徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

関西4オケ祭でブラームスの交響曲全曲演奏を堪能する(4時間の長丁場)

4オケ祭の前に美術館に立ち寄ることにする

 翌朝は7時半に起床。昨日の就寝が遅めだったのでやや睡眠不足気味。ここのホテルはとなり入浴施設が営業開始するのがチェックアウト時刻以降なので、朝風呂がないというのが難点である。無理矢理に体を起こすと朝食に出向く。

バイキング朝食を頂く

 朝食はとなりの施設の一階の喫茶になっている部分でバイキング。メニューは多くはないが、内容的にはまずまず。ご飯をシッカリと頂いてから、パンを2つほどつまむ。

 朝食を終えると荷物をまとめて10時にはチェックアウトする。今日は14時からフェスティバルホールで4オケだが、その前に大阪の美術館を回る予定。

大阪に到着したが、生憎の雨

 大阪まで突っ走るとホール近くにAkippaで確保した駐車場に車を置き、近場の美術館を回る予定だが、どうも生憎の雨でやや天候は鬱陶しい。

 この後は美術館の見学だが、その前に近くの中の島食堂(まいどおおきに食堂)で日替わり定食を昼食に摂る。今日の日替わりはハンバーグとのこと。まあ極めて普通の内容である。

昼食は日替わりのハンバーグ定食

 昼食を終えると最初に立ち寄るのは中之島キューブ(と私は呼んでいるがこれは正式名称ではない)こと中之島美術館である。

 

 

「佐伯祐三 自画像としての風景」大阪中之島美術館で6/25まで

展示は5階展示室で

 パリの画家として知られる佐伯祐三の生涯にわたっての作品を紹介する。元々大阪中之島美術館は最大級の佐伯祐三コレクションで知られているが、今回はそれを中心に各美術館から集めた作品を展示している。

 まず最初に登場するのはデスマスク・・・と思ったらこれはライフマスクらしい。どうやらノリで作ったものらしい。なお画家による自画像も展示されている。

佐伯祐三のライフマスク

そしてこれが自画像

 最初に登場するのは渡仏前に描いた作品。まだシンプルな作品である。

目白自宅付近を描いた作品

 

 

 次に第一回の渡仏後の日本で描いた作品が登場する。下落合の風景を描いたり、また滞船をモチーフにするなど、日本の風景と自身の画風の折り合いをつける努力をしていることが覗える。

下落合風景

滞船

 また彼が描いた人物画も展示。彼は身近な人々の肖像画を残しているが、これは娘を描いたものである。なお彼女は佐伯の死後にすぐに6才で亡くなったらしい。

娘の彌智子の肖像

 

 

 次のコーナーはまずは第一回渡仏の際の作品。初期の作品はセザンヌやヴラマンクなどの影響が顕著である。

この作品などはセザンヌの影響が見える

こちらはもろにヴラマンク

 その後、ヴラマンクと面会して絵を見せたところ「アカデミック」と酷評されたことを機に自身の画風を模索する時期がある。そしてパリの町並みを描き続けて、最終的にはパリの壁に自身の画風を確立する。

バリの街角を描きまくった

最終的にはこのような重厚な壁を描くように

 

 

 そして一旦帰国した時の絵画が先の下落合の風景なのだが、パリの町並みに適合しすぎていた佐伯は、様々な模索をするものの結局は日本の風景に描くべきものを見いだせず、再び渡仏してパリの風景を描き続ける。この時期の絵画は日本滞在中に滞船を描いた作品などで見られていた線へのこだわりから、結局は壁のポスターの文字をビッシリと描き込んだ独得の雰囲気が特徴となっている。

街角のポスターなどを描くようになる

細かい線の錯綜は滞船辺りからの流れ

 またパリを離れて地方の村で絵を描くなどもしたらしいが、この頃に体調を崩して寝込んでしまうことになる。

田舎の風景を描く

ほぼ最終形態

 

 

 結局はパリに戻ってきて郵便配達夫やロシア娘を描いた有名な作品が最終的に遺作となってしまう。享年30才。まさに駆け抜けるような人生で燃え尽きてしまった生涯だった。

遺作になった郵便配達夫

ロシアの少女

 正直なところ佐伯の作品はあまり好みというわけではないのだが、それでもこれだけ生涯にわたっての作品を並べられると圧倒される。自身の命を削りながら描いていた空気がヒシヒシと伝わってくるような印象を受ける。

 

 中之島美術館の次は中之島香雪美術館に立ち寄る。

 

 

「修理のあとにエトセトラ」中之島香雪美術館で5/21まで

中之島香雪美術館

 今回はやや趣向が変わっており、収蔵品を見せるというよりも、収蔵品の修理事業の家庭について紹介するといった内容。美術品も経年劣化により、汚損、虫食い、風化などさまざまな劣化が起こるが、それらの劣化を修復してなるべく良い状態で後世に残すための技術などについて紹介している。絵画などは以前の修復で裏から紙が当てられていたりすることもあるので、修復するとなるとそういうものを全て外してからの作業になるとか、極度に神経を使う細かい作業であることが良く分かる。

 掛け軸などの場合は軸装から外しての作業になるという。

作業内容が説明されている

修復なった作品

掛け軸の場合は軸装をやり直すそうな

 

 

 絵巻の場合は紙の接合部が劣化したり、巻じわに沿って傷んでいる場合などがあるので、その場合には裏から補強することもあるとか。

絵巻も細かい作業が必要

修復なった絵巻

絵巻の場合は補強作業などもあるとか

 また修復された絵画は日本画の掛け軸や絵巻だけでなく、洋画にも及んでいる。

洋画作品も修復される

修復された柘榴

 

 

 木像などの場合は虫食い部を樹脂で補強するとか、剥離している彩色の剥離止めを行うなどの細かい作業が必要となる。

木像は樹脂補強などが施される

そしてようやく展示に耐える状態に

 絹に書かれている絵の場合には、裏あてを剥がしてのかなり細心の作業になる模様。

絹の場合はさらに細かい作業が

鮮やかに甦った

 

 

 また刀剣の類いなどは錆が発生していたりするので、錆びた部分を最小限の研ぎ直しをするなどの細工が必要なようである。

刀剣の類いも修復作業が必要

鮮やかな光沢を放つ刀身

拵えなども作り直すらしい

 各美術品の修復の詳細について記されているので、修復とはいかなる作業であるのかということを実感できるなかなかに面白い試みであった。もっとも一回りしての一番正直な感想は「短気な私には到底不可能な仕事である」ということである。


 美術館2軒を回り終えたところで既に開場時刻を過ぎている。フェスティバルホールに向かうことにする。ホール内は大入り満員でほぼ満席に近い入り。私は3階の安席を確保している。なお本公演では演奏終了後の指揮者インタビュー時に撮影が可能とのこと。関西のコンサートでは珍しいが、SNSでの宣伝効果を期待してのものだろうか。もっとも現時点で宣伝しても今年の公演には間に合わないが、来年以降への宣伝効果を期待というところのようだ。

 

 

4オケの4大シンフォニー2023

◆山下一史指揮 大阪交響楽団
 曲目/ブラームス:交響曲 第3番

◆飯森範親指揮 日本センチュリー交響楽団
 曲目/ブラームス:交響曲 第4番

◆飯守泰次郎指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団
 曲目/ブラームス:交響曲 第2番

◆尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団
 曲目/ブラームス:交響曲 第1番

 

 在阪4オケでブラームスの交響曲を全曲演奏しようという力業コンサートの先頭を切って登場するのは大阪交響楽団である。大阪交響楽団といえば、ベートーベンチクルスの時にどうにも締まりのない7番を演奏したことで、今ひとつ良い印象を持っていないのが本音。今回山下一史の指揮でいかなるブラームスの3番を聞かせるか。

 冒頭からアンサンブルに今ひとつの精緻さがないのは、相変わらずのこのオケの弱点である。それでも山下の奮闘もあって「頑張っている」というのが正直なところ。山下の工夫により表現の中にはところどころ「おっ、やるな」と思わせるところが散見され、以前の緩みきった大響の演奏からはかなり進化が見られる。とは言うものの、まだ聴かせるというにはやや弛緩した部分も多いのは事実。一言で言えば「今後に期待」というところだろうか。

山下一史指揮の大阪交響楽団

 

 

 2番手に登場したのは飯森範親率いる日本センチュリー。以前のベトチクの時は小編成オケで室内オケ的田園を演奏という変化球を繰り出してきた飯森だが、やはり今回でも一番仕掛けが多いのは彼である。まずオケの配置がコントラバスを背後にズラッと並べた背面低音型配置。カーチュンなどが時折見せるが、最低音が中央から突き抜けてくるという仕掛けである。これで4番の重低音をブイブイと行かせようという狙いのようだ。

 オケの構成の方もこれに合わせて、ベトチクの小編成とは対極のトラを動員しての12-12-10-8-6という低音寄りの変則的大編成になっている。これで大迫力でブイブイという狙いも覗える。もっともこれは諸刃の剣でもあり、実際に冒頭では急造大編成の弱点も出て、アンサンブルの精度が通常のセンチュリーよりはやや落ちるという局面の覗えた。

 ただノリノリの飯森の元で、力強い演奏を繰り広げるセンチュリーは最近の演奏とはやや違った一面も見せた部分がある。まあ飯森自身も随所に彼特有の仕掛けを用意しており、演奏意図はそれなりに噛み合ったまずまずの演奏であった。

飯森範親指揮の日本センチュリー交響楽団

 

 

 休憩後の後半はベテラン飯守泰次郎率いる関西フィルによるブラームスの2番である。そもそもブラームスの2番はネットリシットリした弦楽陣を特徴とする関西フィルとは相性の良い曲である。ベテラン飯守もその関西フィルの持ち味を十二分に活かしつつ、彼特有のピリリとしたアクセントをそこに挿入していく。大病後にめっきりと衰えが見られ、特に足下が覚束なくなったことが懸念される飯守だが、その指揮にはまだ衰えを感じさせないメリハリが見られる。その挙げ句、自身も興が乗ったのか、第2楽章でいきなり立ち上がったのには驚いた。ここが聴かせどころとでもいうところか。確かに関西フィルも感情のこもった演奏を繰り広げる。

 シットリとした弦楽陣を中心に、甘くはあるが緩くはない音楽が展開された。今回の関西フィルは14型に拡大された編成となっていたが、トラを含んでの拡大にも関わらず、弦楽陣に乱れがなかったのは見事。また編成の拡大を単なる音量増加でなく、音楽としての密度を上げるのに利用していたという感がある。またオケの飯守に対するリスペクトのようなものも感じられ、ピンと1本線が通った演奏となっている。なかなかに冴えた演奏を展開したのである。

飯守泰次郎指揮の関西フィルは14型編成

飯守はまだ健在

 

 

 大トリは16型巨大編成の大フィルによるブラームスの1番。率いるは最近に進境著しい尾高忠明。

 冒頭からズッシリとしながらも重苦しくなく躍動感のある音楽が繰り広げられる。この躍動感が最近の尾高には非常に強く感じられるところであり、尾高と大フィルの意図するところがうまく噛み合っていることが感じられる。重厚であっても決してその重さに動きが阻害されることがなく、エネルギーを秘めて音楽が繰り広げられるのが、最近の尾高と大フィルの組み合わせの妙であり、それがもっとも効果的に発揮されやすい曲を得て見事に発現している。

 もう一楽章からかなりハイテンションで盛り上がったのであるが、その盛り上がりは曲が進むにつれてさらに深化する。そして最終楽章、強烈な緊張感の中で尾高の指揮の下で一糸乱れずに驀進する大フィルサウンドが実に圧巻。「大フィルってこんなに上手かったんだ」と思わせる圧倒的な音楽である。そのまま圧倒的なクライマックスを迎えて曲は終了。場内が爆発的な熱気に包まれたのも当然。私も時節柄「ブラボー」との絶叫は控えたが、思わず「これはすごい」という声が出てしまったのである。

尾高忠明指揮の大フィルは16型の大型編成

見事な演奏を聞かせた尾高忠明

 

 

新今宮の定宿で宿泊する

 大盛り上がりの会場を後にすると、車を回収してから今日の宿泊ホテルを目指すことにする。今日宿泊するのは私の定宿の一つ「ホテル中央オアシス」。毎度のようにセパレート部屋を予約しているので、ゆったりと入浴してくつろぐつもり。ただ丸4時間の長丁場コンサート終了後にホテルに到着した時は既に7時頃。部屋に荷物を置いたところでとりあえず夕食を摂りに出かけることにする。

ホテルに到着した時にはもう7時頃

 夕食といっても金のかかる新世界界隈に行くつもりはない。立ち寄ったのは近くの「らいらいけん」。ここでトンカツ定食(800円)を頂く。例によってCP最強。トンカツも専門店のような特別に凝ったものではないが普通に美味い。安くて美味い飯をしっかりと腹に入れるのである。

らいらいけん

小鉢のマカロニサラダを頂く

これで800円のトンカツ定食

 満足して夕食を終えてホテルに戻ってきてテレビをつけると、何やら「シン・仮面ライダー」の製作のドキュメントが放送されている。アクションシーン撮影の経緯についてかなり丹念に紹介しているのだが、現場のスタッフと庵野の意図するところが噛み合わずに四苦八苦しているのが伝えられている。庵野がもろに自身のこだわりを前に出しているのだが、それがあまりに漠然としすぎていて現場スタッフが理解できずに右往左往。「ややこしいオッサンだな」という現場の本音が滲んでいるのが笑えた。何やら庵野のこういう「とにかくややこしいクリエイター気質」ってのは、もろに師匠の宮崎駿から引き継いでいるようである。ただそこまでこだわった割には、今回の映画は巷では当のアクションシーンが極めて評判が悪い(何をやっているか分からないという声が多い)というのはいかなることだろうか。まあ私は以前から、庵野がオタ的なこだわりを出せば出すほど、一般が求めるエンターティーメントとはかけ離れてくるという傾向は感じてはいるんだが。

 この番組は家で録画しているはずなので、途中で風呂に入ることにする。タップリと湯を張った浴槽に体を沈めるとホッとする。そもそもそのために選んだホテル中央オアシスである。この週末の遠征は疲れ切った精神を癒やすという意味も込めている(の割には、体の方にはやけにハードなんだが)。

 入浴を終えるとしばしPC作業だが、やはり肉体的疲労は頭を鈍らせる。あまり作業がはかどらないので適当なところでベッドにゴロンと横になるが、こうなるとすぐに眠気が押し寄せる。結局この日はやや早めに就寝することになる。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

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京都市響のフライデーナイトスペシャルで沖澤のどかの指揮を初体験

そうだ、京響に行こう

 この週末は京阪方面に繰り出すことにした。最初の目的地は京都。京都コンサートホールで開催される京都市響のコンサートである。京都市響は長年常任指揮者を務めた広上淳一が退任する当たり、後任には広上推薦の沖澤のどかが就任したのだが、私は今までスケジュールの関係で彼女の演奏を聞いたことがなかった。その彼女がこの4月の定期演奏会で指揮をするとのことなので、これは一度聞いておきたいと思った次第。しかし定期公演本番の明日は4オケとスケジュールが衝突してしまっていることから不可。そこで今晩のフライデーナイトを聴きに行こうと考えた次第。

 フライデーナイトは昨年から京都市響が行った試みだが、1時間のショートコンサートを安めの価格で金曜日の夜に行おうという試み。昨年は土曜の定期に対し、日曜定期が半分、フライデーナイトが半分というような分配だったのだが、今年度からは日曜定期が完全に廃止されてフライデーナイトオンリーになってしまった次第。

 京都まではとにかく遠いので、いくら開演が19時半とやや遅めといっても仕事が終わってから駆けつけていたのでは到底間に合わない。この日の仕事は午前中で終えて、昼から京都に向かって走ることにする。

途中の新名神宝塚SAはなぜかエヴァコラボ中

牛乳ソフトを摂って一息つく

 途中で休憩も取りながら長駆ドライブすること2時間程度だが、思いの他の疲労がやって来るところに老いを感じずにはいられない。昔はヘロヘロになりながらも半日運転し通しなんて無茶もしたものだ。今の私には昔のように関西から新潟まで一気に走り通すなどという体力も精神力も到底なくなっている。

 京都に到着するとまずは立ち寄り先に。最近結構頻繁に行っている美術館であり、青銅器のコレクションで有名。今日はここにち立ち寄る予定があったから早めに出たのである。

 

 

「光陰礼賛ー近代日本最初の洋画コレクション」泉屋博古館で5/21まで

 住友家の当主・住友吉左衞門友純(春翠)が集めたという洋画コレクションを紹介する。なお購入作品の選定には春翠の支援でヨーロッパに留学していた画家の鹿子木孟郎が関与しているという。大原コレクションにおける児島虎次郎と同じ役割を果たしたようである。

 目玉はモネの2点であるが、1点はまだ印象派としての画風を確立する前で、後の画風を思わせるところはあるが、まだバルビゾン派的作品である。これに対してもう1点は印象派を立ち上げて2年後の作品。両作品を比べると明らかに色彩の鮮やかさが異なっており、モネが印象派に至った境地が理解できることになる。

 コレクションは印象派作品もアカデミズム作品も両方含んでおり、どうやら収集に当たって区別はしなかったようだ。またアカデミズム作品に所属する作品でも、明らかに色彩表現に印象派の影響がみられるような作品もあり、本来この区別はさして厳密なものではないことも感じさせられる。

 後半は日本人洋画家の作品で、多くは黒田清輝に学んで官展で活躍した画家たちである。あまり尖っていない写実系の画家中心であり、概ね好ましい印象を受ける作品が多い。なお私の好きな岡田三郎助の作品も一点(「五葉蔦」)あり、かなり楽しめた。

 

 

早めの夕食を東洋亭で

 美術館の見学を終えるとまだ早めであるがホールの方に向かうことにする。Akippaで確保しておいた駐車場に車を入れると、まずは早めの夕食を摂っておくことにする。まだ「東洋亭」のランチタイムがギリギリで間に合うので駆け込むことにする。

久しぶりの東洋亭

 注文したのはハンバーグのAランチ。ビフカツとかが食いたい気持ちもあったのだが、ハンバーグを選んだ理由は端的に言って金欠。諸般の事情で現在の私は著しい金欠状態にあり、贅沢している余裕は皆無である。と言うわけで定番のエコノミーメニューを選んだ次第。

