徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

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アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

METライブビューイングでヴェルディの「ナブッコ」鑑賞後、堺のミュシャ館を訪問

朝食は近くの人気の喫茶店へ

 翌日は7時半頃に目覚ましで目が覚める。昨晩はややうるさい部屋なんかもあったが、そこは安宿に宿泊する時に不可欠な「適度な無神経」スキル(さらに老化に伴う聴力低下もある)とこの宿の標準装備である耳栓で切り抜けて概ね爆睡している。

 爆睡が効いたのか眠気はほぼなくなり、体もやや軽い。年中体調不良の私としては比較的良い体調と言えるだろう。こういう時は朝食のために近くの喫茶に繰り出すことにする。

 立ち寄ったのは「カフェ・ド・イズミ」。実は前回立ち寄ろうとして満席で入店できなかった店である。この店は数年前にも訪問しているのだが、その後どうしたわけかGoogleマップでの評価が異常に跳ね上がって、いかにもの観光客が殺到するようになった模様。

カフェ・ド・イズミ

 私は開店の数分前を目指して出向いたが、既にいかにもの待ち客の姿も。とりあえず開店同時に入店するが数分で満席になる。

 

 

 老夫婦で切り盛りしている店のようだが、ドリンクメニューもパンメニューも豊富なのでまあそれなりに人気も出るのは分からないでもないが、Googleマップでの評価はやや過剰な気もする。以前からあれは、評価が上がりだしたらそれに迎合する評価が増えて、結果として評価が極端になる傾向はある。

塩チキンサンドとマイルドコーヒー

サンドは十分なボリューム

 私が注文したのは「塩チキンサンドとマイルドコーヒーのセット」。コーヒーはサッパリしていてミルクなどは置いていないにもかかわらず、私でも砂糖を加えただけで普通に飲めるもの。私には最適だが、もっと本格的なコーヒーにこだわる客はブレンドなど他のコーヒーを注文した方が良いだろう。なおチキンサンドは味もボリュームも十分。これで530円なんだから、まあ評価が上がるのは分かるが、この界隈で傑出しているかといえば微妙だろう。にわか客が急増したせいで、昔からの常連客が立ち寄りにくくなっている雰囲気があるようで、その辺りはネット時代特有の弊害もあり。とは言うものの、立場的には私もそういうミーハーと同じようなものなので、あまり偉そうに言えたもんでもないが。

 朝食を終えるとホテルに戻ってしばしマッタリする。今日はMETのライブビューイングに行く予定だが、それが11時から。まだ時間が半端である。結局は10時頃まで時間をつぶしてからチェックアウトする。

 METライブビューイングは大阪ステーションシティシネマで。シアターに入場すると観客はかなり多い。ザッと見ただけで50人以上はいる。この劇場は元々キノシネマ神戸国際なんかよりは客が多いのは確かだが、これだけの入りは滅多に見たことはない。やはりヴェルディの作品と言うことで人気があるんだろうか。それに「ナブッコ」は私が知っているここ数年では上映されていない作品のはずだ。

 

 

METライブビューイング ヴェルディ「ナブッコ」

指揮:ダニエレ・カッレガーリ
演出:エライジャ・モシンスキー
出演:ジョージ・ギャグニッザ、リュドミラ・モナスティルスカ、マリア・バラコーワ、ソクジョン・ベク、ディミトリ・ベロセルスキー

 ヒット作が出ない上に妻子を亡くし、もうオペラの作曲は辞めようかと考えるところまで追い込まれていたヴェルディの起死回生の初ヒット作が本作であるという。ヴェルディのオペラの初期傑作として挙げられる作品である。

 聖書のエピソードとのことで、どうしてもキリスト教の宣伝色があるので、全ての宗教を否定する立場の私から見たらシナリオ的には所々白ける部分はある。もっとも流石に音楽は立派である。合唱曲が多く歌唱の美しさが際立つ作品であり、後のヴェルディの作風が既に確立している。

 内容はエルサレムを占領したバビロニアの王ナブッコが、神を否定して自らが神と名乗ったことで神の怒りに触れて雷に打たれて錯乱、野心家の娘に王座を奪われるが、正気に戻ってヘブライの神を信じることを決意し(要はキリスト教に転向したわけだが)、再び王座へと返り咲くという話。神の怒りに触れたとか言うのは、要はいかにも血圧高そうなナブッコが脳卒中でも発症したのではとか、キリスト教に転向するのはそのことでキリスト教の神に恐れをなしたか、もしくはバビロニアの神官が娘を担いでクーデターを起こすところまで力を持っていたのでそれを削ごうという考えか、もしくはヘブライ人を支配するにはその方が都合が良いと考えたか辺りではなんていう無粋なツッコミをしたくなるところではある。

 一応は主人公はナブッコであるが、それに負けず劣らずで存在感があるのが、父を排除してクーデターを起こす娘のアビガイッレである。他は主要人物としてはナブッコのもう一人の娘のフェネーナと、彼女と恋に落ちて結果としてはヘブライ人を裏切ったような形になってしまうヘブライの王子のイズマエーレがいる。ヴェルディの後の作品なら、この2人をメインに取り上げた大恋愛悲劇ものなんかになるところだろうが、本作ではこの2人の存在はかなり小さく、先の2人がメインである。

 それだけにナブッコとアビガイッレの歌唱と演技で全てが決まる作品でもある。またこの両者とも非常に感情の振幅が大きいキャラクターなので、それを違和感なく演じきれる演技力と、それを支える歌唱力が重要となる。

 その点ではナブッコのジョージ・ギャグニッザは、この堂々たる転向者を見事に演じきったし、アビガイッレのリュドミラ・モナスティルスカは怪演と言って良い存在感であった。結局はこの両者の好演に引っ張られて、作品全体が非常に締まりのある見所の多い大スペクタクルとなっていた。

 

 

堺市のアルフォンス・ミュシャ館に立ち寄ることにする

 まずまず面白い歴史スペクタクルだったという印象。さてこれで本来の今日の予定は終了なんだが、まだ14時過ぎと早めの時間であることから、帰る前に昨日寝過ごしたせいで消化出来なかった予定の方を実行することにする。それは堺アルフォンス・ミュシャ館の訪問である。動線を考えると昨日に立ち寄った方が効率的であったのだがそこは仕方のないところ。とりあえず阪和線で堺市駅を目指す。

堺市駅にはアルフォンス・ミュシャ館の案内と、
ミュシャ風肖像画が似合いそうな中条あやみ嬢が

 堺市駅までは関空快速で30分ぐらい。堺市駅を降りるとアルフォンス・ミュシャ館の案内が出ているが、その前に遅めの昼食を先に摂ることにする。

 立ち寄ったのは堺市駅東口前の「VIDYA CAFE」。カフェではあるが15時までランチメニューがある。私が店に駆け込んだのそのギリギリ。「トンカツのランチ」を注文し、アイスコーヒーを追加する。

堺市駅東口のカフェ「VIDYA CAFE」

 

 

 ランチのご飯と豚汁はセルフサービスでお代わり自由とのこと。ランチ時間に制限があるのはこのためのようである。トンカツはまずまず。ただ計算違いは昨日に串カツを食べたせいで、連日の脂ものはいささか身体にキツさを感じたこと。どうも私の胃腸もかなり老化してきたようだ。

トンカツはまずまず

 食後にはアイスコーヒーを頂く。このコーヒーについては私の好みよりはいささか苦味が強い。

アイスコーヒーはやや苦め

 昼食を終えるとアルフォンス・ミュシャ館へ。これは堺市駅の西側に陸橋でつながっている。

アルフォンス・ミュシャ館は駅の西側

 

 

「ミュシャとパリの画塾」堺アルフォンス・ミュシャ館で3/31まで

アルフォンス・ミュシャ館

 20世紀初頭のパリ。ミュシャはそこでアカデミズムの巨匠の元で画を学ぶ。そしてその後に画家として活躍をするようになる。そして一時代をなしたミュシャは自ら画塾を開き若き画家たちを指導するようになる。そこには渡欧した日本人画家たちも存在した。そのようなミュシャが受けた教育とミュシャが行った教育について紹介する展覧会。

 観点がなかなか面白い。ミュシャは最初は歴史画家を目指してその分野の巨匠であるジャン=ポール・ローランスの元で画を学んだという。ただいかにもアカデミズムでガチガチのローランスの絵画はミュシャのイメージとは結びつかない。ミュシャはその後、どういう心境の変化があったのかは不明だが、黒田清輝らも指導を受けたラファエル・コランの画塾で学ぶことになるという。コロンの柔らかい人物画は後のミュシャとのイメージとも重なるところもあり、最終的にはこの時点でミュシャの画風は確立したと推測出来る。

ミュシャの友人の自宅暖炉のマントルピースの装飾のためのウミロフ・ミラー

 その後のコーナーにはミュシャの有名な四つの星のポスターが展示されているが、面白いのはその下絵が展示されていること。それを見るとミュシャがどのような表現にこだわったか(特に描線へのこだわりが強い)が分かる仕掛けになっている。なお北極星だけが完成作品とは左右反転状態なのだが、恐らくこれは完成した四作品を並べた時のバランスの関係で反転させたのではと推測出来る。

 次のコーナーが教師となったミュシャの指導に関する内容だが、まずはミュシャによる指南書である「装飾資料集」などが登場する。これはまさにアール・ヌーヴォーの指南書であり「これを参考にすればあなたもミュシャ調のデザインが出来る」というネタ本でもある。

ミュシャの装飾タイル

 ミュシャの指導は特に描線などに対するこだわりがあったようだが、最初の緻密なスケッチから、簡略化を進めて最終的にはステンドグラス向きの絵画にする過程などは非常に興味深かった。デザイン作家としてミュシャの優れた感性を垣間見れる。

 そしてミュシャの指導や影響を受けた日本人画家たちの作品も登場する。中村不折や鹿子木孟郎らの作品が登場。彼らはミュシャから直接の指導を受けて影響を受けた画家であるという。なおミュシャスタイルは当時は日本でも一世を風靡しており、この頃の「明星」なども展示されている

 

 

 展示のメインは4階の方で、3階はミュシャの有名作品のレプリカ展示。

ミュシャの代表的ポスターのレプリカ展示

 この建物全体がミュシャで装飾されており、エレベーター扉までミュシャという風になかなかに雅な施設である。

エレベータ扉もミュシャ

 ちなみにミュシャ作品に登場する美女達と記念写真を撮れるコーナーまで設定されていたが、さすがにこの美しい世界にあえて醜いものを加える気にもなれず、記念写真は遠慮した。

この美しい世界に醜悪な自身の姿など加える気にはならん

 実はこの美術館は数年前にも訪問しているので、昨日寝過ごした時点でもうパスかとも思ったんだが、あえてやって来ただけの価値はあったように思える。今更ミュシャの新しい作品などはないが、ミュシャという画家の成り立ちが理解出来たようにも思える興味深い内容であった。

 これで今回の遠征の予定は完全終了。JRを乗り継いで帰宅と相成ったのである。なお明日は大阪マラソンとかで大阪市内の交通の混乱は必至とのことであり、全く知らなかったのであるがちょうど好都合な日程だったように思える。

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

初訪問を含む阪神間4美術館を回ってから、尾高/大フィルのメンチク完結編は「讃歌」

今日はまず美術館を駆けずり回る

 翌朝は8時に起床したが、体が動かない。しばしそのままボーっとすることに。ようやく気力が少し湧いてきたところでシャワーで体を温める。結局はチェックアウトの11時手前までグダグダ過ごすことに。本当は近くの喫茶に朝食でもと思っていたのだが、そんな気力が全くない。

 ホテルをチェックアウトすると、この日の最初の目的地に向かうことにする。目指すのは逸翁美術館今日は車でないと行きにくい美術館を回る予定。そのために車で来たのである。

 阪神高速を通って池田を目指す。この頃には既に昼前。朝食を摂っていないので腹が寂しい。美術館に行く前に若干早めの昼食を先にすることにする。「かごのや」に立ち寄る。

 注文したのは「上撰牛すき焼定食(1815円)」。普通になかなか美味い。昼からいささか贅沢かと思ったが、今日は朝食とドッキングなので良しとしておこう。

贅沢な昼食

〆はうどんで

 昼食を終えると美術館に向かう。目的とする逸翁美術館は山の手の急斜面の住宅地の中にある。ここに来るのも数年ぶりのように思われる。

 

 

「The コレクター逸翁 ~その収集に理由アリ~」逸翁美術館で3/17まで

住宅地の中の逸翁美術館

 同館の所蔵品は逸翁こと小林一三のコレクションであるが、それらのコレクションには当然ながらすべてその由来があるということで、そのような由来も含めて展示すると言うことのようである。

 展示品は逸翁が美術品収集を始めるきっかけとなった作品など様々であるが、正直なところ小林一三その人に興味のない私にはそんなことはどうでも良いことであるとも言える。

 展示品については書簡なども多かったが、これは私の興味外。後は茶人でもあった逸翁の趣味を反映して茶道具などが多い。器に関しては志野などは私の好み。また面白かったのはセーヴル窯による辰砂の赤が眩しい花瓶。和洋折衷な感覚が興味深い。

 絵画に関しては呉春の絵画が数点展示されておりなかなか面白かったが、池田蕉園・輝方の掛け軸があったのがもっとも興味深かったところ。


 逸翁美術館の見学を終えると、次の美術館へ。ここは私も初訪問の美術館であるアガペ大鶴美術館。西宮の山の中に最近出来たという美術館である。アガペグループが所蔵する美術品を展示するとのことだが、アガペグループはどうやら宗教系の医療法人の模様。現地は隣接して病院なども設置されている。なおアガペがキリスト教系の言葉だと思ったが不明だったんだが、どうやら神の無償の愛の「アガペー」から来ていると推測される。

 現地に到着した途端に、それまでパラパラだった雨が突然に豪雨に転じて車から出るのも躊躇う状況になる。とりあえず入口に近いところに車を止めて駆け込む。私の到着時は電気が切られている状態で、どうやら観客は私だけの貸切状態。撮影禁止の表示があるが「撮影OKです」と言われる。

 

 

アガペ大鶴美術館

出てきたときには雨は止んでいた

 とりあえず4階から見学を始めるが、4階は巨大な象牙細工ばかりである。とにかく作品が精緻なのと大きいのとに驚く。今は象牙の取引が禁止されているから、今後はこの手の作品は出てこないだろうということを考えると貴重か。

象牙細工の塔

細工が圧巻の「牡丹に鳳凰」

親子鷲

 

 

これも圧巻の細工の天女像

象牙彫刻の「ピエタ」

「最後の晩餐」

今となっては貴重な巨大な象牙

 

 

 3階にはいきなり「日本一大きなアメジスト」なる意味不明なものがあるが、基本的には青銅器や兵馬俑など中国絡み。異様にデカい鼎に圧倒される。「鼎の軽重を問う」などと言うが、こんな鼎は問うまでもなく相当重そう。そう言えば力自慢の挙げ句に、鼎を持ち上げようとして押しつぶされて死んだアホな皇帝もいたな・・・。

日本一大きなアメジスト

木彫りのインド象

青銅器の数々

呆れるほど巨大な大克鼎

 

 

象牙細工の万里の長城

翡翠の彫刻

兵馬俑の複製品

紫檀の飾り棚

これはマンモスの牙

 

 

 なおこの階には陶器なんかも展示されており、唐三彩なんかは結構私の好み。

チベット産の壺

唐三彩の馬

景徳鎮 の壺

 

 

 2階にはシャガールのリトグラフが大量に展示されている。

シャガールのリトグラフ「アブラハムとサラ」

「モーセ」

「ソロモン」

 

 

 これ以外にも日本の陶磁器などが展示されてあり、織部とか志野は結構私好み。また唐突に若冲の鶏なんかもあったりして驚く。

織部と志野

織部の大鉢

若冲のニワトリ

これは応挙

 

 

 1階にはまたも象牙細工。象牙の日本丸とか呆れるような展示があるが、圧倒されるのは象牙の姫路城。こんなものどうやって作ったんだ? ただ日本の城なのに、どことなく中国っぽい感覚があるのは何だろうか?

象牙のだんじり

宝船は定番だが巨大すぎる

そして象牙の姫路城

圧倒されるばかり

象牙の日本丸

 

 

 これ以外にもカメラコレクションがあったり、かなりごった煮の印象。

カメラコレクションなどまで

 好事家が適当に集めたコレクションの展示って雰囲気もある。なお現在隣にシャガール館を建設中とのことで、2024年春にオープン予定とか、今回展示されたリトグラフやら他のシャガールコレクションを展示するとか。

奥で新館が建設中

 まあ魑魅魍魎とした感はあったが、意外に楽しめた。どうしてもB級感が漂うが、キッチリ見ていったら意外と楽しめる。

 初めての美術館を楽しんだところで、次の目的地を目指して山を降りる。次は何度も訪問している美術館である。

 

 

「日本画ことはじめ」西宮市立大谷記念美術館で2/18まで

大谷美術館も久しぶりか

 同館が所蔵する日本画のコレクションを展示する展覧会。

 第一章は江戸時代の作品で、狩野派の勝部如春斎や幕末の田能村直入の作品が展示されている。これらはいわゆる日本画というジャンルが確立する以前の、伝統的な日本の絵になる。田能村直入などは独得の力強さがあって面白い。

 第二章以降が明治以降のいわゆる「日本画」というジャンルの画家たちの作品。東京美術学校出身の精鋭、横山大観、菱田春草、橋本雅邦らに川合玉堂にその弟子の児玉希望、京都画壇で有名な上村松園に、その師である鈴木松年、また京都画壇の重鎮の竹内栖鳳、山本春挙ら同門や師弟関係の蒼々たる面々の作品が展示されている。

 第三章は画題に沿っての分類で、伝統的な絵画である福田眉仙、山本春挙、美人画における上村松園、伊東深水、寺島紫明、そして「日本」を描いた横山大観、堂本印象らなどが展示される。

 第四章はそこから突き抜けて新しい表現に挑んだ画家たちとして、フォーヴやキュビズムに影響を受けた山下摩起、装飾的な簡略画法の福田平八郎、紙粘土を使う下村良之介などのかなり独自性の高い面々が登場する。山下摩紀の「女三態之図」などはピカソの「アヴィニョンの娘たち」まんまな印象で面白いところ。なお福田平八郎については、近々中之島美術館で大規模な回顧展が行われる。

 予想以上に秀品が多くて、この美術館ってこんなにすごいコレクション持っていたのかと驚いた。よくよく考えてみると、この美術館を来訪するときは企画展がほとんどで、コレクション展の類いを今まで見た記憶がない。少し舐めていたか。

 

 

 美術館一回りしたところでかなり疲労が溜まってきた。そこでこの美術館内の喫茶コーナーでワッフルのセットを頂いて一服する。

庭園を眺めながらしばし喫茶で一服

 温かいワッフルと冷たいアイスの取り合わせが良い。ただコーヒーは私の感覚からしてもやや薄い感がある。


 さて時間も時間になってきたのでそろそろ大阪に戻るべき頃だが、ホールに直行だとまだ時間がかなりあまりそうである。そこで最後にもう一館だけ立ち寄ることにする。ここも数年ぶりの訪問の気がする。

 

 

「河東碧梧桐と石川九楊―筆蝕の冒険」「牡丹靖佳展 月にのぼり、地にもぐる」市立伊丹ミュージアムで2/25まで

昨年改装した市立伊丹ミュージアム

 異端の俳人である河東碧梧桐の書と彼の俳句を石川九楊が揮毫した「河東碧梧桐一〇九句選」を併せて展示。

 書に関しては完全に興味外である私だが、河東碧梧桐の書はかなり独得というか、まるで図案のようであって目を惹く。そしてそれをさらに追求して拡大したのが石川九楊の作品。ここまで行くともう既に文字ではなくて記号のように見える。中には家の間取り図のようにしか見えないようなものまであり、読もうとすればまるで絵解きである。

 かなりの独自ワールドである。時間が無いためにザッと見ることしか出来なかったのであるが、一句一句じっくり追いかけていけばそれなりに面白そうではある。

 一方の牡丹靖佳の方は現代絵画とのことであるが、展示作は絵本原画が多く、独得の感性を感じさせる作品が多い。静かであるが怪しげで幻想的な世界が展開している。見た目はむしろほのぼのしているのだが、なぜかその後に一種のグロテスクが垣間見えることもあるという印象深さのある作品群である。

 地下展示室には大作「兎月夜」が展示されているが、これがまた鮮やかでインパクトの強い、現実と虚構が入り交じったような独特な世界。なぜかこちらに突き刺さってくるような作品である。

