徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

大阪フィルも無観客ライブ配信をするとのこと

 いよいよもって収拾がつかなくなってきたコロナであるが、案の定当初予定の16日では終息の目処が立たず、急に後10日ほどの自粛を云々(安倍語でデンデン)言い出した。これを受けて19,20というギリギリの日程で開催予定だった大阪フィルの定期演奏会がぶっ飛んでしまうことになったようだ。

www.osaka-phil.com

 大阪フィルの公式アナウンスでは19日に無観客公演を行って、それをインターネットで無料配信するとの話。詳細はまだ未定とのこと。既にこの週末のコンサートは大分前に全滅していたが、いよいよ影響がその次の週に及び始めた。こうなると次に動向が注目されるのはその翌週の京都市交響楽団ということになる。

 それにしても社会を大混乱させる措置を行ったものの、予想通り一旦こうなってしまったらそれを終わらせる時期を決められなくなってしまった。このまま行けば短くても月末ぐらいまでズルズルと延長される気配が濃厚だが、その前に日本経済がもたないだろう。もう既に倒産する企業も出てきているという。相次ぐ公演中止でクラシック界だけでなく音楽業界全体が大ダメージを蒙っており、ギリギリ無理しても3月一杯がデッドラインだとの声が出ている。

 にもかかわらず相変わらず現政権は利権ばかりを最優先して、国民すべてを犠牲にしてオリンピック利権の死守に必死である。オリンピックどころか、そんな予算があるのならコロナ関係で被害を受けているところに配分するべきである。また安倍に巨額の献金をしているパチンコ業界に対しては未だに自粛さえ呼びかけない状態。この政権こそが今の日本が抱えている最大の病巣というしかない。人間、病気になると体の悪いところが分かると言うが、日本もコロナという病気になって一番悪いところがどこか明らかになったようである。

東響のライブ配信に向けてPC用のスピーカーシステムを一新した

 先日、AmazonでポチッとしたPC用のスピーカーが到着したので早速セットアップ。以前はRolandの安物のアンプ内蔵型スピーカーを使用していたのでとにかく音が貧弱だったが、まあPC用ということで仕方なしに間に合わせていたのだが、先日東響のライブ配信を聞いた時に、さすがにこのスピーカーシステムではニコニコ動画でもツラいと痛感したことから急遽調達。

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私のPCシステム(before)

 今回購入したのはFOSTEXのかんすぴシステムP802-S。アンプは以前に購入したLepai デジタルアンプ LP-2020Aが余っていたのでそれを使用することを前提にして、あえてアンプ内蔵ではない単体のスピーカーを選択することにした。

今回購入したスピーカー(画像クリックでAmazonに飛びます)
アンプは後継機に代わっているようです。

 

 

  私もかつてはオーディオマニアとして、アンプには20万円近く、スピーカーは1本5万円クラスという当時の一般マニアの間ではミドルクラスと言われるレベルのシステムを揃えていたこともあった。ちなみにFOSTEXはその頃に自作スピーカーのユニットでお世話になったメーカーでもある(当時作ったテレビ用スピーカーが実は今でも単なるテレビ台として健在)。当時の私は長岡鉄男氏の自作スピーカーの本がバイブルだった(笑)。スピーカー自作だけでなく、スピーカーに鉛を載せたり、ケーブルを変更して音の変化をチェックしたり、アナログプレーヤーなんかもかなり改造をしていたりなど、予算の不足している分は技術でカバーしようというタイプのマニアであった。

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私のPCシステム(after)

 しかし今はアンプは老朽化で退役、スピーカーはエッジを張り替えてまだ一応現役ではあるが、音楽生活がライブ中心に変化したことで、滅多に鳴らすこともなくなってしまった。その上に私自身の耳も老化のせいでモスキート音なんて全く聞こえないぐらいに腐ってしまっている(若い頃は、可聴帯の上限とされていた20KHz以上の音も聞こえていたので、CDの音の悪さには辟易していた)。というわけで、現在の私はオーディオの灯を入れることも滅多になくなってしまっている。

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2本で1万円のスピーカー

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数千円のアンプ

 そのような経歴のある私からすると、数千円のアンプに2本で1万円のスピーカーでこれだけの音が出ると言うのは笑うしかないというところ。2wayスピーカーになったことで、明らかに以前のシステムよりはレンジは広がっている。特にこのアンプは以前に液晶テレビ導入に伴ってうちのAVシステムを更新した時に間に合わせに導入したアンプだが、その時に意外にスピーカーをドライブするので感心していたのだが、今回も十分にスピーカーをドライブしてくれている。かなりCPの高いアンプである。

 さすがにCDをスピーカーに向き合って聴く気にはならないが、日常的にPCのサウンドを鳴らしたり、BGM的に使用するにはもう十二分だろう。とりあえず3/14の東響のライブ配信はこのシステムで臨むことにする。

tokyosymphony.jp

 

東京交響楽団のライブ配信を見る

東京交響楽団も無観客公演ライブ配信を実施

 昨日はびわ湖ホールの「神々の黄昏」のストリーミング配信を見たが、今日は東京交響楽団がニコニコ動画で行ったコンサートのライブ配信を聞く事にした。これもびわ湖ホールと同様に安倍の「コロナ対策やってるポーズ」のためのコンサート禁止令の影響である。

tokyosymphony.jp

 ところでこの配信の開始の前にびわ湖ホールの「神々の黄昏(2日目)」も少し見てみたが、昨日よりはブリュンヒルデのたくましさ(声の面で)が目立つという印象を受けた。昨日のブリュンヒルデのミュターは見た目は逞しい(笑)が、ソプラノのせいかやや声にはか細さを感じる部分もあったのだが、今日の池田はメゾソプラノのせいか声に野太さを感じさせる。

 東京交響楽団のコンサートは午後2時から。ミューザ川崎からの中継。こちらの放送は複数カメラを切り替える映像と固定カメラの映像の2タイプを選べるようになっている。私としては固定カメラの方が落ち着く。

 

東京交響楽団 名曲全集第155回

指揮:大友直人
ピアノ:黒沼香恋(ミューザ・ソリスト・オーディション2017合格者)
オルガン:大木麻理(ミューザ川崎シンフォニーホールオルガニスト)

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」

 ドビュッシーはかなり色彩的な曲であるが、それを大友は実にキラキラと表現した。オケの演奏にも各楽器のソロになかなかの冴えが感じられる。弦の滑らかさも十分で、ドビュッシーの演奏としては成功していると感じる。

 二曲目のラヴェルのピアノ協奏曲は、いかにもラヴェルらしいジャズ的要素を感じさせる非常に軽妙な曲。黒沼のピアノも実に軽やかである。軽快でアクロバチックに駆け抜けたという印象。

 メインがサン=サーンスであるが、大友はやや速めのテンポでキビキビしたリズムを刻んでくる演奏。ところどころ細かい仕掛けはあるものの、大友らしい比較的オーソドックスでてらいのない演奏でもある。この曲は指揮者によってはもろに情感が表に出る演奏もあるのであるが、大友の演奏はその辺りにはクールさを感じる。

 総じての印象としては大友らしいお洒落さを感じさせる演奏というところだろうか。パトスが先行するタイプではなく、その辺りのバランスは品良くまとめたところがある。

 

 時折映る空っぽの客席が悲しさを感じさせた。また拍手が皆無の中でのソリストアンコールというのも奇妙な印象を受ける。どうしてもいろいろな点で「異常さ」が際立ってしまう。オケもかなりやりにくかったろう。

 安倍の意味不明のお達しの影響による窮余の策であるが、しかしやはりPCでの視聴となると音の悪さは致命的となる。オペラなどの場合は演劇的要素のおかげでビジュアル刺激によって音の悪さを誤魔化せる部分があるが、オケコンサートのように純粋に音が中心となる場合にはやはり音の悪さはツラい。何よりもショボい音で聞くパイプオルガンの音色というのは決定的に情けない。いつまでこんな異常事態が続くのかと溜息が出るところである。

 東京交響楽団では3/14のコンサートもライブ配信するようである。実のところ私はPCのあまりの音の悪さに嫌気がさしてきたので、とうとうPC用のスピーカーをAmazonでポチッとしてしまった(小型のデジタルアンプは既に所有)。これも余計な出費というやつである。まあ今は中止になったコンサートのチケットの払い戻しが諸々あるので、その代金を回しておく事にする。

Amazonでこれをポチッとしてしまった
(画像クリックでAmazonに飛びます)

 ところでコンサートその他は徹底的に敵視されているが、狭いホールに多人数を押し込めてのパチンコ屋に規制をかけようという様子は微塵もない。あれこそ経済に与える影響を考えた時に一切の悪影響がないのだから(博打が規制されたところで表の経済は何も困らない)、本来は真っ先に規制されるべきものだろう。それにも関わらず規制の動きさえ一切存在しないのは、日頃からの政治家への献金の額というのが覿面に反映しているのだろう。何しろ今の政権は利権中心にしか物事を考えないのだから。

 

びわ湖ホールオペラ「神々の黄昏」のストリーミング配信を見る

苦肉の策の無観客公演

 今日の午後1時からYouTubeで配信されたびわ湖ホールの「神々の黄昏」を見た。午後1時から2回の休憩を挟んで7時前までというなかなかハードな上映である。

 これは本来は今日と明日に上演されるはずの企画でびわ湖ホールが4年がかりで実行したプロジェクトの締めである。しかしここに来て安倍の「コロナ対策やってるふり」のライブ禁止令のせいで上演ができなくなり、無観客上演でライブ配信した次第。やはりこれだけの企画を尻切れトンボにするわけにもいかないからの苦肉の策だろう。

 この企画は大人気で、今回のチケットも完全に売り切れていたらしいから(私もチケットを確保していた)、びわ湖ホールにしたら大損害である(当然のように世の中の大損害に対しては安倍はびた一文保証しないどころか、この期に及んでもまだ自分の利権だけは確保しようとしている)。今回の上演は収録して、後日DVDとして発売するとの事。恐らくライブビューイングもいずれするだろうと予測する。なるべく少しでも回収するべく必死だろう。

