集落全体に漂う空気が一番貴重というところ。

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戸隠の中心となる戸隠神社
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多くの宿坊が立ち並ぶ独特の戸隠の町並み

 

 夕食は6時から。宿坊とは言うが、別に料理が精進料理というわけではなくて普通の夕食。それにしてもメインがビーフシチューというのはどういう取り合わせ。とりあえず集落の中にはコンビニ等はないので夜に腹が空かないようにタップリと食べておく。

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ビーフシチューがメインの謎夕食

 食後に軽く入浴を済ませて部屋に戻ると、この原稿を入力・・・しようと思ったが、体がだるくて頭がボンヤリとしてとても執筆不可。そこでボンヤリとテレビを見て過ごす。何やら「昭和と平成のヒーロー・ヒロイン」なんて番組をしているが、放送局がフジテレビ系列のせいか、出てくるキャラがワンピース関連が多すぎて興ざめ。この番組の直後にワンピースのスペシャルが放送されるとやたらに宣伝が入ることからも、明らかに票操作もありそう。ちなみにランキング1位は、ヒーローが昭和・平成共に孫悟空、ヒロインは昭和が峰不二子、平成はワンピースの何とかいうヒロイン(私はワンピースは全く知らない)。ヒロインのベスト5に昭和も平成もセーラームーンが入っていたが、昭和は旧作、平成はリメイク版というのがいかにも。ただ昭和の私としてはリメイク版には全く面白さを感じなかった。ちなみに私が選んだら、仮面ライダー1号とメーテルかな。本郷猛は「男とはこうありたい」いう憧れだし、メーテルもやはり憧れの女性である。

 体がとことん疲れており、もう既に両足ががたついてきている。当然のようにかなり激しい眠けも襲ってきた。することもなし、起きていても腹が減るだけ、この日は早めに就寝する。

セイジ・オザワ松本フェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム&伊深城&霊泉寺温泉、鹿教湯温泉、美ヶ原温泉

 昨晩は集中空調の冷房の効きがイマイチのせいで蒸し暑く、なかなかに寝苦しかった。浅い眠りのままウトウトしていたら朝の6時に目覚ましで起こされる。

 眠い目をこすりながら身支度し朝食会場へ。クラウンホテル名物の名古屋飯バイキングを腹にしっかりとたたき込んでおく。

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名古屋クラウン名物、名古屋飯バイキング

 今日は8時の特急しなのに乗車予定なのでそれに合わせて準備。テレビをつけたら、またトランプが今度は与党の大物にかみついたとのニュース。自らが掲げている法案が滅茶苦茶すぎるせいで可決できないのに、それを彼らのせいだと喚いているらしい。ああいうタイプの人間は基本的にうまくいかないことはすべて他人のせいにせずにはいられないので、追い詰められれば追い詰められるほど周りにけんかを売りまくって孤立することになる。トランプ政権ももう既に末期状態になっているようだ。側近連中も既にもてあましていることがにじみ出ている。ああいう輩は本来はもっともトップに据えてはいけないタイプなのだが、概して本人は極めて権力志向が強いから困りものなのである。というのも、権力がないと責任を周りに押しつけることが出来ず、自らの無能が際立ってしまうから。つまりああいうタイプは自らの無能を偽るために権力を指向するのである。ただ概して言い逃れなどの弁は立つために、当初は無能が目立ちにくいのがたちが悪いところ。しかも本人が無能を自覚して周りに任せればまだマシだが、このタイプは己の無能を認めることが出来ないから自ら仕切ろうとする。だから大抵はトップに座られてから周りが大混乱させられるのである。ああいうタイプはどこにも存在し、日本でも橋下などがまさにそのタイプである。だから敵対国としてはそういうタイプがトップに立つように誘導すれば、勝手に相手国が自滅していくということになる。さすがにハッキングでトランプが選挙に勝利するように誘導したプーチンは策士である。

 

特急しなので松本へ

 7時過ぎにチェックアウトすると名古屋駅で特急しなのを待つ。しなのは車内販売がないとのことなので、売店で慌ててお茶を購入。最近は効率重視で車内販売が次々と廃止になっているが、これは明らかなサービス低下。長距離特急で車内販売がないというのは著しく不便である。しかし収益一辺倒の世の中では必然的にこの方向に向かうのだろう。既にほとんどの特急列車の車内販売は廃止されており、いずれは新幹線の車内販売もなくなりそうである。

 特急しなのの車内は結構な混雑。盆は過ぎたものの、まだ夏休みの最中と言うことだろうか。フラフラした感覚のしなのの車中で原稿を入力するのは例によって気持ちが悪い。また車内の冷房の効きが今ひとつなのも不快感の一因。エコを口実にした経費削減か、はたまた外が暑すぎるのか。

 名古屋はカンカン照りだったのに、中央線沿線はどんよりと曇っており天候が気になるところ。とりあえず2時間後に到着した松本はちょうど雨がぱらつき始めたところという悪コンディション。

 今日はオリックスレンタカーを予約している。貸し出されたのはマーチならぬアクア。明らかにクラスが上の車にチェンジされている。まあ今回は山道を走る予定はないから、ボディの小ささにこだわる必要はないのでこのチェンジはありがたいところ。

 

伊深城 由来の不明な室町時代の城

 最初に向かうのは伊深城。築城の経緯が定かではない城で、1180年に岡田冠者源親義が築城したという伝説があるらしいが、実際には室町時代に伊深氏が築城したと推測されているとのこと。

 伊深城の手前に若宮八幡があり駐車場もあるのだが、その道が「本当にこの道を車が登れるの?」と言いたくなるような急な坂。とりあえず怖々その坂を上ると駐車場に車を置いてから若宮八幡に登る。その脇に遊歩道が整備されており、伊深城に登ることが出来る。

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この鳥居の脇に駐車場がある

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若宮八幡の社殿

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登山道は整備されている

 遊歩道を歩き出すと共に雨が激しくなり始める。これは急ぐ必要がありそうだ。傘を差しての登山なので非常に進みにくいが、救いは道が整備されているので足下の不安が少ないこと。ただ遊歩道を塞ぐ形で倒木があったりして気持ちを削がれる。

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いきなり倒木に進路を塞がれる

 

 天候のコンディションが悪い上に私の体力もガタガタ。九十九折りの山道を少し進んでは一息つかないと駄目な状態。残念ながら山頂まで一気に登り切るだけの体力が全くない。

 途中の分岐を過ぎて少し進むと、番所でもあったのではないかと思われるような構造に行き当たり、そこから先は明らかに城内の雰囲気が漂い出す。こうなると死にかけていたところも元気が出てくる。何とか脱落せずに山頂まで登り切った。

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途中で石垣らしき構造が

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そこを越えると城内の雰囲気が漂い始める

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この石垣は往時のものだろうか?

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本丸下の曲輪に到着

 登り切るのに要した時間は大体20分ほど。私のいつものペースというか、これ以上の時間がかかると体力が続かない。私の山城攻めは大抵20分以内で登り切るパターンなので、私に内蔵されたクライミングコンピューターの城攻めプログラムは20分が限界となっており、これを過ぎると過負荷で体から白煙が上がる・・・ということはさすがにないが、体力が完全に尽きて動けなくなってしまう。今まででは坂戸城でそれを経験している。

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上の段の本丸に登る

 

 山頂の郭は二段になっているが、面積はそれほどではない。一段低いところにあった帯郭を加えて、この辺りがこの城の主要部になるのだろう。なお山頂の本丸の奥はかなり深く堀切を切ってあるようだ。なお案内看板には「比高200メートルで眺めが素晴らしい」と書いてあるのだが、木が多いせいで眺望はほとんどない。

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本丸

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本丸は二段になっている

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北側はかなり切り立っている

 なんとか頂上にたどり着いたが、雨はさらに激しさを増してきている。足下がぬかるんで滑らないうちにさっさと下山することにする。実際はこれが一番危ない行程。しかし幸いにして大過なく降りてくることが出来た。

雨のために予定を変更して松本周辺温泉巡り

 しかし車に到着した時には雨はかなり激しさを増しており、これから他の山城を攻略するのは賢明ではないことは明らか。ここに来て予定の変更を余儀なくされることになる。妥当なのは松本市内観光だが、実際のところは松本市内でもう見て回るべき場所は思いつかない。松本城周辺をウロウロして時間をつぶす手もあるが、その場合は車は完全に邪魔になってしまう。

 どうせ車があるのだから松本市外まで少し足を伸ばすかと考えた時、目的地として浮かんだのが鹿教湯温泉。実のところ、今回の遠征計画の初期案では宿泊地は鹿教湯温泉を想定していたのだが、その後の状況の変化でキャンセルになっている。そこでどうせなら鹿教湯温泉を訪問してやろうかと考えた次第。

 

霊泉寺温泉を訪問

 松本から鹿教湯温泉は山間の有料道路(通行料510円とやや高い)を使用して30分程度。数年ぶりの再訪となる。相変わらず鄙びた風情のある温泉街である。宿泊するつもりだった大江戸温泉で入浴しようと思っていたのだが、残念ながら入浴は2時からとのことでまだ1時間以上先。では他の旅館でと思ったのだが、車を置く場所がない。これはどうしたものかと思案した結果、とりあえず鹿教湯温泉を通過して霊泉寺温泉を訪問することにする。

 霊泉寺温泉は鹿教湯温泉から車で10分ほど。ここは霊泉寺の隣に温泉用駐車場があり、共同浴場もあることは確認済み。車を駐車場に置くと、鹿教湯温泉に輪をかけて鄙びた温泉街を共同浴場まで歩く。

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鄙びた霊泉寺温泉街

 共同浴場はかなり古い建物。入口に箱が置いてあって200円を入れて勝手に入浴するシステム。無人販売所みたいなものである。

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霊泉寺温泉共同浴場

 霊泉寺温泉はアルカリ単純泉だが、この施設ではその湯を非加水・非加熱・循環なしでかけ流している。湯自体は肌にしっとりとくる上質のもの。先ほど雨の中の山道で疲れて汚れている体を洗い清めると共にしっかりとほぐす。

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霊泉寺温泉は泉質抜群

 

鹿教湯温泉を訪問

 入浴を済ませると昼食のために鹿教湯温泉に戻ってくる。ただ飲食店と言ってもそば屋ぐらいしかない。「たつみや」に入店して十割そばの大盛りを注文。そばはマズマズなのだが、さすがにそばばかりこの量だといささか飽きる。主食だけをひたすら食べている気分である。しかも今は生憎と秋の新そば収穫前の一番そばが悪い時期でもある。

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昼食を摂ったたつみや

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十割蕎麦の大盛り

 昼食が終わった頃には2時になったので大江戸温泉藤館を訪問。日帰り入浴を申し込んだところ、今日は部屋が全部埋まっていて宿泊客が多いから駐車場に空きがなく、チェックイン時刻の3時までに入浴を終えて欲しいとのこと。元より私はそんなに長湯するつもりもない。

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大江戸温泉藤館

 鹿教湯温泉もアルカリ単純泉である。ただここの浴槽は加温・循環・消毒ありなので湯の鮮度が先ほどの霊泉寺温泉よりは劣る。悪い湯ではないがインパクトはあまりない。

 

塩川の温泉饅頭を土産に宿泊先の美ヶ原温泉へ

 大江戸温泉を後にすると、ホテル内で試食用に配られていた塩川の温泉まんじゅうがうまかったことから、店に立ち寄って購入。後はまた510円の有料道路を通って松本に移動、今日の宿泊ホテルにチェックインすることにする。

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塩川の温泉饅頭

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実に美味である

 宿泊先は前回に宿泊した浅間温泉を考えていたが、ホテルの料金が高めなのとあまりに芸がないと考えたことから、今回は美ヶ原温泉で宿泊先を探した。見つけたのは湯宿和泉屋善兵衛。美ヶ原温泉の温泉街自体が路地がウネウネしたところなので旅館を見つけるのにやや手間取る。見つけた旅館は白壁土蔵風の少し変わった建物。

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白壁土蔵風の湯宿和泉屋善兵衛

 旅館にチェックインすると早速露天風呂に入浴に行く。この旅館は奥に長い独特の構造をしており、露天風呂はその一番奥。野外で開放感のある浴場で、浴槽には湯がダバダバと注がれている。泉質はアルカリ単純泉とのことで、あまり特徴のあるお湯ではないが、肌にしっとりと馴染む優しい湯。その湯に体をゆだねるとまさに極楽。

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開放感抜群の露天風呂

 

松本市街で夕食を摂ってからホールへ

 一風呂浴びてしばしマッタリとしてから、5時過ぎに夕食を摂るために外出する。しかし困ったのは松本の飲食店は松本城周辺に集中しており、その界隈では車は邪魔になること。結局はウロウロしているうちに「竹風堂」の前を通りかかったので、そこの駐車場に車を入れて夕食を摂ることにする。注文したのはいつもの「山家定食(1890円)」。本来なら昼食にするところのものが夕食になってしまった。

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いつもの竹風堂でいつもの山家定食

 やや軽めの夕食を終えるとキッセイ文化ホールに向けて移動。ホールには6時過ぎに到着したが、既に駐車場はほぼ満杯の状況で車を止める場所を探してウロウロする羽目になる。誘導もほぼないに等しい状態だし、押しかけてくる人数に対して会場側が対応し切れていない様子。