この美術館内にはかつての商家も展示されている

 西宮から伊丹への移動が渋滞などで予想よりも時間がかかってしまい、次の制限時間が迫ってきていてやや駆け足に近い見学になってきたのが計算違いだった。どちらも結構こちらの心に突き刺さってくるような作品が多く、もう少しじっくりと見学する必要があったなとやや反省である。

 

 

 とりあえずそろそろ時間が気になるのでホールに急ぐことにする。しかし懸念した通りに夕方にさしかかってきて道路は混雑し始め、阪神高速池田線も名神との交差である豊中ICから先は大渋滞。数キロの区間をトロトロ走行を余儀なくされることに。

 何とか渋滞をくぐり抜けて大阪に戻ってくる。今日はこれから大阪フィルのメンコンの最終回である。駐車場に車を置くとまずは夕食へ。昼食にかなりガッツリ食ったから、夕食は軽めにそばか。と言うわけでおきまりの「福島やまがそば」に出向いて「親子丼のセット(900円)」を頂く。

毎度のやまがそば

毎度の親子丼セット

 

 

 夕食を終えると開場時刻が近いのでホールへ。

小雨の中をホールへ

 ホールに入るとまたも堕落の象徴である喫茶に直行。ただコーヒーは先程飲んでいるのでこれ以上飲んだら胃が荒れそうなので、今回はオレンジジュースにしておく。しばし時間をつぶしてから座席に向かうが、今日はかなり入っている。ザッと見ても9割以上の入りである。

コーヒー連荘はキツいのでオレンジジュース

 

 

メンデルスゾーン・チクルスⅣ~メンデルスゾーンへの旅~

合唱用のひな壇もスタンバっている

[指揮]尾高忠明
[ソプラノ]盛田麻央、隠岐彩夏
[テノール]吉田浩之
[合唱]大阪フィルハーモニー合唱団
[管弦楽]大阪フィルハーモニー交響楽団

メンデルスゾーン:
序曲「ルイ・ブラス」op.95
交響曲 第2番 変ロ長調 op.52「讃歌」

 一曲目はメンデルスゾーンのかなり華々しい曲。尾高の演奏はやや早めのテンポでグイグイと行くロマンティックなもの。大フィル金管陣が結構の冴え。

 本公演ではこのルイ・ブラス終了後に休憩なので、開演後10分ぐらいで20分の休憩が入るというやや変則構成となる。流石に通常の休憩よりもそのままホール内に留まる人数が多い。再開5分前ぐらいから合唱団がゾロゾロと入場を開始して、それが揃った頃にオケメンが入場、間もなく再開となる。

 本日のメインはメンデルスゾーンの異色の交響曲。演奏機会は多いとは言えないが、最近になって注目されつつある曲である。第一部はオケだけで単編の交響曲のような曲があり、第二部が合唱陣が加わっての壮大な讃歌となる。第一部で登場した主題が第二部にも繰り返し登場することによって曲全体のまとまりを作っているという構造。

 煌びやかで華やかな曲調はいかにもメンデルスゾーンらしいところ。尾高は例によってのロマンティック会社路線なので音楽自体がなかなかに盛上がる。大フィルの演奏もまとまりが良い。

 第二部になると合唱が大活躍。華々しい旋律で神を讃える歌である。まあ歌の内容自体は定型的な讃歌なので面白味はないが、教会音楽的でありながらロマンティック要素も十分に含んでいるメンデルスゾーンの旋律は美しい。もっとも曲の内容的に影の部分が少ないので音楽としてメリハリが薄い感はなきにしもあらず。

 大フィル合唱団はかなり頑張っていると思うし、ソリスト陣も安定感は相当にある。第二部では裏に回ったオケがそれを支えるという様子。劇的な盛り上げなどもピタリと決まっていてマズマズの演奏。そしてラストはお約束の壮大なアーメンである。

 メンデルスゾーンの中では珍しい曲になるこの曲で、尾高のメンチクも締めである。まさにその一大プロジェクト完結に対する讃歌という趣のなかなかに荘厳さを感じさせる演奏であった。以前にこの曲を聴いたときにはいささか冗長な感を受けたが、今回はそのような退屈をする局面もなく純粋に音楽に浸ることが出来た。その辺りはなかなかのものであった。

 演奏終了後は場内もなかなかの盛り上がり。大フィルの名演に対して観客が満場の拍手で応えるという展開となった。今回の演奏は私にも満足のいくものであった。

 これで2023年度のメンチクは終了、なお2024年度はモーツァルトとブルックナーとのこと。モーツァルトは39,40,41で、ブルックナーは0,1,2らしい。しかしモーツァルトの3曲は尾高が就任した頃の定期演奏会で聴いてあまり面白いという印象はなかったし、ブルックナーはあまり得意でない上に初期交響曲(しかも所詮は習作と言われているヌルテ込み)というのは私にはいささかしんどい。今年はいよいよ予算も切迫していることであり、今年度の企画はパスかなというところである。

 

 

この遠征の前日の記事

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モネ展、古代メキシコ展などを見てから、大阪フィルの井上道義ファイナルの大熱演に触れる

朝食は近くの喫茶店で

 翌朝は8時に起床。とりあえず着替えると朝食のために朝の町に繰り出す。この界隈は昔ながらの早朝から営業している喫茶店が多いのが特徴の一つ。既に営業していた「ロミ」に立ち寄ることにする。

喫茶店「ロミ」

 ここは喫茶店と言いながらも食事メニューもあるようである。モーニングメニューに「朝ご飯定食(500円)」なるものも含まれている。私は「玉子サンドのモーニング(400円)」を注文する。

珈琲と卵サンド

 意外にボリュームのあるモーニングである。サンドが卵焼きなのがうれしい。これで400円というのは驚異だが、さすがに昨今の物価高騰が影響したようで、店内には3月から価格を上げるという張り紙がでている。どこもここもアホノミクスのせいでとんでもないことになっている。

 

 

 朝食を終えるとホテルに戻る前にドン・キホーテに立ち寄ってバスタオルを入手しておくことにする。私はドンキは24時間営業だと思っていたのだが、どうやら朝9時から翌朝5時までとのことで、営業開始まで5分ほどある。入り口前には既にスタンバイ状態のアジア人らしき面々が。ちなみに隣のパチンコ屋にも開店待ちの連中がいるが、一様に目に生気がない廃人のような表情をしている。競馬の場外馬券売り場などで見かけるタイプの連中だ。なお大阪をこういう連中だけの町にするのが、カジノ利権最優先の維新の理想のようである。

ドンキとパチンコ屋が同居

 バスタオルを購入してホテルに戻ると、それを持って早速朝風呂に。本当は真新しいタオルは大抵汚れ防止に撥水処理をしているので一度洗濯してからの方が良いんだが、この際は贅沢を言っていられない。風呂で体をほぐすが、昨晩に湯の中で結構徹底的にほぐしたのが幸いしたのか、目下のところは体に特に異常はない。もっとも「忘れた頃に症状が出る」のがジジイの特性だから油断ならんが。

 さて今日の予定であるが、メインは15時からフェスティバルホールでの大フィル定期演奏会。今回は井上道義のファイナルである。ただその前に周辺の美術館に立ち寄るので、今日は肥後橋周辺をウロウロすることになる。

中之島美術館へ

 まずは中之島美術館からである。ここではモネ展が開催されており、先程の大阪の女性画家達展の半券持参で100円引きになる。と言っても入場料2400円とかなり高い展覧会である。なお会場は大混雑で驚く。そう言えば日本で混雑する展覧会のお約束は「エジプト、浮世絵、印象派」だった。最近はコロナの影響でしばらく大規模展覧会がなくなっていたのですっかりボケていた。

エレベーターからこの混雑

 

 

「モネ 連作の情景展」中之島美術館で5/6まで

会場入口

 国内外から70点以上ものモネの絵画を集めた久々に大規模な展覧会である。かなりのキラーコンテンツと言えるだけに場内は人で一杯。おかげで美術品鑑賞のコンディションとしてはかなり悪い。

 最初はモネが印象派を確立する以前の初期の作品から始まる。もう既にこの頃から後の絵画の特徴は現れているが、まだ光が煌めくところまでは行っていない。そうなるとアカデミズム派の連中から「未完成の絵画」と酷評された荒さが目立つことになる。決して雑に描いている絵ではないが、アカデミズム系の絵と比べるといかにも簡素な絵画に見える。

 それが光の揺らめきを捕らえる印象派へと進化する。モネは光を捕らえるためにかなり実験的な作品にも挑んだので、同じ構図の絵画を量産している。同じ場所での光の移ろいを記録したわけだが、中にはほとんど違いの分からないような作品も存在する。この辺りが表題ともなっている連作の情景である。

ウォータールー橋、曇り

ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ

ウォータールー橋、ロンドン、日没

 光の状態が様々なので、いかにも印象派という煌めく絵画もあれば、どんよりした重い色調の絵画もある。まあ一般受けするのは間違いなく前者であると思われるが、その手の作品は意外に日本の美術館の所蔵品が多い。こうして見ると、日本の美術館は結構モネの傑作を押さえているなと妙なところに感心する。

 

 

 最晩年は有名な睡蓮の池の連作になるが、延々と睡蓮ばかり展示する展覧会が多い中で、本展は意外とそれ以外の作品の比率が高いということを感じる。まあモネを把握するのに非常に適した展覧会であるという感想である。モネを堪能するには十二分。もっとも私の場合は今までに何度かモネ展の類いは見学しているので、同じような絵画ばかりなのはいささか食傷気味になるのは本音。また国内出展作の場合は「見覚えがある」という作品が多数。これは致し方ないところ。

睡蓮、柳の反影(北九州市立美術館所蔵)

睡蓮の池

睡蓮の池(石橋財団所蔵)

睡蓮(群馬県立近代美術館所蔵)

芍薬

 

 

 会場では物販の方も力が入っていたようであるが、何と行列が階下まで続いている状態で、果たして購入までどれだけ待たされるやらというところ。これだとネット通販でもやった方が良いような気もするが。なお私はグッズには興味がないのでスルー。

物販コーナーはこの様子

 本展は一部作品が撮影可であったが、それはラスト部分(睡蓮の会場)に固まっており、その会場では大撮影大会。こんな時にはサッと撮ってさっさと退くのがマナーだが、なぜかモタモタとしている者もいる。画角がどうとか言うようなものでもないし、ピントや絞りはスマホにお任せのはずなのに。ちなみに以前には写真でなくて動画を撮影している意味不明の輩に出くわしたこともある。なお一つだけ要注意は印象派の絵画はピントをスマホにお任せしていたら、たまにピンぼけになることがある。一応は撮影後に確認しといた方が良いだろう(絵の前から退いてから)。


 モネ展の見学を終えると次は隣の美術館に立ち寄ることにする。元々現代アート系の催しが多いことから、ここも長いこと来ていない気がする。

隣が国立国際美術館

 

 

「古代メキシコ-マヤ、アステカ、テオティワカン」国立国際美術館で5/6まで

美術館入口

 太古よりメキシコ地域で興隆してきた文明の産品を紹介する展覧会。まずは歴史的には一番古いメキシコ中部の山岳地帯で栄えたテオティワカンについての産物を紹介する。

 時代的には一番古い年代の当たるからか、かなり素朴でシンプルな物が多い。しかしその割には意外に凝っている。また動物の描写などは正確であるし、絵画には中南米に特有の力強いタッチがこの頃から既に現れていて、いわゆるプリミティブアートとしても興味深い。

テオティワカンのモザイク立像

造形が秀逸な鳥形土器

これは香炉らしい

羽毛の蛇ピラミッドの地下トンネルで見つかった品々

 もっともこの地域の文明を語る上で避けて通れない暗黒面である生け贄文化を象徴する品も展示されている。これこそがこの地域の文化が「未開な野蛮なもの」と排除される大義名分にされたものでもある(もっともそれを行ったヨーロッパはさらに野蛮な略奪と虐殺を行ったのだか)。

生贄の肩に刺さっていた儀式用の翡翠の錐

 

 

 次はマヤ文明に関する事物。様々な点でより洗練されたような出土品が多い。

支配者層の土偶

吹き矢を使う狩人の土器

貴婦人の土偶

 また天文学が進化していたマヤらしく、天文に関する出土品も。

金星周期と太陽暦を表す石彫

 

 

 マヤは広範囲に及ぶ都市国家の連合体のようなものであるようである。その中でも勢力を誇ったパレンケに関する展示が多数。先のテオティワカンと類似している部分も多い。

パカル王の頭像(複製)

香炉台

 なお近年に発掘された翡翠のマスクを付けた王妃の墓の様子が再現されている。この地域ではやはり翡翠は身分の高さを示すものであったようだ。

発掘された王妃の墓

翡翠のマスクを付けている

 

 

 次が年代的には一番新しいアステカにまつわる事物。いきなり目につくのがガッチャマンの像(笑)。鷲の戦士らしいが、やっぱり「大鷲の健」?

ガッチャマン 鷲の戦士の像

 神殿から出土の神をかたどった壺などが展示されているが、やはり造形の妙がすごい。

雨神トラロク神の壺

プルケ(発酵酒)神パテカトル像

 以上、正直なところメキシコの文明に関する知識も大してなく、興味はさらにないという私であったが、実際に見学をしてみるとどうしてどうして非常に面白かった。先程の人の背中ばかりを見ることになる「モネ展」よりは充実していたかもしれない。

 

 

昼食は近くの定食屋で

 メキシコ展を堪能し終えた時には既にお昼時を完全に過ぎていた。とりあえず次の移動の前に昼食を摂りたい。この辺りで思いつく店と言うことで「ちいやん食堂」に立ち寄って「一日定食」を頂く。今日のおかずは鯖の竜田揚げ。

ちいやん食堂

 例によって何かと野菜が多くて栄養バランスの良い内容。この年になってくるとこういうメニューが一番ホッとする。

野菜豊富な一日定食

 昼食を終えるとホールに向かうが、その前に今日の最後の美術館に立ち寄る。

 

 

「刀と拵の美」中之島香雪美術館で3/17まで

中之島香雪美術館に立ち寄る

 同館が所蔵する刀剣コレクションを展示した展覧会。日本刀とは単なる殺人兵器を越えた美術品的美しさを持っているという難解な代物である。日本刀を眺めていると「こんなものに斬りつけられたら洒落にならん」と思いつつも、その美しさに魅せられるという相矛盾する感情を抱かされる。

山城吉家作の太刀

備前正恒作の太刀

和泉守藤原兼定作の刀

 なお会場には刀の種類に関する説明があり。平安後期から室町初期までは馬上で使用することを想定した太刀と呼ばれる70~80センチの刀を刃を下にして腰から吊すというのが主流だったらしい。しかし室町中期からは徒歩での集団戦が増えたことから、刀(打刀)と呼ばれる60センチぐらいのものを刃を上にして帯に指すというのが主流になったとか。なお脇差しは長さ30センチぐらいの補助刀(相手を組み伏せたときに首を取るのに使ったと聞いたことがある)で、短刀はそれ以下の短い刀で護身用などに使われる平作りのものが多いという。

長船修理亮盛光の脇指

相州国光の短刀

 

 

 拵なども工芸品の極みである。このような装飾を施すというのがまた日本刀の特有のところではある。

金梨子地菊三蝶紋蒔絵糸巻太刀拵

木地呂雲文蒔絵刀拵

鍔も展示されている

このようなタイプも

 以前は刀剣乱舞の影響とかで、刀剣展の類いは妙に場違いなミーハーな雰囲気の女性が多数押しかけるなんてこともあったが、そのブームも落ち着いたのか、静かにゆっくりと刀剣を鑑賞するというタイプの観客が多かったようである。もっともやはり刀剣の類いは私にはややマニアックに過ぎる感はある。

 

 

 これで美術館の予定は完全終了である。既に開場時刻を過ぎているのでホールに入場する。開演までは例によっての堕落の象徴のホール内喫茶での一服。アイスコーヒーを頂きながらの毎度のような原稿執筆だが、以前にも言ったようにここの喫茶は座席がないのがツラい。もう既に1万歩を越えている私の足腰はガタガタである。

アイスコーヒーを頂きながらしばし時間つぶし

 開演時間が近づいたところで座席に着く。場内は大入りでほぼ満席の状態。チケットもほとんど捌けていると聞いた。今回が井上の大阪フィルファイナルと言うことで観客の方も気合いが入っている模様。恐らく長距離遠征組もいるだろう。

本日の出し物

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第575回定期演奏会

かなりの大編成用の用意がある

指揮/井上道義
バス/アレクセイ・ティホミーロフ
合唱/オルフェイ・ドレンガー

J.シュトラウス2世:ポルカ「クラップフェンの森で」
ショスタコーヴィチ:ステージ・オーケストラのための組曲(ジャズ組曲第2番)抜粋
          交響曲第13番「バビ・ヤール」

 後半に特大級の重たい曲が来ることに備えてか、前半はかなり軽妙なプログラム。最初はいささかおふざけもあるポルカ。カッコウがあちこちで鳴きまくる趣向で楽しませてくれる。大阪フィルも軽いノリの演奏。

 二曲目は今日のメインとのつながりでショスタコだが、これが完全に予想外の雰囲気の曲。私は初めての曲なんだが「ショスタコってこんな俗な曲も書いてたのか」と驚いた次第。1曲目なんてオリンピックマーチみたいだし、2曲目以降はキャバレーでの生演奏を連想させるような艶めかしさと色気のある曲。大阪フィルと井上がそれを茶目っ気タップリの演奏。

 休憩後の後半はメインであるバビ・ヤールである。とにかく初っ端から驚くのは合唱とソリストの上手さ。力強い男声合唱は圧巻であるし、よく通るティホミーロフの歌唱がすごい。

 朗読詩のようなところのある曲なので、ステージ上に訳詞を字幕で出していたのは正解。恥ずかしながら私は初めてこの曲の意味を知った。第1楽章はユダヤ人のホロコーストを批判している多分に政治的な内容だが、第2楽章以降はソ連の日常生活の一コマを連想させる内容で、第2楽章などはショスタコのかなり風刺が効いている。

 ロシアものを得意としてきた井上として、現在のロシアのウクライナ侵攻、さらにはかつてホロコーストを体験したユダヤ人が現在ガザでホロコーストを実行する側になっているという社会情勢には思うところもあるだろう。第1楽章の叩きつける激情と鎮魂が入り交じったような凄まじい曲調は、ティホミーロフと合唱陣の能力の高さも相まって凄まじい演奏になった。大阪フィルもそれに負けてはいけないのでかなりの気合いの入った演奏。

 ややシニカルな第2楽章を経て、最後は「私の立身出世は立身出世をしないこと」というやや厭世的な響きも持った最終楽章へと流れていく。ティホミーロフの歌唱の凄さもあって最後まで圧倒されたところがある(この曲はソリストの表現力が低ければ、間違いなくお経になる)。

 終演後の場内の拍手はすごいものがあった。井上は何度もステージと往復して拍手を浴びることに。また合唱団とソリストに送られた歓声もすごいものであった。しかも通常ならゾロゾロと会場を後にする観客がいるものだが、この時点で会場を去る観客は数人。しかもその歓声は楽団員が引き上げても終わらない。驚いたことに観客の半分以上が会場に残って拍手を続けている。この状況に井上がコンマスの崔とティホミーロフを引き連れて再登場、場内は興奮の坩堝となって大盛り上がりとなったのである。ここまでの熱狂はフェスティバルホールでは近年目にしたことがない。それだけ今回の演奏がいかに名演であったかということをも示している。

 

 

夕食は新世界でビフカツ

 大興奮の会場を後にすると新今宮まで戻ってくる。さてとりあえず夕食であるが、新世界に繰り出すことにする。新世界はアジア人を中心に大混雑。私はその大混雑を避けるように裏通りに。私が向かったのは久しぶりの「グリル梵」

裏通りの「グリル梵」

 大混雑の表通りと違っていつもこの界隈は静かである。未だに「知る人ぞ知る」という店なんだろう。客が少なくて閉店されても困るが、ガイド本片手に観光客がゾロゾロ行列を作るようになっても、こっちとしては困るところである。私の来店時にはまだ客は一人。入店して席に着くと注文するのはいつものように「ビーフカツ(2420円)」である。

関西の正しいビフカツ

 例によっての「正しい関西のカツ」の姿である。揚げ方もミディアムの見事なもの。久しぶりに堪能したのであった。

ミディアムの火の通りが見事

 

 

 夕食を終えるとホテルに戻る前に夜食の購入をしておくことにする。ローソンに立ち寄ったがどうにも今ひとつであることから、ホテルを通り過ぎて南海新今宮の東にある庶民の味方の安売りスーパー「玉出」を覗くことにする。結局は桜餅(3個入で200円ちょっと)を購入する。

庶民の味方スーパー玉出

本日のおやつ

 さらにホテルに戻る途中で、大阪名物551の肉まんを購入する(改札は「ちょっと551まで行きたいので」と通してもらった)。これも久しぶりである。部屋に戻ってから頂いたが、いかにも懐かしい肉まんである。

南海新今宮駅改札内の551

大阪名物551の肉まん

 部屋に戻ると「さて今日の原稿の仕上げを」と思ったが、あまりに疲労が溜まっていてベッドに倒れたまましばし動くことが出来なくなった。途中で流石に風呂はしんどいのでシャワーを浴びたがそれが限界。この日は何も出来ることなくそのまま寝てしまった。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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島成園ら女性画家の絵画を堪能してから、N響コンサートでソヒエフの興味深い「英雄」を

N響コンサートのために大阪へ

 この週末はN響のコンサートのために大阪まで出向くことにした。それにしてもN響のコンサートの情報はいつも唐突に伝わってくるのだが、今回もそうだった。やっぱりN響のチケットは何かコネでもないと入手しにくいのか?

