徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

福島周辺の城郭を見学してから、スカイマークで帰還する

大森城に立ち寄る

 高速を突っ走ること1時間ちょっとで福島西ICに到着。ここで高速を降りるとレンタカー返却の前に寄り道。そもそもわざわざレンタカーの返却を福島にしたのは、福島周辺の山城に寄ろうと考えていたから。当初予定では数カ所目標があったのだが、喜多方で予定以上に時間を費やしたので立ち寄り先を絞ることにする。立ち寄ったのは福島西ICの南東にある大森城跡。

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大森城遠景

 現在は公園化しているようだ。現地に到着すると頂上が平な独立丘陵であり、城を築くには格好の地形である。大森城がいつ建造されたかは定かではないが、この辺りを治めている者だったら誰でも「ここに城を築こう」と考える地形であるので、かなり古くから城郭が建造されたのは間違いなかろう。歴史に残るところでは伊達家14代の稙宗と15代の晴宗の争いの際に晴宗の弟の実元がここに入ったという。その後、嫡男の成実に大森城は譲られ、後に成実の二本松城移転に伴って片倉景綱が城主となるが、一貫して伊達氏の重要戦略拠点であったらしい。政宗が秀吉によって会津を没収された後は、蒲生氏郷配下の木村義清がこの地を支配するが、彼は居城を福島城に移して大森城は廃城になった。しかし氏郷の死後に上杉景勝が会津領主となったことで大森城には再び上杉家臣の栗田国時が入って復活、栗田国時が徳川に付こうとして討たれた後には芋川正親が城主となって以降、芋川氏に受け継がれることとなり江戸時代を迎える。しかし上杉綱勝急死後の騒動で上杉家は領地半減され、この地は幕府直轄領とされることになって大森城は廃城となったとのこと。

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ようやく登り口に到着する

 登り口が分からないので丘の回りを一周してみる。南の方に狭い道路があったが、これはハズレで麓にある墓地に行くための道。散々な思いをしてようやくまともな道路に抜けてから東側を回ると、こちらにキチンとした登山道が整備されていた。狭くて急な道ではあるが、積雪していたり対向車がやって来たりしない限りは走行に不安のない道路となっている。

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山頂はかなり広い公園

 

 山頂は公園化でかなり加工されているようであるが、それでもかなり規模の大きい城郭であったことは覗える。伊達氏が拠点としていたことも頷ける。最高所が本丸であり、それを挟んで南北に曲輪らしき構造が覗える。本丸南側には今でもそれと分かる空堀跡が残っている。

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本丸南側

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かなり明瞭な空堀跡

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本丸

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ここにもかつては段があったように思われる

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城跡碑

 

 北側の曲輪は特に公園整備がされていて、一番北端には展望台まで建っている。この曲輪だけでもかなりの規模である。本丸との間は今はなだらかな斜面となっているが、かつては切岸などの防御機構が完備していたはずである。

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本丸北の曲輪

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完全に遊園地化

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何やら展望台も建っている(冬期閉鎖中)

 南側は今は駐車場にもなっている広場だが、これはかなり地形改変がされているとみられ、曲輪がどういう構造になっていたかは想像できない。ただしこの南側に大きな曲輪があったとすれば、優に数千人規模の兵を収容できる規模の城郭である(逆に言うとその規模の兵がいないと守りにくくもある)。恐らく本丸南側には現在も残っている空堀を始めとして、厳重な防御機構が幾重にも完備されていたと推測される。この城郭は東西はかなり切り立った地形をしているので、防御のポイントとしては南北方向になる。北側が城の大手だとすると、防御の弱点となりそうなのはこの南側である。

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本丸東部に移設された古墳

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本丸南は地形改変が激しくて往時の姿は分からない

 

福島城の痕跡を辿る

 大森城の見学を終えると福島県庁に向かう。といっても県庁に用事があるわけではない。この県庁のある場所こそがかつでの福島城跡。ここには最初に杉妻城という城郭があったが、伊達時代にはあくまでこの地の中心は大森城であった。蒲生時代に木村義清が大森城からここに拠点を移して福島城と改称、その後この地域の拠点城郭として機能し、幕末までは福島藩板倉氏の居城となったという。阿武隈川流域の水城であり、城下町の発展などを考えると木村義清がここを拠点にしたのは頷ける。明治以降はそのまま政庁となり、遺構は完全に破壊されることとなってしまったが、現在でも往時の土塁の一部が県庁の南に残っているとのこと・・・なので、県庁の駐車場に車を置くとその土塁を見学に行く。

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福島県庁

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裏手のこの土盛が土塁跡

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土塁跡

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土塁の一番端

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すぐそこに阿武隈川が見えている

 確かに土塁であることが分かる土盛があるが、経緯を知らなければ「なぜこんなところにこんな土盛があるんだ?」で終わってしまうところだろう。城跡は大抵はその後は神社になるか、学校になるか、政庁になるかのパターンが多いが、特に幕末まで残った城郭は大抵はそのまま市役所や県庁になるパターンが多い。そして大抵一番遺構の破壊度合いが大きいのはこのパターンである(政庁は時代に合わせての建て直しが多いので、その度に遺構が破壊される)。

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これを見ると遺構はほぼ破壊されているのが分かる

 

仙台で夕食を摂ってからスカイマークで帰る

 これでもうそろそろタイムアップなので車を返却することにする。車の返却手続きを終えると福島駅まで送ってもらって、そこから新幹線で仙台に移動する。

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福島駅は何やら工事中

 仙台に移動すると空港に行く前に夕食を摂ることにする。が、仙台駅前にはあまりあてがないこともあって、結局は仙台駅の中のエスパルの飲食店をブラリ、「センダイエキ天海」に入店することにする。地元料理を食べさせる海鮮系居酒屋と言ったところ。「牡蠣フライ定食」に「寒ブリの刺身」を追加する。

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センダイエキ天海

 やはりこのシーズンは牡蠣フライが美味い。疲れた時に精をつけるにはこれが一番。そして厚切りの寒ブリ刺身も美味。駅の飲食店としてはまあ上々なのでは(この2点で2400円ほどなのは、やはり場所柄CPはその程度になってしまうが)。

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牡蠣フライの定食

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寒ブリの刺身(かなり厚切り)

 夕食を終えた後は仙台駅で土産物を買い求めてから空港線で仙台空港に移動する。そしてスカイマーク便で帰宅と相成ったのである。

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仙台空港へ移動

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帰りのスカイマーク便

 前半は東京でのコンサートと展覧会を押さえてから、後半は福島地区の温泉保養ツアーに山城を絡めた遠征となった。まだまだ未訪問の見所のある城郭は意外に有るものだと感じると共に、福島地域の温泉のポテンシャルの高さを感じた遠征でもあった。郡山市街にあんな良質な温泉があることも驚きだったし、岳温泉の泉質の良さも記憶に残った。まあ芦ノ牧温泉は今後会津若松地域訪問の際の選択肢の一つとなることだろう。福島は良いところである。つくづくあの愚かな事故が恨めしい。

 

鶴ヶ城を見学してから、芦ノ牧温泉で一泊する

数年ぶりに鶴ヶ城を見学する

 東山温泉を後にすると鶴ヶ城に向かうことにする。昔に一回りしたことはあるが、やはり大分忘れているので再訪問。

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北出丸の虎口を通って城内に入る

 西出丸の市営駐車場に車を置くとそこから本丸の帯曲輪に接続しているが、とにかくここの間の石垣がすごい、かなり厳重な門で固めていたことが伺える。

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西出丸の虎口もかなり厳重である

 しかも西出丸を経由しても北出丸から入ってきても帯曲輪の同じ場所に出るのだが、そこは天守の真正面になる。つまりは城内に進入した敵は天守からの容赦ない銃撃にさらされることになるのである。しかも右手に見える鉄御門は見るからに堅固。簡単に打ち破れるような門ではない。ここに来るまででも大分消耗した敵軍は、この門を見ると絶望感にかられるだろう。

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西出丸からも北出丸からも天守の正面に出てくる

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向こうに見える鉄御門はこの厳重さ

 

茶室麟閣を見学

 本丸の内部には茶室麟閣があるのでここを見学。こじんまりとした庭園であるが雪のおかげで風情がある。茶室見学ついでに抹茶で一服。最近すっかり抹茶づいている私である。

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本丸内部にある茶室

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茶室

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こじんまりとした庭園

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お抹茶で一服

 

本丸を取り囲む高石垣

 それにしても本丸内に入ると周りを取り囲む石垣の高さが尋常でないことを感じられる。石垣の上に登ってみるとさらにその高さを感じることができる。しかも要所要所には櫓台があり、石垣にとりついた敵(その前に幅広い堀を超える必要があるが)がいたとしても横矢をかけられるようになっている。二の丸との間は廊下橋でつながっているが、この橋についても茶壷櫓から横矢をかけられるようになっている。また廊下橋を渡った先は枡形虎口が待っていて、そこを突破してもグルっと回らないと本丸への入口には到着できず、その間ずっと本丸からの攻撃にさらされることになる。

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荒城の月碑がある

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石垣上の月見櫓

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こちらは茶壺櫓

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廊下橋に横矢をかけられるようになっている

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廊下橋の先の虎口

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石垣裏の武者走り

 

 改めて見学してみるとさすがの堅城である。私が攻め手なら、こんな城を力づくで落とすことは断念する。だからこそ戊辰戦争でも会津藩は最後の最後まで本土決戦で徹底抗戦できたのだろう。外部からの援護を全く期待できない絶望的な状況で会津藩は城にこもって1か月に渡って抗戦、最後は降伏して開城している。天守閣は砲撃でハチの巣にされたらしいが、最後の最後まで力づくでの攻略はできなかったのである。

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天守の内部は博物館である

 天守は博物館になっていて中に入ることができるが、これは以前に2回ほど入ったことがあるのでやめておく。内部には「ジャニーズ系でない白虎隊隊士の肖像」が展示されている。

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天守前の茶店で甘酒で一服

 天守を眺める位置にある観光案内所の茶店で甘酒で一服。今日のような寒い日はやはりこれに限る。ホッとする気がする。

 

芦ノ牧温泉で宿泊する

 久しぶりに鶴ヶ城を堪能したところで今日の宿泊地の芦ノ牧温泉に移動することにする。芦ノ牧温泉へは会津若松からまっすぐ30分弱ほど南下するだけ。阿賀川の断崖にへばりつくような位置に芦ノ牧温泉は位置している。私が宿泊するのは芦ノ牧温泉の一番手前にある不動館小谷の湯。

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不動館小谷の湯

 結構大きなホテルだが、どことなく閑散としている。どうやらかつてのフルサービスの大型豪華ホテルが昨今のレジャーの多様化による各地の温泉地の苦戦の中で、サービスを軽減して生き残りを図っているようである。人員は最低限にしている模様で、部屋には既に布団が敷いてあるという状況である。余計なサービスなど不要の私にはこの方が心地よい。

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既に布団が敷いてある客室

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オーソドックスな和室だ

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窓からは向かいのホテルが

 そう言えばここに来た時に私は名乗った記憶がないのだが、向こうはこちらが誰かを既に把握していたようである。これは後で分かったことなのだが、どうやら今日の予約客は数組で、一人客は私だけだった模様。車に乗っているのが一人だけだったので誰か分かったのだろう。

 

芦ノ牧温泉の湯を堪能

 まず何はともあれ大浴場に入浴に行く。大浴場は内風呂と露天風呂があり、露天風呂からは対岸の断崖が見える。泉質はカルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉とのことで弱アルカリ泉のようだが、無色・無味・無臭で浴感はかなりあっさりしている。やはり東山温泉の泉質と類似している。湧出温度が55℃とのことであるから高温泉である。そのせいでもないだろうが、内風呂の湯はやや熱め。湧出量が毎分40リットル以上と十分に多いことから、源泉かけ流しにしているようである。

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内風呂

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露天風呂

 とにかく体が温まる湯という印象。いかにも雪国向きである。入っていると体の血行が良くなってくるような気がする。

 入浴してくつろぐとまた原稿執筆(笑)。そうこうしているうちに夕食の時間になったので食堂に出向く。

 

豪華な夕食に舌鼓

 夕食はズラリと並んだ会席料理。これが美味いし豪華。しっかりと高級ホテルの味がしているこれは正解だ。私はさらに別注で鮎の塩焼きをつけたのだが、量的にはこれは余計だった。

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見事な会席料理

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腕物はビーフシチュー

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刺身に

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鍋物

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これは陶板焼き

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別注した鮎の塩焼き

 しかもこれだけでなく、追加で料理が運ばれてくる。ご飯には小さなうなぎが一切れついたミニうなぎ丼になっていて、最後はデザートのムースまで。質量的にもかなり満足で堪能できる内容であった。

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茶碗蒸しに凌ぎのそば

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天ぷら

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ミニうなぎ丼

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デザートのムース

 久しぶりにいささか食いすぎた。消化がなかなかできない(下手すると食べたものが戻ってきそう)ので部屋に戻るとしばし布団の上に横になって落ち着く。しばらくしてようやく収まってきた頃を見計らって再び入浴に行く。

 相変わらずの熱湯である。背中がチリチリするぐらい。露天にも行ったが、さすがに0℃辺りの凍るような外気中での温湯は、体が引き締まるを通り越して激烈に心臓に悪そうな感じであったので、内風呂の方に引き返してくる。温度が高すぎて目が覚めるような湯である。

 目が覚めたところでまたしばし原稿執筆を行う。ただ今日も昨日に比べると全く動いていないに等しいが、雪の山道走行で精神的に疲れたのか集中力が低下してくるので、適当なところで見切りをつけて就寝する。

 

数年ぶりに二本松城見学後、岳温泉で宿泊する

二本松城近くの飲食店で昼食

 二本松城が見えてくる。正面には門が復元されていてかなり立派。一気にテンションが上がるところだが、その前に昼食を摂っておく必要がある。

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二本松城

 立ち寄ったのは二本松城近くの「戒石茶屋」「そばとソースカツ丼のセット」を注文する。

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二本松城近くの戒石茶屋

 ヒレカツのソースカツ丼がなかなかに美味い。そしてそばの味も良い。観光地食堂と侮っていたがなかなかである。これは想定外。

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ソースカツ丼とそばのセット

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食後のコーヒー付き

 

二本松城に登る

 満足して昼食を終えると二本松城に登城することにする。車は三の丸の駐車場に置いてから、山頂の本丸を目指すことにする。

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三の丸

 二本松城は山を丸ごと城郭にしている形であって、山頂の本丸まではかなりの距離がある。正直なところ今日は山城連荘で足が終わってしまっているのでかなりキツイ(特に小出森城が決定的にキツかった)。

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本丸に向かって上る

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遠くに見える本丸

 あちこちに曲輪の跡があり、全山が要塞だったことが分かる。公園整備されているので、場所によってはウッドチップを敷き詰めた遊歩道になっていたりする。

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途中にある井戸

 そのうちに本丸の石垣が見えてくる。テンションが一気にマックスまで跳ね上がる瞬間である。非常に見事な石垣であり、これは「見る者に与える心理的効果」までを考慮した建築であろう。石垣を手掛けたのは穴太衆とのこと。

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本丸下の石垣

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本丸直下の乙森

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乙森から見た本丸石垣

 

 本丸はこの石垣の上である。本丸を取り巻くように櫓台や天守台があり、往時にはかなり壮観だったろうことが想像できる。

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本丸虎口

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櫓台城から本丸を眺める

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櫓台城から天守台を眺める

 本丸見学後は裏手の搦め手門を経由して洗心滝やるり池などの庭園部を経由して戻ってくる。この城の水は遠くの水源から尾根筋を用水で引っ張ってきているとのこと。この水は城下の灌漑にも使用され、この地の収穫を増すのに貢献したらしい。山城に不可欠の水の手も十二分に確保してあるということである。

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搦め手門

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洗心滝

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傘松

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るり池

 

 車のところまで下りてくると、再び三の丸の門のところに舞い戻る。城の正面には二本松少年隊の像が建てられているが、少年隊といってもジャニーズは関係ない(当たり前だ)。戊辰戦争において、彼らは主力が出払っていて空城同然だった二本松城を守るために出陣した少年兵である。だが彼らの奮戦も空しく二本松城は落城する。白虎隊と同じようなことが二本松でも行われていたということである。

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二本松少年隊の像

 戊辰戦争で二本松城は灰燼と帰したのであるが、昭和57年に寄付などによる2億円の費用をかけて復元されたのが現在の箕輪門であるとのこと。なかなか立派な門であり、十万石の大名の威を示すに十分なものである。大手門らしくかなり厳重な虎口の構造になっている。

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復元された箕輪門

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門の奥にも虎口構造

 久しぶりの訪問の二本松城だが、以前の訪問時にはかなり駆け足で全体を回ったこともあって、今回こうして再訪すると詳細をほとんど忘れていたことに気が付いた。やはり初期に回った城郭は今から考えると見方が浅かったようでもある。これからも折に触れて主要な城郭は再訪問することも考えた方が良さそうだ。

 

岳温泉に向かう

 これで予定していた山城は回り終えたので今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊する予定は岳温泉。岳温泉の空の庭リゾートを予約している。岳温泉は二本松のほぼ真西。大して時間を要せずに到着する。

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空の庭リゾート

 なかなか綺麗なホテルだが、私の部屋はやや変わった部屋。添乗員部屋なのだろうか? どうも通常の客室とは少し違う気がする。まあシングル部屋があるだけでありがたいが。

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一風変わった風情の私の部屋

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機能的ではある

 

 部屋に荷物を置くと何はとりあえず入浴である。ここのホテルは内風呂と露天風呂がある。岳温泉は離れた位置にある泉源から引き湯しているようである。泉質は単純酸性温泉とのことで、若干の白濁はあるが無味・無臭である。ただ析出物(いわゆる湯の華)や溶存ガスが結構多いようである。酸性泉なので肌辺りはやや強めであるが、非常に快適な湯である。

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内風呂、ガラスの向こうが露天風呂

 内風呂で体を温めると、露天風呂に入りに行く。雪がちらつく中での風情のある入浴。まさに極楽。

 

 入浴を終えると部屋に戻って今日のデータ整理。温泉ホテルでありながらWi-Fi完備というのはありがたいし、テレビもBSまで映るので機能的である。作業を諸々しているうちに夕食時間がやってくるのでレストランへ。

 夕食はセミバイキング方式。鍋物とオードブル的な皿、それに天ぷらがついて後はバイキングである。これがなかなかいろいろあって美味い。しかもありがたいのはバイキングのおかげで最初からご飯をモリモリ食べられること。これは酒を飲まない私には非常にありがたい。

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最初はこのプレートが

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鍋付き

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バイキングを取ってくる

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デザートもあり

 メインからデザートまでしっかり堪能して戻ってくると再び入浴。予想通り大浴場は貸し切り状態だったのでしっかりと湯を堪能する。

 再入浴後はテレビを見ながら執筆作業。ただ夜になると昼のハードな行程の疲労がかなり出てくる。iPhoneのヘルスケアを見てみると、歩数は13000越えぐらいであるが、上がった階数が何と87階。道理で足腰にダメージが来ているはずである。疲労で集中力が限界になってきたこともあって、この日は早めに就寝することにする。

 

郡山周辺の未訪問山城を順次攻略する

 翌朝は7時に起床する。不思議なことに昨日よりも体の重さは解消している。今日はこの近辺の山城を回る予定なので、昨日のだるさを引きずっていたら大変だと思っていたが、これなら思う存分山城巡りをできそうだ。昨日の温泉が効いたのだろうか?

 目覚めるとまずは朝風呂。加熱温泉でゆったりと体を温める。これぞまさに極楽気分。小原庄助さん万歳!

