徒然草枕

クラシックのコンサートや展覧会の感想など、さらには山城から鉄道など脈絡のない趣味の網羅

お知らせ

アニメ関係の記事は新設した「白鷺館アニメ棟」に移行します。

白鷺館アニメ棟

明石のミュシャ展とMET(ベッリーニ「清教徒」)のはしごをする

体調は良くないがMETライブビューイングに繰り出す

 この日曜日はMETライブビューイングで神戸にまで繰り出すことにした。実のところは昨日に行く予定だったのだが、ここのところの仕事のプレッシャーが半端なかったことで心身共に疲労の極限、土曜日は朝に目覚めたものの体が動かずに断念したという次第。本当は今日も体調は万全からはほど遠いが、METの上映期間が一週間しかないので実質的に今日がラストチャンス。体にむち打って出かけることにした。

 出発は午前中。出かけるとなると映画だけというのもなんなので、途中で寄り道先も考えている。明石文化博物館でミュシャ展が開催中とのことなのでそこに立ち寄ることにしている。とりあえずは目的地に到着する前に朝食を。駅ビルの2階にモスバーガーが入っているのでそこに立ち寄る。私はファーストフードはあまり利用しないが、ケンタとモスは数少ない例外である。

モスの朝食

 明石城のお堀が向かいに見える席でユッタリと朝食を摂る。ただしどうも胃腸がスッキリせず、体調があまり良くない時に少々重すぎた感もあり。

向かいには明石城の堀が見える

 

 

 朝食を終えると文化博物館へ。文化博物館は駅の最寄りであるが、歩くとなると嫌な高低差がある。まあ最後の一番キツい部分はエレベーターを使用できるが、足腰が弱ってきているのでそこまでの傾斜も本音では嫌。

この距離とこの高度差がこの体調では微妙に嫌

 文化博物館には結構大勢の客が押しかけている。本展は「はじめてのミュシャ」と銘打っているが、初めてどころかミュシャ展については10回以上は行っている私でも楽しめるだろうか。

明石市立文化博物館

 そもそもミュシャ展はさまざまな理由で開催の頻度が高い。理由としては 1.誰が見ても美しいと感じる絵画なので人気が高い 2.ポスター版画という量産品なので作品が大量に出回っておりコレクションも多い 3.1の特徴からも様々な物販が期待できる 辺りである。日本で浮世絵展が多い理由とも共通項がある。で、本展もやはり物販がかなり充実している。

館内にはこれが

 

 

「はじめてのミュシャ-変わりゆくミューズへの"まなざし"」明石市立文化博物館で5/10まで

 はじめてのと銘打っているだけに、ミュシャの生涯の画業を追っている。まずはデザイナーとして活躍していた初期の作品から始まって、一躍スターとなったサラ・ベルナールのポスターのシリーズ、その後に快進撃的に多数手がけたポスター類。そして祖国チェコのために描いた大作スラブ叙事詩もパネルで展示してあり、最後はチェコで発行された紙幣や切手など。一応過不足なくミュシャの生涯を網羅しているというところ。

 最初のコーナーは身近なところで見られるミュシャデザインなどのコーナー。ミュシャは雑誌の挿絵なども多く手掛けているが、その中からココリコ誌の表紙やラ・ヴィ・ポピュレール誌などが展示されている。ブレイクする前のミュシャは雑誌の挿絵画家として注目されていた。

ココリコ表紙

ラ・ヴィ・ポピュレール誌表紙

ミュシャデザインを使用したグッズの数々

 ミュシャの出世作であるサラ・ベルナールのポスターも当然展示されている。この辺りはミュシャ展では定番中のド定番であって出てこなければウソというもの。さらには商業ポスターの類。

ミュシャの出世作のサラ・ベルナールのポスター群

モエ・エ・シャンドンのポスター

 

 

 有名な連作シリーズも展示されている。「四季」の連作、「芸術」の連作、「四つの星」の連作、「時の流れ」の連作など、4枚セット作品が多いのが特徴。

「四季」

芸術の連作

四つの星

時の流れ

 さらには装飾デザイン例。これこそがいわゆるミュシャスタイルの基礎になったものである。

装飾デザイン

 

 

 チェコに戻ったミュシャは、愛国心を喚起するような作品を描くようになる。その中でライフワークともなった超大作がスラブ叙事詩。これはパネルで展示してあるが、現物はかなり巨大な作品である。これは私は東京で現物を見ているが、その時の感動を思い出す。あの時は心底感動して「今死んだとしても思い残すことはない」と感じたぐらい。実際に見たいとは思いつつも死ぬまでに叶うことはないと思っていただけに。

スラブ叙事詩展

スラブ叙事詩のパネル展示

www.ksagi.work


 最後はミュシャが採用された紙幣や切手などで、これも定番ではある。なお面白かったのはチェコの音楽家を描いた作品。中央がスメタナで向かって一番右がドボルザーク、間の人物はヤナーチェクだろうか?

ミュシャを用いた紙幣に切手

チェコの音楽の殿堂

 まあ定番品がほとんどだが、展示品は尾形寿行氏が所蔵するOGATAコレクションとのこと。個人コレクションなので保存状態はまちまち。かなり色調も良く保存されているものから、かなり退色してしまっているものまであった(多分入手時点でそうなっていたんだろう)。

 正直なところ私にとっては初見の作品はほとんどなかったというところ(比較的珍しいなというのはいくつかあったが)。しかしながらそれでもしっかりと楽しめるのが、ミュシャのミュシャたる所以。しばし美麗なミュシャワールドに心を馳せることで日々のストレスを忘れることにもつながるのである。

 

 

 展覧会の見学を終えると三ノ宮に向かうことにする。昼食は三ノ宮でと考えていたが、まだガッツリと朝食を摂ってから2時間ほどなので腹が減っておらず、定食などを食べられる状況ではない。かといって何も食べないと長時間の上映中にガス欠になる可能性が高い。結局は地下の「山神山人」で並盛り(980円)を頂くことにする。

山上山人の並盛

 とんこつのこってりしたスープに細麺の組み合わせ。特別に美味いというほどにも感じないが悪くはない。とりあえずこれを腹に入れておく。

 昼食を終えると上映開始時刻近く、劇場へ急ぐことにする。観客は20人弱というところか、意外と入っている。

キノシネマ神戸国際

 

 

METライブビューイング ベッリーニ「清教徒」

指揮:マルコ・アルミリアート
演出:チャールズ・エドワーズ
出演:リセット・オロペーサ 、ローレンス・ブラウンリー、リカルド・ホセ・リベラ、クリスチャン・ヴァン・ホーン

 

 33歳という若さで逝ったベルカントオペラの巨匠ベッリーニの遺作である。本年度は「夢遊病の娘」に続いての2作目のベッリーニ作品上演ということになる。これに「ノルマ」を加えた三作がベッリーニの代表作とされている。

 舞台は17世紀イングランド、王党派と清教徒の抗争である清教徒革命を背景にした作品。清教徒の娘・エルヴィーラは王党派の騎士であるアルトゥーロと愛し合う。エルヴィーラの父は清教徒のリッカルドに娘を与える約束をするが、エルヴィーラの叔父であるジョルジョの計らいでエルヴィーラはアルトゥーロと結婚することになる。しかし結婚式の当日、護送される王妃・エンリケッタを目撃したアルトゥーロは、彼女を断頭台送りから救うべく一緒に逃亡する。アルトゥーロに裏切られたと思ったエルヴィーラはショックで錯乱してしまい・・・という物語。

 その後、王妃を逃亡させたアルトゥーロは密かにエルヴィーラの元に戻ってくる。アルトゥーロが戻ってきたことで正気に返ってアルトゥーロとの愛を確認するエルヴィーラだが、戦闘の太鼓が聞こえたことで再び不安に駆られて錯乱、その騒ぎでアルトゥーロが見つかって逮捕されてしまう。裏切り者として死刑宣告を受けたアルトゥーロを見て再び正気に戻るエルヴィーラ。彼女はアルトゥーロと運命を共にすると誓う。そしていよいよアルトゥーロの処刑が実行されるという直前、王統側の敗北が伝えられてアルトゥーロも赦免されて目出度し目出度し・・・という話なんだが、本当にそれで良いのかの疑問も残る話。

 実際に演出もその辺りに疑問があったのか、最後はエルヴィーラとアルトゥーロが結ばれて目出度し目出度しという結論でなく、アルトゥーロが敗北に納得出来ずにエルヴィーラを置いて行ってしまうような結論をつけていた模様。「夢遊病の娘」でも演出家が最後に目出度し目出度しというのは納得できず、ヒロインのアミーラはモラハラ気味のエルヴィーノに愛想をつかして自立するという結論をつけていたが、やはり現代人の感覚としては一言いいたくなるような部分はあるようだ。

 なお本作の演出では精神的に抑圧を受けているエルヴィーラの内面を描くのに、彼女を画家として取り上げているが、果たしてこの演出が妥当かどうかは疑問。私にはどうも取って付けた感が拭えなかった。

 さて作品の方であるが、「美しく歌う」ベルカントオペラだけに、アリアも重唱も美しさが際立っている。ただ「夢遊病の娘」と同様にどうも音楽全体が超高音系にシフトしており、それを超音波ボイス系のオロペーサとブラウンリーが演じているので、やはり音楽全体がキンキンとしてくる感がある。この二人の高い技術には圧倒されるのであるが、どうも音楽全体がハイ上がり感はぬぐえないところがある(「夢遊病の娘」の時と同じである)。

 ここで重しとなるのがリッカルドのリベラとジョルジョのホーンなんだが、確かに彼らのドッシリとした歌声は落ち着けるところがある。ただ本作はエルヴィーラのオロペーサの登場シーンが圧倒的に多いことから、いささかその辺りのバランスは良くない。もっともこの辺りはあくまで好みの問題でもある。

 とりあえずベッリーニの音楽の美しさを堪能できる作品であったのは間違いない。イタリアオペラらしくヤンヤン歌う作品なので、その意味で堪能は出来る。

 

 

METでジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」を見てから、山王美術館のルノワールを鑑賞

METライブビューイングを鑑賞する

 翌朝は7時前に自動的に目が覚める(悲しき勤め人の性である)。昨晩は爆睡していたので目覚めは良い。

 目を覚ますためにシャワーで体を温めると、レストランに朝食に出向く。バイキング朝食はなかなかに充実しており、そもそもこれが私がここを定宿にしていた理由の大きなものの一つ。和洋両用でしっかりと腹に入れておく。どうやら今朝は体調は悪くはなさそうだ。

朝からがっつりと和食が美味い

さらにコーヒーとパンもいただく

 さて今日の予定であるが、とりあえず昨晩のうちに大阪ステーションシティシネマの予約は入れている。上映開始が10時5分なのでそれに間に合うように9時過ぎにチェックアウトする。

ホテルを9時過ぎにチェックアウトする

 劇場には30分前に到着する。上映開始は10時以降なのか館内は閑散としている。チケットを発行するとしばし待つことに。時間になるとゾロゾロと入場するが、私の予想以上に観客が多いのに驚く。ざっと見たところ50人ぐらいは入ってそう。ここはキノシネマ神戸国際なんかよりは観客は常に多いが、これだけ入っているのは記憶にない。

 

 

METライブビューイング ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」

指揮:ダニエレ・ルスティオーニ
演出:ニコラ・ジョエル
出演:ソニア・ヨンチェヴァ、ピョートル・ベチャワ、イーゴル・ゴロヴァテンコ

 

 フランス革命後にロペスピエールによる粛清の嵐が吹き荒れる中、反革命的であるという汚名で死刑に処されることになった詩人のアンドレア・シェニエと、彼に心を寄せる没落した貴族令嬢・マッダレーナ、さらに彼女に思いを寄せていた元従僕で今は革命政府幹部となったジェラールのドラマである。

 一途に突っ走るシェニエとマッダレーナに対し、紆余曲折や葛藤などが多い一番の難役がジェラールなので、本作はジェラールに演技力や表現力を求められる。その点でゴロヴァテンコは十二分な存在感を示している。

 シェニアはひたすら甘さが求められるが、その点ではベチャワは流石である。実力者ヨンチェヴァとの絡みで圧倒的な美しさを見せてくれる。単に理不尽な処刑をされるというだけの話でなく、愛し合う二人が堂々と運命に立ち向かっていくという、かなりアクティブで強い話になっているのが、この二人の表現力、音楽、演出の全てが一体となってかなり正面に出ていたのが特徴的。あまりに堂々としていて悲劇というよりも最後が大団円に見えたのにはいささか驚いた次第。

 またルスティオーニの指揮にも感心させられた。音楽に込められた意図をかなり深く読み込んで、劇を盛り上げるための適切な演奏をしていることが感じられ、この指揮者の力量に感心させられた。今後、彼についてはオペラ以外の場でも演奏を聞いてみたいと思わせられた。

 

 

 上映を終えるとさっさと移動することにする。帰宅前に山王美術館で開催中の「ルノワール展」を見学しておきたい。美術館移動前に昼食をと思って一階下のレストランフロアを覗いてみたが、例によってどの店も大行列でそれを見ただけで食欲が失せる。一軒だけ行列がなくて閑散としていたのは、価格の高すぎるうなぎの店だけ(一番安いメニューでも3000円台から)。エキマルシェの方は昨日にスルーしているし、そもそも朝食をガッツリ食ったせいか腹もあまり減ってないしで、諦めて美術館に移動してしまう。

川向うの超高級ホテルの手前に見えるのが山王美術館

 美術館は京橋でJRを降りると川の向こう側に見える。ここはホテルモントレ(ホテルクライトンが高級ホテルである私には、最早次元が違いすぎていてホテルとしての認識が出来ない)のコレクションを展示する施設。なかなかの高レベルなコレクションを誇っている。

美術館に到着

 

 

「生誕185年 ルノワール展」山王美術館で7/31まで

 山王美術館が所蔵するルノワール作品を一堂に展示し、ルノワールの生涯に渡る画業について概観する。

 ルノワールは当初はモネら印象派の画家たちと行動を共にして、保守的なアカデミズム派が中心の画壇と対決しており、その頃は「未完成の未熟な絵画」などと酷評を受けていた。

 しかしやがてルノワールの絵画は画壇でも認められていく。しかしそれと共にルノワール自身は印象派の技法に限界を感じていた。屋外での光を描くという目的に特化した印象派の技法は風景画には威力を発揮するが、ルノワールのように人物画を志向する画家にとっては、人物が背景と溶け合ってしまって存在感がなくなってしまうという欠点を持っていた。本展ではその頃の作品も展示されているが、確かに輪郭線を持たない印象派の技法で描いた人物画は、背景の中に溶け込んでしまっていて浮き上がってこない。

 ルノワールはここから葛藤を重ねる。古代の技法なども取り入れて輪郭線を取り入れた、それまでと全く異なる技法を取り入れたりするのであるが、ようやくルノワールの柔らかい絵が受け入れられ始めた頃のこの転換は、あまり評判の良くないものであったという。この時期の作品も本展では展示されているが、確かにルノワールらしくない少々硬い絵という印象を受ける。

 その後もルノワールは検討を重ね。ようやく自らの納得のできる技法にたどり着いた。ここからの絵がいわゆる「ルノワールの裸婦像」と言われた時に思い浮かぶような、あの柔らかくて質感があり、複雑な色彩が自然に溶け合った絵画となる。

 幸せの画家とも言われ、画面には全く不幸の影を映さなかったルノワールであるが、実際には晩年には関節リウマチを患って、満足に筆も握れない中での制作となる。しかし回りにも支えられつつ、その不自由な手に筆をくくりつけて、あの美しくて幸福な絵を最後まで描き続けた。その創作意欲たるや驚くところである。

 本展ではルノワールのキャリアの全域にわたっての作品が登場する。決して大作は多くはないのであるが、それでもルノワールの特徴を捉えることが出来る作品が並んでおり、見ていてなかなかに楽しめた。


 これで今回の全予定は終了、このまま帰宅と相成り結局は昼食抜きとなってしまったのである。どうも私の遠征はこれが多い。もう少し食事について計画的に考える必要がありそう。まあ金に糸目をつけなかったら、このご時世でもそれなりの飲食店は存在するんだが、そういうわけにもいかないので自然に選択肢がなくなるんだよな・・・。

 

 

本遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

METでR.シュトラウス「アラベッラ」を鑑賞後、神戸の美術館で大正版画など

いざ、神戸へ

 この週末は神戸方面に出向くことにした。目的はMETライブビューイングの2025年度2作目。今回はR.シュトラウスの「アラベッラ」である。R.シュトラウスの歌劇は「ばらの騎士」は以前に見たことがあるが、「アラベッラ」は初めての作品。

 劇場は毎度のように三宮のキノシネマ神戸国際。これが他に大阪方面の用事があれば大阪ステーションシティシネマを利用するところだが、今回の用事は神戸方面なので近いに越したことがない。またその後の移動も考えて車を利用することにする。三宮で車となると駐車場が頭の痛いところだが、既にakippaで確保済みである(割高な土曜日価格だが・・・)。時間が遅れてはいけないので土曜の朝は早めに家を出る。例によって京橋の手前辺りで渋滞(事故渋滞の余波の模様)に合うが概ね順調に到着、上映開始時刻の1時間前ぐらいに車を駐車場に放り込む。

 さて上映までしばし時間があるし・・・と考えた時に頭に浮かんだのは「これから長丁場になるから朝食をしっかり摂っておきたい」という考え。今朝は出かけに軽くパンを腹に入れただけなのでいささか腹具合が心もとない。

 そう思いながらプラプラしていたら目に入ったのが「ヒシミツ醤油」なる店。どうやら醤油屋が定食店を営んでいる模様。現在の時間帯はちょうど600円のモーニングがあるようである。

三ノ宮の「ヒシミツ醤油」

 モーニングメニューは8種類のご飯から2種類を選んだものに豚汁がと香の物が付いている模様。私は醤油漬け卵かけご飯とかしわめしの組み合わせを選ぶ。

ご飯はこの8種(ランチはお代わり自由とあるが、モーニングは2杯のよう)

 醤油漬け卵は黄身だけでかなりの濃厚な風味。黄身を醤油漬けにしたことで水分が減ったのか、半分固まりかけたような状態になっている。これはなかなか美味。かしわめしの方は鶏はそぼろよりもさらに細かい粉末に近い状態なので鶏の存在感なし、シイタケもほとんど見えないのでなんとなく単なる醤油飯に近い雰囲気がある。豚汁は普通に美味い。量が少ないのと何となく市販のレトルト的な味と言えなくもないが。なおこの手の店は大抵米に気を遣うものだが、何となくご飯に炊き立て感がなかったのは時間的なものか。

