徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

浜名湖周辺山城巡り

 翌朝は7時過ぎまで爆睡。目が覚めるとまずはサゴーロイヤルに朝風呂を浴びに行き、ついでに朝食を摂ってくる。朝食はバイキングで和洋両対応だが、昨晩に食い過ぎたのかあまり食は進まない。

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朝から胃がもたれて食欲はイマイチ

 帰りに山喜の風呂にも立ち寄っておく。このホテルの風呂は向かいの建物の一階にある小さなもの。狭いし、閉塞感もあり、それでいて特別に湯が良いというわけでもないので、これはサゴーロイヤルのものを使う方が正解である。

 

遊覧船で浜名湖を見学

 朝食を終えてしばしマッタリすると、この日は9時頃にチェックアウトすることにする。今日の予定だが、浜名湖周辺地域の城郭を巡るつもり。ただその前にホテルで浜名湖遊覧船のチケットをもらっているので、どうせだから乗っていくことにする。1時間コースと30分コースがあるらしいが、湖を1時間もウロウロしても退屈するだろうと思ったので、30分コースに乗ることにする。

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遊覧船に乗り込む

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遊覧船内部

 遊覧船の舘山寺港はホテルのすぐ向かい。すぐに船が入ってくるが、そう大きな船ではないのですぐに一杯になる。眺望は上の階の方が良いのだろうが、今日も茹だるような暑さなので、冷房の効いた室内に留まることにする。ところで舘山寺港や船内のあちこちで妙なイケメン侍の看板を多数見たが、これはまた何かのアニメだろうか? いわゆる美少年ワラワラの腐女子向け逆ハーレムものを昔に置いたような雰囲気の作品と思われるが、いくらなんでも眼鏡の忍者はありえないだろう・・・(しかも今風の四角の縁の眼鏡なんて)。

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船内に立っていた謎のイケメン忍者

 港を出た船はまずはかんざんじロープウェイの下を通って内浦を進み、フラワーパーク港に立ち寄る。海沿いに建ち並ぶホテルや遊園地を海側から眺めることになる。フラワーパーク港からはさらに大勢が乗り込んできて、船内は完全に満員状態である。

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湖から見た舘山寺温泉

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遊園地

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ロープウェイが通っている

 フラワーパーク港でUターンした船は浜名湖に出て行く。まずは東名高速道路の下をくぐる。船内放送によると、湖北には姫街道と呼ばれる街道があるらしく、それは「入鉄砲に出女」で東海道では女性へのチェックが厳しかったことから、それを嫌って大名の妻女などがこちらの街道を通ったことからそう呼ばれたとか。

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東名高速道路の橋

 遊覧船は再び東名高速道路をくぐると、舘山寺の南の方まで回って一周してから舘山寺港に戻ってくる。以上で30分の遊覧コース。特に何があるというようなものでもないが、それでもなかなかに面白かった。

 遊覧船を下りるといよいよ城郭巡りに入ることにする。一番最初に立ち寄ったのはかんざんじ温泉から北に向かった先にある刑部城。

 

刑部城 徳川家康に落城させられた今川の悲劇の城

 「刑部城」は先に登場した姫街道沿いの要衝を守る今川配下の城郭であったが、勢力を伸ばしてきた徳川家康に攻められ、ひとたまりもなく落城したとのこと。その際に、城主の姫が近くの金襴の池に身を投げたという伝説がある。

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川沿いのこの丘の上が刑部城

 今は金襴の池も埋め立てられて痕跡もなく、城跡は小さな神社となっているのみ。この神社があるのが本丸でその一段下が二の丸だと考えると、規模からしてせいぜい100人程度も籠もれれば良い方だし、地形もさして険阻とは言えず、徳川の大軍に攻められるとひとたまりもなかったろうことは想像に難くない。

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この上が本郭

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本郭にある祠

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下の二の郭は鬱蒼として何が何やら

 

堀川城 同じく家康に攻められた城

 次に訪ねたのはこの西にある「堀川城跡」。今日では田んぼの中の道沿いに城跡碑があるのみで遺構と言えるものは全くないが、ここは地形的に見て水城だったと推測される。この城には一揆勢が立て籠もったらしいが、やはり徳川勢の前に落城、この際に徳川勢による撫で切りが行われたとの記録もあるらしい。なお先の堀江城の大澤氏は、ここが落城したのを受けて降伏したとのこと。

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田んぼの中の道路沿いに看板がある

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城跡の石碑が建つのみ

 

気賀関所 姫街道を監視する関所

 近くに姫街道の気賀関所が復元されているのでついでに立ち寄る。雰囲気は箱根関所をこじんまりさせたようなところ。役所内にはお役人様も鎮座している。結構気合いの入った復元だと思うが、入場料は無料と太っ腹。なおあまりに暑いので、隣の売店でソフトクリームを購入して一服。

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関所の門

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気賀関所

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お役人衆が取り調べ

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女改め

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不審者はこの牢に入れられる

 

井伊谷城 直虎ブームで有名なった井伊家の居城

 関所の次は井伊谷城に立ち寄ることにする。言わずと知れた井伊直虎ゆかりの城で、大河ドラマにも散々出てきている城。今回の大河ブームで急遽整備された模様である。まあ今回の城郭巡りではここが一番メインである。

 現地に到着すると見学者用の駐車場も用意されている。ただこの駐車場から登山口までが若干の距離がある。通常ならなんということもない距離だが、もう昼時で暑さもさらに増してきている状態であり、登山口手前まで来ただけで熱中症になりそう。このまま登るのは危険だと感じたので、近くの図書館に飛び込み体を冷やしてから登りに挑むことにする。

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登城口

 山頂までは通常なら10分もかからない程度の距離。道も急ではあるが完璧に整備されており、普通なら鼻歌でも歌いながら一気に上まで登れるもの。しかし今は暑さが普通ではない。この暑さの中で体を動かすだけでもかなりの重労働。途中で2カ所ほど休憩ベンチがあるので、そこにたどり着くごとに一休みして給水。体はフラフラ、頭はチカチカになりながらようやく山頂に到着する。

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ところどころにあるベンチで休憩しながらの登山

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ようやく大手虎口に到着

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本丸 何やら顔出し看板がある

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本丸案内看板

 井伊谷城自体は単郭の単純な城。いざという時のためのお籠もり用の城だったのだろう。ただ小さい城なのでそう大軍は籠もれない(そもそも井伊家はそんなに大軍を持っていないが)。高さはそこそこあるので見晴らしは抜群である。

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井伊谷を一望

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本丸奥には御所の丸

 なおここの東方にさらに堅固な城である三岳城がある。実はここの次はそちらに立ち寄るつもりだったのだが、このコンディションではとても不可能であると判断せざるを得ない。この時点で今日の城郭訪問のうち、山城はすべて除外せざるを得ないという結論に至る。

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三岳城はこの山上

 山上で十分に水分を補給してから、ほとんどグロッキー状態で車まで戻ってくる。さてこれからの予定から山城をすべて除外したことでこれからの立ち寄り先がほとんどなくなった。そこでこういう時のための予備プランを発動することにする。山が駄目なら洞窟である。この近くに竜ヶ岩洞なる鍾乳洞があるらしいのでそこに立ち寄ることにする。

 

竜ヶ岩洞で鍾乳洞探検

 竜ヶ岩洞まで車を走らせるが、私と同じことを考えたものが多かったのか、現地に到着すると駐車場はほぼ満車で止める場所を探して車が行列しているぐらいの大混雑である。ようやくスペースを見つけて車を停めると、とりあえず大混雑の売店内で体を冷やしつつ、三ヶ日みかんサイダーで一服。みかんの酸味がなかなかに美味。

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現地は大混雑

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三ヶ日みかんサイダーで一服

 体が冷えたところで洞窟に潜ることにする。しかしながら洞窟の中も満員。ゾロゾロと連なって見学する状態。鍾乳洞は鍾乳石自体はそこそこだが、バリエーションがあるのと、洞窟の全長がそれなりにあることから見応えは十分。ただ途中で一カ所、鳳凰の間はコースから引き返して見る形になっているのだが、そこでは100人ぐらいの行列が出来ていてとんでもないことになっており、その部分だけは見学をパスすることに。一応ここがこの洞窟の一番の見所らしいのだが・・・。

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案内看板

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竜の爪

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ワニ

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狭い洞窟内を進む

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慈母観音

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長寿の泉

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白蠟の間

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大量の水が流れ落ちる場所も

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光の演出もあり

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鍾乳宮司

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黄金の富士

 さてこれからどうするかだが、山城を除外した結果としてこれから訪問するべき城郭は野地城と佐久城だけになってしまったので、そちらに向けて移動しつつ、もう昼時なので昼食を摂る店を物色することにする。

 竜ヶ岩洞から東に少し走ったところに「そば処雅楽之助」なる店を見かける。今の気分として何となく和そばを食べたくなっていたし、この店からはどことなくビビッと来るものがあったのでここに入店することにする。

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雅楽之助

 とろろ付きのざるそばを注文する。しばし待った後に登場したのは細めのしっかりと腰の強いそば。つゆの味もまずまず。なかなかの美味である。まさに今、私が食べたいとイメージしていたタイプのそばである。ボリュームもまあ十分だし、これは大正解。

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ざるそばはボリュームもあり

 

野地城で思わぬトラブル

 満足して昼食を終えると目的地に向かうことにする。浜名湖岸を走って最初は「野地城」。しかしカーナビに誘導されたのは別荘地のような界隈の中の狭い道。そこからさらに細い道がつながっている。間口を見たところキューブならどうにか通れそうと判断して先に進んだ・・・のだが、これが結果としてはとんでもない大失敗だった。道は先に行くほど細くなり、ついには蜜柑畑の中のあぜ道のような道に。もう左右がギリギリで走る度に左右で生け垣がこすれるような音が。しかし転回スペースはないし、バックするのもほぼ不可能。直進するしかないと諦めて路地を抜けきるところまで進んだが、ようやく路地地獄を抜けてから車から降りて確認すると、見事に車のサイドが細かい傷だらけになってしまっている。これが自分の車だったら仕方ないで済ますかもしれないが、レンタカーだけにそういうわけにもいかない。結局はレンタカー屋に電話したり、保険屋に電話したり、最後は事故証明を取るために警察に連絡したりで1時間以上を費やす羽目に。幸いにして今回に限ってNOCチャージなどの保険までフルでかけていたので(普段はかけないんだが、なぜか今回に限ってはかけていた)金銭的な負担は一銭もなかったが、時間ロスと何より精神的ダメージが甚大。一気に意気消沈である。自身の判断の甘さを責める気持ちばかりが湧き上がってきて感情に収拾をつけるのに苦労する。

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野地城はこの奥だったんだが・・・

 とりあえず野地城は車でのアクセスは不可能だし、この炎天下を歩いて行く気もしないし、そもそもほとんど遺構はないと聞いているので、ここは飛ばして佐久城に行くことにする。

 

佐久城 室町時代の浜名氏の居城

 「佐久城」は野地城から直線距離で500メートルぐらい南にある。現地にはホテルなどが建っていてそのために城の半分ぐらいは破壊されてしまっているが、今でも本丸などが残っているようだ。リゾートホテルの合間を縫って現地まで走って行くと、一応城見学者用の駐車スペースもあり、案内看板までキチンと立っている。

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案内看板完備

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しかしその隣に嫌な看板も

 佐久城は室町時代に三ヶ日町一帯を支配した浜名氏の居城であるとのこと。1348年に浜名左近大夫清政がこの地に築城し、その子孫は足利幕府で将軍の側近として活躍したという。1583年12月の徳川家康の侵攻に際して、九代目の肥前守頼広が今川氏配下として籠城戦を行ったが、翌年2月に力尽きて降伏、その後は家康配下の本多百助信俊がこの城を守備したが、1583年に野地城を構築したことによって廃城となったとのこと。

 本丸は公園整備されている模様。まむし注意の看板が嫌だが、とりあえず先に進むことにする。通路はちょうど空堀になっており、そこを登ると馬出がそのまま残っている。

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本丸周辺の空堀

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馬出の土塁

 そこから土橋で本丸とつながっており、虎口を経由して本丸に入ることが出来る。本丸は土塁なども残存しており、石碑や屋敷跡の看板があり、井戸跡も見ることが出来る。ただ辺りがかなり下草が茂っており、先ほど「まむし注意」の看板を見た直後とあっては、不用意に分け入ることは慎まれる。とりあえず進む先を杖でバンバンと派手に叩きながら大きな足音を立てて慎重に進むことにする。

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馬出と本丸の間の土橋

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本丸虎口

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鬱蒼とした本丸

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本丸井戸跡

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城跡碑

 ホテルまで建っていると言うからろくに遺構はないのではと思っていたのだが、思いの外立派な遺構が残っていた。先ほどどん底まで落ち込んでいた気持ちが、これでようやくわずかに持ち直す。

 

宇津山城は断念・・・

 最後に宇津山城に立ち寄ろうと近くまで行ったのだが、現地は思いの外高い山だったことと、もう時間に全く余裕がなくなったことにより諦めて引き返す。

 

 車を5時には返却する必要があるので浜松駅まで急ぐ。途中で東名高速道路を経由して浜名湖SAで一休み。ここは浜名湖を望む風光明媚なSAだが、ちょっとした公園になっていて遊覧船なども出ている模様。

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浜名湖SA

 一休みを終えると浜松まで車を急がせる。浜松駅近くまで来てから立ち寄る予定だったガソリンスタンドが休業していたりなどのドタバタはあったが、無事に車を返却する。

 

やはり浜松といえばうなぎを食べないと・・・

 後は帰るだけだが、夕食を摂ってからにしたい。やはり最後はうなぎを食べて帰るべきか。駅前のうなぎ屋「八百徳」に立ち寄って「鰻重」を頂く。

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駅前の八百徳

 東海地域は関西風と関東風のうなぎが入り交じっているが、ここのは関東風の柔らかい鰻の模様。私は関西人だが、これはこれでうまい。またタレの味がなかなか良い。さすがに浜松のうなぎは侮れないか。もっとも税込み3456円という支払いは、やはり昨今の状況のせいか高い。

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関東風の鰻重

 夕食も終えて新幹線で家路についたのである。ただ異常な熱波の影響は帰宅してから現れ、しばらくは熱中症のようなだるさが続く羽目になったのであった。遠征するならもう少し時期を選ぶ必要があったと後悔することしきりだが、昨年はこの時期でもこんなことはなかったはずなのだが・・・。

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浜松駅から新幹線で帰宅

 

静岡観光~舘山寺温泉&「ミュシャ展」at 静岡市美術館&静岡交響楽団第80回定期演奏会

 翌朝は7時前に自動的に起床。体に怠さは少しあるもののおおむね快調。ただ今日も暑くなりそうだ。東海地域には軒並み熱中症警報が発令中である。

 朝食はバイキング。ここのレストランはシェフがベトナム人で、ベトナム料理などがあるのが特徴らしいが、私のチョイスは和食中心。ジジイには南方系料理はあまり相性が良いとは言えない。昨晩が軽めだったせいか食が進む。朝からガッツリと燃料補給しておく。

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朝食バイキングでガッツリ

 朝食後は入浴。体をシャッキリと目覚めさせる必要がある。さて今日の予定だが、2時から清水で開催される静響のコンサートがメイン。後は諸々考えていることもあるが、天候次第というところがある。外が命の危険を感じるほどの灼熱地獄なら、予定を大幅に省略する必要がありそう。

 ホテルをチェックアウトしたのは9時過ぎ。さて今日の予定だが、静響のコンサートは2時からなのでそれまでは諸々考えている。キャリーを静岡駅のロッカーに放り込むと、まずは久しぶりに駿府城に立ち寄ることにする。

 

駿府城 今川の拠点から家康の居城になった城

 「駿府城」は言わずと知れた徳川家康がらみの城郭。現在の形は家康が天下を掌握してから天下普請で整えられたもの。ただ元々は今川氏の城郭だったはずだが、町の中にも今川のいの字もない。「海道一の弓取り」と言われた戦国の傑物も、最期が良くなかったせいでどうしても扱いが悪い。昨今は今川義元よりもむしろ、その後に戦国の動乱の中をユラユラとしぶとく生き残った蹴鞠の達人「ファンタジスタ氏真」こと今川氏真の処世術が注目されていたりする。彼を見ていると、中途半端なプライドは捨ててしまうことが生きていく上での一番有効な戦術ということを物語っているのだが。

 駿府城は明治の廃城後に陸軍の駐屯地になったとのことで、その時に内堀が埋め立てられているが、その周辺は残っている上に、最近になって櫓等が復元されていてかつての偉容を取り戻しつつある。また現在、かつての天守台周辺が発掘調査中とか。

 県庁の周辺にはかつての外堀の一部も残存している。駿府城は典型的な輪郭構造になっており、この堀が一番外側に当たる。大手門の虎口跡などはかなり立派で見応えがある。さすがに100名城に指定されている城郭ではある。

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かつての外堀跡

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県庁前の入口は明らかに後付け

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大手虎口跡

 駿府城入城の前に県庁別館の展望ロビーに立ち寄ろうと思っていたのだが、開場が10時からとのことでまだ時間があるので、先に駿府城の見学をすることにする。駿府城の東御門から入場すると、櫓や庭園のセット入場券を購入して見学に回ることにする。

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巽櫓

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東御門

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その奥は見事な枡形虎口

 東御門及び巽櫓はとにかく立派な木材を使用しているのが目立つが、これらの木材は静岡県内だけでは調達できず、一部は吉野から取り寄せたらしい。ということは国家的プロジェクトとして復元したということか。

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使っている木材も立派

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駿府城の模型

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かつてはこのような天守があったらしい

 東御門の奥にはかつての本丸堀の一部がまるで池のような状態で残っている。よくよく見ていると駿府城内部はほとんどが空き地なので、その気になれば本丸堀を掘り起こして復元することも可能なように思えるが・・・。

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本丸堀の断片が各所に残っている

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本丸堀と二の丸堀をつなぐ水路

 

 巽櫓の次は紅葉山庭園の見学。ここは駿府の自然をミニチュア化した庭園で内部には駿河湾から富士山、さらには箱根の山まである回遊型庭園である。なかなか変化があって面白い。

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紅葉山庭園

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駿河湾の風景を模している

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典型的な回遊型庭園である

 そこから西の方では天守台の発掘作業中。かなり掘り起こしたらしく土砂の山が出来ている。発掘現場は見学でき、掘り起こされた天守台の石垣を見ることが出来る。かなり大規模な石垣を持った城郭であったことが覗え、さすがに天下普請。

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天守台石垣は発掘作業中

 最後は坤櫓を見学。ここもかなり気合いの入った復元ぶりでなかなか見応えあり。

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坤櫓

 これで一周。最後はセット券に付属していたおでん引換券を持って駿府城の売店へ。灼熱地獄の中で熱々の静岡おでんを頂くことになったが、水分と共に不足しかけていた塩分を補給するにはちょうど良いかも。おでんの味はまずまず。

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静岡おでんで一服

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静岡おでん

 駿府城を一回りしてから県庁の展望ロビーに立ち寄るが、登ってみるとガラガラ。それに冷房があまり効いていなくて生ぬるいのであまり快適とは言えない。また晴れにも関わらず煙っていて富士山は見えず。面白いのは上から見る駿府城ぐらいか。

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閑散とした展望ロビー

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残念ながら富士山は見えない

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駿府城を見下ろす

 

静岡市内の人気店「河童土器屋」で海鮮丼を頂く

 駿府城の見学を終えたところで昼食を摂ることにする。立ち寄ったのは市役所の近くの「河童土器屋」。海鮮丼で有名な店らしい。私は「上海鮮丼セット(1950円)」

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河童土器屋

 季節のネタを盛り合わせたという海鮮丼はまずまず。意外にうまかったのが添えられていた天ぷら。サクッと揚がっていてなかなかのもの。これは天丼を頼んだ方が正解だったかも。最近は私の住んでいる地域でも新鮮な海産物が比較的容易に入手できるようになっているので、海鮮丼の類いで感動することは少なくなってきた。

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海鮮丼セット

 人気のある店らしく、私が店を出る時にはかなりの行列が出来ていた。分からないでもないが、そこまでするほどの店かは若干疑問もあり。これも所謂口コミサイトなどの影響か。それにしてもカッパドキアと海鮮丼の結びつきが今ひとつ分からない。

 それにしても暑い。駿府城を歩き回っただけでかなり消耗してしまった。完全にミネラル麦茶がライフラインになってしまっている状況。当初予定ではJRで近郊の城に繰り出すことも考えていたのだが、そんなことをしていたら熱中症になりそうなので、その予定は放棄することにする。となったら代わりのプランが必要だが、静岡市立美術館で「ミュシャ展」を開催しているのでそれに立ち寄ることにする。この展覧会は京都の伊勢丹で開催された時に行っているのだが、どうやら静岡会場限定展示などもあるらしいし、会場スペースの狭い京都伊勢丹では展示内容が省略されていた可能性も高い。諸々を勘案すれば立ち寄る価値はあると判断した。

 静岡市立美術館は久しぶりの訪問。駅前ビルの中にある近代的な会場で、白主体の内装がいささか眩しい(笑)。今回は展示に合わせてサラ・ベルナールの一連のポスターがホールに展示してあって華やかな雰囲気。

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ミュシャのサラ・ベルナールシリーズ

 

「ミュシャ展~運命の女たち~」 静岡市立美術館で7/15まで

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 ミュシャの初期作品から最晩年の作品まで、ミュシャの画業を振り返る展覧会。

 明らかに京都展よりも展示点数が多く、特に初期作品などに初めて見た作品が多く含まれる。とにかくこれらの作品を見ていると、ミュシャのデッサン力の高さが覗われる。

 ミュシャが世間に出るきっかけとなったサラ・ベルナールの一連のポスターなどはまあよくある展示であるが、面白かったのが実際のモデルの写真も展示されていたこと。写真と絵画を比べると、ミュシャがモデルの特徴を活かしつつも巧みに美化していることが分かり、さすがに20世紀最強の萌え絵師と呼ばれるだけのことはあると妙に感心。

 またスラブ叙事詩をスライドで展示していたのも面白い。かつて東京で実際に見た光景を思い出しながら懐かしい気分となった。

 最後は静岡展独自企画の尾形寿行氏のOGATAコレクション。これは絵画と言うよりもミュシャの装飾を集めたものであり、アール・ヌーヴォー見本市のようになっていた。


 スラブ叙事詩が何とも懐かしかった。これの実物を見ることは一生叶わないと思っていたのだが、今から思えば東京で実物を見ることが出来たのはまさに奇跡だったように思われる。今までいろいろな願いのほとんどはことごとく叶うことのなかった私の人生だが、この願いだけは珍しく叶えられたものになる。

 展覧会を一回りしていたらちょうど適当な時間になった。コンサートに出向くためにJRで清水駅まで移動することにする。マリナートホールは清水駅から陸橋で直接つながっている。

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マリナートホール

 マリナートホールは二階席まであるそこそこの大きさのホールだが、そこの一階席にだけ観客を入れていて、それでも埋まっているのは座席の5~6割というところ。いささか寂しい感もある。

 

静岡交響楽団 第80回定期演奏会

【指揮】野平一郎
【ソリスト】五位野百合子、河野克典
【合唱指導】戸﨑裕子、戸﨑文葉
【合唱】県民参加による合唱団、音楽青葉会・静岡児童合唱団

ビゼー/アルルの女「第2組曲」
ビゼー/交響曲 ハ長調
フォーレ/レクイエム op.48

 10-8-6-4-4の小編成のオケだけに、どうしても弦などの音圧が不足気味。マリナートホールが意外に響くホールなので、それがオケにはかなりの助けになっている。
 一曲目のアルルの女に関しては、ホルンや金管がボァーとやけに締まりのない音を出すせいで、今ひとつ精彩を欠く演奏。通常編成よりもトラなどで増量したと思われる金管陣が逆に徒になっている。フルートが孤軍奮闘していた印象。

 交響曲の方は編成がスリムになった分だけまとまりのある演奏になっていたが、それでも全体的に演奏の精度を欠くのは相変わらず。この曲の持つ華やかさだけは伝わってくるが、全体としてはやや面白味に欠ける演奏となってしまった。

 フォーレのレクイエムに関しては、合唱団が意外に健闘している。ただ編成的に混声合唱ではなく女声合唱+α程度というイメージになってしまっているのはバランス的には少々しんどいところ。それでもソリスト二人の美しい歌唱などもあってこの曲の魅力を伝えるのには成功していたと感じた。

 静響の実力に関してはもうひと頑張り欲しいと感じたのが正直なところ。なおマリナートホールが意外に良いホールであることには驚いた。かなり静響に向いているホールだと思う。もし西宮のようなデッドなホールだったら、静響の音量では後まで音が届かないだろう。


 観客がなかなか温かい拍手を送っていたようなので、東海地域ではそれなりに認識されているオケなんだろうと思われる。今後、着実なレベルアップを図って欲しいところである。もう少しアンサンブルの精度を上げれば、室内オケ的な方向性が出るだろう。モデルにするとしたらアンサンブル金沢か。名古屋辺りで合同コンサートなんて考えはないのだろうか?

