徒然草枕

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白鷺館アニメ棟

先週に続いて今回は姫路北東部のマイナー山城攻略

リハビリ登山第2弾

 先週は西播磨地域の「整備の行き届いたマイナー山城」をターゲットにリハビリ登山を実行したが、今週はもっと手前の姫路北部のマイナー山城を訪問することにした。やはり私の体力低下はひどいようで、最近はさらにヤバいことに「特別にダイエットをしていないのに、体重が微減する」という症状が現れていた。これはもろに「筋肉が落ちて軟弱化しつつある」という証明である(これが体重が激減なら、いわゆる糖尿末期)。またそれを物語るように、一昨日に弱い腰の違和感が現れた。そのために昨日の土曜日は一日安静を保ったのだが、幸いにして腰の痛みはそこから強まることはなかった。

 しかしこれは様子を見ながら全身の筋肉を鍛えないとまた腰痛で寝込むことになりかねない。というわけで腰の案配をみながら体力増強の必要に迫られた次第。今回ターゲットにしたのは姫路北部地域の山城。例によって現地の状況によっては撤退も視野に入れてのトライである。

 

 

庄山城にトライするが・・・

 最初にトライを試みたのは山陽姫路東ICのすぐそばにある庄山城跡。ここはふもとの谷外小学校脇から登山道があるとの情報を入手している。登山道に地元有志によるものと考えられる案内標識もあるとの話だが、これが数年前の情報でしかも張り紙程度のものであるらしいことから、現在どうなっているかは不明である。もし現地の状況が私の想定よりも悪いようならば撤退も選択肢である。

Googleの航空写真でも表面の険しさが分かる

 現地が見えてくると「うーん、これは撤退かも」という予感がこみ上げてくる。岩肌むき出しの山容が思いの外険しい。現在の腰にも不安のある状況で攻略が可能かは登山道の状況次第である。

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小学校背後の険しい山上が庄山城

 事前に聞いてはいたが、谷外小学校周辺の道路はかなり狭い。コンパクトカーのノートで幅がギリギリぐらい、大型車ならパスした方が無難だろう。さらに小学校周辺には車を置くスペースがない。結局はあちこち探し回って何とか無理やりに車を駐車する。

 とりあえず途中のマツモトキヨシで買い求めた虫除け薬をむき出しの手や顔や首筋に吹き付ける。強烈なリモネン臭がしており、どうやら柑橘系の臭いで虫を避けるという代物のようである。今回はさらに虫刺されの薬も用意している。

何らかの虫除けスプレーは必需です

 谷外小学校は何やら校舎の改修工事中。登山道は小学校東の脇の民家との間にある。ここから進んでみる。しかし状況はかなりマズい。道は下草が茂って藪化しており、しかもどっちが正規のコースか分からない。とりあえず時々藪をかき分けながら、道らしきところをどん詰まりまで進んでそこから直登したところ、何やら怪しい小屋のようなものの横を通ることになる。

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ここが登山口

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何か怪しい小屋のようなものが

 そこからかまだ藪が深いがさらに直登すると東西の通路のようなところに出て、そこに案内図のようなものがかかっている。どうやらコース自体は間違っていなかった模様。

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案内図がぶら下がっているのを見つけた

 しかし問題はそこからだった。下草はそれほどでもないが藪化は相当に進んでおり、とにかくひどいのが蜘蛛の巣。1メートルごとに1つはある様子で、枝を拾って払いながら進んだのだが、それでも何度かもろにツッコむことがあってそれだけで戦意喪失する。

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しかしこうなるともう進路が分からない

 さらにこの通路の東端と思えるところから斜面の直登に取りかかろうとしたのだが、これがコースが分からない上にかなり険しい。下から眺めてもコースが全く見えない。この時点で完全に意志が挫ける。今の体力を考えると、もし迷うようなことになったら致命的になりかねない。ここでいきなり断念することになる。

 一発目からいきなり撤退という実に幸先の悪いスタートとなってしまった。ああいう山は大抵は近くの小学生や中学生がフィールドワークに使って、その際に登山道などの整備をしてくれることが多いのだが、このコロナの影響でフィールドワークがほとんど停止しているのか。とにかく下草のひどさだけでもどうにかしたいので、改めて冬時にリターンマッチを考えると言うところか。それまでに体力の方も万全にしておきたい。体力に自信さえ出たら、道が怪しい直登コースでもチャレンジする意欲が出てくるようになる。

 

 

とりあえず近くの店で昼食を取ることに

 今日は家を出るのが遅かったせいもあって、昼時になってしまったので路地地獄から街道に出てくると、そこにあった「土岐」というレストランに入店する。

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土岐

 店内は多くの客で賑わっている。メニューを見ると和洋中すべて揃っているという道の駅的な内容。とりあえず寿司とてんぷらに釜揚げうどんがついたセット(税込み1540円)を注文する。

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これが意外とまともだった

 店の雰囲気から味はまず期待できないと踏んでいたが、うどんは腰もあり、天ぷらもカラッと揚がっていて存外悪くない。特に驚くような内容ではないが、とくにひどいと感じる内容でもない。これは想定外。

 ただ一つだけ気になったのは、隣のテーブルに座っていた一行の中の小学生らしい子供がやたらに咳き込んでいたこと。何か喉に詰まらせたと言うのなら良いが、コロナだったら大変だ。この店は一応は入店時にサーモチェックはしているようだが、あの機械は精度が悪い上に、店員が結果をチェックしている様子もなかった。また子供の無症状感染なら発熱がすぐには起こらない可能性がある。かつてはコロナは子供はかからないなど言われていた時もあったが、デルタ株登場後は子供の感染も多く、学校を通じての集団感染も発生していて今や児童はスーパースプレッダーとなっている。気をつけるに越したことはない。

 

 

次は太尾城を狙ったが、現地を見て断念

 とりあえず昼食を終えると播但道に乗って北上することにする。次に立ち寄ろうと考えたのは豊富町の太尾城跡。ここは山上に神社があって登るには苦労しないようだが、問題は近くに車を置く場所がないと聞いている。とりあえず現地の状況を視察してみようと考えた次第。

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この山上らしい

 現地に近づくと太尾キャンプ場の表示があるので、そこを右折して集落内に侵入する。しかし侵入してから面食らった。集落内の道路が確かにかなり狭い上にあちこちに路駐もあってさらに難易度が上がっている。しかもキャンプ場方面に向かうルート近傍にどこか車を置けるかもと読んでいたのだが、キャンプ場へ向かうルートは動物除けゲートらしき先に未舗装の山道が続いている状態で、どうも侵入者を拒む空気がプンプン。

手前の集落内の道路が問題点

 恐らくどこかの道路脇の通行の邪魔にならなそうなポイントに路駐して徒歩で向かうしかないのだが、ゲートの前からバックで戻ってきた時点で戦意喪失した。とりあえず今回は断念することにする。もし庄山城に捲土重来することがあったら、その時に合わせ技にするか。

 

 

三度目の正直で今度は山下城を訪問する

 いきなり二連チャンで敗走というとんでもない事態になり、今回の遠征は負け戦の雰囲気が濃厚に漂い始めた。しかしこのまま退くわけにはいかない。実はこういう時のためのBプランも用意してある。ここから山を回り込む形で東の加西市に向かうと、そこの山下城を見学することにする。ここは遊歩道が整備されていることが分かっており、登山者用駐車場もある。さらには整備のために木を伐採したようで、Googleの航空写真を見ると、はげ山になっている。これで撤退になるようなら問題外である。

Googleマップだと完全にはげ山になっている

 田んぼのあぜ道や集落の間の狭い道を縫いながら常行院を目指す。常行院前に案内看板が建っており、その向かいに登山者用の駐車場も整備されている。後は遊歩道の案内に従って進む。

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案内看板あり

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常行院に到着

 山下城は浦上久松の居城として1532年に築城されたという。1566年には別所氏の兵站拠点として改修されて1578年まで使用されたとのこと。

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現地案内看板

 

 

最初に進路を間違えてしまう

 遊歩道の西側に見える山体が山下城のようである。ただ問題は遊歩道のどこから入れるのかが良く分からない。私はハッキリとした轍に引かれて結構手前から山体に取り次いだのだが、結果としてはこれは失敗だった。恐らくシイタケの栽培をしてると思える畑にたどりついてしまった。後で縄張図を見ると、ここは現地政所だったのではと思われる。

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遊歩道の入口は分かりやすいが

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この轍に引かれて進んでみたが

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シイタケの栽培所になっている雰囲気

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本郭にあった縄張図

 そのまま進むとかなり大きな堀切に突き当たる。その向こうに見える山上が本郭のようだ。登り口を探して回り込むがその内に左手に下り階段が見える。どうやらここが正規の遊歩道の模様。さらにその先に進んでみたが、ここは完全に藪漕ぎになってしまう上に山上に取り付く手がかりもなくハズレ。

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堀切に突き当たる

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本郭はその向こうの山上

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回り込んでいったら遊歩道の入口の階段に出た

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直進は藪のために不可

 結局は通路を戻ってみると、途中に分岐があってそこから登れるようになっていた。私が最初通った時にはそこは手前の畑の方に向かう道だと思ったのだが、正解はそっちだった模様。そこを進んでいくと、左手に二郭に登る階段が見える。

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結局は途中のここを登るのが正解

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登った先は多用広場

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反対側に二郭に登る階段が

 

 

二郭を経てようやく本郭へ

 二郭は結構広い曲輪。恐らく畑化されていたであろう痕跡が見られる。回りは切り立っており、かなり守備力の高い曲輪。

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二郭に到着

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かなり広く畑化されていたらしき痕跡が

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多用広場方向を振り返る

 本郭はその上だが、ここもかなり広い。立派な屋敷などを建てられたと思われる。比高は30メートルほどなのでそれほど高くないが、それでも周囲は切り立っており、天然の堀である賀茂川も存在する。辺りを見下ろす要地である。守備力はそれなりに高い。

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本郭はさらに上

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本郭に到着

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案内板あり

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二郭及び多用広場方向を振り返って

 

 

西本郭方面を見学する

 本郭の見学を終えると西本郭の見学に回る。こちらは大手口があるので、それを脇から守る曲輪ということになる。西側の曲輪は複数段で麓まで連なっており、西本郭はその最上段となる。

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西本郭方向に回る

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右手の竹林は元々は池だった模様

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数段の曲輪に到達する

 とりあえず登ってみたところ、しばらく手入れがされていない状態で鬱蒼としている。ただここもそれなりの面積のある曲輪であり、結構な兵を配備できたと考えられる。

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背後の小高い上が西本郭

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西本郭上は鬱蒼としている

 そのまま西の曲輪を下ってくると住宅地のところに出てくる。ここから再び回り込むことにする。

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西曲輪群の先端は住宅地近傍に迫っている

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大手口方向に降りる

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ここが大手口か

 

 

中央曲輪群を見て回る

 住宅地の間を抜けていくと多用広場につながる複数の曲輪に到着するが、ここは畑化しており現在でも耕作が行われている模様。

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住宅の間から入り直すと

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西曲輪群が向こうに見える

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正面に削平地が見えてくる

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右手下にも曲輪

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畑化している曲輪跡に出る

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奥が多用広場でさらにその奥が本郭

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左手下が私が最初に入った現地政所

 それだけ確認すると降りてくる。謂われが今ひとつ不明な城郭であったが、全山を要塞化したなかなかの規模の城郭で見応えがあった。よく整備されており、構造も明確であるので初心者向きである。

 

 

最後に小谷城を訪問する

 全山規模なので高さはそれほどではないのが結構歩いた。しかしまだもう一カ所ぐらい登る余裕がある。次はもう少し本格的な山城に挑むことにする。ここから北東に向かって走ると目指すは北条町の小谷城。ところでGoogleマップで小谷城で検索すると、なぜか山陽道の真上というとんでもない場所を示すのであるが、実際は北側背後の山上にある。遊歩道は整備されていると聞いている。その手前の小谷区公民館に案内看板から駐車場まで整備されているから至れり尽くせりである。

Googleマップだととんでもない位置に表示があるが、本当は奥の山上

 小谷城は嘉吉の乱で滅亡した赤松直操の居城だという。直操は長男の赤松満祐や実弟の赤松則茂と共に山名・細川・新田勢と戦ったが敗れて滅んでいる。後に赤松政則が赤松家を再興して領地を取り戻す。そして赤松祐尚が小谷城を再建して麓に陽松寺を建立して嘉吉の乱で討ち死にした一族及び家臣を供養したとのこと。

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この山上が小谷城

 山上を見あげたところ、山頂が整備されている様子がある。山容や高度的にも現在の体力で攻略可能と判断、少し遠くで鈍い痛みが出かかっている腰が不吉だが、途中で爆発することもなかろうと推測する。なお登山道は複数あるが、とりあえず一番近道そうである陽松寺脇を抜けていくコースを取ることにする。陽松寺の背後には赤松氏や家臣の墓があり、その奥の動物除けフェンスの先が登山道となっている。

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小谷公民館駐車場に車を置いて進む

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コース案内図

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陽松寺が見えてくる

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背後の池を墓地の方に回り込む

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奥の動物除けフェンスの先が登山道

 

 

ヘロヘロになりながら山上に到着

 そこからは足下はかなり整備されていて極めて良好であり、蜘蛛の巣などもそう多くはない。山道としてはかなり整備されており、道路でたとえるなら片側二車線のハイウェイ並と極めて快適。体力さえあればスイスイと登れるはずであるが、ここで問題となるのは私の体力。今回は足が上がらなくなるということはなかったのだが、心肺が付いてこなくなった。途中で息が上がって心拍は上昇、胃がひっくり返ったみたいになって吐き気がこみ上げてくる。

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登山道は非常に整備されている

 さらに閉口するのが飛ぶ虫の多さ。ブンブンと言いながら近寄ってくる。虫除けスプレーが効いているのか身体に止まることはないのだが、息がかなり上がっているのでそれを感じるのか口元にブンブンと寄ってきて、口に飛びこもうとしたりひどいやつは耳の穴に飛びこんでくる。これをいちいち追っ払うのが結構鬱陶しい。

 息も絶え絶えで、ピーク時体力比で3倍ぐらいの途中休憩を取りながらヨタヨタと登ることに。ただ幸いにして腰の様子が悪化する気配はない。その内にようやく「小谷城」と書いた巨大看板が目に飛びこんでくる。

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死にかけた頃にようやく巨大看板が

 下から登って到着したのは第四郭で看板が立っているのは第三郭の模様。これらの曲輪はそう大きくないが、その上の第二郭は数段連なって本郭へと続いている。

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第四郭にたどり着く

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看板が立っているのは第三郭

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上の第二郭はダラダラと本郭に続く

 本郭には展望室が作られており、そこになぜか木彫りの三猿がある。「見猿、岩猿、着飾る」・・・でなくて「見ざる、言わざる、聞かざる」である。

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本郭の展望室

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城の縄張図が貼ってある

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なぜか三猿

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看板もあり

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眺望は非常に良い

 本丸の東端からは東のコースへ続いているようだが、そちらには意味はないので西に降りることにする。最初に登ってきた第四郭からやや下がった第五郭までが小谷城本体。

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第四郭の下が第五郭

 

 

西小丸を経て尾根ルートで降りてくる

 そこから深い堀切を経て下がったところが西小丸になる。こちらも複数段の曲輪で構成されているが、南側の堀や土塁の跡が本体よりも明瞭である。また一番西端には虎口の跡も残っている。

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第五郭の先は堀切になっている

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登った先が西小丸

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南側の土塁がかなり明確

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第五郭との高度さはこれだけある

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複数段の曲輪になっている

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西の奥に虎口跡が

 ここから尾根筋にはかなり降りることになる上に堀切の跡がある。。西側の尾根筋からの攻撃に対してはこの西小丸が最前線で撃退することになるのでかなり堅固である。

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西小丸先端から尾根筋を見下ろす

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降りた先には堀切跡

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振り返るとこの高度差

 その先にもまた深い堀切があってここを橋で越えると跡は尾根筋ルートで西の林道まで続くことになる。戻って最短コースで降りるのが最も効率的だが、あのルート自体には面白味が全くなく、またあの階段を降りていくのも腰に負担がありそうと思ったことから、帰りはこの尾根筋ルートを経由することにする。

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その先の深い堀切を木橋で越える

 ただこの選択は正解とは言い難かった。やたらにダラダラと道が続く上に最後には心臓破りの丘があって足が終わってしまいそうになった。散々疲れ切った頃にようやく林道に合流する。周辺を見回すと、林道脇に強引に車を駐車できなくもないような感じであり、ここに車を置いて進んだら距離はともかく一番起伏の少ないコースになりそうだ。もっとも正規には小谷城公民館に車を置くことになっているので、あまり大きな声で勧めるわけにも行かないが。

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尾根筋をダラダラと進んでいく

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ようやく林道との合流点が見えてくる

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西入口

 ここからは林道を下っていくことになるが、凸凹の舗装の上に砂利が転がる道は疲れ切った足裏にはかなりキツい。特に私は靴底が厚い登山靴でなくて、靴底があまり厚くないスニーカーなのでもろに足に負担が来る。長い林道を下ってきてようやく文明の雰囲気が漂いだしたら足下は綺麗な舗装道路になるが、こうなったらなったで今度は腰に負担が来る。つくづく難儀なものだ。

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意外と足にキツい林道

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ようやく下に降りてくる

 ヘトヘトになって公民館駐車場に戻ってきた。結局はこの小谷城がかなり効いて、本日は1万1千歩越えの上に上がった階数45階という久しぶりにハードな行程となったのである。この後、車で自宅に直行したのだが、正直なところ長時間座っての運転がむしろ腰に来た。明日腰が変なことにならないことを祈るのみ。

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結構な運動になっていた

 

 

播磨のお手頃山城にリハビリ登山する

鈍りきった体の建て直しにリハビリ山城攻略を開始

 コロナでお籠もりが続くがそろそろ私も限界に近づいてきた。と言うのもとにかく身体を動かしていないことから来る体調不良が洒落にならなくなってきて、先ほど行われた社内健康診断では恐らく数値が滅茶苦茶で後日呼び出し確実であろうと思われたからである。