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キッセイ文化センター

 会場周辺では記念写真を撮影する者が非常に多い。そのような光景は前回にも多数目撃したが、この辺りが通常のコンサートと違ってお祭り気分が強いところ。なお会場内はほぼ満席になっていたが、当日券の販売もあったようだ。前回は私の席は2階の奥だったが、今回はチケット購入のコツが分かったので1階の比較的良いポジションを確保している。

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ホール入り口は大混雑

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ホール内もこの賑わい

 

セイジ・オザワ松本フェスティバル オーケストラ コンサート Bプログラム

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指揮:小澤征爾(ベートーヴェン)
ナタリー・シュトゥッツマン(マーラー、ドヴォルザーク)
ソプラノ:リディア・トイシャー(マーラー)
演奏:サイトウ・キネン・オーケストラ

ベートーヴェン:レオノーレ序曲 第3番 Op.72b
マーラー:「少年の魔法の角笛」より
ドヴォルザーク:交響曲 第7番 ニ短調 Op.70, B.141

 小澤が振ったのは一曲目のレオノーレだけなのだが、やはり小澤が振るだけでサイトウキネンオケの音色がピリリと引き締まるのが感じられる。気持ちの入った演奏というか、オケの気合いのようなものが演奏を通して感じられる感動的な演奏。おかげでレオノーレが実際以上の大曲に聞こえてくる。小澤もここ一番では立ち上がって棒を振るなど、なかなかに気合いが乗っている。まだまだ小澤健在をアピールしている。

 指揮者が代わって「角笛」に関しては、トイシャーのソロが若干弱々しさがあり、終始オケの音色に埋もれてしまうような印象があったのがつらいところ。

 シュトゥッツマンの指揮に関しては、軽やかで躍動感に満ちているのが特徴。その中でメロディを浮き立たせる形になっている。また弱音に対して神経を使っているのを感じられるが、いささかサイトウキネンのパワーをもてあまし気味である印象も受けた。独特のリズムで躍動感のある交響曲第7番の第3楽章などは彼女の演奏の特徴が最も現れていたように思われたが、両端楽章についてはもう少し緊張感が欲しいようにも感じられた。

 小澤がステージに現れただけで空気が変わるというか、楽団員の小澤に対する敬意のようなものが滲んでいた。指揮者と楽団員の親密さが伝わってきており、小澤がいるだけでオケに影響を与えているのが分かる。これがいわゆる巨匠効果というものか。なおこの効果は楽団員だけでなく、観客にも及んでいたようだ。

 

 コンサートを終えると全員が早足で会場を後にする。ここで出遅れたら駐車場を出るだけでかなりの時間を要してしまう可能性がある。私は幸いにして出口が渋滞する前に会場外に出ることが出来た。前回でも感じたがこの会場は足の問題も抱えている。ただキッセイ文化ホールがベストな会場とは思えないが、松本には他に施設がないのだろう。

 旅館に戻って来た時には温泉街はひっそりと静まりかえっており、辺りは既に半分眠っている状態。この温泉街は歓楽街などを有していないので夜が早いようである。部屋に戻った私は、とりあえず内風呂でゆったりと体を温めてから就寝することにする。

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内風呂でゆったりと入浴する

「ユトリロ回顧展」at 姫路市立美術館&春日城(兵庫県福崎町)

 最近は疲労の蓄積で完全にグロッキー状態で週末もしばし寝込んでいるような状態だった。しかしこのままではどんどんと体が鈍る一方で、体調も芳しくない。そこで今日は意を決して出かけることにした。

 まずは姫路の美術館から。

「ユトリロ回顧展」姫路市立美術館で7/2まで

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 パリの街並みを描き続けた画家・ユトリロの初期の「白の時代」の作品から、後の「色彩の時代」に至るまでを展示。八木コレクションや個人蔵の作品が中心で、白の時代の作品が比較的多いのが特徴的である。

 そもそも彼は精神病院に入院していた際に治療の一環として絵を描き始めたと言うが、そういう頃の「白の時代」の作品の方が後の作品よりも明らかに精神的に深いものを感じさせる。一方、母親の贅沢な生活費を稼ぐために作品を量産していた時期の作品は、技術的には向上が見られるのだが、かつての作品に比べると精神性はかなり浅い。

 こういうようなことを作品を通じてあからさまに見せられると、やはり傑出した芸術とは狂気の中に宿るのではなどということを感じずにはいられないのである。彼の作品やゴッホの作品などは特に。

 

春日城 赤松氏配下の後藤基明の城

 さてこれで美術館の予定は終了。しかし今日は久しぶりに山城に登るつもりで出てきている。今回のターゲットに考えたのは姫路市の北、福崎町にある春日城。赤松氏配下の後藤基明が築城した城で、彼は赤松政則の配下として応仁の乱で山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとのこと。1578年、城主・後藤基信の時代に羽柴秀吉の播磨攻めで落城、基信は自刃したとのこと。

 播但道に沿って北上していくと、春日山(飯盛山)があるのでここが春日城の場所。麓にふれあい会館という施設があり、その近くに駐車場があるのでそこに車を置いて進んでいく。山道を進んでいくと、途中で春日城方面とキャンプ場との分岐があり、そこからが本格的な登り。

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ふれあい会館

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案内看板を見れば楽勝に思われる

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登り口

 足下が完全に整備された山道なので、登っていくのは極めて容易・・・なはずなのだが、登り始めて5分で息が上がり、吐き気まで起こってしまうのが現在の私の体力の状況。かつての調子の良い時ならこんな登りは一息で山上まで行ってしまったはずなのだが・・・。認めたくないものだな、加齢故の衰えとは。

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キャンプ場との分岐

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ここから本格的な登り

 九十九折りの道で急斜面を直登していくのだが、途中で何度も休憩して持参した麦茶を飲みながら少しずつ登らざるを得ない。結局は20分程度を要して、ほとんど倒れ込むように山頂に到着。山頂にあったベンチにへたり込んだまましばらくは立ち上がれなくなる。マジで心臓が止まるかと思った。

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山頂に到着した時には半分死んでいた

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このベンチにへたり込む羽目に

 

 山頂の削平地はそう大きな面積ではない。案内看板の後ろに食料貯蔵庫の表示があって大きな穴が空いている。ここが倉庫だったということか。ただ雰囲気的には溜め池のようにも思えるのだが。

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案内看板の後ろに

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食料貯蔵庫の穴

 基本的には単郭構造のシンプルな城郭である。ここから鍛冶屋熊野神社に下っていく道もあるのだが、多分そちらの方が大手だろう。その方向には帯曲輪のような構造もあるようだが、鬱蒼していて立ち入ることは不可能。

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熊野神社方向に向かう道

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帯曲輪っぽい構造はあるが進入不可

 頂上は樹木を伐採してあるので非常に見晴らしが良い。眼下には豊かな田んぼが見える。地方領主としてはこの地を治めるには格好の場所だし、この豊かな土地は死守しないといけない場所であったろう。

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地方領主の眺めた風景

 帰りは鍛冶屋熊野神社方面に下っていく。ふれあい会館側からの登り道は斜面直登のイメージだったが、こちらは城の遺構に従っている雰囲気がある。また階段の整備があちら側ほどなされておらず、しばしば自然斜面のまま。それだけに気を緩めると転倒の危険があって大変。これはこちらから登ってあちらから降りるのが正解ルートのようだ。私は完全に逆をたどってしまった。

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自然斜面を降りてくると

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熊野神社側の登山口に到着する

 足下に気をつけながらしばし降りてくると熊野神社の横手に出てくる。かつてはこの辺りに領主館でもおいてあったのだろうか? 春日城は明らかに常駐する城ではなく、いざという時のお籠もりのための城である。ただそう凝った作りでもないので、秀吉の大軍に侵攻されるとひとたまりもなかったろう。

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熊野神社

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神輿が置いてあるようだ

 久しぶりの山城攻略でとにかく疲れた。途中で心臓が止まるんじゃないかと思うこともあったが、今となると意外に体が軽くなっている。やはり全く体を動かさずにゴロゴロしているのも良くないようである。これから調子を見ながら運動していかないといけないようだ。

 

笠方温泉で汗を流す

 とにかく汗をかいたのでこの汗を流すと共に遅めの昼食を摂りたい。そのための場所として思いつくのはこの辺りでは笠方温泉。10キロほどの道のりを車で走る。

 笠方温泉にやって来るのは久しぶりである。まずは「お食事処せせらぎ亭」で昼食を摂ることにする。注文したのは「辛味大根そば」の大盛り。

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せせらぎ亭

 ピリッとした大根がそばと絡んでうまい。ようやく生き返った気分。そばをタップリと腹に放り込むと続けて甘味。抹茶ラテとプリンのセットを追加注文して一息つく。

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さっぱりした辛味大根そば

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デザートを追加

 昼食を終えると入浴。上のみはらし館の方に行くことにする。ここは開放感のある露天風呂が特徴。泉質はアルカリ性単純泉とのことでいくらかぬめりはあるがそう強くはない。ただ自家源泉の湯を循環はさせているだろうが、ダバダバと流しているので塩素臭もあまりなく湯自体は良好。

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みはらし館

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手前にある源泉井戸

 ゆったりとくつろぐと、風呂上がりに地元飲料のゆず太くんを頂いて一息。生き返る気分。

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ゆず太くんで一服

 これで予定は終了で帰途についたのである。やはりたまにはこういう汗を流すこともしないといけないとつくづく感じた次第。やはりここのところインドア活動ばかりになりすぎていたか。そのせいで体が一気に老け込んだ気がする。

 

ワ・ラッセと弘前城に立ち寄って帰宅

 翌朝は7時頃に起床すると朝食。さて今日の予定だが、今日は遠征最終日で青森空港から夕方のANA便で帰宅するだけ。空港に行くまでの時間がフリータイムとなるが、例によって全く何の予定もない。

ワ・ラッセでねぶた見学

 とりあえずチェックアウト後にはホテルのすぐ近くにあるワ・ラッセを見学することにする。ここはねぶたの山車などが展示してあり、一年中ねぶたが体験できるという施設。ちょうど五所川原の立佞武多の館みたいなものである。

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ワ・ラッセ

 内部の展示はねぶた祭の歴史やら歴代ねぶた名人の紹介など。やはり名人ごとに作風の違いなどがあるようだ。実際のねぶたの山車はかなり凝った造りになっており、最早一種のアートである。また照明を使用するために大型の発電機なども搭載しているので、かなり大型で重量級。これを動かすのも相当大変だと思う。

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 ねぶたの山車を鑑賞しながらしばしボンヤリしていると、その内にねぶた祭のデモンストレーションが。やはり鉦と太鼓のシンプルなリズムは日本人としての魂に訴えかけてくるものがある。なぜか原始的な興奮が巻き起こされる。「ラッセーラ」のかけ声に合わせてステップを踏むのだが、これが単純な動きなのだがなかなかにハード。私などは数分で息が上がってしまう。

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ねぶたの実演

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太鼓の音は血が騒ぐ

 しばし祭の雰囲気を堪能してからワ・ラッセを出る。正直なところねぶた祭はいつか一度見に来たいと思っているのだが、この時期はこの周辺のホテルは料金が高騰する上に予約も一杯だからなかなか難しい。実現にはなかなかの困難がある。札幌の雪祭りは以前に何とか見学したが、こちらは無理かな・・・。ちなみに仙台の七夕は、以前にちょうどその時期に仙台に滞在していたにもかかわらず、全く興味が湧かずにスルーしたという前科がある。

 さて現在ちょうど昼前頃。飛行機が出るのは夕方なので、空港行きのバスは3時過ぎぐらいである。しかしもう青森ですることが全く浮かばない。散々悩んだ結果、仕方ないから弘前にでも行くかと考える。弘前城では現在は桜祭り開催中のはずである。

 

弘前城へ

 青森まではJRで1時間弱。弘前からも空港行きのバスはあるので、青森に戻ってくる必要はない。弘前に到着すると駅のロッカーにキャリーを放り込んでからバスでとりあえず弘前城を目指す。

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弘前駅

 弘前城の桜は生憎と数日前に完全に終わってしまったようだ。現在は葉桜の状態になっている。ただ一部の八重桜などは現在満開。

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弘前城

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 数年ぶりに弘前城の城内をプラプラと散策する。やはりこの城は良い。城全体の遺構の残存度合いが非常に高い。その点では玄人受けする城郭である。なお現在は天守下の石垣を修復するために天守を移動しており、天守台には何も乗っていない状態。だからわざわざ本丸に料金を払って入場する意味もあまりないので、外の無料区画からの見学で済ます。

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天守は移動済み

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石垣を修理中

 祭とあって城内には露店の類いがかなり出ている。中にはお化け屋敷などのレトロ感満載のものも。露天で貝焼きやらそばを頂きながらの散策を楽しむ。

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レトロ感満載の露店

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お化け屋敷

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貝焼きを頂く

 

 弘前城から戻ってくると駅前で昼食を摂ることにする。昼食を摂る店を探すのも面倒なので、駅前で適当にチェーンの居酒屋に入店、いかにもの海鮮丼を注文してこれが今日の昼食となる。

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駅前の居酒屋で昼食

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海鮮丼

 昼食を終えた頃にはバスの時刻が近づいてきたので弘前駅前から空港行きのバスに乗車、青森空港へ。青森空港に来たのは初めてだが、典型的な地方空港。長崎空港や新潟空港などと雰囲気が類似している。