 それにしても図らずしてレイクエムの連チャンとなってしまった。これで後はモーツァルトのでもあればフルコースである。ただ同じレクイエムと言ってもやはり性格はかなり違う。ヴェルディのもろにオペラ調のに比べて、フォーレのはひたすらに美しい。レクイエムとしてはこちらの方が正解か。ヴェルディのだと死者が棺桶蹴飛ばして復活しそうだから。

 コンサートが終了すると、直ちに静岡まで戻ってからキャリーを回収して新幹線で浜松に移動する。ここからはレンタカーでの移動になる。今日はかんざんじ温泉のホテル山喜で宿泊する予定。

 かんざんじ温泉までは車で1時間弱だが、道路が結構混雑していて特に浜松市外を抜けるのに時間がかかる。しかも結構起伏もある。ようやく浜名湖が見えてきたらかんざんじ温泉はすぐ。

 

堀江城 舘山寺温泉に埋もれてしまった直虎ゆかりの城郭

 かんざんじ温泉は浜名湖に着き出した半島状の土地にある温泉地。小高い山があるが、この山上にはかつて「堀江城」という城郭があり、大澤氏が拠点としていたという。大澤氏は井伊家と同様に今川の家臣であったが、後に徳川家康の侵攻時には井伊家とは対称的に家康と戦うことになる。しかし結局は和睦して徳川に下ったとのこと。と言うわけでここも井伊直虎ゆかりということで最近になって看板が立てられた模様。

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近くのバス停に案内看板がある

 とは言うものの、肝心の城郭自体は完全に遊園地とホテルの敷地になってしまっていて見る影もない。どうやら本丸は現在は観覧車が立っている下のようだ。ホテル九重の駐車場から堀江城跡の看板だけが見えている。

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ホテル九重の駐車場脇にある看板

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この小山が堀江城の中心だったらしい

 

舘山寺温泉で宿泊

 ホテル九重の駐車場をスルーして、今日の宿泊ホテルに向かうことにしている。私は残念ながらホテル九重みたいな高級ホテルに宿泊できるような財力はない。今回の宿泊ホテルはホテル山喜

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ホテル山喜

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シンプルな部屋ではある

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一応窓からは浜名湖が

 ホテル山喜は室数も多くはないかなりシンプルなホテルである。向かいの巨大ホテルサゴーロイヤルの系列だが、周辺の弱小旅館が買収されたのだろうかという雰囲気。サゴーロイヤルでカバーできない個人客などをこちらがカバーする形になっている。部屋はシンプルだがなかなか綺麗で良い部屋である。そう高くはないホテルで、浴場と食事はサゴーロイヤルを使用できるというのが最大の売り。

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こちらは豪華ホテルのサゴーロイヤル

 ホテルにチェックインした時にはもう6時過ぎ。夕食は7時過ぎからサゴーロイヤルでバイキングとのことなので、その前にサゴーロイヤルに入浴に行きたい。チェックインの時に「屋上露天風呂がお勧めですので是非」と聞いているので、とりあえず屋上露天風呂に直行することにする。

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屋上露天風呂

 露天風呂は浜名湖に面した開放感抜群のもの。湖からの風を受けながらの入浴はなかなか快適。ただ泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物強塩泉ということで一般的なもの。また加水・加温・循環・塩素消毒ありなので、湯自体にはあまり特徴はない。どちらかと言えば湯を楽しむと言うよりも雰囲気を楽しむ温泉か。

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風呂から浜名湖を一望

 

 入浴を終えて湯上がりどころでしばしマッタリした頃には夕食の時間。レストランへと出向く。到着したレストランでは既に大勢の客が臨戦態勢。ここのレストランは座席に案内してもらえるので席取りの必要はない。それもあって伊東園のような殺伐とした雰囲気はない。

 料理も品数豊富でなかなかうまい。売りの一つはうなぎ食べ放題。まあ国産ではないと思うが、このご時世うなぎ食べ放題は気分的には豪華。蒲焼きにうな茶漬けとたっぷり頂く。もっともうなぎの蒲焼きはそればかりそうべらぼうに食えるものでもない(これこそが食べ放題が出来る最大の仕掛けでもあるのだろうが)。

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夕食第一陣

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夕食第二陣はうなぎ

 そのうちにカンパチの解体ショーが始まるので、カンパチの刺身も頂く。コリコリとして新鮮で美味。後はデザート類を頂いて終了。制限時間は90分あるのだが、私は40分ほどで怒濤のごとく食いまくってさっさと引き上げる。ただこのまま真っ直ぐ引き上げるのも何なので、サゴーロイヤルの内風呂の大浴場に入浴してから帰る。こちらも内風呂と言いつつも湖の眺望がある風呂(と言っても今は真っ暗だが)。湯に関しては、やはり露天よりは消毒がややマシな気がする。

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カンパチの刺身

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デザート

 風呂はなかなか良かったが、しこたま食べた直後に入浴というのはあまり良くなかった。若干気分が悪くなってきて口からうなぎが出てきそうな状態なので、とりあえずホテルの部屋に戻ってから一休みする。

 布団を敷くと(セルフサービスである)そこにゴロンと横になって「人類誕生」の後半を視聴。今回はいよいよクライマックスで、日本にホモサピエンスが渡ってくるという話。彼らは南方から丸木舟に乗って渡ってきたという結論。そして彼らをかき立てたのはホモサピエンスが世界中で繁栄する原因となった「好奇心」。それにしても考古学も古生物学もすべてこの数十年でかなり進化し、かつての定説が完全に変わってしまった。何やらこんな世界も諸行無常である。

 腹が膨れて入浴も済ませ、ドッと疲れが押し寄せてくるのでこの日は早めに就寝する。

 

姫路地区マイナー山城(楯岩城、英賀城、国府山城)巡り&「連作の小宇宙」at 姫路市立美術館

 昨日は夏バテ気味で散々だったが、家に帰った後にひたすら寝続けて何とか回復。となるとこのままゴロゴロしていると体が鈍りそうな気がしてきた。そこで思い立って姫路の美術館を訪問すると共に、同地のマイナー城郭を攻略することにした。

楯岩城 赤松氏の山城

 まず最初に立ち寄ったのが「楯岩城」。国道2号線から太子竜野バイパスに突入し、山陽自動車道の山陽姫路西ICに向かう姫路西バイパスが分岐する前のトンネルの上にある山城である。

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楯岩城遠景

 楯岩城は赤松則弘が建武年間(1334~1338年)に築城した城郭で、嘉吉の乱の際に落城したという。その後は赤松貞村が居城として5代続いた後に秀吉によって落城させられたとか。

 やはり高山好きの赤松氏らしく、かなり高い山の頂上に構えた城郭である。麓から登る登山道もあるらしいが、体力に全く自信のない私はなるべく車で上まで登ってから攻略することにする。この山の中腹には今は閉鎖された老人施設があり、そこに行く山道が通っているはずである。かなり狭い上に急な道で、ノートだとギアをLに入れてもエンジンが死にそうな音を上げているが、とにかく道路が閉鎖されている一番上まで登る。

 そこに車を置くと閉鎖された道路を徒歩で進む。何十メートルと進まないうちに山頂に向かって登る道が設置されているので、そこをひたすら登ることになる。距離としてはそう長いわけでもないのだが、斜面を直登するような道なのでなかなかしんどい。

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山道のどん詰まりから車止めを越えて先に進む

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途中に山道がつけてある

 途中で倒木が道を塞いでいたり、大きな岩を乗り越えたりなどのお約束があるが、山頂の電波塔のところに到着するのには20分もかからない。この電波塔のあるのは北側の山頂でここが本丸とのこと。巨石がゴロゴロ転がっており、これらは城の構えに使用されていたのだろうか。

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倒木に道を妨げられ

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巨石を乗り越える
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電波塔が見え、何かの遺跡らしい巨石も

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この曲輪に巨石がゴロゴロしている

 もう少し南に行ったところにこの山の山頂があり、この辺りも明らかに曲輪らしき構造になっている。本丸の続きかはたまた二の丸か。ここには三角点があるが、その背後に巨石が積み上がっている。何のためかはよく分からないが、私の勘ではここには祠でも祀っていたのではないかと考える。

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さらに奥に進むとまた巨石の群れ

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この巨石は何なんだろう?

 さらに南西方向に降りていった先にも曲輪がありそうな雰囲気があるが、そこまで行くのはやめて引き返すことにする。

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この先にも何段かの曲輪らしきものが

 帰りは急な下りなので行きよりも慎重に進む。途中まで降りてきたところでバイクで登ってきていた人がいて驚く。バイクも意外と登坂力があるようだ。

英賀城 三木氏の城も今は住宅地に埋もれる

 次の目的地は黒田官兵衛絡みの城郭だが、その前に行きがかりの駄賃で「英賀城跡」に立ち寄る。と言っても今や遺構は住宅街と田んぼに完全に埋もれており、今日残っているのは土塁の一部のみ。この近くには英賀城跡公園があり、天守台に見立てたと思われるインチキ石組みが見える。本丸の跡には石碑と説明看板が立っているのみ。ちなみに英賀城は赤松氏が守る砦だったが、嘉吉の乱で赤松氏の勢力が減退した後に三木氏が城主となって整備されたと言う。で、お約束のように秀吉に滅ぼされている。

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英賀城公園のインチキ天守

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英賀城土塁跡
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本丸跡は看板があるだけ

 土塁本丸跡の距離から考えてもかなり大規模な平城であったと考えられる。この辺りは元々は低湿地と思われるので、堀や水路を縦横に巡らせた城郭だったのだろうと推測される。

国府山城 黒田官兵衛ゆかりの山城

 英賀城を通り抜けると向かうは「国府山城(妻鹿城)」。黒田官兵衛の父・職隆が築いた城郭で、官兵衛が姫路城を秀吉に譲り渡すと自らはここに移ったという。

 以前は登山道もろくに整備されていないというような話を聞いたことがあるのだが、大河ドラマの関係で急遽諸々が整備されたようだ。道路手前から案内看板まで立っているので、場所を間違う心配はない。今時ろくな作品のない大河ドラマだが、こういうところには影響力があるようだ。ただ後数年もすればその大河ドラマも忘れられ、現地の山道は下草に埋もれて案内看板も朽ち果ててしまうなんてのがオチなので、そうならないうちに訪問しておいた方が賢いだろうという判断。

 遠くから見た山容は市川沿いにそそり立つ独立峰で、周囲はかなり切り立っているが山頂は平坦なように見えることから、城郭にするには格好の地形である。もし私がこの地域の支配者だったとしても、まず間違いなくあの山上に城郭を構えたはずである。

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国府山城遠景

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案内図

 登山道は麓の荒神社から出ている。一部下草が茂ってきていたり、笹がひどく繁茂している箇所もあるが、登山道はまだ概ね良好に保たれているようだ。途中で井戸跡やかまど跡などを見学しつつ登っていくと、笹藪を抜けたところで南側の鉄塔がある。この辺りの笹藪はかなりひどくて周りの状況がサッパリ分からないので、出来れば完全に払ってしまって欲しいところである。笹は繁殖力が強いので、このままだと早晩ここの道は埋もれてしまいそうである。

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登山道は荒神社から

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登山口に黒田官兵衛の旗が

 

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登山道は整備されている

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井戸跡

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かまど跡
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しかし鉄塔手前では深い藪に進路を阻まれる

 鉄塔の先には経塚跡がある。そこからはいくつの曲輪を経ながら本丸に向かって登っていくことになる。途中には二層の隅櫓跡とか狼煙跡なんて表記もある。

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鉄塔を抜けた先にある経塚

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登った先の廓跡

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狼煙廓

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二重の隅櫓跡

 最高所が本丸で、ここは木を刈ったりなどの整備がされているようで北西方向の視界がかなり開けており、遠くには姫路城を望むことも出来る。また西方向はかなり切り立っており、この城郭の堅固さを思わせる。

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視界が開けてくると

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本丸に到着

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姫路城を遥かに望む

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本丸からの風景

 ここからさらに北東方向に向かう。途中で急坂を井戸曲輪まで降りたりしたが、結局はもう一度上に登ってくることになる。一番北のどん詰まりにも大きな曲輪がある。

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北廓

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近くの井戸廓

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上に上がって盤座跡

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北の奥の曲輪はかなり広い

 ここからは腰曲輪を経由して帰ってくることになるが、途中で二つ目の鉄塔に出くわす辺りの笹がまたひどくて、道を見失いそうになるぐらい。この笹は今のうちに何とかしておいて欲しいものだ。もしかしたら黒田官兵衛ブームの頃には刈っていたものが、その後放置されてこうなったのだろうか。とにかく笹や竹は成長が早い上に侵略性が高いので困りものである。刈ったぐらいならすぐ生えてくるので、出来れば根こそぎ焼き払いたいところだが、実際はそう乱暴なことも出来ないだろう。ただ最近は各地の城跡で竹や笹の侵略を受けているところをよく見る。あいつらはとにかくたちが悪いので要注意。

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腰曲輪

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しかし帰り道は完全に藪に埋もれる

姫路キャッスルグランヴィリオホテルの華楽の湯

 山城を回ってかなり汗をかいたし腹も減った。美術館に立ち寄る前に入浴と食事をしておきたい。姫路駅前の姫路キャッスルグランヴィリオホテルに日帰り入浴施設の華楽の湯があるとのことなので、そこで入浴をすることにする。

 ホテルの立体駐車場に車を置くとホテル本体へ。浴場は中で窓口はフロントとは別にある。私は今回はタオルを持ってきていないので、レンタルタオルセットをつけて1200円。湯について調べようと成分表を見たところ、源泉は花温泉とのこと。花温泉と言えばかつて安富町にあった温泉施設で、私はたまに行っていたのだが最近になって閉鎖されたところである。そこの温泉をどうやら運び湯しているようだ。

 風呂は岩風呂やらヒノキ風呂やら多彩。そう大きいわけでもないが小さいわけでもないというところ。肝心の湯の方だが、残念ながら安富花温泉で感じられたような硫黄臭は皆無。加温循環しているせいか新湯と大して変わらないような印象。アルカリ単純泉なんだが、ヌルヌル感もあまりない。正直なところ温泉としては今ひとつだが、普通にスーパー銭湯のように考えるとマズマズか。

 昼食はここの食堂で摂ることにする。本当は昼食メニューを注文したかったのだが、ホテルに着いた時点で昼食時間は終了しており、今はティータイム。仕方ないのでティータイムでもある食事メニューをということで、おろしそばとおにぎりを注文。そばはボリュームはさしてないが味はマズマズ。一方のおにぎりはやけにボリュームがある。

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食事処で昼食

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おろし蕎麦とおにぎり

 泉質はそれほどでもないが、そもそも姫路地区には温泉が皆無であることを考えると、今後も汗を流すのには使えるか。なお入浴で3時間、さらに食事もすると合計で5時間駐車場が無料になるとのことから、ここでゆったりと過ごすのが良いようだ。リラックスコーナーなどもあるらしい。ただ今日は次の予定があるので1時間程度でホテルを後にする。

 最後は美術館に立ち寄ることにする。しかしこのホテルから美術館までの道のりが大渋滞。スムーズに走れれば5分もかからないところが20分ぐらいかかる始末。

「連作の小宇宙」姫路市立美術館で6/24まで

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 いわゆる連作作品に注目してそれを展示するという主旨なのだが、ハッキリ言ってテーマとしては極めて曖昧。連作作品は点数が多いためになかなか一挙展示しにくいから、この際にやっておけというようにも見える。実際に展示されている作品は「連作」という意外には特に脈絡はない。

 展示作の中で面白かったのはピカソによる「ヘレナ・ルビンスタインの肖像」の連作。同一人物の肖像スケッチを描く中で様々な手法を試みており、そのテストのための作品群と言ったところ。比較的普通のスケッチから、明らかにキュビズム風のスケッチまで様々でかなり試行錯誤が見られる。

 後は「大日本魚類画集」か。鯛やヒラメなどのやけに美味そうな魚が並んでいたのが何とも。


 美術館の入場料が割引使用で400円だったのに対し、駐車場の料金が600円なのには呆れた。以前からここの駐車場はボッタクリもいいところである。本来は美術館に入館したら割引があっても良いのだがそれもなし。そもそも料金プランが3時間600円しかないのがおかしい。せめて1時間200円の料金体系にするべきところ。こういうところは姫路市の一番駄目なところである。観光に力を入れるべきであるのに、根本的なところがダメダメ。こういうサービスの基本がなっていないから、何かをする度に大失敗を重ねているわけである。

 姫路地区のマイナー城郭巡りであったが、意外に見所のある城郭もあった。まだまだ知られざる城郭は各地にいろいろありそうである。

 適度に汗を流し、適度に体をほぐしたところで帰途についたのである。これで明日以降、体がガタガタにならなければ良いのだが・・・。

佐和山城を見学して帰宅

 昨日も早めに就寝したのだが、今朝は完全に7時過ぎまで爆睡していて目覚ましで初めて気がついた。相当に疲労が溜まっているようで、起き上がった時にあからさまに体が重い。

 とりあえずシャワーを浴びて目を覚ますと、朝食バイキングのためにホテルのレストランに出向く。朝食バイキングは品数としてはそう多いものではないが、味はまずまずであった。和洋両様でガッツリ食えるのは良い。朝食後はとにかく体が重いので、ホテルのチェックアウト時刻の10時ギリギリまでベッドでゴロゴロしながら過ごす。

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朝食バイキング

 ホテルをチェックアウトすれば今日は帰るだけ・・・なのだが、実のところはその前にもう一カ所だけ立ち寄るところがある。彦根と言えば井伊直政・・・でなくて、その影に追いやられている石田三成である。この彦根にはその三成ゆかりの城である佐和山城がある。やはりここに立ち寄っておかないといけないだろう。

佐和山城 三成に過ぎたるものと言われた堅固な居城

 佐和山城への登山道は龍潭寺の奥にあり、龍潭寺の前には駐車場もあり、佐和山城ボランティアガイドの詰め所なんかもあるようである。龍潭寺の奥の墓地の方に進んでいくと佐和山城登山口の案内があり、「野猿の群れが出没するので注意」との看板が。ハイキングコースになっているような山だからと唐辛子スプレーは持ってこなかったのだが、持参した方が良かったか?