 その上に本来なら今日は大阪での関西フィルのチケットを購入済みだった。1年以上ぶりに満を持してデュメイが来日しており、名演間違いなしということで行きたいという気持ちはかなり強くある。しかし府知事の無策が祟って現在の東京を凌ぐかという状況での感染爆発状態の大阪に出かけていくのはかなり無謀のそしりを免れない。しかも私はワクチン不足の煽りでまだようやく第一回目の接種が終わったところ、もし感染でもしたらほぼ確実に重症化してご臨終の上に、フワフワと浮かれて大阪に出て行って感染したと後ろ指指されることもこの日本では間違いなしである。

 そこで、久しぶりの運動と諸々の不満の解消を兼ねて、まず絶対に密になり得ないところに出かけることにした。となれば山城である。それもマイナーなところ。さらに県内なら県境を越えての移動はするなと言う規制にも合致している。と言うわけで、とにかく私のリハビリになりそうな山城を探すことにした。

 県内で山城で手頃な所と言えば、やはり遊歩道が整備されているようなところが良い。現在の私は山道をかき分けて進んだり、岩場の崖を直登するような体力はまずなく、あまりに険しい本格コースなら事故るのがオチである。ハイキング気分で行けそうなところと言えば、やはり最近になって整備された山城の多い播磨地域か。と言うわけで手頃な山城を探すことにした。

 その結果としてまず浮上したのが相生の乙城、さらに上郡の駒山城である。この山は二つとも遊歩道が完備されている模様。体力がガタガタになっている今の私には最適だろう。これに山上まで車で上がれるので体力の消耗がない相生の大島城を加えて今回のリハビリ山城攻略と相成った。

 

 

装備を確認

 ハイキングレベルなので特別な装備は必要ないが、一応秋の山は熊の危険が0とは言えないので、熊鈴は用意して腰に装着しておいた。これを腰からぶら下げたので、歩けばチリチリ言う仕掛け。

     
私の使用しているものはこれ

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腰からぶら下げた

 まあ熊除けスプレーまでは必要なかろうと今回は持参せず。

   
私が所有しているのはこれ。本郭登山なら持参する。

 さらに必需の装備は登山スティック。これがあるのとないのとでは足腰の疲労が変わってくる。なお2本使う人と1本使う人がいるが、私は写真なども撮る関係もあって1本使い。安めのスティックを購入して、ガタが来たら買い換えるということを繰り返している。

私が使用しているのこのタイプの杖

 そして一番重要な装備が、ライフラインこと「ミネラル麦茶」(「伊右衛門」も可(笑))。実際に登山途中で水が切れるのが一番危ない。歩くと意外に汗をかいて喉が渇くので、十分な用意が必要。私は昔、鳥取城で水が切れてひどい目にあったことがある。

 以上の装備を確認してから目的地へと向かう。

 

 

乙城攻略に取りかかる

 まずは乙城へ。乙城は山陽自動車道の脇の山上にあり、姫路バイパスから龍野太子バイパスに乗り継ぎ、そのまま国道2号線に合流すると西進、揖保川を渡って少し行ったところを右に折れるとひたすら北進、しばらくは住宅地の中を走り、周辺が田んぼばかりになってきたところで前方に見えるのが乙城のある山である。

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この山上が乙城

 乙城は1334~1338年に高瀬小四郎景忠が赤松円心の命で築いた山城だという。嘉吉の変による赤松氏の断絶で廃城となるが、応仁の乱以降に赤松氏が再興すると共に復興したという。龍野赤松氏の麾下であったが、対立する浦上政宗が攻略してここを居城とし、父の村宗と共に赤松氏と争い続けたが、赤松政秀が室山城を急襲して政宗父子を殺害したと言う。1578年に政秀の子の赤松広秀が羽柴秀吉に追われて龍野城からここに移り、龍野城主の蜂須賀正勝の麾下に入るが、1588年に竹田城に移封されたことで廃城となったという。

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登山口にたどり着く

 登山口は揖保川町養久集落内にある。近くに車を置くとここから背後の山に登る。住宅地裏の畑のようなところを登っていくと、直に道は登りの山道となる。情けないことに登りになった途端に足が悲鳴を上げるのが分かる。とにかく足が前に出ない。以前なら一息に登れたはずの登り坂を2回ほど途中で一息つかないと登れない状態。自分で想像していた以上に足腰のジジイ化が進行していたようだ。

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遊歩道コース図

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要所には案内があるので迷わない

 山道は整備されており、要所要所には案内表示があるので迷う心配は全くない。ただところどころむき出しの岩の上にコケが生えているところがあるので、不用意に歩くと足を滑らせて転倒する危険はある。そのようなハプニングで体制を崩した時のリカバリー能力も鍛えておく必要があるところだ。

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ただし登りの連続に早くも息が上がる

 しばし登ると登山道脇に32号墓との表示があるので見学していく。どこだかと思ったら、ちょっとした休憩所に見える小高い丘が墳丘だった。どうやらここから壺棺墓などが出てきたらしい。地図によると今回の行程中にはこの手の墳丘は多数あるようだ。

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32号墓の表示が

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ベンチのあるこの休憩所のような場所が実は墳墓

 道を塞ぐ倒木などを乗り越えつつ、息を切らせながら登っていくと遊歩道の本コースに合流したようである。表示にしたがってここを東に向かう。

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倒木を乗り越えて進む

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分岐の標識が見える

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遊歩道のメインコースに合流

 

 

墳丘墓群を抜けてようやく乙城へ

 ここから先は尾根筋をダラダラと下りながら進むことにとなる。こうなってくると登山杖の役目は主に蜘蛛の巣払いになる。これを注意してないと、もろに蜘蛛の巣に突っ込むことになりかねない。蜘蛛は数時間で巣を張ってしまうので、朝に誰かが通っていても昼頃になったらもう巣が張られている。今回の私も不覚にも2回ほど蜘蛛の巣に顔を突っ込む羽目になってしまった。

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7号墳墓

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8号墳墓と墳墓の連続

 その途中には例によって墳丘がいくつも続き、遊歩道はそれを乗り越えていくコースになる。言われなければただの尾根筋の瘤にしか見えないし、場合によって城を築いた際の尾根筋を断ち切る堀切かと思ってしまう。

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振り返ると連続堀切のようにも見える

 ある程度進むと道は再び登りに転じる。こうなるとまた息は上がるし、足は前に出ない。そこに見えているところに思うように進めないイライラが募る。ここまで体力が落ちていたか。そうしている内にようやく前方に、これは間違いなく城の遺構だと感じられる丘が見えてくる。

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再び道が登りに転じて苦しむことに

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あれは間違いなく城の構造

 思った通り、それが乙城の主郭だった。手間に案内看板が建っているが、それによると南北に細長い主郭の南に曲輪があり、主郭北部にも数段の曲輪があるようだ。

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曲輪の構造

 斜面を直登してみると、土塁を越えて小曲輪がある。その先が主郭である。主郭は鬱蒼として木が多く、身体の体積が大きい私は先に進むのが四苦八苦。主郭の先には確かに数段の腰曲輪的なものがありそうだが、足の状態を考えるとそこに降りるのはやめておく。

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手前の小曲輪

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その先が主郭

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鬱蒼として奥に深い

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主郭の北端、分かりにくいが下に数段の曲輪が

 主郭から降りてきて、遊歩道をさらに20メートルほど下った先に東屋があって展望所となっている。そこから一面田んぼの光景が見渡せる。「よし、この豊かな田んぼがすべて俺の領地だ」と妄想したところで、ここに城を築いた城主の気持ちが分かるような気がする。

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東屋のある展望台へ

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「この豊かな地が俺の領土だ!」

 これで攻略完了、後は足下に注意して降りてくるだけである。下りは身体は楽だが、実際はむしろ登りよりも危ない。大体重大な事故が起きるのは下りの時である。特に足がかなりがたついているのでスベらないように細心の注意で降りてくる。

 リハビリ登山にはまずまずの山城であった。そう凝った城ではないが、明らかに主郭の構造が分かったし、主郭からの眺望はなかったが、近くの展望所から大体周囲の状況は分かった。とりあえずは上々である。次は上郡に向かうことにする。

 

 

上郡で昼食を取る

 上郡に到着すると昼頃、登山の前にまずは昼食である。今回立ち寄ったのは「久」という和食の店。りゅうきゅうやとり天、チキン南蛮など九州料理が食べられる店である。私は「りゅうきゅう丼(1100円)」を注文する。

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お食事 久

 りゅうきゅうとは大分の郷土料理で、鰺や鯖などの新鮮な魚をゴマとショウガを効かせたタレで漬け込んだもの。この店ではハマチなどを使用しているという。これに団子汁が付いている。

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りゅうきゅう丼

 魚が新鮮でなかなか美味い。タレの塩梅も非常に良い。サッパリしているところが良い。さらに驚いたのが団子汁。団子云々よりも野菜が入った味噌汁の味が抜群に美味い。なかなかの昼食を堪能したのである。

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この太い麺のようなものが団子

 

 

駒山に登ろうとするが・・・

 昼食を堪能した後は駒山に向かう。前方に見えてきた三角形をした山が駒山で、登山道はその尾根筋沿いを登るルート、入口にはすぐにたどり着く。

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これが駒山

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登り口

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案内図

 登山道を上り始めると私が想像していたよりもかなり険しい。この険しさは先ほどの乙城と比較にならない。しかも参ったのは、私の足が全く上がらないこと。どうやら先ほどの乙城で完全に足が終わってしまったようだ。前方に岩場が見えてきたところで、この山の登山道の長さを考えると、これ以上進むのは無理と判断。とりあえず今回はまだリハビリ段階だと言うことで安全策をとって撤退することにする。後日捲土重来しよう。

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いきなりかなり険しい

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この岩場を見たところで挫けた

 それにしても情けないのは想像以上の足腰の劣化。以前の1日に山城4つぐらい攻略していた頃に体力を戻すのにはどのぐらいかかるか(そもそも戻すことが可能なのか?)。これは血道なトレーニングが必要な模様。

 

 

白旗城の登り口だけを確認

 ここまで来たついでに、最近整備されたと言う白旗城の登り口を確認しておく。上郡と言えばお城マニアには駒山城なんかでなく、こっちの白旗城がメインである。しかしこの城は往復で2時間はかかり、途中では谷筋のハードな登りなどもあるので、軽登山装備が不可欠だと言うし、何よりも体力が必要。その内に行きたいと思いつつも、今まで尻込みしてなかなか行けなかったのである。とりあえずまだ挑戦できるようなレベルではないが、いつか攻略を目指して入口だけを確認しておく。

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遠くに巨大看板が

 千種川沿いを登っていくと、やがて右側に巨大な看板が見えてくる。どうやらあそこらしい。さらに進んでいくと小さな川の手前に登山者用の駐車場もあり、前方に動物除けゲート(の割にはかなりゴテゴテと飾り立てている)があるので、そこから進めるようだ。ただ「ヤマビルに注意」という嫌な表示もある。湿気の多い時期は避けた方が無難か。

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この橋の先は駐車禁止の表示

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登山者用駐車場は完備

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何やらゴテゴテしたゲート

 

 

大島城に向かう前に喫茶で高CPパフェを堪能

 駒山城を断念したことで腰砕けのようになってしまったが、最後に大島城を目指すことにする。ただその前にお茶をしたくなった。途中で上郡駅前の喫茶「ヨット」に立ち寄る。ここはチキンカレーが売りのようだが、昼食はもう既に終えた後である。今回はデザートのプリンパフェ(770円)を注文することにする。

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ヨット

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吹き抜けのある洒落た店内

 フルーツてんこ盛りのパフェを食べていくと、その下からプリンが出てくる。これが若干苦味のあるカルメラに懐かしい味のプリンで実に美味。しかし一番感動したのは最後。大抵のパフェは食べ進んでいくと最後はかさ増しのコーンフレークにあたり、湿ったコーンフレークをモグモグと口に運ぶという不毛な掃討戦を余儀なくされるのだが、ここのパフェはそこにアイスクリームが入っていた。プリンを食べていった後の冷たいアイスクリームが実に美味、まさに感動。思わず「ごめんよ。まだ僕には食べられるものがあったんだ。こんなにうれしいことはない。」と涙しながらニュータイプに覚醒しそうになってしまった(笑)。

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フルーツてんこ盛りを食べ進めると

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下からプリンが出てくる

 なかなかにCPの素晴らしいパフェを堪能してから相生に向かうことにする。うーん、上郡は今まで全くノーマークだったのだが、意外と良い店があるようだ。どうせまた駒山城のリターンマッチも近日中に必要だし、いずれは白旗城攻略に挑むつもりだからまた何度か来るだろう。今日行った店はまた再訪しよう。

 

 

大島城の見学

 相生までしばしのドライブの後、国道2号線を東進してから相生で南下、芋谷川の河口にある小山が大島城のあるところ。

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大島城遠景

 

 現在は大島山本覚院善光寺となっており、境内のある山頂まで車で登れる。なお前の道が一方通行なので入口に注意。どうやらやはりここはかつては島であったようである。

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入口から車で乗り入れる

 コンクリ舗装の狭くて急な道を上まで登るとかなり広いスペースに出る。ここが本郭だとしたらかなりの面積だが、後に加工が入っている可能性が高い。

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山上はかなり広い

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後世の加工もあるかも

 大島城は1104年に海老名家季がここに城郭を築いたのが始まり。1336年には七代景知が赤松円心に属して白旗城に籠もって新田義貞軍と戦って功績を上げたが、その時に留守にしていた大島城は新田の手のものによって焼き落とされたという。どうやらその後にここは万福寺とされ、万福寺が赤穂に移ってからは船主達の信仰の地として住吉神社・稲荷社・金比羅宮・地蔵堂などが立ち並び、善光寺が建てられたのは昭和初期とのこと。

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善光寺

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参道には石仏

 中世山城であるから、ここは山上の館だったんだと考えたら、だだっ広い単郭構造というのもあり得る話だ。もっとも西の斜面には帯曲輪のようなものがあり、そこには「いぼとり井戸」と呼ばれる井戸が残っている。ここが大島の唯一の水源で、水道が出来るまでは生活用水として使用されていたという。

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帯曲輪のようなところに降りていくと

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先に何か見えてきた

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これが「いぼとり井戸」

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その先は海老名氏の墓所か

 

 

中央公園の歴史民俗資料館に立ち寄る

 なお現地看板にはここはかつて対岸の白鷲城と佳境で結ばれていたとの表記があったのだが、その白鷲城に関する情報は皆無。現地の地形から近くの中央公園がある小山が城郭を築くとしたら可能性が高いと睨んで現地視察したが、城を覗わせるものはなし。そもそも公園化で手が加わりすぎているので元の地形が不明。

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大鳥城と中央公園のある丘はこの距離

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丘の頂上

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土塁に囲われた曲輪にも見えるが

 ちなみにここにある歴史民俗資料館の展示は、一般的な考古学的資料に加えて、地元のペーロンに関するものが中心。なお感状山城に関する展示はあったが・・・。

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相生市歴史民俗資料館

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ペーロン祭の模型

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そしてペーロンの実物

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なぜか感状山城の模型が

 これで今回の遠征は終了。思いの他のヘタレぶりに山城1つで撤退という情けない結果だが、まあリハビリならこんなもんだろう。

 

 

亀山城と福田美術館を見学してから、京都市響の定期演奏会を聞きに行く

湯の花温泉を後にすると亀山城に向かう

 翌朝は7時の目覚ましに叩き起こされる。昨晩の就寝が早かったせいで一度4時頃に目が覚めたのだが、その後に二度寝で爆睡してしまったようである。

 起床するととりあえずシャワーを浴びて目を覚ます。朝食はレストランで8時から。元々はバイキング朝食だったようだが、時勢がら今は和定食となっている。まずまずの内容。

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おでん付きの朝食

 今日は予定があるのでチェックアウト時刻の10時までは粘らずに9時過ぎにはチェックアウトする。今日はまずは亀山城に立ち寄るつもり。

 

亀山城を見学する

 亀山城は明智光秀ゆかりの城で、徳川家康が天下を押さえた後にも地理的重要性から天下普請で建造されたという。しかし明治以降は建造物から石垣の石までが払い下げられ、城跡は荒れて地元民さえ近寄らない状況となっていたという。それを見かねた大本の教祖が買収して、信者達が石垣を積み直して整備したとか。途中で戦前の大本に対する国家による大弾圧があったりなどもしたが、紆余曲折を経た後に今日に至っているという。

 見学地域は大本にとっての聖地も含まれるので、事務所に届け出てミュージアムの入場料(300円)を支払う必要がある。まあ私有地なわけなので仕方なかろう。本来なら国有地などにして公的機関が発掘調査結果に基づいて復元するべきなんだが、既にこの地が大本の拠点となっているので、なかなかそういうわけにはいかないようだ。恐らく復元の元になった情報は、かつてこの城内を遊び場にしていたという教祖の子供時代の記憶だろう。それだけにいくらか改変されている可能性があることは考慮に入れておく必要がありそうだ。

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橋を渡って進むことに

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これは堀の名残だろうか

 見学エリアに入るといきなり目に飛び込むのは天守台の石垣。どうやらこの辺りの石垣は一部かつての石垣が残存していたのか、穴太積みの特徴が見られるとのこと。どうやらすべての石垣が売り払われたわけではないということか?