 まずは東洋亭名物謎のトマトサラダから。サラダという名の丸ごとトマトなんだが、なぜかこれが不思議と美味いんだよな。毎回これが最大の謎。ちなみに今日は熊本の八代産のトマトだそうな。

相変わらず美味い謎トマト

 ホイルを切り開いて出てくるハンバーグは久しぶりである。グツグツといっていて美味そう。もっとも私は猫舌なので少し冷まさないと食えないが。相変わらずのかなり肉肉しいハンバーグである。なかなか美味い。実はここのところ洋食から少々遠ざかっていたのだが、やはりたまには洋食も良いなと感じる。ちなみに付け合わせの北海道のジャガイモもほっこりして美味。

ホイル入りのハンバーグが登場

アルミホイルを開くと熱々のハンバーグ登場

食後のアイスティー

 早めの夕食を堪能したが、まだ開演までには随分時間がある。かといってどこかに立ち寄る宛てもなし。仕方ないのでさっさとホールに入ってしまってグダグダと時間をつぶすことに。やはりこのホールは周辺に時間つぶしに良い場所がないのが一番の難点。しかも今のように重度の金欠だと、なおのこと時間のつぶしようがない。

 ホール下のスペースで椅子に座ってこの原稿打ったりスマホをチェックしたりしている内に開場時刻となる。7割程度の観客が入っており、なかなかの入りである。

ホールへ

 

 

京都市交響楽団フライデーナイトスペシャル

3階の正面席が確保できた

指揮:沖澤のどか

モーツァル 歌劇「魔笛」序曲
メンデルスゾーン 序曲「ルイ・ブラス」
メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」

 最初は「魔笛」の序曲。沖澤はプレトークでオペラを振りたかったからドイツに行ったという類のことを言っていたが、確かに実にオペラらしい序曲になっている。流麗でなめらかというのが一番の印象であるが、オペラの情景を描き出そうとしている姿勢が見える。

 二曲目はメンデルスゾーンの「ルイ・ブラス」序曲もかなりドラマチックな表現である。全体的に鳴らし方にやや上品なところが見られるが、感傷的な劇的表現も十分に含まれてはいる。

 最後はメンデルスゾーンの超有名な爽快な交響曲。それをまさに爽快そのものな演奏を行った。オケはなかなかに色彩的でシャープな印象。ただし下品な極彩色になることはなく、上品でスマートな演奏である。

 沖澤の指揮は初めて聞いだが、今回を聞いた限りでは当たりが柔らかくて上品でスマートという印象を受けた。フランス系の洒落た曲なんかが良く似合いそうであるが、むしろ私が興味があるのは、同じフランスでも幻想交響曲のような情念渦巻くおどろおどろしい曲をどういう演奏をするかというところ。今後、彼女の表現の幅についても知りたいところである。

 

 

大津の温泉ホテルで宿泊する

 コンサートを終えると今日の宿泊ホテルへ移動である。大阪に戻る手もあったのだが、コンサート終了後に大阪まで長駆移動もしんどいと思い、京都方面で宿泊することにしている。とは言うものの、京都市内のホテルは相場が高すぎて無理。というわけで少し足を延ばして大津で宿泊することにした。宿泊するのは「おふろcafé ニューびわこホテル」。大津の宿泊もできるスーパー銭湯である。また大衆演劇を見ることができるというのも特徴の一つとなっている(私は興味皆無だが)。最近リニューアルしたとのことで、私はリニューアル以前には数回宿泊したことがあるが、リニューアル後は初めてになる。

風呂なし、トイレなしのシンプルビジネスルーム

 チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、取るものとりあえず風呂へ。リニューアルされて1階は何やら綺麗な休憩所になっているうえに、かつては3階にあった男子更衣室が2階に変わっている。間取りが少し変更になった模様。入浴して汗を流したいところだが、その前に食事処がラストーオーダーになる前に軽く夜食を摂ることにする。

 まずはドリンクとして冷やし飴を頂く。やっぱりへばった時のドリンクとしてはこれが一番である。

冷やし飴でくつろぐ

 で、夜食は醤油ラーメン。まあ最初から期待はしてないのでこんなものというところか。内容的にはドーミー夜鳴きそばの量を増やして具を入れたという雰囲気。こういうものを食べると、つくづくドーミー夜鳴きそばはよくできたサービスだと再認識。しかし貧困化が進む現状、インバウンド目当てで高級化が進むドーミーに今後と宿泊出来ることがあるのだろうか・・・。

夜食ラーメン

 夜食を終えると入浴。どうやら以前には3階の更衣室から降りていく螺旋階段があった場所に更衣室を移した模様。まあ空間としては完全に無駄な空間になっていたから、効率的レイアウトというところか。風呂自体は以前と変わっておらず、ラドン泉の湯も以前と変わらない。ややネッチョリと体にまとわりつく湯の中でゆったりとくつろいで、今日の疲れをいやす。ここのところ精神的にかなり限界に近い日常を送っているので、こういう癒しは大事である。

 入浴してくつろぐと、部屋に戻ってPCのセッティングなどをするが、それだけで力尽きて原稿が頭に浮かぶ状態じゃない。仕方ないのでタブレットを自宅のレコーダーにリモート接続してみると、Wi-Fiの速度が速いのが幸いして問題なくつながるので、録画していた昨晩のアニメを数本見ている内に眠気が押し寄せてくるので、さっさと就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

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準・メルクル指揮のPACオケのコンサート前に「ゴッホアライブ」を見学

 この週末はPACのコンサートで西宮に出向くことにした。指揮は久々の準・メルクルである。

 土曜の午前中に家を出るが阪神高速は例によってのひどい渋滞、見込み時間からかなり狂うノロノロ運転が続いてストレスが溜まる。今回はコンサートの前に兵庫県立美術館に立ち寄る予定。しかとようやくたどり着いた美術館は駐車場が満車ということでしばし待たされることに。しかし幸いなことにたまたま出庫車が相次ぎ、数分で比較的スムースに入庫することが出来る。

 

 

「ゴッホアライブ」兵庫県立美術館で6/4まで

ゴッホの絵画を使ったインスタレーションである

 ゴッホの絵をモチーフにして大画面と音楽を使用したインスタレーションというイベント。兵庫県立美術館のギャラリー棟に大スクリーンを設置して、40分程度の映像を流すといった内容である。場内は大入りである。

会場にいきなりあるのが有名なゴッホの部屋

 とは言うものの、この手のイベントが好きな者にはそれなりに面白いかもしれないが、私のように絵画が好きな人間にとっては、大スクリーンにドカンと次々映し出されるゴッホの絵画はそう楽しいものでもない。ゴッホの荒々しいタッチは大写しになるとむしろ粗に見えてしまう。また特に驚くような映像演出があるわけでもなく、そこは結構平凡。

本会場は巨大マルチスクリーン

奥へと入ると

 

 

大入りである

ゴッホの「ローヌ川の星月夜」

これは超有名な星月夜

 一人でホールの中央でデンとくつろいで音楽と映像に没入できるならまた印象も異なろうが、大勢がホールにザワザワと入場している状態だと落ち着かないし、立ちんぼのせいで足の痛さだけが身に染みる。家族連れだと子供が途中で退屈するのが必至だしと、どうもこのイベントがシックリくるシチュエーションが浮かばないのだが、あえてあげるなら彼女との洒落たデートコースの一環という辺りか。

出口手前はひまわりコーナー

 正直なところ、イベントとしては中途半端で2000円超の入場料を高いと感じずにはいられなかった。その上に後で考えてみると場内は結構密。果たしてこの時期に大丈夫なのかの疑問もある。

 

 

 美術館を後にすると兵庫県立芸術文化センターまで車を走らせるが、ここも阪神高速が渋滞で流れず、乗ってすぐに降りる羽目に高速ならぬ低速道路で無駄な金を使ってしまった。結局は時間も無駄にして予定よりもかなり遅れてホールに到着。ちょうど私が到着した時には、14時から中ホールでオペラ「森は生きている」(私は以前にびわ湖ホールで見たことがある)を上演とのことで、その客と思われる連中がゾロゾロと車でやって来ている時だった。ちなみに私の方の公演は15時からである。

中ホールでは「森は生きている」

 開演までには後1時間ほどしかない。とりあえず昼食を摂っておく必要がある。さすがにまたケンタは嫌なので、西宮ガーデンズまで足を伸ばす。レストラン街を一回りしたが昼食時間は微妙に外れているはずなのに人気店は待ち客がいる。待っている余裕がないので、たまたま待ち客がいなくなっていた「昔洋食みつけ亭」に入店、「牛フィレビーフカツレツのライスセット(1880円+悪税)」を注文する。

昔洋食みつけ亭

 今流行のレアカツというやつのようである。味的にはまあ可もなく不可もなく。典型的な「少し懐かしい感じの洋食」ではある。場所柄CPは少々キツいが、そもそもガーデンズに来た時点でCPは諦めている。

牛カツのセット

レアカツである

 昼食を終えると開演まで30分ほど。ホールへ急ぐことにする。

兵庫芸文へ

 

 

PACオケ第140回定期演奏会

指揮:準・メルクル
チェロ:カミーユ・トマ

ドヴォルザーク:交響詩「水の精」
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

 一曲目は最近比較的演奏機会が増えてきたドヴォルザークの交響詩。オケの音色が華やかな曲である。PACオケはやや管楽器の元気さが過ぎる気もしないではないが、メルクルの指揮のブイブイと来る感じである。ただピアニッシモが絞り切れていない印象があるので、そこをもっと絞り切れたらさらにメリハリの強い演奏になりそうに思われる。

 二曲目はフランスの俊英カミーユ・トマをソリストに迎えてのチェロ協奏曲。ドヴォルザークの望郷の念を反映して、スラブ情緒満載の曲であるが、それを彼女はなかなかに謳わせてくる。音色に若干のクセはあるが、なかなかに深いものがある。なお演奏自体は基本的に陽性。過度に感傷的になるような雰囲気ではない。場内の反響もなかなかでアンコールはスコリク(ディモフ編)のメロディとのことだが、私は全く知らない曲。ちなみにスコリクはウクライナの作曲家らしい。実に美しい曲である。

 休憩後の後半はR.シュトラウスのツァラトゥストラ。2001年宇宙の旅で有名な冒頭からPACオケはブイブイくるし、メルクルの指揮もかなり溌剌とした印象。こういう非常に色彩的な曲はPACのカラーとマッチするようである。なかなかにメリハリの効いた痛快な演奏である。


 以上で本日の予定は終了、帰りも阪神高速は大渋滞で散々な目にあったのである。

 

京都の美術館で東山魁夷、甲斐庄楠音らの絵画を見てから、京都市響のアクセルロッドファイナルへ

京都日帰り遠征実施

 この週末は京都まで遠征することとなった。目的は京都市交響楽団。今回はアクセルロッドの首席客演指揮者としてのラストとなる。今まで数々の名演を残してくれたアクセルロッドのラストとなればやはり聞いておきたいということで、京都まで足を伸ばすことにした。ただ京都まで遠征するとなると、やはりついでの行事を盛り込んでおきたい。当然のようにそれは美術館訪問。現在福田美術館で「日本画革命」が開催中、さらに京都国立近代美術館で「甲斐庄楠音の全貌展」が開催中であるので、この2つぐらいは押さえておきたい。なお伊勢丹でミュシャ展が開催されているが、京都駅はアクセスが悪い(車で行く場合)ことから、まあこれは諦めることにする。

 コンサートが14時半からとやや早めに始まることから、福田美術館に開館の10時直後に到着することを目指す。そのために家を出たのは午前の早い内、途中で朝食を摂ると高速を嵐山目指して突っ走る。嵐山手前で渋滞に出くわして、若干の遅れが出るが、それでも嵐山には10時少し過ぎぐらいで到着する。目をつけていた駐車場には空きがなかったので周辺の駐車場を探す。美術館から結構離れたところに安い駐車場を発見、まあ運動不足だし少し運動することにするか。

桂川べりをプラプラと歩く

 美術館へは徒歩で10分程度。面倒な距離ではある。美術館周辺は相変わらず観光客がゾロゾロ。なんかこんなのでコロナは本当に大丈夫なのか?

10分ほどで福田美術館に到着

 

 

「日本画革命 ~魁夷・又造ら近代日本画の旗手」福田美術館で4/9まで

 近代日本画壇に革命を起こした画家たちを紹介とのことである。まず第1展示室の方はお約束とも言える横山大観と菱田春草が展示されている。

横山大観「東山烟雨」

菱田春草「蓬莱山図」

菱田春草「群鷺之図」

大観と春草の競作による「飛泉」

 

 

 さらに小林古径、さらにこれも絶対外せない川合玉堂など。

小林古径「鴨」

川合玉堂「瀑布」

川合玉堂「三保・富士」

 京都画壇からは山口華楊、徳岡神泉などが展示されている。

山口華楊「待春」

徳岡神泉「池」

 

 

 第2展示室では「魁夷・又造、2人の山」と銘打って東山魁夷と加山又造の作品を展示。国民画家とまで言われた魁夷の美しい作品とインパクの強い又造の作品を堪能できる。

東山魁夷「緑岡」

東山魁夷「秋深」

東山魁夷「月映」

東山魁夷「山峡朝霧」

東山魁夷「緑の朝」

 

 

加山又造「日輪」

加山又造「紅白梅」

加山又造「鶉」

加山又造「雪ノ朝」

 最後の第3展示室では、青の魁夷に対して赤の元宋の奥田元宋や小野竹喬といった辺りが登場する。

小野竹喬「四季屏風」

 全体的に私の好きなところが多い展覧会であり、なかなかに見応えがあって堪能できた。わざわざ出張ってきた価値ありである。

次回展は橋本関雪らしい

 展覧会の鑑賞を終えるとプラプラと駐車場まで戻ってくる。時間は昼前。やはり次の美術館でギリギリだろう。車を急がせるが、京都の西の端から東の端まで走るような形になるから、距離もあるし混雑もしていて予想よりも時間を要する。ようやく昼頃に美術館に到着すると駐車場に車を放り込む。

 先ほどの福田美術館もなかなか良かったのだが、そもそも展覧会の主目的としてはこちらの方がメインである。1度見たら脳裏に焼き付くような強烈なインパクトのある甲斐庄楠音の展覧会となる。

 

 

「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」京都国立近代美術館で4/9まで

京都市現代美術館

 甲斐庄楠音はまさに大正デカダンスを象徴する画家として話題となる。なおこの時に同時に話題になったのが、これまたデロリとした独得の画風の岡本神草だったという辺りが何となくこの時代の空気を伝える。

看板になっている作品は彼の作品では「綺麗」な方の絵

 彼の作品の特徴は美醜を越えたかのようなその強烈な画風。官能的と表現されることもあるが、肉感的というか何やらモデルの体臭まで感じさせるような濃厚なところがあり、グロテスクという表現さえピッタリくるようなところがある。土田麦僊が「穢い絵」と酷評したという話も残っているが、そういう解釈も理解できる。

Amazonでの画集、ここまで来ると半分以上グロい

 なお彼自身は演劇などの方にも関心が深かったようで、優男である彼自身が女形に扮した写真なども残っている。

甲斐庄楠音、明らかに優男である

 その作品のインパクトの割には今日あまり名前が残っていないのは、その後に彼自身が活動の場を映画の風俗考証に移したことによるという。展示の後半は彼の手がけた映画衣装などの展示となっているが、代表作は市川右太衛門の「旗本退屈男」シリーズの豪華で派手な衣装である。これに対して「丹下左膳」となると地味だがインパクトの強い衣装など、作品に合わせてデザインしているのが良く分かる。

 このコーナーでは往年の市川右太衛門や片岡千恵蔵などといった辺りから若き大川橋蔵、さらには若き中村錦之助(後の萬屋錦之介)、北大路欣也といった大スター揃い踏みで、別の意味で感慨深かったりする。

 甲斐庄楠音についてはその強烈なインパクトから記憶に焼き付いている(岡本神草とペアになっているが)が、その割にはどういう画家だったかということは私はよく知らなかった。そういう意味では彼の人となりやその生涯を知れたことはなかなかに興味深かった。

 

 

 大体これで美術館の方の目的は終わったが、既に1時前になっていて時間に余裕がない。とりあえずホールの方へ急ぐことにする。akippaで確保した駐車場はここからそう遠くはないので直ちに移動して車を置くと、とりあえず急いで昼食。気分的には「東洋亭」に行きたかったのだが、回転の遅い店で順番を待っている時間的余裕がないので、比較的すぐに入れそうだった「そば料理よしむら北山楼」に入店する。正直なところそばの気分ではなかったのだが、贅沢を言っている場合ではなかったのでそばのセットを頼んでこれが今日の昼食となる。

そば料理よしむら北山楼

そばのセットを頂く

 昼食を終えるともう既に開場時刻になっているのでホールへ急ぐ。客は結構来ていて場内は8割~9割の入りというところだろうか。

ホールへ

 

 

京都市交響楽団第676回定期演奏会

大編成用のセッティング

ジョン・アクセルロッド (首席客演指揮者)
三浦 文彰(ヴァイオリン)

ガーシュウィン:パリのアメリカ人
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

 メインである「春の祭典」に合わせてか、今回の京都市響は金管大幅増量の上に16型という大型編成となっている。

 最初のパリのアメリカ人はガーシュウィンによるユーモラスでウィットに富む曲なのであるが、大型オケの威力でユーモラスと言うよりはバリバリといったという印象のかなり派手目の演奏でもある。それでも随所にガーシュウィンらしい茶目っ気と官能性は一応こめられている。

 二曲目はオケの編成を一回り減らしてのコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。この曲はやや甘めの曲調なのであるが、三浦の演奏は以前よりややソリッド感が強いところがあるので、その辺りがこの曲調とはどうだろうというところがなきにしもあらず。極端に甘々にならないバランスとも言えるのではあるが。

 最後は大編成のパワーを活かしての「春の祭典」。ただアクセルロッドは単純にパワーを活かしてブイブイといった単純な演奏はしない。メリハリはかなりハッキリとつけてあるのだが、パワーでぶっ飛ばす一辺倒ではない強弱の変化に配慮した意外に細かいところに気をつけた演奏でもある。その辺りはさすが。

