徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

広島交響楽団第394回定期演奏会&「印象派、記憶への旅」「広島浅野家の至宝」&広島城見学

 今日は仕事を早めに切り上げて広島まで広島交響楽団のコンサートを聴きに行くことにした。ついでに一泊して、広島周辺の美術館見学及び山城見学・・・というスケジュールであったのだが、それが直前でガラガラと崩壊してしまった。なんと強大な台風19号がこの週末にかけて襲来とのこと。各地で鉄道が12日から計画運休とのことで、これは一泊どころか帰ってこれなくなることはほぼ確実。どうしたものかと悩まされる羽目に。

 それにしてもこんな季節外れに台風上陸とは、やはり地球温暖化の影響は待ったなしである。四季に敏感な日本人は多くの者が気候の変動を感じていると言われているが、国民同様に気候の方も鈍感なアメリカ人はこれをあまり切実に感じておらず、それがアメリカが温暖化対策に消極的な原因でもあると言う。ましてやトランプなどは目の前に温暖化の証拠が並んでいても「温暖化対策なんかしたら俺が儲からなくなる」と全力で現実逃避である。老い先短いトランプは金を抱えて逃げ切るつもりなのだろうが、温暖化して滅茶苦茶になった地球で生きていく(下手したら生きていけなくなってるかもしれない)ことを強いられる若者たちが怒りの声を上げるのも当然である。

 さてそれにして困った。もうこうなった以上は広島行きを中止するというのが一番理性的な判断であるが、そうするとチケットが丸々無駄になることになり、これは精神的に耐えがたい。そこで金曜中に日帰りすることに急遽予定を変更する。ただここで問題となるのが新幹線のチケット。私は往復共におとなび早割のこだまプランを利用する予定だった。しかし行きは良いものの、帰りがどうしようもない。計画運休を受けて手数料なしでの時間変更が可能になったようだが、残念ながらこだまの最終までに広島駅に戻ってくるのはまず不可能である。仕方ないので帰りのチケットはキャンセルし、新たにエクスプレス予約で取り直すことにしたが、遅い時間帯の新幹線はすべて席が埋まっていて自由席しか買えない状態。結局は当初予定の倍以上の運賃を支払わされて、恐らく立ちんぼで帰ってくるということを余儀なくされることとなってしまった。

 

 岡山でひかりを降りるとここでこだまに乗り換えだが、その間に昼食用の弁当を購入しておくことにする。購入したのは桃太郎祭寿司。いかにもお目出度い感じのパッケージに入っているが、弁当箱が桃の形という凝りよう。しかしこのプラスチックのケースは無駄にゴミを増やすだけのような気もしなくない。味は悪くはないがボリュームは今ひとつで、やはりどうしてもCPは悪い。

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お目出度い印象の桃太郎祭寿司

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パッケージを開けると中はこれ

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これがその中身

 昼食を終えるとのんびりこだまの旅である。こだま車両は懐かしのレールスター車両であり、この車両は中が4列シートになっているから広いのが良い。のぞみのグリーン車から足置きを除いた形である。これから長時間の乗車となるので、とりあえず私はここでモバイルワーク(笑)。

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4列シートのレールスター車両

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私のモバイルオフィス(笑)

 それにしても沿線は晴天続きである。とても台風が接近しているとは思いにくい。今でこそ気象衛星のおかげで台風が赤道付近で生まれた直後から動きを監視できるが、昔は接近するまで分からなかったから大変だったろう。ましてや戦時中などは気象情報までが軍事機密として秘密にされていたので、急に台風が襲来して多くの犠牲者が出るという事態まであったという。戦争というものがいかに国民を無駄に死なせる愚劣なものであるかを証明する一例でもある。

 こだまは途中の駅で何度ものぞみに抜かれながら1時間以上をかけて広島に到着する。広島は拍子抜けするぐらいの好天。やや風はあるがむしろ心地よいぐらい。ここを見ている限りでは台風の影は微塵もない。ただみどりの窓口の長蛇の列が異常事態であることは告げている。明日は岡山-大阪が午前から計画運休とのことで、やはり今日中に帰らないと帰れなくなりそうだ。今から帰りのことが思いやられる。

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みどりの窓口は大混雑

 とりあえず最初は美術館に立ち寄ることにする。そもそもこの美術館の訪問もこの時期に広島に来ることを決定した理由の一つであった。路面に乗って紙屋町まで。

 

「印象派、記憶への旅」ひろしま美術館で10/27まで

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 ひろしま美術館とポーラ美術館の印象派絵画を併せて展示するという企画展で、日本最大の印象派コレクションの夢のコラボと銘打っているが、実際のところ両美術館の印象派コレクションは日本最大級であるのは事実である。私としてはひろしま美術館のコレクションは大抵馴染みのある絵であり、それにポーラ美術館の同じ画家の作品が加えられている。こうしてみると、印象派の絵画とはかくも画家ごとでパターンが決まっているのかということに思いいたされたりする。会場を一周したところでは、拡大版ひろしま美術館コレクション展の趣がある。

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クールベから始まり

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対称的にデュフィ

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モネの積み藁

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シダネル

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ルノワールの「パリスの審判」

 一部コーナーではゴッホの作品とマティスの作品について科学的に切り込んでいたが、今はこういう分析も出来るようになったんだなと感慨もひとしお。しかし改めて見ても、やっぱりゴッホの作品は禍々しいまでのパワーを秘めている。狂気のパワーとでも言うべきなのだが、実際にこの頃のゴッホは精神を病んでいたのだからなんとも。

 やはり現代絵画などと違って見ていても楽しいというのが本音。改めて日本で印象派が人気があるわけが頷けたりするのである。

 

広島城を見学する

 ひろしま美術館見学後は、ここからすぐ北にある広島城を見学する。考えてみると広島城はかなり昔に一渡りザッと回っただけで、それ以降見学に来たことがなく、実際にはどんな城だったかはほぼ忘れているというのが実態。どうせだからついでに久しぶりに見学してやるかというところである。

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印象派の絵画のような小路

 ひろしま美術館から雰囲気のある小路を抜けて地下道で車道をくぐって出た先が広島城の大手になる。門や櫓が復元してある。この門から入った先が二の丸ということになっているが、あまりに小さく、サイズからすると大型馬出と言った方が適切なような気もする。

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大手の門に櫓

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二の丸というが、馬出機能の方が高そう

 ここから直角に折れて進むと本丸にたどり着くようになっている。本丸は手前の下段と奥の上段の二段構成となっており、天守は一番奥にあり、下段には現在は護国神社が建っている。

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橋を渡って本丸

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本丸奥に上段がある

 本丸の上段に入ると広島大本営の土台だけが残っている。恐らくこれがあったことも広島に原爆が投下された一因だろう。この際に広島城の天守閣は爆風で完全に破壊され、その後に鉄筋コンリートで外観復元されたのが今日の姿である。本丸の北西隅に位置し、かつては両脇に小天守を伴っていたらしい。

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広島大本営の土台

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奥には天守が見える

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ここに小天守があったようだ

 

 ついでだから天守に入場していく。内部はお約束通りの歴史民俗博物館というところ。刀剣類を多数展示していたのは流行を取り入れたのか(笑)。内部はあまりに普通のビルなので興醒めも甚だしいが、最上階からの眺めはなかなかである。この城を取り巻く堀は非常に幅が広く、広島城は河川などを防御に使用した水城であることがよく分かる。

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天守に入場する

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復元された金箔瓦

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回りは水路で守られている

 天守を出ると裏御門側から外に出る。ここにかつて門があったのはその通りらしいが、本丸からの幅広い階段は明らかに後付けだろう(防御を考えると滅茶苦茶である)。

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現在の天守建設時に除けられた礎石はここに移設してある

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このなだらかな階段は明らかに後付け

 広島城の見学後はまだ時間に余裕があることから広島県立美術館まで歩くことにする。

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広島県立美術館が見えてくる

 

「入城400年記念 広島浅野家の至宝-よみがえる大名文化-」広島県立美術館で10/20まで

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 1619年から幕末まで、代々広島を治めていた浅野家に伝わる秘宝をまとめて公開という展覧会である。最初はやはり武家コレクションだけに今流行の刀剣から。私には刀剣の善し悪しを見分ける目はないが、蒼々たるコレクションであるのだろうことは何となく感じる。個人的には茶道具の方に興味あり、ぷっくりしたシルエットのなかなかに良い茶入れが一つ展示されていた。

 次は中国画のコレクションの展示となるが、こちらは残念ながら私の専門外。その上に劣化して色褪せている作品が多いので、正直なところパッとしない印象。これよりはこの後の狩野元信などによる日本画のコレクションの方が私的には面白い。

 最後は工芸品の類いが展示されていたが、これは一番一般にも分かりやすいもの。漆に蒔絵の調度品の類いは問題なく美しいし高級感を漂わせている。

 

 美術館を出た時には5時を回っていた。そろそろ夕食を摂ってからホールに移動する必要がある。とりあえず飲食店を探して八丁堀までウロウロと歩く。本格的に飲食店を探すとなると裏通りを散策する必要があるのだが、そこまでする気力と時間がなかったことから、安直に表通りにあったトンカツ店「喜とん」に入店する。「ロースカツ定食(990円)」を注文。

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八丁堀の喜とん

 ロースカツについては普通に美味いと言うところか。どうしても料理の性格上極端な差は出にくいものである。なおここの店の特徴としては、トンカツ茶漬けが出来るようになっていること。うな茶と同じ発想で、脂っこいものをあっさりと頂こうということか。実際にやってみるとこれはこれで悪くはない。ただ薬味としてわさびだけでなく、あられとネギも欲しいところ。

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ロースカツ定食

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とんかつ茶漬け

 夕食を終えたがまだ時間に余裕があることから、隣のビルで先程見かけた看板に従って日本画展を除いていくことにする。

 

「秋の日本画展」広島信用金庫八丁堀支店ギャラリーで10/31まで

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 広島信用金庫が所蔵する日本画コレクションを無料で公開という太っ腹な企画である。

 展示作は無名作家の作品が多い(と言うか、私が単に現代日本画家について知らなすぎるだけかもしれないが)がそんな中に数点、奥田元宋や東山魁夷などの有名どころの作品も混ざっている。赤の元宋、青の魁夷、さらに平山郁夫などのいかにも作品があって楽しめる。全般的に尖った前衛作品はなく、保守的な美しい絵が多いので素人でも楽しみやすいという印象。胡粉をたっぷりと使って積雪の風景を表現した作品などは、いかにも日本画的な雪の表現であって非常に美しい。この雪の表現だけは油絵では不可能なものである。


 そろそろ6時が近づいてきたのでホールに移動することにする。ホールには八丁堀からバス1本でアクセス可能。10分ちょっとぐらいでホールに到着した頃には、辺りが夕闇に沈みつつある頃となっていた。

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夕闇迫るホールに到着

 

広島交響楽団第394回プレミアム定期演奏会

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指揮:リオ・クオクマン
ヴァイオリン:サラ・チャン

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 Op.27

 サラ・チャンのヴァイオリンは意外とシッカリしている。その音色はやや色気が不足しているきらいはあるが、力強いものである。ただこれに被せるバックの広響にやや問題がある。どうも管楽器が全体的に締まりなくボワッと音を出す傾向があるので、斉奏になると音色が汚く五月蠅い感じになってソリストを邪魔してしまう感がある。

 ラフマニノフの2番については、久しぶりに聞いたがかくも冗長な曲であったかという印象である。しかしクオクマンはこの冗長な曲にメリハリを付けて、その構成を浮かび上がらせるという工夫をしている。その試みは広響の管楽器のやかましさにやや妨害された感はあるが、それでも半分方は成功しており、最後までこの曲を退屈させず聞かせることができた。これはまたより技倆の高いオケでのクオクマンの演奏を聴かせてもらいたいとの思いを抱かせた。

 クオクマンはマカオ出身の新進気鋭のようだ。カーチュン・ウォンといい、最近はアジアから新進気鋭の才能が現れてきたようである。なかなか注目株だ。またファジル・サイやジャン・チャクムルのトルコなど、クラシック音楽時代が昔のような欧米中心からもっと広がりを見せてきたようにも思われる。となると、日本の若き才能にも頑張ってもらいたいところ。


 コンサートを終えると早々に引き上げてバスで広島駅まで移動する。広島市内はまだ台風の影など微塵もなく、新幹線の運休の件がなかったら「今日は広島で一泊して、明日の昼頃にでも帰ろう」と言いたくなる状況。

 広島駅に到着すると小走りで新幹線ホームへ。そのまま新幹線に飛び乗ったのであるが、案の定自由席は大混雑で福山まで立ちんぼを強いられることとなったのである。

 結局は夜遅くに自宅に疲れ切って帰り着いた。

 

三陸鉄道で宮古へ、大槌城、千徳城見学

 昨晩は20時過ぎには意識を失ってしまったのだが、結局はその後、何度か途中覚醒しながらズルズルと7時前まで寝てしまった。ここ最近には珍しいぐらいの長寝。どうやら普段夜寝られないのは運動不足も原因の一つか? 昼は暑かったのでタオルケットで寝てたのだが、夜中になると寒くなってきて掛け布団を押し入れから引っ張り出すことになった。さすがに北国である。

 なおこの宿は座敷童子が出ると言われている宿であるが、私の心が濁っているせいか、それとも爆睡してしまっていたせいか座敷童子には完全に無視されたようである。

 テレビをつけると何やら健康の番組を放送していて、夏に起こりやすい急性腎障害(AKI)なるものを紹介していたのでしばしそれを見る。水分不足などが腎機能に影響するのだという。注意するのは尿の色。これがあまりに濃いようだと腎機能の低下が疑われるので病院へとのこと。また頻尿なども腎機能の低下の可能性があると言う。で、腎機能回復訓練としての有酸素運動とのこと。ここで以前にガッテンにも登場していた上月先生が登場していた。

 ところでこの番組、以前に日テレのアナウンサーだった西尾由佳理氏が出ているようだが、昔とは顔立ちの雰囲気が変わったような気がした。以前から美人ではあるが結構個性的な顔立ちだった方だが、以前に比べてやけに鼻が目立つ顔立ちになった印象。全体的に顔がコケたのだろうか。

 朝食は野菜中心の和食。非常に健康的な印象である。なかなか美味くはあるが、私としてはもう少し肉気も欲しい。

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野菜中心の朝食

 このまま宿にいても仕方ないので、8時過ぎにはチェックアウトしてしまう。その後は、駅前の観光案内所で休息、売店のマスカットサイダーを頂いたり(本当にマスカットの味が強烈にする)、この原稿を入力したりで時間をつぶす。

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マスカットサイダー

 

快速はまゆりで釜石へ

 釜石までは快速はまゆりで移動することにしている。列車の到着時間前に駅に入って列車の到着を待つ。しばし後にキハ110系三両編成のはまゆりが到着。一両が指定席で二両が自由席。やや混雑しているが、遠野で降りる客も多いため何とか席を見つける。

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快速はまゆり

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車内

 列車はしばし遠野周辺の田園地帯を走行するが、間もなく深い山の中に入っていく。沿線にはたまに住宅があるが、テレビ朝日の番組が取材に来そうな雰囲気。

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遠野近郊の風景

 

三陸鉄道で三陸沿岸を視察しつつ宮古へ

 1時間弱を要して列車は釜石に到着。しかし釜石駅が近づくと、沿線にはやけに大勢のカメラを構えた人物がたむろしている。何だと思えば、昨日釜石に到着したSL銀河が間もなく発車する模様。恐らくこの列車でやってきてSL銀河で引き返すという者もいるのだろう。私は向かい側のホームに入線している二両編成の三陸鉄道の車両に乗車する。今回の遠征はこれに乗りに来たようなものでもある。二両編成の後ろの車両は観光用の車両のようだ。団体客らしき連中が乗り込んでいる。

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三陸鉄道車両

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欧風列車内部

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こちらは通常車両

 三陸鉄道車両はクロスシートで中央にテーブルがあるのがうれしいところ。おかげで原稿入力作業がはかどる(笑)。まさに今、現在進行形で原稿入力作業中である。

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私の出張オフィス(笑)

 三陸鉄道はかつてのJR山田線を三陸鉄道が経営を引き継ぐ形で復活させたもの。JRとしては収益性の低い路線と言うことでこの機会に廃線にする気満々だったのだが、地元がそれでは困ると自治体が抱える形で復活させた路線である。

 やがて三陸鉄道の車両はSL銀河と同時刻に発車する。数メートルの間をSLと併走。すぐそこに見えるSLの姿に車内でも興奮する客が数名。さすがに観光鉄道、なかなか考えてある。

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向こうのホームではSL銀河が

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しばしSLと併走する

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SL

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段々と距離が開く

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そして別れ

 

 列車はすぐに山の中を走るが、これが実は海の際。隣の両石駅はまさに海の近くで、恐らく先の津波では甚大な被害が出たであろうと推測される。現在は防潮堤らしきものが建設されている。

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両石では背後に防潮堤が見える

 次の鵜住居駅は新興住宅地の真ん中のイメージ。先の震災で被害を受けた地域を造成し直して復興したようである。海側にはかなり巨大な防潮堤が建設されている。しかし更地がやけに多いのが気になるところ。何となく復興が軌道に乗っていないのではということを感じる。ここで対向列車とすれ違うが、一両編成の対向列車は満員である。

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鵜住居駅の周辺は更地

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ここで対向列車とすれ違う

 隣の大槌も町並みとして鵜住居と同じような印象。海側に巨大な防潮堤があり、造成し直された土地に新しい家がいくつも建っているが、やはり更地が非常に目立つ。それに気になったのは、災害防止のためにやむを得ぬこととは言え、巨大な防潮堤を建設することで海が見えなくなっている。以前にテレビで現地住民が「海と一緒に暮らしてきたのに、完全に海から切り離された」と言っていた意味が実感できた。

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大槌では巨大堤防建設中

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駅の周辺は完全に更地

 吉里吉里は海岸線がやや遠く、山間の斜面であることが幸いしたのか、駅の周辺に見える住宅地は以前からのものと思われ住宅の密度も高い。ここでも海岸に防潮堤を建設中である。

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吉里吉里の奥地は比較的被害は軽微

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浪板海岸の海

 岩手船越駅は本州最東端の駅。山間からやや下ったところに駅がある。駅の左側に当たる高台側集落には被害の様子は見られないが、駅の右側の低地は恐らく壊滅しただろうと思われる。沖合との島の間に土砂の堆積による平地が出来たという地形なので、その平地部の南北両岸に防潮堤が建設中である。

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岩手船越南部の防潮堤

 織笠の駅は位置がGoogleMapと変わっている。以前の所在地の集落が津波で壊滅していることから、その影響だと思われる。次の陸中山田は津波で壊滅した大都市という空気がビンビンと伝わってくる。海側に築かれた高い壁と、更地の目立つ町並みが印象に残る。壁の圧迫感が半端なく、あの壁を越えて超大型巨人が顔を覗かせるのではという妄想さえ浮かぶ。

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かつての織笠駅周辺は何もない

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陸中山田は海の風景を防潮堤が塞ぎ

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駅の周辺は壊滅的

 陸中山田を過ぎると線路はしばし山中を走る。恐らくこの辺りは先の震災でも被害はなかっただろう。沿線は長閑な山間集落でホッとする。山間を長時間走った後に川沿いのやや低地まで降りてきたところが豊間根だが、ここはまだ海からも距離があり、集落も被害を受けていない模様。さらに下った払川辺りも大丈夫そう。

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ホッとするような山間集落の風景

 次の津軽石から宮古市になる。宮古市は先の震災で甚大な被害を被った町であるが、駅の周辺を見る限りでは、今までの町に比べると復興も比較的進んでいる印象を受ける。

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この川を越えると宮古駅

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宮古駅に到着

 三陸鉄道を通して三陸沿岸の実情を目の当たりにしたが、これによると未だに復興が進んでいないという印象が強い。しかも驚くのは東日本震災から8年も経つのに、未だにたかだか防潮堤の工事さえ済んでいない地域があること。安倍が東京利権ピックを最優先にしたツケだろう。こんなことをしておいて復興五輪などと名乗るなどまさに詐欺行為である。と言うか、あの総理は今まで詐欺行為以外はしたことがないが。

 宮古で列車を降りるとここからはレンタカーに乗り換えることにする。駅前のニッポンレンタカーを予約している。貸し出されたのはダイハツのブーン。いかにもパワー不足を感じる車であり、運転感覚は鈍重。

 

大槌城 大槌氏が築いた山上要塞

 最初に目指すのは、ここから南方に走って大槌町の大槌城。室町時代に地方豪族の大槌氏が築いたという山城である。山上まで車で登れるとのことなので山道(と言っても道幅は狭いものの舗装された立派な道路である)を登る。一番上のロータリーになっているところに車を置いて登ったすぐ脇が最高所にある本丸である。

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山頂ロータリーの脇が本丸

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海が見える

 本丸はやや狭い。建物を1つ建てるのが限界だろうと思われる。回りは切り立っており堅固である。ただ整備はされているのだがね草刈りが追いついていないのか、足下が鬱蒼としていて歩きにくい。

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本丸はあまり広くはない

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本丸から二の丸を見下ろす

 この一段下にあるのが二の丸。これがかなり広大な曲輪。この城のメインはここの曲輪にあったろうと思われる。かなりの高所にあって周囲も切り立っているので極めて堅固と言える。なお足下が鬱蒼としているのは相変わらず。

