徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

「不染鉄展」と大和郡山城と奈良フィルのハシゴをする

まずは奈良の美術館へ

 翌日は目覚ましをセットした7時半の直前に自動的に起床する。これを一人で使うのは申し訳ないよなと感じるぐらいの広いベッドで爆睡したのであるが、年のせいかそれだけでは疲労は完全には回復せず、朝から体が重い。そこでとりあえずシャワーで体を温めることにする。

 ようやく体が動くようになったところで朝食。このホテルは現在改装中でレストランが使えず朝食がないので、朝食は昨日に近くのスーパーで買い求めた4割引にぎり寿司になる。

この日の朝食は寿司

 朝食を終えるととりあえず朝風呂である。正直なところ、遠征で何が楽しみかというと大抵はこれになる。温泉旅館なんかで美味しい朝食を食べてから朝風呂でマッタリなんていうのは至福の時なのだが、貧困化著しい私にはもうそんなことは一生涯無理かもしれない。

 入浴後は原稿作成と一昨日の記事のアップ。その辺りを済ませたところでそろそろ荷物をまとめてチェックアウトすることにする。と言ってもスーパーホテルはチェックアウト手続きはなく、ドアに「チェックアウトしました」の札を貼り付けてホテルから出るだけである。とにかくこの辺りは徹底して省力化しているホテルである。

 さて今日の予定は大和郡山での奈良フィルのコンサートだが、その前に県立美術館に立ち寄るつもり。というか、奈良に来た主題はむしろこっちの方で、奈良フィルがついでの付け足しである。車の方は13時までホテルの駐車場に置いておけるので、その間にバスで美術館に向かうことにする。奈良の中心部は車がある方が動きにくい。

 駅前から東大寺方面行きのバスで県庁前へ。目的の美術館はここからすぐ。それにしてもこの美術館を訪問するのはかなり久しぶりである。

 

 

「漂泊の画家 不染鉄」奈良県立美術館で3/10まで

久しぶりの奈良県立美術館

 放浪の画家とも言われる不染鉄の回顧展である。不染鉄は僧侶の息子として生まれ、若い頃に「自由に生きることが出来る」という考えから画家を目指したと言うが、それに行き詰まったのか突然に伊豆大島に渡って漁師になったりなど、かなり唐突な行動をしている。その後、京都市立絵画専門学校に入学して再び画家を目指しての訓練を始める。その頃には上村松篁などと交友があったという。その後、大戦下の画業が圧迫される時代を経て、戦後には奈良に中学校の理事長として招かれるなどをして、晩年は画壇を離れて悠々自適の生活を送ったという(この頃の話を聞いていると、どこか仙人じみた感覚がある)。

代表作の「山海図絵」

 彼の作品を見たときに、圧倒されるのはその描写の克明さである。ただし、その克明な描写はいわゆる写実とは異なり、心の中にある風景を配したと思われる幻想性を帯びた絵画になる。彼自身は古典的絵画に学んだとのことであるが、ある意味で非常に絵巻的絵画であることを感じさせる。

 精神の自由性を強く感じさせる作風であるが、その中には漁師生活を送っていた伊豆の風景がかなり原風景として焼き付いているようである。さらにそこに当時は長閑な寒村の風情のあった奈良の風景も結びついて、どことなく懐かしくも幻想的な風景を形成している。

 かなり独得のインパクトの強い絵画であるが、いわゆる今時のアートのようなインパクトだけで中身がない作品と異なり、非常に深い精神性を感じさせるのが最大の特徴でもある。何かその静けさの中に強烈に引き付けられる独得の魅力を持った作品である。

 不染鉄については、何かの機会に彼の作品を目にしたときに、その強烈なインパクトに魅せられてその名が記憶に残っていたので、この際だからとわざわざ奈良まで出向いてきたというのが実際のところである。確かにそれだけの価値を感じさせる非常に濃い展覧会であった。

 

 

お昼は葛メニュー

 展覧会の見学を終えるとJR奈良までバスで戻ってくる。そろそろ昼時であるが、立ち寄る店は決めている。かなりしばらくぶりの「天極堂」に入店。葛を使った「極パフェ」を頂く。

奈良駅ビル内の「天極堂」

 このパフェは葛入りのソフトやアイスがシッカリしていて融けにくいのもポイントだが、中に入っているのが、寒天でなくてくず餅なのがポイントが高い。実に美味いパフェである。

極みパフェ

中のこれが実は葛餅

 

 

 パフェを堪能してしばしマッタリしたところで、面倒なので昼食も済ませることにする。「吉野葛うどんセット」を注文する。吉野葛の入った出汁が麺によくからむ上に熱々。猫舌の私は少し冷ましてからでない食べられないぐらい。出汁が麺によくからむので、かなりあっさりした出汁にも関わらず、それでも食べられるという一品になっている。

続けて昼食の「吉野葛うどんセット」

 うどんを食べ終わるとデザートはできたてのくず餅。プルプルでたまらない。一度これを食べると、そこらのくず餅を名乗っている代物は、似ても似つかない偽者と分かる。

熱々の葛餅がデザートとしてついている

 本物の葛を使用していますとのアピールのため、レジ横には葛根を置いてある。こうしてみると本当に根っこである。ジャガイモなどに比べると得られるデンプン量などが少ないことから、最近は一般的にくず粉やわらび粉として売られているものも、大抵はジャガイモデンプンが原料の紛い物ばかりになっている。こういう本物は貴重である。

これが本物の葛根だとのこと

 

 

大和郡山城の見学をする

 昼食を堪能したところで、駐車場に移動すると車に乗り込んで大和郡山に移動である。奈良から大和郡山はすぐそこ。渋滞がなければ10分ちょっとと言うところか。目的地であるホールは大和郡山城の旧三の丸にある。駐車場に車を入れた時点で開演まで2時間程度ある。この間に隣の大和郡山城を見学することにする。

やまと郡山城ホール

 大和郡山城は大分前に1度訪問したことがあるが、その時は内部があちこち工事中で天守台などは登れなかった上に、時間の制約があったのでかなり駆け足の見学になった記憶がある・・・と思ったら、当時の記録をひっくり返したら、どうやらトランクを引きずりながらの見学だったらしい。そりゃどう考えてもまともな見学なんて出来ていないはずである。そこで改めて見学することにする。

大和郡山城縄張図

(出典:余湖くんのお城のページ)

 ホールのすぐ向かいにある大きな石組みは、かつての桜御門跡とのこと。これは絵図などから見ると三の丸の入口の門だったようである。

桜御門跡の巨大な石組み

 現在は三の丸の西端を近鉄の線路が走っている状況にあり、その向こうに広大な堀があって二の丸が見えている。とりあえずは近鉄沿いに南下、鉄御門のところまで移動する。

すぐ脇を近鉄が走り、その向こうは広大な堀を経て二の丸

線路の向こうに堀と二の丸を見ながら南下

 

 

 鉄御門は三の丸から二の丸に入る門であり、現在は近鉄の線路になってしまっているところが元来は堀で、橋を渡って門にたどり着くことになっている。名前からすると恐らく鉄板貼りの巨大な門だったのではと推測される。

鉄御門の踏切、かつてはここは堀を渡る橋だった

北側には広大な堀

鉄御門跡

 ここで道が折れていて先に進むと二の丸と本丸の間の巨大な堀が正面に見える。

鉄御門跡を抜けた先が二の丸で、本丸周囲の広大な堀に当たる

 

 

 そこから西に進むと竹林橋があり、柳澤神社となっているのが本丸。今ではここは土橋になっているが、往時には木の橋でいざという時には落とすようになっていたのではと推測する。

本丸南の竹林橋

 柳澤神社となっている本丸には続百名城の石碑がある。この神社の場所にはかつては本丸御殿があったのだろう。

本丸には続百名城の石碑がある

柳澤神社

本丸東の堀と極楽橋

 

 

 神社の奥が天守台である。ここに往時は五層の天守が建っていたとされる。天下人の秀吉の弟である秀長が治めにくいとされた奈良の地を治めるために築いた堅城だけに、やはり立派な天守で辺りにその力を見せつけていたのだろうと推測する。

天守台は整備されている

 以前の訪問時にはこの天守の上には上がれなかったのだが、今は工事が完了していて上がることが出来る。ここから見渡すと城の全域の構造が良く分かる。本丸の周囲をグルリと二の丸が取り囲む構造となっている。

天守から東の風景

 西の方の曲輪はかつての訪問時には学校が建っていたと思うのだが、今は公園に整備されているようである。ただ城址公園として整備するなら、贅沢を言えば復元武家屋敷の一軒ぐらいは欲しいところである。

天守から望む西側の風景

公園整備されている

本丸北側

 

 

 本丸の見学を終えると木製の極楽橋を渡って二の丸へ。この橋は比較的最近にかけられたものと思われ、かつての私の訪問時にはなかったのではなかったと記憶している。

極楽橋

 二の丸には柳沢文庫があるが、残念ながら現在は展示の入れ替えのために休館中とのこと。

柳澤文庫は休館中

 ここから北に降りていくと追っ手門のところに出る。立派な櫓門であり、ここがこの城の建造物としては一番の見所。

立派な櫓門の追っ手門

三の丸からも見えていた隅櫓

 

 

 それを抜けると右手に見える風情のある建物が城址会館。明治時代に奈良県庁の向かいに図書館として建築された建物の一部を昭和になって移築したらしい。文化センターとして使用されていたが、最近になって三の丸に文化ホールが新築された(私が今日、コンサートに来たところである)ので、現在はお役御免になっている模様。内部の見学が可能なので入ってみたが、出土した瓦が展示されていた。

城址会館

ここからは本丸はこんな具合に見える

城址会館に展示されていた出土瓦

 

 

 後は二の丸の北側をふらりと西の方まで回ってみる。この辺りは付近の住民の格好の散歩コースとなっているようで、散歩中の中高年を結構見かける。

本丸北側の曲輪

その西の曲輪、完全に公園化している

 これで大和郡山城の見学は終了。さすがに天下人の弟が整備しただけあって、かなり立派な城であった。続百名城への選定も整備の起爆剤になっている模様だし、地元としてはこれで観光開発が出来れば万々歳だろう。私はここのところ完全に欠乏していたお城成分を久しぶりにふんだんに吸収出来てお腹いっぱいである(笑)。

 

 

ホールへ移動

 大和郡山城の見学を終えるとホールに戻ってきて、開場までしばし待つことになる。しかしロビーのベンチは既に大量の老人に占拠されているし、喫茶も満席とのことなので、駐車場に行って車の中で時間をつぶすことにする。

ホールロビー

本日の催し物

 開場時刻が来ると大ホールに入場。大ホールは1000人ほど入れる規模のものと聞いていたが、一階席の奥行きがやけに短い印象を受ける。どうやらステージ拡張のために、一階席の前部の座席を6列ほどもつぶしているようである。元々のステージが結構狭いホールの模様。その辺りは音楽専用ホールでなくて多目的ホールである所以か。

一階席がやけに狭く感じる

 奈良フィルは一応は日本オーケストラ連盟準会員のプロオケである。とは言うものの、その認知度は近畿内でもかなり低く、マニアでさえプロオケとして認識していない者が少なくない。また今回在阪4オケ+京都市響+PACオケの近畿6オケに拡張された4オケ企画でも明らかにその存在が無視されてしまっている。

 このオケを私が以前に聞いたのは2016年とかなり昔で、その時は奈良県文化会館での公演だったが、ホールの音が飛ばない音響特性にもかなり阻害されて、今ひとつ冴えない演奏という印象が残っている。今回はどうであろうか。

 

 

奈良フィル ニューイヤーコンサート2024

奈良フィルは8-7-5-4-3編成

指揮 :    粟辻 聡
ナビゲーター :    喜多野 美宇子
ソプラノ :    大原 末子
テノール :    坂東 達也
合唱 :    奈良フィルハーモニー混声合唱団

[第1部]シュトラウスファミリーのポルカ特集!
トリッチトラッチポルカ アンネンポルカ
鍛冶屋のポルカ 観光列車 ピッツィカートポルカ
狩のポルカ クラップフェンの森で 雷鳴と稲妻

[第2部]オーケストラと歌のハーモニー
美しく青きドナウ/J.シュトラウス2世
フィンランディア/J.シベリウス
オペラ「椿姫」/G.ヴェルディより ”第一幕前奏曲”
”花から花へ〜ああ、そは彼のひとか”
”燃える心を〜ああ、自責の念が!” ”乾杯の歌”

 

 新年コンサートらしく、前半はシュトラウスファミリーによるポルカ集から始まる。奈良フィルは8-7-5-4-3編成という小型なオケであるが、小型が幸いしてかなかかなにまとまりの良い演奏をしている。ただこのような小型オケの場合はパワー不足が気になるところ。以前に聞いた奈良県文化会館での公演の時には、無駄に大きい上に音響効果が劣悪なホールのせいで、かなり非力さが際立つ結果となってしまっていたのだが、ここの場合はホール容積がちょうどオケとマッチしており、良い具合にホールが鳴っていた。

 以前に聞いたときには弦楽陣のまとまりに難を感じたのだが、今回聞いた限りでは確かに奏者の技倆にバラツキがあるのは感じるが、まとまり自体にはそう悪さを感じなかった。元気にガンガン行くタイプの曲調ばかりなのも幸いしていたか。

 一方、粟辻の指揮ぶりはかなり独得。感情を身体で表現というか、かなりクネクネとした下手をすればお笑い寸前の動作。まあ今回のようなお祭りの場合はそれでも良いが。

 後半の第2部は、コーラスとソリストを加えての歌メニューになるが、やはり気になるのは奈良フィルハーモニー混声合唱団があまりに素人丸出しであること。男声陣は人数が極端に少ない上に平均年齢がかなり高くパワー不足が否めないし、女声陣はバラバラでまとまりがなくいわゆるママさんコーラス状態。正直なところ極めて精彩を欠く歌唱に終始した。

 ソリストの大原と坂東は流石に安定感はある。ただ大原はやや線が細いタイプのソプラノで椿姫にはいささか押しが足りない。一方当初出演予定の藤岡晃紀のインフルエンザで急遽の代演となった坂東は、代演を思わせない安定感のある歌唱でなかなか聞かせた。

 寸劇的なやりとりも含んだ楽しいコンサートは、最後はお約束のアンコールのラデツキー行進曲で幕を下ろした。なかなか盛上がったコンサートであった。


 終演すると駐車場まで走って車に飛び乗る(ここの駐車場は収容台数がそこそこあるのに、出場ゲートは一箇所でしかも出場時にゲートで精算だから、大混雑が必至)。そのまま長駆して帰宅となったのである。

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

長崎新幹線で長崎入りして、新しいドーミーインプレミアム長崎駅前で宿泊する

朝から極上の湯と朝食を堪能してからチェックアウト

 前々日に馬鹿みたいに寝すぎたせいか、この日は5時前に目が覚めてしまった。若干睡眠時間が不足気味だがどうも眠気が湧かず、寝たままネットをチェックしていたら眠気が湧くどころか余計に目が覚めてきて、そのうちに外が明るくなり始めたので諦めてそのまま起床することにする。

 6時半からホテルの大浴場が朝風呂タイムなので、まずは朝風呂としゃれこむ。アルカリ性の硫黄泉が実に体に心地よい。本当にここのホテルの温泉は全く予想外だった。まだまだ世の中にはあちこちに盲点があるものである。

 7時半になると朝食のためにレストランへ。まあ一般的な和定食の朝食。普通に美味いのでガッツリと食っておく。

和定食の朝食が美味い

 朝食を終えて一息つくと、今日は若干早めにチェックアウトすることにする。今日の予定はこのまま長崎空港まで走ることになっているが、その前に昨日パスした最寄りの遺跡を見学。

 

 

杷木神籠石(鵜木城跡)を見学

 立ち寄ったのは杷木神籠石。白村江の戦いでの惨敗を受けて、唐の侵攻に備えて大和朝廷が各地に作ったとされる山城の一環・・・とのことなのだが、ただの削平した丘という印象で、古代山城というよりは中世館城にピッタリのような・・・と思っていたら、ここは鵜木城跡という秋月氏の出城の一つだったとの情報もネット上にあり。確かに頂上に簡単な建物が建つスペースがあり、その周りをグルリと横堀とも曲輪ともつかない構造が取り巻いているので、城としての構造をなしている。

遠くから見ると完全に丘

遺跡は何段かになっている

最上段は削平されて曲輪状

土塁と横堀が取り囲む構造

 どうも古代山城の全貌を把握するにはここだけでなく、国道の北側の山の方も調べないといけないようなのだが、今日はそこまでの時間的余裕も体力的余裕もない(昨日ツケで足腰がガタガタである)ので、この辺りで切り上げることにする。

 

 

長崎空港へ移動すると、長崎新幹線で武雄温泉駅へ

 杷木ICで大分道に乗るとそのまま長崎道へと乗り継いで、長崎空港までは高速道路はスムーズに流れており、予定よりもやや早めに大村ICに到着する。空港近くでガソリンを満タンにして車を返却した時には予定よりも30分以上早かった。

極めて順調に長崎空港に到着

 さてここから飛行機で帰還・・・ではない。私は今回三連休の前後に有給休暇を付けており、遠征日程はもう一日ある。今日は長崎で宿泊予定。長崎に車を持っていっても邪魔になるだけだから、ここで車を返却してバスで長崎入りする予定・・・だったのだが、ここでまた予定を変更。先日開通した長崎新幹線を見学することにする。長崎空港から新大村までの交通が難儀なのだが、現在は実証実験として長崎空港→新大村→大村ICターミナルの間の乗り合いタクシーが運行されていると言うことなのでこれを利用することにする。以前よりこの区間の交通の便が著しく悪いということを感じていたので、この便の運行は妥当である。ただ周知されずに利用者が低迷したら実験で終わりということになりかねない。

 まだ車の到着時間まで30分以上あるので、土産物でも覗こうかと2階に上がると荷物検査場の前に数百人レベルのとんでもない大行列が出来ている。長崎空港は混むときにはとんでもない混み方をするのは以前にも経験していたが、こんなひどいのは初めて見た。やはり帰宅を明日に予定していて正解だったとつくづく感じる。

 しばし時間をつぶしてから、乗り場で待っていたら目の前の貸切表示がしてあるタクシーが乗り合いタクシーとのことで、私ともう一人他の客を乗せると、予定よりもやや早めに出発する。新大村駅まで10分ちょっとぐらいか。それにしても新大村駅の周辺は何もない。住宅地と言ってもその住宅も最近建った雰囲気。恐らく元は田んぼだったのではないか。

新大村駅は何もないところにある

 新大村駅に到着するとe5489で予約した新幹線のチケットを確保するためにみどりの券売機・・・と思ったのだが、券売機はどこにもない。ではみどりの窓口と思ったら、係員が今休憩中らしく窓口が閉まっている。窓口再開は11時50分と書いてあるんだが、12時1分発の武雄温泉行きの列車の切符の発行にそれで間に合うんだろうか? そうこうしているうちに窓口の前に徐々に長蛇の列が。流石にそれを見てヤバいと思ったのか、窓口は予定より5分ほど早く開いて慌てて客を捌く。3人がかりでドタバタやっているんだが、どうも発行の機械は1つだけのようで、入れ替わり立ち代わりで慌てて客を捌いている。何か今ひとつ準備不足感の強い状況である。

新大村駅にはみどりの券売機はなかった

 

 

 何とか切符を受け取るとホームへ。長崎新幹線は6両編成なのでホームは短い。やがて車両が到着するが、やけにソロリソロリとホームに入ってくる印象。

やや短めの新大村駅の新幹線ホーム

新幹線がソロソロと入ってくる

博多行きとなっているが、実際はこの列車は博多には行かない

 内部の座席は広めで木のテイストなのは九州新幹線と共通。そもそもこの路線の正式名称は西九州新幹線(私は長崎新幹線と呼んでいるが)とな。

内部は木のテイスト

 新大村から北上する少しの間は車窓の風景もあったのだが、すぐにトンネルに突入する。結局はバカっ速い地下鉄というのは九州新幹線と変わらないようだ。トンネルを出るとすぐに嬉野温泉駅を通過して、再びトンネルに入って出てくると武雄温泉駅である。

 

 

武雄温泉に到着したが・・・

 武雄温泉駅では対面で特急みどりが待っている。全線開通したらこの特殊な状態は解消されるらしいが、佐賀がやはり工事の分担の件でごねているという。確かに長崎には悲願かも知らんが、佐賀にしてみたらわざわざ大枚はたいて新幹線を通す意味なんて微塵もないんだよな。

かつてんの新八代駅を思わせる対面乗り換え

かつてのリレーつばめもこの787系だった

 武雄温泉駅で下車すると、重たいキャリーはコインロッカーに放り込んで身軽になってから散策に出る。南口を出てみると何やらイベントが開催されているようで、多くの出店が出て賑わっている。とは言うものの、プラッと見て回ったが私にはあまり興味は湧かない。

武雄温泉の南口は何やらイベント開催中

かなり賑わっている

 

 

疲れ切っているので、結局は近場でランチを摂っただけで引き返す

 当初予定は武雄温泉の楼門の辺りまで足を延ばして、共同浴場で入浴していこうかというもの。しかしいざ歩いてみるとグーグルマップではついそこに見えている楼門までの距離がやけに長い。と言うか私の足が想像以上に終わってしまっていて全く歩く気にならない。武雄温泉の共同浴場は初めてでなく以前に行ったことがあるし、こんな中で無理してまで行きたいというほどの湯でもなかったと思われることから、もう入浴はやめて近場で昼食を摂って移動することにする。

やや閑散とした北口から出る

 Google先生に近場でランチを取れる店のお伺いを立てると「新玉」なる仕出し割烹店がヒットするのでそこに立ち寄ることにする。ランチメニーは数種類あるが、基本的に刺身か煮魚かうなぎ辺りの組み合わせの模様。

仕出し割烹の「新玉」

 うなぎは小さめの二切れだけだが、まあランチ価格を考えると妥当なところか。うなぎはともかくとして、付け合わせの煮物がシッカリと味がついていてまずまず。概ね妥当な内容のランチであると感じる。

うなぎのランチ

 

 

長崎新幹線で長崎へ移動

 ランチを取っただけで結局は長崎に折り返すことにする。新幹線の武雄温泉駅には封鎖されたホームがあり、そちらは晴れて全線開通となった時に使用されるようだが、しかし考えれば考えるほど、この新幹線って佐賀にとってはほとんどメリットがないんだよな。工事費分担させられてほとんど通過だけの新幹線が通った挙げ句に、在来線が切り捨てられて地元に押しつけられて3セク運用でもすることになったら、結果としては佐賀には負担しかないんだよな。私が佐賀知事だったら、工事費負担0になっても反対するわ。

武雄温泉駅のホームでは列車が停車中

それにしてもかなり長い鼻先だ

時間が着たら乗車

最近の新幹線はテーブルが小さくて使いにくい

 武雄温泉駅を出た新幹線は大きく左に迂回してトンネルに突入。嬉野温泉駅で乗客を拾った後に新大村駅へ。やはりこの路線でトンネル外を走るのは新大村の前後だけ、新大村を出ると諫早へは長いトンネルの先だし、諫早を過ぎれば後はひたすらに長いトンネル。そしてトンネルを出た時には長崎駅のすぐ手前である。

 結局はやっぱりバカっ速い地下鉄に過ぎず、乗って面白いものでないのは今時の新幹線。もしリニアが開通してもやっぱり、鬼のように速い地下鉄になるだけなんだろうな。やはり合理主義に徹するだけの乗り物は面白くない。

長崎駅に到着

 

 

久しぶりの長崎駅は変わり果てていた

 長崎駅に到着したが、新装なった長崎駅はやけに町から遠くになったのに呆れる。どうやら以前の長崎駅のさらに奥に作ったようで、昔は長崎駅の真ん前だった路面の駅がはるか向こうに見える。本来の駅ビルも今や駅からはるかに遠くで、現在は何やら新しいビルが建築工事中。これは正直なところかなり不便になった。

長崎駅を出てみると

駅前には何もない

そして長い通路を延々と歩かされる

さらに工事現場の横を歩いて行く

路面電車の駅ははるか向こう

確か以前はこの奥が長崎駅の改札だったはずだが

 

 

ドーミーインプレミアム長崎駅前で宿泊

 長崎での宿泊ホテルはこの度新たにオープンしたドーミーインブレミアム長崎駅前。天然温泉付きが売りのホテルである。実は長崎はそもそも温泉浴場付きホテルはほとんどなく、それどころか大浴場付きのホテルさえ少ないというのが以前からの難点だった。ドーミーインと言えば中華街近くにもあるのだが、あそこも人工温泉である。そういう点では今度オープンしたドーミーは非常にツボを押さえていると言える。問題は宿泊料がやや高いことだが。

ドーミーインプレミアム長崎駅前

 ホテルの部屋は最近のドーミーの標準タイプ仕様。洗面台が外にあり、トイレとシャワーブースという構成の機能的な部屋である。

洗面台は外にある

最近のドーミーイン標準タイプ

 とりあえず荷物を置くと、取るものとりあえず最上階の大浴場へ。ただし最初の目的は入浴でなくて洗濯。ドロドロのズボンにビシャビシャの靴下、さらに今まで着たシャツや下着の類いを一気に洗濯に放り込む。ドーミーはこれが出来るから、長期遠征の時にはどこかに入れておきたいところである。

最上階にある鶴港の湯

 洗濯物を洗濯機に放り込んだらそのまま入浴。温泉分析書を見れば、源泉は長崎ゆりの温泉とある。Google先生にお伺いを立てるとそのままの名前の温泉が長崎市街の北部にある。そこから運び湯をしているのだろう。泉質は弱アルカリの単純泉である。肌当たりは柔らかさがあるが、無色無味無臭で特に強い浴感はない。特に今朝に日本でも有数の特徴的な湯に浸かってきたところなので、それと比べると新湯に近いのは言うまでもないが、実際は新湯よりもやさしい湯である。風呂上がりにアイスキャンディーが用意してあるのはドーミー高級ホテル仕様。