 朝風呂を済ませるとレストランでバイキング朝食。特別なものではないがまずまずではある。とにかく燃料補給。

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バイキング朝食をガッツリ頂く

 部屋に戻ると荷物をまとめて9時前にはチェックアウトする。昨晩雪が降ったのか、地面にはところどころ雪が積もっているが、まあ歩くのに困るほどではない。これからはレンタカーで移動する予定にしているが、車の方はいつものようにたびらいを通して手配している。これから駅前のタイムズレンタカーでデミオを借りることになっている。これが今日からしばらく私の愛車になるわけである。

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どうやら雪が降ったらしい

 

三春の常盤城を見学

 車を借り出すと最初に向かったのは三春。以前にこの辺りの城郭は視察しているのだが、常盤城だけが時間の関係で割愛されていたので、今回はまずは宿題の解決である。郡山では雪はちらつく程度だったのだが、三春が近づくと積もっているところがあちこちにある。私が借りたデミオはスタッドレスを履いているので雪も特に問題はないが、それよりも雪が溶けてベチャペチャになった路面があちこちにある方が問題。レインコンディションはスタッドレスタイヤが最も苦手とするところ。実際に走っていて覿面にグリップが低下するのが分かるので運転は慎重を要する(雪上の方がグリップが良い)。しばし走っていると、前方で超トロ車(40キロ制限の道路で20キロぐらいで走っている)がバスを率いて大名行列。あれは後ろのバスはたまったもんではないだろう。多分ダイヤはガタガタである。途中でようやく駐車場に入ったので見てみたら、今何かと話題の高齢者ドライバーだったようだ。あの運転の様子では、間違っても高速に乗ろうなんてこと考えないことを願う。

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常盤城のなんちゃって天守は遠くからでも見える

 1時間弱を要してようやく目的地の常盤城に近づく。案内看板が出ているのでそれに従った進んでいくと、三の丸の駐車場に到着できる。途中でかなり急な山道を登ることになるが、スタッドレスタイヤのおかげで傾斜をものともせずに駐車場まで登り切った。ここから見上げると上の方になんちゃって天守が見える。足元には雪が積もっているので慎重に登っていくことになる。登り口のところには「がけ崩れがあったので進入禁止」という看板が出ているが、見上げたところ特に通路に崩落したらしきところは見えないので、あくまで自己責任ということで進むことにする。

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案内に従って進んでいくと

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登城口にたどり着く

 常盤城は築城年代などは今一つハッキリしていないようだ。田村氏の家臣である石沢修理亮が入っていたようだ。田村氏が伊達派と相馬派に分裂して争った時、石沢修理亮は伊達についたが相馬氏に攻められて落城、石沢修理亮もその時に討ち死にしたとか。

 うねうねといくつかの削平地を通過して本丸に登っていく構造になっている。途中には遊具が置かれた公園もあるがこれも曲輪跡。公園整備されている割には曲輪跡がほぼそのまま残っており、保存状況は良好である。

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なんちゃって天守が見えてくる

 10分もかからずになんちゃって天守の立っている本丸に到着する。すると本丸の背後の切岸が派手に崩落して手すりなどが崩れている状態になっているのが見える。なるほどこれが立ち入り禁止の理由か。しかし城跡見学には何ら問題はない。

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本丸

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本丸切岸が大崩落している

 なんちゃって天守は展望台ということで自由に入れるようになっている。ただ本丸自体が既にかなりの高度があるので、ここからあえて展望台に上る必要はあまりない。

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ご自由にお入りください

 谷を囲うような形に多数の曲輪が削平されており、向こう側にある大きな曲輪が二の丸ということらしい。二の丸の下にも多数の曲輪が見える。

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本丸向かいの曲輪群

 本丸の奥には堀切を隔てて五の丸がある。これが北の出丸のようである。本丸を中心として多数の曲輪で守る体制ができている城郭であり、また全体を非常に見渡しやすい。このような実に優れた城郭がまだ残っていたとは驚きだった。

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空堀とその先の五の丸

 

惨劇の舞台・小出森城

 常盤城の見学の後はここから北上することになる。次に目指すのは小出森城。大内定綱麾下の菊池が城主だったが、大内攻略を目指す伊達政宗が攻撃、落城後に政宗は立てこもっていた者を老若男女関係なく800人なで斬りにしたという話が残っている。東北の諸侯は政宗のこの蛮行に戦慄したという。

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小出森城はあの尖った山上

 小出森城は集落の奥にある三角形の尖った山上にあるようである。案内に従って登城口に到着すると、ここに車を置いて斜面を直登する形になる。

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小出森城登城口

 しかしこれが大変である。かなりの急斜面である上に登るほどに傾斜がきつくなってくる。途中で息は上がるし足はガクガク。しかも足元は枯葉が積もっていてよく滑る。気を抜いたら転倒間違いなしである。幸いにして雪は積もっていなかったが、これで積雪があれば万事休すだろう。一番きつかったのが石段の手前。足元が急なうえにズルズルなので、下手すれば転落しかねないような状態。かなり気を付けながらようやく石段にたどり着いた。

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石段手前のこの辺りは立っているだけでも怖い

 山頂の愛宕神社にたどり着いた時には足がガクガクだった。ここが本丸ということになるのだろうが、かなり狭い。北側に犠牲者の慰霊碑と思われる石碑が立っている曲輪もあるが、ここを加えても数百人がこもるのはまず不可能である。

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神社の周囲はかなり狭い

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神社の裏手に回ると

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小さな削平地があるのみ

 周囲はかなり切り立っているが、ところどころ通路以上曲輪未満の平場があるが、ここに人を置けたかは微妙なところである。

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この手の通路以上曲輪未満の平地が多い

 石段を下りていく途中で分岐があったのでそちらを下りていくと神社に出た。この下は民家などがあり、この辺りなら多数を収容する曲輪が置けるが、麓であるために防御力は低い。

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神社に出た

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麓近くなら平場も多いのだが・・・

 結局のところ今一つ城郭の構造がよく分からないというところがあった。

 

大内氏の小浜城(下舘)を見学

 小出森城の次は小浜城を訪問することにする。小浜城は大内氏の城郭であったが、定綱の時に伊達に攻められて敗走、畠山氏の二本松城の攻略にかかった政宗はここに1年ほど在陣したという。そのためか城下は「政宗ゆかりの地」という看板が目立つが、これでも大内氏の面目がなかろう(笑)。まあ「大内定綱ゆかりの地」なんて掲げたところで「誰?」と言われてしまえばそれまでなので、仕方ないことではあるが。

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小浜城に向かう途中で見かけた謎の像(かかし?)

 山上は公園整備されているようで立派な石垣のある本丸が残っている。ここから見渡すと周囲の山上に曲輪らしき削平地が見える。これで見る限りはなかなかの規模の城郭であるが、気になったのは弱小国人領主であった大内氏にここを守れるだけの兵員が確保できたかである。なおこの城郭は下舘とも呼ばれており、ここの南にある上舘こと宮の森城と一体となって防御する構えになるとのこと。となるとさらに多くの兵員が必要なように思われるのだが。

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小浜城

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石垣は半分修復中

 本丸の石垣は後に蒲生氏郷が築いたものであるとのことなので、元々の城郭は土の城でもう少し切岸もなだらかだった可能性がある。本丸の中央には遊具が据えられているが、その奥からは屋敷の跡などが出たらしい。どうやら今は埋め戻されているようである。

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本丸風景

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何かを主張したいかのような碑

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ここから館跡が出たようだ

 周囲には畑化している平地が多数あるようだが、これらがかつて城郭の一部だったと考えるとかなりの規模の城郭である。大内氏が守るにはやや兵が不足の感があるが、伊達氏が攻略の拠点とするには最適であったろう。

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曲輪になりそうな平地はあちこちにあるが

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本丸と二の丸の間の堀切跡

 

宮の森城(上舘)を見学

 小浜城の次は宮の森城を見学に行く。宮の森城は今は神社となっているようで参道の石畳がある。車で入れないこともなさそうだが、雪がぱらつき始めている天候を考えると石畳の上でスリップするのも嫌なので車は手前に置いて歩いて見学することにする。

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宮の森城入口

 現在神社となっているのが本丸だとすると、奥に深い広大な曲輪ということになる。ただあまりに単純すぎる構造から、かつてはこの郭は複数の段になっていたのではないかと思われる。なお土塁の一部が社殿の近くに残っている。後は畑化された時に撤去されたか。虎口がどこになるのかがよくわからないのだが、奥の方にでもあったのだろうか?

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この上の神社のところが本丸

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本丸と城跡碑

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下舘にもあった何かを主張したいらしき石碑

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神社の裏には土塁も残る

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奥に非常に広い

 規模がそう大きくはない城郭という印象だが、大内定綱が本拠を置くとしたら、このぐらいの規模の城郭の方が兵力を集中して防御に有利だったように思われる。なおこの城郭は伊達輝宗拉致事件の舞台になったらしい。なおこの事件も未だによくわからない点があるのだが、私は政宗による輝宗暗殺事件というのが真相ではとみている。奥州に自分を中心とした新秩序を打ち立てることを考えていた政宗にとって、守旧派でもある輝宗は邪魔な存在であった可能性がある。先の小出森城での惨殺事件と言い、政宗は狂気を秘めたところがある。もっとも動乱の時代に天下平定を目指すような輩は多かれ少なかれそういう狂気を持っているものである(まさに織田信長などはけた違いのキ○○イだった)。こんなとんでもない時代には、残念ながら温和な常識人などは誰かに後ろから刺されるしかなかったわけである。

 これで今回新規に訪れる山城は網羅したが、この後は一つの山城を再訪する予定。それは数年前に訪れたことのある二本松城。今さら言うまでもないが、100名城に選定されている城郭である。

 

福山・岡山遠征その1 「絹谷幸二の世界」@ふくやま美術館&ワコーミュージアム&福山城

 この週末は福山・岡山方面の美術館を訪問することにする。まずは家を午前中に出ると福山まで車を飛ばす。ショパンのピアノ協奏曲をかけながら、山陽道を優雅に走行する。

 福山東ICで高速を降りると福山城方面へ。目的とする美術館は福山城の隣である。駐車場に車を入れると目的の美術館へ。

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ふくやま美術館

 

「絹谷幸二の世界-富士山を中心に-」ふくやま美術館で3/15まで

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 独特としか言いようのない絵画である。絹谷が用いるモチーフは、一つは日本の象徴とも言える富士、二つは幼い頃から慣れ親しんでいたという仏像。これらだけを聞くと普通の絵のような気がするのだが、これが彼の手にかかると強烈な色彩とデフォルメも入った非常にインパクトのある作品となる。

 1部が富士を中心とした絵画のコーナーであるが、中央にまさにそびえ立つ富士の回りに様々な事物を細かく描き込む。ある絵では天使を乗せた龍が飛び回り、ある絵ではスカイツリーがそびえたりと何でもありである。妙にゆるキャラ的な十二支が富士を取り囲む絵などは、お目出度いと言おうか何と言おうか、正直なところ思わず爆笑してしまった。

 2部は仏像をモチーフとしているが、これがまたインパクトの点では富士に負けない。おどろおどろしい背景を背負って屹立する仏像が、存在感があると言おうか、妙にリアルと言おうか、ありがたいと言おうか、おぞましいと言おうか、とにかく強烈な存在感を持ってこっちに迫ってくる。

 とにかくいずれの絵も極彩色の世界でいささか目がチラチラしそうな世界。さらにモチーフはごった煮状態。にもかかわらず、作品全体として妙な統一感があるのは何だろうか。驚きつつ、思わず見入ってしまった。妙な魅力のある作品であるのは認めずにはいられない。


 所蔵品点の方は「影」をテーマにした作品とのことだが、こうなるとまず登場するのは予想通りというか、影そのものを描いた高松次郎の作品。もっとも本当に影がテーマになっているのは高松次郎ともう一点の現代アートぐらいで、後は単に影が差している作品と言うことで、吉田博の版画まで展示してあるというテーマのあるようなどうでも良いような内容。なお隣の部屋では刀剣を展示していたので、今時ならこっち方が興味のある者はいるのでは。

 

100名城の一つ、福山城を見学

 美術館の見学後は久しぶりに福山城を見学してみることにする。福山城は100名城に選ばれている城郭だが、江戸時代の一国一城令後に竣工されており、比較的新しい城ということになる。ここには福山藩の藩庁が置かれており、藩主の居城として建設された城である。かつては瀬戸内海にも通じており、海城という性質を持っていたようであるが、今はJRの駅やら市街地やらに埋もれてしまっていて、かなり旧状から変更されている部分もある。ここはかなり以前に来た記憶があるのだが、実際に見学に行ってみるとほとんど覚えていなかったことに気付く。

 福山城の天守は戦前まで現存したのだが、福山空襲で焼失したという。この時に天守と共に残存する多くの貴重な建造物も焼失したとのこと。戦争という愚行は文化の破壊しかもたらさない。戦争とは人類全体にとって取り返しの付かない損失なのだが、常に権力周辺のごく一部にこれで潤う輩がいるために未だになくならない。

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三の丸から登った虎口

 美術館があるのはかつて三の丸になるという、ここから登っていくと狭い二の丸を経て本丸の門である筋鉄御門が見えてくる。これと隣の伏見櫓が戦火の中残った数少ない現存建築物である。なお筋鉄御門は壁の一部の崩落事故があったとかで立ち入りが禁止されていた。

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筋鉄御門は崩落事故で立ち入り禁止

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どうやらこの部分が崩落したようだ

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筋鉄御門と共に現存の伏見櫓

 

 仕方ないので二の丸をグルリと回り込むことにする。南には御湯殿と月見櫓が復元されている。御湯殿は石垣の上に張りだした構造になっており、防衛戦時には南の石垣をよじ登ろうとする兵に横矢をかけることになるのだろうかと思われる。もっともここまで兵に迫られると、横矢をかける前にこの建物自体が焼き払われそうな気がするが。

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手前が御湯殿に奥が月見櫓

 東側から回り込んで本丸に上がるが、ここはかつては鏡櫓から天守まで多門櫓が続いていたと聞いていることから考えると、ここの入口は後付けか。確かに防御のことを考えると、下から真っ直ぐ登れるのはおかしい。

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天守手前のこの辺りはかつては多門櫓があったとか

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今は下から真っ直ぐ上がれるように改変されている

 

 本丸はそれなりのスペースがあるが、かつてはここに本丸御殿が建っていたはずである。天守は下から見るといささか小ぶりだが、ここまで上がってくるとなかなか絵になる。なお天守は博物館となっているのだが、現在はアスベストの撤去作業中とかで入場禁止。現存天守だったらアスベストなんて使ってないものを・・・。

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福山城天守

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復元された御湯殿

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本丸周辺には櫓台も残っている

 本丸を見学の後は北の搦め手から二の丸に降りてくる。現在は下まで緩斜面になってしまっているが、かつては防御のために段があったはずである(石垣もあったとか)。なお城全体の縄張りから見て天守が北に寄っているため、北側から鉄砲が天守まで届く可能性があったことから、天守の北側面にはかつては鉄板が貼ってあったとのことだが、復元に当たってはそれは省かれたらしい。

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北側は緩斜面になってしまっている

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こちらの面にはかつては鉄板が貼られていた

 

笠岡で昼食を摂る

 福山城の見学を終えると笠岡に移動することにする。ここに目的の美術館があるのだが、その前に昼食のために笠岡グランドホテルに立ち寄る。ここは笠岡地区の地域一番ホテル(と言うか、ここ以外にまともなホテルはない)だが、ここは収蔵する美術品をワコーミュージアムとして一般公開しているという。それを見学がてらここで昼食も摂ろうという考え。

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笠岡グランドホテル

 大分昔にここに来た時には昼食バイキングがあった記憶があるのだが、当時からガラガラで効率が悪かったせいか、今はイタリアンレストランに代わったようである。とりあえずホテル2階のレストラン「Pasta Frolla」に入店してペスカトーレの大盛りにシーザーサラダとコーヒーのセットをつける。

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ホテル2階のPasta Frolla

 シーザーサラダはなかなかに美味い。私好みのサラダである。

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シーザーサラダ

 ペスカトーレについては普通。不味くはないが、特別に美味いと感じるほどでもない。生パスタとのことだが、さほど特徴はないという印象(我が家でパスタをする時も生パスタを使うせいだろうか?)。なおコーヒーについては苦みが立っていて、残念ながら私の好みではない。

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大盛りペスカトーレ

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コーヒーはやや苦みが強い

 

ワコーミュージアムを見学

 昼食を終えるとワコーミュージアムを見学。展示室はこのレストランの隣にある。見学は無料と太っ腹。展示室1には清水比庵の書や文人画、展示室2には日本画など。ここに奥田元宋の逸品があり。また場所柄か平櫛田中の木彫り彫刻も。相変わらずこの人の作品はスゴイ。

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第1展示室

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第2展示室

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平櫛田中の作品がある

 そして展示室3には茶器や陶器の類いが展示されているが、物量的にはここが一番スゴイ。茶器類の中には私も欲しくなりそうなものもあった。

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第3展示室

 3階にある展示室4には児島塊太郎の陶芸作品。緑釉が映える作品である。

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第4展示室

 なおこの美術館1階には市民ギャラリーまであるとのことで、現地の絵画会らしき展示がなされていたが、その中の一人にシャガールの影響が濃厚・・・というよりも模倣と言っても良い作品があってなかなかに笑えた。

 昼食も終えてミュージアムの見学もしたところで、そもそも予定していたここの近くの美術館に立ち寄ることにする。

 

佐賀周辺城郭(須古城、姉川城、直鳥城)見学後、嬉野温泉で宿泊

 翌朝は7時に起床する。テレビをつけるとイギリスの選挙の結果を放送している。どうやらイギリスはとうとう逆戻りできないところまで行ってしまったようだ。人間というものはあまりに結論が付くのが遅れすぎると考えること自体に疲れてしまって、それが最悪の選択であったとしてもさっさと決着がつくことを望むようになるという。これを利用したものの一つがオレオレ詐欺でもあるわけだが、どうやらイギリス人もその状態になってしまったようだ。それとさらに言えることは、残念ながら多くの人間にとっては最悪の事態というのはいくら綿密な想定を上げても理解することが出来ず、実際にそれを体験して初めて理解できるが、その時にはすべてが手遅れであるという原理もある。それこそ地球温暖化による大惨事なども、トランプのような馬鹿には実際に体験しないと分からない。体験して初めて「誰のせいでこんなことになったんだ!!・・・もしかして俺か?」となるのだが、悲しいことに本当の破局が来る前にトランプはこの世にいないだろう。

 

 とりあえず起きはしたものの、体はズシッと重いし、あちこちに痛みもある。特に靴擦れ状態になっている足の小指の痛みがひどい。一昨日の歩数1万7千歩+上がった階数41階に加えて、昨日の歩数1万歩+上がった階数9階がトドメとなって体がガタガタである。とは言ってもゴロゴロしていても仕方ない。とりあえず部屋を出ると、まずは海の見えるレストランで朝食バイキング。可もなく不可もなしのオーソドックスなバイキングである。

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朝食バイキング

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レストランから望む朝の有明海

 今日は島原鉄道で諫早に戻ると、そこからレンタカーで長距離移動する予定。ただし実は詳細な予定を組んでおらず、出たとこ勝負というのが本音。朝食を終えると荷物をまとめてさっさとチェックアウト。外に出た途端に空気がかなりひんやりしている。ここのところ暖かめの日が続いていたが、今日は寒くなりそうだ。空気は非常に澄んでおり、雲仙普賢岳の険しい山容が間近に見える。こうしてみると、島原は雲仙と運命共同体であることを感じる。

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普賢岳の荒々しい山容が間近に見える

 島原港駅に到着したら既に列車が待っていた。どうやら乗るつもりだった車両よりも1本早い便のようである。諫早までの急行便。どうせだからこれで戻ることにする。しばし列車に揺られながらこの原稿を執筆。

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島原鉄道で諫早駅まで移動

 諫早には1時間ちょっとで到着。昨日よりはかなり早い印象。急行と普通でこれだけの差があるということか。島原観光を考えるのなら、もっと急行を増やしたいところだが、単線路線のためにキャパが限られるのがツラいところ。

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諫早駅前ではビルの解体工事中

 諫早に到着するとここでオリックスレンタカーでフィットを借りる。今日はこれで移動の予定。まずは最初の目的地である須古城に向かう。

 

須古城 龍造寺隆信が居城にした城

 須古城は有馬氏配下の平井氏の城であったが、龍造寺隆信が4度に渡ってこの城を攻めてついに落城させ、隠居後は自らの居城としたという。彼が討ち死にした後には弟の龍造寺信周の居城となり、それが須古鍋島藩の祖となったとのこと。

 須古城は須古小学校の裏手の山上にある。一面まっ平らの土地の中の独立丘陵なので非常によく目立つ。これは平井氏や龍造寺氏でなくとここに城を構えるのは理の当然である。

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須古城

 見学路は小学校の裏手から登るようになっている。城の構造は山頂の本丸とそれを取り巻く環状の曲輪からなる。現地は地元の方によると思われる整備がされており、竹林などが伐採された跡があり、手製の案内看板もいくつか立っている。

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登城路は整備されている

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本丸との分岐

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周囲の曲輪から見学する

 裏手には虎口の跡が見られ、その両側には横矢掛けができるように出っ張りがある。またこの曲輪内には3箇所に井戸跡もある。

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枡形虎口の跡

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井戸跡

 さらには飛び出した櫓跡もあり、これは防御の拠点となりそうである。

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櫓台

 

 周囲はかなり切り立っており、本丸周囲も切岸でかなり切り立っており、自然崖の上にさらに石垣を積んでいる箇所もある。本丸の広さもそれなりにあり、そこそこの兵を収容できるようになっているので、幾度にも渡って龍造寺氏の攻撃をはねつけたのも納得できる。

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意外に広い本丸

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謎の巨石

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本丸虎口

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石垣の下はかなり絶壁

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石垣を下から見る

 小規模とはいえ、なかなかに見どころのある城郭だった。また恐らくは一面の竹林と化していたであろう城跡を手を加えて整備された努力には敬服するところ。余裕で私選100名城Bクラスに該当の城郭である。

 

姉川城 低湿地の水路で守られた城

 須古城の見学後は次の目的地に移動。次は前回の佐賀訪問時に事前調査不足のためにまともに見学できなかった低湿地の城のリターンマッチとする。最初に立ち寄ったのは史跡にも指定されている姉川城

 以前は車を置く場所が見つからなくて通過するだけとなったのだが、今回は案内看板の手前のスペースに車を置くことにする。通行の邪魔にはならないと思うが、もしもの場合も想定してなるべく手早く見学を済ませることにする。

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車はここに置いた

 と言っても実際のところ意外に見どころはない。城の中心と思われる曲輪は今では単なる畑で何もなく、予備知識がなければただの水路に囲まれた畑で終わり。となりの曲輪は住宅が建っているので入っていくわけにもいかないし、もし入ったところで状況は同じだろう。とにかく確かに低湿地の地形を活かした万全の防御の城郭であるということは感じるが、いわゆる城跡のイメージは薄い。

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周りは水路だらけ

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主郭は完全に畑

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城としてのイメージはあまりない

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やはり単に水路の中の畑

 

直鳥城 かつての城跡は今はクリーク公園に

 姉川城の見学を終えると近くにある直鳥城に向かう。こちらはクリーク公園として整備されて駐車場まで完備している(前回にはこれを知らなくて周辺をウロウロと回っていた)。とりあえずここに車を置いて徒歩で見学。