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二の丸へ降りる

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二の丸

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二の丸は奥にかなり深い

 ここからさらに下に三の丸があるが、ここら辺りになると降りる道自体も鬱蒼としていて足下が分からない状態。かなり広さのある三の丸も鬱蒼としている。

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三の丸に降りる道はこの状態

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三の丸

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三の丸も奥に深い

 この下に四の丸もあるらしいが、かなり降りてきているので引き返すことにする。下の方に駐車場があったようなので、そこから四の丸に登れるだろうと考えてのことである。

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四の丸に向かう道はさらに鬱蒼としている

 車まで戻ると下の駐車場に車を置いて登る。すぐに四の丸にたどり着くだろうと考えていたが、これが間違いだった。かなり登って到着したのは、四の丸ならぬ山頂ロータリー。どうやら尾根違いだった模様。

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下の駐車場から登ってみる

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ここを進んでみるが

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何と山上ロータリーに到着してしまう

 こうなったら意地でさらに車道を下に降りてみると、登口があるのを見つける。これこそ本命と睨んで進んでみたのだが、思いの外登りが長い上に道は鬱蒼としていて進むのが大変な状態。それでも意地になってとにかく進んでいくと、ようやく到着したのは・・・二の丸。もうこの時点で天を仰いで「オー、マイブッダ!」である。

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ここから登ってみる

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ドンドンとひどくなっていく道を最後まで登り切ったが・・・

 仕方ないのでここから三の丸を経由して四の丸に降りていく。結局は最初からこうしておけば良かったのだ。四の丸もこれまでの曲輪に匹敵するぐらいの広さがあるが、鬱蒼度合いは今までで一番ひどく、とても踏み込む気になる状態ではない。そして道は四の丸からさらに下に続いている。

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降りていった四の丸はかなりひどい状態

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とても踏み込んでいく気にはならない

 もうここまで来たらヤケクソ、今更来た道を引き返す気にもならず、「えいっ、毒食わば皿までだ!」とその先に進むことにする。もうここまで来ると何がどこに通じているか見極める気持ち。

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高圧鉄塔を過ぎてさらに降りていく

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一番下の登山口に出た

 道は途中で高圧線鉄塔を過ぎて延々と下に続いている。これはもしかして山を下りてしまうのではないかと思ったが、そうなったらそうなった時である。半分腹をくくって降りるところまで降りてくると、最後は山道の入口のところまで出てくる。どうやらこれで私はここの登山道全ルートを通ってしまったようだ。ここから車を取りに行くためにトボトボと車道を上っていく。もう足がほとんど終わっているので、もし10分以上かかったら行き倒れになりそうだったが、幸いにして5分程度で車を止めた駐車場にたどり着く。

 公園化されている城郭なので、サクッと回ってしまうつもりだったのだが、完全に思惑と違って本格的山歩きをする羽目になってしまった。何をしてるんだと情けなくなるが、まあ最近の運動不足をまとめて解消したと前向きに考えることにする。

 

千徳城 室町時代の千徳氏の山城

 大槌城の見学・・・というか山歩きを終えると宮古まで戻ってくる。日が沈む前にもう一カ所だけ立ち寄ることにする。それは宮古にある千徳城。どうやら千徳神社の奥にある山城らしい。

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千徳神社では何やら祭礼の模様

 千徳神社では何やら祭礼があるらしく、近所の檀家による幟の類いが多数建っている。それを通過して千徳神社に登るが、これがかなり急な階段。先程の大槌城で足が完全に終わっているので、これを一気に登れず息も絶え絶えになる。ようやく5分ほどかけて神社に到着した時には半分死にかけ。

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神社を登っていく

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石段を登るのがツラい

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千徳神社の祠

 行き倒れにならないように呼吸を整えながら神社の裏手に回り込めば、確かに奥に山は続いており、道とは言えないような踏み跡がある。そこでその踏み跡に従って先に進んでみることにする。

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裏手には堀切で尾根筋を断ち切った跡が

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登っていく

 神社の裏手は尾根筋を断ち切ってあるようだ。そこからさらに進むと削平した曲輪と思われる地形や切岸ではと思われる地形などがあるのだが、どうも城の自体の縄張りの情報がないため、現在どういう箇所を歩いているのかがサッパリ不明。しかも先に進むほどにたどっていた踏み跡が不明瞭となっていく。

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曲輪らしき削平地はある

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しかし段々と足下が怪しくなる

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最早何のことやら

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この奥などは切り岸のようにも見えるが

 日は既に西に傾いてきているし、現在地も分かりにくい。このまま先に進むことは道を見失ってしまう危険も考えられた。ここで私は一人山歩きの鉄則「道のない場合は無理して進まない」に従って撤退を決意する。奥深い山ではないので最悪は下に向かえば民家に出られる可能性は高いが、それよりも日没のタイムリミットが近いことが気になる。道がまだ分かる内に引き返すに超したことがない。

 どうやら思っていたよりも大規模な城郭らしいということは感じたが、それ以上は私には把握できなかった。これは次回以降の課題・・・と言いたいところだが、宮古を再訪することはもうなかろう。

 

浄土ヶ浜の事前視察

 後は日没までの時刻で明日訪問予定の浄土ヶ浜の遊覧船乗り場の視察を行っておく。宮古の駅前は津波の被害の様子はあまり感じなかったのだが、東の港の方に来ると町全体がガランとしており、恐らく先の地震による津波で壊滅したのであろうことが忍ばれる。そのガランとした町に、巨大な防潮堤だけが建っている。

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巨大な防潮堤

 浄土ヶ浜ビジターセンターは海沿いの山上にある。ここは万一の津波の際の避難所にもなっているようだ。ビジターセンターは3階から地下1階までの建物で、内部には三陸海岸に関する展示などがあり、地下1階から遊覧船乗り場を経由して浄土ヶ浜まで遊歩道がつながっているようである。

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浄土ヶ浜ビジターセンター

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館内には展示施設が

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遊覧船乗り場と

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さっぱ船乗り場を確認しておく

 

ホテルにチェックイン後、駅前で夕食

 もう既に日は西に傾いて沈みかかっている。今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのはホテル宮古ヒルズ。ごく普通のビジネスホテルである。

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ホテル宮古ヒルズ

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通常のビジネスホテル仕様

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ただし洗面台がなぜかこの位置

 ホテルにチェックインして荷物を置くと、とりあえず夕食を摂るために外出する。どこに行くかよく分からないので、駅前まで来たところで見かけた蛇の目本店に入店。宮古まで来たのだからとウニ飯(3700円)を注文する。

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蛇の目本店

 味に関しては想定内と言うところ。美味いが正直これだけの価格をつけてこういうネタを用いたらこのぐらいは出来るよなという想定内である。残念ながら函館でウニを食べた時のような鮮烈な感動はない。ウニの鮮度などもさすがに及んでいない。

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ウニ飯

 夕食を終えると近所のスーパーに立ち寄って飲み物を購入してからホテルに戻る。ホテルに戻って汗を流すためにシャワーでも浴びようかと思っていたら、このホテルに男性専用の大浴場があることに気づく。あまり積極的にアピールしてなかったので気がつかなかった。そこで入浴しに行くことにする。比較的最近に整備したのか風呂自体は綺麗。ただ浴槽は大きいのだが、水深が浅いのがやや不満。浴槽を2/3にして水深を1.5倍にすれば良いのに。

 とりあえず手足を伸ばしてゆっくりとほぐす。そうしておかないと明日が心配。千徳城では途中で引き返したものの、結局はトータルで想定外の長距離山歩きになってしまった。特に大槌城で二回も山の上まで登ったことが効いて、iPhoneのヘルスケアによると、歩数1万5千歩はともかく、上がった階数が56階。このソフトは降りる方はカウントしないんだが、ほぼ同じだけ降りているはずであり、これも確実に足腰にはダメージとなる。おかげで体がガタガタである。

 入浴を終えると部屋に戻ってテレビを見ながらボンヤリと過ごす。そのうちにNHKスペシャルが始まったのでチェック。これについては後日に教ドキュの方に記載することにする。

tv.ksagi.work

 番組が終わったところで食堂に夜食に出向くことにする。このホテルの面白いサービスはセルフの夜食用お茶漬けサービスがあるところ。食堂に行くとご飯と湯と永谷園が用意してあり、客はこれでセルフでお茶漬けを作れるという仕組み。とりあえず小腹を満たすことにする。

 部屋に戻ってヤルヴィ/N響のニールセンを見ているうちに疲れが押し寄せる。23時には就寝する。

 

SL銀河でカッパの里遠野へ、遠野周辺散策(カッパ淵や横田城を見学)

 翌朝は7時までウトウトとしていた。老化による睡眠力の低下で、この時間まで一気に寝通せずに途中で何度か覚醒してしまうのがツラいところ。

 起床するとまずは朝風呂の小原庄助さんコース。これがまた快適至極。湯の暖かみが体に染みこんでくる。

 体が温まって動くようになったところで朝食バイキングに繰り出す。こちらも品数十分。朝から出汁茶漬けがあるのが私にはうれしい。朝から和洋両用でガッツリと頂くことにする。

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出汁茶漬けのある和食朝食

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さらに洋食でもガッツリ頂く

 朝食を終えるとチェックアウトの支度。今日は古川駅から9時50分のはやぶさで新花巻まで移動するので、それまでにレンタカーを返却して古川駅に到着する必要がある。チコちゃんが始まる頃にはチェックアウトすることにする。

 

古川から東北新幹線で新花巻へ

 小雨がぱらついていた昨日と違い、今日はやや暑いぐらいの晴天である。古川までの運転は至って順調で問題なくレンタカーを返却すると、予定よりやや早めに古川駅に到着する。

 さてこれからであるが、新幹線で新花巻まで移動すると、そこからSL銀河に乗車して遠野を目指す。今日は遠野で一泊の予定だ。以前から遠野付近の空気には惹かれており、一度ここで宿泊したいと考えていた次第。今回はその宿題の解決も目的にある。以前にこの地域を通過した時に、SL銀河とすれ違っており、どうせなら次に来る時にはこれに乗車したいと考えていた。

 新花巻までの移動は面白くもない半地下新幹線。それにしても前から感じていたのだが、東北新幹線の車内メロディ、私にはどうしても「キャンディキャンディ」に聞こえてしまう。

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新幹線に乗車する

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秋田新幹線部の車内

 

新花巻でSL銀河に乗車する

 新花巻での新幹線と在来線は改札外接続。そもそも在来線の新花巻駅は線路脇にいかにも急造した無人駅のようである。かなり幅の狭いホームに今日はSL銀河の乗客が大量に殺到。アジア人観光客らしい連中もチラホラと見かける。

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在来線新花巻駅は改札外接続

 数分で西の方からSLが黒煙を上げながら到着する。汽笛の音に一堂のテンションも上がる。到着すると乗客がゾロゾロと乗り込むが車内は満員状態。しかも洒落たデザインが徒となって、座席が狭い上に網棚も小さいので荷物が溢れているような状態。

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SL銀河が到着

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車内風景

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車内は宮沢賢治博物館

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このような展示やら

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宮沢賢治関連展示が多数

 車内には宮沢賢治関連の展示が多数あり、土産物販売にも力を入れている。多くの客は座席に座ることもなく車内をウロウロ。山の中を抜けたSLはやがて宮森に到着。宮森では対向車と行き違いのために数分停車。これが乗客にとっては格好の撮影タイム。あちこちで記念写真を撮影している連中が。

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宮森の停車時は撮影会タイム

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機関車

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白鳥座

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射手座

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そして蠍座

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車両最後尾

 対向車の快速が到着すると、SLは宮守を出発。宮森を出るとすぐに鉄橋があるのだが、鉄橋の下には手を振る地元民と撮り鉄のカメラの砲列。

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地元民と撮り鉄たち

 では、令和版汽車ぽっぽ

 汽車汽車ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 アジアン乗せてしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 のろいぞ のろいぞ 窓の外
 野山も畑もみな過疎だ
 走れ走れ走れ 鉄橋だ 撮り鉄の大軍だ
 
 ちなみに平成版汽車ぽっぽを再掲

 汽車汽車ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 鉄オタ乗せてしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 のろいぞ のろいぞ 窓の外
 ジジイの軽トラ先にゆく
 走れ走れ走れ トンネルだ 窓締めろ!そこのガキ

 

 宮守を出たところで車内のプラネタリウムを見ることにする。プラネタリウムと言っても大したものではなく、宮沢賢治の銀河鉄道の夜のエピソードを小部屋の天井に映すだけの10分程度のもの。そう言えば昔、キャラクターを全部犬にした銀河鉄道の夜のアニメ映画があったな。あれは結構名作だった。

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プラネタリウム整理券

 

カッパの里遠野に到着

 1時間半ほどでSLは遠野に到着する。ここで1時間ほど停車した後にSLは釜石を目指すが、私はここで降りることになる。

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遠野に到着

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大撮影大会と化している

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遠野駅舎

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遠野駅で配られたカッパ飴

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遠野駅はベンチまでカッパ模様

 まずは昼食を摂る必要がある。駅前の観光案内所に立ち寄ると、土産物コーナー(カッパ尽くしである)を覗いて、地元サイダーで一服してから、飲食店マップをもらう。それを参考に鍋倉城の方向に向けてプラプラ歩く。

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観光案内所売店はカッパの聖地

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これ結構好き

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地サイダーを頂く

 遠野はカッパの町だが、町のあちこちにカッパがいる。ただそれに紛れて桃太郎ご一行様までいたのだが、これはどういう関係?

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町中はカッパの聖地

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その中になぜか桃太郎様御一行が

 

遠野名物ひつこそばを昼食に頂くと城下町散策

 昼食を摂るのに立ち寄ったのは伊藤家。観光客が大量に来店しているようでしばし待たされることになる。20分ほど待たされた後に注文したのは遠野名物という「ひつこそば」。小さい容器に入った三段のそばで、それに薬味の入った一段が加わる。形式としては出雲のそばを連想させる。薬味はねぎ、しいたけ、なぜか鶏肉。後は大根おろしも添えられている。これらを加えてそばつゆをかけて頂くタイプ。やはり出雲のそばを連想する。なかなか美味。

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伊藤家

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遠野名物ひつこそば

 昼食を終えると、かつての城下町の風情が残る一角をプラプラと散策しながら駅方面に戻ってくる。とりあえず荷物を預けて身軽になりたいと考え、今日宿泊する予定の民宿とおのに立ち寄ると荷物を預けることにする。

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城下町の面影のある町並

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蔵造りの建物などがある

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城下町資料館に入館

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内部にはゆかりの資料が展示

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民宿とおの

 

レンタサイクルでカッパ淵へカッパの捕獲(笑)に

 身軽になると再び遠野駅に戻って駅前の観光案内所でレンタルサイクルを借りることにする。通常の自転車と電動アシストがあるようだが、体力に全く自信のない私は追加料金を払って電動アシストを借りることにする。

 最初に向かったのは5キロほど先のかっぱ淵。カッパが出ると言われている水辺である。ちなみに遠野市ではカッパに懸賞金がかかっているらしく、見事にカッパを捕まえると一千万円だそうな。一攫千金目指して自転車を漕ぐ。途中で電動アシストの割にやけにペダルが重いと感じて確認したら、コントローラにエラーが出ていてモーターが作動してなかった。

 田んぼの中をしばしツーリングした後にたどり着いた常堅寺の奥にある水辺がかっぱ淵。いざ現地に着いてみると思っていたよりも水深が浅い。もしカッパが現れたとしたら、この水深だったら丸見えである。カッパ釣り用のキュウリの付いた竿なども置かれてあり、カッパ捕獲の許可証を入手しておけばこれを使えるとか。ただ見渡したところ、カッパは夏休み最終日で外出中であった模様である。

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常堅寺山門

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カッパ淵はこの常堅寺の奥

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いかにもそれっぽい水辺

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かっぱ淵

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かっぱの祠

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カッパ釣り用装備

 

伝承村を見学

 かっぱ淵の見学の次は近くの伝承村に立ち寄る。ここは昔の農家に養蚕関係の器具などが展示してある。住宅はいわゆる曲がり屋という厩舎と家屋が一体となったこの地域らしい構造である。この地域には馬に恋してJRAの騎手になった・・・じゃなくて馬と共に天に昇ってしまった娘の伝説があるらしい。なおここの売店で桑茶が無料で振る舞われていたが、これが意外にサッパリしてうまい。なるほど蚕が桑ばかり食べるわけだ(笑)。

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伝承村

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農家の曲家

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内部には養蚕関係の展示

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佐々木喜善記念館

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その前に立つこの萌え少女は誰?

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そう言えば、こんな映画も昔あったな・・・

 伝承村を出ると西に向かって走る・・・はずだったのだが、かなり行ったところで何やらおかしいことに気付きGoogle先生にお伺いを立てたら、何と北に向かって走ってしまっていた。慌てて出発点まで戻って修正。またも無駄に体力を消費してしまった。それでなくてももう予備体力はあまり残っていないのに。

 

横田城 鎌倉市時代の城郭跡

 これから目指すのは横田城。鎌倉時代の城郭と言われているが、築城年代等は不明らしい。恐らく地域豪族の城館だったのだろう。しばし自転車をこいでいると、それらしい小山が見えてくる。

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横田城登山口

 かなりマイナーな城跡なのだが、現地手前から看板が立っており、現地では案内看板に従って進むと城の南側に登山口がある。それに従って進むと迷う余地もなく本丸の祠のところまでたどり着ける。所要時間は大体10分ほどで、急な階段を2カ所登るだけなのだが、それだけでヘロヘロになる私の体力の情けなさ。階段を登り切ると意外などほどの広さの平地に出て、その奥に祠が建っている。地方の小城と侮っていたが、山上の面積は意外に広いのでそれなりの防御力を持ったそこそこ広い館を構えることが出来る。この周辺は平地で田んぼも広いことから、それなりの実力者がここに屋敷を構えたのではないかと推測される。

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このような階段を2つほど登ると

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祠のある曲輪に到着する

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本郭の祠

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本郭にあるヤマザクラ

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祠の背後は鬱蒼として深い

 横田城の見学を終えるともう体力も限界だし、自転車のバッテリーの方も心許なくなってきたことから駅に戻ることにする。途中のセブンイレブンで現地製の甘酒でエネルギーチャージ。無加糖とのことなのだが、その割には非常に甘い。エネルギーチャージには良さそうだが、日頃から愛飲していたら太りそうだ。

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現地産甘酒でエネルギーチャージ

 

民宿とおので宿泊

 16時過ぎに駅前まで戻ってくると観光案内所に自転車を返却して宿に向かうことにする。民宿と言ってもいろいろあるが、民宿とおのは典型的な昔の民宿。部屋には鍵がなく、冷蔵庫は共用というパターン。部屋に冷房がないが、恐らくこの辺りでは不要なのだろう。

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民宿とおの室内

 荷物は既に部屋に入れてくれてある。とりあえず浴衣に着替えると汗を流しに風呂に。風呂はいわゆる少し大きめの家庭風呂レベル。とりあえずかなりの距離を自転車で突っ走ったせいで頭から汗だくになっているので、汗を流してサッパリとする。

 風呂を上がって部屋に戻るとすることがない。しばらく扇風機で涼んでいたがしんどくなってきたので早めに布団を敷いてその上に転がって休む。原稿の入力をしようと思ったのだが、極度に疲れているせいで知力も集中力も80%低下しており、全く文章が頭に出てこないので断念する。

 18時になると夕食のために食堂へ。ここの食堂には囲炉裏があって、この囲炉裏でヤマメを焼いている。このヤマメが実に美味。骨まで柔らかく食べられるのが驚き。私はメインはジンギスカンのプランだったのだが(なぜか遠野の名物がジンギスカンらしい)、これは少し失敗。今の私はジンギスカンで肉を食うよりは、和食でしっかり頂きたい気分。若い頃とは感覚が大分変わっていることを痛感した。なお付け合わせの小鉢は現地野菜のメニューばかりだが、これが意外に美味い。どちらかと言えば野菜嫌いの私がそう感じるのだから間違いない。

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夕食

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囲炉裏ではヤマメが焼いてある

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骨まで食べられるこのヤマメが超美味

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遠野名物ひっつみ

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遠野名物ジンギスカン

 夕食を終えて部屋に戻ると、テレビは何もないし(そもそも電波の入る局数自体も少なく、驚いたことにNHKが入らない)、体が異常に疲れているしで、布団を敷いた上に横になっていたらそのまま意識を失ってしまった。

 

涌谷城を見学してから鳴子温泉で湯巡り

 翌朝は目覚ましで7時に起こされる。朝食はタン焼きなどもある仙台バイキング。ドーミーらしくご当地食含みのバイキングである。

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タン焼きもあるドーミーバイキング

 テレビをつけて天候を確認するが、どうも今日は昼頃にかけて天候が怪しくなるようだ。続けて朝ドラの「なつぞら」が始まるが、どうやらストーリーがアニメ製作に復帰するようだ。「ホルス」が出てきた辺りでは盛り上がったが、ホームドラマ化してから急激につまらなくなったと言われていたので、アニメ復帰は必至だろう。私はこのドラマはあまり見てないのだが、主演の広瀬すずの演技の表情の乏しさと、棒読みナレーションが気になるところだ。次の番組の朝イチにまで広瀬すずが登場してNHKは全力の広瀬すずあげ。最近はこの娘をテレビで見かけることが増えてきた。確かに可愛い子だが、いつも感じるのは何か回りが異様に気を使っている雰囲気。もしかして取り扱いの難しい子なんだろうか?