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佐和山城遠景
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警告看板を過ぎて山道を登っていく

 山道に入るが、ハイキングコースとして整備されているので道は悪くない。これは楽勝・・・と言いたいところなのだが、足が全く前に出ない。私自身が感じていた以上に足腰がヘロヘロになっていた。太ももは上がらないし、ふくらはぎは痙攣しそうな状態。山道にさしかかった途端にいきなりリタイヤという情けない状態になりかけたが、さすがにここまで来てそんな情けないことにはなりたくない。必死で気合いを入れて途中で普段の3倍は休憩を取りながらヨタヨタと登っていくことに。

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大洞弁財天との分岐

 大洞弁財天との分岐を過ぎて少し登ると大穴のある曲輪に出る。ここが西の丸の端で、この曲輪は煙硝櫓跡(なぜか表記は塩硝櫓となっている)とのこと。どこの城でもとにかく煙硝倉は万一の爆発に備えて、城から外れたところに半地下にするか土塁で囲うかして設置するものである。現地の看板には「この土抗の用途は不明」とあるのだが、普通に考えると火薬を蓄えていたのでは?

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煙硝櫓

 この辺りの周辺は鬱蒼としているが平坦地であり、西の丸の曲輪であることが分かる。ここを奥まで進むと堀切らしき跡があってそこから険しい登りになる。これを登り切ると本丸。足はもうガタガタだが、ここまで来ると好奇心が体を支える状態。

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西の丸

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西の丸の端

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堀切がある
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ここからさらに登るとようやく本丸

 ようやく本丸に登ると視界が開ける。本丸跡はなかなか広いスペースがあり、西の丸から登ってきたところには虎口構造らしきものが見られるように思われるが、佐和山城は大規模に破城されているために往時の構造はほとんど残っていないとのこと。

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本丸

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風景が良い

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彦根城が見えている

 ここで一息ついてようやく生き返ると、本丸奥の南の方に降りてみる。こちらは元々大手口の方向のはずである。随所にかつての構造の片鱗のようなものが覗える。また二段の巨石が残っているが、これがかつての隅石垣だとか。佐和山城の石材はほとんどが彦根城に持って行かれたとのことなので、かつてはこの山上に立派な石垣が存在したのだろう。それはさぞかし壮観だったろうと思われる。何しろ佐和山城は「三成に過ぎたるものが二つあり」と言われた内の一つなのだから。なお西軍の中心だった三成の居城だけにさぞかし溜め込んであるだろうと勇んで佐和山城に乗り込んだ東軍の諸将は、財宝の類いが一切なかったことに唖然としたらしいが。関ヶ原での準備のために資金を費やしたということも考えられるが、元々三成は個人的に蓄財をする類いの人物ではなかったのだろう(実際にかなり潔癖な人物だったようだ)。今時の政治家とえらい違いだ。

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本丸の南を降りていく

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これはかつての隅石垣だとか

 南側に降りたところには千貫井戸があり、ここは今でも水が湧いている。水の手の確保もしっかりなされていたということで、この辺りは全く抜かりがない。

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さらに降りた先にある千貫井戸

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今でも水を湛える

 佐和山城を一回りしたところでヨタヨタと山を下りてくる。なかなかに見応えのある山城であった。徳川によって徹底的に破壊されているが、それでも地形などは残っており、往時の姿を垣間見ることは可能である。これもやはり私撰100名城Bクラスだろう。

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麓の龍潭寺にある佐和山城主の像

 もう限界まで疲れ切っているが家まで帰る必要がある。高速に乗るとすぐに多賀SAに入るが、車を停めるところに困るぐらい大勢でごった返している。そんな中「近江多賀牛」で昼食。これもしばし待たされてからの入店となる。

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多賀SAの近江多賀牛で昼食にする

 注文したのは近江牛ハンバーグとサイコロステーキの膳。味はまずまずだが、やはり場所柄CPは激烈に悪いのは仕方ないところ。

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味はマズマズだが場所柄CPは悪い

 昼食を終えた後は、途切れそうになる意識を無理矢理つなぎながら、何とか無事に家まで帰り着いたのである。それにしても新名神の高槻-神戸間が開通したのはかなり大きい。今までは西宮辺りで慢性的な渋滞で苦労させられたのだが、それをバイパス出来るようなったことは非常に助かる。

 結局、GWを北陸の温泉でゆったり・・・のはずが、北陸の山城を駆けずり回ってグッタリといういつものパターンになってしまったのである。全くもって学習能力がないというか、懲りないというか、業が深いというべきか・・・。

彦根市街重伝建地区(河原町芹町地区)散策

 翌日は7時に起床。体の調子は悪くはないがやや重い。雨は降っていないようだが、どんよりと曇っているのが気になるところ。

 朝風呂を浴びると8時から朝食バイキング。まあまあだがとにかく混雑しているのがまいる。

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朝食バイキング

 10時過ぎにチェックアウトするが、困ったのは今日どうするか。とにかく今日は彦根まで走って彦根で宿泊することになっているが途中の予定がない。元々は山城に立ち寄るつもりであったが、今日のこの天候では難しそう。とりあえず天候を見ながら予定を考えることにして彦根に向かって走る。

 今日からGWの後半のせいか北陸道は車がかなり多い。渋滞こそしていないが走るのに神経を使わないといけない状態。結局は疲労で休憩のためにSAに入るが、車を置くところがないくらいの大混雑。しかもレストランは席が一杯というような状態。

 途中から雨が激しくなってくるし、結局は今日は山城を諦めて彦根に直行することに。

 

彦根の河原町芹町地区の重伝建を見学

 彦根に到着したのは1時過ぎ。ホテルのチェックイン時刻が3時からなのでまだ時間がある。一応こういう時のプランは考えてある。最近に重伝建に指定された河原町芹町地区。江戸時代の商家町の面影が残っているという。

 事前調査で地区の北端のところに駐車場があることが分かっているのでそこに車を置く。ここから徒歩で町並みを散策。確かにところどころ江戸時代の卯建がある建物が断片的に残っているが、全般的には昭和レトロな雰囲気の方が強い。商売をしている家も数軒あるが、空き家らしき家もあるのが気になるところ。

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石田三成と井伊家の両方の石碑が

 町並みを一往復して帰ってくると入口のところにある魚屋「魚浩」で昼食にする。魚屋だけあってお勧めは海鮮丼。さすがにネタは十分に入っている。また添えられていたあら汁がうまい。

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魚浩は魚屋

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魚屋の海鮮丼

 

彦根で宿泊

 昼食を終えた頃には3時近くになっていたのでホテルに移動することにする。今日の宿泊ホテルは彦根キャッスルリゾート&スパ。彦根城正面のやや高めのホテルなのだが、会社の福利厚生割引で朝食のみプランがビジネスホテルレベルの価格になったことから選択。このホテルは若干変わったホテルで、形式としてはビジネスホテル形式なんだが、高めのレストランがついていたり(なので私は朝食のみプランにしている)などと観光ホテルと折衷になっている。立地が良いので客は多いようである。

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彦根キャッスルリゾート&スパ

 ホテルにチェックインするとまずは大浴場で汗を流す。そんなに広い浴場ではないが、全面ガラス張りの正面窓からは彦根城が真正面に見える。この人工温泉の展望大浴場でじっくりと汗を流してくつろぐ。

 汗を流してサッパリした後はしばし部屋でくつろいでから買い物と夕食を兼ねて外出する。夕食を摂る店は全く何も考えていなかったが、遠出する気力も体力もないので、割引券をもらっていた隣の「献上伊吹そば つるかめ庵」天ぷらそばを注文。なかなかにしっかりと腰のあるそばで美味。

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つるかめ庵

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天ぷらそば

 そばを食べた後はこれも割引券をもらっていた「どら焼き虎てつ」ひこにゃんのどら焼きをおやつに購入。後はコロッケを食べながら彦根城方面を散策。

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ひこにゃんのどら焼き

 

彦根城周辺の散策

 彦根城は5時で門が閉まるようなのでその手前までプラプラと散策。改めて見てみるとなかなかに立派な城である。特に登り石垣などが見事。あちこちの城を回っている内に段々と城に対する観察の仕方がマニアックになってきていて、以前に来たことのある城でもまた違った見え方がすることを感じている今日この頃。今回は彦根城に立ち寄るつもりはないが、またいずれ改めてじっくりと見学しても良いかもという考えが頭をよぎる。

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ここはかつての外堀の一部とか

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大手口

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見事な登り石垣である

 とにかく疲れがかなり溜まっている。この日は日が沈む頃にはホテルに戻ってきて、もう一度入浴したりやなんやかんやで結局は部屋でボンヤリと過ごしたのである。

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夜にライトアップされる彦根城天守

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さすがに暗すぎて撮影はギリギリ

 

城生城~春日温泉~金沢市内重伝建散策~山代温泉

 翌朝はやはり4時頃に一旦目が覚めてしまうが、そのまま二度寝。朝方にどこかから子供の絶叫のような声が2回聞こえてきたが、「やかましいな」と思いながらも寝続け、7時半にセットしていた目覚ましで目覚めることに。睡眠力自体は落ちてきているのだが、とにかく疲労が強いようである。

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地元食も交えたドーミー朝食

 さて今日の予定だが、困ったものだ。天気予報によると今日は午後辺りからかなりの雨が降るとのこと。となると山城は難しいところだが、そもそも今日回る予定だった城郭はほとんどが昨日に回り終えている。そこで今日は昨日回る時間がなかった富山市南方の城生城に午前の内に立ち寄って、近くの温泉で汗でも流そうかというのが最初の予定。

 ホテルをチェックアウトすると富山を南下する。空模様は極めて怪しいが、まだすぐに雨が降るという雰囲気ではない。とりあえず雨が降り出す前に目的を達成すべく車を走らせる。

城生城 南北朝時代から続く川縁の堅城

 神通川の上流、かなり山が迫ってきている辺り、八尾カントリークラブの西の川沿いの山上にあるのが城生城。南北朝時代ぐらいにこの地域を治めていた斎藤氏の居城であったという。戦国時代にはその位置的重要性から諸勢力の争いにさらされたようだ。

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城生城遠景

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城生城構造図(本丸案内看板より)

 現地に到着すると本丸の西に当たる辺りに入口の案内看板はあるが駐車場はない。とりあえず駐車禁止の標識はないようなので、道路の邪魔にならなそうなところで左ギリギリにつけて止めておく。

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城生城入口

 入口から足下が鬱蒼としているので大丈夫かと不安になるが、一応案内看板などは立っているので、念のための唐辛子スプレーを腰から下げて進む。すぐに腰曲輪方向との分岐の看板があるが本丸方向へ直進、さらに登ると堀切方向との分岐があってやはり本丸方向に進む。ちなみに腰曲輪方向の道は、川沿いの斜面の細道で足を滑らせたら谷底に真っ逆さまになりそうな道にも関わらず、道上にかなり樹木の枝などが張りだしてきている状態だったので結局は見学を断念している。

 

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入口からいきなり鬱蒼としている
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最初の看板を直進し、次の看板で本丸方向へ

 登り切ると思いの外広い曲輪に出る。これが二郭のようだ。本丸はここの右手(南側)にあり、堀切がある上に高低差もあるところを土橋で登るようになっている。

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思いの外広い曲輪に出た
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案内看板に従って土橋を登る

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上の段に出る
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奥にもう一段あるので案内に従って登る

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本丸に到着した

 本丸には城跡碑と案内看板が立っている。決して広いスペースではないが、周囲を見下ろす高所に位置し、下に見える大堀切との高低差はかなりのものである。

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本丸周辺はかなり深い

 二郭に戻ると北に向かうが、すぐにかなり広い堀切に行き当たる。これを超えるとこの先はかなり広大な曲輪。ただし鬱蒼としているのでその全貌は把握しにくい。ところどころに土塁があることは分かる。途中で←井戸跡という看板があったので鬱蒼とした中をそちらに進む。途中で藪がガサッと音を立てたのでドキッとしながら思わず手が腰に伸びるが、幸いにして動物の類いではなかったようだ。なお井戸跡はそれらしい窪みがあるだけ。

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二郭の先にある土塁と櫓跡

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その隣のかなり幅広い堀切

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井戸跡

 この曲輪はかなり北まで広がっているようだが、先は鬱蒼としているので引き返すことにする。

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この先は鬱蒼としているので引き返す

 二郭から降りて分岐点を今度は大堀切方向に向かう。こちらは大堀切の下から本丸を見上げることになるが、これが壮観。急斜面というよりも断崖絶壁で高さは10mはありそうなので、これをよじ登ることはまず不可能。ただ気になったのは土が大分えぐれてきているのか、本丸の端の方などは木の根で辛うじてもっているようなところがあったので、大雨でも来たら大崩落しないかということ。

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本丸を下の大堀切から

 

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とにかく大規模な堀切である

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ただしいつ崩れるか分からない部分もある

 この大堀切の南側にも曲輪がある。こちらが大手方向になるらしいが、それを守るらしい曲輪が数段になっている。

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この堀切の先にも構造がある

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下の方にも曲輪がありそうだが、ここまで来ると不明

 東西北の三方を川に囲まれて切り立っており、南からの攻撃には大堀切などの防御機構を万全に構えたかなり堅固な城である。また山上のスペースは結構広く、館などを建てるにも十分と言うことで城を構えるのには格好の地形と言えよう。

 そう知名度が高い城というわけでもないので正直なところ侮っていたのだが、来てみると思いの外に見所の多い城であった。まだこんなところに私撰100名城Bクラスが潜んでいたとは・・・。

春日温泉で一服

 1時間ほどの山城散策で汗をかいた後は、近くの春日温泉に立ち寄ることにする。大沢野ウェルネスリゾートウィンディというスポーツジムなどと複合した巨大施設があるので、そこの浴場へ。ナトリウム塩化物泉とのことでややネッチョリした印象だが、特別強い浴感はない。かけ流し浴槽などもあり意外と本格的。なお源泉温度がかなり高いので加水はしているようだ。

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大沢野ウェルネスリゾートウィンディ

 この時点で昼頃だが、山城の予定をこなして温泉で汗を流すといよいよこれからすることがなくなってしまった。完全ノープランである。こうなったら金沢にでも行くしかないかと思いつく。お昼もまだだし、久しぶりに自由軒にでも行くか。

金沢のひがし茶屋街で昼食

 北陸自動車道を経由して金沢までは1時間ほど。到着した金沢は大勢の観光客でごった返している。北陸新幹線開通以来、とにかく金沢は観光客が増えているが、今日はもうGWなのか異常に観光客が多い。自由軒に立ち寄るべくひがし茶屋街の方面に車を向けたが、駐車場に空きが全くない。結局は駐車場を探して兼六園付近まで移動することに。

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ひがし茶屋街は観光客で一杯
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観光客だらけ

 兼六園近くにようやく車を置くと、ひがし茶屋街の自由軒までトボトボと歩く。しかし到着した自由軒の前には大行列が。思わずため息。しかしここまで来た以上引き返す気もない。結局は40分ほど待たされることに。

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自由軒には行列が出来ている

 ようやく入店、注文したのはオムライスとビーフカツ。ジューシーなビーフカツは相変わらず美味いが、少し首をかしげたのはオムライス。ここのオムライスはケチャップでなくて醤油ベースなのが特徴なのだが、以前に食べた時のような鮮烈な印象がない。端的に言えば味が落ちたような気がする。私の体調のせいなのか、それとも本当に味が変わったのか。客が以前に比べてかなり増えているようなので、手が回らなくなって味が落ちているんでなければ良いが・・・。実際に観光ガイドの類いに取り上げられたことで駄目になってしまう店は少なくないだけに少々心配。

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オムライス

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これが醤油ベース

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ビーフカツも美味い

 自由軒を出た時にはとうとう雨が降り出した。傘を持ってきていなかったので慌ててループバスで駐車場に戻る。当初は車から傘を回収してここからバスで移動しようと考えていたのだが、雨が本降りになってきたのでその気が失せる。とりあえず次の目的地の近くまで車で移動することにする。

 

長町武家屋敷街の見学

 金沢に立ち寄ったのは自由軒で昼食を摂ることだけが目的でなく、長町の武家屋敷を見学したいというプランも考えていたから。金沢は今まで何度か来ているが、立ち寄り忘れていたのが長町の武家屋敷街である。そこで長町の近くまで車で走ると観光用の駐車場があったのでそこに車を置いて徒歩で見学に向かう。

 長町の武家屋敷街は水路沿いに往時のイメージの塀が連なっている。家自体は必ずしも往時のものが残っていると言うわけではないが、塀の雰囲気をそろえているので町並みとしては風情がある。

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雨の長町武家屋敷街
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 中には九谷焼を販売している店やら和菓子屋やら観光客対象の商売を行っているところが多い。私も九谷焼の見学をしたり、みやげの和菓子を購入しておく。土産に九谷焼を・・・とも思ったが、こちらは私の財力では全く手が出ない。

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中には商売をやっている家も少なくない

 それにしてもここもひがし茶屋街ほどではないが観光客が多すぎて閉口。GWということもあるだろうが、やはり北陸新幹線開通以降、金沢の観光客が異常に増えているのを感じる。おかげで京都同様に風情が全くなくなってきた。景気の刺激のためにインバウンドの拡大も結構だが、副作用としては観光地がいろいろと荒れてくる。これは困ったことだ。特に喧しい中国人の団体客はどうにかならないものか。

 

山代温泉で一泊

 30分ほどプラプラと散策を行って長町の見学を終えたところで、雨の中を今日の宿泊ホテルまで移動することにする。今日宿泊するのは山代温泉の大江戸温泉山下家。山代温泉までは北陸道経由で1時間程度で到着する。山下家は古総湯や総湯のある山代温泉の中心地。そこにある城郭風の超巨大建築が山下家である。元々は山代温泉を代表する巨大ホテルだったんだが、昨今のレジャーの変化と不景気に耐えられずに大江戸温泉の軍門に降ったというところか。山下家と言えば私の子供時代には関西でも良くCMが流れていた。あの時代によくCMを見た旅館と言えば山下家以外ではびわこ温泉ホテル紅葉、有馬温泉兵衛向陽閣、伊東温泉はとやホテルなどである。この中でホテル紅葉は業績不振と老朽化で閉館して取り壊されてしまった。兵衛向陽閣はまだ健在のよう。はとやホテルは行ったことがないのだが、あまり良い噂は聞いていない。この辺りは時代の変化というものを感じさせられる。

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大江戸温泉山下家

 今日は予約が一杯のようで、やや遠目の駐車場に案内される。チェックインを済ませて私が通されたシングルルームは客室と言うには極端に狭い部屋。いわゆる典型的な「添乗員部屋」という奴である。まあシングルプランがあるだけで良しと考えていたのでここまでは予想の範疇だが、禁煙部屋にも関わらずドアを開けた途端にむせかえるようなたばこの臭いがするのには閉口。長年散々たばこの臭いをしみつけた部屋に、ファブリーズをシュッシュッして灰皿を撤去したらそれで禁煙部屋のできあがりというものでもあるまいに。さすがにこれにはテンションが下がる。

 ちなみにかつては喫煙天国とさえ言われていた日本(「男のくせにたばこも吸えないのか」なんて言う馬鹿なおっさんが普通にいた)も、昨今では世界的潮流を受けて非喫煙者の方が多数派となり、今や喫煙者は少数派。そう言うわけでビジネス的にも喫煙部屋を設けずに全部屋禁煙にする方が効率的になっている。ただ喫煙部屋を禁煙部屋に切り替えた場合に問題になるのは、それまで染みついた臭い。長年に渡るたばこの臭いはファブリーズ程度で消えるものではない。これを確実に脱臭できる技術を開発したら、ホテル業界や中古車業界などにビジネスチャンスがありそうだ。

 部屋に荷物を置くとすぐに外出する。とりあえず総湯は以前に行ったことがあるので、今回は古総湯に入浴したい。古総湯はシンプル極まりない設備で、4m四方程度の浴槽が一つあるだけ。洗い場が全くない構造である。明治時代の昔の共同風呂を再現したのだとか。かけ湯をすると入浴するが、とにかく熱い。最初はビックリする。足をつけた途端にヒリヒリして、いきなりは体をつけることが不可能。雪国の温泉は往々にして湯温の高いところが多いが、どうやらここもそのようだ。

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古総湯

 山代温泉の泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉とのことであるからようは食塩系。寒い地域に多い「温まる湯」。ここの湯もとにかく汗がやたらに出てくるのが特徴。肌当たりはややネットリしている。温度が高いこともあって、とにかくサッパリと目が覚めるタイプの湯。

 浴場の上には休憩室があるのだが、これがまた奇妙なスペース。色ガラスが何か落ち着かないし、開放感がないので圧迫されたような気持ちになる。少し休んだだけですぐに出てくる。やはり休憩室なら道後温泉本館が風情があって良いかな。

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何となく妙な圧迫感のある休憩室

 古総湯の入浴を終えると隣の総湯の売店で温泉卵を頂く。これが意外に美味い。これは確かに古代ローマの温泉技師でなくても驚くところだ。

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隣にある総湯

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この温泉玉子が実に美味だった

 ホテルに戻ると屋上の展望大浴場へ。山代温泉を見下ろす格好の浴場であるが、やはり湯自体は先程の古総湯よりは劣る(消毒臭がする)。また湯温は観光客を意識して若干低めの模様。壺風呂に湯が張ってなかったのは、大江戸温泉のコスト低減戦略の一環だろうか。

 

 入浴を終えたところで夕食バイキングへ。大江戸温泉らしいバイキングで、内容的には普通に美味い。また伊東園の配給飯とは比較するまでもない。ただ特に驚きや感動はない。同じ大江戸温泉でも鬼怒川温泉のものよりは劣る印象。バイキングと言えば最近では作並温泉の一の坊のが非常に良すぎただけに、あれの記憶が残る現時点ではかなり不利だろう。

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大江戸温泉夕食バイキング

 私のプランにはアルコール飲み放題が付いている模様。しかしこれは完全に無駄。アルコール飲み放題抜きで安くなっているプランがあれば良かったのだが・・・。まあ勿体ないのでノンアルコールカクテルを一杯だけ頼む。

 夕食を終えると部屋でプラプラ。とにかくしんどい。今日はあまり歩いた記憶がないのだが、かなり広い城生城内を散策したことと、兼六園からひがし茶屋街や長町内など結構歩いていたのか今日も1万2千歩を超えている。ここのところ連日1万歩超えである。単に1万歩だけならそれほどでもないが、ことごとく山道を含んでいるので中身が濃い。やはりダメージは大分蓄積しているようだ。しばらくベッドで横になって過ごすが、1時間程度休んでから大浴場へ入浴に行く。