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公園化している直鳥城

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説明図

 こちらは姉川城と違って城内を自由に散策することができるが、かといって印象は同じである。やはり単に水路に囲まれた小島の群れというところ。山城と違って虎口や石垣などの防御の施設があるわけでないし、全体的に見どころが少ないのは否定できない。

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水路の中に小島が散在するイメージ

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このような風景

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城としての中心が不明

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水路は続くよどこまでも

 まあいろいろと難点はあるが、とりあえずこれで佐賀に残した宿題を解決することができたので良しとする。

 

嬉野温泉で宿泊

 直鳥城の見学を終えた時には14時頃。まだまだ時間はあるが、行くべき場所とそれを回るのに必要な体力がもうない。そこで今日はもう宿泊予定地である嬉野温泉に移動してしまうことにする。昨日辺りから体がヘロヘロなので、さっさと宿に入ってしまって温泉でゆったりとしたいという考え。

 嬉野温泉までは長崎道を経由して1時間弱程度のドライブだが、これが正直かなりキツかった。体に相当の疲労が来ており、気を相当引き締めない意識が飛びかねない状況。朦朧運転にならないように気をつけながらの慎重な運転。何とか無事に嬉野温泉まで運転したが、もう体力的な余裕はほとんどない。

 嬉野温泉に到着したのはチェックイン可能時間の15時直後。今回宿泊するのはホテル桜。今まで嬉野温泉では大抵和多屋別荘を利用していたが、残念ながら今回はお一人利用可能な貧民コースがなかったのでこちらにした。そもそも和多屋別荘のような高級ホテルにまともに宿泊する軍資金はないし、ああいうホテルは基本はお二人様からが原則である。このホテルにしても平日だからこそ予約をとれたというところはある。

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嬉野温泉ホテル桜

 ホテルの駐車場に車を置くと、早速チェックイン。部屋は4階で普通の旅館の部屋であり広くて豪華。

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典型的な旅館部屋

 荷物を置いて一息つくと、何はともかく最上階の展望大浴場へ。ここは建物の中央が吹き抜けになっている独特の構造。解放感はあるが高所恐怖症には少々つらい構造でもある。

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内部は吹き抜け

 ここの大浴場は嬉野温泉の源泉に加水して温度調節しているようなので、その点では和多屋別荘よりは劣る。とはいうものの元々の嬉野温泉の湯のポテンシャルが非常に高いので十二分に良い湯。肌がぬるぬるとして溶けそうな印象である。展望浴場で見晴らしはよいが、そもそも嬉野温泉は都会の温泉なので風景はそう面白くはない(笑)。なおここの風呂は温度を低い目にしてあるのでゆったりと長時間入浴するタイプになる。とにかく体のあちこちに負担が来ており、特に両足などはだるくて仕方ない状態なので、それをゆったりと癒す。思わず「ああ、生き返る」という言葉が出てくる。

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大浴場

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展望浴場である

 

 入浴を済ませて部屋に戻ってくると夕食までしばし原稿入力になる。ようやくそういう作業に取り組む時間を取れる状況になった。いくつか原稿を仕上げると夕食へ。

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夕食は懐石

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椀物

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牛の陶板焼き

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さらに揚げ物等

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最後にご飯とデザート

 夕食はレストランでいわゆる懐石。なかなかに美味い。特に牛の陶板焼きがかなり美味かった。量的にはやや少なめの気もしないでもないが、私の健康にはその方が良いのだろう。何か買い出しに行くことも頭をちらついたが、わざわざ着替えて出かけるのが面倒なのと、コンビニまで結構距離があることから諦めて原稿執筆の続き。この日はいくつかの原稿をアップしてから寝る前にもう一度入浴して、23時頃に就寝する。

 

島原に移動して島原城や武家屋敷街を散策する

 翌日は7時に起床するとまずはバイキング朝食。オーソドックスなルートイン朝食だが悪くはない。

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ルートインバイキング

 さて今日の予定だが、島原に移動して島原城などを見学の後に島原温泉で宿泊する予定・・・なのだが、シャワーを浴びていたら足に痛みが走る。よく見ると足に靴擦れが出来ている。昨日の無理のツケが早速体に出てしまったようである。情けない話だが、今日はあまりウロウロ歩き回るのはしんどいだろう。

 当初予定では8時55分の特急かもめと島原鉄道を乗り継いで島原に12時に到着、ホテルのチェックインが15時なのでそれまで島原市内を散策という予定だった。しかし島原で3時間も散策するかが疑問だし、ホテルにそんなに早々とチェックインしてしまっても仕方ないし、それになりより今朝はかなり体が重いしということで、1時間予定をずらすことにする。実は昨日、今日の特急の指定席を確保しようとしたが予約が一杯だったために自由席を取っている。今になるとそれが幸いしたことになる。

 

特急かもめで諫早へ移動

 9時過ぎまで部屋でウダウダと過ごすと、チェックアウトを済ませて博多駅に向かう。一応自由席だということで発車の30分ほど前に駅に到着したのだが、その時点では自由席待ちの客はほとんどおらず、ゾロゾロと客が並びだしたのは発車10分前ぐらいから。その全員が問題なく座席確保できそう。さすがにジモティはその辺りの状況が分かっているからあえて急がないようである。

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青ソニック

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オレンジのハウステンボス

 博多駅にはカラフルな列車が次々とやって来るので、鉄道マニア度の決して高くはない私でもなかなか楽しい。見ているうちにも青ソニックオレンジのハウステンボスが到着する。九州の特急はこれ以外にも赤い九州横断特急緑のゆふいんの風なんかもあるので、鉄道で戦隊を組めそうである。そう考えている内に白いかもめが到着。ゾロゾロと乗車。この車両はシートの模様といい、障子を思わせる室内ドアといい、明らかに和のテイストを意識していることを感じる。ただシートは悪くはないのだが、背当てが微妙な位置にあるのはどういことか。座高が高い私の場合、頭当てが背中に当たって不快。なんてことを考えていたら、となりの線路に黒い特急みどりが入線(黒いのにみどりとはこれ如何に)。この車両には見覚えがあるが、九州新幹線開通前にリレー特急として使用されていた車両である。どうやら今ではロートル特急に回された模様。

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白いかもめが到着

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車内は和のテイスト

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隣に黒い特急みどりが到着

 車内ではこの原稿を入力している(笑)が、車両が結構揺れる。JR北海道と同じで保線が間に合っていないのではないか。あまりに揺れるので気をつけないと酔いそうだ。

 

 特急がしばし田んぼの中を突っ走るようになったら佐賀に到着。ここでの乗降がかなり多い。ここまで博多から40分ほど。確かにあまり遠くない。これは佐賀県民が「長崎新幹線なんていらない」と言うのもよく分かる。新幹線が開通したところで所要時間はそう劇的には短縮されないのに対し、巨額の財政負担が要求され、その挙げ句に並行在来線が切り捨てられることになれば佐賀県民にとってはマイナスばかりで何のメリットもない。いっそのこと熊本から海底トンネルで島原につないでそこから長崎に到着すれば。それなら長崎県内だけだし、現在交通の便が良いと言い難い島原は喜びそう(もっとも島原鉄道にとってはとどめになりそうだが)。

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佐賀周辺は見事なまでの田んぼ

 佐賀を抜けると列車は海沿いを走るようになる。こうなると特急かもめという名前の意味が感じられるところ。

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線路は海沿いを通るようになる

 しばし海沿いを走行するとやがて対岸に雲仙普賢岳が見えるようになってくると、間もなく諫早に到着である。

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雲仙普賢岳が見えてくると

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諫早駅に到着

 

第3セクターの島原鉄道で島原を目指す

 ここからは第3セクターのローカル線である島原鉄道に乗り換えることになる。駅はJRの高架駅からエスカレーターで降りるだけだが、私は最初に間違った方に降りてしまって慌てて引き返すことに。

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島原鉄道諫早駅

 島原鉄道では単両のディーゼル車両を運行している。乗車したのは10人ほど。次の本諫早が諫早市の中心街であり、ここで結構大勢が乗り込んでくる。諫早市街を走行していた車両は、やがて干拓地に沿って走行するようになる。ここはかつては海岸だったんだろう。右手は住宅が密集する裏手なのだが、左手は広大な畑である。

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島原鉄道車両

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車内はクロスシート

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沿線左はしばし干拓地

 干拓地を抜けると左手には有明海を望むようになる。右手は常に雲仙普賢岳が見えている状況。武家屋敷街がある神代を抜けると隣の多比良は国見高校の地元ということでか駅にはサッカーボールをかたどった石像が。

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有明海の干潟

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多比良駅のサッカー碑

 有明海を臨む海のギリギリの駅である大見東を過ぎると島原は間もなく。島原は普賢岳はすぐそこに迫って見えるような印象の町である。

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大見東は海の際の駅

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有明の海

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幸福の黄色いハンカチ

 とりあえずここの駅で重たいキャリーは預けることにする。最初はコインロッカーを考えたが、100円玉がきれていたので駅で両替してもらおうかと思ったら、荷物預かりもしている模様。どうせすぐに戻ってくるんだから、こちらの方が安いのでここで預けてしまうことにする。

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島原駅

 

島原を散策して名物の具雑煮を頂く

 観光案内所でマップをもらうと島原城に向かって歩く。島原城はかなり立派な城で思わず感動するが、これだけ立派であるが故に島原の乱の原因となってしまったという曰く付きの城でもある。4万石の石高には明らかに過剰なこの城を火山灰土の難工事の挙句に建てた松倉重政は、完成した城を見てひとり悦に入ったことであろう。しかしこの労役のみならず、さらに過大な年貢を火山灰土で生産力の低い領民から搾り取ったわけであるから、無能の極みといえよう。この身上の大名まで出世したのだから武将としての才覚はあったのだろうが、統治者としての能力が皆無であるといえる。大名に必要とされる能力も、戦国期から江戸時代に移るにつれて変化したのだが、それに対応できなかったといえる。

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立派すぎる島原城

 島原城の見学の前に、昼食を摂っておきたい。どうせだから島原の名物という具雑煮を食べたいところ。島原城の近くの「姫松屋」に立ち寄る。

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島原城正面の姫松屋

 具雑煮はその名の通りの具だくさんの雑煮。蒲鉾やら鶏肉、椎茸にゴボウなどが具に見られる。おかげで出汁はなかなかに美味。餅は小さく刻んだ丸餅が数個。腹持ちも良さそうなメニューである。

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具雑煮の定食

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具だくさんの具雑煮

 

武家屋敷街を散策

 腹ごしらえを済ませると、島原城の見学前に城下町の武家屋敷街を見学。実は島原に結ってきた一番の目的はこれ。以前に島原を訪問した際には島原城は見学しているのだが、この武家屋敷街を見学していない。

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入口手前のこのような道の湾曲は典型的な武家屋敷街の特徴

 武家屋敷街では400メートルほどの通りを保存してある。道の真ん中に水路が通っているのが特徴だが、この水は排水ではなくて上水である。かつてはこの水を飲料水に使用していたらしい。水の町でもある島原ならではである。今でも現地の住民と思われる方々が水路の掃除を行っているようだ。

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道路の中央の水路は飲料水に用いた上水

 両脇には武家屋敷街らしく石垣が並んでいるが、玉砂利を乗せた石垣は九州の武家屋敷街でよく見かけるタイプ。賊が石垣を乗り越えようとしたとき崩れた玉砂利の音で分かるし、いざという時はこれを石礫としても使用できるという仕掛け。

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屋敷の石垣

 保存されている武家屋敷が三軒ほどあるのでそれを見学する。やはり下級藩士の屋敷と中級藩士の屋敷では根本的に作りが違うようだ。

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武家屋敷島田邸

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下級藩士の屋敷はシンプルで狭い

 一回りしたところで武家屋敷茶屋で一服。島原の名物という「寒ざらし」を頂く。冷やし飴に白玉団子を入れたような菓子であり私好み。懐かしいホッとする味である。水に恵まれた島原らしい名物。

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武家屋敷街にある茶屋

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武家屋敷茶屋

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島原名物寒ざらし

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ここの隣は中級藩士の屋敷

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やはり作りがもっと豪華

 

島原城を見学する

 武家屋敷街の見学を終えると島原城に向かう。現在は島原城の西側から車も入れる道路が通じているが、これは明らかに後付けのもの。本来の島原城の本丸アクセスルートは二の丸から橋(廊下橋がかかっていたらしい)からしかなく、いざという時はこの橋を落とすと外からのアクセスルートは全くない状態にできたようである。鉄壁の防御であるが、逆に何かの時には雪隠詰めになって逃げ道がないということになるので、この構造の城郭ではどこかに秘密の抜け穴を作っておくものだが、この城ではそういうものは見つかっていないのだろうか?

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この入口は明らかに後付けである

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島原城絵図

 本丸には層塔式の巨大天守がそびえている。この城は明治の廃城後に建物はすべて破却されているので、これは比較的最近になっての外観復元である。内部は以前に見学している(ごく普通の博物館)ので今回は入場はしない。

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層塔式の巨大天守

 それにしても本丸に立つと感じるのは石垣の高さと堀の深さ。廊下橋を落として完全に孤立化に置かれたこの本丸に攻め上るのは容易なことではなかろう。実際に島原の乱の時には一揆勢の攻撃を食らっているがこの城は落ちていない。そもそもこれだけ巨大な城を築いたのが乱の原因となっているのに、その巨大で堅固な城のために落城しなかったわけだからかなり皮肉である。

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本丸にある櫓

 二の丸のほうに向かっては本丸虎口になっている。廊下橋を渡ってきても簡単には内部には入れないわけである。もし二の丸が落ちてしまったら攻撃はその方向から来ることが予想されるので、そちら側を固めているのだろう。

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本丸虎口

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かつてはここに廊下橋が架かっていたらしい

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本丸と二の丸の間の堀はこの深さ

 二の丸は公的機関などが並んでおり、かなり改変されているようである。二の丸の虎口まで回り込んでみたが、改変されていて面影はなさそうである。

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二の丸虎口に回り込む

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改変されて普通の車道になっている二の丸虎口

 久しぶりの訪問だが、私の記憶のイメージにあるよりもさらに高い石垣だった。何となくこれを作らされた領民たちの怨嗟の声が聞こえてくるような気もする。

 

島原温泉で宿泊する

 島原城の見学を終えると島原駅に戻ってくる。預けていたキャリーを回収すると16時ごろの列車で島原港に向かうことにする。結局はなんだかんだで島原で3時間を過ごしていた。当初の予想に反して想像以上に見るべき場所があったということになる。

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島原鉄道で終点の島原港駅を目指す

 列車は島原市街を抜けて10分弱で終点の島原港駅に到着する。終点と言ってもそもそも中間駅だったのでターミナルとしての設備はない(ターミナルは一駅手前の車庫のある島原船津駅である)。7人ほどがゾロゾロと降りるが、2人は駅から出ずにプラプラしているところを見ると、いわゆる鉄オタなのだろう。

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終点島原港駅

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本来の線路はまだ続いている

 ここから今日の宿泊ホテルであるホテルシーサイド島原までキャリーをゴロゴロ引きながら歩く。途中でファミマに立ち寄ったが、ざっと20分程度ということか。

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島原温泉の看板

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島原港

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謎の石像

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ホテルシーサイド島原

 ホテルに到着するとチェックイン手続き。私の部屋は本館の3階のシングルルームだが、明らかにいわゆる添乗員部屋。全部屋オーシャンビューが売りのこのホテルで、このシングルルームだけが山側向きで眺望は皆無。いわゆる訳ありシングル。訳あり独身者のための訳あり部屋か。まあこういう部屋には慣れている(笑)。

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訳ありシングル

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普通のビジホ装備である

 

 部屋に荷物を置くと入浴に行く。このホテルには島原温泉の湯治処が併設されているのでそこに出向く。

 島原温泉は海のそばだけにナトリウム塩化物泉かと思っていたが、どうやら炭酸泉の模様。ただ湧出温度が26度とかなり低いので、温泉というよりは冷泉である。浴場内には源泉浴槽と加温浴槽がある。加温浴槽のほうは当然のように炭酸ガスは抜けてしまっているわけで、このあたりが炭酸泉の難しさである。それだけに神戸の六甲おとめ塚温泉のように40度の炭酸泉が湧いているなんてのは奇跡の湯なんだが。

 源泉風呂は冷たいという温度だが、浸かってしばらくすると体がポカポカするという炭酸泉の効果を味わうことができる。しかしさすがにこの季節にこの温度は浸かっているのにつらさがある。しばしここに浸かってから加温浴槽で体を温める。

 入浴を終えると部屋に戻ってくるが正直なところかなり体に疲れがある。原稿入力作業をしようとしたが、考えが全くまとまらないのでしばしベッドにひっくり返ってウトウトする。

 その内に夕食の時間となったのでレストランに出向く。島原温泉に飲食店がない場合を想定して夕食付きのプランにしていたのだが、それが正解だった模様。

 夕食は数種類のメニューから選べるようになっているが、私はエビ天丼を選択。ゴロゴロとエビ天が入っていてなかなか豪華。香ばしく上がっているエビ天は殻まで食べられる状態で美味。

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夕食のエビ天丼

 夕食を終えると部屋に戻る。かなり疲れがあるがとりあえず仕上げるべき原稿を仕上げていくつかはアップ。それからさっさと寝てしまう。

 

山城と展覧会を回ってからポリャンスキー指揮・九州交響楽団のコンサートを聴きに行く

 翌朝は7時に起床。とりあえずレストランに朝食へ。朝食バイキングはまずまず。

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朝食バイキングはなかなか

 朝食を追えると朝風呂へ。武雄温泉の湯でゆったりと体を温める。

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運び湯用の給水車が表に止まっていた

 朝風呂を済ませると荷物をまとめてチェックアウト。送迎バスで博多駅まで送ってもらう。今日の予定は19時から九州交響楽団の演奏会。しかしそれまでに博物館や城郭に立ち寄る予定。

 博多駅に到着するとタイムズレンタカーでノートを借りる。まず最初に立ち寄るの福岡市立博物館。微妙に交通の便が悪い位置にあるので公共交通機関ではアクセスしにくい場所にある。

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福岡市博物館

 

「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」福岡市立博物館で12/22まで

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 幕末に登場した奇想の浮世絵師・歌川国芳の作品を紹介すると共に、彼の弟子に当たる「芳」の字を名に持つ一門、特に明治にかけて活躍した月岡芳年を中心に紹介するという展覧会。

 いきなり目を惹くのは国芳の大胆かつ力強い武者絵。その過剰なまでの力強さ。時には大画面を活かした大スペクタクルは、今日の劇画を連想させると共に、場合によっては特撮的にさえ見える。

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この力強さ

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大スペクタクル

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ほとんど特撮怪獣もの

 一方で貪欲に新しい手法を求めた国芳が洋画を取り入れたと思われる作品も展示されていた。この辺りの画業に対する貪欲さは弟子の芳年などにも引き継がれているようである。芳年の作品には国芳の影響だけでなく、明確に洋画の影響が覗える。このような洋画の表現がリアルで力強い肉体表現に反映しているようだ。

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明らかに洋画表現を取り入りれている

 また一部のコーナーでは残酷絵も展示。国芳の首が飛んでいる絵などは、残酷を通り越してむしろ滑稽に見えたりもするが、これは誇張も取り入れた巧みな漫画的表現とも言える。またここでは芳年や落合芳幾による「血みどろ絵」とも呼ばれた作品も展示されている。

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残酷を通り越してユーモラスにさえ見える

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これは有名な妖怪絵

 

 その後は国芳の風刺画などを経て、「芳」の一門の作品などを展示。中でも芳年の精緻な作品が光る。彼が国芳の弟子として学んだ期間は決して長くはないらしいが、明らかに国芳のDNAを引き継ぐと共に、彼自身の境地をさらに開いているのが覗える。

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芳年の初期の作品

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彼もやはり洋画の研究をしている

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リアルでち密な表現が目を惹く

 非常に見応えがあり、実のところこれのためだけでも九州くんだりまで来た価値を感じさせる内容であった。やはり国芳、芳年の作品は面白い。館内には当時の絵双紙屋を復元している展示もあったが、当時はこのようにブロマイド的にこれらの絵を販売していたということを考えると、確かに一般庶民の受けを狙った表現という意味では今日のコミックにつながってくるのも理解できる。

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当時の絵草子屋

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国芳のこの表現はほとんど漫画

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そして「進撃の巨人」(笑)

 

続100名城の基肄城を見学する

 博物館の見学を終えると次の目的地へと移動する。そもそもわざわざレンタカーを借りたのはここに立ち寄るため。次の目的地は基肄城。百済救援のための白村江の戦で唐・新羅連合軍に大敗した大和政権が、来るべき唐の侵攻に備えて大宰府を守るために水城、大野城と共に整備した古代山城である。今回水城と共に続100名城に選定されている(大野城は100名城に選ばれている)。以前に訪問したことがあるのだが、その際には山上まで車で登ったものの、灼熱地獄の上に水を持参するのを忘れるという決定的ミスをしたために途中撤退している。そこで今回リターンマッチということ。

 山上はそもそもスキー場になっているのであまり広い道とはいえない(その上に路盤の状態も良くない)までも、山上まで車道が通っている。山上に駐車スペースがあるので、そこから山上に上ることにする。

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車を置くと山を登っていく

 スキー場になっている斜面を直登になるが、傾斜がきつくなる辺りで散策路が右手に見えてきているので、そちらを経由して上ることにする。

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スキー場の斜面を直登する

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途中で散策路の表示あり

 とは言うものの、既にこの時点で足はガタガタ。それどころか吐き気までしてくる状態。この一年ほどまともに運動らしい運動をしていないもので、どうしようもないほどに体力が低下している模様。実に情けない次第。脚力が弱ってしまって老人のようなヨタヨタした歩きになっているのを感じてしまう。