600円のモーニング

 まあ600円という価格を考えると妥当か。朝からしっかりと和食を摂りたいという向きには最適。正直、年を取ってくるとこの手の和食を摂れる店がありがたいんだが、そういう店はなかなかない。もう最近はがっつりと洋食というのはかなりキツイので。

 朝食を終えて一段落ついた辺りでそろそろの頃合いとなったので映画館に向かってプラプラと移動。劇場内はいつにもなく人が多いのが、すべてがMETの客とも思えないので、ほとんど同じ時刻に上映開始のシネマ歌舞伎の客も混ざっているか、それともさらに人気の映画があるのか。なおMETの方の入場客は20人ちょっとぐらいいたから、いつものこの劇場にしたら入りはやや多い目(演目によっては数人というのがよくあるので)。なお映画案内はやけに韓国や中国の映画の宣伝ばかりだったが、ああいう予告を見ていたら既に邦画も大分ああいう新興国に負けだしていることを感じる。作品の好みはともかくとして(正直なところ私が見たいと思うジャンルの作品はなかった)、勢いがかなりある。日本は経済だけでなく文化面でもかなりアジアの後進になりつつあるようだ。自民党の悪政によって庶民から経済力だけでなく活力まで奪われてしまっているのを感じずにはいられない。最後は自分たちの利権のために、命まで奪おうとしてくるだろう。

キノシネマ神戸国際へ

 

 

METライブビューイング R.シュトラウス「アラベッラ」

指揮:ニコラス・カーター
演出:オットー・シェンク
出演:レイチェル・ウィリス=ソレンセン、ルイーズ・アルダー、パヴォル・ブレスリック、トマシュ・コニエチュニ、ブリンドリー・シェラット

 博打狂いなのに贅沢三昧しているせいで破産寸前になっているダメ侯爵夫婦が、美しい娘を玉の輿に乗せることで一発逆転を狙うというとんでも話である。ただそんなとんでも状況に関わらず、姉のアラベッラは恋に恋する少女で白馬の王子様が自分を迎えに来てくれることを信じているという天然でありながら、自分に言い寄る男達を秤にかけるしたたかさも持ち合わせている。一方姉を愛する妹ズデンカは、親が娘二人も貴族にふさわしい育て方をできるだけの金がない(娘はドレスなど何かと金がかかる)というとんでもな理由で男として育てられたという不幸人。この二人の恋愛に関するドタバタを描いた軽い話である。

 シェンクによる演出は正攻法に19世紀後半のウィーンの貴族社会をお洒落に描いたもので、変に奇をてらった現代翻案などと違って無難で好感を持てるものである。

 アラベッラとズデンカの二人がソプラノになるのだが、ソレンセンもアルダーもキンキンしたタイプのソプラノではないので頭が痛くならなくて済む。お互いに思いあっていて、だからこそ今回大トラブルを巻き起こしてしまう姉妹の情愛を柔らかく美しく表現している。

 この二人に翻弄される形になるのが、アラベッラに一目惚れして求婚のためにウィーンまでやってくる田舎の資産家貴族のマンドリカであるが、これを演じるコニエチュニは感情の幅が広くて演じるのが結構難しいと感じられるこの役をなかなかに好演している。愛情深き故に嫉妬で暴走し、間違いに気づいてからとりかえしが付かない事態に自責の念で叩き潰されという一番劇的な展開をするマンドリカについて、矛盾を感じさせない一貫した演技をしている。

 正直なところ演劇の内容については「そんなのあり?」って感じさせるやや無理のあるハッピーエンドではあるのだが、まあ喜劇としてならそれもありだろう。もっとも軽い喜劇にしてはやや大仰に過ぎる感があるのがR.シュトラウスの美麗な音楽。「ばらの騎士」や他の交響詩などを連想させるリヒャルト節が随所に感じられるいかにも「らしい」音楽を展開している。個人的にはその音楽と劇の内容がややミスマッチに感じられる部分もなきにしもあらずであったように感じられた(モーツァルトレベルでの軽快さがあっても良かったような内容である)。

映画館の案内では一番気になったのはこれか

 映画を終えると帰る前に寄り道である。車を回収すると六甲アイランドまで走る。目的地はここの同じビル内に同居している二つの美術館。地下の駐車場に車を入れると、まずはファッション美術館の方の見学から。

神戸ファッション美術館

 

 

「THE 新版画 版元・渡邊庄三郎の挑戦」神戸ファッション美術館で3/29まで

今回の出し物

 明治以降衰退の途をたどっていた浮世絵版画に魅了された渡邊庄三郎は、自ら版画店を構えると新しい木版画の制作に取り組むことになる。これがいわゆる「大正版画」とも言われる新版画の誕生となる。

 庄三郎は最初は海外の作品に目を付けたという。そういうわけで本展で最初に登場するのはオーストリア人のフリッツ・カペラリやイギリス人のチャールズ・ウィリアム・バートレットなどの外国人の作品となり、そこに登場するのはホノルルで波乗りをしている風景などであり、いわゆる浮世絵版画とは題材がかなり違うことに面食らう。

 しかしその一方で庄三郎は日本画家の作品を浮世絵の伝統を汲む木版画で制作することを試みていた。そして鏑木清方に許可を取って、その門下である伊東深水や川瀬巴水に声をかけたという。それらの作品が後に続く、なお大正版画を代表する川瀬巴水の作品の美しさに関しては今更説明するまでもないのだが、私が驚いたのは伊東深水。正直なところ私は以前より伊東深水の絵画(特に美人画)はどことなく「媚び」が感じられて苦手なのであるが、精緻に風景を描いた作品は純粋に美しく、またいわゆる美人画に属する女性を描いた作品も、なぜか版画になると私が嫌った「媚び」が消失しているのに驚いた。それが技法的なものなのか時代的なものなのかは分からないが。

 さらには笠松紫浪なども登場、彼の作品については大正期のものと昭和期のものとで全く作風が変化しており、昭和期のものは明らかに当時人気の大正版画の様式(川瀬巴水などが典型的な)をかなり意識したものになっているよう感じられた。

 大正版画も浮世絵版画などと同様に多彩な展開をした。役者絵なども手掛けており名取春仙の役者絵なども登場。非常に明快に被写体の特徴をとらえた、それでいて写実性を感じさせる役者絵は印象深い。

 最後は花鳥画の小原祥邨。写生に基づいた日本画を彫師や摺り師が技術を尽くして版画として表現しており、彼の作品は海外でも高い人気を呼んだとか。

小原祥邨「柘榴に鸚鵡」

 大正版画には川瀬巴水絡みで以前より興味はあったのだが、今回こういう形でその全貌を概観することになり非常に面白かった。特に伊東深水に関してこちらからの観点で今まで見たことがなかったのでこれが驚き。

 

 美術館目的の方はこちらの方が本命だったんだが、ついでに隣の美術館にも立ち寄る。こちらは一応テーマは掲げているが、実際の内容は中西勝を中心にしたコレクション展である。

となりの「神戸ゆかりの美術館」へ

 

 

「『たくましい生命』没後10年・中西勝を中心に ー美術家たちの表現スタイルー」 神戸ゆかりの美術館で3/8まで

 中西勝は1924年に大阪で生まれ、2015年に没した日本の洋画家である。帝国美術学校で学徒動員で絵画の修行中の1944年に学徒動員で中国に派遣されたが、逃走を図るなどの問題を起こしているという(まあまともな反応だ)。1945年に中国で捕虜になったのち、1946年に帰国したという。そして1947年に帝国美術学校を卒業。その頃の人物画が展示されているが、やや重たい色調の普通の洋画である。

中西勝「T嬢」(1947年)

 1949年に神戸市立西代中学校の美術教師として赴任、その頃から二紀展に出品するようになって入賞を重ね、二紀会の名誉理事となったという。その二紀展に出品するようになった時期の絵画があるが、これは原始美術に影響を受けた作品だという。混沌とした中に非常に強いエネルギーを感じさせる強烈な絵画である。

「人類無限」(1950年)

 1956年になるとキュビズム的な絵画が現れるが、それは時代の流れの影響を受けたのではないかと思われる。この時期には日本では抽象絵画が流行したはずで、1959年の作品はキュビズム的でギリギリ具象の範囲にとどまっているが、1960年の作品は既に抽象の域に踏み込んでいる。

「黒い太陽に於ける群像」(1956年)

「虫媒」(1960年)

 しかし1967年の絵画になるとまた作風が一変する。世界を回ってメキシコなどに立ち寄ったそうだが、その時にはオーソドックスな風景画を残している。

「メキシコ フチタン風景」(1967年)

 

 

 その延長で1970年代に入るが、1976年の「豚のいる風景」などは何となくフォーヴを思わせるところである。

「卵と老人」(1975年)

「豚のいる風景」(1976年)

 それが1980年になるとまた一変する。それまで重苦しい色の背景が多かった作品の背景に明るさが見られるようになる。

「棲まう(トルティーヤを造る女達)」(1980年)

 そして1990年代になると作品はさらに明るくなり、画面全体がファンタジー色を帯びるようになる。これが最終的に彼が至った境地のようである。なかなかに変化が激しく興味深かったが、こういう風に年代を追って作品を展示していけば、作家の心境の変化を追うことが出来て興味深かった。単にこれを数点バラバラと展示されただけだったら「作風がコロコロ変わるわけの分からん画家だな」で終わったところだったろうが。

「華こぼれて」(1995年)

「華に唱う」(2001年)

「雲は流れて」(2009年)

 

 

 後半はその他の作家たちだが、まさに現代も活躍中の作家たちの作品になるのだろう。まだ版権が切れていないのか撮影禁止作が大半。その中で印象に残ったのは数点というところだろうか。

角卓「艶景」

元永定正「作品」

丸本耕「Work 2」

 これで今回の全予定は終了で帰宅することと相成ったのであるが、この時になって初めて私は今日の昼食を摂っていなかったことに気づいたのだった・・・。今から昼食を摂るにはもうあまりにも遅すぎる時間だし、結局はこの日は昼食抜きに。どうも私の遠征は昼食がおろそかになるパターンが多い。まあ山城攻略などの体を使うものでないのでぶっ倒れる心配はないが、持病のことを考えるとあまりよろしくはない。

 

 

大フィルで再びデュトワが圧倒的なパフォーマンスを披露する

週末遠征はMETと大フィルのダブルヘッダー

 この週末は大阪・滋賀方面への遠征。まずは大阪での大阪フィルのコンサートだが、その前にMETのライブビューイングに出向くことにする。

 まずはMETのために三宮へ移動する。大阪ステーションシティシネマという手もあったが、上映開始が11時と遅すぎるために、15時開演の大フィルに駆けつけるのが開演直前になってしまう。三宮のキノシネマは上映が10時からなので、大阪までの移動時間を考慮してもこっちの方が早いという計算。

 早朝から朝食も摂らずに飛んできたので、三宮に着くとまずは劇場近くのドトールで朝食を摂っておく。これから長丁場である。ガス欠になったらシャレにならん。

朝食は劇場近くのドトール

ドトール朝食

 朝食を摂ると劇場へ。観客は10人程度で毎度の予想通り場内はガラガラ。さて確保していた席に着こう・・・と思ったら、なぜか隣の席に観客が。昨今はガラガラの駐車場であえて隣に止めてくる奴を「トナラー」などと呼んで迷惑がる者がいるが、まさか映画館にまでトナラーが出現か? このインフルが大流行しているご時世に意味不明である。とりあえず適当な空いている席に座ることにする。

キノシネマ神戸国際

 ところで作品開始前のインタビューでMETのCEOが「我々は芸術の自由を守るために戦う」という趣旨のことをかなり激しく言っていたが、これってトランプが自分の気に入らない人物がNY市長に当選したら軍隊送ると言っていたことに対してだろうか。あのアメリカの王気取りの馬鹿も早々に追放しないと、アメリカがどんどんとおかしな国になる。

 

 

METライブビューイング ベッリーニ「夢遊病の娘」

指揮:リッカルド・フリッツァ
演出:ロランド・ビリャソン
出演:ネイディーン・シエラ、シャビエール・アンドゥアーガ、シドニー・マンカソーラ、アレクサンダー・ヴィノグラドフ

 スイスの山村で結婚式を迎えようとしていたカップルに起こったドタバタ劇。ベッリーニの「ノルマ」と並ぶ代表作であり、イタリアのベルカントオペラを代表する作品にも挙げられている名作。

 音楽は結婚式を表す祝典的な明るい曲で始まるが、その後にアミーナの恋敵であるリーザのやや邪悪さを含んだソプラノの独白が若干空気を変える。しかしその後、アミーナのと婚約者のエルヴィーノの登場で音楽は再び祝祭的雰囲気に。この両者の二重唱がいかにも美しく、なるほどこれがまさにベルカントオペラかと納得。現在最高峰のソプラノの一人シエラに、スターテノールであるアンドゥアーガの超高音が圧巻である。

 もっともここまでの出演者3人が全員高音歌手であるので、やや頭がキンキンしてくる感がなくもない。正直なところバスであるロドルフォ伯爵のヴィノグラドフが登場してようやくホッとする感がなきにしもあらず。いくらベルカントオペラと言っても音楽全体がややハイ上がりにすぎる感がある。それとリア充カップルののろけと恋敵の恨み節の内容はいささかしんどい。

 中盤から後半にかけて、夢遊病であるヒロインのアミーナが、眠ったまま伯爵のベッドに侵入してしまったことで、両者を引き裂こうと画策するリーザの陰謀などで、エルヴィーノがアミーラの裏切りを疑って婚約解消を言い出すというドタバタの大混乱がこの後に起こるわけであるが、ストーリー的には悲劇とも喜劇ともつかない中途半端な感がある。

 一番驚いたのは、元々の作品はアミーラの夢遊病が証明されたことで疑いは解消、二人はめでたく教会へという展開のはずを、束縛が強くてモラハラ気味のダメ男エルヴィーノに愛想をつかしたアミーラが、彼を振って自立するといういかにも今日的な展開にしてあること。中間でのインタビューでの演出のビリャソンの「田舎の抑圧的な空気がアミーラを拘束して、そのストレスが夢遊病につながっている」との発言や、エルヴィーノについてアンドゥアーガが「未熟なダメ男で個人的には全く共感できない」とかなりのネガティブ発言をしていたことが伏線として回収されることになる。

 もっともかなり強引な結論変更であるために、それまでのアミーラの描写その他などとの不整合を感じずにはいられない。とはいうものの、演出の範疇としてはありではあろう。今日的価値観ではむしろ納得いく結論かも。

 作品自体はとにかくベッリーニの音楽の美しさが際立っていた。まあ「ノルマ」を連想させるような節回しも見られ、彼らしさが全開だった感がある。ガンガン歌うイタリアオペラらしい作品でもある。

 

 

 上映が終わるとカーテンコールもそこそこにさっさと移動を開始する。とりあえず大フィルの開演には間に合いそうだが、昼食を摂っている時間的余裕はなさそう。

 今日の公演は指揮者がデュトワ。今年の目玉と言ってもよい公演で大フィルファンなら1年間お待ちかねというところ。大フィル会員以外もかなり押しかけているようで、場内はあからさまに普段よりも観客が多い。

本日の出し物

 ところで既に来年度のプログラムが公開になっているようだが、正直なところ本年度のデュトワのような目玉が何一つない。招待する指揮者もどうにも小粒感が強い。やはり高市円安でユーロに対する円の価値が大暴落しているので、そういうことも影響してそう。これは来年度は来日オケがほぼなくなるか、とんでもない価格になりそう。二重三重の意味で来年度は私はコンサートから遠ざからざるを得なくなりそう。私の遠征費用をサポートしてくれるスポンサー募集中(笑)。「私のこの苦境を救うことを期待できるのは愛国者たる高市さんしかない」とこういうことでも書いていたら、政府宣伝系インフルエンサーに起用されて、官房機密費からバイト料でももらえないだろうか。

 今日は既に朝にコーヒーを飲んでいるので、コーラを頂きながら開演までの時間をつぶす。どうも繊細に過ぎる私の胃は1日にコーヒーを1杯までしか受け付けない模様。まあコーラでもかなり胃にはキツいが。

今はコーラにしておく

 開演時刻が近づいたところで座席に着く。場内は見渡したところほぼ満席状態。やはり相当に観客が多い。

 

 

大阪フィル第593回定期演奏会

ラヴェルに備えて打楽器が増量されている

指揮:シャルル・デュトワ
ピアノ:小菅優
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)

モーツァルト/ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

 一曲目は12型編成によるモーツァルト。それにしてもいきなり大フィルの音が普段と違うことに気づく。以前からデュトワが指揮すると大フィルの音が一変するのだが、それは今回もである。また以前のハイドンでもあったのだが、デュトワが指揮すると古典音楽がなぜこうも艶っぽくて色っぽくなるんだろうか。今回のモーツァルトもやけに色っぽさを秘めた音楽として始まる。

 ここでピアノソロがメロドラマ出来たら、いささか収拾がつかない事態になりかねないのであるが、小菅のピアノは例えるならば軽業師である。軽妙かつ高速タッチで圧倒してくるタイプ。力強くはあるがやや色気は欠ける。これが音楽全体で微妙なバランスを保つことになる。

 第1楽章などはあまりにピアノの音符が多いので、はてモーツァルトってこんな音楽だったろうかと疑問を感じたところもあったのであるが、私は22番はあまり聞いたことがないのでその辺りは定かではない。いささか絢爛豪華で派手気味な音楽となる。

 第2楽章以降も抒情を歌うよりは軽妙さが前面に出た感があるが、これはこれでなかなか圧巻ではあった。

 さて後半は大規模な合唱団を迎えて16型オケでのラヴェルの大曲となる。合唱団は特別な歌詞があるわけではなく、あくまで楽器の一つとしてオケに絡むのであるが、これが想像以上に音楽的に効果がある。

 またオケの音色の艶っぽさや煌びやかさは先ほどのモーツァルトよりも倍増しており、ラヴェルのキラキラしたオーケストレーションをさらに際立たせる圧倒的な演奏である。

 流石にデュトワ節健在というか、圧倒的な名演に満員の場内は大いに沸いたのである。帰り道でもあちこちで「これは良かった」という声が漏れており、今更ながらデュトワの圧倒的なパフォーマンスに圧倒された次第。来年度も是非と思っていたのだが、来年度はないんだよな・・・。デュトワもN響への復帰も果たしたようだし、もうこれで大フィルへの義理は果たし終えたってところだろうか。

 

 