 結局はこの日はボンバルディアで伊丹へと飛んだのである。ボンバルディアは相変わらずの気持ち悪い飛行であったが、無事に伊丹へと到着、そのまま帰宅したのである。

 ひ

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飛行機から見た岩木山

青森に渡って、温泉と山城を堪能

北海道新幹線視察

 翌朝は6時に起床すると朝食を摂ってから7時半頃にはチェックアウトする。今日は北海道新幹線で青森に移動する。これは新規に開通した北海道新幹線の視察も兼ねている。

 函館駅からはこだてライナーで新函館北斗駅まで移動。この列車はそもそも北海道新幹線との接続用快速なので、降車客の大半が新幹線改札へと移動する。新幹線改札はすぐ隣で、二階に待合室などがある構造。なお現在は北海道新幹線の終着駅だが、札幌まで延伸予定であるので、駅の構造がターミナルではなくて途中駅の構造になっている。新幹線の駅としてはかなり小さめ。

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函館ライナーに乗車

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新函館北斗駅に到着

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新幹線のホームに移動

 土産物を少々買い込んでから乗車。車両は緑色主体の北海道新幹線カラー。ただ内部は東北新幹線と変わらない。駅を出た新幹線は、田んぼの中を大きくカーブして進みながらやがては山に突入する。今時の新幹線のお約束のトンネル連続を抜けると木古内。木古内を過ぎると大小トンネルの連続を経てから青函トンネルに突入。今の青函トンネルと新幹線と貨物列車を同時に通すために三線軌条(三条軌)になっているとのこと。青函トンネルを抜けると本州到着。ここの部分はかつての津軽線は地上を走っていたのだが、新幹線はお約束のように山の中をトンネルで真っ直ぐ突き抜けていく。ようやく地上に出ると山際を新青森に向けて直線走行。

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車内はそこそこの混雑

 ようやく新青森に到着。これで北海道新幹線視察終了ということで、先の仙台地下鉄と合わせて新設路線の視察完了となる。

 新青森駅に降り立つが、相変わらずこの周辺はあまり何もない。もっともそれでも数年前に訪れた時よりはまだマシになっているか。とりあえずここからはレンタカーで移動である。駅前の日産レンタカーに立ち寄ると、貸し出されるのはまたマーチ。パワー不足があからさまであまり好きな車ではないのだが・・・。アイドリングストップなんて余計な機能が付いていないバージョンだったのがまだ救い。

 

八甲田の酸ヶ湯温泉へ

 さて今日の目的地だが、ここからこのまま八甲田まで突っ走る予定。目的は八甲田の山中にある酸ヶ湯温泉。山中の秘湯として知られている。アクセス道路の積雪が心配だったが、情報によると一ヶ月ほど前に除雪されて開通しているのでノーマルタイヤでも問題ないとのこと。

 青森の市街を抜けると国道103号を八甲田めがけてひたすら南下する。道は良いのだが、途中から段々と傾斜がきつくなってくるとマーチのパワー不足が露骨に現れてきていささかしんどい。それにしても山中の道にかかわらず通行車両がかなり多いのが気になるところ。

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八甲田目指してひた走る

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道路は良好

 途中の萱野高原で休憩。ここには茶店が二軒ほどあり、そばや団子を販売中。私は昼食を摂っていないのでここでそばを頂く。なおここでの名物は長生き茶らしい。このまま行けば先が長くないと思われる私はここで茶を頂いておく。

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八甲田がそこに見える萱野高原

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茶店は二軒あり

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もう一軒

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山菜蕎麦で一息

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よもぎ団子を頂く

 

 休憩後は再び八甲田に向かって進むが、この辺りから沿線の風景が一変する。道路の周辺に雪が積もっているのである。やがて八甲田のスキー場を通過すると目的の酸ヶ湯温泉に到着する。

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ここら辺りから道路脇に積雪が

 酸ヶ湯温泉は山中の温泉旅館。しかしGWのせいでここも大混雑。宿の前の駐車場は満杯で200メートル離れた上の駐車場に行かされる。

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駐車場

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背後には雪の壁

 酸ヶ湯温泉には混浴の有名な千人風呂と男女別の風呂の二つがあるが、どうせなら有名な千人風呂の方に入浴することにする。

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酸ヶ湯温泉

 千人風呂はかなり広い空間に二種類の浴槽がある。微妙に成分と温度が違う模様。なお両浴槽共に中間で男性領域と女性領域に区切ってある。女性用の湯浴み着なども販売されているらしいが、それでも雰囲気的には女性には入浴しにくそう。私の訪問時も男性ばかりだった。またここでもやはりマナーの悪い客が問題になっている模様。湯原温泉の砂湯などでは湯の中で女性を待ち受ける出歯亀オヤジ(俗にワニとよばれる)が問題となっていたが、こちらでも一見してそれと分かるような輩が見受けられる。それにしても不思議なのは、出歯亀オヤジは明らかに見ただけでそれと分かる卑しい顔つきをしていること。人間40を過ぎたら自分の顔に責任を持てという話があったが、確かに年齢を減るにつれて精神の中身が外観ににじみ出てくるということはあるようだ。中身の卑しいものは往々にして外観にもその卑しさがにじみ出てくる。政治家連中にいかにも浅ましい顔つきが多いのもそういうことだろう。安倍などもいかにも能なしのバカボンぶりが顔立ちに現れている。

 さて湯の方だが、若干の青みを感じる白濁湯であり、泉質は酸性硫黄泉ということになる。少しなめてみると非常に酸っぱいのに驚く。ここまで酸性のキツイ湯はここ以外では草津でしか体験したことがない。かなり強い湯だけに肌当たりもややキツいところがある。ただかなり効果のありそうな湯ではある。

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酸ヶ湯温泉千人風呂(参考画像 出典:酸ヶ湯温泉HP http://www.sukayu.jp/inside/bathing.html)

 湯治の方法があるようだが、私はそこまで本格的なことをする気もないので、両浴槽をザクッと入浴して体を温めたところであがってくる。サッパリとした実に良い湯である。

 酸ヶ湯温泉が秘湯として人気がある理由はよく分かった。確かにあれだけキャラクターの強い湯はあまりない。近くなら通っても良いと思わせるような湯だが、さすがにこの山中ではなかなか来れないだろう。

 風呂上がり後はソフトを頂いてくつろぐ。ここのそばも有名と聞いたが、先ほど萱野高原で山菜そばを食べた直後なのでこれはパス。

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ソフトを頂く

 さて体も温まってサッパリしたが、これからの予定が実はまだキチンと考えていない。とりあえず車に戻って一人作戦会議。やっぱり城郭でも回るしかないが、この近くでの心当たりがない。というか、そもそもこんな八甲田の奥深くに城なんて作っても仕方ないので、この周辺に城などないだろう。城というものは平地を見下ろす山上に築くものであって、こんな山深くに築いても治めるべき土地がない。

 

大仏ヶ鼻城 中世の館跡

 やっぱり弘前周辺にまで行くしかないか。弘前の手前に今は公園化されている大仏ヶ鼻城なる城郭があるとの情報があったのでそこを目指すことにする。

 今度は国道394号を下っていくが、これがなかなかの壮観。狭い日本にもこんなに雄大な光景があるんだなと呆れる次第。

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途中の風景

 大分疲れた頃に大仏公園近くまでやってくるが、そこにたどり着くまでが路地の迷路。ただようやく現地にたどり着くと、そこは駐車場までキチンと完備した普通の公園。

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大仏ヶ鼻城遠景

 大仏ヶ鼻城は、平川沿いの平地の狭隘部に迫り出した山上にある城郭。この地は南の大館からの街道を扼する要地なので、弘前を押さえるとしたら南方の守りに不可欠の立地となっている。そもそもは中世にこの地を治めていた石川氏の館群の一つだったらしい。後に津軽為信の津軽統一の過程で石川氏は滅ぼされたらしい。

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大仏ヶ鼻城

 残念ながら完全に公園整備されているので往時の遺構はほぼ何もないと言ってもよい。ただ地形的に見て、周りから切り立った地形は城郭に相応しいことはよく分かる。背後の山側にはかなり高所があるが、ここは主郭とするには狭いので見張り台というところか。もしかしたら最後のお籠もりのための祠ぐらいはあったかもしれない。恐らく城の主要部は現在公園となっている辺りだろう。辛うじて複数の曲輪があったらしき構造は読み取ることが出来る。

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手前はグランドになっている

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奥に高台がある

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しかし特別な構造はない

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見晴らしは良い

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右手の高台に登ってみる

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最高所には何やら石碑が

 

大鰐温泉に立ち寄る

 大仏ヶ鼻城の見学の後はここから南下して大鰐温泉に立ち寄ることにする。青森には何度か来ているが、今まで大鰐温泉には立ち寄ったことがない。

 大鰐温泉は昭和の温泉街といった風情の街並みである。ここまで来たならやはりどこかで入浴していきたい。大鰐温泉駅の駅前に地域交流センターcomeなる施設があり、これは道の駅と公民館と日帰り温泉を組み合わせたようなものである。ここの入浴施設「鰐の湯」に入浴していくことにする。

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鰐の湯

 大鰐温泉は弱アルカリ泉とのことだが、多分この手の施設だと循環ありだろう。なぜか温泉成分の表記が館内に全くないのが気になるところ。湯自体はきわめておとなしく、ぬるぬる感は特になく、味もかすかな塩味がするだけ。新湯よりは当たりは柔らかいが、これと言った特徴のない湯。やはり先ほど超強力な酸ヶ湯温泉を味わってきただけに、これはあまりに分が悪いと言うべきか。

 温泉で体をほぐすと併設のカフェでケーキセットで一服。それは良いのだが、アイスコーヒーを頼んだら目の前でパックのアイスコーヒーをコップにダバダバというのは・・・。どうも地方のこの手の施設は、こういういかにもやる気の見えない飲食店が少なくないのが困ったもの。

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喫茶で一息

 一服が終わったところで青森に帰ることにする。まだ時間に余裕はかなりあるのだが、もう行くべきところがなくなってしまった。この近くで他に温泉と言えば黒石温泉ぐらいだが、黒石温泉は以前に一度行っている(湯温温泉鶴の名湯)が特に印象に残っていないことからわざわざ再訪するまでもという気があるし、何よりもう温泉疲れをしてしまった。結局は青森に直帰して早々と車を返してしまう。

 

青森の行きつけの飲食店へ

 車を返したところでホテルに入ることにする。ただその前に夕食を先に済ませようかと「おさない」の前を通りかかるがなんと店の前に数人の行列ができている。今までこういう光景の記憶はない。とりあえずトランクを引きずっている状態だし、先にホテルに入ることにする。

 今日の宿泊ホテルはルートイン青森駅前。昨日に続いてルートインの連泊になってしまった。今回の遠征ではルートインの使用が多く、例によっての「困った時のルートイン」である。GWは全体的にホテルの価格相場が上がる上に(ドーミーインなんて軒並み常軌を逸した価格になってしまう)、そもそも宿泊予約を受け付けていないところも増える(団体客などで既に塞がっている)ので、どうしてもルートインの依存度が上がってしまうのである。

 とりあえずチェックインを済ませて部屋に荷物を置いて一息ついてから再び夕食のために町に繰り出す。「おさない」の行列は・・・さらに伸びていた。普段は食事のために行列に並ぶという行動原理のない私だが、今回の遠征では行くつもりだった店をことごとくはずされたということもあるので、「おさない」だけは死守するつもり。

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おさないには行列

 客の回転は比較的速い店なので10分程度で席が空く。私はウニ丼とホタテフライを単品で注文。ただここから料理が出てくるまでが結構長い。

 先にホタテフライの方が出てくる。相変わらずうまいフライだ。醤油を少しかけていただくのがポイント。噛みしめた途端に旨味がにじみ出てくる。

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ホタテフライ

 さらにしばらく待ってからようやくウニ丼が登場。さすがにウニ専門店のものよりは若干劣るが、それでもなかなかのもの。ウニの甘みを感じることが出来る。

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ウニ丼

 ようやく満足のいく夕食を取ったという感じ。満足して店から出てくると、行列はさらに伸びていた。どうなってるんだ? 今回は私が推していた店は悉くだ。みんな私のHPをチェックしている・・・なんてはずはないのは明らかだが、やはりネットなどでの情報なんだろう。よくテレビで芸能人が勧める行きつけの店とかスタッフ一推しの店なんて番組があるが、ああいう番組では絶対に本当の行きつけなどは出さないという。そうでないと野次馬に荒らされてしまうから。私もこれからは一推しはすき家とかロッテリアにでもしておくか(笑)。

 夕食を終えてホテルに戻るとしばしテレビなどを見てマッタリ。小腹がすいてきたところで今回の宿泊プランにおまけでついていたご当地カップラーメンを頂く。煮干し系の出汁がいかにも東北らしいが、それが関西人の私に合うかといえばまた話は別。

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ご当地カップ麺

 小腹を満たしたところで大浴場で入浴。残念ながらここの浴場は温泉ではないが、それでもゆったりとくつろげる風呂はよい。

 風呂からあがると猛烈な疲労が襲ってくる。どうも昨今は体力が低下していて、疲労が溜まりやすい。また昨日と今日の長距離ドライブがかなり効いている。早めに就寝することにする。

函館周辺城郭巡り(志苔館、戸切地陣屋、茂別館、花沢館、勝山館)