 もっともここ一番になると大編成オケのパワーをこれでもかとばかりに発揮してきたのは事実。特にドンガンと激しい唸りを上げる大太鼓に、つんざくような金管の咆哮はかなりの大迫力であり、そういう点でもかなり堪能できる演奏となったのは事実である。

 アクセルロッド首席客演指揮者としての最後を飾るまずまずの演奏になったという感がある。まあ今後もアクセルロッドは完全に切れるというわけではないだろうから、時折は客演で名演奏を聴かせて欲しいところである。


 これで今回の遠征は終了、夕方の渋滞の京都を帰路につくのであるが、毎度のことながらこれはかなり疲れる行程なのに、今回は京都日帰りという力技になってしまったので、自宅にたどり着いた頃には疲労困憊して何をする気力もないままに早めにバタンキューとなってしまったのである。さすがに若い頃と違って京都日帰りはキツいか。

 

 

国立博物館の「加耶」展を見学してから、アクロスでポリャンスキー/九響の名演を堪能する

今朝は早朝出発

 その晩はかなりグッタリと寝てしまっていて、朝の6時半に目覚ましで起床する。さて今日の予定だが、今日の九州交響楽団のコンサートは午後2時からアクロス福岡で。だから当初の予定では昼頃までここでグダグダするつもりだったんだが、さすがに福岡くんだりまで遠征してそれだとあまりに情けなさすぎるということで、その後の調査で九州国立博物館で「加耶」展が開催されているとのことから、それを見学することにする。九州国立博物館が開館するのが9時半、大体その頃には向こうに到着したいと考えたら、こちらを8時15分のバスで天神に向かった方が良さそう。というわけで今朝は6時半という最近の遠征ではあまりやらない早朝起床にした次第(最近は8時近くまで寝ていることが多い)

 時間に余裕がないのでさっさと行動する必要がある。まだ眠気がある上にあちこちに痛みも残っている身体にむち打って、まずは朝食へ。朝食はバイキング形式だが、正直なところ品数もいまひとつだし、内容も出来合感が強い。ホテルとして考えた時のここの難点は、このイマイチの朝食と部屋に冷蔵庫がないこと。さすがに万葉倶楽部は風呂は整っているのだが、料金とその他を照らし合わせると選択が難しいところ。長時間待機するつもりだったらアドバンテージがあるのだが、今回のように夜にやってきて翌朝早朝出発だったらメリットは薄くなる。

残念ながら朝食はイマイチである

 朝食で腹を満たすと朝風呂に出向く。とりあえず鈍りきっている体にこれで活を入れておく。体が温まってきたことでようやく少し動けるようになってきた。そうなったところで荷物をまとめると8時頃にはチェックアウト手続きを済ませる。

 シャトルバスで天神までは20分ほど。天神のバス停は市役所の前で、ちょうと斜め向かいアクロス福岡が見える。

バス停からはアクロス福岡が見える

 

 

西鉄で太宰府に移動

 まずは邪魔なキャリーは帰りの動線を考えて地下鉄天神駅近くのコインロッカーに入れ、身軽になって西鉄福岡駅を目指す。西鉄に乗るのは何年ぶりだろうか。以前に全国鉄道乗りつぶしをやっていた頃にここに来たことはあるが、ボンヤリとした印象しかもう残っていない。西鉄福岡駅はいかにもターミナルという印象で、線路数は少ないが阪急梅田駅を連想させる構造である。

西鉄福岡駅は2階にある

関西人の私としては阪急梅田を連想する

 ここから大牟田行き特急に乗り込んで西鉄二日市を目指す。クロスシートの特急車はやはりイメージとしては阪急に近い。

特急列車が到着

何となく阪急京都線特急を連想させる車内

 特急は高架をぶっ飛ばし、途中で地上に降りたりなどしながら二日市に到着、ここで太宰府線に乗り換え、到着した太宰府駅はいかにも観光路線の終着ターミナル駅ということで、構造といい雰囲気といい阪急嵐山駅を連想させるもの。何となく非常に馴染みがあるような印象を受ける。

二日市で乗り換えると二駅で太宰府到着

太宰府駅

 

 

太宰府参道筋をプラプラする

 まだ比較的朝早い時間帯にもかかわらず観光客が多いのに驚く。途中でやはり太宰府といえば名物の梅ヶ枝餅を買い求め、それを頂きながら太宰府の参道筋をプラプラする。甘い焼きあん餅が実に心地よい。

太宰府名物梅ヶ枝餅を頂く

参道筋は早朝から観光客が多い

 太宰府には大勢の観光客が押しかけている。耳を澄ませるとどうやら観光客のかなりの部分が中国人である印象。そのせいか自撮り棒を振り回している輩も。鳥居をくぐって参道の太鼓橋を越えると正面が太宰府の本殿だが、私が目指すのは博物館なのでそこを右折。

参道の太鼓橋を越える

梅が咲いている

正面が本殿だが私はここで右折

 

 

 博物館は太宰府南の丘の上にあるので、ここから虹のトンネルを抜けることになる。ここを通るのは初めてではないのだが、こんなに高いエスカレーターを登るということは完全に忘れており、ひたすら長い動く歩道を抜けたというように記憶が書き換わっていた。実際は2段構成の高いエスカレーターを登ってから動く歩道だった。

これが虹のトンネル

いきなりかなり高いエスカレーターを登る

登り切った先が長い動く歩道

 歩道を抜けると目の前に巨大なガラス張りの建物が見えてくるが、これが九州国立博物館。国立博物館といえば、東京、京都、奈良にあるが、ここは一番新しいだけに建物も一番近代的である。

実に巨大な博物館の建物

内部は巨大な吹き抜け

 

 

特別展「加耶」 九州国立博物館で3/19まで

「加耶」展会場

 加耶とは3世紀から6世紀頃に朝鮮半島南部に存在した金官加耶、阿羅加耶、小加耶、大加耶などの国々の総称である。加耶は鉄を産することと倭国との交易などで栄えたが、やがて新羅と百済による圧迫を受け、532年に金官加耶が新羅に服属すると、562年に分裂して力の弱まった大加耶が新羅に服属することになり、ここで加耶は消滅する。その加耶の最近の発掘の成果に基づく出土品などを展示した展覧会である。

加耶の地図

 最初は鉄の産地であった加耶らしい鉄製の武具や鎧などが展示されている。

出土した鉄器類

鉄製の鎧

 鉄器だけでなく須恵器などの陶器も出土しているようで、文化のレベルは高かったことが覗える。

土器や鏡なども出土している

 剣の類いも多く出土していて、出雲などで大量に出土している銅剣と類似しているものも出土している。

見たことのあるような銅剣も出土

これは装飾品のようである

 装飾を施した鉄の矛なども発見されていることから、実用はやはり鉄剣だと思われることを考えると、これらの銅剣は儀式用か何かだろうか。確かに無粋な鉄剣よりは、金ピカに輝く銅剣の方がいかにも儀式的には派手で見栄えが良いが。

鉄製の大刀

柄頭には龍と鳳凰が刻まれている

 

 

 倭を始めとする東南アジア広域との交易で栄えた加耶には、倭人も移住していたと考えられるという。また倭国に渡来人の形で訪れている加耶の人々もいて、その姿も伝えられている。

渡来人埴輪

埋葬されていた女性の飾り物

船をかたどった埴輪

 また当時の倭国に牛馬はいなかったと記録にあり、それらを持ち込んだのも渡来人だったという。馬は軍事用に重宝され、権力者は名馬を豪華に飾ったようである。

埴輪牧場

名馬はこのように飾った

 日本と朝鮮半島の深い関わりを示す発掘品が多いのだが、この辺りの歴史は未だに諸説あり(あのアホな戦争の悪影響がまだ残っている)、未だに不明な点も多々あるようであるが、今後さらなる発掘調査で歴史的事実が明らかになることを願うのみである。

 

 

 特別展の鑑賞後は上の階の常設展の方も覗くが、とにかく会場が広い上に足の方が既に終わりかかっていて集中力も続かないということでザッと一回りするだけで終わり。丹念に見学していったら実に見応えのある逸品ぞろいだが、残念ながら時間よりも集中力が完全に底を突いている。

「縄文は爆発だ」の火焔型土器

国宝「三角縁神獣鏡」

伊万里焼きの名品

 

 

太宰府に立ち寄ってから戻る

 博物館の見学を終えると11時頃だった。とりあえず引き返す途中で太宰府天満宮に立ち寄って宝物殿を覗く。

太宰府の宝物殿

 宝物庫では太宰府ゆかりの名品の展示に合わせて、神戸智行展を開催中で大判の自然を描いた作品を数点展示。琳派的な装飾性を持ちながら、それでいて画面に独得の奥行き感があるという独得の静謐な絵画。しーんという音が聞こえるような静けさはかなり独自性の高い風情である。

宝物殿では太宰府ゆかりの名品を展示

 宝物殿の見学後は本殿に立ち寄ろうとするが、ご本殿が改修中で仮殿を建設するとかの工事中の模様で、今は本殿の写真の前で拝むしか仕方ないよう。手早く参拝だけを済ませておく。今更私は受験はないが、この年になって新たな技術を学習して習得することを迫られているので、その習得が上手く行くように祈っておく。どうも一生いわゆる学問と離れることはなさそうである。ついでにおみくじを引いたみたら、見事に大吉で満願成就とのことだが、本当だろうか?

 太宰府の見学を終えると観光客でごった返している参道筋を太宰府駅まで。当初予定ではここらのどこかで昼食を摂ることも考えていたが、とても店に立ち寄るという気にならないので天神まで引き返してから昼食を摂ることにする。

帰りの参道筋はとんでもないことに

 

 

昼食は天神地下で

 30分ほどで天神まで引き返してくると、昼食を摂る店を探して地下をウロウロ。飲食店街の地下2階をうろついたがどこも行列、そんな時に「かつ心」が入店できそうだったので飛び込む。

地下の「かつ心」

 注文したのは「カツ丼(1100円)」。いかにもとんかつ屋のカツ丼らしく、分厚いロースカツの入ったカツ丼。まあ特に可もなく不可もなくといったところで普通に美味い。場所柄やや価格は高めに感じるが、まあ悪くはない。

カツ丼はまずまず

 昼食を終えると何だかんだで1時前ぐらいになっていた。地下伝いでアクロス福岡に向かうことにする。ホールに到着したのはちょうど開場の数分前。1時を2分ほど過ぎたところで開場になり、ゾロゾロと入場する。

アクロスは開場直前

 昨年改装なったホールは綺麗である。自分の席に着いてしばしボンヤリとしていたら疲れがドッと押し寄せて眠くなる。そこで開演までしばし意識を失う。次に気がついたのは隣の席が来てゴソゴソ始めた時で、開演10分前になっていた。まだ完全に頭がスッキリしたわけではないが、目を覚ましてコンサートに挑む。

ポリャンスキー&小山実稚恵

 

 

第32回名曲・午後のオーケストラ 巨匠ポリャンスキー 魅惑のシェエラザード

改装なったアクロス福岡は綺麗

指揮 ヴァレリー・ポリャンスキー
ピアノ 小山 実稚恵

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
リムスキー=コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」 作品35

 小山実稚恵のピアノソロは相変わらずかなりタッチの強い硬質な演奏である。これがベートーヴェンの4番であればここまで強い演奏では違和感が出るのであるが、こと5番となればこの小山の荒々しいタッチでも問題なくマッチする。まさに堂々たる皇帝という雰囲気になる。

 これに対してバックのポリャンスキーは、小山の硬質の音色を受け止めるかのように、やや柔らかめの音を出してくる。この辺りが単にパワー全開にバリバリだけでないポリャンスキーの柔軟性である。結果としてオケとピアノが絡み合っての見事な皇帝と相成ったのである。

 満場の喝采を受けての小山のアンコールは定番の「エリーゼのために」。さすがに小山も硬質一辺倒ではないですよとばかりに女性らしい軟らかいタッチを披露するのだが、それで随所に妙な力強さがあるのが彼女らしいとも言える。

 後半はいよいよポリャンスキーが本領発揮となるのだが、もう冒頭の金管の咆哮を聴いただけでも「おっ、来た!!」と言いたくなるような演奏。まさにポリャンスキー節である。ただ残念ながら九響の技倆の限界があり、腰砕けになりかねないギリギリの危うさを感じさせる。

 ポリャンスキーの演奏の真骨頂はそのピンと張りつめた緊張感なのであるが、それを醸し出しているのが実に徹底したピアニッシモの表現である。ただ残念ながらポリャンスキーの手勢のロシア国立交響楽団と違って、九響の場合はどうしてもその部分が若干甘めになる。そのせいで緊張感が張りつめるというところまではいかない。もう少し緩めであるが陽性な演奏となる。まあこの辺りは九響のカラーでもあるんだろう。まさにフォルテッシモはガンガンと行くという印象。

 リムスキー=コルサコフの極彩色のオーケストレーションが冴え渡るのがこの曲なのであるが、それをまさに原色でぶちまけてくる演奏であり、華やかでありながら決して虚仮威しの底の浅いものではなく、心の底にまでグイグイと迫ってくる演奏。この辺りはさすがにポリャンスキー、なかなかに巧みである。九響の限界ギリギリの表現力を引き出していることが感じられる。

 壮絶にして美麗というシェエラザードに場内は大盛り上がり。それに応えてのアンコールはチャイコフスキーの「四季」より「秋」。これは以前の公演でも演奏した記憶があるが、とにかくメロメロのメロドラマで甘美の極み。厳ついオッサンから飛び出す予想外の超ロマンティック演奏である。これで場内は再度盛り上がり。


 ここまで聴いたところで、カーテンコールもそこそこにホールを飛び出す。実は帰りの新幹線の切符を既に確保してあり、その時刻がギリギリである。私と似たような状況なのかやはり飛び出している客が数名。慌てて地下2階まで駆け下りると、地下伝いで地下鉄天神駅へ。途中でキャリーをロッカーから回収すると博多駅に移動する。博多駅では完全に方角を見失って迷ったりしたが、何とか帰りの新幹線に間に合ったのである。

 結局は博多とんぼ返りという強行軍になってしまったが、さすがにポリャンスキーは博多にまで出張った甲斐を感じさせる見事な演奏を聴かせてくれた。なお2023年度にもポリャンスキー指揮の九響のコンサートが11/9に開催され、プログラムはラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲と交響曲第2番ということで興味津々なんだが、開催が木曜日と平日であることから当日午後から翌日まで1日半の休暇を取る必要がありそうだし、この日はちょうど大阪フィルのメンデルスゾーンチクルス(それも私の大好きなスコッチの回)とブッキングすることから、残念ながら次回はパスするしかなさそうである。正直なところ、ポリャンスキーがまたロシア国立交響楽団を率いてやって来てくれないかと思うが、このご時世下ではそれは無理か。私としてはせめて大阪フィル辺りで客演してくれないかと思うところ。フェドセーエフが指揮したら見事にロシアサウンドになった大フィルが、ポリャンスキーの指揮でどのような音を出すのかに興味がある。

 

 

この遠征の前日の記事

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最終日はPACオケの定期演奏会、スダーンのグレイトは実にグレイトだった

遠征も最終日

 翌朝は8時半に起床。朝から体はやや重い。昨日に買い込んでいたパンとおにぎりを腹に入れるととりあえずシャワーで汗を流す。後は部屋でゴロゴロしながらチェックアウトの11時前まで過ごす。原稿執筆も考えたが、疲労が結構来ていて頭が回らない状態なので諦める。

 さて今日の予定だが、15時から兵庫芸文で開催されるPACオケのコンサートに行く以外には何の目的もない。それだとあまりに時間が余る。そう言うわけで西宮市立大谷記念美術館を訪ねることにする。

 駐車場に車を入れようとするといつになく車が多い。何があったんだと思っていたら、どうやら本日は無料開館日だったらしい。今時は美術館の入場料も安くはないのでラッキーである。

 

 

「新収蔵品展」西宮市大谷記念美術館で3/19まで

大谷美術館は無料観覧日だった

 新収蔵品を中心に展示した展覧会。内容は4部構成になっていて、それぞれ全く異なる内容。

 第1部は屏風絵。新収蔵品は18世紀末の西宮出身の絵師・勝部如春斎の「四季草花図・芦雁図」。大作であってかなり勢いの感じる作品だが、個人的には特に強い印象は残らず。

 第2部は今竹七郎のデザイン類。以前からこの美術館のコレクションの中心の1つだが、今回はそこに同時代の竹久夢二などの作品が加わったようだ。今竹七郎のパッケージデザインなどは特徴的で面白く時代を感じるものであるが、面白いで終わるもので特に感心するというほどではない。

 第3部は川村悦子の草木を描いた大作。近くで見ると結構大胆な筆使いに感じられるのだが、遠くから眺めると圧倒されるほどリアルであり、空気感まで感じられるのが驚き。美術館で森林浴と銘打っていたが、確かに何となく湿っぽくてひんやりした空気を感じた。

 第4部は版画類だが、これに関しては残念ながら私の印象に残る作品はなかった。まあこれは元々私が版画にはあまり興味がないことも影響しているが、そもそも現代絵画自体があれなので。

 

 

 美術館をブラリと一周したらそれなりに疲れる。まだ時間にかなり余裕があることだし、少し一服していこうと考える。館内のカフェに立ち寄って「ワッフルセット(1000円-100円)」を注文する。

ワッフルセットを頂く

 温かくてサクサクのワッフルにアイスクリームが合わさると非常に心地よい。コーヒーはやや苦めだが、これと合わせるとバランスが取れる。大谷美術館の庭園を眺めながらしばしマッタリと落ち着いた時を過ごす。

大谷美術館は庭園も売り

 

 

昼食を摂ってからホールへ

 しばしの休息の後に美術館を後にするともう既に昼時を回っている。ホールに行く前にどこかで昼食を摂りたい。以前にも行ったことのある「キッチンキノシタ」を目当てに車で移動するが、店に到着した時には店前の駐車スペースは皆無。やはりこの人気店は週末の昼時の入店は困難か。仕方ないので通過すると他の店を物色。「そば辰」の前を通りかかった時に、ちょうど正面の駐車場が1台分空いているのを見てそこに車を入れる。