 大浴場はかなり広い空間で、かつての地域を代表する大ホテルの面目を一番感じる設備である。湯は露天風呂よりは良い印象。とにかくゆったりと体を浸し、特に足の疲れを取っておく。

 この日は夜の11時頃までBDを見て過ごし眠くなったところで就寝する。

北陸山城巡り(二曲城、舟岡山城、木舟城、安田城、白鳥城)&「デザインあ展」at 富山県美術館

 昨日は10時に寝てしまったので、朝の4時になると一旦目が覚めてしまった。8時間ほど爆睡したくてもそれができないのは老化の兆候。仕方ないので後は寝たり起きたりを繰り返しながら7時に起床。

 目が覚めるとすぐに大浴場へ。湯が体に染みいる感覚で快適。目下のところは下半身に少々の怠さはあるが、幸いにして足腰が立たないという状況ではない。

 朝食は8時から和食。これで腹を満たしてからすぐにチェックアウトする。今日は山城巡りの予定。

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朝から和食

 

二曲城 鳥越城の出城で一向一揆の城

 最初の目的地は二曲城。鳥越城の向かいの山上にある出城で、鳥越城と共に一向一揆勢が立て籠もって最後まで織田信長の攻勢に抵抗したのだという。この二曲城は最近になって鳥越城と併せて整備されているとのこと。そもそも今回の遠征を思いついたのはこの城の話を聞いたからでもある。

 二曲城の近くに「一向一揆の里」なる道の駅に付随した資料館もあるようなのだが、残念ながら今日は資料館は休みのようなので、そのまま二曲城に向かう。この一向一揆の里の奥に二曲城の登り口があり、そこに向かう橋の手前に車を置けるスペースもある。

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二曲城登り口

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非常にザクッとした案内図

 案内看板によると登城路は本丸まで尾根筋を直登するルートと、谷筋を進んでいくルートがあるようである。私は尾根筋を直登するルートを選択。なかなかに険しいルートであるが、途中で三の郭、二の郭を経由して見学していくことが出来る。

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途中の分岐から斜面を直登の形に

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その先が三の郭

 まず最初に三の郭に出くわし、その背後の堀切を越えて虎口を抜けた奥にあるのが二の郭、この郭は土塁で囲われている上に、掘立柱建物跡がある。一の郭を守備する上で重要な曲輪であったろうと思われる。

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三の郭奥の堀切から虎口に回り込む

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建物跡もある二の郭

 ここから険しい山道をさらに登った先が一の郭。砂利を引いた山道がスニーカーだと滑ったりして結構難儀したが、数分で登り切る。一の郭には建物跡に炉跡、また驚いたことにこんな山頂に井戸がある(今は埋まっているが)。こんな山頂の郭で水が確保できるのなら、確かにこの城はかなり堅固である。

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二の郭奥の急な山道を登っていくと一の郭の虎口に着く

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一の郭
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井戸跡にかまど跡

 山頂からの眺望はかなり良い。向かいの山頂に鳥越城が見えており、両城の間では狼煙などを使うまでもなく、旗で通信することも十分可能であろう。

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鳥越城は向こうの山上にある

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鳥越城

 一の郭の裏手に九十九折りの山道が続いており、谷間の四の郭に降りてくることが出来る。四の郭の手前には石垣と空堀があったようである。なおここから五の郭につながっているように地図には表記があるのだが、鬱蒼として道が分からなかったので五の郭の見学は断念した。

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本丸裏手の山道を谷まで降りてくる

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倉跡と表記のある四の郭

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四の郭手前の石垣と空堀

 四の郭からは谷間の道を歩いて行けば入口に戻る。この谷筋は水が湧いていて、途中から川が流れている。地元水道用の取水施設?と思われるものもある。

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谷間の道を歩いて戻る

 そう複雑な構造の城ではなかったが、見所もそれなりにあって登って気持ちの良い城であった。これも私撰100名城Bクラスと言ったところか。

 

白山比咩神社を参拝

 二曲城の見学を終えた後は白山比咩神社まで車を走らせる。白山比咩神社は全国の白山神社の総本社である。白山神社の駐車場に車を置くと神社の参拝。願うは世界人類の幸福(笑)。

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白山比咩神社

 

舟岡城 平安時代からある詳細不明の城郭

 ここまで来たのは実のところは神社が主目的ではない。目的は神社の隣の山上にある舟岡城。築城年代は定かではないが、平安時代から城郭としての機能は有していたらしい。ただ一般的には鳥越城などと同様に一向一揆関連の城郭と分類するのが妥当なところなのだろう。鳥越城と同様に織田信長の北陸攻めで落城とのこと。登口は事前にGoogleストリートビューで目星をつけたとおり、山の東南側にある。

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舟岡山城はこの山上にある

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舟岡山城登り口

 しばし九十九折りの山道を登ることになるが、10分もかからずに登ることが出来る。途中で前方で巨大な影が動くのが見えてゾッとしたがカモシカだった。確かに山道に何やら足跡らしきものがあったので何かがいるとは思っていたが、あんなデカイのがいるのは考えてなかった。カモシカはこちらの姿を認めると勝手に去って行ったが、あの巨体が本気でケンカを売ってきたらただじゃ済まない。やはり自然の中では人間というのは最も弱い生き物ではということを感じる。

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鬱蒼とした山道を登ることになる

 山道を登り切ったところが主郭で、ここに大きな石碑が立っているが、城跡碑ではなくて白山比咩神社に関するもの。「白山比咩神社創祀の地」と刻まれており、どうやらそもそもの白山比咩神社はここに建てられていたようだ。その後に手取川河畔に移され、大火で焼失などがあって現在の位置に築かれたようだ。神社用に最初に整備されたところを土台にして城が築かれたということか。

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白山比咩神社創祀の地の碑

 この主郭の隣に二の郭らしき曲輪があるが、その間には結構大規模な堀切があり、土橋がつながっている。二の郭の先も曲輪らしき構造があるのだが、鬱蒼として詳細は明らかでない。

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二の郭の手前には土塁らしきものが

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土塁だけでなく堀もあるようだ

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二の郭はかなり広い

 馬出門の方向に向かうと、詳細は明らかではないが虎口的な構造が見られ、主郭などの曲輪とはかなり高度差があり、これらの曲輪が切岸になっていることも分かる。

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二の郭の先端辺りから馬出方向に回り込む

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これが二の郭の切岸

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堀もあるようだが構造が不明確

 大手門方向から下に降りようかと思ったのだが道が判然としないので、北の方向に抜けることにする。主要曲輪以外の山の全域が完全には整地されていない緩斜面であるものの城内のような構造になっている。この部分も城内に含めればかなり広大な城郭となる。ここには屋敷でも置いて、いざという時には背後の曲輪に立て籠もったのだろうか。この平地の北の端の方には搦め手口と言っても良いような構造があり、そこの西側の高所にこれを守るかのような四の丸と表示された曲輪がある。これは全山が要塞であったということであろうか。

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登った先が四の郭

 

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案内看板はあるが藪や森が深すぎて全体構造がつかめない

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北口の脇に登る道がある

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登った先が四の郭

 北口から降りると何やら民家の庭先のようなところに出てきて、その先には県立青年の家がある。そこのグランドの端には舟岡山遺跡なる縄文時代の住居跡があり、竪穴式住居が復元されている。

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舟岡山遺跡の復元竪穴住居

 実のところ、二曲城に来るついでに近くに何か城郭がないかと調べて行き当たった城だったのだが、全く予想外に充実した城だった。こちらも私撰100名城Bクラス相当。全くうれしい誤算であった。

 

 さてここまで予定をこなしたところで昼過ぎ頃。ここで今日想定していたスケジュールはすべて終了してしまった。と言うのも昨日の清水山城のダメージがかなり深刻になるだろうと推測されたことから、今日は宿泊地の富山に移動するのがメインで、それに山城2つと神社1つぐらい絡めたら時間的にも体力的にも一杯ぐらいだろうと考えていたからである。しかし当初の想定に反して、私が貧乏性から来る想定外の行動力で山城をかけずり回ったことで、予定外にスケジュール消化が早くなってしまったという次第。

 ここは予定変更して、明日の富山からの復路に予定していた城郭巡りを今日に繰り上げることにする。天気予報によると明日は雨とのことなので予定を前倒しにしておく方が無難でありそうだ。

 

木舟城 北陸の戦国騒乱の渦中にあった湿地の城

 最初に立ち寄ったのは木舟城。北陸自動車道を砺波JCTで能越自動車道に乗り換え、福岡出口で降りたすぐ南の田んぼの中にある城跡である。1184年に石黒太郎光弘が築城し、戦国期には織田氏と上杉氏、佐々氏と前田氏となどの争乱の渦中で戦闘の拠点となったという。秀吉の越中平定後は前田利家の弟の秀継が入城するが、その年の11月に生じた大地震の際に軟弱な地盤が祟って城が倒壊し、城主夫妻は命を落としたとのこと。その後は秀継の子の利秀が継いで復興を試みたものの、結局は翌年に石動城に居城を移して廃城となったという。

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木舟城

 現在は史跡公園として整備され専用の駐車場まで設置されているものの、遺構として残っているのは本丸の一部と東にあった神社の部分だけ。往時には沼地に浮かぶ城だったらしいが、現在は大部分が水田になっており遺構はほとんど残っていない。

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案内看板

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残るは土塁の一部のみ

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回りは見事に田んぼばかり

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かつては向こうの神社も城の一部

 

安田城 秀吉が佐々成政攻めのために築いた水城

 次に立ち寄ったのは富山市にある安田城。井田川左岸に築かれた戦国時代の平城で、秀吉が佐々成政を攻めた際に本陣である白鳥城の支城として築いたものだという。井田川から水を引き入れた堀を巡らせて防御している。その後は田んぼの中に埋もれていたのだが、非常に良好な状態で遺構が発掘されたことから、戦国時代の平城の構造を伝える貴重な遺跡として史跡指定されて復元も行われて今日に至っている。

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資料館

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安田城の構造

 現地に到着すると隣には資料館なども置かれていて史跡公園としての万全の整備が行われている。城といえば一般には石垣に天守閣などというイメージがあるが、この城は土塁の上に柵を巡らした簡便な構造であり、戦国期の大抵の城はこうであったということである。まあこの辺りは城巡りの中級者以上には常識ではあるが、初心者などには実際にこういうのを見てみないと実感できないかもしれない。

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安田城正面

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 本郭、二の丸、右郭が堀の中に浮いているような構造で、これらが土橋でつながれている。これらの橋は現在はかなりしっかりしたものになっているが、当時はすぐに落とせる簡単な木橋や吊り橋だったかもしれない。各曲輪の周囲は土塁で囲まれており、特に本郭周囲の土塁は高さも幅もあり、この土塁の上自体が攻撃のためのスペースであったことが覗える。

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二の丸から本丸への橋

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本丸内部

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本丸土塁上から本丸内部

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本丸土塁上から二の丸方向

 ちなみに往時の土塁の一部が保存展示されている施設もあるようである。単純に土塁と言っても、数種の土砂が複雑に重なり合っている模様。

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この中で土塁が保存展示されている

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往時の土塁内部

 そう大規模な城郭ではないが非常に整備されていてよく分かりやすい。また平城の遺構は大抵は市街地や田んぼに埋もれて完全消失してしまうことが多い(先ほどの木舟城などが典型的)ことを考えると実に貴重な遺跡である。というわけでこの城郭も私撰100名城Bクラス。

 安田城の次は先ほど名前の出た白鳥城を見学に行くことにする。秀吉が本陣を置いた城郭でこちらは山城である。安田城の北方2キロ程度先の山上にあり、こちらも一応城址公園となっているようだ。

 白鳥城への移動の途中で「番やのすし」を見かけたので昼食のために入店する。考えてみたらもうとっくに昼を過ぎているのに昼食がまだだった。私の城巡りは気をつけないと昼食を忘れることがある。しかし昼食抜きだと途中でガス欠になる。

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番やのすし

 回転寿司だが実質的には注文して握ってもらうというタイプ。私の大好きなホッキ貝など適当に8皿ほど握ってもらう。ネタも良くなかなかうまい。これで2000円程度だからCPも悪くない。さすがに富山の寿司は侮れない。

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ホッキ貝など何皿かつまむ

 

白鳥城 佐々成政攻めの秀吉の本陣

 燃料補給をしたところで白鳥城に向かう。登城口は山道の途中に看板が立っており、山道をもう少し進んだところに車を置けるスペースもある(ここの眺望が良い)。

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駐車場からの眺望

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白鳥城登り口

 北二の丸、本丸外郭を抜けて本丸に登るのには10分かからない。本丸は一番の高所だが、残念ながら鬱蒼としていて眺望はあまり良くない。

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北二の丸
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空堀を越えて先を登る

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本丸外郭
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その奥をさらに登る

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本丸に到着

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本丸天守台

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白鳥城平面図

 本丸から東に降りたところにある曲輪が二の丸。そう大きな曲輪ではなく、隅に井戸跡がある。

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本丸から東に降りる

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二の丸

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井戸は埋もれてしまっている

 本丸の西には西一の丸があるが、この辺りは鬱蒼としていて構造が今ひとつよく分からない。

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本丸西を降りてみるがかなり鬱蒼としている

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西一の丸との表記が

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西一の丸

 全体的に鬱蒼としすぎていて構造が良くつかめなかったが、それでもそれなりの規模を持った山城であると言うことは理解できた。多分樹木を取っ払えば富山城を見下ろせるはずであり、秀吉がここに本陣を置いたのは当然であろう。結局は秀吉の大軍に迫られた佐々成政は降伏するより他に手はなかったのであるが。

 

 一日で山城を三つということになりかなり疲れたが、最後にもう1カ所回っておくべき場所がある。それは最近オープンした富山県立美術館。富山には以前に町外れに県立近代美術館があったが、場所も良くない上に施設の老朽化も進んでいた。そこで駅北の運河地域の再開発と共に、ここに県立美術館を移転したようである。

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富山県美術館

 美術館は混雑しているらしく、駐車場には満車の看板が出ていて回りをグルグルと回らされることになる。ようやく車を止めると入館。一階は天井が低めで圧迫感のある建物。これが展示室のある2階に上がると一転して天井が高い開放感のあるフロアになる。展示室は3階にもあるが、この辺りは吹き抜けも多く、開放感があるとも言えるが高所恐怖症にとっては悪夢のような構造。最近多いタイプの建物であり、設計には大分県立美術館と似通ったセンスを感じる。

 

「デザインあ展 in TOYAMA」富山県美術館で5/20まで

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 NHKの番組で有名なデザイン「あ」の作品を展示。この番組を私はほとんど見たことがないのだが、一風変わった芸術番組?である。

 展示は番組などにも出てきた様々なパターンのものを。なかなかに神出鬼没なアイディアで子供だけでなく大人も十分に楽しめる。アーとする心なんてものは、こんな面白さの中で育成されるということであろうか。私は「現代アートは遊園地のパビリオンのようなもの」と言っているが、まさにそういう雰囲気。

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 展覧会の見学を終えると館内を一回り。収蔵品に関しては以前に見たことがある作品であるが、展示室が凝った感じになっているので印象が変わる。屋上はオノマトペ広場とのことだが、これは端的に言って子供用の遊園地である。「グルグル」とか「プヨプヨ」といった類いのオノマトペにちなんだ作品というよりも遊具が多数設置してある。多分、美術館に子供連れで来てもらおうという発想なんだろう。そう言えば館内にもキッズスペースがあった。

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屋上オトノマペ広場
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 美術館を回った後は喫茶で一服。今日は暑いから非常に疲れている。美術館の喫茶にはあまり寄らないのだが、今日はもう限界。

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喫茶で一服する

 

ドーミーイン富山で宿泊

 一服して落ち着いてからホテルに移動することにする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン富山。ドーミーは高級ホテルだが、今回は社内の福利厚生割引が適用できたのでここに宿泊。

 駐車場は満杯らしく、隣の提携駐車場に止めることになる。さすがにホテルも一杯の模様。ホテル内で見かける顔は皆アジア系なのだが、言葉を聞くと多国語が飛び交っている。

 チェックインを済ませるとすぐに大浴場に入浴に行く。ここのホテルは天然温泉の大浴場付きである。ナトリウム硫酸塩泉という湯はやや褐色を帯びたネットリした肌触りの湯。とりあえずこの湯で疲れ切った体をほぐすことにする。

 

 入浴を済ませると夕食のために町に繰り出す。この辺りは富山の繁華街だが、今ひとつピンとくる店がない。昼に食べたのが寿司でなければ寿司栄にでも行くところだが、さすがに寿司を連チャンする気にもならない。結局は適当なそば屋に入って天ぷらそばを注文。手打ちそばを名乗っているが、当たりともハズレとも言えない微妙なそば。そしてそばはともかくとして天ぷらの方はハズレだ。

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残念な天ぷら蕎麦

 いまいちパッとしない夕食を摂って帰ってくると、しばしホテルのベッドに横になったまま動けなくなってしまう。今日は既に1万7千歩。昨日に引き続いての強行軍で限界を超えている。

 結局はベッドの上で1時間近くグロッキー状態の後にようやく活動再開。とりあえず大浴場へ繰り出してもう一回入浴してから、ドーミーイン名物の夜鳴きそばで小腹を満たす。

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ドーミー名物夜鳴きそば

 後は部屋に戻ってBDを見ていたのだが急激に眠気が。結局はこの日も早めに就寝する。

 

「ターナーからモネへ」at 福井県立美術館&清水山城&粟津温泉

 翌朝は5時過ぎぐらいから周囲がドタバタとやかましくなってくるが、意地で7時起床。どうにも体がだるい。

 朝食は8時からでオーソドックスな和食。朝からしっかりと腹に入れて体にエンジンをかける。

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朝から和食が美味い

清水山城 湖西を代表する戦国時代の大山城

 9時前ぐらいに旅館をチェックアウトすると、まずは最初の目的地である清水山城を目指す。清水山城は鎌倉時代から戦国時代にこの地域で活躍した佐々木氏の居城だったという。この地域を代表する山城の一つで、ここの訪問は以前から懸案となっており、今回の遠征のルート選定においてもこの城の存在が大きな理由の一つとなっている。実は昨年の秋にここを訪問する予定を立てたのだが、その頃にこの近辺で熊の目撃情報が多発して警戒警報が出ていたために見送った次第。宿の主人の話でも、去年は旅館の近くでの目撃情報もあったのだとか。ここのところの温暖な天候で熊が冬眠から起き出している可能性はかなりあるので、今回はそれを警戒しての装備も一応用意してある。Amazonで購入した熊撃退用の唐辛子スプレーである。

       

 麓の運動公園の駐車場に車を置くと事務所で地図をもらって、唐辛子スプレーなどの装備を整えた上で山を目指す。しかしここで道に迷って予定のルートよりかなり外れることに。結局たどり着いたのは鉄塔メンテ用と思われる直線の舗装道路。ここからでも登れたが、これから行く方には大手口から登ることを勧める。

 標高の大して高い山ではないので、ここをしばらく登ると西館の西側に到着するので西館の見学をする。

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現地配付資料より

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私はここから登った

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こちらが大手口

 西館はかなり広い。屋敷を構えるには十二分の広さである。主郭はこの奥をさらに登ったところ。ここから山道になるが、恐らくノートは無理でも軽トラなら登れる道。この道を登ってしばらく進んだ先に主郭へ直登する急階段がある。主郭の周辺はかなり切り立った地形になっている。

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西館の大手と土塁
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堀切などの横を抜けて奥の本丸へ

 この階段を登ると主郭。主郭は結構広く手前には鉄塔が立っているが、この場所はそもそも櫓があったと考えられている場所とか。主郭はL字型になっており、建物の礎石跡も発見されている。ここからは広くびわ湖までを見渡すことが出来、この地域を押さえる要衝と言えるだろう。

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本丸への急傾斜

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畝状竪堀が明瞭に見える

 

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鉄塔の立つ本丸はL字型をしている

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遥かびわ湖を見渡せる

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建物の礎石も残っている

 主郭から二郭に降りる道があるが、ここを進んでみると二郭との間はかなり深い堀切(5m以上はあるだろう)で区切られており、ロープが垂らしてある。これをつかんで降りていくということになるのだが、ロープをつかんだところで現在の私は左肘の腱鞘炎のせいで握力がほとんどなくなっていることを思い出す。20代ぐらいまでの頃ならロープを頼りに谷底に軽快に降りていくことも可能だったろうが、今となっては増大した体重を軟弱化した腕力ではとても支えきれない状態になっている。無理は止めて引き返すことにする。

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主郭から二郭に降りようとすれば、最後は深い堀切に阻まれる

 一旦主郭から降りて下から二郭に回り込む。こちらも崖の中腹にわずかに道を切っているだけで足下はやや不安だが、上から回り込むよりは安全性が高い。

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無理をせずに下から回り込むことにする

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先ほどの堀切を下から見る
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こちらもそれなりにひどい道を回り込むことにはなる

 ようやくたどり着いた二郭は主郭よりは狭いがそれでもそれなりの面積はある。また周囲は土塁や切り立った崖に囲まれていてかなり守備の固い曲輪である。土塁の欠け目からロープが下がっているのだが、どうやらこれで下の三郭に降りろということのようだが、高さは先程の主郭の時の倍以上はありそうだし、険しさもかなりのもの。これはとても無理と言うことで引き返す。

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二郭に到達

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主郭方面を振り返る

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下の三郭へはかなり深いところをロープ伝いで降りることになるので断念

 引き返すと北曲輪群の見学へ。この手の山城は尾根筋伝いが防御の弱点となるので、その方向に尾根筋を断ち切るために設置された曲輪である。ここも主郭との間にはかなり深い堀切があり、もしこの曲輪を落としたところでやはりここから主郭を攻めるのはかなり困難だろうが、念には念を入れた防御の構えというところか。。