 翌朝は7時に起きるとすぐに朝食。8時にはホテルをチェックアウトする。今日はレンタカーで道南の城郭を回る予定。これが北海道で残っていた宿題であり、謂わば今日が本遠征の主題。

 函館駅前の日産レンタカーで貸し出されるのはマーチ。パワー不足の上に重心が高く、足まわりが弱いのでカーブの度にフラフラとする。相変わらず運転しにくい車だ。

志苔館 中世和人の館の一つ

 まずは一番近くの目的地へ。目指すは函館空港の南にある志苔館。中世の城郭で室町時代に道南に十二あった和人の館の一つであるらしい。小林氏が館に居住していたが、1456年には近くでアイヌの蜂起があり、志苔館はその時に攻め落とされている。その後、再び小林氏が居住したものの1512年にまたアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落、館主の小林彌太郎良定が討ち死にしたとのこと。小林氏はその後に松前藩に従属し、志苔館は廃館になっている。

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志苔館

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単郭の単純な館跡のようだ

 現地は発掘調査と保存が行われたようで、建物の跡などが残されている。周りは土塁で固めており海沿いの小高い丘の上なので、城塞というほどではないが普通の館よりは防御は固い。また入口側は二重の土塁で守備を固めている。土塁の中は4100平方メートルの広さの長方形で、複数の建物があったようである。

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入口

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二重の土塁で防備する

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土塁上から入口方向を振り返って

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土塁内部

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土塁に囲まれた中には建物の跡がある

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回りはかなり切り立っていて防御力もある

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すぐそこに見える函館空港の管制塔は昨日のホテルを思わせる

 なかなかに見応えのある城郭で、北海道城郭巡りもなかなか順調な滑り出しだ。次は少し足を伸ばして松前藩戸切地陣屋跡に出向くことにする。

 

戸切地陣屋 松前藩の築いた陣地だが箱館戦争で放棄される

 戸切地陣屋跡は函館茂辺地道路の北斗中央ICで降りて、道道96号を北上したところにある。辺りは公園整備されているようで花見の名所になっている模様。私が到着した時も広い駐車場に多くの車がやって来ていた。

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戸切地陣屋入口

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四稜形の縄張り

 戸切地陣屋は1855年に幕府の命で松前藩が築いた陣地である。四稜になっていて東の稜の先端に6つの砲座がある。周囲は土塁と堀で守備してあり、五稜郭に似た構造になっている。17棟の建物が内部にあり、約120人の守備隊がいたらしいが、1866年の箱館戦争の時に敵方に使用されないように火が放たれたとのこと。

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土塁と堀がハッキリと残る

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入口の裏にある目隠しの土塁

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内部はかなり広い

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建物跡が多数

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裏門

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砲台部分は土塁に切り込みがある

 保存状態は非常に良く、土塁と建物跡が残っている。現在は国の史跡に指定されているとか。内部はかなり広く、実際に戦闘になった場合には120人でここを守り切るのは無理だろうと思われる。だから幕府軍の進撃に対して、守備隊は火を放って撤退したのだろう。

 

茂別館 津軽十三湊城主・安東太郎盛季の館

 戸切地陣屋の次は海沿いの松前国道を南下、茂別館を目指す。茂別館は海近くの丘陵上にあり、現在は神社となっている。

 茂別館は1443年に津軽十三湊城主・安東太郎盛季が館を作ったのが始まりと言われている。大館と小館の2つからなるが、川や崖に守られた堅固な地形となっており、東側には高い土塁が築かれている。

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大館は現在は神社

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二郭構造だったらしい

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東方にはかなり高い土塁が残る

 土塁の外に作られた町道から回り込むと車で城内に入ることが出来る。南部は神社の参道を作るのに地形が改変されているが、それでも元々は結構険しい崖だったことが覗える。西側の小館の部分は鬱蒼として踏み入るのは躊躇われるが、大館の一段低い位置に削平地があるらしいことは確認でき、ここも南部はかなり急な崖である。

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小館方面は鬱蒼としており踏み込めない

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何かありそうではあるが

 志苔館と同様の「防備を固めた館」という構造である。この時代にはこのような形式が和人館の標準形だったのだろう。

 

 ここからは長駆、木古内から道道5号経由で日本海側に出ることにする。途中の木古内の道の駅で昼食でもと思ったのだが、駐車場に車を入れられないほどの大混雑。食堂の前も長蛇の列という状態で、エビバーガーと豆あんパンを購入して腹に入れるのがやっと。少々頼りない腹を抱えたまま山間の道道を長距離ドライブとなるのである。

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道の駅きこないに立ち寄るが・・・

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エビバーガーと

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豆あんパンしか食べられず

 

花沢館 道南12館の一つ

 かなり疲れた頃に上ノ国に到着。ここには花沢館と勝山館という2つの城郭がある。まずは花沢館に立ち寄ることにする。

 花沢館は勝山館もある山並みのやや手前に位置する城郭。斜面の手前を断ち切って城郭にしてある。現地に行けば入口の看板もあるのだが、残念なことに駐車場がない。前の道に車を置きたくなるところだが、しっかりとここは駐車禁止。しかもパトカーが巡回中。こんなところでポリにカモられるとたまったものでないので、車は少し離れた裏道のところに置いておく。

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花沢館登り口

 入口の看板から登ると2,3分で何段かの削平地に出る。ここが一番広い削平地で案内看板も立っている。花沢館は志苔館などと共に道南12館の1つであり、津軽の安東氏が茂別館に下之国守護、大館に松前守護、花沢館に上之国守護をおいて支配していたという。

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山道を登っていくと

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L字型の削平地に出る

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その奥は結構広い

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登ってきた方向を振り返って

 この削平地から背後の斜面の上にもさらに削平地があり、ここが最高所。なかなかの見晴らしである。なお背後の尾根筋には堀切を切ってある。ここは地形が急な分、志苔館や茂別館よりも正面からの攻撃には強そうだが、尾根筋伝いの背後からの攻撃が弱点となりそうである。

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奥の斜面をさらに登る

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途中には数段の削平地が

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最高所も削平されている

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一番奥まで行ってみる

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尾根筋が堀切で切断されている

 

道の駅もんじゅで昼食

 花沢館の見学の次は勝山館に向かうが、その前に途中の道の駅もんじゅに立ち寄り昼食を摂ろうと考える。しかし2階のレストランは混雑していて入店に大分待たされた挙げ句、入店後もかなり待たされて無駄に1時間以上をロスする羽目に。厨房の速度が遅すぎて全く間に合っていないのである。以前に九州の道の駅でも同じ目に遭ったことがあるが、これだから地方の道の駅は・・・。救いは出てきた天丼自体はまずまず美味かったこと。

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店からの見晴らしは良く

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天丼もまあ美味かったのだが・・・

 

勝山館 武田信広による山城

 思わぬ時間ロスで見学時間が不足気味になってきたので勝山館に急ぐ。勝山館は花沢館の背後の山上にある。手前にガイダンス施設があるので、一回りして見学。この辺りは勝山館に限らず、それ以前の遺跡なども大量に発掘されているらしい。

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ガイダンス施設

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勝山館の模型

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この手の墳墓が多数発掘されたらしい

 勝山館は15世紀後半に松前氏の祖である武田信広が築いた山城である。16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の拠点であったという。なお発掘の結果、和人とアイヌ人が混在していたことが明らかとなっているなど、この時代の北の大地の状況を語る貴重な遺跡であるとのこと。

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ガイダンス施設の近くに降り口がある

 勝山館は背後に夷王山墳墓群を控える山の斜面に築かれている。背後を守る堀切を越えると広い削平地に出る。斜面を削平して、そこに多くの建物を建てていたようである。現在は建物跡と周囲の柵を復元してある。背後と前方は堀切で、東西は断崖で守られているので防御は固い。

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勝山館背後の墳墓群

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堅固な絡め手門

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搦め手を入るとすぐに館神八幡宮跡が

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館神八幡宮跡

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さらに下に降りる

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整然とした構造

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建物跡が多数

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下には柵がある

 

 二重の堀切を越えると下の削平地がある。こちらは上よりは狭いがそれでもそこそこの面積がある。この削平地の先は土塁で守ってあり、そこから麓につながる通路が延びている。

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下の段には堀切を越える

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かなりの高度差

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堀切は二重になっている

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下の段も広いが未整備

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これは門の跡だろうか

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下まで道がつながっているようだ

 やはり「防御を固めた館」という趣であるが、今までの館の中では一番防御が堅固なように思われた。また花沢館が出城的に位置にあることを合わせて考えると、やはりこの地域を抑える大拠点であったことが覗える。

 

江差の町並み

 もう既に夕方になってきた。北上して江差を通り抜けて国道227号で函館に戻る。既にかなり疲労が溜まっているのでこの行程は結構しんどいものがあり、気を引き締めてかからないと事故になりかねないところだった。

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江差の町並

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五稜郭近くのホテルで宿泊

 レンタカーを返却するとホテルを目指すことになる。今日宿泊するホテルはルートイングランティア函館五稜郭。本当は函館駅前の方を取りたかったのだが、空きがなかったのでこっちになった次第。しかもGWの特別価格。と言うわけで、実は今回の遠征において料金だけで判断したらここが一番の高級ホテル。確かに夕食なしでこの価格は少々納得しがたいところではある。

 ホテルにチェックインすると何はともあれ温泉大浴場へ。ここの浴場は含鉄ナトリウム塩化物強塩泉とのこと。赤っぽい着色があり、かなりしょっぱい湯。

 入浴してゆったりしたところで夕食に出かける。以前に訪問したことがある寿司店を訪問するが、表まで大行列。閉店時刻まで1時間ほどだというのに50人ぐらいは待ち客がいるという異常事態。しかもどうも中にはアジア人も多数いる模様。これは話にならないと諦めることにする。

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iPhoneで夜桜を撮影したら、ホワイトバランスが滅茶苦茶

 結局は行くところもなくウロウロした結果、ホテルの向かいの中華料理屋で塩ラーメンと焼きめしのセットを食べるが、どうも味が薄すぎて私の好みとはかなりずれる。これは大失敗。

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塩ラーメンと焼きめしは味が薄すぎた

 

 夕食の大失敗でやるせない気分を抱えながら辺りを散策。どうも気分的にはこのまま終われない感じ。そこでせめてご当地バーガーでも食べようかとラッキーピエロを訪れてみる。さすがにこの時間になると行列はなくなっていたが、注文品を待っている客が多数いるようで、結局は商品受け取りまでに30分程度かかることに。

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ラッキーピエロは夜でも大人気

 私がラッキーピエロで購入したのはエッグバーガートンカツバーガー。ホテルに帰ってからこれらを頂いたが、さすがにうまい。ただボリュームがあるので腹が重い。最初から夕食をこれにしておけば良かった。

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トンカツバーガー

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エッグバーガー

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やはり美味い

 少々重い腹を抱えて再び入浴。今日はかなり体のあちこちが痛くなっており、特に右肩の痛みがひどい。そこで明日に備えて体をきちんとほぐしおくことにする。

 風呂から上がるとグッタリと疲労が出る。明日は早い出発になるので早めに就寝する。

 

篠ノ丸城&山崎城を見学してしそうよい温泉で汗を流す

 昨日は大阪にコンサートに出向いたが、今日は近場の城郭を訪問することにする。と言うのも、最近はコンサート中心で運動不足がかなり来ており、体力回復のためにはやはり城郭回りも再開すべきと考えた次第。そこで比較的近くでリハビリに手頃な城郭を選び出した。今回の目的地は山崎。黒田官兵衛ゆかりということで最近に観光開発が進んだらしい。播但有料道と中国自動車道を経由するとすぐに到着できる。

篠ノ丸城 赤松氏の一族の高山上の詰めの城

 今回まず訪問したのは篠ノ丸城。赤松氏の一族の宇野氏がこの地においた居館の背後に詰めの城として築いたものらしい。戦国期には宇野政頼の嫡男の満景が城主となったが、1574年に父子の不和で満景は廃嫡となり殺害されたとのこと。その後は家臣の内海左兵衛が城代となったが、1580年に羽柴秀吉の攻撃によって落城したとのこと。なお宇野氏滅亡後に黒田官兵衛が「山崎の城に居城した」という表記が黒田家譜にあることから、これが篠ノ丸城のことではということで、強引に黒田官兵衛ゆかりということになっているようだ。

 いかにも赤松氏の城らしくかなり高い山の上に築かれている。ただ今回この城を選んだのは、かなり上の方まで車で行けることが分かっているから。さすがにこのクラスの山を麓から登り切るだけの体力は今の私にはない。

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篠ノ丸城はこの山上にある

 うねってはいるが道幅も広くてキチンと整備された道路を登っていくと、ちゃんと駐車場まで完備されていて至れり尽くせりである。どうやらこの山は公園として整備されているらしい。この駐車場から少し歩くと山頂へ行く山道の入口がある。

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駐車場完備

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少し歩くと登山口

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山道だがしっかり整備されている

 ここからは九十九折りの山道を登っていく。かつての体力が十分だった頃なら鼻歌まじりに登れそうな道なのだが、現状では息が上がってフラフラという情けなさ。それでも途中で何度か休憩しつつようやく山頂にたどり着く。

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ヨレヨレになりながらも山上に到着

 

