徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

2023年度クラシックライブベスト5

 さて今年も年末恒例の本年度の年間ベストライブを選択することにします。本年はコロナが終わったことに無理矢理されたことで、ライブは一気に増加しました。しかし私の方が深刻な資金不足のために、この秋の外来訪日オケラッシュもベルリンフィルやロイヤルコンセルトヘボウを初めとしてほとんどパスせざるを得ないことになり、このチョイスの意味が怪しくなってきておりますが、そもそも最初からあくまで私の「私的な」判断ですので、貧乏くさいチョイスになったとしても継続することにしていきます。

 

 

ベストライブ

第5位
ポリャンスキー指揮 九州交響楽団

 巨匠ポリャンスキーが九州交響楽団の実力を限界まで引き出しての、華やかでありながら浅さを感じさせない強烈なシェエラザードはやはり忘れがたいものがある。このオッサン、流石に只者ではない。

 

第4位
ヴァシリー・ペトレンコ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

 辻井のバックオケと嘗めてかかっていたら、それを覆すような高密度で美しいサウンドに圧倒された。ショスタコの8番での音色にはあまりの美しさに唸りっぱなし。今期でCPでは最強だったコンサート。

 

第3位
ラハフ・シャニ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

 極めて感動的であったチャイコの悲愴が印象に残る。特に第1楽章など鳥肌が立ちそうになったぐらい。生命力溢れる悲愴は新たなスタンダードの1タイプを示した。

 

第2位
セミヨン・ビシュコフ指揮 チェコフィルハーモニー管弦楽団

 新たにビシュコフを迎えてのチェコ情緒満載の演奏が見事。さすがに弦楽陣のアンサンブル密度などではヨーロッパ一流オケであることを感じさせた。アンコールの超ノリノリのハンガリー舞曲なども非常に印象深い。

 

第1位
トゥガン・ソヒエフ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 チェコフィルとはまた違った印象のドラマチックなドボ8が印象に残る大名演。メストからの急遽の代演で一部からは懸念もされていたソヒエフが遺憾なくその実力を発揮した感があり、新しい時代の到来を感じさせた。いつになくノリの良いウィーンフィルを堪能。

 

番外編
チョン・ミン指揮 江陵市交響楽団

 タダ券で行った韓国地方都市のオケと侮ってかかっていたら、どうしてどうしてしっかりと密度の高い演奏に驚かされた。流石に韓国侮りがたしと思わされたコンサート。

 

 

ワーストライブ

 本年は予算の関係から聴きに行くコンサート数を絞ったこともあり、首をかしげるようなおかしな演奏には出くわしていない。そこで今年はベスト5には食い込んでいないが、忘れがたいコンサートを挙げる

 

忘れえぬライブ

 

飯守泰次郎指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団

 今年惜しまれつつも急逝した飯守泰次郎だが、私が聞いた彼のラストは4オケ祭での関西フィルでのブラームスの2番になる。オケとの長年の信頼関係を現すかのような、関西フィルの持ち味を最大限に生かしたしっとりとした演奏が印象的。座って指揮をしていた飯守が、興が乗ったか第2楽章で突然に立ち上がったのには驚いた。

 

シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

 近年富に密接な関係を示しているデュトワと大フィルが、今年はフランスもので煌びやかで美しい音色を炸裂させた。それしても毎回デュトワと競演する度に、確実にレベルが向上していく大フィルがすごい。デュトワマジックは未だ健在。

 

ヤン=ウィレム・デ・フリーント指揮 読売日本交響楽団

 コンパクト編成オケのピリオド奏法と古典指向的な様式を取りながら、そこから超ロマンティック演奏を引っ張り出したそのギャップに圧倒された。特に叩きつけるようにシャープな第1楽章は特筆すべき。プロ合唱団の実力を引き出してオケと歌唱の一大音楽空間を作り出したフィナーレは圧巻であった。

 

 

総評

 今期は予算の関係で聴きに行くコンサートを絞り込んだこともあって、ハズレというようなハズレはなかった。個人的には今年の秋の外来オケ訪日ラッシュの中から2つしかいけないという状況は痛恨の極みだったのだが、いずれのコンサートも完全に満足を超えるレベルのパフォーマンスだったことで心理的に救われた。結局はこの2公演が上位2つを占める。

 さらに今年前半のまだ円安の影響が今ほど顕著でなかった時期の比較的お得な来日公演がその下に入った。いずれもチケットの価格以上の価値のある公演であり、お買い得だったと言えるCPの良いコンサートである。そして第5位にはわざわざ九州まで出向いたポリャンスキーの九響公演をあげた。なおこの九州遠征が、私的にはもう最後の長距離遠征になるかもしれない。

 忘れがたいコンサートとしては飯守ファイナルと今や恒例行事となってきたデュトワの大フィル公演。前者は飯守と関西フィルの親密な関係を覗え、後者はデュトワが振る度にレベルを上げていく大フィルの現状が分かる公演。さして3つめは最近の印象深かった読響第九をあげておく。

 それにしても私の財政状況の悪化と同時に円安による外来オケチケットの価格高騰のダブルパンチで、来年度はさらなる状況の悪化が予測され、来年度のこの企画は在阪オケのコンサートからのみという事態に陥る可能性も予測される。なにせ例年CPの良いお得なオケの代表と言えるワルシャワ国立フィルの来日公演までもが、A席で2万円近くという状況になると、さすがに来日オケには手が届かなくなってくる(以前はせいぜい1万円ちょっと、日本の正常時(アホノミクス以前)には8000円とかだった)。

 私の財政状況の大幅改善などは、それこそ宝くじでも当選しない限り難しく、アホノミクスの後遺症からくる大幅円安の改善もすぐには望めないことを考えると、来年度はかなり厳しいと言うしかない。

 

 

2022年度ベストライブはこちら

www.ksagi.work

 

 

読響の第九公演は今年もなかなかに驚かされる演奏であった

連日の大阪遠征

 昨日大阪まで往復したところだが、今日もまた大阪である。今日は読響の大阪公演がある。昨日はJRで往復したが、今日は車を使うことにする。ただその際に問題となるのは、例年年末が近づいたこの時期になると、道路が異常に渋滞することがあること。公演に遅刻するという一昨年の悪夢を避けたい私としては、今日は通常よりもさらに早めに仕事を切り上げて出発することにする。

 しかしいつも魔物が潜んでいるのが阪神高速である。今回も阪神高速の魔物は牙をむいた・・・正反対の方向で。こんな時に限って京橋周辺での若干の滞留はあったものの、渋滞と言うべき渋滞はないままにスムーズに大阪に到着してしまったのである。

 とりあえず駐車場はアキッパ予約で1日確保しているから時間待ちの必要がないのが幸い。車はさっさと駐車場に入れてしまうが、この時点でまだ17時前と開演までに2時間以上をつぶす必要に迫られてしまったのである。

 

 

 まずは夕食を考える必要があるが、これだけ時間があったら今日は平日でもあるし、わざわざフェスティバルゲート地下で摂る必要もない。肥後橋界隈まで出向くことにする。ただいざそちらに行ってみると計算違いがあることに気付く。どうも17時というのは勤め人の夜には早すぎる中途半端な時間らしく、意外と開いている店が少ない。しかもオフィス街だけに夜は飲みが主体の店が多く、私のニーズに合致する店が少ない。結局はほぼ入口に近い位置にあるラーメン屋「肥後橋ラーめん亭」に入店することになる。

肥後橋飲食店街の入口にある「肥後橋ラーめん亭」

 注文したのはチャーシューメン(1100円)。チャーシューは柔らかくて美味い。ラーメン自体はあっさりとんこつと名乗っているだけあって、思いの外あっさりした味わい。ニンニクをアクセントとして加えてある(量については注文時に聞かれるので、私は「ちょい」)。まあこの手のラーメンが好みにジャストミートする者もいると思うんだが、私としてはいささか味がしょっぱめなのが気になる。またコクを加えるためのニンニクはそこにさらに辛味を加えることになるので、やや尖った味という印象。もう少しまろやかでコクのあるラーメンが好みの私には、いささか口には合わないラーメンであった。

チャーシューメン

麺はオーソドックスなもの

 

 

 夕食を終えたところでまだ開場までに時間の余裕があるが、行くところもないし(この時間になると地下のプロントまでが飲み屋にチェンジしてしまう)、ホール周辺でブラブラと無為に時間をつぶして、18時の開場と同時にホール入りしてしまう。それにしてもやはり観客が多い。大フィル定期の時の倍はいる印象。

夜のフェスティバルホール

赤絨毯の脇にはクリスマスツリー

 ホール入りすると、ホットコーヒー(さすがにこの寒さだとアイスコーヒーは断念した)とサンドイッチを頂きつつ、この原稿を入力している。毎度の事ながら、私もとことん堕落して、かつての質実剛健最小費用でという気力はなくなっている。それにしてもここの喫茶は、ザ・シンフォニーホールよりコーヒーも高いのに、なぜ立ち席だけなんだ。先程まで周辺をウロウロしていた私には、正直なところこれはなんの罰ゲームだという感覚。

コーヒーは悪くないが、足が痛い

 

 

読売日本交響楽団 第36回大阪定期演奏会

オケも合唱団もややコンパクト

指揮/ヤン=ウィレム・デ・フリーント
ソプラノ/森谷真理 メゾ・ソプラノ/山下裕賀
テノール/アルヴァロ・ザンブラーノ バス/加藤宏隆
合唱/新国立劇場合唱団(合唱指揮/三澤洋史)

曲目/ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」

 デ・フリーントの演奏はノンビブのピリオド奏法を使用しているようだ。またオケは12型2管編成という読響にしてはコンパクトな構成。こう聞くとここからは古典派的な整然とした端正な演奏が予想出来るのであるが、実際に飛び出してきた音楽には度肝を抜かれる。

 もう一楽章の初っ端から、かなりのアップテンポでまさに叩きつけるような激しい演奏。ノンビブの弦楽陣の音色が、さらにシャープさを増してバシバシと斬りつけてくるような印象の激しさ。デ・フリーントは指揮台を使わずに巨躯を左右に激しく動かしてのまるで戦うような指揮ぶり。まさに迫り来る運命との闘いとはかくやと思わせるかのような情念たぎるハイテンションな演奏である。

 第二楽章のスケルッツオも予想出来るようにそのままの調子で疾風怒濤に暴れまくる印象。こうなるとノンビブ奏法は刃物の切れ味を増すためのもののようにさえ思われる。つまりはスタイルは古典派でありながら、その音楽の中身は超ロマン派なのである。

 それにしてもデ・フリーントがこれだけ暴れ回っても乱れず、さらにはノンビブであっても音色が痩せることがない読響の演奏陣はさすがである。やはり関西のオケと比べると1グレードレベルが上であることは否定出来ない。

 なお最近はソリスト陣の入場タイミングに様々な工夫をするコンサートも増えてきているが、今回はオーソドックスに二楽章終了後にソリストと打楽器増援がゾロゾロと入場する。軽い拍手が起こって少し中断。

 

 

 第三楽章はそれまでノンビブだった鈴木優人などもビブラート奏法に変える楽章だが、デ・フリーントはオーソドックスにノンビブで通す。タップリ歌わせる鈴木などとは違って、淡々とした印象の運びである。必要以上に歌わせないクールさが特徴でもある。ここは攻め寄せる楽章ではないので、初めて少々落ち着いて聞こえた楽章となる。

 そして中休みなしで最終楽章へと続く。ここでもやはりノンビブでガシガシと攻めるデ・フリーント。それに対してソリスト陣は特にバスの加藤などは芝居ッ気タップリでアクセントをつけるインパクトの強い歌唱。ソリスト陣の歌唱は意外に印象の強い濃いもの。さらにやはり合唱団が新国立劇場合唱団というプロであることは大きい。関西フィル合唱団などと比べるとコンパクトな編成にも関わらず、合唱自体のパワーは明らかに超えており安定感も抜群、さらに表現力も高い。

 デ・フリーントはこの優秀な声楽陣の能力をフル活用して、オケと一体化した巨大な音楽空間を構築していく。結構芝居ッ気があるにも関わらず、全体を通すと端正で整然とした秩序がある。そして音楽を段々と盛り上げて比類無い感動のクライマックスへという印象。

 正直なところ圧巻だったと言うしかない。非常に個性が強いアクのある演奏なのであるが、説得力は十二分で、強引に音楽に巻き込まれたというのが本音。かなりの熱演に知らず知らずに引き込まれてしまった。これはまたとんでもない演奏だなと呆気にとられたのである。

 

 

ロイヤルオペラハウスの「ラインの黄金」とスタジオポノックの「屋根裏のラジャー」のハシゴ

ロイヤルオペラのために大阪の劇場へ

 さて日曜日であるが、今日は映画のダブルヘッダーをすることにした。最初は映画と言ってもヘビー級でロイヤルオペラの「ラインの黄金」。ロイヤルオペラではこれから4年をかけてリングの4部作を上演するとか。かなり力の入った企画である。もう一つの映画はスタジオポノックの新作「屋根裏のラジャー」である。こちらはアニメ製作部を解散したジブリのメンバーが集まって作った製作会社になる。先に米林宏昌監督で「メアリと魔女の花」を制作公開している。

 ただダブルヘッダーとなるとロイヤルオペラの方は上映館と時間が限定されているのでスケジュール調整が結構大変である。その上にラジャーの方は私はイオンシネマだと1000円鑑賞が可能なので、イオンシネマに行きたいとなるとイオンシネマ明石か加古川。ロイヤルオペラの上映館は近いところではTOHOシネマズ西宮と大阪ステーションシティシネマぐらい。最初は近いTOHOシネマズの方を考えていたのだが、どうも上映時間が中途半端で移動時間を考えると難しい。結局は西宮まで出るなら大阪でも大して変わらないと読んで、大阪ステーションシティシネマに行くことにした。移動だが、正直なところ車だと駐車場確保からして大変な上に移動時間が読めない。渋滞一発ですべてのスケジュールが崩壊してしまう危険が高いということから、腹を括って数年ぶりにJRで移動することにした。今まではコロナの流行を理由にしてJRでの長距離移動は拒否してきたが、来年辺りからついに出張などを強制されることになりそうであるし、そろそろ腹を括る必要に迫られていた。

 大阪ステーションシティシネマでの上映は11時からなので午前中に家を出ると最寄りのJR駅へ。ここ数年JRを利用していなかったのでこの駅に来るのも久方ぶり。おかげで乗車ホームを間違えて逆方向に行きかけるという失態まで演じてしまったが、どうにか予定通りに大阪に到着する。

 館内は結構混雑している。上映まで30分ほどあるしホットドックでも買うかと思ったが、売店には長蛇の列。これを並んで超低CPのホットドックを購入する気にもならず、一旦劇場を出てからローソンでサンライズを購入してこれをかじることに。

この行列に並んでまで割高なホットドッグを買う気にならず

 ようやく入場。観客は30人程度でやはりそこそこ多い(この手の演目にしたらである)。これから3時間、休憩なしの長丁場である。

 

 

ロイヤルオペラハウスシネマシーズン ワーグナー「ラインの黄金」

【指揮】アントニオ・パッパーノ
【演出】バリー・コスキー
【美術】ルーフス・デイドヴィスス
【衣装】ヴィクトリア・ベーア
【照明】アレッサンドロ・カルレッティ
ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団 

【出演】ヴォータン:クリストファー・モルトマン
アルベリヒ:クリストファー・パーヴェス
ローゲ:ショーン・パニッカー
フリッカ:マリーナ・プルデンスカヤ
フライア:キアンドラ・ハワース
エルダ(の声):ウィープケ・レームクール
ドンナー:コスタス・スモリギナス
フロー:ロドリック・ディクソン
ミーメ:ブレントン・ライアン
ファーゾルト:インスン・シム
ファーフナー:ソロマン・ハワード
ヴォークリンデ:カタリナ・コンラディ
ヴェルグンデ:ニアフ・オサリバン
フロスヒルデ:マーヴィック・モンレアル
エルダ(俳優):ローズ・ノックス=ピーブルス