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本丸裏手の北曲輪群登り口

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本丸との間はこの堀切

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北曲輪群の小曲輪

 下から見た時には標高もそう高くないと感じたのだが、主郭周辺の険しさはかなりのもので、かなり堅固な城郭という印象を受けた。全体的に見所も多く、これは私撰100名城Aクラス相当と判断できる。

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西館を下から

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西館にある井戸

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ここが大門

 帰りは西館から大門を経由して大手道を降りてきた。そのまま降りてくるとテニスコート脇に出てきた。どうやら私は最初に球場の方向に向かったのだがそれが間違いで、正解はテニスコートの南の道を真っ直ぐ進み、農業用フェンスに沿って直進するコースだったようだ。どうももらった地図の記述の仕方が紛らわしかった。

 

敦賀温泉リラ・ポートへ

 久しぶりに本格山城訪問でかなり汗をかいた。やはり次の目的地へ行く前にどこかで汗を流しておきたい。そこで敦賀のリラ・ポートに立ち寄ることにする。ここは北陸トンネル掘削時に湧き出した温泉をそのまま温泉施設にしたという施設。リラ・ポートは北陸自動車道の敦賀ICの近くの山沿いにある。ちょうど北陸自動車道を目の前に見下ろす形になる。

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リラ・ポート

 入浴券を購入すると早速入浴。ここは高温槽と中温槽があるが、それぞれ湯が違う。高温槽は北陸自動車道掘削時に湧き出したアルカリ単純泉。ヌルヌル感が結構ある湯である。中温槽の方は1500mの地下からくみ上げたというナトリウム炭酸水素塩泉。こちらはヌルヌル感にややネットリした感触が加わる。施設としてはこれらの内風呂にプラスしてサウナと露天風呂がある。

 施設の雰囲気はスーパー銭湯そのものなのだが、湯は意外なほどに本格的である。入浴料金1000円というのがいささか高めだが、その気になれば一日くつろぐことも可能ということを考えればマズマズか。立地については便利なのか不便なのか微妙なところ。

 入浴を終えると昼食もここのレストランで摂っておくことにする。注文したのはとんかつの膳。福井名物ソースカツ丼を意識してか熱々の鉄板に乗ったとんかつにソースをしっかりかけるタイプ。なかなかにうまい。またとんかつに敷いてあるキャベツが意外にうまい。CP的には今ひとつだが観光地であることを考えるとマズマズであろう。

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レストランでとんかつの膳を頂く

 汗も流して昼食も終えたところで次の目的地を目指す。次の目的地は福井県立美術館。ここで開催されている「ターナーからモネへ」展の見学が本遠征での美術館方面での主目的の一つ。今まで各地で巡回していたが、ことごとく予定が合わなくて行けなかった展覧会。それに北陸でご対面である。

 北陸道をしばし北上して美術館へ。結構観客が来ているようで美術館の駐車場は車で一杯の状態。私はたまたま幸いにして近くの駐車場に駐車できたが、もっと遠いところに回された者もいた模様。

 

「ウェールズ国立美術館所蔵 ターナーからモネへ」福井県立美術館で5/27まで

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 18世紀西洋の風景画からはじまり、その影響を受けつつ独自の風景画世界を確立したイギリスのターナー、その後に開花した写実主義絵画、そして前衛絵画であった印象派、一方で当時の主流だったアカデミズム絵画にラファエロ前派など、さらにはポスト印象派といった西洋絵画史の流れに沿った作品を展示。目玉はターナーの作品数点とモネの代表作の一つ「サン・ジョルジョ・マッジョーレ」。

 なかなかに有名どころの作品を押さえてあり、それなりに見応えがある。個人的には印象に残ったのはミレーの「突風」。ありえない劇画的な突風の描き方が面白い。また意外にアカデミズム系絵画に良品あり。

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 以前にターナー展を見た時に、ターナーの晩年の作品がモネの晩年のようだと感じたことから、「ターナーからモネへ」と題していたのはその辺りの関わりを解説するのだと思っていたが、単にターナー時代からモネ時代という意味で、実質的には「英国ウェールズ国立美術館展」だった。

 

 なお今回はたまたま学芸員による作品解説があったので非常に分かりやすくて参考になった。この手のイベントは作品に対する理解を深めるのに役に立つのだが、時間がかかるのが難点。結局はこの日もここで1時間以上を費やすこととなった。なお学芸員によってはかなり見解が偏っている場合もあるのでそれは要注意。

粟津温泉法師で宿泊

 展覧会の鑑賞を終えるともうそれなりの時間。今日の宿泊先へ移動することにする。今日は加賀温泉郷の粟津温泉で宿泊する予定にしている。福井から加賀温泉までは1時間以上かかる。意外に距離があるもんだ。粟津温泉に到着した頃には夕方頃になる。

 宿泊ホテルは法師。歴史と格式のある由緒正しいホテルらしいが、今となってはやや老朽化が随所に見え、安ホテルにもなれず、かと言って高級ホテルで押し通すのもしんどいという微妙なところになっている雰囲気。で、私がここを選んだのも微妙に割安なプランがあったから。

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粟津温泉を代表する大ホテル法師

 チェックインの前に中庭を鑑賞しながらの呈茶サービス。この辺りには格式を感じる。通された部屋は中庭に面したなかなか良い部屋。ホテルは複数の建物がこの中庭を環状に取り囲むという独特の構造をなしている。

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ロビーから中庭を眺める

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部屋も落ち着いた雰囲気

 部屋に荷物を置いてホッとしたところで大浴場へ入浴に行く。大浴場は巨大な内風呂とやや小ぶりの露天風呂が併設された、この手の大型ホテルでは一般的な構成。泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉とのこと。ややベッタリした感触の湯だが、特別に強い浴感はない。湯としては先程のリラ・ポートの方がインパクトはあったか。

 

粟津温泉街散策

 入浴を終えた後は買い物も兼ねて町中に散策に出る。粟津温泉自体は歴史もある温泉地のようなのだが、古来からの温泉地の常でやや寂れムードも漂っている。廃墟になったホテルなどがあったりするのがまた印象が悪い。恋人達の聖地があったり、新しく交流広場を作ろうとしていたり盛り上げの手を打っているのは分かるが、果たしてそれが功を奏するか。そもそも加賀温泉郷は山中温泉、山代温泉などもあり最初から過当競争気味だし、昨今は大阪を中心とした近畿地域が経済的にも今ひとつ低調なので、それも影響しているだろう。やはり抜本対策としては日本全体での地域振興が必要なのであるが、トップがお友達に便宜を図って偉そうにすることしか頭にない無能では・・・。

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粟津温泉総湯

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粟津演舞場

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恋人たちの聖地・水の広場
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「?」なセンスの顔出し看板の裏は絶賛工事中

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こんな広場が完成予定だとか

 温泉街を一回り散策して戻ってきたらそろそろ夕食である。夕食は4階の宴会場で会席料理。品数もあり、それなりに美味いのではあるが、特別な驚きはないというのが本音。どうしても可もなく不可もなしの普通の会席である。また全体的にサービスがドタバタギクシャクしてるのが気になるところ。格式を守り切るか、サービスを切って価格を下げるかという二者択一にいずれ迫られそうな気がする。それを失敗したら、いずれは大江戸温泉か伊東園なんかに買収されてしまう恐れも・・・。

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夕食メニュー

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懐石料理
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 夕食を終えて部屋に戻った頃から下半身の強烈な怠さに襲われる。今日は既に1万4千歩を超えている上に山城込みであるから相当にダメージがあるはずである。明日動けなくなると困るので、大浴場に繰り出して足を良くほぐしておくことにする。

 夜になると疲れがどっと押し寄せてくるので、この日もやや早めに就寝する。

東響第102回オペラシティシリーズ&流鉄沿線城郭巡り(花輪城、小金城)

 翌朝は7時前に目が覚めたが、とにかく体全体がだるい。連日1万歩越えだが、昨日は1万7千歩、一昨日が1万5千歩というのがとにかく効いている。明らかに限界越えの状態。理性的判断ではこのまま極力寝ている方が良いのだが、今回は完全に変なスイッチが入ってしまっている私は、実は今日も結構ハードな予定を考えている。

 8時過ぎ頃にホテルを出ると一旦上野駅にキャリーを置いてから、常磐線で馬橋を目指す。今回は流鉄沿線の城跡を回ろうという計画。以前からこの辺りに城跡があることは知っていたのだが、なかなか訪問する時間を割けなかった次第。そこで今日のコンサート前の午前中にそれを済ませてしまおうと考えたわけである。

 

流鉄に乗って城跡散策

 流鉄は二両編成の車両だが、そこそこ乗客はいる。また1時間に3~4本の多頻度運転が行われているのは田舎のローカル線とは違うところ。

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流鉄車両

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流鉄車両は二両編成ロングシート

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流鉄車両

 この沿線にはもろに「小金城趾」という駅もあるが、そちらに立ち寄るのは後と言うことでまずは終点の流山へ。こちらにはその小金城を本拠にしていた高城氏の有する城の一つであった花輪城跡がある。

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流山駅に到着

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車庫内の車両

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流鉄車両

 流山駅を降りると萌え看板とさらに何やらイケメン看板が立っている。どうやら沿線が「薄桜鬼」なるアニメ作品(私もタイトルぐらいは聞いたことがある)とタイアップ企画を実行中とか。歴女目当てか腐女子目当てか知らんが、最近はこんな企画も増えてきた。

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流山駅には謎のイケメン看板

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さらに謎の萌え看板

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そして謎のイケメン幟

 

花輪城 公園化して今はほとんど遺構は残らず

 花輪城へは流山駅を北上すること徒歩20分弱。正直なところほとんど死んでいる私の足にはかなりキツい。ただ救いは昨日までひどかった花粉症が幾分マシになったこと。花粉に関しては東北よりもまだ東京の方がマシのようだ。これは多分単純に花粉だけでなく、PM2.5なんかの影響もあるのだろう。ヘロヘロの体調でフラフラしながら住宅街の中をしばし歩く。

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花輪城はこの山上

 現地は今は公園になっている模様。東側には小さな水路があるが、ここはかつては川か? となると川沿いの丘陵ということで確かに城郭には向いている地形である。現地はもうかなり削られてしまっているようだが、今でも空堀の一部が丘陵上に残っている。これが城郭遺跡としては唯一のものか。

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何やら建物の跡と

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堀跡?

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東側は公園整備されていて

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何もない

 

小金城 住宅地に埋もれた北条配下の城

 花輪城跡を見学した後は再び流山駅に戻ってきて、次は小金城跡を見学。こちらも住宅街の中に完全に埋もれてしまっていて、今ではかつての城郭のごくごく一部のみが歴史公園として保存されているらしい。

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小金城趾駅は看板さえない

 小金城は千葉氏の一族であった高城氏が本拠にしていた城郭だという。高城氏は北条配下として秀吉の小田原攻めで戦うも北条氏と運命を共にしたらしい。小金城はこの辺りの複数の丘陵上に展開した大規模な城郭だったらしいが、確かに今日完全に宅地化している状況でもこの辺りは結構起伏が激しい。恐らくかつては曲輪の一つだったと思われる場所には今では高層マンションが建設されている。

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かつての城域は今はほぼ住宅化している

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現地のこの手の高台はかつての曲輪跡だろう

 小金城跡だが、丘陵の一つの斜面に堀跡などが残っている。なおこの公園の入口は丘陵の下側にある。最初は上側から回り込もうとしたのだが、こちらはフェンスに阻まれて侵入不可。

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正面に見えるのが歴史公園

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下側に回り込んでようやく入口を見つけた

 残っている堀は北条氏お得意の畝堀であるが、現在は埋められているのか畝はあまり分からない。この畝堀は山中城などで典型的なものを見ることが出来るが、関東ロームの地層には実に効果的であったと思われる。堀内で動きを阻まれた敵兵は城からの矢弾にさらされることになるという仕掛けである。

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城跡碑

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障子堀

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畝堀・・・なんだが、ほとんど分からない

 いずれも大した遺構は残っていなかったが、東京周辺の城郭だと仕方ないところだろう。しかしそれにしても疲れた。何だかんだで今日も既に一万歩以上歩いてしまった。もう限界だし既に昼になっているし、今日のコンサートのあるオペラシティまで移動することにする。

 

 昼食はオペラシティ近くの「築地食堂源ちゃん」でランチメニューの「牡蠣フライと刺身の定食」を。特筆すべきことは何もないが、これで1000円強なら東京なら上々なんだろう。なおまだ時間が少し余裕があることから、ついでにデザートも注文。

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牡蠣フライと刺身の定食

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これがデザート

 昼食を終えるとコンサートホールへ。今日は東京交響楽団のコンサートだが、どうも指揮者のジュゼップ・ポンスが急病のため、急遽飯森範親に変更になったらしいということを、ついさっきHPにアクセスして初めて知った。なお帰宅後に東京交響楽団から指揮者交代の旨を連絡する封書が届いていたことを知ったのであるが、どっちしても払い戻し等はなしなのならわざわざ封書で知らせる意味もないような気がするのだが。しかし、よりによって飯森か・・・。それだとわざわざ東京まで聴きに来るまでもなかった。それにしてもそもそもポンスもマーク・ウィグルスワースがスケジュール的に出演不可になったための代演だったはずなので、代演の代演である。どうにもバタバタした話である。

 

東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ 第102回

指揮:飯森範親
ピアノ:マーティン・ジェームズ・バートレット

ワーグナー:歌劇「恋愛禁制」序曲
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
ベートーヴェン:交響曲 第7番 イ長調 作品92

 一曲目はワーグナーらしくない軽妙な曲。しかも決してメジャーな曲とは言い難いだけに、急遽指揮をすることになった飯森もどことなく手探りで指揮をしている感じがある。もしかしたら飯森もこの曲はよく知らないのではないだろうかと思われた。この曲想だともっとノリノリで持ってきても良かったような。

 二曲目のプロコはバートレットの華麗な音色もあって、プロコらしい泥臭さをあまり感じなかったように思われる。これはこれで面白くはあるのであるが。

 最後は飯森にとっても馴染みのある曲だろうだけに、飯森も落ち着いた演奏となった。ただしどことなく無難な演奏であり、特別な面白味はなかったのが事実。

 結局のところ、飯森らしく可もなく不可もなしといったところ。残念ながら取り立てての魅力も感じなかったのが本音である。やっぱり最初から飯森だと分かっていたらわざわざ東京までは来ていない。もっとも今回はこれのために東京に来たのではなく、ついでであるから別に良いけど。

 

 これでようやく本遠征も全予定を終了となった。後は新幹線で帰宅するのみである。なかなかに充実した遠征であったが、その分、財布と体に結構キツかったのが事実。当初はゆったりと温泉巡りのはずだったのだが、遠出するとどうしてもそうはならないのが相変わらずの私の性分。今回も結果としてはリハビリを越えて無理をしすぎてしまった。実際にこの後は数日は足腰のだるさに苦しめられるのである。

 

福島山城巡り(三春城、大越城、下大越城)&鍾乳洞探検(あぶくま洞、入水鍾乳洞)を経て磐梯熱海温泉へ

 昨晩は早くに寝すぎたせいで夜中に一度目が覚めたが、結局はそのまま二度寝。起き出してきたのは7時。とりあえず朝風呂に行ってから朝食は8時から。

 朝食はオーソドックスな和定食。しかしこういうオーソドックスなメニューは何となく落ち着く。

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朝からガッツリとある

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うどん付きです

 ホテルを9時頃にチェックアウトすると、ここから福島駅まで車で走る。福島交通飯坂線の線路に沿って走ることになるが、途中で何度も二両編成の車両を見かけたことから、運行本数は結構多いようである。確かに終点の飯坂温泉以外も沿線は住宅地が続いており、需要はそれなりにあると思われる。もっともこの路線でさえも地方のローカル線のご多分に漏れず、昨今は利用客がじり貧状況にあるらしい。これから日本が人口減少社会を迎えるに当たって、いずれは公共交通機関は民間で支えることは不可能になってくるかもしれない。そういう時に税の配分をどうするかである。また都会と地方との綱引きが起こりそうで難しい。ただ言えるのは、東京という大都市はそれを維持するために地方に多大の負担を強いているのであるから、東京に居住する住民がそれに対して何らかの負担をするべきなのは当然であると考える。

 日産レンタカーに車を返却すると、駅までキャリーを引きながら移動。ここのレンタカーは事務所が駅から若干遠いのが難点。まあそれでたびらいで若干安かったのだろう。

 福島駅に到着するとすぐにやまびこで郡山に移動する。昨日から東北新幹線で小刻みな移動を繰り返している。福島から郡山は10分ちょっと。郡山に到着するとすぐに駅前の駅レンタカー事務所に飛び込んで予約していた車を調達。今度は勝手知ったるノートである。やはり運転感覚はこちらの方がマーチより良い。

 今日は山城を含めて目的地が目白押しの状態。とにかく体力の続く限り攻略を進めるという予定。まずは本遠征の最大目的であった三春城に向かう。

 

三春城 続100名城に選定された山城

 三春城は1504年に田村義顕が築城したと伝えられており、以後田村氏、松下氏等の居城となった。1645年には秋田俊季が五万五千石で入城して、明治維新を迎えて廃城となっている。かつては本丸には三階櫓なども置かれていたという。そしてこの度、続100名城に指定されている。

 三春城は三春町の市街を見下ろす山上にある。三春の中心街の近くから山上に続く道が延びており、それが「本当にノートでここを登れるの?」と不安になるような急坂。それを登っていくと二之門跡と表示が出ているところに駐車場があるが、そこからさらに登っていくと本丸下駐車場なる場所に行き着くのでそこに車を置く。ちなみに私の車のカーナビはそこからさらに登るように指示しているのだが、その道は階段である・・・。

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二之門跡を通過する

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ここに車を置く

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私のカーナビはこの道を車で登れとの仰せ(笑)

 本丸はここから階段の道を登っていった先。その内に明らかな虎口構造が見えてきて、そこを抜けると本丸。山上は公園化されていてトイレまで設置されているが、上がってみるとそのトイレの整備用と思われる軽トラがここまで登ってきていてビックリする。「その軽量さによる登坂力、車高の高さから来る走破性、そして小さな車体による小回りの良さ。軽トラこそが山城では最強のマシンだ。」という高橋涼介による解説が聞こえてくる。

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本丸虎口に到着

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なんと軽トラが登ってきている。さすが山城最強マシン。

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本丸跡

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本丸風景

 本丸は二段の二つの曲輪からなっているが、その下段の曲輪には二の丸跡との表示がある。しかし二の丸の表示は駐車場の下にあって現在は遊具が置かれている曲輪の方にもあり、どちらが二の丸かが紛らわしい。ただどうも下が二の丸であるのが正解の模様。

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本丸なのか二の丸なのか紛らわしい下の段

 

 本丸には天守台のような石組みがあり、現在は秋田氏の墓碑?らしきものが置かれている。なんにせよ、下の曲輪と併せると山上にかなりのスペースがあるのが特徴である。下の曲輪には搦め手門の跡もあり、ここから下の二之門跡のところの駐車場まで降りられるようだ。

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本丸にある神社の基壇のような石組み

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下の段から上の段を見てみる

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かなり切り立ってます

 山上を見学すると下まで降りてきて二の丸跡の方を見学。ここは現在遊具が置かれている曲輪を中心として、数段の曲輪が構えられているようである。本丸との間に深い堀切が切られているだけでなく、標高差もかなりある。ここが二の丸ということは、下の小学校の辺りが三の丸というところか。ここにかつて屋敷があったらしい。

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先ほどの軽トラはここから登ってきた模様

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二の丸跡方面に回り込む

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通路沿いに数段の曲輪がある

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先端の曲輪はかなり広い

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その先は下の方まで続いている模様

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振り返ると数段の曲輪がある

 なかなかに見所のある城郭であった。ただ続100名城に選定された何か決定打というものが今ひとつ見えてこない。単純に城郭の規模などなら先の桑折西山城も遜色がない。そもそも100名城選定にはかなり観光振興の思惑が存在していることから、やはりこの選定は「がんばろう福島」のニュアンスが多分に含まれているような気もする。同様の趣旨なら、私なら相馬中村城、棚倉城なんかも候補だが。

 

あぶくま洞を探検

 山城見学の次は鍾乳洞に潜ることにする。ここからかなり南に走った先にあぶくま洞という観光鍾乳洞があるという。

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歓迎ゲート

 この地域の山は石灰岩を産出するため古くから切り出しが行われていたらしい。その際に発見されたのがあぶくま洞とのこと。全長3キロ以上にもなるという長大な鍾乳洞らしいが、その手前の一部600メートルほどが観光用に公開されているという。

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現地はかなりの断崖

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阿武隈神社

 現地は長年の採掘跡かかなり大きな剥き出し岩盤となっている。周囲には土産物屋なんかも建っていて完全に観光地。そう言えば今日はまだ昼食を摂っていなかったので、入洞前にレストランに立ち寄って天ぷらそばを食べておく。

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現地のレストラン

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天ぷら蕎麦を頂く

 

 入洞券だが、通常コースに200円プラスで探検コースなるものがある。聞いたところによると「ずぶ濡れになるようなコースではない」とのことなので探検コースにチャレンジすることにする。

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洞窟の入口はかなり下

 内部は観光洞として完全に整備されているので足下に不安を感じるようなところはない。ところどころに鍾乳石が見られる。

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 しばらく進むといきなり洞窟の中に係のおっちゃんが座っていて、ここでチケットを見せてから探検コースに進む模様。異世界から急に現実世界に引き戻される感覚である。

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おっちゃんにチケットを見せて探検コースへ

 探検コースは水の中を進むようなところはないが、狭いので身をよじらせたりかがんだりして進まないと行けないところが多数。また私の体が分厚すぎるせいで、一カ所だけかがんで片膝をつかないと進めない箇所があった。なお遠回りする分、いろいろな鍾乳石を見ることが出来るので、特に体に問題がない人にはお勧めである。