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見学エリアはこの奥

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天守台の石垣

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やや小さい石が多い石垣は後で積み直したものだろう

 天守台に登ると光秀が自ら植えたとされる巨木が生えている。ちなみにこの反対側に石塔のようなものが設置されているが、これは大本の聖地とのことで撮影禁止。どうもこの天守台自体が聖地にされていたのを、辛うじてこの木だけは見学できるようにしたようだ。聖地として無闇に関係者以外の立ち入りは禁じたい大本と、この光秀ブームに乗じて観光の目玉としたい地元亀岡市との微妙な駆け引きもあったことと推測する。

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天守台上の巨木

 見学可能エリアを一回りして戻ってくると、大本のミュージアムの方を覗く。こちらは陶芸の展示中。色鮮やかな陶器が展示されていたが、やや軽薄に見えて私の好みではなかった。

 どこまでが往時の遺構か今ひとつハッキリしなかったのと、見学可能エリアがごく一部であることなどから、城の全貌が把握できたとは言えないが、この亀岡の地の地理的重要性と、その亀岡の中央にそびえる独立丘陵という地形からも、徳川幕府が要地として重視したのは至極当然と考えられる。なお建物類が明治に売却されたために、現在も移築城門とされる建造物が市内に数カ所残存しているらしい。

 

嵐山周辺はものすごい人出でたどり着くのに大変

 亀山城の見学を済ませると京都へ移動する。ホールに行く前に福田美術館に立ち寄ろうと嵐山に向かう。しかし嵐山に近づくにつれて道路は大渋滞の上に嵐山周辺は交通規制がかかって予約していた駐車場にたどり着けない。結局は大きく迂回して駐車場にたどり着く形となり、ここでかなりの時間を無駄に浪費することに。しかも嵐山周辺は猛烈な人出で明らかな三密状態。一体どうなってるんだ?

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嵐山周辺は猛烈な人出

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福田美術館に到着

 

「悲運の画家たち」福田美術館で1/11まで

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 悲運に見舞われた画家や悲劇の場面を描いた絵画、さらには現代には存在が半ば忘れられるという「悲運」に見舞われてる画家も含めての展覧会。嵯峨嵐山文化館とも共同での企画だが、今回は時間の関係で福田美術館だけを見学。

 展示作は、まず登場するのは電車にはねられて命を落とした木島櫻谷、さらには市電にひかれて左足を切断した速水御舟、利き手の自由を失って左手で制作を続けたという木村武山の作品などを展示。

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木島櫻谷の作品

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これは速水御舟

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木村武山の「鶴」

 さらには悲劇的運命を辿った静御前を描いた上村松園の作品も展示されている。

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上村松園の「静御前」

 次の展示室には後継者として将来を嘱望された息子を失った(狩野派による暗殺説がある)長谷川等伯の大作も展示されている。

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長谷川等伯の大作

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左隻

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尾形乾山の皿なども展示

 「悲運」というテーマで画家を括るのはいささか疑問がないでもないが、展示作はいずれも見応えのある作品ばかりだったのでその点では面白かった。

 本来ならここからさらに足を伸ばした第二会場も覗くべきなのだが、嵐山到着までに想定外の時間を浪費したために時間的余裕がない。さっさと嵐山を後にするとホールの方に移動することにする。

 

ホール近くの蕎麦屋で昼食

 ホール近くに借りた駐車場までには30分程度かかる。ようやく車を置くとホールにたどり着く前に、途中の「蕎麦屋じん六」に立ち寄って鴨そばを昼食に頂く。

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蕎麦屋じん六

 しっかりしたそばは悪くない。ただサッパリしているというよりも単に塩っぱいだけのつゆが私の好みと大きく外れる。価格も高いのでCPも良くない。そばよりも印象的だったのは極めて濃厚なそば湯か。

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鴨そば

 とりあえず昼食を終えるとホールへと急ぐ。

 

京都市響第651回定期演奏会

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京都コンサートホール

大友直人(桂冠指揮者)
清水和音(ピアノ)

グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16
エルガー:交響曲第2番変ホ長調op.63

 清水のピアノはネットリネットリとした独特のテンポと抑揚のある濃厚なもの。これに対して大友の伴奏は相変わらずのあっさり風味であるのだが、これはこれでバランスの取れたなかなかに面白い演奏となった。いささかこってり目の清水のピアノはやや胃にもたれる感がないでもないが、情感を訴えるという点ではアピールのあるものであった。

 後半のエルガーは元々茫洋とした曲調に対して、大友は強烈に個性を訴えるタイプではないので、全体的に印象が薄めの演奏であったという気がする。第1番に比すると第2番はいささか騒々しい曲であるが、どことなくそれが空騒ぎっぽく聞こえてしまった感もなきにしもあらず。どうも私はエルガーの音楽とか、ターナーの絵画といったイギリス系とは相性が良くないのか。


 コンサートを終えると京都から長駆して帰宅することに相成ったのだが、温泉でゆったりとくつろぐという主旨の遠征であったにも関わらず、結局は疲労困憊してしまったという毎度のような本末転倒と相成ってしまったのである。まあ念願だった黄金崎不老不死温泉の訪問は果たしたし、酸ヶ湯温泉で宿泊という課題も成し遂げたので満足度は高いが。後は夏場にでも訪問して岩木山見学(8合目までは車で登れる)や嶽温泉宿泊でも出来れば青森は完全終了だろうが。

 

中里城遺跡見学後に、黄金崎不老不死温泉で宿泊する

中里城遺跡に立ち寄る

 次に立ち寄ったのは津軽鉄道終着駅の津軽中里の少し北にある中里城。城というか、そもそもは縄文時代の遺跡だったのだが、その後も使われ続け、平安時代には土塁などで区画されたムラとなり、室町時代には城館としても使用されていたという。

 現地に到着するとバスまで入れそうな広さの駐車場がある(ただしここまでの道がバスが通るにはしんどい)。史跡公園として整備されているようなので、地元としてそれなりに気合いを入れた施設なのだろう。

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駐車場から階段を登る

 階段を登っていくと遊歩道と合流し、そこから1分とかからず遺跡に到着する。回りを見渡す小高い丘陵の上に位置しており、確かに私がこの地方の豪族だったしてもまず間違いなくここに屋敷を置くだろうという地形である。戦国を生き抜くための城郭としてはいささか心許なさがあるが、中世の城館なら十二分である。

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遊歩道を進む

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ここが遺跡

 東には空堀の跡があり、南には柵の跡が見つかったとのこと。周囲を明らかに区画していたようだ。中央には土塁と空堀が作られている。その向こうには多数の住居跡がある。

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東の空堀跡

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中央の土塁と空堀

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南には柵が

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建物跡も多数

 南西隅に木造の展望台が立っているのだが、老朽化のせいか立ち入り禁止となっている。ここのような豪雪地帯ではこのような剥き出しの木材の建造物は劣化が早い。恐らく気合いを入れて整備したのだが、利用者もあまりなく展望台を保守する気も起こらなかったんだろう。確かに観光客がワラワラ来るような施設でもなく、せいぜいが地元民の散歩コースがせいぜいと言ったところである。

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展望台は立ち入り禁止

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高度はそれなりにある

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立派な石碑は建っているが・・・

 

不老不死温泉を目指す

 これで大体回るべきところは回った。相応の時刻になってきたし、不老不死温泉にたどり着くにはここからはかなり南下の必要のがあることからいよいよそちらに向けて移動することにする。

 ここからは荒涼たる中をひたすら突っ走ることにとなる。ようやくそれなりの町にたどり着いたと思えば鰺ヶ沢である。

 そこからは国道101号線をひたすら海沿いに走行。101号線は概ね走りにくいというところはないが、それでもところどころで狭隘分はあるし、アップダウンも激しい道路である。右手を見ると日本海がかなり荒れているのが目に飛びこんでくる。剥き出しの岩礁に打ち付ける波はそのまま東山魁夷の絵画の世界である。

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海は大荒れ

 延々と何もない海沿いを走り続けて、突然に都会に出たと思えばそれが深浦漁港である(スーパーがあるだけで大都会に見えてしまう)、目的地はここから数分の距離。なるほど、いざとなった車をここまで出したら買い出しは可能だなということを記憶の片隅に入れておく。

 黄金崎不老不死温泉はいざ現地に到着すると普通に大きなホテルなのでいささか拍子抜ける。どうも勝手に海辺の旅館みたいなのを想像していた。

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思いの外普通のホテルだ

 部屋は新館のツインの部屋を用意してくれたようでかなり広い和洋室。部屋からは一応は海が見えるが、絶景と言うほどでもない。

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ツインの和洋室

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窓からは海が見える

 

海辺の露天風呂で入浴する

 少しほっとしたところでとりあえず入浴に行く。ここは海の近くの露天風呂が有名。なお露天風呂は撮影禁止という張り紙がしつこいほどに貼ってある。そうでないと撮影を試みる輩がいるんだろう。なお露天風呂には洗い場他は全くなく浴槽があるだけなので、まずは内風呂でかけ湯をしてから浴衣で露天風呂に行ってくれとのこと。なお今日は女湯と混浴となっており、どうやら女性の団体客でも予約しているようである。

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露天風呂は本当に海の際にある

 お湯は含鉄-ナトリウム塩化物泉で中性の強塩泉。鉄分を含んでいるので黄色の着色が顕著だが、湯自体はとにかくしょっぱいのが目立つ。塩分濃度が相当高いようで、死海よろしく体が浮きそうに感じる。

 そして何よりすごいのは海がそこにあること。今の時期は沖から押し寄せる荒波が大迫力である。台風などで海が荒れたら恐らくこの露天風呂はもろに波をかぶるだろう。

 まあ話のネタとして一度体験して損はない。ただしこの時期は風呂の出入りがとにかく寒いし、あまりにもダイナミックすぎて湯を楽しむという雰囲気とは少々違うような気がする。特に今日は風が強いのでとにかく寒い。おかげでのぼせはしないが温まるという感じでもない。とりあえず風景をタップリと堪能したら次は本館の内風呂の方に移る。

 こちらも湯は同じ模様。温湯と熱湯があるから好みで選ぶことができる。ゆっくりと湯を楽しむならこちらの方が正解だろう。

 なお新館の方に大浴場があるらしいが、こちらは後で楽しむことにして、部屋に戻るとしばしマッタリする。パッドをWi-Fiにつないで家で録画した番組を送信して視聴。

 夕方になってきたところで今度は新館の大浴場に出向く。内風呂に露天風呂も付属している模様。ただし露天風呂は温湯なので風が吹きすさぶ中ではいささか寒い。

 湯は基本的に本館のものと類似しているようだが、こちらの方が鉄分が強いようで金気臭が半端ない。湯の色も黄色というよりも赤い。肌辺りはややきつめ。

 風呂からあがるとしばし原稿入力作業。その内に夕食の時刻となるのでレストランの方に出向く。

 

夕食は海鮮の会席

 夕食は海鮮中心の会席。刺身がなかなかに美味いが、やはり青森はとにかくホタテが美味い。さらには焼き魚がこれまた地味に美味い。

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夕食の会席

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いくらご飯付き

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刺身がなかなか美味い

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海鮮系の鍋

 ワカメのツルツル麺のおすましとか変わったものもある。またこの地域では茶碗蒸しは甘いものらしい。これは驚いた。なお連日のアワビとはこれまた贅沢。

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ワカメのツルツル麺

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連日のアワビとなってしまった

 最後のデザートは人参のシャーベット。どうやらこの地域は人参が名産らしく、部屋に置いてあった菓子も人参餅だった。とりあえず人参餅は土産物として購入。

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人参シャーベット

 この後は再び新館の内風呂でタップリと入浴すると、眠くなるまでワーケーション。と言っても実際のところは長時間ドライブの疲れは激しく、すぐに眠くなるので早めに就寝するのである。

 

修復なった堀越城を見学してから、斜陽館に立ち寄る

バイキング朝食と朝風呂で英気を養う

 翌朝は6時半に起床するとまずは朝食バイキングに繰り出す。ドーミーのバイキング朝食は時勢がら今は小鉢バイキングとなっている。これはセッティングする方も大変だろう。内容的にはまずまず。

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ドーミーの小鉢バイキング

 朝食を済ませるととりあえず朝風呂。これが実に気持ちいい。昨日歩き回ってガタが来ている身体に活を入れる。例によっていつものごとく「小原庄助さんバンザイ!」。

 さて今日の予定であるが、基本的には次の宿泊地である黄金崎不老不死温泉に移動するだけである。そもそも今回の遠征の趣旨は「青森の温泉地を回ってゆっくりしよう」というものであり、以前に訪れたもののドタバタしていてゆっくりくつろげなかった酸ヶ湯温泉と、以前から行きたいと思っていた黄金崎不老不死温泉に行くというのが遠征のメイン。後は付け足しのようなものである。

 

堀越城を訪問する

 で、付け足しといえば、昨日弘前城を回った時に「堀越城の復元工事がこの春に終了した」とのポスターが貼られていた。実は堀越城は数年前に訪問しているのだが、その際はまさに工事のまっ最中で、工事現場の真ん中に本丸の神社だけがあるという状態で、とても堀越城を見るという状況ではなかった。ようやく修復工事が終わったというのなら立ち寄らない手はないだろう。堀越城は大浦為信(津軽為信)が居城とした城であるが、弘前城の建造によってそちらに本拠を移している。その後に一国一城令で廃城になったという。

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工事の終了した堀越城

 昨晩からやや雨模様であったが、生憎と今日は朝から断続的に雨がぱらついている。その中を堀越城まで車を飛ばす。確かに現地に到着すると立派なロータリーから駐車場まで完備された城跡公園となっている。正面には見事な堀と土塁が見えているが、これが発掘の成果に基づいて復元したものらしい。以前に私が訪問した時には、この辺りは絶賛工事中であった。

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外郭の堀と土塁

 三の丸を道路がぶった切る形になっており、広大な三の丸の一部は道路の向こうにある。本丸などの主要部はこちら側であるので、そちらを見学する。

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縄張図

 道路沿いに進んで三の丸を経由して本丸正面へ。本丸の周りは水堀が作ってある。また三の丸の土塁に登って西を眺めてみると、そこにも防御機構が据えられているのが分かる。土塁が互い違いになっているのは簡易な虎口である。さらにその奥にはかつては空堀があったらしい。平城ながらかなり大規模で堅固な城であるのは分かる。

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橋の向こうが本丸

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三の丸の土塁から西側を見ると食い違い虎口が

 

本丸から二の丸へ

 本丸には御殿の建物跡がある。結構立派な屋敷が建っていたようである。土塁で囲まれた本丸はそれなりの面積がある。今は本丸には熊野神社がある。

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本丸上の建物跡

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熊野神社

 ここから堀を超えて二の丸に移動。ここはかなり広い曲輪である。ここにも建物跡が残っている。二の丸の周囲を土塁が囲み、その土塁の向こうには空堀が掘られている。

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堀を超えて二の丸へ

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二の丸の建物跡

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かなり広い曲輪だ

 この辺りまで見学したところで、やみかけていた雨が再び本降りになってきたので車に逃げ帰る。車を動かして道路の向こう側に行ってみると、豪農の屋敷である旧石戸谷家住宅が移築されているが、どうやら先の三連休を最後に冬支度で閉館になってしまったようで内部の見学は出来ず。

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旧石戸谷住宅

 三の丸の見学とも思ったが、雨と風が強いので傘をさしてもずぶ濡れになりそうなのと、こちら側は遠くに建物跡らしきものが見えるだけで、特にこれという構造体もなさそうなので堀越城の見学はこれで終了とする。

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三の丸はとくに何もなさそう

 以前に見学した時にはこの城の真価は今ひとつよく分からなかったのだが、こうやって復元なってから見学するとかなり立派な城であり、この地域の覇者であった津軽為信の居城として相応しいものであることがよく分かった。城跡に時代考証を無視して天守閣とかをぶっ建てるのは迷惑だが、こういう発掘成果に基づいた復元は大歓迎である。

 

金木の「斜陽館」を見学する

 雨がやや激しくなった中を次の目的地に急ぐ。黄金先不老不死温泉に向かうにはここから北上して鰺ヶ沢を経由して日本海岸に回り込む必要があるが、その前にもう少し北上して五所川原方面に向かう。この辺りはまさに本州最果ての地らしく、荒涼とした風景が広がる。風が強く、道路の各地に雪よけ用の柵が付いているのが目立つ。

 今回向かうのは五所川原でなくそのさらに北にある金木。ここに太宰治の父が建設した豪邸が今は太宰治記念館「斜陽館」となっている。この館は太宰の「津軽」などにも登場するが、「とにかく大きいだけで風情もなにもない建物」だとのことである。私は殊更に太宰のファンというわけではないが(それでも「人間失格」ぐらいは若い頃に読んでいる)、この界隈まで来たからには立ち寄っておきたい。

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斜陽館

 金木はそこそこの集落である。今まで民家もまばらな荒涼たる大地を走ってきた後には結構都会にさえ見える。その中心に見るかに立派な屋敷が建っているがそれが斜陽館である。太宰の父の津島源右衞門が太宰が生まれる2年前にまさに金にあかせて建てた豪邸であり、和洋折衷の建築。この手の豪邸のお約束として青森ひばの高級材が使用されている。大地主だった津島の財力を示すものだが、戦後の農地改革で津島家も没落、まさに斜陽となって売却され、その後は旅館として使用されていたという。しかしやがて経営悪化で手放され、町が買い取って現在に至るとのこと。今は国の重要文化財ともなっている。

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玄関

 中に入ると、かなり広い土間と四間続きの座敷が目に飛びこむ。吹き抜け部の天井は高く冬は寒そうである。

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広い土間

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四間続きの座敷

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台所

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この米蔵には小作人からの米が納められた

 この座敷に津島家の仏壇が設置されているのだが、これがまた極めて絢爛豪華である。これだけでもかつて津島家の財力を覗わせる。

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太宰が生まれた部屋

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絢爛豪華な仏壇

 また手前には店として使用していた部分がある。津島源右衞門は金貸しも行っていたようであるが、太宰はこの家業が嫌いだったらしい(確かに百姓から小作料をふんだくった挙げ句にさらに貸し金で残りの金まで巻き上げているように見える)。

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ここが店

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金庫もあり

 

 洋風の立派な階段を登ると洋間がある。どうやら客を迎えるための部屋のようだ。

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洋風の階段がある

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かなり立派な階段

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そして二階の洋間

 その奥には太宰が子どもの頃に机を置いて勉強していたという部屋があるが、襖に書かれた漢詩の一節に「斜陽」の文字が見える。

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太宰の勉強部屋

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漢詩の末尾に斜陽の文字がある

 二階の部屋は旅館の客室として使用されていたと言うが、宿泊客からは「寒い」との声も多かったとか。確かに本格的に冷え込むとかなり寒そうな感じがある。

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旅館の客室としても使われた部屋の襖絵は河鍋暁斎門下の真野暁亭のもの