 

古川に高速バスで移動

 体を温めるために朝風呂に繰り出すと、一休みしてからチェックアウトすることにする。今日の予定だが、古川に移動してレンタカーで鳴子温泉に移動というもの。鳴子温泉到着前にこの近辺の城郭に立ち寄るつもりでいたが、天候によってはその予定は見直す必要がありそう。さらに難儀なのが古川への移動。新幹線を使えば10分ちょっとなんだが、この時間帯の新幹線は全席指定のはやぶさのみで、一駅だけの乗車に指定券2000円以上が必要というあまりのボッタクリぶり。在来線で行くことも考えたが、1時間以上かかる上にとにかく本数がない。自由席もあるやまびこを待とうにも11時頃までない。仙台市民はこんな理不尽に耐えているのだろうかと疑問を感じて調べたところ、どうやらJR高速バスが出ている模様。1時間近くかかってしまうが、30分に1本の頻度で運行されている。古川までのJR乗車券が無駄になるがこれを使用することにする。

 古川までは1時間ほどで到着する。なお全席指定の新幹線の場合も、自由席券で空いている席に座れるらしいということを私が知ったのは、翌日に古川から移動する時だった。JR東日本のHPをザクッと調べただけでは分からなかったのだが、さては積極的にアピールしてないな(まあJRとしてはことさらにアピールするべき理由はないわな)。時間を無駄にしたが、車窓の風景は意外に興味深かったし、料金はほとんど変わらないので良しとしておくか。

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古川駅に到着

 古川からはレンタカーで移動する予定。駅近くのオリックスレンタカーでホンダのフィットを借りる。この車に乗るのは初めてだが、パワー不足気味なのかどことなく動きに重さを感じる。特に発進時のドッコイショというような感覚はイマイチ。それに車内空間がいかにも狭い。身長168センチと決して長身とは言えない私でも、頭が屋根にスレスレ。大柄の男性なら乗り込むだけでも大変だろう。女性用の買い物車か。

 

涌谷城 涌谷伊達氏の居城

 さてこれからどうするかだが、当初考えていたプランは諸々あったのだが、この雨がぱらつく状況下では本格的山城攻略は無理と考えるべき。そこでいくつかの代替プランの中の涌谷訪問プランを実行することにする。古川から30分ほど東に走った先に涌谷城がある。

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川沿いにある涌谷城

 涌谷城は川沿いの高地の上にある。元々の涌谷氏による城郭は駐車場になっている部分が二郭で、現在は神社となっている部分が本郭だったという。しかし伊達氏配下の亘理氏がここに移ってきた時に、手前の部分を削平して大規模な二の郭として造成したという。なお亘理氏は後に伊達姓を名乗ることを許されたことから、涌谷伊達氏の誕生となる。現在、二の郭の手前に天守型の資料館(要するになんちゃって天守である)と隅櫓(江戸時代からあったものらしいが、明治以降に壁等にかなり手が入っている)が建っている。なお手前の石垣が明らかに製造年度が違うものが組み合わさっているが、隅櫓下の石垣は往時のものであり、それに後で新しい石垣を付け足したようだ。

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この駐車場が元々の二の郭

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公園化しているのが後に整備された二の郭

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涌谷城資料館

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隣にある隅櫓

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隅櫓下の石垣は往時のもの

 資料館内には涌谷地域の考古的資料、さらに涌谷伊達氏の歴史にまつわる展示(伊達騒動の件なども含む)が展示されている。地方によくある民俗史料館+自然史博物館+歴史博物館という構成である。これによるとこの地域は奈良時代には金の採掘でかなり栄え、奈良の大仏建立のための金もこの地域から産出したものであるとのこと。

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資料館内の展示

 二の郭は完全に公園整備されてしまっているせいで石垣以外の遺構は皆無である。本郭の方にも登ってみたがこちらも遺構はなし。ただそれなりの規模の城郭であることは分かる。涌谷伊達氏は公称2万石クラス。実質石高は4万石相当だったらしいから、伊達氏配下と言いながら実質的には小大名クラスである。そのために戊辰戦争にも奥羽越列藩同盟の一員としてそれなりの兵力を拠出したらしい。

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本郭にある神社

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伊達の九陽紋

 

天平ロマン館と金山神社を見学

 涌谷城の見学を終えると奈良時代の金山絡みの施設である天平ロマン館を見学することにする。ここではかつては砂金が産出し、それらが聖武天皇に献上され、これで大仏建立の見込みが立ったと大いに天皇を喜ばせたという。なおこの時に金の採掘に貢献したのは百済からの渡来人であり、彼らの持つ高い技術が金の採掘を一気に進めることになったとのこと。

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天平ロマン館

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砂金の展示

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百済の金香炉のレプリカ

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隣の売店には天平萌え美人が

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さらにありがたい方がくつろいでいる

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金運だるま

 天平ロマン館見学の後は、この奥にある金山神社を参拝しておく。これはかつてこの地に祭られていた神社を復興したものだとか。金運に関する御利益があるとのこと。これで私も豊かな生活が約束されるか?

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金山神社

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この石が礎石だとか

 涌谷の見学を終えると鳴子温泉に向かうことにする。小牛田や古川を超えて西に向かう。道路は結構混雑しているのでスムーズに走りにくい。

 

道の駅で昼食

 岩出山を過ぎてさらに進んだところで道の駅あ・ら・伊達な道の駅に立ち寄って昼食を摂ることにする。道の駅のカフェで山菜ナメコそばを注文。明らかに麺はゆで麺で腰がないが、ナメコが意外に美味かったので良しとするか。さらにここで夜食用のずんだ団子を購入しておく。 

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道の駅あ・ら・伊達な道の駅

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昼食の山菜ナメコそば

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ずんだ団子を購入

 

鳴子温泉幸雲閣で宿泊

 鳴子温泉に到着したのは15時過ぎ。とりあえずホテルに一旦入ることにする。今回宿泊先に決めたのは大江戸温泉幸雲閣。私の部屋は洋室のシングルルーム。この手の温泉ホテルでよくある添乗員部屋もしくは従業員部屋というところか。

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大江戸温泉幸雲閣

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シングル洋室

 一休みするとまずは大浴場に入浴に行く。ここは最上階に温泉大浴場がある。やや黒ずんだ着色のある湯でナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉とのこと。弱アルカリ泉である。若干のヌルヌル感はあるがそう強くはない。刺激の少ない湯。

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大浴場入口

 大浴場を出ると百畳露天風呂に入りに行く。こちらはナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉とのことで、中性の湯とのこと。着色もなくおとなしい湯。

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百畳露天風呂

 

やっぱり湯巡りをすることに

 鳴子温泉と言えば隣の旅館とでも湯が違うと言われるぐらい、とにかく様々な泉質の湯があることで有名な温泉地。館内の温泉を一渡り回ったがやはり湯巡りをしてみたいところ。どうやらホテルから湯巡りバスが出るとのことなので、それで湯巡りすることにする。やはり湯巡りしてこその鳴子温泉である。

しんとろの湯

 バスに10分ほど乗って最初に向かったのは、鳴子温泉の隣になる中山平温泉のしんとろの湯。ここの湯は含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉とのことだが、かなり強いアルカリ泉で、何とpH9.2。湧出泉温が90度以上とかなり高いので、裏手に木の樋を通して自然冷却したものを掛け流ししている。入浴すると皮膚がヌルヌルというか溶けるんじゃないかという感触。1時間浸かってたら体が溶けてシチューになりそうだ。

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しんとろの湯

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浴場

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裏のこの木の樋で源泉を冷ましている

滝の湯

 次はまたバスで送ってもらって滝の湯に行くことにする。ここは共同浴場という何とも言えない趣がある。こちらは泉質は硫黄泉。青みかがった白濁があり、先程の湯と違ってやや肌に強い当たりの湯である。また北国の共同浴場にありがちだが、とにかく湯が熱い。

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共同浴場滝の湯

ますや

 滝の湯の次はますやに立ち寄る。ここは大江戸温泉の系列なので無料で入浴可能。泉質は先程の滝の湯と同じ硫黄泉。ただこちらの方は湯に濁りもなく、肌当たりも滝の湯ほどの強さはない。入りやすいタイプの湯だが、インパクトには欠ける。

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大江戸温泉系列のますや

 

 一渡りの湯を堪能してホテルに戻ってくる。なかなかに面白かったがいささか疲れた。部屋で一休みすると夕食にレストランに出向くことにする。

 夕食は大江戸温泉名物のバイキング。これがまた例によって物量がすごい。そばや寿司まで含めて一渡りを頂くが、まずまずである。デザートまで含めてガッツリと頂く。やはりこれあってこその大江戸温泉。この夕食の充実度が伊東園なんかと違うところ。

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夕食バイキング

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デザート類

 夕食を終えて部屋に戻ってくると、しばし疲れが出てグッタリ。そのうちにロビーでじゃんけん大会やマジックショーがあるというのでロビーに出向くことにする。じゃんけん大会は見事に初戦敗退。昔から私のくじ運・勝負運はこんなものである。マジックショーはなかなか楽しめた。やはりこういう場で披露するマジック芸は、本業の技術もさることながら、客を巻き込む話術が非常に大切であるということがよく分かった・・・などと一応ビジネスマン的なコメントをしておく(笑)。

 部屋に戻るとテレビをボンヤリ見ながら時間つぶしをした後、就寝前にもう一度入浴してからこの日は床につく。

 

名古屋フィル第470回定期演奏会&松坂城&名古屋城(本丸御殿)

 翌朝は7時半に起床。目が覚めたところで朝食へ。朝食は伊勢うどんなどのご当地食も含むドーミーバイキング。今日は朝から食が進む。

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ドーミーバイキング朝食

 さて今日これからどうするかだが、今日の予定は午後4時から愛知県芸術劇場での名古屋フィルのコンサート。それまでがフリーである。松阪辺りに立ち寄ることも考えていたが、気象情報を見ると向こうはかなり雨が降っている模様なのでチェックアウト時刻近くまで部屋でグダグダすることにする。

いざ、松坂へ

 しかしチコちゃんを見ながらウダウダしている内に「こんな無駄なことしてても不毛だよな」という気持ちが沸き上がってくる。そこでもう一度気象庁のHPをチェックしてみると、先程とは状況が変わって松阪周辺は小雨かうまくすると降らないのではという状態に。ここで意を決して松阪に向かうことにしてホテルをチェックアウトする。

 松阪へは急行で20分ちょっと。松阪に来るのはかなり久しぶりなので駅前の様子などは全く覚えていない。とりあえずキャリーを駅のコインロッカーに入れるとGoogle先生にお伺いを立てながら松阪城を目指す。

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松坂駅に降り立つ

 

松坂城 蒲生氏郷の手になる100名城

 松阪城周辺は路地が入り組んでいて、歩いている内に方向を見失ってしまうような構造。この辺りはかつての城下町の防御構造だろう。Google先生の案内がなければとてもまともに到着できなかったところだ。路地迷路を抜けると唐突に松阪城の石垣が目に飛び込んでくるが、あまりの立派さに息を呑む。そしてこの時に思いつく「ああ、やっぱりこれのせいで津城の記憶がぶっ飛んじまったんだな」。かなり可愛い子に会っていたにもかかわらず、その直後にトップ女優クラスの美女と出会ってしまったというようなパターンか。いや、これではあまりに私の状況とズレすぎていて例えにならんか。私の回りにはかなり可愛い子どころか、そもそも女性が不在なんだから。独身キャラの春風亭昇太が結婚したと話題になっていたが、やはり名前と金があれば50過ぎの城オタでも結婚できるということだろう。しかし私のような名前も金もない50過ぎの城オタに寄ってくる物好きな女性はいない。

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この手の方向を見失わすトラップのような道路が多い

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突然にこの石垣が目に飛び込んでくる

 松阪城はこの地を見下ろす独立丘上に蒲生氏郷が築いた城で、蒲生氏郷が福島に移った後は城主が転々として、江戸時代初期に紀州藩の藩領となって城代が置かれるようになり、そのまま幕末を迎えたようである。天守は江戸時代に台風で倒壊後に再建されることなく放置されたようだが、残りの建物は明治期に消滅した模様である。今日では石垣のみが当時の偉容を伝えるが、現在100名城に選定されている。

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松坂城構造図

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表門

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正面に見えるのは本丸石垣

 表門のところから見上げるような石垣が正面にあって圧倒される。思わず興奮して先を急ぎそうになるのだが、その前に脇にある歴史民俗資料館を覗くことにする。こちらでは昭和と平成の生活なるものを展示してあるが、昭和の家庭用品が懐かしいと言おうか何と言おうか。私自身がまさに使ったことがあるものから、古すぎて私には分からないものもあったが(笑)。

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歴史民俗資料館

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昭和の高級家電

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今や絶滅寸前の公衆電話

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昭和の食卓

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さすがにここまで来ると私の親の世代

 

 民俗資料館を見学した後は本丸に向かう。ここからまっすぐ進んだところが本丸下段。もう既にここでかなりの高度があるが、ここからさらに上に本丸上段がある。

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本丸を目指す

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正面が本丸上段の石垣で、左手が本丸下段

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本丸下段

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隅には櫓台がある

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既にかなり高い

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さらに上段に登る通路が

 ここはこの城の最高所。辺りを見渡せることが出来るし石垣上には櫓台もある。櫓台からは下の正門方向を見下ろすことが出来る。もし正門を突破してくる軍勢がいれば、ここから矢玉の雨を降らせるというわけである。

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本丸上段

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櫓台に上ると二の丸が丸見え

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隅には天守台がある

 この本丸上段には天守台もある。本丸上段の南西部にきたい丸が続いているが、こちらはかなり広い上に周囲を石垣に囲まれておりかなり堅固。また石垣の角ごとに櫓台があり、下を見張っている。松阪城裏手の守りの要とも言えるだろう。とにかく城全体が死角がないように組み立ててあることがよく分かる。

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天守台上からきたい丸を見下ろす

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きたい丸は石垣で囲われている

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石垣の隅には櫓台が

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とにかくかなりの高度がある

 

 ここから一段下の隠居丸に本居宣長の生家である鈴屋が移築保存されている。ここから一段降りたところに本居宣長記念館があるが、この間の門は埋門とあることから、有事の際にはここの門は完全に封鎖してしまうのだろう。本居宣長記念館には国学者であった宣長の功績を伝える展示がされているが、文書中心であるので展示としては地味。

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本居宣長の生家である鈴屋

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内部は普通の民家

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本居宣長記念館

 隠居丸の向かいにあるのが二の丸でここはかなり広大。先程の隠居丸と共に、最前線で城を守る防御拠点である。かなりの大兵が詰めることが出来るだけのスペースもある。

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二の丸はかなり広大

 ここから裏門に出ることが出来るが、本丸までの距離は正門よりもむしろこちらの方が近いことからか、巨大な枡形を備えたかなり防御が厳重な門である。とにかく松阪城の鉄壁の守りを実感することが出来た。さすが押しも押されぬ100名城、石垣だけでもお腹一杯というところ。

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裏門の枡形

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裏門

 

 この裏門を出たところには御城番屋敷の長屋があり、かつての武家屋敷街の面影が残っている。一部が公開になっているが、ここには今でも住んでいる人もいるようである。

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御城番屋敷の長屋

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一部が公開されている

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内部は意外に質素

 城下町をプラプラと散策しながら松阪駅に向かうが、途中で原田二郎旧宅が公開されていたのでそこを覗く。原田氏は先程の御城番屋敷の住民よりは下級の武士になるらしいが、この屋敷は明治以降に建て増しなどもされており、明らかに先程の御城番屋敷の長屋より立派な屋敷になっている。屋敷の主の原田次郎氏は実業界で成功し、社会福祉のために公益財団法人を設立した篤志家であるとのこと。明治維新のガラガラポンでそれまでの身分制度がひっくり返った典型例とも言えよう。

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原田二郎旧宅

 

昼食は松阪牛弁当を購入

 松阪城と城下町を後にすると松阪駅近くまで戻ってくる。そろそろ昼食のことを考えないといけないが、頭の中には実はプランがある。松阪と言えば以前に訪問した時に食った松阪牛弁当が非常に美味であったことが記憶に残っている。そこで商店街の弁当屋の新竹商店に立ち寄って元祖松阪牛弁当(1500円)を購入することにする。弁当なら駅の売店でも買えるのだが、ここで買うと温かいご飯を詰めてもらうことが出来る。

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弁当屋の新竹商店

 温々の弁当を持ってそのまま名古屋行きの特急に乗車・・・したかったのであるが、私が駅に到着したのはちょうど特急の出た直後だったようなので、津まで急行で移動した後、そこでアーバンライナーに乗り換えることにする。弁当を開いたのはアーバンライナーに乗車してから。記憶にあった通り、冷えても柔らかくて美味い松阪牛が最高。さすがにこの弁当は美味い。

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近鉄アーバンライナー

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元祖松阪牛弁当

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この弁当が美味い

 名古屋には1時間弱で到着する。さてこれからの予定であるが、今日は4時から愛知県芸術劇場コンサートホールで名古屋フィルのコンサート。開演まではザクッと2時間以上の余裕がある。そこでこの間に名古屋城の見学をすることにする。目的は最近になって再建がなった本丸御殿の見学。

 

名古屋城 言わずと知れた天下普請の巨大城郭

 名古屋駅地下のコインロッカーにキャリーを置くと市役所前駅に移動。ここから名古屋城の東門はすぐである。

 さすがに天下普請の城だけあって、石垣も堀も松阪城よりもさらにワングレード上。それにしても一体どれだけの人員を動員したら、重機もないあの時代にこれだけの巨大建造物を建築できるんだろう。権力とはすごいものである。それだけに権力とは正しい者が行使する必要があるのだが、現在の日本では私欲のためにしか権力が行使されていない。

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いきなり堀と石垣に圧倒される

 立派な東門枡形を抜けると二の丸。この敷地内に巨大な体育館がある。どうやら大相撲名古屋場所が開催されているらしく多くの幟が立っている。ここを先に進むと入場ゲートがある。入場料は500円。

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東門

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かなり大きな枡形である

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大相撲名古屋場所絶賛開催中

 二の丸を進むと細くなった通路を抜けて本丸表門の前。こういう構造は鵜の首というらしい。こういったところで敵軍の侵攻を妨げるような構造になっているようである。なお西の丸方面は広大な広場になっているが、実はこちらにもこのような構造があったのだが、明治になって名古屋城が天皇の別荘として使用されるに当たって、馬車を通行させるために埋めてしまったと観光ガイドが説明しているのが聞こえてきた。まあ何にせよ、本丸の櫓が正面の一段高い位置から見下ろしているので、この辺りで敵軍が渋滞したら見事に狙い撃ちの的である。

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二の丸内部

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本丸の堀と隅櫓

 本丸表門の枡形もまた巨大であるが、ここの内側にまた巨大で頑丈な門があったようであり、守りは鉄壁。表の高麗門を突破して枡形内に突入しても、前方を巨大な櫓門で阻まれた上に十字砲火を浴びるという構造である。とてもではないが突破は容易ではなかろう。

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本丸表門

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この巨大枡形の奥に櫓門があったらしい

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こんな感じ

 

本丸御殿はキンキラキンの世界

 本丸に入るといきなり本丸御殿にご対面。天守と違って高さはないのであるが、かなり巨大な建物で圧倒される。御殿に入場するには行列が出来ておりしばし待たされる。内部がごった返さないように入場規制をかけているようである。内部は豪華絢爛のキンキラキンの世界。とにかく襖絵だとか浮き彫りだとか、装飾が極めて豪華。しかも奥に進めば進むほど部屋の格式が上がって装飾も派手になる。これも年月が経てばもっと落ち着いてくるんだろうが、今はとにかく派手なのでいささか成金趣味にも見える。名古屋のハデ婚の精神の大本は実はこの辺りにあるのかもしれないなどと感じる次第。

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本丸御殿

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とにかくデカイ

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入場するには行列

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内部も人だらけ

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御殿内は初っ端から豪華

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見事な襖絵

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しかも先に進むほど

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豪華さは増していく

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そして最終的にはこの絢爛豪華さ

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最早キンキラキン過ぎて目が眩む

 いささか呆気にとられながら本丸御殿から出てくると、外は灼熱地獄である。本丸内には土産物屋もあり、多くの観光客で賑わっている。私は暑さでまいりかけていることもあり、抹茶ソフトを買って一服する。

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抹茶ソフトで一息つく

 

 本丸御殿の先に天守があるが、現在天守は耐震性の問題及び復元のための調査で立ち入り禁止。それにしてもあの本丸御殿を見た後に、このエレベータを後から外付けした鉄筋コンクリートの天守を見ると見劣りすること甚だしい。これは河村市長でなくても天守の木造復元ということを思いついても当然のような気もする。もっとも予算の裏付けがあるかが重要なのだが。それにしてもその木造復元天守にエレベータをつけろとゴテている自称障害者団体があるようだが、何の意地なのか利権が目当てなのか目的は不明だが、いかにも無粋な主張だと感じる。歴史的建造物の復元の話とバリアフリーを一緒にするべきではない。そんなことを言うのなら、エベレストの頂上に体力のある登山家しか登れないのは不公平であるから、私でも登れるようにロープウェイをつけて欲しい。

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天守は現在立ち入り禁止

 この後は本丸の不明門から出て立派な本丸石垣を堪能しつつ、グルリと回ってまた表門に戻ってくる。すると西南隅櫓が公開中との情報を得たので、再び本丸へ入場、西南隅櫓の見学をしていくことにする。

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裏手の不明門

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天守台を外から

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このような隘路が鵜の首

 この西南隅櫓は一度倒壊したものを古材を中心に再び復元したらしい。当時のままの階段なので非常に登りが急。で、ここにもエレベータを付けるのか? 3階建ての最上階には消防法の関係で一度に登れるのは10人に限定されているとのことで、入場券を受け取って登る形式。ここからは西門までを見晴らすことが出来、本丸前の隘路で渋滞している敵を狙い撃ちすることになる。