 山頂には思っていたよりも広いスペースがある。主郭の回りは土塁でしっかりと守られており、主郭の周囲には何段かの曲輪が取り囲んでいる。

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奥に土塁で囲われた主郭がある

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城跡碑あり

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主郭に入る

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内部はかなり広い

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石碑なのか墓石なのか

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城郭の構造

 

 北の方の曲輪の先に畝状竪堀があるとのことなのだが、その辺りに降りていっても鬱蒼としていて私の目ではよく確認できなかった。

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北側には数段の曲輪がある

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この辺りが先端部

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さらに降りてみたがよく分からない

 西の曲輪の北の斜面にも畝状竪堀群があり、そこは標識まで立っていて分かりやすくなっている。ただ竪堀自体はあまり明瞭ではない。

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西の曲輪の方に回ってみることにする

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ここの竪堀はまだ分かりやすい

 一方、西の曲輪の先端にある堀切はかなり明瞭に残っている。西の尾根からの道をこの堀切で断ち切ってある。

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西の曲輪には休憩所があり、二の丸との表記が

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その先には明瞭な堀切が

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降りてみるとかなり急

 赤松氏らしい高山の山上に築いたそれなりの規模の城郭であった。あまり期待していなかったが、それに反して結構見所のある城郭であった。やはりこの近辺の赤松氏城郭は侮れないようだ。

 

ジビエ料理を頂いてからしそうよい温泉で汗を流す

 久しぶりの山登りでタップリ汗をかいたところで、やはり温泉と昼食にしたい。この近辺となるとやはりしそうよい温泉か。まずは温泉近くの朱鳥庵でジビエ料理を頂くことにした。「猪鹿鳥おまかせ御膳(2500円)」なるメニューがあったのでそれを注文。

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朱鳥庵

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店の入口

 なんとトレイ2枚にタップリと小皿料理がのってきた。猪のカツや焼き肉、鹿のタタキや鴨ローストなどジビエの盛り合わせ。この料理がこれまた悉く美味い。ジビエで力が湧いてくる印象。

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この品数の多さには絶句

 昼食を堪能した後は温泉へ。相変わらずお湯はしっとりと肌に馴染むのだが、気になるのは以前にも増して客が減っていること。そのためか離れた場所にあった露天風呂は閉鎖されており、また飲食コーナーも閉鎖になったようだ。どうもじり貧ムードが漂い始めている。やはり僻地だけに苦しいのだろうという気がする。果たして次に来た時にまだ営業しているだろうか。かなり不安になってくるところだ。安富の花温泉も閉鎖されたし、どうもお湯の良いところに限って寂れてしまうのはどういうことだ?

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しそうよい温泉

 

山崎城 住宅地に埋もれた松平氏の藩城

 腹が膨れて汗も流したところで、最後に住宅地内に埋もれている城郭を訪ねていく。それは山崎城。1615年に宍粟郡3万8千石を与えられた松平石見守輝澄(家康の孫)がこの地に築いたという城郭である。江戸時代になってから築かれた城なので、赤松氏のような山上に築く必要はなく、交通の便の良い位置に築いてある。その後、城主は転々としたものの城自体は明治まで続き、明治になって藩邸が学校になって今日に至っているとか。

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案内看板より山崎城縄張図

 現在は二の丸跡は山崎小学校に、三の丸跡は文化会館に、本丸跡は民俗史料館という風に見事に公的施設に変わってしまっている。遺構としては市指定文化財となっている陣屋門と左右の土塀ぐらいしかないのだが、地形に城郭としての特徴が残っている。南側の水路はかつての堀の名残と考えられるし、民俗史料館と山崎小学校の間にもかつての本丸と二の丸の間の堀の名残を示す地形が残っている。埋御門跡には立派な石垣と虎口があるが、これは多分後世の復元だろう。

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文化会館が三の丸

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本丸裏手の埋め門

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現存する本丸陣屋門

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前のスペースはかつての堀の名残だろう

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向こうの学校が二の丸跡

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どことなくかつての堀の名残がある

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城南の堀の名残と思われる水路

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前の道の屈曲もかつての堀の名残か

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ここが大手門跡

 遺構自体はほとんどないが、それでも一回りするとかつて城郭だったということは明らかに分かる。城跡の石碑が建っているだけ程度だろうと思っていたが、良い意味で予想を裏切られた。

 これで今回の予定は終了。久しぶりの山歩きで足腰にかなりガタが来ているし、明日はまた大阪まで遠征する予定だし、無理はせずに帰宅することにしたのである。

 

岡山マイナー山城巡り(工ヶ城、正霊山城、金黒山城)

 先日完全に体調を崩してから運動不足で体力低下が著しい。やはり体力回復のためには最近低調な山城巡りを復活するべしとの考えはあるのだが、そのための先立つ体力が目下は全くない状態。そこで適度なリハビリを考えることにした。そもそも山城を回るとなると現在は比較的良い時期。冬の間に下草は枯れて木の葉は落ちて見通しが良くなっているし、冬に比べると日は長くなっている。と言うわけで今回は比較的近場で以前に諸事情で挫折した山城を回ってみることにした。

 昼前に家を出ると、途中の吉備SAで昼食。最近のSAのレストラン自体は以前の独占状態の時よりもレベルが上がっているが、やはり寺銭の高さのためにCPはあまり良くはない。

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吉備SAで昼食

 

工ヶ城 鎌倉時代の陶山吉次の居城

 山陽道を笠岡ICで降りると北上する。今回最初に目指すのは工ヶ城。以前に一度訪問したが、その時には登り口を見つけることが出来ずに撤退した鎌倉時代の中世城郭である。鎌倉末期の笠置山合戦に足利尊氏軍として参加した陶山吉次の居城とのこと。

 工ヶ城があるのは国道290号と県道3号との交点。以前は県道3号を南からアクセスしたのだが、登り口を見つけることが出来ずに撤退したのである。今回は国道290号を西進してのアクセス。しかし目の前に山容が見えたところで「この山は山頂に通じる道が絶対にあるはずだ」と確信する。というのも山頂の辺りが木が刈られて手入れが入っているのが遠目に分かる。と言うことは今でも頻繁に地元の人が山頂に登っており、放置されている山ではないということである。

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この山上が工ヶ城

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明らかに山頂付近が整備されている

 とりあえず前回の反省から可能性は2点に絞っている。まずは北方の梅林らしき辺りからのアクセスを試みるがこちらはハズレ。そこで車をその近辺においたまま、もう一つの可能性である南の集落付近に向かってみるとこちらが当たり。集落の中の小さな地蔵祠の手前に小さな案内看板が立っており、その奥からさすがに軽トラでも入るのは不可能と思われる狭い舗装道路(農業用の一輪車のためにでも舗装したのだろうか?)があるのでそれを進む。

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南側の集落内に看板発見

 道はすぐに山道に入るが、下草は刈ってあって綺麗に整備されている。息を切らせながら数分登れば開けた場所に出る。ここは山頂の本丸から尾根筋に沿って四段の曲輪になっているようだ。ここには桜が植えられており、現在は五分咲きというところ。多分地元の花見の名所で、それが登山道が整備されていた理由だろう。

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ここから山道に入る

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山道は整備されている

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5分ほどで開けた土地に出る

 

 この四段の曲輪に沿って登ると、本丸の西側に二の丸と言うべき曲輪があって、そこを通って山頂の本丸に登れる。本丸はそう広いものではないが、建物を建てるスペースは十分にある。中世の地方豪族の城郭としては十分なスペースだろう。

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曲輪に沿って登る

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二の郭から本郭を見る

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本郭

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本郭入口から尾根沿いの曲輪を見る

 本丸の回りには先ほどの尾根筋の曲輪の二段目が東側にまで帯曲輪の形で回り込んでいる。西側の二の郭の先は堀切になっているようだが、その先に尾根沿いの高所があるようなので、地形的に考えるとそちらに西の郭があるべきだが、そちらは鬱蒼として確認のしようがない。

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西の二の丸

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その先の堀切から先は鬱蒼として踏み込めない

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井戸?

 やっぱり登城路を見つける時は、車で回るだけでなくこまめに歩いて回る必要があるということだろう。とにかく宿題の一つを片付けることは出来た。次はここからしばし北上すると、これも宿題だった正霊山城に向かうことにする。こちらは場所も登城路も確認したのだが、夏草が茂りまくって足下が分からない状態で、諦めて撤退したのである。地元の人の話では、桜の名所でその前には下草刈りをしたのだけどとのことだったので、この時期に再訪した次第。

 

正霊山城 戦乱の中で消え去った地方豪族藤井氏の城郭

 役場の駐車場に車を置かせてもらって正霊山城に向かうと、桜が咲き始めていてなかなか綺麗である。独立丘の頂上の本丸を囲むように複数の小曲輪が配されている構造が分かりやすい。

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奥の丘が正霊山城

 大して高い丘でもないので鼻歌でも歌いながら一気に山頂へ・・・と言いたいところだが、こんな丘一つ登るのでも完全に息が上がってしまうのが今の私の情けなさ。本丸手前の二の郭に寺院らしき建物があるが、その手前で一息ついて呼吸を整えてから一気に山頂に登る。

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ここから登っていく

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途中にある小曲輪

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二の郭には祠らしきものが

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かなり荒れ果てている

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その背後の本丸はかなりの急斜面の上

 削平された山頂はあまり広いスペースではないが、これも建物一つぐらいなら建てられそうなスペース。ここに領主の館を建てて、回りは木柵で取り囲むというところか。小規模な城郭であるが、回りの斜面は結構急なのでそれなりの防御力を有している。大軍に包囲されたらひとたまりもなかろうが、山間小領主の小競り合い程度なら十分だろう。

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本丸はそう広くはない

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裏側はかなり急峻

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高度は結構ある

 本丸中央に倒れた看板があったので起こしてみれば城の説明が書いてある。この城は16世紀中頃に築城されたもので、城主は藤井能登守入道皓玄とある。なお後で調べたところによると、この藤井能登守入道皓玄なる人物は毛利氏が神辺城を攻めた際に奮戦したものの自刃したとある。戦国期にこの地域に根を張った藤井氏も、戦乱の中で消えていったようである。

 

金黒山城・・・は、やはり登り口が分からず

  最後は同じく前回撤退している金黒山城を訪問。しかしここは今までの城郭のような手が入っている様子は全くない。一回りして見たが東側は川があり、南側は急崖に一面に生い茂る笹とまさにとりつく島もない状態。唯一変化していたのは、以前は倒れていた看板が新たに整備されていたこと。この看板の横に車が入ったような跡があってここが入口のように見えるのでそこから進んでみたが、進路はすぐに藪にふさがれ登山道のようなものも見当たらない。強者ならここから斜面直登という大技もありかもしれないが、単独行で体力不足の私はそんな力技を駆使するわけにもいかず撤退することに相成った。山頂には高圧電線の鉄塔が建っているようなので、少なくともそれを建設する際の何らかの道はあるはずなのだが、今回一回りした印象ではそういうものは見つからなかった。怪しいのは山頂西側の隣の尾根との谷筋になっている辺りなのだが、そもそも藪化がひどすぎるので道があったとしても完全に埋もれてしまっている。ここいらの藪をなぎ払うか焼き払うでもしない限りルートは分からないだろう。どちらにしろ一筋縄ではいかなそうだ。

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看板だけは新調されているが・・・

 以前に撤退した山城3つのうちの2つの攻略に成功と言うことでまずまずの成果と言えようか。金黒山城が心残りだが、これは地元による史跡整備でもされない限りは私には無理そう。事態が変化したという情報があるまで静観と言うところか。もっともかなりの山奥なので、わざわざ登山道を整備するということはまずなさそう。あるとしたら高圧鉄塔の点検整備のための道造りか。

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遠くから見ると高圧電線の鉄塔がある

 それにしても私の体力の低下は想像以上で、こんな散策程度の山城攻略でも足腰への負担は結構来ていて、帰りの運転のアクセルがガクガクして困るという事態に陥ってしまった。これは根本的にトレーニングし直す必要がありそうだ。

 

青井阿蘇神社を参拝してから、人吉周辺山城(永里城、鍋城、高山城)巡り

 翌朝は7時に起床。なかなかよく寝た。やはり私はベッドよりも畳に布団の方が相性が良いのだろうか。

 目が覚めると朝食前に朝風呂。最高の湯ですっかり小原庄助さんである。

 風呂で体を温めたところで広間で朝食。朝から和食がうまい。

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青井阿蘇神社の参拝

 10時前にチェックアウトすると、とりあえず車は置いたまま近くの青井阿蘇神社の見学に出向く。藁葺きの社殿や門が趣のある神社で、国宝に指定されている。境内には多くの観光客がひしめき、団体客なども来ているようだ。

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橋の手前の鳥居

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山門

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そして拝殿

 

 

永里城(花牟礼城) 上村城から尾根続きの山城

 神社の見学を終えると車に乗り込み次の目的地へ。今日の予定だが、昨日時間不足で見学できなかった永里城(花牟礼城)を見学するつもり。昨日訪問した上村城に隣接しており、ハイキングコースでつながっているとか。今日はそのハイキングコースを逆からたどることになる。

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この辺りに車を置いて歩く

 永里城への登り口は、ビハ公園ハイキング場に向かう道の途中にある。案内看板が出ているので、入口前に車を置くとハイキングコースを徒歩で進む。最初は林道だったのが途中で山道が分岐し、こちらがハイキングコースになる。