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探検コースはかなり多彩

 

 狭いところを抜けていくといきなり大広間に出て、ここで一般コースと合流になる。ここが洞窟のクライマックスでもある滝根御殿。かなり広くて天井の高いスペースに諸々の鍾乳石が見える。

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大広間はかなり壮観

 竜宮殿を抜けて先に進むとなぜかベンチが置いてある。その向かいにはクリスマスツリーなる鍾乳石が、ここでカップルでロマンチックに愛でも語れってか? どちらにしても私には関係ない。とにかくクリスマス関係は私にはすべて鬼門である。なお私と一緒にクリスマスを祝ってくれる女性については引き続き募集中である。

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ベンチの前にはクリスマスツリーが

 最後は月の世界なる荒涼とした洞窟に出るが、ここは照明による演出を行っている。とにかく観光洞としていろいろ仕掛けをしている洞窟である。なおこの辺りにはワインなども貯蔵されており、これらのはワインは帰りの土産物店で購入可能というわけであるが、アルコールが天敵の私には無関係。

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月の世界はライトによる演出もあり

 結構長い洞窟(だが、これでも公開されているのは全体の1/5程度らしい)であり、途中で探検コースなども抜けたために結構圧迫感があった。さすがに閉所恐怖症の気は全くない私でも表に出るとホッとする。

 

入水鍾乳洞の見学

 あぶくま洞の見学を終えると、続けてこの近くにあるという入水鍾乳洞を訪れることにする。こちらの鍾乳洞は知名度ではあぶくま洞に劣るものの、洞窟探検としての本格的さはあぶくま洞以上というマニア向けの洞窟である。とは言うものの、私は今回は何も本格的洞窟探検なんてするつもりはない。

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歓迎ゲート

 コースはABCの3つに分かれており、Bコースからは水中をザブザブと進むコースになり、Cコースはガイド同伴になるらしい。私は今回は当然のように観光Aコース。

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山間をしばし歩く

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Bコース以降は水に浸かる覚悟が必要

 ただそれでも入洞前に「足下は険しいですよ」と警告を受ける(私が杖をついていたからだが、これは登山杖で別に足が悪いわけではないですと答えた)。実際に入ってみると、確かに先ほどのあぶくま洞と違って足下は石がゴロゴロしていたりなかなかにワイルドである。日頃から山道を歩き慣れているものにはなんてことないが、それでも気をつけないと濡れた石の上で転倒する危険はある。

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鍾乳洞入口

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初っ端から濡れた石がゴツゴツしている

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とにかく水が多い洞窟である

 また先ほどのあぶくま洞と比べると顕著な違いはとにかく水が多いこと。洞窟中に滝や川があるし、あちこちで水が流れていること。それにとにかく狭い箇所が多い。先ほどのあぶくま洞の探検コースなんかよりもこちらの方がよほどハードである。

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 そんな中をしばし進むとAコース終点と書いたゲートにたどり着く。ここから先はBコースらしいが、いきなり足下が水中につながっているのには驚く。確かに水中を歩く覚悟がないとBコースにはいけないようだ。その上にBコースは照明も持参する必要がある。

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Aコース終点、この後は道は水の中へ

 ここまでで10分ちょっとぐらい、またここまであまり鍾乳石は見られないので、洞窟マニアとしてはこれだと消化不良な感が残るだろう。本格的洞窟探検を行いたい方ならお勧めだが、私はそもそも洞窟マニアというわけではないし、この寒空の下で水浴びをする趣味はない。今日は最初から本格的探検なんてする気もないのでさっさと引き返す。そもそもこの先に進むには体力と体型に問題がありそうだ。挑戦するつもりならもう少し体をコンパクトにする必要がある。

 

 これで洞窟探検は終了、ここからは山城探検第二弾ということにする。ただもう3時近くになっているので、本日の宿泊地に向かいつつ沿線の山城を拾っていくということにしたい。

 

大越城 三春田村氏の重臣・大越氏の居城

 最初に立ち寄ることにしたのは大越城。戦国の末頃に三春田村氏の重臣である大越顕光が居城としており、1566年に築城されたとか。

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現地案内看板

 県道19号を磐越線に沿って北上、大越駅の手前にある見渡神社の裏手の山が大越城。見渡神社の裏手に車で回っていくと、案内看板があって杖まで用意してある親切さ。ちなみに私は杖は持参。駐車場はないが、道路脇に車を置ける余裕があるのでここに車を置いて進む。

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ここが登城口

 山道を登っていくといきなり堀切の表示と共に、こちらを見下ろしてくる高い曲輪がそそり立つが、これが東の舘。まさに大手口の関所という構えである。

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正面左が東の館

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上から見下ろすこの高さ

 ここを抜けると右手に押上という表示があり、鳥居が建っている。本丸に行くにはこちらを登っていくことになる。看板は整備されているし、下草もキチンと刈ってあって非常に整備されているので実に歩きやすい。

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押上

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通路脇にいくつか曲輪らしきものがある

 左右に細かい削平地をいくつも見ながらしばし登っていくと虎口に突き当たる。ここを抜けて進んだ先が本丸である。本丸はそれなりのスペースがあり、今は祠が置いてある。本丸が神社になっているというお約束のパターンのようだ。

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本丸虎口に到着

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本丸はそこそこ広い

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城跡碑

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大越神社

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意外に標高がある

 

 二の郭は本丸の西に降りたところにある。そこそこの広さはあるが、巡回コースから外れるせいか下草が刈られていなくて鬱蒼としていて先に進むのはやめる。

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本丸の一段下に二の郭があるが

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かなり鬱蒼としてしまっている

 二の郭から続きで南に回り込んだところが馬場との表記のある小スペース。ここには駒石と呼ばれる巨石がある。この上に馬爪大の痕跡があるとのことだが、岩の上に登る気力も体力もなし。

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はるかに下に見えるのが馬場

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駒石

 ここを回り込んで降りていくことにするが、ここからは斜面が結構急である上に道の状態が良くない。神社の表参道筋は整備しているが、こちらまで手が回っていないというところか。それどころかようやく下の休石の手前まで来たところで巨大な倒木に道を塞がれていて、これを通り抜けるのに一苦労させられる。

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巨大な倒木に道を塞がれる

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ようやく通り抜けて休石に到着

 休石からは帯曲輪や西の舘を左右に見ながら進むことになる。先ほどから時々細かい水滴が顔に当たるのが気になるところ。雨が若干ぱらつき始めているようなので先を急ぐ。

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西の館には巨石がゴロゴロ

 本丸下の谷状の斜面の中腹に井戸跡もある。籠城に非常に大切な水はここで確保していたようだ。なお今日でも水が湧いているらしい。なお近くにある朝霧城は井戸がなかったため1キロ先の水源から堀で水を引いていたところ、そこに毒を放たれてしまったためにこちらに移ってきたとのこと。

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本丸下の谷間には井戸がある

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井戸

 

下大越城(朝霧城) 水源に毒を入れられてしまった城

 大越城の見学を終えるとその朝霧城こと下大越城に向かう。住宅街背後にある山がそれっぽいのだが、どこから登れば良いのかが分からずに回りを車でウロウロしている内に、「朝霧城東入口」なる看板を見つけたのでその近くに車を停めて徒歩で登る。

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ようやく入口を見つけた

 登るとすぐに北舘跡との間の堀切に到達するので、北舘は後にしてまずは本郭の方に登ってみる。

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ここを進んでいくと

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右手に北館への登り口

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左手に本丸への登り道が

 本郭に登ると視界が開け、下まで数段の削平地がある場所に到達する。どうやら城跡を桜公園にするべく整備して植林している模様。一応、本郭跡、二の郭跡、御殿跡などの看板が立っているが、公園整備のせいかなだらかな緩斜面になっている雰囲気で、城郭としての険しさは全く感じられない。かすかに土塁跡などがあるのが城跡としての主張はしているが。

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急に視界が開ける

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ここが本郭跡とか

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数段の曲輪らしき構造はあるが、公園整備がされすぎていて原型が不明

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辛うじて土塁跡が城跡を主張

 裏手に回ると北舘の方を登ってみるが、こちらは本郭の方と対称的で道なども整備されておらず、曲輪内も木が茂っている。二段の曲輪になっていてかなり回りは急である。本郭と連携して守っていたことが分かる。

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北館は二段構造になっている

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奥に上ってのぞき込むとかなり周囲は切り立っている

 ここの城が水源に毒を入れられてしまった城であり、確かに城内に水の手は見当たらない。また地形的には平時の館を構えるには良さそうだが、戦時の城郭としては堅固さで大越城に劣る。水源が駄目にされたことがなくても、戦が激化してくればあちらに移転するのは必然だったのではと感じられるところである。

 

磐梯熱海温泉で宿泊

 これで今日の予定は大体終了である。もう体に大分ガタが来ているし、夕方になってきているし、宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのは磐梯熱海温泉の金蘭荘花山。船引三春ICから磐越道に乗ると、そのまま西進、順調に磐梯熱海温泉に到着する。

 磐梯熱海温泉は山間の街道沿いの温泉街という印象。道路沿いに大手ホテルが並んでいる。金蘭荘花山はそのホテル街の真ん中付近。

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なかなか綺麗で広い部屋である

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少し変形部屋

 なかなか綺麗なホテルで、私が通された部屋も広いゆったりとしたもの。部屋で一服してから大浴場に向かう。大浴場は内風呂に露天風呂が隣接した造りで、露天風呂は川に浮かぶ船をイメージした浴槽。泉質はアルカリ単純泉とのことだが、ややネットリ感のある湯である。ここでとにかく今日の疲れを抜いておく。今日はかなり無理をしたが、既に太ももに張りなどが出ており、これは明日以降が思いやられるところ。

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内風呂

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その先には露天風呂が

 

 風呂からあがると間もなく夕食の時間。夕食はレストランで会席料理。ビュッフェでガッツリ食うのも悪くはないが、私はどちらかと言えばこちらの方が合っている。

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 品数も多いしなかなかにうまい。一番印象に残ったのは豚の温しゃぶ。豚肉がひじょうにうまかった。

 夕食を終えるとしばし部屋で過ごすが、疲れが出てきていて頭がボンヤリとして何も出来ない。この原稿を入力しようにも頭がまるっきり回らない状態。仕方ないのでとりあえずもう一度入浴へ。冷たい空気の中での露天風呂がなかなかに快適。

 風呂からあがるとしんどいのとすることがないのとで早めに就寝する。

 

福島山城巡り(桑折西山城、梁川城、大鳥城)&飯坂温泉で宿泊

 翌朝は7時に起床。かなりグッスリ寝たのだが、体にまだ怠さがいろいろ残っている。今日は福島への移動だが、仙台駅までの送迎バスが11時に出るのでそれまでは時間がある。

 7時半頃にはバイキング形式の朝食がある。それを食べに昨日と同じレストランへ。朝食は和洋両対応でガッツリと食える。おにぎりがあるのがありがたい。その場で握ってくれるというのはなかなかのサービス。

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朝食バイキング

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和洋両対応でガッツリ頂く

 

 

 朝食を終えるとやはり入浴。露天風呂は夜の内に男女入れ替えがあって、今朝は広瀬川源流露天風呂。ここは川がそこに見える浴槽や、立ち湯など諸々あるのだが、生憎と今朝は昨日の雪が雨に変わって冷たい雨が降っている状態。雨が体に当たるといささか冷たいし、雨のせいで湯温が下がり気味で、高温湯と書いてある浴槽がぬる湯の状態。川沿いの断崖の絶景を眺めながらここで長湯。なお蓬蒸し風呂(蒸しパンみたいだ)なんてのもあったが、私は基本的にサウナは苦手。

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川がそこに見える露天風呂

 入浴を終えて支払い手続きを早めに済ませてしまうと、後はすることもないので部屋で時間までテレビを見ながらゴロゴロ。やはりいささか疲れが体に残っている。残念ながら昔のように前日の疲れは一晩寝るとスッキリとはいかないようだ。それにいささか湯疲れもあるかも。

 ようやく11時になったのでバスで仙台駅まで送ってもらう。送迎バスは満員。行きよりも客が多いようなので、帰りだけ乗った客もいるのだろう。昨日は途中で渋滞などもあったのだが、今日はスムーズに道路が流れており(平日の昼間だからだろう)、仙台駅には予定よりも早めに到着、私はすぐにやまびこの自由席に飛び乗って福島を目指す。

 福島に到着したらレンタカーで移動することにする。日産レンタカーでマーチ。あまり好きな車ではないが仕方ない。

桑折西山城 鎌倉時代の伊達氏の居城、幕末には奥羽越列藩同盟の陣地

 レンタカーを調達すると最初に向かったのは桑折西山城。今日はここに行くのにレンタカーを借りたようなものである。桑折西山城はJR桑折駅の西側の山上にある。現地に近づくと明らかに山頂を削平してある一目でそれと分かる山が見えてくる。線路をくぐる手前ぐらいから案内表示が出ているのでそれに従って進む。最後は狭い山道になるが「ええい、行っちまえ」とマーチでそのまま乗り込む。しかし道路は狭いし轍はえぐれているしとあまり良い道とは言えない。しかも昨日来の雨で路面がぬかるんでいてズルズル。あまり端によると路盤が崩れないとも限らない。失敗だったかな・・・といささか後悔したが後悔先に立たず、そのまま転回スペースのある大手門まで乗り込むが、この辺りも地面がズブズブで、これ以上登ろうとするとマーチのタイヤが空滑りするような状態。仕方ないのでここで車を無理矢理に転回させてから駐車する。

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桑折西山城遠景

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大手門の手前に車を置く

 いざ現地に到着すると思ったよりも大規模な城郭である。山を丸々城にしたという印象。規模が大きい郭がいくつもある上に、国の史跡に指定されているらしく木を切って整備されているので、かなり広大であるのが一目で分かる。これだけの規模を感じる城郭は秋田の脇本城以来。東北地区には広大な城郭がいくつかあるが、ここもそのうちに入るだろう。

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案内看板

 桑折西山城は伊達氏が居城とした城郭であるという。鎌倉時代からあり、伊達政宗(独眼竜でなく、伊達家9代当主で南北朝時代の人物)が鎌倉公方に背いて立て籠もった城だという。伊達稙宗が1532年に居城を梁川城からここに移しており、この時に現在の規模に拡張したのだとか。稙宗と晴宗の伊達家内部での騒乱時にこの城も戦乱の舞台となったという。乱後に伊達氏は米沢城に移ったことで廃城になったとか。

 一番手前にある曲輪部分は砲台との表記がある。これは中世の遺構ではなくて、幕末に砲台が置かれた場所らしい。奥羽越列藩同盟がここに陣地を置いたのだとか。街道を見下ろす要地なので、ここに砲台を設置するのは極めてリーズナブル。

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一番手前の曲輪

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砲台跡との表記あり

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砲台を置くには最適

 本丸はここからかなり上にある。上に上がってみるとやたらに奥に広いのであるが、あまりにメリハリがないので元々の本丸の地形がどれだけ残っているのかは不明。この本丸の西側にある数段の曲輪が二の丸といったところらしい。

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砲台から本丸方向を見上げる

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広い本丸

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本丸から下を見下ろす

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手前が二の丸で奥が中館

 

 

 ここからかなり深い堀を隔てて中館と西館という館部がある。この中館は土塁に囲われている上に明確な虎口を持っており、城郭としての構造を持っている。

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二の丸の先の堀切

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奥が中館

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中館に登る

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中館内部は広い上に周囲に土塁もある

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中館の南には虎口の構造が

 ここから堀を隔てた西側にさらに西館があるようだが、いささか藪化しいるようだし、足下はズブズブで何度もこけかかっているしということで、今回はこれで撤退ということに。

 見学を終えるとかなり神経をつかいながら車で降りてくる。この道もこんな天候でなければそう問題のない道のはずだが。まあ軽トラだったら余裕だろう。

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お城近くの万正寺の大カヤ

 

 

梁川城 今は学校になってしまった伊達氏の城

 桑折西山城の次は梁川城に行くことにする。梁川城は川を外郭の防御にした小高い丘の上にあり、現地に来てみると城郭に格好の地形であることがよく分かる。もっとも現在は城跡は小学校、中学校、高校などの学校の敷地になってしまっていて遺構は完全に消滅。町中の江戸期の城跡は学校か役所になるパターンが多いが、ここは前者の方だったらしい。現在残るは震災で移転した旧梁川小学校の敷地の一角に庭園跡があるのみ。いずれ何らかの整備がされるのかもしれないが、今はかなり寒々とした状況である。

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川向こうの台地上が梁川城

 梁川城はかつて伊達氏の本拠だったことがあり、本拠移転後も要地として伊達氏が抑えてきたという。奥州仕置きで伊達氏が立ち退いた後は蒲生氏郷が、氏郷の死後には上杉景勝が領地とした。この頃に大増築が行われたとのこと。江戸時代には上杉領であったが、上杉家が家督騒動で30万石から15万石に領土を減らされた時に天領となり、その後は梁川藩となったり、会津藩の飛び地になったりなどと所属は転々として明治を迎えたらしい。街道を扼する要地の城だけにそれなりに重視はされていたのだろう。

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小学校跡の一角に浅間神社が残る

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浅間神社

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庭園跡

 

 

大鳥城 飯坂温泉を見下ろす平安時代の城館

 梁川城を訪問した頃にはそろそろ時間が気になる頃になる。今日の宿泊地である飯坂温泉に向かって走ることにする。ただホテルに入る前に飯坂温泉にある大鳥城には立ち寄っておきたい。

 飯坂温泉は郊外の小都市に温泉街が混在しているという雰囲気。また路地の入り組んだ古いタイプの町で全体的に風情溢れている。大鳥城はその飯坂温泉の西方の舘山山上に位置する城郭。平安時代末にこの丘陵上に信夫庄司佐藤氏によって城館が築かれたのだという。佐藤氏はその後、源義経と共に戦い、義経追討の鎌倉勢の迎撃も行ったものの、衆寡敵せず城主は戦死して大鳥城も落城したとのこと。

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手前の山上が大鳥城

 山頂までは車で登ることが出来る。丘の麓に大手門跡があり、そこから一の砦などを経由して山上に上る登山ルートもあるようだが、今回は時間も体力も余裕がないので山頂まで車で一気に登った。

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山頂まで車で登れる

 山頂はそれなりのスペースがあり、現在は公園として整備されている。ここからは遠く福島市街まで見渡すことが出来、城郭を構えるには格好の位置である。

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山頂はかなり広い

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城跡碑

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かなり高度がある

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案内看板

 この城郭の北東南の三方はかなり切り立っており、弱点となるのは西側に続く尾根筋であるが、そちら側は堀切で分断した上で独立した曲輪を構えており、そこには矢庫の跡との石碑も建っている。背後の尾根筋からの攻撃はこの曲輪で迎え撃つ構造になっていたことが分かる。

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西の尾根筋にある独立曲輪矢庫

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矢庫と本丸の間には堀切

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矢庫の先にはさらに深い堀切

 現在は公園化してしまっているので遺構としてはあまり残っていないが、それでも中世城郭の雰囲気を感じることが出来た。

 

 

飯坂温泉街を散策

 大鳥城の見学を終えた後は、飯坂温泉街に降りてきて観光用無料駐車場に車を置いてしばし町並み散策。通りすがりの肉屋でコロッケを購入して食べたのが、よく考えるとこの日の昼食。あちこち走り回っていたせいで昼食を取る暇がなかった。

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結局これがこの日の昼食

堀切邸の見学

 付近には地元の名士だった堀切氏の館が現在公開されているのでそれを見学。ここは足湯などもあってそれが目当ての観光客も訪れているようだ。

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堀切邸の立派な門構え

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かなり立派な屋敷

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外蔵がある

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屋敷内部

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なんと内蔵もある

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庭には足湯が

 

 

共同浴場鯖湖湯

 この堀切邸の隣にあるのが共同浴場の鯖湖湯。ここが飯坂温泉発祥の地となるようである。この辺りには温泉旅館なども数軒あり、またお湯かけ薬師如来があったりなど、なかなかに風情のある一角となっている。

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共同浴場の鯖湖湯

 

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お湯かけ薬師如来
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町並にも風情があります

 

 

飯坂温泉で宿泊

 疲れもかなり出てきたし日も西に傾いてきているのでそろそろホテルに向かうことにする。もう既に飯坂温泉街までやってきているのでホテルはすぐそこ。今日の宿泊ホテルはホテル天竜閣。川の向こうのホテル街に位置するホテル。建物はやや古びた印象があるが、内部は綺麗にしている。高校のコーラス部や長寿会などの団体も宿泊しているようだ。

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ホテル天竜閣

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部屋はまずまず

 部屋に入るとまずは入浴。風呂は川の側の一番下の階にある。内風呂と露天風呂からなっているが、開放感のある露天風呂がなかなか快適である。泉質は単純泉とのことだが、ネットリとした肌触りの湯である。以前に飯坂温泉を訪問した時、ここの温泉はとにかく湯が熱いという印象が残っていたが、ここの風呂は観光客を意識してかそう熱湯にはしていないようである。私にはその方がありがたい。

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川縁の露天風呂

 

 

 ゆったりとくつろいで部屋に戻ってくると、まもなく夕食である。私のはカニとアワビ付きのプラン。全体的に結構ガッツリと量がある。品数も多くて豪華。満腹になってしまって釜飯は半分ほどしか食べられなかった。

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懐石膳はボリューム有
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 夕食後にもう一度入浴に行くが、今回はほとんど貸し切り状態だった先程とは違って高校生の団体が先客。元気が良いのは良いがいささかうるさくてまいった。萩と岡山の高校だと聞いていたから、コンクールの全国大会のために遠出してきてテンションが上がっているんだろう。私も高校時代にはコーラス部に所属したことがあり、全国大会などを目指していた時期もある。ほろ苦くも懐かしい青春時代の思い出でがこみ上げてくる。この年になるとしみじみ思うが、若さとは一つの大きな力であり、それ自体が可能性ということでもある。老いるということは単に体力などが衰えていくだけでなく、可能性がなくなっていくということでもある。