そば辰

 ここは結構有名なそば屋とのことで、既に待ち客がいる。名簿を見ると私で3番目のようなのでしばし待つことにする。待ったのは20分弱だが、その間にも続々と客が押し寄せている。なかなかの人気店のようだ。

玄関までのアプローチは風情あり

 ようやく入店するとメニューに目を通すが、セットや定食の類いが名前を書いてあるだけで中身の記述がないのでよく分からない。そこで店員に聞いてみたが、どうも私的にピンとくるものがない。そう言うわけで注文したのは「鴨そば(1980円)」

鴨そば1980円也

 しばし待った後にそばが到着。うん、普通に美味い。しかしあくまで「普通に」である。感動するとか、今まで食べた中で一番とかそういうレベルではない。正直なところこのレベルのそばなら他にもいくらでもある。私の頭の中に浮かんだ妥当な価格はmax1500円というところで、1980円はないわというのが正直な感想。これが1200円以下なら通うだろう。

 

 

 昼食を終えるとホールへ移動する。ホールに到着したのはまだ開場時刻よりも大分前。駐車場に車を入れると開場時刻まで館内の喫茶に立ち寄ることにする。さっき美術館の喫茶でコーヒーを飲んでおり、これ以上のコーヒーは胃をつぶす可能性が高いので、アイスティーを注文してこの原稿入力で時間をつぶす。アイスティーはアールグレイを用いているようでややクセがある。これなら私の場合はオーソドックスにダージリンの方が良い(ダージリンも決して私の好きな茶葉ではないのだが)。

カフェでアイスティーを頂きながら時間をつぶす

 ようやく時間が来たのでホールに入場する。客の入りは8~9割というところか。

大ホール

 

 

PACオケ第139回定期演奏会

最初はハイドン用の小編成配置

指揮:ユベール・スダーン
ピアノ:児玉 麻里

ハイドン:交響曲 第6番「朝」
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第3番
シューベルト:交響曲 第8(9)番「ザ・グレイト」

 最初はハイドンの曲、6型という小編成のPACオケが室内楽的なサウンドを奏でる。スダーンは古典曲をロマンティックに表現する指揮者である。その特徴は最初のハイドンから現れていて、古典的に整然とというよりは、明らかに情緒が加わっている。ハイドンについてはそういう演奏をすればロマン派の曲のように聞こえる場面があるということを最近になって気付いていたが、そのことを改めて再確認させられる。

 二曲目はいきなりオケの演奏はかなりロマンティックに始まるのだが、それに対して児玉のピアノは甘さをあまり感じさせない強いタッチによるもの。14型という通常の協奏曲よりは大編成のPACオケに音量の点でも全く遜色がない。非常に明快で毅然とした演奏という印象。決して硬質一辺倒というわけではないのだが、基本的に鋭角的で力強い演奏。これはこれで全体のバランスは取れている。

 ソリストアンコールは「エリーゼのために」。ここで児玉は甘いタッチを披露するのだが、それでもやはり基本的には強い演奏をするピアニストだということを感じさせる。堂々として安定感は抜群。

 休憩後の後半はザ・グレイト。スダーンのアプローチはやはりかなりロマンティックな方向。生命力溢れる非常に躍動感のある演奏である。この辺りがPACオケの若さと相まって活き活きした音楽になっている。とにかく一貫しているのは演奏が陽性であること。この曲がこんなに明るい曲だったのかと言うことは今回初めて認識した。第二楽章などは演奏によっては哀愁を帯びて聞こえることもあるのだが、スダーンの演奏にはそういう影の部分は微塵もなく、ひたすら美しくて明るい天上の音楽という趣。

 この曲はやや長いので、演奏によっては冗長になってしまってまさに眠気を誘う場合さえあるのであるが、今回の演奏に関してはそういう余地は全くなかった。最初から最後まで夢見心地で心地よいままにクライマックスというところ。改めてこの曲をシューマンが絶賛したという意味が分かったような気も。


 前半部分で1時間を大きく越えた上に、後半が長大なザ・グレイトだったためにコンサート終了まで2時間半近くを要することに。コンサートを終えると慌てて帰宅の途についたのである。

 

 

この遠征の前日の記事

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二日目はピカソ展を見てから大フィルのコンサート、夕食は新今宮の町の洋食屋

今日は大フィルのコンサート

 昨日はホテルに戻ると疲れ切って風呂に入る余裕もないまま寝てしまった。今日は大きな予定はないのでとにかく寝るぞと意を決して、5時頃に中途覚醒しても、7時頃に回りの部屋がガソゴソとうるさくなって起こされても、一切を無視して9時頃まで爆睡。

 ようやく起き出すと昨日の帰りに買い込んでいたサンドイッチを腹に入れ、体がいささかべたつくのでシャワーで汗を流すと、昨日ほとんど何も出来なかった原稿の作成に取りかかる。

 11時を回った頃に部屋を出る。今日はフェスティバルホールで開催される大阪フィルのコンサートだが、その前に国立国際美術館で開催のピカソ展に立ち寄りたい。コインパーキングから車を出すと混雑する大阪の町を北上する。駐車場はホールの近くにアキッパで確保してある。

 車を置くと美術館に向かってプラプラと歩きながら昼食を摂る店を探す。目についたのは「牛煮炊きとおばんざい ちいやん」。どうやら大分料理がメインの居酒屋のようであるが、定食メニューもあってランチなどもあるので飯屋として利用できるようだ。

飯屋としても使える居酒屋という趣

 焼魚定食を注文。今日の焼き魚はさんまだそうな。そう言えば昨年は価格高騰の煽りを受けて、さんまを食べることがなかったような気がする。かなり久方ぶりのさんまはいささか塩っぱい。

今日の焼き魚定食はさんま

 定食メニューは野菜が豊富で美味い。特に具だくさんの味噌汁が美味。自然に野菜も摂れるようになっているなかなかに健康に良さそうなメニューである。これは良い店に当たった。

 昼食を終えると美術館に向かう。考えてみると隣の中之島美術館に来ることは多くなっているが、こちらに来るのはかなり久しぶりのように思う。元々この美術館は現代美術系の美術館なので私とあまり相性が良くないと言うこともあるが。

最近は奥の中之島美術館の方ばかりだった

 

 

「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」国立国際美術館で5/21まで

 ベルリン国立ベルクグリューン美術館は、美術商ハインツ・ベルクグリューンのコレクションを基にした美術館であるとのこと。特にピカソの初期から晩年までの作品を所蔵しており、同時代に活躍した、クレー、マティス、ジャコメッティらの作品も収蔵しているとのこと。

 ピカソについては「青の時代」から始まる。

ジャウメ・サバルテスの肖像(1904年)

 次に色彩が明るくなった「薔薇色の時代」となる。

座るアルルカン(1905年)

 そこからいわゆるキュビズムの時代に突入する。ちなみに同時代の作家としてブラックの作品が併せて展示されていたが、そちらは撮影不可。なお作品自体はピカソとかなり類似。

グラス、花束、ギター、瓶のある静物(1919年)

 両大戦間の時代となると新古典主義の時代となり、ピカソの作品はまた変貌する。古典的なカッチリした描き方の作品が多くなってきて、一時期の強烈なキュビズムはやや収まってくる。

座って足を拭く裸婦(1921年)

 

 

 さらに同時代のパウル・クレーの作品も展示されているが、これは私はあまり得意ではないところ。ちなみに一昔前のカメラならピント合わせが混乱しそうな作品がある。

パウル・クレー「夢の都市」

パウル・クレー「植物と窓のある静物」

 さらにここでマティスも登場。一目で誰の作品か分かるぐらい個性があるが、立体作品の場合は意外に普通なのが逆に驚き。

アンリ・マティス「青いポートフォリオ」

彫刻は意外に普通

 さらにいかにもマティスらしい切り紙の作品も登場。鮮やかな色彩を極めたら、油彩よりも最終的にはこっちの方が正解なのかもしれない。カラリストであるマティスの神髄とも言える。

雑誌「ヴェルヴ」の表紙図案

 

 

 さらにジャコメッティの彫刻も登場、いわゆる「針金人間」という奴だが、これもあまり私の好みではない。

ジャコメッティ「広場II」

ジャコメッティ「ヤナイハラI」

 そしてピカソの最晩年のかなりカラフルな作品が登場して終わりである。

ピカソ「闘牛士と裸婦」

ピカソ「男と女」

 個人コレクションを元にした美術館とのことだが、収蔵品のメインが本展出展作品なのか、膨大なコレクションの中から特定の画家の作品だけチョイスしたのかは定かではないのだが、前者だとしたらかなり明確なポリシーを持ったコレクションであると言える。

 ピカソと言えば、その長い生涯の中でとにかく変化の激しい画家であるのだが、その変化の様を一望することができてなかなかに興味深いところである。晩年辺りになるとかなり芸術が爆発しており、激しい色彩には先に訪問した岡本太郎を連想した次第。


 美術館の見学を終えるとフェスティバルホールへ向かう。まだ開演時間まで余裕があるので、実のところは喫茶店にでも立ち寄りたいのだが、この周辺にはとにかくあまり良い店がない(あってもやたらに価格の高い店ばかり)。そもそもこの界隈はオフィス街なので、週末になると閉めている店が多いし。結局は開場直後ぐらいに入場して、ホール内でぼんやりと開演待ちをすることに。なお客の入りは1階を見る限りでは9割方というところ。

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第565回定期演奏会

ステージ上は管楽器用のセッティング

指揮/デイヴィッド・レイランド

曲目/ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲
   モーツァルト:交響曲 第40番 ト短調 K.550
   リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」作品35

 最初はステージ上には管楽器だけが並んでいる状態で、そこにレイランドが入場してきて開始である。いわゆるブラスバンド曲というイメージとは少々異なり、現代寄り音楽を管楽器だけで演奏しているという印象。なかなかに取り留めがなく、ストラヴィンスキーのもっと後の曲のようなシンプルさがない。正直なところ私にはつかみ所がない。

 一曲目が終えるとゾロゾロと弦楽陣が入ってきて10型編成になる。レイランドのアプローチはピリオドでやや早めのテンポ。ところどころアクセントを付けたエッジの効いている演奏ではあるが、全体としてはいかにも古典派モーツァルトという趣の淡々としてあっさりした印象の演奏である。モーツァルトであまり大仰に感情を込めるのは賛否のあるところだが、私的にはいささか物足りなさを感じさせるところがある。

 休憩後の後半になると、16型にオケを拡大してのシェエラザードになる。しかしこの演奏は先のモーツァルトと全く印象が一変する。エッジの立った演奏であるのは相変わらずだが、溜なども加えた非常に濃厚でコッテリした演奏である。さらにコンマスの崔氏のヴァイオリンソロが甘美極まりなく、なかなかに魅惑的なシェエラザードの表現となっている。

 金管を中心に管楽陣がバリバリと来るんだが、それが荒々しくも色っぽい。リムスキー=コルサコフによる名人芸的なオーケストレーションが、さらにより明快な色彩を帯びて一大絵巻として繰り広げられるという印象。アラビアンナイトの物語が眼前で展開するような錯覚をも抱いた。それもハリウッドの最先端SFXを駆使した大冒険活劇(の一方でメロメロのドラマも展開される)である。

 ピリオドを使用したあっさり風味のモーツァルトと対照的なコッテリ演奏には驚かされた次第。なかなかに興味深い指揮者である。それにしても大阪フィルの音色も多彩さを持ち始めたな。

 

 

夕食は町の洋食店で

 コンサートを終えるとホテルに戻ってくる。駐車場は幸いにしてホテルの近くで簡単に見つかる。車を置くとホテルに入る前に夕食を摂ることにする。新世界まで出向くのもしんどいし、串カツを食いたい気分でないしということで新今宮界隈をウロウロ、「南自由軒」なる洋食店を見つけたので入店する。「町の洋食店」と看板にあるが、典型的な「箸で食べる洋食屋」である。概して古い町のこういうタイプの店は侮れないというのが経験則。

南自由軒

 注文したのは「ビーフシチュー(1020円)」。ここの店は牛肉を使用したオムライスが有名なようだが、今日は気分的にこっちを選択。ただ出てきた料理自体はシチューというよりは、薄切り肉のソース煮込みという趣で予測と違った。しかし肉は柔らかくてなかなかに美味い。総じて味付けが巧み。ちなみに付け合わせのサラダにスープ(というにはとろろ昆布入りの奇妙なものだが)もなかなかに美味い。さすがに生活者の町、新今宮。飲食店も侮りがたいところが多い。

ビーフシチュー

 夕食を終えるとホテルに戻ると、またもグッタリ。しかし昨日は風呂に入ることもなく寝てしまったので、今日は入浴だけはとにかく済ませることにする。大浴場でゆったりと体を温めると少し体調が良くなってくるので、今朝に書きかけていた昨日の原稿を仕上げてアップする。それが終わった頃には眠気が押し寄せてきたので就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

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この遠征の前日の記事

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2日目は映画「かがみの孤城」を見てから中之島の美術館をはしごする

コンサートのない今日は、映画と美術館巡り

 翌朝は目覚ましで7時に起床。今日はコンサートの予定を入れていないんだが、9時から映画を見に行く予定。イオンのミニオンカードを作ったので、イオンシネマで映画を1000円で鑑賞できる。そこで一番近くのイオンシネマシアタス心斎橋を訪問する。

地下鉄心斎橋の改札外にはなぜかゴジラがいる

 イオンシネマシアタス心斎橋は心斎橋パルコの12階にある。ただし朝の9時はパルコはまだ開館していないので閑散とした中を地下鉄の改札の真ん前の入り口からエレベータで直通という形になる。

シアタス心斎橋

 シアタス心斎橋はやや小さめの劇場を複数配置した今どきのシネコン形式だが、座席はやや広めでゆったりしている。なお私の鑑賞時はガラガラだったのでかなりゆっくりと見れた。

 今回視聴する映画は「かがみの孤城」。人気小説をアニメ化したとのことであるが、私は原作小説は全く知らない。ただ以前に「転スラ」を見に行った時に映画予告を見て、何となく興味を感じたものの、なかなか機会がなくてそのままになっていた作品である。

 

映画評についてはこちらに記載しました

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昼食はやや贅沢目にうなぎ丼を

 映画の鑑賞を終えると1階上のレストランフロアで昼食を摂ることにする。イオンシネマではお約束の映画鑑賞者に対する特典なんかもあるようなので、悪くない話であるとも思える。結局は「江戸川」に立ち寄って大阪の風景を眺めながらランチの「並うな丼(1900円)」を頂くことにする。なお映画特典はワンドリンクと支払いの10%引きである。

13階レストランフロアの「江戸川」

窓の外には大阪の市街

 外でウナギを食べるのは久しぶりの気がする。この店のウナギは江戸前なので蒸した柔らかいタイプである。なお私はパリッとした関西タイプでも、フワッとした関東タイプでも、どちらのウナギでも好む人間。まあこの価格ではうなぎはボリュームを求められるレベルではないが、ランチとしてはなかなかに贅沢。

うなぎ丼を頂く

 昼食を終えるとプラプラと地下街経由で四ツ橋駅に移動するとそこから肥後橋まで移動。この後はこの地域の美術館を2つほど見学していきたい。

 

 

「館蔵刀装具コレクション 武家の嗜好品」中之島香雪美術館で2/26まで

中之島香雪美術館

 香雪美術館の所蔵品には刀剣類のコレクションも多く、さらには刀剣の外装である拵である鍔なども収集されているという。今回はそれらの中から展示する。

 刀は武士の魂などとも言われたが、その一方で実用本位だけでなく、芸術品的な装飾などもなされ、拵は時には凝ったものになったようである。本展の展示品は小柄が非常に多く、更には目貫などの小物類。極めて細かい細工を施した凝ったものが多い。

 とは言うものの、とにかく物が小さすぎて、残念ながら老眼も進行してきて細かいものを見ることがツライ私には詳細がよく分からない。本来なら手に取って間近でじっくりと観察したいところだが、当然のことながらそれは叶わないことである。そういうわけで何となく漠としか眺めることが出来ず、それでいて異様に目が疲れてしまう展覧会となってしまったのである。細工物好きの者ならかなり楽しめそうであるが。

刀剣類の展示もあり(ここだけ撮影可)

銘不明の短刀なれど、この刀にかなり力を感じた

 一つ目の美術館の見学後はもう一カ所、また名前もここと紛らわしい大阪中之島美術館へ。相変わらず威圧感のあるブラックボックスな建物である。なおコロナの影響もあってとことんまで体力が落ちている私にはこの距離でさえかなり嫌な距離になってしまっている。

妙に威圧感のある建物だ

 

 

「大阪の日本画」大阪中之島美術館で4/2まで

4階展示室で開催

 日本の画壇と言えば東京画壇と京都画壇が有名だが、商工業都市として古くから栄えた大阪にも独自の大阪画壇が存在する。その特色は町人中心であるために、江戸や京のような権威主義的なところがない自由さにある。そのような大阪画壇の明治以降の日本画作品について紹介している。

 最初は大阪画壇を語る上で外すことのできない大物である北野常富の作品から始まる。江戸時代の浮世絵の流れを汲む独自の色気を持つ美人画が有名であるが、大正期には時代の影響を受けたややオドロオドロシ気な黒常富が登場したりなど、なかなか一言では語れない興味深い画家である。

展覧会の表題作は北野恒富の「宝恵籠」

 これに続いては彼の弟子筋に当たる画家たちの作品が登場。その中の代表が島成園であるが、圧倒的な存在感を感じさせ、ある意味で師匠のスピリッツを最も濃厚に引いている画家でもある。後は百家争鳴的に多数の画家が登場する。

島成園「祭のよそおい」

 次に登場するのが大阪風俗画の大家・菅楯彦。彼が描いた様々な風景は、当時の大阪の町の様子を伝える資料でもあり得る。

菅楯彦の「浪華三大橋緞帳」

 これ以外では南画や文人画などまさに様々な作品が綺羅星のように登場するが、正直なところ特別に強く印象に残るほど個性の強い作品は残念ながら存在せず。

生田花朝「天神祭」

 というわけで、やっぱり私の場合は本展は北野常富に島成園に尽きてしまうわけである・・・。

 

 