 コンサートは土曜日だが、開演は16時と通常よりは若干遅いN響タイム。この日はとりあえず昼前に大阪に向かうことにする。交通費の節約のために今回はJRを使用して大阪まで。大阪には昼過ぎに到着する。

 まずは昼食を。ゴタゴタ考えるのも面倒くさいので阪神梅田西口の「ミンガス」「ロースカツカレー(860円)」を頂く。特別に美味しいカレーというわけでもないが、私には懐かしい味ではある。酸っぱい白菜のピクルスが口直しに良い。

阪神梅田西口の「ミンガス」

ロースカツカレー

 腹を満たすと肥後橋まで移動する。N響のコンサートの前に立ち寄っておきたい場所がある。それは大阪中之島美術館。ここで開催中の展覧会も今回の遠征の目的である。

中之島キューブこと中之島美術館へ

 

 

「女性画家たちの大阪」大阪中之島美術館で2/25まで

記念写真スポットはやはりあります

 やはり大阪画壇を代表する女性画家となると、島成園である。島成園は京都画壇の上村松園、東京画壇の池田蕉園らと共に「三都三園」と呼ばれ評判となった。その島成園の作品群が第一部となる。伝統的な浮世絵の流れを汲む美人画家から、大正期に時代の影響を受けた作品まで登場する。島成園が一躍有名となったのが女の情念を滲ませた「無題」。さらにもろに大正デカダンスの時代の影響を受けた「伽羅の薫」辺りが話題となった。この時期は甲斐庄楠音や岡本神草などの怪しげな絵画が登場し、北野恒富などもまさに黒恒富が登場していた時期である。ただ成園自身の創作活動は、この頃に銀行員の男性と結婚したこともあり、家庭と創作の板挟みの中で創作活動はやや低迷していくのである。

 第二部は島成園に加えて、彼女から刺激を受けた女性画家、岡本更園、木谷千種、松本華羊の四人の特集となる。彼女たちは「女四人の会」での展覧会を実施、未だ男尊女卑の気風の強い中で彼女たち「生意気な女性たち」は反発も受けたようだが、それでも展覧会はかなり話題となったという。本展ではその展覧会に出展した作品も展示されている。それぞれ個性があるが、岡本更園の作品は島成園と似たところがあるのを感じた。なお木谷千種は後に画塾を開いて多くの女性画家を育てている。

女四人の会の面々、左から岡本更園、木谷千種、島成園、松本華羊

 第三部に登場するのが南画の世界での女性画家たち。南画はいかにも男性の絵画のイメージが私には強かったのでいささか意外だったが、実はむしろ美人画などよりはこの世界の方が昔から女性画家は多かったのだという。もっともかなり形が決まっている絵画であるので、個々人の個性はやや薄い感がある。

 第四部は大阪の風俗などを描いた生田花朝の世界。やまと絵の流れを汲むと思われる柔らかいタッチで祭りの風景や寺院の風景など大阪の風俗を描いた好ましい絵画である。

 

 

 第五部がその後の女性画家たちであり、ここのセクションが撮影可。時代が変わってまさに百家争鳴のごとくに登場する女性画家たちだが、島成園に学んだという女性画家から、木島千種の画塾出身者と北野恒富の画塾出身者がやはり中心となっている。

 秋田成香、伊藤成錦、平山成翠、金澤成峰、三笠成雅、高橋成薇らは皆、島成園に習った画家たちである(だから雅号が成○ばかりなんだろうが)。

秋田成香「ある夜」

伊藤成錦「扇売り」

平山成翠「童女」

金澤成峰「哀しみ」

三笠成雅「王朝美人」

高橋成薇「秋立つ」

 

 

 一方、木島千種の門下からは菅野千豊、西口喜代子、三露千萩、石田千春ら。

菅野千豊「舞妓」

西口喜代子「淀殿」

三露千萩「編み物」

石田千春「めんない」

 

 

 北野恒富門下では雪月花星と呼ばれた星加雪乃、別役月乃、橋本花乃、四夷星乃ら。

星加雪乃「美人」

別役月乃

橋本花乃「七夕」

四夷星乃「少女」

 

 

 後は一時土田麦僊門下で20代後半で早逝したという鳥居道枝の独得の絵が印象に残った。

鳥居道枝「燈芯」

岩絵具で洋画的表現に挑んだという実験作「少女像」

 しかし結局は島成園に尽きるように思われる。

島成園「自画像」

 

 

 展覧会の見学を終えると駅に向かう。なお中之島美術館の隣の国際美術館では近々「古代メキシコ」展が、中之島美術館では「モネ」展が開催の予定。なおモネ展には今回のチケットを持参すると割引がある模様。これらの展覧会もいずれ訪問する予定である。

国際美術館の次の出し物

中之島美術館はこれ

 肥後橋駅まで移動すると、NHK大阪ホールへと地下鉄で移動する。既にホール手前には行列が。開場時刻になるとゾロゾロとエスカレーターで上がって入場ということになる。私の席は一階席のやや右寄りである。

NHK大阪ホール

エスカレーターをゾロゾロ

入場

 

 

NHK交響楽団演奏会大阪公演

本日の出し物

指揮:トゥガン・ソヒエフ
ヴァイオリン:郷古 廉(N響ゲスト・コンサートマスター)
ヴィオラ:村上淳一郎(N響首席ヴィオラ奏者)

モーツァルト/ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K. 364
ベートーヴェン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

 一曲目の協奏交響曲はとにかく郷古のノリノリの演奏が目立つ。郷古が前に出ようとするから、それに合わせて村上の方もそれにタイマンを張るにはかなり気合いの入った演奏をせざるを得ない状況になる。結果として極めてノリの良い陽性な、いかにもモーツァルトらしい爽やかな演奏になったという印象。

 二人の息のあったアンコールも披露されて大盛り上がりになったところで休憩、休憩後はソヒエフによる「英雄」である。

 ソヒエフは先のウィーンフィル来日公演でも見せたが、とにかくドラマチックな演奏をする指揮者である。あの時には見事にウィーンフィルをコントロールしていたが、今回もN響を見事にコントロールして、かなりメリハリの効いたドラマチックな音楽を展開した。それがまたこの曲のイメージを一新するような演奏である。非常に生命感に満ちた演奏なのであるが、それが故に今までの英雄の戦いや人生を描いたというイメージの第一楽章とは違い、ここに浮かび上がる英雄像はもっとシニカルでユーモラスでさえある。意外に「堂々たる英雄」というよりは、むしろ時流に乗っかって半分運で英雄になってしまった人物なんではないかという妄想が浮かぶのである。

 そしてさらに驚いたのが第二楽章の葬送行進曲。これが全く葬送でない。音楽が完全に重苦しい葬送曲でなく、もっとゆったりとした英雄が自身のこれまでを振り返るかのような印象である。まあすべてが思い通りに行ったわけではないが、それでもマズマズだったか。時折「こうすれば良かった」という感情が沸き上がったりするが、まあそれても概ねなるようになったのではないか・・・という感じである。

 音楽は軽妙な第三楽章を経て、堂々のフィナーレへ・・・なのであるが、音楽があまりに活き活きしていて堂々のというよりも、飄々としたという少々すっとぼけた印象さえ受ける。最後の最後になって、実はこれまで描かれたのは「英雄の一生」ではなくて「ほら吹き男爵の生涯」だったのではという印象さえ受けたのである。

 さすがにかつて白鳥の湖を映画音楽のように演奏したソヒエフらしく、今回もなかなかに個性的で壮大なドラマを展開してくれた。これだけカッチリと統制の取れたN響というのもあまり記憶にないし、演奏は極めてダイナミック、今回のような新しい英雄像も非常に興味深かった。なお私の表現の拙さのせいで、私は今回の演奏に非常にネガティブな印象を持っているのではないかと誤解される向きもあるかもしれないが、実は私は非常に楽しんでおり、「流石にソヒエフ」と感心したということを最後に記しておく。

本公演ではカーテンコールでの撮影可

ソヒエフも満足げである

 

 

「不染鉄展」と大和郡山城と奈良フィルのハシゴをする

まずは奈良の美術館へ

 翌日は目覚ましをセットした7時半の直前に自動的に起床する。これを一人で使うのは申し訳ないよなと感じるぐらいの広いベッドで爆睡したのであるが、年のせいかそれだけでは疲労は完全には回復せず、朝から体が重い。そこでとりあえずシャワーで体を温めることにする。

 ようやく体が動くようになったところで朝食。このホテルは現在改装中でレストランが使えず朝食がないので、朝食は昨日に近くのスーパーで買い求めた4割引にぎり寿司になる。

この日の朝食は寿司

 朝食を終えるととりあえず朝風呂である。正直なところ、遠征で何が楽しみかというと大抵はこれになる。温泉旅館なんかで美味しい朝食を食べてから朝風呂でマッタリなんていうのは至福の時なのだが、貧困化著しい私にはもうそんなことは一生涯無理かもしれない。

 入浴後は原稿作成と一昨日の記事のアップ。その辺りを済ませたところでそろそろ荷物をまとめてチェックアウトすることにする。と言ってもスーパーホテルはチェックアウト手続きはなく、ドアに「チェックアウトしました」の札を貼り付けてホテルから出るだけである。とにかくこの辺りは徹底して省力化しているホテルである。

 さて今日の予定は大和郡山での奈良フィルのコンサートだが、その前に県立美術館に立ち寄るつもり。というか、奈良に来た主題はむしろこっちの方で、奈良フィルがついでの付け足しである。車の方は13時までホテルの駐車場に置いておけるので、その間にバスで美術館に向かうことにする。奈良の中心部は車がある方が動きにくい。

 駅前から東大寺方面行きのバスで県庁前へ。目的の美術館はここからすぐ。それにしてもこの美術館を訪問するのはかなり久しぶりである。

 

 

「漂泊の画家 不染鉄」奈良県立美術館で3/10まで

久しぶりの奈良県立美術館

 放浪の画家とも言われる不染鉄の回顧展である。不染鉄は僧侶の息子として生まれ、若い頃に「自由に生きることが出来る」という考えから画家を目指したと言うが、それに行き詰まったのか突然に伊豆大島に渡って漁師になったりなど、かなり唐突な行動をしている。その後、京都市立絵画専門学校に入学して再び画家を目指しての訓練を始める。その頃には上村松篁などと交友があったという。その後、大戦下の画業が圧迫される時代を経て、戦後には奈良に中学校の理事長として招かれるなどをして、晩年は画壇を離れて悠々自適の生活を送ったという(この頃の話を聞いていると、どこか仙人じみた感覚がある)。

代表作の「山海図絵」

 彼の作品を見たときに、圧倒されるのはその描写の克明さである。ただし、その克明な描写はいわゆる写実とは異なり、心の中にある風景を配したと思われる幻想性を帯びた絵画になる。彼自身は古典的絵画に学んだとのことであるが、ある意味で非常に絵巻的絵画であることを感じさせる。

 精神の自由性を強く感じさせる作風であるが、その中には漁師生活を送っていた伊豆の風景がかなり原風景として焼き付いているようである。さらにそこに当時は長閑な寒村の風情のあった奈良の風景も結びついて、どことなく懐かしくも幻想的な風景を形成している。

 かなり独得のインパクトの強い絵画であるが、いわゆる今時のアートのようなインパクトだけで中身がない作品と異なり、非常に深い精神性を感じさせるのが最大の特徴でもある。何かその静けさの中に強烈に引き付けられる独得の魅力を持った作品である。

 不染鉄については、何かの機会に彼の作品を目にしたときに、その強烈なインパクトに魅せられてその名が記憶に残っていたので、この際だからとわざわざ奈良まで出向いてきたというのが実際のところである。確かにそれだけの価値を感じさせる非常に濃い展覧会であった。

 

 

お昼は葛メニュー

 展覧会の見学を終えるとJR奈良までバスで戻ってくる。そろそろ昼時であるが、立ち寄る店は決めている。かなりしばらくぶりの「天極堂」に入店。葛を使った「極パフェ」を頂く。

奈良駅ビル内の「天極堂」

 このパフェは葛入りのソフトやアイスがシッカリしていて融けにくいのもポイントだが、中に入っているのが、寒天でなくてくず餅なのがポイントが高い。実に美味いパフェである。

極みパフェ

中のこれが実は葛餅

 

 

 パフェを堪能してしばしマッタリしたところで、面倒なので昼食も済ませることにする。「吉野葛うどんセット」を注文する。吉野葛の入った出汁が麺によくからむ上に熱々。猫舌の私は少し冷ましてからでない食べられないぐらい。出汁が麺によくからむので、かなりあっさりした出汁にも関わらず、それでも食べられるという一品になっている。

続けて昼食の「吉野葛うどんセット」

 うどんを食べ終わるとデザートはできたてのくず餅。プルプルでたまらない。一度これを食べると、そこらのくず餅を名乗っている代物は、似ても似つかない偽者と分かる。

熱々の葛餅がデザートとしてついている

 本物の葛を使用していますとのアピールのため、レジ横には葛根を置いてある。こうしてみると本当に根っこである。ジャガイモなどに比べると得られるデンプン量などが少ないことから、最近は一般的にくず粉やわらび粉として売られているものも、大抵はジャガイモデンプンが原料の紛い物ばかりになっている。こういう本物は貴重である。

これが本物の葛根だとのこと

 

 

大和郡山城の見学をする

 昼食を堪能したところで、駐車場に移動すると車に乗り込んで大和郡山に移動である。奈良から大和郡山はすぐそこ。渋滞がなければ10分ちょっとと言うところか。目的地であるホールは大和郡山城の旧三の丸にある。駐車場に車を入れた時点で開演まで2時間程度ある。この間に隣の大和郡山城を見学することにする。

やまと郡山城ホール

 大和郡山城は大分前に1度訪問したことがあるが、その時は内部があちこち工事中で天守台などは登れなかった上に、時間の制約があったのでかなり駆け足の見学になった記憶がある・・・と思ったら、当時の記録をひっくり返したら、どうやらトランクを引きずりながらの見学だったらしい。そりゃどう考えてもまともな見学なんて出来ていないはずである。そこで改めて見学することにする。

大和郡山城縄張図

(出典:余湖くんのお城のページ)

 ホールのすぐ向かいにある大きな石組みは、かつての桜御門跡とのこと。これは絵図などから見ると三の丸の入口の門だったようである。

桜御門跡の巨大な石組み

 現在は三の丸の西端を近鉄の線路が走っている状況にあり、その向こうに広大な堀があって二の丸が見えている。とりあえずは近鉄沿いに南下、鉄御門のところまで移動する。

すぐ脇を近鉄が走り、その向こうは広大な堀を経て二の丸

線路の向こうに堀と二の丸を見ながら南下

 

 

 鉄御門は三の丸から二の丸に入る門であり、現在は近鉄の線路になってしまっているところが元来は堀で、橋を渡って門にたどり着くことになっている。名前からすると恐らく鉄板貼りの巨大な門だったのではと推測される。

鉄御門の踏切、かつてはここは堀を渡る橋だった

北側には広大な堀

鉄御門跡

 ここで道が折れていて先に進むと二の丸と本丸の間の巨大な堀が正面に見える。

鉄御門跡を抜けた先が二の丸で、本丸周囲の広大な堀に当たる

 

 

 そこから西に進むと竹林橋があり、柳澤神社となっているのが本丸。今ではここは土橋になっているが、往時には木の橋でいざという時には落とすようになっていたのではと推測する。

本丸南の竹林橋

 柳澤神社となっている本丸には続百名城の石碑がある。この神社の場所にはかつては本丸御殿があったのだろう。

本丸には続百名城の石碑がある

柳澤神社

本丸東の堀と極楽橋

 

 

 神社の奥が天守台である。ここに往時は五層の天守が建っていたとされる。天下人の秀吉の弟である秀長が治めにくいとされた奈良の地を治めるために築いた堅城だけに、やはり立派な天守で辺りにその力を見せつけていたのだろうと推測する。

天守台は整備されている

 以前の訪問時にはこの天守の上には上がれなかったのだが、今は工事が完了していて上がることが出来る。ここから見渡すと城の全域の構造が良く分かる。本丸の周囲をグルリと二の丸が取り囲む構造となっている。

天守から東の風景

 西の方の曲輪はかつての訪問時には学校が建っていたと思うのだが、今は公園に整備されているようである。ただ城址公園として整備するなら、贅沢を言えば復元武家屋敷の一軒ぐらいは欲しいところである。

天守から望む西側の風景

公園整備されている

本丸北側

 

 

 本丸の見学を終えると木製の極楽橋を渡って二の丸へ。この橋は比較的最近にかけられたものと思われ、かつての私の訪問時にはなかったのではなかったと記憶している。

極楽橋

 二の丸には柳沢文庫があるが、残念ながら現在は展示の入れ替えのために休館中とのこと。

柳澤文庫は休館中

 ここから北に降りていくと追っ手門のところに出る。立派な櫓門であり、ここがこの城の建造物としては一番の見所。

立派な櫓門の追っ手門

三の丸からも見えていた隅櫓

 

 

 それを抜けると右手に見える風情のある建物が城址会館。明治時代に奈良県庁の向かいに図書館として建築された建物の一部を昭和になって移築したらしい。文化センターとして使用されていたが、最近になって三の丸に文化ホールが新築された(私が今日、コンサートに来たところである)ので、現在はお役御免になっている模様。内部の見学が可能なので入ってみたが、出土した瓦が展示されていた。

城址会館

ここからは本丸はこんな具合に見える

城址会館に展示されていた出土瓦

 

 

 後は二の丸の北側をふらりと西の方まで回ってみる。この辺りは付近の住民の格好の散歩コースとなっているようで、散歩中の中高年を結構見かける。

本丸北側の曲輪

その西の曲輪、完全に公園化している

 これで大和郡山城の見学は終了。さすがに天下人の弟が整備しただけあって、かなり立派な城であった。続百名城への選定も整備の起爆剤になっている模様だし、地元としてはこれで観光開発が出来れば万々歳だろう。私はここのところ完全に欠乏していたお城成分を久しぶりにふんだんに吸収出来てお腹いっぱいである(笑)。

 

 

ホールへ移動

 大和郡山城の見学を終えるとホールに戻ってきて、開場までしばし待つことになる。しかしロビーのベンチは既に大量の老人に占拠されているし、喫茶も満席とのことなので、駐車場に行って車の中で時間をつぶすことにする。

ホールロビー

本日の催し物

 開場時刻が来ると大ホールに入場。大ホールは1000人ほど入れる規模のものと聞いていたが、一階席の奥行きがやけに短い印象を受ける。どうやらステージ拡張のために、一階席の前部の座席を6列ほどもつぶしているようである。元々のステージが結構狭いホールの模様。その辺りは音楽専用ホールでなくて多目的ホールである所以か。

一階席がやけに狭く感じる

 奈良フィルは一応は日本オーケストラ連盟準会員のプロオケである。とは言うものの、その認知度は近畿内でもかなり低く、マニアでさえプロオケとして認識していない者が少なくない。また今回在阪4オケ+京都市響+PACオケの近畿6オケに拡張された4オケ企画でも明らかにその存在が無視されてしまっている。

 このオケを私が以前に聞いたのは2016年とかなり昔で、その時は奈良県文化会館での公演だったが、ホールの音が飛ばない音響特性にもかなり阻害されて、今ひとつ冴えない演奏という印象が残っている。今回はどうであろうか。