 コンサートを終えると今日の宿泊ホテルに向かうことにする。明日はびわ湖ホールでのコンサートなので今日は京都に宿泊することにしている。確保したのは祇園のルーマプラザ。今まで何度か利用したサウナ付きのカプセルホテルである。京都河原町が近くの駅になるので阪急で移動することにするが、その前に大阪で夕食を摂っておくことにする。

 立ち寄ったのは梅田の地下の「グリル ロン」。大昔に一度行った記憶があるが、内容についてはもう既に忘れている。ただし悪い記憶が残っていない(もし悪い店なら二度と行ってはいけない地雷として記憶に刻まれる)ことから悪い店のはずがない。実際にその後に何度か通りかかったが、いつも大行列なのでパスしていた。今回は珍しく待ち客が数組だったのでしばし待つことにする。

いつも待ち客がいる「グリル ロン」

 20分ほど待ってカウンター席に通される。注文したのはエビフライとカニクリームコロッケとハンバーグのCランチ(1470円)。合い挽きハンバーグをビーフハンバーグにグレードアップする。

なかなかの内容である

 エビはプリっとしてまずまず。クリームコロッケはいわゆるドロドロクリームと違ってしっかりしていて私好み、そしてなにより肉汁でベタベタしないハンバーグが一番。

 なるほどなかなかに美味い。正直このレベルの洋食店は他にも思い浮かぶところはあるが(例えば「ダイニングキノシタ」とか)、この場所でこの価格というのは貴重であり、いつも行列ができるのも納得ではある。

 

 

 夕食を終えると阪急で河原町まで移動。ホテルに入ろう・・・と思ったが、その前に閉店直前の「祇園都路里」に飛び込んで「特選都路里パフェ(1750円)」を頂いてマッタリする。まさにこれぞ至福の瞬間。安いパフェではないが、やはり京都に来るとこれは食っておきたい。ごくたまにだけ許される命の洗濯というやつである。

「都路里」は7時半でオーダーストップ

この圧倒的なパフェよ

 

 

 ようやく落ち着いたところでホテル入り。今日もここは満室の模様。やはり場所柄大人気の模様。とりあえず荷物を置くと入浴へ。屋上露天風呂に直行しようとしたが、流石にこのシーズンになると寒すぎて風邪をひきそう。先に内風呂で体を温めてから行くことにする。体を温めると露天風呂のルーマの湯で再入浴。信楽の天然水を温めたという湯は、ヌルっとしたアルカリ泉で「男前の湯」とのこと。これでまた私の男っぷりもあがるというものである(笑)。

ルーマプラザは今日も満室

 入浴を終えるとインターネットブースにお籠りして夜まで作業である。眠気が襲ってきたころにカプセルルームで布団に潜り込むことにする。

夜までネットブースでお籠り

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

 

 

METライブビューイングでワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

METライブビューイングのためになんばに移動する

 翌朝は8時に目覚ましで起床する。しかし体が異常にダルくてしんどい。しかしゴロゴロもしていられない。意を決して起き上がるとまずは朝食を取りにレストランへ。朝食は和定食と洋食を選べるようになっているが、和定食を選ぶ。

朝から和定食

 まあオーソドックスな和食である。可もなく不可もなくというところ。流石にメニューがいささか寂しくはあるが。

 さて今日の予定だが、METライブビューイングのアンコール上映がなんばパークスシネマで11時半から。ここのチェックアウト時刻が10時で、10時ちょうどに住之江公園行きのバスが出るので、それに乗って移動の予定。とりあえずそれまでは朝風呂などで時間をつぶす。

 10時前になったところで手早く荷物をまとめると清算を済ませてチェックアウトする。風呂などは充実していてなかなか良かったが、やはりワーキングスペースがない施設は私にはいささかツラい。次に利用することがあったら、そこの対策を考えておく必要がある。PCが使えないとなると、せいぜいが出来るのはpomeraでテキストを作成するぐらいか。テキストだけ作成しておいて、どこかPCを使えるスペースでざっとまとめてアップするしかないが、これも結構手間である。

 チェックアウト時刻が10時なのでバスが混雑しないかが懸念されたのだが、案に反して乗客は私一人。どうやら思いのほか車の利用者が多いようである(場所を考えたら当然ではある)。10分ちょっとでバスは住之江公園に到着すると、ここで私と入れ替わりに十数人が乗車してくる。どうやら朝からの利用者が多い模様。

 なんばパークスまでは大国町で御堂筋線に乗り換えるとすぐ。ただパークスシネマは一番南端なので結構歩く必要がある。この辺り、やはり立地的には大阪ステーションシティシネマなどと比較すると圧倒的に不便。

パークスシネマはなんばパークスの一番奥

 劇場到着は11時前。しばし待ってから入場。入場客は十数人というところでガラガラと言って良い状態。再上映なのでもう既に見ているファンも多いだろうし、そもそも今回のアンコールがあるということのアナウンスもあまり大々的ではなかったし。

 

 

METライブビューイングアンコール ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

写真は明らかにマイスタージンガーでなく、多分メリー・ウィドゥのものだろう

指揮:ジェイムズ・レヴァイン 
演出:オットー・シェンク 
出演:ミヒャエル・フォレ (ハンス・ザックス)、ヨハン・ボータ (ヴァルター)、 アネッテ・ダッシュ (エファ)、 ヨハネス・マルティン・クレンツレ(ベックメッサー)、ハンス=ペーター・ケーニヒ (ポークナー)、カレン・カーギル (マグダレーネ)、ポール・アップルビー (ダフィト)、 マシュー・ローズ (夜警)

 

 休憩時間を含めて上演が6時間近くという、ワーグナーの単独作品としては最長の大作(連作なら大作「指輪」などがあるが、各回単独だとこれよりもいずれも短い)である。作品自体はワーグナーにしては比較的軽めの作品で、愛を賭けてマイスターたちの歌合戦に参加する若き騎士の物語である。

 騎士ヴァルターはニュルンベルクの町で金細工師の娘エファと恋に落ちる。しかしエファの父は間もなく開催される歌合戦の優勝者に娘と財産を与えると宣言してしまい、エファと結ばれるためにはヴァルターは歌合戦で優勝する必要に迫られる。しかしマイスターの間で定められている歌に関する規則を知らないヴァルターの歌は、エファとの結婚を狙うベックメッサーの妨害もあって酷評を浴び、マイスターへの昇格試験に失格してしまう。

 エファの父のポークナーの友人であり、靴職人のザックスはそんなヴァルターに才能を感じ、明日の歌合戦で彼が優勝できるように指導をする。実は彼もエファのことを愛していたのだが、エファがヴァルターに惹かれていることが分かっている彼は、エファへの思いを諦めて二人の幸福を叶えるために影で助力する。そうして歌合戦の当日を迎える。

 大体のストーリーはこの通りで、最終的にはヴァルターは見事に歌合戦で優勝して目出度し目出度しとなる大団円。ストーリー展開は軽妙で悪役と言えるベックメッサーは歌合戦で大恥をかいて退場になるという落ちが付くことになる。

 さて音楽の方であるが、例によってワーグナーの音楽はヴェルディのような単純なメロディではなく、実のところ節回しなどは難解な部分がある。ただ基本的に作品が喜劇的なのと、ヤンヤン歌う歌合戦がテーマということがあり、指輪などのような分かりにくい作品ではない。

 ヴァルターのボータは純粋でありやや直情的な青年を好演しており、エファのダッシュも可憐な乙女を見事に演じている。そして本作の主役であるザックスのフォレは堂々たる存在感でザックスの苦悩も演じ、さすがの安定感を見せている。また嫌な奴のベックメッサーのクレンツレのマヌケっぷり全開の演技が作品に軽妙さを与えている。

 指揮のレヴァインは流石に作品を知り尽くしており、ツボを押さえた安定感のある演奏をしている。この辺りは流石。それだけにレヴァインがあのような末路を迎えることになったのは何とも残念であるのだが。

 なお作品を通してワーグナーのメッセージのようなものも垣間見える。マイスターたちの雁字搦めの規則に窮屈さを感じて批判的なヴァルターの態度や、それに共感しつつも伝統の重要性も認識しているザックスは音楽の変革を目指していたワーグナーの抱えていた葛藤の反映のようにも見える。ただラストでマイスターになることを拒絶するヴァルターに対して、伝統を決して軽視するべきではないとザックスが説得するところを見ると、ワーグナー自身もある程度そこに折り合いをつける気になった模様。もっともその後にドイツ主義的な演説が続いてしまうのは、ワーグナーの考えがもろに滲んでいるのだが、これをセリフで訴えてしまうのはいささかダサいし正直引いてしまう。


 これで本遠征の全日程は終了。JRで帰宅するのである。

 

 

本遠征の前日の記事

www.ksagi.work

METのサロメを見てから将来の日本国宝を鑑賞、その後に関西の初めてのプロオケに

大阪へ週末コンサートに

 この終末はMETライブビューイングのために大阪に繰り出すことにした。さらに加えて初めてのオケのコンサートにも出向こうという欲張りな考え。

 土曜日の午前中に家を出ると大阪ステーションシティシネマに直行する。ここは今までも何度も来ているが、とにかくエレベーターが異常に混雑するのが難点。それを嫌ってエスカレーターで登ったと思ったら、最後の1階がエスカレーターを使用できずに階段をキャリーを抱えて登る羽目に。

 大阪は神戸の劇場よりは常に観客が多いが、今回も30人ぐらいは入っており、私の予想よりも遙かに多い。そう言えばサロメに関しては、デュトワが尾高の代演で大フィルを率いて伝説的なとんでもない演奏を聴かせてくれたことを思い出す。

www.ksagi.work

 

 

METライブビューイング R.シュトラウス「サロメ」

今回の演出では7人のサロメが登場

 聖書の物語の一つを題材にしたオペラであるが、内容がかなりセンセーショナルなだけに、20世紀初頭にMETで初上演した時には、非難が殺到して1日で上演打ち切りになったといういわくつきの作品である。聖書のエピソードにかなり性的な脚色をしているということが問題視されたのだという。

 時代が変わって現代であるが、グートの演出もかなり露骨に性的な表現を持ち込んでおり、ヒロインであるサロメが継父であるヘロデ王から性的虐待を受けていたことも匂わせている。生育環境もあってかかなり人格的に歪なサロメが、猟奇的な愛に走るのがこの作品の本質となっている。

 R.シュトラウスだけにオケピにギチギチになるような大編成のオケを駆使して、実に多彩な音色を出している。その音色は「ばらの騎士」でもあったような極めて甘美なものから、いかにもこの作品らしい禍々しくもおどろおどろしいものまで実に多彩である。

 そして作品自体はヒロイン・サロメのヒーヴァーの独壇場と言ってもよい。場面に応じて彼女のソプラノが甘美にもヒステリックにも恐ろしげにも変化するのが圧巻。結局は作品全体を通じて彼女の存在ばかりが強烈すぎたせいで、最後のカーテンコールになった時に意外に大勢のキャストが出演していたことに驚いたぐらいである。

 非常にインパクトの強い問題作であった。2時間とこのシリーズの上映ではかなり短い内容だが、密度が濃すぎて疲れたという感もある。

 

 

 上映を終えると移動することにする。現在は13時、ホテルに荷物を置きたいがチェックインは15時である。その間に昼食を摂るのと美術館に一か所立ち寄る予定。

 昼食は一階下のレストラン街を覗いたがどこも大行列で話にならない。そこで結局は西梅田駅に移動する途中の「ミンガス」に立ち寄って「カツカレー」を摂ることに。かなり間に合わせのどちらかと言えば時間を優先した選択でもある。

阪神梅田西改札口の「ミンガス」

 今の体調ではカレーはキツいのではという懸念もあったのだが、実際に食べてみると存外おいしく食べられる。私が自覚しているほどには体調が悪いということもないということだろうか?

なぜかこれで体調が分かるカツカレー

 昼食を終えると西梅田から肥後橋へ移動、目的地はここの近くにある美術館である。

いつもの中之島美術館

 

 

「日本美術の鉱脈展 未来の国宝を探せ!」中之島美術館で8/31まで

 日本美術を代表する名品が国宝に認定されるのだが、日本美術には未だに国宝に認定されていないもののそれに匹敵するレベルの名品はいくらでもある。そのような名品に光を当てようという趣旨の展覧会。

 まず最初に登場するのは伊藤若冲、曽我蕭白、長澤芦雪、岩佐又兵衛などいわゆる奇想の画家と言われる絵師たちの作品。私が以前に目にしたことのある名品もあり、正直なところ「これがなんで国宝でないの?」と言いたくなる作品群。しかし伊藤若冲なども今でこそ超メジャーだが、彼が注目されたのは2000年代以降であり、それまではマイナー画家扱いだったことから国宝指定が追い付いていないとか。

 いかにも彼ららしい名品(奇品?)が並ぶが、岩佐又兵衛の妖怪退治図屏風など、鮮やかな彩色でユーモアにもあふれる名品である。

岩佐又兵衛「妖怪退治図屏風」右隻

同じく左隻

戦災で焼失した若冲の「釈迦十六羅漢図屏風」の白黒写真からのカラー復元

同じくその左隻

 

 

 次は室町水墨画で、超メジャーな雪舟にも劣らない無名の絵師たち。とはいうものの、雪村周継などは雪舟派の中ではかなりメジャーな存在だと思うのだが・・・。雪舟よりは幾分柔らかめのタッチが特徴。もう一人の式部輝忠は私も初めて聞く名で確かに未来の国宝かもしれない。精細にして伸び伸びとした筆遣いが魅力。

 西洋でいわゆる非技巧的な素朴派が注目されるのは、アンリ・ルソーが評価されるようになった19世紀以降だというが、日本ではすでに室町期からいわゆるプロ絵師でない素人絵画の稚拙だが素直な表現を楽しむという文化は存在したという。次のコーナーはそのような作品。ここで登場する洛中洛外図などは、確かに金屏風の立派な作品であるにもかかわらず、その建物表現は歪で人物表現などは実に稚拙。絵心の皆無の私が見ても笑ってしまう作品だが、どことなく伸び伸びとした感じを受ける。なおこのコーナーに登場するのが元祖ヘタウマ絵師こと白隠慧鶴の作品。もっとも彼の作品は下手なのではなく、誇張がすごいものであり現代なら人気イラストレーターとかになったのではのではなどと思ったりするが。

元祖ヘタウマ、白隠慧鶴「大黒天鼠師槌子図」

 次が歴史画のコーナーで原田直次郎、高橋由一などの明治洋画作品なども登場。ただ彼らは決してマイナー画家ではなく、なんで国宝認定されないの?ぐらいの感覚だが。木島櫻谷が学んだという菊池容斎の歴史画なども登場。

 会場が第1展示室から第2展示室に移行する途中で、最重量級の茶室と最軽量の茶室というインターミッション的な作品を挟む。重量級茶室は鉄板でバキバキに固めたまさに「黒金の城」であり、シェルターにも使えるのではなんて考えが頭を過ぎる。軽量の茶室の方は単なるバラック。

鉄板貼りの加藤智大「鉄茶室徹亭」

その内部は確かに茶室

 

 

 第2展示室のメインは江戸から近代にかけての作品群となる。色遣いに洋画的なものを感じる狩野一信のインパクトの強い五百羅漢図、近年に里帰り評価されたという笠木治郎吉の精細な水彩画などが登場。さらには不染鉄や島成園といったインパクトの強い作品も。この辺りは国宝と言われると「?」ではあるが、存在感は非常に強い。

狩野一信「五百羅漢図 第二十一幅 六道・地獄」

狩野一信「五百羅漢図 第二十二幅 六道・地獄」

 そして安本亀八のリアルそのものの生き人形に宮川香山の圧倒される精緻な陶芸作品、安藤緑山の唖然とする超絶木彫りといった工芸作品も非常に印象深い。

安本亀八「相撲生人形」

 

 

 最後のコーナーは日本の造形の原点ともいえる縄文土器に、それにインスパイアされた現代芸術科の作品など。この辺りは芸術が爆発している。

深鉢型土器(殿林遺跡出土)

何とも味のある「人体文様付有孔鍔付土器(鋳物師屋遺跡出土)」

岡崎龍之祐「JOMONJOMON-Tender」

岡崎龍之祐「JOMONJOMON-Emotion Beat」

まるで巨神兵、西尾康之「アルファ・オメガ」

 果たしてどんな作品が登場するだろうかと思っていたが、思っていた以上に正統派の作品がメインだったという印象でかなり見ごたえがあった。

 

 

宿泊は新今宮の高級ホテル

 美術館の見学を終えたところで今日の宿泊ホテルへ。今日宿泊するのは新今宮のホテル中央オアシス。このホテルは元々新今宮では高級ホテルの位置づけだが、あのレジオネラ万博で宿泊費高騰に拍車がかかり、特に週末はさらに高級になるので最近はほとんど使用できていなかった。今回は会社の福利厚生の宿泊補助と溜まったじゃらんポイントを併用しての宿泊。それと当初予定ではこの後には予定がなかったので、ホテルで長時間過ごすなら少しでも快適なところが良かろうという判断。

ホテルに到着

 部屋は私がいつも使用している風呂トイレセパレートタイプ。やはりこのタイプでないと落ち着いて入浴できない。とりあえず荷物を置くと充電機器だけを手早くつないでから再び外出する。

シングルルームで

風呂・トイレがセパレートタイプ

 

 

カレッジオペラハウスへ

 これから次のコンサートに移動である。今回出向くのがカレッジオペラハウス管弦楽団。大阪音楽大学の付属のオペラハウスの専属オケだが、一応日本オーケストラ連盟の準会員であり、立場としては奈良フィルと同じ位置づけ。以前に関西6オケ公演かあった際、尾高が「この調子でいけば数年後には8オケで」と言った時に私は「関西には後は奈良フィルぐらいしかないぞ」と言ったのだが、実はこのオケの存在を完全に失念していた次第。実際に結構特殊な立場のオケなので、今までこのオケの公演を聴きに行ったことはなかった。それがコンサートでちらしをもらってこの公演を知り、指揮は大阪交響楽団の実力を引き上げて注目の山下一史で曲目も魅力的、しかもちょうど遠征中の空き時間だったので訪問することにした次第。

 会場のカレッジ・オペラハウスは阪急宝塚線の庄内駅から徒歩10分ぐらいで、大阪音楽大学の向かいの住宅街の中にある。

阪急庄内駅から徒歩10分程度

最寄りのこの通りは「オペラ通り」というそうな

 私が会場に到着したのは開場の10分ほど前。しかし既に50人程度の入場待ちの行列が出来ている。本公演は自由席なのでまあ予想できたこと。3500円も取るなら指定席にして欲しいところだが、そうすると券売システムが複雑になるからだろう。10分ほど外で待つことになるが、これが容赦なく暑い。10分後に後ろを見ると行列の長さは3倍ほどになっている。