ホテルに戻ると疲れてゴロゴロ

 正直なところ、映画に続いての先ほどの展覧会でかなり消耗して集中力が落ちてきていることが否定できない。まだまだ昼過ぎぐらいだが、無理はせずにホテルに戻って休養することにする。

 ホテルに戻ると風呂で汗を流して、原稿の執筆などを始めるがやはり疲労が強くて考えがまとまらない。一休みとベッドの上にゴロンと横になるとそのまましばし意識を失ってしまう。

 次に気が付くと夕方になっていた。これは夕食を摂りに行ったほうが良い。と言っても疲労はあるし、恐らく中国人がウロウロしていると思われる新世界界隈をうろつく気にもなれず、夕食は近場の「らいらいけん」で済ませることにする。刺身定食700円。相変わらずCP最強である。

ホテル近くの「らいらいけん」

刺身定食を頂いた

 ホテルに戻ると再度の入浴。サッパリしたところで、タブレットを家のHDレコーダーとリモートで接続して、しばし原稿入力。眠気が湧き上がってきたところで就寝する。

 

 

この遠征の翌日の騎士

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この遠征の前日の記事

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最終日はフェニーチェ堺でのNDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団演奏会

昼食は美術館で摂ることに

 翌朝は8時過ぎに起床。この頃になると回りの部屋が騒がしくなってくるから自然に目が覚める。とりあえず昨日買い込んだサンドイッチを朝食代わりに腹に入れると原稿執筆。

 さて今日の予定だが、15時から堺のフェニーチェで開催されるNDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行くだけ。それまで大分時間に余裕があることになる。このホテルは以前はチェックアウト時刻が13時だったのでちょうど良いから選んだのだが、何とその後に11時に変更されてしまった。というわけでかなり中途半端な時間がフリータイムで生じることになってしまったのである。

 とりあえずこれではあまりに仕方ないのでとにかく一カ所立ち寄り先を作ることにする。立ち寄ることにしたのは小林美術館。堺南部の高石市にある、以前に数回訪れたことのある小規模美術館である。

小林美術館

 美術館には車で30分程度で到着。入館したが、絵を見るよりもとにかく腹が減った。昼食の方を先に摂ることにしたい。ここの喫茶に立ち寄る。

 

 

 注文したのはオムライスとミルクティー。懐かしいタイプの卵焼きで包んだオムライスである。最近はスフレと称した卵焼きを載せるだけのオムライスが増えている(この方がバイトでも作りやすいということもあるようだ)が、やはり正しいオムライスとはかくあるものである。特別に美味しいわけではないがまず満足。

懐かしいタイプのオムライス

 ミルクティーはやや味にクセがある。アールグレイでも使用しているのだろうか。私はアールグレイは苦手である。オーソドックスなアッサムやセイロンが好き(実はダージリンもあまり好きではないので、これはという好みの紅茶に出会ったことはほとんどない)。

 ティーブレイクでホッとしたところでデザートも頂くことにする。この地域の名物であるくるみ餅を注文する。白玉団子にくるみ餡をかけた極甘スイーツである。数年前に一度食べた記憶があるが、こうやって改めて食べてみると記憶にあったよりもさらに甘い。美味しく頂けるギリギリラインの甘さで、これ以上甘くなると気分が悪くなるところ。そうなると極甘という表現でなく、ゲロ甘になるところだ。

極甘のくるみ餅

 昼食と喫茶を終えると支払いついでに美術館の入場券を購入。そもそも本来の目的はこっちである。

 

 

「秋季特別展 自然を描く 実りと恵みの情景」小林美術館で12/11まで

 この美術館は文化勲章受章日本画家の作品を中心に所蔵しているが、その作品の中から自然を描いたものなどを展示。

 印象に残った作品は梶原緋沙子の美人画。彼女は菊池契月の弟子だったらしいが、まさに契月の血脈を受け継ぐ上品な美人画である。また私の好きな伊藤小坡の美人画も2点。一作の「紅葉狩り」は人物と紅葉の風景を描いた佳品。これ以外で印象に残ったのは山中の眼鏡橋を緻密に描いた岩澤重夫の「故郷の橋」など。メジャーどころでは橋本関雪は相変わらず馬が登場する絵でいかにもだった。最後の平子真理はやや絵本チック。

 二階展示室は洋画も展示。小磯良平や東郷青児といった個性の強いところもあるが、目立つのは「ルノワールが輪郭線に戻らずにあのまま印象派を突き進んだらこうなったろう」と思わせる伊藤清永の「秋粧」。

 ここには新星画家の作品も展示してあり、女性を描いた阪口芳の「ある日」はなかなか印象深い作品。また奥田元宋を思わせる藤本静宏の作品や、幻想的な杉山洋子の「秋空へ」なども印象に残る。

 点数は決して多くもないが、意外に面白い作品があったという印象。定番どころの有名画家の定番的作品よりも、私的に名前をよく知らない画家の作品に意外と心惹かれる作品があったりした。

 

 

 美術館を一回りするとホールへ移動することにする。まだ時間が早めだが、どうせ近くの駐車場は二時間ほどで一日上限まで価格が振り切れてしまうので同じである。ここからホールまではすぐ。近くのタイムズ駐車場に車を置くと、まだ開演までに2時間ほどあるので堺方面をプラプラする。

 オムライスだけだとやや腹が半端なので、軽く回転寿司屋に入店して数皿つまむ。と言うものの、この店はあからさまに寿司が美味くない。これはしくじった。

この寿司はイマイチだった

 結局はあまり時間をつぶせずにホールに戻ってくる。やむなくホール内でしばし時間をつぶすことに。

フェニーチェ堺へ

 開場開始後までしばし粘ってから入場。今回の私の席は前から2列目というクソ席。コンサートを見に行っている者なら特等席かもしれないが、私のように聴きに行っている者には音が頭の上を抜けていくクソ席である。フェニーチェは久しぶりで、今まで数回来ているが価格の関係で4階の桟敷席が多いが、1階を確保した時でもクソ席しか当たったことがない。一度などはわざわざそのために会員になって優先予約をしたにもかかわらず、1階前方端というかなりのクソ席を割り振られた。フェニーチェはよそ者にはクソ席を割り振るというルールでもあるんだろうか? 馬鹿らしくなったから、その後に会員は辞めている。ホールの入りは5割程度で後方には空席も多いのに、こんなクソ席ばかり割り振られるのは明らかに意図的なものを感じる。

なんせ舞台のもろに下

 

 

NDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団演奏会

会場の入り自体は5割程度

指揮:アンドリュー・マンゼ
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ

ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲  ヘ短調 作品84
       :ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調「皇帝」作品73
       :交響曲 第3番 変ホ長調「英雄」作品55

 NDR北ドイツ放送フィルは12型の小型オケ。楽団員の平均年齢は比較的若そうだが、なかなかにまとまりの良い演奏を聞かせる。良い意味でのドイツのオケらしいドッシリした感じの音色も出すが、それよりも漲るような元気さを持っているオケである。12型という編成の小ささを感じさせないパワーを秘めている。

 指揮のマンゼは長身のハゲ親父だが、どうしてどうして、なかなかに躍動的で熱い指揮ぶりである。その熱さで一曲目のエグモントはブイブイと盛り上げる印象。オケも良く統率の取れた密度の高い演奏となっていて聴き応え十分。意外なほどに迫力のあるエグモントとなった。

 「皇帝」はまさにオピッツのピアノ演奏が「皇帝」そのもののゴージャスさ。音色が分厚くて堂々として華麗でありまさにこれこそが「皇帝」であるといわんばかり。このゴージャスなピアノを中心にオケも軽やかでありながらも落ち着いた響きを出していて見事に調和。実に充実した演奏となった。

 後半は「英雄」。さあマンゼが演奏を開始しようとした途端に客席からアラーム音のようなものがなって、それが切れるまで演奏開始が保留というトラブルが発生したが、それでもオケもマンゼも緊張感を切ることなく、仕切り直しで冒頭からぶちかます。第一楽章はとにかく力強くて活き活きとしており、これもまさしく「英雄」の姿そのもの。もっとも力強すぎて葬送行進曲は棺桶蹴飛ばしそうなところがないでもなかったが、それもご愛敬というところ。最後までズッシリとしながらも若々しい活き活きした気持ちの良い演奏で、なかなかに良いものを聴かせてもらったというのが正直な感想。

 満足した客が多かったのか、演奏終了後も拍手が止まずにマンゼの一般参賀あり。観客も一様に満足の様子であった。


 実のところ私はこのオケに最初から期待していたわけでなく、コロナが一区切り付いて来日した外来オケで、価格もまあ妥当なところだからとチケットを取ったのであるが、これはなかなかに掘り出し物というか、予想外に見事であった。演奏の絶対レベルで行けばパリ管やロンドン交響楽団に及ぶものではないが、CPという見方をしたら凌いでいるかもしれない。今年も最後近くになって思わぬ名演に当たったものである。

 これで今週末のコンサート三連荘は終了。今回はコンサートの満足度が高く、意気揚々と引き揚げたのである。

 

 

この遠征の前日の記事

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京都の美術館を回ってから、ネルソンス指揮のボストン交響楽団のコンサートへ

そうだ、京都に行こう

 翌朝は7時に起床。体がズッシリと重い。かなり疲労が溜まっているようである。とりあえず今日の予定であるが、フェスティバルホールでのボストン交響楽団が夜の7時から。それまではフリータイムであるが、平日を利用して京都の美術館を訪問したい。

 とりあえず入浴で身体を温めると、昨日買い込んでいたおにぎりを朝食として腹に入れ、軽く昨日の原稿をまとめてから慌てて荷造りすると早めに出発することにする。いつもならチェックアウト時刻ギリギリまで粘るところだが、今日は京都の美術館を多数回るつもりなのと、夕食のために大阪に戻ってくる必要があることからスケジュールが厳しい。最初の目的地である京都国立博物館の開館が9時半なのでそれに合わせて入館するつもりで行きたい。

 ちなみに夕食のために大阪に舞い戻る必要があるのは、今回は旅行支援を使用したプランを選択したので、平日特典の大阪PAYを3000円分獲得しているので、それを使用するため。この大阪PAY調べてみると、思いの外加盟店が少なく最初から使用する店を定めていないとしんどいことになる。そこで今回は既に夕食を取る店に目星を付けているので、そこに早めに戻ってくる必要があることになる。

 ホテルをチェックアウトすると最初の目的地の京都国立博物館へ一直線・・・のつもりだったが、朝の渋滞に巻き込まれてオロオロしている内に未だに慣れない阪神高速のせいで間違った道路に入ってしまって、途中で高速を下りて下道を名神道に向かう羽目になって大幅に時間ロス。しかも京都に突入してからも京都名物の秋の渋滞で四苦八苦。平日でこの様なら週末などは想像するとゾッとする。結局は予定よりも30分近く遅れて現地に到着。博物館の駐車場に空きがあったことから、そこに車を置いてまずは最初の展覧会へ。

京都国立博物館平成館

 

 

「京に生きる文化 茶の湯」

 京都で発祥して日本の特徴的な文化の一つにまで進化した茶の湯の歴史を追う展覧会。

 まず最初の茶の湯はそもそも中国から伝わってきたものであり、その頃は中国や朝鮮の名品を使用していた。その頃の茶器はいかにも中国的であって、デザインなどは非常に洗練されていて工芸レベルの高さも感じさせるものである。

 そのような流れがしばし続くのだが、そこに段々と日本独特のものが加わっていく。中国のものを真似したような器も日本で製造されるようになるのだが、そこで劇的な変化が発生するのが安土桃山時代の巨人・千利休の登場(彼は文化界における存在感だけでなく、身長180センチと実際に物理的にも巨人だったそうだが)。それまで薄手のやや大きめの茶碗から、一気に厚手の小振りな茶碗に劇的に変化する。私的にはこの辺りの茶器から急激に興味が増す。ここではさらにあからさまに変な織部好みの茶碗なども登場。当時の文化人は、これを「面白い」と感じる感性があったとうことで、考えようによれば現代人なんかよりも余程「芸術が爆発」としている。文化が成熟した時代であることがそのようなことからも覗える。

 もっともここで気付いたのは、茶碗は劇的に変化しているのに対し、茶入れは最初の頃から大して変化していないということ。この辺りは何やら面白いところである。

 織部亡き後は、小堀遠州の「綺麗さび」の世界などが現れ、洗練された美しさの世界に向かっていく。なお遠州の茶器を見ていて思ったのは、この人物はいわゆる「可愛い」ものが好きだったのではということ。今の時代に生きていれば、結構「萌え」とか「映え」っていっていたような気がする。

 さらに茶の湯を庶民レベルに広げた本阿弥光悦なども登場。茶の湯の文化が拡大すると共に、この頃には中国から煎茶道なども入ってきてこの世界が多様化していったようだ。

 明治になると西洋化の波の中で瀕死状態になりかけた茶の湯も、家元達の奮闘もあって今日まで命運をつないでいる。そのような現代の茶器なども最後に展示されている。

 私の好みの関係で、一番の興味が利休・織部の周辺に収斂してしまうのは致し方ないことであるが、今回茶の湯の歴史を概観して、利休がなした革命の意味が改めて理解できたことが大きな収穫。「利休はそれまでの唐物の中心の茶の湯を大きく変革した」と言葉では知っていても、それを実際に目の当たりに出来たことによって本当に理解できた。


 京都国立博物館を後にすると次は東山へ。ここの京都市美術館と近代美術館をハシゴの予定。これがまた途中の道路が混雑して往生するが、まあ問題なく現地入り、市立美術館の駐車場に車を置いて美術館へ。

京セラ美術館

 

 

「ボテロ展 ふくよかな魔法」京都市京セラ美術館で12/11まで

展示室へ

 コロンビア出身で独得のふくよかな人物画で知られている「ボテボテボテロ」ことフェルナンデ・ボテロの展覧会。

 彼の作品はユーモアに満ちていてなぜか笑わされるのであるが、初期作品についてはふくよかなのは変わりないが、何となくグロテスクさを感じさせるものもある。

初期の作品

 彼は人物画が有名であるが、人物画だけでなくて静物画なども描いている。もっとも静物画を描いてもなぜかボテボテである。

ボテボテの静物画

花瓶の三部作

 彼の描いた宗教画やメキシコを訪問して現地の文化に触れての作品なども展示されている。

彼が描くとキリストやけに肉付きが良くなる

メキシコでの楽士たちを描いた作品

 

 

 そして彼の一番有名なのが、数々の名画を彼流にアレンジした一連の作品群。ユーモアとアイロニーが効いた彼独自の世界が展開する。

クラーナハが

こうなってしまう

ゴヤの貴婦人像も

このように

ホルパインは

これは比較的元絵に近いような・・・

そしてモナリザの横顔

 何とも奇妙な感覚に支配されることになった独得の展覧会である。私はというと、なぜか始終笑いが止まらなかったのであるが。


 京セラ美術館の次は、道路を渡って向かいの近代美術館へ。

道路向かいの美術館へ

 

 

「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡―市民が創った珠玉のコレクション」京都国立近代美術館で'23.1/22まで

 ケルンのルートヴィヒ美術館は20世紀以降の現代美術に特化した美術館であるが、そのコレクションは市民からの寄贈を元に形成されたという経緯があるという。この美術館に所蔵される作品を展示。

 とのことであるのだが、やはり20世紀美術となると私とは相性が悪いのは否定できない。ドイツ表現主義などはギリで理解の範疇で、ピカソを中心としたヴラマンク、マティス、シャガール、モディリアーニなどの作品群は面白いのであるが、それ以降になると何とか付いていけるのはシュルレアリスムまでで、ポッポアートになってしまうともう私の目には全く無価値。

 そういうわけで、残念ながら私的には心揺さぶられるような面白いものは何1つ無かったというのが本音である。まあこれは致し方ない。

なぜかこのハシビロコウだけが撮影可

 

 

昼食は美術館内で済ませる

 美術館を3軒ハシゴしたところでもう昼を過ぎている。そろそろ昼食を摂りたいが、とにかく適当な店がないのがこの東山界隈。諦めて美術館のレストラン「cafe de 505」で済ませることにする。注文したのはビーフシチュー(+ライス)

美術館内のカフェ

 グツグツに煮え立ったシチューが出てくる。まあ特別に美味いと言うほどのものでもないが、まあ普通に美味いというところ。ただ最初から諦めているとはいえ、これで1650円は激烈にCPが悪い。まあこういうところではマズくなかったら良しと考えるべきだが。

ビーフシチューは煮立っている

 昼食を終えると駐車場から車を出して次の目的地へ。次の美術館はこの近くにある。

泉屋博古館

 

 

「木島櫻谷-山水夢中-」泉屋博古館で12/18まで

 日本画家木島櫻谷の山水画を中心にした展覧会である。

 櫻谷は青年時代、日本各地を訪れては写生をしまくったようで、その時の写生帖も展示されているが、これが驚くほどの精緻さと完成度である。彼が抜群のデッサン力を有していることはこれからも覗われる。

 初期の作品はその彼の特性と、また西洋画の流入によって影響を受けた当時の画壇の空気もあって、彼の作品はかなり写実的な風景画という趣で、その書き込みには西洋画の技法の影響が濃厚である。

 そこから彼は伝統的な中国の山水画の方向へと向かっていくことになる。もっとも若き日に各地を写生に回った(その後にもやはり写生には出かけている模様)ことから、あくまで山水画といっても日本を舞台とした日本的な山水画であり、若き日に取り込んだ西洋画的な表現も生きた独自の高い境地に到っている。そのために伝統的な山水画のいわゆる嘘くささがなく、真に迫ったものを感じさせるし、彼独自の空気表現の巧みさというものが存在する。

 というわけで低次元な感想で恐縮だが「見事」という一言に尽きたのである。小規模な展覧会であるが、なかなかに見応えを感じるものであった。


 ここは青銅器の展示も有名であるが、そちらは先日の訪問時に一回りをしているのでそれはパスすることにする。

 

 