 ワーグナーの大作の新演出による上演である。演出を手がけるバリー・コスキーは大胆な演出で物議を醸す鬼才らしいが、本公演でもかなり大胆な演出をしている。

 ワーグナーの作品の現代翻案自体は珍しくないのだが、本作は元々が神話ということがあって、現代翻案といっても出演者の服装が現代的になるだけで、完全に現代の物語にはなりきらない。本作では舞台中央に不気味な枯れた巨木が据えられ、それを中心に劇が繰り広げられる。

 一番特徴的な演出は大地の女神エルダが常にステージ上に登場していることだが、そのエルダは俳優によって演じられた全裸の老女であり、その痩せこけて醜悪な姿はまさに死にかけている世界の象徴のように感じられる。この辺りは今日的な問題を象徴的に現しているようでもある。

 そしてそこに繰り広げられる欲と愛憎の入り交じったドラマは、古今東西変わらぬ人間の愚かさと傲慢さをあぶり出すことになる(登場キャラに人間は1人もいないにも関わらず)。まあこの辺りがワーグナー作品が時代を超える所以ではあるが。

 本作の演出はエルダの表現からも覗えるように、終始センセーショナルでグロテスクでもある。私が象徴的にも感じたのは、ヴォータンがアルベリヒから指輪を奪い取るシーンでは、ヴォータンがアルベリヒの指を切り落として血まみれになりながら指ごと指輪を奪い取っている。後のファフナーがファーゾルトを打ち殺すシーンにしても、血みどろしーんとして描いている。そしてラストの神々の入城シーンも、本来なら華々しく描かれる場合が多いのであるが、本作では闇の中で不気味ささえも感じられ、後の彼らの破滅を暗示するかのようなものとなっている。

 出演者の力量は見事なものである。堂々とした神と言うよりも、姑息で卑怯者であるヴォータン、トリックスターとして1人だけ少し異なる空気を纏っているローゲ。そして陰険で邪悪であるアルベルヒなど一癖も二癖もあるキャラを見事に演じきっているのは立派。またどう見てもヤンキーそのものの巨人兄弟も存在感ありありである。

 どちらかと言えば通向けかなという印象も受けたのが本作。まあクセが強くていささか下品さに溢れる演出は好き嫌いが分かれるところであろう。私は衝撃的で計算され尽くした考えられた演出であることは認めるが、正直なところあまり好きではない。


 さすがに長丁場は疲れたというのが本音。それと上で述べたように、あまり私の好みに合致した演出でない(私は現代翻案自体があまり好きでない)ので、次回以降はどうするかは判断に迷うところ。

 

 

次はイオンシネマ明石へ

 上映が終了すると直ちにJRで明石に移動する。こういう時にこの劇場は便利ではある。またイオン明石もJR大久保駅から直接接続しているので移動は楽。とりあえず上映開始までに時間があるのでかなり遅めの昼食を摂ろうとフードコートに向かったが、休日のせいか大勢が押しかけていて満席。仕方ないのでレストラン街の方を覗くが、毎度のことながらここのレストラン街には今ひとつ食欲をそそる店がない。面倒臭いので「十六穀米オムライスと炭焼きハンバーグ専門店 おむらいす亭」に入店する。

イオン明石のレストラン街の「おむらいす亭」

 ハンバーグとエビフライのセットを注文。ここは全メニューにサラダバーが付属しているとのことなので、サラダとカレーを最初に頂く。サラダは貧弱(キャベツにコーンにブロッコリーぐらいしかない)だし、カレーは典型的な業務用量産型(と言っても、意外に私の貧乏舌には合うのだが)。

カレーは意外に私の舌には合う

 やがてメインの料理が来るが・・・まあ最初から期待してはいなかったが、いかにもそれなり。しかしハンバーグ専門店を名乗っていて、この切ったらボロボロになるハンバーグは頂けない。映画割りで10%引きにはなったが、それでも1600円という価格はあからさまにCPの悪さを感じさせる。どうもここのレストラン街は立ち寄るごとに次に行く店がなくなっていく・・・。何となくフードコートの方が混雑する理由が頷ける。

メインのハンバーグだが・・・

 

 

 とりあえずの昼食を終えると劇場へ。なお昼食の物足りなさか何か口寂しさを感じるので、大阪と違ってほとんど待ち客のない売店でプレミアムポップコーンを購入。ピーナッツキャラメルコーンなるものを購入したが、どうやらこれはSPY×FAMILYタイアップメニューの模様。こっちの上映は来週である。なお味は悪くないが、ピーナッツのクセがあるので、アーニャならぬ私には1カップぐらいの量がちょうど限界。

ポストカードのオマケ付きである

 なお映画の内容の方は「白鷺館アニメ棟」の方に掲載することにする。

anime.ksagi.work


 映画を終えると直ちに大久保駅にとって返して帰宅することに相成ったのである。

 

 

数年ぶりに白鶴美術館に立ち寄ってから、鈴木優人指揮の関西フィルの年末第九へ

関西フィルの年末第九へ

 いよいよ12月となるとクラシック界は第九のシーズンである。そして今日は関西フィル恒例の年末第九に繰り出すこととした。正直なところ年末第九も耳タコな感があるので、パスした年もあるのであるが、今年は鈴木優人指揮とのことであり出かけることにした。

 午前中に家を出ると阪神高速を突っ走る。週末だというのまたも神戸市内で渋滞である。ようやくその渋滞を抜けると摩耶ICで一旦降りる。今日は途中で寄り道の予定があるのが、午前中に家を出た理由。

 摩耶からしばし東に走って川沿いに北上した山の手の住宅街の中に目的地の白鶴美術館はある。かの有名な灘の銘酒白鶴を産み出した白鶴酒造の7代目当主嘉納治兵衛の収集品を展示するために1934年に設立された私立美術館の雄である。7代目嘉納治兵衛は奈良・興福寺の執事を務めていた中村家出身の婿養子だそうで、若い頃から古美術好きであったので、酒造業で成功を収める傍らで古美術の収拾に力を入れたのだという。美術館を設立したのは自分の死後にコレクションが散逸するのを防ぐと共に、一般の人びとの鑑賞及び研究に役立つようにとのことだから、ただの趣味人だけでなく、かなり高い公共意識の持ち主であり、今時の守銭奴経営者とは一線を画している(竹中平蔵などは虚栄心はあっても公共心は微塵もない)。建物は独得の和風洋式建築となっており、これも国登録有形文化財とか。なお1995年に10代目嘉納秀郎が収集した中近東の絨毯などを展示するための新館が南に建設されたが、こちらはコンリート打ちっ放しのいかにも現代建築である。

白鶴美術館

新館はコンクリート造り

 

 

「中国陶磁の植物文-清雅と繁栄の象徴」白鶴美術館で12/10まで

 かなり昔に訪問したことのある美術館であるが、その時は本館のみだった記憶がある。本館では中国陶器の展示、南にある新館ではペルシア絨毯が展示されている。

 本館の展示は植物文を描かれた陶磁器を展示。展示品は鮮やかな唐三彩から渋い青磁まで様々である。やはり青磁などの単色の器は絵柄が見えにくいので、文様に注目するよりもどうしても形態の妙の方に注意を取られるので、文様を楽しめるのは彩色陶磁の方になる。

 それらの陶磁器はなかなかに色鮮やかであり、植物の絵柄云々抜きに見ていて楽しい。まあ黄色や緑色の鮮やかな色彩は、私が好む織部に相通じるところも感じさせる。また併せて狩野探幽の養老之瀧図などの絵画も展示されており、これも興味深いところであった。


 白鶴美術館は中庭を囲むように建っており、奥が展示館になる。中庭中央の巨大な灯籠は東大寺大仏殿の国宝の東大寺金銅製八角燈籠から型どりしたコピーとのこと。

奥が展示室で正面が東大寺の灯籠のコピー

中庭墨のこの茶室も有形文化財らしい

 本館の南にはコンクリート造りの新館があり、こちらでは中近東の絨毯が展示されており、こちらも植物文のものとのことだが、こっちについては私にはとんと分からない(笑)。植物文と言われると植物文なんだろうが・・・。

新館入り口は実にシンプル

 白鶴美術館を後にすると、大阪に向かって走る。この走行は順調だったが、問題はホール近傍に到着してからの駐車場探し。事前に目を付けていた駐車場が悉く満車で、しばし周辺を駐車場探しでウロウロ。空いている駐車場はあるものの、そういうところは悉く1日1000円以上というボッタクリ駐車場(上限さえない恐怖の駐車場もある)。まともな料金の駐車場を探して辺りを何周も。諦めかけてUターンしようかと思った時に、目に飛び込んできたのが全く初めての駐車場。1日料金が最大900円とのことなのでここに決める。

 

 

イレブンは移転してしまっていた

 ようやく車を置いたところで、次は昼食を摂る店を探すことにする。今日の気分はそばではない。そこで「イレブン」を思いついて立ち寄るが、どうも明かりが消えているようだ。土曜は休みではないはずなのだがと入口を覗くと張り紙が。

イレブン移転の案内

移転先はこちらのよう

 どうやら11/28日付で移転が決まったようである。将棋会館のビルもかなり老朽化が進んでいるとの話なのでいよいよ解体か? 将棋会館を高槻に追いかけていくのかと思ったら、移転先は福島の鷺洲とある。ギリで福島圏内だが大分西の方になるのでいささか遠い。これでは今後は余程切実にバターライスや豚珍美人が恋しくならない限りなかなか立ち寄りにくい。これはいよいよ福島地域の新規店舗開拓が必須になってきた。

 

 

やむなく昼食は寿司に

 「イレブン」に振られたので、こうなると次の選択肢は「魚心」ぐらい。「魚心にぎり定食」に後でカンパチにぎりを追加する。この店は今日も私の来店時はガラガラ。正直なところこの店も今後に心配があるのだが・・・。なおにぎりは美味い。特に追加で注文したカンパチがシコシコして実に美味い。以上で支払いは1230円ということでCPも悪くはない。

いつもの魚心

魚心にぎり定食赤出汁付き

追加でカンパチにギリ

 

 

ホールは満員だった

 昼食を終えると開場時刻が近づいてきたのでホールの方へ。開場数分前だが、律儀に行列を作って入口前で待っている日本人の光景。ところでやはり年末第九は観客が多いのか、待ち客もいつもより多め。

日本人の風景

ホール内にはツリーが

 クリスマスイルミネーションのホールに入場すると喫茶に直行する。最近は開演まで喫茶でつぶすのが常になってしまった。私も堕落したものである。なお喫茶にはみるみる行列が出来てあっという間にほぼ満席。やっぱり今日は客が多いようだ。

喫茶で時間をつぶす

 着席前にトイレにと思ったら、ここも大行列だった。今日は観客が多い上に、やはり長丁場だけに事前に備えようという者も多いのだろう。なんとか用を済ませて着席して辺りを見回すと、全体の入りは9割以上。確かに大入りだったのである。

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 「第九」特別演奏会

ステージ上がいささか狭っ苦しい

[指揮]鈴木優人
[ソプラノ]澤江衣里
[カウンターテナー]久保法之
[テノール]櫻田 亮
[バリトン]加耒 徹
[合唱]関西フィルハーモニー合唱団
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」

 鈴木優人で第九と言えば、昨年に読響を指揮してのものが印象に残っている。その際には古典的でも現代的でもないノンビブとビブラートをケースバイケースで使い分ける自在さと、硬軟自在の非常にダイナミックさに満ちた演奏に圧倒されたのであるが、果たして関西フィルを指揮してどのような演奏をするかが興味深いところである。

 なお声楽ソリスト陣は私には馴染みのない方々ばかりだが、今回はアルトでなくカウンターテナー歌手を用いているのが特徴の1つ。なお読響の公演の際はソリスト及び合唱団は4楽章が始まっても入場せず、出番の直前に合唱団及びソリスト達が入場するというパターンを取ったが、流石に人数の少ないプロ合唱団と違い、関西フィル合唱団は曲の最初から待機という方法を取らざるを得なかったようだが、それでもソリスト陣は4楽章が始まってから入場して、ステージ脇の椅子にスタンバるという方法を取っていた。恐らく3楽章後に入場だとソリスト陣入場の際に拍手が起こって音楽が途切れることを嫌ったと推測する。なおソリスト入場に関しては、以前にアクセルロッドが読響で行った、バリトンが出番直前に「ちょっと待った」とばかりにステージに現れるという演出が非常に面白かった上に理にも叶っていた記憶がある。

 さて演奏の方であるが、基本的には読響の時と同じで、第1、第2楽章はビブラートをあまり使わないノンビブに近いシンプルな演奏。しかし音色はシンプルでも音楽は非常に起伏の大きいダイナミックなものである。ただ悲しいかなどうしても読響と比較すると彼我の実力差はある。関西フィルは読響ほどのパワーがないのでどうしてもこじんまりした感じになってしまうきらいがある(編成も12型と中規模編成であるが)。また緊迫感を持った演奏よりも、デュメイに鍛えられたネットリしっとりというのが関西フィルの持ち味なので、どうしてもやや甘い感じになってしまうのは否定出来ない。

 第3楽章はビブラートも利かせてしっとりと歌う楽章。やはりこういう曲調になると関西フィルの特性が発揮されることになって結構しっくりとくる。

 そして最終楽章。残念ながらここでも合唱団の実力差は如何ともしがたい。関西フィル合唱団も頑張っているが、プロ合唱団との実力差は明確。それがどうしても音楽全体の完成度に影響を及ぼす。

 以上、かなり否定的に聞こえてしまったかもしれないが、それは比較の相手がプロ合唱団を起用しての読響の公演だからというわけであって、決して今日の公演が駄目なわけではない。今日の公演に関して言えばなかなかの熱演であり、怒濤のフィナーレは血湧き肉躍るものがあった。それ故か場内もかなりの盛り上がりとなったのである。

 

 

アマオケ加古川フィルの演奏会に出向く

加古川まで出向く

 最近は金銭的問題もあってアマオケ巡りが増えている私だが、今日は加古川フィルの定期演奏会に出向くことにした。場所は加古川市民文化会館とのことで、開演の1時間前に間に合うように車を飛ばす。駐車場は隣に立体駐車場があるが、私の到着時には次々と車が到着している状況。かなり盛況な模様である。

駐車場から陸橋を渡ってホールへ

開演1時間前に既にこの行列

 

 

 車を置くと陸橋でホールに向かうが、既に入口前には大行列が出来ている。かなりの人気の模様。これはいささか侮っていたか。なお私はここに並ぶのが嫌なので、あえて数百円をプラスして指定席を確保している。そこで大行列を横目に2階に向かう。ここのレストランで昼食を摂っておきたい考え。

2階のレストランへ出向く

 実は今日は昼前まで爆睡してしまっていて、慌てて家を飛び出しているので朝食も昼食もまだである。とにかく何か燃料を入れておかないと公演途中でガス欠は必定。ここはCPに目をつぶってもとりあえずの燃料補給は不可欠である。ビーフカレーとサラダ、ドリンクのセット(950円)を注文。

まずは簡単なサラダから

 カレーはまず出来合だろうが、まあまあ悪くはない。自家製とかで妙にクセの強いカレーを出されるよりはむしろ無難か。

ビーフカレーとコーラ

 

 

 昼食を終えたところで開演30分前ぐらい。ホールに向かうことにする。加古川市民文化会館は典型的な地方都市の市民会館。この手のホールとしてのお約束で、音響効果はあまり良くない。やや古びたかなりレトロな風情のあるホール。大ホールは2階席まである構造で1524席とのこと。1階席はほぼ埋まっており、2階席も半分近く埋まっている。結構な入りである。

