ポリャンスキーの公演のために姫路へ
この日曜日は姫路にN響の地方公演を聞きに行くことにした。まあただのN響の地方公演というだけならスルーもあり得るのだが、今回に関しては指揮者がポリャンスキーでチャイコフスキーのプログラムときたら、こりゃ行かなければ嘘というもの。ポリャンスキーといえば何と言ってもロシア国立交響楽団を引き連れての初来日でのチャイコの4,5,6番という伝説の公演が記憶にいまだに鮮明に残っているところ。あの時はあまりのすごさに頭がぼんやりとしてしまい、帰りの電車の車内にキャリーを置き忘れるというトラブルまで発生してしまったぐらい。
その後も二度目の来日の時には大阪公演のみならず、東京にまで追いかけていき。
三度目の来日では名古屋まで出向き、ショスタコの5番とチャイコの悲愴を堪能。
そして2019年にポリャンスキーが単身来日して九州交響楽団を振った時もわざわざ九州にまで出向き、その時もポリャンスキーが手兵でない九州交響楽団を使いこなしてすごい音を出しているのに唖然とした。この時のチャイコの交響曲第1番は、今でも私の頭の中で一つのスタンダードとなっていると共に、この指揮者の表現の幅広さに圧倒された。
その後、コロナでの来日中止などもあり、コロナ明けの2023年の来日時には九州に出向いて圧巻のシェエラザードを堪能した。
2024年の来日時には大フィルのメンデルスゾーンチクルスとの日程被りがあったので泣きの涙で九州行は断念して、カーテンコールのライブ配信で後日に鑑賞、やはり只者でないということを実感した。
というように私自身がかなり入れ込んでいる指揮者であり、彼が九州交響楽団よりも技量的にかなり勝るN響を指揮するとなると、どういう演奏をするだろうかと期待は高まるところである。そういうわけなので事前にチケットを手配して万全の体制で当日に備えていたのである。
会場は姫路といえば今はここしかないというアクリエひめじ。今まで何度も来ているホールである。昼過ぎに家を出て車で現地に駆け付けるが、まだ開場前だというのに既に駐車場には大量の車が。以前から思っていたが姫路市民は何でいつもこう行動が早いのだろう。とりあえず車を止めるとホールへ移動。階下でしばし時間をつぶしてから開場したホールへ入場する。

もう既に駐車場からして異常に車が多かったが、どうやら今回の公演はチケット完売の模様。当然ながら場内は大入り満員である。まあ私以外のほとんどはポリャンスキーについてはほとんど知らず、N響人気でやってきているのだろうと思うが。