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西南隅櫓

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最上階内部

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外を狙い撃ち

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宮内庁が復元に関与しているから菊のご紋の瓦とか

 隣では湯殿書院の公開もしているようだが、こちらは10人ずつしか入れないとかでかなり待つ必要があるようなので、そろそろタイムアップ時刻が近づいていることもあり断念。

 久しぶりに名古屋城を堪能したがさすがに天下普請の城だった。ハッキリ言って、戦国時代の武器では正面から軍勢で攻め落とすことは不可能であると感じた。大軍で包囲したところで完全に睨み合いになってしまうだろう。こんな城を落とそうと思うと計略しかない。幕末になって大砲などが進化した時代になるとまた話は変わってくるが。

 名古屋城の見学を終えるとホールに向かうために栄まで移動する。毎度のことながら栄は賑やかなところである。今日も広場で何かイベントでも開催されているのか大騒ぎになっていた。コンサートホールはここの横のビルの4階にある。

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コンサートホールは人で一杯

 コンサートホールへは大勢の観客が来場していた。なおこのホールは最近まで改装工事を実施していたが、どの辺りが改装されたのかはあまりこのホールに詳しくはない私にはよく分からない。ただ少なくとも以前よりも洋式トイレの比率が増えたことは分かった。

 

名古屋フィル 第470回定期演奏会

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マーティン・ブラビンズ(指揮)
ジャン・チャクムル(ピアノ)

藤倉大: オーケストラのための『グローリアス・クラウズ』
メンデルスゾーン: ピアノ協奏曲第2番ニ短調 作品40
エルガー: 交響曲第1番変イ長調 作品55

 最初の藤倉の曲は、何やらキラキラとした煌めきを感じる曲であるが、正直なところ今ひとつ私にはよく分からない。プレトークで作曲者自身が「微生物のネットワークをイメージした」との類いのことを話していたが、そのようなイメージがあると言われればあるような気もしないではない。ただし実際はどうにでも解釈できる曲。ただそれでもブラビンズの演奏は非常に冴えのあるものであることは分かる。

 二曲目はメンデルスゾーンの珍しい曲である。若気の至りが随所に見られたような1番と異なり、晩年の曲であるために完成度は高い。特にやや哀愁を帯びた旋律で始まる第1楽章は魅力的。そのためもっと演奏機会があっても良いように思われるのであるが、そうならない理由は曲を聴けば明らかでもある。とにかくピアノセクションが極めて高難度であるから実際に演奏するのは大変である。さてチャクムルの演奏であるが、その高難度のピアノセクションを何事でもないように易々と弾きこなしてしまうテクニックには唖然とせざるを得ない。それでいて単にガンガンと弾くだけでなく、硬軟自在で謳わせるべきところは謳わせてくるので表現も実に濃厚。この耳慣れない曲を非常に魅力的に弾ききった。

 爆発的な場内の盛り上がりに対してのチャクムルのアンコールは、以前に演奏を聴いたことのあるファジル・サイ。ビアノの弦を手で押さえて民族楽器か何かのような奇妙な音を出すところに特徴のある曲。初めて聴いた時にはわけの分からない曲のように思ったが、今回聴いてみると意外に面白い。

 休憩後のラストはエルガーであるが、これは非常にメリハリの強い情熱的な演奏。名古屋フィルも所々アンサンブルに雑さが垣間見える部分がありはするものの、爆音気味の元気の良い演奏。なかなかに高密度な表現は下手をすれば冗長になりがちなこの曲を、緊張感を持って最後まで聴かせることに成功している。

 なかなかの演奏。さすがにブラビンズというところか。名古屋まで出てきた価値を感じさせるものであった。

 

夕食に名古屋名物味噌煮込みうどんを頂く

 コンサートを終えると一旦名古屋駅まで戻ることにする。キャリーを回収すると夕食をどこにするかだが、毎度のことで全く工夫がないながら、名鉄百貨店のレストランフロアの「山本屋総本家」に入店して「親子煮込みうどん」を注文する。

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山本屋総本家

 初めてここに来た時には固いうどんと異常に濃厚な赤味噌に戸惑ったものだが、どうも最近はこれがクセになってしまったのか、時々異様にこの味が懐かしくなる。最近は名古屋に来ることがあったら必ず立ち寄っている感じ。私もかなり赤味噌帝国の侵略を受けてしまったようだ。このやや渋みさえある赤味噌の旨味の強さがクセになる。もっとも一度食べると、しばらくは赤味噌を見る気もしなくなるのだが(笑)。

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親子煮込み

 夕食を終えると地下でおやつを購入してからバスでホテルに送ってもらう。今回宿泊するのは私の名古屋での定宿・名古屋ビーズホテル。名古屋駅近くの大浴場完備のホテルだが、ここが面白いのはフィットネスルームまであること。もっとも今回はそんなことをしている体力的余裕がないが(カメラにpomeraまで入った重たいリュックを背負って1万7千歩も歩いたせいで、体中ガタガタ)。

 ホテルにチェックインすると、何はともあれまず入浴。湯の温かさが体に染みいる感じ。ああ、これがあってこその日本人・・・って確か昨日も同じことを言ったような。風呂からあがるとこれもまたこのホテルの特徴である無料のマッサージチェアでガタガタになっている体をほぐす。この辺りの設備の良さが私がこのホテルを定宿にしている最大の理由。

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この晩のおやつは大福

 風呂から上がるとさっき購入したおやつを食べながらテレビを見ていたのだが、そのうちにかなり疲れが押し寄せてくるのでベッドに横になっていると、知らないうちにそのまま寝てしまう。

インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス&津城

 この週末は名古屋方面へ遠征することとした。と言ってもそもそもの目的地は実は名古屋ではなくて津。と言うのはここでベルリンコンツェルトハウスのコンサートがあるから。この度、インバルがベルリンコンツェルトハウスを引き連れて来日、全国でツアーがあると聞いたので私も是非とも行きたいと思っていた。しかし発表されたスケジュールを見ると見事に関西だけがスルー。思わず「?」という状態になってしまったが、仕方ないので関西から一番近い場所を調べたら津だったという次第(名古屋公演もあるのだが、京都市響とスケジュールが衝突している)。で、津まで行くなら名古屋に足を伸ばしても同じ。調べてみるとこの時期にちょうど名古屋で名フィルの定期公演があるとのことなので、ついでにこれも聞いてやろうと言うところでの計画立案である。

 津までは近鉄を使うことにする。名古屋だと新幹線なんだが、津になると名古屋経由でのアクセスだと所要時間はさして変わらず料金だけが跳ね上がるということになってしまうので近鉄を使用。津だけならいっそのこと車で行くという手もあるのだが、今回は帰りに名古屋や大阪に立ち寄るのでやはり鉄道。

 金曜日の仕事を午前中で終えると津に向けて出発する。この働き方改革の時代に一人でスーパープレミアムフライデーをしている私。つくづく私は愛国者だ(笑)。それにしても政府主唱のプレミアムフライデーって全く実施されることもないまま廃れたな。まあ予想通り。

近鉄特急で津に向かう

 鶴橋から近鉄の賢島行き特急に乗り込む。座席はビスタカーの2階だが、驚いたことに完全貸し切り状態。そう言えば乗り込む客もほとんど見かけなかったような。

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賢島行きの特急

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ビスタカーだ

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二階建て車両の階段

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なんと一部屋貸切(笑)

 ビスタカーは車高が高いせいかよく揺れる。それにやはり近鉄特急は遅い。新幹線との比較はそもそも無理があるが、新快速と比較しても遅い。列車はいかにも奈良という山の中を最初は走るが、それでも駅周辺などを中心に所々いかにも新興住宅地な集落はある。

 沿線でも一番大きい集落は大和高田から大和八木にかけての辺りか。この辺りは大都会というか大住宅地。乗り換え拠点でもある大和八木で初めて乗客が乗り込んでくる。この後はまた再び山間で榛原では乗降なし、次の都会は名張。遠くにイオンがあるのを見ると、なぜかホッとする。ここでも乗降は数人というところ。そこからとんでもない山の中を抜けた先が伊賀神戸。ここは伊賀鉄道との乗り換え駅。伊賀鉄道の松本零士がペイントを手がけたくノ一列車が見える。

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伊賀は忍者の里

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松本零士デザインのくノ一列車

 青山の辺りになるとトンネルの連続。ここら辺りから外の雨がかなり激しくなってくる。山を抜けてしばし進むと乗り換え駅の伊勢中川。ここで名古屋方面行きの特急に乗り換えると次の駅が津である。

 

津に到着

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津駅に到着

 津駅で降りるとホテルにチェックインする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン津。津駅前にある天然温泉付きホテルである。今回はシャワーなしのエコノミールームのプランだったのだが、シャワー付きの部屋に振り替えてくれたようだ。部屋は洗面台がトイレと別になったドーミーインの最近のタイプ。

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ドーミーイン津

 とりあえず部屋に荷物を置くとすぐに外出する。幸いにして今は雨はほとんど降っていない。とりあえず駅前からバスで三重会館まで移動。コンサートの開演までにこの近辺にある津城を見学がてら夕食を摂りたいと考えている。

 夕食はやはり津と言えばうなぎということで近くの鰻屋に立ち寄ったのだが、なんとまだ準備中。今の時間は4時半、多分5時から夜の部なんだろう。こんなところで30分も無駄な時間を費やすわけにもいかないので津城の見学に行くことにする。

 

津城 藤堂高虎の手になる続100名城

 津城は織田信包が築いて、後に築城の名手としても知られる藤堂高虎が輪郭状の近代城郭として再整備した城郭である。今では城域の大半は市街に埋もれてしまって、本丸が公園化して残るのみと聞く。なおこの度続100名城に選定されたとのことである。

 私は津城訪問は実は初めてではない。かなり昔に訪問したことがあるが、その時には「特に何もないところ」という印象だけが残っている。だから続100名城に選定されたと聞いた時、「なんで?」と疑問を感じていた。そこで今回改めて見学してみようという考え。

 津城は建築物の類いは全く残っていないが、現在石垣上にかつての隅櫓を復元してある。ただこの復元櫓、なぜか本来隅櫓が乗るべき石垣隅の櫓台でなく、入口の脇に立っている。確かに見栄えはするのだがいささか疑問もある。ただこの辺りの石垣はかなり立派である。かつては東之丸を経てここから本丸に入るようになっていたようだ。

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復元櫓

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本来は一番奥の櫓台の上に乗るべきなんだが・・・

 ここをくぐって進むと中は完全に公園化しており、ここに城主である藤堂高虎の騎馬像がある。周囲は石垣で囲まれており、南側に入口があるがこれは後付けの模様。

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本丸内部は公園化している

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藤堂高虎の像

 西側の庭園になっている西の丸跡の先に枡形のある門らしき構造がある。なおここに立派な赤門が設置してあるが、これはかつての藩校の門を移築したものであるという。

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西の丸横の堀

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元々は藩校の門だった入徳門

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西の丸先端の枡形

 この枡形を抜けると城の外に出るが、外から見るとグルリをかなり立派な石垣が取り囲んでいるのが分かる。正直なところ今回訪問してこれには驚いた。これだけ立派な堀と石垣が残っているところはそう多くはない。となると確かに続100名城は妥当であろう。前回の訪問時のことはよく覚えていないが、東側から城の中に入って、内部をグルリと見ただけで「何もない」と判断していたのだろうかと考えて当時の記録を読み返してみたら、一応は内堀の石垣なども見ているようだ。どうも当時の状況がよく分からないのだが、その直後に松阪城を訪問してその石垣に感動していることから、そっちの印象に紛れて津城の石垣があまり記憶に残らなかったと思われる。

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西の丸の枡形を外から

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周囲はかなり立派な堀と石垣

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ほれぼれするような石垣と堀

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かなりの規模である

 というわけで浅はかの限りというか、自身の愚かさを痛感すると共に津城には実に失礼なことをしていたと思う。津城は文句なしに押しも押されぬ続100名城であるとここに断言しておこう。

 

津でうなぎを頂く

 かなり駆け足ではあったが津城の価値を再認識したところで再び目的のうなぎ屋に戻ってくる。立ち寄ったのは「つたや」。到着した時にはまだ5時前であったが、覗いてみるともう入店可とのことなので入店することにする。私が夜の部の最初の客である。注文したのは「ひつまぶし(2400円)」

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つたやは二階にある

 うなぎ屋に入店したものの実は不安なことが一つある。と言うのはうなぎ屋はやはり少々時間がかかること。今日はこの後、三重県文化会館で6時半開演のコンサートに駆けつけないといけない。ホール行きの臨時バスが津駅西口から出るのが開演の35分前。となるとそれまでには津駅に戻らないといけないのだから、5時半には三重会館からのバスに乗りたい。となるとトータルで30分程度しか時間的余裕がないのである。もしうなぎが出てくるのに30分かかってしまったら、ホールに直接タクシーで乗り付けることなども考える必要がある。

 何てことをウダウダ考えながら待っていたら、案に反して10分ちょっとでうなぎが出てきた。順番が最初だったことも幸いしたか。ひつまぶしは薬味は別で出てくる場合が多いのだが、ここのは最初から薬味が乗せてある。そこで半分に分けて、半分はそのままで残りの半分をうな茶で頂くことにする。

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ひつまぶし

 うなぎがパリッとして実に美味い。こういう香ばしいうなぎは関東などでは味わうことが出来ない。後でご主人に聞いたところによると、この辺りのうなぎはそのままタレをつけて焼くだけなので香ばしさが強くて皮もパリッとしているとのこと。関西のうなぎも焼いてから蒸すところが結構あるとのことなので、うなぎの香ばしさに関してはこの辺りが一番とのことである。蒸し行程がないことが予想外の調理の早さにもつながっているのかもしれない。美味い、早いは飲食店にとっては重要な要素。

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まずは薬味付きを頂き

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さらにうな茶で頂く

 うなぎの香ばしさが実に美味で食が進む。薬味付きはその鮮烈さ、そしてうな茶はあっさしてそれでいてコクのある味わいと2タイプが楽しめて実に美味。

 夕食をすっかり堪能した時には5時半前になっていた。三重会館からバスに飛び乗ると津駅でホール行き臨時バスに乗り継いでホールに向かうことになる。

 三重県文化会館は美術館からさらに先に進んだいささか市街からはずれた高台にある。ホールは少し昔の地方の典型的な文化会館といったところだが、かなり大きなものである。しかしそのホールに大体8割方は客が入っている。高校生の団体らしい姿も見かけたが、音楽関係の部活か? それとも動員でもかかったか?

 

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

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エリアフ・インバル[指揮]
アリス=紗良・オット[ピアノ]

モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
マーラー:交響曲第5番

 アリス=紗良・オットは難病を患ったと聞いているが、目下のところはまだ演奏には支障はないようで何よりである。ただどうも今回は弾き急いでいるような印象を受けた。序盤は音が飛びにくいホールの音響特性もあって、やや籠もった感じの演奏である上にオケとも微妙なズレが感じられたが、それは次第に修正された。ただ彼女の演奏は元々軽妙でエレガントでそう深い情感を込めるタイプではないが、モーツァルトの曲想とも相まってより一層あっさりした印象の演奏になっていた。そのために深い感銘を受けるというタイプの演奏ではない。どちらかと言うと、アンコールのショパンの方が彼女の良さが現れていたか。

 アリス=紗良・オットの相変わらずのチャーミングな印象もそのまま。拍手に促されて舞台袖から小走りで飛び出してくるところなどが実に可愛い。熱烈なオッサンファンらしき者が花束を渡していたがあれはありなのか? ホールによっては完全禁止のはずだが。

 休憩を挟んで後半のマーラーの5番は一転して圧倒されるような演奏だった。序盤から緊張感ありありの金管がすごかったが、ここに美しい弦も乗っての切々とした情緒溢れる第一楽章には思わず涙が出そうになった。そしてまるで息絶えるように第一楽章が終わると、続いて激しい第二楽章が始まる。しかしインバルは決して急ぐことなく、抑えめのテンポでじっくりと音楽を描いていく。それに応えてのオケの表現も実に緻密である。そして第三楽章から曲に明るさが見えてきて、続いて弦を中心としたうっとりするような美しい第四楽章。これはまさに極上のアンサンブルだった。そして夢見心地のまま怒濤の最終楽章でフィナーレ。インバルの演奏は実に情感に溢れ、非常に表現の深さを感じた。ゆっくり目のテンポでとことん音楽を美しく描く。そして決して雑になることもなくそのインバルの目指す表現を最上の演奏で実現したオケの技倆。実に感服した次第。

 かなりの名演に場内は結構な盛り上がりとなった。終わらない拍手にインバルが引っ込めなくて、最後には客席に向かってバイバイする姿も。下手すると冗長になりかねない曲なのだが、今回は非常に印象深い名演であったと感じる。実際に私は非常に疲れ切った状態でホールまでやって来たにもかかわらず、最後まで一瞬も睡魔が襲うことがなく音楽に浸りきったのである。わざわざ津くんだりまで出てきた価値は十二分にあったというものだ。

 

 

 コンサートを終えた時には外はかなりの雨になっていた。津駅まで臨時バスで戻ると飲み物を買い込んでホテルに飛び帰る。

 ホテルに戻った時には9時過ぎになっていた。少々小腹が空いているが、こういう時にありがたいのがドーミー名物夜鳴きそば。何てことない醤油ラーメンなんだが、こういうのが夜には美味い。

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ドーミー名物夜鳴きそば

 小腹を満たすと大浴場で入浴。ここの浴場はアルカリ系の単純泉とのこと。泉源は「トマト温泉」との記述があり、運び湯のようである。浴感としては若干のネットリした印象がある。塩分が入っているのだろうか。とにかくこういう時の風呂は快適、特急とコンサートで座りっぱなしだったので背中が少々おかしくなりかけているから、それをゆったりと風呂でほぐす。ああ、やっぱりこれがあっての日本人よ。

 風呂からあがると部屋でこの原稿の入力。眠気が押し寄せてきたところで明日に備えて就寝する。

古市古墳群ツアー&大阪交響楽団名曲コンサート

 昨晩はやけに喧しい奴(夜中にワケの分からんことを喚いて廊下に飛び出した奴がいた)が同じフロアにいたために夜中に起こされる羽目になった。そこでグダグダと9時前まで布団の中でつぶす。

 起き出すと朝食は外に食べに行くことに。喫茶店「寿」「モーニングセット(500円)」を注文。何やらテレビが大音量でかかっていて店内の落ち着きはないが、卵焼きのサンドイッチはなかなかに美味い。

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喫茶店「寿」

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モーニングBセット(500円)

 さて今日の予定だが、メインはザ・シンフォニーホールで17時開演の大阪交響楽団のコンサート。ただそれまではかなり時間がある。とは言うものの現在は大阪地区ではこれという展覧会もなし。かといって安ホテルの部屋に籠もっていてもすることはない。と言うわけで思いついたのは「世界遺産記念 古市古墳群散策ツアー」。今回の世界遺産対象地域は仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥地域と応神天皇陵を中心とする古市地域の2カ所に分かれており、百舌鳥地域の方は行ったことがあるが、古市地域の方は行ったことがないのでこの際訪問してやろうという考え。

 古市までは近鉄で移動するとして、現地の移動をどうするかだが、どうやら観光用レンタサイクルがある模様なのでそれを利用することにする。当初は歩いて回ることも考えていたが、それだと健脚Google先生でも2時間以上はかかるという仰せ。それだととても私の体力は持ちそうにない。

 天王寺に移動するとここから阿部野橋に移動して近鉄に乗車する。近鉄のホームを見ると吉野行きの観光特急らしき車両が停車している。いずれはこれも乗ってみたい気がするが、それはまた後日の機会に。私は吉野行き急行に乗車する。

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観光特急車両

 

古市古墳群散策ツアー

 急行だとダイレクトで古市である。意外に近いという印象。古市の駅前に降り立つと観光用のレンタサイクルを借りることにする。レンタル料金は普通の自転車が250円、電動アシスト付きが500円である。体力の衰えを考えて無理せずに電動アシスト付きの方を借りる。電動アシスト自転車を運転するのは初めてだが、こぎ出しが非常に軽いのが驚いた。やはりこぎ出しは通常の自転車だと一番力が必要で大変なところだが、そこが軽いというのはかなり運転が楽になる。

 ただ私が自転車を運転するのは10年以上ぶり。そのせいか昔のイメージのようには運転できないことに気がついた。明らかに昔よりもバランス感覚などの運動能力が低下している。そのせいと、いわゆるママチャリ型という自転車の構造のせいで車体を傾け鋭くカーブを曲がるということが出来ず(私が昔乗っていたのはMTB)、どうしてもフラフラとした大回りになってしまう。しかもこうして走ってみると、日本の町というのはとかく自転車には走りにくいことが分かる。自転車は車道を走るのが原則であるが、実際には車がビュンビュン走る車道の端を走行するのは危険な上に邪魔になることが多い。かといって歩道を走れば段差の多さで戸惑う。結局はよくあるフラフラした危なっかしいジジイのチャリンコ運転になっているのを感じずにはいられない。今、車目線から見ればかなりウザい運転をしているだろうなと感じながらも、そういう運転しか出来ないという情けなさ。脚力の衰えはモーターアシストで補えても、平衡感覚の衰えは機械では補えない。特に低速走行時にどうしてもフラフラしてしまい、昔のように運転しながら首を回して後ろを確認するということがスムーズに出来ない(首を回すとどうしてもふらついてしまう)。自転車にバックミラーが欲しいとつくづく感じた。