 風呂からあがると部屋で例によっての仕事環境構築の後に執筆作業・・・と言いたいところだが、体力が限界に近づいていて集中力も保てない。結局はほぼボンヤリと過ごすのみ。そうこうしているうちに6時頃になって来たので、とりあえず夕食のために外出することにする。

例によっての仕事環境構築

 

 

夕食は中華街で

 といっても特別な当てもないし、かと言って新規な店を開拓するために散策する体力が根本的にない。昨日の山城巡りでの益富城での長距離歩行に、松尾城でのズルズルの斜面の上り下りで足が完全に終わってしまっている(1万2千歩を歩いて34階を登っている)。太ももが脱力してしまっていて、歩いても突然にカクンと足の力が抜けてしまう状態。歩き回るのは到底不可能なので、とりあえずアプリで路面電車の24時間チケットを購入して、それで行けるところを考える・・・となったら、必然的に行き先は中華街ぐらいしか思いつかない。ホテル近くの店も考えたが、基本的に和食の店のようなので、温泉旅館巡りをしていたら「もう和食はそろそろいいかな」という気分になってしまっている。

足腰が完全にヘロヘロなので、できる限り路面で移動する

中華街に到着


 中華街に到着するといつもの如く何も考えずに「京華園」に入店して、これまた何も考えずにチャンポンとチャーハンと杏仁豆腐を頼む。全く持って工夫なさ過ぎである。

いつもの京華園

 まあいつもの味なんだが、今回は心持ち味が薄めに感じるのは私の体調の問題だろうか。ちなみに一番美味しかったのは杏仁豆腐だったりする。よくよく考えると、私はこの店のチャンポンやチャーハンよりも、実は杏仁豆腐に魅入られているのでは・・・。ここの杏仁豆腐は何やら練乳的な味がして妙に美味いんだよな。

いつものチャンポンに

いつものチャーハン

そしていつもの杏仁豆腐が滅茶苦茶美味い

 夕食を終えるとホテルに戻ってくる。ホテルの一階にはセブンイレブンが入っているので(これもドーミー新中華街のファミマよりも良い)、飲み物と夜食を調達。

夜の長崎の町

 結局はこの後も何が出来るでもなく部屋でゴロゴロと過ごす。10時頃になったところで、ドーミー名物の夜泣きラーメンに繰り出すと、ついでに大浴場に立ち寄って入浴。その後は無料のマッサージチェアで体を少しほぐしておくが、今の私の体の状態だと焼け石に水である。

 この日はろくに仕事も出来ない状態のまま、早めに就寝するのである。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

益富城、松尾城を攻略して、ドロドロになってたどり着いた筑後川温泉は天下の名湯だった

今日は山城攻略に繰り出す

 翌朝は7時前まで爆睡状態。それにしてもかなり寝た。疲れが取れたというか、むしろ体がだらけたような気も。目覚めたところでとりあえず、昨日何の作業もせずに寝ちまったので原稿の執筆から。

 ある程度作業をしたところで朝食に行く。朝食はバイキング。内容的には品数はそう多いというわけでもないが、まあまあというところか。とりあえず和洋両用でガッツリと腹に入れておく。

バイキング朝食

 さて今日の予定だが、今日は筑後川温泉で宿泊するつもりでホテルを予約している。それまではこの周辺の未訪問山城を攻略の予定。ただ天気予報によると今日は午後ぐらいから雨とのこと。これだとかなり行動が制約されることになりそう。状況によっては目的地をリストラする必要もありそう。とりあえず今日は特に急ぐスケジュールでもないのでチェックアウトの11時手前まで入浴したり、原稿の続きを打ったりなどして過ごす。ようやく昨日の分の原稿を仕上げてそれをアップし終わったころには10時過ぎ。慌てて荷物をまとめるチェックアウトする。

 空はかなりの雨模様だが、まだ雨が降り出してはいない。出来れば雨が降る前に行動したい。まずは最初の目的地である益富城方面に向かうが、その前に一カ所道すがら立ち寄りポイントを急遽増やしている。

 

 

王塚古墳の見学

 博多から山間を抜けてほぼ真東に走る。1時間程度走ると桂川に到着。ここにある王塚古墳が最初の立ち寄り先。近くの王塚装飾古墳館に車を置くとまずは展示を見学。

王塚装飾古墳館

 王塚古墳とは六世紀前半に作られた前方後円墳だという。そこの石室から豪華な装飾壁画が発見されたことから、国の特別史跡に指定されたという。

正面に見えるのが王塚古墳

出土品の数々

馬具が副葬されていた

このような形で使用されたと推測される

 

 

 九州の北部地域には大和政権からは独立したかなり有力な豪族がいたことからそれらの墓であろうか。副葬品として馬具などが発見されており、壁画にも馬の姿が描かれていることから騎馬を使用した部族のようである。

石室の復元

内部は装飾画がビッシリと描かれている

独特の文様

 古墳館から見える真正面に王塚古墳はある。前方後円墳にしては方墳の部分が小さい印象があるが、土取りで崩されてしまったらしい。まあそんなこんなで消滅してしまう古墳は少なくないんだが、この古墳の場合は装飾された石室が見つかったことで急遽保存が決定され、ある程度復元も行われた模様。現在は石室は空調で管理して保存されている模様で、たまに一般公開もされているようだが、この秋の一般公開はコロナの影響で中止という張り紙が古墳館に貼り出されていた。

王塚古墳には保存施設が建設されている

方墳の方には削られた跡が

 

 

益富城を見学する

 王塚古墳の見学を終えると益富城に向かう。益富城は桂川の南東、国道211号線の東にそびえる山上にある。途中で一夜城←という看板が出ていて、そこを運動公園などがある山道を走っていくと登城用の駐車場に行き当たる。結構高い山上にある城郭だが、ここでかなり高度を稼げるので、後は尾根沿いに水平移動がほとんどになるので楽である。

ここを左折して山に向かう

 益富城は秋月氏を攻める時に秀吉がここに一夜で間に合わせの城を建築したという伝説があり、それが看板に出ていた一夜城伝説のようである。これに恐れおののいた秋月氏は逃亡したらしい。後に後藤又兵衛が城主となったが、出奔したことから、母里太兵衛が城主となり、その病死後に一国一城令で廃城となったという。

益富城縄張り図

 駐車場周辺を見渡しただけでとにかくかなりの規模の城郭であることが分かり、久々に私の山城魂に火が付く。「城着!!」山城エネルギーに晒された私は、この掛け声で伝説の戦士センダーやイソダーのように0.02秒で城オタ戦士シロダーに変身するのである。変身することによって体力及び持久力は倍増し、冷静な判断力は半減する。「バカさって何だ、懲りないことさ。城愛って何だ、躊躇わないことさ。」装備はシロダースティック(登山用杖)、シロダーアイ(キヤノンKissデジタル)、シロダースプレー(虫よけスプレー)、シロダーポーション(ミネラル麦茶、別名「ライフライン」)、シロダーシールド(折りたたみ雨傘)である。なお九州地区は熊は絶滅とのことなのでシロダーバズーカ(熊撃退用唐辛子スプレー)は装備していない。

駐車場脇には広大な谷筋

 

 

 出丸、別曲輪方向の道もあるがまこれは後に回して、まずは本丸方向に向かって遊歩道を歩いていくと、いきなり別曲輪なる独立曲輪に出くわす。どうやら谷筋を守っているようだ。この曲輪だけでも結構大きい。

いきなり出くわす別曲輪

谷の向こうのずっと奥が城の本体

 そこから整備用の軽トラが入ると思われる道を進んだ先にあるのが、本丸を守るための空堀。なお畝城竪堀もあるようだが、残念ながらそれはあまり明瞭ではない。

軽トラも入ると思われる登城路を進む

いきなり空堀

 その反対側にある大きな曲輪が水の手曲輪で、かつてはここの奥にため池があったらしい。奥に石垣跡というか、巨石がゴロゴロしているところがあるが、確かにこの周辺は今は水がないが、それでも水の気配を感じる。

水の手曲輪

奥には「石垣跡」とある

畝城竪堀は残念ながら不明瞭

一方空堀は明瞭である

 

 

二の丸に到着

 ここから軽トラ用と思われる道路を直登すると、山上の二の丸に行き当たる。ここに城跡碑と後藤又兵衛の顔出し看板が立っている。

軽トラ道路を登っていく

二の丸に到着する

 左手奥には明確な枡形虎口があり、ここが搦め手口とのこと。この先の下にも数段の曲輪がある。では先ほどの直登ルートは裏口であろうか?

枡形虎口

その下に曲輪が見える

 二の丸は山容に従って北西の奥に深く、奥には東屋が建っている。ここからは辺りを一望することができる。

横矢

奥に深い

東屋の奥にはさらに本丸が見える

辺りを一望できる

 

 

本丸もかなり広い

 その奥は本丸で、ここには本丸御殿ならぬ謎の建物が建っているが目的は不明。かなり大きな曲輪である。右手には櫓跡が存在している。

本丸御殿?ではなさそう

ここも奥に深い

この石積みの上は櫓跡

 奥には巨大な枡形虎口があり、どうやらそこが大手口の模様。ここになぜか展望台が建っているが、ここから見ると枡形虎口の構造が良く分かる。

巨大な枡形虎口の奥になぜか展望台

展望台の上から枡形虎口の構造が良く分かる

 

 

本丸虎口を抜けて馬屋跡へ

 通常なら本丸まできたところで引き返すところだが、既にバーサークモードに突入している私は、大手口からさらに先を見学することにする。

さらに下っていく

北方向に向かって降りる道がある

途中に畝城竪堀の跡がある

 この大手口から降りて行って、途中から北に向かって下っていくと馬屋跡と記された曲輪群に行き当たる。実はここが元々の秋月氏の城ではという話もあるようだが、確かに地方領主のいざという時のお籠り城なら十二分なだけのスペースはここだけでもある。

下の曲輪に降りてきた

複数段の曲輪を降りていく

一番下が馬屋跡とある

 

 

出丸方面へ

 再び車のところまで戻ってくると今度は出丸と別曲輪の見学。手前の出丸は独立曲輪になっていて、谷筋を挟んで本丸と向かい合う形。単独での守備力も高そう。

駐車場に戻ってくると出丸・別曲輪方面へ

進んだ先が出丸との分岐

出丸へ

ここも広い

谷筋を見張っている

 

 

別曲輪はかなり広大

 そこからさらに先に進むと別曲輪だが、この別曲輪は複数あってどれも規模が大きい。このような別曲輪まで考えると、この城の収容可能人員の多さに驚く。通常の山城だとこの別曲輪の規模もないところが多い。この部分だけで数千人は収容可能。とんでもない規模の山城である。

別曲輪方面へ

この手の曲輪が複数存在する

奥にいくらでも

ただし先に進むほど足元が怪しくなる

ついにこの状態になりここで断念

 とにかくこのレベルの山城がまだ残っていることに驚いた。久々に私の準100名城Aクラス相当の城郭である。

 

 

松尾城に向かうが・・・

 ちょうど益富城の見学を終えたころから雨がぱらつき始める。次はここから南下して松尾城跡に向かう。松尾城は戦国時代に秋月氏の家臣であった宝珠山山城守の居城だったとのこと。1600年に関ケ原の功績で黒田長政がこの地を支配したが、一国一城令で廃城となったという。

松尾城縄張り図

 現地にはかなり立派な駐車場が整備されており、看板まで設置されているのだが、いざ進み始めると傾斜が思っているよりもキツイのに、足元は下草が茂っている上に湿った土で滑りやすいというかなり難儀な状態。どうにかこうにかルートを推測して登ったが、途中で何カ所も倒木で塞がれているし、どうも整備がされずに長らく放置されている印象を受ける。

駐車場及び案内看板は整備されているが

登城路がかなり荒れている

 恐らく山城ブームに乗っかって地元の新たな観光地と一旦本気で整備したものの、観光客誘致効果があまりなくて地元が飽きてしまったのではという気がする。全国各地の山城跡で結構見かける構図である。

完全に道なき道になってしまう

 

 

藪に埋もれて何が何やら、さらに降りるのが大苦労

 何度も滑りながらようやく城跡にたどり着く。大手虎口の石垣は修復されて立派なのだが、残念ながら城跡全体が茂りまくった草に埋もれてしまっている。城内の建物礎石跡なんかも藪の中だし、周辺にあるという畝城竪堀なども全く確認のしようがない。

虎口周辺は復元されているが

建物礎石跡は藪に埋もれている

城内はこのありさまで何が何やら

 というわけで残念な城郭見学になってしまったのだが、本当の困難はこれからだった。往路ではどうにかこうにかルートを判断できたが、復路になるととにかく足元が下草だらけでルートが明確でないせいで、複数のルートが見えてどれが正規ルートか分からない。しかも足元は小雨でさらに滑りやすくなっており、何度も転倒してそれでなくても下草でビショビショになっていたズボンが泥でドロドロ。途中で完全にルートを見失って結局は正規ルートから全く外れた場所に降りてきてしまったのである。

こんな離れたところ(遠くに見える看板が正規の登り口)に降りてしまった

 途中から傘なんてさせる状態でないから、上半身はずぶ濡れ、下半身はドロドロである。とりあえずこのままだとレンタカーの運転にも問題ある(そもそもシートに座れない)のでズボンは履き替えるが(山城探索でズボンが駄目になるのはよくあるトラブルなので、大抵は替えを用意している)、これで完全に戦意喪失である。既に3時近くになっているし、雨はひどくなってきているのでこれ以上の予定の実行は困難と判断して、このまま今日の宿泊ホテルへと移動することにする。

 

 

ドロドロになりながら筑後川温泉に到着

 山道を突っ走ことしばし、4時前ぐらいにホテル花景色に到着する。ここは筑後川温泉ということで、本館にも大浴場があるが、表には日帰り入浴施設の虹の湯があり、宿泊客はこちらも利用できるというシステム。

ホテル花景色

 とりあえずチェックインを済ませて部屋に入る。部屋は典型的な旅館の部屋にベッドを2台入れたという構造。ベッド化することで布団敷きがいらないというコスト削減のメリットがある。何となく昔ながらの旅館をコスト削減して持たせているという印象がある施設。空調も元々は集中管理だったものを後で個別空調を追加した様子がある。なお温泉旅館ながらWi-Fi装備なので、これは恐らくインバウンド対応。

標準タイプの旅館部屋に大きなベッド

窓からは筑後川

筑後川の風景

 コインランドリーがあればドロドロになったズボンなどを洗濯したかったのだが、コインランドリーはないようなので仕方ないからドロドロになった傘をとりあえず洗い流しておく。

 一息ついたところで近くにスーパーがあったことに気付いていたので、そこまで買い出しに行く。気が付けば今日は何だかんだで昼食を摂っていない(私の山城遠征はとにかく昼抜きになることが多い)。さすがに夕食までにせめてパンぐらいは腹に入れておきたい。

 スーパーでパンと夜のスイーツを購入。スプーンをもらおうと思ったら「プラスブーンは廃止しました」とのこと。ご近所さんならそれで良いだろうが、私のような旅行者はそれだと困る。これもセクシー大臣の最後っ屁である。結局あの大臣は何一つとしてまともな政策をせず、無駄に市民生活を混乱させただけだった。仕方ないのでとにかく何か代わりになるものとして、アイスクリーム用の木の匙をもらって帰る。

 

 

筑後川温泉は想像以上の名湯だった

 ホテルに戻ってくると入浴することにする。まずは虹の湯の方を訪問。貸切風呂の無料券をもらっているのだが、貸切風呂は日帰り客で一杯とのことで、どうやら8時ぐらいにならないと空きが出なさそう。そこでとりあえず8時に予約を入れておいて(宿泊客特権)、大浴場で入浴することにする。

別館の日帰り施設「虹の湯」

 大浴場はどことなく昔の共同浴場の趣がある。ただ風呂場に入った途端にヌルヌルした湯で足を滑らせて、風呂マットの上で大転倒、幸いにしてけがはしなかったが、危ういところであった。これは足腰の弱った老人は要注意である。

複数の貸切浴場があるが、まずは大浴場へ

 浴槽は岩風呂で、中央で仕切って上流を標準湯、下流をぬる湯としている。まずは下流側で体を慣らしてから上流に入浴するが、そもそもそう極端に温度が高くはない。泉質はこれがアルカリ性の硫黄泉というかなり珍しいもの(硫黄泉は硫酸塩などになるので酸性泉が多い)。かなり強烈なヌルヌル感(だから入口で転倒したのだが)があるところに、硫黄臭が漂うというかなり強烈かつ上質の湯であり、その点では他の追随を許さないというところがある。

 かなり強烈な湯を堪能した。その後はホテルに戻るとホテルの大浴場でも入浴。基本的に湯は同じはずだが、虹の湯の方が濃厚に感じたのは湯の使い方に違いがあるのだろうか? なおなぜかこちらには滑り台がついているのだが、これは子供がプールと勘違いする原因になるので、ゆっくりと湯を楽しみたい向きには邪魔。

 とりあえずゆったりと湯を堪能した。筑後川温泉は初めて来るが、まさかここまで強烈な湯に出会えるとは予想外だった。泉質では日本でもトップ10には余裕で入るのではないか。嬉野温泉も実に良好な泉質だが、そこにさらに硫黄泉を加えた最強の美肌の湯がここになる。これでまた私もさらに男前があがるというものである(笑)。

 部屋に戻ってくるととりあえず仕事環境構築。Wi-Fi装備があるので問題なく仕事環境は作れるが、問題は私の体調の方。既に今日の山城のダメージ(益富城で長距離歩いたダメージは地味に、松尾城で滑って転びまくったダメージは露骨に)が体に響いていて、胡坐の姿勢で長時間テーブルに向かっていると集中力が続かない。何だかんだで四苦八苦しながら原稿作成に取り組んでいる内に夕食の時間がやってきたのでレストランの方に出向く。

仕事環境は構築できたものの、作業ははかどらず

 

 

夕食に出向く

 夕食はお約束の通りに会席料理。刺身が付いているが、イカにブリにヒラメの縁側と筑後川沿いだが川魚はない(笑)。

お約束の会席料理

 小鉢類は様々な盛り合わせで見た目が美しいし味も良い。

小鉢類は凝っていて美味い

なぜか海魚ばかりの刺身

 鍋は豚の鍋が付いている。

鍋付き

 そして季節に合わせて栗ご飯。一応かまど炊きということになる。モッチリとしてこれも美味。

かまど炊きの栗ご飯は美味い

 後は茶碗蒸しや揚げ物なども登場。

茶碗蒸しに

揚げ物が到着

 さらに煮物も。いずれも美味。

すり身の煮物

 これに簡単なデザートがついて終了。全体的にまずまずの夕食であった。

最後は簡単なデザート

 夕食を終えて部屋に戻ると、原稿入力もしんどくて文章が頭に浮かばない状態なので、試しにタブレットをうちのHDプレイヤーに接続してみるとつながったので、ボーッとそれを視聴。仮面ライダーが終わったぐらいで8時前になったので虹の湯の方に貸切浴場に入浴に行く。

 確保されていたのは家族湯のばしょう。どの辺りがばしょうなのかはよく分からないが、小さめの浴槽に良質の湯がダバダバと注がれて常にオーバーフロー状態。ここでゆったりと自分のペースで長めに入浴する。まさに極楽である。体がクタクタにとろける感じで、このままシチューの具になりそうである。

 

 

貸切湯をたっぷりと堪能する

 貸切湯を十二分に堪能して帰ってくると原稿執筆・・・と思ったが、全く頭がまとまらないので5分で断念してベッドの上にゴロンと横になりながら、タブレットでしばしネットブラウズ。結局はそのまま疲れが出てきたので早めに就寝することにする。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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難所の松牟礼城を見学して、宝泉寺温泉のお洒落なホテルで温泉三昧

まずは美味い朝食を堪能してから筋湯温泉を後にする

 翌朝は7時ごろに起床すると、まずは入浴して体を温める。とりあえず体温を上げないと活動もままならない。大浴場でのんびりゆったりとくつろいでから朝食に出向く。

和食の朝食

 朝食はお約束のような和食であるが、焼きシイタケがあるのがご当地っぽいか。肉厚のシイタケがなかなかに美味い。これは日頃シイタケはほとんど食べない私が言うのだから間違いない。野菜嫌い、魚嫌いなど人によって好き嫌いはよくあるが、往々にしてその原因は「本物を食べたことがない」ということにある場合が多い。ご当地で本当に良いものを食べたら必然的に好き嫌いは減る。私も最初はかなり好き嫌いが多いほうだったのだが、各地に行っていろいろ食べているうちに好き嫌いが激減した。

焼きシイタケがご当地らしい

 朝食を堪能するとチェックアウト時刻の10時まで部屋でグダグダしてからチェックアウトする。こういうギリギリまでホテルでグダグダするのは、今回の遠征が無目的ノープランであることが大きいが、実のところ朝一番から活動する気力及び体力がなくなったというのもある。これが30代くらいのころなら、まさに寸暇も惜しんで早朝出発というのが常だった。時にはホテルに頼んで早朝の6時にチェックアウトさせてもらったこともある。あの頃はホテルといえば本当に寝るだけだったから、ビジネスホテル以外の選択肢なんてなかったが。また日本各地も刺激に満ちており、各地に未訪問の山城、美術館、名所などがあった。年を取るというのはそういうフロンティアが無くなることも意味している。

 

 

九州芸術の杜に立ち寄ることにする

 さてチェックアウトしたものの、細かい計画は全く立てていない。とりあえず思いつくのは、この近くに九州芸術の杜なる美術館があったはずという情報。俳優である榎本孝明氏の美術館を始めとして数人の作家の作品を集めた別荘美術館というようなものらしい。まあこの手のリゾート美術館には大したことのないところが多いのだが、何も予定がないよりはマシだろうと向かうことにする。

 現地にはすぐに到着する。入場料金を払って入場すると、一番手前にあるいかにも別荘風の榎本孝明美術館。俳優として有名な榎本氏だが、どうやら絵画の趣味があるのか、各地を訪れた際にスケッチなどを多数描いているようである。そのようなスケッチを展示してある。正直なところ自ら絵画を描かない私にはその技量のほどは判断できないのだが(何しろ私の画力は「鬼灯の冷徹」に登場した白澤とタイマン張れるレベル)、変に技巧的でなくて非常に素直なタッチであるのが好感を持てる。

榎木孝明美術館

 隣にあるのが小路和伸氏の美術館だが、アクリル絵の具の鮮やかな色彩で描いたやけに空に固執している風景画が特徴であり、かつなかなかに魅力的である。非常にイラスト的なので一般受けもしやすい作風。なお向かいにかなり爆発した建物が建造中であるが、それは小路氏が自ら建造中(まさに自分自身でセメント練って建てているらしい)というアトリエで、完成まであと数年かかる見込みとか。

小路和伸美術館

この爆発している建物は建設中のアトリエ

 これ以外にも洋画家工藤和男氏の美術館がある。彼の作品は濃厚な色彩で描いた漁港の人々の姿などのインパクトの強い作品が多い。

工藤和男美術館

 実に端正な日本画を描く後藤純男氏のリトグラフを展示した美術館などもありここは展示作の販売も行っている模様。

後藤純男リトグラフ館

 笑えたのは城本敏由樹氏の美術館。非常に力強い赤富士などのインパクトが強烈な作品を展示してあるのだが、その合間に「私は絵が下手だからこんな作品でごまかしてるのではありません」と言わんばかりに写実的な鯛の絵などが同時に展示してあること。なんちゃって自称アーティストの中に本当にまともな絵を描けないのがいるから・・・。ちなみに私は彼の強烈な作品には結構好感を持った。

城本敏由樹美術館

 なんだかんだで各美術館を散策しながら回っていたら1時間ちょっとぐらいを費やした。正直なところ全く期待していなかったのであるが、案に反してなかなかに面白かった。これは上々。

 

 

松牟礼城を見学することに

 九州芸術の杜の見学を終えたところではたと困ってしまう。今日はこの後が完全にノープランである。しかしまだ午前である。そこで今まで調査した諸々を頭の中でザッとひねくり回して、一つのプランに行き着く、松牟礼城を見学しよう。

 事前の調査によってここから東にかなり走った山中であるが、松牟礼城なる山城があることが分かっていた。ただ先人達の記録によると「車ですぐ近くまでいけるものの、その道路に難がある」とのことだった。正直、体力も運転の腕も自信のない私はパスかとも思っていたのだが、ここまでノープランになってしまうとこのぐらいしか思いつかなかった。

 松牟礼城は奥豊後グリーンロードから脇道を進んだ先にある。この奥道後グリーンロード、名前からするとハイウェイか何かのようだが、実際はグリーンロードの名の通り、森の中を突っ走るハイランドウェイである。しかも場所によっては1.8車線ぐらいになるところも。この道からさらに脇道へとなると不安が過ぎる

グリーンロードに脇道がある

 10分程度でその横道の入口にさしかかる。あまり目立たないが松牟礼城の案内看板も立っている。とりあえず入口は侵入に不安を感じさせるような雰囲気はない。しかしいざ進み始めると100メートルほどですぐにすれ違い困難な道幅に突入する。こうなると対向車が来ないことをひたすら祈るのみである。

分かりにくいが案内看板あり

最初はそれほどひどい道でもない

しかしすぐに道幅は狭まる

 

 

道路はついに未舗装道路に

 しかもこの道路はこれで終わらない。ついには途中で舗装が終わってしまい、その後は未舗装道路。草がぼうぼうに茂る道を車の底を草でザワザワ言わせながら走るしかなくなる。私は「傷へこみ上等」の山城アタック用ノートを持参していたので突っ込んだが、レンタカーで来ていたら引き返さざるを得なかったろう。また大型車、車高の低い車(まさかシャコタンで山城攻める馬鹿はいないと思うが)は断念するしかない。

そしてついに舗装がなくなる(と言うか、これが道か?)