 私は殊更に太宰に対する思い入れはないので、普通に地方の豪邸として楽しんだが、太宰のファンなら感慨無量なところもあるのだろう。こうして見てみると太宰もそもそもは「ええしのボン」だったわけである。やや破滅的に見えるその生涯はそういう境遇に対する反発もあったろう。

 

金木で昼食にする

 斜陽館の見学を終えると、これから向かう先を考えると昼食を取れるような店に出くわすことはないと想定されることから、金木を立ち去る前にここの辺りのどこが昼食を摂ることにする。結局はGoogle先生にもお伺いを立てた結果、「丸一食堂」に立ち寄ることにする。

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丸一食堂

 本当に絵に描いたような「町のラーメン店」である。メニューにはラーメンだけでなくカツ丼なんかの類いもあるが、私は味噌ラーメンを注文。

 入店するとまず「時間は大丈夫ですか?」と聞かれる。列車の時間のことらしい。私が首からカメラをぶら下げていたので観光客だとは一目で分かったのだろう。ここは津軽鉄道の金木駅の近くなので、列車の利用者の場合時間がシビアなんだろうと思われる。私は「いえ、車ですから」と言って入店。ああやって聞かれると言うことは料理が出るのに時間がかかるんだろうと予測が付いたが、確かにいわゆる一般のラーメン屋と違って料理が出てくるのは遅めだったが、どうしようもないほど遅いというわけではないタイミングでラーメンが出てくる。ああいうことを確認するということは、以前に「ラーメンだったら列車の時間までに食べられると思ったのに」とかの苦情を観光客に言われたことがあるのかもしれない。

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非常に素朴なラーメン

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ホッとする味だ

 素朴な味と言うべきラーメンだろう。特別に美味いわけでもないが、妙に安心する味でもある。ご近所さんなんかがちょっと食事したりする店なんだろうなと感じる。

 昼食を終えたところで次の目的地に移動する。もう不老不死温泉に直行しても良いんだが、ここまで北上したのだからもう一箇所だけ立ち寄ることにする  

数年ぶりに弘前城を腹いっぱい堪能した夜は、貝焼で腹いっぱい

今日はドーミーイン弘前に宿泊する

 昼食を終えたので弘前に向かう。今日はドーミーイン弘前で宿泊する予定。前回の大分遠征に続いてのドーミーの使用だが、仕事に来たならルートインでもいいが、やはり慰安に来たのだったらドーミークラスを使用したいというものである。

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ドーミーイン弘前

 ドーミー弘前は繁華街の中にある。駐車場に車を置くと直ちにチェックイン。部屋は見慣れたドーミー標準タイプで洗面台が外付けのタイプ。

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実に機能的なドーミー標準タイプの部屋

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洗面台が外付けとなっている

 入浴をしたい気はあるが、それよりも今のうちに訪問したい場所がある。日の高いうちに弘前城を見学しておきたい。

 

弘前城を数年ぶりに訪問する

 弘前城はここから少し歩いたところにある。すぐに三の丸追手門が見えてくる。立派な堀の向こうに立派な櫓門がありテンションが上がる。また真っすぐ突撃されないように絶対に通路と90度の位置に門をつけてあるのがさすが。門の前で滞留した敵に十字砲火を浴びせられる構造となっている。そう言えばこの門は初めて弘前城を訪問した時以来通ったことがなかった。

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弘前城が見えてきた

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重文の三の丸追手門

 三の丸はかなり広く、ここに博物館と植物園がある。植物園は既に冬支度で休園中、博物館の出し物は人形とのことで興味がないのでパスして先に進むことにする。

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三の丸はかなり広い

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辰巳櫓と冬支度で閉園中の植物園

 

二の丸を経て本丸へ

 やがて目の前に二の丸の堀と辰巳櫓が見えてくる。弘前城はこういう櫓や門が多く残っているのが貴重なところである。二の丸の堀は杉の大橋で渡ることになるが、それを渡りきるとやはり90度の角度で巨大な二の丸南門があり、橋を渡る敵は狙い撃ちにされることになる。

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辰巳櫓

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二の丸の堀と杉の大橋

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橋を渡った先にはまたも重文の二の丸南門が

 二の丸に入ると目の前に本丸の堀と一段高い本丸石垣がある。つまり二の丸まで突破した敵は正面の本丸からの猛攻にされされるという構造になっている。まさに鉄壁の防御機構である。

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裏から見てもその厳重さの分かる二の丸南門

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本丸石垣は現在工事中

 本丸は現在は天守台が工事中であり、天守は曳家で場所を移されている。ちなみに今は冬期間ということで天守は封鎖されていて内部の見学ができない代わりに有料エリアへの立ち入りが無料となっている。というわけで、久しぶりに本丸の見学。と言っても特に天守以外何があるわけではない。

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本丸虎口はかなり厳重

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移設されている天守閣

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天守台は現在この状況

 

北の郭を経由して四の丸北門に至る

 ここから北に降りて行った先が北の郭。周囲を土塁で囲われた堅固な曲輪である。ここには土産物屋などがある武徳殿休憩所が建っている。

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北の郭との間はかなりの高度差がある

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北の郭にある武徳殿

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このヒーローは一体何者?

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広い北の郭は周囲を土塁で守られている

 東に堀を超えて二の丸に行くと正面に見えるのは丑寅櫓。そして堀を北に渡って三の丸である。

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丑寅櫓と堀

 三の丸から枡形を抜けて降りていくと四の丸に出る。ここにもかつては門があったようだが、それは残っていない。なお広い四の丸は桜祭りの時に縁日がズラリと並ぶ場所である。

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三の丸の枡形

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広大な四の丸は桜祭りの会場ともなる

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その先に四の丸北門がある

 四の丸の北にこれまた立派な四の丸北門があり、ここまでが城域ということになる。

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この四の丸北門も重文

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そして幅広い堀が残っている

 

城の北側には武家屋敷街があるが

 なおこの北の一帯がかつての武家屋敷跡で、重伝建ともなっているが、実際には街並みにかつての武家屋敷の面影はあるものの、住宅のほとんどは新しいものに変わってしまっており、残存する当時の住宅はごく少ないのが寂しいところである。移築したという旧笹森家が公開されているが、ここにしても後にかなり手が加わっており、屋根の部材などあからさまに最近のものである。

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城の北の武家屋敷街

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武家屋敷の一件、旧笹森家住宅

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しかし実は後世にかなり手が入っている

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なるべく旧状に復元しようとしたらしいが

 

東門を見学してからホテルに戻る

 武家屋敷街を一回りすると再び四の丸から城内に戻ってくる。三の丸を経由して二の丸に到達すると、そこから二の丸東門を出て再び三の丸へ。この門も現存の極めて立派なものである。

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これも重文の二の丸東門

 二の丸東門を出ると正面に三の丸東門が見えてくる。これも現存の立派なもの。これで弘前城の現存で重文に指定されている門はすべてくぐったろうか。正直なところこの立派な門だけでテンション上がりまくりでお腹いっぱいという感じである。弘前城は天守だけ見ると櫓の少し大きなものぐらいの感覚なのでがっかりするというが、現存門などの総合点でトップクラスの城郭である。

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さらには三の丸東門も重文

 弘前城から戻ってくるとクタクタ。とりあえずホテルに戻って着替えると温泉大浴場に出向く。ここの湯は黒石温泉から運び湯をしている模様。アルカリ単純泉でpH9.2との表記がある。殊更にヌルヌルするというほどの湯ではないが、若干の着色があって肌辺りの穏やかな湯である。とりあえずこれでガチガチになっている体をほぐす。

 入浴を済ませるとしばし部屋でまたもワーケーション。昨日ホテルで執筆するつもりだったのがドタバタがあったせいでその暇がなかった教ドキュの原稿を仕上げるとアップする。

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昼に買い求めたそば団子をおやつに。これが美味。

 終わったころには6時半を回っていた。そろそろ時刻なので夕食を摂りに出かけることにする。

 

夕食は貝焼を堪能する

 実は夕食を摂る店の目星は既につけている。今日はGoToの地域券が出ることが分かっているので、電子クーポンを使える店を事前に調べていた。これは以前に大分で電子クーポンを使用できる店を探しててんやわんやした経験からの学習。実際に調べてみると思いのほか店が少なかったが、その中から「浜焼漁港」という店に目をつけていた。すると都合の良いことにここはドーミーと提携しているようで、ドーミーから一品券が添付されている。ホテルから近いし、これはやはりここしかなかろうということで出向くことにする。

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浜焼漁港

 浜焼の名の通り、貝焼などの焼き物が中心の店である。浜焼きデラックスセットを頼むことにする。これにドーミーからチケットをもらった刺身一人前に、さらにシーザーサラダを追加。飲み物はシークワーサーのノンアルコールサワーを注文。

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ドリンクとお通し

 刺身は貝類を中心に諸々が小盛になっている。なかなか美味い。どうやらネタの鮮度は間違いなさそうだ。

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チケットでもらった刺身一人前

 シーザーサラダは本当にこれがシーザーかの疑問は若干なくはないが、サラダ自体は結構美味かったの良しとする。

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シーザーサラダ

 そうこうするうちに缶に入れられた貝のセットがやってくる。これをひたすらコンロで温めて、貝の身が殻から外れるようなったら食べごろとのこと。

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これをひたすら焼く

 缶から湯気が上がりだしてからしばし待ってから開ける。貝がどっちゃりとなかなか豪華。まずはホタテをトングで取り出して身を箸でつついてみると簡単にはがれる。そこでまずこれを頂く。実に美味い。やはり貝とは偉大である。それにしてもこれだけうまいホタテはなかなか食べたことがない。

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中から貝がドッチャリ

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青森はやっぱりホタテが美味い

 次は白ハマグリ。非常にオーソドックスな印象。大きめのアサリといったところだが、アサリよりは上品な味である。

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これが白ハマグリ

 エビもできてるので、これも頭を外してガブリといただくが、とにかく美味い。

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エビも頂く

 アワビとかが殻から外れずにまだ加熱が不十分だった模様なので、さらに蓋をし直してしばし待つ。それから再度取り出してみると身がコロッと取れたので頂くことに。アワビの味の深みはやはり肝の旨味というのが大きい。さすがに抜群である。

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アワビ

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裏には肝がある

 さらにサザエ。これは身を取り出すのに苦労したが、苦労しただけの美味さはある。これもやはり内臓が実に豊かな味。

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サザエさんは食べるのに苦労した

 最後は牡蠣。もうこれが牡蠣好きの私にはたまらない・・・。

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やっぱり牡蠣は好き

 貝を食べつくしたところでドリンクのお替りとしてノンアルコール梅酒サワーを注文。これがまた美味かったんだが、貝焼の酔いが回ってきたのかいささか写真のアングルがおかしいな。

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酔ってきたかな・・・

 締めはウニ雑炊。ウニはともかくとしてゴマの入った雑炊が香ばしくて無闇に美味かったのだが・・・。なお炭水化物を摂取したら急に腹が膨れてきた。

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ウニ雑炊に

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食後のアイス

 で、最後は食後のアイスをさっぱりといただいて、以上で支払いは7000円ちょっと。大贅沢ディナーだったのだが、6000円分の電子チケットが出ているので現金払いは1000円ほどである。それにしても電子チケットは使いにくい。店側もあまり慣れていないようで、支払いの段でドタバタがあったのである。

 貝とは実に偉大である。貝は低脂肪高たんぱく食品なので私に向いている。今日は三内丸山と弘前城で1万6千歩以上も歩いているので足腰がガタガタになっている。恐らく運動不足の私の脚の筋繊維はブチブチと切れているだろうから、それがこれからアワビ筋、サザエ筋などと置き換わっていくことになるだろう。

 

こうして弘前の夜は暮れていく・・・

 満足して夕食を終えるとホテルに戻って再度入浴。あぁ、生き返る。

 入浴後はまた原稿執筆の続き。夜になるとドーミー名物の夜鳴きラーメンがあるのでレストランへ。ここはラーメンだけでなくてドリンクサービス付きの模様。レストラン内ではテレビ周辺に人だかりがあったのだが、ちょうど日本シリーズがソフトバンクの四連勝で決着がついたところだった模様。それにしてもソフトバンクの強さというよりも、巨人の弱さが際立っていた。やはりレベルの低いセリーグで審判まで味方につけてヌクヌクと勝ち上がった巨人では、レベルの高いパリーグを実力で駆け上がってきたソフトバンクとは勝負にもならなかったか。そもそも巨人の強化策って、自身を強くするよりもライバルチームの戦力を引き抜くことによって弱体化させることを目的に行ってきているし。

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ドーミー名物夜鳴きラーメンにプラスワンドリンク

 今日はかなり歩いたせいで疲労が強い。早めに就寝することにする。

 

炭酸泉と山上七福神巡りとボルシチと城下町

 いよいよ最終日だが、この日は朝まで爆睡していて目が覚めたら8時前になっていた。朝風呂の時刻が8時までなので慌てて大浴場に飛んでいって朝風呂をする。今日は昨日までと違って清々しく晴れているので、その中での入浴が気持ちよい。

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つくづく回りに何もないところだ

 その後は食堂で朝食。野菜中心のメニューだが、やはり野菜類が美味い。納豆以外は完食する。毎日こんな朝食を摂っていたら私も身体の中から健康になれそうな気がする。毎日キチンと朝食を作ってくれる女性に巡り会いたい気はあるが、そのチャンスもないまま気がつけば私の人生も黄昏れてきてしまった。

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健康的で美味い朝食

 この後は例によってチェックアウト時刻の10時ギリギリまで原稿執筆で粘る。ここで10時まで粘ったのはもう一つ理由がある。それはこの近くにあるラムネ温泉館に寄っていきたいと考えており、そこの営業開始が10時からだから。

 

ラムネ温泉館で高濃度炭酸泉を堪能

 ラムネ温泉館はすぐそこで、実際には歩いて行ける距離にある。長湯温泉には2タイプの湯があり、1つが私がかじか庵で堪能した湯温40度ぐらいで炭酸ガス濃度700ppmぐらいのもの。もう1つが湯温が30度程度と低いがおかげで炭酸ガス濃度が1400ppmと倍の濃度がある湯である。この2タイプの湯が楽しめるのがラムネ温泉館である。

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ラムネ温泉館

 入湯料を払って早速入場。営業開始間もない時刻だが、既に結構な客が来ている。内湯と露天があり、内湯が高温湯、露天が高濃度炭酸泉である。

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浴場は奥の建物

 露天の湯はまさにぬるま湯。今のシーズンは辛うじてまだいけるが、もう少し寒くなるとツラいだろう。その代わりもろに身体に泡が付きまくるという強烈な炭酸泉。自然噴出でこの濃度の炭酸泉が出ているのはかなり驚きである。からだが泡の感触で包まれる。

 ここでしばしゆったりとくつろぎ、身体が冷えてきたのを感じたら内湯に移って温める。こうやって温冷交互浴が出来る仕掛け。なお身体を温めるにはサウナもあるのだが、現在はコロナの影響で閉鎖中の模様。

 何だかんだでここで1時間以上入浴していた。これは大抵の入浴時間は10分以下という烏の行水以下の私としては異例のことである。長湯温泉、まさに最強。実際に今まであちこち行った全国の温泉の中でも間違いなくトップ10には入る実力である。温泉県大分侮りがたし。

 

別府ロープウェイで鶴見山に登る

 長湯温泉を後にすると別府に向かうことにする。今日の帰りのフライトは夜の7時。まだまだ時間に余裕がある。山道を走行しつつ別府に向かう途中で別府ロープウェイの近くを通りかかる。正直なところもう既に昼時を越えているので早く別府で昼食を摂りたいのだが、その前に通りすがりの駄賃でこれに乗っていくことにする。

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ロープウェイが通っている

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結構大きなゴンドラ

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ロープウェイの駅

 ロープウェイの駐車場に車を置いてチケットを購入しようとすると、乗り場には長蛇の列の三密状態。何か観光客が殺到するようなことがあったんだろうかと疑問を感じたのだが、どうやらそれは101人定員のゴンドラの乗客数を35人にまで絞っているのが原因と判明する。三密を避けるためなんだろうが、そのおかげで乗客は駅でロープウェイ乗車時間より長くを三密状態で待たされることになっているんだが・・・。

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乗り場は完全に三密状態

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永らく待たされてようやくゾロゾロ乗車

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内部は定員の1/3

 30分ほど待たされてからロープウェイに乗車。ロープウェイは一気に高度を上げ、乗車時間は10分ほど。見る見る風景が広がっていくのが圧巻。

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別府の風景が見える

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山上に湖が

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山上駅に到着

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美少女がお出迎え

 山上はやや冷やっとしており、これを予測してダウンジャケットを羽織ってきた選択が正解であった。ここからの眺めはかなり良い。

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鶴見山上駅

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眺めは抜群

 

鶴見山上参拝ツアー

 鶴見山上駅に降り立ったすぐそこにあるのは鶴見山上権現。とりあえず参拝して家族の健康と私の今後の栄達を願う(もう既に遅すぎるとは思うが)。ここからは山頂まで続く遊歩道があり、途中には展望台とか、七福神像などいろいろとあるようである。そこで七福神巡りをしつつプラプラと山頂へ。

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鶴見山上風景

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鶴見山上権現

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願掛け不動

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そしてジャンボ温度計

 しかしそれほど厳しい山道でもないのですぐに足が前に出なくなる。コロナ禍での運動不足は私が思っている以上に身体を鈍らせていたようである。かつては全国の山城を駆け巡ったというのに、とてもそんなことはもう不可能ではないかと思わせる鈍りっぷりである。

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福禄寿

 福禄寿を通過した前の展望所からは別府の市街がよく見える。ちなみに日没後は100万ドルの夜景とのことだが、その頃はこの辺りは真っ暗なのではなかろうか? どうやって降りるんだろう。

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その先に展望台

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絶景である

 