 観光案内所でもらった案内地図を見ながら古墳巡りをすることにするが、どうしても地図だけだと方向や現在地が分かりにくいので、結局はスマホのGoogleMapも併用することに。ただGoogle先生は時々とんでもない道を指定してくる。住宅の裏手の幅1メートルもない路地とさえ言い難いような道を指定してきたり、ひどい時には企業の駐車場を突っ切るルートを提案してきたり(なぜかGoogleMapではそこが道になってしまっている)。とにかくこの辺りの地域はやたらに路地が多い上に、大抵の古墳は路地の奥(住宅の裏だったり)にあるので、今回は路地をひたすらウネウネと走り回ることになる。

 最初に立ち寄ったのは一番近くにある古墳

安閑天皇陵古墳

 全長122mの前方後円墳で、高さは13mあるという。天皇陵と言うことで現在は宮内庁によって完全に封鎖されてしまっているが、宮内庁など存在しない戦国時代においては、堀に囲まれた小山を有効利用しないで放置する手はないわけで、高屋城という城郭が置かれていたという。その際に墳丘や濠の形が一部変更されたとのことだが、入って確認できないので状況は不明。実際に現地に行くと柵の向こうに小山が見えるのみ。せめて木を払ってくれたらもっと見やすいのに・・・。

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安閑天皇陵古墳

 次はこの近くの古墳

白鳥陵古墳

 墳丘長190mの前方後円墳で「日本武尊」の陵墓とされているとのことだが、例によって宮内庁に封印されているので詳細は不明。現地は柵の向こうに濠越しに見えるただの小山。分かるのは先ほどの安閑天皇陵古墳よりは大きいということ。

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白鳥陵古墳

 次の目的地は古墳公園になっている。

 

峯ヶ塚古墳

 全長96mの前方後円墳。二重の濠に囲まれているとのこと。なお天皇陵ではないので入ることが出来たらしいのだが、私が訪問した時には柵で完全に覆われていて近づけなかった。

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峯ヶ塚古墳

 その隣にある小山が小口山古墳らしいのだが、こちらは天皇とは全く関係ないのか遊歩道まで出来ていて登り放題である。この上から峯ヶ塚古墳を見ることも出来る。なおここも明らかに後世に加工された跡があるが、城にでもされていたのか、最近の公園整備のせいなのかは私には不明。何となく城郭らしさを感じるのだが・・・。

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小口山古墳は遊歩道付き

 ここの南にあるのもまた天皇陵

清寧天皇陵

 もろに住宅地の裏にあるのでなかなか構造が見えにくい。GoogleMapによるとここも前方後円墳のようで大きさも結構大きい。なおここはかつて西之浦城という城郭を置かれていたらしい。

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清寧天皇陵

 逆に北側にもよく似た古墳がある

 

仁賢天皇埴生坂本陵

 濠に囲まれた前方後円墳。大きさ的にも先ほどの清寧天皇陵と同程度。こちらも住宅街の奥なので全体が見えにくい。

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仁賢天皇埴生坂本陵

 ここの北にさらに大きな古墳が。

仲哀天皇陵

 全長245mの前方後円墳。

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仲哀天皇陵

 一回りしている内に感じたのは、古墳というのはとにかく写真の被写体としては最悪だということ。でかすぎる古墳は単なる川の向こうの山にしか見えない上に全体像はファインダーに入りきらない。その挙げ句に天皇関係の古墳はことごとく宮内庁によって高い柵で封鎖されているので、まともに写真を撮ることさえ出来ない。これは今後観光資源として活用するためには問題点は多々である。とにかく「インスタ映え」は全くしない。

 それと宮内庁というのは全力で考古学の妨げをしようとしているなということを感じずにはいられない。。宮内庁とはそもそも天皇を守るためにある省庁のはずだが、実際には自分たちの権益を守るために天皇を利用しているのが真実。もし考古学の進展で天皇の権威を揺るがすような事実でも判明しては問題だから考古学を全力で阻止したいのだろう。天皇が自ら人間宣言までした時代には極めてナンセンスである。正直なところ、現在天皇陵とされている古墳も実際には誰が埋葬されているかは極めて怪しいものなんだが(ぶっちゃけ記録が残っている方が希なので、大きい古墳に天皇の名前を適当に割り振ったといっても良い場合が多い)、事実の判明は宮内庁がまさに全力で阻止している。

 次の古墳は古市古墳郡内で最大にして全国でNo2の古墳となる

 

応神天皇陵

 墳丘の長さ425mにしてその高さは36m。仁徳天皇陵に次いで第2位の規模であり、盛土の量で行くと全国No1らしい。とにかく規模が大きすぎて、現地に行ってみると川の向こうの自然の山のようにしか見えない。正直なところ観光を考えるのなら木を伐採した上で手前に五稜郭タワーのようなタワーでも建てるしかないが、そんなことは先の宮内庁が全力で反対するのは言うまでもない。

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応神天皇陵・・・デカすぎてわけが分からん

 この近くには登ることが可能な大鳥塚古墳小室山古墳などもあり、小室山古墳には実際に登ってみた。正直なところ古墳なんて登ってなんぼの気がする。頂上から辺りを眺めて見るとなかなか気持ちよい。

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大鳥塚古墳

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小室山古墳の円部に登る

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この先が方部

 小室山古墳から降りてくると、その先にまた結構大きな古墳がある。

仲津山古墳

 これは全長290mの古墳。かなり大きいが、立地的には完全に住宅街の裏山といった趣。とは言うものの、例によってここも封印されているので全体像は不明。

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仲津山古墳は住宅地の裏山


 この近くには鍋塚古墳という小規模の方墳がある。元々は現在よりも一回り大きかったらしいが、とりあえずここは頂上に登ることが出来る。格好の展望台で、先ほどの仲津山古墳も見えるし、反対側には土師ノ里駅越しに允恭天皇陵を見ることが出来る。

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鍋塚古墳は登ることが出来る

 

允恭天皇陵

 全長230mの前方後円墳。だがここも封印されているので例によって全貌は全く分からない。ここは周辺に陪塚が多いのが特徴で、衣縫塚古墳、宮の南塚古墳なんかがあるが、いずれも住宅街の中の公園の裏手の小山。言われなければ「なぜこんなところにこんなものがあるの?」というような存在。

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允恭天皇陵

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衣縫塚古墳

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宮の南塚古墳

 気がつけば古市駅からあちこちを回りながら、2駅先の土師ノ里駅までやって来ていた。領域のほぼ一番端まで来たので後は南下しながら残りを掃討。

 はざみ山古墳は103mの前方後円墳、発掘でもしているのかブルーシートが見えた。その南の野中宮山古墳は今は野中神社という神社になっている。その南の住宅街の中に野中古墳という小規模な古墳があり、そのさらに南にまた結構大きな古墳がある。

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はざみ山古墳

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野中宮山古墳上の野中神社

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野中古墳

 

墓山古墳

 全長225mという前方後円墳。応神天皇陵の陪塚という扱いらしいが、実際にはこれよりも小さい天皇陵もあるので、これも天皇陵なのではという気もするのだが、まあそこは宮内庁の恣意的解釈ではそうならないのだろう。

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墓山古墳

 この後はこれの南西にある浄元寺山古墳青山古墳を回って見学終了である。

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浄元寺山古墳

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青山古墳

 かなり疲れたというところ。最後には電動アシスト自転車のバッテリー残量がやや心許なくなってきて焦った。電動アシスト自転車のバッテリーが切れたら、ただの重たい自転車である。

 ようやく古市駅に戻ってきて自転車を返却すると、一旦ホテルに戻ることにする。古市古墳群を一回りした感想としては、サイクリングコースとしては悪くないが、古墳自体はどうしようもないなというところ。そもそもあまりインスタ映えしない対象なので、その手の輩はわざわざ来ないだろうし、来てもほとんどの古墳は封印されていて立ち入りが出来ない。そもそも埋葬者自体も宮内庁が勝手に言っているだけで根拠は薄弱なものなので何を見ているのか分からない。何しろまともに研究させないのだから何も分からない(わざと分からせない)。結局は「宮内庁、ウザっ!」という感想だけが強く残ったのだった。

 

天王寺に戻って遅めの昼食 

 ホテルに戻ってすぐに汗を流したいところだが、その前に天王寺まで帰ってきたところで遅めの昼食にする。立ち寄ったのは「グリルマルヨシ」「ハンバーグとビフカツのセット」があったのでそれを注文する。

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天王寺のグリルマルヨシ

 ハンバーグはかなり柔らかめ。私の好みとしてはもっと硬めの肉々しいタイプが好きなのでやや好みとズレる。ビフカツは以前にも食べたことがあるように美味い。たださすがにこの価格ではボリューム不足か。

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ハンバーグとビフカツのセット

 看板メニューのロールキャベツにしておいた方が良かったかなと後で少々後悔した。それにここで揚げ物を食べてしまったことで夕食が少々悩ましくなった(さすがに夕食に串カツという気にはならない)。

 昼食を終えてホテルに戻ってくるととりあえずコンサートの前に汗を流すことにする。両足に軽い怠さが残っており、これは明日以降にツケが来そうな気配。とりあえず今のところは歩けるが。

 入浴してサッパリしたところでしばし休息を取ってからコンサートに出かけることにする。

大阪交響楽団 第106回名曲コンサート 夏の夜の夢

[指揮]佐藤俊太郎
[ピアノ]ジャン・チャクムル(第10回浜松国際ピアノコンクール優勝者)
[管弦楽]大阪交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」op.61より
“序曲”、“スケルツォ”、“間奏曲”、“ノクターン”、“結婚行進曲”

 チャクムルのピアノはとにかく軽いという印象。音色に重みがない。また変拍子的なリズムがたまに垣間見え、どうもモーツァルトを弾くのは窮屈そうに聞こえる。彼の本領はもっと当意即妙的にアレンジできるような曲にあるように思える。実際にアンコールで演奏した現代曲(だと思うのだが私の全く知らない曲だった)の演奏の方が明らかに切れと冴えが見られた。またバックの大阪交響楽団もイマイチ。斉奏がダーンとならずに、バシャーンとなってしまう傾向がある。

 後半のメンデルスゾーンはモーツァルトよりはまとまった演奏であった。ただ不満を感じるのは弦に躍動感がないことと、金管が締まりなく鳴らしっぱなしという雰囲気の音色に鳴ってしまうこと。どうもピリッとしたところがないのである。

 やはり大阪交響楽団はまだまだ技倆的には今一歩というのは否定できないようだ。今年は何度か大阪交響楽団のコンサートに出かけてみたが、どうも常に私的には評価が今ひとつになるというのは、私と相性も悪いのかもしれない。

 

新世界でそばを夕食に

 コンサートを終えると新今宮まで戻ってくる。今日の夕食をどうするかだが、先にも言ったように串カツはない。寿司という気分でもないので、うどんでも食べようかとうどん屋を目指したが、残念ながら品切れで閉店とのこと。そこで二日続きで蕎麦になってしまうが「総本家更科」を訪問する。

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総本家更科

 注文したのは「かちんそば」。あっさりした蕎麦が美味い。また焼き餅もなかなかに良い。そして出汁がやけに美味い。

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かちんそば

 というわけで出汁がやけに美味かったので、追加で天ぷら出汁茶漬けを頂くことに。なかなかに美味いのだが、さすがにこれは食い過ぎた。

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天ぷら出汁茶漬け

 ホテルに戻るとグッタリ。やはり疲れが出てきた。今日は早めに就寝することにする。昨日のことがあるのでフロントでもらった耳栓を両耳に装備しておく。

 

彦根城に立ち寄って旅の終わり

 長期にわたったGWの遠征も今日で最終日。後はうちに帰るだけなのであるが、やはりその前に彦根城ぐらいには立ち寄っておきたいと考える。ただどうせ混雑するのが分かっているので早めに行動する必要がある。さっさとホテルで朝食を済ませると9時になる前にホテルをチェックアウトして彦根城に向かう。

天下の名城彦根城は観光客で一杯

 彦根城に到着すると二の丸の駐車場に車を入れる。私の見ているうちにも車がドンドンと増えて、これは数分でこの駐車場も満車になりそうだ。やはりGWの人出は馬鹿に出来ない。

 彦根城の入口から入場すると、最初に到着するのが廊下橋と天秤櫓。ここのところはグルリと回り込む必要があり、その度に十字砲火を浴びるという構造である。天秤櫓の中が公開になっていたので覗いてみたら、まさに入口に向かってくる敵が狙い撃ちである。非常に良く出来た作りだ。

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一番最初に廊下橋の下を潜る

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回り込んで廊下橋を渡る

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天秤櫓内部

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櫓からは門に迫る敵を狙い撃ちできる

 そこから上がると太鼓丸を経て太鼓門及び続櫓。ここもかなり堅固な構造。

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太鼓門及び続き櫓

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ここは裏の構造が面白い

 ここから上がるとようやく本丸。こじんまりしているが破風の多い凝った作りの天守である。

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本丸に到着

 と、ここまで来たところでおかしなことに気付く。何やら長蛇の列が出来ている。何と天守に入場するのを待つ行列だとか。まだ開場してから1時間も経っていないのに既に30分待ちの行列とのこと。城によっては天守だけ入場料を取るところも多いので、それなら天守をパスする者も増えるが、ここは城に入るだけで入場料を取られる(それは800円と結構高価)ので、どうせならと天守に入場する者が増えるということもあろう。しかしそれにしてもまたもやGWが牙を剥く。

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天守入場待ちの大行列

 結局は私もこの行列に並ぶ羽目に。なお30分後に入場しても、さらに内部で階段を登るのに30分ぐらい待たされ、結局は天守見学だけに1時間以上を要することに。ここの天守の中は特に何かの展示があるわけでもないので、実際には本当に入場する必要があるかどうかは疑問。

 天守から出てきたら表に黒山の人だかり。何だと思えばひこにゃんが闊歩していた。権利関係などでゴタゴタがあったひこにゃんだが、未だに人気は絶大なものがある。ゆるキャラ界ではくまモンと並んで双璧と言える。

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ひこにゃん登場

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大人気だ

 天守の見学後は裏手の西の丸に降りる。西の丸北端の三重櫓及び続き櫓が公開中なのでこちらも見学。ここが城の本体の北の守りの要というところか。

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西の丸

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西の丸の石垣

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西の丸三重櫓

 ここから出曲輪を経て下まで降りてくると、北端の山崎曲輪を覗いてみる。ここは石垣で囲まれたかなり広い曲輪で、かつての琵琶湖の湖畔はもっと近かったろうことを考えると、琵琶湖に面した曲輪だったのだろうと思われる。手前に門があるが、あれは船の出入りをしていたものと思われる。

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西の丸の先の堀切

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山崎曲輪手前の門

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山崎曲輪も結構広い

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山崎曲輪の石垣上から外を見る

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玄宮園

 彦根城の見学を終えると庭園の方を見学するが、その時に博物館の手前の土塁で火縄銃の実演が行われてるとの放送が入ったのでそれを見に行く。火縄銃の五斉射はかなりの迫力で轟音が響き渡る。この時にふと思ったのだが、以前に「歴史科学捜査班」で家康の本陣からの銃声は小早川の本陣には到底届かないということを実験していたが、この時の銃はせいぜい2丁ほどで、しかも騒音の激しい名神高速越しでの実験だった。これを名神高速越でなくして、火縄銃を10斉射ぐらいしたら、2キロ程度なら音が届くのではないか? ということである。もっとも音は聞こえても、それが自分の陣に向けられたものかの判断は付かないかもしれないが。

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火縄銃の五斉射

 彦根城の見学を終えると場内で開かれていた物産展に立ち寄って、土産物を購入すると共に彦根サイダーで一服。生き返る。サッパリとした爽やかな味が良い。

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彦根サイダーで一服

 これで今回の遠征の全予定は終了。ヘロヘロになりながら帰途についたのである。高速道路は途中の大津周辺でやや混雑はあったが、概ね渋滞はなく順調に帰り着いた。一番渋滞したのは昼食に立ち寄った新名神宝塚北SAのフードコートだったのである(笑)。

明知城と日本大正村に豊郷小学校

 7時に目覚ましで起こされる。シャワーを浴びると朝食は一階のレストランで。オーソドックスな和食メニューだが食は進む。ただ関西人の私には納豆は無用。

 ホテルを9時頃にチェックアウトすると、まずは明智を目指す。今日は明知城を訪問するつもり。明知城はかなり昔に訪問したことがあるのだが、その時は下草が鬱蒼としておりヒルまで出てくる状態で、まだ山城初心者だった私は早々に戦意喪失して城郭の全貌を把握できないまま撤退した次第。その後は私も山城経験を増したし、現地もここのところの山城ブームに合わせて整備された由を聞いていたのでいつか捲土重来をしたいと思っていた次第。

 恵那から明智までは40分ぐらいかかる。現地に到着すると明知城の幟が立ち、駐車場まで用意されている。これはかなり整備が進んでいる。最近は山城ファンが増えたおかげでこのように整備される城郭が増えたのはありがたいことだ。これはブームの光の面。

明知城 地形を利用した巧みな防御施設

 明知城は明知遠山氏が支配していた城で、武田氏と織田氏の間で争奪が繰り返された歴史がある。なお地元では明智光秀生誕の地とPRしているが、これについては歴史家からは疑問が呈されている(可児市の明智城の方が本命視されている)。

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明知城登城口

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明知城縄張図

 登城口から登るとすぐに二の丸東砦と搦手砦で厳重に入口を警備しているのが分かる。この奥には溜池のある曲輪がある。

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いかにも回りに取り囲まれている登城路

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搦手砦が搦手口を厳重に守る

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貯水池のある東曲輪

 そこからさらに進むと本丸方向と出丸方向への分岐。本丸方向に進むと二の丸を経て本丸にたどり着く。本丸はこの山の最高所でそれなりの面積があるので建物などを建てることも可能だろう。

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分岐を本丸方面に向かう

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本丸下の腰曲輪

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本丸手前の二の丸

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本丸虎口を経て

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本丸に到着

 本丸の奥に降りた先が三の丸(腰曲輪)で、その下にさらに曲輪が見えており、これも砦と言えるだろう。

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本丸下の三の丸から西の砦が見える

 出丸は断崖で守られた位置にあり、かなり重視されていた曲輪だとか。確かに位置的には防御の要であり、面積も広いのでそれなりの兵力を置いたと思われる。

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出丸はかなり広い

 明知城は標高はさほど高くないが、その縄張りはかなり凝ったものであり防御力の高さを感じさせる。何度も争奪戦が繰り広げられた城郭だけに鉄壁の防御が必要とされたのだろう。

明智町(日本大正村)を散策

 明知城の見学後は明智の町をプラプラと見学。GWに合わせてイベントが開催されているようで大勢の観光客で賑わっている。土産物屋を覗くと明智光秀と大正村でPRしている。その隅っこで「半分青い」がこそっとだけ顔を出しているが、さすがに放送事故レベルとまで言われた史上最低の朝ドラ(何しろヒロインが性格破綻者というとんでもドラマ)は世間にも相手にされていない模様。

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大正村ではイベント開催中

 私はここで光秀プリンで一服。あっさり目の牛乳プリンにきな粉と黒蜜をかけて頂くプリン。結構コクが出て美味い。

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光秀プリンはなかなか美味い

 なおここで土産物を買い求めたが、イケメン光秀の栗どらやきと限定販売という味噌味カステラ「三日天下」。しかしこのネーミングって良いのか?