思わぬトラブルで時間と予算を浪費

 美術館の鑑賞を終えて次の目的地へと思ったところで、車の様子がおかしいのに気づく。どうも右前輪の横っ腹にコブが出来ている。実は昨日の夜に大阪を走っていた時に道が見えにくかったせいで縁石にぶつけてしまったようで(維新の自分達の利権以外の予算はカット政策で、道路の白線が消えまくりで道を見失ったせい)、その時はドッシャーンとかなりひどい音がしたのでボディをへこませたかと思ったが、走りは特に問題がなく、ホテルに到着してから確認してもボディにもひどい損傷はなかったので放置していたのだが、どうやらタイヤの土手っ腹をやってしまった模様。ザクッと調べると「ピンチカット」といってタイヤの空気圧を支えるためのカーカスコードが切れてタイヤが空気圧に耐えられなくなったせいだとか(「ピンチカット」で検索すると画像が多数出るので、気になる方はチェックを。ちなみに私の場合はタイヤ側面に直径5センチ以上の、目で見て明確に分かるレベルのコブ状の膨らみが生じていた。)。放置するとバーストの危険があるとのことで、これはタイヤ交換しかないだろう。この後は福田美術館に立ち寄ることも考えていたのだが、どうやらそれどころではなさそうである。

 とりあえずGoogle先生に聞いて近くの自動車用品店を訪れたが、同サイズのタイヤの在庫がないから取り寄せになってしまうとのこと。お急ぎならオートバックスでも行った方が良いとのことなので、カーナビで調べて近くのタイヤ館に直行することに。よりによって京都でタイヤ交換する羽目になってしまった。私は以前にも遠征先でデジカメがご臨終してしまったせいで、今のKissデジは弘前で購入したのだが、全く何をやっているのやら。かといって、さすがにこのタイヤで自宅まで戻るのはヤバすぎる。高速でタイヤがバーストでもしたら洒落にならん。

 結局はここで小一時間と莫大な費用を費やしてしまったので、福田美術館は断念して大阪に直行することにする。ちなみに夕食を摂る店として目をつけているのは梅田ルクアの「美々卯」。3000円あることだし以前から気になっていた「うどんすき」でも食べようかと考えている。予約をしていないので混雑する夕方以降よりも早めに訪問したい。

 タイヤ交換も終えて高速を快調にすっ飛ばす。タイヤの不調に気付かずに高速走行中に突然バーストでも起こったら、私の運転スキルだとそのまま私の人生もこれまでの可能性もあったところである。まあ幸運だったと考えるべきか。もっともこれは余計な出費であり、この請求書は自分達の利権にばかり予算を回している吉村にでも回したいところだ。

 

 

夕食は梅田でうどんすき

 大阪に到着するとホール近くにakippa予約で確保していた駐車場に車を放り込み、地下鉄で梅田に移動する。目的とする「美々卯」はルクアの10階のレストラン街にある。現地に到着すると、以前に大阪ステーションシティシネマにMETライブビューイングを見に行った帰りに立ち寄ったことのある店であることを初めて思い出した。

ルクアの「美々卯」

 予定通り「うどんすき」を注文。4000円ちょっとなのでちょうど良い額。もっとも3000円の金券がなかったらとても注文しようとは思わないメニューでもある。

鍋に満たした出汁を温める

 鍋に出汁が注がれて温まり始めたところで具材一式が運び込まれてくるのでそれを投入。なお海老は生きた状態で持ってくるので、投入時に跳ねることがある。それが怖い人には茹でた海老を持ってくることも可能とのことだが、私は別にそのぐらいではビビらないのでそのまま海老を投入。

鍋に具材の半分を投入

 とりあえず全具材の半分を投入してもらう。鶏肉が煮えてハマグリの口が開いた頃が食べ頃とのこと(ちなみに私のハマグリは口を閉じたままでご臨終してしまったが)。やや柔らかめであるがしっかりしているうどんは確かに美々卯の麺。具材の湯葉などが美味いが、意外だったのはやや甘めのあるがんもと煮崩れを警戒して後で投入した子芋。特に子芋は本来は私の嫌いな食材なので驚いた。

バッチリ煮えたところを頂く

 なるほど伝統の人気メニューだけになかなか美味い。それと意外だったのは量的に私には絶対に不足だなと思っていたのに、食べ終わると腹にズッシリときて完全に満腹になったこと。さらにかなり身体がカッカと温まった。

 ただ少し気になったのは、やはり下品な育ちの私には味付けがいささか上品に過ぎるということ。出汁が悪くはないのだが味が薄めで私に対してはインパクトが欠ける。この辺りは大阪というよりは京都の雰囲気。恐らく織田信長などなら「味がない!料理人の首を刎ねろ!」と言い出すところだろう。下品な私にはむしろみそ煮込みうどんの方が相性が良いかも。

 大阪高級ディナーを終えると地下鉄で肥後橋に戻るとホールへ。今回のコンサートは料金高めなので私は当然のように3階の貧民席へ直行。場内はほぼ満席ではないかというような入り。どうやらネルソンス/ポストン交響楽団の方が、マケラ/パリ管やラトル/ロンドン響よりも人気のようだ。

フェスティバルホールの赤絨毯もクリスマス

 

 

アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

3階席はやや遠い

指揮:アンドリス・ネルソンス
ピアノ:内田光子

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47「革命」

 ボストン交響楽団は流石というか実に綺麗な音色を出すしアンサンブルも見事である。しかし「皇帝」が始まったと同時に「やけに淡泊に過ぎる」という印象を受ける。

 それはネルソンスがこの曲に関してはピリオドを意識したのかノンビブで演奏をさせていることにある。だから非常にシンプルで淡泊な演奏になる。バックがこの調子であるので、流石の内田光子も自身の弾き振りのような自在な濃厚な味付けを行うわけにはいかないのでいささか淡泊であっさりした演奏に終始する。

 ネルソンスの解釈はこの曲に対する一切の虚飾やハッタリをはぎ取ったようなもの。それはそれで解釈としてはありであるし、曲の本質に迫るかのような姿勢は感じるのであるが、ただ聞いていてそれが面白いかはまた別の話である。正直なところ最後の最後までオケもソリストも不完全燃焼のまま終わってしまった感が強い。

 後半のショスタコは、ボストン交響楽団の音色の美しさが際立つ。ネルソンスの指揮はこのボストン楽団を整然とまとめて、実に美しいハーモニーを引き出す。その音色の美しさはウットリとするレベル。ボストン交響楽団の技量の高さと、ネルソンスの統率力には舌を巻くところ。

 もっとも前半と同様にそこから出てくる音楽が面白いかといえば、残念ながら別の話になる。この曲に特有の鬱屈した苦悩から現れる狂気のようなものが完全にバッサリと削ぎ落とされて全く別の曲になってしまっている。あそこまで苦痛が一切なくて単に美しい音楽となってしまっている第一楽章は初めて聞いた。第二楽章も苦悩の影はなく少し憂愁が漂う程度のやや皮肉の効いた明るい音楽。第三楽章も同様に美しい一辺倒。最終楽章に関しては、バーンスタインなどの伝統的姿勢である勝利のファンファーレでもなければ、「遺書」以降に増えた苦痛と矛盾を抱えた中での狂乱でもなく、単純に生命力溢れる音楽という感じで、ボストン響のやや明るめの音色もあって苦悩の影が皆無である。

 それだけにオケと指揮者の技倆に感心しつつも、最後まで「これじゃない」感が私につきまとって離れなかったのである。音楽としては明快かつ美しくて演奏の密度も高いのだが、果たしてこれがショスタコだろうかという疑問。結局は演奏には感心しつつ、最後まで肩透かし感が強すぎて納得できなかったというのが私の正直な感想である。


 これで2日間に及ぶコンサートツアーは終了。帰宅の途についた。しかし身体の疲労は強く家に帰り着くなりバタンキューとなってしまったのである。そんなに強行軍を組んだつもりはなかったのが、これでも疲労が溜まってしまうとは私も老いたものである。「認めたくないものだな。老い故の行動力の低下とは。」

 

 

この遠征の前日の記事

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マケラ指揮のパリ管の圧倒的演奏に、ホール中が完全に魅了されてしまった

今日はパリ管だ

 昨晩は夜中に気分が悪くなって中途覚醒するトラブルはあったが、目覚ましで7時に起こされるまで死んだように眠っていた(本当に半ば死んでいたのかもしれない)。

 自然に目覚めたのでなく、目覚ましで叩き起こされたので目覚めはあまり良くない。だるい体を引きずるように起き上がると、まずはとりあえず体を温めるために風呂に湯を張ることにする。

 さて今日の予定だが、基本的には午後2時からフェスティバルホールで行われるパリ管のコンサートを聴きに行くのがメイン。後の予定は特になかったのだが、昨日時間の関係で中之島美術館からホールに直行していて中之島香雪美術館に立ち寄っていないので、そこには立ち寄ることにする。

 朝風呂で体温を上げると、昨日ほとんど手を出せなかった原稿執筆を少し進めて、10時ギリギリまでホテルでグダグダするとチェックアウトする。今日は時間に余裕があるので、高速を使わずに下道でフェスティバルホールのところまで。アキッパで確保していた駐車場に車を入れると身軽になる。まずは美術館から。

 

 

「伊勢物語 絵になる男の一代記」中之島香雪美術館で11/27まで

ホールの向かいがこの美術館

 在原業平を主人公にしたとされる「伊勢物語」については、古くより絵画化されて多くの絵巻などの作品が残されている。香雪美術館が所蔵する「伊勢物語図色紙」は着色絵巻では現存最古の「伊勢物語絵巻」(和泉市久保惣記念美術館)に続く良作とされており、内容にも珍しい特徴があることからかなり貴重な資料であるとか。そのような伊勢物語に関する作品を展示して、香雪本の作風や制作時期に注目すると共に、伊勢物語の世界を堪能するという主旨の展覧会である。

 本展では、伊勢物語の代表的なエピソードを紹介することで、私は初めてのこの作品の内容を知ることになったのだが、一言で言うなら色男の女性遍歴物語であり、内容的には源氏物語と大差は無いが、源氏物語の方がドラマ性は高いというものである。

 様々な豪華で雅な絵巻が展示されているので、その意味ではまあ見て楽しいものではあるが、所詮は平安版ハーレクインロマンスと感じてしまうと、急に下卑て見えてきてしまったりするのが困りものである。

 

 

堂島地下街をプラプラ

 美術館を出た時には11時頃。どうにも時間が中途半端なのが困ったところである。これが3時開演ならいっそのことネカフェに籠もってしまうんだが、そこまでの時間もない。とりあえず堂島地下街をプラプラして、休憩と時間つぶしを兼ねて少しお茶をすることにする。「千鳥屋」の喫茶に入ってぜんざいを注文する。

千鳥屋の隣に喫茶がある

 ぜんざいの甘ったるすぎない適度な甘味が心地よい。口の中が甘くなってきたら、添付されいる塩昆布でリセットしてから再び甘味を堪能。ああ、日本人で良かったと思う瞬間である。

ぜんざいの甘さが身体に染みる

 しばしぜんざいでマッタリしながら、pomeraを引っ張り出してきて原稿入力。昨日はとにかくさっぱり文章が頭に浮かばなかったが、今日は体にかなりの怠さはあるものの、頭のボケはいささか解消されているようである。ザクッと昨日分の原稿をあらあらでまとめると、昼前に店が混雑し始める前に退店する。

 

 

昼食は極めて安直に

 後は昼食を摂る店を探して堂島地下街をプラプラするが、呆れるほどに店がない。やっばりこの界隈はオフィス街だから平日の方がメインなんだろう。こうなればホールの地下にでも行くかと諦めて地上に出ると、フェスティバルホールの方に向けてブラブラと散策する。

 すると橋の手前で「PRONTO」を見かける。このままフェスティバルホールについてしまっても、「而今」は昨日行っているしいよいよ「PRONTO」ぐらいしかないぞと思っていたのでちょうど良いところだ。あっちは混雑する恐れがあるが、こっちの店の方はガラガラである。ミートスパを注文してしばし時間をつぶす。

橋の手前にあったPRONTO

 可もなく不可もなくのミートスパを昼食にして開場時間までをつぶすと、1時を回ったところで店を後にしてホールに向かう。

可もなく不可もなくのミートスパ

 最近は国内オケばかりだったので、久しぶりの3階貧民席である。なんせパリ管ともなると1階席で聞くなんてことは私には到底不可能。自ずと3階席、それも後ろの列となってしまうのが必然。ただこのホールの場合、ザ・シンフォニーホールと違って3階の後列でも見切れにならないのが有り難いところ。私個人としてはこれがこのホールの最大の価値と感じている。

フェスティバルホール

 3階席は貧民席である後ろ数列は満席、高い席になる前の方はガラガラというかなり明暗のハッキリした状況になっていた。3階席からは下の状況が分からないのだが、結構空席があるような気配がした。やはり料金が高すぎるのだろう。 

 

 

クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団

3階席はやや遠いが見切れではない

指揮/クラウス・マケラ
管弦楽/パリ管弦楽団

曲目/ドビュッシー:交響詩《海》
   ラヴェル:ボレロ
   ストラヴィンスキー:春の祭典

 一曲目はドビュッシーのキラキラした曲である。これがゴージャスサウンドのパリ管にかかればかなりキラキラした演奏に・・・と思うところだが、マケラは過度にキラキラしないように抑制したような印象を受ける。おかげでところどころで結構渋いサウンドも聞こえる。トータルとしては予想外に渋い「海」であった。

 一方の二曲目のボレロになると、さすがにパリ管のソリトスト達の名人芸が光る。いきなりフルートが良い音色を聞かせてくれるが、その後もいれかわり立ち替わりで管楽器陣の名人芸が光りながら徐々にクライマックスへ。マケラは名人揃いのパリ管に任せて自身はもっと大きな音楽の組み立てに留意しているような印象。段々と音楽は盛上がっていき、最後は一大クライマックスを迎えて曲は終わる。

 休憩後のハルサイは、もう初っ端からマケラがぶちかましまくりという印象である。激しく野性的なリズムで曲をガンガンと進めていくが、マケラ自身もかなり激しい指揮ぶりであり、あのヒョロイ印象の身体のどこにそれだけのパワーが潜んでいるんだろうと驚かされる。

 いくらマケラが派手にぶちかましても、演奏に一切の乱れがないのは流石にパリ管。ほとんど暴走寸前の爆音が出たりするのだが、それでもエレガントさを完全には失わない。最後まで強烈なエネルギーを秘めて曲はフィナーレに突入。圧倒されるような状況のまま演奏が終了する。

 猛烈なパワー漲る演奏に呆気にとられたというところ。今から思えば、一曲目の「海」がいささか抑え目に感じたのは、コンサートトータルで尻上がりにクライマックスが来るように計算してのものと感じられる。情熱的な指揮ぶりが印象に残ったが、どうしてどうしてマケラは若さに任せて突っ走るような指揮者ではなくて、なかなかに怜悧な計算の出来る指揮者のようである。

 場内の盛り上がりに答えてのアンコールは「悲しきワルツ」。しかしこれがまたパリ管の桁外れに美しい弦楽陣の音色に唖然とした。それが単に美しいだけでなくて、何とも言えない上品な色気を含んだ艶っぽいものであるのはいかにもパリ管。まさにウットリとする音楽を堪能したのである。ぶちかまし系が多かった今回のプログラムの中では、ある意味で一番パリ管のキャラクターが濃厚に出た曲でもある。

 場内はかなりの盛り上がりとなったが、驚いたのは楽団員が引き上げにかかっても観客の大部分が全く動かずにそのまま拍手を続けたこと。楽団員の引き上げがかなり長時間になったにもかかわらず拍手は全く途切れず、結局はマケラの一般参賀が2回。これは驚いた。今まで一般参賀のパターンでも、客の半数方は引き上げて熱心なファンのみが残ることが多いのだが、今回は恐らく8割方の観客はそのまま残っていたように思う。それだけ多くの観客が深い感銘を受けたと言うことで、それは私にも納得できるところである。

 と言うわけで、さすがにパリ管はすごいということと、マケラ侮り難しということを痛感したのである。今期はコロナの影響で外来オケの来日はまだ本格化していないが、それでもロンドン交響楽団にパリ管弦楽団という世界でもトップクラスのオケの素晴らしい演奏を堪能できたのは幸福と考えるべきか。

 

 

この遠征の前日の記事

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ロートレックとミュシャ展を鑑賞してから大阪フィルの定期演奏会へ

週末のコンサート連チャンに出かける

 この週末は大フィルとパリ管のコンサートのために大阪に繰り出すことにした。ついでに美術館にも立ち寄ろうという計画。

 朝の内に車を出すと阪神高速を突っ走る。毎度のように神戸に入ったところで渋滞に引っかかるが、とりあえず何とか切り抜けたところで京橋で下りる。大阪に行く前に神戸で一カ所立ち寄りである。

 

 

「よみがえる川崎美術館 川崎正蔵が守り伝えた美への招待」神戸市立博物館で12/4まで

 川崎造船所を建造した川崎正蔵氏は、西洋化や廃仏毀釈の嵐の中で棄損されていく日本の伝統の美術品に危機を感じ、自らそれらを収集して自身の屋敷に展示して公開するということを行っており、それは神戸における初めての私立美術館と言えるものとなった。その後、昭和の金融恐慌で残念ながらコレクションは売却を余儀なくされ、また美術館となっていた屋敷も戦災で焼失して、今日では川崎美術館の存在を伝えるものは当時の少ない写真などの資料のみとなったという。そのかつての川崎美術館のコレクションを集め、川崎氏の目指したところを偲ぶという展覧会。

 川崎氏は特に日本の寺社が破壊にあって文化財が失われることを恐れていたとのことなので、コレクションの中心には日本画や仏教美術品が多い。最初のコーナーはそれらの展示であるが、必ずしも有名品にこだわるのではなく、作品自体を吟味して蒐集しているようである。

 また川崎氏はコレクターとしてだけでなく、芸術家のパトロンとしても活躍していたといい、七宝の復元も支援を行い皇室に献上するなどしてその地位を高めることにも貢献したようである。展示の後半は皇室所蔵品なども登場するのであるが、皇室に献上されたという屏風などに関しては、確かに作品のレベルの非常に高いものが揃っている。

代表的収蔵品は看板になっている「牧場図屏風」

 展示の一番最後は、川崎氏が愛蔵して最後まで身近に置いていたという寒山拾得。なんかどことなく楽し気に見える作品であり、これが川崎氏の心情を反映しているのだろうかという気がする。

 

 