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ところどころ休憩所などもあり

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眺めも抜群なんだが・・・

 ヘロヘロになりながらようやく山頂に到着。ここには巨大な石碑が建っている。また周囲には巨石がゴロゴロしている。そして何よりも見晴らしが抜群。確かに地形的に要衝である。

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巨石がゴロゴロしたゲートのようなところを抜ける

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巨大な石碑が立っている

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南方の眺めは抜群

 

 ここから北に向かって尾根筋に沿って山頂までの広大な領域がかつての城域の模様。山頂手前では三重の堀切の跡も見られる。これが本丸というべき場所か。ここには城跡碑及び説明看板も立ててある。

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三重の堀切の先に北へ城域は広がる

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堀切を超えて本丸らしい場所へ

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城跡碑

 ここからさらに北側の別の峯に向かってグルリと城域はつながるようだが、そちらに進むと道が鬱蒼としてきた上に、かなり下らないといけない(ということは帰りはキツい登りが待っているということだ)ようであることから、途中で引き返してくることにする。残念ながら現在の状況では古代山城を一回りするだけの体力はない。

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さらに北に道は伸びるが

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やがてこの状況になるので撤退する

 スキー場の急斜面を足下に気をつけながら降りてくると、ここから車で一旦下山して、麓にある水門を見学に行くことにする。水門に至るには途中で民家の間の路地を庭先をかすめながら走るような箇所があるので、ノートで道幅ギリギリ、大きな車だったら進退窮まるだろう。また元々あった登山道は土砂崩れとかで通行止めになっているので、その手前に車を置く。

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道路は通行止め

 水門はかなり巨大な石組み。予想外の規模の大きさに驚く。古代山城はとにかく技術はなかったはずなのだが、それを人力で補っている印象。当時の大和政権にそれだけの動員力があったということか。だとすると、九州地域での支配力がそれなりにあったということになる。

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そのすぐ横にこの水門

 

博多に戻ってきて喫茶で一服

 久しぶりの山歩きでかなり疲れた。それにもうとっくに昼食時をかなり過ぎているので腹が減っている。しかしこの周辺には飲食店どころか店自体が何もない(と言うか、民家自体も多くはない)。そこで移動することにする。九州国立博物館に立ち寄ることも考えたが、現在の出し物は「三国志展」ということで、これは東京で既に見学済み。また太宰府に参拝する気もないし(今更受験する気はない(笑))、結局は福岡城でも見学しようと博多まで戻ってくることにする。

 護国神社の近くの駐車場に車を置いて、どこかで昼食をと思ったのだが困ったことにこの周辺には意外なほどに飲食店がない。しかも既に3時になっていて、大抵の店は昼休みかランチメニューは終了している。そこで最悪ガス欠の事態を防ぐためにせめて糖分だけでも補給しようかと見つけた喫茶店「BIOTOP」で季節のパフェを注文。

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BIOTOP

 芋のパフェということだが、味はなかなかに良い。その上に洒落ているので女子にはインスタ映えで喜ばれそう。ただこれで1500円(+税)というのは明らかに価格が高すぎ。

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芋のパフェ自体は美味いが・・・

 

久しぶりに福岡城を見学

 とりあえずの臨時のエネルギー補給は済ませたので福岡城に登ることにする。実はここはかなり以前に一度訪れたきりであり、その後は何度か近くを通って見事な石垣に心惹かれたものの、なかなか立ち寄る時間がなかったのである。以前の見学はかなり駆け足だったため、いつかもう一度見学したいと思っていたところである。

 南口から巨大な堀を横手に見ながら登っていくと、最初に多門櫓が出迎えてくれる。これは数少ないこの城の現存建築物らしい。

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いきなり多門櫓が迎えてくれる

 この多門櫓に沿って進んで回り込んでいくと二の丸に上ることになる。多門櫓がある廓は二の丸南郭らしい。この曲輪だけでもかなり広い。

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多門櫓に沿って回り込む

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二の丸への虎口を抜けて

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ここを抜けると

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多門櫓の裏手(二の丸南郭)に出る

 二の丸を進んでいくと本丸裏手に登る通路があり、そこを上ると天守台の裏側に出る。

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二の丸を進んでいくと

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本丸方向へ登る道があり

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天守台の裏手に出る

 

 そこから埋門の跡を抜けると天守台の枡形入口に出る。

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埋門跡を抜けると

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枡形虎口

 そこから登った先が天守台。かなり規模の大きな天守台であり、礎石跡などから推測したところでは五層の巨大天守があったのではないかと推測されるとのことだが、そもそも天守は存在しなかったという説も有力である。ただ天守がなかったとしても既に十二分な高さがあるので、高層建築のなかった当時だと十二分な視界は有しているので機能的には問題ない。もし天守を立てなかったのなら、江戸幕府を憚ってということになるだろうか。

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天守台の礎石跡

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見晴らしは抜群

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こんな天守があったという

 ここから枡形虎口を降りてくると広大な本丸。本丸には何やら怪しい物体が多数並べてあるが、どうやらチームラボによるライトアップイベントが行われている模様。入場ゲートで作られていた。ただ入場料1200円というのは少々高くないか?

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広大な本丸には怪しい物体多数

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入場ゲートが出来ていた

 下の二の丸もかなり広い。北東隅には門の跡らしい枡形が見られる。

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下の二の丸もかなり広い

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二の丸北東の虎口らしき構造

 とにかく黒田の居城らしくやたらに規模の大きな城郭であり、随所に高石垣もあって「見せる」ことも意識した構造になっていたように思われる。今日でも見ごたえ十分で、さすがに100名城に選定されていることはあるということか。昔に見学した時は速足で一回りしただけだったので、ほとんど何も覚えていなかったということが今回よく分かった(笑)。

 

ようやくかなり遅めの昼食

 福岡城の見学を済ませると、予定よりもかなり早めだがレンタカーを返却してホテルに入ることにする。かなり疲れているし、大分遅くなったがやはり昼食は摂っておきたい。結局この日の昼食は博多駅地下の「八仙閣」「セットメニュー(1500円)」を注文する。

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駅地下の八仙閣

 「チャーシュー麺(ハーフ)」「エビ炒飯(ハーフ)」「エビチリ(ハーフ)」の組み合わせ。チャーシュー麺はいかにも中華料理屋のラーメンと感じるシンプルでホッとする味。正直なところもう少し量が欲しかった。一方の炒飯は思ったよりも量が多い。飯にパラッと感があまりないが、味はマズマズ。ただエビチリについてはどうも一味か二味ぐらい足りない。使用しているエビはバナメイだと思われるが、エビ自体の味の薄さがそのまま料理の味の薄さにつながっている印象。

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チャーシュー麺とエビチリ

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エビチャーハン

 

宿泊は駅前のルートインホテルで

 昼食を終えたところでホテルにチェックインすることにする。今日のの宿泊ホテルは交通の便も考えて駅近くのルートイン博多駅前。ただこのホテルは立地の良さのせいか、平日にも関わらずルートインとしては宿泊料が結構高い。今まで何度か利用しているが、正直なところ宿泊料がジリジリと上がっていて、最近はそれを負担に感じるようになっている。

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ルートイン博多駅前

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シンプルなシングルルーム

 ホテルにチェックインすると、とりあえずシャワーで汗を流す。今日はかなり歩いた上にやや暑めだったので汗でぐっしょりである。汗を流してから着替えると再び外出。コンサートはアクロス福岡で開催なので地下鉄で天神まで移動する。

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アクロス福岡コンサートホール

 アクロスに到着した時には既に開場となっていた。ゾロゾロと入場。アクロスはシューズボックス型の構成のホールで、東京のオペラシティと構造が類似していると言えるだろう。音響はまずまずのようである。

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シューズボックス型のホールだ

 そのうちにロビーコンサートが始まる。そう言えば、東京でも新日フィルなどはロビーコンサートをするし、シティフィルもやっていた。また地方では札響、名フィルなどはロビーコンサートをしていた(アンサンブル金沢も大阪公演でやった)。しかし関西ではこれをやるオケはない。この辺りは文化の違いだろうか。

 

九州交響楽団第380回定期演奏会

指揮 ヴァレリー・ポリャンスキー

チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」
チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」第2幕

 チャイコフスキーの一番については、ポリャンスキーがかなり細かい指示を飛ばしているのが分かる。やはり手兵のロシア国立交響楽団などと違い、ツーカーの関係というわけには行かないからだろう。ポリャンスキーの演奏は、爆演指揮者という巷の評判とは異なり、かなり細かいところのバランスまで細心に注意を払った精密なものである。

 そのポリャンスキーの指示に従って九州交響楽団もなかなかに切れのある演奏をしていた。ロシア国立交響楽団のような緊張感漲る演奏というよりは、もっとおおらかさが感じられるのは九州交響楽団のカラーだろう。どうもピアニッシモに関してはポリャンスキーが求めているレベルの静謐さ緻密さに至っていない感はあったものの、破綻のない充実した演奏であった。

 曲自体にまだ作曲家の未熟さが散見される交響曲第1番と違い、さすがに2曲目の「くるみ割り人形」はよく計算されている曲である。その曲をポリャンスキーはさらに細かい計算で盛り上げてくる。今まで私はポリャンスキーのテンション漲る演奏は何度か聞いたが、ここで初めてポリャンスキーのユーモア溢れる茶目っ気のある演奏を聴くことになった。正直なところ「このオッサン、思っていたよりもずっと幅が広いな」という印象。九州交響楽団の演奏もノリノリといったところでなかなかの熱演。

 場内の大盛り上がりにアンコールがチャイコフスキーの「四季」から「秋」。これがまたメロメロのメロドラマで甘いというか酸っぱいというか、あまりの美しさに魅了されてしまう。あの厳ついオッサンがこんなロマンティックな演奏もするのかと再度驚き。

 今回はとにかくポリャンスキーの表現の幅の広さに圧倒された。さすがにポリャンスキー。初顔合わせの九州交響楽団をここまでドライブするのには驚いた。これは今後も他のオケとの共演に期待できる。とりあえず目下のところは来年度に新日フィルとの共演がある模様である。

 

 満足してコンサートを終えるとホテルに戻る。ホテルに戻ると地下の居酒屋でかなり遅めの夕食を摂ることにする。

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ブリの刺身

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牛タンスモーク

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ネギトロ巻きに酢ガキ

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そしてデザート

 遅めの夕食にしては明らかに食べ過ぎてしまった。同じ階の大浴場に入浴して汗を流すと、昨日の原稿だけアップしてこの日は就寝することにする。

 

広島交響楽団第394回定期演奏会&「印象派、記憶への旅」「広島浅野家の至宝」&広島城見学

 今日は仕事を早めに切り上げて広島まで広島交響楽団のコンサートを聴きに行くことにした。ついでに一泊して、広島周辺の美術館見学及び山城見学・・・というスケジュールであったのだが、それが直前でガラガラと崩壊してしまった。なんと強大な台風19号がこの週末にかけて襲来とのこと。各地で鉄道が12日から計画運休とのことで、これは一泊どころか帰ってこれなくなることはほぼ確実。どうしたものかと悩まされる羽目に。

 それにしてもこんな季節外れに台風上陸とは、やはり地球温暖化の影響は待ったなしである。四季に敏感な日本人は多くの者が気候の変動を感じていると言われているが、国民同様に気候の方も鈍感なアメリカ人はこれをあまり切実に感じておらず、それがアメリカが温暖化対策に消極的な原因でもあると言う。ましてやトランプなどは目の前に温暖化の証拠が並んでいても「温暖化対策なんかしたら俺が儲からなくなる」と全力で現実逃避である。老い先短いトランプは金を抱えて逃げ切るつもりなのだろうが、温暖化して滅茶苦茶になった地球で生きていく(下手したら生きていけなくなってるかもしれない)ことを強いられる若者たちが怒りの声を上げるのも当然である。

 さてそれにして困った。もうこうなった以上は広島行きを中止するというのが一番理性的な判断であるが、そうするとチケットが丸々無駄になることになり、これは精神的に耐えがたい。そこで金曜中に日帰りすることに急遽予定を変更する。ただここで問題となるのが新幹線のチケット。私は往復共におとなび早割のこだまプランを利用する予定だった。しかし行きは良いものの、帰りがどうしようもない。計画運休を受けて手数料なしでの時間変更が可能になったようだが、残念ながらこだまの最終までに広島駅に戻ってくるのはまず不可能である。仕方ないので帰りのチケットはキャンセルし、新たにエクスプレス予約で取り直すことにしたが、遅い時間帯の新幹線はすべて席が埋まっていて自由席しか買えない状態。結局は当初予定の倍以上の運賃を支払わされて、恐らく立ちんぼで帰ってくるということを余儀なくされることとなってしまった。

 

 岡山でひかりを降りるとここでこだまに乗り換えだが、その間に昼食用の弁当を購入しておくことにする。購入したのは桃太郎祭寿司。いかにもお目出度い感じのパッケージに入っているが、弁当箱が桃の形という凝りよう。しかしこのプラスチックのケースは無駄にゴミを増やすだけのような気もしなくない。味は悪くはないがボリュームは今ひとつで、やはりどうしてもCPは悪い。

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お目出度い印象の桃太郎祭寿司

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パッケージを開けると中はこれ

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これがその中身

 昼食を終えるとのんびりこだまの旅である。こだま車両は懐かしのレールスター車両であり、この車両は中が4列シートになっているから広いのが良い。のぞみのグリーン車から足置きを除いた形である。これから長時間の乗車となるので、とりあえず私はここでモバイルワーク(笑)。

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4列シートのレールスター車両

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私のモバイルオフィス(笑)

 それにしても沿線は晴天続きである。とても台風が接近しているとは思いにくい。今でこそ気象衛星のおかげで台風が赤道付近で生まれた直後から動きを監視できるが、昔は接近するまで分からなかったから大変だったろう。ましてや戦時中などは気象情報までが軍事機密として秘密にされていたので、急に台風が襲来して多くの犠牲者が出るという事態まであったという。戦争というものがいかに国民を無駄に死なせる愚劣なものであるかを証明する一例でもある。

 こだまは途中の駅で何度ものぞみに抜かれながら1時間以上をかけて広島に到着する。広島は拍子抜けするぐらいの好天。やや風はあるがむしろ心地よいぐらい。ここを見ている限りでは台風の影は微塵もない。ただみどりの窓口の長蛇の列が異常事態であることは告げている。明日は岡山-大阪が午前から計画運休とのことで、やはり今日中に帰らないと帰れなくなりそうだ。今から帰りのことが思いやられる。

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みどりの窓口は大混雑

 とりあえず最初は美術館に立ち寄ることにする。そもそもこの美術館の訪問もこの時期に広島に来ることを決定した理由の一つであった。路面に乗って紙屋町まで。

 

「印象派、記憶への旅」ひろしま美術館で10/27まで

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 ひろしま美術館とポーラ美術館の印象派絵画を併せて展示するという企画展で、日本最大の印象派コレクションの夢のコラボと銘打っているが、実際のところ両美術館の印象派コレクションは日本最大級であるのは事実である。私としてはひろしま美術館のコレクションは大抵馴染みのある絵であり、それにポーラ美術館の同じ画家の作品が加えられている。こうしてみると、印象派の絵画とはかくも画家ごとでパターンが決まっているのかということに思いいたされたりする。会場を一周したところでは、拡大版ひろしま美術館コレクション展の趣がある。

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クールベから始まり

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対称的にデュフィ

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モネの積み藁

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シダネル

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ルノワールの「パリスの審判」

 一部コーナーではゴッホの作品とマティスの作品について科学的に切り込んでいたが、今はこういう分析も出来るようになったんだなと感慨もひとしお。しかし改めて見ても、やっぱりゴッホの作品は禍々しいまでのパワーを秘めている。狂気のパワーとでも言うべきなのだが、実際にこの頃のゴッホは精神を病んでいたのだからなんとも。

 やはり現代絵画などと違って見ていても楽しいというのが本音。改めて日本で印象派が人気があるわけが頷けたりするのである。

 

広島城を見学する

 ひろしま美術館見学後は、ここからすぐ北にある広島城を見学する。考えてみると広島城はかなり昔に一渡りザッと回っただけで、それ以降見学に来たことがなく、実際にはどんな城だったかはほぼ忘れているというのが実態。どうせだからついでに久しぶりに見学してやるかというところである。

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印象派の絵画のような小路

 ひろしま美術館から雰囲気のある小路を抜けて地下道で車道をくぐって出た先が広島城の大手になる。門や櫓が復元してある。この門から入った先が二の丸ということになっているが、あまりに小さく、サイズからすると大型馬出と言った方が適切なような気もする。

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大手の門に櫓

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二の丸というが、馬出機能の方が高そう

 ここから直角に折れて進むと本丸にたどり着くようになっている。本丸は手前の下段と奥の上段の二段構成となっており、天守は一番奥にあり、下段には現在は護国神社が建っている。

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橋を渡って本丸

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本丸奥に上段がある

 本丸の上段に入ると広島大本営の土台だけが残っている。恐らくこれがあったことも広島に原爆が投下された一因だろう。この際に広島城の天守閣は爆風で完全に破壊され、その後に鉄筋コンリートで外観復元されたのが今日の姿である。本丸の北西隅に位置し、かつては両脇に小天守を伴っていたらしい。

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広島大本営の土台

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奥には天守が見える

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ここに小天守があったようだ

 

 ついでだから天守に入場していく。内部はお約束通りの歴史民俗博物館というところ。刀剣類を多数展示していたのは流行を取り入れたのか(笑)。内部はあまりに普通のビルなので興醒めも甚だしいが、最上階からの眺めはなかなかである。この城を取り巻く堀は非常に幅が広く、広島城は河川などを防御に使用した水城であることがよく分かる。

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天守に入場する

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復元された金箔瓦

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回りは水路で守られている

 天守を出ると裏御門側から外に出る。ここにかつて門があったのはその通りらしいが、本丸からの幅広い階段は明らかに後付けだろう(防御を考えると滅茶苦茶である)。

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現在の天守建設時に除けられた礎石はここに移設してある

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このなだらかな階段は明らかに後付け

 広島城の見学後はまだ時間に余裕があることから広島県立美術館まで歩くことにする。

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広島県立美術館が見えてくる

 

「入城400年記念 広島浅野家の至宝-よみがえる大名文化-」広島県立美術館で10/20まで

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 1619年から幕末まで、代々広島を治めていた浅野家に伝わる秘宝をまとめて公開という展覧会である。最初はやはり武家コレクションだけに今流行の刀剣から。私には刀剣の善し悪しを見分ける目はないが、蒼々たるコレクションであるのだろうことは何となく感じる。個人的には茶道具の方に興味あり、ぷっくりしたシルエットのなかなかに良い茶入れが一つ展示されていた。

 次は中国画のコレクションの展示となるが、こちらは残念ながら私の専門外。その上に劣化して色褪せている作品が多いので、正直なところパッとしない印象。これよりはこの後の狩野元信などによる日本画のコレクションの方が私的には面白い。

 最後は工芸品の類いが展示されていたが、これは一番一般にも分かりやすいもの。漆に蒔絵の調度品の類いは問題なく美しいし高級感を漂わせている。

 

 美術館を出た時には5時を回っていた。そろそろ夕食を摂ってからホールに移動する必要がある。とりあえず飲食店を探して八丁堀までウロウロと歩く。本格的に飲食店を探すとなると裏通りを散策する必要があるのだが、そこまでする気力と時間がなかったことから、安直に表通りにあったトンカツ店「喜とん」に入店する。「ロースカツ定食(990円)」を注文。

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八丁堀の喜とん

 ロースカツについては普通に美味いと言うところか。どうしても料理の性格上極端な差は出にくいものである。なおここの店の特徴としては、トンカツ茶漬けが出来るようになっていること。うな茶と同じ発想で、脂っこいものをあっさりと頂こうということか。実際にやってみるとこれはこれで悪くはない。ただ薬味としてわさびだけでなく、あられとネギも欲しいところ。

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ロースカツ定食

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とんかつ茶漬け

 夕食を終えたがまだ時間に余裕があることから、隣のビルで先程見かけた看板に従って日本画展を除いていくことにする。

 

「秋の日本画展」広島信用金庫八丁堀支店ギャラリーで10/31まで

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 広島信用金庫が所蔵する日本画コレクションを無料で公開という太っ腹な企画である。

 展示作は無名作家の作品が多い(と言うか、私が単に現代日本画家について知らなすぎるだけかもしれないが)がそんな中に数点、奥田元宋や東山魁夷などの有名どころの作品も混ざっている。赤の元宋、青の魁夷、さらに平山郁夫などのいかにも作品があって楽しめる。全般的に尖った前衛作品はなく、保守的な美しい絵が多いので素人でも楽しみやすいという印象。胡粉をたっぷりと使って積雪の風景を表現した作品などは、いかにも日本画的な雪の表現であって非常に美しい。この雪の表現だけは油絵では不可能なものである。


 そろそろ6時が近づいてきたのでホールに移動することにする。ホールには八丁堀からバス1本でアクセス可能。10分ちょっとぐらいでホールに到着した頃には、辺りが夕闇に沈みつつある頃となっていた。

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夕闇迫るホールに到着

 

広島交響楽団第394回プレミアム定期演奏会

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指揮:リオ・クオクマン
ヴァイオリン:サラ・チャン

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47
ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調 Op.27

 サラ・チャンのヴァイオリンは意外とシッカリしている。その音色はやや色気が不足しているきらいはあるが、力強いものである。ただこれに被せるバックの広響にやや問題がある。どうも管楽器が全体的に締まりなくボワッと音を出す傾向があるので、斉奏になると音色が汚く五月蠅い感じになってソリストを邪魔してしまう感がある。