 車の底やサイドをザワザワと草で擦るし、途中でタイヤが滑らないか不安になるような登りはあるしでエッチラオッチラとようやく車で行ける終点にさしかかる。事前情報でこの先に駐車場があるというので、その情報だけが頼りでここまで来たが(もし駐車スペースがなかったら転回不可能)、確かに車を4台ほど止められそうなスペースがある。恐らく作業用車両を駐車するためのものと思われる。なお現在ここの手前の分岐まではGoogleストリートビューで見ることができるが、この駐車スペースについては不明なので私のように不安を感じる人もいるだろうと思うので、その写真を掲載しておく。

この分岐のところまで来られる

このような十二分の駐車スペースがある

 

 

城内を進む

 車を置くと先ほどの分岐を150メートルほど進むと松牟礼城に到着である。最初はなだらかな登りで、本丸が近づいた最後の最後にそれっぽい急な登りがあるが、体力ガタガタの私でも問題なくたどり着ける(ただし息は切れ切れ、心臓バクバクとい情けなさ)のだが、通常の山城マニアなら何の問題もなく5分程度で到着できるだろう。

この分岐を登っていく

道はこんな感じで最初はほぼ平坦

分岐があったりするが

そういうところには案内看板

こういう削平地は明らかに曲輪跡だろう

ここから少し登り

 

 

ようやく本丸到達

 急斜面を少し登って、冠木門ならぬ倒木の下をくぐれば本丸到着である。本丸にはかなり立派な石碑が立っているが、スペース自体はそう大きくない。堅固とは言っても周りからかけ離れすぎているし、やはり最後のお籠りのための城というところか。松牟礼城の詳細は知らないのだが、この辺りを治めていた大友氏配下の田北氏のお籠もりのようの城だったとか。周りに小削平地はいくらか見られたので、数百人ぐらいは籠れそうではある。まあこんな山奥まで追っかけて攻めようとするやつが本当にいるのかは不明だが・・・と思ったのだが、城主不在のおりに島津が落としたらしい。さすが島津バーサーカー軍団、見境がない。

斜面を回り込むように登る

登り切ると冠木門ならぬ倒木門が

本丸へ到着

立派な城跡碑が立っている

 下を見るとまだ尾根筋沿いに先があるような雰囲気はあったが、これ以上降りていく気もせず、ここで引き返すことにする。コアな山城ファンならいろいろと遺構を見つけ出すのかもしれないが、私のレベルでは石碑が立っている主郭が一つで、その周辺に曲輪の可能性のありそうな箇所がチラホラという程度の感覚である。

回りはかなり切り立っている

尾根筋沿いに何やら構造がありそうな雰囲気はあるが・・・


 正直なところあの道だと「こんなところに長居は無用」という感覚の方が強い。空模様も今日はずっと朝から怪しいし(おかげで灼熱地獄にさらされずに済んだのだが)。というわけでスゴスゴと撤退。グリーンロードに出てきたらホッとしたのである。ああ、あの道から出てきたら、このグリーンロードもハイウェイに見える(笑)。

 

 

長湯温泉のかじか庵で昼食と入浴

 さてもう昼時を過ぎているし、先ほどのあの程度の移動でも汗をかいた(正直なところ、悪路走行の冷や汗の方が多い気もするが)。どこかで昼食を摂るついで一汗流したい。と思ったところでこの近くで思いつくのは長湯温泉である。以前の九州遠征でかじか庵に宿泊したが、あそこはレストランも経営していて、実際に朝食が美味かったのを覚えている。泉質抜群の温泉もあるし、そこに立ち寄ることにする。

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 長湯温泉へはグリーンロードから10分程度である。1年半ぶりにかじか庵を訪問する。まずはレストランの「食事処せり川」の方に入店すると、川魚づくしという「せり川御膳(2200円)」を注文する。

かじか庵に到着

 エノハの塩焼きにうなぎ、さらに鯉の洗いまでついていて川魚のフルコースである。エノハを頭からバリバリ頂くが、やはり川魚は美味い。そして鯉の洗い。これは私の大好物。もう涙が出そうなほどに美味い。やはり川魚は海の魚より野性味があって味が濃いのが何よりも魅力である。川魚フルコースを堪能して、満足度の極めて高い昼食を摂ったのである。思わず「ああ、生き返る」という言葉が出る。

鯉の洗いにエノハの塩焼き

さらにうなぎまで

 昼食の後はかじか庵の浴場「湯処ゆの花」で入浴することにする。ここの浴場はマグネシウム・ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩泉ということで、いわゆる炭酸泉であるが、41度のお湯を無加水・無加熱・無消毒・無循環で純粋なる源泉かけ流しを行っている。湧出温度が若干低めなのでぬるま湯の雰囲気だが、ジッと浸かっていると炭酸の効果で体がポカポカしてくる。以前の訪問時は11月だったので若干の肌寒さもあったが、今のシーズンならまさに最適である。ラムネ温泉のようなこれ見よがしの派手な泡着きはないが、湯が体に優しくまとわりついてくる感じで、通常は烏の行水で5分と入浴することのない私が、いつまでも入浴していられる。以前の訪問時に泉質の非常な良さに感心したのだが、その泉質はそのままであった。また湯の表面一面に浮いている湯の華も。

 美術品で心を癒し、山城を一つ攻略して体を動かし、そして地場の美味い飯を食い、さらに良い湯でたっぷりと体をほぐす。まさに極楽至極、「男はこうありたいね」と一昔前のアメックスのCM(今のご時世だと内容的にアウトだろう)のようなことを呟きつつ、非常に満足の高い一日を送ることができた。後は今日の宿泊ホテルを目指すだけである。

 

 

宝泉寺温泉で宿泊

 今日宿泊する予定のホテルは宝泉寺温泉の「はんなりおやど龍泉閣」。宝泉寺温泉はちょうど筋湯温泉のさらに西なので、ここまで走行した道を戻る形になる。山道を走行すること1時間ほど、ようやく宝泉寺温泉に到着。宝泉寺温泉の温泉街はかなり鄙びた雰囲気が漂っており、秘湯から秘湯に移動したという感じである。

宝泉寺温泉は川沿い

龍泉閣

 龍泉閣にチェックイン。ホテルは綺麗で女性も喜びそうな洒落た雰囲気。そこに宿泊するむさいオッサン(もう既に爺さんか?)一名。コロナ感染防止のために部屋に荷物を運ぶのは止めているとのことだが、感染防止よりも人件費削減ではないかという気も。

ロビーには洒落たカフェが

 部屋は広くてきれい。布団は既に敷いてあるというのは今どきの省力化。だが私はこの方が早めから布団の上でゴロゴロできるので好み。

部屋は広くて綺麗

窓からの風景

 部屋に入るとまずは仕事環境構築。昨日のホテルと違って大きな座卓があるので作業スペースに困らない。意外と機能性が高いのが日本間である。今どきのホテルらしくWi-Fi完備なのでネット接続もスムーズに。と、ここまで来たところで一つ困ったことに気付く。今日はひたすら山の中を走り続けていたので、ライフライン(ミネラル麦茶の意)の補給が全くできていないのだ。とりあえずまだ日が高いうちに買い出しに行くことにする。

仕事環境もスムーズに構築

 ネットで調べたら近くにスーパーファミリーマートなる怪しい食料品店(ファミリーマートなのに営業時間は7時までのようだ)があるので覗いてみるが、日曜のせいか、廃業したのかは定かではないが閉まっているので、さらに先に足を延ばすことになる。結局は九重IC向こうのローソンまで20分近く走行する羽目に。コンビニがない、これは僻地あるあるである。

 

 

とりあえず入浴である

 取りあえずライフラインを補給すると大浴場へ直行する。ここの泉質はナトリウム・塩化物系の弱アルカリ単純泉であり、そう強い浴感はない。ただホテルはメタケイ酸も多いので美肌に良いということを謳っている(やはり女性がターゲットの模様)。クセのない柔らかい湯なのでゆったりと浸かっていられる。湯上りにはナトリウム・塩化物泉の常としてやや体のべたつきを感じる。

男性大浴場

内風呂の奥には小さな露天が

 入浴を済ませるとしばし執筆作業。この宿の資料を調べていると打たせ露天風呂があり、男性は19時までとの記載がある。時間を見ればちょうど18時、慌てて入浴に行く。

庭園露天風呂とあり、屋外である

 打たせ露天とは庭園風呂と銘打ってあるだけあってまさに野外風呂。そこにお湯が降ってきているので、それを滝修行よろしく体に当てるとコリがほぐれるという趣向か。まあそれは良いんだが、正真正銘の野外風呂だけにとにかく浮遊しているゴミが多い。特に虫の死骸が大量に浮かんでいる虫風呂になっている。私は露天とはこういうものと思っているから驚かないが、これは女性は文句言いそう。

打たせ露天

 露天から戻ってきてしばし執筆作業を続けていたら夕食の時間が来るので大広間へ向かう。

 

 

夕食は綺麗し美味い

 夕食は大広間で。内容はお約束の懐石料理だが、盛り付けに美しさがあるのがこのホテルらしい。

盛りつけからして美しい

寿司に鍋に小鉢など

メインは豊後牛の焼肉

 山の中で刺身などという謎メニューもあったりするが、メインの豊後牛の鉄板焼きが非常に美味い。柔らかい牛肉が絶妙。なおこの鉄板、実は鍬になっているというところが凝っている。

この焼肉が最高

 最後は鍋を楽しんでからデザートのゆずシャーベットを頂いて終了。非常に満足のいく夕食であった。

豚肉の鍋を頂くと

最後は柚子シャーベット

 

 

最後は貸切風呂でマッタリ

 この後は部屋に戻ってしばしの執筆作業ののちに、貸切風呂の方に出向くことにする。こちらは離れにある家族風呂。まあ大浴場も常にほぼ貸切に近い状態なのであえて貸切風呂を使用する理由もないのだが、やはりあるものは体験しておこうという貧民根性。よい湯を独占してゆったりと楽しむ。

貸切風呂で湯を独占

 思い切りくつろいだらもう何か作業する気力など吹き飛んでしまった。結局は敷いてある布団の上でゴロゴロしてそのうちに眠ってしまう。

 

 

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京都の近代日本画展を鑑賞してから、岡山フィルの定期演奏会へ

久方ぶりの岡山方面遠征へ

 この週末は岡山方面に繰り出すこととした。目的は久しぶりの岡山フィルの定期演奏会だが、そのついでに岡山方面の美術館に立ち寄ることも考えている。

 午前中に家を出ると山陽道を笠岡まで突っ走る。最初に立ち寄るのはかなり久しぶりの笠岡の美術館である。ここで京都画壇の画家の展覧会をやっているというのでそれが目的。

竹喬美術館に来るのは久しぶりだ

 

 

「開館40周年記念 栖鳳と京都の近代日本画」笠岡市立竹喬美術館で7/10まで

栖鳳の作品が看板になっている

 竹内栖鳳は竹喬の師匠に当たるが、その栖鳳の作品を初めとして、京都の近代日本画の名品を集めて展示するとのこと。

 まず最初に登場するのは竹内栖鳳の作品だが、幻想的に西洋の古城を描いた「羅馬古城図」に、如何にも獣の栖鳳らしく暈かしや滲みを生かして水鳥を描いた「秋興」などは印象深いところ。また幸野楳嶺の「関公暁月聴蟲図」なんてのも如何にもの作品。

 他に印象に残ったところでは山本春挙の「山村密雪図」の極めて緻密な表現。これに大正デカダンスの空気をかすかに感じさせる木村斯光の「清姫」辺りか。この境地をもっとおどろおどろしくししたら甲斐庄楠音辺りになりそうである。

 展示室を移って、いきなり目につくのは戸田北遙の大作「群蟲図」。あからさまに若冲の「動植綵絵」を意識していることを感じさせる。

 また吹田草牧の濃厚な「日向土々呂」はインパクトがあるが、同じ画家が大正から昭和に変遷すると「梅雨霽」のようにあっさりとした典型的な日本がタッチに変異しているのは非常に興味深いところ。また非常に洋画的な空気のある梅原藤坡の「円山公園」なども印象に残る。

 さらに時代が下ると個性の強い画家が増えるが、そんな中で澤田石民の「豚(習作)」などは不快に見える寸前のリアルな描写が目を惹く。この同じ画家が10年ほどを降った「木瓜に鳥」では伝統的な日本画様式の図案的な作品を描いているというのがこれまた面白い。

美術館の中庭の風景

 マイナーな展覧会であるが、なかなかに面白い作品を見ることが出来た。わざわざ出張ってきた甲斐を感じさせて満足である。

 

 

 竹喬美術館を後にすると、岡山方面を目指す。高速はさして混雑していないが、やはり岡山に降りてくると混雑はひどい。以前から私が言っている岡山ダンジョンは相変わらず健在である。

 岡山シンフォニーホールの近くまでやって来ると、目を付けていた最寄りの駐車場に。しかし目的の駐車場は既に満車となっている。しかも周辺の駐車場に目を配ってもことごとく満車表示。少し車を流してみたが空いている駐車場は皆無である。

 一体何があったんだと頭が疑問符で一杯になる。やけに子供連れの行楽客のような連中が多いから、後楽園で何かイベントでもあったかと思ったが、花見時でも紅葉シーズンでもない今時分に思いつくイベントはない。

 その内に岡山県立美術館の前を通りかかるが、そこで理由が判明する。県立美術館に親子連れが大挙して入場している。県立美術館では本日は「ドラえもん展」の最終日。どうやらそれに駆け込み入場している家族連れが多いようだ。元より私はドラえもんには興味は皆無なので、最初からアウトオブ眼中だったのだが、世間的にはまだまだドラえもん人気は根強いようだ。

 とにかく震源が県立美術館と分かったことから、大通りよりも北の駐車場はほぼ満車と判断し、大通りの南側に降りることにする。予想通りこの辺りの駐車場には普通に空きがある。そこで12時間900円の駐車場に車を止める。

 駐車場の位置は林原美術館から徒歩数分というところ。実は岡山到着が予定よりも遅れていたので、私は林原美術館はカットと思っていたのだが、ここまで来たのだからついでに立ち寄ることにする。

林原美術館の櫓門

 

 

「GOLD-永遠の輝きを探しに-」林原美術館で6/19まで

林原美術館は石垣の上

 昔から金はその輝きによって人を引きつけることから、富や権力の象徴ともなってきた。だからこそ、それを示すべき絢爛豪華な金細工などの工芸品が発達した。またその一方で錆びない金は不滅の象徴として信仰的畏怖も払われてきた。よって金で記した経典なども存在する。

 そのような様々な側面を持つ金を用いた工芸品その他を集めて展示したのが、今回の展覧会。出展作は蒔絵細工の工芸品から鎧甲に刀剣に、さらには金糸を用いた打ち掛けなど多種多様である。

 驚くのは本来は戦の武器という実用的で無骨な武具にまで装飾の類いが施されてきたこと。これこそはまさに権威の象徴だったのだろう。

 黄金の国ジパングというのは東方見聞録で描かれた日本のことだが、工芸品から生活用品まであらゆるものが金装飾されているのは、まさに黄金の国さながらの風景ではある。日本と金との関わり合いを感じさせる点では面白い。

敷地内に何やら櫓のようなものが見えるが

外から見るとこうなっている

 

 

 林原美術館を後にすると周辺の散策。この辺りはかつての岡山城の城内だった地域で、未だに地形の起伏や随所に残る石垣が往時の姿をとどめている。そもそも林原美術館自体が明らかに曲輪の中にある。

随所にこの手の遺構が残る

ここにあった石山門は天守と共に空襲で焼失した

 

 

昼食を摂ることに

 昼食を摂る店を求めて商店街をフラフラ。しかし閉まっている店も少なくないし、行列が出来ている店も多い。そうこうしているうちに段々と探すのが面倒くさくなってくる。そこでみつけた「じゃんがらラーメン」に入店、「つけ麺(900円)」を注文。

じゃんがらラーメン

 出てきたラーメンを見た途端に「濃そうだな」と感じる。確かに魚介系のかなり濃厚なつけ汁である。また平打ち玉子麺はかなりシッカリとした味の強い麺。懸念したほどの塩っぱさはなかったが、全体的に濃厚なラーメンであり、これが好みの分かれるところ。

かなり濃厚なつけ麺

 商店街をホールに向かってプラプラ歩いていると、パン屋「キムラヤ」を見かけたので、抹茶フェアとかの抹茶パンを購入。抹茶サンライスの中に抹茶クリームを入れた物で抹茶の苦味も感じられる風味があってなかなか美味。

キムラヤの抹茶サンライズ

抹茶クリーム入り


 ところで全国的にパン屋と言えば、やたらにキムラヤが多いのだが、やはりこれはあんパンを発明したことで知られる木村安兵衛にちなんだものなのだろうか。全国各地のキムラヤにはその弟子筋なんかのところもあるだろうと思われる。ちなみに私の故郷である神戸の長田にも木村屋パン店があったが、経営者は木村氏ではなくて川崎氏だった。

岡山シンフォニーホール

 

 

 ホールに到着した頃には開場時刻となっていた。私の購入したのは3階の貧民席。このホールは貧民はとにかく長い階段を登らされる構造になっているというバリアフリーの対極を行くというチャレンジングな設計のホールである。座席に到着する頃には大概疲れ果てることに。

それにしても高い

 

 

岡山フィルハーモニック管弦楽団 第72回定期演奏会 ~蘇る、興奮の時~

12-10-8-8-6編成だった

指揮/秋山和慶
ピアノ/松本和将

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲 第3番
ムソルグスキー/禿山の一夜(リムスキー=コルサコフ版)
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

 松本をソリストに迎えて、ラフマニノフの有名な2番ではなく、若干マイナーな3番を演奏。なおこの曲は演奏するにはかなりの難曲であるらしいが、松本はその難曲を難なく弾きこなしてしまうのはお見事。2番などと比べると全体的に旋律的でなくて捉えどころのない曲なのだが、それを軽快かつ堂々と弾ききった。

 なお演奏中に観客の誰かが補聴器を発振させるというトラブルが発生し、第一楽章終了後にしばし演奏が中断するというトラブルが発生。松本としては集中力が削がれるところであろうが、よくぞ気分を持ち直して演奏しきったものだというところ。なお今回は全体的に観客のマナーが悪く、演奏中に雑音も多いし、松本のアンコール後にもまだ曲が続いているのに拍手を始めるバカが一人。しかも回りが誰も追従してこないのに、意地になったかのように拍手を続けていた。こういうバカは出禁にでもしないとホールのレベルが低下する危険性がある。

 後半は有名な「禿山の一夜」と「火の鳥」。なかなかに華麗にして派手な曲であるが、岡山フィルの金管陣は頑張ってはいるのだが、いささか音色が軽すぎてやや喧しい傾向がある。これがもう少しドッシリとした音色を出せるようになれば全体の印象ももっと変わるのであるが。禿山の一夜などは、どことなくまだまだ腰高な感がある。

 秋山は例によってオケにブイブイと自由にやらせている雰囲気。殊更に統制をかけるような様子は見られなかった。おかげでまあノリは良い演奏ではあるのだが、細部ではややばらけ気味に聞こえた部分も散見された。

 

 

最終日は蔵王温泉に立ち寄ってから宮城県川崎地域の山城巡り

上山城を見学する

 翌朝は7時頃に目覚める。とりあえず目覚ましのために大浴場に。大浴場は昨日と男女が入れ替わっているが、基本的に似たような構造の浴場である。朝の冷たい空気の中を露天でしっかりと身体を温めるが、朝からお湯が身体に染みる。老化によって変温動物化してきた私は、今では一日活発に活動するためには、こうやって体温を意図的に上げてやる必要があるようになっている。

 風呂からあがってくると朝食に行くことにする。朝食は時間内に食堂に行けば良いというパターンで、既に料理がテーブル上に置いてある。オーソドックスな和食であるが、そこになぜかソーセージがあるのは謎。もっともやはり朝は和食が一番である。今日も朝から食欲が出る。

朝はやはり和食

 9時頃にホテルをチェックアウトすると、まずは一番近くの上山城を見学しておく。上山城は現在天守が立っているが、あれは鉄筋コンクリートの典型的なインチキ天守。そもそも上山城の本来の本丸は隣の月岡神社のところだという。確かにそこが最高所となっており、天守が建っている位置は一段低い。また月岡神社の西側には当時の水堀が一部だけ残っている。なおこの堀、水がどこから来ているのかが不明(多分どこかで湧いているんだろうが)という謎のある堀だとか。

上山城の西堀には水が溜まっている

 月岡神社といい月岡公園といい、とにかく桜が大量に咲いているので辺りに桜の甘い匂いが立ちこめている。何やら濃厚な桜餅の中に頭を突っ込んだ感じ。今まで桜の匂いというものを強烈に意識したことはなかったので、これは今回初めて感じたところ。

天守の向かって左側が月岡神社

月岡神社には土塁もある

ここは何となく櫓台っぽい気も

とにかく桜満開

 

 

名物のだんごを頂いてから天守に入場

 以前にここに来たのはかれこれ10年前なので、久しぶりに天守に入城しようと思うが、その前に天守の向かいにある「かかし茶屋」で名物というだんごを頂く。朝についたものを販売しているのだとか。餡団子を頂いたが、これがなかなかに美味い。団子がとにかく美味い。

天守向かいにある「かかし茶屋」

つきたての団子が美味い

 朝のおやつを摂ったところで10年ぶり以上に天守に入城。ちなみに過去のバックナンバーをチェックしてみると「結構気合いの入った展示に驚いた」と書いてあるのだが、確かに驚いた。地域の歴史や風土などについて展示した本格的な地域博物館となっている。こりゃ若干高めだなと感じた入場料も納得。

天守に入場する

内部は本格的な博物館

 内部は近代天守らしくエレベーター装備(笑)。最上階はお約束の展望台である。城の周囲をグルリと見渡せるが、遠くは蔵王が見える。また現在の月岡公園はかつての二の丸だったとのことである。

蔵王連峰が見える

この月岡公園もかつての城内

 さらに温泉街の奥に見える小高い山は高盾城であり、ここでもかつて攻防戦が繰り広げられたらしい。なお上山城内に地元歴史家によるとものと思われる高盾城調査報告も展示されている。私も興味をそそられたところだが、残念ながら今日は立ち寄っている時間的余裕がない。

温泉街の背後に見える山が高盾城らしい

高盾城

 

 

蔵王温泉に立ち寄り入浴

 上山城の見学を終えたところで次の目的地だが、蔵王温泉に立ち寄ろうと考えている。そもそも今回の宿泊候補地の中に蔵王温泉は入ってたんだが、とにかくホテル代の相場が高すぎて私には手が出なかったというのが本音。そういうわけだからせめて日帰り入浴をしてやろうと考えている。

 蔵王温泉は山の上なのでしばしワインディング道路を延々と登っていくことになる。パワー不足のヤリスでウォンウォンとエンジン音を鳴り響かせながら山道を登ること30分ほど、蔵王温泉に到着。辺りはそもそもスキー場で賑わっている地域なので、いかにものちょっとお洒落な観光地。何となくホテルの価格相場が高かった理由が覗える。やっぱり私にはもっと鄙びた温泉地の方が合っているようだ。

拍子抜けするほどお洒落な観光地な蔵王温泉

 立ち寄ったのは日帰り入浴施設の源七露天の湯。月曜の午前なんだが結構客は来ているようだ。入浴料は550円、銭湯以上スパ銭未満というところか。

源七露天の湯

 浴場に近づいただけで強い硫黄の匂いがしているが、泉質は酸性・含硫黄-マグネシウム-硫酸塩・塩化物泉とのこと。青白いpH2.1という強酸性の湯である。いわゆる別府の明礬温泉と同系統の湯でかなりキャラクターの強い湯であり、肌当たりも強め。青い着色は硫黄泉の特徴であり、いわゆる海地獄系の湯である。入浴直後は肌がキシキシとする感触があるが、それが再生してくることでしっとりとしてくる。とりあえずたっぷりと入浴してから、私は肌が弱いので湯上がりにシャワーで洗い流しておく。

 なるほど蔵王温泉はかなりキャラクターが強いとは聞いていたが、このタイプの濁り湯ならそれもさりなん。確かにこれだけ強い湯はそうあちこちにあるものではない。

 

 

宮城地域山城巡り開始、最初は川崎要害

 蔵王温泉を体験すると山形道に向けて蔵王山を北に降りていく。この道路もかなり長いワインディング道路。私も若い頃ならブイブイぶっ飛ばすところだが、かつて一度死にかけて(ガードレールがなかったら谷底真っ逆さまだった)、それ以来は己の腕を悟って安全運転である。とは言っても、さすがに制限速度以下運転のジジイの軽トラは何台かぶち抜いたが。

 山形蔵王ICまで降りてくるとここからしばし山形道を東へ。宮城県西部の山城をいくつか回るつもりである。とりあえず宮城川崎ICで高速を降りる。今回はこの周辺の山城をまとめて回ることになっている。

 まず最初に立ち寄ったのは川崎町の城山公園。ここは元々川崎城(前川城)、もしくは川崎要害と呼ばれる城であった。砂金実常が築城し、後に仙台藩の制度で川崎要害と呼ばれるようになったという。最上領に対する最前線として、伊達氏の一門が入ったという。

ここから車で山上に上がれる

案内看板

本丸跡は完全に公園化

 山上は完全に公園整備されていて城の遺構らしきものは見えない。現在公園となっている部分が城主の館のあった本丸で、その東の一段低く現在は小学校となっているあたりが家臣の屋敷のある二の丸だったという。なお二の丸の東の尾根筋を堀切で断ち切っているとのことだが、小学校があるので確認できず。車を駐車したところの背後の土のうねりがなんとなく土塁の類いに思えたのだが、場所的にこの辺りは搦め手口だったようなので、その由来のものかもしれない。

周囲は結構切り立っている

小学校のあるところがかつての二の丸

車を停めた背後のこの地形は何となく搦め手口っぽい

 

 

前川本城を見学

 川崎要塞の次はそこから南下して山形道を潜った先にある前川本城を見学することにする。前川本城は先ほどの川崎要塞で登場した砂金氏の居城だったという。砂金実常が伊達一族となって川崎城に移ったことで廃城となったという。