 七福神はそれぞれの御利益があるようなので、それぞれに家族と私の健康や私の栄達、さらにはこのブログの発展も願っておく(笑)。

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大黒天

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布袋尊

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寿老人

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恵比寿天

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山頂に到着

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なかなかの風景

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弁財天

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鶴見山上権現

 山頂付近に最後の毘沙門天があり、毘沙門天は破邪の神であることから、この国を支配する邪悪な勢力の一掃を願っておく。

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そして毘沙門天

 山頂を一回りして駅まで降りてくると、帰りの客でまたも三密状態になっていた。しばらく待たされた後にようやく降りてくる。

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帰りも三密

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ゾロゾロと乗り込む

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これから山城に向かう者も少なくないようだ

 ちなみに下の駅の近くの休憩所になぜかラフレシアの標本が展示されていた。世界最大の花であるラフレシアであるが、とにかく臭い花として有名で、その臭いでハエを集めてそれを蜂の代わりに使用するなどと聞いたことがあるのだが、ここにあった説明によると「実はラフレシアの花は開花直後は臭くない」のだという。ラフレシアの花が臭いというのは、開花期間が短くて2~3日で腐ってしまうからだという。これは中央部のツボ状部分に雨水が溜まってしまうせいで、この状態のラフレシアを見たせいで「ラフレシアの花は臭い」となってしまったのだとか。なるほどこれは私は初めて知った。もっともハエなどを引き寄せるためにあえて腐りやすくしているという可能性はあり得ると思う。

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ラフレシアの標本

 

昼食はやはり別府名物ボルシチ

 ロープウェイを下りると別府を目指す。360度ターンなどの急な山道を降りていくうちに段々と別府市街地が近づいてきて、何やら既に別府については通い慣れたる町という気がし始めている。とにかく遅くなったが昼食を摂りたい。そして昼食に何を摂るかはもう決まっている。別府名物ボルシチである。「馬家溝」に直行する。

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馬家溝

 既に昼食時をはるかに過ぎたアイドルタイムに入っているので、駐車場も空いている上に店内の客の姿も少ない。おかげでボルシチも普段よりもかなり早めに出てくる。相変わらずの酸味が非常に心地よい。

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とりあえずボルシチ

 今回はさらに「オムライス」を注文した。翌々考えてみるとこの店では「ボルシチ」と「自家製タンサンド」以外を注文したことがない。これではさすがに馬鹿の一つ覚えも過ぎるというものなので変化をつけてみたというところ。

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初注文のオムライス

 出て来たオムライスはなかなか美味い。とは言うものの、あくまで「普通に美味い」というレベル。残念ながら料理の性質もあって「わざわざここで食べないといけない」という特別なレベルではない。やはり次からは再び「自家製タンサンド」だ。

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確かに美味くはあるが

 デザートには栗のババロアを頼みたかったのだが、残念ながら売り切れ。そこでプリンを頼むことにする。ここのしっかりしたプリンも非常に私好みである。別府の最後の昼食を堪能したのであった。

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デザートはプリン

 

杵築城と城下町に立ち寄る

 これで大体3時過ぎぐらい。別府でどこかに寄るにも当てがないし、かといって空港直行だと時間が余る。これは困った。日出は比較的最近に行っているし、これ以外に立ち寄るような場所と言えば・・・ということで久しぶりに杵築に再訪することにする。杵築は台地の突端にある杵築城と、同じく台地上の築かれた城下町がある。

 杵築にはそう時間を要せずに到着する。まずは台地上に車で上がると杵築城の見学。この地形を見るとここに城を築くのは必然と感じられるが、かつてはさらに海の中に突き出した半島という印象が強かったのだろうと想像できる。

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杵築城遠景

 杵築城は鉄筋コンクリートでのなんちゃって天守なので、天守自体には面白味はないが、展望台としては有効である。ことさらに絶景というものではないが見晴らしは良い。

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本丸へ

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本丸は広くてなぜか石仏だらけ

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杵築城

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内部は普通に博物館

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定番の鎧展示

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風景は見事

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海に突き出ているのが分かる

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 杵築城を見学した後は武家屋敷街に回るが、この時点で5時前であり、見学可能な武家屋敷も既に店じまいを始めている状況。もっとも私は以前にこれらの屋敷は見学しているので、別に内部の見学をするつもりはあまりない。よく時代劇のロケに使用される酢屋の坂やら武家屋敷街の風情を見学してそれで終了にしておく。

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武家屋敷街

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これがいわゆる酢屋の坂

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武家屋敷はもう店じまい中

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一番外れは坂になっていて、その遥か向こうに杵築城が

 

 さすがにそろそろタイムアップか。レンタカーを返却して大分空港から飛ぶことにする。帰り便の時刻は19時なので潮時である。大分空港手前のガソリンスタンドは私と同じ状況の者が多いらしく、わナンバーで大繁盛していた。レンタカーを返却すると空港まで送ってもらうが、そこでスマホを車内に置き忘れたことに気づいてそのまま送迎車でUターンするなんてドタバタもあったが、無事に時間内の空港にたどり着いた。後は九州土産のザビエルなどを買い求めて大阪に戻ることになる。

 帰り便は機体変更があったようで往路と違って737になっている。どうやら乗客が少ない夕方便を中止して、夜便と一本化して機体を大型化した模様。何だかんだ言ってもまだ乗客は完全回復はしていないのだろう。まあ私は737の方が慣れているので楽だ。どっちにしろ飛行機の中は狭苦しいのは変わりないし。

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帰りは737

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やはり内部は狭い

 大阪へは無事に帰り着いたのであるが、実はここから駐車場までの移動と夜遅くの高速道路走行が実は一番しんどかったりする。しかも何だかんだで夕食を摂っていなかったし(昼食が極端に遅かったせいで九州で夕食を摂らなかったせい)。遠のきそうになる意識を「無事に家に帰るところまでが遠征」と言い聞かせてつなぎながら(笑)、必死に正気を保って帰宅したのであった。

 

おもてなし武将隊の演武を見学してからホテル入りして夕食は熊本で

おもてなし武将隊の演武を見学

 桜の馬場でグダグダ過ごして既に2時半ごろ。ホテルのチェックイン時刻が3時からなのでそろそろホテルに入るかと駐車場に行こうとしたら、中央のステージのところに人だかりができている。何かあるんだろうかと思ったところ、どうやらおもてなし武将隊の演武があるとのことなので、見学してから行くことにする。

 やがて扮装した女性一人と男性二人が登場。女性は加藤清正の娘で八十姫、男性は小西行長と加藤家の筆頭家老の松井興長という設定らしい。それから音楽に合わせて演武が始まるのだが、内容的には一世風靡(古いな・・・)と戦隊ヒーローショーを織り交ぜたような印象。キレの良いダンスが格好良いが、いささか力が入った姫様の喋りが、もろに○○ピンクって印象なのが何とも。戦国戦隊ブショージャーって雰囲気がどうしても漂う。それにしても男性がつけている鎧は鉄製で15キロあるとのことで、一回踊ると息が切れている。途中から島津義弘というやや年長男性が加わって男性3人の演武も。

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ブショーピンク・・・じゃなくて八十姫だそうです

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加藤家の筆頭家老の松井興長とのこと

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こちらが小西行長

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キレの良い演武を見せてくれます

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頑張る姫様

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刀も抜きます

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島津義弘登場

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男3人の演武

 

ホテルにチェックインする

 ステージはやんやの盛り上がりで30分ちょっとで終了。これで熊本城の見学は終了。駐車場に戻って車を拾うとホテルに向かうことに。今日は熊本で宿泊するが、宿泊先はドーミーイン熊本。ドーミーインは久しぶりの利用のような気がする。天然温泉付きのドーミーイン熊本はインバウンド人気もあって宿泊料が高騰しているので昨今は避けていたのだが、今回はインバウンド消失で価格が比較手妥当な線に納まったのとGoToとの合わせ技でここを選択した次第。

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ドーミーイン熊本

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室内は機能的である

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ベッドも広い

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トイレ+シャワーブースに洗面台は外付けというタイプ

 チェックインするととりあえず汗だくなので、シャワーで軽く汗を流して室内着に着替えてから最上階の大浴場へと向かう。ここの大浴場は天然温泉である。炭酸水素イオンの多いpH8.2の弱アルカリ泉。しっとりとした肌触りの優しい湯である。

 風呂上がりには無料のアイスキャンディーも置いてある。この辺りはなかなかに高級ビジネスホテルである。

 汗を流してさっぱりしたところで、またワーケーションをしながら洗濯。下着の替えの在庫が乏しくなってきているので、ビジネスホテルに宿泊した時に洗濯をするというのはお約束行事である。

 

商店街で夕食を摂ることに

 入浴も洗濯も済ませたところで夕食のために外出する。桜町の商店街をうろつくが、まだ6時台で夕食時には若干早いということを考えに入れてもいささか人通りが少ない。飲食店を探して裏通りに入り込むとさらに人通りは皆無。一体どうなってるんだろう。

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熊本の繁華街はあまり人通りが多くない

 しばらく人気のない裏通りをウロウロした挙句に海鮮炉端の「前川水軍」を見つけたのでそこに入店する。

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前川水軍

 飲み物はコーラを注文しておいて、お通しを頂きながらメニューをパラパラ。お通しの味は悪くないので料理はまずくはなさそうだ。

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コーラとお通し

 最初にやはり熊本と言うことで馬刺し。さらにくじらの竜田揚げを注文する。馬刺しは赤身で普通に美味い。馬刺しは下手な霜降りよりも絶対に赤身の方が上手い。これに対してクジラの竜田揚げは今一つ。やっぱり昨今は良いクジラを入手しにくくなっているようである。

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馬刺しに

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クジラの竜田揚げ

 ここでさらにメニューを見ると活カワハギとの文字が。これを見た途端に私の体で自動的に加速装置が作動する。この状態になると私の財布からの現金の流出速度が目に見えないレベルにまで加速することになる。

 カワハギはやはり至高である。私は以前よりカワハギの刺身はテッサに並ぶといっているが、そこに肝が加わるとテッサを凌駕する。久しぶりにカワハギを堪能する。

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カワハギはやはり至高

 勢いがついたところでさらに白子ポン酢を追加。この何とも言えない豊かな味わいが心地よい。

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白子ポン酢を頂く

 さすがにこれだけ食べたところで財布の方からアラートが出たのでサケ茶漬けで締めることにする。これで腹も満たされた。

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締めは鮭茶漬け

 以上で支払いは7000円。ボッタクリとは言わないがやや高すぎるという感覚。GoTo地域券2000円を受け取っているので、これを使用して支払いは5000円。これでようやくギリギリ妥当という感覚である。大分に続いて贅沢ディナーとなったが、今回は自己負担分がかなり多い。どうやら完全にGoToマジックにしてやられた感がある。

 ホテルに戻ると再び原稿入力だが、腹が膨れると一気に疲れが出てくる。昨日の岡城に今日の熊本城、それに実は夕食を摂る店を探すのに繁華街を結構歩いている。何だかんだで今日も1万歩越え。肉体的ダメージは隠せない。

 夜にもう一度入浴してから、ドーミー名物小腹ラーメンを腹に入れた頃にはもう身体はほぼ限界になってくるので、今日もやや早めに就寝することにする。

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ドーミー名物小腹ラーメン

 

熊本に移動して、熊本城の現状を視察する

熊本へ移動することにする

 翌朝は6時前に起床。まずは風呂で体を温める。その後はレストランで和定食。なかなかに高級感がある上に美味い。

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高級感のある和定食

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釜戸ご飯がうれしい

 部屋に戻ってくると中華パッドを出してきて家のBDレコーダーに接続してみる。昨晩は途切れ途切れ再生だったが、今朝は接続者が減ったのか良好に再生できているので録画済み深夜アニメをまとめてチェックする。

 さて今日の予定であるが、熊本まで移動して熊本城を見学したい。これも本遠征の主要目的の一つ。熊本城には以前にあの地震の直後に訪問しており、あちこちの惨状を目の当たりにしている。それから修復事業がどこまで進んでいるかの現状を見ておきたい。

 チェックアウト時刻直前まで今回の旅行記や新ブログ用の記事などを執筆して時間をつぶす。ホテルをチェックアウトしたのは10時ちょうどぐらい。ここからは車でひたすら熊本まで突っ走る。先の地震では阿蘇大橋が崩落するなどの大被害が出ていたのだが、道路は一応整備されて走れるようにはなっている。橋の方も建設中との話。一応震災復興はインフラレベルでは進められているようだ。

 東の方は西と違ってあからさまな外輪山越えがない(と言ってもある程度のアップダウンはあるが)から運転は随分楽だ。熊本までは順調に到着する。

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熊本市街に到着した

 しかし熊本は市内に入ってからが大変だ。道路は渋滞しているし、入り組んでいる。しかも熊本城までようやく到着して車を置こうとしたら駐車場が分からない。ナビに従って熊本城内をウロウロとしていると途中で神社近くの渋滞に捕まって万事休す。駐車場を目指すならここからUターンした方が良いと誘導の人に言われたので車を引き返すことに。かなり手こずってからようやく二の丸駐車場に到着する。

 

熊本城の復興状況を視察する

 ここが熊本城観光の拠点のようだ。駐車場の脇に熊本城見学のためのチケット売り場がある。そこでチケットを入手して熊本城天守へ。どうやら見学用の空中歩道が設置されていて、そこから熊本城を見学するようになっているようだ。

 西大手櫓門の跡を抜けて天守閣に向かう。北方に見える戍亥櫓は健在だが、その手前の石垣は大規模に崩落しており、それは手つかずのようだ。

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戍亥櫓手前の石垣は崩落したまま

 天守のある本丸へは陸橋で門の跡や石垣を越えて入る形になっている。全体的に石垣の崩落にはまだ本格的に手がつけられていない印象。さらなる土の崩落を防ぐために表面にモルタルを吹き付けている箇所もある。石垣は元通りに積み直すために、まずは石の場所をチェックするという気の遠くなるような作業が必要なために簡単には手をつけられないのだろう。

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天守方面へは陸橋で進む

 宇土櫓が近くに見えるが、遠目にはほぼ無傷に見えた宇土櫓もこうして見ると壁の崩落などかなりの被害を受けている。とにかくこの現存櫓が倒壊しなかったのは救いだが。

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宇土櫓も近くで見ると損傷が著しい

 振り返ってみた南大手櫓門も建物全体が歪む大被害を受けている。鉄材をかまして支えてあるが、これもいずれは解体修復だろうか? 手前の西大手櫓門などは既に解体した模様である。土台の石垣からやられているから、解体して組み直すしか手がないんだろう。

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完全に歪んでいる南大手櫓門

 

天守だけは修復が結構進んでいるようだが・・・

 鉄筋コンクリートの天守は修復が進んで見た目は綺麗になっている。小天守との間の石が崩れたと聞いているが、そこは今どうなっているのかはここからはよく見えない。

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修復工事の進む天守閣

 ここから復元された本丸御殿の下を潜って天空回廊に進むことになる。本丸御殿の建物もかなりの被害が出たと聞くが、立ち入り禁止なので内部の状態は分からない。ただ外から見ただけでも壁の崩落はあちこちで起こっている

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本丸御殿の下を潜る

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壁の崩落ななどの被害はかなり出ている

 

本丸南部は石垣が壊滅的

 本丸の南側の石垣群も惨憺たるものだ。奇跡の一本石垣で支えられて話題となっていた飯田丸五階櫓はもう既に解体されて撤去されたようだ。これから石垣からやり直しをする模様。これも修復されるのはかなりかかるだろう。

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本丸南部石垣の惨憺たる有様

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震災直後の飯田丸五階櫓

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現在は完全に解体撤去されている

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土台の石垣からやり直している模様

 さらに進むと数寄屋丸の下の石垣が崩れて建物が歪んでいるのが目に入ってくる。ここは見たところ手つかずに見える。

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数寄屋丸は石垣が崩落して建物が歪んでいる

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天空回廊

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モルタルで仮止めした崩落箇所も多い

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この櫓は無事そう

 一回りして降りて来たが、全体の印象としては「確かに復旧作業は始まっているが、まだ実質的にはほとんど手つかずに近い」というものである。とにかく石垣一つ積み直すにしても、各石の元の場所を定めるところから始めないといけないから膨大な手間である。そのためにまだ手をつけられていない箇所が大半であるという印象を受けた。正直なところ完全修復には何年かかるんだろうと気が遠くなりそうで、私が生きているうちに完全復活した熊本城の姿を拝めるだろうかと不安になってきた。

 

桜の馬場のわくわく座を見学

 駐車場に戻る前に桜の馬場に降りてこの辺りにある土産物屋や飲食店を覗くことにする。まず最初に覗いたのは熊本城ミュージアムわくわく座。実は天守見学とここの入場券がセット販売となっている(セットでない券もある)ので、それを購入していた次第。

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桜の馬場

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わくわく座

 内部には熊本城の被害の惨状を伝える展示が大半。元々は熊本城の歴史を伝える主旨の施設だったようだが、この惨状に主旨が変わったようだ。

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熊本城プロジェクションマッピング

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震災での被害の状況

 2階ではステージがあって江戸時代の熊本城をVRで復元するなどの企画上映がされている。また熊本城の古写真を展示したコーナーなどもあり。正直なところ博物館としては大したことはないが、ザクッと一回りするのも悪くない。

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VR熊本城

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こんな出し物もあり

 

喫茶で一息つくことにする

 かなり疲れてきたので一息入れることにする。「香梅庵」に立ち寄る。ここは有名な熊本の銘菓である陣太鼓を販売している会社のようだ。陣太鼓を入れた陣太鼓ソフトなどもあり、実はこれは以前に食べたことがある。しかし今日はそれよりはぜんざいの気分。

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香梅庵

 焼き餅が香ばしくて美味い。あずきもなかなかに上質。ホッと落ち着く一品である。添えられているのはほうじ茶だろうか。また甘いぜんざいには塩昆布はなかなかに合う。

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ぜんざいでホッとする

 

このまま桜の馬場で昼食を済ませるが・・・

 とりあえず一息ついたところで土産物などを物色してウロウロ。そうこうしているうちに雨がぱらつき始める。城下に昼食を摂りに繰り出そうかと考えていたのだが、それも面倒臭くなってきたのと、雨宿りも兼ねて近くにあった「海まる」に飛びこむ。