 ラフマニノフの2番については、久しぶりに聞いたがかくも冗長な曲であったかという印象である。しかしクオクマンはこの冗長な曲にメリハリを付けて、その構成を浮かび上がらせるという工夫をしている。その試みは広響の管楽器のやかましさにやや妨害された感はあるが、それでも半分方は成功しており、最後までこの曲を退屈させず聞かせることができた。これはまたより技倆の高いオケでのクオクマンの演奏を聴かせてもらいたいとの思いを抱かせた。

 クオクマンはマカオ出身の新進気鋭のようだ。カーチュン・ウォンといい、最近はアジアから新進気鋭の才能が現れてきたようである。なかなか注目株だ。またファジル・サイやジャン・チャクムルのトルコなど、クラシック音楽時代が昔のような欧米中心からもっと広がりを見せてきたようにも思われる。となると、日本の若き才能にも頑張ってもらいたいところ。


 コンサートを終えると早々に引き上げてバスで広島駅まで移動する。広島市内はまだ台風の影など微塵もなく、新幹線の運休の件がなかったら「今日は広島で一泊して、明日の昼頃にでも帰ろう」と言いたくなる状況。

 広島駅に到着すると小走りで新幹線ホームへ。そのまま新幹線に飛び乗ったのであるが、案の定自由席は大混雑で福山まで立ちんぼを強いられることとなったのである。

 結局は夜遅くに自宅に疲れ切って帰り着いた。

 

三陸鉄道で宮古へ、大槌城、千徳城見学

 昨晩は20時過ぎには意識を失ってしまったのだが、結局はその後、何度か途中覚醒しながらズルズルと7時前まで寝てしまった。ここ最近には珍しいぐらいの長寝。どうやら普段夜寝られないのは運動不足も原因の一つか? 昼は暑かったのでタオルケットで寝てたのだが、夜中になると寒くなってきて掛け布団を押し入れから引っ張り出すことになった。さすがに北国である。

 なおこの宿は座敷童子が出ると言われている宿であるが、私の心が濁っているせいか、それとも爆睡してしまっていたせいか座敷童子には完全に無視されたようである。

 テレビをつけると何やら健康の番組を放送していて、夏に起こりやすい急性腎障害(AKI)なるものを紹介していたのでしばしそれを見る。水分不足などが腎機能に影響するのだという。注意するのは尿の色。これがあまりに濃いようだと腎機能の低下が疑われるので病院へとのこと。また頻尿なども腎機能の低下の可能性があると言う。で、腎機能回復訓練としての有酸素運動とのこと。ここで以前にガッテンにも登場していた上月先生が登場していた。

 ところでこの番組、以前に日テレのアナウンサーだった西尾由佳理氏が出ているようだが、昔とは顔立ちの雰囲気が変わったような気がした。以前から美人ではあるが結構個性的な顔立ちだった方だが、以前に比べてやけに鼻が目立つ顔立ちになった印象。全体的に顔がコケたのだろうか。

 朝食は野菜中心の和食。非常に健康的な印象である。なかなか美味くはあるが、私としてはもう少し肉気も欲しい。

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野菜中心の朝食

 このまま宿にいても仕方ないので、8時過ぎにはチェックアウトしてしまう。その後は、駅前の観光案内所で休息、売店のマスカットサイダーを頂いたり(本当にマスカットの味が強烈にする)、この原稿を入力したりで時間をつぶす。

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マスカットサイダー

 

快速はまゆりで釜石へ

 釜石までは快速はまゆりで移動することにしている。列車の到着時間前に駅に入って列車の到着を待つ。しばし後にキハ110系三両編成のはまゆりが到着。一両が指定席で二両が自由席。やや混雑しているが、遠野で降りる客も多いため何とか席を見つける。

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快速はまゆり

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車内

 列車はしばし遠野周辺の田園地帯を走行するが、間もなく深い山の中に入っていく。沿線にはたまに住宅があるが、テレビ朝日の番組が取材に来そうな雰囲気。

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遠野近郊の風景

 

三陸鉄道で三陸沿岸を視察しつつ宮古へ

 1時間弱を要して列車は釜石に到着。しかし釜石駅が近づくと、沿線にはやけに大勢のカメラを構えた人物がたむろしている。何だと思えば、昨日釜石に到着したSL銀河が間もなく発車する模様。恐らくこの列車でやってきてSL銀河で引き返すという者もいるのだろう。私は向かい側のホームに入線している二両編成の三陸鉄道の車両に乗車する。今回の遠征はこれに乗りに来たようなものでもある。二両編成の後ろの車両は観光用の車両のようだ。団体客らしき連中が乗り込んでいる。

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三陸鉄道車両

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欧風列車内部

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こちらは通常車両

 三陸鉄道車両はクロスシートで中央にテーブルがあるのがうれしいところ。おかげで原稿入力作業がはかどる(笑)。まさに今、現在進行形で原稿入力作業中である。

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私の出張オフィス(笑)

 三陸鉄道はかつてのJR山田線を三陸鉄道が経営を引き継ぐ形で復活させたもの。JRとしては収益性の低い路線と言うことでこの機会に廃線にする気満々だったのだが、地元がそれでは困ると自治体が抱える形で復活させた路線である。

 やがて三陸鉄道の車両はSL銀河と同時刻に発車する。数メートルの間をSLと併走。すぐそこに見えるSLの姿に車内でも興奮する客が数名。さすがに観光鉄道、なかなか考えてある。

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向こうのホームではSL銀河が

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しばしSLと併走する

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SL

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段々と距離が開く

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そして別れ

 

 列車はすぐに山の中を走るが、これが実は海の際。隣の両石駅はまさに海の近くで、恐らく先の津波では甚大な被害が出たであろうと推測される。現在は防潮堤らしきものが建設されている。

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両石では背後に防潮堤が見える

 次の鵜住居駅は新興住宅地の真ん中のイメージ。先の震災で被害を受けた地域を造成し直して復興したようである。海側にはかなり巨大な防潮堤が建設されている。しかし更地がやけに多いのが気になるところ。何となく復興が軌道に乗っていないのではということを感じる。ここで対向列車とすれ違うが、一両編成の対向列車は満員である。

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鵜住居駅の周辺は更地

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ここで対向列車とすれ違う

 隣の大槌も町並みとして鵜住居と同じような印象。海側に巨大な防潮堤があり、造成し直された土地に新しい家がいくつも建っているが、やはり更地が非常に目立つ。それに気になったのは、災害防止のためにやむを得ぬこととは言え、巨大な防潮堤を建設することで海が見えなくなっている。以前にテレビで現地住民が「海と一緒に暮らしてきたのに、完全に海から切り離された」と言っていた意味が実感できた。

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大槌では巨大堤防建設中

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駅の周辺は完全に更地

 吉里吉里は海岸線がやや遠く、山間の斜面であることが幸いしたのか、駅の周辺に見える住宅地は以前からのものと思われ住宅の密度も高い。ここでも海岸に防潮堤を建設中である。

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吉里吉里の奥地は比較的被害は軽微

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浪板海岸の海

 岩手船越駅は本州最東端の駅。山間からやや下ったところに駅がある。駅の左側に当たる高台側集落には被害の様子は見られないが、駅の右側の低地は恐らく壊滅しただろうと思われる。沖合との島の間に土砂の堆積による平地が出来たという地形なので、その平地部の南北両岸に防潮堤が建設中である。

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岩手船越南部の防潮堤

 織笠の駅は位置がGoogleMapと変わっている。以前の所在地の集落が津波で壊滅していることから、その影響だと思われる。次の陸中山田は津波で壊滅した大都市という空気がビンビンと伝わってくる。海側に築かれた高い壁と、更地の目立つ町並みが印象に残る。壁の圧迫感が半端なく、あの壁を越えて超大型巨人が顔を覗かせるのではという妄想さえ浮かぶ。

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かつての織笠駅周辺は何もない

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陸中山田は海の風景を防潮堤が塞ぎ

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駅の周辺は壊滅的

 陸中山田を過ぎると線路はしばし山中を走る。恐らくこの辺りは先の震災でも被害はなかっただろう。沿線は長閑な山間集落でホッとする。山間を長時間走った後に川沿いのやや低地まで降りてきたところが豊間根だが、ここはまだ海からも距離があり、集落も被害を受けていない模様。さらに下った払川辺りも大丈夫そう。

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ホッとするような山間集落の風景

 次の津軽石から宮古市になる。宮古市は先の震災で甚大な被害を被った町であるが、駅の周辺を見る限りでは、今までの町に比べると復興も比較的進んでいる印象を受ける。

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この川を越えると宮古駅

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宮古駅に到着

 三陸鉄道を通して三陸沿岸の実情を目の当たりにしたが、これによると未だに復興が進んでいないという印象が強い。しかも驚くのは東日本震災から8年も経つのに、未だにたかだか防潮堤の工事さえ済んでいない地域があること。安倍が東京利権ピックを最優先にしたツケだろう。こんなことをしておいて復興五輪などと名乗るなどまさに詐欺行為である。と言うか、あの総理は今まで詐欺行為以外はしたことがないが。

 宮古で列車を降りるとここからはレンタカーに乗り換えることにする。駅前のニッポンレンタカーを予約している。貸し出されたのはダイハツのブーン。いかにもパワー不足を感じる車であり、運転感覚は鈍重。

 

大槌城 大槌氏が築いた山上要塞

 最初に目指すのは、ここから南方に走って大槌町の大槌城。室町時代に地方豪族の大槌氏が築いたという山城である。山上まで車で登れるとのことなので山道(と言っても道幅は狭いものの舗装された立派な道路である)を登る。一番上のロータリーになっているところに車を置いて登ったすぐ脇が最高所にある本丸である。

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山頂ロータリーの脇が本丸

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海が見える

 本丸はやや狭い。建物を1つ建てるのが限界だろうと思われる。回りは切り立っており堅固である。ただ整備はされているのだがね草刈りが追いついていないのか、足下が鬱蒼としていて歩きにくい。

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本丸はあまり広くはない

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本丸から二の丸を見下ろす

 この一段下にあるのが二の丸。これがかなり広大な曲輪。この城のメインはここの曲輪にあったろうと思われる。かなりの高所にあって周囲も切り立っているので極めて堅固と言える。なお足下が鬱蒼としているのは相変わらず。

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二の丸へ降りる

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二の丸

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二の丸は奥にかなり深い

 ここからさらに下に三の丸があるが、ここら辺りになると降りる道自体も鬱蒼としていて足下が分からない状態。かなり広さのある三の丸も鬱蒼としている。

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三の丸に降りる道はこの状態

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三の丸

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三の丸も奥に深い

 この下に四の丸もあるらしいが、かなり降りてきているので引き返すことにする。下の方に駐車場があったようなので、そこから四の丸に登れるだろうと考えてのことである。

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四の丸に向かう道はさらに鬱蒼としている

 車まで戻ると下の駐車場に車を置いて登る。すぐに四の丸にたどり着くだろうと考えていたが、これが間違いだった。かなり登って到着したのは、四の丸ならぬ山頂ロータリー。どうやら尾根違いだった模様。

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下の駐車場から登ってみる

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ここを進んでみるが

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何と山上ロータリーに到着してしまう

 こうなったら意地でさらに車道を下に降りてみると、登口があるのを見つける。これこそ本命と睨んで進んでみたのだが、思いの外登りが長い上に道は鬱蒼としていて進むのが大変な状態。それでも意地になってとにかく進んでいくと、ようやく到着したのは・・・二の丸。もうこの時点で天を仰いで「オー、マイブッダ!」である。

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ここから登ってみる

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ドンドンとひどくなっていく道を最後まで登り切ったが・・・

 仕方ないのでここから三の丸を経由して四の丸に降りていく。結局は最初からこうしておけば良かったのだ。四の丸もこれまでの曲輪に匹敵するぐらいの広さがあるが、鬱蒼度合いは今までで一番ひどく、とても踏み込む気になる状態ではない。そして道は四の丸からさらに下に続いている。

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降りていった四の丸はかなりひどい状態

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とても踏み込んでいく気にはならない

 もうここまで来たらヤケクソ、今更来た道を引き返す気にもならず、「えいっ、毒食わば皿までだ!」とその先に進むことにする。もうここまで来ると何がどこに通じているか見極める気持ち。

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高圧鉄塔を過ぎてさらに降りていく

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一番下の登山口に出た

 道は途中で高圧線鉄塔を過ぎて延々と下に続いている。これはもしかして山を下りてしまうのではないかと思ったが、そうなったらそうなった時である。半分腹をくくって降りるところまで降りてくると、最後は山道の入口のところまで出てくる。どうやらこれで私はここの登山道全ルートを通ってしまったようだ。ここから車を取りに行くためにトボトボと車道を上っていく。もう足がほとんど終わっているので、もし10分以上かかったら行き倒れになりそうだったが、幸いにして5分程度で車を止めた駐車場にたどり着く。

 公園化されている城郭なので、サクッと回ってしまうつもりだったのだが、完全に思惑と違って本格的山歩きをする羽目になってしまった。何をしてるんだと情けなくなるが、まあ最近の運動不足をまとめて解消したと前向きに考えることにする。

 

千徳城 室町時代の千徳氏の山城

 大槌城の見学・・・というか山歩きを終えると宮古まで戻ってくる。日が沈む前にもう一カ所だけ立ち寄ることにする。それは宮古にある千徳城。どうやら千徳神社の奥にある山城らしい。

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千徳神社では何やら祭礼の模様

 千徳神社では何やら祭礼があるらしく、近所の檀家による幟の類いが多数建っている。それを通過して千徳神社に登るが、これがかなり急な階段。先程の大槌城で足が完全に終わっているので、これを一気に登れず息も絶え絶えになる。ようやく5分ほどかけて神社に到着した時には半分死にかけ。

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神社を登っていく

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石段を登るのがツラい

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千徳神社の祠

 行き倒れにならないように呼吸を整えながら神社の裏手に回り込めば、確かに奥に山は続いており、道とは言えないような踏み跡がある。そこでその踏み跡に従って先に進んでみることにする。

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裏手には堀切で尾根筋を断ち切った跡が

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登っていく

 神社の裏手は尾根筋を断ち切ってあるようだ。そこからさらに進むと削平した曲輪と思われる地形や切岸ではと思われる地形などがあるのだが、どうも城の自体の縄張りの情報がないため、現在どういう箇所を歩いているのかがサッパリ不明。しかも先に進むほどにたどっていた踏み跡が不明瞭となっていく。

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曲輪らしき削平地はある

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しかし段々と足下が怪しくなる

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最早何のことやら

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この奥などは切り岸のようにも見えるが

 日は既に西に傾いてきているし、現在地も分かりにくい。このまま先に進むことは道を見失ってしまう危険も考えられた。ここで私は一人山歩きの鉄則「道のない場合は無理して進まない」に従って撤退を決意する。奥深い山ではないので最悪は下に向かえば民家に出られる可能性は高いが、それよりも日没のタイムリミットが近いことが気になる。道がまだ分かる内に引き返すに超したことがない。

 どうやら思っていたよりも大規模な城郭らしいということは感じたが、それ以上は私には把握できなかった。これは次回以降の課題・・・と言いたいところだが、宮古を再訪することはもうなかろう。

 

浄土ヶ浜の事前視察

 後は日没までの時刻で明日訪問予定の浄土ヶ浜の遊覧船乗り場の視察を行っておく。宮古の駅前は津波の被害の様子はあまり感じなかったのだが、東の港の方に来ると町全体がガランとしており、恐らく先の地震による津波で壊滅したのであろうことが忍ばれる。そのガランとした町に、巨大な防潮堤だけが建っている。

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巨大な防潮堤

 浄土ヶ浜ビジターセンターは海沿いの山上にある。ここは万一の津波の際の避難所にもなっているようだ。ビジターセンターは3階から地下1階までの建物で、内部には三陸海岸に関する展示などがあり、地下1階から遊覧船乗り場を経由して浄土ヶ浜まで遊歩道がつながっているようである。

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浄土ヶ浜ビジターセンター

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館内には展示施設が

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遊覧船乗り場と

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さっぱ船乗り場を確認しておく

 

ホテルにチェックイン後、駅前で夕食

 もう既に日は西に傾いて沈みかかっている。今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのはホテル宮古ヒルズ。ごく普通のビジネスホテルである。

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ホテル宮古ヒルズ

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通常のビジネスホテル仕様

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ただし洗面台がなぜかこの位置

 ホテルにチェックインして荷物を置くと、とりあえず夕食を摂るために外出する。どこに行くかよく分からないので、駅前まで来たところで見かけた蛇の目本店に入店。宮古まで来たのだからとウニ飯(3700円)を注文する。

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蛇の目本店

 味に関しては想定内と言うところ。美味いが正直これだけの価格をつけてこういうネタを用いたらこのぐらいは出来るよなという想定内である。残念ながら函館でウニを食べた時のような鮮烈な感動はない。ウニの鮮度などもさすがに及んでいない。

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ウニ飯

 夕食を終えると近所のスーパーに立ち寄って飲み物を購入してからホテルに戻る。ホテルに戻って汗を流すためにシャワーでも浴びようかと思っていたら、このホテルに男性専用の大浴場があることに気づく。あまり積極的にアピールしてなかったので気がつかなかった。そこで入浴しに行くことにする。比較的最近に整備したのか風呂自体は綺麗。ただ浴槽は大きいのだが、水深が浅いのがやや不満。浴槽を2/3にして水深を1.5倍にすれば良いのに。

 とりあえず手足を伸ばしてゆっくりとほぐす。そうしておかないと明日が心配。千徳城では途中で引き返したものの、結局はトータルで想定外の長距離山歩きになってしまった。特に大槌城で二回も山の上まで登ったことが効いて、iPhoneのヘルスケアによると、歩数1万5千歩はともかく、上がった階数が56階。このソフトは降りる方はカウントしないんだが、ほぼ同じだけ降りているはずであり、これも確実に足腰にはダメージとなる。おかげで体がガタガタである。

 入浴を終えると部屋に戻ってテレビを見ながらボンヤリと過ごす。そのうちにNHKスペシャルが始まったのでチェック。これについては後日に教ドキュの方に記載することにする。

tv.ksagi.work

 番組が終わったところで食堂に夜食に出向くことにする。このホテルの面白いサービスはセルフの夜食用お茶漬けサービスがあるところ。食堂に行くとご飯と湯と永谷園が用意してあり、客はこれでセルフでお茶漬けを作れるという仕組み。とりあえず小腹を満たすことにする。

 部屋に戻ってヤルヴィ/N響のニールセンを見ているうちに疲れが押し寄せる。23時には就寝する。

 

SL銀河でカッパの里遠野へ、遠野周辺散策(カッパ淵や横田城を見学)

 翌朝は7時までウトウトとしていた。老化による睡眠力の低下で、この時間まで一気に寝通せずに途中で何度か覚醒してしまうのがツラいところ。

 起床するとまずは朝風呂の小原庄助さんコース。これがまた快適至極。湯の暖かみが体に染みこんでくる。

 体が温まって動くようになったところで朝食バイキングに繰り出す。こちらも品数十分。朝から出汁茶漬けがあるのが私にはうれしい。朝から和洋両用でガッツリと頂くことにする。

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出汁茶漬けのある和食朝食

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さらに洋食でもガッツリ頂く

 朝食を終えるとチェックアウトの支度。今日は古川駅から9時50分のはやぶさで新花巻まで移動するので、それまでにレンタカーを返却して古川駅に到着する必要がある。チコちゃんが始まる頃にはチェックアウトすることにする。

 

古川から東北新幹線で新花巻へ

 小雨がぱらついていた昨日と違い、今日はやや暑いぐらいの晴天である。古川までの運転は至って順調で問題なくレンタカーを返却すると、予定よりやや早めに古川駅に到着する。

 さてこれからであるが、新幹線で新花巻まで移動すると、そこからSL銀河に乗車して遠野を目指す。今日は遠野で一泊の予定だ。以前から遠野付近の空気には惹かれており、一度ここで宿泊したいと考えていた次第。今回はその宿題の解決も目的にある。以前にこの地域を通過した時に、SL銀河とすれ違っており、どうせなら次に来る時にはこれに乗車したいと考えていた。

 新花巻までの移動は面白くもない半地下新幹線。それにしても前から感じていたのだが、東北新幹線の車内メロディ、私にはどうしても「キャンディキャンディ」に聞こえてしまう。

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新幹線に乗車する

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秋田新幹線部の車内

 

新花巻でSL銀河に乗車する

 新花巻での新幹線と在来線は改札外接続。そもそも在来線の新花巻駅は線路脇にいかにも急造した無人駅のようである。かなり幅の狭いホームに今日はSL銀河の乗客が大量に殺到。アジア人観光客らしい連中もチラホラと見かける。

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在来線新花巻駅は改札外接続

 数分で西の方からSLが黒煙を上げながら到着する。汽笛の音に一堂のテンションも上がる。到着すると乗客がゾロゾロと乗り込むが車内は満員状態。しかも洒落たデザインが徒となって、座席が狭い上に網棚も小さいので荷物が溢れているような状態。

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SL銀河が到着

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車内風景

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車内は宮沢賢治博物館

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このような展示やら

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宮沢賢治関連展示が多数

 車内には宮沢賢治関連の展示が多数あり、土産物販売にも力を入れている。多くの客は座席に座ることもなく車内をウロウロ。山の中を抜けたSLはやがて宮森に到着。宮森では対向車と行き違いのために数分停車。これが乗客にとっては格好の撮影タイム。あちこちで記念写真を撮影している連中が。

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宮森の停車時は撮影会タイム

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機関車

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白鳥座

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射手座

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そして蠍座

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車両最後尾

 対向車の快速が到着すると、SLは宮守を出発。宮森を出るとすぐに鉄橋があるのだが、鉄橋の下には手を振る地元民と撮り鉄のカメラの砲列。

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地元民と撮り鉄たち

 では、令和版汽車ぽっぽ

 汽車汽車ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 アジアン乗せてしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 のろいぞ のろいぞ 窓の外
 野山も畑もみな過疎だ
 走れ走れ走れ 鉄橋だ 撮り鉄の大軍だ
 
 ちなみに平成版汽車ぽっぽを再掲

 汽車汽車ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 鉄オタ乗せてしゅっぽしゅっぽしゅっぽっぽ
 のろいぞ のろいぞ 窓の外
 ジジイの軽トラ先にゆく
 走れ走れ走れ トンネルだ 窓締めろ!そこのガキ

 

 宮守を出たところで車内のプラネタリウムを見ることにする。プラネタリウムと言っても大したものではなく、宮沢賢治の銀河鉄道の夜のエピソードを小部屋の天井に映すだけの10分程度のもの。そう言えば昔、キャラクターを全部犬にした銀河鉄道の夜のアニメ映画があったな。あれは結構名作だった。

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プラネタリウム整理券

 

カッパの里遠野に到着

 1時間半ほどでSLは遠野に到着する。ここで1時間ほど停車した後にSLは釜石を目指すが、私はここで降りることになる。

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遠野に到着

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大撮影大会と化している

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遠野駅舎

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遠野駅で配られたカッパ飴

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遠野駅はベンチまでカッパ模様

 まずは昼食を摂る必要がある。駅前の観光案内所に立ち寄ると、土産物コーナー(カッパ尽くしである)を覗いて、地元サイダーで一服してから、飲食店マップをもらう。それを参考に鍋倉城の方向に向けてプラプラ歩く。

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観光案内所売店はカッパの聖地

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これ結構好き

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地サイダーを頂く

 遠野はカッパの町だが、町のあちこちにカッパがいる。ただそれに紛れて桃太郎ご一行様までいたのだが、これはどういう関係?