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イケメン光秀と三日天下

 後は町の中を散策。大正村役場は大正村二代目村長の司葉子、三代目村長の竹下景子関連の写真が多く、大正ロマン館は初代村長のデコこと高峰三枝子と大相撲の初代春日野理事長に関する展示室がある。

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大正村役場

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大正浪漫館

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大正浪漫館内部

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ちんどん屋の行列が道路を練り歩く

 大正村資料館はいわゆる民俗博物館のようなもので、中には古い物品が展示されているが、大正と言うよりは昭和初期のイメージ。大正時代館は大正天皇に纏わる展示。

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大正村資料館

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渡り廊下が路地をまたぐ家

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奥が大正時代館

  町並をプラプラ散策して駐車場に戻ってくると、どこで昼食を摂ることにしたい。昼食は町から少し外れたところにある「すし大翔」「すしランチ」を頂く。こんな山の中で寿司? というのもあるが、まあ普通の寿司。とりあえずこれで880円というのは安くはある。

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すし大翔

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そばと

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寿司のセットランチ

 昼食を終えると移動することにする。この周辺の他の城の訪問も事前の計画にはあったのだが、明智市街の散歩でそれなりに時間を使ったのと、既に体力的に限界に近づいてきていること、今日の宿泊予定地が彦根でそれなりに距離があることなどから 早めに見切りをつけることにした。

 高速は幸いにして渋滞というほどの混雑はなかったが、それでも車の量は通常よりは多いので何かと気を使う運転となったが、2時間ほどの運転で何とか無事に彦根に到着する。

 彦根に到着したのは3時前。今日の宿泊ホテルはルートイン彦根。ここは妥当な価格の宿泊プランを確保できたことによるチョイス。さすがにルートインで一泊一万円以上は出せない。

 このままホテルに直行してもまだチェックイン時刻前。彦根城にでも立ち寄るかと思ったが、既に手前の道路から混雑していてここから先の様子が想像できるので断念。ではどうするかと考えた時に頭に浮かんだのは往路で立ち寄る暇がなかった豊郷小学校。ヴォーリズ設計による歴史的建造物なのだが、解体業者と癒着していたと推測される町長がなぜか解体に固執して一騒動になった校舎である。

豊郷小学校はアニメの聖地になってしまっていた・・・

 現地に到着するとイベントが開催中で、駐車場が使えないからと町役場の駐車場まで移動させられる。この時に何となく嫌な予感がしたが、現地に到着するとイベント内容が判明。どうやら同人誌即売会の模様。そう言えばここは何かアニメの聖地だとチラリと小耳に挟んでいたが(どうやら「けいおん」らしい)、もろに聖地巡礼になってしまった・・・。

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豊郷小学校

 ただ普通のオタはまだ見慣れているが中には女装したオッサンまでいて、さすがにこれには吐き気を催される。20年前の私はアニオタでしかもセラムンオタだったので、どちらかと言えばあちらサイドの人間だと思っていた(ただしコスプレはしたことがないし、しようと思ったこともない)ものだが、周りを見渡すと明らかに場違いであるという感覚は拭えず、キモいという気持ちを抑えられなくなる。どうやら私も年月を重ねる間に彼らを蔑み迫害する側のメンタリティに近づいてしまったようで、そのことにショックを受ける。

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廊下

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階段のうさぎと亀

 校舎内ではあちこちで同人誌のブースがありアニオタがウロウロ。その関係で見学できる範囲が限られるし撮影も制限されるということで、有名なうさぎと亀を撮影したぐらいで撤退する羽目に。どうも各地で聖地巡礼に出くわして散々な目にあうことが増えている。

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校庭の噴水

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趣のある校舎

 この後はホテルにチェックインする。テレビをつけたらWOWOWでトランスフォーマーを放送していたのでその終盤をボンヤリと眺める。こんなつまらないストーリーでも、SFXを駆使してそれなりに見られる映画にしてしまうハリウッドには常々感心する。日本でこれを映画にするとどうしても子供だましの安っぽい映像になってしまうのがオチ。彼我のこの技術力の差は何なのだろうか? 単純にかけている金額だけではない差があるような気がしてならない。

 この後は大浴場で入浴。昨日のホテルは大浴場がなくてシャワーだけだったのでこれでホッと落ち着く。やはり日本人たるものは浴槽に浸からないと始まらない。それにしても想像以上に体のあちこちがガタガタで、もう動き回るのは嫌になっている。

 で、出歩く気さえ起きないし、この周辺は国道沿いのチェーン店(吉野家など)ばかりというので面倒臭くなったので、夕食はホテル内の「花々亭」で済ませるという体たらく。それにしてもこのカレー、もう少しルーが多くても良いような・・・。

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上田カツカレー

 結局この日はグダグダのまま暮れていき、ベッドに転がっている内に意識を失ってしまっていたのである。

 

甲斐の山城巡り&「歌川国芳の時代」at 中山道広重美術館

 この日は7時に起床すると早速入浴。夜の間に風呂の男女交換がなされており、こちらの風呂はやや狭いがワイン風呂なんかがある。ただあまり浸かりすぎていると疲れが出てくるので、手早く体を温めるだけにしておく。

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朝食バイキング

 9時頃にはホテルをチェックアウト。今日は最終的には恵那まで長駆移動する必要があるので、行動を全体的に早める必要がある。まず最初に目指すのは須玉ICの近くにある若神子城。

若神子城 甲斐を巡っての徳川と北条の争いの最前線

 若神子城は本能寺の変後、支配者不在となった甲斐を巡って徳川と北条が争った時に、北条方の最前線の拠点となった城である。現在は歴史公園として整備されており、北条式の薬研堀の跡が残っており、さらに狼煙台が復元されている。この時代の高速情報伝達網である狼煙ネットワークの一環をなしていたらしい。

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拍子抜けするぐらい普通の公園になっている

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北条流薬研堀の跡

 狼煙台は老朽化でかなりガタが来ていて立ち入り禁止。現地は単なる普通の展望公園という趣であまり城跡らしさはないところ。

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狼煙台はかなり老朽化している

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遠くに富士山を望む

獅子吼城・・・は残念ながら断念

 次はこの奥にある獅子吼城を目指したのだが、駐車場のある根小屋神社で何やら神事がなされているようで、その参加者の車で一杯で車を止める場所がない。それにどこからアクセスしたら良いのかも分からないしということで今回は諦めることにする。

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この山上に獅子吼城があるはずだが・・・

谷戸城 平安時代から続く地形を利用した城郭

 次は谷戸城を目指すことにする。八ヶ岳が見える荒涼とした雰囲気の地域をしばし車で走る。風景の雰囲気は以前に車で走った富良野を思い出す。

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八ヶ岳の風景

 30分ほど走ると歴史館に到着。ここにはこの地域で発掘された土器などが展示されているが、縄文土器の造形がすごい。まさに「縄文は爆発だ!」。

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歴史館

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縄文は爆発だ!

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このいかにもの石碑は子孫繁栄の意味とか

 歴史館のすぐそばに谷戸城の登り口がある。歴史館の展示から分かるようにかなり古くから多数が居住しているのがこの地域だが、谷戸城は平安時代末期に逸見清光が築城したと考えられているとのこと。彼の子孫から後の武田氏が出ている。徳川と北条による争い(天正壬午の乱)においては北条方がこの城に布陣したらしい。なお近年の発掘調査では陶磁片などの多数の遺物が出土したとのこと。現在は国の史跡として保存整備されている。

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谷戸城登り口

 谷戸城のある小山はそう高いものではないのだが、東西に川があり、南は結構切り立っているので意外に守備力はありそうだ。また中央に近づくにつれて傾斜がきつくなっており、それを土塁と堀で守っている。ここの城が奇妙なのは、堀が土塁の内側にあることでこれは通常の逆。土塁を越えて堀内に落ちた敵を仕留めるのだろうか?

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谷戸城の模型

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縄張図

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二の丸の土塁と堀

 本丸は最高所にあり、入口は単純な食い違い虎口となっている。高い土塁に囲まれたそれなりの広さのスペースである。難攻不落とまでは感じないが、それなりの兵力を置いて守るには十分な城郭だろう。

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本丸の食い違い虎口

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土塁に囲まれた本丸

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90度に折れ曲がった搦め手虎口

 これで今回の城郭巡りの予定は大体終了。後は恵那に向けてひたすら走る。まだ摂っていなかった昼食は途中の諏訪湖SAに入って摂るが、さすがにGWでSAは超満員。フードコートは席もない状態だったので、奥のレストランに入ってさくら丼を注文する。

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諏訪湖SAで休憩

赤身の馬刺しが美味い。やはり馬刺しは赤身がサッパリしていて良い。特に期待はしていなかったのだが、予想を上回るメニューで上々。

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赤身がサッパリしたさくら丼

 この後は延々と高速道路を走るのみ。しかし道路は混雑していて走りにくいし(途中で何度か渋滞でスローダウンすることも)、中央道は結構起伏もカーブもあるしで大変。ようやく夕方頃に恵那に着いた時にはヘトヘト。

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これがかつての中山道とか

 恵那で宿泊するのはシティホテルミチ。初めて使用するホテルだが、実は本遠征で一番不安だったのがこのホテル。と言うのは当初は恵那ではルートインを使用するつもりでいたのだが、最近のルートインはドーミーインの悪癖に学んだのか、GW特別価格を設定しておりとても宿泊する気にならない価格になっていたのである。そこでやむなく他のホテルを探さざるを得ない状況になった次第。

 やや昭和臭がするホテルで設備に古さは感じるが、汚いというほどではない。部屋の照明が暗いのが気に入らないが、まあまあといったところでとりあえず安心する。

 ホテルにチェックインすると隣の広重美術館を訪問する。

「歌川国芳の時代-木曽街道六十九次之内を中心に-」中山道広重美術館で6/9まで

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 国芳の木曽街道六十九次之内は広重の東海道五十三次のような宿場町の風景を描いた作品ではなく、宿場名から連想した説話や歌舞伎の人物などを描写した作品である。だから内容的にはいわゆる武者絵の類い。国芳が最も得意としたジャンルでもあり、外連味タップリの迫力ある画面構成の作品などが並んでいる。

 さらに本展では国芳の美人画なども展示。こちらには結構オーソドックスな表現で、やはり国芳の本領は武者絵の方にあるように思われた。

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当時の絵草紙屋の再現

 美術館訪問後は夕食を摂る店を探してウロウロ。「あたりや」なる鰻屋を見つけたのでここに入店する。注文したのは「ウナギ丼(2700円)」

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あたりや

 今時この価格でウナギ1匹が入っているのはCPとしては良いか。ウナギは関西風の香ばしい焼き方。ただいささか焼きが入りすぎていて香ばしいというよりは焦げばしい。またやはりこの地域は味付けが関西人の私にはやや塩っぱい。個人的にはもう少し甘みのある方が好き。

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うなぎ丼

 夕食を摂ると近くの菓子屋やスーパーでおやつを買い求めてからホテルに戻る。部屋に入るとしばしダウン。テレビを見ながらベッドに転がっている内に意識を失い、気がついたのは30分後。そこで起き出してシャワーを浴びる。

 やはり体に溜まる疲労が半端ではなくなってきている。この日もやや早めに就寝する。

日本平に久能山東照宮と身延山久遠寺を経て石和温泉へ

 今朝は6時半に目が覚めたが、昨日に比べると睡眠時間が短いのでやや眠気がある。とりあえずホテルの大浴場に体を温めに行ってから朝食に出向く。朝食は品目的にはあまり多くはないが味は悪くはない。

 今日は比較的普通の「観光」をするつもり。まずは日本平に行ってここからロープウェイで久能山を訪問しようと思っている。ロープウェイが9時から運行なのでそれに間に合うようにチェックアウトする。

大混雑の日本平

 山道を車で走るが、どうも車の台数が多いのが気になる。ロープウェイ駅の駐車場に到着したのはちょうど9時頃だが、「もうすぐ閉鎖しますから急いでください」と言われて驚く。いざ駐車場に到着してみると、もう既にロープウェイの乗車券売り場に長蛇の列が出来ている。GWを侮っていたことにここで気づく。今までGWとは全く無関係な場所ばかりウロウロしていたから、このことを忘れていた。結局はロープウェイ乗車までに30分以上待たされることに。40人乗りのゴンドラを片道5分の行程をピストン輸送しているが、次々とくる客を捌ききれていない状況。

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ロープウェイ乗り場は既にこの状態

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乗車券と久能山東照宮のセット券を入手

 ロープウェイに乗ると驚くのは日本平の山の南側の切り立った断崖。どうやら海底の隆起と浸食によるらしいが、それにしても急峻だ。またこれから向かう久能山もとんでもない地形。周囲は完全に切り立っており完全に要塞。それもそのはずで、ここにはそもそも武田氏の久能山城という山城があったのだという。ここに山城を築けば難攻不落なのは間違いない。アクセスするには下から1000段以上という石段を登ってくるか、このロープウェイを使用するかしかない。と言うわけで足腰にガタの来ている私にはロープウェイ一択というわけである。

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ロープウェイが到着

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日本平の切り立った崖

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久能山東照宮があるのはこの山上

久能山東照宮 徳川家康を祀る神社

 家康の死後に遺命によってこの地に家康を埋葬すると共に、この山上に東照宮が建設された。後に徳川氏は威信をかけて日光東照宮を建築、家康はそちらに改葬されたとのことだが、実際には家康の遺体は久能山に埋葬されてたままとのことである。

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完全に観光地と化している現地

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海が見える

 ロープウェイの駅から出るといきなり現地は観光地モード。ここに博物館があるので見学する。展示されているのは歴代徳川将軍の甲冑。実用要素が強い家康の甲冑に対し、時代が進むにつれて実用性よりも装飾性の方が正面に出てきているのがよく分かる。またテレビでも放送されていた家康が薬を調合するのに使用した道具やネタ本も展示されている。これで家康は日々精力剤の調合に励んだのである。

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博物館

 博物館の見学を終えると本殿の方を見学することにするが、ほとんどの石段をロープウェイでショートカットしたとはいうものの、まだここからも石段は続いている。しかも山城時代の階段をそのまま使ったと言われているその石段は、最大で一段30センチ以上のところもあり、とにかく素直には登りにくいという代物。

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本殿の見学に向かう

 石段を登ったところに本殿があるが、これは確かに日光東照宮を連想させるような煌びやかでど派手なもの。朱・碧・緑・金と言ったキンキラキンのいかにも宗教施設らしい外観である(京都などの寺院がわびさびの風情があるのは古いからであって、本来は朱塗りのキンキラキンが寺や神社の基本)。日光東照宮に比べると規模は小さいが贅を尽くしているのは分かる。

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本殿

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唐獅子の彫刻

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これもかなり細かい

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なかなか派手

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絵画もあり

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とにかく随所に贅を尽くしている

 さらにその奥に家康を祀っている廟がある。かつての天下人も今は静かにここで眠っているわけだ。その脇にはひっそりと愛馬も祀られているようだ。さて彼が今、この迷走している日本の状況を見ればどう思うか。これはもう一度自分が天下を取って一からやり直さないとと考えるかもしれない。

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家康を祀る廟

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その傍らでひっそりと眠る愛馬

 なかなか見応えのある建物であったが、神社内に静岡らしく現代の仏像(ガンプラ)が奉納されていたのはなかなか笑えた。時代は変わるものである。

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静岡を代表する現代の仏像

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個人的にはこれが一番好き

 久能山の見学を終えるとロープウェイで日本平に戻る。帰りの乗客は行きの半分ぐらい。しかし日本平に到着したらロープウェイ待ちの客の列が数倍に伸びている。あの人数だと、最後尾は1時間待ち以上になるのでは。

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戻ってきた日本平はもっと凄まじいことに

 日本平に戻ってくると近くの展望台に登って風景を眺める。生憎と富士山方面は雲がかかっているようで全く見えないがなかなかの絶景。ただこの手の風景には数秒で飽きてしまうのも私の習性。これでするべきことは大体終えたし、次の目的地へと向かうことにする。

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展望回廊

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眺めは抜群

三保の松原・・・は断念

 次の目的地である三保の松原を目指して車を走らせるが、駐車場から出たところで駐車場に入るのを待つ車の行列に驚く。数十台単位で車の行列が伸びている。この連中がロープウェイに乗れるのは一体何時間後だろう? GW恐るべし。

 この行列を見たところで不吉な予感が頭を過ぎる。日本平がこのざまだと、比較的近くの三保の松原は・・・。三保の松原に向かう道路に到着したところで予感が的中したことに気づく。道路が延々と渋滞している。恐らくこれが駐車場の入口にまで続くことになるのだろう。この時点で三保の松原に立ち寄ることは断念する。どうせ今日は富士山は見えないようだし、またいつか機会がある時にということにして車をUターンさせる。

 今日の予定だが、後は今日の宿泊地である山梨方面への移動である。ただそろそろ昼時なので昼食を摂る必要がある。結局は考えるのが面倒なので途中で見かけた「はま寿司」に入店して寿司をつまむ。

身延山久遠寺 山中の大伽藍

 とりあえず昼食が済んだところで山梨方面に向かう。ただこのまま山梨に直行だと面白くないので、途中で身延山に立ち寄ろうと思っている。願うべくは身延山は日本平のようなことがないことを。

 身延山に向かって走ること1時間ほど。ここで私は予測が甘かったことを痛感させられるのである。久遠寺の門前町を走り抜けて、一番奥のロープウェイ駅最寄りの駐車場を目指したのだが、なんと駐車場から100メートル以上手前で大渋滞。どうも駐車場待ちの行列の模様。しかもこの道路がとんでもない登り斜面で、ブレーキを緩めるとオートマ車でも勝手にバックしてしまう状況。ここで前が進む度にチリチリと前進なのでひたすら坂道発進の連続である。私は左足ブレーキをアクセルと併せて車が後退することを防いでいたのだが、前の車は発進の度に豪快に後ろに数十センチ下がってから急発進するので危なっかしくて仕方ない。結局はこの坂道発進の連続を30分以上に渡って繰り返させられることになった。もしマニュアル車が混じっていたらドライバーは完全に左足が死んでいるところだろう。

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延々と続く渋滞の列

 ようやく駐車場に車を置くと、駐車場奥にある斜行エレベータで久遠寺境内に上がる。このままロープウェイに向かっても良いが、どうせならその前に久遠寺の見学をしておくことにする。

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駐車場から斜行エレベータで登る

 それにして大伽藍である。しかも下の山門からの石段がすごい。久能山も1000段を越えるとんでもない石段があるのだが、ここもかなりのものであり傾斜もきつい。高所恐怖症がある私はのぞき込んだら軽く目眩を感じるレベル。

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目眩がする高さ


 建物内を見学できるようなので寺院を一周する。中には就業中の僧侶などもいるようであるが、その一方で妙に観光慣れを感じさせる。この聖俗入り交じった奇妙な感覚は以前に福井の永平寺で感じたものと同じである。良くも悪くもお寺も「今風」になってきているんだろう。

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五重塔

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本堂

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伽藍の数々

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これは一体何なんだろう?

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キティも修行中の模様

 久遠寺を一回りするとロープウェイで身延山に登ることにする。ロープウェイはそう大きなゴンドラではないが、山上まで上る人間があまりいないのか大して混雑していない。標高が上がるにつれて背後に富士山が見えてくる。

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身延山ロープウェイ

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急角度で上昇する

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この絶景

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山上からは富士山も見える

 山上は展望台に売店などもある観光地。ここでよもぎ団子を頂くが、これがあえて串を切って渡すのがポイント。苦(く)死(し)を切り捨てる縁起物らしい。これで私も俗世の苦しみから解放されるか・・・ってこう書いてしまったら、成仏する意味になってしまうな。それはまだ少々早い。なお団子は香ばしくてなかなか美味かった。

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よもぎ団子

 ここの奥に久遠寺の奥の院があるのでついでにそれも参拝しておく。なおここの奥には日本アルプスを一望できる絶景の展望台もある。

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奥の院へ

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山門

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社殿

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南アルプスを望む絶景

 山上を一回りしたところで山を下りようと考えるが、売店内にロープウェイを待つ大行列が出来ていた。どうも山上に来ていた観光客がそろそろ帰り始めるピーク時間に当たってしまったらしい。何か今日はロープウェイで並ばされてばかりいる1日である。結局は20分程度ここで待たされて身延山から下りてくる。

 身延山を後にすると今日の宿泊地である石和温泉を目指すことにする。ただ私のカーナビの地図が古いせいで中部横断自動車道が全く存在しないので、Googleマップで場所を確認してから手入力で下部温泉早川ICを指定する。事前にマップをよく確認しておいたので幸いにして道に迷うことはなかったが、高速に乗った後は私のカーナビはしばし道なき道を走ることになっていた。

 途中で低速車につかえるなんてこともあったが、無事に甲府まで到着、ここからは渋滞気味の一般道を通って石和温泉を目指す。今日の宿泊ホテルは大江戸温泉グループのホテル新光。長期遠征ということで宿泊費に予算のしわ寄せが来ているので、本遠征ではここが一番の高級ホテルになる。現地に到着すると大きな建物が見える。この地域を代表する大型ホテルのようである。現地に到着すると駐車場が満杯で車を止める場所に困るぐらい。

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ホテル新光

 私のシングルルームは所謂旅館ぽくはない部屋だが、まずまず良い部屋。イメージとしては独身者の寮といったところ。もしかして元は従業員寮? 温泉旅館でシングル泊だと、もろに添乗員部屋で煙草の臭いが染みついているなんとこともよくあるので、これなら上々である。

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旅館っぽくはない部屋

 部屋で着替えるとまずは大浴場へ。石和温泉はアルカリ単純泉とのこと。ヌルヌル感はそう強くはないが肌当たりは柔らかい優しい湯。今日もなかなかに疲れたのでこれでたっぷりと疲れを抜く。

 入浴を終えて部屋でしばしくつろぐと、すぐに夕食の時間となるのでレストランへ。相変わらず大江戸温泉のバイキングは質量共に満足のいくもの。品数も多いし味もまずまず。今時の学校給食以下という伊東園などとは比べるべくもない。「圧倒的じゃないか我が夕食は」とギレン総帥もご満悦だし、「バイキングは品数だよ!」のドズル閣下も満足されている。

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圧倒的じゃないか我が夕食は

 一渡りを頂いてから、やはり山梨といえばほうとう、それにクラムチャウダーを頂いてからデザートで締め。久しぶりに死ぬほど食ったと言えよう。

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山梨と言えばやっぱりほうとう

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パイ入りクラムチャウダー

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デザートの数々

 部屋に戻ってしばしこの原稿の入力を行ってから再び入浴。体がとろけそうという感触。体の表面に疎水性皮膜が出来た感触で、一回目の入浴よりも明らかに体が濡れない。湯が体に絡みつかずにそのまま流れ落ちる感覚。

 かなり体に疲労が出てきたので夜の10時過ぎには就寝する。

遠江地区山城巡り&「屏風爛漫」at 静岡県立美術館

 起床は7時。今日から令和元年とのことで、テレビは相変わらずどうでも良いよう内容ばかり。とりあえずドタバタと身支度をすると朝食へ。朝食はオーソドックスな和食だが、食欲がイマイチの割には結構しっかりと食える。

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シンプルな和食

 部屋に戻るとシャワーを浴びてからチェックアウト。天気予報によると今日は午前中はどうにか天候が保つが、午後からは雨との予報。これは早い内に行動をしないといけない。

 今回の予定は遠江地域の山城攻略。以前にこの地域を回った時に未訪問になっている宿題の解決である。

横地城 国指定史跡の断崖上の城郭

 最初に向かったのは横地城。鎌倉時代からこの地を拠点にしていた横地氏が築いた城郭で、国の史跡に指定されているという。以前にこの地域をウロウロした時には、私の事前の調査不足でこの城郭の存在を知らなかった次第。

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横地城案内図

 現地に近づくと大きな看板が出ており、それに従って走ると絶壁の下の駐車場に案内される。横地城はこの絶壁の上とのこと。すぐ近くに登山道があり、そこを登ると10分とかからずに千畳敷の広場に出る。城の中心となる広いスペースである。なおここまで車道が通っており、確かにそう広い道ではないが、私のノートなら問題なく走れそうだ。体力に自信のない者なら車でここまで来たほうが良いだろう。ただヘロヘロの私でさえここまで登れたのだから、特に体に問題のない者ならこの城の堅固さを体感するという意味でも下の駐車場から歩くことを勧める。

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横地城は背後の断崖の上

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千畳敷

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その奥の横地神社

 このすぐ北に横地神社と西の城があるが、これは後回しにしてこの城の本郭である東の城を目指す。途中で中の城の脇を通るが、ここは東の城に向かう敵を食い止めるための関所のような位置づけ。通路が一列縦隊にならざるを得ない幅なので、完全に中の城から狙い撃ちされることになる。

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中の城では上から狙い撃ちされることに

 中の城の脇を抜けて細い通路を進むと目の前に東の城がそびえ立つ。中の城を何とか突破しても今度は東の城から狙い撃ちされることになっており、とにかく堅固である。東の城に登る通路は回り込んだ上に折れ曲がっており、横っ腹を何度も狙い撃ちされる構造になっている。

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正面の丘の上が本郭

 東の城は本郭とのことだが、見晴らしは良いもののそう大きなスペースではない。この東に牧ノ原台地にまでつながる一騎駆というまさに一騎しか通れない道が続くが、これも東の城から狙い撃ち。構造的には本郭と言うよりは東側の防御の拠点という気がする。

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本郭の面積は決して広くはない

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しかし見晴らしは良い

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狭い一騎駆けは本郭から狙い撃ちされる

 なおこの東の城の奥には井戸のある曲輪もあり、搦め手口のような構造も見える。もしかしていざという時の避難路?