 

 

奈良フィル ニューイヤーコンサート2024

奈良フィルは8-7-5-4-3編成

指揮 :    粟辻 聡
ナビゲーター :    喜多野 美宇子
ソプラノ :    大原 末子
テノール :    坂東 達也
合唱 :    奈良フィルハーモニー混声合唱団

[第1部]シュトラウスファミリーのポルカ特集!
トリッチトラッチポルカ アンネンポルカ
鍛冶屋のポルカ 観光列車 ピッツィカートポルカ
狩のポルカ クラップフェンの森で 雷鳴と稲妻

[第2部]オーケストラと歌のハーモニー
美しく青きドナウ/J.シュトラウス2世
フィンランディア/J.シベリウス
オペラ「椿姫」/G.ヴェルディより ”第一幕前奏曲”
”花から花へ〜ああ、そは彼のひとか”
”燃える心を〜ああ、自責の念が!” ”乾杯の歌”

 

 新年コンサートらしく、前半はシュトラウスファミリーによるポルカ集から始まる。奈良フィルは8-7-5-4-3編成という小型なオケであるが、小型が幸いしてかなかかなにまとまりの良い演奏をしている。ただこのような小型オケの場合はパワー不足が気になるところ。以前に聞いた奈良県文化会館での公演の時には、無駄に大きい上に音響効果が劣悪なホールのせいで、かなり非力さが際立つ結果となってしまっていたのだが、ここの場合はホール容積がちょうどオケとマッチしており、良い具合にホールが鳴っていた。

 以前に聞いたときには弦楽陣のまとまりに難を感じたのだが、今回聞いた限りでは確かに奏者の技倆にバラツキがあるのは感じるが、まとまり自体にはそう悪さを感じなかった。元気にガンガン行くタイプの曲調ばかりなのも幸いしていたか。

 一方、粟辻の指揮ぶりはかなり独得。感情を身体で表現というか、かなりクネクネとした下手をすればお笑い寸前の動作。まあ今回のようなお祭りの場合はそれでも良いが。

 後半の第2部は、コーラスとソリストを加えての歌メニューになるが、やはり気になるのは奈良フィルハーモニー混声合唱団があまりに素人丸出しであること。男声陣は人数が極端に少ない上に平均年齢がかなり高くパワー不足が否めないし、女声陣はバラバラでまとまりがなくいわゆるママさんコーラス状態。正直なところ極めて精彩を欠く歌唱に終始した。

 ソリストの大原と坂東は流石に安定感はある。ただ大原はやや線が細いタイプのソプラノで椿姫にはいささか押しが足りない。一方当初出演予定の藤岡晃紀のインフルエンザで急遽の代演となった坂東は、代演を思わせない安定感のある歌唱でなかなか聞かせた。

 寸劇的なやりとりも含んだ楽しいコンサートは、最後はお約束のアンコールのラデツキー行進曲で幕を下ろした。なかなか盛上がったコンサートであった。


 終演すると駐車場まで走って車に飛び乗る(ここの駐車場は収容台数がそこそこあるのに、出場ゲートは一箇所でしかも出場時にゲートで精算だから、大混雑が必至)。そのまま長駆して帰宅となったのである。

 

 

この遠征の前日の記事

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遠征2日目は若冲の動植綵絵を堪能してから、沖澤/京都市響のフランスもの

今日は京都へ明日は奈良へ

 翌朝は7時半に目覚ましが鳴るが、夜は爆睡していたはずなのに体が重くて動かない。どうやら私の認識以上に体に疲労が溜まっている模様。結局はグダグダしながら意を決して体を起こすまでに30分以上もかかってしまった。

 起床すると昨日購入しておいた朝食を摂る。今回は前回の反省(朝からカツ丼やパスタは重過ぎる)を踏まえてうどんにしている。まあこのぐらいが最も朝食には適切なようだ。

朝食は昨晩買い求めたきつねうどん

 朝食を終えると大急ぎで仕事道具をキャリーに詰め込むとチェックアウトする。今日は京都まで長駆する予定。目的は14時半から京都コンサートホールで開演する京都市響の定期演奏会だが、その前に美術館訪問の予定がある。朝に予定通りに起きられなかったことでスケジュールが後ろにずれているので、慌てて車を出すことにする。

 京都までは阪神高速と名神を経て1時間ほど。ただ京都市内に入ってからが渋滞で動きにくい。とりあえず最初の目的地は嵐山の福田美術館。近くの駐車場は観光用の割高なものばかりなので、少し離れたまともな価格の駐車場に車を置いてからしばし歩く。

 嵐山界隈はいつも大混雑だが、流石に今は厳しい京都の冬のせいか、いつもよりは若干人は少なめ。と言うものの、インバウンド中心にかなりの人混みである。

まあ渡月橋がこの状態ってのは、いつもよりは人が少ないが

 

 

「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」福田美術館で4/7まで

福田美術館

 京都画壇を代表する日本画の大家・竹内栖鳳とその弟子たちの作品を集めた展覧会。

 栖鳳と言えばまず思い浮かぶのは「獣の栖鳳」。まさにそれにふさわしい獅子や虎の絵も展示されている。なかなかに力強い絵であり、この迫力は流石に栖鳳。

竹内栖鳳「金獅図」

竹内栖鳳が阪神タイガース優勝を記念して描いた(嘘)「猛虎」

 一方で雀を描いた愛らしい作品も。

竹内栖鳳「野雀」

 川合玉堂、横山大観との競作も展示されている。本作では玉堂が雪、大観が月、栖鳳が花を担当しているが、この担当が異なるバージョンも存在するとか。

川合玉堂、横山大観、竹内栖鳳「雪月花」

 

 

 さらに栖鳳の師匠である幸野楳嶺の渾身の作品も登場する。

幸野楳嶺「蓮華之図」

 弟子筋では西山翠嶂に西村五雲、さらに上村松園なども展示されている。各人の特徴の出た絵画である。

西山翠嶂 「槿花」

西村五雲「高原之鷲」

上村松園「しぐれ」

 

 

 さらに伊藤小坡、村上華岳、土田麦僊など。小坡及び華岳はいかにも作品であるが、麦僊の「ヴェトイユ風景」は日本画の岩絵具でセザンヌ的な印象派っぽい作品を描いているという点で、彼のチャレンジを思わせて面白い。

伊藤小坡「雪の朝」

村上華岳「雲中散華」

土田麦僊「ヴェトイユ風景」

 また入江波光に小野竹喬など蒼々たるメンバーの作品が揃う。

入江波光「臨海の村」

小野竹喬「河口近く」

 結構見ごたえのある内容であった。流石に京都画壇の血脈は侮れない。

 

 さて日本画を堪能してからホールに行く前にもう一カ所立ち寄る予定。これは私としては初訪問の美術館。まあ美術館と言っても相国寺の宝物展示館のようなものである。相国寺の山門にたどり着くと車で構内へ。案内に沿って走ると駐車場があるので、そこに車を置いて美術館へ向かう。

 

 

 

「若冲と応挙」承天閣美術館で1/28まで

相国寺内の承天閣美術館

 相国寺が所蔵する伊藤若冲と円山応挙の作品を展示。

展覧会の看板

 第一展示室はいきなり若冲の動植綵絵全点が展示されていて圧倒される。そう言えばこの作品はそもそも相国寺に寄贈された作品だった。例のNHKのBLドラマ「ライジング若冲」で有名にもなったハートが飛び交う鳳凰像なども展示されている。鳥の絵がメインであるのだが、左も右も一番端に魚介類の絵があるのが興味深いところ。こちらも鳥と同様に観察に基づいて描いていると思われる。かなり精密描写が光る。

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 第二展示室には若冲による水墨画の障壁画が展示されている。先ほどの精密絵画と違い、こちらは墨の滲みなどを生かして結構勢いを持って描かれているのが特徴。なおこちらでは若冲の鳥以外での得意分野、青物問屋店主の経歴から来る野菜の描写の上手さが光る作品もある。

 この展示室の奥には応挙の水墨作品もある。若冲の水墨画勢いで描いているのに対し、徹底的精密描写なのがさすがに応挙。また応挙の絢爛豪華な牡丹孔雀図なども展示されていて見応え十二分。なお子犬を描いた「狗子図(別名モフ図)」なども展示されている。


 これもかなり見応えのある展示であった。特に動植綵絵は私は東京で見たもの以来。ただあの時はとにかく人混みがすごかったので、絵の上半分しかよく見えない状態だった。今回はそれを堪能できたのが一番の収穫。

 

 

昼食は洋食を

 これで美術館の予定は終了なのでホール近くに確保している駐車場まで車を走らせる。車を置いた時には開場の30分前ぐらい。まだ時間的余裕があるので、とりあえず昼食を摂っておくことにする。「東洋亭」は当然のように無理(待ち客多すぎ)。「進々堂」が待ち客がいない状態だったのでそこに入店する。

 注文したのはビーフシチューのセット。まあ可もなく不可もなくというところか。少なくとも前回に立ち寄ったフォルクスよりは数段美味い。またここはパンが食べ放題なのが良い(と言っても、今はそんなにガツガツ食える体調ではないが)。

サラダに

ビーフシチュー

 昼食を終えるとホールに入場することにする。私が確保したのは3階正面の席。ここから見渡したところ、ホール内は9割ぐらいは入っている模様。まずまずの入りである。

久しぶりの京都コンサートホール

 

 

京都市交響楽団第685回定期演奏会

3階正面の席を確保

沖澤 のどか(常任指揮者)
吉野 直子(ハープ)

オネゲル:交響曲 第5番 「三つのレ」
タイユフェール:ハープと管弦楽のための小協奏曲
イベール:寄港地
ラヴェル:ボレロ

 京都市交響楽団の首席指揮者に就任した沖澤のどか指揮による公演。今回はフランス系の小品が集められており、なかなかに洒落た演奏をする沖澤にはむいている選曲というように思われる。

 一曲目のオネゲルはいささか重たい曲である。当時のオネゲルは健康状態に不安を抱えており、それが反映されたのかもしれない。沖澤のアプローチはその重さを反映しつつも、過度には重たくならないようなバランス。また京都市響の響きも基本的には陽性であるので、どことなくアンバランスな感もなきにしもあらず。

 二曲目はオケを小編成に変更してのハープのための協奏曲。吉野のハープは非常に華麗で美しくあり、この曲の曲調とも合致している。

 休憩後のイベールはパーカーションフル動員の華麗な曲。公演開始時にステージ上に大量に並んでいた多彩なパーカッションはほぼ全てこの曲のために用意されていたらしい。こういう煌びやかで華麗な曲は、まさに沖澤の真骨頂という感を受ける。京都市響の音色にも一際華麗さが加わる。

最初からステージに配されていたパーカッション群はこの曲のため

 そしてそのノリのままにラストは京都市響ソリスト陣の個人技が光るボレロ。ラヴェルの達人技のオーケストレーションを支える各楽器の華麗な音色が曲を盛り上げ、そのまま興奮のクライマックスへ。

 いささか軽めで派手目なプログラムは沖澤にあった選曲のように思われる。もっとももっと違ったパターンも聞きたい気もするのであるが。

 

 

この日は奈良の高級ホテルで宿泊する

 コンサートを終えるとホテルに向かうことにする。明日は奈良に予定があるので、今日の宿泊は奈良にしている。宿泊ホテルはスーパーホテル奈良駅前。天然温泉付きでスーパーホテルの中ではランクの高いホテルであり、私からしたら高級ホテルになる。ここのところはインバウンドの影響で宿泊費が高騰して、私には手の出ないホテルになっていたが、現在はレストランが工事中とのことで、自慢のLOHAS朝食が出せないせいか、週末にも関わらずまあまあな価格になっていたことで選択。

 ホテルの駐車場まで車を走らせるとチェックイン。部屋はデラックスなシングルだったようで、なかなか広い部屋である。昨日の新今宮基準のホテルとは雲泥の差である。

高級ホテルの広いシングルルーム

窓からは奈良駅前の風景が

 

 

三条通に夕食に繰り出す

 部屋に荷物を置くととりあえずまずは夕食に。ここの駅には「やよい軒」とかしかないので、三条通方面に繰り出す。しかしどこか当てがあるわけでなし、プラプラしたものの面倒くさくなってきたので、三条通の入り口近くにあった「やまと庵」に入店する。

繁華街の三条通をうろつくが、意外に店がない

やまと庵は私の出る頃には待ち客が増えていた

 待ち客がいたので10分ぐらい待たされる。内部はロールカーテンで仕切った個室のような構造になっている。とりあえず飲み物に梅サイダーを注文。さっぱりしていてなかなかである。

つきだしに

梅サイダー

 

 

 一応は地場産品推奨の緑提灯の店であるが、流石に居酒屋定番の刺身盛りは地場ではなかろう(笑)。と言うわけで、料理の方はまずは「和牛の薄切りレアステーキ」「やまと豚の角煮」を注文する。レアステーキの方はさっぱりしていてなかなか。角煮の方は肉が柔らかい。

和牛ステーキ

豚の角煮

 これだけだとやや不足なので「大エビフライ」を追加。まあ悪くはないが、あまりインパクトのあるものでもない。

大エビフライ

 締めは「おにぎりの天ぷらだし入り」。これはもう少し味にインパクトが欲しいところ。

これはもう一味欲しかった

 以上で締めて4444円(なんて価格だ?)。まあその程度は覚悟はしていたが、CPとしてはあまり良くはないか。味は悪くはないんだが、印象に残るものでもなかったというのが本音である。

 

 

 夕食を終えるとホテルに戻って入浴。地下から汲み上げたナトリウム・カリウム塩化物泉とのことで、嘗めてみるとわずかに苦味が感じられる。快適な湯で凝り固まった体をほぐした上で、体を温めておく。

 入浴後は部屋に戻ると仕事環境構築。こちらのホテルは昨日と違って広々としたデスクがあるので、快適に作業スペースが確保できる。この辺りは高級ホテルとエコノミーホテルのどうしようもない差である。

余裕のあるデスクスペースに快適な仕事環境構築

 しばし原稿作成作業を行っていたが、昨日からの疲労は如何ともしがたく、この日は昨日よりも早めに就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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数年ぶりに白鶴美術館に立ち寄ってから、鈴木優人指揮の関西フィルの年末第九へ

関西フィルの年末第九へ

 いよいよ12月となるとクラシック界は第九のシーズンである。そして今日は関西フィル恒例の年末第九に繰り出すこととした。正直なところ年末第九も耳タコな感があるので、パスした年もあるのであるが、今年は鈴木優人指揮とのことであり出かけることにした。

 午前中に家を出ると阪神高速を突っ走る。週末だというのまたも神戸市内で渋滞である。ようやくその渋滞を抜けると摩耶ICで一旦降りる。今日は途中で寄り道の予定があるのが、午前中に家を出た理由。

 摩耶からしばし東に走って川沿いに北上した山の手の住宅街の中に目的地の白鶴美術館はある。かの有名な灘の銘酒白鶴を産み出した白鶴酒造の7代目当主嘉納治兵衛の収集品を展示するために1934年に設立された私立美術館の雄である。7代目嘉納治兵衛は奈良・興福寺の執事を務めていた中村家出身の婿養子だそうで、若い頃から古美術好きであったので、酒造業で成功を収める傍らで古美術の収拾に力を入れたのだという。美術館を設立したのは自分の死後にコレクションが散逸するのを防ぐと共に、一般の人びとの鑑賞及び研究に役立つようにとのことだから、ただの趣味人だけでなく、かなり高い公共意識の持ち主であり、今時の守銭奴経営者とは一線を画している(竹中平蔵などは虚栄心はあっても公共心は微塵もない)。建物は独得の和風洋式建築となっており、これも国登録有形文化財とか。なお1995年に10代目嘉納秀郎が収集した中近東の絨毯などを展示するための新館が南に建設されたが、こちらはコンリート打ちっ放しのいかにも現代建築である。

白鶴美術館

新館はコンクリート造り

 

 

「中国陶磁の植物文-清雅と繁栄の象徴」白鶴美術館で12/10まで

 かなり昔に訪問したことのある美術館であるが、その時は本館のみだった記憶がある。本館では中国陶器の展示、南にある新館ではペルシア絨毯が展示されている。

 本館の展示は植物文を描かれた陶磁器を展示。展示品は鮮やかな唐三彩から渋い青磁まで様々である。やはり青磁などの単色の器は絵柄が見えにくいので、文様に注目するよりもどうしても形態の妙の方に注意を取られるので、文様を楽しめるのは彩色陶磁の方になる。

 それらの陶磁器はなかなかに色鮮やかであり、植物の絵柄云々抜きに見ていて楽しい。まあ黄色や緑色の鮮やかな色彩は、私が好む織部に相通じるところも感じさせる。また併せて狩野探幽の養老之瀧図などの絵画も展示されており、これも興味深いところであった。


 白鶴美術館は中庭を囲むように建っており、奥が展示館になる。中庭中央の巨大な灯籠は東大寺大仏殿の国宝の東大寺金銅製八角燈籠から型どりしたコピーとのこと。

奥が展示室で正面が東大寺の灯籠のコピー

中庭墨のこの茶室も有形文化財らしい

 本館の南にはコンクリート造りの新館があり、こちらでは中近東の絨毯が展示されており、こちらも植物文のものとのことだが、こっちについては私にはとんと分からない(笑)。植物文と言われると植物文なんだろうが・・・。

新館入り口は実にシンプル

 白鶴美術館を後にすると、大阪に向かって走る。この走行は順調だったが、問題はホール近傍に到着してからの駐車場探し。事前に目を付けていた駐車場が悉く満車で、しばし周辺を駐車場探しでウロウロ。空いている駐車場はあるものの、そういうところは悉く1日1000円以上というボッタクリ駐車場(上限さえない恐怖の駐車場もある)。まともな料金の駐車場を探して辺りを何周も。諦めかけてUターンしようかと思った時に、目に飛び込んできたのが全く初めての駐車場。1日料金が最大900円とのことなのでここに決める。

 

 

イレブンは移転してしまっていた

 ようやく車を置いたところで、次は昼食を摂る店を探すことにする。今日の気分はそばではない。そこで「イレブン」を思いついて立ち寄るが、どうも明かりが消えているようだ。土曜は休みではないはずなのだがと入口を覗くと張り紙が。

イレブン移転の案内

移転先はこちらのよう

 どうやら11/28日付で移転が決まったようである。将棋会館のビルもかなり老朽化が進んでいるとの話なのでいよいよ解体か? 将棋会館を高槻に追いかけていくのかと思ったら、移転先は福島の鷺洲とある。ギリで福島圏内だが大分西の方になるのでいささか遠い。これでは今後は余程切実にバターライスや豚珍美人が恋しくならない限りなかなか立ち寄りにくい。これはいよいよ福島地域の新規店舗開拓が必須になってきた。

 

 

やむなく昼食は寿司に

 「イレブン」に振られたので、こうなると次の選択肢は「魚心」ぐらい。「魚心にぎり定食」に後でカンパチにぎりを追加する。この店は今日も私の来店時はガラガラ。正直なところこの店も今後に心配があるのだが・・・。なおにぎりは美味い。特に追加で注文したカンパチがシコシコして実に美味い。以上で支払いは1230円ということでCPも悪くはない。

いつもの魚心

魚心にぎり定食赤出汁付き

追加でカンパチにギリ

 

 

ホールは満員だった

 昼食を終えると開場時刻が近づいてきたのでホールの方へ。開場数分前だが、律儀に行列を作って入口前で待っている日本人の光景。ところでやはり年末第九は観客が多いのか、待ち客もいつもより多め。

日本人の風景

ホール内にはツリーが

 クリスマスイルミネーションのホールに入場すると喫茶に直行する。最近は開演まで喫茶でつぶすのが常になってしまった。私も堕落したものである。なお喫茶にはみるみる行列が出来てあっという間にほぼ満席。やっぱり今日は客が多いようだ。

喫茶で時間をつぶす

 着席前にトイレにと思ったら、ここも大行列だった。今日は観客が多い上に、やはり長丁場だけに事前に備えようという者も多いのだろう。なんとか用を済ませて着席して辺りを見回すと、全体の入りは9割以上。確かに大入りだったのである。

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 「第九」特別演奏会

ステージ上がいささか狭っ苦しい

[指揮]鈴木優人
[ソプラノ]澤江衣里
[カウンターテナー]久保法之
[テノール]櫻田 亮
[バリトン]加耒 徹
[合唱]関西フィルハーモニー合唱団
[管弦楽]関西フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」