カレッジ・オペラハウス

 カレッジ・オペラハウスは756席(オケピ使用時は652席)で2階になっている中規模ホール。3階があるように見えるが、ホール側から上がる階段がなかったことから、いわゆるスタッフスペースの模様。またオペラハウスだけあってオケピもあるようである(今日は当然のことながら上げてある)。音響はオペラハウスだけにややデッドめだが概ね良好。

一階客席とステージ

二階客席

二階客席からステージを見下ろして

 観客は増加し続けて最終的にはホールの4~5割ぐらいは入る。ピアニストは大阪音楽大学の首席の才媛と言うことで、その関係者も少なくない模様。

 

 

ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団 第66回定期演奏会

指揮:山下一史
ピアノ:加古彩子

モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調
シューマン:交響曲第2番ハ長調

 

 カレッジ・オペラハウス管は10型2管編成の中規模オケ。一曲目のモーツァルトはなかなかにまとまりの良い演奏をする。各パートは非常に安定感があり、いわゆるモーツァルト節全開のこの曲もうまくまとめてきている。もっともモーツァルト特有の茶目っ気は若干薄い気はする。

 次はショパン。これは冒頭からメロメロのメロドラマにする演奏もあるのだが、山下は意外に淡々とした演奏をする。まあこのオケのキャラクターとしてはその方が合ってはいるかもしれない。弦楽セクションに安定感はあるのであるが、いわゆるネットリとした味のようなものは若干不足しているきらいがある。

 その淡々とした印象はピアノソロが入った途端に変化する。加古のピアノは若者特有の表現意欲に満ちたロマンチックなものであり、起伏もあり露骨すぎないレベルの揺らしも入った表情の濃いもの。後は欲を言えばもう少し音色に色気が欲しいところか。

 やや抑えめの表現のバックのオケがこのソロピアノを盛り上げてまとまりのある音楽を展開する。こういう展開についてはやっぱりこのオケがオペラハウスのオケということも影響しているかもなんてことが頭を過ぎる。最後までロマンチックななかなかの演奏であった。

 20分の休憩後の後半はシューマン。山下は初っ端からバリバリと盛り上げる。非常に躍動感のある演奏だといえるが、気になるのはいささか雑にも思えること。またこのオケの音色がやや味気ないというのが響いて素っ気ない演奏でもある。特に第三楽章などのゆったりとした音楽の時にはもっとしっとりとした風情が欲しいという気がある。

 総じて悪い演奏ではないし、アンサンブルの精度なども比較的高い。それだけにもう一段上のレベルを求めたくなるのではあるが、その点ではやや物足りなさを感じずにはいられないというジレンマがあるのである。

 

 

夕食は太閤ラーメン

 コンサートを終えると庄内駅まで戻るが、その途中で夕食を摂ることにする。実は事前調査の際にその店は目星をつけている。帰路の途中にあるラーメン屋「秀吉」に立ち寄ることにする。

住宅街の中にある「大阪らーめん 秀吉」

 ここのラーメンはその店名のように「太閤ラーメン」「信玄ラーメン」「信長ラーメン」などがある。私は地鶏醤油ラーメンである「太閤ブラック」を大盛で注文。

太閤ブラック大盛り

 真っ黒なスープに中細ストレート麺であろうかの組み合わせ。スープはその毒々しい見た目に反して意外にあっさりとしている。このスープとストレート麺の相性は良い。あっさりしながらもコクがあり、なかなかに美味いラーメンである。

 

 

 夕食を終えると阪急と地下鉄を乗り継いでホテルに戻る。もう外は暑すぎて汗だくである。とりあえずまずは風呂に湯を張って入浴で汗を流す。大浴場ではないが、洗い場付きの風呂はやっぱりくつげる。今日はそんなに歩いたつもりもないのに、それでも何だかんだで1万1千歩。気が付けば足がつりそうになっている。これは脱水も影響してそう。とりあえずしっかりと体をほぐしておく。

風呂に湯を張って入浴

 風呂から上がるとやはりドッと疲れが押し寄せるので、しばしベッドの上でダウン。体の芯まで熱が入ってしまっている状態なので、冷房全開でとにかく体を冷やす。タブレットで漫画を読むなどグタグダと休憩をとってから、起きだして構築していた仕事環境で本日の原稿作成。そのうちに眠気が押し寄せてくるので就寝することにする。

とりあえず仕事環境は構築済み

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

 

 

METの「フィガロ」と宝塚市交響楽団のはしご、宿泊は梅田のサウナで

週末大阪遠征に繰り出す

 この週末も大阪方面に繰り出すこととなった。そもそもはアマオケの雄・宝塚市交響楽団のコンサートがあるのだが、これがなぜか昼ではなくて夕方からの公演(メンバーに週末休みでない社会人でもいるのか?)。で、昼はちょうどMETで「フィガロの結婚」があるから、ついでにハシゴしようという考え。今期のMETは次の次がロッシーニの「セルビアの理髪師」とのことなので、連作ストーリーがまとめて上演されるということになるらしい(「フィガロの結婚」は「セルビアの理髪師」の後日談。原作にはさらにもう一作あるらしいが、面白くないのかオペラ化された話を聞かない)。

 なお私自身は「フィガロ」はモーツァルトのオペラの中では、異世界ファンタジーの「魔笛」や自虐ネタの「ドン・ジョヴァンニ」に比べるとあまり面白くないので、スケジュールによってはパスも考えていたんだが、たまたま予定と合致したというところ。なお映画「アマデウス」で「フィガロの結婚」の上演時、サリエリはその音楽のあまりの素晴らしさに陶然としたのに対し、皇帝は終盤に退屈してしまってあくびが出て、それがこの作品の初上演の失敗につながるという描写があったが、私の芸術に対する造詣なんぞ、所詮はこの皇帝レベルだということである。あの作品は天才モーツァルトに対して、彼の天才に気付きながらも自身はそのレベルの作品を絶対に作れないことも痛感させられる凡才サリエリの悲劇であったが、大抵の者は実はサリエリレベルにも到底及ばない非才であるということをも示しているのだが・・・。

世間のモーツァルト像を大転換した名作→購入はAmazon

 

 

 

 土曜日の朝は早めに家を出る。JRで大阪に移動。車両トラブルか何かがあった模様で、大阪到着は予定よりも若干遅れるが、そもそもの予定がかなり余裕を持ったものなので大きな問題ない。

 大阪に到着すると、これからの長丁場を考えてまだかなり早めだが昼食を摂っておくことにする。とは言うものの、時間的に店は限られる。とりあえず思いついたところで「ミンガス」を訪問して「ロースカツカレー(980円)」を食べることにする。

大阪駅地下のミンガス

 見慣れたカレーが登場。朝食からまだそんなに時間が経っていないので、腹はそれほど減ってはいないんだが、口にするとまずまず美味い。と言うことは今日は体調はまず良いようである。

今日はロースカツカレーがまずまず美味い

 昼食を終えると劇場へ。毎度のことながら11階にあるこの劇場はアクセスは実質的にエレベーターしかないんだが、このエレベーターが常に馬鹿込み。こういう辺りはやはりデザインだけは凝っていても動線設計が良くないんだろうな。京都駅ビルなんかにも通じる今時の建築デザインである。

 上映時間が来ると劇場に入場。あまり大きなスクリーンとは言えないが劇場内の席はほぼ塞がっている。こういう体験は初めて。やっぱりやせても枯れてもモーツァルトか。

劇場内は結構人が多い

 

 

METライブビューイング モーツァルト「フィガロの結婚」

指揮:ヨアナ・マルヴィッツ
演出:リチャード・エア
出演:フェデリカ・ロンバルディ、オルガ・クルチンスカ、サン=リー・ピアース、エリザベス・ビショップ、ジョシュア・ホプキンス、マイケル・スムエル、マウリツィオ・ムラーロ

 

 モーツァルトの代表作ともいえる軽妙な喜劇である。指揮者のマルヴィッツはモーツァルト作品に対する思い入れも深いらしく、そのことは序曲からすでに現れている。表現が実に幅広くて振幅が激しい。彼女のモーツァルト作品に対する思いが伝わってくるようで、それが作品全編を通して感じられる。

 また出演者自身も言っていたように、彼女の音楽テンポはやや早めのようである。そのために進行のテンポが良い。また喜劇ということでところどころに明確に笑えるポイントを散りばめたエアの演出(実際に場内で笑い声が上がっていた)のおかげで劇全体を通してのメリハリが良く、私も最後まであくびが出る余地が全くなかった。

 全編を通して進行役としてほぼ出ずっぱりの活躍のスザンナを演じたクルチンスカの抜群の歌唱と演技力を中心に、この作品の良心である伯爵夫人のロンバルディ、トラブルメーカーのケルビーノのピアースなど女性陣の活躍が目立つ。フィガロのスムエルは、軽薄男フィガロにしてはやや落ち着きすぎの感も無きにしも非ずだが、その実力はかなりのもので安定感がある。ほとんど道化の伯爵のホプキンスも美声でこの軽薄男を演じきった。

 流石にMETと言うべきか、私が以前にこの作品を見た時とは印象がかなり異なっており、これは流石にモーツァルトの代表作と言われるだけのことはあるという印象を抱いた。これは一番の収穫。

 

 

 上映が終わるととりあえず今日の宿泊ホテルに荷物を置きに行く。今日宿泊するのはニュージャパン梅田。サウナのカプセルホテルを確保したというパターンである。ニュージャパンは梅田東通商店街のど真ん中にある。かなり賑やかしい界隈である。地下伝いで泉の広場のところまで移動し、そこから地上に出たら目の前に商店街があり、その中にある。

この商店街の中にある

改装なったニュージャパン

 どうやら最近になってリニューアルした模様で、私が以前に調べたものと中のレイアウトが全く変わっているようである。1階がフロントで4階にカプセルホテルのロッカーがあり、私のカプセルも4階。カプセル自体は標準的なものである。

カプセルルーム

中は標準的

 とりあえず荷物を置いて館内着に着替えると、まずは汗を流すことにする。風呂の受付は2階にあり、宿泊客はそのまま館内着で行けば入浴可。2階には内風呂が、内部の階段で上がった3階には露天風呂やフィンランドサウナがある模様。最初は露天風呂で汗を流したが、湯温がやや低めであるので、内風呂でさらに体を少し温めておく。

 

 

 さて宝塚市交響楽団の公演だが、兵庫芸文で18時からである。17時ぐらいにここを出たら良いだろうから、まだ1時間程度余裕がある。そこで休憩スペースでPCを持ち出して執筆作業。ここの休憩スペースはコンセントもテーブルもあって良好だが、致命的問題はWi-Fiはあるものの電波が弱いのかインターネットが出来ないこと。仕方ないのでiPhoneでテザリングすることに。

仕事環境の構築はWi-Fi以外は問題なし

 なお私のノートPCは先の遠征で発覚したトラブルから、新たにDellで購入した新ノートに代わっている。今回ネット環境には問題があったものの、更新したPCはかなりパワーがアップしているので、以前に比べると作業性は格段に良い。

 しばし作業をすると17時前に荷物をまとめて外出することにする。行きは地下伝いで来たが、どうも遠回りしているような感じで疲れたので、今度は地上を直線的に突っ切ることにする。確かにこっちの方がかなり近い。阪急梅田駅にはさして時間もかからずに到着する。

 ホールに到着したのは開演まで30分を切った頃。かなり大勢の観客が入場している。一階席を見渡した感じでは9割方は入っている。宝塚市交響楽団大人気である。

今回の演目

 

 

宝塚市交響楽団 第75回定期演奏会

13型編成をとっているようだ

指揮:中井章徳
出演:宝塚市交響楽団

スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
リスト:交響詩「レ・プレリュード」S.97
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68

 

 やはりアマオケの限界で管楽陣(というか端的に言ってホルン)にいささか難はあるが、弦楽アンサンブルはしっかりとまとまっていて、なかなかに鋭い演奏をする。一番感心したのはチェロのソロ。実に良い音を出していたのであるが、もしかしてプロだろうか? 弦楽陣を中心にかなりの安定感があり、それをベースに元気で盛り上がる演奏を展開した。

 二曲目の「レ・プレリュード」も同様の傾向。先程のスッペよりはさらに弦楽アンサンブルの実力が発揮される曲目である。実に安定感かあるので、このオケを聞く時は自然にアマオケに対するではなくプロオケと同じ聴き方になっているのに気付く。いわゆる少々の難には目をつぶるアマオケフィルタを外して普通に聴けるのである。

 休憩後のラストはブラームスの1番。まさに弦楽アンサンブルの真価が問われる作品。第一楽章から重厚にして美しくなかなかのもの。中井の指揮もオケを適度に煽って盛り上げるタイプの指揮。

 そのまま終始弦楽の美しさをメインとした演奏が続き、最終楽章の例の歓喜の歌もどきに至っては聞いていて思わずゾワゾワと来たぐらい。完全にアマオケフィルタを外して聞いていた。もっともそうなると、今度は時々ホルンのやらかしが耳に付いてしまったりするのだが・・・。

 見事な演奏に場内は結構な盛り上がりとなった。ハンガリー舞曲第10番がアンコールとして演奏されてコンサートは終了。流石に宝塚市交響楽団、なかなかにやる。

 

 

 コンサートを終えると大阪に戻る。昼食がかなり早めだったせいもあって腹が減った。とりあえず夕食を摂る必要があるが、梅田東通りはまるで通勤時の駅のホームのような馬鹿みたいな人混みでどの店も満員。やむなく目に付いた回転寿司屋に入店するが、そもそもネタが回っていない上に内容もイマイチ。結局は5皿ほどつまんだところで馬鹿らしくなって店を出る。

 さてどこでキチンと夕食を食べようか。しかし見渡したところまともそうな店は皆行列である。そこでふと思いつく。そう言えば地下の方がガッツリと晩飯というタイプの店が多かったような。そこで地下に潜ると、往路で若干気になっていた「豚汁専門店ごちとん」に入店する。

豚汁専門店ごちとん

 豚汁専門店と名乗っている割にはメニューはいろいろとある。おでん系なんかもあるようである。しかしここは豚汁を食べないと問題外だろうと豚汁定食を注文する。

大きな豆腐に驚く豚汁定食

 注文時に麦みそと米みそのどちらにするかと味はすっきりとあっさりのどちらにするか、それにご飯の盛りを聞かれる。私は麦みそのすっきり、ご飯は中で注文。

 うーん、私のイメージしていた豚汁とは少し違う。ドカンと大きな豆腐が入っているのが驚き。またもっとみそ仕立てかと思っていたが、意外にみそは効いていない。あっさりを頼んだものの、正直なところやや薄めに感じる。ただご飯と合わせていただくと結構悪くはない。

 夕食を終えるとお茶をしたくなったので、向かいにあった「甘党まえだ」に入店。ただしぜんざいやわらび餅がなくなっているので出せるメニューはかき氷類に限られているという。そこで「宇治金時のかき氷」ができるかを聞いたところ、可能とのことなので入店する。

 しかししばし待っても一向に出てこない。するとスマホで注文することになっているから注文が通っていないのだという(入店時に店員にメニューを確認しているにも関わらず)。この時点で「はぁ?」なんだが、店のシステムがそうなら仕方ないと改めてスマホから注文。すると今度は小豆がなくなったので宇治かき氷しか出来ないとの話

 もうこの時点でさすがの私も頭に来る。客を馬鹿にしているにもほどがある。「もういい」と言い残して店を後にする。もう二度と来ない店が一軒できてしまった。味がどうこうは好みがあるが、こういうのは問題外である。だから今回はあえて店名を記している。そう言えば思い返してみると「すみません」の一言もなかった気がする。

 せっかく素晴らしい音楽で気持ちよく帰ってきたのに、つまらないことで嫌な気分になってしまった。仕方ないのでホテルに戻って入浴してくつろぐことにする。露天で体をほぐして、内風呂で温めてサッパリする。

 後は休憩スペースでPCをセットしてしばしワークとすることにする。そうこうしているうちに夜が更けてくるので、適当な時間でカプセルに潜り込んで就寝する。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

 

 

METの「フィデリオ」を鑑賞してから、「パウル・クレー展」へ。

体調に不安はあるが三ノ宮に繰り出す

 先週末、大阪遠征の際に体調不良に見舞われたんだが、帰宅の翌日の月曜日の午後ぐらいから咳が出始め、その夜には激しい咳に苦しめられて翌朝には微熱が。結局は風邪との診断を受けて火水と寝込むことになってしまった。どうやら私の体調不良の原因は単なる疲労でもPM2.0でもなかったようである。木曜日には仕事の都合でどうしても休むわけにはいかなかったので、若干フラフラしながら出社、そのまま金曜日もヘロヘロの状態での勤務と相成った。

 週末になってようやく体調はほぼ回復かというところなんだが、正直なところまだ体力が完全回復からはほど遠い。この状態で電車で出かけるという気にはならなかったので、今回は車で出かけることにした。目的はMETライブビューイングでベートーベンの「フィデリオ」。まあこれが「フィガロ」辺りならパスする手もあったのだが、ベートーベンの唯一の歌劇作品で私も初めて見るものということで出向くことにした次第。

 阪神高速は例によって渋滞でややイライラさせられるが、どうにか予定より若干遅れぐらいで三ノ宮に到着、akippaで予約した駐車場に車を入れる。ここから徒歩で神戸国際会館へ。ただ朝食を摂る間もなく飛んできたので、途中で「英國屋」でモーニングを腹に入れる。

英國屋に入店

モーニングセットを頂く

 ようやく朝食を終えると国際会館のキノシネマを目指す。何やら券売所に行列が出来ているから驚いたが、まさかMETの客ではあるまい。上映スケジュールの時間から見て、考えられるのはまさにタイムリーな作品となった「教皇選挙」だろうか? もっともかなりテーマ的には地味な作品だと思うが。なおMETの観客は20人程度であった。

劇場前には謎の行列

 

 

METライブビューイング ベートーベン「フィデリオ」

指揮:スザンナ・マルッキ
演出:ユルゲン・フリム
出演:リーゼ・ダーヴィドセン、イン・ファン、デイヴィッド・バット・フィリップ、マグヌス・ディートリヒ、トマシュ・コニエチュニ、ルネ・パーペ、スティーヴン・ミリング