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海まる

 しかし待ち客が3組ほどいたようでかなり待たされる。中を覗くと空き席が結構ある様子なのになぜか客を入れない。コロナ対策と言うよりもどうも厨房が対応しきれなくて回っていない模様。実際に何も出ないままテーブルで待たされている客が多いようだ。この時点でかなり怪しげな雰囲気だったが、他所の店も似たり寄ったりだし、諦めて待つことにする。

 結局は30分以上待たされてから入店。この店はウニが中心の店のようだが、肉丼などもあるようで、組み合わせた「うにく丼」なるメニューがあったのでそれを注文する。

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うにく丼

 見た目は悪くないのだが、ここの海外から輸入したというウニが若干の苦味があって今ひとつ。やはり北海道産などのようにはいかないようだ。2000円ちょっとで昨日のGoToクーポンが2000円あるから自己負担は数百円だが、まあCPが良いとは言えないだろう。まあこの場所で昼食を摂ることを決めた時点でそれは捨てているが。

 昼食を終えたところでやや早いがもうそろそろホテルに入ろうかと考える。

 

竹田に立ち寄って岡城を久しぶりに見学、石垣でお腹いっぱい

竹田に向けてインプレッサで突っ走る

 昨晩は目覚ましもろくに合わさず、まさかチェックアウトの10時まで寝続けることはなかろうとひたすら眠気に任せたところ、朝6時まで爆睡したところで目が覚めた。身体にだるさはあるが体調は悪くない。

 とりあえず昨日書きかけていた原稿をざっとまとめてネットにアップすると、朝風呂を浴びに行くことにする。旅行での一番の贅沢と言えばやっぱり朝風呂である。しっかりと体を温めると朝食に繰り出す。本来はビュッフェのはずなのだが、ご時世柄和定食に代わっている。まあ特にどうというわけでもないが、結構おいしかった。白飯とサケの切り身が無性に美味い。

 朝食を終えると原稿の続き。つくづく私の遠征は常にワーケーションである。だから遠征の時は何はともあれPCとポメラは欠かせない。この日はあまり多くの予定は入れていないので、チェックアウト時刻の10時近くまで部屋でつぶす。

 さて今日の予定だが阿蘇に向かうつもり。今まで阿蘇は数回訪れているが、そのたびにお山と縁がなかったようで火口見学ができていないので、今回こそはその長年の宿題を果たすつもり。ネットで調べたところ今は見学に規制がかかっていない模様。ただ阿蘇だけだと時間がかなり余るので、通りすがりに竹田によるつもり。岡城はかなり以前に訪問しているが、とにかくもう詳細は忘れてしまっているので、再訪したいと考えている。

 竹田に向かっては山道を突っ走ることになる。道路が整備されて道幅が広いところではインプレッサは快調に走行する。とにかくエンジンのパワーが違うので、ノートだったらエンジンがヒーヒー言うような速度が軽く出る。ただ突然の山道狭隘区間に突入。こうなると3ナンバーのインプレッサは横幅の広さが気になるところ。まあ数台が連なっての走行の一番最後についていく状態になったので、対向車が来た時も既にあちら側が避けていたが。車幅がノートと違うので、運転していたらどうしても左側が不安だ。

 大分疲れたころに竹田に到着。岡城を目指すが、かつての城下町の名残で道幅の狭い竹田市街の走行が実は一番の問題だったりする。普段コンパクトカーに乗り慣れている私としては、とにかく車幅が気になるのと、小回りが利かないのがこういう時にはつらい。やっぱりインプレッサは道路をブイブイすっ飛ばしてこその車のようだ。

 

岡城を見学する

 路地やトンネルを抜けると岡城駐車場に到着する。岡城は見学が有料なのでここで料金を支払う(300円)。そのついでに杖用の竹竿を借りていく。以前の訪問時はここで城の案内の巻物をもらったのだが、今は経費節減でリストラされてしまったようだ。

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竹田城の地図

 ここからまずは大手門のところまで回り込むが、見あげるようなすごい自然崖。そこに無理矢理に登り道をつけている感じ。恐らくこれがないとこちら側からの攻略はほぼ無理だろう。もっともこんなところをズラズラ登っていたら、上から狙い撃ちされるのは間違いない。

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極めて堅固な大手道

 厳重な作りの大手門を抜けると、左手は屋敷などがあった西の丸の方向になるが、そちらの見学は後にしてまずは直進して本丸の方向に向かう。

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極めて厳重な大手門

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左手が西の丸、直進すれば本丸

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遠くから見た本丸石垣

 三の丸の入口のところが太鼓櫓門であり、極めて厳重で大規模な虎口となっている。ここを突破するのはかなり困難であることが構造から推測される。

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極めて厳重な太鼓櫓門

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大規模な枡形

 

二の丸と本丸を回る

 三の丸を奥に進むと二の丸でここに滝廉太郎の銅像がある。彼は「荒城の月」を作曲する時にこの城をイメージしたとされている。なお作詞の土井晩翠がイメージしたとされているのは仙台の青葉城だとか会津若松の鶴ヶ城だとか言われており、鶴ヶ城には土井晩翠の歌碑が建っている。

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三の丸の奥の本丸石垣

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三の丸の奥が二の丸

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二の丸

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遠くに西の丸の石垣が

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石垣がすごい

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滝廉太郎が鎮座している

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二の丸の復元された風呂屋から本丸に登れる

 その二の丸からさらに一段上がった最高所にあるのが本丸。かなり広さがあるが今は神社が建てられている。また手前の隅に御三階櫓が建てられていたと言われており、これが天守であったと言える。一番奥には金倉櫓があり、その先はかなり切り立った高い石垣となっている。東の部分を見下ろす構造になっており、裏口である東門(元々はこっちが大手だったという)方面に対して鉄壁の守備を誇っている。

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本丸には神社がある

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本丸風景

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神社の天井画

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金倉櫓跡

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城の東側を見下ろす

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御三階櫓のあった櫓台

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櫓台から三の丸方面を見下ろす

 

東側の見学をする

 東側にも行ってみるが、こちらは廟所を中心とした大きな曲輪が連なっており、かなり多くの兵力を置くことが出来る。その先にある東門も相当に厳重なものであり、こちらがかつての大手であったということは納得できる。この城の防御の弱点ともなりかねない箇所なので防備は厳重である。

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東側に向かう

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車道整備(バスが通っていたらしい)などで改変された模様

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廟所跡の表示

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廟所はかなり大規模な曲輪

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さらに東に向かうと

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堅固な石垣が見えてくる

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ここが東の門

 

西の丸は実に広大

 東側の見学を終えると次は西の丸方面の見学に向かう。岡城は元々は東の部分だけであり、後にこの西の丸方面が屋敷として作られると共に大手もこちらに移したとのことだが、とにかく規模が大きい。西の丸などは屋敷を建てるに十分どころか、ちょっとしたグラウンド並みの広さがある。こちらには巨大な曲輪が数段に渡って広がっており、屋敷が建ち並んでいたんだろうと言うことが想像できる。

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西の丸へは妙な登り口が後付けされている

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登った先からさらに一段ある

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野球が出来そうなぐらい広い

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下の方にも屋敷跡の削平地が

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突端が隅櫓跡

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櫓跡に立つと遥か下には駐車場が見える

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ちなみに下からはこんな具合に見えている

 西の丸方面を見学すると、これまた厳重な近戸門を通って七曲がりを下りて駐車場に戻ってくる。この七曲がりの道もかなり険しく、元々の道はもっと狭い山道だっただろうと思われることから、近戸門の厳重さを考えてもこちらから攻めるのもなかなか困難だろうと思われる。

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北側に回り込む

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何重もの屋敷跡がある

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かなり先まで複数段になっている

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本丸石垣が遠くに見える

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西方の風景

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遠くに見えるのは阿蘇山

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近戸門へと向かう

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極めて厳重な近戸門

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その先は急な七曲がり

 岡城は島津の軍勢を退けた不落の堅城と言われているが、確かにそもそも堅固極まりない天険の地形を活かして「こんな城、どうやって落とせばいいねん」と言いたくなるようなこれでもかとばかりの堅城である。しかも近世になってから拡張の上に総石垣の見事な城に改築されており、見るだけで圧倒される雰囲気がある。私も久しぶりに石垣を腹一杯に堪能した。

 

竹田市歴史文化館と竹田荘を見学する

 石垣で満腹して下りてくると、竹田の市街を見学することにする。竹田市歴史文化館に車を置くとまずは歴史文化館の見学。内部は岡城に関する展示と田能村竹田に関する特別展、さらには地元の美術同好会のギャラリー展示といった内容で、歴史博物館+民俗資料館に美術館まで同居というような施設。映像で岡城の歴史を紹介してあったのと、なぜか中川氏が所蔵していたというキリシタン遺産のサンチャゴの鐘が展示されている。

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竹田市立歴史文化館

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サンチャゴの鐘

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市民ギャラリー

 さらにはこの裏手の高台には田能村竹田の邸宅だったという竹田荘がある。いかにも落ち着いた日本的建築である。田能村竹田はここで頼山陽など多くの学者と親交を深め、さらには門下生なども抱えていたという。なお田能村竹田の作品自体は歴史文化館に展示してあるのと、大分市立美術館などにも所蔵品がある。

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竹田荘

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落ち着いた日本家屋です

 

武家屋敷通りを散策

 竹田荘の見学後は下に降りて来て、竹田の武家屋敷通りを散策。竹田の街並みには明らかに旧城下町の雰囲気や風情は残っているのだが、建物自体は意外に建て替わっていて、往時を偲ばせる建造物はこの一角に一部残るのみのようである。

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趣のある門

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武家屋敷通り

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雰囲気はあります

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長屋門

 武家屋敷通りの散策後は但馬屋老舗本店に立ち寄り、夜食用の和菓子を購入する。なかなか落ちいたよい雰囲気の店で、喫茶営業もあるようなので時間があればそっちにも立ち寄りたかったのだが、これから阿蘇に移動して火口を見学することを考えるともう時間の余裕がないので先を急ぐことにする。

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但馬屋老舗本店

 岡城が余りに立派すぎて予想の倍以上の時間を竹田で費やしてしまった。石垣でお腹いっぱいだが、実のところはそろそろ空腹である。ただ私が歩き回った範囲には昼食を摂るに適当な店も見当たらなかったことから、竹田を後にすると阿蘇を目指すことにする。

大分に飛び、美術館見学後、昼食は別府名物(?)ボルシチを頂く

大阪空港から早朝便で大分空港へ飛ぶ

 翌朝は大阪空港7時半のANA大分便でのフライトなので早朝5時過ぎの起床となる。寝過ごし厳禁と気を張り詰めていたせいか、何度か中途覚醒(その度に時計をチェックしている)したせいでやや寝不足気味である。我ながらどうも神経が繊細に過ぎる。

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朝のリフテル

 6時前にはホテルをチェックアウトすると、まずは車を近くの駐車場に置きに行く。そのための駐車場はアキッパで確保済み。路地の奥のややアクセスの悪い駐車場で、駐車枠は車幅一杯である。とりあえず車を置くと空港まで20分弱、キャリーを引っ張りながらゴロゴロと移動。空港までなら10分ちょっとだが、そこからANAのカウンターのある南ターミナルまでが遠い。

 搭乗手続きカウンターは既に大勢の客が並んでいてしばし待たされる。私は今回は初めてパックツアーを使用したので(会社がくれたポイントがパックツアーでしか使用できないという使い勝手の悪いものであるため)、いつもと勝手が違って戸惑ったのであるが、実は搭乗手続きはカウンター以外でも出来た模様であった。帰りにはそれを検討しよう。

 

IBEXの小型ジェットで大分へ

 大分便はIBEXの小型ジェット。三菱が参入を目指していたが頓挫してしまった領域である。内部は激狭。飛行機というのは狭いものだが、両側2列シートなので、737などに比してさらに圧迫感が強い。これは閉所恐怖症ならツラいものがありそうである。まあ前世がハムスターの私は狭いところには恐怖感はないが。

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IBEXの小型ジェット機

 この狭い機内に搭乗率は100%に近い。これはGoToの影響だろうか。しかし人のことを偉そうに言える立場ではないが、日本人は危機感がなさ過ぎのような気がするので、二次爆発が気になるところ。今までは政府の無策も謎のファクターXによってフォローされていたが、今後ウイルスタイプなどが変わってきたら、そのファクターXが有効かは分からない。ましてや無理矢理オリンピックなどを開催しようとすれば、欧米の強毒型ウイルスが侵入する可能性もある。

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内部はかなり狭い

 パックのために座席指定はツアー会社に任せたので飛行機の席は窓側という普段の私なら絶対に指定しない場所になっている。正直なところ高所恐怖症の発症がないか心配だったが、ボンバルディアのプロペラ機でなくてジェット機であるのが幸いして恐怖感はなかった。どうもジェット機の高度1万メートルはあまりに現実離れしていてかえって恐怖が湧かない。プロペラ機の高度3000メートルぐらいの方がずっと嫌である。さらに言えば50メートルぐらいのビルが実は一番怖いかもしれない。

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眼下に見えるは六甲アイランド

 機内では時折窓の外を観察しながらずっとこの原稿入力。例によって全力で遊びに打ち込んでいる私の姿は、横から見ると完璧に24時間戦い続けているジャパニーズビジネスマンに見えるらしい。いろいろと生き方を間違えてしまった。

 大分まではそう距離がないのでジェット機だとすぐに到着する。到着した大分はやや暖かい。寒くなる可能性も考えて薄手のダウンジャケットを用意してきたのだが、どうもそれは過剰装備のようだ。

 

今まで乗ったことがない「高級車」が貸し出された

 ここからはレンタカーでの移動となるので、スカイレンタカーを手配済み。営業所から来た送迎車に飛び乗ると空港前営業所へ。貸し出されたのはスバルのインプレッサ。私はコンパクトカークラスを申し込んだはずだから、明らかにアップグレードされている。もっとも山道を走るつもりでいる時なんかは、こういうアップグレードは有難迷惑になることもあるのだが。まあ今回はそもそも山道は走るつもりはなく、その代わりに長距離走行があるのでまあこのアップグレードはありがたいところ。どうも漏れ聞こえてきた話によると、このGotoでとにかくレンタカーの申し込みが多く、しかも日頃レンタカーなんか使ったことのない者が突然にレンタカーを運転するものだから、とにかく事故が多くて車が足らないのだとか。車両選択お任せのフリープランで申し込んだ若い女性が箱バンをあてがわれて絶句していた。

 とりあえずは大分を目指すことにする。今日の宿泊予定は別府だが、まず大分の方から予定をこなしておく。インプレッサは快調に突っ走るが、普段は最低限の装備しかないノートやヴィッツばかり運転している私は、インプレッサはいろいろと謎ボタンが多すぎて操作が分からない。いろいろ試してみたが、結局はよくわからないボタンが半分方。さすがにDシフトだけでなくMシフトがあって、自分でギア比選択できるようになっているのには驚いた。これを使い切れれば、山岳のワインディング道路をスポーティーに乗りこなすなんて芸当ができるんだろうが、当然ながら私にはそんな技術は皆目ない。せいぜいが急な下り坂でエンジンブレーキを効かせる時に操作するぐらい。

 大分には1時間かからずに到着する。まず最初に立ち寄ったのは最近(と言っても既に数年が経過しているが)オープンした美術館。

 

「生誕110年 宇治山哲平にみる「やまとごころ」」大分県立美術館で11/29まで

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 日田出身の洋画家・宇治山哲平の展覧会。宇治山は当初は版画家を目指していたらしいが、出展作があまりにひどい扱いであることに愕然として、版画は一生を賭けるに値しないと判断して洋画に転じたという。

 当初は版画をしていたこともあるのか、かなり具象性のハッキリした絵画であったが、そこから段々と形態のデフォルメなどのこだわりが出てきて、そのうちに完全に中小の世界に入ってしまったという面白い経歴をたどっている。

 元々具象から始まっているだけあって、当初の作品は抽象的であってもどこかそもそもの具象性を残しているのが分かる。表題にある「やまとごころ」辺りになると、完全に精神的なイメージであるので純粋な抽象の世界になっている。

 彼の作品はどうも形態に対するこだわりがあるのか、抽象と言いながらも単にグチャグチャに描くのでなく、整然と円や正方形を配置するデザイン的なところがあり、それが親しみやすく分かりやすい印象につながる。表題作もどの辺りがやまとごごろなのかは私の理解を超えていたが、作品自体には奇妙な親しみを感じたのは事実。


 なおロビーで芸大ストリングスによるサロンコンサートが開催されており、ついでだからそれを拝聴した。演奏にややぎこちなさを感じるところもあったが、こういういかにも「生の楽器」の音を聴けるシチュエーションも悪くないなと思った次第。今まで大ホールでのオケもの中心でばかり聴いていた私だが、室内楽などにはまたそれはそれで違った魅力があることを感じた。

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芸大ストリングスによる生演奏

 

府内城は立ち入り禁止だった

 美術館を見学した後は、この近くにある府内城を見学・・・しようと思ったのだが、何やら工事が行われている模様で内部には入れず。仕方ないので周りを一周してから次の目的地を目指すことにする。次は山の上にある美術館。

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府内城には入れず

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車で周りを回っただけ

 

「美を競う 肉筆浮世絵の世界」大分市美術館で11/23まで

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 宗教系美術館である光ミュージアムが所蔵する肉筆浮世絵を大量展示。

 肉筆浮世絵は大量生産される浮世絵版画と違い、一点ものなので現存作品が少なく貴重であるが、絵師の細かい色使いやタッチを見ることができる貴重な資料でもある。

 本展展示作は必ずしも有名な絵師の作品ではないが、それらの絵師の弟子筋などの作品である。例えば北斎の弟子の作品なんかがズラッと並んでいるが、当時からかなり斬新な絵画に取り組んでいた北斎の影響を受けて、弟子たちの作品もいわゆる普通の浮世絵とは光の表現が異なっていたりなど一癖あるのが分かる。

 諸々の展示があった中で私の目に留まったのは、ハルカスでの「奇才」展でその独特の画風が印象に残っていた祇園井特の作品。独特のデロリとしたリアリティがあるのであるが、本展展示作でもその異様なリアリティは際立っていた。

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この美術館は眺望は抜群です

 