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町中はカッパの聖地

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その中になぜか桃太郎様御一行が

 

遠野名物ひつこそばを昼食に頂くと城下町散策

 昼食を摂るのに立ち寄ったのは伊藤家。観光客が大量に来店しているようでしばし待たされることになる。20分ほど待たされた後に注文したのは遠野名物という「ひつこそば」。小さい容器に入った三段のそばで、それに薬味の入った一段が加わる。形式としては出雲のそばを連想させる。薬味はねぎ、しいたけ、なぜか鶏肉。後は大根おろしも添えられている。これらを加えてそばつゆをかけて頂くタイプ。やはり出雲のそばを連想する。なかなか美味。

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伊藤家

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遠野名物ひつこそば

 昼食を終えると、かつての城下町の風情が残る一角をプラプラと散策しながら駅方面に戻ってくる。とりあえず荷物を預けて身軽になりたいと考え、今日宿泊する予定の民宿とおのに立ち寄ると荷物を預けることにする。

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城下町の面影のある町並

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蔵造りの建物などがある

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城下町資料館に入館

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内部にはゆかりの資料が展示

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民宿とおの

 

レンタサイクルでカッパ淵へカッパの捕獲(笑)に

 身軽になると再び遠野駅に戻って駅前の観光案内所でレンタルサイクルを借りることにする。通常の自転車と電動アシストがあるようだが、体力に全く自信のない私は追加料金を払って電動アシストを借りることにする。

 最初に向かったのは5キロほど先のかっぱ淵。カッパが出ると言われている水辺である。ちなみに遠野市ではカッパに懸賞金がかかっているらしく、見事にカッパを捕まえると一千万円だそうな。一攫千金目指して自転車を漕ぐ。途中で電動アシストの割にやけにペダルが重いと感じて確認したら、コントローラにエラーが出ていてモーターが作動してなかった。

 田んぼの中をしばしツーリングした後にたどり着いた常堅寺の奥にある水辺がかっぱ淵。いざ現地に着いてみると思っていたよりも水深が浅い。もしカッパが現れたとしたら、この水深だったら丸見えである。カッパ釣り用のキュウリの付いた竿なども置かれてあり、カッパ捕獲の許可証を入手しておけばこれを使えるとか。ただ見渡したところ、カッパは夏休み最終日で外出中であった模様である。

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常堅寺山門

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カッパ淵はこの常堅寺の奥

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いかにもそれっぽい水辺

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かっぱ淵

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かっぱの祠

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カッパ釣り用装備

 

伝承村を見学

 かっぱ淵の見学の次は近くの伝承村に立ち寄る。ここは昔の農家に養蚕関係の器具などが展示してある。住宅はいわゆる曲がり屋という厩舎と家屋が一体となったこの地域らしい構造である。この地域には馬に恋してJRAの騎手になった・・・じゃなくて馬と共に天に昇ってしまった娘の伝説があるらしい。なおここの売店で桑茶が無料で振る舞われていたが、これが意外にサッパリしてうまい。なるほど蚕が桑ばかり食べるわけだ(笑)。

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伝承村

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農家の曲家

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内部には養蚕関係の展示

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佐々木喜善記念館

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その前に立つこの萌え少女は誰?

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そう言えば、こんな映画も昔あったな・・・

 伝承村を出ると西に向かって走る・・・はずだったのだが、かなり行ったところで何やらおかしいことに気付きGoogle先生にお伺いを立てたら、何と北に向かって走ってしまっていた。慌てて出発点まで戻って修正。またも無駄に体力を消費してしまった。それでなくてももう予備体力はあまり残っていないのに。

 

横田城 鎌倉市時代の城郭跡

 これから目指すのは横田城。鎌倉時代の城郭と言われているが、築城年代等は不明らしい。恐らく地域豪族の城館だったのだろう。しばし自転車をこいでいると、それらしい小山が見えてくる。

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横田城登山口

 かなりマイナーな城跡なのだが、現地手前から看板が立っており、現地では案内看板に従って進むと城の南側に登山口がある。それに従って進むと迷う余地もなく本丸の祠のところまでたどり着ける。所要時間は大体10分ほどで、急な階段を2カ所登るだけなのだが、それだけでヘロヘロになる私の体力の情けなさ。階段を登り切ると意外などほどの広さの平地に出て、その奥に祠が建っている。地方の小城と侮っていたが、山上の面積は意外に広いのでそれなりの防御力を持ったそこそこ広い館を構えることが出来る。この周辺は平地で田んぼも広いことから、それなりの実力者がここに屋敷を構えたのではないかと推測される。

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このような階段を2つほど登ると

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祠のある曲輪に到着する

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本郭の祠

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本郭にあるヤマザクラ

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祠の背後は鬱蒼として深い

 横田城の見学を終えるともう体力も限界だし、自転車のバッテリーの方も心許なくなってきたことから駅に戻ることにする。途中のセブンイレブンで現地製の甘酒でエネルギーチャージ。無加糖とのことなのだが、その割には非常に甘い。エネルギーチャージには良さそうだが、日頃から愛飲していたら太りそうだ。

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現地産甘酒でエネルギーチャージ

 

民宿とおので宿泊

 16時過ぎに駅前まで戻ってくると観光案内所に自転車を返却して宿に向かうことにする。民宿と言ってもいろいろあるが、民宿とおのは典型的な昔の民宿。部屋には鍵がなく、冷蔵庫は共用というパターン。部屋に冷房がないが、恐らくこの辺りでは不要なのだろう。

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民宿とおの室内

 荷物は既に部屋に入れてくれてある。とりあえず浴衣に着替えると汗を流しに風呂に。風呂はいわゆる少し大きめの家庭風呂レベル。とりあえずかなりの距離を自転車で突っ走ったせいで頭から汗だくになっているので、汗を流してサッパリとする。

 風呂を上がって部屋に戻るとすることがない。しばらく扇風機で涼んでいたがしんどくなってきたので早めに布団を敷いてその上に転がって休む。原稿の入力をしようと思ったのだが、極度に疲れているせいで知力も集中力も80%低下しており、全く文章が頭に出てこないので断念する。

 18時になると夕食のために食堂へ。ここの食堂には囲炉裏があって、この囲炉裏でヤマメを焼いている。このヤマメが実に美味。骨まで柔らかく食べられるのが驚き。私はメインはジンギスカンのプランだったのだが(なぜか遠野の名物がジンギスカンらしい)、これは少し失敗。今の私はジンギスカンで肉を食うよりは、和食でしっかり頂きたい気分。若い頃とは感覚が大分変わっていることを痛感した。なお付け合わせの小鉢は現地野菜のメニューばかりだが、これが意外に美味い。どちらかと言えば野菜嫌いの私がそう感じるのだから間違いない。

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夕食

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囲炉裏ではヤマメが焼いてある

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骨まで食べられるこのヤマメが超美味

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遠野名物ひっつみ

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遠野名物ジンギスカン

 夕食を終えて部屋に戻ると、テレビは何もないし(そもそも電波の入る局数自体も少なく、驚いたことにNHKが入らない)、体が異常に疲れているしで、布団を敷いた上に横になっていたらそのまま意識を失ってしまった。

 

涌谷城を見学してから鳴子温泉で湯巡り

 翌朝は目覚ましで7時に起こされる。朝食はタン焼きなどもある仙台バイキング。ドーミーらしくご当地食含みのバイキングである。

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タン焼きもあるドーミーバイキング

 テレビをつけて天候を確認するが、どうも今日は昼頃にかけて天候が怪しくなるようだ。続けて朝ドラの「なつぞら」が始まるが、どうやらストーリーがアニメ製作に復帰するようだ。「ホルス」が出てきた辺りでは盛り上がったが、ホームドラマ化してから急激につまらなくなったと言われていたので、アニメ復帰は必至だろう。私はこのドラマはあまり見てないのだが、主演の広瀬すずの演技の表情の乏しさと、棒読みナレーションが気になるところだ。次の番組の朝イチにまで広瀬すずが登場してNHKは全力の広瀬すずあげ。最近はこの娘をテレビで見かけることが増えてきた。確かに可愛い子だが、いつも感じるのは何か回りが異様に気を使っている雰囲気。もしかして取り扱いの難しい子なんだろうか?

 

古川に高速バスで移動

 体を温めるために朝風呂に繰り出すと、一休みしてからチェックアウトすることにする。今日の予定だが、古川に移動してレンタカーで鳴子温泉に移動というもの。鳴子温泉到着前にこの近辺の城郭に立ち寄るつもりでいたが、天候によってはその予定は見直す必要がありそう。さらに難儀なのが古川への移動。新幹線を使えば10分ちょっとなんだが、この時間帯の新幹線は全席指定のはやぶさのみで、一駅だけの乗車に指定券2000円以上が必要というあまりのボッタクリぶり。在来線で行くことも考えたが、1時間以上かかる上にとにかく本数がない。自由席もあるやまびこを待とうにも11時頃までない。仙台市民はこんな理不尽に耐えているのだろうかと疑問を感じて調べたところ、どうやらJR高速バスが出ている模様。1時間近くかかってしまうが、30分に1本の頻度で運行されている。古川までのJR乗車券が無駄になるがこれを使用することにする。

 古川までは1時間ほどで到着する。なお全席指定の新幹線の場合も、自由席券で空いている席に座れるらしいということを私が知ったのは、翌日に古川から移動する時だった。JR東日本のHPをザクッと調べただけでは分からなかったのだが、さては積極的にアピールしてないな(まあJRとしてはことさらにアピールするべき理由はないわな)。時間を無駄にしたが、車窓の風景は意外に興味深かったし、料金はほとんど変わらないので良しとしておくか。

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古川駅に到着

 古川からはレンタカーで移動する予定。駅近くのオリックスレンタカーでホンダのフィットを借りる。この車に乗るのは初めてだが、パワー不足気味なのかどことなく動きに重さを感じる。特に発進時のドッコイショというような感覚はイマイチ。それに車内空間がいかにも狭い。身長168センチと決して長身とは言えない私でも、頭が屋根にスレスレ。大柄の男性なら乗り込むだけでも大変だろう。女性用の買い物車か。

 

涌谷城 涌谷伊達氏の居城

 さてこれからどうするかだが、当初考えていたプランは諸々あったのだが、この雨がぱらつく状況下では本格的山城攻略は無理と考えるべき。そこでいくつかの代替プランの中の涌谷訪問プランを実行することにする。古川から30分ほど東に走った先に涌谷城がある。

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川沿いにある涌谷城

 涌谷城は川沿いの高地の上にある。元々の涌谷氏による城郭は駐車場になっている部分が二郭で、現在は神社となっている部分が本郭だったという。しかし伊達氏配下の亘理氏がここに移ってきた時に、手前の部分を削平して大規模な二の郭として造成したという。なお亘理氏は後に伊達姓を名乗ることを許されたことから、涌谷伊達氏の誕生となる。現在、二の郭の手前に天守型の資料館(要するになんちゃって天守である)と隅櫓(江戸時代からあったものらしいが、明治以降に壁等にかなり手が入っている)が建っている。なお手前の石垣が明らかに製造年度が違うものが組み合わさっているが、隅櫓下の石垣は往時のものであり、それに後で新しい石垣を付け足したようだ。

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この駐車場が元々の二の郭

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公園化しているのが後に整備された二の郭

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涌谷城資料館

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隣にある隅櫓

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隅櫓下の石垣は往時のもの

 資料館内には涌谷地域の考古的資料、さらに涌谷伊達氏の歴史にまつわる展示(伊達騒動の件なども含む)が展示されている。地方によくある民俗史料館+自然史博物館+歴史博物館という構成である。これによるとこの地域は奈良時代には金の採掘でかなり栄え、奈良の大仏建立のための金もこの地域から産出したものであるとのこと。

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資料館内の展示

 二の郭は完全に公園整備されてしまっているせいで石垣以外の遺構は皆無である。本郭の方にも登ってみたがこちらも遺構はなし。ただそれなりの規模の城郭であることは分かる。涌谷伊達氏は公称2万石クラス。実質石高は4万石相当だったらしいから、伊達氏配下と言いながら実質的には小大名クラスである。そのために戊辰戦争にも奥羽越列藩同盟の一員としてそれなりの兵力を拠出したらしい。

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本郭にある神社

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伊達の九陽紋

 

天平ロマン館と金山神社を見学

 涌谷城の見学を終えると奈良時代の金山絡みの施設である天平ロマン館を見学することにする。ここではかつては砂金が産出し、それらが聖武天皇に献上され、これで大仏建立の見込みが立ったと大いに天皇を喜ばせたという。なおこの時に金の採掘に貢献したのは百済からの渡来人であり、彼らの持つ高い技術が金の採掘を一気に進めることになったとのこと。

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天平ロマン館

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砂金の展示

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百済の金香炉のレプリカ

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隣の売店には天平萌え美人が

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さらにありがたい方がくつろいでいる

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金運だるま

 天平ロマン館見学の後は、この奥にある金山神社を参拝しておく。これはかつてこの地に祭られていた神社を復興したものだとか。金運に関する御利益があるとのこと。これで私も豊かな生活が約束されるか?

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金山神社

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この石が礎石だとか

 涌谷の見学を終えると鳴子温泉に向かうことにする。小牛田や古川を超えて西に向かう。道路は結構混雑しているのでスムーズに走りにくい。

 

道の駅で昼食

 岩出山を過ぎてさらに進んだところで道の駅あ・ら・伊達な道の駅に立ち寄って昼食を摂ることにする。道の駅のカフェで山菜ナメコそばを注文。明らかに麺はゆで麺で腰がないが、ナメコが意外に美味かったので良しとするか。さらにここで夜食用のずんだ団子を購入しておく。 

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道の駅あ・ら・伊達な道の駅

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昼食の山菜ナメコそば

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ずんだ団子を購入

 

鳴子温泉幸雲閣で宿泊

 鳴子温泉に到着したのは15時過ぎ。とりあえずホテルに一旦入ることにする。今回宿泊先に決めたのは大江戸温泉幸雲閣。私の部屋は洋室のシングルルーム。この手の温泉ホテルでよくある添乗員部屋もしくは従業員部屋というところか。

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大江戸温泉幸雲閣

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シングル洋室

 一休みするとまずは大浴場に入浴に行く。ここは最上階に温泉大浴場がある。やや黒ずんだ着色のある湯でナトリウム-硫酸塩・炭酸水素塩泉とのこと。弱アルカリ泉である。若干のヌルヌル感はあるがそう強くはない。刺激の少ない湯。

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大浴場入口

 大浴場を出ると百畳露天風呂に入りに行く。こちらはナトリウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物泉とのことで、中性の湯とのこと。着色もなくおとなしい湯。

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百畳露天風呂

 

やっぱり湯巡りをすることに

 鳴子温泉と言えば隣の旅館とでも湯が違うと言われるぐらい、とにかく様々な泉質の湯があることで有名な温泉地。館内の温泉を一渡り回ったがやはり湯巡りをしてみたいところ。どうやらホテルから湯巡りバスが出るとのことなので、それで湯巡りすることにする。やはり湯巡りしてこその鳴子温泉である。

しんとろの湯

 バスに10分ほど乗って最初に向かったのは、鳴子温泉の隣になる中山平温泉のしんとろの湯。ここの湯は含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉とのことだが、かなり強いアルカリ泉で、何とpH9.2。湧出泉温が90度以上とかなり高いので、裏手に木の樋を通して自然冷却したものを掛け流ししている。入浴すると皮膚がヌルヌルというか溶けるんじゃないかという感触。1時間浸かってたら体が溶けてシチューになりそうだ。

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しんとろの湯

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浴場

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裏のこの木の樋で源泉を冷ましている

滝の湯

 次はまたバスで送ってもらって滝の湯に行くことにする。ここは共同浴場という何とも言えない趣がある。こちらは泉質は硫黄泉。青みかがった白濁があり、先程の湯と違ってやや肌に強い当たりの湯である。また北国の共同浴場にありがちだが、とにかく湯が熱い。

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共同浴場滝の湯

ますや

 滝の湯の次はますやに立ち寄る。ここは大江戸温泉の系列なので無料で入浴可能。泉質は先程の滝の湯と同じ硫黄泉。ただこちらの方は湯に濁りもなく、肌当たりも滝の湯ほどの強さはない。入りやすいタイプの湯だが、インパクトには欠ける。

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大江戸温泉系列のますや

 

 一渡りの湯を堪能してホテルに戻ってくる。なかなかに面白かったがいささか疲れた。部屋で一休みすると夕食にレストランに出向くことにする。

 夕食は大江戸温泉名物のバイキング。これがまた例によって物量がすごい。そばや寿司まで含めて一渡りを頂くが、まずまずである。デザートまで含めてガッツリと頂く。やはりこれあってこその大江戸温泉。この夕食の充実度が伊東園なんかと違うところ。

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夕食バイキング

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デザート類

 夕食を終えて部屋に戻ってくると、しばし疲れが出てグッタリ。そのうちにロビーでじゃんけん大会やマジックショーがあるというのでロビーに出向くことにする。じゃんけん大会は見事に初戦敗退。昔から私のくじ運・勝負運はこんなものである。マジックショーはなかなか楽しめた。やはりこういう場で披露するマジック芸は、本業の技術もさることながら、客を巻き込む話術が非常に大切であるということがよく分かった・・・などと一応ビジネスマン的なコメントをしておく(笑)。

 部屋に戻るとテレビをボンヤリ見ながら時間つぶしをした後、就寝前にもう一度入浴してからこの日は床につく。

 

名古屋フィル第470回定期演奏会&松坂城&名古屋城(本丸御殿)

 翌朝は7時半に起床。目が覚めたところで朝食へ。朝食は伊勢うどんなどのご当地食も含むドーミーバイキング。今日は朝から食が進む。

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ドーミーバイキング朝食

 さて今日これからどうするかだが、今日の予定は午後4時から愛知県芸術劇場での名古屋フィルのコンサート。それまでがフリーである。松阪辺りに立ち寄ることも考えていたが、気象情報を見ると向こうはかなり雨が降っている模様なのでチェックアウト時刻近くまで部屋でグダグダすることにする。

いざ、松坂へ

 しかしチコちゃんを見ながらウダウダしている内に「こんな無駄なことしてても不毛だよな」という気持ちが沸き上がってくる。そこでもう一度気象庁のHPをチェックしてみると、先程とは状況が変わって松阪周辺は小雨かうまくすると降らないのではという状態に。ここで意を決して松阪に向かうことにしてホテルをチェックアウトする。

 松阪へは急行で20分ちょっと。松阪に来るのはかなり久しぶりなので駅前の様子などは全く覚えていない。とりあえずキャリーを駅のコインロッカーに入れるとGoogle先生にお伺いを立てながら松阪城を目指す。

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松坂駅に降り立つ

 

松坂城 蒲生氏郷の手になる100名城

 松阪城周辺は路地が入り組んでいて、歩いている内に方向を見失ってしまうような構造。この辺りはかつての城下町の防御構造だろう。Google先生の案内がなければとてもまともに到着できなかったところだ。路地迷路を抜けると唐突に松阪城の石垣が目に飛び込んでくるが、あまりの立派さに息を呑む。そしてこの時に思いつく「ああ、やっぱりこれのせいで津城の記憶がぶっ飛んじまったんだな」。かなり可愛い子に会っていたにもかかわらず、その直後にトップ女優クラスの美女と出会ってしまったというようなパターンか。いや、これではあまりに私の状況とズレすぎていて例えにならんか。私の回りにはかなり可愛い子どころか、そもそも女性が不在なんだから。独身キャラの春風亭昇太が結婚したと話題になっていたが、やはり名前と金があれば50過ぎの城オタでも結婚できるということだろう。しかし私のような名前も金もない50過ぎの城オタに寄ってくる物好きな女性はいない。