遠景

 麓の集落を抜けた分岐のところに案内看板が立っており、その辺りに車を置くスペースがあるので駐車する。案内看板の記述に従って進んでいけば本丸にたどり着けるはず・・・なのだが、実はこの案内看板がトラップなのである。この看板によると現在地のすぐ近くに二の丸に上がるルートがあるように思うが、実はそれはハズレ。正解はもっと西に歩いて行った先なのである。注意ポイントは登り口の西に東屋の記述があるが、この周辺を見渡しても東屋が存在しないこと。登り口は実はここの脇ではなく、東屋の隣なのである。このことはこの近くに置いてある川崎町教育委員会による城の縄張り地図があるので、それを見れば良く分かる。この資料実によく出来ているので必ずもらっておくように。実際に裏を見ると、今日私がこれから訪問する予定の山城がすべて記載してある。

ここに案内看板があって車も停められる

しかしこの案内看板が実はトラップ

 この東屋はここから西に50メートルほど進んだ民家の手前にある。この横をすり抜けていくのが正解ルート。進むとすぐに二の丸搦め手口の土塁構造やら見事な空堀に遭遇する。この時点でこの城郭が半端な城郭でないことがすぐに分かる。

50メートルほど西にあるこれが東屋

東屋の脇を登っていく

いきなり見事な土塁と堀切に出くわす

二重堀切になっている

 見事な二重の空堀を越えて搦め手口を抜けると土塁に囲われた広大な曲輪に出る。これが二の丸。広大な曲輪を土塁でグルリと囲んでいる。もうこれだけで興奮絶好調。

搦め手口を抜けると

広大な二の丸に出る

周囲は土塁に囲われている

正面に見えるのが本丸土塁と堀切

 

 

 正面にまた見える別の土塁が本丸土塁である。本丸周囲には土塁と堀切が巡らせてある。入口は二の丸搦め手口の正面よりやや東にある。

搦め手口とややズレた位置に本丸入口がある

土塁の手前には堀の痕跡

 本丸に入るとそこは周囲を土塁に囲われた広大な曲輪となっている。また北側には土塁がないが、その先は断崖となっていて下の川が見えている。まずこの方角からの攻撃は不可能である。

広大な本丸

城跡碑の背後に土塁が見える

北側は川まで切り立った断崖

 本丸東側には土塁と堀を隔てて一段低い馬出曲輪がある。

本丸東側の土塁

一段下に馬出曲輪

ここにも土塁

 

 

 その先には虎口があって周辺には石積みなども見られる。この辺りは土塁もかなり高くて以下にも守りの要所という雰囲気がする。

虎口

この周辺には石積みも見られる

 虎口を抜けた先は数段の曲輪となっていて、これを右に左に進まないと降りていけないようになっている。大手口の鉄壁防御である。

数段の曲輪を右に左に降りていく

大手口が見えてくる

 ようやく下に降りてくると廃屋となった民家の脇に出てくる。実はここで最初に出くわした集落が大手口だったと言うことが判明するという仕掛けになっている。

廃屋の横手に出てくる

つまりはこの集落が大手口だった

 正直なところ知名度皆無に近い城郭なので全く期待していなかったのだが、予想に反しての見事な城郭に驚かされた。特に大規模な土塁や堀には唸らせられる。また曲輪内も木を切って整備されているので非常に地形がつかみやすくてそういう点でも実に素晴らしい。これは私の準100名城のBクラスに優に適合する城郭であると判断する。

 

 

小野城の見学

 実に素晴らしい城郭であった。これでテンションが一気に上がったが、次は配付資料にも掲載されている小野城を目指す。

 小野城は1500年代中頃、小野雅楽之允が追い道を見下ろす要衝に築いた山城である。小野氏はその後も伊達氏の最上氏に対する最前線として、先ほどの砂金氏や支倉氏と共に小野城から何度か伊達軍として出陣したとのこと。

小野城の標柱を見つける

しかしこの道が狭い上にとんでもなく急

 川崎城の北東のダム湖の胞に向かって走って行くと、笹平山麓の集落の中に小野城の標柱が立っている。そこから中腹の熊野神社まで車で上がれるのだが、これがかなり狭い道の上に傾斜が「ヤリスで上がれるのか」と疑問になるぐらいの登り坂なので恐怖まで感じるが、そこは意を決して一気に登る(実際に途中でヤヌスのタイヤが空滑りしたポイントもあった)。するとようやく熊野神社に出る。ここは車3台ほどは止められるスペースがあり、またここに例の川崎町教育委員会による資料の小野城版があるので、これもありがたく頂いておく。

熊野神社に出る

ありがたい資料

 資料によるとこの熊野神社がある平地から西にかけての一帯が二の丸のようだが、鬱蒼としていて分け入る気にはならない。右手を見ると竪堀があるので、それを伝って一気に尾根筋まで登ることにする。竪堀の上の方はかなり急になっているが、何とか這い上ると尾根筋の大手道に出る。

正面のこれが二の丸らしい

右手に見える竪堀を登っていくことに

竪堀

一番上の部分はかなり険しい

そこを登ると大手道とフェンスに行き当たる

 

 

 大手道を進むと南から回り込む形で本丸虎口にたどり着く。

大手道を西に進む

竪堀の表記あり

腰曲輪もある

本丸虎口に南からたどり着く

 本丸はかなり広大な削平地である。途中でフェンスがあって上に入ることは出来ないが、フェンス越しに搦め手口なども見える。

虎口を抜けると広大な本丸

西に相当深い

フェンスの向こうに搦め手口も見える

フェンスの向こうの北側土塁

 

 

 本丸の一番西は土塁となっていて、その先には堀切を隔てて西郭が存在するが、そちらはかなり藪化がひどいので立ち入るのは不可能である。

本丸西の土塁

その先には深い堀切を経て西郭

 なおここから土塁沿いにフェンスを回り込んで北郭に行くことは可能。北郭の周囲はかなり切り立っていて出丸として北側の防御(搦め手口側)を行うもののためと思われる。

土塁上を回り込むと

向こうに見えるのが北郭

この辺りは木が密集

 これもなかなか想定外に立派な城郭であった。なおフェンスの意味が不明だが、フェンスを隔てて南側は木が全面的に伐採されているのに対し、北側は木が放置されているところから見ると、地権者の境界ではないかという気がした。北側の地権者はここの材木を資産として活用するつもりがあるのではというように感じる。だから南側が全面伐採されることになった時に、境界を明瞭にするためにフェンスを立てたのではというところが私の推測だが、真相は知らない。

 

 

支倉氏の居城・上盾城の見学

 小野城の見学を終えると今日の山城巡り最後の目的地である上盾城を目指す。上盾城は支倉氏の巨城であり、支倉常長の祖父である常正が1545年に築いた城であるという。

 一帯は宮城県によって整備されているとのことで、アクセス道路から駐車場まで完備しているのでそこに車を置く。

駐車場完備

 ここからは一般車は立ち入り禁止となっているが、明らかに整備用の軽トラが走行することを想定した舗装道路が本丸の手前まで続いている。進みきった先が本丸と二の丸の分岐。正面には本丸が見え、その手前には幅の広い見事な堀切が備わっている。まずは二の丸を見学する。

車立ち入り禁止の通路を歩く

明らかに軽トラの走行を想定して整備してある

正面が本丸

本丸への登り口と左手が二の丸

本丸沿いには立派な堀切が

 

 

 二の丸は杉林になっているが、そもそもは土塁で囲われた堅固な曲輪で、土塁の外にはかなり深い堀が取り囲んでいる。その先は切り立っているようであり、本丸の西側を守る独立曲輪となっている。

二の丸は杉林

奥に土塁がある

土塁の先は深い堀切が取り囲んでいる

 本丸はかなり広大な曲輪で周囲は土塁で囲われ、その外は堀切でしっかりと守られている。なお本丸の中央には東屋が建てられており、城跡碑はその近くにある。なおその後にある大銀杏は蛇塚物語がある大銀杏の二代目とのこと。

本丸に登る

中はかなり広く土塁に囲われている

土塁の外はやはり堀切

東屋が建っている

その奥に城跡碑と大銀杏の蛇塚物語の説明看板

 

 

 この本丸の南に降り口があるが、そこから進んでいった先が三の丸になる。この三の丸もなかなかに大きな曲輪で土塁も備えている。なおこの先に大手道があるようだからの、ここが最前線の防御拠点となるのだろう。

本丸を南に進んでいくと

降り口がある

分岐を経て

さらに降りていくと

三の丸に出る

三の丸はかなり広い

ここにも土塁

結構な高さがある

この辺りが大手か

 なかなかに大規模かつ見所の多い城郭で、これも私の準100名城Bクラス該当である。今回は実にラッキーというか、非常に見所の多い城郭に出くわしてお腹いっぱいというところである。

 

 

村田で遅めの昼食を

 もっとも山城には満腹したが、リアルの私の胃袋の方は既に空腹を訴えている。もう既に当の昔にお昼時は過ぎているので、かなり遅れたが昼食を摂りたい。ではどこで昼食をと考えた時に、この近くの村田城の辺りに飲食店があったのを思い出す。また以前に村田城を訪問した時に、そこにあった村田町歴史みらい館が既に閉館時刻で見学できなかったことを思い出したので、ついでにそこに立ち寄ろうと考える。

 村田まではすぐである。道の駅村田に向かうと、まずはその手前にある「森の芽ぶき たまご舎 ファームファクトリー」に入店する。玉子専門店で、玉子を使ったスイーツなどを販売している店で、卵料理のレストランも併設している。レストランに入店すると「炭火焼き鳥と産みたて玉子の親子丼」を注文。さらにこれにコーラと玉子プリンを付ける。

森の芽吹き たまご舎

 最初にコーラと玉子プリンが出てくる(私が最初にと言った)。玉子プリンはまさに玉子の風味がするプリンで実に美味い。私好みのプリンである。

玉子プリンとコーラ

 しばらく後に親子丼がサラダと共に登場する。なるほど確かに玉子が美味い。また炭火焼き鳥も美味い。もっともこれが親子丼かと言えば少々疑問で、玉子丼の上に焼き鳥を散りばめたと言う方が正しい。鶏肉を玉子と共に煮ていないので鶏には玉子の味が付いていない。これはこれで美味いが、私はオーソドックスに普通の親子丼を頼んだ方が正解だったかなという気もする。

親子丼がサラダと登場

 玉子ランチを堪能するとpomeraを取り出してきてしばし執筆作業に勤しむ。今日は午後7時半の神戸空港行きの飛行機に乗るので、それに間に合うように空港に向かおうとすると5時頃に車を返却したら夕食を摂ってから空港に向かうぐらいの余裕は十分にある。現在は3時過ぎ、ここから高速経由で仙台に帰るとしたら30分ちょっとと言うところ。仙台市内での渋滞を計算に入れても1時間もかかることはまずなかろう。そう考えると時間がしばし余っているのである。

 原稿執筆で頭を使っているとだんだんと甘物が欲しいという欲求が持ち上がってくる。先ほどからまたスイーツメニューも気になっている。エイ、なるようになれと「たまごの王様パフェ」を追加注文。

玉子の王様パフェ

 このパフェがカステララスクに玉子クッキー、玉子アイスに玉子プリン玉子尽くし。しかしそれがまた美味い。「ああ、美味い、美味い」と呟きながらほとんどやけくそのようにパフェを貪り食う私。どうも食欲が暴走してしまった。結局は何だかんだでこの店で2500円ほど食うことに。

 食事を終えると村田町歴史みらい館に立ち寄るが、何やら門が閉まっている。頭の中が「?」で一杯になるが、次の瞬間に「ああ、今日は月曜日か」と思わず声が出る。この手の施設は月曜日休みのところが多く、いわゆる月曜トラップという奴である。私の遠征は週末を挟んで実行して、帰宅は混雑を避けて月曜日になるパターンが多いのだが、そうすると最終日は立ち寄るべきところが休館でどこにも行くところがなくなるという月曜トラップに引っかかることが実に多いのである。

歴史みらい館は月曜トラップ発動

 いわゆる美術館遠征だったらこの月曜トラップは意識するのだが、今回はコンサート+山城+温泉遠征だったので、月曜トラップのことは頭から消えていた。これは大失敗。

 

 

やや早めだがこれで全予定終了

 結局ここで30分はつぶせると踏んでいたのでこれは大きな計算違い。これならさっきの店でもっと執筆活動をしておけばよかったと思ったがもう後の祭りである。かと言ってこれから30分という時間をつぶせる場所もなく、予定よりは早くなってしまったがもう仙台に戻ることにする。

 予定よりも早めにレンタカーを返却する。こうなったらどこかでゆっくり夕食を摂ってと言いたいところだが、かなり遅めの昼食をついさっき、しかもしっかりデザート付きで摂っているので、正直なところ全く腹が減っていない(まあ当然だ)。仙台周辺で30分~1時間という中途半端な時間を潰す手段も思いつかず、結局はかなり早い時間だが空港に移動してしまうことにする。

仙台空港に到着

 というわけでかなり早め空港にチェックイン(出発時刻の2時間近く前)してしまってから、搭乗ゲート前のシートでpomeraで原稿を入力することに。全く何をやっているんだか・・・。

 そしてようやく到着したスカイマークの神戸便に乗り込んで帰宅と相成ったのである。帰路の便もやはり搭乗率は6割ぐらいだった。

明石大橋の上空を飛行

 こうして私の久々の大遠征は終了したのだが、目的である仙台フィルと山形交響楽団は堪能できたし、さらに本拠のホールで聴くことでこれらのオケの本来のポテンシャルを感じることもできた。これで後は本拠で聞いていない地方オケは群馬交響楽団ぐらいか。ただ現在のコロナの状況を見ると、私が東京方面に出向くのは相当先になることが予測される。まあ群馬交響楽団は当面お預けだろう。

 さらに今回は山形の温泉を堪能したのだが、山形の温泉のポテンシャルは侮りがたいことを感じた。正直なところ肘折温泉もかみのやま温泉も再訪したい気持ちはある。また何だかんだ言いながらも、蔵王温泉も一泊してゆっくりと湯を堪能したいところである。そう考えるといずれ山形を再訪したいところなんだが、今のところ山形交響楽団以外に目的となるものが存在しないのである。仙台も行くべきところは行き尽くした感があるし、東北遠征となったらまだほとんど回っていない秋田などに比べるとこの地域は優先度が落ちることは否定できない。まあこの辺りも今後の課題だが、実のところは何よりも、既に老後が見えつつある私には、現在の自民党政権による官製不況の元では遠征資金の捻出も困難になって来つつある。ということを考え合わせると、やはり仙台・山形は今度で最後だろうか・・・。

 

 

この遠征の前の記事

www.ksagi.work

 

 

10年ぶりに山形城を見学してから山形交響楽団のコンサート。宿泊はかみのやま温泉で。

今日は山形まで移動である

 翌朝は7時頃に起床。起き出すと目覚めるために風呂へ。貸切風呂が空いていたのでヒノキ風呂でしっかりと身体を温める。お湯が体に染みいるという感触である。

貸切のヒノキ風呂でゆったりと身体を温める

 風呂からあがってしばしマッタリすると朝食。野菜中心の和定食で、この年になるとこういう朝食が一番落ち着くし食が進む。朝からご飯が美味い。ところで焼き鮭って、夜に出てくると何となく貧相に感じてしまうが、朝に出てくるとこれが滅法美味かったりするのが不思議。

朝は和定食

こういう小鉢の数々が実に美味い

 朝食を終えると再び軽く入浴してから荷物をまとめてチェックアウトする。今日は再び長駆することになる。山形まで舞い戻って山形交響楽団のコンサートに行ってから、今日はかみのやま温泉で宿泊する予定。まずは昼過ぎまでには山形に戻る必要があるのでしばし車で突っ走ることに。身体には少々疲れは残っているが、昨日散々寝たせいか(結局はあの旅館ではほとんど寝ているだけで終わってしまった)具合は悪くはない。

 とりあえず予定通りに昼前には山形に到着。山形美術館のところの駐車場に車を置きにいくが、辺りは何やら渋滞模様。どうやら山形城が桜が満開で花見客が殺到している模様。一応駐車場に車を置くと、まずは山形城の前に山形美術館の見学。

 

 

「描かれたやまがたの四季」山形美術館で5/8まで

山形美術館

 山形には各地の名所があるが、それらを描いた地元画家による作品を展示。山形銀行のコレクションで、同行はそもそも「県内風景画シリーズカレンダー」を40年近く作り続けているらしく、その原画作品などらしい。

 そういうわけなので、単純に観光案内的に楽しい。見ていて「ふーん、こんな観光名所もあるのか」と改めて認識することも。またネタがら尖った現代アートはほぼないので、その点でも見ていて単純に楽しめる。それにやはり同じ風景画でも画家によって個性があることも良く分かる。特に水の表現などは多彩。川の水の透明感を実に巧みに表現している画家もいれば、そういう細かいところにはこだわらずにベッタリと全体を画く画家など十人十色。そういう点の面白さも本展にはある。


 特別展もそれなりに楽しめたのだが、やはりこの美術館の凄みはコレクションの方だろう。地元ゆかりの彫刻家の作品や日本画などもあるが、出色はフランス近代美術作品。吉野石膏コレクションとして有名だが、ルノワールやモネなどの傑作が複数点。ゴッホの初期作品やピカソ、シャガール、キスリングなどの作品も印象に残るが、一番印象が強かったのはピサロの作品。一連の印象派の画家の中では、知名度の点で一段落ちる感のある彼の優れた作品が複数展示されていて「ピサロってなかなか良いじゃん」と見直した次第。

 

 山形美術館の見学を終えると、館内の喫茶でケーキセットでしばしくつろぐ。最近はこういうゆったりとした時間が無くなっていることを痛感する。命の洗濯という奴である。

館内喫茶でゆったりとケーキセットを頂く

窓の外は桜が咲いている

 

 

10年以上ぶりに山形城を見学

 山形美術館での用を済ませたところで数年ぶりに山形城を見学することにする。近くの東大手門から線路と堀を橋で跨いで入城。この辺りは桜も多く咲いているので多くの花見客で賑わっている。中にはその桜をバックに山形新幹線の写真を狙っている撮り鉄の姿も。

東御門前には花見客が殺到

確かにかなり立派な桜が咲いている

これは見事だ

 東大手門はかなり大規模な枡形門である。手前にかなり深い堀があることを考えると、まさに鉄壁の防御である。なお現在大手門櫓が見学可能とのことなので、後で見学することにする。

東大手門

かなり大規模な枡形となっている

 山形城の内部では現在は桜が満開で、桜の甘ったるい匂いが辺りに立ちこめている。その中に立つのはこの城ゆかりの最上義光の騎馬像。

中は桜が満開

そして最上義光像

 

 

復元工事中の本丸を見学

 山形城は最上義光の城であったが、江戸時代に最上氏が改易になるとその後の城主は転々として、弱小大名化することで段々と荒れていったという。さらに明治になると売り出されて山形市が陸軍の駐屯地を誘致したという。その結果、すべての建物が破却されて本丸の堀も埋め立てられることになったとか。その後は運動公園化されて現在の体育館や野球場まである惨状となっているが、近年になって再び史跡公園として復元する方針となって東大手門が再建され、さらには本丸の堀なども復元されたという。

本丸土塁や堀が復元されている

かなり気合いの入った復元

 さらに現在は本丸御殿を平面復元しようという工事中であり、そのための調査も進められているとか。目下のところは本丸の一文字門が復元されているが、その奥はただの工事現場である。また本丸の北側の一部が球場で破壊されている状態なので、いずれはこの球場にも移転頂いて本丸を丸ごと復元してもらいたいところである。

復元された一文字門

 

巨大な枡形にはなっているが

その内部はまるっきり工事現場

石垣の石だろうか

本丸御殿平面復元イメージ

あちこちで発掘工事中

 

 

南大手門を見てから土塁上を回る

 本丸を回った後は南大手門に抜ける。ここは今は完全に道路になっているが、虎口の形態がまだ残っている。またこの周辺の堀はかなり立派であり、山形城の南の玄関の風格がある。

南大手門は車の通路になっている

南大手門を外から

この辺りは堀も立派

 この南大手門のところから二の丸の土塁上に登る。ここは一番桜の木が多いので格好の花見の散策コースになって大勢の観光客が闊歩している。東南の隅に巽櫓の土台も残っている。

南大手門を土塁の上から

土塁上は完全に花見コース

この石はかつての城壁の礎石

巽櫓跡

巽櫓から外を眺めると、やはり防御の拠点

 

 

東大手門櫓を見学

 土塁上を東大手門のところまで戻ってくると、公開中の大手門櫓内を見学。意外と広いという印象である。またここから枡形内を狙い撃ちできる上に、もし門を突破しようとしたら上から攻撃できるような仕掛けも施してある。さすがの鉄壁防御である。なおここに至る石段が石段と呼べないような段差の大きい険しいもので、高齢者などはエッチラオッチラと必死で登っていた。これもやはり門を突破された後に一気に駆け上がれないようにとの細工なんだろうか。

土塁上を東大門に向かう

大手門櫓に登るこの石段が実は意外な難所

東大手門櫓内

立派な木組みだ

枡形内の敵を狙い撃ち

さらに門に取り付いた敵は上から攻撃する

 

 

最上義光展示館に立ち寄る

 かなり久しぶりに山形城を回った後は駐車場に戻ってくる。そろそろ昼時もとうに過ぎているのでどこかで昼食を摂りたいのだが、事前に目をつけていた店はことごとくコロナの影響か閉店中。仕方ないので車を出して移動することにするが、その前に永らく閉館中だった最上義光展示館が開館中とのことなので見学していく。

最上義光展示館

平服の義光像

 入場無料は太っ腹。内部の展示は最上家に纏わる文書の類いや甲冑類。正直なところかなり渋い内容である。正統派の歴史マニアがじっくりと見て回ればなかなかに見応えがあるのだろうが、私のような中途半端なミーハーマニアにはやや地味すぎる内容。時間もないこともあるし、早足でザッと見て回っただけで終わる。

建物前には庭園が

 駐車場から車を出すと昼食を摂る店を探すことにする。なお私が到着した時には駐車場はまだ空きがあってバンバンと次々車がやって来ているところだったが、今になると満車で前では空き待ちの車の列がもう少し動きが遅かったらドツボっていたところだった。

駐車場は満車です

 

 

昼食はラーメン

 昼食を摂る店だが、山形城南の「ラーメン中村屋」に立ち寄ることにする。前の駐車場がほぼ満車で、一番端に無理矢理止めようとしたら車の前をぶつけそうになったので、諦めて他を当たろうかと思ったところでちょうど車が一台出たので、周辺を一回りしてきてもう一度駐車する。人気の店なのか店内にも待ち客がいてしばし待たされることに。なお私が頼んだのは「鯛チャーシュー麺(830円)」

 何やら非常にさっぱりとしたラーメンであるが、鯛出汁ということは無化調だろうか? そこのところは定かではないのだが、あの化調タップリのラーメンに特有の舌に突き刺さるような刺激がなくて、化調で誤魔化すところの強いベースとなる味を鯛出汁で取っているという印象。非常に懐かしい雰囲気のあるラーメンである。サッパリしているがコクが不足しているというわけではなく、なかなかに美味い。なるほど、これは人気店であるのも理解できる。

鯛チャーシュー麺

縮れ麺を使用している

 実際に私が最後で後は売り切りになったようだが、それでも数組が訪れていた。妙にクセになるところのあるラーメンなので地元でも人気なんだろう。私は正直なところ場所で選んだだけ(ここの真っ直ぐ南が山形テルサである)なのだが、この店は正解だった。

 

 

山形テルサへ

 ラーメン屋で待たされたこともあり、食べ終わった時には開場時刻の14時を過ぎていたのでテルサに直行する。1つだけ気になっていたのは山形城周辺の駐車場がことごとく満車だったので、駐車場が塞がっていないかだが、山形城から若干距離があるのが幸いしてか駐車場は十分に空いていた。車を停めるとホールへ。

駐車場側の入口から入場

会場入口

 山形テルサは800人収容のホールとのことでちょうど一昨日に行った日立システムズホールと同規模のホールである。10型編成の山形交響楽団には大きすぎないちょうどの規模のホールと言える。比較的建築が最近であるようで綺麗で、しかもコンサート用に音響設計したようであるので、音響がなかなか良い。確かに山形交響楽団が本拠するのに最適のホールである。

なかなか良いホールだ

二階席あり

 日立システムズホールと違うのは、あちらは一階席のみだったのに対し、こちらは二階席もあること。二階席にも登ってみたが、見通しはよくていわゆる見切れ席はなさそうである。ホールとしてはなかなかよく出来ていると感じる。

二階席からの見通しも問題なし

 

 

山形交響楽団第300回記念定期演奏会

指揮:村川千秋・阪哲朗
ソプラノ:林正子
メゾソプラノ:小林由佳
ソプラノ:石橋栄実

シベリウス 交響詩「フィンランディア」
シベリウス カレリア組曲
R.シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

 第300回の記念公演とのことで、指揮は前半のシベリウスが山形交響楽団の創生から携わっているという功労者でもある村川千秋。後半のR.シュトラウスが常任指揮者の阪哲朗という豪華ダブルキャストになっている。

 村川千秋は御年89才とのことであるが、それに比して非常に若々しい。ステージにも颯爽と現れてそのまま指揮をしているし。先の飯守泰次郎80才が足許が覚束なくなっていたのとはかなり差がある。

 そして演奏の内容も若々しい。よくあるいかにも北欧的な曖昧模糊なところがある演奏ではなくて、いささかシャープな演奏である。金管などもかなり鋭く鳴ってくる。しかしそれにも関わらず全体を通じて北欧の空気は壊れない。どうも指揮者の村川にかなり深いところでのシベリウスに対する共感のようなものがあるのを感じられる。また楽団員の村川に対するリスペクトのようなものも音楽から滲んできている。そのような感情のやりとりがあって初めて成立する音のように感じられる。

 結果としてフィンランディアは思わず聞いていて握り拳を作ってしまうぐらいに盛り上がる演奏となったし、カレリア組曲はまさに情感深い音楽となった。久しぶりに心から揺さぶられるシベリウスを聴いたという感じがする。なかなかに深い。ラインハルトではないが「これだから老人は侮れない」。