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林道を進むと

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ハイキングコースが分岐する

 ハイキングコースは木で段が作ってあるが、数年前に整備してそのまま放置されているのか半分朽ちてしまっている。こういう点ではコンクリート丸太の方にメリットがあるか。丸太がなくても斜面を登るのには問題ないがコースが分からなくなってしまう。丸太の残骸を追いながらの登山だが、困ったことにコース上に何本も巨大な倒木が転がっていて進行を妨げる。かなり前にハイキングコースが設置されたものの、その後に定期的にメンテナンスされている様子がない。後5年も放置されたら、丸太も完全に朽ちてしまって、もうコース自体が全く分からなくなるのではなかろうか。

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丸太が半ば朽ちかけている

 山頂まで25分とのことだったが、息を切らせながら15分ほどで上村城(麓城)との分岐点にさしかかる。山頂はここから5分とのこと。

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上村城との分岐

 最後の一踏ん張りでようやく城内らしき削平地にたどり着く。ただ内部はかなり藪化していて全貌がつかみにくい。三の丸とでもいうところか。ここを進むと奥に崖があるのだが、本丸はこの上のようだ。

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曲輪らしき削平地

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奥の高台上が本丸か

 

 

 一番の最高所が本丸だが、ここも鬱蒼として先に進むのをためらうぐらい。その鬱蒼とした中に城跡碑が埋もれている。やはりこれは数年単位で放置されているようだ。今では山頂に登る者がほとんどいないのだろうか。登る者がいれば少なくとも道ぐらいは残るものだが。

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本丸に回り込む

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鬱蒼とした本丸

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城跡碑は完全に藪に埋もれる

 本丸から西に降りたところに曲輪がある。ここが二の丸というところか、この曲輪の先端は、先の尾根と堀切で断ち切っているようである。

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二の丸の先端は堀切で断ち切ってある

 永里城はそこそこの規模のある山城だが、縄張りにあまり個性はない。ただそれよりも、もう少しキチンと整備して欲しいところ。

 

 

鍋城 農地化と藪化で遺構はつかめず

 永里城を後にすると鍋城に向かう。鍋城は小集落に隣接する丘の上にある。この丘に沿って車を走らせると登城口を示す看板が立っている。この看板の辺りから登れそうな雰囲気があるので進みかけるが、よく見ると登城口は北に300メートルとの表記がある。結局は先ほど通過した集落の中に登るための道がある。この道は農作業用の軽トラなどが登るための道のようである。おかげで周辺もかなり加工されていてかつての遺構は不明。

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登城口はここからまだ先

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集落に向かう道がある

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この道を登っていった

 丘の上も梅畑にかなり農地改変されているようで、かつての城の遺構はサッパリ分からない。丘の上はかなりの面積があるのでそれなりの城郭を築けただろうことは分かるが、それ以上は構造をつかめない。また丘の南の方には朽ち果てた畜舎の残骸があるが、その周辺までがかなり竹林化しており、進むことも地形を確認することも不可能。梅林の方はまだ手が入っている様子があったが、ここが放棄されたらほどなく丘が丸ごと竹林に埋もれてしまうだろう。竹というのはかなり侵略性の強い生物であり、各地で繁殖が問題になっている。昔のように日用品などに竹を使用したら良いのだが、今は効率一辺倒でそれらがすべてプラスチックに置き換えられてしまったので、放置される竹林が増えている。

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虎口と言うべき場所だが構造は不明

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完全に梅林化している

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南部には竹が茂り出す

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その中に畜舎らしきものの残骸が

 

 

えびすの湯で汗を流す

 永里城の見学を終えたところで、一汗流していきたいと考える。ここに来る途中で多良木駅の近くでえびすの湯という入浴施設を見かけたので立ち寄ることにする。

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えびすの湯

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遠景

 多良木町ふれあい交流センターとあるが、確かに典型的な地方のスパセン付き交流センター。浴場は内風呂と露天風呂に歩行風呂などという変わったものが付いている。ただ露天風呂は温度が低すぎて寒くて入れず。炭酸水素塩泉との情報もあるのだが、現地には温泉との表記はどこにもなく、浴感もただの新湯。球磨盆地はあちこちに温泉が湧くイメージがあったが、そうでもないのか。

 

 

昼食のために人吉に戻るが・・・

 入浴して汗を流したところで、昼食のために人吉に戻ることにする。昨日は上村でうなぎを食べたので、今日はしらいしにでも立ち寄ろうかと考えていたのだが、いざ戻ってみるとしらいしは今日は休み。おかげで上村には昨日以上の大行列。完全に無駄足になってしまった。どこか他の店をと思ったのだが、思いの外人吉は飲食店が少ない。

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人吉市街をウロウロしたが、昼食を摂る店は見つからず

 

 

高山城 現在は公園整備されている高山上の城

 結局は昼食を食いそびれたまま次の目的地へと向かうことにする。次の目的地はここに来る途中で見かけた高山。ここの山上には遠目でも分かるぐらい明らかに山城の跡があり、やはりここは立ち寄る必要があるだろうと判断した次第。

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遠くから見ても明らかに山城であるのが分かる

 山頂近くまで車で登れるとの情報があったので、運動公園の案内看板を目印に入り、そこから未舗装の登山路に車で乗り入れたのだが、それは結果としては失敗だった。凸凹の狭くて急な道を散々遠回りさせられて何度も恐い思いをする羽目になってからようやく山頂にたどり着いたが、山頂にたどり着いてみるともっと広くて整備された道があることに気づいた。どうやら南から来て一つ目の看板で曲がったのが間違いで、二つ目の看板で曲がってから、運動公園から左に上がる舗装道路を進むのが正解コースだったようだ(しかも後で調べてみたら、グーグルマップのストリートビューまであった・・・)。

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ここまで車で登れる

 行き止まりに小さな駐車場があるので、そこに車を置くと徒歩で山頂に向かう。山道は完全に整備されているので足下に全く不安はないが、急斜面につけてある道なので、よろめいて転落したら命取りではある。実はこの時、既に足下はこれまでのダメージでふらついてきていた上に、昼食抜きで若干の目眩も起こっていたので、実はこの行程が意外に危なかったりする。

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ここを進む

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かなりの高度

 山頂までは5分もかからない。通常の状態なら鼻歌でも歌いながら楽勝である。山上は展望台として整備されており、一応は城跡碑が立っている。それによると文治建久の頃に深田の地頭平河太郎盛高が築いた城がここにあったらしい。確かに山頂から見下ろすと曲輪の跡らしき削平地も見える。ただもう既に足が終わってしまっている上に、先ほどの山道走行で精神もすり切れており、そこまで降りる気力と体力がない。

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山頂に到着する

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城跡碑もある

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そして謎のイス

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展望台のようなものも

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球磨盆地を一望

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下にも曲輪らしきものが見えるが

 もう体力も精神力もほとんど切れてきたので早々に山を降りてくる。しかしここで問題となったのは「さてこれからどうするか」。正直なところもう予定が全くなくなってしまった。余剰時間は2時間ほど。どこか立ち寄るところでもあるかどうかを探しながら人吉方面に戻ってくる。

 

 

おかどめ幸福駅に立ち寄る

 途中で「幸福駅」という表示を見たところで思いついて立ち寄ることにする。くまがわ鉄道におかどめ幸福駅なる駅があり、それがいわゆる開運スポットなのだとか。駅の隣の売店では定番の「幸福行き切符」なんかも発売されている。

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おかどめ幸福駅

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駅名標

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かなりお目出度い感がある

 

 

 この駅名、そもそも適当につけたわけでなく、この近くに開運にまつわる神社があるからとのこと。伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀った岡留熊野座神社なる神社が開運の神社としての御利益があるらしい。と言うわけで、どうも人生の幸福から見放されている私も、今後の幸福を祈ってその神社を参拝しておく。しかし試しに引いたおみくじは「仕事:一から出直すことも考えよ。恋愛:誰にも言えない悲しみがある。縁談はまとまりにくい。健康:健康状態の立て直しを図ろう。病気は警戒を要する。学業:基礎になる部分がどこかかけていないか。」といった惨憺たるもの。しかしまさに現状そのものだわ・・・。

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岡留熊野座神社を参拝

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本殿でおみくじを引いたが・・・

 

 

 フラッと立ち寄った駅で予想外に時間をつぶしてしまい、もう時間の余裕が少なくなってきたので、人吉に戻るとかなり遅めの昼食を摂ることにする。町のはずれで見つけた「松田うなぎ屋」なる店でうなぎを頂く。しかし時勢柄ボリュームが少な目。

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松田うなぎ屋

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いささかボリューム不足

 遅めの昼食を終えたところでそろそろ時間。高速に乗って鹿児島空港まで移動する。

 鹿児島空港でレンタカーを返すと帰り便の出発待ち。まだ時間の余裕があるので、かなり早めの夕食にする(さっき昼食を食ったばかりの気もするが・・・)。空港内のレストランで軽く(?)夕食。きびなごがうまいな・・・。

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空港内のレストラン

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カツ丼を頂く

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そして鹿児島と言えばきびなご

 この日はこの後、ANA便で帰宅することになったのである。機体が小さいのに振り替えられたらしく、3名溢れたから誰か翌朝便に振り替えて欲しいとアナウンスしていた。補償金が出るみたいだから私も暇なら名乗り出てもよかったが、明日は仕事だし・・・。ちなみにANAは補償金を出して振り替え志願者を募ったが、ユナイテッドの場合は問答無用でアジア人乗客を指名して、抵抗すれば暴力で強制的に引きずり下ろすとのこと。さすがにアメリカンクオリティである。大統領にあのような人種差別推進派が当選したことで、こういう事件はこれからさらに増えるだろう。アメリカも明らかに落ち目になった。

 

 

人吉山城巡り(湯前城、上村城)後、有形文化財の人吉旅館で宿泊、最上の温泉を堪能する

 翌朝は6時に起床。ただ起床時間前にどこからかドタンバタンとやかましい音が聞こえたせいで早めに目が覚めていた。おかげで懸念していた寝過ごしはなかったが。どうも床の板張り構造が災いしているようだ。

鹿児島空港へと飛ぶ

 手早く身支度をすると7時にはチェックアウト。今朝は早朝出発になることが分かっていたから、最初から素泊まりプランにしている。JRで野田駅から神戸空港まで移動するが、列車の接続が悪くて想定よりも時間を浪費する。

 神戸空港に到着したのはフライト時刻の1時間ぐらい前。とりあえずあまりうまくないうどんを朝食に摂ってから飛行機に乗り込むことに。

 目的地は鹿児島空港。最初は熊本空港を考えていたのだが、人吉に行くのなら鹿児島空港の方が近いため。球磨地方は熊本とはまた別の地域といえるようだ。使用したのは例によってのスカイマークの鹿児島便。フライト中は眠くなってほとんど寝ていたが、鹿児島空港に近づいたところで気流が乱れるのかやたらにガタガタ揺れたのがかなり気持ち悪かった。やはり未だに飛行機自体はあまり得意でない。

 鹿児島空港には予定より5分早く到着したらしいが、途中で通路の扉のロックが開かないとかで通路で待たされるトラブル発生。まさかここで5分の調整をしたわけでもないだろうが。

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鹿児島空港からはレンタカーで移動

 鹿児島空港からの移動はレンタカーを予約してある。貸し出されたのはマーチ。嫌いな車なのにやたらと縁がある車種でもある。

 さてこれからだが、実はほとんどノープラン。私も50を越えてから男性更年期うつ(所謂はらたいら病)の傾向があり、かつてのような綿密なスケジュールを立てるための集中力の維持が出来なくなっている。事前調査をしていたらしんどくなってきて、結局は計画というようなものは立たなかった次第。

 

 

人吉の老舗うなぎ店「上村」でうなぎを頂く

 とりあえずはもうすぐ昼時だし、人吉に直行しようと考える。ノープランと言いつつも実は昼食だけはもう決めている。人吉の「上村」でうなぎを食べようというものである。人吉までわざわざ出張ってきた目的の一つはこれと言っても良い。

 九州自動車道に乗ると人吉まで突っ走る。人吉ICに到着したのはちょうど昼時。上村の場所はうろ覚えだったが問題なく到着できた。ただ駐車場探しに少々ウロウロ。第一、第二駐車場は満車だったが、少し離れた第三駐車場に空きがあったのでそこに駐車。店の前には既に待ち客がいたが、幸いに私の到着と同時に空きが出来てすぐに入店できる。

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人吉の上村は人気店だ

 注文したのは「うな丼の大(3000円)」。料理が出てくるまでに30分待たされる。その間にも客の出入りはひっきりなし。かなり繁盛しているようだが、やって来るのは観光客がほとんど。

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うな丼の大

 パリッと焼けたうなぎが香ばしくて実に良い。甘めの味付けは私好み。それでいてうなぎの野性味的なものも垣間見えている。明らかに関西人にうけるタイプのうなぎで、日本一のウナギというのは誇大に過ぎるとしても、確かにかなりうまいうなぎにはなる。

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中にもうなぎが入っているのはうれしいが・・・

 ただご時世かボリュームに関してはいささか寂しい。うなぎが中にも入っているのはうれしいが、それを考慮してもボリュームがあるとは言い難い。もっともこれはこの店に限らず、昨今のウナギ屋共通の課題。今はシラスウナギの商業養殖の成功に期待するしかないのか。