 さて配信の方だが、私が見た時に視聴者は1万人以上はいた。びわ湖ホールは2000人弱のホールだから、明らかにチケット購入客以外の多数が注目して配信を見たという事になる。これが今後のファン層の裾野を広げる事に貢献すれば、少しはびわ湖ホールも今回の決断の意味が出るところだろうが、どうなるやら。

 

 

ユーチューブであるが故の限界も

 ただ肝心の配信の方は、YouTubeだけにどうしても画質はかなり悪いし、音の方も悪い。しかも我が家ではPCで視聴するしかないのでさらに画質、音質共にショボくなる。一応、途中で音声が途切れるというような事はほとんどなかったが(終盤で2回ほど音声が一瞬途切れた場面がある)、映像は明らかに一瞬止まった事は多数(止まりこそしないもののブロックノイズは常に)。一応うちは光ケーブルなんだが・・・。

 予想通り映像は引き目の固定カメラでステージ全体を写すというアングル。実際に劇場に見に行っているのと同じような映像で、私的にはMETライブビューイングのような出演者のアップに次々切り替えていく映画的な映像よりも、歌手と音声の位置が合致するので落ち着いて見られた印象。ただやはりロングだけだと細かい部分が見えないので、メイン画面はロングで固定した上で、画面上部にサブ画面を作って出演者のアップも欲しかったと思える。私は以前からMETライブビューイングに関しても、メインロング映像+サブアップ映像の構成にするべきと提案(?)しているのだが、残念ながら未だに採用されない(笑)。

 なおドイツ語上演字幕なしなので、ドイツ語が全く出来ない(大学時代の第二外国語にドイツ語を選択したにもかかわらず)私には内容がチンプンカンプンになってしまう。そこで利用したのがオペラ対訳プロジェクトのページ(https://w.atwiki.jp/oper/)。ここの原詩と訳詞をサブディスプレイに表示させ、歌を追っかけながら読んでいた次第。おかげでメイン画面とサブ画面を行ったり来たりで目は疲れたが、内容はキチンと把握する事が出来た。ちなみに第三幕冒頭にチラッと横に字幕があるのが映ったのだが、字幕表示器を置いた状態で上演してたのか? それだったらもう少しだけ画面を引いたら字幕も写せたのに、なぜかあえてそれを避けたのか? やはり後で発売される「字幕入り」のDVDを売るためか。

 で、とりあえず内容の感想の方を。

 

 

びわ湖ホールプロデュースオペラ ワーグナー「神々の黄昏」

指揮:沼尻竜典
演出:ミヒャエル・ハンペ
美術・衣裳:ヘニング・フォン・ギールケ

ジークフリート:クリスティアン・フランツ
ブリュンヒルデ:ステファニー・ミュター
アルベリヒ:志村文彦
グンター:石野繁生
ハーゲン:妻屋秀和
グートルーネ:安藤赴美子
ワルトラウテ:谷口睦美
ヴォークリンデ:吉川日奈子
ヴェルグンデ:杉山由紀
フロスヒルデ:小林紗季子
第一のノルン:竹本節子
第二のノルン:金子美香
第三のノルン:髙橋絵里

管弦楽:京都市交響楽団
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
新国立劇場合唱団

 びわ湖ホールの4年がかりの大型企画ニーベルングの指輪のいよいよ完結編。世界中を振り回す事になった指輪事件の大ラスと、英雄ジークフリートや神々の終末が描かれるという壮大なストーリーである。

 演出は今までびわ湖リング同様に映像を多用したものになっている。ラストのヴァルハラの炎上などは全部この映像を使用した演出によって片付けてしまった。予算に制約のある中ではこういう方法しか仕方ないところであろう。

 今回はここまで狂言回しだったヴォータンは城に引きこもりで全く出てこないので、ジークフリートが中心の話となる。英雄ジークフリートが奸計にはまって命を落とし、その死が天界をも巻き込んだ大破滅につながる顛末が描かれる事になる。前作の「ジークフリート」では確かに腕っ節は半端なく強いが、いささかうぬぼれが強くて基本的にはお馬鹿なキャラであるジークフリートであるが、本作でもその脳天気ぶりとうぬぼれは相変わらずで、それによって命を落とす事につながってしまう。基本的に馬鹿と悪人ばかりで、善人は見当たらないというワーグナー的な「嫌な」世界である。

 ジークフリートとブリュンヒルデという主役を除くと、重要人物は陰謀家のハーゲンになるが、これを演じた妻屋が抜群の安定感と存在感の歌唱で舞台全体を引き締めていた。これに絡むグンターの石野もなかなかに見せた。

 お馬鹿なジークフリートのフランツはなかなかに余裕を感じさせる歌いっぷりであった。自信に満ちているものの軽さと危うさが同居しているジークフリートのキャラクターを上手く表現できていたように感じられた。また色惚けブリュンヒルデを演じたミュターは若干の線の細さを感じさせる部分がないわけでもなかったが、概ね過不足のない表現をしていたように思われた。

 管弦楽は京都市交響楽団だけあって安定性はある。ドラマチックな作品をドラマチックな演奏で盛り上げた。少なくともPCを通して見た感じでは大スペクタクルミュージックになっているように思われた。

 それにしても無観客上演という出演者としてはテンションを保つ事が困難な状況は大変であったろうと思われる。このような中で今回の上演にこぎ着けた関係者の努力には敬意を表したい。

 

 

 ただやはり、一幕が終わったところでも場内が静まりかえっているというのは何か切なさを感じさせるものがあった。特にツラいのは観客なしでのカーテンコールの虚しさ。出来る事ならこんな異常な形でなく、通常の上演を行いたかったであろうし、私もそういう状況で上演を見たかったところである。これだけの企画はなかなか再び行う事は困難と思われるので、下手すればこの作品を舞台で見る事は私には一生ないかも知れない。

 なお明日3/8も同じ時刻でメンバーが交代して中継があるようである。ただ私はさすがにPCに6時間張り付きというのはかなり疲れたので、明日の上演は恐らくパスすることになると思う。

 

 

びわ湖ホールが「神々の黄昏」の無観客公演をYouTubeでストリーミング配信するとか

 びわ湖ホールから先ほど中止となった「神々の黄昏」の公演を無観客で上演してYouTubeで配信する旨のアナウンスがあった。

www.biwako-hall.or.jp

 もっともドイツ語上演字幕なしなので、内容を知らない者(私がそうです)にはチンプンカンプンになるだろうと思われる。また生で複数カメラを切り替えるなんて技術があるとも思えないので、恐らくやや遠目の固定カメラになるのではと思っている。

 なお後日複数カメラ映像を編集して字幕を入れたDVDを作成して販売するとのこと。しかし何しろ急遽の事で機材等をどの程度手配できたのか怪しいので、画質・音質等には期待できないであろうとの予想をしている。そもそも今時BDでなくてDVDって・・・。それだけで推測がつきそうに思える。

 DVDの発売だけでなく、恐らく延期になっているMETライブビューイングに合わせて、びわ湖ホールの公演もライブビューイングを行うのではと推測しているが、その時にMETに比べていろいろな面で劣りまくっているのが明確にということにならなければ良いが。

 

びわ湖ホールから唐突にパンフが送られてきた

 安倍の場当たり的な「コロナ対策やってますアピール」の思いつきで、日本中のオリンピック関連と政治家の資金集めパーティー以外のイベントがことごとく中止を余儀なくされているが、その煽りを食ってびわ湖ホールで開催予定だった沼尻オペラの「神々の黄昏」も中止されることになってしまった。

 今日おもむろにびわ湖ホールからパンフレットが送られてきた。多分、もう既に作っていたものの上演中止で捨てるぐらいならとチケット購入者に送ってきたのだろう。チケット払い戻しのための申込書も同封してある。なお向こうも対応にドタバタしているのか、なぜか私のところには同じものが2通も送られてきた。

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パンフを見てると悲しくなってくる

 ワーグナーの指輪を4年がかりで上演するという大型企画だったのだが、よりによって最終夜が中止とは痛恨の極み。コロナ騒ぎが落ち着いた秋頃にでも上演することは不可能なのだろうか? このまま終わりではあまりに尻切れトンボ感が強くて締まらない。大型企画だけに再セッティングというのが容易ではないことは想像つくが、このまま終わりという形にはしてもらいたくないところ。

 なお、今回の上演の前の復習及び前座企画としてMETライブビューイングでの指輪の上映も行われていたのだが、こちらも「ラインの黄金」以降は延期とのお達し。延期とは言っているものの、いつ上映が行われるかも全く未定なので、結局はこっちも払い戻しになるようだ。これは下手したらこれを見て上演されなかった「神々の黄昏」を想像してねという話になりそう。

 それにしてもびわ湖ホールは、開館記念20周年記念のマーラーの千人の交響曲の時も、台風の直撃を受けてゲネプロを本番に繰り上げるなんてドタバタもあったし、なんか呪われてるのか?