 休憩後の後半は全く気分を変えて阪による「ばらの騎士」。山形交響楽団にとってこういうオペラの演奏会形式での公演というのは初めての試みとのことで、東北でこの曲が演奏されるということも初めてではとのこと。

 こちらはやはり3人の歌手の圧巻の歌唱に尽きるだろう。前半は林と小林の絡みが、後半は小林と石橋の絡みが実に華麗に音楽を盛り上げる。

 また阪の指揮もノリノリという雰囲気であった。10型編成の山形交響楽団が、その編成の小ささを感じさせない壮大な音楽を奏でたのは、オーケストラの規模にマッチしたホールの音響の効果もさることながら、阪によるスケールの大きな指揮も影響しているだろう。


 なかなかの演奏を堪能した。またやはり本拠のホールの方がオケとの相性も良いようである。とにかく驚いたのは10型編成と感じさせない山形交響楽団のパワー。ホール一杯を音響が包むような迫力があった。以前に大阪で聴いた時には、室内楽的でアンサンブルの良いオケという印象で、どちらかと言えば古楽器オケに近い印象を受けていたのだが、かなりイメージと異なる意外な面を見せてもらった。なかなか興味深い。

 

 

かみのやま温泉へ

 山形交響楽団の演奏を堪能した後は、今日の宿泊先であるかみのやま温泉まで車を飛ばす。かみのやま温泉は上山城の城下町の温泉街である。実は以前に上山城自体は訪問したことがあるのだが、その時はかなり駆け足の見学で、上山城と周辺の武家屋敷を回っただけで、かみのやま温泉には浸かっている暇はなかった次第。そこで今回、長年の宿題を果たそうという思いもある。また実は蔵王温泉での宿泊も考えていたのだが、コンサート終了後に蔵王までの移動だと結構時間がかかることと、何よりも蔵王温泉のホテルは相場が高くて私の予算に合致するホテルを見つけられなかったというのがかみのやま温泉になった理由。

 今日宿泊するのはかみのやま温泉の「ステイインホテル材木栄屋」。昔ながらの温泉旅館を最近になってリニューアルしたようで、シングル客も迎え入れる和風ビジネスホテルと銘打っているので、そのコンセプトはまさに私のようなものにピッタリである。

ステイホテル材木栄屋

 通された部屋は本館2階の和モダンツイン。畳敷きの部屋にベッドが2つ並べてあるという部屋である。和風ビジネスを謳っているだけあってWi-Fiも完備。シャワーブースにトイレありという仕様。至れりつくせりなのだが、デスクがないのだけが私には残念。私はもっとバリバリのビジネスシングルで良いようである。

和モダンツイン

窓の外には桜

早速仕事環境構築

 

 

大浴場でしっかりと入浴する

 何はともあれ大浴場で入浴である。さすがに露天はいささか寒いのでまずは内風呂で身体を温めてから露天へ。露天は頭がシャッキリして長湯ができる。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉とのこと。クセのない素直な湯で肌当たりも柔らかい。この数日の温泉巡りで身体の表面に皮膜でもできてきたのか、どことなく湯を弾くので肌当たりがサッパリとしている。

 露天(と言っても半地下みたいな雰囲気で眺望は皆無である)でゆったりとくつろぎながら、思わず「ああ、いいなぁ」という声が出る。ここ最近は本当にこんなにゆったりとくつろいだことがなかった。まさに命の洗濯である。しかしこれが終わったら、またあの慌ただしく神経を磨り減らす日常に戻るのかと思うと逃げ出したくなる気持ちもある。

 とりあえず思った以上に足にダメージが来ている。ここのところ連日1万歩レベルで歩いているので(今日は山形城周辺ウォークが効いた)足の太股が張っているし、また長時間運転の疲労は地味に腰に来ているので、足腰を中心によくほぐしておく。

 部屋に戻るとしばし原稿作成。昨日は疲労でダウンして全く文章をまとめられなかったが、ようやく少しは仕事ができる状態になってきたようである。とにかく仕上げるべきテキストが膨大にある。何かこれだから私は遊びの時の方が仕事みたいだと言われるんだが・・・。

気がつけば窓の外は夜桜に

 

 

夕食はすき焼き

 そうこうしている内に日が暮れて夕食の時間となったので、レストランに夕食に出向く。かみのやま温泉に夕食を摂る店がないことも考えて夕食付きプランにしてある。夕食はすき焼きである。なおコロナ対策で食堂に机は一列に並べてあり、家族連れも横一列で「家族ゲーム」状態である。

夕食

小鉢類

そしてすき焼き

 なかなかに美味い。ただこれは先日の肘折温泉でもあったが、やはり東北は基本的に味付けが塩っぱい。特にすき焼きの味付けにどうしてもそれが出るので、関西人の私にするとその辺りがやや残念なところ。肉は申し分なく良い肉なんだが。

 夕食を堪能すると部屋に戻ってまた作業。そして合間に再び入浴。そして疲れが出て来たところで就寝する。

 

 

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山形の山城を攻略してから銀山温泉へ。宿泊は秘湯・肘折温泉。

山形へ移動だ

 翌朝は7時に起床するとシャワーで体を温めてから朝食に繰り出す。今朝も朝食はタンシチュー。ここのドーミーイン仙台ANNEXは朝食にタンシチューがあるのは良いが、朝食の品目自体はドーミーとしては少なめである。とりあえずしっかりと燃料補給。

タンシチュー中心のドーミーイン仙台ANNEX朝食

 9時ごろにホテルをチェックアウトすると、先日にも行ったオリックスレンタカーへ。今度は数日に渡って車を借りることになる。貸し出されたのはトヨタのヤリス。町乗りには良いが高速走行にはいささかパワー不足気味の車である。

 とりあえず今日は山形を目指すことになる。高速をひたすら突っ走るが、やはりヤリスではパワー不足。この車は80キロぐらいで走りたがるクセがあるようなので、流れに乗ろうと思うとまるでひっぱたくようにアクセルを踏み込む必要がある。かなりウンウンと唸りを上げてエンジンが回転している様子なので、燃費的にもあまりよくなさそう。

 東北道、山形道、建設中の東北中央道と乗り継ぐと、東根北ICでまだ未完成の道路から追い出される。まず今日の最初の立ち寄り先はこのすぐ近くにある長瀞城跡。

 

 

長瀞城を見学する

 長瀞城の詳細は不明だが戦国期の最上の時代に遡り、江戸時代にはここには陣屋があったという。ちなみに大手門は現在は南部にある寺の山門として移築されている。

 

長瀞城の大手門を移築した山門

 現地は陣屋を囲む形で四角い堀があったようでそれが住宅地に埋まった今でも地形として残っている。北から東にかけての地域は堀が現存しておりなかなかに絵になる。

城跡碑

堀の一部が水路として残っている

 とは言うものの、遺構はそれだけである。さっさと見学を終えると次の目的地に向かう。

 

 

楯岡城を訪問する

 次の目的地は楯岡城。東根の北にあるバラ園の奥の山上にある山城である。とりあえずバラ園の奥の狭い道を走り、遊歩道の入口のところに車を止めて、ここから歩くことにする。

ここの左手奥に車を置く

十分に車を置くスペースがある

 楯岡城は1208年に前森今嶺が築城、前森氏が没落後には本城氏が在城した。1406年には本城氏没落後に最上伊予守満国が入城、その後に七代満茂が秋田の本庄に移った後、最上義光の弟の光直がここに入って整備、しかし二代義賢の時に最上家が改易となって楯岡城も幕府に没収されて廃城となったという。

遊歩道を進んでいく

 遊歩道はいきなりキツメの登り坂から始まるので、この調子で続くと大変だなということが頭を過ぎるが、少し登ったところですぐに道は平坦なものに変わる。ただ失敗したと思ったのは足下の問題。私はいつも履いているスニーカーで来たんだが、雨上がりの粘土質の地面がかなりぬかるんでいて唐突に滑る。雨は現在はほとんどやんでいるので傘を持たずに登山杖を持ってきたんだが、それが大正解だった。この杖のおかげで何度か転倒から免れたのだが、それでもついに支えきれずにぬかるみで大転倒。ズボンが泥で汚れることに。

 しばらく進むと前方に巨大な動物の影が。ギョッとして良く見るとカモシカの様子。熊と違うので向こうから襲いかかってくることはないが、下手に刺激して体当たりでもされたら怪我必至である。立ち去るのを待とうと思ったが、しばし睨み合いが続くだけで向こうは動く気配がない。やむなくこちらがナウシカのような広い心で「そう、怖くない」と呟きながらゆっくりと接近することに。距離がある程度詰まったところで向こうはゆっくりと立ち退くのでそこを通してもらう。しかし今度は高台で立ち止まってこちらの様子をジッと覗っている。

前方にシシガミ様ならぬカモシカが

 カモシカを回避してから少し進むと楯岡城の本丸へと登る道との分岐になる。これがいわゆる七曲がり。距離は大したことがないのだが、とにかく足下が滑りまくる。なるべく草や岩のところを踏んで、土のところは避けながら進むことに。結局は5分とかからずに山頂に到着する。

山頂への登り口にさしかかる

足許に気をつけながら山道を登っていくと

数分で山頂に到着

 

 

 山頂はまずまずの広さ、ここが主郭として奥に一段低い巨石がある辺りは副郭だろうか。何とはなく、その間に虎口らしき構造もあるし、そこから下まで道らしきものがあるようにも感じられる。

主郭はまずまずの広さ

櫓台の石垣・・・ではないわな、どう考えても

奥の一段低いところは二郭か

何となく虎口っぽい構造もある

大手道はここから発していたのかもという気も

周辺は結構険しい

 主郭には展望台が建てられている。情報によると老朽化で立ち入り禁止というものもあったのだが、そういう様子はなく本体自身もシッカリしてそう(ただし階段の手すりは腐ってヤバ気)だったので登ってみる。ちょうど私が高所恐怖症を発症しないギリギリの高さである(もし足下が抜けて転落しても致命傷にはならない高さだろうという計算が働く)。この辺り一帯を見渡せ、この地を治める者が見るべき風景である。ちなみに鳥海山の方向が表示されていたが、そちらは木が生えていて何も見えず。

展望台からの見晴らしは見事

 結局は山頂まではトータルで20分もかからずに到着してしまった。私の事前調査ではもっと本格的な山登りになると考えていたから拍子抜けである。とりあえずこれで目的は一つ達成したので次の目的地を目指すことにする。

 

 

延沢城に立ち寄ろうとしたのだが・・・

 今日は有名な銀山温泉に立ち寄るつもりだが、その通り道にある延沢城に立ち寄る予定。なお今日は銀山温泉を見学後、肘折温泉まで長駆してそこで宿泊する予定となっている。銀山温泉は人気があるだけに、どうやらそれに胡座をかく旧態依然の旅館が多いようで、宿泊はお二人様からのところばかりの上に相場が異常に高く、私とっては宿泊の選択肢はなかったのである。そこでこの近傍の他の温泉を当たったところ肘折温泉が浮上した次第。

 銀山温泉方面に向けて車を飛ばすが、ここに来て急に近くの山などに雪が目立つようになる。これは想定外。山形が雪国なのは知っているが、もう4月も半ばとなれば完全になくなっていると思っていたが、山の上はそうではない模様。

 さらに外の気温も明らかに肌寒いものに変化してきた。どうも異国感が漂い始める。そしてようやく延沢城に到着、延沢小学校の裏から登城路があるというからそちらに車を回すがそこで絶句する。登城路がなかった。というか、正確に言うと雪の壁に阻まれて登城不可能であった。これは完全に想定外であった。やむなく延沢城は次回の課題ということにして銀山温泉に向かうことにする。

延沢城の案内看板

しかし進路を雪の壁に阻まれる

周辺の山は雪を被っている

 

 

銀山温泉に直行する

 延沢城を断念したところで大きく予定が変わってしまうことになった。銀山温泉に到着したのは昼過ぎ。当初予定では2時頃、下手すれば3時を回るかもと思っていたのだから、全くの想定外である。今日の予定は結構詰め込んでいるので、時間が足らなくなる可能性は考えていたが、時間が余るという想定は全くしていなかった。なお銀山温泉の日帰り用駐車場に車を停めにいったが、銀山温泉には未だに大量の雪が残っており、駐車場たるべき場所は除雪した雪の置き場のようになっていて駐車スペースがほとんどなく、10台ちょっと程度。当然のように完全に埋まっているので一旦引き返すことになる。

 銀山温泉手前の大正ロマン館(どの辺りが大正ロマンなのかが謎な施設だが)まで引き返してくる。ここは土産物屋兼レストランの観光案内所だが、ここから300円で銀山温泉行きのバスに乗り放題とのこと。今日は銀山温泉のバス停までは工事か何かの関係で行けないらしいが、その手前の銀山荘まで運行されている。銀山荘でも日帰り駐車場よりもかなり先だから、最初からここに来ておけば良かった。

謎の大正ロマン館

 バスは呼び出しで随時運行とのこと。とりあえず私と他の夫婦客の計3名を乗せてバスは発車。銀山荘には数分で到着。確かにこの距離だと随時運行で十分である。

大正ロマン館からバス移動

銀山荘バス停に到着

 バス停からプラプラと銀山温泉に向かうが、既に辺りに硫黄の匂いが漂っていて温泉街ムードがする。

下の谷間が温泉街だが、既に硫黄の匂いが漂う

 5分程度で銀山温泉に到着。なるほど人気の写真スポットというのも理解できる。明らかに町並みが計算されている。

銀山温泉に到着

足湯

川沿いに旅館が並ぶ

温泉街の町並み

 

 

 かなり凝った作りの建物もあるが、それらの装飾はすべて漆喰のコテ細工によるものだと言うことは、今や観光案内番組と化してしまった「美の巨人たち」が以前に紹介していた。

風情に風格がある

ちなみに大理石のように見えるこれは実は漆喰細工

この看板も漆喰細工

これもコテ絵だそうな

 ただ銀山温泉内部は私が予想していたよりは観光客の姿はずっと少なかった。恐らく本来はこんなものではないはずである。また川沿いに風情のある建物が並んでいるが、どうやら一軒が解体工事中の模様で鉄筋むき出しになっていた。

さらに奥に進んでいく

ここは貸切風呂だとか

一番奥は通行止め

 

 

温泉街で蕎麦を昼食に

 既に昼過ぎなのでとりあえず昼食を摂りたい。確か一番奥にそば屋があるという事前情報を入手していたのでそこを目指す。入店したのは「そば処 瀧見亭」。温泉街奥の滝が見えるところに立っているそば屋である。一番奥の滝のかぶりつきの席が空いていたのでそこに陣取る。

そば処 瀧見亭

一番奥の滝が見える席を陣取る

滝の風景

 頼んだのはざるそばの大盛りとげそ天プラ。最初に小鉢が出てくるが、これがキクラゲにサクランボの漬け物などの組み合わせ。サクランボの漬け物には驚いたが、食べてみると少しフルーティーな梅干しという印象。キクラゲがなかなかに美味い。

サクランボの漬け物には少々驚いた

 そばはかなり腰の強いシッカリしたもの。手前に氷水に入った少量のそばがあるのだが、これでまずそば本来の香りなどを味わってくれとのこと。確かにこうして食べるとそば本来の味が分かる。またザルに入って出てきた時は大した量ではないと感じたのだが、実際に食べ始めると意外に量が多い。これは失敗。どうも私は本当の意味でのそば好きとは違うようなので、あまり量が多いと飽きるということが起こってしまう。かなり食い応えのあるそばだけになおさらである。それに今日は楯岡城は20分もかからずにあっさりと攻略したし、延沢城は撤退ということで、ひたすら車を運転していただけで運動も足りないのであまり腹も減っていない。なおげそ天がやたらに美味かったのと、さらにここの水がとんでもなく美味いことも印象に残った。

そばが登場

まずはこのストレートの蕎麦で風味を味わうそうな

 

 

瀧見館で入浴していく

 とりあえず腹を満たすとやはり温泉街に来たからには入浴をしていきたい。銀山温泉には何やら有名建築家がデザインしたとかいう共同浴場があるそうだが、ここはかなり混雑する上に中も狭いとの話。また外から見た感じもバラックのボロ屋のようで感心しない。そこでどこかの旅館の風呂に入っていきたい。と言うものの、そもそも銀山温泉は大名経営が板についている上にこのコロナ下で日帰り入浴を受け付けないところがほとんどとのこと。

有名建築家がデザインしたというバラック小屋(にしか私には見えない)

 しかしそこは事前の調査に抜かりがない私のこと、しっかりと目星は付けている。このそば屋の奥の急坂を登ったところにある「瀧見館」が午後2時まで日帰り入浴を受け付けているという情報を入手済み。現在は1時頃だから直行したら余裕で間に合う。息を切らせながら急坂(本当に急である)を登っていくことに。

息を切らせながら急坂を登る

滝と温泉街を上から見下ろす位置に

瀧見館に到着

 瀧見館に到着すると1000円を払って日帰り入浴。風呂はこじんまりとした内風呂と露天風呂。いきなり露天風呂だとさすがに寒いので内風呂で体を温めてから露天風呂へ。

内風呂の隣が露天風呂である

 泉質は含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉とのことで、硫黄の匂いが漂っていることが特徴。寒いところらしく温まるのに良さそうな湯だが、pHがもろに中性のためか意外とサッパリした感触がある。湯としては特別な印象はないがまずまず。

 露天風呂からは滝や温泉街を眺めることが出来るが、それは風呂から身を乗り出さないと無理。さすがに湯船に浸かると見えるのは空だけである。

 

 

入浴後には温泉街でお茶する

 しっかりと入浴して降りてくると、再び温泉街の散策。気分としては少しお茶したいところ。そう思ったところに格好の店が。「伊豆の華」という蕎麦屋兼カフェの模様。

お茶をするのに最適な「伊豆の華」

向かいには何やら壁画の目立つ旅館が

 パインサイダーは「懐かしの味」と書いてあったが、確かに飲んでみると非常に懐かしい。なぜなんだと考えたところで思い出した。よくあるパイン飴の味なのである。それで記憶に焼き付いているのだということが分かった。正直なところ高級感皆無の味だが、私のような貧乏人には美味い

非常に懐かしい味のパインサイダー

 その後にそば白玉ぜんざいが登場。これが涙が出るほど美味い。関西人である私がイメージするところの正しいぜんざいそのものである。また口が甘くなったところで口直しに添えられている醬油漬け(?)を食べるとこれのしょっぱみがまた抜群に美味い。

このそば白玉ぜんざいがたまらなく美味かった

 これで銀山温泉の見学は終了。バス停でバスを呼び出すと大正ロマン館へ。

バスを呼び出して戻る

 大正ロマン館で揚げ饅頭を購入して頂く。実にオーソドックスな餡ドーナツという趣。何か懐かしい。ついでに名物というカレーパンもおやつに購入しておく。

揚げ饅頭

オーソドックスな餡ドーナツのイメージ

 

 

宿泊先の肘折温泉に向かうことに

 夕方近くまで遊び回るつもりならもっとどこかに足を伸ばせないでもないが、正直なところそこまでして行きたい場所もないし、昨日の疲れが足にも残っているし、さらにはここから肘折温泉まで車で1時間弱かかるしということで、今日はもうこのまま肘折温泉に直行することにする。そもそも今回の遠征の大目標の1つは山形の温泉で骨休めでもある。

 肘折温泉へは山形東の山地に向かって突っ走ることになる。山が深くなって行くにつれて辺りは雪が積もっている中を突っ走ることに。道路は完璧に除雪されているので走行に不安は全くない。

山に向かっている内についに辺りは一面の雪原に

 国道458号を突っ走ると突然に道が雪の壁で遮断されるのだが、そこの横道が肘折温泉への入口。つまりは肘折温泉までの通路は除雪で死守しているが、その先の道は自然に融雪するまで放置と言うことのようだ。肘折温泉はここからかなり降りた谷間に広がる鄙びた温泉郷。銀山温泉などと違って雑然とした雰囲気だが、それがまた独特の風情となっている。路地を走って行くと今日の宿泊旅館の大友屋旅館に到着する。

温泉街へはループ橋で降りていく

 かつては湯治場だったのだろうが今は綺麗に建て直されている。通されたのは和室。洗面所はあるがトイレは共用(ただしウォシュレット装備の綺麗なもの)という辺りはかつての湯治宿の雰囲気か。部屋は綺麗でしかも和風旅館にもかかわらずWi-Fi完備と機能的。

大友屋旅館

落ち着いた和室

 

 

温泉街を散策

 なお浴室は大浴場と貸切風呂があり、貸切のヒノキ風呂は空いていたら自由に使ってくれとのこと。とりあえず部屋で一息つくと、温泉街の散策に出向く。

温泉街を散策

町のシンボルでもある古い木造郵便局

 まさに鄙びた風情と言うべき温泉街である。歓楽街の類いがないのでひっそりとしている。町からは遠く離れているしまさに秘湯の雰囲気。

ひっそりとした町並み

相当に鄙びた風情

 旅館のすぐ近くに共同浴場の上ノ湯がある。旅館で入場券をもらえるので、ここに入浴していくことにする。

共同浴場上ノ湯

 肘折温泉の泉質はナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉とのこと。pHはほぼ中性なので強い浴感はないが、若干のネットリ感のあるいかにも温まりそうな温泉。なお浴場内にはお地蔵さんが立っているのが特徴。ちなみに肘折温泉の由来は、その名の通り肘が折れた老僧がこの湯で傷が癒えたというエピソードがあるそうな。私も先日来から職業病で肘の具合が悪い(ライター肘である)のでじっくりと温めておく。

 

 

旅館でマッタリと過ごす

 肘折温泉街を見学して旅館に戻ってくると部屋でマッタリ。外で買い求めたカルデラサイダーで一服。サッパリしていて風呂上がりに実に良い。また銀山温泉で買ってきたカレーパンを頂く。当然のようにもう冷めてしまっているが、それでもなかなか美味。

カルデラサイダーに

大正ロマン館で買ったカレーパン

なかなかに美味い

 しばし部屋で待ったりした後、旅館の浴場へ。貸切浴場は使用中だったので大浴場の方に行く。ちなみに大浴場には大小があって、今は小の方が男湯になっている。ここでゆったりと風呂に浸かる。

これが大浴場の小の方

 入浴後は部屋に戻って原稿の執筆・・・と思ったのだが、疲労が激しくて頭がまるで回らず日本語にならない。仕方ないのでそのまま畳の上でしばしゴロンと横になる。するとかなり激しい眠気が押し寄せてきてウツラウツラすることに。

 

 

夕食は懐石で

 気がつくとフロントから電話がかかってきて夕食とのことなので食堂に向かう。夕食はいわゆる普通の懐石料理。山の中らしく山菜などの小鉢に川魚、天ぷらにすき焼きなど。

夕食の懐石

天ぷらに

ご飯類(ご飯も味噌汁も美味かった)

 すき焼きは米沢牛だろうか。肉は柔らかいのだが、ただやはり東北の味付けは関西人の私にとってはやや塩っぱい気はする。関西人の私がイメージするすき焼きはやはりもっと甘い物。

すき焼きはやや味付けが塩っぱい目

デザート付き

 デザートまで食べて満足したところで部屋に戻ると、すぐに布団を敷いてくれる。そこでその上でゴロンと横になっていると急激に眠気が押し寄せる。結局はそのまましばし意識を失ってしまい、次に目が覚めると12時頃だった。どうしようもないのでタブレットを取り出してきて、家で録画しているアニメを遠隔視聴。2時頃を回って再び眠気が押し寄せてきたところで再度眠りにつく。

 

 

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松森城、利府城を見学してから石巻の石ノ森漫画館へ

朝食を摂るとレンタカーで出かけることに

 翌朝は7時に起床する。何やら既に体がやけに重くあまり調子は良くない。とりあえず目を覚ますとまずは朝食を摂ることにする。

タンシチューがメインのドーミーイン仙台ANNEX朝食

 朝食はバイキング。ご当地食としてタンシチューがあるのは良いが、品数自体はドーミーにしては少なめ。とりあえず朝からしっかりと腹に入れておくことにする。

 朝食を終えると部屋に戻って出かける前にシャワー。これで少し体がシャンとする。どうも昨今は年のせいか朝から体温が上がらない(35度以下の時さえある)変温動物化してきているので、体を温める必要があるようである。

 体を温めると外出する。今日は夜に仙台フィルの演奏会があるが、それまでにレンタカーで仙台周辺の山城を回ってから石巻まで足を伸ばす予定。この際に仙台周辺の宿題を一気に片付けようという考えである。当初は石巻まで列車で行くことも考えていたのだが、このご時世下にやはり列車での長距離移動は抵抗があるし、列車なら結果として石巻に行って帰ってくるだけで終わってしまうので、それなら車を借りてついでにいくつかオプションもつけようという考えとなった。そもそもは無難に仙台市内を回っていればよかったのだが、仙台は既に数回目の訪問なので、市内の観光定番コースは完全に回りつくしているうえに、今は仙台市博物館も宮城県美術館もどちらも閉館中であり、行くところがなかったというのが実際である。

 

 

松森城(鶴ヶ城)を見学

 生憎朝から小雨がぱらつく悪天候の中を最初に向かったのは松森城。仙台北方の山城で国分氏の城郭であった。なお国分氏の出自については藤原氏の流れだとか千葉氏の流れだとか諸説あるらしい。国分氏は伊達氏との絡みが諸々あった後に、国分盛重が伊達政宗と対立、結局盛重は16世紀末に出奔して佐竹氏を頼ることになり、その後は伊達家の支配下に入ったという。なお鶴ヶ城という呼び名もあるのだが、それは本丸と二の丸が鶴翼の形になっていることからだという。江戸時代には仙台藩の正月行事の「野初」という狩猟・軍事訓練の舞台となったとのこと。