 鈴木優人で第九と言えば、昨年に読響を指揮してのものが印象に残っている。その際には古典的でも現代的でもないノンビブとビブラートをケースバイケースで使い分ける自在さと、硬軟自在の非常にダイナミックさに満ちた演奏に圧倒されたのであるが、果たして関西フィルを指揮してどのような演奏をするかが興味深いところである。

 なお声楽ソリスト陣は私には馴染みのない方々ばかりだが、今回はアルトでなくカウンターテナー歌手を用いているのが特徴の1つ。なお読響の公演の際はソリスト及び合唱団は4楽章が始まっても入場せず、出番の直前に合唱団及びソリスト達が入場するというパターンを取ったが、流石に人数の少ないプロ合唱団と違い、関西フィル合唱団は曲の最初から待機という方法を取らざるを得なかったようだが、それでもソリスト陣は4楽章が始まってから入場して、ステージ脇の椅子にスタンバるという方法を取っていた。恐らく3楽章後に入場だとソリスト陣入場の際に拍手が起こって音楽が途切れることを嫌ったと推測する。なおソリスト入場に関しては、以前にアクセルロッドが読響で行った、バリトンが出番直前に「ちょっと待った」とばかりにステージに現れるという演出が非常に面白かった上に理にも叶っていた記憶がある。

 さて演奏の方であるが、基本的には読響の時と同じで、第1、第2楽章はビブラートをあまり使わないノンビブに近いシンプルな演奏。しかし音色はシンプルでも音楽は非常に起伏の大きいダイナミックなものである。ただ悲しいかなどうしても読響と比較すると彼我の実力差はある。関西フィルは読響ほどのパワーがないのでどうしてもこじんまりした感じになってしまうきらいがある(編成も12型と中規模編成であるが)。また緊迫感を持った演奏よりも、デュメイに鍛えられたネットリしっとりというのが関西フィルの持ち味なので、どうしてもやや甘い感じになってしまうのは否定出来ない。

 第3楽章はビブラートも利かせてしっとりと歌う楽章。やはりこういう曲調になると関西フィルの特性が発揮されることになって結構しっくりとくる。

 そして最終楽章。残念ながらここでも合唱団の実力差は如何ともしがたい。関西フィル合唱団も頑張っているが、プロ合唱団との実力差は明確。それがどうしても音楽全体の完成度に影響を及ぼす。

 以上、かなり否定的に聞こえてしまったかもしれないが、それは比較の相手がプロ合唱団を起用しての読響の公演だからというわけであって、決して今日の公演が駄目なわけではない。今日の公演に関して言えばなかなかの熱演であり、怒濤のフィナーレは血湧き肉躍るものがあった。それ故か場内もかなりの盛り上がりとなったのである。

 

 

遠征最終日は京都方面の美術館を回ってから、カンブルラン指揮の京都市響

最終日は京都へ

 翌朝は目覚ましで7時に起床。完全寝不足だった昨日と違い十分に睡眠を取ったはずなのであるが、朝から身体が重くて動かない。やはり流石に昨日いろいろと走り回りすぎたようである。どうも年齢のせいか無理が利かなくなってきている。

 とりあえず昨日の帰りに買い求めたパンを朝食として腹に入れると、活動開始のための体温上げにシャワーを浴びる。年齢と共に変温動物化してきた昨今は、とりあえずこうやって体温を無理矢理に上げてやらないと朝一からはエンジンがかからない。

 さて今日の予定であるが、これから京都に移動、本日14時半から京都コンサートホールで開催される京都市交響楽団の演奏会に出向くのがメインの予定である。もっともわざわざ京都くんだりまで出向くのであるから、当然の如く京都地区の美術館を回りたいという腹づもりもある。もっともこれは時間次第。しかも今の京都はオーバーツーリズム状態で交通はかなり混乱している可能性もある。もう出たとこ勝負である。

 まずはホールから一番遠い福田美術館を訪問することにする。大阪-京都間が渋滞する危険も考慮に入れて、通常なら1時間もあれば到着するはずのところを1時間半を見込んで出発する。途中の高速は思いの外順調で、京都縦貫道の大原野ICで降りたときには9時過ぎぐらいだったので「こりゃ現地到着が早くなりすぎるかな」と思ったのだが、大変なのは高速を降りてからだった。嵐山手前から渋滞アフター渋滞のトロトロ運転が続き、駐車場に車を置いた時にはもう美術館開館時刻の既に10時直前になっていた。

 なおこの時期の嵐山はまさにオーバーツーリズム状態そのもの。そして周辺の駐車場は軒並み満車で、周辺に商機を見たにわか駐車場が登場すると共に、元々の駐車場も軒並み価格を大幅に上げていて、大体相場は1日2000円という超ボッタクリ価格である。美術館訪問のためにたかだか1時間ちょっと停めるだけの私は、とてもそんなボッタクリ価格を払う気にはなれず、結局は美術館から徒歩10分ほど離れた普通の価格のコインパーキングに車を停めて延々と歩くことになる。おかげで美術館に到着したのは開館時刻を少し過ぎた頃である。

観光客が殺到している嵐山

 

 

「ゼロからわかる江戸絵画 ーあ!若冲、お!北斎、わぁ!芦雪ー」福田美術館及び嵯峨嵐山文華館で'24.1/8まで

ようやく福田美術館に到着

 江戸時代に大活躍した伊藤若冲、円山応挙、長沢芦雪らに加え、浮世絵の葛飾北斎など蒼々たる面々の作品を集めて展示する。

 福田美術館でまず最初に登場するのは精密写生の鬼こと円山応挙の作品。最後は今人気のモフ図まで含めて展示してある。

円山応挙「厳頭飛雁図」

円山応挙「陶淵明図屏風」

円山応挙のモフ図こと「竹に狗子図」

 次は円山応挙の弟子である長沢芦雪。応挙とは少し異なる個性が光る。そして芦雪風モフ図も登場。

長沢芦雪「岩上猿図」

長沢芦雪「鍾馗図」

芦雪のモフ図こと「親子犬図」

 

 

 そして江戸時代の奇想の画家と言ったら忘れてはいけない曽我蕭白も登場。独得のシニカルな雰囲気の虎がいかにも彼らしい。

曽我蕭白「虎図」

曽我蕭白「柳下白馬図」

 そして最近人気急上昇の奇想の画家・伊藤若冲も登場。達人技の墨の暈かしを生かした鯉図や、青物問屋の主人だった若冲らしい作品に、さらには若冲と言えば忘れてはいけない鶏の絵も登場する。

伊藤若冲「鯉魚図」

伊藤若冲「大角豆図」

伊藤若冲「蕪に双鶏図」

 

 

 階を変えて第二展示室は狩野派や琳派による大型の屏風が登場。狩野派から発して、狩野派の最大のライバルとなった長谷川等伯の作品が登場。精神性の強い作品から、装飾性の高い作品まで幅広くこなす等伯の装飾性に富む作品である。

長谷川等伯「柳橋水車図屏風」左隻

同右隻

 そしてその装飾性を引き継いだ琳派を代表する絵師が尾形光琳。その光琳がその装飾的な画風を確立する前の、若き頃の作品が展示されている。

尾形光琳「十二ヶ月歌意図屏風」左隻

同右隻

中村芳中「山水図」

 

 

 会場を嵯峨嵐山文華館に移すと、こちらに登場するのは葛飾北斎の肉筆画。まずスパイダーマンを思わせる大天狗に始まり、美人画など。

葛飾北斎「大天狗図」

葛飾北斎「砧美人図」

葛飾北斎「唐子人形を操る布袋図」

 

 

 こちらの会場は浮世絵系の絵師の作品が展示されており、勝川春章の作品なども展示されている。結構個性が強いのが祇園井特の作品。

勝川春章「桜下美人図」

月岡雪鼎「美人図」

紫式部を描いた祇園井特「紫女図」

 上階の座敷には広重の東海道五十三次が展示されていたが、これについては今更感もある。

広間には東海道五十三次が並べられていたが・・・

 

 

 なかなかに堪能出来る展覧会であったが、それだけに見学に結構時間を費やしてしまった。次の予定を実行するかどうかが時間が微妙なところである。次に考えていたのは東山地区の京セラ美術館と国立近代美術館の栖鳳絡みの展覧会。とりあえず東山に向かって走り、現地到着時間や駐車場の空き状況で判断、時間が足りないかもしくは駐車場が空いていなかったら諦めてホールに直行しようという考え。

 まあ予想通りであったが、京都の市街は車が混雑していてつかえつかえの走行となりストレスが溜まる。時間がないからもうこの際は昼食を抜いたとして(私の遠征では昼食抜きの局面が意外に多い)、開演が14時半からであることを考えると、東山を遅くとも13時半には出ないとこの車の多い状況下では移動がヤバいと計算する。そして現地に到着したのは12時前。非常に時間的に微妙で判断に悩むところだが、京セラ美術館の駐車場がたまたま空いていたことから、これぞ天佑と考えて訪問を決定する。

 どうやら駐車場が空いていたのは本当に偶然のタイミングだったようだ(私が停めた途端に満車)。とにかく時間が惜しいのでまずは小走りで京セラ美術館へ。

京セラ美術館へ

 

 

「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」京セラ美術館で12/3まで

栖鳳と言えば獅子

 明治以降の京都画壇を代表する巨匠、竹内栖鳳の作品を一堂に集めて展示。まずは初期の伝統的な日本画の流れを汲みつつも、新しい時代の方向を模索する時代の作品から始まる。この時代の作品は卓越した技倆を見せつつも、まだ突き抜けた個性は発現していない。

 また海外に取材した作品が登場。非常に珍しい栖鳳の油彩画も展示されている。なお今回展示された「羅馬遺跡図」は新発見のものとか。さらには栖鳳と言ったときにすぐに連想される迫力のある虎の絵なども登場する。これも動物園で実物を見て描いたものだとか。

 そして伝統の日本画を破壊して新たな絵画を作るべく奮闘した時期の作品。ここでは重要文化財となっている有名な「絵になる最初」が展示されているが、その下絵も合わせて展示してあるのが特徴。絵心皆無の私には得られる情報は少ないが、そちらの心得のある人物なら多くの情報が得られるのでは。

竹内栖鳳「絵になる最初」

その下絵

 

 

 晩年はなぜか動物の絵が増えていくのだが、ここでも下絵と合わせて展示してあるのが特徴。

竹内栖鳳「雄風」左隻

同右隻

左隻の下絵

同じく右隻の下絵

 かなり物量的にも圧倒的な栖鳳ワールドが繰り広げられた。私は時間の関係で30分もかけずに駆け抜けた感じであったが、それはいささか勿体なく感じられたところ。


 栖鳳の見学を終えると向かいの国立近代美術館へ。こちらでは「栖鳳、松園に続く新世代たち」と銘打った展覧会が開催中。

向かいの国立近代美術館へ

 

 

「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」京都国立近代美術館で12/10まで

記念撮影ポイントですか

 明治以降の京画壇を代表する画家たちの作品を展示している。中心と据えられている画家はまず土田麦僊であり、その独特の空気のある作品が楽しませてくれる。

 そして麦僊の絵画を見ていると、次に来る小野竹喬の作品が確かにここまでの正当な流れを汲んでいるよなということが納得出来たりする。なお竹喬だけでなく、榊原紫峰や野長瀬晩花など百花繚乱。その中で一人異彩を放っている秦テルオの尖った表現なんかも目立つ。

 そして大正となると甲斐庄楠音や岡本神草などのデロリとしたグロテスクさも秘めたインパクトの強い絵画が登場する。

 そのような時代の変遷のある中で、一貫して自らのスタイルを貫いている竹内栖鳳、上村松園、菊池契月、木島櫻谷といった存在も興味深いところ。京画壇の百家争鳴状態が覗えてなかなかに面白かったのである。

 とりあえず蒼々たる画家たちの作品が並んでいるので、ザッと眺めていくだけでも相当に楽しめる展覧会であった。こちらも時間の関係でやはり駆け抜けるに近い状態になってしまったのがつくづく勿体ない。

 

 

 以上、合わせて1時間ちょっとで見学を終えると車を出してホールに向かうことにする。途中の道の混雑を警戒していたのだが、京都の中央部からかなり離れたホール周辺の道の混雑はさほど多くなく、予想よりも遥かに早く確保していた駐車場に到着したので、開演までの時間で慌てて昼食を摂ることにする。一応「東洋亭」を覗いてみるが、案の定話にならず、他の店も結構混雑、仕方ないので気が進まないもののロイヤルホストに入店することにする。

満足度の低い昼食

 注文したのはハンバーグのビーフシチュー煮込みだが、まあ覚悟はしていたものの、思っていた以上に美味くない。まあマズいとまでは言わないのだが、とにかく美味くないのである。特に全く牛肉感を感じられないハンバーグが美味くない。あまり良くない肉を筋などが残らないようにベタベタになるレベルまで挽いたんだろう。これでまだ価格が安ければ救いがあるが、結局は東洋亭と比較してもそう安いわけではないのであちらが行列が出来るわけである。私も時間の制限がなかったらあちらに並ぶところである。

 とりあえず不満いっぱいではあるものの昼食を終えたのでホールに入場する。今日はカンブルランが登場であるが、ホールの観客は私の予想よりは少なめ。7~8割程度というところか。カンブルラン、意外と人気が無いのか?

京都コンサートホールへ

 

 

京都市交響楽団 第684回定期演奏会

席は3階の正面

シルヴァン・カンブルラン(指揮)

モーツァルト:交響曲 第31番 ニ長調 K.297 「パリ」
ブルックナー:交響曲 第4番 変ホ長調 「ロマンチック」(1888年稿 コーストヴェット版)

 一曲目はモーツァルトであるが、やはりカンブルランらしい現代アプローチである。音色に冴えがあって、非常に明快な曲として聞こえてくる。間違いなくモーツァルトが当時に聴いていた音とは全く違う音なのだろうが、逆にそれがモーツァルトの音楽の普遍性を感じさせるところがある。

 流石に京都市響のアンサンブル力は高い。こういう曲の時は非常に整然とした演奏をする。それでいて音色に生命感がある。なかなか爽快なモーツァルト。

 休憩後の後半はブルックナーの4番。4番を聴くのはかなり久しぶりなのであるが、やはり後期の作品と比べると構成に冗長なところが多いような感じがする。ブルックナーの聴かせどころのアダージョ(私にとっては落ちポイントの魔のアダージョ)なんだが、やはりいささかしんどいのは否定出来ない。

 もっともカンブルランの演奏はかなりメリハリを効かせている演奏であり、非常にオケが色彩豊かに良く鳴っている。そのおかげでこの長大な交響曲を退屈からかなり救っているという印象。もっともその分、ブルックナー流の重厚さというのはやや欠けた印象はある。ブルックナーの交響曲はよく重厚なオルガン曲にたとえられるのであるが、カンブルランの演奏はオルガン曲と言うよりは、華やかなブラスバンドのイメージに近いか。その辺りは好みは分かれそうである。


 以上、コンサートを終えると新名神を突っ走っての帰宅と相成る。京都市内で渋滞に引っかかって、高速に乗るまでに1時間以上もかかったせいで、新名神を突っ走る時には辺りは真っ暗。真っ暗で車も少ない道路を淡々と走っていたら、気分が鬱に入っていって病みそうな気がする。そこで久しぶりに私のドライブソングの「明日へのbrilliant road」を大音量でガンガン鳴らしながら突っ走ったのである。これと「Shangri-La」「gravitation」が私のメンタル回復ソングである。

 

 

この遠征の前日の記事

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初訪問の美術館を含む美術館巡りと映画鑑賞の後、大フィルの定期演奏会へ

丸一日の休みはかなり忙しいことに

 昨晩は寝苦しくてやや寝不足気味であるが、今朝は7時半に目覚ましで起床する。やや眠い目をこすりながら、昨晩ファミマで買い求めていたカツ丼が朝食。どうもチョイスを間違えた。少々朝から胃がもたれる。

朝食にこれは失敗だった

 とりあえず活動のためにシャワーで体温を上げると出かける準備をする。今日の予定は夜に大阪フィルのコンサートがあるが、丸一日が空くので午前中に大阪南の美術館を訪問するつもりである。

 9時過ぎにホテルを出ると高石まで突っ走る。最初の目的地は小林美術館。文化勲章受章作家の作品を収蔵したという美術館。途中で渋滞があったり、目的地近くで路地地獄にはまり込んだりなどの紆余曲折はあったが、現地に到着したのはちょうど開館時刻の10時。

小林美術館に到着したのは10時きっかり

 

 

「橋本関雪生誕140周年記念 東洋へのまなざし 日本と中国の情景」小林美術館で12/10まで

 文化勲章受章者の作品を中心に展示している同館の展覧会。今回のメインは橋本関雪となっているが、やはり関雪と言えば馬か。

橋本関雪「蓬莱宝船図」

橋本関雪「意馬心猿図」

橋本関雪「高原新秋」

 さらに菊池契月、川合玉堂などの私の好みの作家の作品も。

菊池契月「風軟」

川合玉堂「緑陰垂釣」

 

 

 また富岡鉄斎、冨田渓仙などといった辺りも展示されている。

富岡鉄斎「渓山訪友図」

冨田渓仙「屈原漁夫図」

 そしてやけに印象深いのが中澤弘光のこの作品。

中沢弘光「鶴の舞」

 階を変えて2階展示室では秋をテーマにした絵画。この階は撮影不可作品が多いのだが、児玉希望などなかなか印象に残る作品が多々。その中でピックアップアーティストとして展示されていた樫原喜六と宇野孝之の作品が強烈に印象に残る。

樫原喜六「茅葺きの郷」

宇野孝之「秋宵」

 ちなみに同館展示作は撮影可と不可が入り交じっているが、どうやら著作権が切れるのが没後50年として、死後50年以上経過している作家の同館所蔵品は撮影可にしていると思われる。なおピックアップアーティスで紹介の作家は存命だが、恐らく作家の宣伝と言うことで許可を得たのだろう。

 展示数自体はそう多いわけでもないのだが、それなりに個性が覗えて興味深い作品が多数であった。

 小林美術館の見学を終えると、次は正木美術館を訪問することにする。この美術館の訪問は初めてである。書画や茶器などを所蔵した小規模の美術館である。

 

 

「禅ものがたり」正木美術館で12/3まで

正木美術館

 禅の精神に纏わる作品とのことで、絵画にはついては文人画になる。ただ人物画についてはどうにも定型的な印象を受けて、あまり個性を感じられないので今ひとつ面白味がない。そんな中で流石に重要文化財指定の「六祖慧能図」は異彩を放っている印象。妙に人物の存在感がある。

 茶器系統もあったが、基本的に織部から始まっている私には、全般的に地味で印象に残らず。

 最後に大作の群仙図屏風も展示されていたが、やはり全体的に平凡の印象は免れず、同じ題材を扱った曽我蕭白の異彩ぶりがかえって実感出来たというところがある。

 やはりテーマが禅となると、私にはあまりにも渋すぎたか。やはり私はもう少し浮かれた内容の方が合うようである。

 

 美術館見学後は、隣の正木邸を見学する。和風の苔庭のある典型的な日本建築。ちなみに土日は内部の見学も出来る模様。今日は平日なので庭園だけを見学することにする。なかなかに趣深い。

正木邸の苔庭

和式の庭園である

なかなか趣深い

 

 

昼食は近くの洋食店で

 庭園の見学後に昼食のため近くの店に出向くことにする。立ち寄ったのは「西洋料理ホルン」。典型的な街の洋食屋という店構え。ランチメニューが何種かあるが、今日は少し贅沢してハンバーグとエビフライのセットにデザートを付ける。

近くにある西洋料理ホルン

 まず最初はポタージュスープ。なかなかに美味く空腹を刺激してくる。しかし正直なところもう少し量が欲しいところ。

ポタージュスープ なかなか美味い

 メインはハンバーグとエビフライのプレート。ハンバーグのデミグラスソースが自家製なのかやや特徴がある。ただ個人的な好みから言えば、全体的に味付けがややしょっぱいように感じられるのが気になるところ。

メインのプレート

 最後はホットコーヒーとデザート。シャーベットがさっぱりしていて実に美味。

デザートはシャーベットが爽やか

 満足度はそれなりにあるのだが、以上で2360円の価格は私の感覚では少々お高い。と言うわけでCPの点でややしんどいかという気がする。まあそれならもう少し安いセットにすれば良いんだろうが。それとやはりこの手の洋食屋の常で味付けが若向きかもしれないので、そういう点でも私のようなジジイにはツライか。

 

 