 自分に敵対する者は次から次へと無実の罪で収監していた監獄所長のドン・ピツァロ。彼の暴虐を告発した正義の男・フロスタンも彼の手によって地下牢に幽閉されて命を狙われることになる。彼の妻であるレオノーレは夫を救うために、男装してフィデリオと名乗って監獄に潜入するという物語。

 オペラとしての上演機会は決して多いと言うことはない作品だと思うが、序曲自体は比較的有名でこの曲を聴くとベートーベンの様々な要素がぶち込まれているのが感じられる。「田園」などを連想させるようないかにもベートーベン的な節回しも随所に見られる。また本編の音楽もモーツァルト辺りの古典から近代への橋渡し的な要素が垣間見られる。

 それを演じるのがMETの圧倒的な歌手陣。レオノーレのダーヴィドセンは押しも押されぬ実力の持ち主。その歌唱は圧倒的な説得力がある。第二幕からしか登場しないフロレスタンのフィリップはバリトンから転向したテノールとのことだが、純粋な正義感を好演している。ロッコのパーペは何度もこの役を演じているベテラン。その安定感は抜群である。そして典型的な悪党のドン・ピツァロのコニエチュニも安定感がある。

 演出的に興味深かったのは、マルツェリーナの扱い。彼女を演じるファンが「この作品は彼女にとっては大悲劇」と語っていたのであるが、確かに演出でもそういう扱いをしてある。勇気ある立派な妻として皆がレオノーレを讃える裏で、1人傷ついてたたずむ姿が描写されている。彼女の存在についてはハッピーエンドに水を差す形になるので、あえてコメディリリーフ的に扱う方法もあるのだが(実際に彼女に言い寄る若い男がいて、いずれは彼と引っ付くことも暗示されている)、真っ正面からレオノーレの策にダマされた被害者という扱いにしていたのは今日的か。

 実力者を並べた安定的な演技に、ツボを押さえたマルッキの演奏によるドラマは流石にMETである。こういうのがオペラの醍醐味。

 開演前にMET支配人が、本作は共和制を支持していたベートーベンが自由と公正が暴虐な専制独裁者を駆逐するというメッセージを込めた作品というようなことを解説しており、今の時代にもつながるメッセージになるという類いのことを語っていた。3月15日の公演とのことなので、多分にプーチンを意識しての発言と思うが、それからの1ヶ月、まさにアメリカの愚王が暴政を行ってアメリカの民主主義が風前の灯火になりかけてきた現状を見ると、このメッセージはアメリカにも通じるものでもあると感じずにいられない。なお私の場合は、告発者をえん罪と誹謗中傷で死に追い込み、自らは未だに開き直って地位に連綿とし、取り巻きを批判者に対してけしかける某チンケな独裁者の顔がパッと頭に浮かんだが。

 

 

 ライブビューイングを終えた時には既に14時。次の行動の前に昼食を摂っておく必要がある。立ち寄ったのは近くの「山神山人」とんこつラーメンにチャーシューを追加したものを頂く。

三ノ宮地下の「山神山人」

 とんこつスープがしつこすぎずにそれでいてコクがあってちょうど具合が良い。この濃厚なスープには極細麺が実に良く合う。オーソドックスだがなかなかに考えられたラーメンである。

肉味噌の入ったとんこつラーメン

極細麺使用

 昼食を終えると車を回収するためにプラプラと南下。途中でジョーシンを見かけたので数年ぶりに見学してみる。ここは珍しく未だにまともなオーディオのコーナーがあったのに驚いたが、ラインナップに日本メーカーのものはデノンとマランツぐらいしかないところにオーディオという分野の斜陽感がひしひと迫ってくる。さらにとりあえずまだ何とか残っているのはハイエンドクラスばかりで、いわゆるエントリーモデルがないことにも溜息。今時の若者は音楽は音なんてどうでも良いので、スマホで間に合っちまうんだろう。かく言うかつてのオーディオマニアである私も、今は耳が老化で腐ってしまっているので、今更高級オーディオに投資する気もない(そもそもその財力も無いが)。

 駐車場で車を回収すると、帰宅の前にもう一箇所立ち寄ることにする。わざわざ車で神戸まで出てきたのには元よりここのことも頭にある。目的の兵庫県立美術館までは車で10分ほど。

 

 

「パウル・クレー展 創造をめぐる星座」兵庫県立美術館で5/25まで

パウル・クレー展

 スイス生まれで20世紀美術を代表する画家であるパウル・クレーについて、同時代の作家達との交流や当時の美術の動向にも注目して、その生涯の画業を紹介する大回顧展。

 画家を目指してミュンヘンの美術学校で学んだクレーは、色彩の表現に悩んでまずは「最も単純な表現」として線だけの版画に挑んだ。そしてその作品を1906年のミュンヘン分離派展に出展したののが芸術家としての第一歩だという。

クレーの初期版画作品「老いたる不死鳥」

 その頃、ミュンヘンにやって来ていたカンディンスキーが中心に「ミュンヘン新芸術家協会」が設立されるが、保守派との軋轢でカンディンスキーとマルクが退会して青騎士を結成する。そこにクレーも第2回展から参加していくことになる。

ヴァシリー・カンディンスキー「夕暮れ」

カンディンスキー「ボート漕行《響き》より」

 青騎士展には当時の気鋭の前衛芸術家たちが参加しており、クレーもマッケやモワイエと共にチュニジアを旅行し、その時に以前から抱えていた色彩の問題を克服する。

クレー「チュニスの赤い家と黄色い家」

クレー「ハマメットのモティーフについて」

 

 

 しかしチュニジアからの帰国の3ヶ月後、ヨーロッパは第一次大戦に突入、マッケとマルクは従軍して戦死、カンディンスキーはロシアへの帰国を余儀なくされて青騎士は散り散りとなる。クレーは戦争を主題としながらより抽象的な世界に突入していき、その中には自作の切断と再構成といった過激な手法を駆使する作品も登場したという。

クレー「アフロディテの解剖学」

クレー「紫と黄色の運命の響きと二つの球」

自作を切断して作成したという、クレー「深刻な運命の前兆」

クレー「破壊された村」

 終戦後、青騎士の芸術家の多くを失ったドイツでクレーの評価が高まっていく。そしてクレーはその後に起こったシュルレアリスムの運動の中で、その先駆者として言及されることになるという。

シュルレアリスム的なクレー「小道具の静物」

クレー「闘っているポップとロック」

植物的なクレー「周辺に」

クレー「熱帯の花」

 

 

 そしてクレーはバウハウスにマイスターとして招聘される。バウハウスでクレーは指導を行いながら自身も創作をすることになるが、この経験はクレーにとっては大きな刺激になったという。

クレー「窓のあるコンポジション」

バウハウスで東洋趣味の影響を受けたというクレー「中国風の絵」

リオネル・ファイニンガー「海辺の夕暮れ」

ラースロー・モホイ=ナジ「無題《ケストナー版画集6コンストラクションより》」

ヨハネス・イッテン「チロル風景」

クレー「蛾の踊り」

クレー「赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー」

 

 

 しかしその後、ドイツではナチスが台頭しヒトラーが芸術の弾圧を始める(画家として挫折しているヒトラーは、多分に一流芸術家にコンプレックスを持っている)。そしてクレーもドイツ国内での職を失ってベルンに逃亡、その作品も「退廃芸術」と指定されて没収されることになる。このような悲劇的状況の中でもクレーの創作意欲は失われず、新たな表現を求めていく。そして作品の販路をアメリカに拡大させた。

クレー「殉教者の頭部」

クレー「恐怖の発作III」

クレー「花のテラス」

クレー「山への衝動」

 1940年、クレーはスイスで没する。画架には遺作の静物画が残されていたという。

クレーの遺作「無題(最後の静物画)」

 以上、クレーについて。私は正直なところ彼の作品が理解出来るとも好ましく感じるとも言い難いのであるが、このような大規模回顧展に接することで、何となく漠然と彼の目指していたところを感じることは出来たような気はする。

 

 

METライブビューイングでヴェルディの名作「アイーダ」を鑑賞する

久しぶりに三ノ宮に繰り出す

 さていよいよ3月。年度末ということで私のような半戦力外のロートル社員にでさえ、容赦なく目標管理のノルマが押し寄せてストレスが半端ない今日この頃である。今更高い実績を上げたところで何の褒賞もないにも関わらず、実績が低い場合のペナルティだけは確実に来るという理不尽さに不満を感じつつも、宮仕えの悲しさで抵抗の術はないという現状である。このような殺伐とした日常の中では、やはり一服の心のオアシスは音楽に限る。というわけでこの週末はMETのライブビューイングを鑑賞するために神戸に繰り出すこととした。

 劇場は例によって三ノ宮のキノシネマ神戸国際。上映開始が11時前なので土曜の早朝にJRで神戸に向かう。

 10時頃に三ノ宮に到着すると、これから3時間半の長丁場、やはり燃料補給はしておきたい。朝食にはやや遅く昼食にはまだ早いという難儀な時間帯であるが、朝食用の営業実施中の「ドトール」で安直に朝食を摂ることにする。

劇場近くのドトールで昼食

 注文したのは季節限定メニューという「牛肉の赤ワイン煮込み」。これにレギュラーコーヒーのSをつけて920円。朝食としてはやや贅沢である。

期間限定の牛肉の赤ワイン煮込みにコーヒーを付ける

 しばし待たされた後に料理が出来上がり。ザクッと見たところ確かに肉が入っているようで、食べてみると思いの他の牛肉感があって悪くない。CPはそれほど高いとは言えないが、ドトール朝食は意外と使えるようである。もっとも栄養バランス的には悪いので、気になる向きはサラダなどを付ける必要がありそうだ。

確かに牛肉らしきものは入っている

 

 

 朝食を終えてしばしマッタリしてから劇場に向かうことにする。劇場は国際会館の11階。屋上庭園に面している。それにしても毎度言っている気がするが、どうしてもここの「ガーデン」ってのが「ガッテン」に見えて仕方ないのだが。

私にはこの「ガーデン」がいつも「ガッテン」に見えてしまう

 ここの庭園にはなぜか約200年前のものという巨大な壺が据えてあるのだが、どうもこれを見る度に中に入りたくなって仕方ない。前世がハムスターだった私の本能だろうか。しかしこれに入ったら、突然に雷が鳴ってタイムスリップしそうな気もする。

何となく入りたくなる壺

しかし本作の主人公みたいにタイムスリップしても困る 購入はAmazonで

 入場時刻が来たのでゾロゾロ入場。今回の入りは10人ちょっとと言うところか。大体この劇場でのMETライブビューイングの入りは毎回こんなものである。大阪のステーションシティシネマの方は何人ぐらい来てるんだろうか?

キノシネマ神戸国際

なぜかミクが立ってました

 

 

METライブビューイング ヴェルディ「アイーダ」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マイケル・メイヤー
出演:エンジェル・ブルー、ユディット・クタージ、ピョートル・ベチャワ、クイン・ケルシー、モリス・ロビンソン、ハロルド・ウィルソン

 ヴェルディの定番悲劇である。新演出とのことだが、新演出の主眼は20世紀の遺跡発掘隊の探査から始まって、古代エジプトの大悲劇ドラマが判明していくという流れにしているところ。現代と古代の二重の時代が交差するという設定で、これはアイーダの悲劇が単に古代の出来事というだけでなく、戦乱続く現代でも通じるテーマであるということの暗示だろうとは理解できる。とは言うものの、この演出がそれだけ画期的で効果的であるかには疑問もあるところではある。

 ドラマはエチオピアの王女で敗戦によって囚われの身となっているアイーダ、アイーダを愛する若きエジプトの将軍ラダメス、そしてエジプト王の娘にしてラダメスを愛しているアムネリスの三角関係が中心となる。そのドラマを盛り上げるヴェルディの音楽は、本作の場合は豪華にして華麗。合唱とソリストとオケによる大スペクタクルから、ソリスト同士の絡みに独白など美しい多彩なアリアで魅せてくる。

 アイーダを演じるのは、現在世界最高のソプラノの1人とも言われるエンジェル・ブルー(驚いたことに芸名でなくて本名らしい)。その清澄にして表現力豊かな声で愛と祖国への思いの板挟みに苦しむ王女の苦悩を演じる。一方アイーダが思いを寄せる若き将軍ラダメスを演じるベチャワは、野心と一途さと未熟さを併せ持った純粋なる若者を見事に表現した。そして愛憎相半ばの一番複雑な状況を抱えるアムネリスを演じたクタージは、この役は得意役と言うだけあって、鬼気迫るような迫力のある演技で観客を惹きつける。

 流石にヴェルディの作品の中でもあらゆる面での完成度の高さを感じさせる作品。またとかくキリスト教絡みのネタになると、ストーリーに宣伝臭や説教臭が漂いだして「それはちょっと」と納得しがたい展開になりがちのヴェルディが、ことキリスト教が微塵も絡まない古代エジプトの話になると、リアリティがあって説得力のあるドラマになるのが興味深いところ。若さ故の夢想家的な甘さが抜けない将軍ラダメスに、亡国の王女の悲哀を一身に背負ったアイーダ、圧倒的権力者であるがそれ故に権力では左右できない人の心に翻弄されて苦しむアムネリスなど、各人各様の悲劇が胸に迫ってくる。

 結局は「シナリオの無茶ぶり」という私がヴェルディのオペラに感じている一番の不満が消え去った結果、純粋に壮麗にして美麗な音楽に酔うことが出来るのである。まさに堂々たるイタリアオペラを堪能したのである。

 正直なところ、アイーダは既に何度か見ているのでパスすることも考えたのだが、新演出というのに惹かれて見てみたのだが、新演出は別にどうというものでもなかったがこの作品のポテンシャルに圧倒されたというところ。

 

 

 鑑賞終了時には14時半。やはり遅めの昼食を摂る必要がありそう。店を選ぶのも面倒臭いので近場で地下の「肉のツクモ」に入店する。

さんちかの「肉のツクモ」

 ここでは大昔にステーキ丼のようなものを食べた記憶があるのだが、ランチメニューにはその手が見当たらないので「すき焼き重セット(1300円税込)」を注文する。

すき焼き重セット

 うーん、悪くもないが特別に美味しくもない。ボリュームは以前の記憶よりも落ちた気がするが、これはアベノミクス効果か。なお3種から選べる豆腐鍋を私は麻婆豆腐鍋を選んだんだが、これは明らかに私の好みではない。しかしチゲ豆腐鍋はさらに私の好みの鍋ではないし、ここはオーソドックスに豆腐鍋を選ぶべきだったか。もっともここは再訪はないなというのが私の判断だが。

 

 

 帰ろうかと思ったが、どうも口の中が先ほどの麻婆鍋の後味で気持ちが悪い。やはり少し喫茶をしていきたい。以前に1度入ったことのある「宇治園 喫茶去」を通りかかったのでここに立ち寄ることにする。

喫茶に立ち寄ることにする

 以前にも食べたことのある「抹茶モンブランパフェ(1430円)」を注文する。やや贅沢で決してCPが良いとは言いにくいパフェであるが、美味いので満足度は高い。通常はかさ増しで加えるシリアルの類いまでシャキシャキと歯触りが良いので、単なるかさ増しという感じでなくて食感の変化として美味い。また抹茶寒天の類いも謂わばかさ増しであるが、これもこれでアイスと組み合わさると美味い。かさ増しで入るような素材が、いかにもかさ増しというのではなく、必然性を持って存在するのがポイントである。

価格は高めだが、その分美味いパフェではある

 口の中も落ち着いて満足したので、これで帰宅することとする。

 

 

METの「トスカ」を鑑賞してから、「歌川国芳展」の後期展示を見に行く

今日も大忙しである

 翌朝は目覚ましで8時に起床。目が覚めるとまずは朝食に繰り出す。「カフェ・ド・イズミ」を第一候補に考えていたが、微妙に出遅れたのが災いして目の前で満席。仕方ないので「ラ・ミア・カーサ」に出向いて玉子サンドのモーニング(450円)を頂く。例によってのこの界隈のワンコイン最強モーニングである。

ラ・ミア・カーサ

玉子サンドのモーニング

 さて今日の予定であるが、当初はかなり無茶な予定を組み込んでいた(9時から始まって22時半までというもの)のだが、流石に若い頃とは違って今の私ではそれでは体力が続かないと判断し、昨晩の一人作戦会議で一か月単位でスケジュールを見直し、予定をかなり刈りこむことにした。やはり何事も計画的に実行するのが重要。私は趣味に関しては全力投入で綿密なスケジュールを立てる。この綿密さが仕事に反映されていたら今頃は・・・とこれはやめておこう。

 まずは大阪ステーションシティシネマで上映されているMETライブビューイングの「トスカ」を見に行くのが最初の予定。上映開始が10時半からなので、出かけるまでのしばしの時間はホテルに戻って原稿執筆を行う。

 10時前に出かけると劇場に直行、予約していた席を確保して入場してから驚いた。113席の劇場が8割方埋まっている。70~80人ぐらいは来ているようだ。確かに大阪ステーションシティシネマは常にキノシネマ神戸国際などよりも観客は多めだが、それでもMETのライブビューイングでここまで入るのは初めて見た。「トスカ」というプログラムの人気と言うことだろうか。

 

 

METライブビューイング プッチーニ「トスカ」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
出演:リーゼ・ダーヴィドセン、フレディ・デ・トマーゾ、クイン・ケルシー、パトリック・カルフィッツィ

 劇的ストーリーにそれを盛り上げる音楽が一体化した、プッチーニの人気作。それをさすがにMETらしく、豪華キャストと豪華セットで披露する。

 歌手陣についてはヒロインのダーヴィドセンの安定した実力は今更言うまでもないが、やはり舞台を引き締めているのはスカルピアのケルシーだろうか。ドッシリと安定感があって力強いバリトンボイスは、この卑劣漢たるスカルピアを単なる軽薄な犯罪者でなく、社会に仇なす悪の象徴的に堂々と表現している。ケルシー自身が「役を把握することが重要」と言っていたが、自分が非モテであることを痛感しているから権力によって女を支配することに快感を見出したという異常者であり卑劣漢たるスカルピアの心情をよく表現している。それにしてもこういう観点で見ると、意外と今日的テーマでもある。

 今回がMET初出演であるというトマーゾは、バリトンからテノールへ転向したという異色な経歴を持つが、元バリトンとは思えない華麗なる声で、このやや理想家である若い画家を好演している。

 なお私の印象に強烈に残ったのは、脇役である堂守を演じたカルフィッツィ。軽妙で喜劇的な存在感が作品を盛り上げている。非常に安定感があるので感心していたら、この役は今まで数えきれないほど経験しているベテランとのこと。道理でと納得した次第。