昼食はホール地下でラーメン

 博物館の見学の後は大阪まで車を走らせる。ホールの近くにアキッパで確保した駐車場に車を入れるとコンサートの前に最寄りの美術館に立ち寄る予定だが、その前に昼食を摂ることにする。フェスティバルホール地下の「而今」に立ち寄り、特製アサリ塩ラーメンにランチタイム限定のチャーマヨ丼を付ける。

いつもの「而今」

 塩ラーメンはあさりのコッテリした味がして私好み。チャーマヨ丼はやや辛めのチャーシューの切れ端にマヨネーズを和えることで少しまろやかにしたチャーシュー丼。マヨネーズが決して好きでもない私が抵抗なく食べられるんだからまずまずである。

特製あさり塩ラーメン

やや細めの麺

そしてチャーマヨ丼

 昼食を終えると目的としていた美術館へ。

中之島美術館の巨大な四角い建物は目立つ

 

 

「ロートレックとミュシャ パリ時代の10年」中之島美術館で'23.1/9まで

 ロートレックとミュシャ、共にパリでポスター美術で脚光を浴びた時代の寵児である。この二人が競演していた1890年~1900年のパリの奇跡の時代に焦点を当てて、彼らのポスター及び同時代のポスターを展示するという展覧会。

 ロートレックに関しては最初の作品である「ムーラン・ルージュ」。さらに彼の存在を印象づけた代表作であるブリュアンを描いた作品なども展示されている。サクッとしたシンプルな線で、人物の内面までをも見通すような描写をする、どこか斜に構えたスタンスがロートレックの最大の特徴である。

ロートレックのデビュー作「ムーランルージュ」

ブリュアンを描いた作品はよく特徴を捉えている

 一方のミュシャの登場は衝撃的であった。サラ・ベルナールを描いた「ジスモンダ」のポスターで一躍パリの人々の脚光を浴び、一夜にしてスターダムにのし上がったと言われいる。彼の美しいポスターは当時のバリでポスター泥棒が続出したと言われている。そのサラ・ベルナールを描いた一連のシリーズが展示されている。ミュシャの特長は、とにかく女性を理想化して美しく描くというもの。ロートレックのアプローチとは対照的である。

ミュシャの衝撃のデビュー作「ジスモンダ」

同じくサラ・ベルナールを描いた「椿姫」

 

 

 両者が牽引する形で、パリではポスター文化花盛りの時代を迎える。華やかな夢の時代でもある。ミュシャについてはミュシャ様式と呼ばれる形式が、アールヌーヴォーの中核として注目され、ミュシャは急造する注文に対応できず、広告図案を使い回ししたりまでしたというが、ついには「誰でもミュシャ様式のデザインを製作出来るようにした」図案集まで発行するに及び、これは当時のベストセラーになったという。

ロートレックによる「サロン・デ・サン」の告知ポスター

同じくミュシャによる告知ポスター

ミュシャの鉄道の宣伝ポスター

これはビール

アールヌーヴォー様式の家具

ミュシャによる図案集

 しかしそのような華やかな時代もやがて去る。ロートレックは過度のアルコールからの病気で36才で若くしてこの世を去り、ミュシャもパリを去って故郷のチェコへと移ることになる。本展ではその晩期に至るまでの作品を展示。特にロートレックに関してはこの10年間に登場した全作品を展示と謳っている。

ロートレック最晩年の作品

ミュシャによる四季を描いたカレンダー

 

 

 一方のミュシャであるが、とにかく作品数が膨大である上に、何だかんだと今までミュシャ展はいろいろと訪問しているので、正直なところ私にとっては初見の作品はほとんどなかったという印象である。しかしポスターを中心とした当時の華やかなパリの空気を味わうという点に関しては、なかなか心地よい展覧会であった。

ボナールによるシャンパンのポスター

アンリ・ブリヴァ=リヴモンのアブサン酒

バルのリキュール

 気が付けばもう2時になっている。今日の大フィルのコンサートは3時開演。そろそろホールに向かう必要があるのでフェスティバルホールへ。

フェスティバルホールへ向かう

 

 

大阪フィルハーモニー交響楽団 第562回定期演奏会

指揮/ミシェル・タバシュニク
合唱/大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導/福島章恭)

曲目/ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 作品6
   ストラヴィンスキー:詩篇交響曲
   チャイコフスキー:交響曲 第4番 ヘ短調 作品36

 正直なところ、前半の2曲は私にはよく分からない。ウェーベルンは結構音色がキラキラと派手な曲だと思っていたら、あっという間にサクッと終わってしまった。

 二曲目のストラヴィンスキーは、弦楽セクションがチェロとコントラバスだけで、ヴァイオリンとビオラを除いたスペースにピアノが2台並べられたのには驚いたが、曲自体は主体はコーラスの方のように感じられ、今一つ分かりにくい曲。

 上記の2曲に関しては、そもそも私が曲自体が全く理解できないのだから、演奏について云々できるものではない。演奏について理解できるのは後半のおなじみのチャイコフスキーの4番が登場して初めて。

 さてタバシュニクの演奏であるが、これは極めてアクが強い個性的なものと言って良いだろう。チャイコの4番の冒頭と言えば、派手派手な金管の斉奏に載せて、そのまま勢いでグイグイ行くのが普通なのだが、そこにおいて奇妙なほどに抑制をかけてくる。またテンポの変動も多くて、走るのかと思ったらそこでいきなりストンと落としてくるので、思わずつんのめりそうになることが何度も。

 通常と異なるアンサンブルが正面に浮上したり、ハッとするほど美しい場面があったりなど興味深い点もあったのであるが、今一つ乗り切れないというか肩透かしを食らうというかで正直なところ苦手だなと感じる部分が多々あったというのが正直な感想である。

 

 

いつものホテル中央オアシスで宿泊

 コンサートを終えると車を回収して、今日の宿泊ホテルに向かうことにする。今日宿泊するのは私の大阪での定宿であるホテル中央オアシス。新今宮界隈では比較的高級クラスに属するホテルである。部屋はシンプルな構成であるが、ここは風呂とトイレがセパレートになっているのが一番の特徴。洗い場のある風呂なのでくつろぐことが可能である。

ホテル中央オアシス

 駐車場に車を置くと部屋入り。政府による入国規制全面緩和の影響か、ロビーではアジア人団体客の姿も見かけた。またホテルが少し騒がしくなってきそうである。これがコロナの再爆発につながらなければ良いが。
 

シンプルな構成の部屋に

洗い場付きの浴槽

 部屋に入りすると直ちに作業環境の構築。デスクの脇に電源もあるし環境構築には困らないのだが、このホテルの弱点はネット環境。回線が遅いことは否定できず、ブラウザで複数ウィンドウを立ち上げると画面が凍ってしまってネット接続が断たれることも。

作業環境の構築は容易だが、ネットがやや遅い

 

 

夕食は串カツ

 少し作業をしたところで夕食のためにジャンジャン横丁に繰り出すことにする。人出は完全に以前のレベルに戻ってきている模様。「てんぐ」や「八重勝」の前は大行列だし、大興寿司の前にも人だかりが出来ている。以前に比べて外国人団体客の姿が明らかに増えているのが一番の特徴である。

今日も人出がかなり多い

 夕食は何にするか迷ったが、結局は何の工夫もなく「だるま」に入店することにする。しばし待たされた後に入店、串カツを適当に十数本つまんで支払いは2000円ちょっとという毎度のパターンである。

結局はいつもの「だるま」

まずは軽く10本ほど

さらに餅を含む3本を追加

 後は帰りに明日の朝食を調達していくと、部屋に戻ってから入浴してゆったりとくつろぐ。まあこのために選んだようなホテルである。しかし入浴をすると疲れが一気に出てきて頭がボンヤリとするので、結局この日はろくに何を出来るまでもないままに早めに就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

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長崎歴史文化博物館に立ち寄り、昼食はトルコライスを頂いて帰還する

朝からバイキングをガッツリ

 翌朝は6時半頃に目が覚める。目覚ましは7時にセットしていたんだが、それよりも早く目が覚めてしまった。どうも体が疲れているので、眠くなるのが早いのだが、その分起きるのも早くなっている。

 大浴場まで向かうのもしんどいので、熱めのシャワーでザッと目を覚ますと、とりあえずは昨日ほとんど出来なかった原稿入力を。ある程度作業が一段落付いたところで朝食に繰り出す。

 朝食はドーミー小皿バイキング。メニュー数は極端に多いわけではないのだが、ご当地色が加わるのがドーミーらしいところ。

ドーミー和食バイキング

 まずは普通に軽めの和食を頂いてから、アジの漬けの茶漬けをさらに頂く。

アジの漬け茶漬けを頂く

 その上にパンも頂いて、やはり長崎と言えばデザートにはカステラをということでかなりガッツリした朝食を腹に入れたのである。

ドーミー洋食バイキング+デザート

 腹が膨れて少し元気が出て来たら大浴場に朝風呂に出向く、そしてサッパリしたところで再び執筆作業。製作が遅れていた一昨日の記事をアップした頃にはチェックアウト時刻の11時が近づいていたので慌てて荷物をまとめてチェックアウトする。

なかなか良い宿であった

 

 

とりあえず路面電車で移動

 さて今日の予定だが、基本的には夕方のスカイマークの便で神戸に帰るだけ。といってもいささか時間に余裕がある。長崎駅のバスターミナルから出る3時頃の空港行きバスに乗ったら余裕で間に合うのでそれまではフリーである・・・というものの、ハッキリ言って行動する当てとそもそもそれに必要な体力が微塵もない状態である。とりあえず先を睨んででかいキャリーはバスターミナルのコインロッカーに放り込んだが、することがない。

五島町から路面電車で移動

長崎でなぜ虎柄? と思ったら大村タイガーとある

いろいろなタイプの車輌が走っている

路面電車の長崎駅のすぐとなりがバスターミナル

しかしJR長崎駅は遙か彼方

 ボンヤリとあったのは龍馬関係の亀山社中記念館に行くとか、シーボルト記念館に立ち寄るだが、どちらも長崎の丘の上であり、今の私は登り坂や階段を登る体力は皆無。結局は一番安直に長崎歴史文化博物館に立ち寄ることにする。

長崎にはこういうあり得ないような地形が普通にある

 

 

長崎歴史文化博物館を見学

 路面電車で桜町まで移動すると、そこから坂を少し登ることになるが、この通常なら何てこと無い移動が今の私には相当にキツい。そうこうしているうちに巨大な建物が見えてくる。

桜町まで路面で移動する

この巨大な建物が博物館

 この博物館は初めてである。とにかくやたらに巨大な博物館。展示スペースは二階で、長崎の歴史を伝える展示などがある。

古い日本地図

神戸でもよく見る南蛮図屏風

長崎港の歴史と交易品

ヨーロッパからの注文品の螺鈿細工の家具

銅なども輸出されていたという。

シーボルトの医療器具

 

 

 残りの半分は長崎奉行所を復元した展示があり、長崎奉行所の所には隠れキリシタン関係の資料なども展示されている。

長崎奉行所

奉行所内部

これは輸入品の数々

これがいわゆる御白州だそうだ

そして某有名人が記念撮影中

 じっくりと見て回るとかなり勉強になるのだろうが、実のところ現在の私に一番欠けているのが、そのじっくりと見て回るだけの精神力と体力。結局はやや駆け足な感じで1時間ちょっとぐらいで展示を一回りして出てくる。

 

 

長崎の繁華街で昼食を摂る

 博物館を出て来た頃にはちょうど昼時を少し過ぎたところ。朝食を相当にガッツリ食べたせいでまだ空腹という感じではないが、これからのことを考えたら昼食はキチンと摂っておくべき。そこでとりあえず長崎一番の繁華街である国際通りまで路面電車で移動する。

最新式の低床式車輌で移動

広島で走っているのと同型か?

 さて国際通りに到着したが、実のところは「これを食べたい」という当てはない。まあ昨晩が中華で、和食はもう散々食ったから、後は残っているとしたら洋食か。というところでGoogle先生にこの近辺でのランチのお伺いを立てて、その中で洋食らしき店に目星を付けて立ち寄ることにする。

繁華街「国際通り」

 

 

 立ち寄ったのは「オリンピック」。ビルの2階にある店である。しかしショーケースを見たらいきなり超巨大なパフェが飾ってある。また全体的にどのメニューも大盛り系の印象。うーん、若者向きの店かと胃がもたれかけて立ち去りかけるが、かと言って他に当ても特にない。「えい、ままよ」と入店してしまう。

オリンピック

どうやら超巨大パフェが売りの模様

 メニューを見たらいわゆる「トルコライス」の発祥の店のような記述がある。そう言えば地味な長崎名物としてトルコライスというのもあったのだと思い出す。そこでオーソドックスなトルコライスにパフェと飲み物が付いたセットを注文する。

 トルコライスとは一般的にピラフ、パスタ、トンカツをワンプレートに盛りつけたお子様ランチの大人版のような料理である。この店ではそのトンカツがコロッケに代わったりなどさまざまなバリエーションのトルコライスがある模様。

 ピラフとパスタの上にトンカツが載っているという確かにお子様ランチ。結構ヘビーな内容である。若い頃なら嬉しいが今となっても腹に少々重いか。人間年を取ってくると、とにかく大量にから美味しいものを少しに変わってくるようだ。

トルコライスは結構ボリュームが

 何とか食べ終わるとデザートはパフェ。さすがにこれはオリンピックサイズでなくて普通サイズ。なかなか美味い。

普通のパフェ

 最後はあっさりとアイスコーヒーを頂いて終了。これで1500円ほどなんだから、確かに若者向きの店だ。私も30年前ならかなり嬉しかったと思うが。

アイスコーヒーで締め

 

 

最後は「映え」で人気のラブパワースポットへ

 コーヒーを飲みながらこれからどうするか考える。今からバスターミナルに行ったらまだ時間が早すぎる。かと言ってこれからどこかに出向くには時間と何よりも体力が不足している。そこで頭に浮かんだのはこの近くにある眼鏡橋。眼鏡橋自体は以前に一度行ってるんだが、その近くにハート型の石があるとのことで、映えスポットとして人気とか。今更恋愛の聖地とか映えとかいう年でもないが、他に何も浮かばなかったのでプラプラと食後の散歩がてらに眼鏡橋に向かう。

中島川の橋の案内図

 中島川には結構個性的な橋が多く架かっているんだが、何やら眼鏡橋の手前の袋橋からやけに人だかりがある。

眼鏡橋手前の袋橋

何やら若者の一団が

 隣が眼鏡橋。さてハート型の石といってもとにかく石が多いからすぐに見つかるだろうか・・・と思っていたのだが、探すまでもなかった。既にその石の周辺には若い女性の団体が入れ替わり立ち替わりで映え写真撮影中。なるほど、確かに見事なハート型だ。これで私も素敵な女性との出会いが・・・と言っても、今更誰かと出会ってもどうこうなる年でももうないのだが・・・。まあ今から30年前ぐらいに素敵な女性の一人とでも出会えていたら、私の人生も根本から変わっていただろうが・・・。今時のファンタジーでないが、私も転生して人生やり直したいと思うこともしきり。

眼鏡橋

眼鏡橋

問題の石は既にこの状態

もう入れ替わり立ち代わりです

 いよいよこれでもうやることもなくなったので、路面電車で長崎駅前のバスターミナルまで戻ることにする。空港行きのバスのチケットを購入すると長崎空港まで高速バスで移動する。疲れが出て社内でウツラウツラしている内に長崎空港に到着する。

 空港に到着すると長崎土産定番の「クルス」に「ザビエル」「福砂屋のカステラ」という辺りを土産物に買い込んで神戸へと飛んだのである。ちなみに昨日は数百人の行列が出来ていた検査ゲートは今日はガラガラだった。

 

 

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アクロス福岡の九州交響楽団の復活は大盛り上がり

嬉野温泉から福岡へ移動

 この日は爆睡したようで、翌朝は6時半に自然に目が覚める。起床するとまずは入浴。朝から温かい湯が実に心地よい。やっぱり朝は一番に体を温めるのが調子が良いようである。なんかかなり久しぶりに「リフレッシュ」という感覚がある。

朝の嬉野温泉

 朝風呂からあがってマッタリすると朝食へ。朝から和食が心地よい。嬉野温泉らしく温泉水を使ったトロトロの湯豆腐付き。朝から食が進むので思わずお代わり。

和定食の朝食、美味し

嬉野温泉と言えばトロトロの湯豆腐

 さて今日の予定だが、博多で開催される九州交響楽団のコンサートに行くのが目的。会場はアクロス福岡で15時開演である。今日は博多で宿泊するつもりで、万葉倶楽部を予約している。

 

 

万葉倶楽部に到着する

 とりあえず9時頃にホテルをチェックアウトすると博多まで突っ走る。万葉倶楽部には1時間ちょっとで到着。宿泊予約をしていると10時からチェックインできるのでその手続きをしてしまう。ちなみに部屋に入れるのは15時からなので荷物は車に置いたまま。

万葉倶楽部福岡

 チェックインすると浴場で軽く汗を流すことにする。浴場には武雄温泉の浴槽と湯布院温泉の浴槽があり、湯布院温泉の浴槽の方が半露天になっている。半露天の浴槽でサッパリと汗を流す。

この施設はこのようなトラックで運び湯をしている

 風呂からあがると驚いたのは、昨日に嬉野温泉で入浴しまくった影響か、体に撥水性の被膜でもできたかの雰囲気でやけに水はじきが良くなっていること。それこそ犬のように体をブルっと振るったらタオルがいらないんではないかというような状況。以前から泉質によってはこういう現象が起こることは何度か体験してはいるが。

 軽く入浴を済ませたところで外出することにする。ここで車で外出すると博多の市街では何かと駐車場代が高い。だから車はここに置いたまま、万葉倶楽部の送迎バスで移動することにする。これを織り込んで今回はわざわざ先乗りした次第。毎時15分に万葉倶楽部→博多駅(降車のみ)→天神(これがアクロス福岡の最寄り)→中洲川端→博多駅(乗車のみ)→万葉倶楽部というコースで1時間で巡回している。このバスを利用して私は中洲川端で降車する。天神でなくてあえて中洲川端なのは目的があってこそ。ここの最寄りの福岡アジア美術館を訪問しようという考えである。せっかく博多くんだりまで来たんだから現地の美術館を見学してやろうと思っていたのだが、時期悪くちょうど展示の入れ替え時期とかだったので、残ったのはここだけだったというのが本当のところだが。