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この手の方向を見失わすトラップのような道路が多い

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突然にこの石垣が目に飛び込んでくる

 松阪城はこの地を見下ろす独立丘上に蒲生氏郷が築いた城で、蒲生氏郷が福島に移った後は城主が転々として、江戸時代初期に紀州藩の藩領となって城代が置かれるようになり、そのまま幕末を迎えたようである。天守は江戸時代に台風で倒壊後に再建されることなく放置されたようだが、残りの建物は明治期に消滅した模様である。今日では石垣のみが当時の偉容を伝えるが、現在100名城に選定されている。

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松坂城構造図

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表門

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正面に見えるのは本丸石垣

 表門のところから見上げるような石垣が正面にあって圧倒される。思わず興奮して先を急ぎそうになるのだが、その前に脇にある歴史民俗資料館を覗くことにする。こちらでは昭和と平成の生活なるものを展示してあるが、昭和の家庭用品が懐かしいと言おうか何と言おうか。私自身がまさに使ったことがあるものから、古すぎて私には分からないものもあったが(笑)。

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歴史民俗資料館

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昭和の高級家電

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今や絶滅寸前の公衆電話

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昭和の食卓

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さすがにここまで来ると私の親の世代

 

 民俗資料館を見学した後は本丸に向かう。ここからまっすぐ進んだところが本丸下段。もう既にここでかなりの高度があるが、ここからさらに上に本丸上段がある。

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本丸を目指す

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正面が本丸上段の石垣で、左手が本丸下段

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本丸下段

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隅には櫓台がある

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既にかなり高い

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さらに上段に登る通路が

 ここはこの城の最高所。辺りを見渡せることが出来るし石垣上には櫓台もある。櫓台からは下の正門方向を見下ろすことが出来る。もし正門を突破してくる軍勢がいれば、ここから矢玉の雨を降らせるというわけである。

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本丸上段

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櫓台に上ると二の丸が丸見え

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隅には天守台がある

 この本丸上段には天守台もある。本丸上段の南西部にきたい丸が続いているが、こちらはかなり広い上に周囲を石垣に囲まれておりかなり堅固。また石垣の角ごとに櫓台があり、下を見張っている。松阪城裏手の守りの要とも言えるだろう。とにかく城全体が死角がないように組み立ててあることがよく分かる。

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天守台上からきたい丸を見下ろす

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きたい丸は石垣で囲われている

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石垣の隅には櫓台が

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とにかくかなりの高度がある

 

 ここから一段下の隠居丸に本居宣長の生家である鈴屋が移築保存されている。ここから一段降りたところに本居宣長記念館があるが、この間の門は埋門とあることから、有事の際にはここの門は完全に封鎖してしまうのだろう。本居宣長記念館には国学者であった宣長の功績を伝える展示がされているが、文書中心であるので展示としては地味。

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本居宣長の生家である鈴屋

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内部は普通の民家

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本居宣長記念館

 隠居丸の向かいにあるのが二の丸でここはかなり広大。先程の隠居丸と共に、最前線で城を守る防御拠点である。かなりの大兵が詰めることが出来るだけのスペースもある。

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二の丸はかなり広大

 ここから裏門に出ることが出来るが、本丸までの距離は正門よりもむしろこちらの方が近いことからか、巨大な枡形を備えたかなり防御が厳重な門である。とにかく松阪城の鉄壁の守りを実感することが出来た。さすが押しも押されぬ100名城、石垣だけでもお腹一杯というところ。

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裏門の枡形

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裏門

 

 この裏門を出たところには御城番屋敷の長屋があり、かつての武家屋敷街の面影が残っている。一部が公開になっているが、ここには今でも住んでいる人もいるようである。

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御城番屋敷の長屋

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一部が公開されている

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内部は意外に質素

 城下町をプラプラと散策しながら松阪駅に向かうが、途中で原田二郎旧宅が公開されていたのでそこを覗く。原田氏は先程の御城番屋敷の住民よりは下級の武士になるらしいが、この屋敷は明治以降に建て増しなどもされており、明らかに先程の御城番屋敷の長屋より立派な屋敷になっている。屋敷の主の原田次郎氏は実業界で成功し、社会福祉のために公益財団法人を設立した篤志家であるとのこと。明治維新のガラガラポンでそれまでの身分制度がひっくり返った典型例とも言えよう。

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原田二郎旧宅

 

昼食は松阪牛弁当を購入

 松阪城と城下町を後にすると松阪駅近くまで戻ってくる。そろそろ昼食のことを考えないといけないが、頭の中には実はプランがある。松阪と言えば以前に訪問した時に食った松阪牛弁当が非常に美味であったことが記憶に残っている。そこで商店街の弁当屋の新竹商店に立ち寄って元祖松阪牛弁当(1500円)を購入することにする。弁当なら駅の売店でも買えるのだが、ここで買うと温かいご飯を詰めてもらうことが出来る。

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弁当屋の新竹商店

 温々の弁当を持ってそのまま名古屋行きの特急に乗車・・・したかったのであるが、私が駅に到着したのはちょうど特急の出た直後だったようなので、津まで急行で移動した後、そこでアーバンライナーに乗り換えることにする。弁当を開いたのはアーバンライナーに乗車してから。記憶にあった通り、冷えても柔らかくて美味い松阪牛が最高。さすがにこの弁当は美味い。

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近鉄アーバンライナー

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元祖松阪牛弁当

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この弁当が美味い

 名古屋には1時間弱で到着する。さてこれからの予定であるが、今日は4時から愛知県芸術劇場コンサートホールで名古屋フィルのコンサート。開演まではザクッと2時間以上の余裕がある。そこでこの間に名古屋城の見学をすることにする。目的は最近になって再建がなった本丸御殿の見学。

 

名古屋城 言わずと知れた天下普請の巨大城郭

 名古屋駅地下のコインロッカーにキャリーを置くと市役所前駅に移動。ここから名古屋城の東門はすぐである。

 さすがに天下普請の城だけあって、石垣も堀も松阪城よりもさらにワングレード上。それにしても一体どれだけの人員を動員したら、重機もないあの時代にこれだけの巨大建造物を建築できるんだろう。権力とはすごいものである。それだけに権力とは正しい者が行使する必要があるのだが、現在の日本では私欲のためにしか権力が行使されていない。

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いきなり堀と石垣に圧倒される

 立派な東門枡形を抜けると二の丸。この敷地内に巨大な体育館がある。どうやら大相撲名古屋場所が開催されているらしく多くの幟が立っている。ここを先に進むと入場ゲートがある。入場料は500円。

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東門

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かなり大きな枡形である

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大相撲名古屋場所絶賛開催中

 二の丸を進むと細くなった通路を抜けて本丸表門の前。こういう構造は鵜の首というらしい。こういったところで敵軍の侵攻を妨げるような構造になっているようである。なお西の丸方面は広大な広場になっているが、実はこちらにもこのような構造があったのだが、明治になって名古屋城が天皇の別荘として使用されるに当たって、馬車を通行させるために埋めてしまったと観光ガイドが説明しているのが聞こえてきた。まあ何にせよ、本丸の櫓が正面の一段高い位置から見下ろしているので、この辺りで敵軍が渋滞したら見事に狙い撃ちの的である。

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二の丸内部

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本丸の堀と隅櫓

 本丸表門の枡形もまた巨大であるが、ここの内側にまた巨大で頑丈な門があったようであり、守りは鉄壁。表の高麗門を突破して枡形内に突入しても、前方を巨大な櫓門で阻まれた上に十字砲火を浴びるという構造である。とてもではないが突破は容易ではなかろう。

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本丸表門

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この巨大枡形の奥に櫓門があったらしい

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こんな感じ

 

本丸御殿はキンキラキンの世界

 本丸に入るといきなり本丸御殿にご対面。天守と違って高さはないのであるが、かなり巨大な建物で圧倒される。御殿に入場するには行列が出来ておりしばし待たされる。内部がごった返さないように入場規制をかけているようである。内部は豪華絢爛のキンキラキンの世界。とにかく襖絵だとか浮き彫りだとか、装飾が極めて豪華。しかも奥に進めば進むほど部屋の格式が上がって装飾も派手になる。これも年月が経てばもっと落ち着いてくるんだろうが、今はとにかく派手なのでいささか成金趣味にも見える。名古屋のハデ婚の精神の大本は実はこの辺りにあるのかもしれないなどと感じる次第。

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本丸御殿

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とにかくデカイ

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入場するには行列

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内部も人だらけ

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御殿内は初っ端から豪華

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見事な襖絵

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しかも先に進むほど

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豪華さは増していく

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そして最終的にはこの絢爛豪華さ

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最早キンキラキン過ぎて目が眩む

 いささか呆気にとられながら本丸御殿から出てくると、外は灼熱地獄である。本丸内には土産物屋もあり、多くの観光客で賑わっている。私は暑さでまいりかけていることもあり、抹茶ソフトを買って一服する。

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抹茶ソフトで一息つく

 

 本丸御殿の先に天守があるが、現在天守は耐震性の問題及び復元のための調査で立ち入り禁止。それにしてもあの本丸御殿を見た後に、このエレベータを後から外付けした鉄筋コンクリートの天守を見ると見劣りすること甚だしい。これは河村市長でなくても天守の木造復元ということを思いついても当然のような気もする。もっとも予算の裏付けがあるかが重要なのだが。それにしてもその木造復元天守にエレベータをつけろとゴテている自称障害者団体があるようだが、何の意地なのか利権が目当てなのか目的は不明だが、いかにも無粋な主張だと感じる。歴史的建造物の復元の話とバリアフリーを一緒にするべきではない。そんなことを言うのなら、エベレストの頂上に体力のある登山家しか登れないのは不公平であるから、私でも登れるようにロープウェイをつけて欲しい。

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天守は現在立ち入り禁止

 この後は本丸の不明門から出て立派な本丸石垣を堪能しつつ、グルリと回ってまた表門に戻ってくる。すると西南隅櫓が公開中との情報を得たので、再び本丸へ入場、西南隅櫓の見学をしていくことにする。

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裏手の不明門

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天守台を外から

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このような隘路が鵜の首

 この西南隅櫓は一度倒壊したものを古材を中心に再び復元したらしい。当時のままの階段なので非常に登りが急。で、ここにもエレベータを付けるのか? 3階建ての最上階には消防法の関係で一度に登れるのは10人に限定されているとのことで、入場券を受け取って登る形式。ここからは西門までを見晴らすことが出来、本丸前の隘路で渋滞している敵を狙い撃ちすることになる。

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西南隅櫓

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最上階内部

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外を狙い撃ち

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宮内庁が復元に関与しているから菊のご紋の瓦とか

 隣では湯殿書院の公開もしているようだが、こちらは10人ずつしか入れないとかでかなり待つ必要があるようなので、そろそろタイムアップ時刻が近づいていることもあり断念。

 久しぶりに名古屋城を堪能したがさすがに天下普請の城だった。ハッキリ言って、戦国時代の武器では正面から軍勢で攻め落とすことは不可能であると感じた。大軍で包囲したところで完全に睨み合いになってしまうだろう。こんな城を落とそうと思うと計略しかない。幕末になって大砲などが進化した時代になるとまた話は変わってくるが。

 名古屋城の見学を終えるとホールに向かうために栄まで移動する。毎度のことながら栄は賑やかなところである。今日も広場で何かイベントでも開催されているのか大騒ぎになっていた。コンサートホールはここの横のビルの4階にある。

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コンサートホールは人で一杯

 コンサートホールへは大勢の観客が来場していた。なおこのホールは最近まで改装工事を実施していたが、どの辺りが改装されたのかはあまりこのホールに詳しくはない私にはよく分からない。ただ少なくとも以前よりも洋式トイレの比率が増えたことは分かった。

 

名古屋フィル 第470回定期演奏会

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マーティン・ブラビンズ(指揮)
ジャン・チャクムル(ピアノ)

藤倉大: オーケストラのための『グローリアス・クラウズ』
メンデルスゾーン: ピアノ協奏曲第2番ニ短調 作品40
エルガー: 交響曲第1番変イ長調 作品55

 最初の藤倉の曲は、何やらキラキラとした煌めきを感じる曲であるが、正直なところ今ひとつ私にはよく分からない。プレトークで作曲者自身が「微生物のネットワークをイメージした」との類いのことを話していたが、そのようなイメージがあると言われればあるような気もしないではない。ただし実際はどうにでも解釈できる曲。ただそれでもブラビンズの演奏は非常に冴えのあるものであることは分かる。

 二曲目はメンデルスゾーンの珍しい曲である。若気の至りが随所に見られたような1番と異なり、晩年の曲であるために完成度は高い。特にやや哀愁を帯びた旋律で始まる第1楽章は魅力的。そのためもっと演奏機会があっても良いように思われるのであるが、そうならない理由は曲を聴けば明らかでもある。とにかくピアノセクションが極めて高難度であるから実際に演奏するのは大変である。さてチャクムルの演奏であるが、その高難度のピアノセクションを何事でもないように易々と弾きこなしてしまうテクニックには唖然とせざるを得ない。それでいて単にガンガンと弾くだけでなく、硬軟自在で謳わせるべきところは謳わせてくるので表現も実に濃厚。この耳慣れない曲を非常に魅力的に弾ききった。

 爆発的な場内の盛り上がりに対してのチャクムルのアンコールは、以前に演奏を聴いたことのあるファジル・サイ。ビアノの弦を手で押さえて民族楽器か何かのような奇妙な音を出すところに特徴のある曲。初めて聴いた時にはわけの分からない曲のように思ったが、今回聴いてみると意外に面白い。

 休憩後のラストはエルガーであるが、これは非常にメリハリの強い情熱的な演奏。名古屋フィルも所々アンサンブルに雑さが垣間見える部分がありはするものの、爆音気味の元気の良い演奏。なかなかに高密度な表現は下手をすれば冗長になりがちなこの曲を、緊張感を持って最後まで聴かせることに成功している。

 なかなかの演奏。さすがにブラビンズというところか。名古屋まで出てきた価値を感じさせるものであった。

 

夕食に名古屋名物味噌煮込みうどんを頂く

 コンサートを終えると一旦名古屋駅まで戻ることにする。キャリーを回収すると夕食をどこにするかだが、毎度のことで全く工夫がないながら、名鉄百貨店のレストランフロアの「山本屋総本家」に入店して「親子煮込みうどん」を注文する。

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山本屋総本家

 初めてここに来た時には固いうどんと異常に濃厚な赤味噌に戸惑ったものだが、どうも最近はこれがクセになってしまったのか、時々異様にこの味が懐かしくなる。最近は名古屋に来ることがあったら必ず立ち寄っている感じ。私もかなり赤味噌帝国の侵略を受けてしまったようだ。このやや渋みさえある赤味噌の旨味の強さがクセになる。もっとも一度食べると、しばらくは赤味噌を見る気もしなくなるのだが(笑)。

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親子煮込み

 夕食を終えると地下でおやつを購入してからバスでホテルに送ってもらう。今回宿泊するのは私の名古屋での定宿・名古屋ビーズホテル。名古屋駅近くの大浴場完備のホテルだが、ここが面白いのはフィットネスルームまであること。もっとも今回はそんなことをしている体力的余裕がないが(カメラにpomeraまで入った重たいリュックを背負って1万7千歩も歩いたせいで、体中ガタガタ)。

 ホテルにチェックインすると、何はともあれまず入浴。湯の温かさが体に染みいる感じ。ああ、これがあってこその日本人・・・って確か昨日も同じことを言ったような。風呂からあがるとこれもまたこのホテルの特徴である無料のマッサージチェアでガタガタになっている体をほぐす。この辺りの設備の良さが私がこのホテルを定宿にしている最大の理由。

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この晩のおやつは大福

 風呂から上がるとさっき購入したおやつを食べながらテレビを見ていたのだが、そのうちにかなり疲れが押し寄せてくるのでベッドに横になっていると、知らないうちにそのまま寝てしまう。

インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス&津城

 この週末は名古屋方面へ遠征することとした。と言ってもそもそもの目的地は実は名古屋ではなくて津。と言うのはここでベルリンコンツェルトハウスのコンサートがあるから。この度、インバルがベルリンコンツェルトハウスを引き連れて来日、全国でツアーがあると聞いたので私も是非とも行きたいと思っていた。しかし発表されたスケジュールを見ると見事に関西だけがスルー。思わず「?」という状態になってしまったが、仕方ないので関西から一番近い場所を調べたら津だったという次第(名古屋公演もあるのだが、京都市響とスケジュールが衝突している)。で、津まで行くなら名古屋に足を伸ばしても同じ。調べてみるとこの時期にちょうど名古屋で名フィルの定期公演があるとのことなので、ついでにこれも聞いてやろうと言うところでの計画立案である。

 津までは近鉄を使うことにする。名古屋だと新幹線なんだが、津になると名古屋経由でのアクセスだと所要時間はさして変わらず料金だけが跳ね上がるということになってしまうので近鉄を使用。津だけならいっそのこと車で行くという手もあるのだが、今回は帰りに名古屋や大阪に立ち寄るのでやはり鉄道。

 金曜日の仕事を午前中で終えると津に向けて出発する。この働き方改革の時代に一人でスーパープレミアムフライデーをしている私。つくづく私は愛国者だ(笑)。それにしても政府主唱のプレミアムフライデーって全く実施されることもないまま廃れたな。まあ予想通り。

近鉄特急で津に向かう

 鶴橋から近鉄の賢島行き特急に乗り込む。座席はビスタカーの2階だが、驚いたことに完全貸し切り状態。そう言えば乗り込む客もほとんど見かけなかったような。

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賢島行きの特急

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ビスタカーだ

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二階建て車両の階段

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なんと一部屋貸切(笑)

 ビスタカーは車高が高いせいかよく揺れる。それにやはり近鉄特急は遅い。新幹線との比較はそもそも無理があるが、新快速と比較しても遅い。列車はいかにも奈良という山の中を最初は走るが、それでも駅周辺などを中心に所々いかにも新興住宅地な集落はある。

 沿線でも一番大きい集落は大和高田から大和八木にかけての辺りか。この辺りは大都会というか大住宅地。乗り換え拠点でもある大和八木で初めて乗客が乗り込んでくる。この後はまた再び山間で榛原では乗降なし、次の都会は名張。遠くにイオンがあるのを見ると、なぜかホッとする。ここでも乗降は数人というところ。そこからとんでもない山の中を抜けた先が伊賀神戸。ここは伊賀鉄道との乗り換え駅。伊賀鉄道の松本零士がペイントを手がけたくノ一列車が見える。

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伊賀は忍者の里

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松本零士デザインのくノ一列車

 青山の辺りになるとトンネルの連続。ここら辺りから外の雨がかなり激しくなってくる。山を抜けてしばし進むと乗り換え駅の伊勢中川。ここで名古屋方面行きの特急に乗り換えると次の駅が津である。

 

津に到着

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津駅に到着

 津駅で降りるとホテルにチェックインする。今日の宿泊ホテルはドーミーイン津。津駅前にある天然温泉付きホテルである。今回はシャワーなしのエコノミールームのプランだったのだが、シャワー付きの部屋に振り替えてくれたようだ。部屋は洗面台がトイレと別になったドーミーインの最近のタイプ。

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ドーミーイン津

 とりあえず部屋に荷物を置くとすぐに外出する。幸いにして今は雨はほとんど降っていない。とりあえず駅前からバスで三重会館まで移動。コンサートの開演までにこの近辺にある津城を見学がてら夕食を摂りたいと考えている。

 夕食はやはり津と言えばうなぎということで近くの鰻屋に立ち寄ったのだが、なんとまだ準備中。今の時間は4時半、多分5時から夜の部なんだろう。こんなところで30分も無駄な時間を費やすわけにもいかないので津城の見学に行くことにする。

 

津城 藤堂高虎の手になる続100名城

 津城は織田信包が築いて、後に築城の名手としても知られる藤堂高虎が輪郭状の近代城郭として再整備した城郭である。今では城域の大半は市街に埋もれてしまって、本丸が公園化して残るのみと聞く。なおこの度続100名城に選定されたとのことである。

 私は津城訪問は実は初めてではない。かなり昔に訪問したことがあるが、その時には「特に何もないところ」という印象だけが残っている。だから続100名城に選定されたと聞いた時、「なんで?」と疑問を感じていた。そこで今回改めて見学してみようという考え。

 津城は建築物の類いは全く残っていないが、現在石垣上にかつての隅櫓を復元してある。ただこの復元櫓、なぜか本来隅櫓が乗るべき石垣隅の櫓台でなく、入口の脇に立っている。確かに見栄えはするのだがいささか疑問もある。ただこの辺りの石垣はかなり立派である。かつては東之丸を経てここから本丸に入るようになっていたようだ。

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復元櫓

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本来は一番奥の櫓台の上に乗るべきなんだが・・・

 ここをくぐって進むと中は完全に公園化しており、ここに城主である藤堂高虎の騎馬像がある。周囲は石垣で囲まれており、南側に入口があるがこれは後付けの模様。

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本丸内部は公園化している

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藤堂高虎の像

 西側の庭園になっている西の丸跡の先に枡形のある門らしき構造がある。なおここに立派な赤門が設置してあるが、これはかつての藩校の門を移築したものであるという。

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西の丸横の堀

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元々は藩校の門だった入徳門

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西の丸先端の枡形

 この枡形を抜けると城の外に出るが、外から見るとグルリをかなり立派な石垣が取り囲んでいるのが分かる。正直なところ今回訪問してこれには驚いた。これだけ立派な堀と石垣が残っているところはそう多くはない。となると確かに続100名城は妥当であろう。前回の訪問時のことはよく覚えていないが、東側から城の中に入って、内部をグルリと見ただけで「何もない」と判断していたのだろうかと考えて当時の記録を読み返してみたら、一応は内堀の石垣なども見ているようだ。どうも当時の状況がよく分からないのだが、その直後に松阪城を訪問してその石垣に感動していることから、そっちの印象に紛れて津城の石垣があまり記憶に残らなかったと思われる。

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西の丸の枡形を外から

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周囲はかなり立派な堀と石垣

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ほれぼれするような石垣と堀

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かなりの規模である

 というわけで浅はかの限りというか、自身の愚かさを痛感すると共に津城には実に失礼なことをしていたと思う。津城は文句なしに押しも押されぬ続100名城であるとここに断言しておこう。

 

津でうなぎを頂く

 かなり駆け足ではあったが津城の価値を再認識したところで再び目的のうなぎ屋に戻ってくる。立ち寄ったのは「つたや」。到着した時にはまだ5時前であったが、覗いてみるともう入店可とのことなので入店することにする。私が夜の部の最初の客である。注文したのは「ひつまぶし(2400円)」

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つたやは二階にある

 うなぎ屋に入店したものの実は不安なことが一つある。と言うのはうなぎ屋はやはり少々時間がかかること。今日はこの後、三重県文化会館で6時半開演のコンサートに駆けつけないといけない。ホール行きの臨時バスが津駅西口から出るのが開演の35分前。となるとそれまでには津駅に戻らないといけないのだから、5時半には三重会館からのバスに乗りたい。となるとトータルで30分程度しか時間的余裕がないのである。もしうなぎが出てくるのに30分かかってしまったら、ホールに直接タクシーで乗り付けることなども考える必要がある。

 何てことをウダウダ考えながら待っていたら、案に反して10分ちょっとでうなぎが出てきた。順番が最初だったことも幸いしたか。ひつまぶしは薬味は別で出てくる場合が多いのだが、ここのは最初から薬味が乗せてある。そこで半分に分けて、半分はそのままで残りの半分をうな茶で頂くことにする。

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ひつまぶし

 うなぎがパリッとして実に美味い。こういう香ばしいうなぎは関東などでは味わうことが出来ない。後でご主人に聞いたところによると、この辺りのうなぎはそのままタレをつけて焼くだけなので香ばしさが強くて皮もパリッとしているとのこと。関西のうなぎも焼いてから蒸すところが結構あるとのことなので、うなぎの香ばしさに関してはこの辺りが一番とのことである。蒸し行程がないことが予想外の調理の早さにもつながっているのかもしれない。美味い、早いは飲食店にとっては重要な要素。

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まずは薬味付きを頂き

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さらにうな茶で頂く

 うなぎの香ばしさが実に美味で食が進む。薬味付きはその鮮烈さ、そしてうな茶はあっさしてそれでいてコクのある味わいと2タイプが楽しめて実に美味。

 夕食をすっかり堪能した時には5時半前になっていた。三重会館からバスに飛び乗ると津駅でホール行き臨時バスに乗り継いでホールに向かうことになる。

 三重県文化会館は美術館からさらに先に進んだいささか市街からはずれた高台にある。ホールは少し昔の地方の典型的な文化会館といったところだが、かなり大きなものである。しかしそのホールに大体8割方は客が入っている。高校生の団体らしい姿も見かけたが、音楽関係の部活か? それとも動員でもかかったか?