一階席

二階席の一番奥からステージを望む

 

 

加古川フィルハーモニー管弦楽団第45回定期演奏会

【指揮】八木 裕貴

交響曲第6番 ヘ長調 作品68「田園」 / ベートーヴェン
組曲「牝鹿」作品36 / プーランク
歌劇「ナブッコ」序曲 / ヴェルディ

 加古川フィルは昨年に創立50周年を迎えたとのことで、なかなかに伝統のあるアマオケである。編成は10-10-8-8-7型の3管編成とやや管が優位な構成になっている。

 一曲目はヴェルディのナブッコであるが、編成の管が優位というのとホールの響きが良くないことが相まって、弦楽がかき消されてブラスバンドのように管楽器ばかりが正面に出てくるきらいがある。さらにはその管楽器が端的に言えば所詮はアマチュアの音であるので、全体的に演奏に深みがない。結局はそのまま力押しだけで押しきった印象の演奏となった。

 二曲目のプーランクはプレトークでも言っていたように、所々にジャズ調の部分がある小洒落た曲。やはり加古川フィルのブラスバンド的な管楽陣は、こういう曲調の方がマッチするようで活き活きと演奏していた雰囲気である。

 休憩後の三曲目がメインの田園なのだが、やはりこういう曲になるとこのオケが抱える弦楽陣の貧弱さというのがもろに弱点として浮上することになる。弦楽陣が主役として最前面に出張ってこないといけない場面でも、どうしても前に出張って来れずに後の管楽陣の方が前に顔を出す傾向がある。特にメインとなるべき第一ヴァイオリンがコンマスの音しか聞こえて来ない感じがあり、これはいかがなものか。結果としてやや残念な演奏になった感がある。

 アンコールはクリスマスソングを演奏していたが、やはりこういう曲の方が活き活きとする。何となく加古川ポップスフィルという雰囲気があるように思われたのである。

 

 

アマオケの姫路交響楽団の定期演奏会に姫路に繰り出す

半年ぶりに姫路交響楽団のコンサート

 昨日に京都より帰還したところでやや疲労もあるが、今日は姫路に出向くことにした。目的は姫路交響楽団の無料コンサート。久しぶりにアクリエひめじを訪れるが、相変わらず駐車場は一杯。また事前にやって来ている観客が大勢で、私が到着した時にはまさにゾロゾロと入場中であった。

私の到着時には既にこの状況

 ホールは大きいのでまずまずの席を確保することに成功する。アクリエひめじを訪れるのは久しぶりである。本当はここで開催されたベルリンフィルのコンサートに来たかったが、それは予算的に不可能であった。

 姫路交響楽団は前回の定期演奏会も聞きに来ている。その時は大入り満員だったが、それはアクリエひめじの開館直後の物珍しさと、ドヴォルザークの「新世界」というプログラムの人気もあっただろう。それに比べると今回はメインがチャイコの悲愴で、協奏曲がショスタコのチェロコンとやや渋いプログラム。今回も意外と観客は多いが、前回ほどではない印象。

 姫路交響楽団は以前に聴いた印象では、技術力は平均的と言うところ。編成が大きいのが特徴の一つだが、メンバー表を見るとバランス的にチェリストが不足気味のようであり、そこはトラを加えているようである。

 

 

姫路交響楽団 第90回定期演奏会

人数は多く、編成も大きい

指揮:黒田洋/永井孝和
チェロ:梶原葉子

モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲(指揮:永井孝和)
ショスタコーヴィチ チェロ協奏曲第1番変ホ長調 作品107(指揮:黒田洋)
チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」ロ短調 作品74(指揮:黒田洋)

 一曲目は永井の指揮は表現意欲よりも安全運転に徹しているように感じられた。確かに姫路交響楽団は編成が大きいことが災いして、旋律が錯綜してくるとアンサンブルがやや不安定になってくるきらいがある。そこでアンサンブル崩壊を警戒して、随所随所でタイミングを合わせているような様子が覗えた。その結果として、非常に無難な演奏にまとまったのであるが、特別な面白味は薄いきらいがある。

 二曲目はややマイナー曲。オケを小編成に変更した分、先ほどよりは明らかにアンサンブルが向上している。独奏チェロの梶原は、深みのあるなかなかに良い音色を奏でる。音楽に表現意図が見られて納得の出来る演奏である。ただこの曲はこのチェロと渡り合うようなポジションで重要性が高いのがホルンであるのだが、残念ながらこのホルンがチェロと渡り合うにはあまりに非力。アマオケである以上仕方のないことであるが、どうしても音程がやや不安定な素人の音色であるので、聞き劣りしてしまうのが否定出来ない。ホルンというのはプロでもとんでもないしでかしがあるぐらいに音程の難しい楽器のようであるので、アマオケではかなり厳しいところだろう。

 最後はチャイコの悲愴。黒田の指揮はかなりの意図を込めてのものであるのは良く分かる。またオケの方も相当に力を入れて練習したと思われ、やはりところどころアンサンブルが怪しくなるところはあるものの、それでもまとまった激しい表現を行っている。

 結果として、アマチュアオケとしてはまずまずの演奏になったと感じられる。最終楽章の切実さなどもそれなり訴えてきていた。

 拍手に答えてのアンコールはチャイコのアンダンテカンタービレ。弦楽のなかなかに美しい曲であり、このテンポの曲ならアンサンブルも乱れることがなく、このオケはこういう曲の演奏が非常にあっているようである。

 

 

遠征最終日は京都方面の美術館を回ってから、カンブルラン指揮の京都市響

最終日は京都へ

 翌朝は目覚ましで7時に起床。完全寝不足だった昨日と違い十分に睡眠を取ったはずなのであるが、朝から身体が重くて動かない。やはり流石に昨日いろいろと走り回りすぎたようである。どうも年齢のせいか無理が利かなくなってきている。

 とりあえず昨日の帰りに買い求めたパンを朝食として腹に入れると、活動開始のための体温上げにシャワーを浴びる。年齢と共に変温動物化してきた昨今は、とりあえずこうやって体温を無理矢理に上げてやらないと朝一からはエンジンがかからない。

 さて今日の予定であるが、これから京都に移動、本日14時半から京都コンサートホールで開催される京都市交響楽団の演奏会に出向くのがメインの予定である。もっともわざわざ京都くんだりまで出向くのであるから、当然の如く京都地区の美術館を回りたいという腹づもりもある。もっともこれは時間次第。しかも今の京都はオーバーツーリズム状態で交通はかなり混乱している可能性もある。もう出たとこ勝負である。

 まずはホールから一番遠い福田美術館を訪問することにする。大阪-京都間が渋滞する危険も考慮に入れて、通常なら1時間もあれば到着するはずのところを1時間半を見込んで出発する。途中の高速は思いの外順調で、京都縦貫道の大原野ICで降りたときには9時過ぎぐらいだったので「こりゃ現地到着が早くなりすぎるかな」と思ったのだが、大変なのは高速を降りてからだった。嵐山手前から渋滞アフター渋滞のトロトロ運転が続き、駐車場に車を置いた時にはもう美術館開館時刻の既に10時直前になっていた。

 なおこの時期の嵐山はまさにオーバーツーリズム状態そのもの。そして周辺の駐車場は軒並み満車で、周辺に商機を見たにわか駐車場が登場すると共に、元々の駐車場も軒並み価格を大幅に上げていて、大体相場は1日2000円という超ボッタクリ価格である。美術館訪問のためにたかだか1時間ちょっと停めるだけの私は、とてもそんなボッタクリ価格を払う気にはなれず、結局は美術館から徒歩10分ほど離れた普通の価格のコインパーキングに車を停めて延々と歩くことになる。おかげで美術館に到着したのは開館時刻を少し過ぎた頃である。

観光客が殺到している嵐山

 

 

「ゼロからわかる江戸絵画 ーあ!若冲、お!北斎、わぁ!芦雪ー」福田美術館及び嵯峨嵐山文華館で'24.1/8まで

ようやく福田美術館に到着

 江戸時代に大活躍した伊藤若冲、円山応挙、長沢芦雪らに加え、浮世絵の葛飾北斎など蒼々たる面々の作品を集めて展示する。

 福田美術館でまず最初に登場するのは精密写生の鬼こと円山応挙の作品。最後は今人気のモフ図まで含めて展示してある。

円山応挙「厳頭飛雁図」

円山応挙「陶淵明図屏風」

円山応挙のモフ図こと「竹に狗子図」

 次は円山応挙の弟子である長沢芦雪。応挙とは少し異なる個性が光る。そして芦雪風モフ図も登場。

長沢芦雪「岩上猿図」

長沢芦雪「鍾馗図」

芦雪のモフ図こと「親子犬図」

 

 

 そして江戸時代の奇想の画家と言ったら忘れてはいけない曽我蕭白も登場。独得のシニカルな雰囲気の虎がいかにも彼らしい。

曽我蕭白「虎図」

曽我蕭白「柳下白馬図」

 そして最近人気急上昇の奇想の画家・伊藤若冲も登場。達人技の墨の暈かしを生かした鯉図や、青物問屋の主人だった若冲らしい作品に、さらには若冲と言えば忘れてはいけない鶏の絵も登場する。

伊藤若冲「鯉魚図」

伊藤若冲「大角豆図」

伊藤若冲「蕪に双鶏図」

 

 

 階を変えて第二展示室は狩野派や琳派による大型の屏風が登場。狩野派から発して、狩野派の最大のライバルとなった長谷川等伯の作品が登場。精神性の強い作品から、装飾性の高い作品まで幅広くこなす等伯の装飾性に富む作品である。

長谷川等伯「柳橋水車図屏風」左隻

同右隻

 そしてその装飾性を引き継いだ琳派を代表する絵師が尾形光琳。その光琳がその装飾的な画風を確立する前の、若き頃の作品が展示されている。

尾形光琳「十二ヶ月歌意図屏風」左隻

同右隻

中村芳中「山水図」

 

 

 会場を嵯峨嵐山文華館に移すと、こちらに登場するのは葛飾北斎の肉筆画。まずスパイダーマンを思わせる大天狗に始まり、美人画など。

葛飾北斎「大天狗図」

葛飾北斎「砧美人図」

葛飾北斎「唐子人形を操る布袋図」

 

 

 こちらの会場は浮世絵系の絵師の作品が展示されており、勝川春章の作品なども展示されている。結構個性が強いのが祇園井特の作品。

勝川春章「桜下美人図」

月岡雪鼎「美人図」

紫式部を描いた祇園井特「紫女図」

 上階の座敷には広重の東海道五十三次が展示されていたが、これについては今更感もある。

広間には東海道五十三次が並べられていたが・・・

 

 

 なかなかに堪能出来る展覧会であったが、それだけに見学に結構時間を費やしてしまった。次の予定を実行するかどうかが時間が微妙なところである。次に考えていたのは東山地区の京セラ美術館と国立近代美術館の栖鳳絡みの展覧会。とりあえず東山に向かって走り、現地到着時間や駐車場の空き状況で判断、時間が足りないかもしくは駐車場が空いていなかったら諦めてホールに直行しようという考え。

 まあ予想通りであったが、京都の市街は車が混雑していてつかえつかえの走行となりストレスが溜まる。時間がないからもうこの際は昼食を抜いたとして(私の遠征では昼食抜きの局面が意外に多い)、開演が14時半からであることを考えると、東山を遅くとも13時半には出ないとこの車の多い状況下では移動がヤバいと計算する。そして現地に到着したのは12時前。非常に時間的に微妙で判断に悩むところだが、京セラ美術館の駐車場がたまたま空いていたことから、これぞ天佑と考えて訪問を決定する。

 どうやら駐車場が空いていたのは本当に偶然のタイミングだったようだ(私が停めた途端に満車)。とにかく時間が惜しいのでまずは小走りで京セラ美術館へ。

京セラ美術館へ

 

 

「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」京セラ美術館で12/3まで

栖鳳と言えば獅子

 明治以降の京都画壇を代表する巨匠、竹内栖鳳の作品を一堂に集めて展示。まずは初期の伝統的な日本画の流れを汲みつつも、新しい時代の方向を模索する時代の作品から始まる。この時代の作品は卓越した技倆を見せつつも、まだ突き抜けた個性は発現していない。

 また海外に取材した作品が登場。非常に珍しい栖鳳の油彩画も展示されている。なお今回展示された「羅馬遺跡図」は新発見のものとか。さらには栖鳳と言ったときにすぐに連想される迫力のある虎の絵なども登場する。これも動物園で実物を見て描いたものだとか。

 そして伝統の日本画を破壊して新たな絵画を作るべく奮闘した時期の作品。ここでは重要文化財となっている有名な「絵になる最初」が展示されているが、その下絵も合わせて展示してあるのが特徴。絵心皆無の私には得られる情報は少ないが、そちらの心得のある人物なら多くの情報が得られるのでは。

竹内栖鳳「絵になる最初」

その下絵

 

 

 晩年はなぜか動物の絵が増えていくのだが、ここでも下絵と合わせて展示してあるのが特徴。

竹内栖鳳「雄風」左隻

同右隻

左隻の下絵

同じく右隻の下絵

 かなり物量的にも圧倒的な栖鳳ワールドが繰り広げられた。私は時間の関係で30分もかけずに駆け抜けた感じであったが、それはいささか勿体なく感じられたところ。


 栖鳳の見学を終えると向かいの国立近代美術館へ。こちらでは「栖鳳、松園に続く新世代たち」と銘打った展覧会が開催中。

向かいの国立近代美術館へ

 

 

「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」京都国立近代美術館で12/10まで

記念撮影ポイントですか

 明治以降の京画壇を代表する画家たちの作品を展示している。中心と据えられている画家はまず土田麦僊であり、その独特の空気のある作品が楽しませてくれる。

 そして麦僊の絵画を見ていると、次に来る小野竹喬の作品が確かにここまでの正当な流れを汲んでいるよなということが納得出来たりする。なお竹喬だけでなく、榊原紫峰や野長瀬晩花など百花繚乱。その中で一人異彩を放っている秦テルオの尖った表現なんかも目立つ。

 そして大正となると甲斐庄楠音や岡本神草などのデロリとしたグロテスクさも秘めたインパクトの強い絵画が登場する。

 そのような時代の変遷のある中で、一貫して自らのスタイルを貫いている竹内栖鳳、上村松園、菊池契月、木島櫻谷といった存在も興味深いところ。京画壇の百家争鳴状態が覗えてなかなかに面白かったのである。

 とりあえず蒼々たる画家たちの作品が並んでいるので、ザッと眺めていくだけでも相当に楽しめる展覧会であった。こちらも時間の関係でやはり駆け抜けるに近い状態になってしまったのがつくづく勿体ない。

 

 

 以上、合わせて1時間ちょっとで見学を終えると車を出してホールに向かうことにする。途中の道の混雑を警戒していたのだが、京都の中央部からかなり離れたホール周辺の道の混雑はさほど多くなく、予想よりも遥かに早く確保していた駐車場に到着したので、開演までの時間で慌てて昼食を摂ることにする。一応「東洋亭」を覗いてみるが、案の定話にならず、他の店も結構混雑、仕方ないので気が進まないもののロイヤルホストに入店することにする。

満足度の低い昼食

 注文したのはハンバーグのビーフシチュー煮込みだが、まあ覚悟はしていたものの、思っていた以上に美味くない。まあマズいとまでは言わないのだが、とにかく美味くないのである。特に全く牛肉感を感じられないハンバーグが美味くない。あまり良くない肉を筋などが残らないようにベタベタになるレベルまで挽いたんだろう。これでまだ価格が安ければ救いがあるが、結局は東洋亭と比較してもそう安いわけではないのであちらが行列が出来るわけである。私も時間の制限がなかったらあちらに並ぶところである。

 とりあえず不満いっぱいではあるものの昼食を終えたのでホールに入場する。今日はカンブルランが登場であるが、ホールの観客は私の予想よりは少なめ。7~8割程度というところか。カンブルラン、意外と人気が無いのか?