 腹が膨れたところで次の展開を考える。このまま人吉の市街をプラプラ散策という手もあるが、これは退屈しそうだ。やはりここは王道で行くか。事前調査の際に一応は山城をいくつかピックアップしている。その一つに向かうことにする。

 

 

湯前城 相良氏の人吉城の支城 

 最初の目的地は湯前城。築城年代は定かではないが、1559年には東直政が居城としており、直政の戦死後は東能登が城主になったという。1594年には相良長毎が朝鮮出兵中に竹下監物が犬童氏を滅ぼそうとして失敗、湯前城に籠もって抵抗したが最後は切腹したとの記録が残っている。その後も湯前城は相良氏に人吉城の支城として重視されていたとのこと。

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この神社の位置が本丸

 湯前城は周囲を見下ろす小高い丘の上に立っている。最初は栄立寺に登ったのだがこれは間違いで、さらに奥の市房山神宮里宮神社の境内のところにあったらしい。地形的に東南西を断崖に囲まれており堅固。特に東には二重の堀切を切ってあってかなり堅固である。

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東側には分かりにくいが二重の堀切がある

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下から見るとこの急傾斜

 ただ気になったのは、地形的にもっとも弱点であると考えられる北側に防御機構が見られなかったこと。東側の二重堀切に匹敵するような構造があって然りと思えたのだが、後に地形が改変されてしまったのだろうか。

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しかし背後には防御機構は皆無

 里宮神社はなかなか立派な神社で、境内に飾られた馬と龍の彫刻が目を引く。龍の彫刻はチェーンソーアートなのだそうな。登り龍と降り龍が対になっている。かつては私もこの龍のように天に駆け上がる野心もあったのだが、結局は地を這ったまま終わってしまった。人生に一抹のほろ苦さと寂しさを感じる今日この頃である。私も老いたな。

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チェーンソーアートの昇龍と降り龍

 

 

ゆのまえ温泉湯楽里で一息

 湯前城を一回りした後は近くのゆのまえ温泉湯楽里で入浴していくことにする。この周辺一帯がゆのまえグリーンパレスというキャンプ場などの複合施設になっている。山を整地した施設が複数並んでおり、曲輪の連続のようにも見える。構造的には現代の山城という雰囲気がある。

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周囲は高地である

 湯楽里は宿泊施設にレストランも併設してある。大浴場は内風呂+露天のオーソドックスなもので、泉質はナトリウム塩化物炭酸水素塩泉とか。若干のヌルット感のある湯だが、キャラクターはそう強くはない。悪くはないが印象はあまり強くない。

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湯楽里

 

 

上村城(麓城) 相良氏につながる上村氏の城

 風呂で汗を流すと次の目的地に立ち寄ることにする。次に立ち寄ったのは多良木の上村城(麓城)。

紙つぶて仁王の立つ谷水薬師堂

 上村城への登城路は谷水薬師堂から出ていると聞いている。途中から谷水薬師堂と麓城の案内看板が立っているが、どうやら麓城というのが上村城の別称らしい。

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谷水薬師堂の山門

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妙に愛嬌のある紙つぶて仁王

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本堂

 

 

上村城に登る

 谷水薬師の奥に麓城までのハイキングコースがある。麓城まで400メートルで15分とのこと。距離は大したことがないが、これが登りの山道なので早々に息が切れる。しかし何とか10分ほどで登り切る。

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奥に登城路が

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山道を進んでいく

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やがて頂上が見えてくる

 北側の高い曲輪が主郭で、南側の広い曲輪が二の郭というところか。西側の斜面には広い帯曲輪もある。主郭のさらに高い部分は天守台相当。天守はともかくとして、見張り台の櫓ぐらいは建てたのではなかろうか。

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主郭の奥に天守台のようなものが

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かなりの高度がある

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土塁の脇に曲輪がある

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曲輪は両脇に数段になっている

 

 

麓地区の武家屋敷街

 上まで上がったところで、明らかに構造的に西側が大手だと感じたのだが、それは正解だったようだ。西側を降りたところの麓という地域に武家屋敷があったらしい。後で車で通過してみたが、今でも整然と区切られた区画が残っており、武家屋敷街の面影がある。

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麓の町並

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明らかに武家屋敷の名残がある

 ここまで回ったところでもう既に4時を過ぎている。今日の予定はここまでにして宿に向かうことにする。

 

 

有形文化財の人吉旅館で宿泊

 今回宿泊するのは人吉旅館。昭和初期に建造されたという建物が国の有形文化財に指定されているという由緒ある旅館である。宿泊補助を利用するなら、どうせだから格式のある旅館に宿泊しようと考えた次第。

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人吉旅館

趣ある館内を見学

 人吉旅館はいかにも年季を感じさせる建物。非常に趣深い。通された筏口という部屋は、人吉川を望む見晴らしの良い部屋。天井が高くて欄間の細工などに格式の高さを感じさせる。古い建物ではあるが、水回りなどはリニューアルされており汚さは全くない。また建物は古いが、部屋はWi-fi対応でテレビはBSも映る。

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なかなか格式高い部屋だ

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窓からは人吉川が

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人吉城も見える

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建物自体が非常に趣がある

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懐かしい風情だ

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レトロな展示物も

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ただひたすらに懐かしい

 

 

最上の温泉を堪能する

 部屋でしばしくつろいだ後、入浴することにする。大浴場は一階にあり、男湯は二つの浴場をつないだ構造。恐らく昔は男湯と女湯だったものをつなげて拡張したのだろう。泉質はナトリウム炭酸水素塩塩化物泉とのことだが、入浴するなりかなり肌がヌルヌルとする強烈な湯。かなり上質の湯である。この湯に浸かるためにもここまで来た価値は十分にあるというものである。

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二つの浴室がつながった構造になっている

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浴槽

 

 

夕食は絶品の地場もの懐石

 しばらく部屋でくつろいだ後、夕食は広間で。地場ものを中心とした懐石メニューだが、これが実にうまい。先付けの中の鮎の子というウルカがうまいし、山女の刺身や塩焼きが抜群。やはり川魚はうまい。デザートまで全品がかなりうまかった。ただデザートのババロアはうまいのだが焼酎の風味が私にはやや強く、頭が少しフラッときた。

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夕食のために広間へ

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 夕食を終えて部屋に戻ってテレビをつけたら、NHKでプレキソ英語を放送中。キソ英語のレベルにさえ到達していない者向けの番組だろう。さすがに英語が全くダメの私でも、この番組ならヒアリングできる。どうやら私のヒアリングレベルはプレキソレベルだったようだ。これで外国人相手の仕事もさせられているのだから、考えれば無茶なことだ。

 一息付くと再び入浴。今度は先ほどよりもゆったりと浸かる。湯が体にしみ入る感触。最高の湯である。

 部屋に戻るとテレビを見るがろくなニュースはない。トランプは相変わらず差別主義むき出しの上に、自分にとって都合の良い右翼マスコミ以外は排除で、アメリカを自由の国から独裁国家に変えようとしている。一方、北の国の独裁者は疑心暗鬼に駆られているのか、自分の地位をわずかでも脅かす可能性のある者は片っ端から粛正しているようだし、日本の独裁者を気取っている安倍は、自分の取り巻きに国有地をただ同然で下げ渡すという公私混同をやらかして開き直っている。どうも世界中で馬鹿が馬鹿をやって世の中を滅茶苦茶にしようとしている。

 

 

 10時頃に寝る前にもう一度入浴に行く。大浴場は男女の入れ替えがあったようだ。こちらの浴場はやや小さめの岩風呂。80センチの深さがあったあちらの風呂とは違って普通の深さの浴場。多分、お母さんはお子様と一緒にこちらの浴場へというイメージだったんだろう。

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こちらの浴槽は小さめ

 風呂でしっかりと体を温めると部屋に戻ってくる。この旅館は夜には夜の風情がある。実に趣深い(ガキならむしろ恐いと感じるかも)。

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夜には落ち着いた風情

 風呂から戻るとこの日はそのまま就寝。

 

 

鳥取山城ツアー(太閤ヶ平、天神山城)&温泉巡り

 さて無事に2017年を迎えることとなった。今年は良い年であって欲しいところだが、新年早々これから世界最大の問題となるであろうと思われるアメリカの馬鹿大統領がトヨタを恫喝するなんていうろくでもないニュースが飛び込んできている。それにしても予想以上にトランプは無能なようだ。アメリカのアホな有権者に媚びを売る方法と、大統領としての政策の区別がついていない。やはり財界出身とは言ってもまともな手法で商売をしてきていないというのが現れている。以前よりアメリカの根本原理はジャイアニズムだと言われているが、これからはより露骨にジャイアニズムをむき出しにしてくることが予想される。しかしこの難局に日本の指導者がアメポチしか知らない無能の安倍とは・・・。

 何やら波乱含みの2017年開始だが、世界情勢はともかくとして、私としては淡々と日常を送っていくしか目下のところは仕方ない。と言うわけで本年最初の遠征としたい。

 今年最初の遠征先は鳥取。かなり唐突な目的地選定であるが、ここで鳥取が浮上した最大の理由は、鳥取地震復興絡みで三朝温泉の宿泊補助券が発行されることになったから。三朝温泉は去年訪問しているが、なかなかに名湯であることは確認している。そこで新年開始の骨休めとして三朝温泉の訪問を計画した次第。

 

 

特急いなばで鳥取入り

 鳥取への移動は土曜の朝。新快速から上郡で特急いなばに乗り継ぐ。いなばの車両は気動車のキハ187だが、スーパーはくとに比べると車両にはくたびれ感が漂う。私の席なんか前のテーブルが歪んでいる。走りはスーパーはくとに比べると鈍重感がある上に車両の細かい揺れが多い。

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上郡で特急いなばに乗車

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特急いなば車内

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テーブルが歪んでいる

 智頭急行線のトンネルの連続を抜けると30分強で智頭に到着。ここで乗員の交替があるようだ。数分の停車後再び走り出すが、それにしてもよく揺れる車両だ。トイレに行くだけでも一苦労。車内で原稿書きをしていたら酔いそうになる。

 毎年、冬の山陰は雪を警戒して鉄道で来るのだが、今年も見事に沿線には雪の気配さえ全くない。これは車でも来れたな・・・。次回は車を考えるか。

 

 

 1時間強でようやく鳥取駅に到着。山陰は寒かろうとやや厚着で来たのだが、案に反してあまり寒くない。降り立った鳥取駅ではしゃんしゃん傘踊りの歓迎。

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鳥取駅ではしゃんしゃん傘踊りで歓迎される

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鳥取の名物の模様

 鳥取での移動はレンタカーを借りることにしている。送迎車が来るはずだったのだが空港方面に出払っているようで、タクシーでオリックスレンタカーまで移動。今回貸し出されたのはマーチ。私にとってはあまり好きな車ではない。実際に走ってみるとパワー不足が際だつ車である。

 

 

漁港で昼食に海鮮丼を頂く

 さてこれからどうするかだが、もう昼前だし何はともあれ昼食を摂る必要がある。とりあえず鳥取漁港を目指し、市場の中の「賀露幸」海鮮丼を頂くことにする。

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賀露幸

 うーん、漁港飯と言うよりは明らかに観光地飯。具のボリュームが不足である。これだと鳥取砂丘の「鯛喜」にでも行った方が良かった。

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漁港飯としてはもっとパワーが欲しい

 

 

ミニ水族館を覗く

 昼食を終えたところで近くのかにっこ館を覗く。ミニ水族館と名乗っているが、内部には水槽をいくつか並べて地元の魚を展示。まあ無料の施設にしては楽しめる方か。

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かにっこ館

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あまり広くはない

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地元の魚の水槽

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最近人気のチンアナゴ

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これはファインディング・ニモですかね

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うつぼは高知では立派な食材です

 

 

太閤ヶ平 鳥取城攻略のために秀吉が建てた陣城

 漁港を後にすると山城巡りの方に繰り出すことにする。今回の目的地は太閤ヶ平。秀吉による鳥取城の兵糧攻めは有名だが、この時に秀吉は鳥取城を見渡せる山上に陣を置いている。この陣の跡が太閤ヶ平である。今でも往時の跡が残っているというので一度見学したいと前々から思っていたのだがなかなかその機会がなかったのである。

 太閤ヶ平は本陣山と呼ばれる山上にあり、そこへは樗谿神社から遊歩道が通っていると聞いている。そこで樗谿神社に向かうと手前の駐車場に車を置く。

やまびこ館に立ち寄る

 さて登山かと思えばその前にやまびこ館なる建物があり、そこがいわゆる郷土歴史博物館のようである。そこで予習の意味も兼ねて見学していくことにする。

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やまびこ館

 特別展は伊勢型紙の展示。伊勢型紙とは着物の生地を柄染めする際の型紙のこと。和紙を貼り合わせたものを彫刻で彫っている。驚くほどの細工の細かさに圧倒される。

 常設展の方は歴史展示。予想通り、秀吉の鳥取城攻めの件に結構スペースを割いている。これ以外では古代関係の展示など。そもそも鳥取も出雲などと共に古代神話の類いは多い土地であり、太古から人が住んでいることが確認されている。

 

 

いよいよ山登り

 やまびこ館の見学を終えるとプラプラと樗谿神社へ。太閤ヶ平へはここから舗装された遊歩道を登っていくだけ。山上には放送アンテナなどの施設があるようなので、明らかに車で登れるように通した道だが、一般車は立ち入り禁止になっている。山上に駐車場がないからだろう。