別府の馬家溝で久しぶりに絶品のボルシチを頂く

 市立美術館を見学したところで大分で想定していた予定は終了した。この後は別府に戻って昼食を摂りたい。今回のプランを立てた時点で何はともあれ今日の昼食は決定している。別府名物(と個人的に認定している)ボルシチを食いたい。というわけで1年以上ぶりぐらいで「馬家溝」に直行する。いつも待たされることが多い店だが、今回は駐車場は一杯で遠くの駐車場に停めに行く羽目になったが、幸いにして席は空いていた。とりあえず毎度のお決まりの「ボルシチ」「自家製タンサンド」を注文。さらに季節デザートらしき「栗ババロア」を注文する。

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別府の馬家溝

 この店の難点はとにかく待ち時間が長いこと。かなり待たされてようやくボルシチとタンサンドに対面する。熱々のボルシチは熱すぎて猫舌の私にはすぐには食べられないぐらい。キャベツの味とトマトの酸味が絶妙。ああ、この味だよなとまさに幸せ気分。時々強烈にこれが食べたくなって、そのたびに別府に行きたくなってしまうのである。

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熱々のボルシチ

 ボルシチで酸味を刺激された後はタンサンドの塩味が心地よい。柔らかい自家製スモークタンとキュウリなどの野菜類の取り合わせが絶妙。とにかくキュウリは大嫌いの私が美味しく食べられるのだからすごい。ここのタンサンドは、同じくトマトも大嫌いの私がなぜか東洋亭のトマトサラダ(という名の丸ごとトマト)が食べられるのと並んでの大きな謎である。

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自家製タンサンド

 料理を食べ終わると、かなり待たされてからようやく栗ババロアが出てくる。これが栗のペーストが入った絶妙の美味さ。栗好きの私にはたまらない味である。私はババロア好きで栗好きなので最強の取り合わせ。柔らかめのムースが実に栗の味に合う。

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絶品の栗ババロア

 こうして満足度200パーセントの昼食を終えた。これで3000円でおつりがくるのだから決して高いとは感じない。こうして「やっぱり別府名物はボルシチだよな」と再確認したのである。

 

昼食はお約束のぼたん鍋を食べてから古い街並みを見学

黒豆ソフトを頂く

 篠山城を後にするとその手前の大正ロマン館なる土産物屋に入店する。内部は三密そのままに観光客が密集している。ここで黒豆ソフトを頂く。行列が出来ていて結構待たされることに。ソフト自体はなかなかに香ばしい上にミルクが濃くて美味い。

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レトロ風情の大正ロマン館

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しかし中は三密

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黒豆ソフトを頂くことにする

 ソフトを舐め舐め市街に繰り出すが、とにかく異常に人が多いのには閉口する。人が歩道からはみ出してしまっているから車が走れなくて立ち往生している。ここまで混雑しているなら、いっそのこと中央部は通行規制して車の通りを禁止した方が良いような気がするのだが、そうしたらもしかしたら迂回路はないのだろうか?

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街路も三密である

 

やはり昼食はぼたん鍋か

 そろそろ正午が近づいてきていた。やはり昼食となるとここはぼたん鍋でないと嘘というものである。まだ若干昼時には早めだが、正午を過ぎると絶対に混むのが必至であることから、早めに店を定めることにする。立ち寄ったのは「ぼたん亭」。巨大なイノシシの看板があることで有名なぼたん鍋の専門店である。ただし現在はイノシシの看板は工事中の模様。

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ぼたん亭

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イノシシ看板は工事中

 私が立ち寄った時点では待ち客は私を加えて3組だったのだが、ぼたん鍋という性質上客の回転が速いとは言えないので30分弱程度待たされることになる。私が待っている間にも次々と客が名簿に書き込んで行っており、「先んずれば人を制す」という言葉を実感する次第。

 ようやく入店できたところでぼたん鍋を注文。ぼたん鍋には肉のランクで3種あり、安い方から特上カルビぼたん鍋、ミックス肉ぼたん鍋、特上ロース肉ぼたん鍋とある。典型的な日本人である私は真ん中のミックスを選ぶことに。

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ロース肉とカルビ肉のミックスぼたん鍋

 しばらくすると味噌の入った鍋と肉や野菜の入った皿が運ばれてくる。野菜類を全部鍋にぶち込んで蓋をして煮ることしばし。その間は当てで出て来ているショウガあさりと黒豆でマッタリ。これが実は意外に美味い。

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このショウガあさりと黒豆がなかなか美味かった

 やがて鍋が煮えてくると蓋が外されるので、後は肉を入れて煮ながら食べるだけ。栗入り味噌という鍋はかなり濃厚な味わい。肉はカルビとロースの2種があり、やはりタップリと脂の付いたロース肉の方が美味い。

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鍋が煮えてきた

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脂がタップリのロース肉と

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こちらはカルビ肉

 ただやはりいささか私には味が濃いというのが否定できない。栗入り味噌はコッテリしすぎである程度食べているうちに胸がつかえてくるところがある。やっぱりぼたん鍋は数年前に食べた(どこの店かは忘れたのだが)白味噌仕立てのものが至高であった。

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締めはうどんで

 締めはうどん付きなのであるが、野菜類がタップリあったのと、既に味の濃さで嫌気がさし始めていたことからうどんは半分ぐらいしか食べず。うーん、やっぱりぼたん鍋というのも好みが分かれるところだ。ここの店は決して不味いわけではないが、どうも私の好みとは若干ズレる。というか、私も年のせいか濃いめのコッテリした味付けが苦手になりつつある。

 

歴史美術館に立ち寄る

 昼食を終えると大混雑の市街をプラプラ。市街を抜けたところに歴史美術館があるのでこれを見学。実は篠山城大書院で市内の4施設のセット入場券を購入しており、ここがその内の一カ所。歴史を感じる建物だが、かつての地方裁判所だったらしい。内部ではこの地に纏わる考古展示及び歴史展示の企画展がなされていたが、内容自体はどこにでも良くあるようなもので特段の興味は湧かず。なお内部にはかつての裁判所の施設がそのまま残っており、そこで検事役、弁護人役、裁判官役などに分かれて裁判ごっこが出来る台本まで用意されていた。ザッと目を通したところ、判決は各々が考えろとのこと。私の判決としては、物証にやや弱い点があるが、状況証拠その他から判断して被告の犯行と断定するに十分であり、被告は有罪であるというところ。

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歴史美術館

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趣のある建物である

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法廷がそのまま残っている

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裁判官の視点

 

春日神社の能楽殿は重要文化財

 再びプラプラと市街の中心に戻る途中で、春日神社を見かけたので寄り道。そもそもこの神社は篠山城を築くことになった丘の上にあったらしい。しかし篠山城建設に当たって移転したとのこと。境内には能楽殿があるが、これが国の重要文化財とのことである。ただ何やら行事を行っていた模様なのでザッと見学しただけで参拝はせず。

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町中にある春日神社の鳥居

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風格ある山門

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何やら行事中で参拝は出来ず

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これが重文の能楽殿

 

青山歴史村に立ち寄る

 セット券を購入しているのでその3つ目の施設である青山歴史村を見学することにする。歴史村は篠山城の近く。篠山藩主だった青山家の別邸と長屋門などを移築したものだという。内部には青山家ゆかりの品の展示などがあるが、デンカショ館なる建物もあり、デカンショ節のゆかりなどを映像などで展示してある。

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長屋門

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デカンショ記念館ではデカンショ節の由来を紹介

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これは石の金庫だとか

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これが青山氏の別邸だったらしい

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桂園舎とある

 

重伝建の御徒士町武家屋敷街を散策

 歴史村の次は篠山城の西にある武家屋敷街を見学。ここは重伝建に指定されている。確かかなり以前に訪問したことはあるはずなのだが、見事なほどに全く覚えていない。街路の奇妙なところに水路が通っているのだが、これは防火のために後で街路幅を広げたためにこういう構造になったとのこと。

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武家屋敷街

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火事の後で街路を広げたとか

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武家屋敷が残っている

 武家屋敷街の中の一軒である安間家が資料館として公開されており、セット券の最後の1軒はそこ。典型的な武家屋敷である。庭に水琴窟などという凝った仕掛けがあることから、そこそこの地位の家臣の屋敷だったのだろう。

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安間家資料館

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武家屋敷内にゆかりの品が展示

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なかなか立派な屋敷

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水琴窟などという洒落た趣向が

 

篠山城南部を見学してから移動する

 武家屋敷街を回り終えると南馬出を見学してから、南から三の丸の駐車場のところに戻ってくる。東の方にかつての商家街が残っているというが、歩いて行くには疲れ切っている今では結構きつい距離がある。向こうにも駐車場があるようなので、車で移動することにする。

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武家屋敷街の隣の筋にある小林家長屋門

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この奥は元藩校だとか

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三の丸の外堀

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この奥が南馬出

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中からは土塁がある

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土橋を通って三の丸に戻る

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二の丸南の石垣は修理中

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二の丸内堀もかなり広い

 

河原町の商家群を見学する

 しかし現地に着いてみると駐車場に空きがなく、しばし回りを何度かウロウロする羽目になる。そして2回りほどしてから戻ってきた時にようやく駐車場に空きが出来ていたので車を置いて見学することに。

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商家街

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これは祭の山車だろうか

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土蔵造りの建物がある

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趣深い

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 商家街らしい土蔵造りの建物がいくつか並んでいる。ただ現在のところ営業している店はあまりなく、人通りもあまりないために活気がないのが気になるところ。街並み保存地区の中でも旧商家街は店舗などの営業でそれなりの活気のあるところもあるのだが、どうも観光客は城の北側にとられてしまっているようで、ここまで回ってくる観光客はあまりないのだろう。街並み保存地区としての将来性はあまり明るくなさそうである。

 

 これで丹波篠山の見学は終了。帰宅することにする。しかしここで予想外のトラブルが待っていた。舞鶴道の丹波篠山口ICを目指して車を走らせたところ、途中で大渋滞で全く車が動かなくなってしまった。事故渋滞なのか自然渋滞なのかが定かではないのだが、とにかく車が全く動いていない。本来なら途中で離脱したいところなのだが、もう既にガソリンが乏しく、ガソリンスタンドは前方にしか存在しないために待たざるを得ない。

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車列が全く動かなくなってしまった

 結局は普通に走れば2分もかからない距離を1時間かかってガソリンスタンドにたどり着く羽目に。しかしガソリンを入れてスタンドから出ようとしても、目の前の道が全く動いていないので合流が不可。諦めて全く正反対の方向に車を走らせることにする。これは篠山入口が混雑しているのか? しかしネットを調べても舞鶴道渋滞の情報はない。もう諦めて、一旦篠山の中心街に戻ってから、そこから国道372号に大きく迂回する。これは次の入口である三田西まで下道を走る必要があるかもしれないことを想定してのルートである。しかし途中で舞鶴道の下を潜る時に舞鶴道を見れば車は普通に流れている。どうやら入口手前かその辺りだけがつかえている模様。そこで一か八かで篠山入口に西側から回り込んでみる。すると案に反してすんなりと高速に乗ることが出来てしまった。一体あの大渋滞は何だったんだろうか?

 結局はその謎の渋滞のせいで1時間以上を浪費する羽目になり、クタクタに疲労した状態で予定よりもはるかに遅い時間に帰り着くことになってしまったのである。篠山市街を歩き回ったのも結構キツかったが、最後の大渋滞で体力のみならず精神まで削られ尽くしてしまって、結局は当初の息抜きという目論見の正反対の結果と相成ってしまったのである。

 

帰りは丹波篠山に立ち寄って篠山城を見学する

翌朝は温泉を堪能してから朝食を頂く

 翌朝は6時半に目覚ましで起床する。風呂は8時までなので、やはり朝のうちに入浴しておきたい。朝風呂はなかなか快適。湯の温かさが体に染み入る。それにしても明るくなってみたら思っていた以上に周囲は山の中である。

 朝食はレストランでオーソドックス極まりない和食。しかし今朝はやけにご飯が美味い。昨晩は夕食が濃いめでやや胃がもたれた感があったんだが、既に今朝には完全回復か。

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朝食が美味い(ただし納豆だけはいらない)

 さて今日の予定だが、基本的には帰るだけなんだが、それではあまりに芸がないので、丹波篠山まで出て来たんだから篠山に寄っていこうという考え。そう言えば篠山城も永らく訪問していない。

 

 チェックアウト時刻の朝10時まで部屋でグダグダと原稿入力とかブログのアップとかをしてからチェックアウトする。昨日来た時は辺りは真っ暗だったので何も分からなかったのだが、改めて見渡してみると大谷にしき荘は本当に山の中である。昨晩に駐車場の中にあるコンクリートの塊に「何なんだろう?」と思っていたのだが、どうやらそれは吊り橋のアンカーだったようだ。この橋は道路と川をまたいで対岸にまでかかっている。調べたところによるとどうやらそこに大谷西紀の記念館があるらしいが(大谷西紀ってこの辺りの名士だったのか?)、そんなものには特に興味がないので引き返してくる。吊り橋自体は鉄製ワイヤーでガチガチに固めてあるものなので、高所恐怖症がある私でも渡ることに特に不安は感じない代物だった。

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朝の大谷にしき荘

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コンクリートの塊は吊り橋の礎石だった

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しっかりしているので怖くない

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道路と川をまたいでいる

 宿を後にするとしばし山の中を疾走する。昨晩はわけの分からないまま暗い山道をウネウネと走行したんだが、改めて朝走ると180度カーブがあったりなどのとんでもない道で(ただし道幅自体は広くて悪い道でない)、アップダウンがかなり激しい。これはカーブの先が見えない夜の走行ではしんどかったはずである。辺りを見ていると山城を築くのに適していそうな独立峰があちこちにある。あれで水源の確保さえ出来たら地方領主クラスの居城には事欠かない。

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この山なんか山城に良さそう

 

篠山城を見学する

 篠山にはそう時間を要せずに到着する。しかし篠山城跡を目指して篠山中心部に突入したところで絶句する。異常に人通りが多くもろに三密の世界。一体コロナってどこの国の話だ? ちょっと緩みすぎと違うか? それになぜこんなに多くの者が篠山に繰り出してくる理由があったんだろう?

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篠山は超三密

 とりあえず篠山城の三の丸にある駐車場(といってもただの広場だ)に車を停めると篠山城の見学から行うことにする。篠山城は家康が大坂城を牽制すると共に、西国大名との連携を断つ目的で天下普請で築かせた城である。盆地の中の独立丘陵をベースにして輪郭状の城を築かせたのだが、非常に立派な石垣を持っているのが特徴であり、二の丸・本丸の石垣にはなかなかに圧倒されるものがある。

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三の丸から望む二の丸石垣

 正面から入るとかなり立派な枡形虎口となっている。この北口の先にはそもそもは馬出もあったはずなのだが、それは今は完全に市街に埋もれて土塁の極々一部しか残っていない。なお南馬出と東馬出は未だに健在という。

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大手門

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実に立派な枡形である

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ちなみに北馬出は土塁の痕跡があるだけ

 

 二の丸に上がるとかつての大書院が再現されているので入場することにする。内部では篠山城の建設の経緯を解説した映像が上映されており、御殿の内部が公開されている。いわゆる貴人用の部屋なども再現されているようだ。また内部には地元のマニアが制作したという各武将の甲冑が展示されている。どこの分野にもこの手のマニアはいるものだが、つくづく細工の細かさに感心する。私は特にこの手のスキルが皆無(あからさまに人よりも不器用である)なだけに、こういう手仕事には問答無用で感嘆させられるところである。

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にの丸大書院

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篠山城模型

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城主の間だろうか

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地元マニアによる鎧

 大書院を出ると二の丸奥では奥御殿の発掘結果に基づいた平面復元がなされている。ただし遺構のかなりは削られており、礎石等は見つからなかったとの話。

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奥御殿の平面復元

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大書院を裏手から

 

 二の丸横手の一段高くなっているところが本丸で今は神社となっている。かつては建物類はすべて二の丸にあり(だからかつては今の二の丸が本丸と呼ばれ、本丸は殿守丸と呼ばれていたという)、本丸には建物類はなかったらしい。いざという時の最後のお籠もりの場かとも思ったが、二の丸との間はそれほど堅固とは感じられないので、単にスペース分けぐらいのものにしか思えない。この城はとにかく二の丸が異常に堅固であるので、実際はここを突破されたらジ・エンドである。しかし余程のことがない限りまず突破は不能である。なおこの本丸には岩盤をくりぬいて2年がかりで作ったという深さ16メートルの井戸が残っている。

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この上が本丸

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本丸井戸

 本丸の南隅にあるのが天守台。ここには天守閣は建てられなかったとの話だが、確かに盆地の中でこの高さがあればわざわざ天守閣を建てなくても見晴らしは十二分にある。篠山城は大阪方との実戦を想定して作られた城なので、その手の余計なものは省かれたのだろう。わざわざ幕府から「天守は建てるな」という通達があったとのこと。そもそも既に大坂の陣の頃には大砲などの登場によって天守閣に戦術的意味はなくなりつつあり、単に城の権威を示すためのものになりつつあったから、そういう点でも天守は不要だったのだろう。この上に天守まで建てたら、一地方大名の城としては立派に過ぎる。

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本丸南隅にある天守台

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天守閣は建てられなかった

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周囲を一望

 

 本丸を出て二の丸の南側に向かうとここには埋め門がある。これが裏口ということになるんだろう。なおここの石垣の石には工事責任者の名が彫ってあるものがある。

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二の丸の埋め門

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石に彫られた名前

 二の丸の周囲はグルリと石垣で囲われているが、かつてはこの上に城壁があったんだろう(今は生け垣となっている)。また二の丸にも本丸のような井戸が掘ってある。

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二の丸城壁上から

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これが二の丸井戸

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かなり深そうだ

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立派な石垣でお腹いっぱいです

 穴太衆が積み上げたという野面積みの立派な石垣を堪能しながら篠山城を後にする。とにかく石垣フェチならお腹いっぱい石垣を堪能できる城であり、そこはさすがに100名城の風格がある。10年ぶりぐらいの訪問だと思うが、なかなかに堪能した。

 

皿食わばテーブルまでで、津山城に立ち寄ってから帰る

ただ帰るだけでは面白くない・・・もうやけくそだ!!