 美術館は大きなビルの7階にある。直通エレベーターが出ている。正直なところ出し物をほとんど知らない状態で訪問したのだが、どうやら面白そうなイラスト展をしているのでそれに入場することにする。

福岡アジア美術館

 

 

「入江明日香展 時空の旅人」福岡アジア美術館で10/9まで

イラスト的である

 多摩美大出身の入江明日香の作品を展示。入江は版画家ということで銅版画の繊細な線を活かした幻想的な作品を制作している。何度もパリを訪れてパリを題材にした作品なども制作している。

こちらはパリで

こちらは日本

 その一方で日本的なものをモチーフにした作品も描いており、四天王を題材にした作品が展示されている。

持国天

増長天

広目天

多聞天

 

 

 さらに日本の侍をイメージした作品が本展の表題作ともなっている。

杜若、サムライのイメージらしい

白い森

 しかしこのコロナ禍でパリと日本の行き来もできなくなり、その思いも作品に反映している。

パリ

そして東京

 銅版画であるのだが、最近流行のイラストのイメージも強い。正直なところ私は初見では天野喜孝を連想したのだが、天野の線はやや恐ろし気なところがあるのに対し、入江の線は銅版画の精細さを活かした繊細で優しい線であり、その辺りが最終的な作品に反映している。入江が描いている人物は植物などと融合したキマイラ的なものであり、下手するとモンスターに見えかねないのだが、それが幻想的な美しさになっているのは彼女の作風ならではだろう。

 

 通りすがりに入場しただけなのだが、期待以上に面白かった。次に本展の半券で入場できる隣のアジア展へ。

 

 

「エモーショナルアジア/インド近代絵画の精華」福岡アジア美術館で12/25まで

 アジアだから特にどうこうというよりも、今どきの現代アート展という趣が強いが、そこに微妙にアジア各地の状況が反映しているという印象。

 マレーシア出身のリュウ・クンユウの作品は中国の伝統的なモチーフと高層ビルを組み合わせることで、中国による都市開発を皮肉っているのだという。

お祝いの額

 韓国のイー・ブルによる作品はいかにも今時感のある作品。

さなぎ

 インドネシアのムハマッド・ユスフの力強い作品は現代文明の押し寄せる中での伝統との折り合いの困難さを感じさせるところがある。

三部作

 

 

 同じくインドネシアのジョンペット・クスウィダナントの作品は、多民族で複雑なこの国の歴史を象徴しているのだとか。

ロングマーチ・ジャワ

 タイのマニット・シーワニットプーンの作品は、有名な報道写真をモチーフにしてタイの現在の政治や急速に発展する消費文化などを風刺しているのだという。確かに元ネタはヴェトナム戦争などの現状を象徴した報道写真で、私も見覚えがある。

この無血戦争

 隣の会場では続いてインドの近代絵画だったのだが、こちらは正直なところあまりインパクトのある作品はなかった。

 以上、アジアの美術について。こちらも予想外に面白かったかなというところ。芸術的にどうかはともかくパワーは感じる。

会場でウネウネ動いていたナゾの化け物。なんかReゼロで見たことがある気がする

 

 

昼食にラーメンを摂るとホールへ

 美術館の見学を終えるとアクロス福岡方面に向けてブラブラ歩きながら、昼食を摂る店を探す。しかしそもそもあてがあるわけではない。たまたまビルの地下で見かけた「維櫻」というラーメン屋で「海老豚骨ラーメン(850円)」を注文する。

地下の「維櫻」

 ラーメンが出てきた途端に桜エビの匂いがプンと立ち上る。桜エビが好きな人間ならたまらないかもしれないが、そうでもない私の場合はいささかの生臭さを感じる。

豚骨エピラーメン

 豚骨ラーメンだとまさに掃いて捨てるぐらいあるから、個性化のためのアレンジだろうと思われる。確かに桜エビの香ばしさは加わっていていささか変化球の印象は受けるが、問題は桜エビの雑味まで加わってしまうところ。やはり乾物系があまり得意ではない私にとってはこの雑味はいささか煩わしい。

豚骨ラーメンとしては麺はやや太めか

 と言うわけで客を選ぶメニューという気がした。ツボにはまる者もいるかもしれないが、万人受けは難しいかも。まあ個性とは言えるからその点では正解なんだろうが。

 

 

改装なったアクロス福岡

 昼食を終えるとアクロス福岡へ。開場前から当日券を求める大行列が出来ている。なかなかの盛り上がりになっているようである。ほぼ満席に近い入りになっている。

北から見たアクロス福岡は超近代ビル

屋上緑化で南から見ると里山のように見える

ホールは改装直後

 アクロス福岡はこの度、改装工事が終わっての新装開店の模様。と言われても、以前に2回ほどしかここを訪れたことがないのでどこがどう変わったかは分からない。シューズボックス型の綺麗なホールである。

シューズボックス型のホール

何となく綺麗になった気はする

 

 

九州交響楽団 第407回定期演奏会

指揮 : 小泉和裕
ソプラノ : 安井 陽子
アルト : 福原 寿美枝
合唱 : 九響合唱団他

マーラー/交響曲 第2番 ハ短調「復活」

 「復活」と言えば、つい先日にアクセルロッド指揮の京響の演奏を聴いたところであるが、全体を通しての設計を考えて第1楽章はやや抑え気味で演奏していたアクセルロッドと違い、小泉は最初からまさにブイブイと行く。そもそも九州交響楽団も細かいコントロールよりも元気が先行するようなところのあるオケである。16編成超拡大編成になっていることもあって、勢いもパワーもかなりのもの。ここまで拡大したら統制の方が心配になるのだが、それについても問題なくまさに一丸となって小泉の指揮のもとに驀進という印象の演奏である。小泉もいつになく背筋が伸びている印象で相当に力が入っている。おかげて緊迫感というよりは、朗々とした非常に雄々しい「復活」という印象。これはこれでなかなかに良い。

 第一楽章でかなりぶちかましすぎたこともあるので、そうなるとバランスが難しくなるのが第二楽章以降の小楽章。下手すると緊張感が切れかけない危険性があるのであるが、小泉と九州交響楽団はそれをギリギリのところで保っている印象である。力強く歌い上げた第一楽章と対照的にこれらの楽章は美しさを出してくる。

 ここで目立ったのは福原の歌唱。力強くも美しいというところでなかなかの貫禄。下手したら弛緩しかねない音楽をピシッと引き締めてくれる。こういうところはさすがの実力者。

 そして最終楽章であるが、小泉は綺麗にまとめてきたというところ。この楽章もフィナーレに向けて徐々に盛り上げていくのだが、そこのところは良く設計されている。後半の合唱が加わってくるところなどはなかなかに荘厳にして感動的。九州合唱団を核にした混成編成らしき合唱団には完璧なまとまりはやや欠く部分がないでもないが、破綻に結びつくような問題はない。そのまま、合唱とオケが一体となった感動的なグランドフィナーレへ。

 場内はかなりの盛り上がりとなっていた。図らずしも「復活」の連荘という雰囲気になったが、やはり総合力ではアクセルロッド+京響に軍配の上がるところだったが、九州交響楽団がかなり力を入れてきた第1楽章単独だけで見るとその迫力と感動は上回ったかも(京響の第1楽章は、全曲終了してから「ああ、なるほど」と納得したが、あの時点では「イマイチ不完全燃焼だな」というのが本音だった)。

 

 

この日は早々にダウンしてしまう

 コンサートを終えると夕食のためにホールの地下の飲食店を訪問するが、空席があるにも関わらず「表で待ってくれ」と言われる。コロナの影響で空席を作っているのだろうか? それはともかくとしてよく見てみるとどの客もこれから注文という様子(つまりいずれもホールからの客か)。これだと表で待ってくれと言われてもザクっと1時間は待たされるのは確実な模様。これなら「すみません、満席です」と言われる方がマシである。「ふざけるな!」と頭にきたからさっさと後にしてもう万葉倶楽部に戻ってしまうことにする。博多の店は分からないし、そもそもこの周辺には店が見当たらないし、そこらの居酒屋を見つけて入るぐらいなら、いっそ万葉倶楽部でも変わらないだろうという判断。それにそもそも店を探してウロウロする体力がもう今はない。

 しばらく待つとバスが来るのでそれに乗車。万葉倶楽部に戻ると部屋のカギをもらって入室。とりあえずレストランへ夕食に。間に合わせでカツ丼を頼んだが、いかにも間に合わせになってしまった。正直なところ味はイマイチ。

夕食はカツ丼

 夕食を終えると浴場で入浴してゆったりと体を温める。入浴して部屋に戻ってくると・・・そこで力尽きてしまった。さっさと布団を敷くとその上にゴロン。気が付くとそのまま意識を失っていた。この日の就寝はよく覚えていないが、まだ9時になっていなかったと思う。

部屋は和室

個別空調完備


 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

福田美術館の名品展(後期)を鑑賞してから、京響大阪公演で広上の絶好調タコ踊りを目撃

今日は美術館とコンサートの連チャン

 翌朝は7時に起床。まず入浴して体を温めると朝食へ。タイミング的にバイキング朝食の食材が減っていて、やや寂しい朝食だが、一応和洋両様で腹を膨らましておく。

ややメニューに寂しさがある

 さて今日の予定だが、大阪のザ・シンフォニーホールで14時から開催される京都市響の大阪公演を聴きに行くのがメインの目的だが、それまでの時間がかなり空く。と言うわけで本来は昨日予定していた福田美術館訪問を入れることにする。

 とはいえ、福田美術館は10時開館なのであまり早くホテルを出ても仕方ない。しかし今回はホテルの駐車場が満車でよその駐車場に車を止めているのであまりゆったりもしていられない。そこの駐車場は30分200円で、8時から20時の昼時間帯が上限800円、20時から8時の夜時間帯が上限200円という料金設定。つまり朝8時を過ぎた時から容赦なく料金カウントが始まって10時になったら上限800円という設定。結局は何だかんだで9時過ぎにチェックアウトして料金は1600円。車での遠征はとにかくこの駐車料金がボディーブローのように効いてくる。

京都プラザホテルを後にする

 途中でガソリンを補給(このガソリン代も上がる一方で下がる気配がない)すると嵐山まで突っ走る。駐車場はそこらの観光駐車場だと1日1000円が相場(本格的紅葉シーズンになるとこれがさらに上昇する)ので、少し離れた場所の時間貸し駐車場に駐車する。まだ紅葉が始まっていないせいか、それともまだ時間が若干早いのか、嵐山は馬鹿込みという状況ではない。

 

 

「開館3周年記念 福美の名品展(後期)」福田美術館で10/10まで

福田美術館

 前期に続いての福美が所蔵する日本画の名品展である。通期で展示されている作品もあるが、半分ぐらいの作品は後期になって入れ替わっている。

 最初に登場する菱田春草「青木に小禽」は暈かしを利用した葉の表現が印象に残る一品。

暈かしを活かした葉の表現が巧み

 次が下村観山の二品。「枯木鳥」は静けさの中に動きが感じられる。

静かでありながら動きを感じる

 「降魔図」は魔を討ちに向かう不動明王の従者の姿らしいが、その割には憤怒の様子もなく静かに余裕綽々に見えるのが面白いところ。

戦意漲るという印象からはほど遠い

 西郷孤月「孤鳥報朝・農夫晩帰」はザ・朦朧体というところ。独得の質感と静けさのある絵画である。

まさに朦朧体そのもの

 

 

 上村松園からは品のある美人図「花下美人図」「花のさかづき」の二品。

花下美人図

花のさかづき

 さらに伊藤小坡「雪の朝」「櫻狩の図」は上品でありながら艶やかさがある。

雪の朝

櫻狩の図

 

 

 竹内栖鳳によるバリバリ南画の「秋渓漁夫図」東山魁夷「深秋」秋野不矩「廃墟」などの印象深い作品もあり。

秋渓漁夫図

深秋

廃墟

 2階展示室には鏑木清方の逸品や伊藤深水の珍しく「媚びのない絵」が展示されていて興味深いが、この辺りは著作権の絡みか撮影禁止である。ここで印象深いのは菊池契月「紅葉美人」入江波光「水禽の図」「聖観音」(村上華岳の観音図ならしょっちゅう目にするが)。

紅葉美人

水禽の図

聖観音

 なかなかに面白い作品を多数目にすることが出来た。毎度のことながらここのコレクションは興味深い。

 

 

昼食にカレーと喫茶に立ち寄ってからホールへ

 嵐山を後にすると大阪を目指すが、京都縦貫道に乗ろうとしたところ、カーナビの地図が古かったせいで誤って福知山方面に向かってしまうというミスをして、時間と高速料金を無駄にすることに。それでなくても高速料金というのも車遠征では無視できない重い経費だというのに。

 大阪には1時間ちょっとで到着。ホールの周りを駐車場を探してウロウロ。ホールの駐車場に入れれば早いのだが、ここの駐車場は価格が高すぎて話にならない。結局は満車の駐車場をいくつもやり過ごして、安くはないが高くもない駐車場を見つけて車を置く。

 車を置くと昼食を摂りに行く。久しぶりに立ち寄ったのは「上等カレー」「トンカツカレー(1000円)」を注文。相変わらず独得のカレーである。口当たりは甘口なんだが、スパイスが結構効いている。そしてとにかく卵が良く合う。ただ現在は胃の具合が今ひとつ(原因はあからさまにストレス)なので少々胃もたれ気味。

久しぶりの上等カレー

トンカツカレー

 

 

 昼食は終えたがまだ開場までにやや時間がある。どこか喫茶でも立ち寄って時間をつぶしたい。そこで以前から少し気になっていた「高級芋菓子しみず」に立ち寄ることにする。注文したのは「芋のパフェ(1100円)」

ホール近くの高級芋菓子しみず

 あらゆる芋菓子を満載したパフェである。味自体は悪くないのだが、芋が大好きな者ならともかく、私のように「まあ好きかな」ぐらいの者には、いささか味が単調で厭きるところがある。また乳脂肪のアイスに炭水化物の芋を組み合わせると口当たりがネッチャリしすぎる感がある。むしろ食べ進めた時に出てくる下のグラノーラのパリパリした食感が救いに感じたぐらい。それだけにその奥からふかし芋が登場した時には、意表を突かれたと言うよりも軽い絶望感を抱いてしまった。不味いわけではないのだが、私にはちょっと合わないかというのが正直な印象。

実に芋尽くしのパフェ

 思ったよりも客を選ぶよなという感があった。開店時には常に大入りで入店も出来なったのが、今回覗いたら結構空いていたのは単に時間帯だけでなくて、そういう事情もあるかも何てことを感じたりする。やはりパフェとしてはフルーツなどの酸味が加わるのは、変化を付けるという意味で重要なんだなと改めて感じたり。

 喫茶を出たところでホールに入場。客の入りは正直なところ今ひとつで5~6割というところか。大阪市民で京都市響に興味がある人間は、わざわざザ・シンフォニーホールに来なくても、京都コンサートホールまで出向いているのかしれない。私の場合は久しぶりに広上が京都市響を振ると言うことで出向いてきたんだが。

ホールへ入場する

 

 

京都市交響楽団 大阪特別公演

[指揮]広上淳一
[ピアノ]アレクサンドラ・ドヴガン
[管弦楽]京都市交響楽団
ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲
ショパン:ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21

R.シュトラウス:交響詩 「ドン・フアン」 op.20
R.シュトラウス:交響詩「死と変容」op.24

 昨年まで常任指揮者を務めていた広上と京響の組み合わせである。今更意思の疎通云々という次元ではない。広上の楽器とも言われた京響とのツーカーの関係は今でも存在している。初っ端のウィリアム・テルからノリノリでガンガン行くが、そこには一切の乱れもなく、広上の指揮の下で整然と音楽を進める京響の安定感は抜群である。

 二曲目はショパンのマイナーな方の協奏曲だが、最近になって演奏機会が増えてきている曲。大股でキビキビと歩くドヴガンの姿が印象的であるが、そのほっそりとした体のどこにそんなパワーが潜んでいるのかと驚くほどにタッチは力強い。強音でガンガンと行くところから弱音まで実にダイナミックレンジの広い演奏である。若くして才能を開花させた早熟の天才という評があるようだが、確かにどんな難解な曲でもまるで何事もないかのようにサラッと流してしまうぐらいの技術的な高さを感じさせる。

 ただ1つ感じたのは、こういう早熟の天才に多いことなんだが、ショパンのややひねくれた陰鬱なところもあるロマンティックさを表現するにはまだ少々人生経験が浅いかなというところ。難解なフレーズも難なくサラッと弾きこなすんだが、そこにまだ陰影が薄いことを感じさせる。テクニック上位の若手にありがちな自動演奏のような無機質さにまではいっていないが、まだ精神的な意味での円熟までには若干の距離があるかなという印象。今後、彼女がさらに様々な意味での経験を踏まえてくれば、圧倒的な技術に円熟味の乗った希有な天才へと進化する余地は大きいと思われた。

 後半はR.シュトラウスシリーズ。混沌とした複雑な作品なのであるが、広上と京響のペアにかかるとそれがスッキリと非常に分かりやすい印象の演奏となる。とにかく広上の指揮は強烈にオケを制御しようという独裁制を感じさせない(客席から見るだけでは、絶好調でタコ踊りをしているだけに見える)にもかかわらず、結果として出てくる音楽は実に整然として統制が取れているというのが特徴である。R.シュトラウスの複雑な曲が全く崩れることもなく音色の多彩さを展開させるのはなかなかの圧巻である。

 結果として非常に元気で活気に満ちているけれど、随所に美しさも溢れる実にチャーミングな演奏となった。広上が鍛えた京響の実力は流石といったところ。実に気持ちの良い一時を送ることが出来たのである。


 久しぶりに広上の絶好調タコ踊りを見たような気がする。それにしても実にノリノリだった。

 これでこの終末の予定は終了。後は阪神高速を突っ走って帰宅と相成った次第。この終末もなかなかに満足の高いコンサートの連チャンであったが、いずれもその絶対レベルには差があるというものの、オケのレベルの高さを感じさせるコンサートであった。

 

 

この遠征の前日の記事

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