 

METライブビューイング「ヴォツェック」を見てから早々に帰宅する

 翌朝は7時半に目が覚める。大抵は朝に近くの部屋がドタバタし始めるので目が覚めるのだが、今日は朝からほとんど物音がないので、外が明るくなってきたことで目が覚めた。

 昨日買い求めたパンを軽く腹に入れるとテレビを付ける。社会は大混乱だが、どうやらメディアを総動員して「非常事態だから仕方ない」という印象操作をしようと必死のようだ。実際のところは非常事態になったのは1から10まで安倍の無策のせいなのだが。多分この男は今まで、何か都合が悪いことが起こったらヒステリーを起こして「知らない!知らない!自分の責任じゃない!」と叫んでいたら回りが忖度しまくってどうにかしてくれたのだろう。実際にモリカケのようなとんでもない犯罪でもそうやって逃げおおせてしまった。だから今回のコロナについても「そんなもの認めたらオリンピックが出来ない!」となかったことにしていたのだが、残念なことにコロナウイルスは全く忖度してくれなかったためにパニックになり、慌ててドタバタと思いつきで動いたというところのようだ。ただ悲しいかな社会常識というのが根本的に欠けているため、打ち出した方針がことごとく的外れで、日本中を混乱させただけというわけだ。

 本当にこんな馬鹿やトランプのような頭のおかしな奴に日本や世界を滅茶苦茶にさせるぐらいなら、私が世界征服して絶対的独裁者として支配した方が人類にとっては幸福なのではないかと思えてくる。しかもこんな奴らが選挙で選ばれているというのが救いがたい。人類はどこまで底なしに馬鹿なんだという絶望的な思いにとらわれそうになる。「愚かな人間共よ」という定番台詞が素で出てきそうになる。マジでショッカーでも結成したくなってきた。現実問題として、私は自身が有能な政治家としての資質を持っているとは感じないが、少なくとも安倍のような嘘つきで卑怯者ではないと思っている。

 

 

 今日の大阪ステーションシティシネマのMETライブビューイングをネットで予約すると、10時前にはチェックアウトして劇場に向かう。大阪駅に到着するとルクアの地下2階の「えん」で朝食を摂ってから劇場へ。安倍の場当たり政策の影響は映画館にも跳ね返っているようで、ステーションシティシネマもガラガラの状況である。経済にかなりの悪影響もありそうだが、安倍にしたら自身の消費税増税という失策による景気後退を全部コロナのせいに出来るから万々歳なんだろう。

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ルクア地下二階の「えん」

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朝から鯛茶漬け

 

 

METライブビューイング ベルク「ヴォツェック」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:ウィリアム・ケントリッジ
出演:ペーター・マッテイ、エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー、クリストファー・ヴェントリス 、ゲルハルド・ジーゲル、クリスチャン・ヴァン・ホーン

 先週のアクナーテンに続いて問題作登場という印象である。音楽的にはアクナーテンよりも現代音楽色が強く、正直なところ私の好きなタイプではない。メロディラインがないので歌手には大変だろう。オケと合わせるだけでも相当に大変だと思われる。ただそれだけ大変な思いをしても、音楽的に感動につながるかというところが甚だ疑問ではある。

 ストーリーは貧乏兵士の妻が貧乏暮らしに疲れて浮気をし、それに気付いた夫が半ば錯乱の状態で妻を殺害、そして自らも水死するという全く以て何の救いもない話。これは第一次大戦に従軍して、戦場の理不尽さと残酷さを体験したベルクがそれを表現した作品らしい。いかにも現代音楽(と言うよりも20世紀音楽なんだろうが)に合わせて、おどろおどろしい演出の舞台が繰り広げられる。

 救いなのは上演時間が90分程度と短いところ。実際のところ演じ手の集中力もそのぐらいが限界だと思われるし、観客の方もこれ以上長くなるとツラい。演じる方も見る方もそれだけ負担のある作品である。

 

 

 本来はこの後に大阪歴史博物館に寄りたかったのだが、どうやら安倍のお達しで休館中とのこと。大して観客の来ない博物館が閉館することがどれだけコロナの感染予防につながるのかは甚だ疑問であるが、公立のところはとにかくお上の意向を「忖度」することが必須のようである。

 仕方ないので「美々卯」で昼食を摂ってから帰宅することにする。相変わらず美々卯のうどんは高くて美味いが、ここも昼時にもかかわらず通常の週末だと考えられないぐらいに客が少ない。

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美々卯もガラガラでした

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うどんの定食を頂く

 昼食後に帰宅したが、帰宅後の買い物ではどこにもティッシュとトイレットペーパーが置いていないという状況に散々振り回されることになるのである。朝のニュースでそういうことが起こり始めているということは聞いていたが、ここまで露骨にデマで踊るとは、日本人に対する失望感ばかりがこみ上げてくる。こんな国民だからこそ、あんな男が総理としてふんぞり返ることが出来るのか。つくづく国民の生活を破壊するだけの総理はいらない。

 

 

コロナ騒ぎの中、関西フィル第307回定期演奏会に出かける

 自身の無策でコロナを蔓延させてしまって、このままでは自分やお友達の利権満載のオリンピックが開催できなくなるとパニクった安倍の意味不明のイベント禁止命令のせいで、日本中が大混乱である。昨日辺りまでは関西は比較的冷静だったのだが、東京の方で官邸の圧力によってオリンピック関連以外のあらゆるイベントが中止を余儀なくされる中、関西でも右にならえで一斉にイベントの中止が決定された。私に関係のあるところでも、2/29のエーテボリ交響楽団が中止、3/1のびわ湖ホールでのMETライブビューイングが延期、3/7のワシントンナショナル交響楽団が中止、3/8のびわ湖ホールでの「神々の黄昏」が中止と予定が滅茶苦茶である。とりあえず安倍は2週間後に「適切な対策のおかげでコロナは終息した」と根拠のない安全宣言を出してオリンピック開催に持っていこうと考えていると思われる。この社会的混乱は謂わばそのためのアリバイ作りであるのは明白である。実際にこの間に患者数が増えないよう、検査を極力受けさせないように政府が全力で妨害をしているとか。

 

 そんな中、今日の関西フィルの定期演奏会は開催するという果断な決断。多分指揮者もソリストももう来日していてリハーサルも終わっているので、ここで中止にすると関西フィルは甚大な損害を被ることになる(ギャラは払わないわけにはいかないだろう)。それでなくても既に関西フィルは依頼公演がいくつか吹っ飛んで財政的ダメージを受けていると思われることから、これ以上の財政的ダメージは許容できないという判断だろう。そこで私の方も「開催されるなら当然出かける」という判断で出向くことにした。

 仕事を早めに終えてからJRで移動するが、心なしか乗客の数が少ない気がする。大阪に到着するとホールに向かうがその途中で「やまがそば」で夕食に「そば定食」を摂る。

 

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福島のやまがそば

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そば定食

夕食を終えるとホールに到着する。観客は来ているが、やはり明らかに数が少ない。ザッと見たところ入りは6割程度か。特に会員席に空席が目立つ。やはり会員には高齢者も多いし、コロナを警戒しているのだろう。また今日のプログラムが結構地味プログラムということも影響はあるように感じる。

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第307回定期演奏会

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[指揮]ゴロー・ベルク
[ピアノ]ダナエ・デルケン

シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ op.52
クララ・シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 op.7
ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 op.98

 ベルクはなかなかにガンガンと鳴らさせるタイプの指揮者のようである。一曲目はいかにもシューマンというロマンティックさのある曲だが、これを管楽器を中心にガンガンと鳴らしてくる。

 二曲目は嫁シューマンことクララの曲であるが、いかにも女性らしい優美さを感じさせる曲。それに対してデルケンの演奏は実にロマンティックである。旋律を謳わせる部分がかなりある甘い演奏。特に彼女の演奏はアンコール曲(実は知らない曲だったのだが、曲目をチェックしてくるのを忘れてしまった)で更なる真価を発揮していた。甘く優美な演奏である。

 三曲目は関西フィルの真価が発揮されやすい弦楽セクションが美しく響く曲なのだが、ベルクはこの曲もやはり基本姿勢はガンガン鳴らしてくるというもの。これはこれでロマンティックな演奏ではある。彼はかなりノリで振ってくるところがあることも感じたのであるが、ただその演奏タイプが関西フィルのカラーとマッチしているかどうかに若干の疑問があった。関西フィルは12編成で大音量オケではないのに、やや煽りすぎの感があるので弦楽がヒステリックに聞こえる場面もあったし、管が割れて聞こえる場面も多々あった。悪いタイプの演奏ではないのだが、相性の問題を少し感じたのである。


 コンサートを終えると新今宮に移動する。実は明日は大阪でMETライブビューイングを見る予定。そもそもの予定はその後にエーテボリ交響楽団のコンサートがあり、日曜はびわ湖ホールでMETライブビューイングを見るはずだったので、ホテルは2泊を予約していた。しかし急遽明日の1泊はキャンセル、さらには来週の宿泊も全面キャンセルである。ホテルの方も客が少ないようで、特にいつも大量に見かける外国人観光客の姿があからさまになくなっていた。さらにそれに輪をかけて日本人もいない。この事態が長く続けばホテルの経営も怪しくなりそうだ。喧しい外国人がいなくなるのは個人的には有り難いが、社会全体としてはそういうわけにもいかないだろう。

 この日は疲れていることもあり、途中で買い込んだ夜食を腹に入れると間もなく就寝したのである。

 

福田美術館の美人画展に立ち寄ってから、METライブビューイングで「ラインの黄金」を鑑賞

 翌朝は6時過ぎぐらいに勝手に目が覚める。とりあえず昨晩放送の食の起源をタブレットで倍速再生して要点をまとめておくと、朝シャワーで目を覚ます。

 朝食はレストランでバイキング。特に品数が多いわけでもないが、それなりに食べられる内容。

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朝食バイキング

 ホテルを9時前にチェックアウトすると直ちに移動する。今日は13時からびわ湖ホールでMETライブビューイングだが、その前に嵐山の福田美術館に立ち寄るつもり。福田美術館は10時開館なのでそれに合わせて行動する。

 

 

山陰線で嵐山に向かう

 JR京都駅に到着すると山陰線ホームへ。キャリーは途中のコインロッカーに放り込む。ここには結構多くのロッカーがあるのだが、改札内で使いにくいのかこの時間でもほとんどが空いている。帰りに京都駅に立ち寄る場合ならここのロッカーを使う手がありそうだが、そもそも京都日帰りの時にはキャリーは持ってこないし、泊まりの時は駅にキャリーを置いておくわけには行かないし、確かに使いにくい。

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山陰線ホーム手前はコインロッカーが多い

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山陰線ホーム

 その内に折り返しの山陰線列車が到着。乗り込む客はかなり多い。列車は京都市街の西の縁を回りながら嵯峨嵐山駅へ。ここで大量下車。駅は大混雑である。嵐山は大体10時頃に目を覚ますので、それに合わせてやって来た者が少なくないと見える。なお隣にはトロッコ列車のトロッコ嵯峨駅があるが、トロッコ列車は3月まで運休中らしい。