昼には映画に出かける

 昼食を終えると一旦ホテルに戻ってくる。駐車場に車を置いて部屋に戻ってくると一息つく。さてこれからの予定だが、今日は19時から大阪フィルの定期演奏会。当初予定ではそれまで部屋でゴロゴロしているつもりだったが、それではあまりに無駄である。そこで映画を見に行くことにした。例のイオンカード特典の1000円鑑賞券を用意してあるので、イオンシネマシアタス心斎橋に出向く。

イオンシネマシアタス心斎橋

次回作品の紹介が

 見る映画は今話題の「ゴジラ-1.0」。なお映画の内容については別記事に掲載することにする。

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 映画を終えるとホールに向かうことにする。ここからだと四つ橋まで歩いて地下鉄に乗るのが最短ルートか。

 

 

夕食はラーメン

 肥後橋で降りると、ホールに入る前に若干早めだが夕食を摂ることにする。いつもヨルのコンサートは夕食に困るところ。公演前だと若干早めだが、公演が終わってからだとほとんど店がなくなってしまう。とりあえず今回は久しぶりに「ラーメン而今」に立ち寄って「特製あさり塩そば(1000円)」を麺大盛り(+100円)で頂く。

久しぶりの「ラーメン而今」

 こってりしたスープにしっかりした麺がなかなかに美味い。久しぶりにラーメンらしいラーメンという印象で今の気分には結構あっている。これでもう少し価格が安ければというところだが、場所柄仕方ないところか。

特製あさり塩そば

 とりあえず夕食を済ませるとフェスティバルホールへ。入場時からゲートがガラガラで大丈夫かと思ったが、最終的な入りは5~6割というところで、かなり寂しい入り。上岡の選曲があまりに変化球過ぎたか。会場を見渡しても会員の欠席が結構多いように思う。ということは収益的にはそう悪くはないのか。

入口からガラガラの印象だったが

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第573回定期演奏会

楽器がかなり多い上に奥には合唱団のためのひな壇

指揮/上岡敏之
合唱/大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮/福島章恭)
曲目/シェーンベルク:地には平和を 作品13(管弦楽伴奏版:1911)
   R.シュトラウス:組曲「町人貴族」作品60
   ツェムリンスキー:詩篇 第23番 作品14
   R.シュトラウス:組曲「ばらの騎士」

 1曲目と3曲目が合唱付きということで、1曲目終了後と3曲目終了後にドタドタと合唱団の引き上げがあるので舞台転換に時間が掛かるという印象。

 1曲目は合唱メインというよりもほぼ合唱だけのイメージの曲。どことなく荘厳さを感じさせる曲調であるが、私としてはやや退屈感がある曲である。

 2曲目は室内楽的小編成オケでの曲。オケの規模に比すると打楽器が非常に多彩なのが編成上の特徴となっている。また弦楽の構成が通常とはかなり異なっており、ヴァイオリンなどは見ていると、一部が奏しないシーンがあったり、またソロ演奏がかなり目立つような場面もあるなど、使い方が独得である

 曲調自体は軽妙なユーモアを秘めた軽快な印象の曲である。小編成でも音色の多彩さはR.シュトラウスならでは。

 個人技の積み重ねがアンサンブルになるような曲なので、演奏する方はそれなりに大変ではと思うのだが、難なくこなすのは現在の大フィルのレベル。なおこういうグチャグチャした中からキラキラとしたものを引き出すのは上岡は上手い。

 休憩後の後半は再び合唱団がスタンバってのツェムリンスキー。基本美しい曲であるのだが、それが単に美しいだけでなく、アクセントなどをつけて若干ひねってくるのが上岡流。

 最後は16型大編成でのばらの騎士だが、これは曲想からしてもパワーでグイグイと押すタイプの曲ではない。上岡はこの大編成を鮮やかに音色を膨らます方向に活用している。内容的に非常に艶っぽい旋律の多い曲であるのだが、それをなかなかに華麗に色気のある表現で描き出した。大フィルのこんなに艶っぽい音色を聴くのは久しぶりであり(デュトワの時以来か?)、その辺りになかなかに上岡らしさを感じさせる演奏であった。


 観客は少なめであったが、場内は結構盛上がっていた。満足してホールを後にするとホテルに戻る。正直なところコンサート前に食べたラーメンだけだとこの時間になると腹が少し寂しい。とは言うものの、新世界も既にほぼ全ての店が営業終了。仕方ないのでファミマで翌朝の朝食も合わせてパンやおにぎりを買い求める。

 ホテルに戻った後はしばし休憩の後に入浴。その後は疲れが押し寄せてきたので何も出来ずに就寝するのである。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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ソヒエフ指揮のウィーンフィルは大熱演で会場内が大盛り上がりであった

展覧会をハシゴしてからウィーンフィルの大阪公演へ

 この週末はウィーンフィルのコンサートのために大阪に出ることにする。ただどっちみち大阪まで出るなら、ついでに他の目的も果たしておきたい。というわけで午前中に家を出る。阪神高速は途中で怪しい箇所はいくらかあったが、とりあえず渋滞とまでは行かない状態で順調に大阪に到着する。

 ホールの近くに確保していた駐車場に車を入れると、とりあえずは昼食と思ったのだが、考えていた店がまだ開店してなかったので、先に目的の方を果たすとする。向かうのは中之島美術館。

まずは中之島美術館へ

 中之島美術館では現在、長沢芦雪展の後期とテート美術館展が開催されたばかり。昨今の物価高騰が反映して共に入場料がやたらに高いのに閉口だが、芦雪展は2回目の場合は以前の半券があれば200円引きに、テート展は芦雪展と同時購入したら200円引きになるので、とりあえずトータルで400円を引いてもらう。

現在の出し物はこれ

 

 

「生誕270年 長沢芦雪 -奇想の旅、天才絵師の全貌-(後期)」中之島美術館で12/3まで

芦雪展は後期展示に突入

 ほぼ全ての作品を入れ替えての後期展示となる。江戸時代を代表する奇想の画家・長沢芦雪の作品を大量展示した大回顧展。

 初っ端から圧倒してくれるのは精緻な孔雀図。円山応挙による孔雀図と並べて展示してあり、初期の芦雪が応挙の全てを習得するべく努力していたことが覗える作品である。同様に応挙の有名な「幽霊図」と同じく芦雪による「幽霊図」も並べて展示してあるが、芦雪は応挙の手法を習得しつつ、自身のオリジナリティも微妙に加えてある。

 さらに後期の方が犬の作品や猿の作品などが多く、モフモフ度がアップしている。「群猿図襖」などがまさに代表作。猿がまた一種の群像図をなしていて興味深い。なお芦雪のモフモフの描き方は、墨の滲みなどを生かして一気に描き上げているタイプの表現を取っている。やはり墨の扱い方の巧みさが覗える。

参考資料「群猿図」 出展:大乗寺円山派デジタルミュージアム

 

 

 メインの大作は、前期の無量寺の「龍虎図」に対して、後期は西光寺の「龍図襖」。無量寺のものがかかなりアップの迫力ある龍を描いていたのに対し、本作はやや引いた構図で龍の全身を描いているのが興味深い。もっとも長々とうねった龍の全身像は、その長さが目立つことで龍という印象が若干弱まり、私の目には龍と言うよりもアスファルトの上でうねりながら干からびたミミズに見えてしまうきらいがあるのであるが・・・。

nakka-art.jp

絵についてはリンク先の公式HPを参照されたし

 同時代の奇想の画家との比較である第4部では、奇想度合いでは芦雪をも凌ぐ伊藤若冲の強烈な大作「象と鯨図屏風」が登場するのが印象的。巨大な画面に海のクジラと陸の象という大物を対比的に描いているのが特徴の作品だが、クジラには背びれがあるし、象も実物の象に比べるとあまりに奇っ怪でどことなくモンスター的。この若冲の不思議ワールドにはかなり圧倒されるものがある。

 様々な作品を目にして一番最後は、画面からはみ出す巨大な図体を巨大なままに描いた「牛図」の、そこだけ藍を用いたことで一際印象的な蒼い瞳に見送られて本展を終了するのである。

実物はこの牛の青い目がもっと印象的

 前期も非常に見応えがあったが、後期も若干異なる趣の芦雪を大量に堪能出来て満足である。入場料金がやや高すぎるのが難点だが、それだけの内容はある展覧会である。

 

 「芦雪展」の見学を終えると今度は会場を5階に移動して、「テート美術館展」の方を見学することにする。

 

 

「テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ」中之島美術館で'24.1/14まで

テート美術館展は5階展示室

 イギリスのテート美術館の所蔵作品より、「光」をテーマにした作品を展示。18世紀~現代に及ぶ様々な作品を選んである。なお古典的絵画が展示してある横に現代アートが展示してあるなど、かなり特徴的な展示形態になっているが、現代アート作品の多数は著作権絡みと推測されるが撮影不可となっている。

 まず最初に登場するのは1826年のジョージ・リッチモンドによる「光の創造」というもろにズバリ光の誕生を描いている作品から。

ジョージ・リッチモンド「光の創造」

 そしてやはりイギリス絵画となるとはずすわけにはいかないターナーが登場する。ターナーはかなり科学的に光や反射について研究しており(その研究過程を示している作品も展示されている)、その結果を絵画に反映しているらしいが、その結果がなぜこんな曖昧模糊として何を描いているのかが分からない絵画になるのかは、私にはまだ理解出来ない。

ターナー「光と色彩(ゲーテの理論)-大洪水の翌朝-創世記を書くモーセ」

ターナー「湖に沈む夕日」

 ヴェスヴィオ山をモチーフに大スペクタクルを描いたダービーとマーティンの絵画も登場するが、このような劇的絵画はロマン主義の台頭と関連しているとか。マーティンなどは純粋に恐怖と畏怖の感情を引き起こすことを目的としているとか。昔のハリウッドの大スペクタクル映画を連想させる光景である。

ダービー「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」

マーティン「ポンペイとヘルクラネウムの崩壊」

 

 

 次はいかにもイギリス的な風景画、コンスタンブルとリネルが登場。共に自然の光をリアルに描こうとしている。コンスタブルはいかにもの田園風景を描き、リネルはそこから少し外してくるのが特徴とか。

コンスタンブル「ハリッジ灯台」

コンスタンブル「土手に腰掛ける少年」

リネル「風景(風車)」

 19世紀になるとラファエロ前派が登場。バーン=ジョーンズやジョン・エヴァレット・ミレイなどの代表的画家の作品が展示されている。バーン=ジョーンズはどことなく中世的で、ミレイは流石に美麗な絵である。

バーン=ジョーンズ「愛と巡礼者」

ミレイ「露に濡れたハリエニシダ」

 

 

 19世紀後半になるとまさに「光」を真っ正面からテーマとして捉えた印象派が登場する。シスレーの作品などはいかにも印象派らしく光を感じさせる作品。

シスレー「ビィの古い船着き場へ至る小道」

シスレー「春の小さな草地」

 さらにモネが2点登場、その他の作品も展示されている。ただ「光」という観点では、ややくすんだ感もあり、先ほどのシスレーほどにはいかにも印象派の強烈な光を感じさせる作品ではない。

モネ「ポール=ヴィレのセーヌ川」

モネ「エプト川のポプラ並木」

ホイッスラー「ベールオレンジと緑の黄昏-パルパライン」

ピサロ「水先案内人がいる桟橋、ル・アーヴル、霞がかった曇天」

 

 

 そして次は独得の静謐な空気の中にどことなく不気味さも湛えたハマスホイの印象深い作品。ただの静かな室内風景なのに、なぜか悪夢のように脳裏に焼き付くのが謎。

ハマスホイ「室内」

ハマスホイ「室内、床に映る陽光」

 これ以降は現代作品へとなっていく。絵画ではなくオブジェクトが増えてくることになる。その辺りがいかにも現代アートだが、とりあえずは光をモチーフにしている作品を。

バチェラー「ブリック・レーンのスペクトル2」

バチェラー「私が愛するキングス・クロス駅 私を愛するキングス・クロス駅8」

 

 

 その中で絵画作品は、今や現代アートの古典となっているカンディンスキーに典型的な幾何学アートのライリー。何を描いているのかが最早よく分からないリヒターはどことなくターナーに通じるものを感じる。

カンディンスキー「スウィング」

ライリー「ナタラージャ」

リヒター「アブストラクト・ペインティング」

 

 

 現代アートはとにかく巨大で動きがあるものが多いが、電灯の明かりを使用したりするのが特徴。中にはそのまんま蛍光灯を並べた作品なんかもあったが、今ならLEDに置き換えられてしまうところ。そんな中で最後に登場した大作「星くずの素粒子」はなかなかに印象的である。

エリアソン「黄色VS紫」は光が回る

セッジリー「カラーサイクルIII」は色調が変化する

エリアソン「星くずの素粒子」

星くずの素粒子

 分かりやすい作品に意味不明な作品が入り交じった興味深い展覧会であった。なお私の入場時には券売所はガラガラだったんだが、昼を過ぎた現在は券売所に行列が出来ていた。

私の退館時には券売所に行列

 

 

 展覧会の見学を終えるとコンサートの前に昼食。到着時にはまだ開店していなかった「ちいやん食堂」を訪ねる。

ちいやく食堂

 注文したのは1日食べられるという日替わり定食の1日定食。本日のメインは鳥からの甘酢あんとのこと。野菜の多い和食で、私のような年配には優しい内容(多分女性も喜ぶ)。味付けも嫌みがなく、具だくさんの味噌汁が美味い。量的にも今の私には多すぎず少なすぎずでちょうど良い(若い頃なら不足だったろうな)。

野菜の多い和食の1日定食

 

 

 昼食を終えるとホールへ。赤絨毯にはもうクリスマスツリーが。しかしどうもまだそんなシーズンという実感はない。それにどうせ私の中ではクリスマスはとうにオワコンだし。

クリスマスはオワコン

 到着時には開場5分前とのことだが、既に入口前には行列である。流石に客も多いし、皆妙な気合いが入っている。

なぜか気合いの入っている観客

 私の席は3階席の一番奥。毎度毎度料金的にこの席しか手が出ず、ウィーンフィルの時の指定席のようになっている。ただこの奥の席でも見切れにならないのがフェスティバルホールの良いところである。その代わりに3階席は段差がキツくて怖いが。

見切れていないのは良いが、流石にステージが遠い

 ホール内は見渡したところほぼ満席に近い。指揮者がフランツ・ウェルザー=メストからトゥガン・ソヒエフに変更になったことでキャンセルなども出たようであるが、その分もどうやらその後に売れたようである。ちなみに私は指揮者がトゥガン・ソヒエフに変更になったことで、むしろより面白い演奏が聴けるのではという期待もある。

 

 

大和ハウス Special トゥガン・ソヒエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮/トゥガン・ソヒエフ
ピアノ/ラン・ラン

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品22【ピアノ:ラン・ラン】
ドヴォルジャーク:交響曲第8番 ト長調 作品88(B 163)

 一曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲。知名度は高いとは言い難い曲であるが、いかにもフランスの作曲家らしい華やかさのある曲である。

 それをラン・ランはいきなり軽やかに煌びやかに弾き始める。なかなかにテクニックが正面に出た華麗な演奏であるが、決してテクニックだけを誇る演奏ではない。

 ある意味で一番ラン・ランらしさが出ているのは第二楽章だろうか。スロー気味な旋律に合わせて非常に甘い音楽を展開する。明らかに女性を一撃でウットリさせるようなイケメンピアノである。聞きながら思わず「スゲぇな。失神する女性が出かねんわ」と感心することしきり。

 最終楽章は華やかな音楽の盛り上がりに合わせての堂々たる演奏。これがまた格好いい。先ほどの楽章が女殺しなら、この楽章は男までグラッと来かねない格好良さ。

 さてここまでフランス流というか、ラン・ラン流の音楽を繰り広げられると、音色の美しさは一級品だがいささか地味な感のあるウィーンフィルがどう対応するだろうかと注意していたんだが、どうしてどうしてソヒエフがウィーンフィルから見事にフランス的な華やかな音色を引き出してラン・ランを全面サポート。これには感心することしきり。

 ラン・ランのアンコールはリストの愛の夢第3番と、もう最初から女殺しである。オケの枷が外れたのでもう徹底的に甘美に歌いまくる。思わず「こりゃスゴいわ」と声の出てしまうところ。終始、ラン・ランのジゴロぶりが炸裂したのである。

 

 

 さて後半は図らずしも先日のチェコフィルと同じドボ8である。ビシュコフ指揮のチェコフィルは超ボヘミア風味のまさに田園交響曲だったのであるが、ソヒエフ指揮のウィーンフィルはいかなる演奏を繰り広げるか。

 ソヒエフは最初からかなり派手目の演奏を開始する。開始早々ボヘミアの森が眼前に広がったビシュコフとは根本的に異なる。まるで冒険活劇か何かのように華やかで目まぐるしい音楽である。ソヒエフについては以前から「まるで映画音楽か何かのようにドラマチックに演奏をする」という印象があったが、まさにそれがそのまま出ている。さながら田園地帯を舞台にしたアドベンチャー映画という趣。さすがにウィーンフィルのアンサンブルはソヒエフがどれだけ煽ろうが捲ろうが、ビクともしないのでソヒエフもノリノリで自らの表現意図のままに任せている印象。

 第二楽章は極めて濃厚なロマンス。やっぱりソヒエフの表現はかなりロマンティックである。下手すりゃド下品になりかねないところなんだが、そこは流石にウィーンフィル。ウィーンフィルが奏でると六甲おろしでさえ高尚な芸術になるというオケだけに、ソヒエフが遺憾なく自身の表現を取っても決して粗にも卑にもならず、非常に濃厚な美しさが漂うことになる。

 そしてさらに甘美な第三楽章を経て、乱痴気騒ぎの最終楽章へ。これがまたソヒエフがノリノリ。クライマックスでの猛烈な煽りは、ウィーンフィルでなかったら空中分解しかねないという凄まじいものであった。

 チェコフィルのものとは全く方向性が異なるタイプの熱い演奏が飛び出した。ウィーンフィルを駆使してこういうサウンドを弾き出すとはさすがにソヒエフ、只者ではない。場内大盛り上がりでアンコールは「雷鳴と稲妻」に「トリッチ・トラッチ・ポルカ」とどちらもややアップテンポ気味の曲を選んだのがソヒエフらしいところ。ソヒエフがノリノリで、通常のいささかおすましした印象のウィーンフィルでなく、今回はかなりノリの良いウィーンフィルを堪能。

 アンコールを2曲を経ても場内爆発的盛り上がり、結局はそのまま鳴り止まぬ拍手にソヒエフの一般参賀。大阪でも久しぶりに盛上がったコンサートとなったのである。

 

 

阪神間美術館ハシゴの後のPAC定期演奏会は、カーチュンのスゴいマーラーに鳥肌もの

まずは阪神間の美術館巡りから始めることに

 翌朝の起床は7時半。例によって朝から体が重い。とりあえず昨晩書いた原稿をチェックの上でアップすると、体を温めるために朝風呂に入浴。なかなかに快適である。

 風呂から上がると昨日ファミマで買い求めた炒飯が朝食。卵炒飯のようであるが、やはりチャーシューなどの具が欲しいなというのが正直なところ。朝食後は慌てて荷物をまとめると、ホテルをチェックアウトしたのが10時。

本日の朝食はファミマの炒飯

 さて今日の予定であるが15時から西宮でPACオケのコンサートがある。私が注目しているカーチュン・ウォンの指揮でマーラーの5番とのことなので楽しみである。それまでに周辺の美術館を回ることにしたい。

 最初に立ち寄ったのは神戸市立小磯記念美術館。「働く人々」というのがテーマの展覧会が開催されている。

久しぶりの小磯記念美術館

 

 

「働く人びと:働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」神戸市立小磯記念美術館で12/17まで

小磯の「働く人びと」

 最初は戦後すぐぐらいの時代から始まるが、テーマは働く人とのことなので労働運動盛んなりし時代を反映して、新海覚雄の「構内デモ」のようにまさに「立て万国の労働者!」という雰囲気の作品が多々ある。内田巌の「歌声よ起これ」もまさに同じタイプ。ただ画風も画家によって様々。結構古典的なアカデミックな雰囲気の画風の画家から、脇田和や猪熊弦一郎のようにかなりアバンギャルドでキュビズムの影響を受けているような画家まで様々。

 次に展示されているのが小磯良平による「働く人びと」である。神戸銀行本店の壁画として描かれたという大作だが、銀行の合併(神戸+太陽→太陽神戸+三井→太陽神戸三井(後にさくら)+住友→三井住友)を経て、現在はこの美術館に寄託されているという。人物はローマのレリーフ彫刻やルネサンス絵画を参考にしたという群像表現であるのに対し、背後の建物にはあからさまにキュビズムの影響が垣間見えるというタイムトリップ的な作品である。スケッチや習作などと共に展示されており、本展の目玉でもある。