松森城登り口

 今は公園整備されていて格好の花見の舞台でもある。山上に駐車場も整備されているのだが、ここに至るまでの道が狭くて急な上に駐車場も異様に狭い。一応中央通路両側に停車用の区画が描かれているのだが、それが軽自動車でカツカツなぐらい狭い(特に長さがない)ために、フィットの後ろを柵のギリギリまで近づけても(そういう駐車ができるのはさすがにリアモニタの威力)頭が飛び出す状態。今回は生憎の雨とこのご時世下のためか、他に車がいなかったから良かったが、花見客が押しかけたりしていたらかなり嫌なことになるだろうと予測できる。

駐車場は整備されているのだが

フィットの後をここまで柵に近づけても

前はこの状態

 ここから階段を登っていくだけ。山城攻略というよりも単なる公園の散策である。途中で本丸めぐりコースとの表示があるが、それはとりあえず後回しにする。二の丸との分岐を超えて5分とかからず山頂の本丸に到着する。

登り初めてすぐに出くわすこの看板

いかにものルートが見えるが

とりあえず進んだ先にある分岐

 本丸はかなりのスペースがあり、今は桜が多く植えられていて満開。桜公園という趣であるが、辺りを見渡せる要害の地であるのは確かであり、裏などは周囲は結構切り立っていてそういう辺りは山城であることをうかがわせる。

本丸に到達する

回りは結構切り立っている

奥行きが深い

一段下に二の丸が見える

 

 

 この本丸の一段下に広がっているのが二の丸で、この両郭で鶴翼の構えをなしている。この二の丸は奥に深くてなかなかに広い。シンプルな構造の城郭であるが、削平地がかなり大きいので、それなりの規模の城郭であり、国分氏が長年拠点としていたのは理解できる。

二の丸に降りる

かなり奥に深くて広い

一番奥には段がある

ここでも結構な高度だ

本丸を振り返る

 降りてくるときには途中で見かけた「本丸めぐり」コースの方を辿って降りてくる。このコースはまさに本丸の周囲をぐるりと回るコースで、本丸周辺が険しさを増すために切岸を削っていること、本丸周辺に出丸になり得るような構造が見られること(鬱蒼としていたので詳細は不明)などが分かる。なお雨で下がぬかるんでいたせいで泥たまりに足を突っ込んで靴が悲惨なことに。

本丸めぐりコースへ

本丸周囲を削って険しくしているのが分かる

鬱蒼としているが出丸になりそうな箇所も

登り口の方に出てくる

気がつけば泥沼に突っ込んでいて靴がこの惨状

 

 

留守氏の居城だった利府城を見学

 松森城の次は利府城の見学に向かう。利府城は遠くからでも分かるぐらい山頂が桜に覆われた花見の名所になっている。花見客で混雑していたら嫌だなということが頭を過ぎ鋼亮るが、こちらも平日の昼前でしかも雨ということもあってか車はほとんどおらず、何の問題もなく一番上の駐車場まで到達できる。

山頂に桜が見える正面の山上が利府城

 利府城はそもそもは留守氏の一族の有力者であった村岡氏の城郭だったという。しかし1569年に留守氏の後継問題が勃発、留守氏の血統を守るべきとする村岡氏は、伊達政景を養子に迎えるべきという伊達派と対立、村岡氏はこの城郭にこもって徹底抗戦したが敗北、留守氏に養子に入った伊達政景が留守政景としてこの地に入り、その時に城名を利府城に改めたという。

桜公園の入口

 駐車場から徒歩5分以内で山頂の利府城跡に到着できる。利府城跡と言っても何があるわけでなく、単に城跡碑の立つ広場があるだけ。今となっては完全にただの桜公園である。もっとも結構な広さがあるので、屋敷などは十分に建てられただろうと思われる。

公園案内図

 遺構のようなものはハッキリと残っていないので、城の構造が不明だが、山頂の単郭構造の城ではないかと推測する。もっともそれでも山の高さが結構あるのと、周りが切り立っていることで守備力は決して低くはない。

山頂は桜の園

城跡碑

回りは結構切り立っている

 

 

石巻のまんがロードを散策

 利府城の見学後は石巻まで長駆する。元々のプランはこの石巻訪問だった。石巻は石ノ森章太郎の出身地であり、それを記念して石ノ森萬画館が建てられているし、駅からは石ノ森キャラの像を並べたマンガロードなるものがあるという。石巻は以前にこの地域のJR仙石線を視察した時に通過しているだけなので、一度町を見学したいという思いもあった。

 生憎と雨が結構降っているが、石巻までは高速を利用するとそう遠くはない。石巻に到着するとまずは駅近くの市役所横の駐車場に車を置くが、この駐車場は中がやけに狭いのにどうやらワクチン接種者用の駐車場になっているようで、多くの車が押しかけて混雑している。特に通路が狭すぎるので、対向車のすれ違いで苦労して大渋滞が起こっている。結局は無事に車を止められるまでに結構な時間を浪費する。

 車を置くと駅周辺からマンガロード前半のキャラ像をチェックする。市役所(かつての撤退した百貨店の建物を市役所に流用した模様。一階にイオンが入っている。)の手前にはいきなり仮面ライダーV3が立っているが、よく見慣れたテレビ版のV3でなく、あくまで石ノ森が描いたV3であるのがポイントである。

石ノ森版仮面ライダーV3

駅前交番にはロボット刑事

 駅の前の交番にロボット刑事がいるのには驚いたが、駅の前には003フランソワーズが立っている。ちなみに駅の中にも像があるようだが、入場券を買ってまで入る気にもならなかったのでそれはパスした。

石巻駅

駅の装飾も009

003フランソワーズ

駅構内にも像がある模様

このキャラはよく知らない

 からくり時計があったりポストがあったりなど様々存在するが、ロードを少し歩くと出くわすのが、001イワンをかついだ005ジェロニモの像。

駅前のからくり時計

001を担いだ005

 その向かいにあるのが008ビュンマでもう少し歩いた角のところには009島村ジョーが立っている。

008

そして009島村ジョー

 商店街を歩ていくと004ハインリヒに出くわし、銀行の前には007グレートが立っている。

商店街に仁王立ちの004ハインリヒ

なぜか銀行前でシニカルな表情で立つ007グレート

 ここで駐車場まで戻ると車を移動する。市役所の駐車場は1時間まで駐車無料である。この後は商店街中央の立町パーキングに車を移動させる。ここは萬画館に入館すると1時間の無料券をもらえるらしい。

 

 

 駐車場に車を置いて少し戻った仙台銀行の前にいるのが006張々湖で、萬画館の方に向かって進むとバッタっぽい仮面ライダーに、イナゴっぽいBlackがいる。

仙台銀行前の006張々湖

仮面ライダー

イナゴマン・・・でなくてライダーBlack

 ここから南に向かうと趣が変わって佐武と市、さらに猿飛エッちゃんに星の子チョビンといったかなりマイナーキャラが存在する。

ロボコンポストに

佐武と市

知る人ぞ知る、さるとびエッちゃん

これもかなりマイナー作の星の子チョビン

 で、商業施設前でやけにアートが入った009のブロンズ像に出くわしたあたりで、萬画館に行く前に昼食を摂るべきだということに考え付く。

アートの入った009ブロンズ像

さらにBlack

 

 

近くの料亭で昼食

 そこで周辺で昼食を摂れそうな店を見渡したところ、路地の中に「料亭 とり文」を見かけたのでランチの「とり文定食(1650円)」を注文する。

料亭とり文

 料理の品数は多いのだが、味は普通かなという印象。まあ料亭の判断をこの程度の価格の料理でするなということだろう。漁港の町にしては刺身に驚きがなかったのは減点。

悪くはないがインパクトもない

 

 

石ノ森漫画館を見学

 昼食を終えると橋を渡って萬画館へ。萬画館は川の中州にあるのだが、東日本大震災の際は津波が川を遡上し、この建物も大被害を受けたと聞いている。この時にここに建っていた住宅などは全滅したらしい。現在は萬画館以外ほぼ更地になっている。

萬画館周辺はほぼ更地になってしまっている

石ノ森萬画館

 萬画館の手前に立っているキャラはカラーリングから遠めにイナズマンかと思ったらさにあらず、シージェッター海斗なるキャラらしい。聞いたことのないキャラだと思っていたら、石巻が石ノ森プロの協力で作り上げたローカルヒーローだとか。なお今までどこにも見つからなかった002ジェットはここでようやくお目にかかれる。

これがシージェッター海斗らしい

そして002ジェットとようやくご対面

 さらにここにはこれ以外にもサイクロンに乗った仮面ライダーやロボコンにスカルマンまでいる。

サイクロンに乗った仮面ライダー

ロボコン

そしてライダーの原点のスカルマン

 

 

 館内は1階が主に物販で、2階が展示室、3階は図書と喫茶になっている。先の津波ではこの1階が泥流と瓦礫の直撃を受けて商品が全滅したのだという。幸いにして原画等の資料類は無事だったのだが、空調が使用不能になったことで湿度管理ができなくなったので、一旦石ノ森プロの方に避難させたとのこと。なお1階のベンチにはさりげなくヒーローが座っている。

さり気にベンチでたたずんでいるヒーロー

 2階は各作品の展示がされている。最初は009から始まるが、最初期のモデルなのか色彩から顔立ちまで馴染みのものとは随分違う。

若干イメージの違う009

このサイボーグ戦士たちは初期バージョンか

 次は仮面ライダーのコーナーだが、ここは石ノ森のものではなくてテレビ化されたものの方で、平成ライダーまでのマスク類が展示されている。こうして見るとやはり平成ライダー以降はライダーからかけ離れた造形になっている。

仮面ライダー登場

このライダーはテレビ版

平成ライダー以降は私にはチンプンカンプン

サイクロンに乗れるゲームもあるようです

 さらには佐武と市やらキカイダー、さるとびエッちゃんにホテルなど一連の石ノ森の代表作のイメージ展示がなされている。

佐武と市

キカイダー

さるとびエッちゃん

ホテル

 3階は石ノ森の作品を集めた図書室に喫茶。喫茶で一息も考えたが、時間に余裕がないので先を急ぐことにする。

最上階には図書室も

 1階で土産物として仮面ライダークッキーを入手すると萬画館を後にする。とりあえずこれでこの近辺で気にかかっていた宿題は解決である。さてこれからだが、石巻を後にする前に一カ所だけ立ち寄ることにする。

土産の仮面ライダークッキー

中身(左は別の菓子です)

移動の途中で見かけたハカイダーとキカイダー

さらにロボコン

 

 

日和山から石巻の海岸を見下ろす

 立ち寄ったのは石巻南部に延びている日和山。石巻に到着すると一番最初に目につくのは町の南部にそびえるこの山地である。実際に先の津波ではこの山地が防波堤として津波を防いだことで石巻中心部の被害が阻止されたという。

日和山に登ってくる

 今は桜公園として花見の名所になっているようで、花見客用の駐車場も確保されている。ただここに到達するまでの道が「マジ?!」と思うほどの急斜面で、車の登坂力の限界に挑戦というイメージ。また雨などで足元が滑ると怖いように思う。

今は神社になっています

この神社への参拝はやめました

 なおここにはかつて石巻城という城郭があったという話もあるが、それもさりなんだろう。地形的には申し分ない。もっとも現在は公園開発されたこともあるのか、遺構の類は全く存在せず、それどころか城跡碑さえない。頂上に存在するのは鹿島神社であるが、安倍のポスターを貼ってあることからろくでもない神社だと推測できるので参拝はやめておく。

ここなどはかつての二の郭と推測できるのだが・・・

 唖然とするのはここからの見晴らし。ここから石巻の海岸を一望できるというのはともかくとして、そこに広がる光景が先の津波でもろに壊滅してそれがまだ復興できていない(と言うか、そもそもここに人が住むのは無理だろう)という状況である。

ほとんど更地化してしまったことが分かる石巻の海岸沿い

 さてこれで石巻での予定は終了である。現在午後3時前。まだ時間がある。そこで仙台に戻ると仙台うみの杜水族館に立ち寄ることにする。

 

 

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霧島温泉の丸尾の滝などを見学してから、鹿児島山城攻略パート3

今日はまた鹿児島に戻る予定

 翌朝は6時半に目覚ましで叩き起こされた。さすがに疲労がかなり溜まっている模様でまた肩こりなどもある。とりあえずは朝食を取りにレストランへ。

 バイキング朝食はメニュー的にはまあまあ、品目的に少なくはないが多くもない。どうもこのホテルは風呂は良いのであるが、食事についてはもう一歩という感がある。まあコスト削減がまともに反映しているのだろう。もっとも、こちらもあまり高い宿泊料は出していないのであまり贅沢は言えないのだが。

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朝食バイキングは可もなく不可もなく

 朝食を取って戻ってくると、原稿執筆や一部記事のアップなどをしてから、大浴場へ入浴に行く。もうそろそろチェックアウトする客がいるし、朝食に行っている客も多いのか大浴場は貸し切り状態であった。今日はいささか寒いようなので、しっかりと体を温めておく。

 チェックアウトしたのは9時過ぎごろ。今日の予定はとりあえず鹿児島に戻るというだけ。その途中でいくつか山城を回るつもりである。わざわざ鹿児島に宿泊せずにそのまま帰ってもよさそうなものだが、実は明日の晩に大阪である大フィルの定期演奏会に行くつもりなので、それだと今日の夜遅くに家に帰って、明日は仕事をしてからまた大阪に出かけるということになり、どう考えてもこれはしんどすぎるということで、明日は一日休みを取って、明日の朝に神戸空港に戻ってから、夜に大フィルのコンサートに行こうと考えた次第。

 

 

千畳敷を見学

 立ち寄る山城は姶良周辺に固まっているが、とりあえずその前に昨日見学しなかった千畳敷の見学をしておく。道路脇から川筋に降りていく入口があり、足元は石で舗装してあるのだが、これが苔むしているせいでむしろ滑って危ない。特に降りる時が危険。どうも足腰が弱って頼りなくなってきているので、移動に慎重を要することに。

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道路脇の道を降りていくと

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丸尾の滝と千畳敷の表示が

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千畳敷へスベりやすい石段を注意して降りていく

 千畳敷は岩盤の上を水(でなくてここの場合は温泉の湯だが)が流れているという光景である。この湯が下流では丸尾の滝になっている。

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千畳敷

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この先は丸尾の滝につながっていく

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意外に急流

 

 

久しぶりに丸尾の滝も

 千畳敷を見学した後は、丸尾の滝に立ち寄る。実は丸尾の滝は以前に霧島温泉に来た時に見学しているのだが、改めてもう一度訪問すると、記憶にあるよりも巨大な滝で驚いた。どうも写真などがあっても、実際に自分の目で見ないと感覚は分からないし、記憶も怪しいものである。

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丸尾の滝

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やはり写真ではスケール感が分からない

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滝壺から湯の匂いが

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どこかの観光客が縮尺になってくれたので、大きさが分かりやすくなった

 

 

平山城と高尾城を見学

 これで霧島温泉を後にする。山岳地を突っ走ってひたすら鹿児島空港に向かって降りていき、鹿児島空港のところから九州道に乗ると姶良ICで降りる。最初に立ち寄るのは山上にある平山城。なおその途中に高尾城もあるという。

 山の方に向かって走っていくと、舗装された山道が続くのだが、これが「えっ?」と言いたくなるような道。道幅は車一台が一杯で、場所によって車が木の枝に触れてガサガサいう箇所も。とにかくもし正面から車が一台来たら万事休す。しかも最終的にUターンができる駐車場が上にあると考えているから走れるが、もし途中で倒木などで道が塞がれていて戻らないといけない羽目にでもなったらこれも万事休す。途中で転回できる場所など全くない上に、私のソリオはとにかく後ろが見にくい車なので、バックで戻ってくるなんてことになると死にそうである。

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比較的マシな部分でこの道幅

 というわけで冷や冷やドキドキで進むことになったが、とりあえず途中で高尾城の入り口を発見、その前にかろうじて一台停車は出来そうなことも確認、高尾城は帰路に立ち寄ることにして先に進むことにする。途中で分岐があったが、とりあえず右に進めと書いてあるみたいなのでそっちに進むと、ようやく神社の手前の駐車場に行き当たる。これでひとまずはホッとする。

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何とか山上の神社に到着した

 山上は神社になっていて、そこに城跡碑が立っている。城の規模が分からないのだが、この神社が城の一部だったことは確実なようで、実際に神社に向かって左手には明らかに堀切があるのが分かる。ただそれ以上は確認しようにも鬱蒼としていて、そこに分け入る気も起きない。

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結構立派な神社

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御神木の大銀杏

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その脇に城跡碑が

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確かに深い堀切があるよう

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神社の奥に立ち入ることはほぼ不可能

 

 

高尾城もついでに見学

 駐車場から引き返すと、今度は高尾城の方を見学する。一応は先ほどの平山城とは別の峰になるようである。ひたすら階段を登っていくことになるが、その脇に曲輪らしき削平地が複数存在する。山上の曲輪はかなり小さく、誰かの墓があるのみ。この城のゆかりの人物のものだろうか? とにかく山上の小曲輪を中心にした複数の曲輪からなるかなり小規模な城郭のようだ。

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高尾城の登り口(この脇に車一台辛うじて駐車可)

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ひたすら登っていくと

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山頂には誰かのお墓が

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周囲には小曲輪がありそう

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ここなど曲輪っぽいが・・・

 とにかく人の気配は全くないし、かといって誰かが下から車で登ってきたら万事休すだしということで落ち着かないことこの上ない。これはさっさと撤退するに限ると判断する。幸いにして下まで降りてくる間に対向車と出くわすことはなかったのである。

 何やら精神的に非常に疲れる城郭だった。次はここから比較的近い建昌城を訪問することにする。

 

 

建昌城はかなり整備されていた

 建昌城は案内看板も出ており、手前にはバリアフリー用のトイレまである駐車場が完備している。やけに至れり尽くせりだなと思ったら、建昌城の西の丸が今は貸農園になっているためのようである。その隣の曲輪が櫓の丸ということらしい。

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入口から案内あり

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正面の丘の上だ

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駐車場完備

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構造図

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看板の出ている西の丸は

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貸し農園となっている模様

 櫓の丸の隣にある高所の曲輪が本丸ということになるだろうと思われる。しかし二の丸以降の曲輪がどうも図面と合致しない。二の丸と思われる曲輪がそのまま境界なしに前の丸につながっているように見える。

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この奥の最高所が多分本丸だと思うが

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意外な高さのある本丸

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隣の二の丸?との間の堀切

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隣の曲輪はかなり大きい

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大きい曲輪を進んでいくと奥に土塁が見えてくる

 

 

ただどうも構造図と現地の構造が一致しないような・・・

 その向こうにはかなり立派な土塁や堀切があり、これがいわゆる大手口であろうと考えられる。

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明確に土塁があり

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その先にはかなり深い堀切

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恐らくこの先が大手口

 その向こうは胡麻ヶ城でその南に東の丸があるようなのだが、どうも微妙な位置関係が看板に書いてある図面と合致しない。

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多分左手が胡麻ヶ城で右手が東之丸

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鬱蒼とした胡麻ヶ城

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東之丸は下草が刈られている

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東之丸

 結局は城域全体を何度も回ってみたのだが、どうにも図面との整合がハッキリしなかった。どこかで私が根本的に認識を誤っている可能性もあるのだが、それも分からなかった。大体、この図に表示されている城跡標柱も見つけられなかったし・・・。

 ただとにかく大規模な城郭であり、見ごたえは十分にあった。まだどうも納得していない部分はあるが、それなりに堪能できる城郭ではあったのである。

 

 

平松城は小学校になっている

 次は平松城であるが、ここは跡地は小学校になってしまっていて、何となく城跡っぽい雰囲気が感じられるというだけ。

 

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かつての平松城は今は小学校

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立派な正門

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説明看板あり

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確かに雰囲気はあるが・・・

 

 

岩剣城は山容を見ただけで撤退する

 この脇に島津と激しい合戦を繰り広げたとされる岩剣城があるらしいのだが、その山を見た途端に絶句する。これは山というものではない。地面から突き出した巨大な岩である。こんなところをどうやって登れるのかは想像を絶しているのだが、とにかくあまりに異常な山容に圧倒されたのと、登山道があるらしい岩剣神社に近づこうにも道が狭すぎて車で進行するのが困難なようだったことから、岩剣城については撤退する。どうやら島津はこの城を攻め落としたらしいが、さすがにバーサーカー島津。やることが尋常でない。

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これを山といって良いのか?

 

 

鹿児島に戻る途中で思いがけず吉田麓に立ち寄ることに

 後は姶良ICから九州道に乗って鹿児島に移動するだけ・・・と思ったのだが、ぼーっと考え事をしていたせいで、入口を通り過ぎてしまう。慌ててどこかで回り込める道を探していたところ、先の信号に「吉田麓」という表記がある。これを見てピンときた。麓と言えば島津の城塞都市である。

 調べてみるとやはりビンゴ。昨日立ち寄った吉田松尾城周辺の武家屋敷があったらしい。とはいうものの今はほとんど何も残っていないとか。そんな中に縁鹿庵という蕎麦屋があるのでちょうど昼時なので立ち寄ることにする。

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緑鹿庵

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屋敷の中が店

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日本庭園付き

 天ぷらの板そばを注文する。そばは新そばを使用しているとのことで、口の中にそばの香りが広がり、しっかりと腰もある見事なそば。どうも今回の遠征ではそばで外しまくっていたのだが、ようやくにして本当のそばにありつくことができた。そうだよな、やっぱりそばはこうでないとと思わず頷いてしまう。

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鹿児島で初めて納得できるそばに遭遇した

 サクッと揚がった天ぷらも見事なもの。最後のそば湯まで満足していただいたのである。

 

 

よくよく考えるとこの一角が武家屋敷街の名残だった

 で、腹が膨れたところで頭が回ってきた。そう言えばこの店は、やけに立派な門構えで座敷からは庭園まで見える立派な屋敷なんだが、要はここが吉田麓の武家屋敷なのである。そう思って外に出てから改めてここの並びを見れば、隣は恐らく門は老朽化で撤去したのだと思われるが、造り自体は明らかに武家屋敷。その隣は建物はなくなって廃墟となっているが、土台の造りからここも武家屋敷だったことが分かる。

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確かにこの並びは武家屋敷だ

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一番手前は空き地になっているが面影あり

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その隣は門は撤去されたようだが、構えが武家屋敷

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そして緑鹿庵は疑う余地のない武家屋敷

 その隣に「興化寺跡の五輪塔」との表記があるので案内に従って進んでみると、廃校になった小学校の横の墓地に五輪塔が並んでいる。吉田氏ゆかりの地輪が発見されたことから、その霊をなぐさめるためにここに整備したとか。

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この案内に従って進んでみると

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廃校となった小学校にたどり着き

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その脇の墓地の中にこれが

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吉田氏ゆかりの五輪塔

 そもそもは道を間違ったことがきっかけだったが、思いがけないことで満足のいく昼食にあたると共に興味深いものを見学することができた。時にはこういうハッピーハプニングもあるものである。

 

 

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岩崎美術館を見学後、鹿児島地区山城攻略戦パート2

早朝から思わぬハプニングにドヨーンとなる

 翌朝は7時ごろまで爆睡する予定だったのに、5時半ごろに爆睡から目覚めてしまう。どうも老化を感じるのは睡眠力の低下である。若い頃に比べると睡眠不足には弱くなった(睡眠不足が祟ると、仕事中でさえ不意に落ちてしまうようなことがあるので注意が必要)のを感じるのに、逆にどれだけ疲れていても昼時まで寝続けるなんていうことは不可能となった。たとえいくら疲れていても、ある程度の時間でめざめてしまって睡眠が維持できないのである。この時も「まだ早い」ともう一度寝ようとしたが無理だった。そこでやむなく起きだすことにする。熱いシャワーで目を覚ますかと思ったが、どうも湯が出ない。そこでグダグダしているうちに大浴場オープンの時間になったのて、大浴場に体を温めに行く。

 体が温まってシャキッとしたところで、8時の朝食までに原稿入力。さてそろそろ朝食だから、入力した原稿をセーブしてPCをシャットダウン・・・というところでとんでもない悲劇が起こったことに気付く。私はポメラをPCの外部メモリとして使用しており、原稿はポメラに記録されるはずなのであるが、どうもポメラとPCの接続が何らかの理由で断たれていたようであり、私がセーブしたはずの原稿は消滅してしまったのである。PCの方も落としていたので万事休す。思わず頭が真っ白になって「なんてこった」という声が出る。こういう時は外国人ならまさに「Oh,my God!」。私の場合は「Oh my Buddha!」である。

 結局は昨日から丸一日かけて入力した分の原稿がまるまる消滅してしまった。初っ端から気分がドヨーンと沈むが、いつまでも覆水を盆に返そうとしても無駄である。気を取り直して朝食に出向く。

 

 

美味い朝食を摂ってから本日の戦略会議

 朝食は和定食のセットにサラダなどを足していくタイプ。もしかしたらコロナ対策でバイキングを変更したのかもしれない。普通に美味いのでガッツリと頂く。

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豪華ホテルのシンプルな朝食

 さて今日の予定だが、目的地は霧島温泉。とにかく今回の遠征の主目的は温泉でゆったりである。ただオプショナルツアーとして山城が2カ所ほど組み込んである。もっともこれだけだと予定よりも早く霧島温泉に着いてしまいそうである。確かに霧島温泉で少し考えていることがあるので、早めに到着するつもりでいるがそれにしても早すぎることになりそう。ホテルでチェックアウトギリギリまで粘るという手もあるが、もう既に指宿温泉は入り倒した感がある以上、それ以上は不毛。

 結局は昨日断念した亀甲城に立ち寄ることにする。知覧までまた走ることになるが、どうせそんなに遠回りにもならない。朝食を終えると直ちに荷物をまとめてチェックアウトする。

 

 

チェックアウト後に岩崎美術館を見学する

 ただその前に隣にある岩崎美術館は立ち寄っていきたい。岩崎美術館は鹿児島の財界の大物で、そもそもこのホテルの創業者である岩崎與八郎の個人コレクションを展示した美術館である。個人コレクションなのでジャンル的には個人の嗜好がもろに反映されており、西洋絵画及び日本近代洋画から薩摩焼にパプアニューギニアの民族美術と非常に多岐で偏りがある。