京都コンサートホールへ

 

 

京都市交響楽団 第684回定期演奏会

席は3階の正面

シルヴァン・カンブルラン(指揮)

モーツァルト:交響曲 第31番 ニ長調 K.297 「パリ」
ブルックナー:交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンチック」(1888年稿 コーストヴェット版)

 一曲目はモーツァルトであるが、やはりカンブルランらしい現代アプローチである。音色に冴えがあって、非常に明快な曲として聞こえてくる。間違いなくモーツァルトが当時に聴いていた音とは全く違う音なのだろうが、逆にそれがモーツァルトの音楽の普遍性を感じさせるところがある。

 流石に京都市響のアンサンブル力は高い。こういう曲の時は非常に整然とした演奏をする。それでいて音色に生命感がある。なかなか爽快なモーツァルト。

 休憩後の後半はブルックナーの4番。4番を聴くのはかなり久しぶりなのであるが、やはり後期の作品と比べると構成に冗長なところが多いような感じがする。ブルックナーの聴かせどころのアダージョ(私にとっては落ちポイントの魔のアダージョ)なんだが、やはりいささかしんどいのは否定出来ない。

 もっともカンブルランの演奏はかなりメリハリを効かせている演奏であり、非常にオケが色彩豊かに良く鳴っている。そのおかげでこの長大な交響曲を退屈からかなり救っているという印象。もっともその分、ブルックナー流の重厚さというのはやや欠けた印象はある。ブルックナーの交響曲はよく重厚なオルガン曲にたとえられるのであるが、カンブルランの演奏はオルガン曲と言うよりは、華やかなブラスバンドのイメージに近いか。その辺りは好みは分かれそうである。


 以上、コンサートを終えると新名神を突っ走っての帰宅と相成る。京都市内で渋滞に引っかかって、高速に乗るまでに1時間以上もかかったせいで、新名神を突っ走る時には辺りは真っ暗。真っ暗で車も少ない道路を淡々と走っていたら、気分が鬱に入っていって病みそうな気がする。そこで久しぶりに私のドライブソングの「明日へのbrilliant road」を大音量でガンガン鳴らしながら突っ走ったのである。これと「Shangri-La」「gravitation」が私のメンタル回復ソングである。

 

 

この遠征の前日の記事

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初訪問の美術館を含む美術館巡りと映画鑑賞の後、大フィルの定期演奏会へ

丸一日の休みはかなり忙しいことに

 昨晩は寝苦しくてやや寝不足気味であるが、今朝は7時半に目覚ましで起床する。やや眠い目をこすりながら、昨晩ファミマで買い求めていたカツ丼が朝食。どうもチョイスを間違えた。少々朝から胃がもたれる。

朝食にこれは失敗だった

 とりあえず活動のためにシャワーで体温を上げると出かける準備をする。今日の予定は夜に大阪フィルのコンサートがあるが、丸一日が空くので午前中に大阪南の美術館を訪問するつもりである。

 9時過ぎにホテルを出ると高石まで突っ走る。最初の目的地は小林美術館。文化勲章受章作家の作品を収蔵したという美術館。途中で渋滞があったり、目的地近くで路地地獄にはまり込んだりなどの紆余曲折はあったが、現地に到着したのはちょうど開館時刻の10時。

小林美術館に到着したのは10時きっかり

 

 

「橋本関雪生誕140周年記念 東洋へのまなざし 日本と中国の情景」小林美術館で12/10まで

 文化勲章受章者の作品を中心に展示している同館の展覧会。今回のメインは橋本関雪となっているが、やはり関雪と言えば馬か。

橋本関雪「蓬莱宝船図」

橋本関雪「意馬心猿図」

橋本関雪「高原新秋」

 さらに菊池契月、川合玉堂などの私の好みの作家の作品も。

菊池契月「風軟」

川合玉堂「緑陰垂釣」

 

 

 また富岡鉄斎、冨田渓仙などといった辺りも展示されている。

富岡鉄斎「渓山訪友図」

冨田渓仙「屈原漁夫図」

 そしてやけに印象深いのが中澤弘光のこの作品。

中沢弘光「鶴の舞」

 階を変えて2階展示室では秋をテーマにした絵画。この階は撮影不可作品が多いのだが、児玉希望などなかなか印象に残る作品が多々。その中でピックアップアーティストとして展示されていた樫原喜六と宇野孝之の作品が強烈に印象に残る。

樫原喜六「茅葺きの郷」

宇野孝之「秋宵」

 ちなみに同館展示作は撮影可と不可が入り交じっているが、どうやら著作権が切れるのが没後50年として、死後50年以上経過している作家の同館所蔵品は撮影可にしていると思われる。なおピックアップアーティスで紹介の作家は存命だが、恐らく作家の宣伝と言うことで許可を得たのだろう。

 展示数自体はそう多いわけでもないのだが、それなりに個性が覗えて興味深い作品が多数であった。

 小林美術館の見学を終えると、次は正木美術館を訪問することにする。この美術館の訪問は初めてである。書画や茶器などを所蔵した小規模の美術館である。

 

 

「禅ものがたり」正木美術館で12/3まで

正木美術館

 禅の精神に纏わる作品とのことで、絵画にはついては文人画になる。ただ人物画についてはどうにも定型的な印象を受けて、あまり個性を感じられないので今ひとつ面白味がない。そんな中で流石に重要文化財指定の「六祖慧能図」は異彩を放っている印象。妙に人物の存在感がある。

 茶器系統もあったが、基本的に織部から始まっている私には、全般的に地味で印象に残らず。

 最後に大作の群仙図屏風も展示されていたが、やはり全体的に平凡の印象は免れず、同じ題材を扱った曽我蕭白の異彩ぶりがかえって実感出来たというところがある。

 やはりテーマが禅となると、私にはあまりにも渋すぎたか。やはり私はもう少し浮かれた内容の方が合うようである。

 

 美術館見学後は、隣の正木邸を見学する。和風の苔庭のある典型的な日本建築。ちなみに土日は内部の見学も出来る模様。今日は平日なので庭園だけを見学することにする。なかなかに趣深い。

正木邸の苔庭

和式の庭園である

なかなか趣深い

 

 

昼食は近くの洋食店で

 庭園の見学後に昼食のため近くの店に出向くことにする。立ち寄ったのは「西洋料理ホルン」。典型的な街の洋食屋という店構え。ランチメニューが何種かあるが、今日は少し贅沢してハンバーグとエビフライのセットにデザートを付ける。

近くにある西洋料理ホルン

 まず最初はポタージュスープ。なかなかに美味く空腹を刺激してくる。しかし正直なところもう少し量が欲しいところ。

ポタージュスープ なかなか美味い

 メインはハンバーグとエビフライのプレート。ハンバーグのデミグラスソースが自家製なのかやや特徴がある。ただ個人的な好みから言えば、全体的に味付けがややしょっぱいように感じられるのが気になるところ。

メインのプレート

 最後はホットコーヒーとデザート。シャーベットがさっぱりしていて実に美味。

デザートはシャーベットが爽やか

 満足度はそれなりにあるのだが、以上で2360円の価格は私の感覚では少々お高い。と言うわけでCPの点でややしんどいかという気がする。まあそれならもう少し安いセットにすれば良いんだろうが。それとやはりこの手の洋食屋の常で味付けが若向きかもしれないので、そういう点でも私のようなジジイにはツライか。

 

 

昼には映画に出かける

 昼食を終えると一旦ホテルに戻ってくる。駐車場に車を置いて部屋に戻ってくると一息つく。さてこれからの予定だが、今日は19時から大阪フィルの定期演奏会。当初予定ではそれまで部屋でゴロゴロしているつもりだったが、それではあまりに無駄である。そこで映画を見に行くことにした。例のイオンカード特典の1000円鑑賞券を用意してあるので、イオンシネマシアタス心斎橋に出向く。

イオンシネマシアタス心斎橋

次回作品の紹介が

 見る映画は今話題の「ゴジラ-1.0」。なお映画の内容については別記事に掲載することにする。

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 映画を終えるとホールに向かうことにする。ここからだと四つ橋まで歩いて地下鉄に乗るのが最短ルートか。

 

 

夕食はラーメン

 肥後橋で降りると、ホールに入る前に若干早めだが夕食を摂ることにする。いつもヨルのコンサートは夕食に困るところ。公演前だと若干早めだが、公演が終わってからだとほとんど店がなくなってしまう。とりあえず今回は久しぶりに「ラーメン而今」に立ち寄って「特製あさり塩そば(1000円)」を麺大盛り(+100円)で頂く。

久しぶりの「ラーメン而今」

 こってりしたスープにしっかりした麺がなかなかに美味い。久しぶりにラーメンらしいラーメンという印象で今の気分には結構あっている。これでもう少し価格が安ければというところだが、場所柄仕方ないところか。

特製あさり塩そば

 とりあえず夕食を済ませるとフェスティバルホールへ。入場時からゲートがガラガラで大丈夫かと思ったが、最終的な入りは5~6割というところで、かなり寂しい入り。上岡の選曲があまりに変化球過ぎたか。会場を見渡しても会員の欠席が結構多いように思う。ということは収益的にはそう悪くはないのか。

入口からガラガラの印象だったが

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第573回定期演奏会

楽器がかなり多い上に奥には合唱団のためのひな壇

指揮/上岡敏之
合唱/大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮/福島章恭)
曲目/シェーンベルク:地には平和を 作品13(管弦楽伴奏版:1911)
   R.シュトラウス:組曲「町人貴族」作品60
   ツェムリンスキー:詩篇 第23番 作品14
   R.シュトラウス:組曲「ばらの騎士」

 1曲目と3曲目が合唱付きということで、1曲目終了後と3曲目終了後にドタドタと合唱団の引き上げがあるので舞台転換に時間が掛かるという印象。

 1曲目は合唱メインというよりもほぼ合唱だけのイメージの曲。どことなく荘厳さを感じさせる曲調であるが、私としてはやや退屈感がある曲である。

 2曲目は室内楽的小編成オケでの曲。オケの規模に比すると打楽器が非常に多彩なのが編成上の特徴となっている。また弦楽の構成が通常とはかなり異なっており、ヴァイオリンなどは見ていると、一部が奏しないシーンがあったり、またソロ演奏がかなり目立つような場面もあるなど、使い方が独得である

 曲調自体は軽妙なユーモアを秘めた軽快な印象の曲である。小編成でも音色の多彩さはR.シュトラウスならでは。

 個人技の積み重ねがアンサンブルになるような曲なので、演奏する方はそれなりに大変ではと思うのだが、難なくこなすのは現在の大フィルのレベル。なおこういうグチャグチャした中からキラキラとしたものを引き出すのは上岡は上手い。

 休憩後の後半は再び合唱団がスタンバってのツェムリンスキー。基本美しい曲であるのだが、それが単に美しいだけでなく、アクセントなどをつけて若干ひねってくるのが上岡流。

 最後は16型大編成でのばらの騎士だが、これは曲想からしてもパワーでグイグイと押すタイプの曲ではない。上岡はこの大編成を鮮やかに音色を膨らます方向に活用している。内容的に非常に艶っぽい旋律の多い曲であるのだが、それをなかなかに華麗に色気のある表現で描き出した。大フィルのこんなに艶っぽい音色を聴くのは久しぶりであり(デュトワの時以来か?)、その辺りになかなかに上岡らしさを感じさせる演奏であった。


 観客は少なめであったが、場内は結構盛上がっていた。満足してホールを後にするとホテルに戻る。正直なところコンサート前に食べたラーメンだけだとこの時間になると腹が少し寂しい。とは言うものの、新世界も既にほぼ全ての店が営業終了。仕方ないのでファミマで翌朝の朝食も合わせてパンやおにぎりを買い求める。

 ホテルに戻った後はしばし休憩の後に入浴。その後は疲れが押し寄せてきたので何も出来ずに就寝するのである。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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連休初日はデュメイ指揮の関西フィルのモーツァルトのジュピター

連休はコンサートに出かけるが・・・

 この飛び石休は模範的プロレタリアートたる私は、組合からの呼びかけに応じて金曜日に年有を取得して四連休とすることにした。国を挙げてワークライフバランスが唱えられる昨今、やはり愛国者たる私はその意向を尊重すべきだろう。

 さて連休となればやはりコンサート。本来ならどこかに遠征でもしたいところだが、現在の私にはそんな経済的余裕など全くない状態であり(そんな余裕があったら、ベルリンフィルやコンセルトヘボウに行っている)、仕方ないのでいつもの大阪安宿お籠もりである。例によってのしょぼいお出かけだが、それでも日頃の様々なストレスからは逃避できるだろうという考え。

 木曜日は午前中の内に家を出発して・・・のつもりだったんだが、またも寝過ごして昼前まで寝てしまった。以前はサラリーマンの習性として、何時に寝ても7時前には自動的に目が覚めたのだが、どうもストレスの多い日常と年齢から来る衰えは、私のサラリーマンとしての習性まで破壊したようだ。果たしてこれで後何年働くことが出来るやら。今の政府が「働けなくなった老人は直ちに死ぬべき」という政策を推進している以上、私の将来には明るい展望は全くない。

 

 結局は昼までに考えていた計画はすべてすっ飛ばしてホールに直行することにする。そうなると今度はやや時間に余裕があるのだが、こういう時に限ってスムーズに流れるのが阪神高速。予定よりもかなり早めにいずみホールに到着する。

 しかしいずみホール手前辺りから嫌な空気が漂い始める。道路の左側が路駐の車でびっしりである。途中の駐車場も満車表示が出ている状態。どうやら吉村が万博の集金目的で便乗企画した阪神タイガースの優勝記念パレードの余波がここまで及んでいる模様。まさかと思いつつそのままホールまで走ったら、嫌な予感的中でホール駐車場まで満車、急遽の予定変更を余儀なくされる。

 

 

とりあえずホテルに直行することにする

 全く想定外という事態でもなかったので、変更計画はただちに決定する。まだ開演まで時間に余裕があるのを活かして、先に宿泊予定ホテルに直行することにする。今日のホテルは新今宮のホテルみかど。大浴場タイプのホテルである。まだチェックイン時刻まで早かったが、ダメ元で交渉してみるとチェックイン可。これ幸いと車と荷物を置いてからJRでいずみホールへ向かうことにする。結構な手間だが、まあいずみホールの駐車場代と往復のJRの料金の差額が浮いたと考えるべきか。

新今宮のホテルみかど

 とりあえずホールに向かう前に手早く昼食を摂りたい。オムライスでも食べようかと南自由軒を訪問したんだが・・・店の感じが微妙に違う。何やらもつ鍋屋の模様。流石に昼からもつ鍋食う気も時間もなければ、そもそも私はもつ鍋は好きではない。「すみません。間違えました。」と頭を下げて店を後にする。南自由軒閉店したのか? 頭の中が「?」で一杯だが、時間がないのでとりあえずホールに直行することにする。

 ホール到着は開演の1時間前ぐらいだが、とりあえず今日はまだ何も食べていないのでどこかで昼食を摂りたい。プラプラと近くのIMPまで歩いて行くが、ここも大混雑。ラーメンでもと考えていたのだが、ラーメン屋は行列。ここならまさか行列はなかろうと考えていた「そじ坊」まで待ち客がいる状態で、段々と馬鹿らしくなると共に腹も立ってくる。仕方ないのでとりあえずファミマでおにぎりを購入して腹に入れることにして引き返す。

いずみホールまで戻ってくる

 

 