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嵯峨嵐山駅では大量の降車

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嵯峨嵐山駅

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トロッコ列車

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トロッコ嵐山駅

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3月までは運休だそうな

 福田美術館までは10分ちょっと。ゾロゾロと移動する人混みについていく感じ。ようやく美術館に到着したのは開館直後だが、もう既に窓口に行列が。相変わらず窓口の対応が雅に過ぎる(一体一人の客にどれだけ時間を要してるんだ)。

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到着時には既に窓口はこれ

 

 

「美人のすべて~初公開、松園の「雪女」」福田美術館で3/8まで

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 上村松園の作品を中心として美人画の秀作を展示。松園以外にも伊藤小坡、鏑木清方などといった一流どころを揃えている。質量共に充実している。正直なところ開館記念展で松園の作品が結構展示されていたのでそれ以上の作品があるのかと疑問を持っていたのだが、どっこい結構な作品数が登場している。

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典型的な松園美人

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清楚で品がある

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松園が何度も画題にしたという静御前

 松園の作品らしく清澄で上品な美人画がズラリと並んでいる。

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やはり松園の美人画は見事

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とにかく美しいです

 ちなみに伊藤小坡及び鏑木清方の作品はことごとく撮影禁止であったが、これは著作権の絡みだろうか?(松園は没後70年ほど経っているが、伊藤小坡と鏑木清方は50年程度)

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これは池田蕉園と池田輝方夫妻の作

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そして木島桜谷の屏風作品

 なお初公開という雪女の絵も展示されていたが、印象としては雪女と言うよりも幽霊のような儚さとおどろおどろしさを感じた。なお流石に雪女と言うべきか、なぜか撮影に失敗して後で調べるとまともに写真に写っていなかった。

 

 

嵐山で昼食を摂ってから移動

 展覧会の鑑賞を終えるとびわ湖ホールまで移動しないといけないが、その前にどこかで昼食をと考える。しかし大抵の店は開店が11時からの様なので開いている店が少ない。そこで開いていた「梵梵」に入店する。注文したのは湯葉そばの定食

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開いていた梵梵に入店

 出来合のかけそばに湯葉を三切れ入れましたというような内容である。まあ観光地食堂ということか。正直、これで1500円は高い。

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明らかに観光地メニューでした

 ところで嵐山は若い女性に人気のお洒落スポットだが、こういう場所にはなぜかお洒落なだけでCPが激烈に悪い店が並ぶことになりがちなので、私にとっては鬼門である。若い女性というのはCPなんかは気にしないのだろうか? そもそもスポンサー(彼氏)付きだから金のことは考えないということか。そんな女性が家庭を持ったらCP至上主義のオバタリアンに変貌したりするのだから、つくづく女性という存在は理解の埒外にある。

 

 

 嵯峨嵐山駅に戻ってくる途中で「お肉屋さんのコロッケ」という看板に惹かれる。そう言えば私の子供の頃といえばコロッケは肉屋の定番商品であった。1つ100円とのことなので購入する。

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お肉屋さんのコロッケ

 何の変哲も工夫もないコロッケ。表面が脂でテラテラ光っているのはコクを出すのにラードでも加えているのだろう。とにかく「懐かしい」の一言に尽きる。かつて私が生まれ育った神戸の長田の下町の光景が目に浮かぶ。

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このテカリが懐かしいです

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普通のポテトコロッケだが美味い

 嵯峨嵐山から山陰線に乗るとキャリーを回収してから乗り換え。そのままびわ湖ホールへ向かう。上映は中ホールで。開場後しばらくはホール内に観客が20人足らずぐらいしかいなかったので大丈夫だろうかと心配したが、最終的には100人弱ぐらいにはなったようだ。

 

 

METライブビューイング「ラインの黄金」

指揮:ジェイムズ・レヴァイン
出演:ブリン・ターフェル、ステファニー・ブライズ
   リチャード・クロフト、エリック・オーウェンズ

 昨年ワルキューレで見た巨大な舞台装置であるマシンを使用した最初の公演らしい。舞台ではこのマシンをまさに変化自在に使用して効果を上げていた。もっともワイヤアクションがかなり多いので、演じる歌手は大変だろうと思うが。

 大がかりな舞台装置は使用しているが、演出の基本は変に奇をてらって時代の置き換えをするようなタイプではなくて、結構オーソドックス。マシンは映画的な効果を上げるのに使用していると感じられる。

 歌唱の方はさすがにMETだけあって豪華かつ万全。圧倒されるような内容である。主役である「堂々たるへたれ」のヴォータンを始め、本作のキーマンであるひねくれ者のアルベリヒ、そして狂言回し的なローゲなど、全キャラクターが存在感を主張している。

 またワーグナー作品をよく把握しているレヴァインのオケのコントロールも見事であった。つくづくセクハラ問題で彼のキャリアが終わってしまったことが勿体ない。

 なかなかに見応えのある内容であった。この辺りは流石。


 上映が終わると京阪とJRを乗り継いで帰宅する。びわ湖ホールでのイベント時は大津までの臨時バスが出ることが多いが、流石にこの程度の人数ではバスは運行しないようである。

 

 

METライブビューイング「アクナーテン」を見てから湯木美術館に立ち寄る

 翌朝は7時半に起床する。いささか体が重いので、とりあえず熱めの風呂で気合を入れる。

 目が覚めたところで近くの喫茶店に朝食を摂りに行く。今日立ち寄ったのは商店街の入口のところにある「香豆里」。しかし店に入った途端にもわっとしたたばこの煙にいぶされる。この辺りの喫茶店は場所柄喫煙可のところがほとんどなので、どうしてもその時の客によってはこういうこともある。これはたまらんなと思っていたら、まもなく喫煙者の一人が出ていったことでようやく少しマシになる。ただいつもこの調子だとしたら、3か月も通ったらCOPDで肺をやられそうだ。

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香豆里

 注文したのはミックサンドのモーニング。モーニングはサンドイッチの種類などで様々あり、トーストとゆで卵のモーニングは一番安くて400円、ミックスサンドは一番高くて580円である。なおひどい店だとエッグサンドとハムサンドを1つずつ出してミックスサンドと名乗るような店もあるが、ここのはキチンとしたミックスサンド。サンドの味自体は良い。またコーヒーも苦みの薄い私好みの味。

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味はまずまず

 朝食を終えるといったんホテルに戻って原稿入力(笑)。10時にチェックアウトすると大阪駅に向かう。METライブビューイングは大阪ステーションシネマで。しかしご時世柄かやけに映画館内に観客が少なく感じる。

 

 

METライブビューイング フィリップ・グラス「アクナーテン」

指揮:カレン・カメンセック
演出:フェリム・マクダーモット
出演:アンソニー・ロス・コスタンゾ、ジャナイ・ブリッジス、ディーセラ・ラルスドッティル

 かなりの異色作である。現代音楽ではあるが旋律のない騒音ではないのでそっちは意外と引っかからない。ただ執拗に繰り返す同じフレーズはかなり脳に突き刺さる印象。その執拗に繰り返すフレーズに乗せて、ゆっくりとしたまるで現代舞踏のような舞台が繰り広げられる。

 本作を見ただけですぐに想像つくのは、演じ手の身体的負担の大きさである。ジャグリングが重要なモチーフとして用いられているが、このジャグリングを要求されるのが本職のジャグラーだけでなくて合唱団も含めてである。しかも全編ジャグリングだらけなので、明らかなミスも何度か見られたが、それはうまく誤魔化していた。またかなりの身体的負担が求められるのはジャグリングだけでなく、歌手のゆっくりとした動きもかなりしんどいだろうと思われた。その上にまるで機械のような超高音の連発の歌唱。これは歌手は体力勝負である。

 ナレーション的な説明がところどころ入るが、出演者にはセリフがないので一種の無言劇のような趣がある。それでも何となく全体のストーリーは分かるような構成になっている。要は急進的な改革を進めたアクナーテンが、最終的には神官ら保守派の反発を受けて排除されてしまうという物語である。それをグラスは古代エジプト語やヘブライ語のフレーズを繰り返す独特の歌唱劇として展開した。これはもはやオペラと呼んでよいのかという疑問もないではないが、終始圧倒されるような舞台であったのは間違いない。

 主人公のアクナーテンを演じたカウンターテナーのアンソニー・ロス・コスタンゾを始めとして、超音波系ボイスで圧倒的世界が展開されたので、何となく頭がトリップしてしまった感覚がある。とにかく異質でありながらも惹き込まれたのは事実。かなり長丁場の作品にもかかわらず異常に集中力の高い作品だけに、体感的には長いとあまり感じなかった。またグラスの音楽に対する理解の深いカメンセックが困難な曲にかかわらずオケを見事にリードしたことも特筆すべきだろう。


 とにかく「変わった作品」というのが正直な感想だが、不思議と嫌悪感は催さなかった。私も以前に比べるとかなり許容範囲が広がったのかも(笑)。

 この後は昨日香雪美術館でポスターを見かけた湯木美術館に立ち寄ることにする。吉兆が所蔵する茶道具などを展示する美術館とのこと。美術館は淀屋橋南のオフィス街の中のビルの2階にある。

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湯木美術館

 

 

「利休イノベーションー茶道具の変革ー」湯木美術館で3/22まで

 茶の湯を変革して、侘茶の体系を確立した利休やその弟子たちに纏わる茶器類を展示。

 展示されていた長次郎作の黒茶碗などがいかにも武骨で利休好みなのだろうが、正直なところあまりに武骨に過ぎて、私などは一緒に展示されていた黒織部の軽妙さの方に惹かれる。侘茶の創始者だけあって、いかにも「渋い」のが利休の好みであるが、私のようなふざけた人間にはもう少しユーモアが欲しいか。笑える織部の方が性に合う。

 それにしても器の類には全く興味のなかった私が、いつの間にやら茶器に魅力を感じ、茶入れの曲線などに美しさを見出すようになっていた。元をたどれば「へうげもの」の影響なのであるが、漫画の効果ってつくづく侮れない。


 美術館自体は小さな展示室が1つあるだけなので、展示点数としてはあまり多くない。美術館内の落ち着いた雰囲気は良いが、入場料の700円はいささか高く感じられ、CPという身もふたもない見方をするとあまり良いとは言えない。もっとも吉兆なんかに来るような者は、こんな程度のはした金なんて意にも介さないのだろうが。