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本郭下の井戸のある曲輪

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その脇には門らしき構造が

 再び千畳敷のところまで戻ってくると、今度は西の城に登る。ここは複数段の曲輪になっており、最上段の神社が建っているところが西の城。城全体を見渡せる位置にあり、下には大兵力を展開できる千畳敷。どちらかと言えばこちらが本来の戦闘指揮所ではという気がする。

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横地神社を登る

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数段の腰曲輪になっている

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祠のある最高所はそこそこの広さがある

 千畳敷からさらに西に進むと非常に深い谷を回り込むことになる。この谷には金玉落しとの名称があるが、ビビって男の玉を落とすという意味かと思っていたらさにあらず。昔、この城の兵隊に対する訓練として、ここに金の玉を落として直ちにそれを拾ってくるというものがあったそうな。断崖を駆け下りて足腰と度胸を鍛えるという訓練だろう。しかしこれは命がけだ。

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金玉落とし

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ここを駆け下りる気にはなれん・・・

 私はここから丑池の横に出るルートで降りてきた。このルートも見上げるような絶壁ばかりで圧巻である。総じて言えるのは、この城の周囲はとにかく断崖であるし、各曲輪を結ぶルートは細くて曲輪から狙い撃ちされるようになっており、標高の割にはとにかく堅固な構えの城であるということ。

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この手の絶壁が各所に

 とにかく見応えのある城郭であった。私の私撰100名城Aクラスと言ったところだろう。これは令和初っ端からついている。令和は私にとって実り多い時代となりそうである。

八幡平城 武田式の堀切などが見られる山城

 横地城の見学を終えると次は八幡平城を目指す。こちらは先の遠征の際に登城路を登り始めたものの、道の悪さと険しさと時間と体力に余裕がなかったことから撤退した城郭である。

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八幡平城縄張図

 八幡平城はこの地の領主の新野氏の詰城だったものを、1578年頃に武田軍が高天神城の軍道の押さえとして改修したものだという。想慈院の手前に看板と駐車場があり、そのすぐ近くに大手口の登城路がある。茶畑横のかなり急な道を歩くが、舗装してあるところを見るとここを軽トラが登るのだろう。さすがに軽トラ最強伝説。

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大手側登り口

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警告看板付き

 登城口から5分もかからずに分岐点に到着。ここから西に進むと馬場を過ぎて堀切にまで到達する。こんな高台に馬場?と思うが、当時の日本馬は背丈が低くて斜面に強い馬なので、このぐらいのところは上り下りしたかもしれない。現在のサラブレッドがスピードに特化したフェラーリだとしたら、当時の日本馬は最強の実用車・軽トラのようなものだから。

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この手の山道を登ることに

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馬場

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その奥の二重堀切

 分岐点に戻ってさらに進むと、横堀に沿って進む形になる。この上が本丸。本丸はかなり広いスペースであり、多くの兵力を置けそうである。直虎記念の植樹の跡などもあり、あの番組がきっかけで整備されたことがよく分かる。

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横堀に沿って進む

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本丸に到達、ここは広い

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大河ドラマ記念植樹

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奥は断崖の上に堀切もあり

 ここから奥の曲輪を経由して想慈院の墓地に降りてくるルートが帰りルートになるが、こちらは比較的気軽に登れたここまでのルートと違い、深い堀切を降りたり上がったりする登山ルート。本郭の奥からいきなりかなり深い堀切で尾根筋を断ち切ってある。こちらは一応ハイキング装備ぐらいはしていないといけないルート。見応えはあるがなかなか大変である。

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本郭から隣の曲輪に向けて降りる

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その先には二重堀切が

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隣の曲輪は広いが起伏がかなりある

 何度も堀切を降りたり登ったりしてヘトヘトになって何とか無事に想慈院の墓地までたどり着いた。思うに先の訪問の際、大手口ルートから進んでいたら多分途中で断念することはなかったろう。ただ問題は帰路。あの時の大分体にガタが来ている状態であの堀切の上り下りは、どこかで思わぬ不覚を取る可能性がかなり高い。やはりあの時の撤退の判断事態は正しかったか。

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その先もこの手の堀切が連続

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ヘトヘトになって想慈院口に降りてきた

相良城 田沼意次が築いた広大な城郭

 大きな宿題はこれで解決したので後は掃討戦である。次に立ち寄ったのは相良城。老中まで出世した田沼意次が居城にしていた城郭である。

 ところで私は歴史上でもっと正当な評価をされるべきと以前より唱えている人物が三人いる。一人は石田三成、二人目は明智光秀、そして三人目が田沼意次である。この内、石田三成はここ最近に急激に再評価が進んできたようだし、明智光秀についてもとうとう大河ドラマの主人公に決まったようである。となると後は田沼意次。賄賂政治家の代表のように言われるが、あれほどの濡れ衣はないと考えている。田沼が目指したのは重商主義であり、初期資本主義そのものであった。しかしそれは重農主義にガチガチに染まった保守派には理解できるものでなく、結局は田沼を汚名を着せられた挙げ句に失脚に追い込まれている。私は幕府を立て直せる可能性があるとしたら田沼の路線しかなく、あのまま田沼路線を突き詰めていれば、日本は広く海外に進出して、明治維新を向かえずに近代国家へ歩み出すことになってまた違った歴史が展開していただろうと考えている(海外での覇権を競ってイギリスと争うなんてこともあったかも)。実際に田沼に変わって権力を掌握した松平定信による寛政の改革は、時代とズレがありすぎて完全に失敗している。

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田沼意次

 相良城は老中に出世した田沼意次が築いた城郭で、大規模で天守閣まである立派な城郭だったらしいが、田沼意次の失脚後に徹底して破壊されている(この辺りに田沼に代わって権力を握った松平定信の陰湿さが現れているのだが)。その結果として現在は城の遺構は全く残っておらず、本丸跡に史料館があるのみである。ここの史料館では相良地域の歴史や文化を紹介する資料が多数展示されている。

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史料館

 現在小学校があるのが二の丸跡で、高校があるのが三の丸跡とのこと。辛うじて城の遺構と言えそうなものは、小学校の松林が生えているところが二の丸土塁跡と言われていることと、仙台河岸と言われる船着き場の跡ぐらいである。

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二の丸土塁跡の松

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仙台河岸

 相良城を後にすると次の目的地へと向かうが、その途中で昼食を摂る店を探す。「そばの岩久」という店を見つけたので入店。「カツ丼」を頼む。

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そばの岩久

 添えられているそばが非常に美味い。これはそばをメインのメニューにするべきだったと後悔。カツ丼については味付けが私の好みからはやや甘すぎるのが残念。結局は食欲が今ひとつなこともあって、丼は全部は食べられず。

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カツ丼はやや甘口、そばは美味い

田中城 今は完全に市街に埋もれた同心円状の平城

 昼食を終えると近くの田中城を目指す。田中城は今川氏が徳川に対抗するために築いた城郭であるが、徳川の世となってからは代々譜代大名が支配している。なお徳川家康が鯛の天ぷらを食べて体調不調になったというのはこの城郭においてだという。

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田中城縄張復元図

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田中城復元模型

 本丸を中心とした同心円状の構造を持つ珍しい城郭であるが、廃城後に城域は完全に市街に埋もれてしまった。ただ今でも住宅の並びなどにかつての縄張の痕跡はある。なお本丸に建てられていた物見櫓が、公園として整備された下屋敷の中に移築されている。

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田中城下屋敷

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物見櫓

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三の丸の土塁の一部

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馬出曲輪の跡

持船城(用宗城) 駿府の西を守る拠点の山城

 田中城の次は持船城(用宗城)に立ち寄る。持船城は築城年代は不明だが、戦国の今川時代には既に築城されていたという。今は内陸化しているが当時は海に面した城であり、山上にある水軍城だったらしい。要地であるため、今川・武田・徳川の三者で三度の攻防戦がなされたという。

 山に登る険しくて狭い車道があり、途中の駐車場に車を置いてから歩くことになる。ただ計算違いは思っていたよりもその山道が険しかったこと。またこの頃になるとギリギリ保っていた天候も完全に崩れて雨の中で足下がやや不安。これが完全に私の足腰にとどめになってしまった。

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持船城登り口

 山上は開けた曲輪になっており、静岡方面をはるかに見渡すことが出来る。ここは静岡の西の入口に当たる場所で、ここが落ちれば駿府まで障害物は最早安倍川ぐらいしかない。今川氏としては死守する必要のある城郭だったろうと思われる。

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山上の曲輪

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静岡方面を一望

 堀切を隔てて南側に曲輪らしきものが見えるが、雨がまた強まってきたこの天候の中で安全に登るルートが見つからなかったので、そちらの視察はやめておく。

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奥の堀切に降りてみる

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ここからは海の方向が見える

 静岡市に到着したが、まだ少々時間がある。そこでホテルを通り越してもう一カ所だけ立ち寄ることとする。しかし市内に到着した途端に一般道が大渋滞で、現地に到着した時には閉館時刻まで余裕がない状態。

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静岡県立美術館

「屏風爛漫」静岡県立美術館で5/6まで

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 屏風は日本独自の建具であり芸術品である。その屏風の立体的大画面を利用した作品を展示。

 展示品としては当館の目玉の一つである伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」。なぜか方眼を用いた独特の作品であり、若冲の奇想の一つの極致でもある。またその煌びやかで目を剥くような色彩も非常にインパクトの強さを持っている。まさに屏風という大画面で映える作品。

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樹花鳥獣図屏風右隻(複製品)

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樹花鳥獣図屏風左隻(複製品)

 またひたすら鶴の群れを描いている石田幽汀の「群鶴図屏風」なども以前に目にした若冲の群鶏図屏風などと比較すれば面白い。また会場内には「武蔵野図屏風」を畳に座って低い視点から眺めることが出来るコーナーなどがあり、これが面白い。この視点から見ると絵がこちらに迫ってくるような迫力がある。

 屏風の特徴としては単に大画面と言うだけでなく、その折れ曲がりを利用して絵に奥行きをつけるという効果もある。巧みに設計された風景画などの中には非常にそれを上手く利用した作品もあり、その辺りも注目に値する。

 

 これで今日の予定は終了したのでホテルに向かうことにする。今回宿泊するホテルは静岡ホテル時之栖。静岡の市街のやや東にあるホテルで系列に日帰り入浴施設もあるらしい。ホテル自体はフロント業務をかなり簡略化したビジネスホテルという印象。系列の日帰り入浴施設「天神の湯」で安く入浴できるのが売り。

 例によって全身汗だくのドロドロなのでまずは風呂に行くことにする。天神の湯は徒歩3分ほどのところにある。地元で人気があるのか大勢の客で賑わっている。なおこちらにも宿泊設備があるようなので、最初からこちらに宿を取るという方法もあるようである。浴場は一応温泉とのことだが、ナトリウム-カルシウム-塩化物泉とのことなので湯自体は大した特徴はない。しかし風呂が広くて設備も良いのでなかなかにくつろげる。

 風呂でサッパリした後は、この施設の二階のレストランで夕食を摂ることにする。頼んだのはざるそばとマグロ丼のセット。まあ可もなく不可もなくというところで、この手のスーパー銭湯の施設にしては良いほうでは。ついでに飲み物として日本平ソーダなるものを追加注文。どうやらソーダにミカンが入っているようで、やたらに酸っぱい飲み物である。

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夕食のざるそばとマグロ丼のセット

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日本平ソーダは酸っぱい

 さて他に何かないかとメニューをひっくり返していたら「薬膳餃子」なるものが目に飛び込んでくる。これを見ていると「人参餃子」消化促進、目のかすみ、視力低下、胃がん予防、美肌維持に効果的とのこと。この症状は正に私そのもの。これは注文しない手はなかろう(笑)ということで注文。出てきた餃子は結構オーソドックスで、特に変な味がするというわけではなくにんにくが入っていない分、むしろ私には食べやすいぐらい。さてこれで私も10年ぐらいは長生きできるようになったか(笑)。

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ん? これは

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人参餃子は意外にクセがない

 食事を終えるとマッサージチェアで思い切り体をほぐしてからホテルに戻る。こうなるとここ2日ほど体を酷使したツケで強烈な眠気がこみ上げてくる。この日も部屋に戻るとかなり早めに就寝することとなった。

浜名湖周辺山城巡り&「チェコデザイン」at 岡崎市美術博物館

 翌朝は7時まで爆睡していた。数日前から風邪をひいたようなのだが、やはり体調の悪さが尾を引いていて体がまだダルい。目を覚まそうとテレビをつけると、今日が平成最後の日とのことでそれ関係の番組ばかり。しかし私は平成だろうが令和だろうが関係ない。予定通りに日々を粛々と送るのみである。

 とりあえずシャワーで体に気合いを入れると、朝食を摂りにレストランへ。オーソドックスな和定食だが、こういう時にはこういうものが実は一番美味い。総合評価で行くとCP的に悪くないホテルだった。なお宿泊客に現場関係者が多いのか、朝の行動開始が早くて私が目覚めて朝食に行った頃にはほとんどの客が出払っていた模様。

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オーソドックスな和定食

 さて今年のGWの予定だが、東海地域を中心に山城ツアーのつもり。久しぶりに本格的な山城遠征である。ところで今日の予定だが、浜松地区の井伊家関連の山城を回るつもり。実はこの計画自体は昨年の7月に静響のコンサートを聴きに来たついでに実行したものだが、この時には7月の予想を超える灼熱地獄のために熱中症で死にかけた上、ミカン畑に迷い込んでレンタカーを傷だらけにしてしまって完全に戦意喪失、予定の半分も消化できずにスゴスゴと撤退という体たらくになってしまっており、今回はリターンマッチ。

 ただ気になるのは天候。関西では昨晩から雨だが、この雨は東海地域にも及んでいる模様。もしかなりの雨が降るようなら足下の怪しい中での単独登山は危険。場合によっては撤退も考慮しないといけない。もうここは出たとこ勝負で運を天に任せるしかない。

 ホテルをチェックアウトするとまずは岡崎を目指して走る。浜松に行く前に行きがけの駄賃で岡崎市美術博物館に立ち寄ろうと考えている。この美術館、岡崎ICの近くだが、市街からは外れた山の中という便利なのか不便なのか分からないところに立地している。途中はGWの渋滞が心配だったが、一宮辺りで若干の混雑に出くわしたが、特に大きな問題もなく予定通りに岡崎に到着する。

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湖岸の斜面に建つ岡崎市美術博物館

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展示室はエスカレーターで降りた下

「チェコ・デザイン100年の旅」岡崎市美術博物館で5/19まで

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 チェコは元々手工芸の発達していた地域であるが、本格的に芸術運動が花開いたのがアール・ヌーヴォーの頃。言わずと知れたアルフォンス・ミュシャ(チェコではムハ)の影響による。

 しかしその後の変遷が目まぐるしい。ヨーロッパがアール・ヌーヴォーからアール・デコに時代変化するのに呼応するように、チェコではチェコ・キュビズムと呼ばれる幾何学的なモチーフが全盛となり、これが工芸を中心にあらゆる分野に広がっていく。

 その後も結構目まぐるしくデザインの流行が変わるのだが、この時のチェコ・キュビズムの影響はかなり長い間底流として流れ続けているのが感じられる。チェコデザインの特徴としては、デザインのみに走るのではなく実用性を忘れないというところにもあるように思われる。洒落た手工芸品という位置づけを常に感じるのである。

 それが戦争を経て社会主義時代に突入すると急に暗黒時代となる。この頃に優秀なデザイナーの亡命なども相次いだようで、デザインの世界もかなり低迷するのであるが、その社会主義政権が倒れるとまさにビッグバンのように世界が変化し、西側の流行も取り入れつつ一気に前衛的なデザインが溢れるようになってくる。

 それにしても変化が目まぐるしいという印象であった。生物的曲線のアール・ヌーヴォーから直線の多い結晶的なキュビズムに大体10年でドラマチックに流行が変化するのだから驚きである。ミュシャが晩年にスラブ叙事詩を手がけていた頃には、既に彼自身が過去の人と見なされていて世間的にあまり注目されなかったということを聞いていたが、これだけ怒濤のように流行が変化していたらそれもさりなんと思われた。

 

 展覧会の見学を終えると浜松に移動することにする。まず最初に立ち寄るのは宇津山城だが、その前に昼食を摂ることにする。宇津山城に向かう途中で見かけた「めん処三河屋」に入店する。

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めん処三河屋

 注文したのは「うな重とざるそばのセット」。めん処を名乗っている店がウナギを出すのもおかしな話だが、まあ場所柄なんだろう。ウナギ自体は江戸前のかなり柔らかいウナギ。正直全く期待していなかったのであるが、存外まともではあった。なお本領であるはずのそばの方だが、これがあまり特徴なし。まあそんなに高い店でもないのでそれで良しなんだろう。

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宇津山城 今川氏による対徳川の要塞

 昼食を終えると宇津山城を目指す。ここは前回の遠征では山の下まで行ったものの時間不足で断念した城郭。浜名湖にせり出した山上にある城郭で、最初は今川氏が三河への侵攻を図るための拠点として築城し、桶狭間の合戦以降は独立を図る徳川氏の侵攻を食い止めるための拠点として整備されたという。徳川氏の手に落ちた後はしばしは戦略的に重視されなかったが、そのうちに武田氏の侵攻に対しての防御線としての価値から再整備され、その際に西部の城郭が整備されたという。

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宇津山城縄張図

 私は途中の駐車場に車を置いて歩いたが、山上の墓地まで車で登ることは可能で駐車場もある。そういう意味では訪問しやすい城郭。ただ問題は見学ルートに入ってから。一応見学路はあるのだが、整備がイマイチで足下が藪っている上にところどころ深い水たまりで寸断されている状態。しかも郭内は草ボウボウで全体の状況が把握しにくいということで、一回りはしたものの城の構造はよく分からなかった。

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この奥が宇津山城になるのだが・・・

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藪が深すぎて何のことやら

千頭峯城 南北朝騒乱の中での南朝方拠点

 宇津山城の次はここから北上した先にある千頭峯城。南北朝時代に南朝方についた井伊家が後醍醐天皇の皇子・宗良親王を擁して北朝方と戦った際、遠江の西を守る拠点として築いた城である。しかし北朝方の高師兼が率いる大軍の前で三ヶ月の激戦の末に落城、さらに本拠の三岳城、最後の拠点の大平城も相次いで落城して、南朝方の遠江での抵抗は終了となったとのこと。

 ただ正直なところ、現地の確認までは行くが登城は見送りかなという気もしていた。と言うのはやはり体調が悪い(少し歩いただけで吐き気はするし、正直心臓が止まるのではと思ったこともある始末)し、天候が悪い(先程からまた雨が強くなりだした)しとコンディションが悪いから。

 トンネルを抜けたすぐのところに千頭峯城の登山口の駐車場がある。向こうに見えている山頂が目的とする千頭峯城の模様。いざ現地に着いたところで進むべきか退くべきか悩む。距離、そんなに遠くない。高さ、まあ登ることは可能な高さ。天候・・・先程までの雨がやんで空が明るくなってきた。それを見た時に「えいっ、これも天啓!」と進むことを決意する。私のように日頃の行いの良い者は、こういう時に天が味方するのだろう(笑)。

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駐車場から望む千頭峯城

 いざ登り始めると足下はかなり整備されていて全く不安はない。これは進んで正解だったなと感じる。ヘロヘロの私でも10分程度で東曲輪に到着。それなりの広さのある曲輪群であり、これだけでこの城郭の規模の大きさを感じさせる。