ここでもまさかのトラブル

 ホールは既に開場時刻になっている。しかしここでまたトラブル。どうやらデュメイが腕の不調で指揮のみの出演となって辻彩奈が代演とのこと。説明によると先日の昼の練習の際に、デュメイが腕の痛みを訴えて今日の演奏が不可能という判断になったそうだ。これは事務局はてんやわんやになったことは間違いない。デュメイの演奏を聴きに来た観客を納得させるには、半端な奏者だと顰蹙ものだし、そもそも前日の夕方に出演依頼して、翌日にこのプログラムを問題なく弾きこなせる奏者でないと話にならない。そういう意味ではよくぞ辻彩奈を確保できたもんだというところか。

奏者変更の案内

 もっとも今期のいずみホール公演はデュメイシリーズだったはずなのだが、第1回はデュメイが足のトラブルで来日不可、第2回は予定通りの開催だったが、第3回の今回がデュメイは指揮のみという半分だけ内容。トータルで見ると3回中でデュメイは1.5回ということで、内容がかなりまずい状況ではある。デュメイも御年74歳。指揮者としてはまだまだこれからかもしれないが、奏者としては大分しんどくなってくる頃かも。それもあるのか、本日公開された来年度のプログラムでは、デュメイの登場は年に2回で、いずみホールシリーズもデュメイ指揮のセレナーデばかりになっている。

 開演までの時間は喫茶でアイスコーヒーに高級サンドイッチのセットでつぶす。さすがにおにぎり1つではしんどい。これでまた無駄な出費ではある。

アイスコーヒーと高級サンドイッチ

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 住友生命いずみホールシリーズVol.57

ホールに合わせて小編成

オーギュスタン・デュメイ(指揮)
辻 彩奈(vn独奏)
関西フィルハーモニー管弦楽団

モーツァルト:アダージョ ホ長調 K.261
       ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219 「トルコ風」
       交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」


 関西フィルは8-6-5-4-3型の2管編成の正団員で固めたいわゆる関西フィルコア編成。それだけにアンサンブル力は高く、非常にまとまりの良い演奏を展開する。そしてやはりソリストの辻彩奈である。その演奏は非常に力強く、それでいて透明感が高い綺麗な音色を出す。またカラーも基本的に陽性であり、実にモーツァルト向きという印象を受ける。

 彼女自身も今回の公演はほとんどぶっつけ本番に近い状態だと思われるのだが、オケとの絡みも問題なく、しかもソリストの味も十分に出ている。オケとの絡みが破綻しない範囲で、個性を発現させた演奏である。その音色の美しさが十二分に発揮されたのが最初のアダージョである。

 そして2曲目のヴァイオリン協奏曲になると、目まぐるしい旋律の波の中で、しっかりと歌うところは歌わせてくる彼女の演奏が光る。デュメイもしっかりオケに目を光らせたうえでソリストの演奏に合わせてきているのが感じられる。ソリストのダイナミックレンジも広く、非常に聴きごたえのある演奏である。

 流石、日本のヴァイオリニストの第一人者の一人、辻彩奈と言うべきか。準備不足など一切感じさせない見事な演奏であった。確かにデュメイの濃厚な演奏を聴きたい気もあったが、これはこれで一服の清涼剤のような爽やかな演奏でなかなかに良かったのである。

 後半はデュメイ指揮によるジュピター。やはり前半はソリストと合わせる必要性もあることから、ややデュメイ節は控えめであったその鬱憤を晴らすかのように、冒頭からかなり濃厚なデュメイ節が炸裂する。

 独特のテンポの揺らし、時折入るかなり極端な音量変化などはいわゆる典型的なデュメイ節。かなりクセのある演奏であるが、それでいて説得力があって音楽の表情が多彩になる。そしてデュメイの指示に的確に追従して全く乱れないのが流石に関西フィルである。長年のデュメイとの信頼関係と言うべきであろうか。

 第一楽章は特に濃厚な表情付でかなり独特という印象を受けるもの。そしてややアップテンポ気味の第二、第三楽章へとつながる。その後の怒涛のフィナーレは、時折効果的に全休止が入ったりなど、非常にメリハリが強い引き締まった演奏である。久しぶりにかなり濃厚なデュメイ節を堪能したという印象である。

帰りに見かけた大阪城の夕日

 

 

夕食は新今宮で

 コンサートを終えると新今宮に戻ってくる。ホテルに戻る前に夕食に「らいらいけん」に立ち寄る。「日替わり定食(800円)」を注文。今日の料理は豚肉のうま煮とのこと。

らいらいけんを訪問

 正直なところ私が予想していた料理とは内容が違ったのだが、これはこれで美味い。また自然に野菜も摂れるようになっているのが、何かと野菜が不足しがちになる私にはちょうど良い。こうして超ハイCP夕食を終えるとホテルに戻ってくる。

800円の日替わり定食

 ホテルに戻るとしばしマッタリしてから大浴場に向かうことにする。今日も体が疲れているうえに、長時間運転のツケが腰に来ていて腰の様子が怪しい。そこで浴槽内で体を十分に伸ばしておく。ようやく生き返る心地。

ややせまっ苦しいが仕事環境構築

 入浴を終えると仕事環境を構築してから今日の原稿執筆。こうして落ち着いてみると気になってきたのが「南自由軒」がどうなったのか。そこで調べてみたところ「南自由軒、移転」というキーワードが引っかかってくる。ああ、そうだったのかと思ってページを確認してみるが、よくよく見たら日付が10年前になっている。いよいよ「?」で頭が一杯になったので、Google mapで調べるとほんの一か月前の口コミが掲載されており、Googleが把握している限りでは閉店の様子がない。もうこうなると現地を再調査するしかない。部屋着に着替えていたのを外出着に着替えなおすと再び出かけることにする。

 

 

南自由軒は生きていた

 現地に到着してようやく謎が解けた。結果から言うと南自由軒は何の問題もなく営業していた。何を寝ぼけたのか、私は昼には南自由軒の巨大看板を目にしながら、なぜか隣のもつ鍋屋に入店してしまったようである。自分のやったことながら意味不明である。最近とみに私は自身の知的能力の衰えを痛感しているが、まさか徘徊老人の手前まで来てしまったのだろうか? それともあの瞬間、私は一瞬の次元のはざまに落ち込んだんだろうか? とにかくなんでそんな勘違いをしたのかは謎である。やはり現場百回、百聞は一見にしかずである。あやうく南自由軒が閉店したなんて言うデマを振りまくところであった。

南自由軒はしっかり健在

 と、ここまで来たとこで腹が少し寂しいことを感じ始めた。今日は朝抜きで昼もまともに食べていないので、早めの5時過ぎに食べた夕食だけだともう既に腹が不足気味になってきたようである。この際だから昼に食べようと思っていたものを食べていくことにする。オムライスの並(780円)を注文する。

牛肉のオムライス

 ここのオムライスは牛肉を使っていることが最大の特徴だが、話を聞いただけでは「?」なんだが、実際に食べてみるとこれが正解という説得力がある。通常のオムライスよりも一段コクが強いオムライスと言う印象で、実はオムライスとはこうあるべきなのではという考えさえ浮かぶ。とりあえず納得のいく夕食第2弾を頂くことになったのである。

 これで完全に腹を満たしたところでホテルに戻る。腹が十二分に膨れるととにかく疲労が出てくる。すぐに原稿執筆する余裕もなく、しばらくベッドで横になって休んでから、ようやく起きだして執筆の続き。こうやってこの夜は更けていく。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

 

 

関西フィルの定期演奏会でデュメイのベルクを聴く

ベルリンフィルに行く金のない私は、関西フィル定期で

 現在、ベルリンフィルが来日して公演を実施中で、この週末は関西での公演が行われるところである。そこで私はそこに出向いて・・・という財力は全くない。既に最安チケット(それでも2万である)争奪戦に早々と敗れてベルリンフィルはパスという状況。

 この週末は関西フィルの定期演奏会に出向くことになっている。今回はデュメイが来日ということなので、それなりに中身の濃いコンサートが期待出来る。そこで土曜日は午前中に家を出て、途中で美術館に立ち寄ってからゆったりと会場入り・・・というスケジュールを立てていたのだが、何と土曜日に目が覚めてみたらもう既に昼頃。これにはぶっ飛んだ。今週はとにかく心身共にやけに疲労していると言うことは感じてはいたが、どうやら極限まで来てしまっていたようである。慌てて起き出すと何も腹に入れる余裕さえなく飛び出す。当然のように事前に立てていた計画はすべてすっ飛ばして大阪のホールへ直行である。

 いつも魔物が潜んでいる阪神高速はまさかの事故渋滞発生で途中で焦ることになるが、土曜の昼間という本来そんなに通行量が多いわけでない時間帯が幸いして、致命的な遅れにはならずに現地に到着する。駐車場に車を放り込んでからホールの前を通りかかったときにはちょうど入場が始まったぐらい。とりあえず入場前に昼食を摂る時間ぐらいはありそうだ。やはり空きっ腹を抱えて走ってきたので、腹に何かは入れておきたい。

ホールは既に入場が始まっている

 

 

昼食はイレブンの看板メニューを

 頭に浮かぶのはそばか寿司か。しかしそれではあまりに芸がない。そこで久しぶりに「イレブン」に立ち寄ることにする。ランチでも良いんだが、ここは久しぶりにここの看板メニューでもある「珍豚美人(ちんとんしゃん)」を注文することにする。

久しぶりの将棋会館の「イレブン」

 トンカツならぬ豚の天ぷらで、そこに特製のタレをかけてあるメニュー。藤井聡太八冠のかつての勝負飯として知られる。将棋会館が高槻に移転して、この店もそちらに移転するという話もあったようだが、結局は店は残留した模様で、藤井八冠が勝負飯との別れを惜しんだという噂が。とりあえず私としては、店が残留してくれたおかげで未だにこれを食べることが出来るのであるが。

看板メニューの珍豚美人(ちんとんしゃん)

 トンカツでなくて天ぷらなのであっさりと軽めというのがポイント。それが軽くなりすぎないようにバランスを取るのが特製のタレ。これの相性が抜群である。なかなかに満足のいくランチであった。

 

 

 昼食を終えるとホールへ。ちょうどゾロゾロと入場口に向かって行っている状態だったのでそれについていく。

ホールにゾロゾロ

 ホールの入りは7割ぐらいか。どちらかと言えば会員席に空きが目立つ印象。カティン効果で大入りだった前回とは比べるべくもないが、本来の関西フィル定期公演の入りに比べても若干少なめ。やはり曲目がやや渋めであったのが影響したか。それにしても関西フィル会員は意外とデュメイには執着していないんだろうか?

一曲目のバッハのためにチェンバロがスタンバっている

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 第342回定期演奏会

[指揮&オーボエ]アレクセイ・オグリンチュク
[ヴァイオリン]オーギュスタン・デュメイ
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

J.S.バッハ:オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調 BWV.1060a
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:交響曲 第3番 イ短調 op.56 「スコットランド」

 一曲目はオグリンチュクのオーボエとデュメイのヴァイオリンを中心に、関西フィル室内アンサンブル構成(6-4-3-2-1型)でバッハ。関西フィルには比較的珍しいバロックメニューとなる。

 やっぱりソリスト同士の絡みが上手いのは当然であるが、関西フィルもまずまずの渋い音色でキチンとしたバロックになっていく。今期から鈴木優人が指揮者陣に加わったこともあって、関西フィルの音色もまた変わっていきそうである。たまにはこういう音楽も気分が変わって良い(正直なところ、こういうのばかりだと私は厭きるが)。

 二曲目は一転してデュメイをソリストに据えてのベルクの怪奇な協奏曲。ヴァイオリン協奏曲であるが、そこにハープとサクソフォンが絡むという構成。こういう曲はソリストの技倆が問われるのであるが、そこのところは流石にデュメイには余裕綽々である。

 一方でこの奇っ怪な曲でもデュメイの演奏にかかると、「ある天使の想い出に」と題されているこの曲のレクイエムとしての側面が浮かび上がる。この曲は18才で亡くなった少女に捧げると共に、この同じ年に亡くなるベルク自身に対するレクイエムでもあったという。それだけに奇っ怪でグロテスクな響きの奥に切ない哀悼の想いが潜んでいるのであるが、それがデュメイによって正面に引き出されることで、分かりやすくもあれば聞きやすくもあり、この曲の真の美しさというものも見えてくるというものである。

 関西フィルは一丸となってオグリンチュクの指揮の下でデュメイの演奏を盛り立てるべく奮闘していたという印象。おかげでなかなかに感動的な演奏と相成った。

 

 

 後半はオグリンチュクの指揮でメンデルスゾーンのスコッチ。スコッチは先に尾高の大フィルのメンコンがあった直後だが、オグリンチュクのアプローチは尾高に輪をかけてロマンチックよりアプローチ。尾高はロマンチック要素は加えながらも、古典的整然さを保っている演奏であったが、オグリンチュクは捲るわ溜めるわで「ロマンチックが止まらない」である。

 独自の微妙な溜などが随所に出るので、アンサンブルが微妙に狂いかける局面などもあったのだが、そういうのはお構いなしに表現優先という印象。第一楽章などは怒濤の捲りなどもあって、超ロマンチック演奏が展開される。こういう演奏をされるとこの曲の第一楽章は大悲劇に聞こえてくるから驚きでもある。

 そして軽いスケルッツオの第二楽章はややアップテンポで、そして第三楽章はかなりメランコリックである。そして怒濤の最終楽章へ。

 結構アクの強い演奏ではあったのが、不思議と悪趣味とか下品という印象にはつながらなかった。ここまでロマンチックなメンデルスゾーンも、特にこの曲の場合はありと言えばありだろう。なかなかに興味深い演奏ではあった。

 

 

ソヒエフ指揮のウィーンフィルは大熱演で会場内が大盛り上がりであった

展覧会をハシゴしてからウィーンフィルの大阪公演へ

 この週末はウィーンフィルのコンサートのために大阪に出ることにする。ただどっちみち大阪まで出るなら、ついでに他の目的も果たしておきたい。というわけで午前中に家を出る。阪神高速は途中で怪しい箇所はいくらかあったが、とりあえず渋滞とまでは行かない状態で順調に大阪に到着する。

 ホールの近くに確保していた駐車場に車を入れると、とりあえずは昼食と思ったのだが、考えていた店がまだ開店してなかったので、先に目的の方を果たすとする。向かうのは中之島美術館。

まずは中之島美術館へ

 中之島美術館では現在、長沢芦雪展の後期とテート美術館展が開催されたばかり。昨今の物価高騰が反映して共に入場料がやたらに高いのに閉口だが、芦雪展は2回目の場合は以前の半券があれば200円引きに、テート展は芦雪展と同時購入したら200円引きになるので、とりあえずトータルで400円を引いてもらう。

現在の出し物はこれ

 

 

「生誕270年 長沢芦雪 -奇想の旅、天才絵師の全貌-(後期)」中之島美術館で12/3まで

芦雪展は後期展示に突入

 ほぼ全ての作品を入れ替えての後期展示となる。江戸時代を代表する奇想の画家・長沢芦雪の作品を大量展示した大回顧展。

 初っ端から圧倒してくれるのは精緻な孔雀図。円山応挙による孔雀図と並べて展示してあり、初期の芦雪が応挙の全てを習得するべく努力していたことが覗える作品である。同様に応挙の有名な「幽霊図」と同じく芦雪による「幽霊図」も並べて展示してあるが、芦雪は応挙の手法を習得しつつ、自身のオリジナリティも微妙に加えてある。

 さらに後期の方が犬の作品や猿の作品などが多く、モフモフ度がアップしている。「群猿図襖」などがまさに代表作。猿がまた一種の群像図をなしていて興味深い。なお芦雪のモフモフの描き方は、墨の滲みなどを生かして一気に描き上げているタイプの表現を取っている。やはり墨の扱い方の巧みさが覗える。

参考資料「群猿図」 出展:大乗寺円山派デジタルミュージアム

 

 