 映像的にはトスカのダーヴィドセンがキャストの中で一番の長身で大柄(儚げにさえ見える顔貌とのギャップがすごい)であるためいかにも逞しく、スカルピアを刺殺しないでも軽く絞め殺せそうに見えてしまうという、例によってのオペラ特有の難点はなきにしもあらずだったが、歌唱面の安定性は鉄壁のものがあった。プッチーニの巧みな音楽と共に思わず引き込まれるようなドラマになったのである。

 既に展開は周知の作品で、3時間超の上映時間はややしんどいなという気もあったのだが、いざ始まると結構引き込まれてあっという間であった。この辺りは作品の巧みさだろう。民放の腑抜けた二時間サスペンスなんかよりは余程見応えがある。プッチーニはこういう辺りが非常に上手い。

 

 

 上映時間は3時間半ぐらいなので終了は14時頃である。これから美術館を回るつもりだが、その間にどこかで昼食を摂る必要がある。とは言うものの、食べたいものは浮かばないし、予定が押しているのであまり時間を取れないしということで、通りすがりの「ミンガス」カツカレーを腹に入れることにする。

通りすがりの「ミンガス」に立ち寄る

ファーストフードのカツカレー

 とりあえずの時間優先の昼食を10分程度で終えると地下鉄で肥後橋に移動する。最初に立ち寄るのは中之島美術館。つい先週に「歌川国芳展」の鑑賞に来たところであるが、今週は展示品をほとんど入れ替えての後期が開催されている(先週が前期の最終日だった)ので、それを見学しようという考えである。

 現地に到着すると、ある程度覚悟はしていたがやはり行列ができている。まあそれは織り込み済みでのスケジュール設定をしている。50分とかいう声が聞こえてきたから1時間近く待たされることを覚悟したが、意外なことに30分程度の待ちで入場できる。

先週よりは行列が随分長い

 

 

「歌川国芳展ー奇才絵師の魔力(後期)」中之島美術館で2/24まで

 展示の構成は前期の時と同様にテーマ別の構成で、まずは武者絵から。やはり国芳の作品の真髄はここにあると私などは思うのであるが、後期は私の好きなタイプの斜線が画面をビカビカと横切るタイプの漫画的な作品が多かったのが楽しいところ。やはり国芳先生が現代にご健在なら、絶対に少年ジャンプ辺りで連載を持っただろうなと考えてしまう。

ほとんど怪獣ものの「相馬の古内裏」

 後期は源頼光やら金太郎辺りが大活躍、また前期では画面中矢が飛び交っている四条畷の戦いの作品があったが、今回も同様の描写の作品も。画面に躍動感があって動きが感じられるのが国芳のすごいところ。

国芳らしいダイナミックな「宮本武蔵の鯨退治」

 

 

 役者絵、美人画などはまあ前期と似たようなもの。その中で面白いと感じたのは、人気花魁3人を描いた作品で、花吹雪ならぬ小判が舞い散っていたもの。彼女たちは1日で1000両を稼ぐと言われていたようで、それを表現したものらしい。今日の表現だと人気アイドルのステージの様子の絵に万札をばらまくところか。美人画でも風刺が効いているのはさすがに国芳。源頼光と土蜘蛛を描いた作品など、水野忠邦の天保の改革による物価高騰を皮肉っているとして評判になったぐらい風刺精神の強いのが国芳。もっともそのせいで幕府に目をつけられて処罰を食らうのだが。

幕府批判が秘められているとされた「源頼光館土蜘蛛作妖怪」

 風景画は望遠レンズで眺めたように遠近感を圧縮することで高低差を強調した坂や橋の絵が印象に残る。カメラなどなかった時代にどうやってこういう発想に至ったのかには疑問を感じるところでもある。

 国芳のもう一つの真髄と言えるのが、動物画や戯画。後期は国芳の大好きな猫の絵がやや増量と言うところか。また金魚シリーズなどが楽しい。また影絵などの一ひねりのある作品が面白いが、感心したのは一頭多体図というやつで、一つの頭を描いて三方向に三つの体を描いている作品。一瞬奇怪に見えるんだが、一つ一つを見ていくと体と頭が自然につながっていて、3人を重ねて描いているように見えるという代物。これを生かして「十四人のからだにて三十五人にミゆる」なんて作品まで。

舞台絵に猫を絡めた「日本駄右衛門猫之故事」

 やはり例によって場内劇混みで鑑賞条件は最悪だが、それでもなかなかに堪能できた。とにかく後期も奇想の画家の奇想っぷりに圧倒されたわけである。腹いっぱいに国芳を堪能できたってところで、国芳の作品をこれだけまとめて鑑賞できる機会と言うのも意外にないのでこれはかなり貴重な機会だった。

 次の目的地に移動だが、次の目的地は駅の近くにある美術館。

 

 

「20世紀美術の巨匠たち ウォーホル、ロスコ、リキテンスタイン」中之島香雪美術館で4/6まで

 20世紀になるとアメリカを中心に新たなアートの潮流が勃興してくる。そこでは様々な表現手法が開花し百花繚乱の様子ともなった。それらはキュビズムの流れから抽象表現に到達し、さらには表現主義、そしていわゆるポップアートなどへの流れがあるが、それは戦争に対する批判から、大量生産・大量消費の時代に対する皮肉など、様々な時代背景を含んだものでもある。そのような20世紀のアートについて大原美術館の所蔵品によって展示する。

 正直なところネタ的にはあまり期待していなかったのが本音なので、まあそれなりというのが正直な印象。それになにより、大原美術館所蔵作品なので、以前に一度見たことがある作品と言うのが結構あったようである。まあウォーホルのモンローやリキテンシュタインのアメコミなんてどれも同じようなものだが。

 そんな中で異色に感じたのがリキテンシュタインによるティーセット。ティーセットにリキテンシュタインらしいドットが仕込んであるのだが、それが草間彌生の斑点のような気持ち悪さはなく、普通に洒落たデザインとなっていて「これなら使えるし使ってみたい」と感じた。リキテンシュタインなる画家については私は実はよく知らないのだが、工業デザインとかに向いていた人物なんだろうか。

 茶室のところにクラインの「青いヴィーナス」が据えてあったのが、和洋折衷のようで何とも言い難い空気感を漂わせていた。ところでこの作品、こうやって実物を見ればこの青色にまるで光を吸い込まれるような感覚を受けるのだが、何とも独特なこの質感はいかにして実現してるんだろうか。素材は樹脂などと説明されているようだったが。

なぜか茶室に鎮座するイヴ・クラインの「青いヴィーナス」

間近で見ると光を吸収される感覚がある

 次は地下鉄で天王寺まで移動。ここが今日の美術展の予定は最後になる。

 

 

「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界」あべのハルカス美術館で3/16まで

 まさに大正ロマンを象徴するかのような「夢二式美人」と呼ばれる独自の美人画で一時代を築いた人気画家の展覧会である。本展ではいわゆる夢二式美人作品だけでなく、もっと幅広く彼の芸術を紹介している。

 最初は夢二式美人を確立するまでの時代の作品なのだが、まあ普通の絵画であるが、この頃から線画志向は伺える。何となく人物像が華奢でそれが後の夢二式美人につながるのであるが、私としてはデッサンのバランスが奇妙であることが気になる。この辺りも私が竹久夢二の絵が苦手である理由につながるかもしれない。

夢二式美人を確立した時期の作品「林檎」

 夢二は絵画だけでなく、雑誌の挿絵からさらには日用品デザインまで幅広く手掛けている。本展でも夢二がデザインした千代紙が展示。夢二式美人が苦手な私には、むしろこちらの方が違和感がなく、普通に洒落ている。

千代紙をデザインして、元妻に販売させていたらしい

 

 

 本展展示の「秋のいこい」などはまさに夢二式美人の完成型の一つだろう。しかし夢二はそこにとどまらずさらに新展開を目指す。

秋のいこい

 実際に夢二は油絵なども手掛けていたようである。そんな作品が本展展示の「女」や「アマリリス」。線画志向の強かった夢二が、画風を変更して西洋の伝統的な油絵に挑戦していることを示す興味深い作品である。なお「アマリリス」に関しては永らく所在不明で失われたと思われていた作品だとか。

油絵の「女」

永らく所在不明だった「アマリリス」

 

 

 大正期には絶大な人気を誇った夢二であるが、時代が昭和となって世の中に暗雲が立ち込めようになってくると、かつての人気が陰ってくる。そんな時代に夢二は欧米に留学して新境地を求めた。その時期には油絵などを手掛けたようであるが、その希少な作品が「西海岸の裸婦」。夢二が珍しく金髪女性を描いた作品で、今までの印象とは異なり新境地を目指しているのが窺える。

夢二には珍しい金髪女性を描いた「西海岸の裸婦」

 だが夢二は完全に新境地に至る前に人生を終えてしまったようである。ほぼ最晩年の作品が「立田姫」であるが、そこには夢二が追い求めた日本女性の姿が滲んでいるとか。

夢二最晩年の作「立田姫」

 なかなか興味深く、夢二が苦手な私でも思いのほかに楽しめた。とは言うものの、やはり私が夢二式美人画が苦手なのは相変わらず。これは私と夢二の芸術志向の差というよりも、女性観の違いも滲んているのかもなどと感じたりもする。

 なお本展は例によって物販部門が非常に充実していたのも特徴。夢二は当時からもいわゆる物販に力を入れていたことから、いかにも夢二らしくもあるのか。なおその隅にさり気に東郷青児の作品も飾られていたのだが、違和感が全くなかったのはある意味で笑える。まあ大きな括りで見たら同ジャンルと言えなくもないか・・・。

物販部門は大充実している

ちなみに次回展はこれ

 

 

 今日最後の展覧会鑑賞を終えたところで、後はホテルに戻る前に夕食を摂る必要がある。天王寺まで来たのだからこの周辺でとっても良いのだが、実際にはこの辺りの店は高すぎるところがほとんど。新今宮まで戻って考えることにする。

 じゃんじゃん横町まで戻ってくるが、まだ夕食時には若干早いにも関わらずインバウンドを中心とした観光客で大混雑である。私の目論見としては寿司が食いたかったのだが、頼みの「大興寿司」は二店ともアジア系と思われる客が行列。差別主義者ではない私も、流石にこの状況には「インバウンドうざっ」という声が出そうになる。店の側は商売繁盛なのかもしれないが、こちらとしては何かと不便が多い。

 仕方ないので久しぶりに「串カツだるま」に入店することにする。とは言うものの、そもそも今日は串カツの気分だったわけではない。昨今の体調を考えると、串カツで腹いっぱいにしたら間違いなく胸が悪くなると思えたので、適当に10本ほど注文して、コーラを頂きながら腹に入れる。うーん、正直なところ別段の感動はないな。以前に比べて何かとCPが悪化したということだけが目立つ。

串カツだるまに入店

10本ほどかるくつまむ

 

 

 腹はまだ十分には満たされていないので、隣の「松屋」230円のきつねうどんを頂く。相変わらずCPは最強である。ただ何となく以前に比べて美味くない気が・・・。私の体調のせいか、それとも味が落ちたのか。

CP最強の「松屋」

味が落ちたように感じたのは気のせいか?

 とりあえずの夕食を終えるとホテルに戻ってくる。しかし部屋に入った途端に気が抜けたのか、疲れが一気に押し寄せてきてしばし布団の上で動けなくなる。無理を避けるために当初予定から大幅に刈り込んだはずなのだが、今の私にはそれでもきつすぎたか。まあ刈り込んだと言っても結局は1万4千歩も歩いている。これは当初予定通りに実行していたら、途中で死んでしまったかも。

 結局はしばしそのままの状態でグッタリ。しばらく後にようやく起き上がると入浴は済ませたのである。しかしその後はまたグッタリ。結局は起き上がって原稿執筆作業ができるようになったのは、夜がかなり更けてからであった。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

ロンドン交響楽団の来日公演で、桁違いの演奏に唖然とする

図らずしもパッパーノのダブルヘッダーになる

 翌朝は目覚ましをかけた8時まで爆睡していた。疲れが溜まっていた上にベッドが合っていたのか、さらに平日のためか客が少なくて静かだったこともあって久々に爆睡である。眠気や疲労が全くないわけではないが、体調は比較的良い。

 とりあえず朝食のために繰り出す。向かったのは「カフェ・ド・イズミ」。開店から少し経っていたが、平日が幸いしたか一人だったおかげで席に着ける。いつもならチキンサンドを頼むところだが、今日はパターンを変えて小豆デニッシュとアイスコーヒーのセット(550円)を注文する。

久しぶりに「カフェ・ド・イズミ」

 デニッシュトーストのわずかな甘味とバターの塩味に小豆の甘味の組み合わせが美味。また朝一番にはやはりこういう甘味がいくらかあるものの方が入りやすい模様。

アイスコーヒーに

小倉のデニッシュトースト

 朝食を終えてホテルに戻ると、チェックアウトの10時までに昨日の原稿をまとめてブログをアップ。それを手早く片付けると荷物をまとめて10時にチェックアウトする。

 

 

 さて今日の予定だが、10時50分から大阪ステーションシティシネマでロイヤルオペラハウスの「アンドレア・シェニエ」が上映されるとのことなので、それを鑑賞しようという考え。大阪に向かうべく新今宮に行ったら、天王寺と今宮で同時飛び込みがあった模様で、ダイヤがガタガタになっていて焦るが、幸いにして間もなく20分遅れの大和路快速が到着する。

 大阪駅に到着すると、とりあえず動きを妨げるキャリーを構内コインロッカーに入れてから劇場へ。ステーションシティシネマは以前に訪れた時に売店を改装中だったが、どうやら注文を端末にして、ドリンクはドリンクバーという名のセルフ化で窓口人員を大幅削減した模様。こうやって世の中の雇用がなくなっていく。

窓口人員を大幅削減した模様

 

 

ロイヤルオペラシネマシーズン ジョルダーノ「アンドレア・シェニエ」

【指揮】アントニオ・パッパーノ
【演出】デイヴィッド・マクヴィカー
【キャスト】アンドレア・シェニエ:ヨナス・カウフマン
マッダレーナ・ディ・コワニー:ソンドラ・ラドヴァノフスキー
カルロ・ジェラール:アマルトゥブシン・エンクバート 他

 フランス革命後のロペスピエールによる恐怖政治による粛清の嵐の中で、反革命的との理由で処刑された詩人、アンドレア・シェニエのエピソードを元にして膨らませたオペラ。

 主人公のアンドレア・シェニエには実力人気を兼ね備えたテナー、カウフマンを起用、ヒロインのマッダレーナにはベテランソプラノのラドヴァノフスキーを起用という手堅い布陣だが、その中で抜群の存在感を見せたのがジェラールのエンクバート。上演前の解説で「この作品の主人公は実はジェラールではないか」との話が出ていたが、確かに本作においてはジェラールの存在感がかなり大きく、その苦悩はまさに今日でも普遍的に我々に投げかけれるもののように思われる。

 特にストーリー序盤はシェニエの存在感が意外に小さいせいで、余計にジェラールの存在感が増す印象がある。その重要な役割をエンクバートは抜群の安定感で演じきっており、それがドラマ全体を引き締めている。この作品、実際に終幕でのドラマをジェラール中心に切り替えたら、いつでもジェラールの作品になるというところがある。

 カウフマンとラドヴァノフスキーの絡みは、カウフマンに若き詩人の割には意外と甘さがないという感はあるが、総じて安定しており流石である。もっとも若き詩人と若き貴族令嬢の恋というには、アップになった時のビジュアルがしんどいのはオペラの宿命。

 作品的には変に宗教的教訓を持ち込もうとするヴェルディと違って、ジョルダーノの作品は非常に納得性があってドラマとしても説得力があるもの。音楽面での劇的盛り上げはヴェルディほど露骨ではないが、それでも音楽と舞台が連携してストーリーを盛り上げるようになっている。

 と言うわけで説得力のあるドラマを、説得力のある歌手陣が演じたというところで普通に盛り上がれる。ジョルダーノの作品といえば、昨年にMETの「フェドーラ」でいたく感心したところだが、あの作品にしても狂気としか言いようのない女王の行動も、その狂気に説得力があって「なんでそうなる」がなかった記憶がある。たった2つの作品だけで云々するのも早計だが、ジョルダーノはもしかして現代人に感性が近い人物だったのだろうかなどと妄想する。とにかく単純に音楽だけならヴェルディに軍配を上げるが、オペラを演劇も含めての総合的作品として評価したら、目下のところならジョルダーノに軍配を上げる。

 なお今回の公演は長年ロイヤルオペラハウスの音楽監督を務めたパッパーノのラスト公演とのことをやたらアピールしていた。そこで気がついて今日のロンドン交響楽団のチケットを確認したら、指揮者がパッパーノだった。どうやら彼はキャリアをオペラからオケの方にシフトさせたようだ。もっとも彼がこれでオペラとの関わりを止めるとは考えにくく、ロイヤルオペラ関係者のインタビューもことごとく「いやー、その内にオペラが恋しくなって帰ってくるだろう」というニュアンスだったのが記憶に残る。まあ彼とてオペラキャリアをここで中断するはずもなく、むしろさらにキャリアを拡大しようという考えだろう。その真価の方は今日の夜の公演で分かるだろう。

 

 

昼食は久しぶりに「美々卯」で

 オペラ鑑賞を終えると夜のコンサートまでの間に美術館に立ち寄るつもりだが、その前にとにかく腹が減った。1階下のフロアの「美々卯」を訪問して「鴨うどんと寿司のセット(2400円)」を注文する。

10階レストラン街の「美々卯」

 さすがに高級店美々卯らしく内容は上品で価格も高い。しかし流石に厚切りの鴨肉は軟らかくて美味いし、うどんも実に美味(出汁の味は下品な私にはやや物足りなく感じるにも関わらずだ)。うどんからデザートに至るまですべてが実に美味。やっぱりここはただ価格が高いだけの高級店ではない。とは言うものの、やはりCPという概念で考えたらかなり下位なのは事実だが。

流石に美味い高級鴨うどん

 昼食を終えたら中之島美術館へ。目的はここで開催中の「トリオ展」。結局はここで私の美術館滞在としてはかなり長い2時間近くを要して閉館の5時手前までいることになる。なお本展記事については書いていると長くなりそうなので、後日別にまとめて記載することにする。

中之島美術館の催し物

 

 