 

 

 ところでよくよく考えてみると、今日は朝にモーニングのサンドイッチを食べただけで、あとは劇場内でホットドッグをつまんだだけ。昼食を全く摂ってなかった。気が付けばガス欠寸前である。そこで通りかかった「OMATCHA SALON」「抹茶そば」を食べることにする。

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お洒落な店構え

 そば屋というわけではなくて抹茶のスイーツがメインの店のようだ。店内がガラガラだったのに、入店した途端に「席を片付けるから表で待ってくれ」と追い出されて思わずムッとする(しかもそのまましばらく放置)。この手によくあるお洒落なことだけが売りの店かと感じたが、出てきたそばは存外まとも。最初の悪印象さえなければ評価も変わるところだが、まあこの界隈に来ることは今後ほとんどあるまい。

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存外まともな抹茶そば

 

 

 これで大阪での用事は終わったので、明日に備えて京都に移動することにする。今日は京都で宿泊予定。九条の京都ユニバーサルホテルを予約している。

 阪急で烏丸まで移動すると地下鉄で九条へ。このホテルは駅から微妙に嫌な距離があるのが難点の一つ。また一階にコンビニが入居しているのは良いが、それがヤマザキ比率の異様に高いローソンなので残念ながら今一つ使えない。そこで途中でセブンに立ち寄って飲み物類と夜食を購入しておく。

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京都ユニバーサルホテル

 ホテルについて一息つくと夕食を摂りに食堂へ。このホテル、珍しいことに夕食がついておりCPとしては高いのだが、これが会社の研修施設感を強める大きな要因ともなっている。実際、今回はどこかの高校運動部と思われる団体と一緒だったし。なお夕食は可もなく不可もなくの内容だが、無性に腹が減っていたのでドカ食いしてしまった。

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今日の夕食

 夕食後は地下の大浴場で入浴。これがあるのがこのホテルの大きなメリット。なおここのホテル、マンション形式で廊下は屋外と同じなのでエレベータまでの移動が寒い。

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大浴場で入浴する

 入浴を終えるとゆったりしたところで、またもひたすら執筆作業(笑)。ホント、この調子で本業の方に精を出していたら、今頃重役は無理でも部長ぐらいにはなっていたかも(笑)。

 夜も更けてきて疲れが出てきたところで今日は就寝する。

 

 

大阪フィル第535回定期演奏会&「上方界隈、絵師済々」&「京都の若冲とゆかりの寺」

 この週末は大阪方面に大フィルのコンサートとMETのライブビューイングを聴きに行く予定。土曜日に家で朝食を摂ると出かけることにする。

 大阪に到着するとまずは今日宿泊するホテルに荷物を預けに行く。今晩宿泊するのは新今宮のホテル中央オアシス。この界隈では高級ランク(と言っても宿泊料5000円以下だが)に属するホテルである。荷物だけを預けるつもりだったが、もう部屋に入れるというので部屋に入って少し休憩することにする。

 昔はとにかくパワフルに一日中動き回った私だが、昨今はもう若くないせいか一移動一休みしないと結構しんどくなってきている。しばし部屋で「麒麟」の再放送を見ながら休息する。このドラマ、怪しい大阪商人のような松永久秀がなかなか斬新である。

 ある程度休息したところで出かけることにする。今日の大フィルの定期演奏会は15時からだが、その前にその向かいの美術館に立ち寄りたい。

 

「上方界隈、絵師済々1(後期)」中之島香雪美術館で3/15まで

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 京都の四条派を中心とする画壇と、大阪の画壇に注目した展覧会の後期。展示品を総入れ替えしての展示となる。本展の最初に登場するのは中国の絵師で長崎に2年ほど滞在した間に日本の絵師に強烈な影響を与えた沈南蘋。いかにも中国的というか、極めて精緻でカッチリと描いた硬質なタッチの絵である。滞在は短かったものの日本での人気はかなりで、後にも彼の作品は輸入されることになったという。また日本でも彼の影響を受けた南蘋派と呼ばれる流派が登場したという。次に彼の孫弟子にあたるという鶴亭の作品が登場するが、確かに精緻な作品となっている。

 一方京都の四条派の流れを汲む絵師も上方では人気であった。そんな一人が松村景文であるが、呉春の末弟で彼に絵を学んだという四条派の正統派である。しかし彼の作品のタッチはあくまで極めて軽快であり、応挙のような重さを感じさせない。面白かったのは彼と彼の弟子である横山清暉の鶴の絵が並んで展示してある(対幅になっている)のだが、景文の線があくまでのびやかで軽快であるのに対し、横山清暉の線は非常に細かくて緻密で、師匠よりも応挙の影響が垣間見えることである。

 次には大阪画壇の猿の絵師こと森狙仙が登場する。彼は猿の絵が非常に巧みだったというが、見ていると猿に限らず動物の毛並みをぼかしなども使用しながら表現するのが非常に巧みなのがよくわかる。このことから見ると、猿の絵師というよりもモフモフマニアだったのではという気がしてくる。

 前期の京都画壇に比べて、大阪画壇は町民が中心であるのが特徴。そのためか分かりやすい絵画が好まれたのか、私から見ても趣味に合致するような作品が多かった。

 なお森狙仙のモフモフ絵画を堪能したい方には以下のような展覧会が大阪歴史博物館(NHK大阪の隣である)で近日開催されるようだが、もう既にこのポスター自身に「もふもふ」と書かれているところから見ても、やはり彼の絵画から感じることは誰でも一緒ということか。

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美術館前にポスターを貼ってあった

 

 展覧会を終えると向かいのフェスティバルホールへ。新型コロナの影響がそろそろ言われ始めている時期だが、目下のところはまだ国内オケは普通にコンサートを行っているようだ。ただ今は横並びで他の状況を見極めているところだろうから、もしどこかのオケが公演中止を決定すれば、一斉に公演中止が相次ぐ危険はある。現に関西フィルなどではいくつかの依頼公演が主催者側の事情で中止されたことがアナウンスされている(関西フィルの財政に与える影響が懸念される)。なお今回も毎回行われているプレトークが中止となったのはコロナの影響ではないかと思われる。

 外来オケのキャンセルなども懸念されているが、現在のところ香港フィルが「香港でのホールが閉鎖されたためにリハーサルが出来ない」というあちら側の理由で延期になった以外は今のところキャンセルの話は聞こえてきていない。だがこれから感染爆発が起こる可能性を考えると先行きは不透明だ。それにしても日本は初期対応を完全にしくじった。国内封鎖の噂で中国から感染の可能性のある者が大量に流入してきた時に、全くのノーチェックで無制限に入国させたのが失策である。コロナが大騒ぎになって東京利権ピックの開催に影響することを恐れて、意図的にコロナなど大したことないように装おうとしたのだろう。国民の生命や財産よりも、自らの利権を最優先にする安倍政権の体質を端的に示している。なおコロナが蔓延することになればこれ幸いと、不況下での増税という明らかな政策の失敗によって招いた底なしの経済失速を、すべてコロナのせいに押し付ける気が満々のようである。例によって自らの利権と責任逃れしか考えていない。

 ホールの中も会員席などに明らかにちらほらと空席が見える。コロナの感染を恐れて外出を控えている者が少なからずいるのではと想像する。特にクラシックのファンは高齢者が多いし。

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第535回定期演奏会

指揮/秋山和慶
ヴァイオリン/辻彩奈

曲目/ハチャトゥリアン:組曲「仮面舞踏会」
   プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63
   チャイコフスキー:交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」

 一曲目はハチャトゥリアンらしく異国情調溢れる怪しげだが楽しい曲。第2曲での崔氏のヴァイオリン演奏は流石に見事である。全体的になかなかまとまっていて大フィルも良演だった。

 二曲目のプロコのコンチェルトは辻のヴァイオリン演奏の見事さに尽きるだろう。表現の幅があり、奥行きが感じられて懐の深さを感じさせる。若くして辻には早くも巨匠の雰囲気さえ漂い始めたことを感じる。

 メインの冬の日の幻想は、若きチャイコの想いを描き出すようなロマンチックな演奏。やや早めのテンポで起伏豊かに描いた第一楽章が特に印象に残る。またしっかり謳わせた第二楽章も美しかった。秋山はこの曲を後期交響曲と同じスタンスで描いていることが感じられ、そのために交響曲第1番と言うよりも、交響曲第4.5番ぐらいに聞こえてくる。実際に後期交響曲に通じるチャイコらしさというものが浮上してきていた。

 正直なところ私は秋山に対しては「あまり上手くないオケを破綻なく無難にまとめる指揮者」というイメージぐらいしか持っていなかったのであるが、これはベテランをあまりに見くびりすぎていたというものだったらしい。今回秋山が溌剌と描き出したチャイコ像はなかなかにして魅力的であった。

 それにしてもこの半年以内にこのレア曲を3回も聴くという珍しい体験をしたのだが、3人3様で全く表現が異なっているのには驚いた。この辺りの表現の自由さは、定番曲と異なりまだ解釈が定まっていないということがあるのだろうか。今後の可能性さえも感じさせる。

 

 コンサートを終えるとなんばに移動する。目的は高島屋で開催中の展覧会だが、その前に夕食を通り道のなんばの地下で摂っていくことにする。流石にこのご時世柄、私も中国人が大挙している新世界をうろつくのは抵抗がある。

 入店したのは「洋食屋とんはる」。隣に「トンカツ豚晴」という店があることを見ると、とんかつ屋の洋食部門か。「ビーフカツのセット」を注文する。

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なんば地下の洋食屋とんはる

 出てきたビーフカツはボリュームは十分。やや肉が硬い気がするが、カチカチというわけでもない。最近はレアカツなどの柔らかいカツばかりの中でむしろこれは異色に見えるが、本来はこれも正しい関西のビフカツではある。味的には満足できるものでまずまずの内容。ソースの味も悪くない。1340円という価格を考えると満足できるものだろう。

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ビフカツセット

 夕食を終えると高島屋へ。展覧会が開催されているグランドホールは7階。高島屋のクレジットカードを持っている私は入場料金が半額になる。このカード、クレジットカードとして使ったことは一度もないが、なかなかに使いでのあるカードである(笑)。