 メインの大作は、前期の無量寺の「龍虎図」に対して、後期は西光寺の「龍図襖」。無量寺のものがかかなりアップの迫力ある龍を描いていたのに対し、本作はやや引いた構図で龍の全身を描いているのが興味深い。もっとも長々とうねった龍の全身像は、その長さが目立つことで龍という印象が若干弱まり、私の目には龍と言うよりもアスファルトの上でうねりながら干からびたミミズに見えてしまうきらいがあるのであるが・・・。

nakka-art.jp

絵についてはリンク先の公式HPを参照されたし

 同時代の奇想の画家との比較である第4部では、奇想度合いでは芦雪をも凌ぐ伊藤若冲の強烈な大作「象と鯨図屏風」が登場するのが印象的。巨大な画面に海のクジラと陸の象という大物を対比的に描いているのが特徴の作品だが、クジラには背びれがあるし、象も実物の象に比べるとあまりに奇っ怪でどことなくモンスター的。この若冲の不思議ワールドにはかなり圧倒されるものがある。

 様々な作品を目にして一番最後は、画面からはみ出す巨大な図体を巨大なままに描いた「牛図」の、そこだけ藍を用いたことで一際印象的な蒼い瞳に見送られて本展を終了するのである。

実物はこの牛の青い目がもっと印象的

 前期も非常に見応えがあったが、後期も若干異なる趣の芦雪を大量に堪能出来て満足である。入場料金がやや高すぎるのが難点だが、それだけの内容はある展覧会である。

 

 「芦雪展」の見学を終えると今度は会場を5階に移動して、「テート美術館展」の方を見学することにする。

 

 

「テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ」中之島美術館で'24.1/14まで

テート美術館展は5階展示室

 イギリスのテート美術館の所蔵作品より、「光」をテーマにした作品を展示。18世紀~現代に及ぶ様々な作品を選んである。なお古典的絵画が展示してある横に現代アートが展示してあるなど、かなり特徴的な展示形態になっているが、現代アート作品の多数は著作権絡みと推測されるが撮影不可となっている。

 まず最初に登場するのは1826年のジョージ・リッチモンドによる「光の創造」というもろにズバリ光の誕生を描いている作品から。

ジョージ・リッチモンド「光の創造」

 そしてやはりイギリス絵画となるとはずすわけにはいかないターナーが登場する。ターナーはかなり科学的に光や反射について研究しており(その研究過程を示している作品も展示されている)、その結果を絵画に反映しているらしいが、その結果がなぜこんな曖昧模糊として何を描いているのかが分からない絵画になるのかは、私にはまだ理解出来ない。

ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」

ターナー「湖に沈む夕日」

 ヴェスヴィオ山をモチーフに大スペクタクルを描いたダービーとマーティンの絵画も登場するが、このような劇的絵画はロマン主義の台頭と関連しているとか。マーティンなどは純粋に恐怖と畏怖の感情を引き起こすことを目的としているとか。昔のハリウッドの大スペクタクル映画を連想させる光景である。

ダービー「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」

マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」

 

 

 次はいかにもイギリス的な風景画、コンスタンブルとリネルが登場。共に自然の光をリアルに描こうとしている。コンスタブルはいかにもの田園風景を描き、リネルはそこから少し外してくるのが特徴とか。

コンスタンブル「ハリッジ灯台」

コンスタンブル「土手に腰掛ける少年」

リネル「風景(風車)」

 19世紀になるとラファエロ前派が登場。バーン=ジョーンズやジョン・エヴァレット・ミレイなどの代表的画家の作品が展示されている。バーン=ジョーンズはどことなく中世的で、ミレイは流石に美麗な絵である。

バーン=ジョーンズ「愛と巡礼者」

ミレイ「露に濡れたハリエニシダ」

 

 

 19世紀後半になるとまさに「光」を真っ正面からテーマとして捉えた印象派が登場する。シスレーの作品などはいかにも印象派らしく光を感じさせる作品。

シスレー「ビィの古い船着き場へ至る小道」

シスレー「春の小さな草地」

 さらにモネが2点登場、その他の作品も展示されている。ただ「光」という観点では、ややくすんだ感もあり、先ほどのシスレーほどにはいかにも印象派の強烈な光を感じさせる作品ではない。

モネ「ポール=ヴィレのセーヌ川」

モネ「エプト川のポプラ並木」

ホイッスラー「ベールオレンジと緑の黄昏-パルパライン」

ピサロ「水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、霞がかった曇天」

 

 

 そして次は独得の静謐な空気の中にどことなく不気味さも湛えたハマスホイの印象深い作品。ただの静かな室内風景なのに、なぜか悪夢のように脳裏に焼き付くのが謎。

ハマスホイ「室内」

ハマスホイ「室内、床に映る陽光」

 これ以降は現代作品へとなっていく。絵画ではなくオブジェクトが増えてくることになる。その辺りがいかにも現代アートだが、とりあえずは光をモチーフにしている作品を。

バチェラー「ブリック・レーンのスペクトル2」

バチェラー「私が愛するキングス・クロス駅 私を愛するキングス・クロス駅8」

 

 

 その中で絵画作品は、今や現代アートの古典となっているカンディンスキーに典型的な幾何学アートのライリー。何を描いているのかが最早よく分からないリヒターはどことなくターナーに通じるものを感じる。

カンディンスキー「スウィング」

ライリー「ナタラージャ」

リヒター「アブストラクト・ペインティング」

 

 

 現代アートはとにかく巨大で動きがあるものが多いが、電灯の明かりを使用したりするのが特徴。中にはそのまんま蛍光灯を並べた作品なんかもあったが、今ならLEDに置き換えられてしまうところ。そんな中で最後に登場した大作「星くずの素粒子」はなかなかに印象的である。

エリアソン「黄色VS紫」は光が回る

セッジリー「カラーサイクルIII」は色調が変化する

エリアソン「星くずの素粒子」

星くずの素粒子

 分かりやすい作品に意味不明な作品が入り交じった興味深い展覧会であった。なお私の入場時には券売所はガラガラだったんだが、昼を過ぎた現在は券売所に行列が出来ていた。

私の退館時には券売所に行列

 

 

 展覧会の見学を終えるとコンサートの前に昼食。到着時にはまだ開店していなかった「ちいやん食堂」を訪ねる。

ちいやく食堂

 注文したのは1日食べられるという日替わり定食の1日定食。本日のメインは鳥からの甘酢あんとのこと。野菜の多い和食で、私のような年配には優しい内容(多分女性も喜ぶ)。味付けも嫌みがなく、具だくさんの味噌汁が美味い。量的にも今の私には多すぎず少なすぎずでちょうど良い(若い頃なら不足だったろうな)。

野菜の多い和食の1日定食

 

 

 昼食を終えるとホールへ。赤絨毯にはもうクリスマスツリーが。しかしどうもまだそんなシーズンという実感はない。それにどうせ私の中ではクリスマスはとうにオワコンだし。

クリスマスはオワコン

 到着時には開場5分前とのことだが、既に入口前には行列である。流石に客も多いし、皆妙な気合いが入っている。

なぜか気合いの入っている観客

 私の席は3階席の一番奥。毎度毎度料金的にこの席しか手が出ず、ウィーンフィルの時の指定席のようになっている。ただこの奥の席でも見切れにならないのがフェスティバルホールの良いところである。その代わりに3階席は段差がキツくて怖いが。

見切れていないのは良いが、流石にステージが遠い

 ホール内は見渡したところほぼ満席に近い。指揮者がフランツ・ウェルザー=メストからトゥガン・ソヒエフに変更になったことでキャンセルなども出たようであるが、その分もどうやらその後に売れたようである。ちなみに私は指揮者がトゥガン・ソヒエフに変更になったことで、むしろより面白い演奏が聴けるのではという期待もある。

 

 

大和ハウス Special トゥガン・ソヒエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮/トゥガン・ソヒエフ
ピアノ/ラン・ラン

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22【ピアノ:ラン・ラン】
ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 作品88(B 163)

 一曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲。知名度は高いとは言い難い曲であるが、いかにもフランスの作曲家らしい華やかさのある曲である。

 それをラン・ランはいきなり軽やかに煌びやかに弾き始める。なかなかにテクニックが正面に出た華麗な演奏であるが、決してテクニックだけを誇る演奏ではない。

 ある意味で一番ラン・ランらしさが出ているのは第二楽章だろうか。スロー気味な旋律に合わせて非常に甘い音楽を展開する。明らかに女性を一撃でウットリさせるようなイケメンピアノである。聞きながら思わず「スゲぇな。失神する女性が出かねんわ」と感心することしきり。

 最終楽章は華やかな音楽の盛り上がりに合わせての堂々たる演奏。これがまた格好いい。先ほどの楽章が女殺しなら、この楽章は男までグラッと来かねない格好良さ。

 さてここまでフランス流というか、ラン・ラン流の音楽を繰り広げられると、音色の美しさは一級品だがいささか地味な感のあるウィーンフィルがどう対応するだろうかと注意していたんだが、どうしてどうしてソヒエフがウィーンフィルから見事にフランス的な華やかな音色を引き出してラン・ランを全面サポート。これには感心することしきり。

 ラン・ランのアンコールはリストの愛の夢第3番と、もう最初から女殺しである。オケの枷が外れたのでもう徹底的に甘美に歌いまくる。思わず「こりゃスゴいわ」と声の出てしまうところ。終始、ラン・ランのジゴロぶりが炸裂したのである。

 

 

 さて後半は図らずしも先日のチェコフィルと同じドボ8である。ビシュコフ指揮のチェコフィルは超ボヘミア風味のまさに田園交響曲だったのであるが、ソヒエフ指揮のウィーンフィルはいかなる演奏を繰り広げるか。

 ソヒエフは最初からかなり派手目の演奏を開始する。開始早々ボヘミアの森が眼前に広がったビシュコフとは根本的に異なる。まるで冒険活劇か何かのように華やかで目まぐるしい音楽である。ソヒエフについては以前から「まるで映画音楽か何かのようにドラマチックに演奏をする」という印象があったが、まさにそれがそのまま出ている。さながら田園地帯を舞台にしたアドベンチャー映画という趣。さすがにウィーンフィルのアンサンブルはソヒエフがどれだけ煽ろうが捲ろうが、ビクともしないのでソヒエフもノリノリで自らの表現意図のままに任せている印象。

 第二楽章は極めて濃厚なロマンス。やっぱりソヒエフの表現はかなりロマンティックである。下手すりゃド下品になりかねないところなんだが、そこは流石にウィーンフィル。ウィーンフィルが奏でると六甲おろしでさえ高尚な芸術になるというオケだけに、ソヒエフが遺憾なく自身の表現を取っても決して粗にも卑にもならず、非常に濃厚な美しさが漂うことになる。

 そしてさらに甘美な第三楽章を経て、乱痴気騒ぎの最終楽章へ。これがまたソヒエフがノリノリ。クライマックスでの猛烈な煽りは、ウィーンフィルでなかったら空中分解しかねないという凄まじいものであった。

 チェコフィルのものとは全く方向性が異なるタイプの熱い演奏が飛び出した。ウィーンフィルを駆使してこういうサウンドを弾き出すとはさすがにソヒエフ、只者ではない。場内大盛り上がりでアンコールは「雷鳴と稲妻」に「トリッチ・トラッチ・ポルカ」とどちらもややアップテンポ気味の曲を選んだのがソヒエフらしいところ。ソヒエフがノリノリで、通常のいささかおすましした印象のウィーンフィルでなく、今回はかなりノリの良いウィーンフィルを堪能。

 アンコールを2曲を経ても場内爆発的盛り上がり、結局はそのまま鳴り止まぬ拍手にソヒエフの一般参賀。大阪でも久しぶりに盛上がったコンサートとなったのである。

 

 

九州まで行けなかった昨日のポリャンスキー九響の公演をライブアーカイブで堪能する

カーテンコールでポリャンスキー指揮の九州交響楽団

 先日、大フィルのメンチクに大阪まで出向いたところであるが、ちょうど同じ時間帯に福岡ではポリャンスキー指揮の九州交響楽団のコンサートが開催されていた。ポリャンスキー一推しの私としては、本来なら福岡まで出向きたいところだったのだが、残念ながら大フィルとスケジュールが衝突してしまったのと、そもそも現在は福岡まで出向くだけの財力が無い。と言うわけで、カーテンコールで行われるライブ配信のチケットだけを確保していたという次第。

 そのアーカイブ配信が本日の夜から行われた(11/23までである)。そこで本日、早速それを視聴することにした次第。

curtaincall.media

 

 

九州交響楽団第417回定期演奏会(アクロス福岡大ホール)

指揮:ヴァレリー・ポリャンスキー
ピアノ:牛田智大

ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調

 ラフマニノフプログラムの一曲目はソリストに牛田を迎えての狂詩曲。デビュー当時はまだ子供だった牛田も既に体格も立派な青年になっている。それに連れて明らかに演奏の性格も変化している。かつては上手くはあるが優等生的で今ひとつ特徴の無い演奏という印象であったが、近年の牛田はその演奏も円熟味を増してきて、表現もかなり濃厚になってきている。

 今回の演奏もその延長線上にある。いきなり今までこの曲で聞いたことのないような緊迫感のあるおどろおどろしい演奏で始まったから度肝を抜かれる。私のこの曲に対する印象はもっと軽妙なものだったので、このような演奏を耳にするのは初めてである。牛田は時には激しく、時には素っ気ないぐらいに淡々と目まぐるしい表情をつけながら演奏をする。

 しかもただ単にガンガンと弾くだけではない。状況に応じてしっかりと美しく歌う。そこには独自のアクセントなどもあり、かなり個性の出た演奏である。

 ソリストがこういう自在な演奏を始めると、往々にしてバックのオケは戸惑って四苦八苦するものである。しかしそこは大物ポリャンスキー、全く動じる様子は微塵もなく、牛田からの呼びかけに応じて巧みな指揮でオケをコントロール。オケもポリャンスキーの指揮の下で全く迷いのない演奏を繰り広げる。おかげで今まで聞いたことのないような緊迫感がありつつ美しい狂詩曲と相成ったのである。

 

 

 後半は交響曲第2番。近年になって演奏機会も増えてきたというものの、まだまだ知名度が高いとまでは言い難い曲である。私はこの曲については今まで何度かライブでも聴いているが、正直なところあまり良い印象は持っていない。と言うのも、とにかくガチャガチャとして五月蠅い、音楽自体がいささか粗野で下品である、構成が冗長に感じられるなどである。

 しかしポリャンスキーの手にかかると、いきなり「あれ?ラフマニノフの2番ってこんな曲だったっけ?」と驚く羽目になる。あのやかましくてダラダラしたように感じられる音楽が引き締まって、しかも弦楽陣を中心に非常に美しい。第一楽章などその美しさに戸惑っているうちに音楽に引き込まれてしまった。また九州交響楽団の演奏も見事。私の今までの体験では、このオケは元気ではあるがやや雑な鳴り方をするところがあったのだが、ポリャンスキーの手にかかるとそこにピンと1本の筋が通る。

 野蛮な大行進になりがちの第二楽章についても、豪快ではあるが決して粗野にならない。かなり繊細にコントロールしている様子が覗え、この辺りがポリャンスキーが単なる爆演指揮者ではないという証明でもある。そして第三楽章では弛緩することなく天国の如き美しさを繰り広げる。

 そしてこれも単なるドンチャン騒ぎになりがちな最終楽章であるが、ここでも要所要所をしっかりと引き締めてくる演奏。また音楽の所在を失って冗長に感じられがちのこの楽章を、見事にオケをコントロールすることで美しさに満ちて退屈をする暇のない高密度な音楽へと展開する。結局は最後までポリャンスキーマジックに翻弄されたまま終曲と相成ったのである。


 ポリャンスキーが単なる爆演指揮者でないことは既に公知であると思うが、やはり只者ではないということを再確認させられたのである。なんせポリャンスキーの手にかかるだけで、九州交響楽団の鳴り方一つとっても明らかにワングレードアップする。ほぼ満員のようであったアクロス福岡は大盛り上がりのようだったが、私も「ああ、やっぱり生で聞きたかったよな・・・」とどうしても思ってしまったのである。