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岩崎美術館は外装工事中のようだ(内部は営業中)

 絵画は東郷青児、黒田清輝などの秀品を所蔵。また地元画家による開聞岳の絵画が数点並んでいたりなど、偏りがハッキリしている。個人的には岡田三郎助の婦人像と、ヴラマンクの雪道の絵があったのが一番の収穫。また工芸館のパプアニューギニアの民族美術については、そこに秘められたパワーのすごさに思わず圧倒される。

 点数は極端に多いというわけではないが、多岐にわたったコレクションの幅が結構楽しませてくれる。そう言えば以前にマコンデ美術館に行った時も展示品に圧倒されたことがあるが、ああいうプリミティブアート系はやはりインパクトが強い。日本も各地に民族的な彫刻なんかはあったりするんだが、あそこまでのパワーは残念ながらなかったりする。

 岩崎美術館の見学を終えると知覧まで突っ走ることになる。昨晩に雨が降ったようで路面が濡れているが、山岳地帯に差し掛かるにつれてパラパラしていた雨は完全に本降りになる。こうなると運転の差というのが露骨に出るというか、後ろから見ていると異常に運転の下手なドライバーもいる。ずっとブレーキランプがつきっぱなしで、見ているこっちがハラハラするような運転とか、カーブが怖いのか早くからブレーキを思い切り踏んでしまうためにカーブの途中で失速して止まりかけるような運転とか。普通はスローインファーストアウトでカーブから出る時はアクセルを踏むものなんだが、それをしないものだから、スローインモアスローアウトになっている。あまりにひどい失速をするものだから車間が詰まりすぎてこちらがブレーキを踏む羽目に。

 そういうおかしなドライバーにひっかかったりはあったが、それでも順調に知覧に到着した。なお昨日駐車場を見つけられなかった苦い経験から、昨晩の内に武家屋敷街に無料駐車場があることを確認しているので、そこに車を入れる。

 

 

知覧の亀甲城を見学する

 亀甲城は駐車場のすぐ横の山上である。この城はそもそもは知覧城の支城だったという。川沿いの道を進むと登城路がある。

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亀甲城遠景

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川筋を進む

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川筋は公園になっている

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入口に到着

 この城は山頂まで渦を巻くように曲輪が連なっているのが特徴だが、登城路もそれに沿って回ったような構造になっており、途中のあちこちに曲輪があるのが分かる。

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登城路を回りながら登っていく

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グルグル続く階段(なぜか途中でカメラの設定が白黒になっていた)

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山頂を目指す

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途中には複数の曲輪が

 

 

本丸を中心とした螺旋構造になっている

 山頂の本丸はそれほど大きなものではない。そういう意味では知覧城の支城という辺りで規模的にはちょうど良さそうだ。山頂の曲輪自体はそう広くなくとも、複数の曲輪が周りを取り囲んでいるので、そこまで含めるとそれ相応の兵力を籠めることもできる。

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本丸はこの上

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本丸直下にも大きな曲輪が

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本丸はそんなに広くない

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周囲を通路が取り巻いている

 山頂から降りてくるときに周りの曲輪を見て回るが、その中には未だに生きてそうな井戸のある曲輪もあった。どうやら水の確保もできているようだ。

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降りていく途中で横道にそれると

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こころ螺旋状の曲輪の一環で

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どうやら水の手のよう

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麓は紅葉

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紅葉の絨毯

 

 

知覧武家屋敷街はさすがの完成度

 駐車場に戻ってくると、知覧の武家屋敷街の端のほうだけをチラッと覗いてくるが、やはり町並みの完成度が非常に高い。それにここは各屋敷の庭園なんかも公開されている。さすがにここまで整っていたら観光ポテンシャルがかなり高いが、ここまで条件が整っているところは重伝建の中でも数少ない。

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雨の知覧武家屋敷街

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町並みの完成度は加世田とは別格

 知覧を後にすると霧島方面に向けて突っ走る。指宿スカイラインから九州自動車道に乗り継ぐのだが、この指宿スカイラインが曲者。有料自動車専用道であるが高速道路ではない。そもそも高い山上をウネウネと走る道路で、カーブはきついしアップダウンも激しいのでそもそも高速走行できる道路でない。前後に他車がいなかったことだけが救い。ようやくこの難儀な道路を抜け、九州道に入るとそれを姶良ICまで突っ走る。

 

 

吉田松尾城に立ち寄る

 姶良ICで降りたのは、この近くにある城郭に立ち寄る予定。まず最初に立ち寄ったのは、吉田松尾城。とはいうものの、実際にあるのは大手門跡の看板の立った平地だけで、ことさらに城郭を思わせる構造があるわけではない。背後に山があるが、その上に城があったわけではなく、どうやらその山地を後背の防壁として、手前に連郭状の構造があったようである。

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進入路には大型車通行禁止の看板

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行き止まりのところに大手口を示す標柱がある

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一応曲輪跡だろうか

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銀杏の絨毯である

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こういう城郭だったらしい

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島津歳久公の招魂飛だとのこと

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今はひっそりとするのみ

 

 

蒲生城を見学

 吉田松尾城の次はその北方にある蒲生城を目指す。大隅蒲生城は1123年に蒲生・吉田を領した藤原瞬清が居城とし、周辺の支城と共に防御を固めたそうだが、例によって島津貴久の攻勢で、蒲生家17代範清が1557年に火を放って逃れたとのこと。

 山上は現在は城跡公園となっていて駐車場が整備されているとの情報もあるが、一方で道路が道幅も狭く状態が良くないとの報告もある。そこで警戒しつつ現地に向かったのであるが、道は山道ではあるが道幅も十分に広く、確かにすれ違い不可な区間もあるが、正面からバカが乗った大型車でもやってこない限りは問題ない道路であった。しかも比較的最近に道路の落ち葉を払ったらしき様子もある。スムーズに山上駐車場まで到着する。

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入口には看板があり、道路も整備されている

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山上駐車場の脇にある案内看板

 正面にインチキ臭い門があって、それを抜けると眺めの良い広場に出るが、どうもここは桜公園として整備された箇所で、本来の城とは関係なさそうである。

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正面にインチキくさい城門がある

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その先は桜公園らしい

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非常に見晴らしが良い

 本来の城は右手の怪しげな門の先の急な階段を登った先が二の丸で、本丸はさらにその奥にある模様。まずは二の丸に登るがここでかなり登らされることになる。登った先の曲輪にはなぜか天守ならぬ展望台が建てられている。私は登る気にならなかったが、周りの木がかなり茂っているので、上に登ってもあまり眺望は期待できない気がする。

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二の丸はこっちの怪しい門を進むようだ

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その先はいきなりに険しくて長い階段

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登り切ったかと思ったら奥にもう一段ある

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その先にある蒲生城天守(笑)

 

 

本丸は荒れ果てていて立ち入りも出来ず

 ここの奥に降りると本丸に続く車道に出る。恐らく本丸方面の整備用の作業道路と思われるが、こちらはしばらく車が通った跡がなく、木の枝などがゴロゴロと転がっている。そのうちに右手に本丸曲輪群らしき箇所が見えてくるのだが、登り口がハッキリしない。一カ所、明らかに登り口と見られる場所はあったが、登りが急なのに足元が今朝からの雨でかなりぬかるんでいることもあり、登ることを断念した。諦めて引き返してきた途中で、また登れそうな箇所を見つけたので意を決して登ってみたが、登った先は鬱蒼として進めず。結局は引き返すことに。

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二の丸の奥を降りていくと

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本丸を示す案内看板が

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舗装道路だがかなり荒れている

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本丸はこういう構造らしい

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登り口らしいがズルズルで登るのは困難

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意を決して登ってもこの状態

 帰りはあの二の丸に再び登るのが嫌だったので、水の手の方に降りていく。そこには池があり、確かに水の確保は十分であったことが分かる。そこからさらに進んで左手に現れた分岐を登ると最初の駐車場に到着した。

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標識のところに戻ってきたので水の手に進む

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確かに池のようなものがあった

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何だかんだで最初の駐車場に到着

 城跡公園として整備されているとのことだったが、整備されているのは城本体には無関係なカ所で、城本体、特に本丸周辺は完全に未整備で放置という状態のようである。特に本丸などは藪漕ぎどころか、先に進むには鉈が必要そうであったのでどうにもならない。せめて下草ぐらい刈ってくれていたら・・・。

 これで途中立ち寄りの予定は終了したので霧島温泉に直行する。これからは山間のひたすら長い走行になる。いささか疲れはするが特に走行に問題はない。トラブルは途中で前をダンプに塞がれて往生した(登り坂になると止まりそうなぐらいに失速する)ぐらいである。

 

 

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新重伝建の加世田麓を見学してから、指宿温泉を堪能

加世田麓の武家屋敷街を見学

 ここからさらに少し南下すると加世田である。加世田の町は私が想像していたよりもはるかに大きく、これなら昼食はこの町で取れば良かったと後悔する。重伝建に指定された加世田麓は市街の南、重伝建地区の南端に位置する竹田神社の駐車場に車を置くと、徒歩で散策する。

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竹田神社

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水路沿いに町並みが広がる

 水路沿いにかつての武家屋敷の面影をのこす門などがいくつかある。ただ残念なことに建物はほとんどすべてが現代風に立て直したものばかりである。また住宅の中には完全に廃墟になっているものもあり、町並みの完成度としてはそれほど高くはない。

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ここはいきなり廃墟化している

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水路沿いの町並み

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ここの門は立派だ

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ここの住宅内には

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廃仏毀釈を免れるために匿ったという仁王像が

 

 

別府城は何も残っておらず

 途中に別府城跡があるが、ここも立派な石段を上った先に城跡碑があるだけ、どうも城跡は後に小学校になって今は遊園地になっている模様。

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別府城跡の階段を登ると

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小学校の門になっていたらしい

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上には石碑があるのみ

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城跡は小学校になって今は公園の模様

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辺りを見渡す高台にはなっている

 

 

さらに町並みを見て回るものの・・・

 さらにこの隣に旧鯵坂正一郎邸があるのでそれを覗こうとしたら、門前に侵入を阻止するかの如くゴミ袋が積み上げてある。どうやら下草刈りをしたものを詰めているようなので、それなりに管理はしているようなのだが、ゴミ袋をかわして中を見てみると、建物自体の保存状態はかなり悪く、特別に保存のために手を入れている雰囲気がない。既に廃屋状態なので、本腰を入れての整備をしないと早晩に廃墟になるではと懸念する。

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鯵坂正一郎邸の門前はなぜかポリ袋でバリケード

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立派な家だが既に廃屋化がかなり進行中

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立派な倉

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しかし庭園は荒れている

 正直なところ、様々な点でいまいち感が否定できなかった。特に最近になって指定された重伝建に多いパターンである。このままだと消滅してしまうから、その前に重伝建に指定して何とかしようという段階で、重伝建にしてからどうするというのがまだ確立していないという。現在のところはあまり見どころがあるとは言えず、現地が期待しているような観光需要は難しそうである。

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ここの門なんかは倒壊しそう

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ここは立派だが

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ここも立派だがかなり老朽化している

 

 

知覧の特攻平和記念館に立ち寄るが・・・

 加世田の視察を終えると次は知覧に立ち寄る。と言っても知覧の武家屋敷街はかなり以前に詳細に見学済みなので今さら再訪する気はない(加世田とはレベルの違う街並みが残っている)。目的はこの武家屋敷街の一番端にある亀甲城。以前にこの地を訪問した時には先を急いでいたのかすっ飛ばしていたので、それを見学しようと考えたのである。

 しかしいざ現地に到着すると、予想していたよりは結構大きい山で、見学するとなるとそれなりの時間を消費しそう(今日は指宿に早めに到着したいという思惑がある)なことと、近くに駐車場が見つからなかったことからパスして、ここから少し走ったところにある特攻平和記念館に立ち寄る。

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特攻平和記念館

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展示されているゼロ戦

 言わずと知れた特攻隊を弔うため施設である。館内にはボロボロのゼロ戦などが展示されている。多くの若者がこれに乗せられて、無謀な作戦によってミサイルの誘導装置代わりに無駄死にさせられたのである。

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兵達の三角兵舎

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こんなところで過ごしていたらしい

 ただ展示を一回りしていて気になったのは、特攻隊員を悼むと言いつつ、どことなく賛美色が匂うところである。特攻隊を考える時、いかにして彼らが国によって犬死を強いられることになったかの視点は不可欠である。なお特攻隊員を犬死と言えば、特に戦争を肯定したい筋から「国を思って命を捨てた彼らの尊い行動を冒涜することになる」という批判があるが、現実には特攻隊で戦局をひっくり返せるわけもなく、彼らは単に軍部上層部の利権を守るために敗戦を引き延ばすべく命を捨てさせられたのだから犬死である。それを批判反省することになしに、彼らの死を称揚することの方がよほど彼らに対する冒涜である。実際にあの若者たちが生き残っていたら、どれだけ後に国のために役立ったであるかを考えたら、あのような愚行は二度と繰り返してはならず、そのためにはなぜあのような愚行が実行されるに至ったかの検証は不可欠なのだが、そこのところが完全にスルーされ、単に当時の兵器や軍服などが展示されているだけで、何も知らない子供などなら「カッコいいな」という印象を抱いても不思議でないし、むしろ意図的にそう誘導しようとしているのではという気さえ起った。

 というわけで、どうにも感心しないという印象だけを抱いて施設を後にする。これで一応全予定終了なので指宿に直行することにする。

 

 

指宿温泉に到着する

 知覧から山道を走り抜けると海沿いの国道226号線を延々と南下する。ようやく指宿に到着したのは3時半頃。今回宿泊するのは指宿いわさきホテルという超巨大ホテルである。実はここに来るのは初めてではない。かなり昔にこのホテルに隣接している岩崎美術館を見学に訪れており、またこのホテルで砂風呂体験もしている。その時にはこんなホテルに泊まることは一生ないだろうなと思っていたのであるが・・・。運命とは分からないものである。

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超巨大な指宿いわさきホテル

 私はANAトラベラーズ確保したお一人様夕朝食付きプランである。予約時に夕食の内容を指定していないからということで決めさせられたのだが、洋食、焼肉、和食とあって18時からと19時45分からの回に密回避のために分けているのだという。しかし和食は各回ともに満員、洋食の18時からの回も満員とのこと。焼肉を食べるという気にもならないし、結局は洋食の19時45分からの回にしてもらう。

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なかなかに高級な部屋

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窓からは一応オーシャンビュー

 部屋に戻って荷物を置くが、なかなか高級な部屋に思わず後ずさり。この部屋を高級と感じてしまうのは、旅慣れた人なら鼻で笑いそうだが、やはり私のホテルの部屋と言えば基準としてはビジネスホテルがあるので、やはりリゾート系ホテルの部屋は気後れしてしまうのである。それどころか私がもっとも頻繁に使用しているのは、ビジネスホテルの中でも最底辺クラスの、新今宮の一泊2000円台の元ドヤだったところだったりするので、あまりの落差に驚くのである。

 

 

とりあえず砂風呂へ

 いささか気後れはしたものの、とりあえず浴衣に着替える。このホテルは一応ホテル内は浴衣とスリッパでウロウロしてよいらしい。こういう点はあまりフォーマルではない(つまりは私向きだ)。で、やはり指宿に来たらこれはしないといけないだろうということで砂風呂に向かう。

 砂風呂は素っ裸でそれようの浴衣に着替え、砂に横になった上に砂をかけてもらうという形式。砂をかけられる前から既に背中がポカポカと温かいというよりも熱いんだが、砂をかけられると完全に蒸し風呂になる。どうしたわけか左手首が火傷しそうなほどに暑かったので動かしたんだが、そう言えば「低温火傷に注意」との表記があった。

 砂はずっしりと重く、またカッカした身体からかなり汗が出る。要はサウナ効果と砂による圧迫効果が肝なんだろうと思うが、思いのほかきつい。以前に砂風呂を体験した時にも思ったのだが、この程度の砂で体の動きがこれだけ阻害されるのだから、土砂崩れなどに生き埋めになった人が自力ではどうしようもないのが納得できる。そういう最後だけは送りたくないものだと思ったりする。

 お勧め時間は10~15分とのことなんだが、足にかかった砂の圧力がもろにかかとにかかって、両かかとが痛くて仕方ない。結局のところ10分ほどでギブアップである。そもそも私はサウナも苦手だし・・・。

 後はシャワーで砂を落としてから、展望浴場で入浴して体を洗う。確かに大分汗をかいたのは分かる。それによって体の毒気が抜けたというよりも、各所に溜まっていた疲労が一気に表に出た感覚。今日の山城連荘で思いのほか足腰がガタガタになっているのが改めて分かる。なんせ深めの浴槽に入ろうとしたら、足が踏ん張れなくて転倒しそうになったというお粗末。

 

 

大浴場はナトリウム塩化物泉

 砂風呂体験後は、部屋に戻る前に大浴場に立ち寄ることにする。指宿温泉はナトリウム塩化物泉なのであるが、要は地下で温まった海水じゃんと言われるからか、わざわざ「指宿温泉は化石海水で、太古の海水が地層中で変性したものであり、海水とは成分が異なる」との説明看板まで立っていた(笑)。ナトリウム濃度がかなり高いのだという。しかしそれを見ていると「要は煮詰まった海水じゃないの?」という意地悪い考えも浮かんだのであるが・・・。

 しかし確かに単なる海水風呂と湯の感触が違うのは事実である。海水風呂だともっと不快なねっとり感があるが、それは少なく比較的さらっとしている。ナトリウム塩化物泉の特徴はとにかくぬくもること。後で体がポカポカしてくるのである。とりあえず大浴場と露天で指宿の湯をじっくりと堪能するが、いささか暑がりの私はむしろ部屋に帰ってから体が火照って困った。

 夕食の時間がかなり先なのでそれまでは原稿の執筆・・・と思ったのだが、先ほどから温泉で体がほぐれるとともに体が綿のようにグダグダになっているのを感じる。昨日が1万4千歩も歩いていたが、実は今日も歩数はほぼ同じ。しかも登った階数が43階となっている。下半身がグダグダであり、それが異様な全身の重さにつながっている。結局は全く文章が浮かばず、それどころかテレビを見る気力さえなく、ベッドの上に横たわったと思ったらそのまましばし意識を失ってしまった。

 

 

夕食は洋食のフルコース

 なんだかんだでグダグダの内に夕食の時間となったので、レストランの方に出向くことにする。夕食は洋食のフルコースとのこと。酒が皆目駄目な私は、例のように飲み物はコーラを頼んでいる。

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高級ホテルとはこういう演出まで凝っているものだ

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雰囲気が高級すぎてやや気後れするのは悲しい貧乏人

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本日のメニュー

 まず前菜から。カンパチのマリネが抜群に美味いが、さらに車海老の生春巻きが非常に美味い。

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前菜からして抜群に美味い

 スープはキノコのしっかりとした触感が心地よい。実に美味。

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キノコの食感も美味なスープ

 メイン一品目はカジキの焼いたものだが、ややしょっぱいカジキとあっさりしたナスの取り合わせが絶妙。ああ、野菜って美味いなと感じる一品。

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カジキと野菜の取り合わせが良い

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マンゴーのジュースを頼んだが、これも美味

 次がステーキ。赤身のステーキが注文通りのミディアムで焼きあがっている。赤身肉なのでさっぱりした口当たり。こうして食べるとしつこい霜降りと違い、赤身も良いというのを非常に感じる。また付け合わせの野菜も美味だが、驚いたのは焼いたプチトマトの甘さ。思わず「えっ?」という声が出た。実は火加減が非常に難しいのだとか。トマトを焼いたものがこんなにも甘いとは衝撃であった。

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赤身肉のステーキ

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見事にミディアム

 そしてデザート。ガッツリとガトーショコラにカキのシャーベットだそうな。シャーベットはさっぱりとした口当たりで実に爽快。ガトーショコラはケーキとしては美味いのだが、コースのデザートとしてはいささか自己主張が強すぎ気もしないではない。

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デザートはガトーショコラにシャーベット

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そしてコーヒー

 これで夕食は終了。非常に満足のいくものであった。思わず「ああ、高級ホテルのディナーは良いよな」という言葉が出そうになる。こうして人はまた堕落していくのである。

 夕食後はしばし原稿執筆をして時間をつぶす。そして寝る前にもう一度入浴しておこうと大浴場に向かい、しっかりと体を温めるとこみ上げてくる眠気に体を任せて、この日もやや早めに就寝する。

 

 

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鹿児島地域山城攻略戦

翌日はレンタカーで山城巡り

 翌朝は6時半に目覚ましをセットしていたのだが、それよりも早く目が覚めてしまう。仕方ないので熱いシャワーで目を覚ますと身支度をすることに。

 朝食はバイキングだが、法華クラブのバイキングは地元食も取り入れられた豊富なもの。これがこのホテルチェーンの良いところである。昨晩はやや体調不調で食欲も不振で、昨晩などは横になっていると胸がムカムカしていたのだが、一晩で回復したようでモリモリ食える。朝から和食でしっかりと頂く。

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朝から食が進む

 朝食を済ませると8時までにホテルをチェックアウトする。今日は指宿温泉に移動する予定だが、その前に山城など数か所経由してから新重伝建の加世田に立ち寄る予定となっているので、早朝から行動開始するに越したことはなかろうと、レンタカーの予約を8時からにしている。九州地区でのお約束としてレンタカーはたびらいを通して確保している。たびらいは元々九州レンタカーだっただけに、今でも九州地区のレンタカーなら、ここを通すのが大抵一番安い。

 

 路面で鹿児島中央まで移動するとタイムズレンタカーへ。やはり観光地では朝一から行動を開始する者が多いのか大勢の客でごった返している。私に貸し出されたのはやけに箱型な車だなと思えば、スズキのソリオ。全く初めての車である。後ろから見た時は箱バンかと思った。シフトレバーをフロントに持ってきているので運転席回りが広いのは良いが、シフトレバーの位置をすぐに見失う。またシフトをDに入れているつもりでLになっていたりなど、かなり慣れが必要な車である。

 

 

市来鶴丸城を訪問

 さて最初の目的地であるがそれは市来鶴丸城。日置市立鶴丸小学校を目標に突っ走る。現地には30分ほどで到着。現地には登城路の看板まで出ていて至れり尽くせり。車は小学校隣の図書館の大きな駐車場に置かせてもらう。

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小学校の前に表示もある

 登城路の正面には春日神社があり、登城路はそこから向かって右手、小学校裏手の山の方に続いている。そこを進もうとしたらいきなりザビエル像がお出迎え。思わず頭の中が「?」でいっぱいになるが、説明によるとこの城はザビエルと関わりが深いのだという。

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登城路正面は春日神社

 市来鶴丸城はそもそもは13世紀初頭に市来家房が最初の城主となったのであるが、その後に島津領となる。そして1550年、ザビエルが鹿児島で布教していた時、この城の家老のミカエル(イエズス会に洗礼名が残るのみで日本名は不明)に招かれてここに滞在したのだとか。なおこの城は複数の曲輪をはね橋でつないだかなり壮大な城だったという記録も残っているという。

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いきりなザビエル像に迎えられる

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構造図

 さて登城を開始するが、道がよく整備されているので足元に不安は全くない。すぐに到着するのが一番手前の曲輪だが、ここでもうすでに結構高さがある。またシラス台地の特徴で周りの崖がかなり切り立っている。

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登城路は実に整備されている

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最初のこの分岐を左手に入ると

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一番手前の曲輪に出る

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この石碑の奥は元々上につながっていたっぽい

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この曲輪で既に結構な高さがある

 さらに進んだその上の小曲輪は元々は下の曲輪とつながっていたのではという気がする。もしかしたら、下の曲輪の櫓を登ればこちらの曲輪に移動できるなどという仕掛けもあったかもしれない。

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その上の曲輪はこの通り鬱蒼としている

 

 

山頂の本丸周辺はかなりの規模

 その一段上が本丸手前の曲輪となる。本丸の周囲にはかなり深い横堀が見られるが、それの見学は後にして本丸に登る。

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本丸へはさらに登る

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そこからさらに進む

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本丸直下に出た

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横手の極めて深い堀切

 本丸に登って驚いた。こんな山の上とは思えないほどの広さの削平地がある。これなら立派な御殿を建てても十分である。壮大で豪壮な山城にできたと思われる。周りは相当に切り立っており、防御も十分。

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本丸に登る

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土塁の痕跡もあり

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とにかく驚くほど奥に深い

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一部崩落しているカ所も

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回りはかなり切り立っている

 本丸下の堀底を回ってみたが、とにかく深いし急である。シラス台地の崖の特徴で垂直どころかむしろ上がせり出している感じがあるので、よじ登るのことはまず不可能(しかも崖にとりつこうにも火山灰土でズルズル)。しかもこの堀自体が足元を気を付けないと、切り立った崖から転落する恐れがある。もし足を滑らせたら余裕で死ねそうだ。

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深い堀切の堀底を進む

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左手の崖の上に登れそうでもあったが、それはやめた

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足を滑らせたら余裕で死ねそうな場所も

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そこを越えて先に進むが

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竹藪に進路を阻まれ、流石にこれ以上は無理そう

 朝一から見事な山城に行き当たった。整備状況も含めて私選100名城Bクラス該当である。これは幸先が良い。

 

 

南郷城は藪の中

 市来鶴丸城の次はここの南にある南郷城を目指す。海沿いを走行すること30分ほど、永吉小学校の横の道を山に向かって進んだ先が南郷城であり、突き当りに見学者用駐車場まで完備されている。

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この小学校裏手の山が南郷城のようだ

 案内看板によると、この城はそもそも桑波田一族が支配しており、源智を祖に十代つづいたが、そこで島津忠良との戦いとなって敗北、この地は島津領となったということらしい。

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現地案内看板

 縄張り図を見たところ、この辺りのシラス台地に多い複数の曲輪を横に配置した城郭のようである。登城路は地元有志が整備したものと思われ、要所要所に看板が立ててあるので道に迷わなくて済むのだが、肝心の道自体は既にほぼ藪に埋まって消えかかっている上に倒木なども多数。しかも結構急な登りなどもある上に、火山灰土の足元はぬかるんで滑るし、杖を突けばこれもズブズブと沈むという状態。意外に難儀。攻城中に矢玉がとんでこないことだけぐらいが救い。こりゃこの城を攻略する兵は難儀したろう。

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地元有志が登場路を整備したと見られる

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しかし登城路はこの有様

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倒木が進路を塞ぐ

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そして道は藪の中に消失

 やがて根子城方面と本丸方面の分岐に差し掛かるが、ここはまず本丸を目指す。この移動はほぼ水平の移動であるが、足元の道が消えかけているのは相変わらず。

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ようやく遠くに看板が見える

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根子城との分岐らしい

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本丸方面に向かうが足下はこの通り

 

 

本丸に到達する

 次に東の城との分岐の看板があるが、ここは本丸に登る。このところの登りは急だが、足元に階段が設置されているので不安はない(もっとも途中で倒木に進路を妨げられたが)。

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本丸と東の城との分岐

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ここでも倒木に進路を塞がれる

 到着した本丸は木は切っていないが、下草はある程度は処理した模様・・・とは言っても結構鬱蒼としている。面積は結構広く、館などは余裕で建設できる面積。また周囲の崖はかなり切り立っているというか、明らかにせり出しているところもあり、気を付けないとあまり端に行ったら足元ごとドサッとなりかねない。シラス台地に固有の特徴で、とにかく台地に堀切を入れるだけで堅固な城郭になるのがこの地の特性。

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ようやく本丸に到達する

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かなり広い

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水場?