 風呂から上がって部屋に戻ると、疲れが出てきてグッタリ。もう何をする気力もないので布団に横になってゴロゴロ、そのうちに寝てしまう。

 

東北旅行 仙台~青葉城~作並温泉 &「岸田劉生と椿貞雄」at 宮城県美術館

 3月の年度末で仕事の方もバタバタと追い込みだったのがようやく一段落。と言うわけでそろそろ春休みを取りたいところ。そこで木金の2日間を有給休暇を取って福島方面に出向くことにした。まず第一の目的は続100名城にリストアップされた三春城を訪問すること。さらにこの地域の温泉でも回ってゆっくりしたいとの考えである。で、温泉を回るとなれば週末だと宿泊料は高いし、そもそもお一人様はお断りになる事例が多いので、あえて平日に休暇を取ることにした次第。温泉を回ってから最後の週末は東京に立ち寄って久しぶりに東京のオケと美術展を楽しんでこようというプランである。

 20日は大阪で仕事があったので、その続きで出かけることにする。大阪での仕事を終えると三ノ宮に移動する。明日は神戸空港から朝の便で飛ぶので、今日はポートアイランドのホテルパールシティ神戸に宿泊する予定。

 

 

 三ノ宮に到着するとホテルに入る前に夕食を摂っておく(何しろポートアイランドにはろくに飲食店がない)。ミント神戸の飲食店に行き「Pasta de Pasta」に入店、「ワタリガニのクリームスパ(1380円)」を注文する。SMLで価格が変わらないというのでLサイズを頂く。

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ミント神戸のPasta de Pasta

 麺などが特に良いというわけでもないが、パスタ自体はなかなかにうまい。とりあえず夕食としては不満なし。まあ場所柄CPは今ひとつだが。

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ワタリガニのクリームスパ

 夕食を終えると地下のスーパーで買い物をしてから、三ノ宮駅からホテルの送迎バスでホテルに向かう。それにしても今日は寒い。ホテルにチェックインすると大浴場で入浴して体を温めることにする。

 体が温まると眠気がやって来る。明日は神戸空港から8時台のスカイマーク便で飛ぶので早朝出発だし、早めに就寝することにする。

 

 

 翌朝は6時頃に起床すると7時前にはホテルをチェックアウトして空港へ移動する。朝食は昨日三ノ宮で購入しておいたおにぎりで済ませる。もう少し後の便だったら、ホテルで朝食ぐらいは摂れたのだが・・・。考えてみるとこのホテルには何度か泊まったことがあるが、いつも出発が早朝便なので朝食を摂ったことがない・・・。て言うか、そもそも早朝便でなければここに前泊する必要もないか。

 今日は生憎の雨である。しかも風があるので、ポートライナーの駅に到着するまでにずぶ濡れである。早朝にも関わらずポートライナーにはそこそこの乗客が乗っているが、医療センター前でほとんど降りたところを見ると病院関係者か。

 

 

仙台へ飛ぶ

 空港に到着するとさっさと搭乗ゲートをくぐってしまうことにする。が、ここでベルトのバックルが反応したとかで止められる羽目に。いちいちベルトをはずさないと行けないとは不便なことである。まあアメリカなんかはその内にパンツまで脱がされることになりそうだが。

 1時間後に予定通りにスカイマーク仙台便は神戸空港を離陸する。気流が荒れているとかで、スカイマークの飛行機はフラフラと何度も気持ち悪い飛行をしながらも定刻通りに仙台空港に到着する。空港から仙台までは鉄道で直接つながっており、非常にアクセスの良い空港である。ただ乗客は多いのになぜか到着した車両は二両編成なので車内はすし詰め。しかもこの駅、それでなくても今日の仙台はひんやりしているのに、シートの屋根があるだけで吹きっさらしの寒々とした構造になっている。

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仙台空港に到着

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鉄道の駅は吹きっさらしで寒々としている

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駅では美女がお出迎え

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なんだかな・・・

 この空港周辺も先の震災では津波に派手にやられたはずである。しかし今見る限りではそんな跡はほとんどない。やはり大都会近郊だけに復興も早いのだろうか。

 

 

 仙台にはすぐに到着する。かなり久しぶりの仙台だが、駅前の雰囲気は何となく覚えている。とりあえずホテルの送迎バスは14時半に仙台駅東口から出ることになっているので、まだ3時間以上の余裕がある。その間に久しぶりの仙台観光でもしたい。ただその前に身軽になることと昼食を摂る必要がある。

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久しぶりの仙台駅

 とりあえずキャリーはコインロッカーに放り込むと、昼食を摂る店を探すことにする。面倒くさいので駅ビルをフラフラしたところ、「SENDAI STATION OYSTER BAR」なる牡蠣料理の店があったのでそこで「牡蠣フライランチ」を頂くことにする。

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駅内の店

 大粒の牡蠣フライがなかなかにして美味。意外だったのは付け合わせの生野菜スティックがなかなか美味かったこと。野菜がそんなに得意ではない私は、こういう手はほぼ駄目なのが通常なのであるのだが・・・。最近は本当にキチンとした野菜なら美味いんだということが分かってきた私。私も大人になったもんだ(笑)。

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大粒の牡蠣フライが良いが、意外に野菜スティックが美味かった

 

 

 さて昼食を摂ったところでこれからどうするかだが、とりあえず久しぶりに青葉城を訪問して、それから宮城県美術館の展覧会を鑑賞したいと思っている。となると移動は巡回バスが便利。と言うわけでループルの一日乗車券を購入する。

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ループル1日乗車券

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るーぷる車両

 

 

青葉城 東北の雄・伊達政宗の居城

 仙台自体が広瀬川の河岸段丘の町であるが、青葉城はその河岸段丘の上にそびえる断崖の城である。ここを訪れるのは久しぶりだが、石垣の立派さと断崖の険しさはなかなか壮観。もっともここの石垣も先の震災で被害を受け、一部はその後に積み直したようである。その積み直しの過程でかつての石垣の構造なども判明したのだとか。

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青葉城の高石垣

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城内の構造

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本丸屋敷の跡

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石垣の構造模型、意外に奥に長い

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高石垣から下を見下ろす

 また以前には見学しなかった裏手の方も見て回るが、こちらも巨大な土塁(と言うよりも削平時に削り残した地形だろう)で築いた搦め手虎口がかなり堅固。表だけでなく裏の守備も鉄壁のようである。

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裏手の搦め手虎口

 さすがに東北の雄、伊達氏の居城である。しかしこの青葉城はいわば伊達政宗にとっては天下を諦めることを余儀なくされた城でもある。その想いや如何に。

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彼の胸中はどうだったんだろうか?

 ここからさらにバスで美術館に移動する。バスは途中で東北大学のキャンパス内を通過していくが、さすがに旧帝大だけあってとてつもない規模である。仙台は東北大学だけでなく学生が非常に多い学生の街なのだとか。なお植物園という名の原生林などは北海道大学などを連想するところ。ちなみにこの中に熊も出たことがあり、植物園がサファリパーク状態になってしまったことも・・・なんて話がバスの運転手さんから。

 美術館では岸田劉生展を開催中。この美術館に来るのも数年ぶりである。

 

 

「求道の画家 岸田劉生と椿貞雄」宮城県美術館で3/25まで

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 椿貞雄は岸田劉生に心酔し、かなりその影響を受けた画家であるらしい。実際に初期の作品は劉生の影響が濃厚であり、当時は岸田劉生の模倣と見なされることに苦しんだとのこと。

 ただその後の展開は劉生とは若干違った方向に向かっていく。ひたすら求道的にストイックな強烈な絵画を描く劉生に対し、椿の作品にはもう少し温かみのようなものが通っている。端的なのが劉生が自らの娘を描いた「麗子像」と同様に椿が娘を描いた作品。色彩やタッチなどは似ているのだが、劉生の作品がグロテスクささえ感じさせるのに対し、椿の作品はそこに対象に対する愛おしさが滲む。椿は良き家庭人であったという話もあるようだし、そのことが創作姿勢に反映したのだろうか。

 劉生亡き後の椿の作品はさらにその方向に向かって進んでいったようだ。初期の厳しさが和らいだ温かい絵画になっており、これが彼らしい世界だったのだろう。

 

 

作並温泉で一泊

 美術館の鑑賞を終えるとそろそろ時間である。バスで仙台駅に到着するとキャリーを回収してから東口に移動。東口には送迎バス用のターミナルがあり、今日泊まるホテルのバスもここに来るらしい。

 しばらくするとバスが到着、予約客がゾロゾロと乗り込む。大型の観光バスがほぼ一杯になっていたから結構な人数。

 メンツを確認した上で時間通りにバスは発車、そのまま西に向かって走って行く。沿線の風景が都会から郊外、さらには山間となってきたところで先ほどまでぱらついていた雨が雪に変わる。さすがに北国、この3月に雪が降るとは・・・。

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途中で雨が雪に変わる

 作並温泉は山間の作並街道沿いに大型温泉ホテルが並んでいるという温泉地。私は夕食付きプランで予約を取ったのだが、どうやらそれは正解だったようである。恐らく夕食なしにしていたら、食べる場所に困っただろう。

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作並温泉ゆづくしSalon-一の坊

 私が予約したホテルは作並温泉ゆづくしSalon-一の坊。作並温泉でも一番奥手に位置する巨大ホテルである。ゾロゾロとバスを降りた連中が一斉にチェックインなので、しばし手続きを待たされることになり、その間はロビーでマッタリ。このホテルの特徴としては、ロビーの隣にくつろぎSalonなるスペースがあり、そこでフリードリンクやお茶菓子などが置いてあること。湯上がりのくつろぎスペースといったサービスのようだ。日帰り入浴なども受け付けている模様。

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ロビーでまったり

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外は完全に雪景色

 しばらく待った後に部屋に案内される。部屋はシングルを予約してたのだが、ツインの部屋に振り替えてくれたようだ。綺麗だし広い部屋でなかなか。

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これは良い部屋だ

 

 

 部屋で着替えると早速入浴に。まずは大浴場に向かったが、ここは内湯だけで露天風呂は別。露天風呂の一つの鹿のぞきの寝湯というのは、昔この辺りの源泉によく動物が現れたことからネーミングされたとか。ただ私には寝湯は体が浮きすぎるせいでうまく入れない上に、私の体型では腹が水面から出てしまうので雪が降る中では少々寒い。

 もう一つの露天風呂の自然風呂は屋根がある露天風呂。雪の風景を眺めながら温めの湯にゆったりと浸かるというタイプの風呂である。温めの湯のためか子供が結構やって来るのでいささか喧しい。。

 露天風呂を一渡り回ったら、再び大浴場を訪れてここでゆったりと体を温める。作並温泉の湯は単純アルカリ泉のようだ。ヌルヌルとした感じがあって肌にしっとりとくるいわゆる美肌泉。加水・塩素消毒などはあるようだが、循環をやっていないからか泉質はなかなか良い。わざわざ山の中までやって来た意味を感じさせる湯である。

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大浴場

 風呂上がりにはSalonでくつろぐ。フリーのコーヒーなどを頂いてマッタリと至福のひとときを送る。こういうゆったりした時間が最近は全くなかったな・・・。

 結局は夕食の時間までは部屋でボンヤリとテレビでも見て過ごすが、それにしても最近はろくでもない番組ばかりなのが嫌になる。かといってニュースをつければ、ろくでもない総理がしどろもどろの言い訳で開き直っているのばかり見せられてさらに嫌になる。財務省が改竄前の文書でも自分や婦人の関与がないのは明らかなどと安倍は言い訳しているが、あれはどう読んでも昭恵夫人の関与は明らかではないか。「李下に冠を正さず」と言うが、安倍の場合は冠の中から桃が出てきたのが見つかっても、「桃が勝手に落ちてきて冠がその上に乗っただけだ」とか言い訳や開き直りをするのだろう。今時の政治家に最も必要な素養は厚顔無恥ということらしい。まさにそれを体現している大統領がアメリカにいるし。

 

 

 夕食はビュッフェ形式だが、これがなかなか豪華。こういうタイプのビュッフェは以前に大江戸温泉系列のホテルで体験しているがそれに近い。同じビュッフェでも伊東園ホテルのビュッフェなんかは悲しくなるが、こういう豪華なビュッフェだと盛り上がる。アルコール類なんかも飲み放題のようなので、酒好きはそっちに入り浸っているようだ。私はいろいろな料理を少しずつ一渡り頂く。

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ビュッフェで食いまくる
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 夕食を終えてしばし部屋でテレビを見ながらマッタリしてから、再び大浴場に入浴に行く。今はまだ夕食の時間中なので大浴場は貸し切り状態。ゆったりと体を温める。このタイプの湯は不思議なことに入っている内に体に疎水性の皮膜が出来たようになり、水をはじくような感じになってくる。実際に風呂上がりに体があまり濡れず、体を拭いたバスタオルがほとんど湿らないということになる。

 風呂から上がると疲れが一気に押し寄せる。この日は結局は普段よりかなり早く就寝したのである。

 

 

宇喜多直家関連城郭巡り(新庄山城、明禅寺城)

 先月に宇喜多直家ゆかりの城郭を回ったが、時間と体力の不足で回り残した城郭があるので、今日はそれを回ることにした。

 まず最初に向かうは前回にその高さにビビって撤退してしまった新庄山城。山陽道を山陽ICで降りて南進。途中で昼食のために丸亀製麺に立ち寄って「鴨ネギうどん」を頂く。鴨肉が柔らかくてなかなかにうまい。

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鴨ネギうどん

 

新庄山城 宇喜多直家の高山上の城

 しばらく走ると前方に高い山が見えてくるが、そこが新庄山城。手前の運動公園の駐車場に車を置くと登り口を目指す。

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この山上が新庄山城

 川の向こうに鳥居があってそこから山道が続いているが、これがかなり険しい山道。岩がゴロゴロという状態なので、それなりの装備は必要。整備はされているが、散歩のレベルではなくハイキングのレベル。私の現状の体力では情けないことにすぐに息が上がって、心臓の音がドクドクと聞こえてくる状態。

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川向こうの鳥居が登城口

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鳥居の先の山道を登る

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かなり険しい山道

 半分死にかけた頃に平地に出るが、これは山頂ではなくてちょうど中間点ぐらい。関所とでもいうところか。ここからさらに登りがある。

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この平地は関所か?

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この時点でも結構高い

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まだまだ登りは続く

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途中には岩場もある

 

 ヘロヘロになって足が攣りかけた頃にようやく山頂に到着する。山頂はお約束通りに神社になっている。ここが本丸だろうが、そう広いというわけではない。ここから南方に登山道が延びていて、それに沿って数段の曲輪の痕跡のようなものがないでもないが、完全に地形改変されてしまっているようで明瞭ではない。曲輪群の先に堀切があるはずなのだが、それも確認できなかった。

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ようやく山頂に到着

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案内看板と城跡碑

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この奥はこんな感じ

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標高はかなり高い

 とにかくやたらに高い山上の上にそう広くもないので、この城を与えられた宇喜多直家も、本拠はすぐに亀山城に移したようである。堅固ではあるが不便に過ぎるというところであるか。

 

明禅寺城 宇喜多直家の覇権を決定づけた決戦の地

 新庄山城の見学の後はさらにもう一つの宇喜多直家関連の城郭を訪ねることにする。それは明禅寺城。備中から備前の支配を目論んで進出してきた三村氏と、この地で頭角を現していた宇喜多直家の間で行われた明禅寺合戦の舞台となった城で、ここで圧勝したことで宇喜多直家の勢力が決定的になったという重要な歴史の舞台である。

 明禅寺城は宇喜多直家の西の守りの城であるが、先に当主・三村家親を直家配下の狙撃によって暗殺され復讐の念に駆られている三村元親が、1567年ここに夜襲をかけて落城させる。これに対して宇喜多直家は三村氏に下っていた岡山城主の金光宗高らを寝返らせたことで明禅寺城に籠もる三村勢は孤立、本国に救援要請を行う。しかし直家はこの救援に来た三村勢を自国領内に引き込んでから殲滅する計画を立て、電撃作戦で明禅寺城を落城させる。明禅寺城の勢力と本体とで宇喜多軍を挟撃するという三村氏の戦略はこの時点で崩壊、その後は連携のまずさなどもあって「明禅寺崩れ」とも言われる大敗を喫することになったのである。と、このような経緯を聞くとどうも防御の弱い城というイメージがしてしまうのだが、これは実際に現地を見てみないと分からない。

 明禅寺城は岡山城の東方、恩徳寺の東側の尾根筋上にある。とりあえず恩徳寺を目指して車を走らせるが、なぜかこの日はやけに車が多くて路上に多数の駐車車両がある。何事かと思ったら、どうやら今日は遺跡の現地見学会が開催されるとか。この辺りはやはり古墳などにも事欠かない地域のようだ。

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この奥の山上が明禅寺城

 私は今回は古墳目当てではないので、古墳に来ている連中の手前に車を置いて住宅地を抜けると背後の山に向かう。

 明禅寺城への登り口は住宅背後の梅林の中にある。ここから一旦北に登ってから登山道に合流して再び南に戻ってくるコース。この辺りはなだらかな山道だが、ちょうど恩徳寺の裏手についた辺りで急な山道を登ることになる。

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まずはここを入る

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この道を進んでいくと

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登山道に合流する

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途中から九十九折りを登ることになる

 

 急な山道と言っても先ほどの新庄山城に比べるとなんてことない普通の九十九折りの山道である。ただ先ほどの新庄山城でダメージを蒙った足が全く前に出ない。10分もかからずに曲輪らしい削平地に出るが、この頃には足がつりそうな状態。

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平地に出る

 本丸はここからさらに上がった位置にあるようである。ここには休憩スペースもあるが、見晴らしはあまり良くない。東部に巨石が剥き出しになった虎口のような構造が見られるのが特徴的。ただ虎口とするには城全体の構造から考えるとどうもおかしいところもある。しかしこの巨石の上に櫓でも建てたら防御においては効果的であるのは間違いない。

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数段の削平地の横を登っていく

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本丸に到着

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本丸虎口らしき構造もある

 北側には数段の曲輪が見られるが、南側は急激に下っているようである。戦に備えて急遽整備された陣地というイメージで、大兵を置ける城ではないが殊更に防御の甘い城という印象はない。恐らく最初の落城は夜襲による奇襲攻撃であったし、二回目の落城は大軍で一気に攻めかかったからというところか。なお宇喜多直家大躍進の舞台となったこの城も、後に直家が本拠を岡山城に移す頃にはその役目は終えたと考えられるだろう。

 

桃太郎温泉で入浴してから帰宅

 久しぶりに本格的山城を二カ所も回ってもう足腰はガタガタである。まだ日は高いがこれ以上の無理はやめてそろそろ撤退することにする。ただその前に汗は流していきたいということで、久しぶりにこの近くにある「桃太郎温泉」に立ち寄る。

 カランまで温泉という贅沢な源泉の使い方は相変わらずで、昼から大勢が押しかけている人気も相変わらずのようである。ここでゆったりと汗を流すと帰途についたのである。疲れはしたが、体を動かしたことで久々に爽快さを感じることも出来たのである。やはり心身不調の時は様子を見ながら体を動かすことがよろしいようで。

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帰りの龍野西SAでアーモンドバターソフトを頂く

 

岡山宇喜多直家関連城郭巡り(茶臼山城、備前乙子城、沼城)

 この週末は特に予定もなくボンヤリと過ごしていたのだが、どうもこのままではボケそうだ。それに体力の低下を感じていたし、久しぶりにリハビリを兼ねて近場の城郭を回ってみることにする。

 目をつけたのは岡山南部。この辺りには宇喜多直家ゆかりの城郭がいくつかある。それを中心に回ってみようと考えた次第。昼前に家を出ると山陽自動車道を西進する。

 しかしここで計算違いが生じたのは岡山の手前から急に激しい雪が降り出したこと。まさか山陽自動車道が通行止めになるようなことはないだろうと思うが、それでもどうなるやら分からない。既に岡山自動車道は冬用タイヤ規制になったようだし。

茶臼山城 宇喜多直家に奪われた浦上氏の山城

 まず最初に立ち寄ったところだが、備前の茶臼山城。なお備前の茶臼山城と言えば、赤磐市周匝にも同名の茶臼山城があり、ここにはなんちゃって天守が建っている(以前に訪問したことがある)のだが、紛らわしいので赤磐市のものを周匝茶臼山城、こちらは富田茶臼山城と区別している例がある。

 富田茶臼宇山城は、以前に訪問したことがある富田松山城の出城として築かれた城とのことだ。富田松山城は浦上氏の城であるが、後に台頭してきた宇喜多直家に追われている。当然のように富田茶臼山城も同じ運命をたどっているだろう。

 富田茶臼山城へは国道2号から急角度に折れて山道に入ることになる。この道は広くはないが狭くもない道で、険しいが舗装されていてド下手な対向車でも来ない限りは運転に全く不安のない道である。山頂は公園になっていて駐車場も完備されている。

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鹿除けのためのフェンスがある

 鹿を防ぐためのフェンスが張ってあるのでそれを開けて見学することになる。山上はかなり広いスペースがあるが、これは多分公園化の際に削平したんだろう。元々のスペースがこれだけ広かったとは考えにくい。これだと本城の富田松山城よりも多くの兵を置くことになってしまう。恐らくは城のスペースはもっと狭く、何段構えかの防御の構造もあったはずだが、その辺りはすべて平にならしてしまったんだろう。西側の駐車場の奥も真っ平らな公園になっているようだが、この辺りは本来は堀切で尾根筋をぶった切るなどの防御をしていたはずである。