NHK交響楽団 姫路特別演奏会

ヴァレリー・ポリャンスキー(指揮)
エヴァ・ゲヴォルギヤン(ピアノ)
NHK交響楽団(管弦楽)
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
チャイコフスキー/交響曲 第5番 ホ短調 作品64
一曲目は超有名なチャイコのピアノ協奏曲。ソリストは何となくエヴァンゲリオンを連想するような名のロシアの若手美人ピアニストである。
もう冒頭の金管の最初の一音で「あっ、ポリャンスキー節だ!」という声が出そうになる。ポリャンスキーが指揮をするとオケの音色自体が根本的に変化するが、それがN響でも起こっていることが感じられる。ただしこの後ピアノが登場するとゲヴォルギヤンの強烈な演奏に曲は完全にそっちに持っていかれたような感じになる。
ゲヴォルギヤンの演奏はまず圧倒されるのはその力強さ。とにかく鍵盤と格闘と言うかまさに叩き付けるようなタッチの強さがある。一体この美女のどこにこんなパワーがと唖然とするぐらいにとにかく力強い。また表現の幅も広く、単に力強くガンガンと弾くだけでなく、弱音との対比とか音楽表現が実に濃厚である。そのためにピアノがかなり強烈に前に出てきて、音楽そのものの印象も支配する感がある。
ただかなり技術が高いのが逆に災いしてか、放っておくと早弾きになる傾向がまま見られる。また独自のリズムというか、表現力が高いが故に独自の細かい溜があるなど揺れの比較的多い演奏。それ故に細かく聞いていくとバックのオケと微妙なずれが出ることが時々あり、いわゆる演歌的な演奏である。
一方のポリャンスキーはというと、そのような変化の激しいソリストに敢えて無理に合わそうとするでなく、オケに対してはとにかくゆったりという指示を出して、走りそうになるソリストをけん制している向きが見られた。ある意味で若手ソリストを掌の上で転がす巨匠対応ともいえる。
結果としてギリギリの緊張感のある一種独特の音楽が展開した。ただ両者ともにいわゆるロシア色はかなり濃厚である。終始一貫ロシア風情を強烈に感じさせる演奏となったのである。
ソリストアンコールはチャイコのくるみ割り人形から行進曲だったが、バックのオケの制約の外れたゲヴォルギヤンがまたすごかった。その抜群のテクニック音楽性を炸裂させて、別の曲に聞こえそうなぐらいの独自性の強いくるみ割り人形であった。ある種圧巻であるのだが、これを良しとするかダメとするかは好みが分かれるところだろう。私としてはありではあると思うが、これが続くといささか胃がもたれそう。
休憩を経ての後半はいよいよポリャンスキーによるチャイコの5番。ポリャンスキーのこの曲の演奏については今まで複数回聞いているが、基本的にはしっかりと歌わせるというのがポリャンスキーのアプローチで、今回もそれは踏襲している。やはり彼の中で確固たるチャイコ像が確立しているのだろう。
ただ流石にN響の実力の高さもあって、ここで展開したポリャンスキーワールドはまたすごかった。第一楽章からしっとりと情感豊かに鳴る弦が極めて魅力的。ポリャンスキーは爆演型指揮者のように思われることが多いが、実はピアニッシモにこそ細かい配慮をする指揮者である。そしてそれはやはりN響という実力のある演奏者を揃えたオケで見事に効果を発揮する。今回は私はこの曲はなんと美しくも切ない曲なんだろうとひしひし感じたのである。正直なところこの第一楽章で涙が出そうになった。
第二楽章の有名なホルンの長いソロも、さすがにN響の奏者は抜群の安定感で、哀愁漂うメロディを美しく奏でてくれる。かくも美しい音楽がここにとこれまた感動をさらに呼ぶ。
ポリャンスキーの音楽は基本的に極めて重厚でありながら、それでいて美しさを常に秘めているというもの。そのスタンスは最終楽章まで一貫して続く。そして美しい中にピンと張り詰める緊張感がポリャンスキーならではのもの。所々で入る細かい強弱の変化やテンポの変化が曲に表情をつけるのだが、それをポリャンスキーの意図通りにしっかりと現すのはさすがにN響である。N響の技量とポリャンスキーの音楽性が相まってきわめて高次の音楽が展開している。ポリャンスキーは「公務員オケ」などとも呼ばれて上手いが情緒に欠けるなどとも言われるN響に対してそれを補うことで、N響が実に見事な音色を出していることに驚かされる。
そしてクライマックス。堂々の勝利のファンファーレを奏でて、勇壮かつ美しく音楽は終了する。もう感動の嵐である。さすがにポリャンスキー、今回も私の期待を裏切ることが全くなかった。場所がらブラボーの声が飛び交うことはないが、場内もなかなかの盛り上がりである。
アンコールがエフゲニー・オネーギンからポロネーズであった。これはポリャンスキーがしっかりとアクセントをつけた美しくも情感豊かな演奏。これもまさに圧巻。最後まで圧倒されっぱなしであった。
結局は最後までさすがにポリャンスキーはただ者ではないということを思わせ続けられる公演であった。私の中のポリャンスキー伝説に新たな1ページというところか。やっぱり私の見込みに間違いはなかったようである。
なお今年12月にポリャンスキーはまた来日して九州交響楽団を振る予定なのだが、これについては残念ながら今の私は周辺環境の急激な悪化から財政的に九州までの交通費を用意できる見込みがなく、残念ながら泣きの涙で見送りである(金銭的問題だけでなく、公演が平日の木曜日なので最低でも1日、余裕を持てば2日休暇を取る必要があるということもさらにハードルを上げている)。有料ライブ配信でもあったらと思ったのだが、残念ながら今のところはその予定はなさそう。今からでも検討願いたいところ。
また前々から思っているのが、ポリャンスキー指揮の大フィルの公演を聞いてみたいというもの。大フィルは以前から指揮者が変わると音色が一変することがよくある。ポリャンスキーが指揮すると、今までの大フィルとは全く異なるロシアの音が出てくる可能性があるのだが、是非ともそれを聞いてみたいと思っている。以前から定期会員の更新のたびに「ポリャンスキーの演奏を聴きたい」と要望を上げているのだが、これもまだ実現していないことの一つ。