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東曲輪

 ここから本曲輪へ登るのがなかなかに大変。とは言うものの、私も体調が万全ならそんなに難儀を感じないかもしれない。息を切らせつつ急斜面を登ると二曲輪、そこからさらに登った先がようやく本郭である。最高所の本郭はそれなりの面積もあり、この城の拠点らしき構えとなっている。

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二曲輪を経て

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本丸に到達

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本丸主要部

 この後は西曲輪を見に行ったが、二の曲輪は西曲輪の間の堀切は分かったものの、西曲輪自体は鬱蒼としていてイマイチ構造が不明だった。

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西曲輪の深い堀切

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しかし曲輪内部は何のこっちゃら

 これで前回からの宿題をもう一つ解決。もう時間も限られてきたし、何よりも体力の限界が見えてきた。今日の山城巡りはもう一カ所で終了とすることにする。となるとやはり重要宿題の一つ、三岳城を訪問することにする。

三岳城 井伊氏最後の籠城専用の堅城

 三岳城は井伊氏のいざという時の戦闘用城郭で、南北朝の争乱の際には本拠として用いた城郭である。その後の時代でも、井伊谷城では堅固さに不安のある際にはこの城郭に籠もっていたようである。

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三岳城縄張図

 千頭峯城から三岳城は車で30分以上の距離がある。三岳城は麓の三岳神社まで車で登ることが出来、そこから少し歩くだけ・・・と聞いていたのだが、これがいざ現地に到着すると本格的なハイキング路だった。これは想定外。もうヘロヘロになっている体にむち打ちながら山道を登るが、途中で右足が攣りそうになったりなどと惨憺たる有様。

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道はなかなかな険しい

 それでも10分以上をかけてようやく東曲輪との分岐点まで登ってくる。ここまで来ると本丸まではもう一登りである。とは言うものの、実はここがかなりの急斜面。気を抜いたらけがをしかねない。足がかなりがたついているだけに濡れ落ち葉で滑った時にふんばりが効かない。

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本丸と東曲輪との分岐点

 ようやく視界が開けるとそこが本丸。山上からは浜名湖まで一望である。かなりの高度があるので、最後のお籠もりに使ったのはよく分かる。

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本丸へ到着

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浜名湖まで見渡せる

 帰りに東曲輪の方にも立ち寄るが、こちらの内部は鬱蒼としていて構造がよく分からない。かなり奥に深そうだったが疲れていることもあって途中で引き返してくる。

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東曲輪の方は鬱蒼としすぎていて


 これで今日の山城予定は終了。正直なところ思っていた以上に自分の体がガタガタなのに呆れたが、それでも最低限の予定は達成できたということで良しとしよう。後は今日宿泊する予定のホテル玄まで車を走らせる。

 ホテル玄は浜松の市街から離れ、浜松ICの近くにある。二食付きの安価なプランがあったのと、今回は車なので浜松市街地に宿泊する必要はないと判断したことから選んだホテル。いざ現地に到着すると、部屋は広いし、大浴場もあり、ランドリーが無料で使用できるというかなりありがたいホテルである。とりあえずチェックインを済ませるとまずは今日の山城巡りでドロドロになった服をまとめて洗濯することにする。

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一般的なビジネスホテルスタイルの部屋

 洗濯をしている間に風呂。生憎とここは温泉ではないが(金でもあれば舘山寺温泉辺りで豪遊するところだが)、それでも手足を伸ばせる浴場は最高である。天竜川水系掛け流しと名乗っているが、要は井戸水を沸かしたのだということでは・・・。三岳城登城中に攣りかけた右足が、風呂に入った途端にこむら返りを起こしたのでよくほぐしておく。

 入浴してサッパリしたところでレストランへ夕食へ。夕食のメニューは天丼と刺身とのことだが、実際には小鉢も多数付いておりこれがなかなか美味い。また刺身に私の好きなホッキ貝が入っているのが泣ける。

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夕食は結構豪華

 宿泊料金のことを考えるとなかなか良い夕食だった。ホテル玄は東海地域のホテルチェーンらしいが、この地域にはくれたけインのチェーンもあるし、なかなかにホテル激戦地区のようだ。

 後はテレビをつけても平成云々ばかりなのでBDプレイヤーをつないで世界遺産でも見つつ時間をつぶす。そのうちに眠気が押し寄せるので、今日もかなり早めに就寝

尼崎城&スイス・ロマンド管弦楽団

 翌朝の朝食は「千成屋珈琲」に出向く。9時の開店の5分前に到着するが、既に親子連れが開店待ち。開店と同時に他の客もなだれ込んできてすぐに満席となる。

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ミックスジュース発祥の地

 私が注文したのはミックスジュースとナポリタン。懐かしい関西喫茶店朝食の定番である。このメニューを見ただけで昭和にタイムスリップしてしまう。昔は喫茶店のハイカラメニューと言えば、なぜかナポリタンスパだった。その伝統を受け継ぐ正しいナポリタンである。薄焼き玉子を下に敷いて、フライパンにパスタが焦げ付かないようにしてるのもうれしい。

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定番のミックスジュース

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昭和の喫茶店の定番ナポリタンスパ

 この喫茶店の欠点は禁煙でない(この辺りも昭和である)ということなのだが、今回は客に誰もニコチン中毒患者がいなかったようで快適に過ごせた。

 

 朝食を摂るとホテルに戻ってくる。出かける前にシャワーを浴びておきたい。ここのホテルの難点は男性用シャワー室が1つしかないことで、夜や朝は混雑して使えないことが多い。昨晩入浴を諦めたのもそれが原因。そこで1泊客はチェックアウトするこの時間帯を狙った次第。ただチェックアウト時だけにエレベータが大混雑して乗れず、5階から1階まで階段で降りる羽目に。

 シャワーで汗を流してサッパリすると出かけることにする。今日の予定は14時からザ・シンフォニーホールで開催されるスイス・ロマンド管弦楽団のコンサートだが、その前に寄り道をするつもり。新今宮から西九条まで移動すると、そこから阪神なんば線に乗り換える。目指すは尼崎。この度オープンしたという尼崎城を見学しようという考え。

 

尼崎城

 海と街道に面し、瀬戸内水運と街道輸送の拠点として幕府に重要視されていた尼崎城は、かつては広大な敷地と壮麗な四層天守を誇っていた。しかし明治になると建物は払い下げられて取り壊され、堀は埋め立てられてその遺構は完全に市街地に埋もれてしまい、今では近くの小学校に天守の模型が置かれているだけという情けない状態になっていた。しかしミドリ電化創業者の安保詮氏が「創業の地に恩返ししたい」と私財10億円を投じて天守を再建(残念ながら場所は元の位置と違う)、市に寄贈したらしい。それが完成して、内部を整備した上でつい先週から公開になったとのこと。

 鉄筋コンクリートにアルミサッシのなんちゃって天守ではあるのだが、それでも見た目はなかなか堂々としたもの。遺構が全く何もない状態よりは明らかに見栄えが良いし、市のシンボルとしても格好良いだろう。内部には尼崎城に関する展示がされており、入場料は500円。

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なんちゃって天守だが、なかなか見栄えは良い

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入口は南の方から

 最上階の5階は展望台だが、残念なことに見事に市街しか見えない。そこでバーチャルリアリティで往事の風景を再現して展示してある。

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最上階は展望台

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南側の風景

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CGで再現した往時の風景

 これ以外にも天守を描いた手ぬぐいの展示とか、火縄銃とかを使ったゲーム、侍になれるコスプレコーナーなんて行った定番どころに映像展示なんかもあって、尼崎市もまずまず力を入れている様子。リピーターが着くかは怪しいが、観光客なら一度は入っても損はしないだろうと思われる。

 

 尼崎城の見学を終えると小雨がぱらつく中を隣の大物駅までプラプラと散策する。この大物駅の近くには大物崩れの石碑が建っている。京都での戦いで敗北した管領の細川高国が巻き返しのために、先日訪問した三石城の浦上村宗を味方に付けて三好元長の軍勢とこの地で争う。しかし援軍のはずの赤松政祐が敵に通じたために細川・浦上軍は背後から急襲される形になって総崩れ、浦上村宗はこの戦いで命を落とし、逃亡した高国も捕まって自害させられる。これが大物崩れと呼ばれる戦いの全貌。なおこの戦いの後に播磨の覇者だった浦上氏は内部分裂もあって衰退、その間に宇喜多氏が台頭してくることになるという遠い播磨に影響を与えた戦いの跡である。

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大物崩れの石碑

 大物崩れ石碑からさらに足を伸ばすと、残念さんの墓と呼ばれる墓がある。これは長州藩士・山本文之助の墓だが、彼は蛤御門の変の時に大物で捕らえられ、留置されていたところで自殺したのだとか。その際に「残念で悔しい、もし悔しいことがあれば、自分に参れば1つだけ願いを叶えてやろう」と書き置きを残したそうな。それから彼は残念さんと呼ばれ、その墓を参れば願いが1つ叶うとして有名になったそうな。

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残念さんの墓

 さて私にとって残念で悔しい思いと言えば、やはり大抵は金にまつわる話。由緒正しいプロレタリアート家庭で生まれた私は、子供時代から今日まで金に不足したエピソードが事欠かない状態。さてここに参拝したことで私もブルジョワジーになれるかどうか。もしこれが本当になったらさらに参拝者が殺到しそうだ(笑)。

 

 ここまで見学したところで雨がさらに強くなってきた。大物駅から移動することにする。目的地はザ・シンフォニーホールなので阪神福島駅へ。福島駅と言えば、最近Googleがゼンリンと契約解除したことでGoogleマップの精度が落ちたとして騒ぎになっているが、実は阪神福島駅もマップから突然に消えてしまっている。多分隣にあるJR福島駅と勝手に「統合」されてしまったのだと思われる。以前はキチンと表示されていたのだが・・・。

 ホールへの移動の途中で昼食を摂る店を探すがどこもピンとこない。と言うわけで久しぶりに「上等カレー」で「カツカレー(1000円)」を頂くことに。相変わらず玉子が良く合うカレーである。

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福島の上等カレー

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玉子が良く合うカツカレー

 昼食を終えるとホールへ。入りは8割と言うところか。東京交響楽団のロゴが入ったバッグを持った客がいたが、関東からの遠征だろうか? ノットのファンか?

 

スイス・ロマンド管弦楽団

[指揮]ジョナサン・ノット
[ヴァイオリン]辻 彩奈

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
マーラー:交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」

 スイス・ロマンド管はかなり元気なオケのようであり、大音量でバリバリと鳴らすところがある。おかげで最初のコンチェルトはソロバイオリンが斉奏に埋もれる局面が何度かあった。辻のバイオリンはかなり技術が前面に出てくるタイプだが、技術だけで押し通すのではなく表現力も過不足がない流麗な演奏。

 メインのマーラーの6番は初っ端からスイス・ロマンドのパワーが炸裂した。冒頭からホールが鳴動するかのような重低音が響き渡る。猛烈なパワーでグイグイと押しまくる演奏で、それをノットも思い切り煽りまくる。大音量になるとホール全体が音で満たされる印象でパワー満々。ただしノットは単にパワーで押しまくるだけでなく、明確に表情を付けて明快な演奏を行う。だからただ単に大音量でがなっているだけの演奏ではなく、マーラーがこの曲に秘めた情感も伝わってくる。時折とてつもない切なさなどもこみ上げてくるシーンもある。そのおかげて実に魅力的なマーラーとなった。

 オケも指揮者もノリノリなのが伝わってきたが、客席の方もかなり盛り上がっていた。拍手が鳴り止まずブラボーも飛び交い、ノットが7,8回ほど出入りしたが収まらない状態。そこでオケが引き上げたがそれでも拍手は収まらずにとうとう一般参賀。このホールでの一般参賀はかなり珍しい。

 熱演と呼ぶのがふさわしい見事な演奏だった。満足してホールを後にする。たまにこういう凄い演奏に出くわすのがライブの醍醐味と言っても良い。こういう時は気分が高揚してスッキリする。


 コンサートを終わるまでに2時間半ぐらいかかっていたので、新今宮に戻った時には夕食時になっていた。夕食は「だるま」で串カツを頂くが、串カツばかりガツガツと食う気力もなかったので、おにぎり茶漬けを頂くことにする。これが意外にいける。

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いつものごとく串カツ「だるま」

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いつものごとく串カツ(最近は野菜系が多い)

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おにぎり茶漬け(おかか)

 夕食を終えるとホテルに戻るが、風呂には行ったらグッタリになってしまった。そこでかなり早いが明日の仕事に備えて就寝するのである。

備前三石城&岡山桃太郎温泉&江戸の奇跡 明治の輝き展(岡山県立美術館)

 今日は久しぶりの山城訪問に美術館を絡めようと計画した。目指す山城は三石城。JR三石駅そばに聳える山上にある山城である。私はここのところコンサート通いばかりが週末行動の中心となり、体が鈍りに鈍っていたのでリハビリ登山の意味もある。

 山陽自動車道をひた走り、備前ICで高速を下りて北上すると三石はすぐである。三石城の登城口周辺には駐車場はないので、少し離れたところにある運動公園の駐車場に車を置く。三石城には裏手から回り込む山道もあり、そちらの方が高低差が少ないので楽という情報もあったが、そちらは道のりが長いので片道1時間ほどかかると聞いているし、そもそも今回はリハビリ登山ということで麓から登ることにしている。

三石城

 三石城は1333年に地頭の伊東大和二郎が築城したことに始まる。その後赤松氏が備前守護となった際に浦上宗隆が守護代として城主となり、以降浦上氏の居城となる。後に浦上村宗の時に赤松氏との対立が決定的となり、三石城は赤松義村の軍勢に囲まれるがこれを退けている。しかし1531年、浦上村宗が天王寺の戦いで敗れて死亡(大物崩れ)したことにより廃城になったとのこと。まさに浦上氏と興亡を共にした城郭である。

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三石城登山口

 駅前の住宅街の中に三石城址登山口の案内看板まで立っており、登城口脇の民家の軒先に登城の栞まで用意されており、地元の方々のこの城址に対する思いが感じられる。登城路も険しい山道であるが概ね整備されていて、山城慣れしている者には全く何の不安もないがさすがにスリッパやハイヒールなどといったあまりに山を馬鹿にした格好だと命に関わりかねない箇所もいくつかある。また枯れ葉が降り積もっていて滑る場所もあるので、特に下山時には要注意である(実は私も下山時に一度滑って転倒している)。

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第二見張所

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まだ高度が不十分


 登り初めて5分も経たないうちに第二見張所と書かれた場所にたどり着くが、ここはまだ高度もそれほどないので単に見張所というよりは、兼登城口の番所といったところか。

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険しい山道をひたすら登る

 ここから本格的に山道を登ることになる。しかし険しい箇所にはロープやチェーンも張られているし不安はない。もっとも足下が崩れることが考えられるので、悪天候下での登山強行は避けるべきだろう。

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第一見張所

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ここは高度が十分

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目指す山頂はそこ

 20分ほどで第1見張所の看板にたどり着く。反対側が本丸への近道とのことだが、とりあえず第1見張所に立ち寄ることにする。少し下るがすぐに見晴らしの良い場所に出る。こちらは先ほどの第二見張所よりも高度があるのでかなり見晴らしは良い。また向こうに山頂も見える(後これだけのぼらないといけないのか・・・)。

 

 先ほどの分岐に戻ってくると、本丸への近道というルートを登りかけてふと考える。近道と言うことはもう一本の看板が出てないルートは遠回りということだが、確かこの城は一番の見所である大手門があるはず。多分そちらの方が大手門に立ち寄るルートだと判断して、そちらの看板のない方の道に進む。するとドンピシャ、数10メートル進んだところで「大手門→」の看板がある。しばしほぼ高低のない道を進むと大手門の立派な石垣が目に飛び込んでくる。

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大手門の立派な石垣

 大手門の裏手には枡形まであるようである。かなり本格的な曲輪。ここからさらに登っていくと、三の丸に出るのだが、三の丸の手前には馬場と表記された帯曲輪まである。とにかくこの三の丸は山頂にも関わらず結構広いので、ここに家臣の屋敷などを配置することは十分可能である。

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三の丸脇の馬場跡は奥に深い

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二の丸跡も結構広い


 ここから奥に進むと二の丸。三の丸よりは狭いがそこそこの面積がある。ここには倉庫などを配するところか。

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本丸は立派な屋敷を構えるに十分

 その奥の一番高いところが本丸であるが、これが想像以上に広い。さぞかし立派な屋敷を構えることが出来たであろう。この地に覇を唱えた浦上氏の本拠に相応しい城郭である。石垣なども使用しているし、往時にはかなりの威容を誇ったのは間違いない。また本丸周囲は結構切り立っており防御も鉄壁。井戸もあちこちにあるので水の確保も万全と言うことで、まさにこの地を治めるのには格好の城郭である。

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三の丸の石垣

 帰りは三の丸の先端まで行って三の丸の石垣を見学。こちらもかなり立派である。ここから下りてくると先ほどの「本丸への近道」の標識の所まで下りてくる。この道は登るのはともかく、下りる方はかなり注意しないと足下の危ない険しい道だったので、つまりは見学時にはこちらを登って、帰りに大手門から下りてくることを想定しているのか。確かにそちらの方が無難ではある。

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千貫井戸は今も水を湛える

 帰路では往路で無視した千貫井戸にも立ち寄ることにする。底無し井戸との表記があるが、本当に底無しなほどに深いのかは定かではないが、今でも水を湛えていた。

 下まで降りてきて車の所に戻った時には昼を過ぎていた。久しぶりの登山なのでかなり体に堪えたが、ゲーゲー言いつつ途中休み休みだが本丸まで40分程度で到着したのでまずまずだろう。それにしても立派な城郭だった。これは続100名城に準ずると言っても良いぐらいの城郭では。それに地元による整備が良好であることも無視できないところ。

 

岡山桃太郎温泉

 もう昼時だし、かなり汗をかいたしということで昼食と風呂にしたいところ。どこに立ち寄るかと考えた時に頭に浮かんだの岡山桃太郎温泉。そこで車をそちらに向けて走らせる。とりあえず昼食は桃太郎温泉館の隣にある「御食事処ひなせ」「みやび弁当」を頂くことに。いかにも仕出し屋弁当的であるが、オーソドックスに美味い。

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御食事処ひなせ

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オーソドックスな和食です

 昼食を終えると隣の桃太郎温泉館で入浴。ここは泉質はアルカリ性単純温泉ということでそう特別な泉質ではないが、湧出量が毎分320リットルもあるということで、その豊富な湯で全浴槽を源泉掛け流しにしているという贅沢さ。また驚きはカランまで温泉水だということ。最近は源泉掛け流し浴槽にする入浴施設は増えてきたが、カランまで温泉が出るという所はあまり聞いたことがない。こんなことが出来るのも十二分な湧出量があるから。また湧出温度が41度なので全く加温加水が不要というのも奇跡のような温泉である。

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桃太郎温泉館は大衆演劇鑑賞や宿泊も可

 掛け流しの露天風呂でゆったりと体をほぐす。まさに極楽気分である。もう既にかなり両足がダルくなってきているので、とりあえずそれをほぐしておく。

 

 汗を流してサッパリしたところで岡山まで走ることにする。そもそも今日の目的は山城だけでなく、美術館との二枚看板である。

 

「江戸の奇跡 明治の輝き-日本絵画の200年」岡山県立美術館で4/21まで

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 最近評判の江戸絵画から幕末の動乱を経ての明治の絵画まで日本の絵画を概観しようという企画。伊藤若冲、曽我蕭白辺りから始まって、竹内栖鳳、横山大観などに至る蒼々たる面々の作品を展示している。

 最初は江戸絵画から、ここでは伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、鈴木其一といった奇想系に加えて、円山応挙や酒井抱一などの王道の正統派も加えている。先の奇想系画家については現在東京で大規模展覧会開催中なので作品があるのだろうかと心配していたのだが、寺社所有や個人蔵の名品を集めており、伊藤若冲などなかなかの秀品多数。個人的には一番面白かったのは芦雪の「蹲る虎図」。虎というか猫が丸まっているような妙に愛嬌のある作品でまさに芦雪の面目躍如。また応挙の精密な孔雀、酒井抱一の鮮やかな屏風などは非常に目を惹く。

 さらには与謝蕪村、池大雅といった文人画に洋画の要素を大胆に取り入れた司馬江漢の作品、そして奇想の系譜展では無視されていた葛飾北斎の作品も展示されている。

 明治になると横山大観、菱田春草といった面々の朦朧体に、何やらいつも楽しげな富岡鉄斎、さらには京都画壇の竹内栖鳳、上村松園と行ったところの名品が多数。

 予想していた以上に作品のバリエーションがあり、さらにはそのレベルも高いものであった。地方美術館の企画といささかなめてかかっていたのを反省。

 実に見応えのある内容であった。これを東京で奇想の系譜展を開催中にぶつけてくるのがすごい。確かにあちらはインパクトのある作品が多かったが、網羅性ではこちらの方が勝っている。

 

 美術展を楽しんだ後はここの喫茶で展覧会と連携した特別セットを頂いてホッとする。ここの珈琲は本格的とはほど遠いものだが(インスタントではないかと思っている)、珈琲を飲み始めて日が浅い「違いの全く分からない男」の私には本格的な珈琲よりもむしろ口に合う。

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喫茶でマッタリ

 展覧会を楽しみ、お茶も楽しみ、久々に体を動かして清々しい気分で帰途についたのである。多分、私の足腰に地獄が訪れるのは明日の午後ぐらいだろう・・・。