 

 

大フィルのメンデルスゾーンチクルス第3弾は「スコッチ」

大フィルのメンチク第3弾

 今日は大阪まで大フィルのメンチクに繰り出すことにした。第3回目となる今回は、私の好きなスコッチがプログラムに入っている。ちなみに今日は九州交響楽団のポリャンスキーの公演もある。正直なところ、私としてはそっちの方に行きたかったのだが、先にこの日が大フィルのメンチクで埋まっていた上に、そもそも現在の私には北九州まで遠征に出る財力が全くない(時間的に宿泊も必須だし)ということで残念ながらそっちはパスである(これに行けるぐらいの経済的余裕があるなら、多分先日のコンセルトヘボウのチケットを確保している)。ただカーテンコールのライブ配信のチケットは取ってあるので、後でアンコール配信を視聴したいと思っている。

 仕事を早めに終えると大阪まで車で移動。例によって阪神高速は渋滞だが、まだ今回はマシな方か。大阪には予定よりも若干早めに到着。車を置いてホールにたどり着いた時にはまだ開場前であった。余裕を持って夕食を摂る店を探すことに。

ホールはまだ開場前

 

 

 と言ってもホール周辺は選択肢は少ない。頭には「イレブン」もあったのだが、生憎と本日は休業。となると必然的に行く店が決まってしまう。結局は「福島やまがそば」で毎度のように「そばセット(900円)」を注文することに。

いずこも人手不足のようである

 店内は満席で私は相席である。しばらく経って18時を過ぎた頃に続々と客が店から出て行って半分ぐらいになる。どうやらほとんどの客が私と同じ目的ではないかと推測される。私もそばセットを腹に入れると18時過ぎに店を出る。

そばセットを腹に入れる

 開場時刻をしばらく過ぎたこともあるのか、ゲートは混雑が全くない状態だった。会場内もロビーを見ている限りではそう人影が多いとも思えない。とりあえず開演まで喫茶で時間をつぶすことにする。

入場ゲートは人影があまりない

 

 

 喫茶でアイスコーヒーと高級チキンサンドを注文してマッタリする。私も若い頃はCP重視主義でホールや美術館の喫茶は徹底して避けていたんだが・・・年を取って体力低下だけでなく、精神的にも堕落してしまったものである。

喫茶で時間をつぶす

 開演時刻が近づいたところで座席へ。今回は大フィルであるので先日のチェコフィルのような見切れ席ではなく、一階のまずまずの席を確保している。会場の入りは6割程度でやや寂しい。関西のクラシックファンは今日は大挙して九州に行ってるんだろう(笑)。

今日は結構入りが寂しい

 

 

メンデルスゾーン・チクルスⅢ~メンデルスゾーンへの旅~

[指揮]尾高忠明
[ピアノ]河村尚子
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団

メンデルスゾーン:
序曲「フィンガルの洞窟」op.26
ピアノ協奏曲 第2番 ニ短調 op.40
交響曲 第3番 イ短調 op.56「スコットランド」

 一曲目のフィンガルの洞窟は最初の海のさざめく雰囲気からまずまずである。この曲は往々にしてこの表現で弦楽がバラバラになってしまうオケが少なくないのだが、大フィル弦楽陣は一丸にまとまってなかなかに端正な演奏をしている。

 メンチクでは尾高は一貫してかなりロマンティックな表現を取っているのであるが、本曲に関してはやや古典寄りの端正な演奏に振っていたような印象を受けた。尾高のことだからもっとうねらせてくるかと思っていたのだが、その辺りは予想外。まあ結果としては無難な演奏になったという気もする。

 2曲目はメンデルスゾーンのマイナー曲。彼はヴァイオリン協奏曲は超有名であるが、ピアノ協奏曲は知名度はほぼない。まあその理由は先に第1番を聴いた時に何となく理解出来たのであるが、実は同じことはこの第2番にも言える。曲の調子は第1番に近い。

 冒頭はいきなりロマンティックでメランコリックに始まるのであるが、やがて曲が進むにつれてピアノのタッチがやたらに増えていって、曲の雰囲気も変わってくる。とにかくやたらにピアノセッションの音が多いのが第1番と共通する特徴。それ故に煌びやかな感じはあるのだが、メロディが表に浮かんでこないので、ヴァイオリン協奏曲のように観客に訴えるキャッチーなフレーズがない。結果として曲全体の印象が薄いことになる。この辺りはむしろ旋律ラインがハッキリした曲の多いメンデルスゾーンにしたらむしろ異色である。その辺りが今ひとつの馴染みにくさにつながっている。

 さて河村の演奏であるのだが、そこのところは技術的には流石で、このやたらに音の多い協奏曲を全く何の問題もなく弾きこなしており、さらには情緒的なものも込めてくる。とは言うものの、元々の曲自体が結構クールなのであまり情感タップリに歌える部分が少ないというのが何となく不完全燃焼な感じになってしまう。

 河村のアンコールはシューマンの「子供の情景」だったんだが、やっぱりこういう曲の方が普通にロマンティックに歌えて彼女らしい。

 

 

 後半はオケを14型に戻してスコッチこと交響曲第3番である。予想通りというか期待通りというか、冒頭からかなりロマンチックな演奏である。とは言うものの、過度に情緒に溺れるわけでもないややクール目の演奏であると言える。

 今日の大フィルはとにかく弦楽陣のまとまりの良さが際立つ。このスコッチに関しても一丸となった弦楽陣がグイグイと来るという印象で、それがこの曲特有のほの暗い情緒を盛り上げてくる。

 第2楽章は暗さが影を潜めて美しい音楽となる。なかなかによく歌わせると思うが、ここでもやはり溺れはしないややクールなスタンス。この曲はとかく過度にロマンティックになる演奏もあるのであるが、どうも尾高はそうなることは避けているようであり、ロマンティックではありながらも、基本的に古典派の要素を残しているメンデルスゾーンというスタンスは守っているようである。

 第3楽章は怒濤の快進撃であるが、重くならないようにかと言って軽快にグイグイという雰囲気ではない中庸というところか。そして堂々たるフィナーレにつながる。

 間違いなく平均点以上の演奏ではあり、非常にまとまりが良くて特にこれという難点をつけようという演奏ではないが、正直なところその割にはこちらにグイグイと迫ってくる「つかまれる」という感覚がなかったのも本音。私の好きな曲だけに、もう少し感情的盛り上げが欲しかった感はある。その辺りが若干物足りなさもあったというのが本音ではある。


 帰りにチケットカウンターの方に立ち寄ってチラシを見たが、来年にワルシャワ国立フィルが来日するというので価格を見てみたら、A席18000円に絶句。元々ワルシャワ国立フィルは12000円ぐらいでCPが良いオケだったのであるが、ワルシャワでこのレベルとなるともう手が出せない。アベノミクスの副作用(というよりも、本来の作用であるのだが)による狂乱円安のせいである。あんな無能を国のトップに据えてしまったばかりに・・・。安倍は爺さんもなしえなかった憲法改悪を実施することで歴史に名前を残したいと考えていたそうだが、このまま行けば確実に亡国の宰相として歴史に名前を残しそうである。

 

 

チェコフィルの圧倒的な極上サウンドに魅了されっぱなしになってしまう

チェコフィル来日公演へ

 今日から三連休だが、今日は日帰りで大阪まで出向くことにした。この秋はコロナ開けでベルリンフィルを初めとしてオケの来日ラッシュだが、アベノミクスの当然予測されたはずの結果(にも関わらず、自称経済専門家連中は悉く口をつぐんでご追従ばかりしていたが)による狂乱円安のせいでチケット価格が高騰、年々懐事情が厳しさを増す私としては「とても手が出ない」という状況になっていた。しかしそんな中でもやはり「これだけはどうしても行きたい」というものはあるもの。今日はその一つ、チェコフィルのコンサートである。

 昔から「チェコにハズレなし」という言葉がこの世界にはあるぐらい、チェコのオケはレベルの高いところが多い。その中でも堂々のトップがチェコフィル。レベルとしてはウィーンやベルリンなどの独墺の有名オケにもひけをとらない。そのチェコフィルがビシュコフを迎えてどのような音色を出すのかは実に興味のあるところである。

 仕事の疲れで休日はいつもよりもゆっくり寝ていたが、途中で目を覚ますと慌てて朝食を掻き込んでからホールに向かうことにする。今日はどこにも立ち寄る予定がなく、ホール直行であるので時間的には余裕を持った出発だが、それでも阪神高速の想定外の渋滞を警戒してかなり安全マージンは取ってある。

 結果としてそれは正解だった。常に魔物が潜んでいる阪神高速では今日も想定外の場所での想定外の渋滞に出くわし、かなりの時間の浪費を余儀なくされることとなった。しかしリスクマージンを十二分に取っていたおかげで大阪には開場のはるか前に到着、akippaで予約しておいた駐車場に車を入れるとまずは昼食である。

 

 

昼食は寿司セット

 今日は気分的に寿司を食いたい気分。と言うわけでいつもの「魚心」を訪れてランチメニューの「ぶっちぎりセット(1000円)」を注文する。いつも週末は昼時も結構ガラガラで心配していたのだが、今日は平日なのかかなりの混雑。席は満席に近く、次々に客が訪れる状態である。

今日の「魚心」は客が入れ替わり立ち代わり

 寿司はいつものごとく満足できるもの。ネタの大きさ鮮度共に文句はない。寿司を堪能したのである。

寿司に満足

 

 

 昼食を終えると表をブラプラ。今日は11月にしてはやけに暑い。まだ開場まで30分以上あるから喫茶ででも時間をつぶしたい気はあるが、正直なところ金が惜しい。どうしたものかと悩みながらプラプラと歩いていたらマックスバリュが目に入る。時間つぶしと思って入店するとイートインコーナーがあるので、3割引デザートを買い込んでしばしここで時間をつぶすことにする。CPは良いがどうにも貧乏くさいことは否定できない。もっとも実際に自民党の庶民貧困化政策のために貧乏なんだから仕方ないが。

庶民の味方の3割引スイーツ

 開場時刻になるとホールに移動してすぐに入場。結構押しかけている印象だが、場内に入るとそれほど観客が多いわけでもないというようにも感じられる。

ホールへは続々入場中

 それにも関わらず喫茶は大混雑なのは、やはり通常の関西フィルの定期演奏会などよりも観客が微妙に富裕層なんだろう。クラシック音楽はそもそもは貴族のものだったのが、後に台頭してきたブルジョワジーのものとなった。そういう経緯もあるので何かと階級を感じさせる場面が多い(オペラなどはもっと露骨である)。まあそれも当然のことで、そもそも食うに困っていたら音楽なんて習う余裕がなくなる。そういうような社会に反抗した音楽がいわゆるロックなどだが、最近は露骨に権力に媚びるロッカーなんてダサい存在まで登場しており、世の中が変わってきたようである。

 

 

 とりあえず腹がまだ少し軽いのでアイスコーヒーにサンドイッチを組み合わせて注文。先ほど喫茶をケチった金をこっちに回している。しばし原稿執筆などをしながらマッタリと時間をつぶす。

アイスコーヒーとサンドを頂きながら原稿執筆

 開演時間が迫ってきたところでホールへ。今回は料金が高かったことから3階のバルコニー席の後列という見切れ席。今の私にはこれが精一杯。場内は8割ぐらいの入り。一番安いB席が完売していて、一番高いS席もそこそこ売れているが、二階バルコニー後列と二階席後列が空席が多いということは、価格が中途半端なA席が売れ残ったというところか。

3階バルコニーの見切れ席

 

 

チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 大阪公演

[指揮]セミヨン・ビシュコフ
[チェロ]パブロ・フェランデス
[管弦楽]チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

ドヴォルザーク:「オテロ」序曲 op.93
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 op.88

 一曲目の「オテロ」から一発で魅了される。アンサンブルの精度が桁違いである。驚いたのはチェロやヴィオラが巨大な一台の楽器としての音像が浮かび上がること。国内のオケだとどうしてももう少し各奏者がばらけるものであるが、一つの楽器が完全にひとかたまりとして聞こえてくる。楽器をやったことのない私が言っても説得力はないが、ここまで音を揃えるには単にピッチやタイミングを揃えるだけでなく、楽器の特性や各奏者の演奏のくせのようなものもある程度揃えないと不可能ではないかと思われる。もうこの時点でさすがにチェコフィルは超一流のオケであると感心する。

 元々チェコフィルは技倆の高いオケであったが、ただ近年はそれ故に洗練されすぎて特徴が薄くなっていた感があった。しかしビシュコフが首席指揮者になったことで、そこに濃厚なチェコ色が加わったことが感じられる。ビシュコフはチェコフィルの濃密で美しいアンサンブルをフルに発揮しながら、そこに独得のアクセントやらをつけることで演奏にニュアンスを持たせている。またここ一番になるとアンサンブルが崩れる危険を冒しつつでもかなり激しく煽るシーンもある。もう初っ端から圧倒されるパフォーマンスであった。

 二曲目はフェランデスをソリストとして迎えたドボコンであるが、これがまた驚く。というのはフェランデスの演奏がテンポの揺らしや溜などをふんだんに含んだかなり濃厚なものであるからである。もう究極のオレ様演奏とも言える。その揺らしも音抜け寸前のものがあったりするから、非常に情緒は深いのであるが協奏曲としてはかなりスリリング。適宜それに合わせて修正してくるビシュコフとその指揮にピッタリとついてくるチェコフィルの技倆に感心だが、さすがのチェコフィルといえども先ほどの「オテロ」に比べるとアンサンブルの精度はどうしても一段レベルが低下している。先ほどが超一流オケの完璧なアンサンブルだとしたら、今度は普通の一流オケの上手いアンサンブルというところ。しかしそれでもフェランデスの溜が激しすぎて、バックのオケと微妙にズレたのが私にさえ分かったような場面もいくつか。

 バックのオケのことを全く配慮しない超オレ様演奏だなと感心していたのだが、実はこれでもフェランデスにしたらバックのことを考えて抑え目にしていたようである。というのは途中でオケなしのソロ演奏のみのセクションになったら、それまでの比でないレベルの揺らしや溜が炸裂したからである。これには唖然。まあそれでも最後までなんとか破綻のない叙情的な見事な演奏としてまとまったのである。スリリングかつ表情豊かでこれはこれで面白い演奏ではある。

 で、予想通りであるが、オケの枷が完全に外れたアンコールのバッハの無伴奏はもうフェランデス劇場。ふんだんに揺らせながらとんでもない美しい音色で演奏をしてくる。これはなかなかに圧巻。

 

 

 後半はドヴォルザークの8番であるが、もう冒頭の音色から心を鷲掴みにされる。濃密かつ極上の美しさを持った弦楽陣の音色にひたすら魅了されるばかり。しかもそこには溢れるほどのチェコ情緒が満ちている。正直なところ、私の眼前に見たことがないはずのボヘミアの森の風景が広がって見えた。単純な美しさを超えた情緒が含まれている。ビシュコフの適宜にアクセントを加えた結構クセのある演奏が、嫌味や下品にならずに自然に感情を湧き起こしてくるのである。

 第二楽章はまさにボヘミアの平原を抜ける風のような美しさと柔らかさ。第一楽章では結構煽ってきたビシュコフが、ここでは逆にテンポを抑え気味にゆったりと歌うのであるが、それがいくらテンポが落ちても集中力が切れることもなく、微妙に揺らしてくるビシュコフの意図に完璧に従って演奏される。チェコフィルの技倆とビシュコフの表現意図が噛み合っての天国のような世界である。

 第三楽章は冒頭からかなりネットリ風味の演奏。弦楽陣にかなりクセのある鳴らし方をさせているのであるが、それが全く悪趣味や下品にならないのが見事。美しくも楽しく、それでいて感傷的なところもあるチェコの舞踏の風景である。