 次の展示室は「造る人びと」ということで、工場労働者的な作品が増えるがここで展示されている小磯作品は「歩く男」。なぜか私は青木繁の「海の幸」を連想してしまった。

参考画像 青木繁の「海の幸」

 

 

 さらに時代が現代となると、やなぎみわの不可解写真などが展示されているが、ここで登場するのが澤田和子のRecurultをテーマした作品。履歴書写真風の肖像が大量に並んでいるが、よく見ると全員同一人物でどうやら澤田自身の姿らしい。就職面接のために誰もが個性を塗りつぶした同じような格好をするのを皮肉っているようである。

澤田和子の「Recurult」

よく見れば全部同一人物である

 さらにインパクトの強い大作が会田誠の「灰色の山」。何やらデカいやまがあるが、よく見るとサラリーマンの死屍累々たる姿である。まさに現代日本の日々仕事にすりつぶされた挙げ句に国に収奪されて屍と化しつつ我々の姿を現している。

会田誠の「灰色の山」

サラリーマンが死屍累々

 

 

 最後のコーナーは、小学校の図工の先生前光太郎こと乙うたろう氏の作品。アニメの少女の顔を壺に焼き付けた奇妙な作品群(見方によってグロテスクだ)が展示されている。一応「先生として働いている芸術家」という意味だとか(かなりこじつけクサい)。なお場内の説明に「美術家は多くの場合、作家活動と並行して、学校の教師などの別の側面を持っています」と記してあったが、そりゃ作家活動で食える奴はほとんどいないという意味だけではとも思うのだが・・・。

乙うたろうのシュールな作品群

正直なところ私には少々グロテスクに見える

 

 

 小磯記念美術館を後にすると、さてどうするかと一思案である。その時に展覧会のチラシが目に入る。この近くのファッション美術館が鉛筆画展を開催しているという。ゆかりの美術館の「さくらももこ展」の方は興味皆無だが、こっちの方は面白そうである。散歩がてらにプラプラと訪問することにする。

 ちょうどプラリと散歩するのに最適な道が通っている。やっぱり六甲アイランドの方が、ゴミゴミしているのにやたに空き地の多いポートアイランドより快適なような気がする。

六甲アイランドの散歩道

 途中で屋台などが出ていて、人集りがあると思ったらハロウィンパレードとか。私はハロウィンには興味ないが、日本人は何かにかこつけて祭りをしたがるようである。しかもその際に本来の趣旨はそっちのけになる。その内にラマダンなんかも取り入れるのではと思ったりする(プチ断食ブームにちょうど合う)

縁日が出て何やら祭中

 やがて巨大な建物が見えてきたら、その隣がファッション美術館。ここにはあまり来たことがない。

この奥がファッション美術館

 

 

「超・色鉛筆アート展」神戸ファッション美術館で11/5まで

色鉛筆アートだそうな

 最近SNSなどで注目を浴びるようになった、色鉛筆を用いた超精細アート作品を展示した展覧会。本展では色鉛筆作家ユニット「イロドリアル」のメンバー6人と、林亮太氏が率いる「トーキョー・イロエンピツ・スタイル」からの6人の作品を展示とか。

 

三賀亮介「こい」

弥永和千「樹々の守り」はほとんどもののけ姫

 いきなり高精細アートに圧倒されるが、なかにはその表現力を生かしたトリックアートなども含まれている。

ぼんぼんのトリックアート「帯広豚丼」

これもトリックアートのみやかわの「ジャムトースト」

 

 

 各人、やはり得意分野があるようで、は虫類を徹底的に緻密に描いた作品とか、風景を緻密に描くものなど、かなり特徴がある。

石川@色鉛筆による「カメレオン」

林亮太「2018盛夏・桜橋 富山市本町」

 最近の猫ブームを反映してか、題材として猫を描いた作品も多い。

斎藤はる「緊張」

miwa kasumi「冬のぬくもりの主(かえで)」

 

 

 同じ風景画でも浮世絵の伝統を引く大正版画的な趣のある作品なども。遠近法を駆使して奥行きをやや強調させている。

和田橋畔「新東京名所図絵 神楽坂夜景」

リヒト「東京・谷中の初音小路」

 まあ圧倒される高精細である。それにしても色鉛筆でここまでの絵が描けるとは驚きである。


 再びハロウィンパレードの中を抜けると車を回収、さて次の目的地だが、大谷美術館に立ち寄ることにする。

 

 

「画人たちの仏教絵画ー如春斎再び!ー」大谷記念美術館で11/26まで

大谷美術館

 江戸時代に描かれた絵師達による仏画について展示した展覧会。

 最初は勝部如春斎による「三十三観音図」を一気に展示、続けて原在中による同じ作品を展示してある。勝部如春斎は狩野派の絵師であるので、背景に狩野派の特徴が現れており、原在中の方は大和絵的特徴があるという辺りが見所のようだが、正直なところ仏画は構図その他のお約束が決まっているので、宗教的文物としてのありがたさはともかくとして、芸術的面白さは今ひとつない。

 後半に狩野探幽や白隠などの個性豊かな絵師による仏画、呉春など円山四条派の仏画などのバリエーションが増えていささか面白くはなるが、やはり私としては「ネタが仏画以外だったらな・・・」というのが本音。やっぱり定型的な作品にはどうも興味が湧きにくいのが本音。


 ウーン、宗教画はやはり私には相性が悪いか。ありがたい絵画がズラリと並んでいたが、私にはありがたすぎる絵画は芸術作品として面白くない。中世ヨーロッパのキリスト教関係の絵画が面白くないのと同じである。つくづく宗教ネタとは相性が悪いことを痛感する。

 

 

昼食は西宮ガーデンズで

 さてそろそろホールに向かう前に昼食を摂っておく必要がある。この近くのダイニングキノシタを考えたが、相変わらずの人気で車を止める場所がないようなので素通り、そのままホール近くの西宮ガーデンズに入ってしまうことにする。駐車場に車を置いて入店すると「chano-ma」なる洒落たカフェのような店が目に入る。メニューを見てみると確かにカフェメニューもあるが、いわゆる飯屋メニューもある。最近増えている女性向けのヘルシー和食の店でもあるようだ。正直、私も今日は和食の気分だったので入店することにする。オッサン一人で断られないかと一瞬頭に過ぎったが、別に男子禁制と言うことではないようだ。もっとも店内の客は見渡す限りすべて女性なのでアウェイ感は半端ではない。

駐車場から店内に入ったらいきなり目の前に現れた「chano-ma」

 とりあえず「季節の小鉢セット(1450円)」を注文。ナスを炊いたものに鳥を添えたものとカボチャのサラダ、さらに魚をサツマイモと甘辛く味付けたものの三品。落ち着いた非常にホッとする味で今の私の状態には最適。ご飯は健康志向で雑穀米。味噌汁は豚の入っていない豚汁という雰囲気だがこれも美味い。やはり健康志向もあってボリュームは少なめ(こういうところが女性向き)だが、日頃のストレスで胃を悪くしている今の私には最適。

ボリュームはやや抑え目のヘルシー定食である

 

 

 昼食を終えたところでホールまで車で移動。この前はこの車で移動したところでホール駐車場が満車だったんだが、今日は幸いにして空きがある。

 車を置いたもののまだ開演まで1時間半ほど、このホールはあまりギリギリに来ると駐車場が満車になるし、かといって早く来ると開演までの時間つぶしがしんどい。仕方ないので喫茶でアイスコーヒーを注文して時間つぶし。もっともストローに紙ストローを使用しているようなので、あまり浸けたまま置いていたらストローがグチャグチャになる(喫茶店の長居防止には効果があるかも)。

アイスコーヒーを頂く

 そうこうしていうる内に開場時刻になるが、慌てて入場しても仕方ないのでしばし時間をつぶしてからホールに向かうことにする。

開演30分前ぐらいに入場

今日の出し物

 

 

PACオケ第145回定期演奏会 カーチュン・ウォン×小曽根真 ショスタコーヴィチ&マーラー

小曽根人気か、1階のかなり奥の席しか取れなかった

指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:小曽根 真
管弦楽:兵庫芸術文化センター管弦楽団

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番
マーラー:交響曲 第5番

 一曲目は小編成でショスタコーヴィチのピアノ協奏曲。この曲はピアノ協奏曲と言いながらトランペットとの掛け合いがメインという変わった曲である。なお元々ジャズピアニストの小曽根としては、いつもと当意即妙の即興演奏が売りの一つでもあるのだが、プログラムによると「この曲はあまりに精密に作曲されているので、どう変化させても劣化しかせず、そのまま演奏せざるを得ない自由度の低い曲」だそうである。いつものジャズ調モーツァルトでなく、今回の小曽根はただのテクニックのあるピアニストとしての演奏となる。

 そのせいもあってか、小曽根としては「普通の演奏」である。トランペットとの掛け合いの美しさなどは流石。この辺りの呼吸はジャズとも通じるものがあるのだろうか?

 場内の拍手はかなりのものだった。小曽根はいきなりピアノの蓋を閉じて「アンコールはありません」という雰囲気のアピールをしたのだが、結局は大拍手に答えて一曲。小曽根自身の作曲による「モーツァルトの昼寝」という曲だそうな。ジャズ調でありながら旋律の美しさが際立つのとトランペットとの掛け合いが印象的な作品である。

 

 

 後半はカーチュンによる大曲。PACオケも16型の大編成で、一番背後にコントラバス8人がズラリと横列に並ぶいつものカーチュン流対抗配置。これで背後から低音がブイブイと出てくるという形になる。

 カーチュンの演奏はとにかくオケの色彩が際立つのが特徴の一つだが、今回は弦の艶と密度がすごい。PACオケの弦楽陣ってこんなにスゴかったっけと驚くレベル。第一楽章からややの抑え目のテンポで濃密な音楽描写が繰り広げられる。管の方も巨大4管編成なのだが、その強力な管楽陣と十分に対抗どころか、それを凌ぐパワーと表現力を出してくる。

 そして第一楽章が息絶えるように終了すると怒濤のような第2楽章である。カーチュンはここでもテンポはやや抑え目で激しく荒々しい音楽を差し迫る運命の荒波であるかのような表現をとる。少し気分を変えてまさに角笛で始まる第3楽章は陽性な気分とそれに時々魔が差すという雰囲気で気分の変化が激しい楽章。打楽器陣なども加わっての多彩な音色が特徴で、そういった色彩はまさにカーチュンの真骨頂。

 そしてハープが特徴的な「ベニスに死す」こと第4楽章。ハープの美しい音色と高密度の弦楽陣があいまっての夢見心地の境地である。ネットリとしっとりとした実に濃厚な味わい。そして再び角笛が聞こえると最終楽章。美しいところから段々と盛上がり、力強いフィナーレではオケのパワーが炸裂、怒濤の追い込みに久々にまさに「鳥肌が立つ」思いをしたのである。


 うわー、流石に凄い演奏が飛び出したなと思っていたら(私も久々に「おぉっー」という声が漏れてしまった)、やはり場内の反応もかなりのものであった。なかなかに熱い演奏であった。それにしてもPACオケってこんなに上手かったっけと驚いたのも確か(まあ助っ人がかなり加わってはいるんだろうが)。やはりカーチュンのオケのドライブ力の高さに感心した次第。なお以前に大フィルを振った時には、結構細かい指示を的確に飛ばしていたのが見て取れたのだが、今回のように若いPACを振った時は、細かい指示を出すよりも大きな指揮で奏者の気持ちを盛り上げることを狙っていたように感じられた。オケの特性に合わせて指揮ぶりを変化させているのだとしたら、恐ろしいまでの対応力である。既に巨匠の風格を感じさせている。

カーテンコール、カーチュン流対向配置が分かる

カーチュンもやりきった感が見える

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

ウィリアム・モリス展と岡山フィルの定期演奏会のハシゴ

岡山まで出向く

 今日は岡山フィルのコンサートのために岡山に繰り出すことにした。午前中に家を出ると山陽自動車道を岡山に向かって突っ走る。しかし現在、山陽自動車道は赤穂の手前辺りで例のトンネル火災事故で下り車線は通行止め中。途中で高速を降りて国道2号線を走ってから、再び山陽道に乗り直す必要があるので、無駄に時間を浪費する状態になっている。

 結局何だかんだでいつもよりもかなり時間を浪費してから岡山に到着。実は計画立案の時点ではもろもろ考えていたこともあったが、疲労で寝過ごした(この年になると、何だかんだで大阪との渋滞込みのドライブは疲れるし、2日とも何だかんだで1万歩以上歩いている)せいで予定は後ろに遅れ気味。結局はすべてをすっ飛ばして岡山に直行することにする。とはいえ、すべての予定をすっ飛ばしたことで、岡山に到着したのは流石に開演時刻の14時よりは遙かに前。とりあえずプランBを発動することにして、岡山県立美術館を目指す。

 美術館には11時過ぎに到着。しかしこの時点で既に結構疲労が溜まっている。このまま展覧会を見学に行ってもボンヤリすること必然と考え、休憩を兼ねて美術館内の「喫茶シファカ」に立ち寄ることにする。

美術館内の喫茶シファカ

 フレンチトーストにアイスコーヒーを付けてマッタリ。ここでしばらく休憩して、ようやく気力が出てきたところで展示室の方に向かうことにする。

フレンチトーストとアイスコーヒーでマッタリ

 

 

「ウィリアム・モリス 英国の風景とともにめぐるデザインの軌跡」岡山県立美術館で11/5まで

 近代工業化による画一的な大量生産品に抵抗を感じ、中世手工業的なものに価値を感じて日常生活の中に美を取り入れようとしたアーツアンドクラフツ運動の中心となった、ウィリアム・モリスについての展覧会。

 当然のように展示品は壁紙やら絨毯の類いが中心となるのだが、植物をモチーフとしたテキスタイルであるのだが、この植物モチーフのうねるような曲線はこの頃に隆盛していたアール・ヌーヴォーとも呼応しているものであろう。改めてじっくりと眺めてみると、かなり装飾過剰気味な派手なものに感じられるのだが、これらがイギリスの風土の中の住宅に収まるとシックリと落ち着くというのが見事。もっともこれが日本の風土に合うかはまた別問題である。

 晩年にはモリスは理想の本というものも手がけたようであるが、流石にこの辺りになると私の目には装飾過剰で目障り。正直なところ文字から目がそれてしまうので集中できない本という印象を受けた。時代がこの後、まさに「シンプルイズベスト」のアール・デコに移り変わっていくことも感じられたわけである。

 なお会場の外には地元企業のモリス展コラボドレスなるものが展示されていた。モリスの作品のイメージを意識したものだと思われるが、やはり私の目には過剰装飾気味に見えてしまう。

ウィリアム・モリス展を意識したデザインの模様

しかし私の目にはやや装飾過剰に写る

 

 

 展覧会の見学を終えると美術館の駐車場から車を出してから駐車場探し。岡山シンフォニーホールには駐車場がないのでタイムズなどを探すしかないのだが、ホール北の駐車場は軒並み全滅。ホール南まで車を回してようやく発見である。車を置くととりあえず昼食を摂る店を探す。

岡山シンフォニーホールを南から

 商店街はやはり駅前のイオンにかなり客を取られているものと思われるが、私の経験ではまだ今日は人出が多い方だろう。コロナが終わったことになって、とりあえず表を出歩く人が増えたということはありそう。

今日は比較的人出があるか

 

 

昼食は2日続きのカツ丼

 相変わらず「やまと」は人気か行列が出来ている。もっとも私はここの味付けは好みが合わないことを以前に確認済みなので別の店を探すが、これがなかなか面倒くさい。結局近くに「うどんそば」と記した「春秋庵」なる店を見つけたのでここに入店。本日のランチというカツ丼(800円)を注文。

途中でみつけた「春秋庵」

 なんの工夫もなく2日連続カツ丼になってしまった。まあ内容的には可もなく不可もなくの無難な味付けである。もし次に来ることがあったら麺類を食べてみるか。

まずまずのカツ丼

 

 

 昼食を終えると開場直後のホールへ入場する。そもそも今回岡山くんだりまで遠征してきたのはプログラムがドボのチェロコンにシベリウスの2番と、もろに私好みだったことによる。さらに指揮者が秋山和慶とのことなので、大名演は期待できなくても大ハズレもなかろうという計算もある。

岡山シンフォニーホールに入場

 まだ開演まで時間があるので喫茶でも立ち寄るかと思ったが、よくよく考えると今日は既にアイスコーヒーを飲んでいた。コーヒーの飲み過ぎは多分胃に来る。仕方ないのでロビーでしばし時間をつぶしてから席に向かう。

 私の席は3階の安席。なおこのホールは3階席まで延々と階段を登るしかないというバリアフリー全盛の昨今の風潮に挑戦したチャレンジングな建築であるので、3階まで上る頃には息が切れる。しかも私が確保した最前列は、いざ座ろうとするともろに高所恐怖症を喚起する恐怖席。2階席が3階席よりも前に張り出していたら怖さも少しは軽減されるのだが、ここは2階席と3階席が全く同じ大きさなので、3階席の最前列からは高さ数十メートルの断崖の縁をのぞき込むのと同じ状態。高所恐怖症にとっては最悪の仕様である。やっぱりいろいろと「チャレンジング」な設計になっている。こりゃ無理せずにもっと後ろを確保しておくべきだった。さらに視界を妨げないように設計しているのは分かるが、高所恐怖症の人間にとって腰より低い位置の柵なんてないのと同じである。

3階席最前列はかなり恐い

 とりあえず深呼吸などで無理矢理に精神を安定させて開演を待つことになる。途中でプレトークが始まったが、司会のRSKの女子アナはさすがに喋りが本職なので良いが、インタビューを受けている秋山和慶は喋りがグダグダなので何を言っているかが分からない。そう言えば今は亡き飯守泰次郎のプレトークが、ほとんど認知症老人のボヤキに聞こえたのを思い出す。もっとも秋山はそこまで衰えているわけでなく、単に滑舌が悪いだけであるが。

 

 

岡山フィルハーモニック管弦楽団第78回定期演奏会

岡山フィルは12-10-8-8-6型編成

指揮:秋山和慶
チェロ:佐藤晴真

ウェーバー 「魔弾の射手」序曲
ドヴォルザーク チェロ協奏曲
シベリウス 交響曲第2番ニ長調

 一曲目の魔弾の射手でいきなりホルンが危うい場面が発生して「こりゃ大丈夫か?」と不安になったが、後はまあ無難にこなした。これ以外にも木管がしでかしたり、金管がやたらに無神経にバリバリと吹いている局面などがあり、管楽器に関しては今一歩の感は否定出来ない。

 ただ弦楽陣の密度は以前よりも増した印象である。12-10-8-8-6の構成になっていたが、以前の岡山フィルは弦楽陣の非力さを感じることが多かったのだが、今回はこの弦楽陣が分厚いアンサンブルを奏でた印象。

 佐藤のチェロは軽快でありながらもなかなかに美しい音色を出す。秋山の指揮はゆっくりと構えて急がない印象。安全運転という言い方も出来る。秋山は実力に不安のある地方オケなどで、そのオケの技倆に合わせて音楽を設定するということに長けた面を以前から感じているのであるが、今回もそれがでていたように感じられる。

 なかなかに感心したのは最後のシベリウス。いきなり弦楽アンサンブルが分厚く幽玄に聞かせる。残念ながら北欧の霧が立ちこめるところまでは行かないが、それでもまずまずの雰囲気がでている。いささかヒステリックに響きがちの金管がやや残念感があったが、全体を通してなかなかに聞かせる演奏になっており、岡山フィルもレベルが上がってきたという印象を受けた。

 まずまず満足出来るコンサートであった。車を回収すると家路につくのである。帰りは途中で降りずに高速1本だから楽なものである。もっとも相変わらず岡山ダンジョンはかなり高レベルではあったが。

 

 

二日目は美術館をハシゴしてから大フィルのコンサートへ

大阪浮世絵美術館を初訪問することにする

 翌朝は目覚ましを7時半にセットしていたが、体から疲れが取れておらず、結局8時前までゴロゴロと動け出せずにいる。なんとか気力を振り絞って、ようやく起き出すと昨日買い込んだ食料を朝食に摂りつつ朝風呂のお湯張り。朝食が終わる頃には湯が溜まっているので朝風呂と洒落込む。