 

「京都の若冲とゆかりの寺ーいのちの輝きー」

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 細見美術館所蔵の若冲の作品に加え、若冲ゆかりの京都の寺院が収蔵する若冲作品を集めて展示してある。一般に若冲の作品と言えば緻密で鮮やかな本画のイメージが強いようであるが、本展の展示作はほとんどが墨一色でサクッと描いた軽快で楽しげな作品である。

 細見美術館収蔵品は以前に同館で開催された若冲展で見た記憶のある作品ばかりである。楽しげで笑える作品もあるが、やはり鶏の若冲などとも言われるだけあり、鶏を描いた一連の作品は、単色でサクッと描かれていても躍動感に満ちている。

 一方寺院所蔵品は実に多種多様。かなり精緻に描いている作品もあれば、これは座興として描いたのかと感じるような自由奔放な作品もある。なお虎の絵のように本画でよく似た作品を見たことがある作品もある。とにかく若冲の画業の幅は実に広い。

 最後は若冲の弟子たちの作品も併せて展示されていたが、若冲の描き方に近づこうと苦闘しながらも成功していない作品から、最早真似をすることは諦めて開き直って独自の道を進んだのではないかと思わせる鶏の屏風まで様々であり、弟子の苦悩のようなものも感じさせられたのである。

 

 展覧会鑑賞後は高島屋のレストラン街をウロウロする。今日はお昼を抜いたせいで正直なところまだ微妙に腹が寂しい。かといってここでガッツリ食べるのは問題外。それに高島屋のレストラン街は「美々卯」だの果ては「吉兆」だのと私の懐具合とはかけ離れた店ばかりである。結局は見かけた「一凜堂」に入店する。パスタと甘味の店のようだが、さすがにここでパスタはない。と言うわけでせめてもの言い訳で「シーザーサラダ」を注文する。

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高島屋レストラン街の一凛堂

 非常にガッツリとしたサラダである。なかなかに美味いが、カロリーも結構高そうである(笑)。これではあまり言い訳になっていないような・・・。で、毒食わば皿まででついでにデザートも注文「宇治抹茶白玉パフェ」を注文する。

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ガッツリとボリュームもあるシーザーサラダ

 なかなかに美味いがいささか甘い(笑)。この手のパフェには増量のためにコーンフレークを入れてあることがよくあるが、ここのパフェはコーンフレークではなくてシリアルを入れている。これがパリパリとした歯ごたえで正解。コーンフレークよりも湿気にくいのがポイントだろう。ただ満足はしたが、やはり今の私にはパフェはいささか甘すぎたか。後々まで胃の中で甘さが渦巻くような感触が残ったのである。

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このパフェはいささか甘すぎたか

 腹を十分に満たしたところでホテルに戻る。このホテルは大浴場はないが風呂とトイレがセパレートタイプなので、風呂に湯を張ってゆったりとくつろぐことにする。このための高級ホテルである(笑)。

 風呂から上がるとテレビをつけるがろくな番組がないので原稿入力作業をすることにする(私は本当に本業の仕事以外は勤勉である(笑))。そして疲れたころに就寝することにするのである。

 

PACオケ第121回定期演奏会 ミラノフ&児玉桃のチャイコフスキー

 この土曜日はPACのコンサートに出かけることにした。実はPACは演奏レベル的にあれなのと、曲目がチャイコフスキーのマンフレッド交響曲という決して出来の良いとは言えない曲であることから当初は行くつもりがなかった。しかしこの日がスケジュール的に空白になったことから少し調べたところ、指揮がミラノフであるということ(ミラノフは以前にPACで結構名演をしている)とたまたま比較的良い席が売りに出ていたこと(多分直前キャンセルがあったのだと思う)から急遽聴きに行くことにした次第。

 

三ノ宮で昼食

 土曜の昼頃に家を出ると昼食は乗り換えの三ノ宮で摂ることにする。立ち寄ったのはミント神戸地下の「海山」。海鮮丼が中心の店のようだが、寿司居酒屋というところである。「まぐろつくし丼」を注文する。

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ミント地下の海山

 丼はマグロの赤身やビンチョウ、さらにネギトロなどが盛り合わせてある。ここに黄身醬油をかけて頂くらしい。味的にはまずまず。私的にはご飯が寿司ご飯であることが有り難い。

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マグロつくし丼

 昼食を終えるとまだホールに向かうに若干早かったことから、数年ぶりに三ノ宮センター街をうろついてみる。しかし全く何のあてもない繁華街ウォークはかえって孤独感を深めるだけ。以前の「偉人たちの健康診断」で、永井荷風は浅草などの繁華街をうろつきながら、そこで孤独感を深めて創作意欲に結びつけていたという類いの話があったが、文豪でない私はこの孤独感を何で埋めれば良いのだ? 劇場映画「わが青春のアルカディア」の主題歌(渋谷哲平が歌ったやつ)では「孤独でなければ夢は追えない」とあったが、私には今更追うべき夢ももうないし(もう既に人生の先は見えている)。

tv.ksagi.work

 しばしサンブラ(三ノ宮をブラブラの略・死語)をした後、ホールに向かう。チケット販売サイトの情報では、今回はほぼ完売に近かったはず。補助席まで出ている模様である。それでも空席がいくらか目につくのはご時世か。

 

PACオケ第121回定期演奏会

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指揮:ロッセン・ミラノフ
ピアノ:児玉 桃

〜オール・チャイコフスキー・プログラム〜
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調
マンフレッド交響曲

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲は児玉の演奏は非常に力強くて堂々としたものである。またテクニック面でも揺らぎはない。ただいささか早弾きの傾向があり、音色は力強いもののいささか色気に欠けるきらいはある。ロマンティックに聴かせるべき場所で、ガツンガツンとやや固めのタッチなのはいささか残念。なおバックのPACオケについても、残念ながら所々でアンサンブルの甘さのようなものは垣間見える。

 後半のマンフレッド交響曲についてはミラノフはかなりスケールの大きな指揮を行っている。第一楽章についてはPACの管楽陣にもう一段のキレの欲しさを感じる。全体的に音色が甘いというか弱い。この楽章はもう少し厳しさが必要。第二楽章以降は尻上がりに調子が上がっていった印象だが、最終楽章についてはそもそも曲自体が冗長すぎる構成になってしまっているので、どうしても緊張感が緩んでダレてしまうのは否定できなかった。やはりこの曲はチャイコの魅力は散見できるものの、そもそもの曲自身の出来は今ひとつである。さすがにミラノフといえども、それはどうしようもなかったようだ。

 アンコールに「白鳥の湖」があったのだが、これがミラノフがノリノリのなかなかの名演。今のPACオケもマンフレッドのような厳しさを秘めた曲よりは、こういうロマンチックな曲の方が相性が良いように感じられた。

 

「ハマスホイ展」「出雲と大和展」を見学してから都響のプロムナードコンサートを聴く

 翌朝は8時まで爆睡していた。朝から体はズッシリと重く、体調が良いとは言い難い。どうも思った以上に昨日疲労してしまったようだ。しばし起き上がる気力も出ないのでテレビをボンヤリと見る。中国はコロナウイルスで大パニックに鳴っているようだ。間もなく春節空けになるとのことだが、この調子で通勤を再開できるのだろうか? しかし現状の社会が完全に停止した状態を続けるわけにもいかず、中国政府も頭が痛いところだろう。かつて白河法皇が加茂川の水と叡山の山法師は思うままにならないと嘆いたが、現在の中国の王である習近平としてはトランプの気まぐれとコロナウイルスが思うままにならないものだろう。また初動対応をしくじった(初期には対策よりも隠蔽を図ろうとした)上に現状も感染爆発に打つ手ない状態であることで中国政府が国民の信頼を失っており、習近平体制の崩壊につながりかねないとの観測もあるようだ。実際にそこまで行くかは疑問だが、中国には伝統的に「統治者に徳がない時に天変地異や疫病の流行が起こる」という考えがあるので、今回の疫病の流行は心理的には習近平の徳がない証明ということになってしまう。まあ時代遅れの感覚かもしれないが、現在の日本の徳も知恵も微塵も持ち合わせていないトップの元で自然災害が相次ぐ現状を見ると、あながち迷信とも言い切れないのではという気もしてくる。

 しばしグダグダしてから荷物をまとめ、9時半頃にはホテルをチェックアウトする。今日も予定がある。まずは上野へ移動することにする。

 今日の予定は14時からサントリーホールでの都響のコンサートだが、その前に上野の東京都美術館の「ハマスホイ展」を見に行くことになっている。今回わざわざ東京に立ち寄ったのは、昨日のブダペスト展と本展があるからというのが実際の理由である。とりあえず上野駅に移動すると、午後からの移動の動線を考えて、上野駅の新幹線口の横のコインロッカーにキャリーを放り込んでおく。

 チケットは上野の駅内で購入すると、目的の東京都美術館へ。さすがにハマスホイは知名度皆無のせいか、場内はさほど混んでいない。美術展鑑賞には良いコンディションである。

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東京都美術館を訪問

 

「ハマスホイとデンマーク絵画」東京都美術館で3/26まで

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 19世紀頃にデンマーク絵画の黄金期と言ってよい時期が到来したと言うが、その頃の絵画からハマスホイに至るデンマーク絵画を展示。

 ハマスホイは10年ほど前に大規模な展覧会が行われて、その際には私も見学しているのであるが(その時には「ハマスホイ」でなく「ハンマースホイ」と表記されていた)、とにかく静かというか、不気味さを感じるほどの静謐が強烈なインパクトとなり、未だに私の記憶に残っているところである。

 本展で最初に展示されている19世紀の黄金期の絵画が展示されているが、この頃の絵画は静かであるとは感じるが冷たい感じはなくて温かい感じが満ちている。馴染みのある風景や人物を描いた絵画が流行したとのことなのでそのためなのだろう。技法的には前衛的な者は全くないが、時代が進むにつれて光の表現に印象派的要素が入ってくるのはこの時代の絵画の常である。