 美術展の鑑賞を終えるとホールへの移動。しかしこれが実は嫌らしい。この美術館からザ・シンフォニーホールへ移動となると、かなり引き返して肥後橋駅に戻ってから大阪でJRに乗り換えて福島という時間も手間も金もかかるルートになってしまう。で、時間もまだ十二分にあることだし、私の出した結論は「歩くか」

 結局は福島方面までプラプラと歩く。福島近くまで来るのに十数分というところか。途中で夕食をどうしようかと考えた時にふと思いつく。そうだ「イレブン」が移転したという鷺洲方面に繰り出してみるか。

 鷺洲地域は東西に長い商店街があり、人通りもそれなりにある。私から見たら長田の商店街を連想するような昭和風情もある場所である。飲食店もそれなりにある模様。で、「イレブン」が移転したのはその西の端ぐらい。なお残念ながら本日は夜営業なしのようである。まあこれは調査済み。そこでここの斜め向かいにある「グリル ニュートモヒロ」に入店することにする。

イレブンは今日の午後は閉店

そこで斜め向かいの「ニュートモヒロ」に

 内部はカウンターだけで10席もないという小さな町の洋食店である。年配のマスターが一人だけで店を切り回している模様。「イレブン」がここに移転した時、Googleマップでこの店を見て、これはまた正面からケンカを売るような場所だなと思っていたんだが、この規模の店なら勝算ありと読んでのことか? 入店すると「ビーフカツ(1200円)」を注文する。

ビーフカツ

 まあ可もなく不可もなくというところ。この価格だと小さな肉を寄せたようなカツになるのは致し方ないところか。付け合わせの味噌汁が妙に美味かった。

 夕食を終えるとホールまで歩く。所要時間ザッと15分弱というところか。どうしようもないほど遠くはないが、出来れば歩きたくない距離であり、仕事後にホールに駆けつける最中に立ち寄るのはほぼ不可能。立ち寄ることがあるとしたら、週末公演でよほどバターライスを食べたくなった時ぐらいか。なお道すがらに「鷺洲やまがそば」という店を見かけたのだが、私がいつも行く店がわざわざ「福島やまがそば」と書いてあるのはこのせいか。元々両店に何かの関係があるのかどうかまでは私は知らない。

 

 

 ホールに到着した時点でまだ開場の18時まで20分ほどある。結局は向かいの公園でこの原稿を執筆しながら時間をつぶすことに。しばしの後に開場時刻になるのでゾロゾロ入場。

ホール到着は開場時刻前

 入場すると喫茶でケーキセットでマッタリという堕落タイムを送る。前回はチーズケーキだったので、今回はイチゴとブルーベリーのケーキをチョイス。若干クセのある風味だが悪くない。

贅沢にも喫茶でくつろぐ

 ロビーではプログラムが1000円で販売されている模様。記念に購入する者も少なくないようだが、私にはそれでなくても高いチケットの上にさらに支出をする余裕がない。そもそも室内にプログラムの類いが多くなりすぎていて、良くて積ん読、下手すりゃ資源ゴミになるのがオチだし。

 しばらく喫茶で時間をつぶすと開演10分前ぐらいに着席。私が確保したのは三階左翼のバルコニー席2列目という完全見切れ席。これでも1万6000円である。

三階バルコニーの見切れ席

 なお会場の入りはとんでもなく悪い。全体でせいぜい4~5割というところか。3階席はほぼ埋まっているのだが、2階席はなどは1割を切っている状態のガラガラ。つまりは安い席だけが売れて、後は高い席の中でも一部の良席だけが売れて後は売れ残ったという状況。やっぱり明らかに価格が高くなりすぎて手が出ない者が多かったのだろう。この調子でいけば、来年以降は貧困化の進んだ日本にやってくる海外オケは激減しそうな予感。これもアベノミクス効果。

 

 

サー・アントニオ・パッパーノ指揮 ロンドン交響楽団

[指揮]サー・アントニオ・パッパーノ
[ピアノ]ユジャ・ワン
[管弦楽]ロンドン交響楽団

ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」op.9
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 op.1
サン=サーンス:交響曲 第3番 ハ短調 op.78「オルガン付」

 ます一曲目はベルリオーズのローマの謝肉祭という知名度的に微妙な曲。しかし曲自体は煌びやかな良い曲である。やはりロンドン響は冒頭からそのアンサンブルの密度が桁違い。近年は日本のオケも技倆が向上して、アンサンブルの精度では海外に引けを取らないところが増えてきたが、どうしてもこのアンサンブルの密度ではまだ及ばない。いきなりのロンドン響サウンドに魅せられる。

 パッパーノはやっぱりオペラ指揮者だなというのを感じさせられる。この曲を演奏した時にやはりオペラの前奏曲的な演奏であり、さあいまから幕が上がるぞという雰囲気がある。ロンドン響から華麗なサウンドを見事に引き出している。

 二曲目はソリストにユジャを迎えてラフマニノフの「さらにマイナーな協奏曲」。ラフマニノフのピアノ協奏曲と言えば、圧倒的に知名度の高い2番があって、それから知名度的にはかなり落ちるが最近はそれなりに演奏され始めた3番があるが、今回は未だに滅多に演奏されない1番である。

 曲自体は2番ほどには甘くなく、少々泥臭さがある分、ロシア情緒がより強い曲である。実はロンドン響はロシアものにも定評があり、初っ端からなかなかに良い音で聴かせてくれる。

 ユジャの演奏は例によって華麗にしてアクロバチック。相変わらず軽業師のような演奏であるが、まあ決して技術だけに落ちる演奏でもない。歌わせるべきはしっかりと歌わせている。そしてパッパーノもさすがにオペラ指揮者か、ソリストを盛り立てるのは上手い。結果として非常に魅力的な演奏となった。

 場内は大盛り上がりで当然のようにアンコール。するとユジャがパッパーノをピアノに座らせるから驚いた。何と連弾でスラブ舞曲。ただどうしても絵面がキャパクラでのオッサン客とキャバ嬢のデュエットに見えてしまうところがある。なお演奏自体はやや急造感があり、パッパーノのピアノにユジャが合わせていたようだ。

 演奏終了すると、パッパーノが「これだけじゃ駄目だろ」と言わんばかりに直ちにユジャだけを座らせて「4羽の白鳥」。しかしこれがユジャアレンジ版かやけに派手な演奏でいかにも彼女らしい。

 それでも拍手は鳴り止まずユジャはさらにもう一曲。何かとんでもなくテクニカルでアクロバチックな曲が登場。パッパーノがピアノに寄り添う(絵面だけだとセクハラ親父みたい)から何やってるんだろうと思ったら、電子楽譜をめくる役だった。

 場内大盛り上がりで収拾がつかない状態。ユジャが2回ほど出入りしたところでコンマス引き連れて同伴退場、同時に会場照明を点灯して無理矢理に終了である。

 さて休憩時間。あまりに二階席がガラガラなので、これだったら問題なかろうと私はそっちに移動してしまう。なお回りを見渡すと同じ考えに至った者が少なからず。三階席からこちらに移ってきた客が結構いた模様。

 

 

 後半はサン=サーンス。ロンドン響は16型3管のフル編成でこの曲に挑む。16型のオケのパワーを活かしていきなりバリバリのサウンドスペクタクルを・・・としないのがパッパーノ。むしろ序盤は抑え気味である。ロンドン響の美しいアンサンブルを徹底して聴かせてくる。私自身この曲はどうしても単なるサウンドスペクタクルとして聴くようなところがあるので、こうして改めて聴かされるとそんな単純な曲でないことを再発見。序盤のさざめくような弦の胎動からゾクゾクするような情緒がある。

 第一部後半などは静かな曲調をさらに抑えて演奏しているのだが、心地よい緊張感が張り詰めているせいで弛緩せず、いわゆる眠い演奏には全くならない。むしろロンドン響アンサンブルの美しさが際立ってくる。

 第二部から徐々に上げてくる。そして怒濤のクライマックス。単なるサウンドスペクタクルにとどまらず、まさに血湧き肉躍る展開。この辺りはオペラのクライマックスを思わせるところ。

 当然のように場内はやんやの盛り上がりである。一向に収まらない盛り上がりにパッパーノのアンコールが。ここでとんでもなく美しい曲が登場と思ったらフォーレの「パヴァーヌ」。最近聴いたことがあると思ったら、つい数日前に関西フィルの演奏で聴いたところだ。関西フィルの演奏もかなりよかったが、申し訳ないがもう次元が違う。12型オケと16型オケの編成の違いなどという物理的次元ではない音色の厚さがすごい。しかも16型オケが全く乱れなく完璧なアンサンブルを聴かせるのであるからとんでもない。もう恍惚の状態で音楽に身を委ねるのみ。

 結局は最後まで次元の違う演奏だった。ラトルなきロンドン響もやっぱりロンドン響だったと言うよりも、パッパーノを迎えたことで新たに加わるものが出てきそう。なおパッパーノの演奏については、やはり原点がオペラにあることを感じさせ、ロイヤルオペラ関係者の言っていた「まあ、その内に帰ってくる」というのもあり得るかもと思った次第。

今回の公演はアンコールてんこ盛り

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

週末遠征、初日はオペラと関西フィルの室内楽、久しぶりにデュメイ登場

今日はMETアンコール上映と関西フィルのハシゴ

 昨日は在宅勤務だったが、金曜日の今日は週末にかけて再び大阪方面に繰り出すことにした。コンサートは19時からなので昼過ぎてからの出発でも良さそうなものだっが、ついでだから現在なんばパークスシネマで開催中のMETアンコール上映でも見に行こうと考えて、午前中に出発する。

 予定通りに大阪に到着すると、まずは重たいキャリーをホテルに置くことにする。今回の宿泊ホテルは大阪の定宿、新今宮のホテルサンプラザ2ANNEX。午前中からチェックイン可能なので、チェックイン手続きを済ませてから部屋に荷物を入れる。

新今宮の定宿に荷物を置きにいく

 部屋はシンプルな和室(ということになっているが、畳はなくてフローリングである)。これを選んだのは、この方がデスクを使いやすいから。なお畳を廃したのはメンテ費用の問題があるだろうし、現在何かと話題の南京虫などにもこの方が対応しやすいからだろうと推測する。

部屋はシンプルな和室である

 部屋に荷物を置くと直ちに外出、地下鉄でなんばに向かう。なんばパークスシネマはなんばとは言うものの、かなり南で遠い。延々と歩くことに。とりあえずチケットは確保する。

パークスシネマに到着

 ところで劇場にアメリカ内戦をテーマにした映画の宣伝が出ていたが、これって自身の犯罪をもみ消すためにどんな手使っても大統領にならないといけないトランプが、もし選挙に負けたら支持者引き連れてアメリカ共和国なるものを作るとかいう与太話に基づいてるのかな? まああの男とその支持者なら、アメリカ二分出来ないまでも大規模テロぐらいはしかねないが。

これは・・・

 

 

 さて朝食がまだなのだが、レストランフロアは11時からの営業とのことなので待たされる。フロアが開くとすぐにそば屋の「しのぶ庵」に入店、「山芋とろろ付けそばと並テンブラ盛り(1408円)」を注文する。

階下のレストランフロアの「しのぶ庵」

 上映開始は11時半からなのであまり時間がない。と言うわけで比較的早く出てくると予想されるそば屋を選んだのだが、それでも駅そばとは違うのでそれなりに時間がかかっていささか焦る。料理が出るまでに10分ちょっと。時間がギリギリなのは、長年のサラリーマンジョブ経験で磨かれた固有スキルの「爆速食い」で凌ぐ。そば自体は悪くはないんだが、まあ場所柄CPは激烈に悪い。

CPを横に置いて考えれば悪くはないが

 とりあえず上映開始までに会場に入場は出来る。場内の入りは10人程度。まあMETは大抵このぐらいのものである。

 

 

METライブビューイングアンコール ヴェルディ「エルナーニ」

指揮:マルコ・アルミリアート
演出:ピエール・ルイジ・サマリターニ
出演:マルチェッロ・ジョルダーニ、アンジェラ・ミード、ディミトリ・ホヴォロストフスキー、フェルッチオ・フルラネット

 ヴェルディの初期のマイナー作。実際に私も今回初めてこの作品のことを知った次第。とは言うものの、いかにもヴェルディの作品らしく、歌手にはかなりの技倆が求められ、ガンガン歌うという音楽。もっとも気持ちが良いぐらいに歌いまくるので、聴いていて実に聴き応えがある。

 例によって音楽は最上であるが、ストーリーについてはその時代特有の倫理観や宗教観なんかが反映されるので「なんでそうなるの?」という納得しがたいものである。キャラをつかみがたい皇帝に、若者のアホさと老人の醜い妄執だけが印象に残るというように突っ込みなしには見られないところがあったりする。登場人物が全員アホすぎて、それが故に一直線にラストの大悲劇に突入するという「むりくり悲劇」感が半端ない。まあそのような説得力の乏しいドラマに、超絶見事な音楽を付けることで無理矢理に盛り上げるという、とかくヴェルディの作品においてはありがちなパターンではある。

 とは言うものの、音楽は超一流、歌手陣も超一流であり、聞き惚れるような素晴らしいアリアも出まくりで中身はかなり濃い。ヴェルディの若き頃の作品ということもあってか音楽自体にも若さと生命力があふれている印象。それを実力ある歌手陣が遺憾なくその技を披露してくれる。結局はストーリーの不自然さは横において、終始その音楽に圧倒されたというのが本音。


 なおストーリー面では毎回何かと不満の出るヴェルディのオペラだが、今回の作品なんかももし私がストーリーを書いたら、全く異なる展開にする。

 「暴虐なるカールを倒せ!」と挙兵するシルヴァ、彼の元にカールの圧政に不満を抱いていた諸侯が集結、一大決戦となる。そして乱戦の最中で見事に父の敵討ちを果たすエルナーニ。シルヴァに「ありがとう、おかげで父の無念を晴らすことが出来た。もう思い残すことはない。私の命を奪ってくれ。」と顔を向ける。シルヴァは角笛を取り出すと、それを地面に叩きつけると踏みつぶす。「なぜ」と問うエルナーニに、シルヴァ「私はエルヴィーラを本当に愛している。その彼女が悲しむ姿を見たくはない」。そこに解放されたエルヴィーラが現れ、エルナーニと抱き合う。それに対して安堵と悔恨の入り交じった一瞥を送るとその場を去るシルヴァ。「さて、私は残りの人生を、カールの暴政の後始末に費やすことにでもするか・・・。大変だが、どす黒い復讐に費やす老後よりは意味があろう」やや皮肉めいた笑顔が浮かぶ。

 以上、いかにも「ありがち」かつ「甘々」なストーリーになってしまいます。私はどうしても「悪党は悪党なりに、自身が信じる正義のために悪行を行っている」というスタンスをとるので、意味もなく人殺しをしたがるような輩は登場しないので、どうしても甘めのストーリーしか考えられない。まあこの辺りが私は小説家の才能はないってことなんだが。

 

 

 オペラの鑑賞を終えると次の目的地に移動・・・なんだが、3時間半の長丁場上映の直前にそばをかき込んだだけなので体がいささかガス欠。移動の前に3時のお茶をしたい。6階のレストランフロアを覗いたら「PANCAKE HOUSE」なるパンケーキ屋がある。そこで入店して「フワフワパンケーキのプレーン(1408円)」を注文する。

レストランフロアの「PANCAKE HOUSE」

 注文はテーブル上のQRコードを読み込んでスマホで行う形式。最近増えてきた省力化兼注文間違いトラブル防止(注文違い発生時は一方的に客のミス)のシステムだろう。しばし待たされて分厚いパンケーキが3枚入った皿が到着する。

やけに分厚いパンケーキ

 どの辺りがふわふわなんだろうと思っていたら、ナイフを入れた途端にパンケーキがつぶれる。パンケーキと言うよりは表面を薄く焼き固めたプリンか何かのようである。今時のとにかく軟らかいものが受けるという風潮に合わせたか。ただ正直ふわふわパンケーキと言うよりも、生焼けパンケーキ感が半端なく、私のようなジジイとしてはもっとシッカリと焼いてあるものの方が好み。そういう者のためには通常のパンケーキもメニューにはあるようだが。

ナイフを入れた途端に崩れる

 喫茶で燃料補給の後は、コンサート前に美術館に一カ所立ち寄っておきたい。今日のコンサートはいずみホールで開催なので、その近所にある山王美術館に立ち寄ろうと考える。地下鉄と京阪を乗り継いで京橋へ移動する。目的の美術館は対岸のホテルの前にある。

対岸に見える美術館

 

 

「藤田嗣治・佐伯祐三・荻須高徳展-パリを愛し、パリに魅了された画家たち-」山王美術館で'25/1/31まで

 所蔵品の中からパリ絡みの画家である藤田嗣治、佐伯祐三、荻須高徳の作品を展示。

 まず最初は佐伯祐三から。佐伯はパリに渡ってヴラマンクの批判によって新しい画風に開花し、まさに燃え尽きるように30歳という若さで早逝した画家である。その最初期の作品から、まさにヴラマンクに「アカデミック」と批判されたことで新たな画風を志してそれに目覚めていく過程、そして一時帰国したものの描くものがないことに苦闘していた下落合時代、さらに再びパリに渡ってそこでまさに燃え尽きるまでの時代を通しての作品が網羅されており、小規模ではあるが佐伯の生涯を概観できるようになっている。

 その佐伯の後輩として初期にはもろに彼の影響を受けてパリの風景を描いた画家が荻須高徳である。特に最初期には佐伯の影響が露骨すぎて、彼の作品と区別がつかないぐらい。この時期はリスペクトと言うよりも模倣に近いように思われる。それが徐々に画風が変化。佐伯の影響を受けた荒々しい筆致から、独自のカラフルで品の良い作風へと変化を遂げる。その変化が分かるような展示がなされている。

 藤田についてはやはり人物画がメインということで、藤田の特徴が最も出ている子供の絵が展示のメインとなる。とは言うものの、藤田もパリの街並みを描いた作品は存在するようであり、そのような展示もある。やはり佐伯などとは根本的に異なり、やや洒落た感がするのはやはり藤田。

 なお渡仏時に佐伯にアドバイスをもらうなど直接の関わりがあった荻須と違い、藤田は一足先に既にパリで成功した画家であり、渡仏した佐伯との直接的な関わりは全くなかったとのことで、この辺りも藤田と彼らの作品の距離感なんかにももろに影響していそうである。

 

 

 美術館の見学を終えると17時前。コンサートの開場が18時の開演が19時からだから、それまでの間に夕食を摂りたい。何を食べたいかと考えた時に、頭に浮かんだのはなぜか炒飯。そこでIMPの「梅蘭」に入店。鶏肉そばに半炒飯を付ける。