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それなりに高地になっている模様

 本丸を降りると次は東の城に向かうが、これは道が途中で竹藪の中に消失しており、周囲の状況はさっぱり分からないし、その先に進めないので引き返してくる。

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東の城は竹藪に阻まれる

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どう考えてもこれ以上の進行は不可能

ロープでよじ登って根子城へ

 

 

 次に根子城の方に向かうが、こちらはいきなりロープを使う必要がある急な登り。蜘蛛の巣に頭を突っ込んだりしつつも、どうにかこうにかこれはクリア。その先は堀底道らしきところを進む。

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根子城方面はいきなりロープ場

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そこを抜けると堀底道に出る

 ここから回り込んで登った先が根子城のようだが、かなり広い削平地であるのは分かるが、とにかく鬱蒼としていて先に進む気が起きないのでこれも引き返してくる。

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曲輪沿いに登ると

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登り口に出る

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しかし登った先は鬱蒼として何が何やら

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一応土塁らしきものは確認

 後はズルズル滑る足元に気を付けながら降りてくる。とりあえず本丸周辺は整備されているのだが、登城路といい全体がこれでは少々厳しいものがある。もう少し整備状況が良ければ私選100名城Bクラスに十分届くだけの城なんだが残念。なおこの後、車に乗ろうとしたらズボンが種まみれでとんでもないことになっており、まずそれを外す必要に迫られたのである。こういう点でもやはり登城路の整備が欲しい。城の状況ではこういうことはよくあるので、次からは攻城装備にガムテープを加えておくことにしよう。

 

 

田中城に立ち寄る

 二発目の山城もまずまずのものであった。次は田中城。田園地帯の中に孤立する丘の上にあった山城のようだ。ここは加世田に向かう経路の脇にあるから立ち寄り先に入れた程度のもので、全く期待していなかったのだが、いざ現地に行くと市指定文化財とやらのかなり気合の入った解説看板まで立っており、登り階段も整備されている。看板の前に車2台ぐらいは駐車できそうなスペースがあったのでそこに車を置く。

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田中城遠景

 看板によるとこの城は1190年ごろ和田八郎親純の居城であったと伝わっているという。親純はそもそもは藤原遠純(藤原純友の弟)の子孫であり、この地に勢力を誇ったらしいが、この辺りのお約束通りに島津の伸長によって没落してしまったとか。

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現地は整備されている

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階段途中の曲輪には何かの墓所が

 階段を上りきると細長い曲輪に出るが、その奥をさらに一段登る構造になっている。

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登り切った先は奥に深い曲輪

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一番奥から一段さらに登る

 登った先は小さな曲輪で、その奥を一段降りると本丸の下に出るという構造。途中の症曲輪が関所が何かのような奇妙な構造になっている。

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登った先は小曲輪

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この奥を一段降りると

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前方に見えるのが本丸

 本丸は周囲にグルリと横堀を巡らせており、この城全体が孤立丘の上にあるので防御はそれなりに堅固である。周りの田園地帯を見下ろしており、この地の支配者としては十分な城郭である。もっとも規模はそれなりなので、九州に覇を唱えるべく動き出した島津の大軍を相手に回すと分が悪いだろう。

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本丸周囲には横堀がある

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本丸

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結構広い

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周囲は横堀がグルリ

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辺りを一望

 

 

昼食後に立ち寄った貝殻崎城は小泉純一郎の石碑だけ

 全く何も期待していなかったのだが、予想に反して立派な城郭だった。おかげでテンションは上がるが、予定よりもかなり時間を浪費している。そろそろ昼時になったので昼食も考える必要がある。ここからさらに少し南下すると道の駅金峰木花館があるので、そこの食堂でかけそばの定食を注文する。

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残念ながらこのそばはイマイチ

 やけに太いそばだが、箸でつまむと粘りがないせいかブチブチと切れる。出汁ともなじまずに団子な印象である。正直なところ、うーん、これはないわというのが本音。どうも昨日と言い、今回の遠征はそばに恵まれていない。

 とりあえずの昼食を終え、国道270号が2経路に分かれるその一方の脇にあるのが貝殻崎城。しかしここは小泉純一郎による立派な城跡碑が立っているだけで城の遺構らしきものが皆無である。どうも本来の城の遺構が道路で叩き潰されている気がする。

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遠くから見ると城っぽくなくもないが・・・

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現地は石碑のみ

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だそうです

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多分城跡を道路がぶった切っている

 ここまで来ると、とりあえずの目的地である加世田はすぐそこである。加世田を目指すことにする。

 

 

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鹿児島城周辺を散策する

今日は鹿児島市内散策だ

 この晩はかなりグッタリしていた。仕事のプレッシャーかはたまた救いようのない人生の悲哀のせいか、ろくでもない夢を見てうなされたりで、気がついたら7時半にセットした目覚ましが起動する直前に目覚めていた。

 起きるとまずは朝風呂。遠征に出かけた時の何よりの贅沢と言えばこれである。シットリとした湯が肌に染みて心地よく眠気を覚ましてくれる。例によって「小原庄助さん万歳」。塩化物泉なので体が温まる。もっともかなり暑がりの私としてはいささか温まりすぎの感もなくはない。

 朝風呂で眠気を覚ますと朝食を取りに昨日夕食を取ったレストランへ。朝食はバイキングであるが、鹿児島の地元メニューなどもあるまずまずの内容。今朝もなかなかに飯が美味い。やっぱりこのホテルは当たりだ。

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ご当地食を含むバイキング朝食

 朝食を終えるとこのホテルのチェックアウト時刻の11時まで原稿作成などの仕事。例によって「なぜか遊びの時の方が猛烈ビジネスマンに見える」という私の生態である。昨日の書きかけの原稿のアップなどを済ませて10時半頃にチェックアウトする。

 

 

路面電車で市内を移動する

 さて今日の予定だがあるようなないようなというのが本音。今日から温泉地に繰り出しても良かったのだが、土曜の温泉旅館は宿泊料が跳ね上がるというのと、鹿児島市内を一日ぐらい見学しても良かろうとフリープランになっている。まずは機動力アップのために今日の宿泊ホテルに荷物を置きに行く。今日宿泊するのは法華クラブ鹿児島。シルクインで二泊しても良さそうなものだったが、ANAトラベルのプランにあった市内のホテルがここぐらいだったから選んだというのが現実。それにそもそも法華クラブのチェーンもよく利用しているし。

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朝のシルクイン

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朝の鹿児島中央駅

 鹿児島中央駅で市電の一日乗車券を入手すると市電で移動。ホテルは高見馬場駅の目の前にあるのでフロントにトランクを預けるとすぐに移動する。

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鹿児島市電に乗り込む

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高見馬場駅前のホテル法華クラブ

 最初は市電で市役所前まで移動。鹿児島城を見学しようという考え。鹿児島城と言っても城が残っているわけではないが石垣や堀が残っている。さらに最近に門が復元されたと聞いている。

 

 

鹿児島城には立派な復元門が

 市電で市役所前まで移動して、そこから西に向かって歩くと、正面に立派な城壁が見えてくるが、これが鹿児島城本丸城壁である。そして左手にかなり立派な城門が見えてくる。

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前方にかなり立派な城壁が見えてくる

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堀が残っている

 相当に気合いの入った復元をしたようで、威風堂々立派な門である。門を抜けると枡形があって、その先は本丸御殿ならぬ黎明館なる施設がある。歴史博物館のようなので入館することにする。

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かなり立派な復元門

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門を抜けた先の枡形構造

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櫓門の櫓部には一応登れるようにはなっているようだ(立ち入り禁止)

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その先には歴史博物館である黎明館

 

 

黎明館を見学する

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黎明館手前には櫓門復元に関する資料が

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壁なんかも旧来工法で本式復元したらしい

 内部は常設の歴史民俗展示と貸し館展示で「南日本美術展」が開催中。もののついでだからこれを見学していく。

 いわゆる公募展の類いと思われるが、展示は実に多彩。しかし意外にレベルが高い。技術的にいわゆるプロと遜色のない作品から、技術的には今一歩だがアイディアが面白い作品など実に多彩。

 何だかんだで意外と楽しめる。しかしこうして見ていると、いわゆるアマチュアでもかなりのレベルで描ける者がゴロゴロいるというわけである。そうして考えると、この時代にプロと名乗るのはかなり大変であるということも感じられる。だから自称芸術家なんてのが溢れるのだと納得できたりする。結局、現在はプロとアマに境界がなくなっており、今やハイアマチュアはロープロを凌ぐレベルだったりする。結局はプロになれるのは、それで生活が出来るようになるまで遊んでいられる財力があるかどうか。だから石原の息子のようなどうしようもないのが「自称プロ芸術家」を名乗れたりするのである。

 

 

歴史民俗展示は結構見ごたえあり

 歴史の方の展示はお約束の考古展示から近代鹿児島の展示まで。かつての天文通りの模型や出水麓の模型などもある。一番驚いたのは志布志城の模型。シラス台地に曲輪を並べた島津式城郭の傑作である志布志城の構造が良く分かるようになっている。

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昔の天文館通を再現した模型

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出水麓の模型

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志布志城の模型は圧巻

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大正時代のハチロクこと、ハチロク式機関車

 二階には民族展示、三階には美術展示があるが、民俗展示については鹿児島は奄美などの南方諸島を含むため、その内容はもはや異国の風景とも言って良い。かなり独自の文化が諸島に花咲いていることが分かる。なお美術展示は薩摩焼と刀剣が中心。これについては残念ながら私には刀剣は分からない。

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南洋諸島系の展示はもはや外国感覚

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こういうセンスもすごいな

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漁具の数々

 

 

疲れたので喫茶で一服

 展示を一渡り見て回ったら異常に疲れた。どこかで一息つきたいと思ったところで、どうやらこの建物に喫茶室があることに気づくので入店する。ホットドックのセットを注文して一息。

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とりあえずホットドッグのセットを頂く

鹿児島城今昔

 喫茶で一息ついて生き返ると、プラプラと鹿児島城の見学。本丸は石垣と堀は残っていても、内部の建物は残っておらずすべて庭園となっている。

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かつての本丸内部はこうなっていたらしい

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しかし現状はこうなっている

 隣の図書館のある部分が二の丸だろうと思われるが、この間には数メートルの高度差が設けてある。やはり本丸の防御は高めているんだろう。しかし二の丸自体はあまり防御力は高そうではない。こうして見ると鹿児島城とは実に本丸だけの城である。島津氏は本城にはあまり防御の仕掛けを施さず、ここに至るまでの各地に麓と呼ばれる城を中心とした防御都市を点在させており、これらで防御をして本城まで攻め込ませることはないという体制だったのだろうと推測する。島津氏としてはここで戦う気はさらさらないから、本城は政庁機能さえ果たせれば十分だったんだろう。

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右手の旧二の丸との間の高度差

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二の丸周囲には堀もなかったよう

 

 

鹿児島市立美術館に立ち寄る

 本丸、二の丸と南に進んでいけば、鹿児島市立美術館にたどり着く。鹿児島美術館は先ほどの南日本美術展の第二会場になっているのでそれをまず見学。こちらもなかなか個性が炸裂している作品が多い。

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鹿児島市立美術館

 それを見終わると所蔵品展を見学。こちらは所蔵の洋画名品と日本画名品たち。まずまずの作品が結構あるのでそれを堪能。

 鹿児島市美術館を見学した終わったところではたと困ってしまう。これからどうしよう。正直なところ今日は綿密な計画は全く立てておらずほぼノープランに近い。漠然としたイメージとしては、この後は鹿児島城裏手の城山に登ってみようかという考えがあったのだが、いざ下から見上げると思いの外険しい上に、黎明館の中を歩き回っているだけで想定外に足腰がガクガクになった(重たいリュックを背負ったままだったのが失敗の元)ことから、そんな体力はないことは明らかだった。しかもそもそも城山展望台なら以前の鹿児島訪問時に車で登っており、これといって見るべきものもないことも確認済み。と言うわけであの絶壁を上がっていくモチベーションが全く湧かない。 

 と言うわけでグダグダ考えていた時に頭に浮かんだのは「いっそのこと水族館でも行くか」というもの。鹿児島にも、いおワールドかごしま水族館なるものが存在することは既に調査済みだし、今日訪問したら例の市電チケット割引で1500円の入場料が1200円になるようである。元々私は水族館がそんなに好きというわけでもないが、なぜか全国各地の水族館は結構訪問している(北は千歳の水族館から南は沖縄の美ら海まで)。それに最近になって「白い海のアクアトープ」を見ていたら、そう言えば実は水族館って嫌いじゃないんだよなという気持ちもわき上がってきた。もしかしたら私も水族館で何か奇跡の体験を出来る・・・なんてわけはまずないが、この際だからボンヤリしてるぐらいなら水族館まで行ってやろうと決定する。

 

 

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因幡街道の宿場町を巡る

いきなり恋の聖地に

 今回は因幡街道の古い街並みを辿る旅に出ることにした。最初の目的地は智頭を考えていたのであるが、グダグダやっている間に家を出るのが遅れてしまい、智頭まで行っている時間が無くなってしまったためにその手前で引き返すことにする。

 ここで立ち寄ったのが宿場町とは全く無関係の恋山形駅。以前に鳥取の三朝温泉からの帰途で、特急スーパーやくもで通りかかった時にその異彩を放つ駅の風景が強烈にインパクトがあったことから、一度立ち寄ってやろうと思った次第。

 鳥取自動車道を智頭南ICで降りると智頭急行は高架とトンネルで高速走行する路線なので、駅は山沿いの意外と高い場所にある。国道373号線からかなり登っていくことになる。

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この辺りは智頭急は高架上を爆走する

 もう駅の手前から恋ロードなるピンクのラインが引いてあって「しまった、独身の50男が来るところではなかった」と少々後悔するが、ここまで来てひるんではいられない。その恋ロードをノートで登る。

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いきなり恋ロード

 駅舎というようなものはない無人駅だが、駅はもう目も眩むようなピンク。山間の風景の中で妙に浮いている。しかもそこに鉄道娘の萌え要素まで加わって一種異様な空間となっている。

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ある種の異空間である

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萌え自販機

 駅の前には恋ポストなるものまで設置されている。ここに切手を貼った手紙を投函したら、山形郵便局でハート型の風景印を押して届けてくれるらしい。と言っても私は恋文を出す相手はいないし、自分に手紙書く趣味はないのでこれはパス。

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恋ポスト

 駅のホームには恋の鐘なるものも設置。恋が叶う鐘と書いてあるが、よくよく考えると私には既に片思いの相手さえいないということに気づいた。我が人生を振り返るに、40前ぐらいから恋愛以前に回りに全く女性がいない生活を送っているのだから、そりゃそのまま独身になるのも必然だったというわけでもある。まあ積極的に動かなかった私の自業自得とも言えるが(実はそうしたくても出来なかった理由はあるのだが)。思い返せば私のラストの恋愛チャンスは30代半ばぐらいだったが、結局は阪神大震災のドタバタで吹っ飛んでしまっている。と言うわけで諸々を考えていると情けなくなってきたので、やけくそで鐘を一回撞いて帰ってくることにする。

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恋駅舎

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そして萌え美少女

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駅名表示板までこれ

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そして恋の鐘

 そう言えばよく「カップルでこの鐘を撞くと結ばれる」なんてのを見かけるが、そもそもそんなところに二人連れだって行っている時点で、既にかなり関係が進んでいるのだから、余程下手しない限り結ばれるのではと恋愛未経験の私などは思ってしまうのだが、そういうものではないのだろうか? どうしても男女の機微だけは私には理解できない。

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駅前の壁からしてこれです

 うーん、それにしても何とも奇妙なスポットだった。カップル盛り上がりスポットなのか、鉄娘萌えスポットなのか、独身男うつスポットなのか。まあとりあえず三朝温泉の帰途に抱いた疑問はこれで解決である。ちなみに駅内には「日本に4つ恋の駅」との表示があったのだが、この駅以外は室蘭線の母恋駅と三陸鉄道の恋し浜駅、西武鉄道の恋ヶ窪駅だそうな。ちなみに調べてはいないが、愛の付く駅ならもっとありそうである。何しろ愛知に愛媛と県名自体に「愛」の付く県があるから。ちなみに静岡県にそのものズバリの愛野駅というのがある。で、愛の兜なら直江兼続・・・となんか段々やけくそになってきた。

 

 

近くのPAでそばと「物騒な」もちを頂く

 どうも妙なパワーに晒されてバグりそうになってきたので早々に撤退して昼食を摂りに行くことにする。再び智頭南ICから鳥取自動車道に乗るとすぐに次の福原PAに降りる。ここは上り線だけが使えるハーフPAになっている。このPA自体は特に何もないのだが、ここから少し外に出たところに「みちくさの駅」という産直販売店兼蕎麦屋があることを知ってるので、そこに立ち寄ることにする。

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山間の何もないPA

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その外にある「みちくさの駅」

 店の前には赤文字で「エゴマみそ味 半殺しもち」といういささか物騒な看板が出ているがこれが名物の模様。さらに「本日そばプリンあり」との表示も出ている。そこで入店するとおろし蕎麦と半殺しもちのセットとそばプリンを注文する。

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何とも物騒な看板

 中は山小屋風の建物にジャズがかかっているという奇妙な空間。しばしマッタリしたところで蕎麦が出てくる。かなりしっかりとした腰の強い蕎麦で実に私好み。おろしの辛味が実に効いていて美味。ただ量がいささか寂しい。今更ながら大盛りを頼んどいたら良かったと後悔する。

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おろし蕎麦

 半殺しもちなる物騒なものは、要するに五平餅のことのようである。一般的には半搗く餅などとも言う代物。エゴマのみそがなかなか美味いが、私の好みとしてはもう少し搗いている方が好き。

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件の半殺しもち

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いわゆる五平餅である

 そばプリンはかなり柔らかめでプリンと言うよりはムースの雰囲気。甘味の少なめの実にアッサリとしたデザートである。サッパリしているが、デザートとしてはもう少し甘味も欲しいかな。

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あっさりしたそばプリン

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プリンと言うよりはムース

 

 

宿場町大原を見学する

 昼食を終えるといよいよ宿場町に立ち寄ることにする。目指すは大原宿。因美街道の宿場町としてかつて栄えた地であり、今でも往時の街並みが一部残存しているという。

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大原の街並み

 鳥取自動車道を大原ICで降りると大原宿の観光案内所の駐車場に車を置く。確かに街道沿いに往時の面影をとどめる住宅が散在している。脇本陣、本陣なども残っているが、脇本陣は長屋門が残っている。本陣はまだ子孫が居住している模様で残念ながら見学は出来ない。

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駐車場の向かいのこの建物は明治のものだろう

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なかなかに風情あり

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脇本陣の長屋門

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なかなかに立派

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ここは大きいな

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これが大体北の端か

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南側の街並み

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これが本陣

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この辺りが南端

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ここにある三界萬霊の碑

 

 

謎の七福神門

 宿場町を一回り北から南まで見て回る。途中で面白かったのは鬼瓦のところを七福神にした門がある家。ちなみにガレージのために後で開けたと思われるところには、なぜか西郷どん?とペリー?がいたようだが。

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七福神の門

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弁財天

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布袋尊

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大黒天

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恵比寿天

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福禄寿

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この後ろ姿は寿老人か

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多分毘沙門天

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ガレージのところにはなぜか西郷どん?

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誰?ペリー辺り?

 大原は重伝建には入っていないが、意外と風情のある住宅が多かった。重伝建指定の街並みでも、ここより疎らなところは結構あるのだが。まだまだ巷には重伝建指定されていないがかなり風情のある家並みはまだまだある。

 

 

武蔵の里は寂れきっていた

 大原の宿場町を見学したら、ここから少し南下して宮本武蔵ゆかりの地を訪ねる。大河ドラマで宮本武蔵が放送された頃に、武蔵の生家や武蔵神社辺りの一角を整備したと聞いている。

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五輪坊周辺も人の気配無し

 しかし現地に到着すると人影が皆無。売店らしきところは閉鎖されているし、庭園を備えたメイン施設であるはずの資料館も閉館中。そう言えば以前に隣接してあった温泉入浴施設が老朽化で閉鎖されたと聞いていたが、とっくの昔に解体されて幼稚園か何かになっている模様。

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広大な庭園

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資料館

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しかしこの通り

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イケメン武蔵像だけがポツンと立つ

 どうも典型的な「大河に便乗して自治体が町おこしに乗り出した挙げ句に大失敗した例」を実践しているようである。恐らく大河が放送している頃はまだ良かったが、それから年月が経つにつれて、継続して集客できる能力が無かったのだろう。お役所仕事の弊害である。

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かなり整備している

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謎の水車小屋

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絵にはなるんだが

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武蔵の生家(後年に改築されている)

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売店も廃墟寸前

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だそうです

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かつての温泉施設も今は幼稚園

 本当はこの周辺の新免氏ゆかりの山城を訪問することも考えていたのだが、武蔵の里のあまりの寂れっぷりにテンションが落ちたのと、そもそも今週は極度の疲労が溜まっていて体力に余裕がないのと、もう既に時間に余裕がない上にさきほどからパラパラと雨粒が落ちてきていることなどから断念して次の目的地に向かうことにする。

 

 

最後は平福宿に立ち寄る

 次の目的地は因幡街道で大原の手前の宿場町になる平福。実は平福は10年以上前に一度訪問しているのだが、その時は佐用地区が豪雨で甚大な被害が出た(洪水で避難中の住民が数人犠牲になった)という直後であり、平福地区も被害が出て修復中の住宅もあった状態だったので駆け足でザッと回っただけである。今回大原に立ち寄ったついでに久しぶりに見学してやろうという考え。さらに前回訪問時は利神城は石垣崩落が放置されている状態で立ち入り不可だったんだが、最近ようやく史跡認定されて修復工事が始まったという朗報を耳にしている。その状況がどうやっているかを遠目に確認してやろうという考えもある。

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道の駅ひらふく

 道の駅ひらふくに車を置く。ここはかつての陣屋跡に隣接しており、陣屋の長屋門が現存している。なお道の駅で鹿肉コロッケを販売していたので、日本人よシカやイノシシをもっと食えと提唱している私としては、これを頂くことにする。鹿肉が淡泊であるので、いわゆる普通のビーフコロッケよりもアッサリした味である。美味。

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鹿肉コロッケ

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アッサリしていて結構美味

 道の駅の展望台から利神城を眺めると、どうやら足場が組まれていることが分かる。石垣の修復作業が始まった模様である。早く安全が確保されて、天下晴れて城跡見学が出来るようになることを祈りたい(私の足腰が登山に耐えられる内にお願いしたい)。

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利神城を遠望

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どうやら足場が組まれている

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利神城模型

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宿場町平福

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陣屋の長屋門

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ちなみに表からはこう見える

 

 

宿場町を見学する

 ここから歩いて平福の宿場町を見学する。ここの宿場町は川沿いに広がる町であり、町屋の裏手から佐用川を船で水運していたと考えられる。

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平福の街並みを見学

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趣のある家もあります

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メインステージは川側かな

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南側から見たらこうなる

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ちなみに対岸には利神城案内看板があるがまだ立ち入り禁止

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この手の商家が多い

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蕎麦屋をしている旧商家

 街並みをフラッと南端まで見学。一番南端には宮本武蔵が初めての決闘を行ったとされる地があるが、ここは刑場跡らしい。別に墓地の類いには全く恐怖も不快感も感じない私だが、どうもここはあまり良くない空気を感じたので立ち入るのはやめる。

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街の南端までやって来る

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ここが武蔵の決闘の場となった旧刑場跡

 南端から折り返してくると、今度は街並みを北端まで散策。南側には商家だったらしき家が多かったが、北側は寺社が目立つ。昔ながらと思われる住宅はその中に点在している。

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北側の街並みも見学

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長屋門がある

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北側は寺社が多い

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なかなか立派

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ここの醤油は道の駅でも売っていた

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大体通路が屈曲したらそこが一番端

 かつて訪問した時には結構古い住宅が残っている印象だったが、今回改めて訪問すると、住宅が残っている地域は結構限定されているようである。それでも全体としては重伝建レベルである。

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ちなみにこれが智頭急平福駅

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列車が停車中

 今日は山城は皆無だったのでさして歩いていないはずなのだが、長時間ドライブのせいで異様に疲れた。実際にこの帰り道は途中で意識が飛びそうになるぐらいの疲労で、かなりヤバい運転になりかかっていた。昔に比べると全然体力も集中力も低下したことを痛感するのである。