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この道を進むのだが

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いきなり嫌な看板が立っている

 遊歩道は全長4キロほど。険しくはないがやたらに長い道。なかなか退屈な行程だが、格好の散歩コースとなっているのか歩いている人が多い。もっとも大半が私よりも年輩の方々で、かなり年期の入った山ガールなど。残念ながら妙齢の女性とのロマンチックでドラマチックな出会いなどは期待できそうにない。なおこんなゆるやかな道を登ったのでは城攻めの感覚がないという上級者の方や、自分の体を極限まで痛めつけないと快感が得られないというM気質の方のためには、より短いがかなり険しい山道などもあるようである。

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道は非常に整備されている

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途中の見晴らし峠

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ようやく山頂が見えてくる

 歩き始めてから5分で早くも息が上がってしまうという相変わらずの情けない体力だが、それでも山上までは40分強。結構ハイペースで登ってしまった。

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城は山頂の電波塔の隣

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縄張図

 

 

太閤ヶ平は予想以上に本格的な城郭

 所詮は合戦のための陣地だし、どうせ山上にも大した遺構はなかろうと考えていたのだが、いざ現地に着くと想像以上に本格的な築城をしているのに驚かされる。大規模な土塁で周囲を囲い空堀も巡らせてある。土橋を通って土塁内に入ると結構広いスペースがある。陣地と言うよりは難攻不落の山城に感じられる。実際にここよりも規模の小さい山城はいくつでもある。後に北条攻めでは小田原城を見下ろす山上に石垣山城という本格的な城郭を築いてしまう秀吉だが、どうもこの頃からその片鱗は現れていたようだ。秀吉は長期戦にも備えると共に、これだけの城を構えることで城兵に対して与えるプレッシャーも考えていたのだろう。これだけの備えをされた上に城内に兵糧がないとなれば、さすがに最後まで家臣から脱落者を出さなかったというカリスマ・吉川経家と言えども降伏しか道はなかったか。なお彼の器量に惚れ込んでいた人たらしの秀吉は、彼の切腹を惜しんだとのこと。譜代の家臣を持たない成り上がりの秀吉としては、臣下に欲しかった人材だろう。確かに吉川経家は、今日でもどこかの支店長を任せることが出来るタイプの人材である。

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かなり本格的な土塁と堀がある

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土橋がある

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土橋を渡って本丸へ

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土塁に囲まれた本丸内はかなり広い

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土塁の外、南西にかけては堀を隔てて曲輪が

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北側の堀も深い

 立ち木のせいで見通しが悪いが、その向こうには鳥取城がまともに見えている。また鳥取城がある久松山までは尾根筋伝いで移動できそうなことも分かる。そのためか鳥取城側はさらに強固に防御を固めているように思える。

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西側にある鳥取城からは尾根続きである

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鳥取城に相対する西側の構造は複雑

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何重にも防御してある

 とにかく秀吉は万全の構えで鳥取城を囲んだということのようである。序盤の経済戦、諜報戦で大勢を決め、あくまで武力行使は最後の詰めの段階という、戦強者ではなくて戦巧者である秀吉らしい戦い方である。

 太閤ヶ平の見学を終えると再び4キロの道のりを下山。同じ遊歩道を歩くのも芸がないから途中から山道の方を歩いてみたりもしたが、結果としてこれは間違い。確かに距離は短いがその分険しいので、下りでも足を踏みしめる必要があって足へのダメージが大きい。無理はせずに遊歩道を歩いてくれば良かった。

 

 

天神山城 鳥取城移転の前の山名氏の居城

 久々のハイキングになってしまいかなり疲れたが、まだ若干の時間があるので、もう一カ所ぐらいは山城を回っておきたい。調べたところ湖山池の東岸に天神山城なる城郭があるとのことなのでそこに立ち寄ることにする。

 天神山城は室町時代に因幡守護だった山名氏の居城だった城郭である。1573年に山名豊国が鳥取城に本拠を移すまでの100年間、山名氏の居城として繁栄したという。往時には内堀・外堀なども築かれ、城下町を抱き込んだ大規模なものだったとか。

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天神山城遠景

 現在の天神山は県立緑風高校の敷地の一角となっている。見学のための遊歩道はついているが、車の立ち入りは禁止されているので車は向かいの湖岸公園の駐車場に置いての見学となる。

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入口は高校の敷地内である

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縄張図

 天神山自体は高さも大してない小規模な山。その山上を削平して複数の曲輪を設けてある。もっとも大きな曲輪には現在でも井戸の跡が残っている。ただ曲輪の周辺は確かに険しくなっているが、これだけで防御できるというほどではない。恐らくは湖山池とつないだ水路などが防御の主体だったのだろうと思われる。なおこの地は太古から水運を利用した勢力が繁栄していたようで、古墳の類いも多数見つかっているらしい。

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遊歩道を進んでいくと

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すぐに広い曲輪に出る

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この曲輪には井戸もある

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ここが一番高度がある中心曲輪

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その先には二の郭らしき曲輪も

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ここから湖山池も見える

 天神山城は中世の防御力をもった館というレベルには十二分であるが、本格的な戦国時代を生き抜くにはやや心許なく感じられる。山名豊国が難攻不落の鳥取城に本拠を移したのも当然というところだろう。

 

 

吉岡温泉で汗を流す

 天神山城の見学を終えたところでいよいよ本格的に足が終わってしまった。日も西に傾いてきたし、山城見学はここまでとしてこの後は温泉にでも立ち寄ることにする。まずはこの近くにあり古湯として知られる吉岡温泉を訪ねることにする。

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吉岡温泉

 吉岡温泉はひっそりとした温泉街で、温泉を示すゲートがなかったら普通の住宅街と勘違いして通り過ぎてしまいそうである。そんな中に地元の共同浴場である吉岡温泉館があるのでそこに立ち寄ることにする。

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かなり鄙びた印象のある温泉街

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わびさびの雰囲気

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町角の足湯

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共同浴場の吉岡温泉館

 小さな内風呂が一つだけだが、入浴料が200円というのはさすがに共同浴場。浴室内は地元客らしき年配者で一杯。そのためかどことなく余所者は立ち入りにくい空気がある。湯は単純泉のようだが、鳥取らしくかなりの熱湯。ここまで熱いと泉質云々なんて話ではない。徐々に体を慣らさないととてもではないが入ることが出来ないが、それでも一分も浸かってはいられないし、足を低温やけどしそう。

 少々からだがヒリヒリする状態で早々に浴場を後にする。シャッキリと目を覚ますには良いが、ゆったりとくつろげる湯ではない。今まで各地の温泉を回っているが、鳥取や温泉津温泉などなぜか山陰の温泉はやたらに熱湯のところが多い。

 

 

鹿野温泉に立ち寄る

 今ひとつ温泉でくつろぐという雰囲気でもなかったので、もう一カ所別の温泉を訪ねることにする。ここからさらに西に走った鹿野にも温泉があったはずである。夕闇が迫りつつある中を鹿野まで車を走らせる。

 鹿野の町から少し離れたところに鹿野温泉館ホットピア鹿野がある。すぐに入浴と行きたいところだが、その前に腹がかなり減っているので敷地内のそば屋で地鶏そばを頂く。これがなかなかうまい。

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ホットピア鹿野

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地鶏そばを頂く

 腹が膨れたところで入浴することにする。鹿野温泉は弱アルカリ性の単純泉とのこと。こちらは観光客を意識しているのか吉岡温泉と違って適温である。施設自体は内風呂と小さな露天風呂にサウナも完備というオーソドックなスパ泉タイプ。ただ露天風呂は浅い上に湯温もぬるかったために冬場には明らかに寒い。内風呂でゆっくりとくつろぐことにする。湯自体はあまり特徴はないがやさしい湯。既に両足には軽いだるさが現れている。

 風呂からあがるとフルーツ牛乳を頂いて一服。ようやく生き返った気分である。

 ホッとしたところだが、そろそろ車の返却時間も気になってきた。いつまでもゆっくりしているわけにもいかない。鹿野温泉を後にすると夜の暗闇の中を突っ走って鳥取駅前まで戻ってくる。どこかの店で夕食でも摂ろうとの考え。しかしいざ駅前まで戻ってくると車を置く場所がない。駅前商店街というのは往々にして車は邪魔になることの方が多いが、この地方都市・鳥取でも状況は同じようだ。そこでさっさと車を返却してしまうことにする。

 

 

鳥取駅前のホテルモーリスで宿泊

 車を返却するとホテルまで送ってもらう。今回の宿泊ホテルはグリーンホテルモーリス鳥取。私が山陰地区でよく使うホテルチェーンである。とりあえず部屋に荷物を置くとまずは夕食に繰り出す。

 しかし鳥取の駅前は8時を回るとほとんどの店が閉まっていて人通りもない状態。田舎によくある「やたらに閉店時刻が早い商店街」のようである。プラプラしているうちにうなぎ屋を見つけたのでそこに入店。

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裏通りでうなぎ屋をみつけたが

 しかしこの選択はハズレだった。入店した途端に「ハズレだな」という空気を感じたのだが、出てきたウナギはその予想通りであった。見ていたらそもそもウナギを一から焼かずに、下焼きしていたウナギをあぶって温めているだけ。おかげで香ばしいというのではなく妙にコゲっぽい味。これに「本当に肝吸いか?」というような謎の澄まし汁がついて3000円。これはまいった。地方で時々ある典型的な失敗パターンを踏んでしまった。

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これはひどいハズレだった

 夕食を失敗してテンションが下がった状態でホテルに戻ってくる。しかも困ったことに鳥取駅周辺にはコンビニがない。何とも不便な町である。仕方ないので鳥取駅内の売店で茶などを仕入れてからホテルに入ると、大浴場で入浴して早めに就寝する。

 

 

伊賀峰城に立ち寄って帰宅

 朝まで爆睡して、翌朝は7時前に目が覚める。早速ゆったりと朝風呂。朝の冷たさのある空気の中での露天風呂。これが極楽である。

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朝食の和定食

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腕物付き

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そして目玉焼き

 9時過ぎ頃にホテルをチェックアウトするが、今日は全く予定は白紙。とにかく空港近くまで移動することにするが、到着したのは11時過ぎ。帰りの便の出発は14時半頃なのて時間に余裕がありすぎる。とりあえずスシローで早めの昼食を摂りながら今後の予定について一人作戦会議。ネット検索によると大村に伊賀山城なる山城があるとの情報があったので、ここを訪問することに決定。そこで場所を調べると長崎自動車道諫早ICのすぐそば・・・さっきそこから高速に乗った直後である。馬鹿なことをしてるなと思いつつ、今度は下道を通って諫早まで逆戻り。

 

伊賀峰城 小高い山上の謎の城

 伊賀峰城は九州自動車道沿いの小高い山上にある。高速脇の狭い道を進むことしばし、伊賀山の表示が見つかるので近くで車を置いて急な坂道を登る。今日は晴れているから良いが、雨が降り出したら足下が恐そうだ。ところでこの坂道、車で登ることなど思いもつかないほどの急坂なんだが(ノートなら確実にホイールスピンする)、わざわざコンクリート舗装してあるということは、もしかして農業用軽トラはこれを登るのか? まさに軽トラ最強伝説。峠の最強マシンはハチロクでもカプチーノでもなく、実は軽トラなのである。

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伊賀峯城はこの山上

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ここから登る

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写真では分かりにくいがかなりの急傾斜

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振り返るとこんな感じ

 コンクリート道路を登った先から丸太を打ち込んだ階段が整備してあり、これで斜面を直登することになる。麓に小さな石垣のようなものがあるが、多分これは城の遺構ではなく、後の農業関係のものだろう。

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朽ちた看板が

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その横の山道は整備はされている

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この石垣は後世のものか?

 斜面の直登数分で明らかな曲輪に出る。多分ここからが城域だろう。ここに大規模な石垣の跡があるが、これは往事の遺構だろう。地方豪族の城としてはそれなりの規模の城郭である。

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この上からが曲輪になる

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かなり奥に深い

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一段上が本丸か

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本丸には何やら巨石がゴロゴロ

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祠が建っている

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かなりの高度がある

 本丸の奥に大きな窪みがあるのだが、これは溜め池の跡だろうか。山城で一番問題となるのは水の確保。ここは井戸がないような様子だったので、ここに雨水でも溜め込んでいたのかもしれない。

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本丸奥に溜め池のような窪みが

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回りに石垣もある

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回り込むと結構深い、もしかして実は虎口か?

 

 伊賀峰城の見学を終えた頃には帰りの便の時刻が気になる頃になっていたので、高速を使って長崎空港に急ぐ。タイムズ空港店に車を返して空港に送ってもらった時には出発の1時間前ぐらい。とりあえず土産物を買い込むが、そのせいで荷物が大幅に増えて、慌てて手荷物を預けないといけない羽目に。

 帰りの便は平日であることもあるのか、往路とは違って7割程度の搭乗率。これは手荷物を持ち込んだとしても収納できたな。まあ良いか、別に急いでもいないし。

 気流のせいでフラフラする飛行機に少し気持ち悪くなりつつも、大阪空港に予定通りに帰り着く。空港内で大阪名物551の肉まんを頂いてから帰途についたのである。

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大阪名物551の肉まん