IMPの「梅蘭」

 あっさり風味の鶏肉そばは悪くはない。特に最近体調が著しく悪い私には優しい味。炒飯については可もなく不可もなくというところ。

鶏肉そば自体は悪くない

 炒飯をつつきながら原稿執筆をしていたが、まだ時間があるのとどうも口の中が重いこともあり、気分転換に「杏仁豆腐」を追加注文する。うーん、これはちょっと私の好みよりは味が薄すぎ。

杏仁豆腐についてはイマイチ

 デザートを終えたところで6時を回ったのでホールに向かう。ホールでは観客の入場が始まっているところ。何だかんだでこじんまりとしたいずみホールはおおよそ満席か。

いずみホールは久しぶりか

 

 

関西フィルハーモニー管弦楽団 住友生命いずみホールシリーズVol.58

こじんまりした美しいホール

オーギュスタン・デュメイ(指揮)
関西フィルハーモニー管弦楽団

ヨゼフ・スーク:弦楽セレナード 変ホ長調 op.6(抜粋)
ドヴォルザーク:管楽セレナード ニ短調 op.44
        弦楽セレナード ホ長調 op.22

 一曲目のスークの弦楽セレナードは1楽章と4楽章のみだが、明るくて快活な曲想が非常に心地よい。そして何よりも関西フィルの美しいアンサンブルが抜群に心地よい。

 しばし座席替えの時間があってから、二曲目はドヴォルザークの管楽セレナード。管楽器に低弦(コントラバスとチェロ)を加えた構成になっているが、フルートが除いてあるので、全体的にやや低重心。ただ曲調は軽快で結構古典的な曲のように聞こえる。演奏自体はオーボエの佛田とクラリネットの梅本が中心。こちらもまずまずのアンサンブルを披露してくれる。

 休憩明けの三曲目はドヴォルザークの弦楽セレナード。このジャンルではチャイコフスキーのものに次いでぐらいの知名度の曲で、私も以前に聞いたことのある曲ではある。この曲においても関西フィルはかなり密度の高い美しいアンサンブルを披露する。またデュメイに鍛えられた弦楽陣のネットリしっとりした音色が非常に美しい。なお相変わらず、デュメイは細かい仕掛けというか、独自の表現が結構随所にちりばめてあり、個性の強い演奏であることも感じさせる。

 何にせよ、いかにもいずみホール向きの美しいアンサンブルを堪能したのである。またホールの規模的にもこのぐらいのサイズでの演奏が最も適していることも同時に感じられたのである。デュメイの指導の下で鍛えられてきた関西フィルのアンサンブルも、かなり完成の域に達してきたように思われるが、そろそろ高齢で健康問題がチラホラし始めているデュメイについて、今後の関係はどうなっていくのかが気になるところ。

 

 

 コンサートを終えるとホテルに戻ってくるが、部屋に入った途端に布団にダウンしてしばし動けなくなる。今日はかなりキツすぎた。朝から12時間以上ぶっ続けで活動している上に、歩数も一万歩を越えている。若い頃ならともかく今の私の体にはこれはキツすぎる。当初予定ではホテルに戻ると入浴してから執筆予定だったが、頭が回らないどころか机に向かう物理的体力がない状態。

構築した仕事環境は結局ほとんど使えず

 しばしそのまま完全に活動停止して、就寝時間が近づいてきた頃に何とか無理矢理に起きだして、大浴場で入浴だけはしておくことにする。正直、大浴場に繰り出すだけで体がキツい。こういう時には部屋風呂の方が良いなと思ったりする。とりあえず浴槽に体を浸けると、体がガチガチなのが感じられたので浴槽内で良く伸ばしておくが、間違いなく明日にツケがきそう。

 入浴を終えると部屋に戻ってきてバタンキュー。布団の上に寝っ転がってタブレットで明日の予定をチェックしていたら、ウトウトして顔面にタブレットを落下させる始末(それも2回も)。結局はこの日はそのまま就寝に入る。

 

 

この遠征の翌日の記事

www.ksagi.work

 

 

METライブビューイングはプッチーニのレア作品

久しぶりに三ノ宮に繰り出す

 この週末はMETライブビューイングのために三ノ宮に繰り出すことにした。演目はプッチーニの「つばめ」である。

 上映が13時50分からとかなり遅いので、家を出るのは昼近くになってから。JRで三ノ宮まで移動するとキノシネマ神戸国際に入る前に昼食を摂ることにする。レストランを探してプラプラするが、さんちかにはこれという店はなし。そこでセンター街地下に場所を移して散策。裏手に見つけた中華料理や「雲井亭」に入店することにする。

 注文したのは「Aセット(850円)」。酢豚を中心としたオーソドックなセット。味付けは典型的な町中華のものというところか。やや酸味が私には強いように感じるが、まあ許容範囲内。これと言って美味しくも感じないが不味くはないと言うところで、価格から考えても典型的な普段使いの店か。三ノ宮には珍しくはある。

酢豚がメインのAセット

 昼食を終えると劇場の方に出向く。しばらくして劇場から大勢が出てくるが、先に上映されていた「おいしい給食」が終了した模様。客はザッと見て40人ぐらいはいるだろうか。なかなか好評の模様。立てポップで嬉しそうに記念写真を撮って帰るカップルも。

キノシネマ神戸国際に

 10分ぐらいで入れ替わりで入場。場内には意外に入場者がいて、20名ぐらいはやって来ているだろうか。今までのここの入りから見て結構多い方だ。

 

 

METライブビューイング プッチーニ「つばめ」

指揮:スぺランツァ・スカップッチ
演出:ニコラ・ジョエル
出演:エンジェル・ブルー、ジョナサン・テテルマン、エミリー・ポゴレルツ、ベクゾッド・ダブロノフ

 プッチーニの比較的晩年に作曲された作品で、「トスカ」や「蝶々夫人」などよりは後年の作になるが、その割にはあまり上演されることがない作品である。当初はオペレッタとして企画されたらしいのだが、途中でプッチーニがそれを断念して書き直したものだという。

 当初はオペレッタだったということもあってか、他のプッチーニの有名な悲劇作品のような大悲劇にはならない。結局は人死にも出ず、最後は高級娼婦という過去の罪の意識から、ヒロインのマグダが求婚してきたルッジェーロに別れを告げるというほろ苦いだけの話であり、そう言う意味では「トスカ」などの劇的な展開がないので見せ場が少ない感もある。

 その分、音楽の方は激しく盛り上げるというものではなく、マグダとルッジェーロの絡みを中心とした二重唱、四重唱などで軽快かつ美しく進めていくという印象。無理矢理な盛り上げを省いたら、プッチーニの旋律の美しさが残ったというところである。

 ヒロインは迫力満点のエンジェル・ブルー。可憐で地味な少女というにはいささか存在感がありすぎるが、歌唱に関しては非の打ち所はない。一方ルッジェーロのテテルマンは上演前にMET支配人が登場して、テテルマンがアレルギーシーズン特有の不調と戦っていることを断りを入れていたが、そんな注釈をわざわざ付けないといけないほどの不安定さは感じなかった。もっとも本調子ではないと言うことで、もし本調子ならもっと煌めくようなテノールを披露してくれるのかもしれないが。

 この2人を中心としてリゼットのポゴレルツとプルニエのダブロノフがコメディリリーフとして活躍しているという印象。

 プッチーニのこじんまりとした作品を、音楽の美しさをメインにまとまりの良い作品として仕上げたという印象であった。まあ大悲劇に胃もたれした向きには良いか。

 

 

METライブビューイングでネイディーン・シエラのグノー「ロメオとジュリエット」

いつもの喫茶店で朝食

 近くの部屋にうるさい奴がいて夜中と朝方にドタバタしていたが、疲労の方が限度を超えていたのか、朝方にバタバタされ始めて自然に目が覚めるまでほぼベッドで意識を失っていた。なんとなく身体はだるいが昨晩のような起き上がれないという状況ではない。

 今日は大阪でのMETライブビューイングを見てから帰宅の予定。8時頃に起きだすととりあえず朝食のために出かけることにする。朝食に出向いたのは、最近よく通っている「カフェ・ド・イズミ」塩チキンサンドにマイルドコーヒーをつける。これで530円。相変わらず新今宮の喫茶モーニング恐るべしである。

塩チキンサンドとマイルドコーヒーのセット

 元々長居するつもりはないし、表に待ち客もいるようなので、朝食を終えるとさっさとホテルに戻る。チェックアウト時刻は10時なのでそれまでの間に荷物をまとめてチェックアウト準備。

私の退店時には待ち客が既に複数

 ホテルをチェックアウトすると大阪ステーションシティシネマへ。上映開始は11時15分からでいささか時間があるので、外のベンチで原稿執筆で時間をつぶす。今日はちょうどまだ雨が降っていないが曇っているという天候なので、表のベンチで過ごす時に日差しに攻撃されないので好都合である。

売店コーナー改装中とかで臨時仕様になっている

 時間が来ると劇場内へ。今日は今までで一番観客が多く。劇場の席が1つおきでほぼ埋まっているような状況。グノーのオペラにそこまで集客力があるとも思いにくいのだが、やはり「ロミオとジュリエット」という題材がキャッチーなんだろうか?

 

 

METライブビューイング グノー「ロメオとジュリエット」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:バートレット・シャー
出演:ネイディーン・シエラ、ベンジャマン・ベルナイム、ウィル・リバーマン、フレデリック・バレンタイン、サマンサ・ハンキー

 言わずとしれたシェークスピア原作の大悲劇である。もっともシェークスピアの三大悲劇と言えば「リア王」「オセロ」「マクベス」で四大になったらそれに「ハムレット」が加わるとのことなので、この知名度の一番高い作品はそこに入らない(本作はシェークスピアにしたら小品だからと聞いている)。にも関わらずこの作品を知らない者はまあいないと言うぐらいに有名な作品である。

 その本作を原作にしたグノーのオペラである。作品自体はロメオとジュリエットの2人のデュエットなど、ロマンティックかつ美しい曲が実に多いが、その一方で豪華でダイナミックな音楽展開も多いのでオケ的にもソリスト的にも聞かせどころの多い作品である。

 それだけに主演の2人の力量にすべてがかかってくるのだが、その点ではさすがにネイディーン・シエラ、ベンジャマン・ベルナイムの両者とも押しも押されぬ実力者だけあって、圧倒的な表現力で若い2人の甘い悲恋を演じきっている。

 もっともネイディーンは迫力がありすぎて、ジュリエットが可憐なお嬢様でなく、いささかエキセントリックな強い女性っぽくなった感があるのは、まあご愛敬と言うところか。両者ともに聞かせどころのアリア及びデュエットで見事に観客を魅了していた。

 なお原作では確かジュリエットが死んだと思い込んでロメオが自殺、目覚めたジュリエットは死んでいるロメオを見て事態を理解して自殺するという展開だったはずだが、本作ではロメオが服毒して瀕死の時にジュリエットが目を覚まして過酷な運命を2人で嘆くという展開になっているいるのは、ドラマにある種の救いを加えたのと、さらにラストで2人のデュエットという音楽的クライマックスを作るという狙いか。まあ確かにそれは成功はしている。


 上映が昼時を跨いでの長時間だったので、上映を終えると帰宅の前にかなり遅めの昼食を摂っておきたい。なお途中休憩時に持ち込んだおにぎりやパンを客席で食べている観客が予想以上に多かったのも印象に残ったところである。確かにこの上映時間構成は身体にキツい。

 

 

昼食はそばにする

 昼食は一階下のレストランフロアに行くことにする。昨日の今日でやはり洋食の気分ではないので和食系。ただいつもいつも「美々卯」ではあまりに芸がない。そばでも食べようかとフロアガイドを眺めたところ、「石臼引き二八そば そばしき」なる蕎麦屋がある模様なのでそこに入店する。

そばしき

 ここのレストランフロアはとにかく混雑することが多いが、今は3時前と完全に昼時を外しているおかげか客は比較的少なくすんなりと入店出来る。私は「天丼とそばの定食(1500円+税)」を注文する。

天丼と蕎麦の定食

 そばはまずまず。特別に美味いと言うほどのそばではないが、まあ普通に美味い蕎麦である。それよりも甘タレの天丼が美味いのが印象に残った。概して蕎麦屋の天丼はイマイチのところが多い(タレがくどすぎるか逆に味が薄すぎるか)のだが、ここのはもろに私の好みのちょうど良い味付けである。また天ぷらもサクサクとしていて具合が良い。場所柄CPは悪いが、内容的にはまあ納得ができる内容ではある。

 とりあえず満足して昼食を終えると新快速で帰宅と相成ったのである。

 

 

本遠征の前日の記事

www.ksagi.work

 

 

METライブビューイングでヴェルディの大悲劇「運命の力」を鑑賞

朝食は新今宮界隈の人気喫茶店で

 翌朝は8時前まで爆睡してから目が覚める。目が覚めたところでとりあえずは朝食を摂りに出かけることにする。向かったのはホテル近くの「カフェ・ド・イズミ」。開店の10分前に到着したのでしばし待つことに。この店、最近とみにGoogleマップでの評価が高まっているので、口コミをみた観光客が押しかけることがあり、開店後に行ったら満席のことが多いのが難点。

新今宮の「カフェ・ド・イズミ」

 入店すると「塩チキンサンドとマイルドコーヒーのセット(530円)」を注文。朝からしっかりと頂くことにする。サンドは美味いし、コーヒーも私の好みに合う。今朝は比較的観光客が少なく、客がご近所の常連さんが多いようであるので、余所者の私としては何となくアウェイ感があるのは仕方ないところ。まあ町の喫茶店あるあるである。今日は食は進むので体調は悪くはないようだが、昨日はただ単に座り続けていただけなのに身体には思いの他のダメージがあり、どうにも身体が重くて仕方ない。しかし今日もこの後に長時間座りづめの予定になっている。とりあえず手早く朝食を済ませると店を後にする。

朝食のセット

 ホテルに一旦戻るとすぐに荷物をまとめてさっさとチェックアウトする。今日の予定は10時半から大阪ステーションシティシネマで上映されるMETライブビューイング。今回の演目はヴェルディの「運命の力」。あの劇的で哀愁漂う序曲が有名な作品。ムーティ指揮ウィーンフィルによるアンコールでの演奏が未だに心に残っている曲である。オペラ自身は以前にロイヤルオペラハウスのライブビューイングで見ているが、何とも救いのない話である。

ステーションシティシネマは今日も客が多い

 入場客はザッと50名以上はおり、なかなかの入りである。前回の「ナブッコ」の時もそのぐらい入っていたので、やはりヴェルディは人気があるということか。

 

 

METライブビューイング ヴェルディ「運命の力」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演出:マリウシュ・トレリンスキ
出演:リーゼ・ダーヴィドセン、ブライアン・ジェイド、イーゴル・ゴロヴァテンコ、ユディット・クタージ、パトリック・カルフィッツィ

 過酷すぎる運命に翻弄される男女3名の愛憎のドラマを描いたヴェルディの悲劇。なお本作を演出のトレリンスキは、ウクライナ問題なども深刻化する現代の時勢も反映した現代翻案で上演している。

 ヒロインのレオノーラを演じるダーヴィドセンは抜群の表現力を持つ実力者である。過酷すぎる運命に翻弄される薄幸のヒロインを見事に演じきっている。あえてケチを付けるとしたら、長身でガッシリした体格のダーヴィドセンは薄幸の少女というには、あまりに見た目がゴツすぎることぐらいか。

 同じく運命に翻弄されるドン・アルヴァーロを演じるのは輝かしいテノールのジェイド。生い立ちの複雑さ故に屈折もあり、やや直情的な故に運命に翻弄されてしまう悲運の主人公を魅力的に演じている。また敵役となるレオノーラの兄で偏執的なドン・カルロを演じるバリトンのゴロヴァテンコもなかなかの実力者。この3人を中心に(いささか強引さや無理さもある)大悲劇が展開することになる。

 現代翻案演出のために戦場描写などが妙なリアルさがあって迫ってくるところがある。また単に偏執的な異常者的な描写になりがちなドン・カルロについても、本作では自身のプライドや苦悩に苦しめられる彼もやはり悲劇的人物であるということが明確に描かれている。ドン・アルヴァーロも基本的にはプライドの高い男であり、結局はこの男2人のプライドの衝突だったというこのドラマの本質も描かれている。

 最終的には本作は全く救いようのない結論になるのであるが、そこで神の与えた運命を呪ってはいけないと救済的な展開に持っていくのは、いかにもヴェルディ的な宗教描写か。しかし無神論者の私としては、本作のシナリオにおいてはあまりに強引すぎる展開と共に、この無理矢理の結論は一番引っかかるところであったりする。結局は神が与えたあまりに理不尽な運命に翻弄された主人公達からすると、こんなクソみたいな神にすがっても救いもクソもないところだと思うのだが。


 音楽的には見事の一言で、やはりヴェルディのオペラは素晴らしいということは実感させられた。なお以前からネゼ=セガンは小柄だなとは思っていたが、カーテンコールで長身のダーヴィドセンとジェイドに挟まれると、ネゼ=セガンはまるで子供用に見えて、これはいささか笑いの出そうになったところではある(下野を連想した)。

 

 


 上映が終了したのは15時。休憩2回で4時間半に及ぶ長大な作品はさすがに疲れた。帰る前にかなり遅めの昼食を摂っておきたい。階下の飲食店街を覗くが、食事時は完全に外しているにもかかわらずあちこちの店が長蛇の行列でウンザリする。結局は比較的行列の短かった「美々卯」で待つことにする。

レストラン街の「美々卯」

 10分ほど待たされて入店。うどんやお造りに天ぷらがセットになった「ゆり膳(2100円)」を注文する。

ゆり膳(2100円)

 うどんはさすがに美々卯であるが、讃岐うどんのような口当たりの硬さは感じさせないにもかかわらず、しっかりと腰のあるうどんでこれは絶品。天ぷらはサクッと揚がっており、お造りもまずこんなもの。デザートにはミニ杏仁豆腐がついて満足の出来る内容である。まあ価格はそれなりに高いが、元々高級店だし、場所柄を考えても仕方のないところか。そもそも今はCPの高い店がある界隈まで出向く気力も体力ないし。

 昼食終えると新快速で帰宅の途についたのである。それにしても体力がなくなったものだ。そんなに歩いたわけでもなく、ひたすら座っていただけにも関わらす思いの他のダメージが身体にある。全くもって老化とは嫌なものである。認めたくないものだな、加齢故の衰えとは・・・。

 

 

この遠征の前日の記事

www.ksagi.work