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山上は公園化されている

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帯曲輪なのか後世の改変なのかは不明

 ちょうど向かいに富田松山城が見え、両城でこの地を押さえるのには最適の構えとなっている。お互いに狼煙や旗などを使って緊密に連絡を取れたはずである。この出城の役割は西からの谷筋を経由しての攻撃や南の海からの攻撃などを牽制する事だったのだろう。

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富田松山城が向こうに見える

 ザクッと見て回ったものの特に見るべきところはなかったという印象。しかもちょうどこの頃から雪が洒落にならないレベルで激しくなってくるので早々に撤退することにする。さすがに少しでも積雪もしくは凍結が起こればあの道を車で降りるのが命取りになりかねない。

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降雪が洒落にならない量になってきた

日生のカキオコを断念して残念な昼食に・・・

 雪はさらに激しくなってきているので、場合によっては撤退も考慮に入れつつ、とりあえず昼食のためにこの近くの日生に立ち寄る。頭にあったのはカキオコなのだが、ちょうど昼食時だったこともあって店には行列、駐車場は満杯という状況。馬鹿らしくなったので諦めることする。ちょうどこの頃になると雪が先ほどよりもマシになってきたので、初志貫徹することにしてブルーハイウェーに乗る。

 結局昼食はブルーハイウェーの道の駅で「カツ丼」を食べることに。不味いと言うこともないが決して美味くもない。面白くない昼食になってしまった。

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道の駅で昼食

 

備前乙子城 宇喜多直家の最初の城

 不本意な昼食で思い切り盛下がってしまったが、目的地を目指すことにする。次の目的地は備前乙子城。浦上宗景の配下だった宇喜多直家が武功によって最初に与えられた城である。宇喜多直家はこの後にメキメキと力をつけ、ついには主家であった浦上家を追い払って備前一帯を支配することになる。その第一歩の城であり、謂わば出世城とも言える。もっとも宇喜多直家の台頭は、陰謀を巡らして周辺の人物を暗殺しまくりなので、斎藤道三や松永久秀と並ぶ三悪人と言われるなどあまり良いイメージを持たれていないとか。大したヒールぶりである。ただ同じく謀略に長けて表裏比興の者と言われた真田昌幸とどうも評価が違う。やっぱり昌幸は徳川家康という大物にあくまで徹底的に戦ったのに対し、直家は結局は信長に臣従したからだろうか。

 乙子城の北西に「宇喜多直家国とりはじまりの地」と刻まれた石碑が建てられており、宇喜多直家に纏わる説明版がはめ込まれている。それによると今では平地の中の独立丘のような乙子城の地形であるが、当時は海岸線がもっと内陸まで入り込んでおり、乙子城は瀬戸内海に注ぐ吉井川河口に位置する城郭だったとのことである。

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石碑の背後の山が乙子城

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ザクッとした縄張図

 北西端に神社のようなものがあり、そこから石段で本丸まで一気に登れるようになっている。大して高い山ではないので、本丸までは3分程度・・・なんだが、これだけで息が完全に上がってしまい、本丸到着時にはゲーゲー言ってしまうというのが現在の私の情けなすぎる体力の現状。これには自分でも呆れた。年末に腰を痛めて年末年始は寝続けだったが、まさかここまで体が鈍りまくっていたとは・・・。

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北西角の登り口

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すぐ上に神社がある

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本丸はさして広くない

 

 本丸は大して広いスペースではない。南西北の三方は切り立った崖で、東に向かっては数段の曲輪を構えていたようであるが、ここは現在は墓地になっていてかなり改変されているので往時の遺構は大して残っていなさそうだ。東端の一段高くなっていて現在は神社になっているところが二の郭、もしくは出丸的なものか。両郭の間の谷間部分には居館でも設けていたかもしれない。

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東斜面は墓地になっていて地形改変されている

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東端の神社は三段構成になっている

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いちばん奥の段

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結構高い位置にある

 なお話がそれるが、墓地といえば不吉だとか不気味だとかで嫌う者もいるが、私は個人的にはそういう意識は全くない。だから納骨堂が迷惑施設として近隣住民の反対にあったとのニュースを聞くと「?」である。そもそも日本の信仰では亡くなった者は仏様であり、墓に埋葬されている者は明らかに成仏しているはずである。私自身、どこかの誰かに呪われるような心当たりはないし、ご先祖様などはそもそもは守護霊である。大体、人間誰でも最後は行き着く先を不気味と言っていても仕方ない。

 この墓地の辺りに屋敷でも置いて、ここを中心にして東西にお籠もりのための曲輪を用意したという構成の城だろうか。規模は小さいが機能的に出来た城である。

 

新庄城・・・は今回はパス

 乙子城を見学した後は西に向かって走る。川筋を登っていくと運動公園のようなものがあり、その背後の山上にあるのが、宇喜多直家が次に与えられた山城である新庄山城。しかしその高さを見たところで、私の現在の体力ではとても登るのは無理だと諦めて今回はパスすることにする。

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新庄城はこの山上

沼城(亀山城) 宇喜多直家が乙子から移った居城

 この新庄山城の北西の新幹線の線路の手前辺りにあるのが沼城である。ここは宇喜多直家が乙子城の次に居城に定めた城郭だという。主郭の部分は神社になっていて石段で直登できる。ここもあまり大きな城ではないが、周りから切り立っていてそれなりの守備力はある。東側が低くなっていて、その向こうに小高い丘があると言うことで、地形的には先ほどの乙子城と非常に類似している。

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この山上が沼城

 

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本丸の神社

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先ほどの乙子城よりは明らかに広い

 ただ谷の部分は完全に畑化されているので、往時の地形はよく分からないし、その向こうの丘は完全に藪になっているようなので見学できるような雰囲気ではなかった。なお私は手前に車を置いて石段から本丸に上がったが、裏側の北側から回り込む舗装道路もあるようである。ただ道幅が狭くて急なので、私のノートでもあまり入りたいと思う道ではない(軽トラなら余裕なんだろうが)。山というほどの高さもないので石段から登る方が無難である。

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畑化された谷の奥に見える二の丸は鬱蒼としている

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裏手に車道らしきものもあったが、ノートでも入りたくない

 

岡山に立ち寄りがてら喫茶で一服

 これで今回予定していた城は回り終えたので、用事のために岡山に立ち寄ることにする。それにしても岡山周辺は車で走りにくいし、駐車場は少ない上に高いとなかなか難儀な都市である。

 とりあえず見つけた駐車場に車を置いてから用を済ませると、疲れたので一休み。見つけた喫茶「樹林」でアイスコーヒーとケーキのセットを頂く。

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喫茶樹林

 ケーキはあまり工夫のあるものではないし、コーヒーは全く本格的でない代物。しかし最近になってコーヒーを飲めるようになった「全く違いの分からない男」である私には、むしろこういうコーヒーの方が飲みやすい。

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ケーキセット

 ちなみに件の「違いの分かる男」シリーズには安藤忠雄も登場していたが、彼はコーヒーの違いは分かっても建築の善し悪しは分からないのか? 渋谷駅を初めてとして、各地に彼が建てた「使い物にならない建物」群は将来は負の遺産にでも認定されるのか。

 

湯迫温泉健康村で汗を流す

 一息ついたところで、最後は汗を流してから帰ることにする。ここの近くに湯迫温泉なる温泉があり、湯迫温泉健康村という日帰り入浴施設があるとのことなので立ち寄ることにする。

 湯迫温泉健康村は白雲閣という宿泊施設と隣接している。駐車場は車で一杯で結構人気のようだ。どうやら大衆演劇の上演なんかもしているようなのは、岡山地域の温泉で良くあるパターンか。

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湯迫温泉健康村

 内風呂と露天風呂にサウナの構成で、別途岩盤浴などもあるようだ。ただ露天風呂はややぬるく、内風呂は逆に熱いという極端な湯温。さらになぜか内風呂に普通の大浴場がなく、ジャグジーとかばかり。仕方ないので五右衛門風呂で湯を浴びる。後で調べたところによると、どうやら白雲閣の方が大きな岩風呂を持っているようなので、こちらには大浴場を作らなかったのではないかと思われる。

 湯に関しては特徴がなく、無味無色でわずかに塩素臭というところで新湯とあまり変わらない印象。で、後で調べてみたらやはりこちらは新湯のようで、温泉は台湾風呂の方に行かないといけないらしい。そちらは弱放射能泉らしい。ただ私の調査では、どうも日帰り入浴できる時間帯は台湾風呂はずっと女湯のような・・・。

 とりあえず汗を流したし、帰宅することにする。久しぶりに少しだけ体を動かしたのだが、しかし情けないことにたったこれだけの運動が後で体に疲労として現れてしまうのである・・・。

 

北畠氏館~霧山城~赤目四十八滝~赤目温泉で宿泊

ビスタカーで名張に移動する

 翌朝は6時半に起床すると直ちに朝食、7時50分発のバスの予約を入れてから素早くチェックアウト準備を行う。今日は名古屋発8時半の近鉄特急で名張を目指す予定。名古屋に8時頃に到着すると、飲み物を買い込んだりの乗車準備。

 今回事前に特急券を手配したのはビスタカーの2階。眺望の良い座席なのだが、残念ながら朝日がまぶしいせいでほとんどカーテンを引きっぱなし。

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ビスタカーに乗り込む

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ビスタカー内部

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客室

 名古屋を出た時点では3割程度の乗車率だが、四日市に到着した時点でかなり大量に乗り込んできてほぼ満員。地形的に考えて、四日市から大阪方面にアクセスすることを考えた場合、この近鉄特急が最速達ということになるのだろう。三重エリアでは近鉄が圧倒的な強さを誇るという所以でもある。ちなみにこの三重地域でのJRの惨敗ぶりを反映してか、なぜか三重県内にはJRの駅レンタカーがない(JRが通っているはずのない佐渡島でさえ駅レンタカーがあるのに)。ちなみに全県でJRの駅レンタカーがないのは三重以外では沖縄だけである。実はこのせいで、今日は津で宿泊してレール&レンタカー切符を使うという最初のイメージプランが破綻して、予定変更になった次第。

 

名張からはレンタカーで移動

 1時間以上かけて名張に到着すると、バジェットレンタカーの営業所へ。これが10分ぐらいかかる。キャリーをゴロゴロ引いての移動は面倒くさい。

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名張駅

 貸し出されたのはパッソ。トップヘビーの運転しにくい車だ。これでこれから山道を走ることになる。

 最初に目指したのは北畠氏館。続100名城に指定された施設である。

 名張から国道368号を南下する。最初は対面2車線の綺麗な道路だったのだが、あるところから突然300番台国道が牙をむく。急に道幅が狭くなり、いわゆる1.2車線道路に。しかしそれにも関わらず車は意外に多いので、大きな車が来た場合にはすれ違いに大騒動。

 難所を抜けてようやく道が良くなった頃に国道369号との分岐に到達、ここには道の駅みつえがあるので休憩に立ち寄る。ここはいわゆる産直売り場に入浴施設があり、飲食店も併設している。そこで若干早めだがここの飲食店「お食事処山桜」で昼食を摂ることにする。

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お食事処山桜

 注文したのは「ぼたん鍋膳(1400円)」。やはりこの時期に山の中でといえばメニューはこれだろう。味はまずまず。ただやはり名古屋寄りのぼたん鍋かなという気がする。個人的には丹波篠山のぼたん鍋の方が好みに合う。

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ぼたん鍋膳

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美味そうな鍋である

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締めのうどんも絶品

 

北畠氏館の見学

 昼食を終えると北畠氏館(北畠神社)に向かう。ここからはすぐに到着する。

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北畠神社鳥居

 入口の前に車を置くと、まずは神社の見学。要はこの神社のある場所がかつて北畠氏の館があった場所だという。15世紀末~16世紀初頭ぐらいに大規模な造成が行われ、中世城館では日本最古となる南北2列の石垣が設けられたとのと。

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この辺りの地下から建物の礎石が出たとか

 神社内には北畠顕家の像が立っている。北畠顕家は南朝方の将として足利尊氏と激戦を繰り広げた武将で、激戦の末に何度か尊氏軍を打ち破っているが、最後は阿倍野で露と消えたという。その時、弱冠21歳。美少年だったとの話もあり、何かと創作の主人公になるべき要素の揃っている人物でもある。ちなみにNHKの大河ドラマ「太平記」では後藤久美子が顕家を演じたとか。ここの像にも北畠顕家公という名の脇に「花将軍」という名が添えられている。誰か少女漫画家が彼を主人公にした作品を描けば、聖地巡礼の歴女がわんさか訪れそうだ。ちなみに調べたところによると、「花将軍 北畠顕家」という小説は既にあるようだから、後は誰かが漫画にするだけである。ちなみにこれが戦国時代の人物だったら、当の昔にアニメ化されているだろう。そういう意味では南北朝騒乱というのはこの手の作品の新たな舞台設定として狙い目かも。楠木正成とか美形にしたらうけそうなキャラにも事欠かないし。

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「花将軍」北畠頼家像

 ここの神社ではいろいろと発掘されて出土品もあったようだが、現地自体は特に建物等が残っているというわけでもなく、どちらかと言えば遺跡に近い。ザクッと一回りすると山上の詰城や霧山城の見学に向かうことにする。北畠神社の脇から北畠詰城を経由して霧山城に到達する登山道が出ているので、これを進むことにする。

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北畠神社と霧山城の位置関係

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山道を登ることになる

 

詰城を経由して霧山城へ登る

 詰城までは10分程度で登れる。北畠神社を眼下に望む場所にあり、一段高い郭とその周辺の郭からなるシンプルな構成。いざという時のためのお籠もりの城だから、まあこんなものだろう。背後には尾根筋が続いており、これが霧山城につながる。なおこの尾根筋は堀切で断ち切ってある。

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10分ほどで詰城に到着

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結構高度がある

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背後に一段高い曲輪がある

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その後は切り立っている

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背後の尾根は堀切で断ち切られている

 霧山城に向けて登山道をさらに進むが、ここからがかなりキツい道のり。最近の運動不足が祟って足が前に出ない。それにも関わらず断続的にかなり急な傾斜もあるというなかなかにキツい道になっている。実際には詰城と霧山城は一体となった城郭であるという。そう考えると詰城は霧山城の出城と言えるか。

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尾根筋を登っていくことになる

 霧山城は山の尾根筋に曲輪を連ねていたようだ。登山道は谷筋を上っていく形になるが、ここを登っていたら両側の尾根筋から狙い撃ちである。矢の雨の中で敵兵はバタバタと倒れということになるんだろう。

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途中から登城路は谷筋に変わる

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標識にたどり着く

 途中で鐘突堂跡との分岐がある。ここが霧山の山頂になるらしいが、山頂にはスペースは大してなく、ここは本丸手前の出丸及び見張り台というようなところだろうか。向こうの山上に見えている本丸へはここの脇を抜けて進むことになる。

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鐘突堂跡との分岐

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山上は狭い

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鐘突堂跡の石碑

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ここはかなり高い

 

 最高所に本丸があり、脇に米蔵と記された小曲輪がある。向かいには堀切を隔てて櫓との表示のある土塁に囲まれた曲輪があるが、これは二の丸と考えて良いだろう。これらを合わせるとそれなりの面積があり、ここだけでも結構多数の兵が籠もることが出来る。この曲輪だけでなく山上全体が要塞であると考えると、数千人単位の兵力が立て籠もることも可能であると思われる。まさに中世の大要塞である。

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鐘突堂跡から回り込む

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右手が櫓(二の丸)で左手が本丸

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櫓(二の丸)

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なかなかの風景

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堀切の向こうに本丸

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本丸

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本丸

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本丸の風景

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本丸の一段下に米蔵がある

 霧山城の見学を終えて山を下りてきた時には1時間半が経過していた。かなり疲れたのだが、その割には心地よさもある。やはり山で汗を流すのは良い。クタクタになった体とは逆に、久々に精神的には充実感を得ていた。

 

ふるさと資料館見学後、道の駅美杉で鹿マンを頂く

 近くにあるふるさと資料館なるところに立ち寄るが、ほとんど開店休業状態。どうやら元々は入場料300円だったようだが、それが無料になった模様。多分300円払って入場する者がほとんどいなかったのだろう。ただ無料になっても入館者はほとんどいなそう。展示品はどこにでもよくある考古博物館と民俗史料館を併せたようなもの。ザクッと一回りして後にする。

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ふるさと資料館

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北畠館復元模型

 帰る前にここの近くにある道の駅美杉に立ち寄る。夜食に饅頭とか買い求めると共に、駐車場に車で出店していた「森のキッチンシカヤマ」の鹿肉料理という表示に惹かれる。ただ鹿カレーや鹿カツレツを腹に入れるには少し重いので、鹿の肉まんを買い求める。意外にジューシーでなかなかにうまい。これだと誰でも鹿だと意識せずに普通に食べられるのでは。日本人よ、もっと鹿肉を食え。

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車での出店

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鹿の肉まん

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なかなか美味い

 鹿肉を食った後は再び山道を突っ走って名張まで戻ってくる。時間に余裕があれば道の駅みつえで入浴することも考えていたのだが、霧山城は私が思っていた以上の堅城(と言うよりも、私が思っていた以上に体力の低下が著しいという方が正しいか)だったため、その時間的余裕はなかった。

 

赤目四十八滝の見学

 さてこれからだが、今日は赤目山水園で宿泊の予定。旅館の名前は最寄りの赤目四十八滝から来ている。ここに宿泊する以上、宿にチェックインする前に赤目四十八滝の見学をしないと嘘だろう。実際は明日のチェックアウト後に立ち寄るのが正解なのだが、明日は京都でのコンサートのために、早朝から京都に直行しないといけないので、滝見学をするには今日しかない。西に傾き始める夕日と競争するように赤目四十八滝へ急ぐ。

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赤目四十八滝に到着

 滝の手前の土産物屋街の駐車場に車を置いて滝の入口にやって来た頃にはもう4時前になっていた。券売所の話では、もう4時半頃には日没で急激に暗くなってくるから、それまでに夜間ライトアップのある手前の不動滝のところまで帰ってくる必要があるとのこと。となるとかなり駆け足で見学する必要があるが、走って行ったところでも一番奥までは到底たどり着くのは不可能。とりあえず捲土重来を誓って、今回は行けるところまで行くだけにする。

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案内地図

 赤目四十八滝は滝見学というか、渓谷トレッキングと言うのが正しいところ。山歩き直後の体にはかなりキツい。しばらく進むと一番手前の滝らしい滝は不動滝。ここから先に進むには険しい登り階段を少し登る必要があるのだが、この時点で私は先ほどの霧山城で完全に足が終わってしまっていることを痛感する。これはどうも私の想定よりもさらに手前で見学を終える必要がありそう。

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渓谷トレッキングという趣

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最初に出くわすのが不動滝

 そこからさらに進むと千手滝に到着する。水の流れが複雑でなかなかに絵になる滝。

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千手滝に到着

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低速シャッターでの撮影

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高速シャッター、滝は撮影の仕方で表情を変える

 さらにこの先に布引滝があるとのことだが、この時点でもう4時半が近づいていて辺りが薄暗くなり始めているのと、布引滝に進むのにまた登り階段を進む必要があるのを見て、時間よりもまずこれを登り切る体力と精神力が尽きてしまっていることを痛感し、ここで引き返すことにする。

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ここをさらに登っていく気力も体力も既になし

 不動滝のところまで戻ってくると、ライトアップを見るために完全に日没するまでしばしここで待つ。同じ目的の観光客がゾロゾロいて、辺りは大混雑である。

 30分ほどでようやく辺りが真っ暗になるとライトアップの滝を撮影。しかしスローシャッターのせいでほとんどぶれた写真ばかり。最初からこれが目的で三脚を持参している気合いの入った観光客もいたが、私のような行き当たりばったりではそんな用意は当然ない。

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辺りがライトアップされる

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ライトアップされた不動滝

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観光客が多数

 

赤目温泉山水園で宿泊

 ライトアップ会場を一回して戻ってくると、真っ暗な中を宿まで車で走る。それにしても辺りは真っ暗、しかもAU携帯は圏外である。なかなかに凄い秘境。

 山水園は本当に山の中の宿という印象だが、宿自体は綺麗な建物。ただ斜面に増築増築で建物を増やしたらしく、敷地内に建物が散在しており、屋外の通路で移動する必要がある。私のシングルルームは一番上の方で、今日は天気が良いから良いが、これが雨や雪だったらかなり嫌だなと思える場所。

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オーソドックスなシングルルーム

 部屋に荷物を置くと何はともあれ入浴。丹前を着込んで大浴場へ向かう。泉質は弱放射能単純泉とあるが、浴感としてはアルカリ泉としての印象が強い。肌にしっとりと来るお湯でなかなかに良好。内風呂に泡風呂、それに屋根付きの露天風呂がある。露天風呂は今の季節はまだ良いが、もっと冬になるとかなり寒そう。とにかく今日は相当に体にダメージがあるのでそれを良質の湯で癒やしておくことにする。

 入浴を終えて部屋に戻って少し休憩すると、すぐに夕食。夕食は本館のレストランまで行く必要がある。この移動が不便なのがこの宿の難点か。

 夕食はオーソドックな会席料理。なかなか美味いが、文句を言うならもう少しご当地色が欲しい。山の中でマグロの刺身というのは「?」。川魚やキノコ、山菜などを出す方が正解では。まあそういう料理は結構客の好みも出てしまうが。ただ鍋物などはまさに猪鍋でも良いように思う。

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夕食の会席料理
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 夕食を終えると原稿の入力・・・をしようと思ったが、体の極度の疲労のせいでとにかく頭がまるで回らない。頭から日本語の文章が出てこない。これはダメだと諦めて再び入浴することにする。

 何だかんだで結局今日は1万8千歩越え。山道を含んでのこの歩数なので、これは相当体にダメージが来ている。実際、夜になって風呂上がりにマッタリしていたら、両足は段々とだるくなるし、体はどんよりと重いしで、明日がかなり不安になってくる。

 とにかく疲れが激しいのでテレビを見ていても意識が遠のきかける。この日はかなり早く就寝する。