 19世紀末が近づくと、デンマークのはずれの漁師町であるスケーインに画家が集まって、漁師の姿を描くなどが行われる。この画家たちはスケーイン派と呼ばれているらしいが、フランスにおけるバルビゾン派のようなものだろう。この画家たちの中には今までのデンマーク絵画に見られていなかった力強い作品が登場する。非常に大胆な筆致で水しぶきを描いた作品が印象に残る。

 その一方で非常に静かな室内絵画の潮流も発生していたようである。これらはやはり「親密な風景を描く」という流れの中だったようである。そしてハマスホイも基本的にこの流れの中に位置するようだ。

 ただハマスホイの絵画の傑出した特徴は、やはり異常なまでの静謐感であろう。室内に人物を加えた作品もあるのだが(主にモデルは妻だったらしい)、なぜか妙なほどに生命感が見られず、まるでそこに置かれた調度の一つのように見えてしまう。また街角を描いた風景などは人物を全く描いていないこともあって、人類が死に絶えた後の廃墟の街角のようにさえ見えてしまうのである。

 以前のハンマースホイ展の時よりも温かみのある絵画が本展では多かったようであるが、それでも以前に感じた強烈な孤独感というか冷たさのようなものは相変わらず感じられた。この画家は妻もいて決して孤独な人物ではなかったようなのであるが、この孤独感は一体何に由来しているのかは奇妙に気になるところでもある。

 

 展覧会の見学を終えるとかなり疲れたこともあって、館内の「上野精養軒」で朝食を兼ねてフレンチトーストを頂いてホッとする。

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朝食代わりのフレンチトースト

 一息ついた後は、上野でもう一軒寄っていくことにする。

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国立博物館

 

「出雲と大和」東京国立博物館で3/8まで

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 古代日本においては明らかに2つの独立勢力が存在している。それは出雲と大和。出雲は独自の神話を持つ信仰中心の勢力であったようであるのに対し、大和は広く中国とも交流する政権であったようだ。やがて「国譲りの神話」があり、出雲の信仰の中心も大和に委譲されることになる。通常の歴史的観点で考えると、ここで大和政権による出雲政権の征服というイベントがあったはずなのであるが、どうも大きな争いがあったらしき痕跡が見られない。国譲りの神話なども考えてみると、強大な軍事政権であった大和に対し、信仰中心の非軍事政権の出雲では最初から戦いになる余地もなく、出雲が大和に降伏する形で併合されたのではという気がする。

 本展では出雲と大和に纏わる出土品などが展示されている。出雲については銅鐸が出土した遺跡の復元が展示されていたが、見慣れた銅鐸の姿ではなくてキンキラキンであることに思わずハッとした。確かに今日の我々は青く錆びた銅鐸しか目にしていないのでそのイメージがあるが、かつての銅鐸はキンキラキンであったはずで、そうして考えるとそんなものは宗教的な祭器しかありえないという気はする。同様に出雲で多数出土している銅剣もキンキラキンのものであり、実用性よりも祭祀性の方が想起される。これらを考え合わせるとやはり出雲政権は宗教的権威であって軍事的色彩はかなり弱かったように思われる。

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キンキラキンの銅鐸

 一方の大和は大量の銅鏡が出土しているのが特徴であり、これらの銅鏡の多くは中国からの渡来品である。つまりは中国と交流があったということであり、最新の技術を導入するということは、必然的に最新の武器なども輸入することになったろう。実際にいかにも実用性の高そうな鉄の剣も大和からは出土しているようである。さらに祭祀の形式なども中央集権制が高かったことを感じさせる。日本ローカルの信仰中心であった出雲と、国際的な都市であった大和では政権の性質が違うということが強く感じられた。

 終盤は仏教がらみの展示になる。この日本固有の神々の世界に外来宗教の仏教が混入したことが、古代日本をさらに複雑にしているようである。思っていた以上に古代日本は多様性の世界だったのかもしれない。

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法隆寺金堂壁画の復元

 

 これで本遠征での東京の美術館予定は終了。後は都響のコンサートを聴いてから移動である。都響のコンサートは14時からサントリーホールで。

 六本木一丁目に到着したのは13時頃。入場前に「杵屋」で手っ取り早く「きつねうどん定食」を昼食に摂っておく。

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六本木の杵屋

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きつねうどんの定食

 とりあえず昼食を終えるとホールへ。サントリーホールはかなり観客が来ている。9割方以上は埋まっているだろうか。

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サントリーホールにゾロゾロ入場中

 

都響プロムナードコンサートNo. 385

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指揮:小泉和裕

ヴェルディ:オペラ『運命の力』序曲
リスト:交響詩『レ・プレリュード』 S.97
ムソルグスキー:オペラ『ホヴァンシチナ』前奏曲「モスクワ河の夜明け」
ハチャトゥリヤン:『ガイーヌ』より「剣の舞」「バラの乙女達の踊り」「レズギンカ」
リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 Op.34
ビゼー:『アルルの女』組曲第2番

 今回は小曲集の肩の凝らないプログラムというところ。小泉の指揮は最初からなかなかにノリが良い。一方の都響の方もかなりキレの良い演奏をしている。やはり演奏の安定感は流石である。

 ややおどろおどろしさのある「運命の力」から始まると、2曲目はリストの交響詩。いずれも盛り上がり部分はかなり派手な曲なのであるが、その派手部分を小泉と都響はそのまま派手派手に演奏してきた印象である。それが今回はなかなか決まっている。

 やや印象が薄めのムソルグスキーの曲を経て、前半の締めはパーカッション大活躍のハチャトゥリアン。木琴や小太鼓が縦横に活躍している。弦楽陣の方もなかなかに気合いが入ってキレキレである。聴いていて非常に楽しい演奏。

 後半はリムスキーのスペイン奇想曲とビゼーのアルルの女。最後は怒濤のファランドールである。小泉がかなりまくっていたので迫力あると言うか、いささかせわしい気もするフィナーレ。ただそれでも崩壊しないのはさすがに都響。最後まで大盛り上がりである。

 総じて「楽しいコンサート」であったという印象なのが今回。曲のラインナップを考えると、つべこべ難しいことを言うよりもそのスタンスで大正解だろう。

 

 コンサートを終えると郡山までの移動である。

 

国立新美術館の「ブダペスト展」見学後に札響の東京公演を聴く

 来週は飛び石休であるが、働き方改革のご時世で組合からは月曜日には有給休暇を取れとの号令が飛んでいる。ここは愛国者である私としては協力すべきところだろうということで、この週末は4連休と相成った。休みがあれば遠征というのは社会の常識(?)。そこで私はこの週末に東京訪問を絡めて休暇プランを立案した次第。

 金曜日の仕事を半ドンで終えると神戸空港を目指す。東京まではスカイマークで飛ぶことになっているが、これは例によって交通費節約のため。神戸空港に到着すると「神戸洋食キッチン」で遅めの昼食にトンカツ定食を摂ることにする。

 昼食を済ませると保安検査。上着もチェックされるなど(厚底の靴などもチェックされていた模様)、以前よりは管理が強化された印象。空港内の搭乗客の人数を見ていると、時勢柄か今ひとつ低調という印象を受けたのだが、それでも機内は満席とのこと。私の目算の間違いか。

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スカイマークの737で飛ぶ

 飛行機が地面を離れるとすぐに強烈な眠気が押し寄せてくる。気色の悪い飛行機の中で不安な時間を過ごすのなら寝てしまうに限る。結局は東京上空に到着するまで寝て過ごした。東京ではスカイツリーがそこに見えるような今まで見たことがないコースを飛んでいるなと思ったら、現在試験中の東京上空を飛行する新ルートらしい。もろにビル街の上を飛んでいるので、騒音云々が言われているが、それよりも万一事故が起きた時に大惨事になることの方が気になる。

 空港への到着は新ルートを取った関係とかで10分遅れ、さらにブリッジではなくてバス輸送になったので時間の遅れはさらに拡大する。おかげで考えていた予定が狂うことになる。とりあえず今日のコンサートはサントリーホールだが、その前に国立新美術館に立ち寄るつもりでいたのだが、見学時間はあるだろうか。

 京急と地下鉄を乗り継いで美術館に到着した時には17時を回っていた。見学時間としては十分とは言い難いが、ここまで来たのだからやや駆け足ではあるが入場することにする。明日に回すにしても、明日は明日の予定がある。

 

 

「ブダペストーヨーロッパとハンガリーの美術400年」国立新美術館で3/16まで

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 ブダペスト国立西洋美術館とハンガリー・ナショナル・ギャラリーのコレクションを展示とのこと。ルネサンスから20世紀初頭に至る絵画(一部彫刻も含む)が展示されるが、圧倒されるのはその物量である。

 最初はルネサンス辺りから始まり、目玉はティツィアーノ辺り。イタリア絵画、オランダ絵画、スペイン絵画といった地域分類がなされているが、私的にはイタリア絵画が一番好み。スペイン絵画にはエル・グレコの逸品もあり。ただこの辺りの時代はどうしても教会臭い絵が多くなる。

 次に登場するのは静物画や風景画などの世俗画になる。この辺りから題材の自由度が増してくる。

 彫刻作品を経た次が19~20世紀の絵画となってくるが、この辺りから時代的に印象派などの影響が見られるようになる。展示作は先鋭的な絵画ではなく明らかにメインストリームに属する作品なのであるが、光の表現などに印象派的な要素が入っている。おかげで絵が生き生きとしてくる。特に面白いのがリアリスムのコーナーの作品。正統派系の絵画でありながら、光がキラキラとしていて興味深い。なお本展の看板作となっている「紫のドレスの婦人」もこのコーナーにあり。なおさり気にルノワールの作品もここに展示されていて、見事に溶け込んでいる。

 次の戸外制作の絵画となるともろに印象派となり、モネやドービニーの作品が展示されている。これ以外にもクールベ、コローなど作品もあり。印象派というよりもさらに大きな括りにしているようである。

 この後は象徴主義などになり、カリエールの幽霊のような作品や装飾的でド耽美な作品も登場。次はポスト印象派、さらに20世紀絵画となってくるが、この辺りになると私としては一気に興味が減退してしまう。