 

ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

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エリアフ・インバル[指揮]
アリス=紗良・オット[ピアノ]

モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番
マーラー:交響曲第5番

 アリス=紗良・オットは難病を患ったと聞いているが、目下のところはまだ演奏には支障はないようで何よりである。ただどうも今回は弾き急いでいるような印象を受けた。序盤は音が飛びにくいホールの音響特性もあって、やや籠もった感じの演奏である上にオケとも微妙なズレが感じられたが、それは次第に修正された。ただ彼女の演奏は元々軽妙でエレガントでそう深い情感を込めるタイプではないが、モーツァルトの曲想とも相まってより一層あっさりした印象の演奏になっていた。そのために深い感銘を受けるというタイプの演奏ではない。どちらかと言うと、アンコールのショパンの方が彼女の良さが現れていたか。

 アリス=紗良・オットの相変わらずのチャーミングな印象もそのまま。拍手に促されて舞台袖から小走りで飛び出してくるところなどが実に可愛い。熱烈なオッサンファンらしき者が花束を渡していたがあれはありなのか? ホールによっては完全禁止のはずだが。

 休憩を挟んで後半のマーラーの5番は一転して圧倒されるような演奏だった。序盤から緊張感ありありの金管がすごかったが、ここに美しい弦も乗っての切々とした情緒溢れる第一楽章には思わず涙が出そうになった。そしてまるで息絶えるように第一楽章が終わると、続いて激しい第二楽章が始まる。しかしインバルは決して急ぐことなく、抑えめのテンポでじっくりと音楽を描いていく。それに応えてのオケの表現も実に緻密である。そして第三楽章から曲に明るさが見えてきて、続いて弦を中心としたうっとりするような美しい第四楽章。これはまさに極上のアンサンブルだった。そして夢見心地のまま怒濤の最終楽章でフィナーレ。インバルの演奏は実に情感に溢れ、非常に表現の深さを感じた。ゆっくり目のテンポでとことん音楽を美しく描く。そして決して雑になることもなくそのインバルの目指す表現を最上の演奏で実現したオケの技倆。実に感服した次第。

 かなりの名演に場内は結構な盛り上がりとなった。終わらない拍手にインバルが引っ込めなくて、最後には客席に向かってバイバイする姿も。下手すると冗長になりかねない曲なのだが、今回は非常に印象深い名演であったと感じる。実際に私は非常に疲れ切った状態でホールまでやって来たにもかかわらず、最後まで一瞬も睡魔が襲うことがなく音楽に浸りきったのである。わざわざ津くんだりまで出てきた価値は十二分にあったというものだ。

 

 

 コンサートを終えた時には外はかなりの雨になっていた。津駅まで臨時バスで戻ると飲み物を買い込んでホテルに飛び帰る。

 ホテルに戻った時には9時過ぎになっていた。少々小腹が空いているが、こういう時にありがたいのがドーミー名物夜鳴きそば。何てことない醤油ラーメンなんだが、こういうのが夜には美味い。

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ドーミー名物夜鳴きそば

 小腹を満たすと大浴場で入浴。ここの浴場はアルカリ系の単純泉とのこと。泉源は「トマト温泉」との記述があり、運び湯のようである。浴感としては若干のネットリした印象がある。塩分が入っているのだろうか。とにかくこういう時の風呂は快適、特急とコンサートで座りっぱなしだったので背中が少々おかしくなりかけているから、それをゆったりと風呂でほぐす。ああ、やっぱりこれがあっての日本人よ。

 風呂からあがると部屋でこの原稿の入力。眠気が押し寄せてきたところで明日に備えて就寝する。

古市古墳群ツアー&大阪交響楽団名曲コンサート

 昨晩はやけに喧しい奴(夜中にワケの分からんことを喚いて廊下に飛び出した奴がいた)が同じフロアにいたために夜中に起こされる羽目になった。そこでグダグダと9時前まで布団の中でつぶす。

 起き出すと朝食は外に食べに行くことに。喫茶店「寿」「モーニングセット(500円)」を注文。何やらテレビが大音量でかかっていて店内の落ち着きはないが、卵焼きのサンドイッチはなかなかに美味い。

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喫茶店「寿」

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モーニングBセット(500円)

 さて今日の予定だが、メインはザ・シンフォニーホールで17時開演の大阪交響楽団のコンサート。ただそれまではかなり時間がある。とは言うものの現在は大阪地区ではこれという展覧会もなし。かといって安ホテルの部屋に籠もっていてもすることはない。と言うわけで思いついたのは「世界遺産記念 古市古墳群散策ツアー」。今回の世界遺産対象地域は仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥地域と応神天皇陵を中心とする古市地域の2カ所に分かれており、百舌鳥地域の方は行ったことがあるが、古市地域の方は行ったことがないのでこの際訪問してやろうという考え。

 古市までは近鉄で移動するとして、現地の移動をどうするかだが、どうやら観光用レンタサイクルがある模様なのでそれを利用することにする。当初は歩いて回ることも考えていたが、それだと健脚Google先生でも2時間以上はかかるという仰せ。それだととても私の体力は持ちそうにない。

 天王寺に移動するとここから阿部野橋に移動して近鉄に乗車する。近鉄のホームを見ると吉野行きの観光特急らしき車両が停車している。いずれはこれも乗ってみたい気がするが、それはまた後日の機会に。私は吉野行き急行に乗車する。

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観光特急車両

 

古市古墳群散策ツアー

 急行だとダイレクトで古市である。意外に近いという印象。古市の駅前に降り立つと観光用のレンタサイクルを借りることにする。レンタル料金は普通の自転車が250円、電動アシスト付きが500円である。体力の衰えを考えて無理せずに電動アシスト付きの方を借りる。電動アシスト自転車を運転するのは初めてだが、こぎ出しが非常に軽いのが驚いた。やはりこぎ出しは通常の自転車だと一番力が必要で大変なところだが、そこが軽いというのはかなり運転が楽になる。

 ただ私が自転車を運転するのは10年以上ぶり。そのせいか昔のイメージのようには運転できないことに気がついた。明らかに昔よりもバランス感覚などの運動能力が低下している。そのせいと、いわゆるママチャリ型という自転車の構造のせいで車体を傾け鋭くカーブを曲がるということが出来ず(私が昔乗っていたのはMTB)、どうしてもフラフラとした大回りになってしまう。しかもこうして走ってみると、日本の町というのはとかく自転車には走りにくいことが分かる。自転車は車道を走るのが原則であるが、実際には車がビュンビュン走る車道の端を走行するのは危険な上に邪魔になることが多い。かといって歩道を走れば段差の多さで戸惑う。結局はよくあるフラフラした危なっかしいジジイのチャリンコ運転になっているのを感じずにはいられない。今、車目線から見ればかなりウザい運転をしているだろうなと感じながらも、そういう運転しか出来ないという情けなさ。脚力の衰えはモーターアシストで補えても、平衡感覚の衰えは機械では補えない。特に低速走行時にどうしてもフラフラしてしまい、昔のように運転しながら首を回して後ろを確認するということがスムーズに出来ない(首を回すとどうしてもふらついてしまう)。自転車にバックミラーが欲しいとつくづく感じた。

 観光案内所でもらった案内地図を見ながら古墳巡りをすることにするが、どうしても地図だけだと方向や現在地が分かりにくいので、結局はスマホのGoogleMapも併用することに。ただGoogle先生は時々とんでもない道を指定してくる。住宅の裏手の幅1メートルもない路地とさえ言い難いような道を指定してきたり、ひどい時には企業の駐車場を突っ切るルートを提案してきたり(なぜかGoogleMapではそこが道になってしまっている)。とにかくこの辺りの地域はやたらに路地が多い上に、大抵の古墳は路地の奥(住宅の裏だったり)にあるので、今回は路地をひたすらウネウネと走り回ることになる。

 最初に立ち寄ったのは一番近くにある古墳

安閑天皇陵古墳

 全長122mの前方後円墳で、高さは13mあるという。天皇陵と言うことで現在は宮内庁によって完全に封鎖されてしまっているが、宮内庁など存在しない戦国時代においては、堀に囲まれた小山を有効利用しないで放置する手はないわけで、高屋城という城郭が置かれていたという。その際に墳丘や濠の形が一部変更されたとのことだが、入って確認できないので状況は不明。実際に現地に行くと柵の向こうに小山が見えるのみ。せめて木を払ってくれたらもっと見やすいのに・・・。

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安閑天皇陵古墳

 次はこの近くの古墳

白鳥陵古墳

 墳丘長190mの前方後円墳で「日本武尊」の陵墓とされているとのことだが、例によって宮内庁に封印されているので詳細は不明。現地は柵の向こうに濠越しに見えるただの小山。分かるのは先ほどの安閑天皇陵古墳よりは大きいということ。

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白鳥陵古墳

 次の目的地は古墳公園になっている。

 

峯ヶ塚古墳

 全長96mの前方後円墳。二重の濠に囲まれているとのこと。なお天皇陵ではないので入ることが出来たらしいのだが、私が訪問した時には柵で完全に覆われていて近づけなかった。

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峯ヶ塚古墳

 その隣にある小山が小口山古墳らしいのだが、こちらは天皇とは全く関係ないのか遊歩道まで出来ていて登り放題である。この上から峯ヶ塚古墳を見ることも出来る。なおここも明らかに後世に加工された跡があるが、城にでもされていたのか、最近の公園整備のせいなのかは私には不明。何となく城郭らしさを感じるのだが・・・。

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小口山古墳は遊歩道付き

 ここの南にあるのもまた天皇陵

清寧天皇陵

 もろに住宅地の裏にあるのでなかなか構造が見えにくい。GoogleMapによるとここも前方後円墳のようで大きさも結構大きい。なおここはかつて西之浦城という城郭を置かれていたらしい。

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清寧天皇陵

 逆に北側にもよく似た古墳がある

 

仁賢天皇埴生坂本陵

 濠に囲まれた前方後円墳。大きさ的にも先ほどの清寧天皇陵と同程度。こちらも住宅街の奥なので全体が見えにくい。

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仁賢天皇埴生坂本陵

 ここの北にさらに大きな古墳が。

仲哀天皇陵

 全長245mの前方後円墳。

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仲哀天皇陵

 一回りしている内に感じたのは、古墳というのはとにかく写真の被写体としては最悪だということ。でかすぎる古墳は単なる川の向こうの山にしか見えない上に全体像はファインダーに入りきらない。その挙げ句に天皇関係の古墳はことごとく宮内庁によって高い柵で封鎖されているので、まともに写真を撮ることさえ出来ない。これは今後観光資源として活用するためには問題点は多々である。とにかく「インスタ映え」は全くしない。

 それと宮内庁というのは全力で考古学の妨げをしようとしているなということを感じずにはいられない。。宮内庁とはそもそも天皇を守るためにある省庁のはずだが、実際には自分たちの権益を守るために天皇を利用しているのが真実。もし考古学の進展で天皇の権威を揺るがすような事実でも判明しては問題だから考古学を全力で阻止したいのだろう。天皇が自ら人間宣言までした時代には極めてナンセンスである。正直なところ、現在天皇陵とされている古墳も実際には誰が埋葬されているかは極めて怪しいものなんだが(ぶっちゃけ記録が残っている方が希なので、大きい古墳に天皇の名前を適当に割り振ったといっても良い場合が多い)、事実の判明は宮内庁がまさに全力で阻止している。

 次の古墳は古市古墳郡内で最大にして全国でNo2の古墳となる

 

応神天皇陵

 墳丘の長さ425mにしてその高さは36m。仁徳天皇陵に次いで第2位の規模であり、盛土の量で行くと全国No1らしい。とにかく規模が大きすぎて、現地に行ってみると川の向こうの自然の山のようにしか見えない。正直なところ観光を考えるのなら木を伐採した上で手前に五稜郭タワーのようなタワーでも建てるしかないが、そんなことは先の宮内庁が全力で反対するのは言うまでもない。

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応神天皇陵・・・デカすぎてわけが分からん

 この近くには登ることが可能な大鳥塚古墳小室山古墳などもあり、小室山古墳には実際に登ってみた。正直なところ古墳なんて登ってなんぼの気がする。頂上から辺りを眺めて見るとなかなか気持ちよい。

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大鳥塚古墳

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小室山古墳の円部に登る

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この先が方部

 小室山古墳から降りてくると、その先にまた結構大きな古墳がある。

仲津山古墳

 これは全長290mの古墳。かなり大きいが、立地的には完全に住宅街の裏山といった趣。とは言うものの、例によってここも封印されているので全体像は不明。

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仲津山古墳は住宅地の裏山


 この近くには鍋塚古墳という小規模の方墳がある。元々は現在よりも一回り大きかったらしいが、とりあえずここは頂上に登ることが出来る。格好の展望台で、先ほどの仲津山古墳も見えるし、反対側には土師ノ里駅越しに允恭天皇陵を見ることが出来る。

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鍋塚古墳は登ることが出来る

 

允恭天皇陵

 全長230mの前方後円墳。だがここも封印されているので例によって全貌は全く分からない。ここは周辺に陪塚が多いのが特徴で、衣縫塚古墳、宮の南塚古墳なんかがあるが、いずれも住宅街の中の公園の裏手の小山。言われなければ「なぜこんなところにこんなものがあるの?」というような存在。

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允恭天皇陵

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衣縫塚古墳

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宮の南塚古墳

 気がつけば古市駅からあちこちを回りながら、2駅先の土師ノ里駅までやって来ていた。領域のほぼ一番端まで来たので後は南下しながら残りを掃討。

 はざみ山古墳は103mの前方後円墳、発掘でもしているのかブルーシートが見えた。その南の野中宮山古墳は今は野中神社という神社になっている。その南の住宅街の中に野中古墳という小規模な古墳があり、そのさらに南にまた結構大きな古墳がある。

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はざみ山古墳

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野中宮山古墳上の野中神社

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野中古墳

 

墓山古墳

 全長225mという前方後円墳。応神天皇陵の陪塚という扱いらしいが、実際にはこれよりも小さい天皇陵もあるので、これも天皇陵なのではという気もするのだが、まあそこは宮内庁の恣意的解釈ではそうならないのだろう。

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墓山古墳

 この後はこれの南西にある浄元寺山古墳青山古墳を回って見学終了である。

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浄元寺山古墳

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青山古墳

 かなり疲れたというところ。最後には電動アシスト自転車のバッテリー残量がやや心許なくなってきて焦った。電動アシスト自転車のバッテリーが切れたら、ただの重たい自転車である。

 ようやく古市駅に戻ってきて自転車を返却すると、一旦ホテルに戻ることにする。古市古墳群を一回りした感想としては、サイクリングコースとしては悪くないが、古墳自体はどうしようもないなというところ。そもそもあまりインスタ映えしない対象なので、その手の輩はわざわざ来ないだろうし、来てもほとんどの古墳は封印されていて立ち入りが出来ない。そもそも埋葬者自体も宮内庁が勝手に言っているだけで根拠は薄弱なものなので何を見ているのか分からない。何しろまともに研究させないのだから何も分からない(わざと分からせない)。結局は「宮内庁、ウザっ!」という感想だけが強く残ったのだった。

 

天王寺に戻って遅めの昼食 

 ホテルに戻ってすぐに汗を流したいところだが、その前に天王寺まで帰ってきたところで遅めの昼食にする。立ち寄ったのは「グリルマルヨシ」「ハンバーグとビフカツのセット」があったのでそれを注文する。

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天王寺のグリルマルヨシ

 ハンバーグはかなり柔らかめ。私の好みとしてはもっと硬めの肉々しいタイプが好きなのでやや好みとズレる。ビフカツは以前にも食べたことがあるように美味い。たださすがにこの価格ではボリューム不足か。

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ハンバーグとビフカツのセット

 看板メニューのロールキャベツにしておいた方が良かったかなと後で少々後悔した。それにここで揚げ物を食べてしまったことで夕食が少々悩ましくなった(さすがに夕食に串カツという気にはならない)。

 昼食を終えてホテルに戻ってくるととりあえずコンサートの前に汗を流すことにする。両足に軽い怠さが残っており、これは明日以降にツケが来そうな気配。とりあえず今のところは歩けるが。

 入浴してサッパリしたところでしばし休息を取ってからコンサートに出かけることにする。

大阪交響楽団 第106回名曲コンサート 夏の夜の夢

[指揮]佐藤俊太郎
[ピアノ]ジャン・チャクムル(第10回浜松国際ピアノコンクール優勝者)
[管弦楽]大阪交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」op.61より
“序曲”、“スケルツォ”、“間奏曲”、“ノクターン”、“結婚行進曲”

 チャクムルのピアノはとにかく軽いという印象。音色に重みがない。また変拍子的なリズムがたまに垣間見え、どうもモーツァルトを弾くのは窮屈そうに聞こえる。彼の本領はもっと当意即妙的にアレンジできるような曲にあるように思える。実際にアンコールで演奏した現代曲(だと思うのだが私の全く知らない曲だった)の演奏の方が明らかに切れと冴えが見られた。またバックの大阪交響楽団もイマイチ。斉奏がダーンとならずに、バシャーンとなってしまう傾向がある。

 後半のメンデルスゾーンはモーツァルトよりはまとまった演奏であった。ただ不満を感じるのは弦に躍動感がないことと、金管が締まりなく鳴らしっぱなしという雰囲気の音色に鳴ってしまうこと。どうもピリッとしたところがないのである。

 やはり大阪交響楽団はまだまだ技倆的には今一歩というのは否定できないようだ。今年は何度か大阪交響楽団のコンサートに出かけてみたが、どうも常に私的には評価が今ひとつになるというのは、私と相性も悪いのかもしれない。

 

新世界でそばを夕食に

 コンサートを終えると新今宮まで戻ってくる。今日の夕食をどうするかだが、先にも言ったように串カツはない。寿司という気分でもないので、うどんでも食べようかとうどん屋を目指したが、残念ながら品切れで閉店とのこと。そこで二日続きで蕎麦になってしまうが「総本家更科」を訪問する。

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総本家更科

 注文したのは「かちんそば」。あっさりした蕎麦が美味い。また焼き餅もなかなかに良い。そして出汁がやけに美味い。

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かちんそば

 というわけで出汁がやけに美味かったので、追加で天ぷら出汁茶漬けを頂くことに。なかなかに美味いのだが、さすがにこれは食い過ぎた。

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天ぷら出汁茶漬け

 ホテルに戻るとグッタリ。やはり疲れが出てきた。今日は早めに就寝することにする。昨日のことがあるのでフロントでもらった耳栓を両耳に装備しておく。