 そして最終楽章。冒頭のトランペットの斉奏が見事なほどに1本にまとまっているのは流石。そしてそれに乗せてくる高密度の弦楽陣。あれよあれよのうちに怒濤のメロディの奔流に飲まれるがそれがまさに夢見心地の境地。そしてフィナーレはこれでもかとばかりに煽ってくるビシュコフにオケが完璧に応えての大盛り上がりのまま完結。私の方も久しぶりに血が騒ぐというか、感動が身体の奥底から盛り上がってくるのを感じる。

 かなりの名演に場内は当然のように爆発的な大盛り上がり。それに答えてのアンコールは予想通りにドヴォルザークのスラブ舞曲で2番。しっとりとした音楽が美しい。チェコフィルの極上のアンサンブルにかかるとやや世俗的な雰囲気のあるこの曲が、極上で至高の音楽として響いてくる。

 場内再び大盛り上がり。ここでまさかのアンコール2曲目であるが、ここでスラブ舞曲でなく、ブラームスのハンガリー舞曲の5番を持ってくるという憎さ。チェコフィルもビシュコフもノリノリの演奏で、メリハリや溜を通常以上に増量の濃密かつパフォーマンス的演奏。場内もノリノリで無意識に頭を揺すっている観客も見える(あれでノレなきゃ嘘って雰囲気)。そのまま怒濤のグランドフィナーレで、会場中が見事にビシュコフマジックに煙に巻かれたという雰囲気。終わってみればまさに圧巻であった。


 さすがにチェコフィルは桁違いであったが、そこにさらにチェコ風味を増量して濃厚な表現に結びつけたビシュコフの技倆が圧倒的。以前にチェコフィルを聴いた時の「美しい上に抜群に上手いんだが、上品すぎて心に響いてこないところがある」という物足りなさを完全に打破してきてくれた。恐るべし、セミヨン・ビシュコフ。

 

 

阪神間美術館ハシゴの後のPAC定期演奏会は、カーチュンのスゴいマーラーに鳥肌もの

まずは阪神間の美術館巡りから始めることに

 翌朝の起床は7時半。例によって朝から体が重い。とりあえず昨晩書いた原稿をチェックの上でアップすると、体を温めるために朝風呂に入浴。なかなかに快適である。

 風呂から上がると昨日ファミマで買い求めた炒飯が朝食。卵炒飯のようであるが、やはりチャーシューなどの具が欲しいなというのが正直なところ。朝食後は慌てて荷物をまとめると、ホテルをチェックアウトしたのが10時。

本日の朝食はファミマの炒飯

 さて今日の予定であるが15時から西宮でPACオケのコンサートがある。私が注目しているカーチュン・ウォンの指揮でマーラーの5番とのことなので楽しみである。それまでに周辺の美術館を回ることにしたい。

 最初に立ち寄ったのは神戸市立小磯記念美術館。「働く人々」というのがテーマの展覧会が開催されている。

久しぶりの小磯記念美術館

 

 

「働く人びと:働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」神戸市立小磯記念美術館で12/17まで

小磯の「働く人びと」

 最初は戦後すぐぐらいの時代から始まるが、テーマは働く人とのことなので労働運動盛んなりし時代を反映して、新海覚雄の「構内デモ」のようにまさに「立て万国の労働者!」という雰囲気の作品が多々ある。内田巌の「歌声よ起これ」もまさに同じタイプ。ただ画風も画家によって様々。結構古典的なアカデミックな雰囲気の画風の画家から、脇田和や猪熊弦一郎のようにかなりアバンギャルドでキュビズムの影響を受けているような画家まで様々。

 次に展示されているのが小磯良平による「働く人びと」である。神戸銀行本店の壁画として描かれたという大作だが、銀行の合併(神戸+太陽→太陽神戸+三井→太陽神戸三井(後にさくら)+住友→三井住友)を経て、現在はこの美術館に寄託されているという。人物はローマのレリーフ彫刻やルネサンス絵画を参考にしたという群像表現であるのに対し、背後の建物にはあからさまにキュビズムの影響が垣間見えるというタイムトリップ的な作品である。スケッチや習作などと共に展示されており、本展の目玉でもある。

 次の展示室は「造る人びと」ということで、工場労働者的な作品が増えるがここで展示されている小磯作品は「歩く男」。なぜか私は青木繁の「海の幸」を連想してしまった。

参考画像 青木繁の「海の幸」

 

 

 さらに時代が現代となると、やなぎみわの不可解写真などが展示されているが、ここで登場するのが澤田和子のRecurultをテーマした作品。履歴書写真風の肖像が大量に並んでいるが、よく見ると全員同一人物でどうやら澤田自身の姿らしい。就職面接のために誰もが個性を塗りつぶした同じような格好をするのを皮肉っているようである。

澤田和子の「Recurult」

よく見れば全部同一人物である

 さらにインパクトの強い大作が会田誠の「灰色の山」。何やらデカいやまがあるが、よく見るとサラリーマンの死屍累々たる姿である。まさに現代日本の日々仕事にすりつぶされた挙げ句に国に収奪されて屍と化しつつ我々の姿を現している。

会田誠の「灰色の山」

サラリーマンが死屍累々

 

 

 最後のコーナーは、小学校の図工の先生前光太郎こと乙うたろう氏の作品。アニメの少女の顔を壺に焼き付けた奇妙な作品群(見方によってグロテスクだ)が展示されている。一応「先生として働いている芸術家」という意味だとか(かなりこじつけクサい)。なお場内の説明に「美術家は多くの場合、作家活動と並行して、学校の教師などの別の側面を持っています」と記してあったが、そりゃ作家活動で食える奴はほとんどいないという意味だけではとも思うのだが・・・。

乙うたろうのシュールな作品群

正直なところ私には少々グロテスクに見える

 

 

 小磯記念美術館を後にすると、さてどうするかと一思案である。その時に展覧会のチラシが目に入る。この近くのファッション美術館が鉛筆画展を開催しているという。ゆかりの美術館の「さくらももこ展」の方は興味皆無だが、こっちの方は面白そうである。散歩がてらにプラプラと訪問することにする。

 ちょうどプラリと散歩するのに最適な道が通っている。やっぱり六甲アイランドの方が、ゴミゴミしているのにやたに空き地の多いポートアイランドより快適なような気がする。

六甲アイランドの散歩道

 途中で屋台などが出ていて、人集りがあると思ったらハロウィンパレードとか。私はハロウィンには興味ないが、日本人は何かにかこつけて祭りをしたがるようである。しかもその際に本来の趣旨はそっちのけになる。その内にラマダンなんかも取り入れるのではと思ったりする(プチ断食ブームにちょうど合う)

縁日が出て何やら祭中

 やがて巨大な建物が見えてきたら、その隣がファッション美術館。ここにはあまり来たことがない。

この奥がファッション美術館

 

 

「超・色鉛筆アート展」神戸ファッション美術館で11/5まで

色鉛筆アートだそうな

 最近SNSなどで注目を浴びるようになった、色鉛筆を用いた超精細アート作品を展示した展覧会。本展では色鉛筆作家ユニット「イロドリアル」のメンバー6人と、林亮太氏が率いる「トーキョー・イロエンピツ・スタイル」からの6人の作品を展示とか。

 

三賀亮介「こい」

弥永和千「樹々の守り」はほとんどもののけ姫

 いきなり高精細アートに圧倒されるが、なかにはその表現力を生かしたトリックアートなども含まれている。

ぼんぼんのトリックアート「帯広豚丼」

これもトリックアートのみやかわの「ジャムトースト」

 

 

 各人、やはり得意分野があるようで、は虫類を徹底的に緻密に描いた作品とか、風景を緻密に描くものなど、かなり特徴がある。

石川@色鉛筆による「カメレオン」

林亮太「2018盛夏・桜橋 富山市本町」

 最近の猫ブームを反映してか、題材として猫を描いた作品も多い。

斎藤はる「緊張」

miwa kasumi「冬のぬくもりの主(かえで)」

 

 

 同じ風景画でも浮世絵の伝統を引く大正版画的な趣のある作品なども。遠近法を駆使して奥行きをやや強調させている。

和田橋畔「新東京名所図絵 神楽坂夜景」

リヒト「東京・谷中の初音小路」

 まあ圧倒される高精細である。それにしても色鉛筆でここまでの絵が描けるとは驚きである。


 再びハロウィンパレードの中を抜けると車を回収、さて次の目的地だが、大谷美術館に立ち寄ることにする。

 

 

「画人たちの仏教絵画ー如春斎再び!ー」大谷記念美術館で11/26まで

大谷美術館

 江戸時代に描かれた絵師達による仏画について展示した展覧会。

 最初は勝部如春斎による「三十三観音図」を一気に展示、続けて原在中による同じ作品を展示してある。勝部如春斎は狩野派の絵師であるので、背景に狩野派の特徴が現れており、原在中の方は大和絵的特徴があるという辺りが見所のようだが、正直なところ仏画は構図その他のお約束が決まっているので、宗教的文物としてのありがたさはともかくとして、芸術的面白さは今ひとつない。

 後半に狩野探幽や白隠などの個性豊かな絵師による仏画、呉春など円山四条派の仏画などのバリエーションが増えていささか面白くはなるが、やはり私としては「ネタが仏画以外だったらな・・・」というのが本音。やっぱり定型的な作品にはどうも興味が湧きにくいのが本音。


 ウーン、宗教画はやはり私には相性が悪いか。ありがたい絵画がズラリと並んでいたが、私にはありがたすぎる絵画は芸術作品として面白くない。中世ヨーロッパのキリスト教関係の絵画が面白くないのと同じである。つくづく宗教ネタとは相性が悪いことを痛感する。

 

 

昼食は西宮ガーデンズで

 さてそろそろホールに向かう前に昼食を摂っておく必要がある。この近くのダイニングキノシタを考えたが、相変わらずの人気で車を止める場所がないようなので素通り、そのままホール近くの西宮ガーデンズに入ってしまうことにする。駐車場に車を置いて入店すると「chano-ma」なる洒落たカフェのような店が目に入る。メニューを見てみると確かにカフェメニューもあるが、いわゆる飯屋メニューもある。最近増えている女性向けのヘルシー和食の店でもあるようだ。正直、私も今日は和食の気分だったので入店することにする。オッサン一人で断られないかと一瞬頭に過ぎったが、別に男子禁制と言うことではないようだ。もっとも店内の客は見渡す限りすべて女性なのでアウェイ感は半端ではない。

駐車場から店内に入ったらいきなり目の前に現れた「chano-ma」

 とりあえず「季節の小鉢セット(1450円)」を注文。ナスを炊いたものに鳥を添えたものとカボチャのサラダ、さらに魚をサツマイモと甘辛く味付けたものの三品。落ち着いた非常にホッとする味で今の私の状態には最適。ご飯は健康志向で雑穀米。味噌汁は豚の入っていない豚汁という雰囲気だがこれも美味い。やはり健康志向もあってボリュームは少なめ(こういうところが女性向き)だが、日頃のストレスで胃を悪くしている今の私には最適。

ボリュームはやや抑え目のヘルシー定食である

 

 

 昼食を終えたところでホールまで車で移動。この前はこの車で移動したところでホール駐車場が満車だったんだが、今日は幸いにして空きがある。

 車を置いたもののまだ開演まで1時間半ほど、このホールはあまりギリギリに来ると駐車場が満車になるし、かといって早く来ると開演までの時間つぶしがしんどい。仕方ないので喫茶でアイスコーヒーを注文して時間つぶし。もっともストローに紙ストローを使用しているようなので、あまり浸けたまま置いていたらストローがグチャグチャになる(喫茶店の長居防止には効果があるかも)。

アイスコーヒーを頂く

 そうこうしていうる内に開場時刻になるが、慌てて入場しても仕方ないのでしばし時間をつぶしてからホールに向かうことにする。

開演30分前ぐらいに入場

今日の出し物

 

 

PACオケ第145回定期演奏会 カーチュン・ウォン×小曽根真 ショスタコーヴィチ&マーラー

小曽根人気か、1階のかなり奥の席しか取れなかった

指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:小曽根 真
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番
マーラー:交響曲 第5番

 一曲目は小編成でショスタコーヴィチのピアノ協奏曲。この曲はピアノ協奏曲と言いながらトランペットとの掛け合いがメインという変わった曲である。なお元々ジャズピアニストの小曽根としては、いつもと当意即妙の即興演奏が売りの一つでもあるのだが、プログラムによると「この曲はあまりに精密に作曲されているので、どう変化させても劣化しかせず、そのまま演奏せざるを得ない自由度の低い曲」だそうである。いつものジャズ調モーツァルトでなく、今回の小曽根はただのテクニックのあるピアニストとしての演奏となる。

 そのせいもあってか、小曽根としては「普通の演奏」である。トランペットとの掛け合いの美しさなどは流石。この辺りの呼吸はジャズとも通じるものがあるのだろうか?

 場内の拍手はかなりのものだった。小曽根はいきなりピアノの蓋を閉じて「アンコールはありません」という雰囲気のアピールをしたのだが、結局は大拍手に答えて一曲。小曽根自身の作曲による「モーツァルトの昼寝」という曲だそうな。ジャズ調でありながら旋律の美しさが際立つのとトランペットとの掛け合いが印象的な作品である。

 

 

 後半はカーチュンによる大曲。PACオケも16型の大編成で、一番背後にコントラバス8人がズラリと横列に並ぶいつものカーチュン流対抗配置。これで背後から低音がブイブイと出てくるという形になる。

 カーチュンの演奏はとにかくオケの色彩が際立つのが特徴の一つだが、今回は弦の艶と密度がすごい。PACオケの弦楽陣ってこんなにスゴかったっけと驚くレベル。第一楽章からややの抑え目のテンポで濃密な音楽描写が繰り広げられる。管の方も巨大4管編成なのだが、その強力な管楽陣と十分に対抗どころか、それを凌ぐパワーと表現力を出してくる。

 そして第一楽章が息絶えるように終了すると怒濤のような第2楽章である。カーチュンはここでもテンポはやや抑え目で激しく荒々しい音楽を差し迫る運命の荒波であるかのような表現をとる。少し気分を変えてまさに角笛で始まる第3楽章は陽性な気分とそれに時々魔が差すという雰囲気で気分の変化が激しい楽章。打楽器陣なども加わっての多彩な音色が特徴で、そういった色彩はまさにカーチュンの真骨頂。

 そしてハープが特徴的な「ベニスに死す」こと第4楽章。ハープの美しい音色と高密度の弦楽陣があいまっての夢見心地の境地である。ネットリとしっとりとした実に濃厚な味わい。そして再び角笛が聞こえると最終楽章。美しいところから段々と盛上がり、力強いフィナーレではオケのパワーが炸裂、怒濤の追い込みに久々にまさに「鳥肌が立つ」思いをしたのである。


 うわー、流石に凄い演奏が飛び出したなと思っていたら(私も久々に「おぉっー」という声が漏れてしまった)、やはり場内の反応もかなりのものであった。なかなかに熱い演奏であった。それにしてもPACオケってこんなに上手かったっけと驚いたのも確か(まあ助っ人がかなり加わってはいるんだろうが)。やはりカーチュンのオケのドライブ力の高さに感心した次第。なお以前に大フィルを振った時には、結構細かい指示を的確に飛ばしていたのが見て取れたのだが、今回のように若いPACを振った時は、細かい指示を出すよりも大きな指揮で奏者の気持ちを盛り上げることを狙っていたように感じられた。オケの特性に合わせて指揮ぶりを変化させているのだとしたら、恐ろしいまでの対応力である。既に巨匠の風格を感じさせている。

カーテンコール、カーチュン流対向配置が分かる

カーチュンもやりきった感が見える

 

 

この遠征の前日の記事

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