 さて今日の予定だが、15時からフェスティバルホールで大阪フィルのコンサートである。駐車場はホール近くに確保してあるが、ここのチェックアウトの10時から開演までをどうつぶすかである。とりあえず中之島美術館で開催中の「長沢芦雪展」を訪れることは予定済みだが、それだけだと時間が余りすぎる。そこでザッと調べて大阪浮世絵美術館に立ち寄ることにする。この美術館について知ったのは比較的最近。心斎橋の商店街のビルの中なので、車で行くと置く場所がないことから、車は遠くに置いて地下鉄で移動するのが賢明だろう。

 10時前にホテルをチェックアウトすると、車はアキッパで確保した駐車場へ。まずは大阪浮世絵美術館から訪問することにする。美術館は心斎橋だから肥後橋から地下鉄で四つ橋に行って、そこからプラプラ歩くことにする。心斎橋周辺のいかにも若者向けという町並みを抜けると、10分程度で美術館に到着。美術館はビルの3階なので階段を延々と登る必要ありで、これが若干しんどい。美術館はこじんまりとして落ち着いた雰囲気。また虫眼鏡を貸してくれるので、近くで細かい摺まで確認出来るというマニアックな美術館でもある。

浮世絵美術館はビルの3階

延々と階段を登った先

 

 

「二人の天才-葛飾北斎・月岡芳年-」大阪浮世絵美術館で'24.2/18まで

 月岡芳年と北斎の作品を展示。と言っても、北斎と芳年では活躍した年代も大きく違うし、互いに接点はほぼない。まあ不動の人気を誇る浮世絵の大家と、最近になってとみに注目されている「最後の浮世絵師」の作品を紹介という主旨。

複製画の北斎「凱風快晴」

 北斎の方は今まで何度も見た富嶽三十六景とかであり、それも特別に刷りの状態が良いというほどのものでもないので、改めて感心するものはない。やはりメインは月岡芳年の方になる。

こちらも複製の神奈川沖浪裏

 月岡芳年の作品は連作の「月百姿」や「大日本名将鑑」などの人物を描いたものであるが、やはり人物の内面まで描き出す卓越した描写力が光るところである。

 月岡芳年の作品以外にも師匠である歌川国芳や弟子である月岡耕魚や水野年方などの作品も併せて展示してある。芳年の作品に比べると能楽に取材している耕魚などはやや優美な感が強まるが、この辺りは明治と大正の時代の変化も反映されているかもしれない。近代版画の影響も入ってきているようで、いわゆる浮世絵の影響がかなり薄れている感も受けた。この辺りが芳年が「最後の浮世絵師」である所以かもしれない。

 浮世絵の細かい技法などにまで注目しているのがこの美術館の特徴だが、正面摺という技法を目にすることが出来る作品が展示されていた。黒一色に見える衣装が、光の角度によって模様が浮かび上がるという仕掛けであり、これは実に興味深かった。また年方の作品はエンボス加工のように用紙に凸凹をつけた仕掛けがあり、これなども近くで拡大してみないと気付かない技法であった(恐らく絵画を手に取ったら一目瞭然で気付くんだろうが)。こういうのを体感出来るのがこの美術館の面白さ。

 

 

 美術館の見学を終えると地下鉄で肥後橋に戻ってくる。次は中之島美術館だが、その前に昼食に立ち寄ることにする。金もなければ何を食いたいという希望も特にないので、目についた「中の島食堂」に入店して、カツ丼で手っ取り早く済ます。特別に美味いというものでもないが、やや甘めの味付けは私向きで、何よりも安上がりではある。

昼食は手っ取り早く美術館近くの中の島食堂

可もなく不可もなくでCPは良いカツ丼

 昼食を終えると目の前の美術館に入館することにする。それにしても入場料1800円はいささか高い。海外からの巡回展が高くなるのは円安の影響かもしれないが、国内作品ばかり集めた展覧会でも入場料が高騰しているのは、やはりいわゆる物価高である。

中之島美術館はすぐそこ

 

 

「生誕270年 長沢芦雪 -奇想の旅、天才絵師の全貌-」中之島美術館で12/3まで

会場入口

 長沢芦雪の生涯を通じての作品を展示しているが、芦雪にとって大きな転換点となった紀州訪問時の作品に結構重点を置いているのが特徴。

 展示は芦雪が応挙の元で研鑽を重ねた時期の初期作から始まるが、この頃の芦雪は応挙の画風を習得しながら、独自の画風の模索を重ねていた時期に当たる。応挙にそっくりの緻密な絵を描いているのが特徴。この辺りには参考で応挙の作品も展示されており、その中に応挙らしい子犬の絵(別名モフモフ画)なども展示されている。

 その芦雪が一皮むけるというか、はっちゃけるのが応挙の名代として紀州に行ってからである。この時に芦雪はそれまでと違って襖絵などの大作に取り組むことになるのだが、それが余程楽しかったのか気持ちよかったのが、それまでの応挙風の緻密な描写から、一転して豪快で大胆な筆遣いに転じる。実際にこの時期は、興が乗れば依頼に答えて即興的に描くなんてこともあったと聞く。とにかく描くことが楽しそうである。

 この後は晩年の作品となるのだが、ここで先に同時代の画家である曾我蕭白と伊藤若冲の作品が展示されている。やはり共に奇想の画家であって傑出している人物であるだけに、その作品も印象深い。この時代の京都画壇の華やかな空気が伝わってくるようである。

 晩年になると芦雪は、安定した技術の上に自由な精神を体現した独自の境地に至った作品を製作する。伸びやかにザクッと描いているような作品でも、構成的な安定感が揺るがないのはやはり卓越した基礎的な能力の高さであろう。結局は芦雪は大阪で45才で突然に客死する。あまりに突然すぎる死に暗殺説まであるようであるが、あまりに惜しすぎる早逝であるのは間違いない。

これが写真撮影コーナーだそうな

 

 

 なお現在は前期展示中で、11/7から展示作を入れ替えて後期展示になる模様である。作品目録を見るとほとんどの展示作が入れ替わりになるようなので、これは後期展示も見る必要があろう。なお本展の半券で来週から開催されるテート美術館展の入場料300円引き特典があるようなので、来月に合わせ技で見学したいと思っている。

テート美術館展は間もなく開催される

 美術展の見学を終えた時には開場時刻が近づいてきているのでホールに向かうことにする。今日は尾高の指揮で彼の得意なイギリスもののウォルトンである。比較的レアなプログラムではある。

フェスティバルホールへ

本日の催し物

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第572回定期演奏会

最初のモーツアルトは小編成

指揮/尾高忠明
ヴァイオリン/岡本誠司

曲目/モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216
   ウォルトン:交響曲 第1番 変ロ短調

 一曲目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲。モーツァルト向け小編成の大フィルが思いの外まとまったアンサンブルを披露する。アンサンブルの精度としては昨日の関西フィルよりも上を行っている。尾高の指揮はメンデルスゾーンチクルスでも見せるようなモダンアプローチである。良い音色でなかなかに叙情的なモーツァルトという印象。

 岡本の演奏も基本的に尾高と同じアプローチで、実に綺麗な音色で情感の籠もった演奏である。ややロマン派寄りのモーツァルトという印象を受ける。

 大歓声を受けての岡本のアンコールはトルコ行進曲。ピアノ曲をヴァイオリンで弾くというのに驚いたが、基本的にメロディラインが1本のはずのヴァイオリンで、貧弱になったという感を受けずにピアノ曲が弾けるということに驚き。

 休憩後の二曲目は私には初めての曲のウォルトン。正直なところ、かなり激しい曲というかうるさい曲という印象。第一楽章なんかは終始ドンガンばかりだし、緩徐楽章かと思っていたら、それが後半になったらやっぱりドンガン始めるのでかなり面食らう。同じイギリス音楽といっても、エルガーともヴォーン・ウィリアムズともかなり違う。まあ作曲者が違うんだから曲が変わるのは当然といえば当然であるが。

 そういう曲調なので、下手すれば騒音だけで滅茶苦茶な演奏になる危険もあるのだが、流石にそこはイギリス音楽が得意と言われていて、わざわざこの曲を選んだぐらいだから尾高はこの曲をキチンと把握しているようであり、要所要所を押さえて引き締まった演奏をしている。

 大阪フィルの演奏もかなり冴えている。特に近年はアンサンブル力の向上がめざましいように感じられるのであるが、それがふんだんに発揮されたかなり明快でキレのある演奏であった。結局は終わってみれば見事の一言。

 

 

この遠征の前日の記事

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香雪美術館で茶器を鑑賞後、大阪フィル定期演奏会はホリガーの自作とザ・グレイト

大フィル定期に出かける

 今日は大阪フィルの定期演奏会のために大阪まで出向くことにした。道路が混雑するのが嫌なので早めに家を出る。阪神高速は混みそうもない時に突然混雑していたりするので、とにかく到着時間を読めないのがしんどいところだが、今日は途中で全く渋滞に出くわすことがなく、予定よりもやや早めの昼過ぎに大阪に到着する。

 アキッパ予約で確保しておいた駐車場に車を入れると、まずは昼食を摂ることにする。この界隈はオフィス街なので土日休日の店が多く。目的がなくうろついたらドツボるのは散々経験済み。今回は店は事前に調査済み。近くのビルの地下にある「肥後橋ゆきや」に入店する。

店はビルの地下にある

 店内は座敷一間を区切って個室にする形式。私の入店時には大広間形式になっていた。日本料理の店でやや高級な割烹店というところか。メニューを見ると5000円ぐらいのセットメニューが目立つ。ただ安価なランチメニューの営業もあり、私は当然のようにそちらが目当て(それは事前調査済み)。「百合御膳(1500円)」を注文する。

ランチメニューの百合御膳

 御膳はそばと天丼と天ぷらのセット。いずれも味は良い。流石に和食の店のようである。もっともこの手の高級店の常であるが、ボリュームはやや軽め。安価にガッツリ食いたいという人にはいささか物足りないか。最近は急激に食が細ってきている私でもやや腹に余裕があるところ。働き盛りの男性サラリーマンなら物足りなかろう。

 

 

 昼食を終えたところでフェスティバルホールへ。と言っても開場までにはまだまだ時間がある。元よりホールに入る前に一カ所立ち寄る予定である。西館4階にある中之島香雪美術館に立ち寄る。

フェスティバルホールへ

フェスティバルホールの赤絨毯

 

 

「茶の湯の茶碗ーその歴史と魅力ー」中之島香雪美術館で11/26まで

中之島香雪美術館

 香雪美術館が所蔵する茶碗類を展示した展覧会。日本における茶の湯は最初は渡来の高価な茶碗を使用したものであり、その時期の茶碗は朝鮮・中国などの天目茶碗である。スッキリしていて肉薄の洗練されたデザインであるのが特徴的。

建窯 禾目天目

天目茶碗の需要増加で瀬戸で作られた白天目

 それに大変革が起こるのが桃山時代の利久の佗茶の台頭である。黒楽茶碗に象徴される国内産の肉厚でズッシリとしたシンプルな茶碗に置き換わる。天目茶碗に比べるとむしろ野暮ったい印象もあるが、独自の深い精神性を感じさせる日本人好みの茶碗である。

もろに利休好みの長次郎 黒楽茶碗 銘 楓暮

楽常慶 赤楽茶碗 銘 山居

 それがさらに変化するのが利久切腹後の弟子の古田織部の時代。「へうげもの」とも言われる織部の趣味に合わせてかなり奇想の器が登場することになる。本展展示品にはいかにも織部なアバンギャルドな器は少なかったが、それでもへしゃげた器などはあり、利久趣味にベースを置きながら、そこに織部特有の奇想が加わっているのが覗える。

美濃 織部黒茶碗 銘 深山木

唐津 銹絵文茶碗

 

 

 織部切腹後の江戸時代となると、小堀遠州の時代となる。遠州の「綺麗さび」の趣味に従って、織部時代の突き抜けた奇想は影を潜め、洗練された印象の器が増えてくる。器自体のシルエットもスッキリしてきており、軽快さを感じさせるものになっている。

小堀遠州好みの景徳鎮 染付松竹梅図茶碗

高鳥(福岡) 白釉緑釉流茶碗 銘 巌苔

 最後は村山コレクションから「大正名器鑑」に収蔵された名品について展示をしている。

本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘 黒光悦

野々村仁清 色絵忍草文茶碗

 以上、日本における桃山時代前後の茶器の変遷を実感できるなかなか面白い展覧会であった。なお私はかつては茶道具の類いには全く興味がなかったのであるが、この類いに興味が湧き、素人ながらも云々するようになったのはNHKアニメの「へうげもの」の影響であることは今更言うまでもない。我ながら結構影響されやすい人間だと思っている。

 

 

 展覧会を終えると開場直後のホールに入場する。開演までは1時間ほどあるので、喫茶でアイスコーヒーを購入して時間をつぶす(ここは立ち席しかないのがしんどい)。考えてみると、ザ・シンフォニーホールでは最近は喫茶で待つことが多いが、ここの喫茶を利用するのは初めてぐらいかもしれない。私も年を取って堕落してきたものである。

喫茶でマッタリする

本日の催し物

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第571回定期演奏会

一曲目は室内オケ編成の配置

指揮・オーボエ/ハインツ・ホリガー
ハープ/平野花子

ルトスワフスキ:オーボエ、ハープのための二重協奏曲
ホリガー:音のかけら
シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D.944 「ザ・グレイト」

 室内弦楽オケ+打楽器にオーボエとハープを加えた独得の編成で演奏されるのが一曲目。いきなり弦楽陣が全員バラバラのガチャガチャした騒音を立てるのに驚かされる。その騒音の中で唐突にハープとオーボエのソロが吠える。正直なところソリストに技倆があるのは分かるのだが、曲の方が私には全く理解不能。そもそもメロディラインのない難解な曲なので、最後まで私の耳には騒音にしか聞こえなかった次第。

 なおハーピストの平野は、かなり小柄でどことなく腕も短く感じられたので、果たしてあれで低音弦に届くんだろうかと思ったのだが、どうにか届かしていた模様。ハープはかなり巨大な楽器なので、小柄な女性は大変である。

 二曲目はフル編成のオケにピアノを加えてホリガーの曲を。しかしこの曲もメロディラインのない奇々怪々な現代曲。それだけに演奏も相当に難しいだろうと思うのだが、その辺りは最近富に上り調子の大阪フィルはものともしない。もっとも曲自体は最後まで残念ながら私の理解の外であった。

 休憩後の後半はようやく私でも理解出来るプログラムに。シューベルトのグレートはかなり重々しい演奏をする指揮者も多いのだが、ホリガーの演奏はかなりテンポが速めの躍動感のあるもの。しかも時々急激にテンポを落としたり、逆に上げたりととにかく仕掛けの多い演奏である。

 全体を通してとにかくうねるようなロマンティックな音楽に圧倒された次第。シューベルトも古典的アプローチと現代的アプローチがあるが、後者の最たるものと言えるだろう。また大阪フィルのアンサンブルも冴えまくっており、大阪フィルってこんなに上手かったんだと感心することしきりであった。

 

 

デュメイ指揮の関西フィルでモーツァルトの作品を

デュメイ指揮の関西フィルを聴きに

 連日の外出となるが、今日は大阪まで関西フィルの公演を聴きに行くことにする。今回は定期演奏会でなくいずみホールシリーズ。前回のいずみホールシリーズはデュメイは足の不調で来日不可だったので、久しぶりにデュメイの指揮を聴くことになる。

 午前中に家を出ると車で大阪に移動。阪神高速は珍しいほどに順調で、このままだと現地には予定よりも早すぎるタイミングで到着しそう。そういうわけなので途中の京橋SAで昼食を摂ることにする。いつもは1階の中華料理屋の方ばかりなので、今回は3階のレストラン「神戸6番館」の方に行って、カツカレーを食べることにする。

京橋SAの「神戸6番館」

 味はまあ普通(美味くもマズくもないというところ)、価格が明らかに高めなのは仕方ないところか。まあまともなカツが載っているので良しと言うところだろうか。

カツはまずまず、カレーはまあまあ

 

 

 しばらく時間をつぶしてから再び大阪を目指したが、今日はどういうわけか阪神高速が異常に順調であり、駐車場の予約時間よりも30分早く現地に到着してしまったことから、しばし道路脇で時間をつぶしてから駐車場に車を置く。

 これから開演まで1時間半あるが、その間に一ヶ所立ち寄り先がある。いずみホールと言えば近くにあるのは山王美術館。今はまた新しい出し物になっているはずなのでそれを見学することにする。

ホテル隣の山王美術館

 

 

「山王美術館コレクションでつづる 横山大観・梅原龍三郎展」山王美術館で'24.1/29まで

 横山大観の作品については初期の朦朧体と言われた頃から、戦後の作品まで幅広く展示している。ただし作品自体は足立美術館のような見応えのある大作ではなく、サクッと描いた印象の作品が多い。そのせいか、今ひとつこっちにグッと迫ってくる感覚がなく、個人的にはあまりピンとくる作品はなかったというのが本音。

 一方の梅原龍三郎はどらちかといえば私の苦手な油絵の具厚塗り系の画家。彼はルノワールと交流があり、日本での油絵はいかにあるべきかをかなり模索したという。展示品には花の絵が多数あったが、どちらかと言えば人物画よりも花の絵の方が面白い。なお晩年になって厚塗りをしなくなったと思っていたのだが、それは画材として岩絵の具をポリビニル系溶剤で溶いて使用するようになったので、水性塗料になって重ね塗り出来なくなったからだとか。日本向けの油絵を模索する内に、段々と日本画に近づいていったようである。そういうような点などは興味深かった。

 実は一番面白かったのは、併せて展示されていたコレクション展の方。黒田清輝の作品や、金山平三、小磯良平などの作品が展示されていて非常に面白い。またルノワールにボナールの興味深い作品に、平櫛田中の木像彫刻など、非常に見応えのある内容であった。
 正直なところ横山大観については「量産型大観作品」という感じで今ひとつだったが、梅原龍三郎が予想に完全に反して意外に面白かったのと、コレクションの方が見応えがあってなかなかだった。ちなみに今回の展示作もすべてこの美術館の所蔵品なのだから、ある意味で恐ろしい美術館である。

 

 

 美術館を後にすると既に開場時刻を過ぎているのでホールへと急ぐ。それにしてももう9月も終盤にさしかかっているに、未だに結構暑い。日陰だと風に涼しさを感じることもあるが、日向に出るとすぐに身体が焼ける。

いずみホールが遠くに見える

 ホールに入場すると10月に実施するヨーロッパ公演の寄付を募集している。例によって私が出費出来るのはチケット代が限界。ところで今回の公演は8-6-5-4-3の関西フィルコアメンバー構成なのだが、恐らく渡欧メンバーはこの顔ぶれになるんだろう。またちょうど今回のプログラムと前回の定期のプログラムはヨーロッパ公演プログラムの予行でもあるようである。

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 住友生命いずみホールシリーズVol.56
デュメイのモーツァルト・マスターシリーズ2

中規模編成なのでいずみホールのステージに普通に収まる

指揮:オーギュスタン・デュメイ(関西フィル音楽監督)
ピアノ:児玉 桃

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550

 

 久しぶりのデュメイの指揮である。今回は椅子に座っての指揮となる。

 フィガロについてはややテンポが速めのかなりメリハリの強い演奏である。デュメイ独自のアクセントや弦楽器の鳴らし方など、相変わらずのデュメイのクセのかなり出た演奏である。全体的にグイグイと進む印象の演奏である。

 ピアノ協奏曲については児玉の縦横で軽妙な演奏に尽きる。まさに軽業師のような演奏であり、軽快にガンガンと音楽を進める。いささか軽すぎの感もなきにしもあらずだが、ことモーツァルトとなるとこれがピタリとハマる。なかなかに圧倒されるものがあった。

 なお児玉の軽業師ぶりはアンコールでさらに発揮。児玉が選んだのは「展覧会の絵」から「卵の殻をつけたヒナの踊り」。まさにまんまの軽業そのものの演奏であった。

 休憩後のモーツァルトの40番は、やや哀愁を帯びた短調の交響曲であるが、その哀愁はあまり表に出てこない印象。それよりもやや速めのテンポでグイグイと行くという雰囲気が強い。こういうテンポで演奏すると、モーツァルトの古典派的要素の方が前に出てくる印象である。デュメイの演奏は以前からドイツ正統派の演奏と言われているのだが、今回のモーツァルトを聞いていると、確かにその通りだと感じる。関西フィルのアンサンブルをしっかりと固めた上で、活力があって推進力の強い整然とした演奏である。


 さすがにデュメイと言ったところか。まず満足の出来る内容だったのである。