 ルネサンスから20世紀までととにかくカバー範囲が広いのであるが、それを賄うだけの物量があったのが本展。それだけにいろいろな絵画を見ることができる。ただ絵画の分類がいわゆる印象派や親密派、フォーヴとかいうような流派による分類と違うので、ある程度の絵画史を把握している者にはかえって分かりにくいかも。

 

 

 展覧会をやや駆け足で見学し終えるとサントリーホールに直行する。せめて後10分余裕があればもう少しゆっくり見れたのだが・・・。もっともポスト印象派辺りはもろに私の好みとズレるので、そう見学時間を費やす意味もないと言えばそうとも言える。

 それにしてもこの周辺は意外に移動の便が悪い。国立新美術館もミッドタウンも六本木ヒルズもサントリーホールもすべて六本木エリア内ということになっているが、これらの施設間の移動となると絶望的なまでにアクセスが悪い。東京には美術館とホールをハシゴする者はいないのだろうか? その気があれば歩けない距離ではないのだが、さすがにキャリーをゴロゴロ引っ張って歩いて行くだけの気力と体力と時間の余裕がない。

 地下鉄を乗り継いで(結局は乃木坂→国会議事堂前→溜池山王→六本木一丁目のコース)私がホールに到着した時にはゾロゾロと入場中。当然のように夕食など摂る暇もないので、ホールに入ってから超高級サンドイッチと超高級ペプシ(合計で1100円もする)を頂くことに。とんだ大散財である。

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サントリーホールに入場する

 今日は札幌交響楽団の東京公演。考えてみると北海道の札響のコンサートを関西人の私が東京で聴くというのも奇妙な取り合わせではある。札幌交響楽団のコンサートは今まで2回行っているが、いずれもエリシュカの指揮でなかなか名演だったのを覚えている。特にエリシュカの最終公演は、まさに命を削って来日したエリシュカの意気に答えるかのごとく、札響も非常に熱の籠もった名演を行い、極めて印象的であったことが記憶に刻まれている。さて今回の指揮はバーメルト。通常状態の札響がどのような演奏を披露するか。

 

 

札幌交響楽団 東京公演2020

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指揮:マティアス・バーメルト
バリトン:ディートリヒ・ヘンシェル

シューベルト(ウェーベルン編):ドイツ舞曲
マーラー :亡き子を偲ぶ歌
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調

 1曲目は美しい曲である。弦楽セクションがなかなか聴かせる。ただ時々管楽器がデリカシーなしに鳴るのが気になるところ。札響については以前に聴いた時から、いささか管楽器セクションが元気すぎると感じたことがあったのだが、それが悪しき方向に出ているようだ。

 「亡き子をしのぶ歌」はヘンシェルの独唱は非常に美しくて繊細。曲想には合っているのだが、ややバックのオケに埋もれる傾向がある。バリトンとしてはもう少し芯の通った力強さも欲しいところ。

 メインのベートーベンは弦楽セクションはなかなかに頑張っていると感じる。ただ問題はやはり管楽器にあり、時々締まりのない調子っぱずれの音をポワーンと鳴らしてしまうケースがあり、いささか耳障りの上に音色も汚い。バーメルトの指揮がオーソドックスで虚仮威しの類いがないものだけに、そういう細かい点がどうしても気になってしまう。バーメルトの意図を100%叶えるにはもう一段レベルの高いアンサンブルが必要に思われる。

 総じて悪い演奏ではない。ただ今回の指揮者と曲目の組み合わせでは札響の弱点がもろに見えてしまったという印象。やはりガンガン行けば良い「シェエラザード」なんかの方が合っているオケなのかもしれない。そういう点ではエリシュカは選曲もよく考えていたようだ。

 

 

 コンサートを終えるとホテルに向かうことにする。宿泊するのは最近私の東京での定宿となっているホテル丸忠CENTRO。南千住まで移動だが、途中の乗り換えの上野駅で夕食を摂ることにする。閉店間近の「つばめグリル」に飛び込んで「ハンブルク風ハンバーグ」のご飯と味噌汁のセットを注文する。

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上野のつばめグリルに飛び込む

 以前に来た時にはご飯と味噌汁でなく、ライスとスープと書いていたような気がするが(スープと書いていたのに出たのは味噌汁だった)、表記を始めとして箸で食べられる洋食の線をさらに突き進んだ印象を受ける。そう言えば以前は丸ごとのじゃがバターが皿の脇に添えられていた記憶があるのだが、今は刻んだジャガイモがホイルの中に入れてある。微妙にジャガイモの量が減ったとも言えるようで、こういうところまでアベノミクス対応か?

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完全に箸で食べる洋食になっている

 

 

 夕食を終えるとホテルに向かう。ホテルの部屋は例によっての「機能的な(単に狭いとも言う)」三畳間。和室なので自分で布団を敷く必要があり。さっさと布団を敷いてゴロンと横になるともう動くのが嫌になる。しかしそれでもやはり風呂ぐらいは入っておかないと・・・男性入浴時間の23時になったところでとりあえず大浴場に出向く。こういう時の手足を伸ばせる風呂は有り難いが、もうグッタリとしてしまう。

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南千住のホテル丸忠CENTRO

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機能的(?)な三畳間

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テレビに冷蔵庫付き

 風呂から上がると本格的に体が重くてどうにもならない。結局は原稿の執筆も諦めてそのまま寝てしまう。

 

 

読響の大阪公演を聴きに行って、ラドゥロヴィチの演奏に驚嘆する

 今日は読響の大阪公演である。仕事を終えるとJRで大阪に直行する。

 大阪はいつになくマスク姿のものが多い。中国で猛威を奮っているコロナウイルスの影響だろう。ただし専門家の話によると、そこらで売っている普通のマスクは感染予防効果はほとんどないという。そもそもウイルス素通しの上に、顔との間に隙間も多いので密閉性も低い。実際、最前線で使用されているマスクはそこらで売っているようなレベルのものではなく、完全防備のガスマスクである。マスクで感染防止にはそこまでする必要があるようだ。

 なお中国では感染爆発に近い状態になっており、中国への渡航を禁止する国も出てきている。この煽りで海外オケの来日公演も中止が出るのではと懸念されている。アジアツアーの一環として来日する場合は、アジアツアー自体が中止になる可能性が高いし(中国公演抜きでは採算が合わないだろう)、日本ツアーの場合でもそもそも欧米は日本も中国も一緒に考えているので(今欧米でアジア人差別が激化しているとか)、日本ツアーが中止になる可能性もあり得る(しかも日本には福島もあるし)。なおオリンピックが中止になるのではとの噂も出ているが、これは大歓迎である。

 

 

 大阪に到着するととりあえず夕食だが、ラーメンでも食べたい気分。目当てのラーメン屋は券売機前にアジア人らしき連中の行列が出来ていたので、久しぶりに「段七」を訪れることにする。豚骨醬油ラーメンに炒飯を付ける。

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大阪駅の段七

 こちらはこってり系のラーメンとのことなのだが、以前よりもあっさりしたような気がする。なおここの麺は博多ラーメン系の細麺でなくて中太麺である。炒飯は私好みの味。

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豚骨醤油ラーメンと炒飯

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麺は中太麺

 

 

 とりあえずの夕食は終了したが、どことなく腹が半端な気分がある。かといってもう一軒飯屋に入るのも・・・。考えた結果、まだ時間に余裕があるので「つる家茶寮」に入る。「わらびもち」のつもりだったのだが売り切れとのことなので、「生麩ぜんざい」を頂くことにする。

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つる家茶寮

 やはり生麩が美味い。そして上質の小豆。なかなかに満足度の高いスイーツである。ぜんざいを腹に入れると燃料が満タンになったようである。フェスティバルホールに向かうことにする。

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生麩ぜんざいを頂く

 フェスティバルホールはほぼ満員に近い。相変わらず読響は大人気である。都響辺りも大阪定期しないかな。

 

 

読売日本交響楽団 第25回 大阪定期演奏会

指揮/山田和樹
ヴァイオリン/ネマニャ・ラドゥロヴィチ
曲目/マーラー:花の章
   ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲
   マーラー:交響曲 第1番「巨人」

 一曲目はマーラーの花の章。本来は巨人の第2楽章だった曲であり、よく聴くと第1楽章や今の第2楽章とのつながりが感じられたりする。冒頭のトランペットの演奏は流石に読響。残念ながら在阪オケでは途中でヘロってしまう可能性が高い。非常に美しい曲である。

 二曲目はラドゥロヴィチのヴァイリオンに尽きる。まさに神業のごときテクニックである。ハチャトゥリアンの喧しくも生命力に満ちたこの曲を見事なテクニックで演奏する。また単にテクニックだけではなくダイナミックレンジが広くて表現の幅が深い。それが端的に現れたのがアンコールで演奏したバッハの無伴奏ソナタ。非常に奥深い情緒ある演奏に心底感動した。バッハでこんなに感動したのは初めて。

 休憩後のメインはマーラーの巨人だが、山田和樹の演奏はどうしても緩徐部になると緊張感の糸が切れる傾向がある。さらに彼の指揮はボリュームが上がるとテンポが上がり、ボリュームが下がるとテンポも下がる大時代的なものであるから、緩徐部分が眠い演奏となってしまう。かといって盛り上がってくるとドタバタと五月蠅くなるという印象で、なかなか曲に感情移入しにくいところがある。結果としてはどうにもヌルい演奏という印象を拭えないのである。

 以前に日フィルで聴いた時も、山田和樹の演奏にはヌルさを感じた。どうも彼とは相性が悪いようだ。今回の収穫はヴァイオリニストのラドゥロヴィチか。見た目はロックかジャズな兄ちゃんだが、これはなかなかの逸材だ。

 場内は大盛り上がりだった(私は少し冷めていたが)。何とアンコールがあって、バッハのアリアのマーラー編曲版。美しい曲であるが、どうやら山田和樹の指揮はこういう美しい一辺倒の曲の方がむいているようである。この曲については一切不満は感じなかった。


 公演が終了したのは9時半ぐらいになっていた。急いで帰宅することにする。今週は何かと仕事の予定が忙しい。明日も仕事が待っている・・・ああ、気が重い。