 この日は目覚ましを6時半にセットしていたのだが6時には目が覚める。身体がとにかく重い。そして腰よりも両足に怠さとしびれが来ている。腰は硬直していて起き上がるのもえっちらこといった状態。しばしゲームをしながらボーッとしてたら、気がついたら朝食の時間が近づいていたので、慌ててその前に風呂に飛んでいく。

 やはり身体を温めると少し動くようになってくる。どうやら最近の私は変温動物に成り果てたらしい。よく老人と言えば縁側でひなたぼっこのイメージがあるが、身体が老化してくると熱の産生が減ってきて変温動物化するのだろうか。ウミイグアナが海から上がったら体温を上げるためにひなたぼっこするという話を聞いたことがある。

 大急ぎで入浴を住ませると、少し遅れて朝食へ。朝食は和食でまあ普通に美味い。

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朝食の和定食

 後はチェックアウト時刻までワーケーションである。それにしても今回の遠征ではひたすら部屋で原稿打ってた気がする。それでも更新が追いついていないのが現実。何か生き方を間違えているのを感じる今日この頃。

 今日は帰るだけなのでチェックアウト時刻ギリギリまで粘るのだが、そうこうしているうちに毒食わば皿までを通り越して、皿の次にはテーブルも食ってやろうかという気になってきた。行きがかりの駄賃でもう一カ所だけ立ち寄ることを決めてホテルをチェックアウトする。

 ホテルを出るとひたすら南下。山の中を突っ走るイメージ。途中で湯原温泉の脇を通る。湯原温泉は以前に行ったことがあるが、あそこは川原の混浴の露天風呂が有名。ただここの露天風呂は湯の中でひたすら女性が来るのを待っている「ワニ」と呼ばれる連中が出没するのでも有名。それと脱衣場で車のキーの盗難が増えているらしい。最近のキーはご親切にもボタンを押すと車がどれかまで教えてくれるので、キーさえ手に入れれば自動車泥棒は容易になっているという。何かと日本も昔の長閑な時代のルールは通用しなくなって来ているようだ。この辺りも欧米化と言うべきなのか。悲しい話だ。

 

津山城に立ち寄ることにする

 湯原ICから米子道に乗ると、途中で中国道に乗り継いで向かうは院庄IC。ここで下りて津山に向かう。本遠征の「身体に鞭打ちながらの山城シリーズ」の大ラスとして津山城に立ち寄ろうという考え。ここもかなり昔に来たままそれっきりになっている。何度か津山方面に繰り出すことを考えたが、なかなかこれだけのために出てくる気にもならなかったので、通りすがりの駄賃である。

 院庄ICを下りてしばらく走行すると、正面に山上の石垣が見えてくる。こういうのがあると自然にテンションが上がって、精神のモードが切り替わってしまうのが私の常。無料の鶴山公園駐車場があるのでそこに車を置く。ちなみにこの駐車場、入口ゲートがやけに狭いので抜ける時はそろそろである。見ていたら、急角度で入ってきた車が、危うくこすりそうになって切り返しをしているという姿も。大きな車に乗った下手くそドライバーだったらしんどそう。

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正面山頂に津山城が

 車を置くと津山城の正面へ。正面には江戸時代に現在の津山城を築城した津山藩主・森忠政の像が鎮座している。忠政は森家の6男で、兄に猛将長可やら美少年蘭丸などがいたが、いずれも若くして亡くなったので、結局は忠政が家督を継ぐことになったらしい。

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三の丸の石垣を見ながら正面へ回り込む

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津山藩主・森忠政

 入場料を払って入城。今まで無料の城郭ばかり回っていたから、入場料を取られるのにはいささか戸惑う。

 近世城郭だけあってとにかく石垣多用の立派な城郭である。津山藩は18万石とのことだから、この城はいささか気合いを入れて作りすぎではと言う気もする。気合いが入りすぎと言えば、ついつい勢いで五層の天守を建ててしまって、それが幕府に咎められたので、4階の屋根の瓦を外して庇だけにし「これは四層の天守だ」と言い張ったというエピソードがあるとか。ただその天守も残念ながら廃城後に破却されて残存していない。

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津山城縄張図(出典:余湖くんのお城のページ)

 

迷路のような複雑な構造を登っていく

 180度回転する形で三の丸に上がると、二の丸のさらに奥の本丸に復元された備中櫓の姿が見える。そしてすぐ右手に二の丸に上がる表中門があるのだが、この規模の大きさに驚く。普通は城門は敵の攻撃を防ぐために小さめに作るものだが、異常に大きい。その代わり枡形の回りは石垣で囲まれてその上には多数の櫓があり、むしろ敵勢をここに誘い込んで周囲から十字砲火で殲滅するという狙いか。

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三の丸へは180度回り込むことになる

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向こうに備中櫓の見える三の丸

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かなり巨大な表中門跡

 二の丸に上がると先ほどの備中櫓がそこに見える。津山城ではすべての建造物が破却されたのだが、2002年には築城400年記念行事として備中櫓の復元工事が始まり、2005年に完成したという。どうせ復元するなら天守を復元すればとも思うのだが、それは予算が足らなかったのだろうかななどと考える。

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二の丸から見上げる備中櫓

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二の丸もかなり広い

 二の丸を回り込むと切手門跡を抜けて上がったその先に、本丸の表鉄門跡がある。鉄門というだけに鉄板を貼った門があったらしい。

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本丸方面に向かう

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これが切手門跡

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この奥が表鉄門跡

 

本丸の備中櫓を見学

 そこを抜けると本丸。先ほどの備中櫓は正面奥に見えている。本丸はかなり広いが東側の石垣は積み直し工事中。

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本丸へ出た

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東の石垣は積み直し作業中

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奥に見えるのが備中櫓

 備中櫓は御殿の一部として使用されていたという特徴があるそうな。そのためか内部には貴賓席のような一角がある。畳敷きになっていて、明らかに居住性を重視した櫓となっている(櫓は軍事拠点として板張りのところがほとんど)。確かに造りは屋敷である。

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備中櫓内を見学

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内部は御殿である

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主の間と思われる

 

天守台は完全独立構造

 天守台は備中櫓の横の門を抜けていく形になっており、天守の存在する部分は完全に本丸と分離されているので、最後の最後は天守に立てこもって徹底抗戦出来る構造になっているらしい。つまりは忠政は津山城をとことん戦える軍事要塞として設計している。そのためにもあちこちの櫓に鉄砲や弓などの武器も備蓄されていたという。しかしこれらの武器も長き大平の時代にかなりの部分が雨漏りによる損傷などで使用不可能になっていたとか。実際のところ、これだけの城郭を気合いを入れて作ったは良いが、後の藩主にしたらこれだけの城郭を維持するのは大変だったろう。かといって放棄してどこかの屋敷に移るというわけにもいかないし、結局はメンテの手が回らなくなったんだろう。

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天守台に行くには備中櫓脇の門を抜ける

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完全に独立曲輪になっている

 天守台は独立曲輪の中にあり、高さは6メートル。その上にさらに天守がそびえていたのだから、さぞ壮観であったろうことは想像に難くない。忠政の得意満面な顔が浮かぶ気がする(調子に乗りすぎて立派な過ぎる天守を建てたせいで、幕府に言い訳する羽目になったんだが)。

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振り返れば天守台の石垣

 天守台は巨大な穴蔵から登る形になる。つまりは五層だけでなく地下倉庫つきである。やはり最後の最後はここに立て籠もることになっていたのだろうことが覗える。

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天守台には巨大な穴蔵がある

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天守台上から

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まさに絶景

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備中櫓方向を見る

 なおここの石垣に「愛の奇石」と銘打っているハート型の石があり、この奇石に触れたカップルは恋が成就するという恋愛スポットだというのだが、相手のいない者は相手が見つかる御利益はあるのだろうか? ちなみに私がいつも気になるのは、カップルが来ると恋が叶うパワースポットと名乗る場所は各地にあるが、カップルというのは既に「恋が叶った」形なのでは? などと人生において女性とのデートの経験皆無の私などは思ってしまうのだが? その辺りはどうなんだろうか? なおこの石、多くの者が触ったのか明らかに中央が磨り減ってくぼんでいる。恋の御利益を求める観光客が多いのか? なお今の時代は結婚したカップルの3組に1組は離婚している計算になるという。恋が実ることよりも、愛が生涯続くことの方が困難であるらしい。

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愛の奇石だそうな

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石の中央が磨り減っている

 

裏手を回って下りてくる

 天守台の見学を終えると本丸に戻って裏鉄門跡を通って城の裏手に下りる。本丸の腰曲輪を経由して二の丸の背後まで下りるが、そこから先の門は全面通行禁止になっているので、二の丸の表に戻ってくるとまた備中櫓の正面に出る。

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裏鉄門跡を下りる

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腰曲輪からさらに下りる

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石段が険しすぎるので木の階段を後付け

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下りた先の門は全面通行止め

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仕方ないので二の丸を回り込む

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立派な本丸石垣

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備中櫓正面に戻ってきた

 まあとにかく立派な城郭である。石垣フェチの私は大興奮する城郭である。石垣マニアを自称していて「大村城の石垣は2時間ぐらいは見ていられる」と公言していた高橋英樹などなら、この石垣だったらこれだけで半日つぶせると言いそうだ。

 記憶にあったよりもはるかに巨大で立派な城郭だったので、想定以上に歩いてしまった。その負担は腰よりもむしろ足に来ているようである。正直なところ足を上げるのがキツい。これは動けなくなる前に本当に撤退した方が賢明なようだ。

 

昼食を摂ると帰宅、しかしやはり後でツケが来た

 津山で昼食をと思っていたのだが、適当な店が見つからないうちに中国道の津山ICまで到着してしまった。仕方ないので昼食は勝央SAでとんかつ定食を頂くことに。最後は何とも間に合わせのしまらない結果となってしまった。

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この日の昼食

 こうして6泊6日及ぶ久々の大型遠征は終了した。目的であったところの月山富田城の10年ぶりの見学を果たしたことは非常に満足度が高いし、再訪した米子城と津山城も実に堪能できた。さらには序盤に回った鳥取城と砂丘美術館も印象深い。また島根県立美術館の風景画展もなかなか良かったなどと内容は実に濃かった。特にここのところのお籠もりで石垣欠乏症にかかっていた私としては、立派な石垣の連続で久々にお腹いっぱいである。

 ただ恐れていたように身体へのツケはかなり来た。あれだけ温泉療養しまくったにもかかわらず、腰の方は未だにギクシャクして鈍い痛みがある状態。そして足の方はガタガタ。翌日になるとふくらはぎは吊って痙攣するわとまともに歩くのも苦労する状態。体力的にガタガタになっていたのを痛感したのである。これはやはり何かの形で運動を再開しないと・・・。

前の記事

www.ksagi.work

 

毒食わば皿までで、米子城見学にも挑む

米子城攻略開始

 さらなる無謀な考えに駆られて米子にまで車を飛ばす私だが、米子城に向かう道は途中で渋滞などがあり(いつもこのぐらい混むのか、四連休の影響なのかは定かではないが)目的地到着はよていよりやや遅れるが、何とか無事に麓の駐車場に到着する。

 二の丸は現在はテニスコートになっており(ちなみに手前の野球場が三の丸)、そちらから回るコースもあるのだが(私は以前はそちらから登ったようだ)、今回は一番奥の駐車場に止めて裏手から登るルートを取る。

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米子城登城口

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非常にシンプルな案内図

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山道を登る

 腰をかばいながら山道をしばし登ると石垣が見えてきて、本丸と内膳丸の分岐にさしかかる。左手が内膳丸、右手が本丸である。右手の本丸通路の脇には登り石垣も存在する。

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険しいと言うほどでもない

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石垣が見えてくる

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本丸と内膳丸の分岐

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本丸側にある登り石垣

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左手が内膳丸

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右手が本丸方面

 

まずは内膳丸を見学

 内膳丸は周囲を石垣で固めた独立曲輪となっている。米子城の北側に睨みをきかせる形になっている。

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内膳丸に登る

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奥が二段になっている

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かなり広い

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回りは石垣で固めてある

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振り返ると本丸が見える

 

次に本丸へ登る

 内膳丸を一回りすると本丸に登ることにする。途中で二の丸方向から上がってくる通路とと合流し、そこから登り。しかしそれほど長くない石段が息が切れる。つくづく体力の落ち具合がひどい。死にかけた状態で山城に到着。手前の番所跡からは見晴らしが良い。

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二の丸方面からの道と合流

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つくづく体力が落ちたものだ

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下に見えるテニスコートが二の丸跡

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ようやく山上の本丸石垣

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番所跡

 本丸の登り口は奥に回り込んだところ。ここから登ると鉄御門跡を過ぎてから広い本丸に出る。かなり厳重な入口になっている。

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本丸石垣を回り込む

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本丸登り口

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鉄御門跡を抜けると

 

本丸上からは絶景が

 本丸に登ると視界が突然広がる。米子市街を一望でき、遠くには大山も見えている。この地域一帯に睨みをきかせ、中海の交通をも掌握するには格好の立地である。ただしこの本丸、周囲に柵の類いが全くないので、少々怖い。何しろ転落したら余裕で死ねるだけの高さはある。

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本丸に到着

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建物の礎石跡がある

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内膳丸を上から

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遥かに見えるのは大山

 本丸奥にはもう一段下の曲輪がある。その奥にあるのが水手御門跡。本丸の搦め手口だろうか。本丸脇をグルリと回り込むと遠見櫓跡がある曲輪に到着する。今は木が生えて眺望が利かないが、ここからだと確かに中海方面を監視することが出来る。

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本丸奥にもう一段曲輪が

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奥の水手御門跡

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本丸横を回り込む

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遠見櫓跡

 これで大体米子城を回り終えた。そこでまた腰をかばいながら降りてくる。これで大体本遠征で目論んでいた最低限の目的地は回り終えた。途中で豪雨に出くわして予定が滅茶苦茶になったが、そもそも腰の具合のせいでかなり余裕のあるスケジュールを組んでいたのでどうにかなったと言うところか。後はどうなるか分からないのが私の腰の方だ。

 

今日は蒜山奥の津黒高原で宿泊する

 米子で予定を終えたので移動することにする。もう既に今日から四連休に突入していて車も人出も多くなってきているので、このまま直接帰宅することも当初は考えていたのだが、やはり距離的にかなりしんどいのがあって、今回は途中の蒜山の津黒高原で宿泊することにしている。

 蒜山ICで高速を降りるとホテル目指して突っ走る。ICを降りてすぐにセブンイレブンがあったので立ち寄ったが、それが正解。この後はひたすら高原地域を走るだけでコンビニは一切見当たらない(スーパーならあったが)。道理で中がやけに混雑していたわけである。

 今日宿泊する津黒高原はこの蒜山高原からさらに東に走ったところ。蒜山周辺はまだリゾート地という雰囲気があるが、津黒高原となると本当に山の中。あるのはキャンプ場ぐらい。今日宿泊するのは津黒高原荘。しかしホテル直前でカーナビがとんでもない道を案内したせいで危うく山道に突入するところ。

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津黒高原荘に到着

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玄関

 ようやくホテルに到着する。周囲はキャンプ場などになっており、入浴に来るキャンプ客などもいるようである。部屋は普通の和室で一般的な温泉旅館のような構造だが、布団は自分で敷くようになっている。

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普通の旅館の部屋だが

 難点は山の中なので周りには店の類は皆無であることと、Wi-Fiって何ですかの世界であること。こうなるとiPhoneによるテザリングだけが頼りだが、頼みのAUもアンテナ2本といういささか心許ない状態。また今月のデータ使用量を注意しておく必要もある(動画を見たりしないので、ほとんど使っていないとは思うが)。ネットはどうにかできるが、今時のムービーの入ったページだと凍り付く状態。またブログの更新も写真などのアップはかなり時間をとる。動画などは絶望的と考えといた方が良いだろう。

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窓の外はひたすら山ばかり

 部屋でしばし作業の後、とりあえず入浴に行く。ここの大浴場は弱アルカリ泉とのことであるが、加温循環なので恐らく塩素も使用。というわけで、ここまでは源泉かけ流しの本格温泉ばかり回っていたので、どうしてもそういう所よりは湯の力が落ちるのを感じずにはいられない。またここの湯は灯油を使わずに薪ボイラーで沸かしていることを売りにしているが、それはエコ的な価値はともかくとして、だから湯がどうこうという話でもない。

 とはいうものの体を温めることは重要。特に今日はかなり想定外の無茶をしたので、体をよくほぐしておかないと明日大変なことになる可能性がある。既に腰から太ももにかけてがギシギシいっている。

 

夕食はまずまずというところ

 身体を温めた後は、途中のセブンイレブンで購入してきたおやつをつまみつつ作業。そして夕食はレストランで。まあ普通においしいというところ。ここのところ海産物系が続いていたので、牛肉の陶板焼きが美味い。途中で出てきたそばもまずまずである。

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夕食膳

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牛肉の陶板焼きが美味い

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そしてそば

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竃炊きのご飯

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ヤマメの塩焼き

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腕物に

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天ぷら

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最後はフルーツ

 このホテルの宿泊料がそう高くない(実はここを選択したのは、帰り道にあって四連休割増料金がないというのが選択理由である)ことを考えると、悪くない内容だとは言える。ただ今回はいささか御馳走慣れしてしまった感がある。そのためにこのメニューでは驚きはない。正直な感想は「悪くない」というところ。

 部屋に戻ってしばし原稿入力作業を行うともう一度入浴に行く。今度は最初よりも入念に体を温める。というのも既に腰や足などあちこちに不穏な兆候が現れているから。そろそろアドレナリンシャワーの影響が切れてきたようだ。

 戻ってきてから再び作業と思ったが、もう身体全体にどっと疲れが押し寄せており、原稿を書くだけの頭が回らない。もう諦めて敷いてあった布団の上にゴロンと横になって中華パッドでネットをしたりゲームをしたり(このパッドもテザリング接続である)。その内に眠気が押し寄せるので早めに就寝する。

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